柳川源流域の塩の道を探る2023年07月22日

 朝6時過ぎに出発。吉野家で朝定を食べてR153で平谷村に向かった。平谷村最奥の靭に向かう。足元にはウツボグサも生えている。だから靭の地名になったのだろうか。靭は矢を入れる細長い筒をいうらしい。地形的には柳川本流に峠川とフロヤ沢が合流する地点でもある。
 峠川は横岳と治部坂峠の山稜の南側の水と峠と馬の背の西側の水を集めている。集水面積はそんなに広くはない。
 林道と旧道の分岐点にマイカーを止めて気になっていた林道を歩く。ゲートは1070m地点にあり峠川と並行して歩く。途中で地形図にない車道が右へ別れた。終点には橋を渡った先に建物があった。林道から降りて橋を渡って行って見たが利用されている気配はない。別荘のようにも思える。これだけ川に近いと洪水の恐れがある。
 林道の終点まで歩いたが塩の道につながる痕跡は無かったので戻った。山側はえぐられた斜面が続くが沢が来ているところで入って見た。明瞭な踏み跡とモトクロスバイクのタイヤ痕があった。何か知らないがSOとかのマークの札も立っている。バイクの連中が遊んでいるのだろうか。沢は平流で水位も低く登山靴でも歩ける。途中で右に急階段の歩道があった。送電巡視路だろう。
 相変わらず平易な沢歩きになった。夏は暑熱から逃れるにはこれが一番である。たとえじゃぶじゃぶできなくても涼しい。結局左右に塩の道が横断するとの期待は外れて源流域まで来たら植林帯へきれいな踏み跡が続いていたので沢から上がった。登りつくと工事現場ですぐにR153だった。7/8に目星を着けた栄太橋を確認した。つまり登ってきた沢は栄太沢だった。これで平谷村誌の地図にあった沢の1つは確認できた。
 次は峠川になる。平谷村誌の地図は峠川が清水沢になっている。文の紹介は峠川に沿って塩の道があるとの記述を頼りにまた歩いて見た。トンネルの出口付近に峠川が流れている。ちょっとした台地に上がって見た。道に見える平地があるが下部は笹のヤブで分からない。やみくもには歩けない。峠川の流れまで下って歩いて見た。左岸右岸に沖積した陸地はあるが道の痕跡ではない。途中に巡視路の道が左右に上がってゆく。少し登ったが狭く巡視路の域を出ないのでまた川をどんどん下った。清水沢の出合いを通過、林道の橋で川から上がった。何も痕跡を見いだせなかった。マイカーに戻った。4km、2時間半の沢歩きで終わった。
 ちょうど昼になったので治部坂峠の大川入山の登山口の蕎麦屋に入って休憩。美味しい蕎麦を賞味したらまた再開する意欲が湧いた。先週に一度行った別荘地の車道を下り、巡視路を峠川に向かって歩いて見た。清水沢に面したのり面が崩れているからとても塩の道には見えない。清水沢の掘れこんだ渓相をどのようにして往来したものか。とにかく危うい橋を渡ってみた。すると少しは幅が広い。是ならと思うがその先でまた細くなり峠川が少し上がりかけた道になった。
 諦めて戻る前に平谷村誌の記述を思った。清水沢の橋の手前に痩せ尾根があり踏み跡が続いていたので登って見た。少しばかり歩くと幻の塩の道の跡が現れた。全体は植林だがそこだけは植林していない。その道を下って見たらさっき引き返した地点に着いた。ここでヤマップをスイッチオンして軌跡を残すことにした。巡視路から左へカーブしまた右回りにカーブしてあとは地形通りに緩やかに登って行った。比高70mほどである。後半は笹薮が覆って歩きにくかったが、前回ここじゃないか、と推理した場所だった。上からでは分からなかったのだ。これで目的の一部は達成できた。
 後は石仏が2体あるという中の土山である。別荘地の巡視路から右に振ればまた栄太沢に出合う。推測では1100mの等高線をなぞるようにゆっくり高度を下げてゆくのではないか。

