沢登りの案 ― 2026年09月02日
先回で4度の沢登りを実践できてその勢いで9月から10月もやろうというので4ヶ所の案を出しておいた。うち1ヶ所を昨晩決めた。記録のある沢も良いが無い沢も面白い。今回は記録の無い沢に決めた。
会心の沢登り 中津又谷を遡行 ― 2026年08月23日
名古屋の自宅を午前4時に出発。郊外の同行者宅は5時に合流。高速道路をフルに使って関ケ原ICを出て姉川源流の甲津原に着いたのは6時半ごろだった。アグリコテージを左折して中津又谷林道へ行く。舗装路はすぐに草深い林道になった。狭い道をのろのろ走ってP地点へ。昨年来た際は軽自動車が置いてあった場所だ。若干の草を刈り払ってデポ。身支度して出発したら7時半に近かった。
しばらくは手入れの行き届いた林道を歩く。645mの独立標高点で新穂峠への道を分けて中津又谷へは直進。するとすぐに鉄の橋を渡る。大きな堰堤を越して一旦は入渓してみたがまだ早いので出て林道終点まで歩いた。左(西)からの支流と落ち合うところだ。そこで再び入渓。冷水が沢足袋にしみこんでくる。名古屋の猛暑を一時忘れさせる冷たさだ。平流ではあるが時々現れる小さな滝を越えてゆくのは沢登りの醍醐味である。
標高はいくらも稼げないまま遡行を続ける。植林事業のために林道がある。右岸は自然林でも左岸は杉の植林であったが周囲はいつしかブナ、トチの大木が林立する源流域に入っている。独立標高点の818m、862mからの支流との出合いをチエックしながら遡行。標高700m弱から800mまでの流域がとても長いのが特徴である。途中には大きな炭焼き窯の跡があった。こんな山奥でも炭を焼きに来ていたのだ。
946mの尾根が南へ下がってくる出合いは右はアリカミノ岳へ直登できる。左は1001mの鞍部へ突き上げる。今回の計画は広瀬につながる古い峠ではないだろうかとの興味であった。二又付近の雰囲気はとても素敵であった。太い栃の大木、ブナの大木、なぜか草も生えない平地があった。まだ先は長いぞ、と長居から覚めて左の谷へ入った。
毛細血管のように張り巡らされた源流もついに水が尽きる。ここでリーダーは水の絶えた左の沢から右へ振った。この谷も水が絶えた。アリカミノ岳の西のコブにつながる尾根の先端である。等高線は緩そうだが実際の傾斜はきつい。木の根をつかみながら喘登を続けた。足元に鹿の踏み跡を見つけてトラバースして尾根に上がって一息ついた。ここら当初の鞍部へと道なき道を登った。意外と近く、ついに鞍部に立てた。
しかし峠の風情を残すもの例えば石仏、祠の残骸、峠道の痕跡、等々なにもなかった。ちょっとがっかりもしたが満足してアリカミノ岳に重い足を向けた。登山道が整備されているわけではない。ピンテープを探しながらコブからコブをたどってゆく。アリカミノ岳からは蕎麦粒岳が大きく見えた。山頂では一時間の仮眠をした。二人とも疲労が募っていたからだった。仮眠から覚めてすっきり、新穂谷山を目指した。新穂谷山の手前の鞍部ではクマを見た。ホイッスルを吹きまくって追い払った。谷底へ逃げて行った。山頂を踏んで新穂峠に下る。ここらは昨年の宿題を片付けた感じだ。
峠から石仏までが厄介な道だよ、とリーダーには含めてあった。昨年よりはピンテープが増えてRFは楽になっている。崩壊花崗岩の地質は脆いのですぐのり面が崩れてゆく。転落しないように注意しながら石仏へたどり着いた。もう落日が迫るので今日の無事を感謝してすぐ下った。林道に着地したのは18時頃だった。滋賀県の日の入りは18時30分ごろだからぎりぎりだった。甲津原は山に囲まれているので太陽はすでにお隠れになった。西日だけが幸いだった。
薄暗い林道を車に戻った。ライトを点けて草深い林道を甲津原の集落に走った。
※沢登り中には小鹿を見た。蛙は見たが蛇、蛭、ダニは居なかった。渓流魚は形は小さいが居た。釣り師が入っているかも知れない。鳥類は豊富。稜線のブナ林ではクマに遭遇した。ここは滋賀県に残された自然郷であろう。
しばらくは手入れの行き届いた林道を歩く。645mの独立標高点で新穂峠への道を分けて中津又谷へは直進。するとすぐに鉄の橋を渡る。大きな堰堤を越して一旦は入渓してみたがまだ早いので出て林道終点まで歩いた。左(西)からの支流と落ち合うところだ。そこで再び入渓。冷水が沢足袋にしみこんでくる。名古屋の猛暑を一時忘れさせる冷たさだ。平流ではあるが時々現れる小さな滝を越えてゆくのは沢登りの醍醐味である。
標高はいくらも稼げないまま遡行を続ける。植林事業のために林道がある。右岸は自然林でも左岸は杉の植林であったが周囲はいつしかブナ、トチの大木が林立する源流域に入っている。独立標高点の818m、862mからの支流との出合いをチエックしながら遡行。標高700m弱から800mまでの流域がとても長いのが特徴である。途中には大きな炭焼き窯の跡があった。こんな山奥でも炭を焼きに来ていたのだ。
946mの尾根が南へ下がってくる出合いは右はアリカミノ岳へ直登できる。左は1001mの鞍部へ突き上げる。今回の計画は広瀬につながる古い峠ではないだろうかとの興味であった。二又付近の雰囲気はとても素敵であった。太い栃の大木、ブナの大木、なぜか草も生えない平地があった。まだ先は長いぞ、と長居から覚めて左の谷へ入った。
