業務研修・改正相続法について~世は遺言書の時代へ2019年10月21日

 今日は午後2時から東別院の大ホールで業務研修があった。以前から期待していた相続法の改正についての学習である。テキストはなく法務省のHPから取り出して編集されたらしい。
 以前から仲間内で『Q&A 改正相続法のポイント―改正経緯をふまえた実務の視点―』 をテキストにして読み合う時間を設けている。しかし、適切な指導者がいないためあまり進まないが今回は実務家を講師に招いた。
 講師は岡崎市で開業する弁護士の中根克弘氏。杉浦さんとともに西三河に多い姓名である。中でも岡崎市が圧倒的に多い。古くから地盤を固めてきた家の生まれであろう。中根でググると県議の名前もあり、多数の実業家が出てくる。
 講義は実務派らしく体験談や自分の見解を交えて少し脱線気味ながら熱弁を振るわれた。但しテキストの編集が悪く縦書きの条文を左からページを繰るために探すのに時間がかかる。
 要旨はこれからは死後の相続ではなく、被相続人が自分の意思で財産の処分の方法を決める遺言書の時代になるということ。従来からの公正証書遺言に加えて自筆遺言書の法務局への保管があらたに来年7月から実施されることで現在はシステムの準備中である。自筆遺言書も1月から自筆部分を本文のみにとどめて、財産目録はパソコンで清書したり、コピーでも良いことになった。改正相続法を事務所の業容拡大に努めるようにしなければならない。
 16時30分を少し過ぎて研修を終えて外に出るとぽつりと雨が来た。

祝!即位礼正殿の儀2019年10月22日

「即位礼正殿の儀」が始まった途端、雨がやみ、皇居をまたぐように低い虹がかかり、日が差し青空が見え始め 富士山も姿を現して祝砲がとどろく。/豆次郎さんのツイッターより
 わが窓ゆ猿投の山も晴れて見ぬ即位礼正殿の儀を寿ぐごとし


 恵那山は雲に隠れて見へねども東京には虹かかるらし


 中国も朝鮮も無き天皇をわが国は弥守らせ賜へ

 
 神風の伊勢神宮の執り行ふ当日祭を動画で見たり


 世界でも日本しかなき天皇の弥健やかな身をしぞ思ふ

岩と雪と酒を愛した真のアルピニスト逝く!2019年10月23日

 今夕は支部報の編集会議に出席。その席で古参会員の橋村一豊氏の死去を知った。「岳人」や「山と溪谷」誌などのバックナンバーをよんでいると記録報告が目についた往年のアルピニストである。支部活動を通じて謦咳に接すること多々あった。
 芳野満彦『新編 山靴の音』(中公文庫)にも成城大学山岳部の学生として出てくるから相当な登山技術の登山家であった。剱岳や穂高岳周辺の初登攀の記録の持主とも聞かされた。
 東海支部との出会は創設当初の海外遠征に参加したというから古い。多分、1965年10月~1966年3月のアンデスのアコンカグア峰(6,959m)であろう。しかし、大企業の会社員だったから生活の拠点は東京だった。定年後自由の身となり、豊田新線の三好付近に住まわれていた。支部ではもっぱら中高年になってから始めた登山教室修了者の新人の登山指導に熱をいれていた。岩登り、ルートファインディング等。
 それが一段落すると森林インストラクターの資格をとり「猿投の森」を立ち上げた。しかも法人格を取得する手続きにも精通していたのは会社員時代の事務能力の高さを示す。愛知県の県有林の北向きで育ちが悪い部分の植林を伐採し、そこに落葉樹を植えて自然を愛する人らの憩いの場を造成する試みである。今は見事な雑木林になっていると思われる。
 過去の支部報にも多数の寄稿がある。「岳人」にも寄稿していた。中でも忘れられないのは、氷壁登攀のトレーニングの逸話だった。藤内壁でアイゼンの爪先が丸くなるまでやったという。そこまでやって初めて本格的な穂高や剱の氷壁に挑戦する自信が付いたというのだ。一にも二にも自信が付くまでやり通すわけだ。
 多くの山仲間を山で失った。九死に一生を得る経験もあったという。生き残れたのは豊富な練習量が支えになったという。
 晩年は認知症になり関東の老人施設で療養中と聞いた。狷介固陋なところはあったが、あれだけ知的な人物がなぜ認知症になるのか、不思議に思う。また酒が大好きだった。折があれば健筆をふるってもらいたかった。
 来る10月26日には橋村氏が立ち上げたその猿投の森で、「森の音楽祭」が開催される。東海学園交響楽団による演目はL. v. ベートーヴェン / 交響曲 第5番 ハ短調「運命」作品67。トヨタ自動車合唱部の合唱もあるらしい。良い追悼の機会になるだろう。あの世に響け「運命」。