奥飛騨の木地屋渓谷を歩く2022年07月02日

 連日40℃を越える猛暑にうだる。そんな名古屋から約180km3時間ほどで飛騨高山市の奥座敷のような木地屋渓谷に着く。
 「飛騨山脈ジオパーク構想」のHPには木地屋渓谷を次のように紹介する。
「丹生川町折敷地、丹生川ダムの上流域にある渓流です。
ダムをのせている五味原文象斑岩は、およそ6600万年前に活動した大雨見山火山のもとになったマグマが上昇してきたものと考えられ大雨見山層群との複合岩体です。
水平に近い節理面があるため、河床は滑らかに水を流し川遊びの好適地となっています。」
「高山市丹生川町の北部、荒城川流域は飛騨地方の地質を特徴づける大陸棚のようなところで堆積した飛騨外縁帯の森部層、荒城川層を土台としています。大雨見山を中心に活動した火山の大雨見山層群が広く分布していて、さらにその上を槍穂高カルデラ火山の丹生川火砕流堆積物、上宝火砕流堆積物が覆っています。
上流域には大雨見山火山のもとになったマグマが地下深いいところで冷え固まった、五味原文象斑岩とよばれる大きな岩盤が上昇しています。
丹生川ダムはこの岩盤を土台にしてつくられています。
秋には紅葉が水面に映え、別天地の風情が感じられます。」
「丹生川ダムの堤頂部を渡り、五味原湖のほとりを進むと木地屋渓谷の入り口に着きます。
橋を渡り右手の細い道へ入ってゆくと、右側に美しい渓流を眺めながら散策することができます。
河床は平らなナメになっていて、夏場の川あそびにも好適の場所です。」

・・・というわけで、沢登りファンにはよく知られている。
 7/1の午前6時過ぎに金山駅前を出発。約180kmでダム湖に着く。先行の2人の男女が出発して行った。
 落葉広葉樹林の覆うナメの美しい溪谷である。ところどころの滝も右岸左岸から登れて困難さはない。
 途中で冷や麦を作る。左岸から湧水がありとても冷たい。冷や麦向きの水である。Wさんがガソリンストーブを出し、コッヘルで冷や麦をゆでる。ゆであがると熱湯ごとネットでゆで汁を濾す。冷水を通して出来上がり。運動後なので舌触りもよく美味しい。
 食事中、蛇が這い上がって岩を登っていた。水をかけて追い返そうとしたら落ちた。瞬間にこちらに向かってきてびっくりしたが、岩の下に潜り込んで行った。なんだったのだろう。
 岩のごろごろした渓相になると途端に快適さはなくなる。しばらくで再びナメに戻った。足を滑らせておれば良いので楽である。ナメにも飽きたころ二股になり、木地師の道具類を収めた小屋の前で沢から上がった。後は林道を歩いて車に戻った。
 帰路は恵比寿の湯で一風呂浴びた。これも快適である。さらにおまけでメンバーの一人が味付きのアブラ揚げが美味しいので買って帰りたいという。R158沿いの農協で物色するとあった。5人がそれぞれ買い求めた。今日は良く売れたであろう。
 後はまた高速で帰路につく。車の温度計は34℃である。名古屋は蒸し暑いだろうな。

山岳雑誌を買う2021年08月16日

 空は曇り、このところ、自宅の窓から猿投山の見えない日々が続く。近場の喫茶店に行く。登山の予定をしている人には辛いお盆休みになった。ふと「岳人」の買い忘れに気が付いた。
 山岳雑誌「岳人」が市内主要書店の丸善2店を回っても売り切れていた。もともと入荷の少ない雑誌である。それで今日は日進市の書店に向かった。赤池の紀伊国屋書店には無かったが、「山の本」No116があった。中身を見ると黒部川上の廊下、小渋川の紀行が掲載されていたので、曾遊の沢旅を思い出すよすがとして購入した。他に飯田市の登山家・大蔵氏の記事も貴重である。
 さて、「岳人」は市内のモンベルか、とスマホでチエック。すると長久手店が近いと分かった。行ってみると4冊の残部があり、やっと買えた。目次を見ると売れた理由が分かる。三河本宮山のガイド記事、尾西谷の遡行ガイド記事が有益である。他にも岳人の創刊者たる伊藤洋平の記事も貴重である。滅多に注目されることはないが大きな足跡を残した。自身は登山者の踏み石になると言う。というわけで雨の中を走ったが思いが遂げられて良かった。