毛細血管のように張り巡らされた源流もついに水が尽きる。ここでリーダーは水の絶えた左の沢から右へ振った。この谷も水が絶えた。アリカミノ岳の西のコブにつながる尾根の先端である。等高線は緩そうだが実際の傾斜はきつい。木の根をつかみながら喘登を続けた。足元に鹿の踏み跡を見つけてトラバースして尾根に上がって一息ついた。ここら当初の鞍部へと道なき道を登った。意外と近く、ついに鞍部に立てた。
しかし峠の風情を残すもの例えば石仏、祠の残骸、峠道の痕跡、等々なにもなかった。ちょっとがっかりもしたが満足してアリカミノ岳に重い足を向けた。登山道が整備されているわけではない。ピンテープを探しながらコブからコブをたどってゆく。アリカミノ岳からは蕎麦粒岳が大きく見えた。山頂では一時間の仮眠をした。二人とも疲労が募っていたからだった。仮眠から覚めてすっきり、新穂谷山を目指した。新穂谷山の手前の鞍部ではクマを見た。ホイッスルを吹きまくって追い払った。谷底へ逃げて行った。山頂を踏んで新穂峠に下る。ここらは昨年の宿題を片付けた感じだ。
峠から石仏までが厄介な道だよ、とリーダーには含めてあった。昨年よりはピンテープが増えてRFは楽になっている。崩壊花崗岩の地質は脆いのですぐのり面が崩れてゆく。転落しないように注意しながら石仏へたどり着いた。もう落日が迫るので今日の無事を感謝してすぐ下った。林道に着地したのは18時頃だった。滋賀県の日の入りは18時30分ごろだからぎりぎりだった。甲津原は山に囲まれているので太陽はすでにお隠れになった。西日だけが幸いだった。
薄暗い林道を車に戻った。ライトを点けて草深い林道を甲津原の集落に走った。
※沢登り中には小鹿を見た。蛙は見たが蛇、蛭、ダニは居なかった。渓流魚は形は小さいが居た。釣り師が入っているかも知れない。鳥類は豊富。稜線のブナ林ではクマに遭遇した。ここは滋賀県に残された自然郷であろう。
矢作川源流の柳川本流から支流を遡行 ― 2026年08月02日
午前4時過ぎ起きた。入渓地でのテント泊は快適だった。一段下で独りテント泊していた青年も静かな夜を過ごしただろう。薄暗いうちから朝食として稲荷ずしを3個食べる。昨夜のあての残りも平らげた。
テントをたたむと、沢装備を整える。ヘルメット、沢靴、ハーネス、ネオプレーンのソックス、スパッツ、スリング、カラビナなどで身構える。濡れると困るものにはすべてビニールの袋にしまう。
整ったらいざ出発。午前5時50分、柳川の奥には大堰堤があるのでこれを右から越える。その林道が少し上にゲートで見えている。地形図の破線路と林道はほぼ重なっている。歩くうちに堰堤の上を越える地点に赤白のパイプのガードがあってそこから上流へ下る。これは釣り師が利用するのかよく踏まれている。
6時過ぎ、下りきると氾濫河原が広がる。堰堤で留まった土砂が次第にたまって河原を形成する。約500mも歩いただろうか、7時で目的の支流への入り口に着いた。標高は1110m位。テント地が約1010m位なので比高100mほどを稼いだ。稜線は1550mなので比高440mを登る。
支流と本流は滝で落ち合っている。柳川本流はゴルジュの溪相でむしろそっちへ誘われる。地形図には支流の名称は印刷されていない。高嶺1599mから流れるので高嶺沢と仮称した。水量は本流3にして支流は1程度。
さて滝をよじ登る。ここからはカメラに防水対策していないのでザックにしまったままになった。標高約1300mまでは直登できる滝が続いた。30から100位の威圧感のない滝が続いた。一か所か二か所お助け紐を出してもらった箇所もあるが大高巻きはない。
標高1250mを越えると溪相が荒れていた。流木や土砂が散乱して先ほどまでの美溪が消えた。荒れた溪相のままでは終わらず、1370m付近で左折したところから落ち着いてきた。荒れた原因は長者峰の北西の尾根にガレが見られることから土砂崩れがあったのだろう。
1470m付近で水の流れも細くなる。左右どちらも藪沢っぽいので中央のカラマツ林の中の尾根の笹を藪漕ぎしながら1550mまで激登した。奥美濃辺りの背の高い根曲がりだけと違って、ここのは胸から腰位の素直な笹だ。笹の先にぽっかり空いた空間が林道だった。
12時過ぎ、やっと藪から脱した。しかし炎天下の林道歩きもまた地獄を見るような気がする。標高が高いとはいえ炎熱、眼下には平谷村の家並みが見える。草地で腰を下ろして休憩した。茶臼山を始め南信州の山々を眺めながら長者峰へ歩いた。20分も歩いただろうか。ドライブ客が多数見えたが着いた時には二人だけだった。
長者峰の三角点を確認できてやっと脱溪も達成。間近には大川入山が聳える。本当はあの源流まで遡行することを夢見たが沢中泊は荷が重くなる。相棒はいつかはやらねば、と意欲を見せた。
昨日デポした愛車で入渓地に戻った。道の駅のひまわり温泉で入湯。900円に上がっていた。踏破できたんだから由。2年前のフロヤ沢から蛇峠山へ遡行、長大尾根を下ったが、今日は車で下れたので楽だった。
テントをたたむと、沢装備を整える。ヘルメット、沢靴、ハーネス、ネオプレーンのソックス、スパッツ、スリング、カラビナなどで身構える。濡れると困るものにはすべてビニールの袋にしまう。