公正証書遺言の作成2019年10月24日

 金山駅前で朝7時に遺言者の身内の方を乗せて出張。三重県のある地方都市の公証役場と遺言者の老人施設を目指す。東名阪道から眺める鈴鹿山脈には黒い雲が覆い曇り空である。
 目的地に着くとまずは公証人に挨拶を済ます。電話対応だけだったので再度確認する。その後老人施設に行って遺言者に面接。高齢なので認知症を心配したが明るい性格で話も支離滅裂ではないから一安心。遺言書の内容を予め読んで聞いてもらった。遺言者の意思通りかの確認である。その通りと異存はなかった。
 遺言者は車椅子で不自由なので公証人には施設に来訪してもらった。約束の時間に来られて今やったことを本番でも読んで聞いてもらった。耳も口も達者な高齢者で判断力もしっかりしていると公証人も認めていただき無事公正証書の作成となった。認知症では遺言能力がないからだった。
 本人も身内もほっとしたような顔になった。お陰様でと、お礼を言われた。法律家のやりがいは報酬をもらってかつありがたく思われることである。雨模様だったが一仕事終えて気持ちは明るく帰名した。

Never too late.・・・・映画「Edie(エディー)」から2019年10月25日

 2020年1月に83歳の主婦がスイルベン山頂へ!映画「イーディ、83歳 はじめての山登り」が公開される。何と83歳である。

 歌は世につれ、世は歌につれ、じゃないけど映画も高齢社会の影響を受ける。アメリカ映画「ロングトレイル」は60歳の男性作家が3000kmを超えるトレイラーとして挑戦するが挫折する話。今度は83歳の女性初心者の話。

 私の山岳会にも60歳代から70歳台の元主婦は多くいる。男性は80歳代に達した。中でも60代半ばで入会してきた某は元日銀OLで夫も日銀支店長として全国を転勤していた転勤族である。妻として身の回りの世話のためにあちこち転居してきた。日々の生活に明け暮れて、2人の子育てもきっちりやった。夫の定年退職を機に遊び始めた。まずは卓球だった。その友達が入会してきた縁で連れ立って入会した。
 名古屋近郊の低山歩きにはしっかり参加して熱心に歩いたので力が付いた。予定がなくても催促があると適当に設定して連れて行った。ある年、三泊四日の夏山縦走の計画が持ち上がった。男性2名女性1名だったが寂しいのでもう1人誘うことにして某に声掛けすると乗ってきた。途中でバテたら小屋の荷揚げのヘリで救助を依頼しますからと。
 折立、薬師岳、五色ヶ原、立山と縦走して無事に下山。まるで発狂するかに興奮した。達成感で感動を越えてしまったのである。室堂の土産物店で物色していると何でも買いなさい、お勘定は私が払う、と言って聞かない。気丈な性格は承知であるがこの時は申し入れをありがたく受け入れた。
 その後、主婦仲間にこの縦走を話すと羨ましがられたという。某には誇らしい人生経験になったのだ。平凡とばかりに思っていた老後にこんな素晴らしい経験ができるとは思わなかったと感謝された。
 某は伊那の低山で不覚にも転倒し右腕を骨折したのを機に退会し登山からも引退された。夫は妻の骨折が直る間は自分で家事をこなすことになったからもう止めてくれと泣きつかれたのだろうか。
 何事も始めるのに遅すぎることはないが、リスクもある。
 映画「エディー」はどんな話になるのか。高齢社会は世界の趨勢であるから注目されるだろう。

以下はニュージーランド在住の日本人女性「自然大好きトレッキング大好き写真大好きなニュージーランド在住のネイチャーフォトグラファーyumiM」の映画の感想記の一部です。2018の夏の記載です。英国では2017年に公開されています。

https://ameblo.jp/izumi-483/entry-12394709489.html

映画のあらすじはというと、

舞台は現在のイギリス。

支配的な夫と結婚して以来、自分の魂の声、自由な心、情熱、夢を失って生きてきたエディー。

30年の介護生活の末に夫の死を迎え、今まで「妻」でいたという義務感だけで生きてきた彼女にとっては生きる意味さえもわからない日々。

夫の死後3年後に、娘がエディーをお年寄りの施設に入居させようとするがエディーは気に入らない。

そんな時、幼少時代に父から送られてきた一枚の絵ハガキを手にしてスコットランドのSuilvenという有名な山に登るという、封印してきた夢を思い出す。

ある日、町のフィッシュアンドチップス屋さんでランチを食べ後終わりそうな頃、「今からフライドポテトを注文しても良い?」と注文したエディーに対し、「手遅れなんてことは全然ないよ。(Never too late)」と答えた店員。

Never too late.