沢初めは設楽の秘渓・澄川2021年05月30日

 今シーズンの沢登りは奥三河の秘渓である澄川に挑んだ。
 5/29(土)夕方5時半に名古屋を出て、午後7時に足助のファミマでWさんと合流。2台で段戸湖の駐車場に向かった。段戸湖は森閑としていた。トイレの明かり以外は漆黒の闇に包まれている。
 8時ごろ着いて、タープを張りミニ宴会をする。密を配慮してのことだが、気温はかなり低い。涼しさを越えて少し寒い。それでも夕食をつまみに缶酎ハイを1本開ける。10時半ごろに車中泊。
 ところが、どこからか数台以上の車が集結して明るい。なかなか寝付けない。うとうとするうちに尿意でトイレに行くといつの間にか消えてしまった。彼らなりに騒ぎたかったのだろう。ところが先着があり遠慮がちに何やらやっていたんだろう。
 4時に起床。明るくなると今度はハイカー、フィッシャーマン、バードウォッチャーらの車が続々集まってきた。朝食もとらずに5時に出た。地形図で三角錐の本谷の頂点辺りに1台デポ。宇連まで下って760m地点まで登り返した。フィッシャーマンが先着。
 遡行記は以下の既報を参考に。2年前は9:30入渓、澄川橋12:00終了、760m地点へは2時間14時着。今回は6時入渓、10時30分澄川橋、760m地点12時。

奥三河・澄川を遡る
http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/06/17/9088190

沢登の季節へ2021年05月17日

 FBに沢登りのコメントがちらほらアップされるようになってきた。高山はまだ残雪がたっぷちだが、1000m級ではそろそろ雪も解けてきた。水は冷たいが水量は豊富だし、今時は新緑が楽しめる。1年でもっとも緑が美しい時期になってきた。およそ6月一杯は低山の沢と緑は良い。
 7月以降は高山の沢が恋しくなるが体力と日数がいるからおいそれとは行かない。コロナのこともあるし近場でこっそり楽しめる山を探すしかないだろう。

低体温症2021年04月19日

奈良県川上村に沢登りに行った大阪の山岳会員4人の内、1人が低体温症で71歳の女性の死亡が伝えられた。上多古川らしいが、具体的な山行計画までは不明。
このところは気温が低いので、水をかぶることもある沢登りには不向きな気象状況だったと思われる。
18日は恵那市の笠置山に登ったが、1128mの低山ながら降雪があった。名残雪、終い雪などと言うが晩春でも油断出来ない。あらかじめ、低温は予測して、冬山の下着を着ていったから、ブルブル震えることもなく、無難に下山した。山岳遭難は想像力の欠如だと思われる。