整ったらいざ出発。午前5時50分、柳川の奥には大堰堤があるのでこれを右から越える。その林道が少し上にゲートで見えている。地形図の破線路と林道はほぼ重なっている。歩くうちに堰堤の上を越える地点に赤白のパイプのガードがあってそこから上流へ下る。これは釣り師が利用するのかよく踏まれている。
6時過ぎ、下りきると氾濫河原が広がる。堰堤で留まった土砂が次第にたまって河原を形成する。約500mも歩いただろうか、7時で目的の支流への入り口に着いた。標高は1110m位。テント地が約1010m位なので比高100mほどを稼いだ。稜線は1550mなので比高440mを登る。
支流と本流は滝で落ち合っている。柳川本流はゴルジュの溪相でむしろそっちへ誘われる。地形図には支流の名称は印刷されていない。高嶺1599mから流れるので高嶺沢と仮称した。水量は本流3にして支流は1程度。
さて滝をよじ登る。ここからはカメラに防水対策していないのでザックにしまったままになった。標高約1300mまでは直登できる滝が続いた。30から100位の威圧感のない滝が続いた。一か所か二か所お助け紐を出してもらった箇所もあるが大高巻きはない。
標高1250mを越えると溪相が荒れていた。流木や土砂が散乱して先ほどまでの美溪が消えた。荒れた溪相のままでは終わらず、1370m付近で左折したところから落ち着いてきた。荒れた原因は長者峰の北西の尾根にガレが見られることから土砂崩れがあったのだろう。
1470m付近で水の流れも細くなる。左右どちらも藪沢っぽいので中央のカラマツ林の中の尾根の笹を藪漕ぎしながら1550mまで激登した。奥美濃辺りの背の高い根曲がりだけと違って、ここのは胸から腰位の素直な笹だ。笹の先にぽっかり空いた空間が林道だった。
12時過ぎ、やっと藪から脱した。しかし炎天下の林道歩きもまた地獄を見るような気がする。標高が高いとはいえ炎熱、眼下には平谷村の家並みが見える。草地で腰を下ろして休憩した。茶臼山を始め南信州の山々を眺めながら長者峰へ歩いた。20分も歩いただろうか。ドライブ客が多数見えたが着いた時には二人だけだった。
長者峰の三角点を確認できてやっと脱溪も達成。間近には大川入山が聳える。本当はあの源流まで遡行することを夢見たが沢中泊は荷が重くなる。相棒はいつかはやらねば、と意欲を見せた。
昨日デポした愛車で入渓地に戻った。道の駅のひまわり温泉で入湯。900円に上がっていた。踏破できたんだから由。2年前のフロヤ沢から蛇峠山へ遡行、長大尾根を下ったが、今日は車で下れたので楽だった。
道の駅「信州平谷」で合流 ― 2026年08月01日
8/2の沢登りは車2台を使って楽しむ企画になった。1台は長者峰1574.10のPにデポ。もう1台で入渓地に行ってテント泊にした。今日は相棒を待つが16時の予定が一時間遅れになったのは名古屋市の西の外れで交通渋滞がひどかったらしい。合流後、長者峰の車道を登って1台をデポ。テント、荷物、ザックなどを移し替えて入渓地に走る。
道の駅からR153を約3km治部坂峠へ走ると高架の橋を渡る。渡りきるとヘアピンで左折、下へ下ると小さな空き地がある。ここがテント予定地。以前から目をつけていたが工事現場の飯場になっていた。この小平地には上の谷水を引いたパイプがあって水を便利に使える。一段下がったところにも大きな広場がある。ここも敵地だが水場がちょっと不便だ。大人数ならこちらでも良い。
もっと下流に川岸とPが接近した場所がないか徒歩で歩いてみたが敵地はなかった。早いうちに来て偵察しておくべきだった。
久々にテントを設営。缶ビールを買い損ねたが相棒が気を利かせて買っておいてくれた。あてをつまみに飲んで早々に寝た。夜10時ごろ小便に起きた。同時に別の車も来てテントを張るのかと思ったが他所へ行った。高架の道路を走る車の騒音と柳川の溪声が意外にも大きく聞こえる。
道の駅からR153を約3km治部坂峠へ走ると高架の橋を渡る。渡りきるとヘアピンで左折、下へ下ると小さな空き地がある。ここがテント予定地。以前から目をつけていたが工事現場の飯場になっていた。この小平地には上の谷水を引いたパイプがあって水を便利に使える。一段下がったところにも大きな広場がある。ここも敵地だが水場がちょっと不便だ。大人数ならこちらでも良い。
もっと下流に川岸とPが接近した場所がないか徒歩で歩いてみたが敵地はなかった。早いうちに来て偵察しておくべきだった。
久々にテントを設営。缶ビールを買い損ねたが相棒が気を利かせて買っておいてくれた。あてをつまみに飲んで早々に寝た。夜10時ごろ小便に起きた。同時に別の車も来てテントを張るのかと思ったが他所へ行った。高架の道路を走る車の騒音と柳川の溪声が意外にも大きく聞こえる。
元越谷遡行 ― 2026年07月19日
朝6時再びの元越谷に行く。菰野IC付近に来ると小雨、鈴鹿山脈は梅雨雲が厚い。今日も中途半端に終わるか。鈴鹿スカイラインは通行止めはなくスムーズに通貨。大河原のPへ着いた。
身支度するとヘルメットとスパッツを忘れた。やむなく登山用のスパッツで代用する。ヘルメットはなし、転倒に注意だ。
林道を歩いて入渓地へ。今日は水位がうんと低い。先回はあれで平水と思っていたが今日が普通か。沢に入るとやはり水は冷たいが気持ちのいい冷たさだ。