この言葉にピンときたエディーは、山に登る決意をし、行動を起こすのであった。
以上

秋山遭難~安達太良山2019年10月26日

 状況はNHK福島によると「警察によりますと2人は25日、安達太良山の中腹にある山小屋に宿泊の予約をしていたとみられるということです。
山小屋の管理者などによりますと25日夕方男性から「道に迷い、山で夜を過ごす。食料はある」などという連絡があったということです。警察は死亡したのは連絡をした男性とその妻とみて身元の確認を進めるとともに、状況を調べています。25日夜、安達太良山は気温が低く、雨や風は強かったということです。」

 典型的な秋山遭難です。ツエルトなどの装備はあったのか、あっても使わないこともある。食料もあると書いてある。
 山歴などは不明。この時期に1700m級の登山を計画するのだから初心者の域は出ている。装備も抜かりなくツエルトは持っていたと思われる。但しあの山は火山の山で頂上付近は立木もなく、風が強くてビバークの適地も少なかったと想像する。そんな状況ではツエルトも張れない。頭はくろがね小屋へ早く着きたい一心で下山することまでは頭が回らなかった。
 そうこうするうちに下山するタイミングを失い、小屋へも行き暮れて行き倒れになったのだろう。無残な死である。しかし夫婦でともに死んで行けたから幸いだった。子供さんらには悲しいが・・・・。

愛知はあいトレ政争で乱世の様相?!2019年10月27日

 27日14時から16時まで名古屋駅前で行われた「頑張れ日本」の街頭演説を見学に行って見た。チャンネル桜の水島社長、三輪さん、村田さん、辺りは番組の常連なので分かっているが愛知県支部では東郷町議の若園さんしか知らない。大村知事を辞任させる主張はもっともなことで正論である。
 しかし、大村知事はあいトレ以外に失政はなく、可もなく不可もない県政を率いてきた。引責辞任は難しそうである。ネットではリコールの話が渦巻くがこれも演説の中で触れられた。何と有権者60万人以上の署名が必要とのことでした。現場では私も署名してきた。リコールのための署名集めは河村市長の時に経験した。あれだけの盛り上がりが再現できるか、どうか。
 最終的には三輪さんの県議を締め上げろ、との主張は心に響いた。そうだ、県議こそは県民の有権者の代表なのである。ただし名古屋市在住の県議はほぼ存在感がない。
 先の県議選で天白区選出の県議を支援したがいつのまにか不祥事で失職していた。天白川の治水対策を訴えたかったが、若い県議は頼りない。名古屋市土木事務所に訴えてもあれ(天白川)は県の仕事といって取り合わなず、真剣に耳を傾けない。
 日進市域は扇型の集水桝のように広がり、名古屋市境で一気に縮まる。かつてあった池はほとんど埋め立てられ、保水の役目を果たした水田も宅地になって減ったから天白川にすぐに流れ込む。今後も対策しないと暴れ川になるだろう。野並地域は再び泥の海になる。
 ユーチューブには津田芸術監督に損害賠償訴訟をそそる主張がある。なるほどと思わせる。しかし、津田氏には支払い能力はなさそうだ。税金(補助金)をもらわないと左翼芸術家は食べていけないのだから。法律で論破して勝っても仕方がない。マスターベーションに過ぎないのではないか。
 演台の最後は愛国クラブの代表が立った。愛知県に保守陣営のスターが居ないことを嘆いて居られた。もっともなことである。愛知県では多くがトヨタ自動車の方を向いている。メディア、会社、会社員、政治家、公務員も否応なくトヨタに奉仕する形が出来上がっている。トヨタも自民党だけでなく、野党にも政治献金をしているはずだ。愛知の立憲が強いのは旧民社の流れを汲むからである。
 トヨタへの上目遣いの政治風土がある。中国への進出の意欲たっぷりのトヨタに対して大村氏は清華大学との協定にも締結した。これからどうなるか。スパイ天国の日本で何を盗ませるのだろう。
 ただ日本企業も賢くはなった。敢えて盗ませて中国市場を確保している面もある。ある建機メーカーは中国へ輸出してもカネを全額払わない。それで撤退するのではなく、盗まれた建機がどこで使われているか、とGPSをこっそり忍ばせた。そして使われている現地を突き止めて現地のユーザーとの直接取引で回収困難を克服した。
 あるいは中国人技術者に機密情報へのアクセス権を敢えて渡して図面など盗ませた工作機械メーカーがあった。その会社も中国で売り上げが減るどころか増えている。技術は日々進歩するのでおそらく中国人には宝の持ち腐れであろう。キャッチアップするよりも手っ取り早く輸入する方が早い。
 さて来年のリコール解禁の時期まで後3ヶ月しかない。人の噂も75日で大勢は大村知事の戦略勝ちであろう。ネットでの保守陣営の声は高いが無力感がただよう。新聞紙面からあいトリの記事が消えれば人々の記憶も薄れるからだ。
 一方で愛知県の施設「ウイル」ではあいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』が開催されていた。知らなかったなあ。こっちも行きたかった。これはもちろんあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」のパロディである。これもありだ。検閲で逃げ切った大村知事もこれは黙認するしかない。朝日新聞が騒ぎ、中日新聞は無視。中日の県民版では同じウイルで開催された在日コリアンの医療福祉を通じての多文化共生のシンポジユムを取り上げた。ウイル付近が騒然とするのは当然だろう。
 かくして愛知県は騒然としてきた。既存メディアに支えられた在日コリアン対ネット民の対立軸になろうか。ネット民が怒りのボルテージを上げる切っ掛けはなんだろうか。日本人は贖罪感から人道的配慮を施して在日コリアンを特別永住者として受け入れた。しかし在日コリアンは同じ仲間を増やし、日本人を締め出す(排除)。芸能界、プロスポーツ界、アマスポーツ界、メディア、司法、経済界、政界と浸透。すっかり日本社会になじんだ。
 芸術の名のもとに天皇に触れたところで日本中が騒然となった。日本人が一丸となれる。これを国体という。記紀万葉は日本の根幹であり、これがあるから度々の国難を乗り越えてきた。天皇は制度ではなく、日本人が唐の国から独立した際に日本を率いてきた存在。飛鳥時代から平安時代へと移り行く。天皇は時代が変われども変えてはいけない日本人の心のよりどころである。