沢初め・・・元越谷遡行2020年06月21日

 越県での外出禁止措置も19日で解除。3か月ぶりの行動の自由が戻った。21日の予定は沢登りであるが、なまった体では荷が重いがさりとて行き先は見当たらないのでW君の計画に乗った。沢初めということもある。
 朝4時起き、4時半には出発。W君の家に寄り合流。名古屋西ICから久々の東名阪道に乗り、新名神の菰野ICで降りた。コンビニに寄りたいが最近は閉店も多く、買いそびれるので少し大回りして湯の山線沿線まで回った。
 鈴鹿スカイラインを越える。朝7時というのに御在所岳登山口はマイカーで一杯だった。久々の解禁で一斉に山へ来たんだろう。武平峠のPも80%の入りだった。峠を越えても駐車の車は多かった。そして元越谷の入り口のゲート前もバーベキュー組も含めて満杯になった。良い道ではないのに多数が来た。
 身支度して8時出発、ゲートを抜けてしばらくは林道歩き。すでに川原では紫煙をあげてバーベキューを楽しんでいる家族連れらしいのがいた。橋の上で身支度する3人組をやり過ごす。猪足谷橋の分岐を過ぎるとしばらくで入渓地点。以前はここまで車が入り、今は松の植栽地だがこの広場でバーベキューの宴会をやった。翌朝から沢登りを楽しんだ。今は松の間を抜けて川原に下る。久々の沢だ。
 たんたんと川原歩きを続ける。水は冷たい。堰堤を右から越える。釜では左をへつったが今日は右をへつる。ふたたび大堰堤になり、右に高巻きした。以前は無かったロープが張ってあるが、懸垂下降の練習を兼ねて下降した。
 次々と小さな滝を越えるがようやく大滝に着いた。梅雨で増水しているので凄い迫力がある。近寄ると水しぶきが飛んでくる。ここで左岸のルンぜを巻くしかないのだが少し考えていると、後続に追いつかれて3人組、10人組は確認できた。今日は沢日和なんだ。
 Wリーダーがロープを持ちながら上部へ登り、確保の態勢だったが長さが足りない。ロープは離して、胸くらいまである深みをたどってルンぜに近づいた。ロープにつながるとちょっとヤバい気がした。自力でW君のところまで登り、今度は滝上に登攀する。ここではロープで確保しながら滝上の流れに降りた。
 ここからは一枚岩の花崗岩の滑が連続する美渓である。左岸右岸をへつるが、やや水量が多いので越えがたい小滝もあった。もう良いというくらいの小滝を次々と遡り満足して、仏ヶ谷の出合へ着いた。ここまでに2人組には追い抜かれた。本流に入り、以前は簡単に抜けた小滝が水量が多くて抜けがたい。下流にあった1.5mくらい流木を拾って滝つぼに落とし足場にして抜けられた。さらに上の滝も滝つぼからでは抜けられず、一段高いステップを指示して抜けてもらった。後続のわたしは確保してもらって這う這うの体で抜けられた。
 ここまでが難所であったが後は平流に近い。930mの南の稜線へ抜けた。南風が涼しい。雲も南から北へと忙しく流れてゆく。しばらく休止後、水沢峠に向かった。途中でトレランの2人に会う。山で何も持たずに走るなんて。
 峠からすぐに荒れた山道を下った。風化花崗岩の地質のせいか、山道の原形は壊れてしまったのだろう。赤テープでルートを案内してくれる。荒廃した峠道を終わると林道と出会い、そこで休憩。その後、地形図のジグザグの下部を直進してしまい谷に降りかかった。野洲川ダムと書いた古い道標があるのでそこの尾根を登ると林道に戻った。この山道は古い峠道の残骸であろう。後は長い林道をただただあるくのみであった。クルマに戻ったのは17時30分過ぎ、すでに一台も無かった。少し先に一台あったが沢屋だろうか。18時前に鈴鹿スカイラインに戻った。今日は温泉はなし。

車載常備登山用具一覧2020年06月03日

沢登りは
a ハーネス
bロープ30mX8mm
cヘルメット
dスリング
eカラビナ+安全環付カラビナ
f沢スパッツ+沢シューズ+沢ソックス+軍手

キャンプ用品は
a4人用テント
bコッヘル大小+アルミ食器セット+箸
cマッチ+ライター+蚊取り線香+着火剤+ローソク
dマット
e夏用シュラフ
f包丁+まな板+お玉
g紙コップ+コップ