川の中の生物も活発だ。イモリが2匹、赤い腹を見せるように転がしてみた。水面すれすれにカゲロウのような黒っぽいトンボが飛び交う。いくつかある堰堤を巻いてゆく。最後の堰堤を高巻きすると15mの滝に来る。先回は物凄い水煙だったが今日は大人しい。中央部を歩いて滝の右のルンゼを登攀。最後は落ち口に近い岩場を確保しながら高巻き完了。
巻き終わっても大きな岩が乗り越えがたい。スリングで岩角にひっかけて支点を作り乗り越す。やっと落ち口の上に出た。
この先は核心部と言われ、小滝が連続、スラブの廊下を遡行するもっとも楽しいところだ。ちょっと小休止後、再び遡行。いやらしいところはスリングで支点を作ってもらって突破。三叉路に出て左折、最後は大堰堤を左に巻いて河原に出た。古い崩壊した林道の残骸を見て、ここで切り上げた。
荒廃の進む山道を下ってゆく。途中で上の林道に出た。下から単独行が登ってきた。今朝のハイエースの若い人だ。
あとは前回通り林道を下った。今日は日曜日のせいか、河原遊びの人も多く入山していた。
身支度するとヘルメットとスパッツを忘れた。やむなく登山用のスパッツで代用する。ヘルメットはなし、転倒に注意だ。
林道を歩いて入渓地へ。今日は水位がうんと低い。先回はあれで平水と思っていたが今日が普通か。沢に入るとやはり水は冷たいが気持ちのいい冷たさだ。
川の中の生物も活発だ。イモリが2匹、赤い腹を見せるように転がしてみた。水面すれすれにカゲロウのような黒っぽいトンボが飛び交う。いくつかある堰堤を巻いてゆく。最後の堰堤を高巻きすると15mの滝に来る。先回は物凄い水煙だったが今日は大人しい。中央部を歩いて滝の右のルンゼを登攀。最後は落ち口に近い岩場を確保しながら高巻き完了。
巻き終わっても大きな岩が乗り越えがたい。スリングで岩角にひっかけて支点を作り乗り越す。やっと落ち口の上に出た。
この先は核心部と言われ、小滝が連続、スラブの廊下を遡行するもっとも楽しいところだ。ちょっと小休止後、再び遡行。いやらしいところはスリングで支点を作ってもらって突破。三叉路に出て左折、最後は大堰堤を左に巻いて河原に出た。古い崩壊した林道の残骸を見て、ここで切り上げた。
荒廃の進む山道を下ってゆく。途中で上の林道に出た。下から単独行が登ってきた。今朝のハイエースの若い人だ。
あとは前回通り林道を下った。今日は日曜日のせいか、河原遊びの人も多く入山していた。
沢始め・・・元越谷へ ― 2026年06月21日
沢登りは2年ぶりになる。昨年はメンバーの家族の問題などもあって沢に入れないまま終わった。それで以前から沢登りをやろまいと言っていたことが実現できた。
どこでやる?もちろん元越谷になった。近い、安い、美溪、技術的に多彩と定番の沢。ところが梅雨の季節とあって降雨の影響が心配になった。天気予報を見ると午前8時頃から晴れ間のマークが出ている。こちらの願望に合わせてくれたような気配だった。
午前6時、自宅付近は雨だったが西の方は止んでいる。同行の家に着く。東名阪道も久々に走る。目指す鈴鹿山脈は梅雨雲の中に隠れる。新名神・菰野ICを出るともう鈴鹿山麓である。鈴鹿スカイライン(R477)を行くと途中で通行止めだった。雨量規制のようだ。
仕方なく石榑トンネル経由で滋賀県側に回って八風街道を走った。途中から左折して素晴らしい田園地帯を南下。現在の近江八幡市、東近江市、竜王町、日野町を含む広大な地域は蒲生野と呼ばれる。旧蒲生郡の領域になる。道路沿いには多数の男性が手分けして草刈り機を手に雑草や道にはみ出た枝を刈り払っていた。地域を挙げて草刈りを実施しているのだろう。
R477に行く。左折するとしばらくは日野川水系の綿向山山麓を走り、蔵王ダムを過ぎて平子峠を越えるといよいよ野洲川になる。
野洲川ダムの湛水域を過ぎた辺りから大河原橋を見ながら走る。すぐに見つかったが通行止めの表示があった。少し手前の空き地に止めて沢支度後出発。午前9時半になってしまった。
水沢峠に通じる道は中腹まで林道が登る荒れた道になった。以前より地面が固められて歩きやすくなった。周囲の樹木も伐採されて明るくなった気がする。まもなくゲートに着く。右の隙間から入る。堰堤が連続するが水がきれいで河原も多いから家族連れがバーベキューを楽しんでいた。まもなく猪足谷の橋が現れて谷は二分する。左折して元越谷に入る。林道から右に松の幼木が見えたら下っていく。ここが入渓地になる。
先ほどまでの降雨はあったはずだが平水である。
沢シューズはすぐに冷たい水が浸透してくる。今日は沢ソックスを忘れたので直に冷たさを感じる。癒し系と言われる渓相を右に左に渡渉しながら遡行すると堰堤が出てきた。これはすぐ越えられる。次は2つまとめて左から巻いた。また堰堤になるがここは高巻きになる。高度感があり、フィックスロープもある。いつもここでトレーニングとして懸垂下降をしている。リーダーの指示で目の前の根っ子に安環とスリング2本でセルビレイする。まずリーダーが下降、続いて自分も下降、無事に着地した。沢本番になると割と使う技術なのでこんな機会にやっておく。