哀悼!登山が好きだった八千草薫さん死去2019年10月28日

若かりし頃の八千草薫さん
 往年の美人女優の八千草薫さんが24日に88歳で死去と報じられた。ご冥福をお祈り申し上げます。
 八千草薫さんの出演された映画で今も記憶にあるのは1957年豊田史郎監督の「雪国」(原作:川端康成)。主演は池辺良(島村役)と岸恵子(駒子)で駒子の義妹役が八千草薫さんだった。ちょっとくらい役目だが活き活きと演じる姿は印象に残る。あの当時はまだ冬のスポーツのスキーも活発ではなかったから雪国の生活は大変だった。そういう貧しい雪国の愛の物語である。
 川端が逗留し執筆していた高半旅館(現:雪国の宿 高半)の部屋も保存されて見学したことがある。
 映画のはじめは国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。という書き出しの通り、蒸気機関車に引っ張られた客車の中に池部良と八千草薫が座っている場面がある。

【「雪国」 川端康成】
 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
 明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
 もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。
「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます」
「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ」
「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ」
以上
 この中の葉子役である。「駅長さあん」と叫ぶのが八千草さんだった。段々思い出してきた。1957年封切りなのであの頃で26歳だった。ちょうど谷口監督と結婚し山歩きをし始めたころだ。DVDが出てきたらまた観てみよう。

また原稿書き山積2019年10月29日

 原稿書きの課題が山積してきた。忘れないように整理しておく。

1所属する山岳会の支部報 連載 岳人列伝 11/30〆11/4済

2「東海山岳」の60年史    2022年
・・・50年史の加筆版になる。東海地方の登山事情を大正時代にさかのぼると見えてくるのは八高と名帝大のありようである。八高OBは医師か技術者志向でなければ、文系は特に東大か京大、阪大へ進学した。自ずと登山家の若手を吸い取られていた事情がある。戦後の学制改革で名大に文系学部が誕生し、登山人口が増えた。東海支部の発足が出遅れたのはいびつな学制と無縁ではない。

3俳句結社の連載の鑑賞文投稿  11/10〆      11/2済

4俳人協会の評論文投稿       11/15〆

5仕事では一般社団法人の定款の原案  可及的速やかに

6所属する山岳連盟の一般社団法人化への対応(公益性のある任意団体から法人への移行の課題)

7新聞社への連載への投稿 11/15〆           11/4済
とある。
 うち5と7は有償なので重要な仕事になる。1から3と6は約束なので信頼を裏切るわけにはいかない。4のみ自発的な投稿なので任意である。どうでも良いことであるが着想があるうちに書いておきたい。

第63回日本表現派展~愛知県美術館2019年10月30日

 愛知県美術館で開催中の日本表現派展に行ってきました。山岳会の先輩で且つ画家でもある杉田博画伯の作品を観に行きました。杉田さんは94歳の今も創作意欲を持ち作品を発表している。凄い。

 題名は「路地からのヒマラヤ」・・・路地はいかにもネパールの煉瓦を重ねた民家を彷彿させる。「ネパール 路地」で検索するとたくさんヒットする。ネパールというとヒマラヤであるが意外に迷路のような路地裏の小径も愛されている。その路地裏から不意にヒマラヤが見えたという構図である。この絵ではヒマラヤは脇役である。

 入場料は600円。65歳以上は無料。