登山用具
a登山靴
bスパッツ
c蛭ファイター
d赤布
e鉈
f鋸

奥三河・滝洞を遡る2019年11月13日

3段25mの美しい滝
 今日は1年の沢登りを締めくくる沢納め。場所は設楽町の滝洞を選定した。今期4度目の設楽町の沢歩きである。
 地形図には名前はないが、滝の口川が正しい地名のようだ。林道は滝洞林道と呼ばれている。池ノシリの588m地点から入り、不動橋付近に駐車可。林道ゲートは三角点838.7mの左のくの字型の箇所にある。
 栃洞を遡行した際、下山は838.7mの三角点を経て豊邦の山里に下山した。そこで山の小母さんたちとのよもやま話が面白かった。草の生えないところへ行きたいとか、滝洞は奥入瀬みたい、11月中旬が良いよ、と推奨をされた。
 それでこの時期に沢納を兼ねて10時30分ごろ、不動橋にP、林道ゲートを過ぎてからしばらく歩き滝洞に入渓した。谷は鰻沢、栃洞に比して若干小規模だが小さくまとまった感じ。大した難所はないが核心部は2か所あった。最後は3段25mの美しい滝で締めくくる。標高883mの尾根の下がった辺り。この辺りまで来るとヤマモミジの紅葉が美しい。滝を過ぎると平凡になり林道の分岐まで歩いて12時30分ごろに昼食。
 滝洞林道を歩いて下山した。道中で雪蛍を見た。この虫が浮遊するとやがて雪が降ると言われる。Pに着いたのは13時30分ごろだった。手軽な溪谷ハイキングの趣がある。帰りは時間に余裕があり、足助町の百年草に入湯した。温泉ではないが温まる。300円。足助町の紅葉は今一で来週から月末にかけてごった返すかも知れない。すでに駐車場客獲得に大わらわである。
 段戸の山と谷のランキング
1 澄川  ◎  段戸山
2 栃洞  〇  出来山
3 滝洞  〇  出来山
4 鰻沢  △  出来山

越美国境・笹ヶ峰から下山2019年09月16日

 滝ヶ谷を登り詰めて笹ヶ峰の北方のピーク(ab1270m)でビバークを決断。Wリーダーがビバークに最適な砂地の平な一角を見つけた。そこで二張りのツエルトを設営。濡れたものを乾かすために焚火を試みたが着火に失敗。不快なままだったが疲労困憊の体ですぐ就寝できた。
 夜は多少は寒かった。足の冷えは資源ごみの袋を足ごと包み、ザックにすっぽり入れて寝たら快適だった。防寒としては羽毛のベストが軽くて快適だった。
 朝4時か、目覚ましが朝を知らせる。周囲は濃霧に包まれている。それでも6時ごろになると東の空から太陽が昇るのが見えた。能郷白山、イソクラなども同定できた。(Wさん)気温が上昇すると霧は晴れた。スマホも使えたので午後から天気が悪くなるとの予報は聞こえた。
 さて、6時過ぎ、霧に包まれる笹ヶ峰を目指す。何とか獣道を探しながらも笹と低灌木の藪のからむ稜線の藪漕ぎは著しく体力を消耗させる。我慢我慢の藪漕ぎをすること40分で登頂できた。
 笹ヶ峰の三角点周辺はきれいに刈り込まれているので登山者があるのだろう。ここからロボット(ab1280m)のピークまでは藪山好きの登山者がつけてくれた踏み跡に期待したが、笹と低灌木の藪漕ぎは続いた。ここでもかすかに残る獣道を探しながら越美国境稜線の縦走を続ける。この山の登頂者は残雪期が多く、稜線もスキー向きなほど広いから期待したほどの踏み跡はなかった。
 先頭を行くWリーダーが1294mの夏小屋丸の南のコブから不動山へRFを間違えた。が、Wさんが下がりすぎと、気が付いたのですぐにGPSでチエックしてもらったらやはりミスだった。『秘境奥美濃の山旅』のガイドはここから不動山往復をしている関係で踏み跡ができてしまったのだろう。
 ビバーク地から約6時間後、やっとロボットに着いた。12時10分に廃村大河内に向かって下山する。この尾根道も白谷山までは藪が絡む。しかし獣道ではなく、ロボットのために付けられた登山の道の廃道なので途切れず、下るペースは確保できる。白谷山を過ぎてから尾根は急降下する。途中で熊4頭に遭遇し、Wさんが笛を鳴らして知らせる。疲れた体をかばいながら何とか白谷の水場へ着いた。不足していた水分を思いきり補給して人心地ついた。
 橋を渡るとマイカーのあるPへはすぐだ。時に4時半。着替えて廃村大河内を後にした。帰路、林道に立ちすくむ鹿と遭遇する。登山者が去れば獣天国に還る。今庄の宿で有名な今庄そばを賞味できた。温泉には時間切れで入湯できなかった。沢から山頂を踏んで、稜線を縦走して夢のようだ、とWさん。三度目の正直か。失敗しないと性根が座らないのは私も同じだ。しかし奥美濃でこんなに山深く秘境的雰囲気を楽しめる山は貴重だ。究極の登山であった。