ここで小休止、ヤマップをチエックするとまた押し忘れか、スタートされていなかった。Pを出発時にインターネットの圏外ということでスタートボタンが押せなかったが少し動くと押せた。水濡れに留意して防水袋に入れていたが他の物に押されて誤動作した可能性もある。ここで再度スタート。
左岸の渓相が立ってきたのでいよいよ核心部に近づいた。目の前に現れたのは梅雨の雨を集めて激しくほとばしる元越大滝だった。15mの落差から普段は岩の上を滑るように落ちるが今は後藤夜半の俳句
滝の上に水現れて落ちにけり
の状態そのままだった。
リーダーは左岸の淵を胸まで浸かって遡行を試みたが断念した。滝上はゴルジュでいっそう狭くなり、スラブで足場も少ない。激流に足をすくわれる恐れもある。というわけでしばらくは佇んだが200m後退して右岸の斜面をよじ登った。赤テープもあるので大滝の遡行を回避する人らはここを登るのだろう。ヒノキの幼木であり疎林を行くとまもなく林道だった。
林道は荒れ放題だったが簡易トイレがあるところまで下ると地面がしっかりしてくる。通行止めの理由はここの工事現場であった、R8年12月まで続くと看板にあった。歩きやすくなった林道を飛ばして下山。R477に出るとバイクや車が疾走している。通行止めは解除されたらしい。
帰路は武平峠を越えた。一風呂浴びたくて希望荘に行ったが14時以降は予約客のみになった。ネットで片岡温泉 アクアイグニスがヒット。2012年の新顔であるが立地がいいせいかPは満杯。入場もデジタル化されて料金はD払いOKだった。
お湯はぬるぬる感があり本物らしい。外風呂も入って楽しめた。平地なので希望荘のような景観は望めないが日帰り温泉施設としては良い感じだ。小腹が空いたのでR477を戻って熊のレストランに行ってラーメンを食した。
帰路はまた菰野ICから帰名。
どこでやる?もちろん元越谷になった。近い、安い、美溪、技術的に多彩と定番の沢。ところが梅雨の季節とあって降雨の影響が心配になった。天気予報を見ると午前8時頃から晴れ間のマークが出ている。こちらの願望に合わせてくれたような気配だった。
午前6時、自宅付近は雨だったが西の方は止んでいる。同行の家に着く。東名阪道も久々に走る。目指す鈴鹿山脈は梅雨雲の中に隠れる。新名神・菰野ICを出るともう鈴鹿山麓である。鈴鹿スカイライン(R477)を行くと途中で通行止めだった。雨量規制のようだ。
仕方なく石榑トンネル経由で滋賀県側に回って八風街道を走った。途中から左折して素晴らしい田園地帯を南下。現在の近江八幡市、東近江市、竜王町、日野町を含む広大な地域は蒲生野と呼ばれる。旧蒲生郡の領域になる。道路沿いには多数の男性が手分けして草刈り機を手に雑草や道にはみ出た枝を刈り払っていた。地域を挙げて草刈りを実施しているのだろう。
R477に行く。左折するとしばらくは日野川水系の綿向山山麓を走り、蔵王ダムを過ぎて平子峠を越えるといよいよ野洲川になる。
野洲川ダムの湛水域を過ぎた辺りから大河原橋を見ながら走る。すぐに見つかったが通行止めの表示があった。少し手前の空き地に止めて沢支度後出発。午前9時半になってしまった。
水沢峠に通じる道は中腹まで林道が登る荒れた道になった。以前より地面が固められて歩きやすくなった。周囲の樹木も伐採されて明るくなった気がする。まもなくゲートに着く。右の隙間から入る。堰堤が連続するが水がきれいで河原も多いから家族連れがバーベキューを楽しんでいた。まもなく猪足谷の橋が現れて谷は二分する。左折して元越谷に入る。林道から右に松の幼木が見えたら下っていく。ここが入渓地になる。
先ほどまでの降雨はあったはずだが平水である。
沢シューズはすぐに冷たい水が浸透してくる。今日は沢ソックスを忘れたので直に冷たさを感じる。癒し系と言われる渓相を右に左に渡渉しながら遡行すると堰堤が出てきた。これはすぐ越えられる。次は2つまとめて左から巻いた。また堰堤になるがここは高巻きになる。高度感があり、フィックスロープもある。いつもここでトレーニングとして懸垂下降をしている。リーダーの指示で目の前の根っ子に安環とスリング2本でセルビレイする。まずリーダーが下降、続いて自分も下降、無事に着地した。沢本番になると割と使う技術なのでこんな機会にやっておく。
ここで小休止、ヤマップをチエックするとまた押し忘れか、スタートされていなかった。Pを出発時にインターネットの圏外ということでスタートボタンが押せなかったが少し動くと押せた。水濡れに留意して防水袋に入れていたが他の物に押されて誤動作した可能性もある。ここで再度スタート。
左岸の渓相が立ってきたのでいよいよ核心部に近づいた。目の前に現れたのは梅雨の雨を集めて激しくほとばしる元越大滝だった。15mの落差から普段は岩の上を滑るように落ちるが今は後藤夜半の俳句
滝の上に水現れて落ちにけり
の状態そのままだった。
リーダーは左岸の淵を胸まで浸かって遡行を試みたが断念した。滝上はゴルジュでいっそう狭くなり、スラブで足場も少ない。激流に足をすくわれる恐れもある。というわけでしばらくは佇んだが200m後退して右岸の斜面をよじ登った。赤テープもあるので大滝の遡行を回避する人らはここを登るのだろう。ヒノキの幼木であり疎林を行くとまもなく林道だった。
林道は荒れ放題だったが簡易トイレがあるところまで下ると地面がしっかりしてくる。通行止めの理由はここの工事現場であった、R8年12月まで続くと看板にあった。歩きやすくなった林道を飛ばして下山。R477に出るとバイクや車が疾走している。通行止めは解除されたらしい。
帰路は武平峠を越えた。一風呂浴びたくて希望荘に行ったが14時以降は予約客のみになった。ネットで片岡温泉 アクアイグニスがヒット。2012年の新顔であるが立地がいいせいかPは満杯。入場もデジタル化されて料金はD払いOKだった。
お湯はぬるぬる感があり本物らしい。外風呂も入って楽しめた。平地なので希望荘のような景観は望めないが日帰り温泉施設としては良い感じだ。小腹が空いたのでR477を戻って熊のレストランに行ってラーメンを食した。
帰路はまた菰野ICから帰名。
パッキング ― 2025年07月17日
7/19から7/21の連休は天気も安定しそうなので噴火以後、近づけなかった御嶽山へ行ってみようか、と思案中である。ヤマップの記録を見ると盛んに登られている。五ノ池小屋も営業している。但し料金は2食付き15000円と非常に高い。日帰りで行こう。
御嶽山の剣ヶ峰は混むだろうから継子岳が良いかも知れない。すると濁河温泉から登ってチャオ御嶽スキーリゾートへ下山、自転車でクルマに戻ろうか、と計画。天気が悪ければ奥三河の近場の山の沢登りでもやろうか。
御嶽山の剣ヶ峰は混むだろうから継子岳が良いかも知れない。すると濁河温泉から登ってチャオ御嶽スキーリゾートへ下山、自転車でクルマに戻ろうか、と計画。天気が悪ければ奥三河の近場の山の沢登りでもやろうか。
秋の流レ谷遡行 ― 2024年09月23日
台風の影響で当初の9月21日から9月23日の計画は中止。代案として久々に流レ谷を遡行してきた。
自宅を未明に出て、入溪地の鈴鹿の朝明渓谷の手前の流レ谷橋に着いた。夏はロープで駐車できないが今日は駐車出来た。
入溪地は橋のすぐ近くから谷の中に降りる。しばらくは荒れた河原歩きで右から廃林道が来る。いくつかある砂防堰堤を乗り越す。
以後は小滝が次々現れて直登する。高巻きではトップの判断でロープを出してもらい確保をして登攀する。6回位は確保してもらった。1回は確保したにも関わらず、足場が確保出来ず、水浴びになり撤退。左の空谷から脆い岩伝いによじ登った。尾根を越えるとトップも上がって来たばかりだった。
その後も適当に手強い滝が現れて登攀を楽しめた。滝の上流に谷底から天然杉の高い木が直立していた。その滝では関西からの5人パーティに追いつかれた。力のあるメンバーらしい。先に行ってもらった。その後すぐの二股で関西の5人は右の本流へ。我々は左の谷に入り中尾根の登山道に出て下山した。
中尾根は何度か歩いているがこんなに痩せ尾根だったかと思うほど険しかった。登山口に近づくと照葉樹林帯になり青いどんぐりが落ちていた。キャンプ場は閑散としている。林道を経て入溪地のPに戻った。谷で出会った5人は多分松尾尾根を下山していてまもなく帰って行った。我々は山休の゙湯で汗を流して帰った。
自宅を未明に出て、入溪地の鈴鹿の朝明渓谷の手前の流レ谷橋に着いた。夏はロープで駐車できないが今日は駐車出来た。
入溪地は橋のすぐ近くから谷の中に降りる。しばらくは荒れた河原歩きで右から廃林道が来る。いくつかある砂防堰堤を乗り越す。
以後は小滝が次々現れて直登する。高巻きではトップの判断でロープを出してもらい確保をして登攀する。6回位は確保してもらった。1回は確保したにも関わらず、足場が確保出来ず、水浴びになり撤退。左の空谷から脆い岩伝いによじ登った。尾根を越えるとトップも上がって来たばかりだった。
その後も適当に手強い滝が現れて登攀を楽しめた。滝の上流に谷底から天然杉の高い木が直立していた。その滝では関西からの5人パーティに追いつかれた。力のあるメンバーらしい。先に行ってもらった。その後すぐの二股で関西の5人は右の本流へ。我々は左の谷に入り中尾根の登山道に出て下山した。
中尾根は何度か歩いているがこんなに痩せ尾根だったかと思うほど険しかった。登山口に近づくと照葉樹林帯になり青いどんぐりが落ちていた。キャンプ場は閑散としている。林道を経て入溪地のPに戻った。谷で出会った5人は多分松尾尾根を下山していてまもなく帰って行った。我々は山休の゙湯で汗を流して帰った。
巻機山の米子沢に挑む② ― 2024年09月08日
夜6時から12時頃までは缶ビールの酔いと疲労でぐっすり眠れた。トイレに起きると深夜を回る。蚊取り線香を一本燃え切ったのでつぎ足す。実際に蚊が居ることと熊除けでもある。いったん起きるともう眠れない。午前3時にはトタン屋根を叩くような降雨があった。しばらく続いて沢登りはどうなるやらと気をもんだが雨は止んだ。うとうとしていると午前5時にコンコンとノックがあった。
今回の米子沢は研究すると単独で行くのはリスクが高そうだった。過去には死亡事故もあったので関東圏の沢の精通者にガイドを依頼してあった。
ハーネスなどを付けて4人パーティで実施。若いスタッフ2名も居るので心強い。
最初は砂防堰堤工事用の車道を歩き、水の流れのない氾濫河原の米子沢に入渓。しばらくは岩伝いに遡行、やっと水が流れているところへ来た。右岸を高巻き、景観が良くなってきた辺りで又、連瀑帯の右岸の大高巻きがあった。これで体力の消耗させられた。滝の連ちゃんを巻くのだから木の根、草の根、枝をつかんで必死で登る。沢も立ってきて登攀の要素が多くなる。スタッフらはザックが大きいのにスイスイ遡行してゆく。結局、ガイドの判断で中途で撤退することとした。私のペースでは日帰りは無理との判断である。エスケープルートがないこともある。頑張って良い所まで行ってしまうとそこで体力尽きてヘリを救助要請ということになりかねない。そうならないようにプロガイドを依頼したわけだ。過去の記録には沢中ビバーク後遭難した例もある。
私が地形図やガイドブックで研究した以上に沢が立ってきてきた。この上は等高線が詰まっているのでもっと厳しくなる。朝は青空も見えていたがいつしか雲が厚くなった。モチベーションは低下するばかりだ。現在の自分の体力では無理だった。下降は遡行よりも危険なことがある。登りに掛かった時間以上に掛かる。そろそろ下り無事駐車場に帰還した。
清水の民宿で山の蕎麦を食う
昼時でもあり、帰り支度を整えると蕎麦を一緒に食って行こうと誘われた。もちろん同行させてもらった。清水で登山客相手の民宿である。山菜が山盛りになった蕎麦である。大変美味しかった。
名刺を出して改めてあいさつする。日本山岳会東海支部の名前を見て、とっさに世界第二位の高峰のK2へ登った会だね、と返ってきた。隊員のTさんなら知っているよ、と。T氏は北アルプスの山荘の経営の仕事をしていることもご存じだったから世間は狭い。一気に親しみが湧いてきた。木曽山脈の沢の話から名古屋ACCの某の名前も出てきた。行ったことがないというのでまた中央の沢で合流できたら良いな、と話が弾んだ。
自分も若い時は木曽駒の細尾沢を遡行し、宝剣岳を越え、三の沢岳のコルに下り、伊奈川を下降して八丁峠を登り返した沢中2泊の昔話をした。或いは上の廊下の遡行の話も出た。しかし、肝心なことは今、どんだけ体が動くか、であろう。リベンジを約して別れた。
帰路は大沢山のトンネル経由
南魚沼市街に戻りナビでは大沢山経由でR117へ越えるルートが示された。R253より高いが行ってみた。合流地点は津南の近くだったからかなり近道である。信州中野ICから上信越道に入ったがETCカードを間違えてバーが上がらない。チケットで入るが塩尻、飯田付近で渋滞というので松本で出てR19で帰名した。
軽油を給油すると44リットル。現地と合計で64リットル。773km走っての燃費は満タン法で12km/リットルと高燃費だった。ファンベルトを交換した効果が出ている。
今回の米子沢は研究すると単独で行くのはリスクが高そうだった。過去には死亡事故もあったので関東圏の沢の精通者にガイドを依頼してあった。
ハーネスなどを付けて4人パーティで実施。若いスタッフ2名も居るので心強い。
最初は砂防堰堤工事用の車道を歩き、水の流れのない氾濫河原の米子沢に入渓。しばらくは岩伝いに遡行、やっと水が流れているところへ来た。右岸を高巻き、景観が良くなってきた辺りで又、連瀑帯の右岸の大高巻きがあった。これで体力の消耗させられた。滝の連ちゃんを巻くのだから木の根、草の根、枝をつかんで必死で登る。沢も立ってきて登攀の要素が多くなる。スタッフらはザックが大きいのにスイスイ遡行してゆく。結局、ガイドの判断で中途で撤退することとした。私のペースでは日帰りは無理との判断である。エスケープルートがないこともある。頑張って良い所まで行ってしまうとそこで体力尽きてヘリを救助要請ということになりかねない。そうならないようにプロガイドを依頼したわけだ。過去の記録には沢中ビバーク後遭難した例もある。
私が地形図やガイドブックで研究した以上に沢が立ってきてきた。この上は等高線が詰まっているのでもっと厳しくなる。朝は青空も見えていたがいつしか雲が厚くなった。モチベーションは低下するばかりだ。現在の自分の体力では無理だった。下降は遡行よりも危険なことがある。登りに掛かった時間以上に掛かる。そろそろ下り無事駐車場に帰還した。
清水の民宿で山の蕎麦を食う
昼時でもあり、帰り支度を整えると蕎麦を一緒に食って行こうと誘われた。もちろん同行させてもらった。清水で登山客相手の民宿である。山菜が山盛りになった蕎麦である。大変美味しかった。
名刺を出して改めてあいさつする。日本山岳会東海支部の名前を見て、とっさに世界第二位の高峰のK2へ登った会だね、と返ってきた。隊員のTさんなら知っているよ、と。T氏は北アルプスの山荘の経営の仕事をしていることもご存じだったから世間は狭い。一気に親しみが湧いてきた。木曽山脈の沢の話から名古屋ACCの某の名前も出てきた。行ったことがないというのでまた中央の沢で合流できたら良いな、と話が弾んだ。
自分も若い時は木曽駒の細尾沢を遡行し、宝剣岳を越え、三の沢岳のコルに下り、伊奈川を下降して八丁峠を登り返した沢中2泊の昔話をした。或いは上の廊下の遡行の話も出た。しかし、肝心なことは今、どんだけ体が動くか、であろう。リベンジを約して別れた。
帰路は大沢山のトンネル経由
南魚沼市街に戻りナビでは大沢山経由でR117へ越えるルートが示された。R253より高いが行ってみた。合流地点は津南の近くだったからかなり近道である。信州中野ICから上信越道に入ったがETCカードを間違えてバーが上がらない。チケットで入るが塩尻、飯田付近で渋滞というので松本で出てR19で帰名した。
軽油を給油すると44リットル。現地と合計で64リットル。773km走っての燃費は満タン法で12km/リットルと高燃費だった。ファンベルトを交換した効果が出ている。
巻機山の米子沢に挑む① ― 2024年09月07日
9/6の夜発で、先日ファンベルトとテンショナーを交換したNV350に乗って遠出である。
9/7 南魚沼市へ
目的地は新潟県南魚沼市の巻機山の登山口のある清水。約400kmもあるので夜出てR19の道の駅「木祖村」で車中泊。直前に購入した窓に貼るシェードを設置すると外からの光が入らず快適だ。標高900m以上あるから気温は19℃と涼しい。翌朝は早朝出発、松本市のよしのやで朝定を食べる。梓川に沿うこの道も松本市街を抜けると快適に走れる。安曇野を過ぎて長野盆地を経由、豊野から信州中野で千曲川に沿うR117に入る。これまでに何度も走った。
津南町、十日町市からR253で南魚野へ山越え。
南魚沼市の鈴木牧之記念館へ
時間的に早いので塩沢の鈴木牧之の記念館を見学した。著書『北越雪譜』で江戸時代の読者に越後で豪雪に埋もれた人生を送る人間の暮らしを紹介して人気を得た。都会人にサプライズを与えた古典の著者であった。この本は明治時代の『遠野物語』にヒントを与えた気がする。原作者は現地の人がいるがそのままでは二番煎じなので、柳田国男が文語文で編集。これも都会人に山の怖さを知らせ、サプライズを与えた。川端康成の『雪国』の中にも一節が引用されている。
記念館を辞して、軽油を20リットル給油、道の駅で昼食、スーパーで夜食、行動食を買い出し。汗でべとつくので「金城の里」で入湯してさっぱりした。450円と安い。その後、清水へ。
三国街道(R291)から清水へ
R291は昔は三国街道といって上州と越後の国境の清水峠を越えた古道である。日本山岳会が120周年を迎える2025年の記念事業として120本の山岳古道を調査中であるがこの街道もその一つである。
今も車道は通じていない。街道筋の最奥の清水は狭い山里である。民宿やバス停もある。巻機山登山で賑わっているのだろう。九十九折れの山路を奥まで走ると桜坂駐車場があり、近代的なトイレも整備されていた。P料金500円を払う。トイレの横に停めて車中泊の準備を済ます。16時頃とて下山者が続々降りてきた。帰ってゆくと18時頃には自分独りになる。さすがに心細い。しかも車の中はマフラーの熱がこもって暑い。標高も750m位なのでそんなに涼しくもない。前の車はサイドの窓を開放できたが今度はまったく隙間もないのでバックのドアを少し開けて冷気を入れる。缶ビール一缶と夜食を食うとすることがない。ここはインターネットも通じないからだ。
9/7 南魚沼市へ
目的地は新潟県南魚沼市の巻機山の登山口のある清水。約400kmもあるので夜出てR19の道の駅「木祖村」で車中泊。直前に購入した窓に貼るシェードを設置すると外からの光が入らず快適だ。標高900m以上あるから気温は19℃と涼しい。翌朝は早朝出発、松本市のよしのやで朝定を食べる。梓川に沿うこの道も松本市街を抜けると快適に走れる。安曇野を過ぎて長野盆地を経由、豊野から信州中野で千曲川に沿うR117に入る。これまでに何度も走った。
津南町、十日町市からR253で南魚野へ山越え。
南魚沼市の鈴木牧之記念館へ
時間的に早いので塩沢の鈴木牧之の記念館を見学した。著書『北越雪譜』で江戸時代の読者に越後で豪雪に埋もれた人生を送る人間の暮らしを紹介して人気を得た。都会人にサプライズを与えた古典の著者であった。この本は明治時代の『遠野物語』にヒントを与えた気がする。原作者は現地の人がいるがそのままでは二番煎じなので、柳田国男が文語文で編集。これも都会人に山の怖さを知らせ、サプライズを与えた。川端康成の『雪国』の中にも一節が引用されている。
記念館を辞して、軽油を20リットル給油、道の駅で昼食、スーパーで夜食、行動食を買い出し。汗でべとつくので「金城の里」で入湯してさっぱりした。450円と安い。その後、清水へ。
三国街道(R291)から清水へ
R291は昔は三国街道といって上州と越後の国境の清水峠を越えた古道である。日本山岳会が120周年を迎える2025年の記念事業として120本の山岳古道を調査中であるがこの街道もその一つである。
今も車道は通じていない。街道筋の最奥の清水は狭い山里である。民宿やバス停もある。巻機山登山で賑わっているのだろう。九十九折れの山路を奥まで走ると桜坂駐車場があり、近代的なトイレも整備されていた。P料金500円を払う。トイレの横に停めて車中泊の準備を済ます。16時頃とて下山者が続々降りてきた。帰ってゆくと18時頃には自分独りになる。さすがに心細い。しかも車の中はマフラーの熱がこもって暑い。標高も750m位なのでそんなに涼しくもない。前の車はサイドの窓を開放できたが今度はまったく隙間もないのでバックのドアを少し開けて冷気を入れる。缶ビール一缶と夜食を食うとすることがない。ここはインターネットも通じないからだ。
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