猿投山の北尾根と戸越峠界隈を歩く2017年11月19日

北尾根で見つけた滑子
 余りの暑さに負けて撤退した7/15の再挑戦である。8時30分に県道33号から沢に伸びる車道に入る。7月はムンムンした草いきれと水滴でびしょぬれになったが、今は落葉し草も枯れて踏み跡も明瞭になって歩きやすい。車道終点から沢に下りる。沢歩きといっても沢足袋などは使わず、登山靴のまま渡渉するのである。
 最初は傾斜も緩くどんどん遡る。すると最初の堰堤に当たるので左岸から巻く。また沢床に下りて溯ると最初の分岐に出た。左又へ行く。先月の台風でまだ緑の葉をつけた灌木が倒れてやや歩きにくい。7月には見なかった赤テープがあるので好事家が入渓しているのだろう。
 7月には右岸の高巻をしたが、今回はゴルジュに入った。風化花崗岩の地質であるが、両岸が切り立っているからゴルジュと言える。左岸の山腹の根こそぎの倒木が沢一杯落ちて前途を阻んだ。小滝もあるので右岸から巻いた。巻きあがった所は7月に左岸から北尾根にエスケープした所だった。ここで一旦ゴルジュは途切れた。
 ゴルジュは滝の後退という。その通りである。滝が落ちて浸食が進むと沢が削られて、溝状になるのだ。
 今回はエスケープ地点からも沢を進んだ。ゴルジュではないがV字形の険しい渓谷であある。猿投山の秘渓といいたいが、高巻道はあるし、山腹に古い道形が残っているので知る人ぞ知る溪であろう。第一、二次林や植林の山では自然味は少ない。険しさだけが取り柄である。
 二股ではスマホでチエックをしてもらったが、必ずや赤いテープのマーキングがあった。これを信じて進めば問題ない。とはいえ、先蹤者にもミスはあるので注意するにこしたことはない。
 どんどん進むうちに沢が立ってきて傾斜が強くなった。元々細かった水流も途絶えた。稜線が明るくなってきた。落石に注意しながら這うように登った。源流が広がり右手の尾根に乗り移ると踏み跡や赤テープがあった。たどっていくと北尾根の界標131に達した。10時30分、2時間が経過していた。ここで小休止。
 南へ歩くと、赤テープを2重に巻いた分岐に着いた。これが地形図の破線路の道だが、7月はここから踏み跡をたどったがすぐに見失い、藪尾根を強引に下って東大演習林の林道に下りて県道に出た。
 分岐から南へは独立標高点480mへ行き、猿投山に達する。11時となり、登頂すると往復2時間、下山1時間30分を見込むと日没につかまる恐れがあるので引き返した。
 再び、沢からあがった地点に戻り、北尾根の急斜面の山腹とやせ尾根のマーキングをたどりながら北進する。地形図の戸越峠の「越」のところのコブには左を巻く赤テープと直進に分かれた。左は峠へ行くのだろう。直進してコブに達し、右折した。このコブから右(東)への踏み跡やマーキングがあった。明瞭な尾根であったから不安なく下れた。最初の右又と左又の分岐だった。沢床を行くと2回目の堰堤があり左から越える。すると良い道がまた沢に下っていく。さらに最初の堰堤も左から越えてすぐに車道に出会った。後はマイカーまで戻った。帰路につくと間欠ワイパー程度の小雨になった。猿投山は黒い雲に巻かれていた。時雨模様の寒い1日だった。
 帰路は保見から長久手市に周り、「ござらっせ」で入浴して体を温めて帰名した。
http://koyaban.asablo.jp/blog/2017/07/15/8621285

木曽川水系岩倉川をさかのぼる2017年09月04日

 9/2から9/3の久々の沢登りです。しっかり水を浴びてきました。
 中アの沢は何本か遡行してきましたが、木曽川右岸の支流ははじめてでした。岩倉川ももちろん初めてですが、支度中に、関東ナンバー2台、8人くらいのパーティがきました。知る人ぞ知る沢なんでしょう。
 私達4人は本流を遡行しましたが、もたついていても追いつかれず、別の沢に入ったようです。本流の沢のグレードは1級から2級らしいです。適度な滝が次々現れ、なめもあって楽しめる沢でした。懸垂は無くほとんど直登できました。特に本流の滝に支流が2本滝となって落ちている所はなかなかの見所です。ここは支流2本滝上を巻いて本流に出ました。堰堤が2か所あること以外は自然のまんまです。平流になって遡行を打ち切り、林道を歩いて下れました。登頂できないのはちょっと寂しい。
 帰路は柿其温泉に入湯しました。冷泉の加温です。湯船に浸かっていると汗がでてきます。泉質は単純弱放射能冷鉱泉です。メンバーの1人が湯あたりするほどですから効能があったのでしょう。放射能泉は湯あたりしやすいそうです。翌朝の私の膝痛もなんともなく歩行や自転車も痛みなく過ごせています。温泉の効能かも知れません。
 気になったのは沢の浅瀬で岩魚が弱弱しく泳いでいたことです。警戒心の強い岩魚ですからすぐ逃げるはずです。多分、産卵後で体力を使い果たしでいたのだろう。岩魚は水面が凍るくらいになると孵化するそうです。それとどの稲田も穂を垂れて美しい山村の風景でした。これも秋ならではの風景です。
 R19に出る手前、大きなドーム型の山が見えました。最初は糸瀬山か、と思いましたが南木曽岳でした。方向によって大きく違うんですね。山口村まで来ると秋空にくっきりと恵那山がそびえていました。いい1日でした。

渡渉の失敗による遭難が増えている2017年08月31日

 北海道の幌尻岳で川を下山中に3人が渡渉に失敗、流されてロープに繋がれたまま溺死という痛ましい遭難事故があった。流された仲間を助けるために2人も命を亡くした。
 日本山岳会広島支部ということで驚いた。
 なぜこんなことになったのか、一つは準備不足であっただろう。増水した川の渡渉についての心得と技術の知識が不足していた。さらに突っ込めば、現代人の都会生まれの都会育ちが増えて、渡渉が日常から消えたことがあるように思う。
 私などは子供のころは夏休みの間は近くの川で遊ぶのが日常だった。ゴム草履をはいてパンツ1枚はいて川の上流へ、渡渉したり、ある時は泳ぎ、またある時は魚をとったりした。深い淵にもぐったり、川の中に居座る大きな岩へ攀じ登って飛び込んだりした。
 そんな遊びのための川が台風や大雨になると濁流になり一変する姿も眺めた。だから川の怖さをよく知っている。ところが同年代でも都会育ちはそんな体験を持たないから想像すらできない。知らないということを知らない。
 自然への怖れを持ってほしいと思う。登山技術だけではだめで自然への畏敬の念を抱いて欲しいものである。

沢登り研修2016年09月04日

 山岳会会員の技術の底上げを狙いとして研修を企画された。沢登りの方は頼むというので当方がリーダーを務めることになった。指導するほどの高いレベルの知識・技術・経験などがあるわけではない。只、山行の年季だけは長い。毎月1回は山へ行く。これを40年近く休まず続けている。しかも一般登山のみならず、ヤブ山から沢登り、山スキーを一応はこなす。やらないのは本格的な冬山と海外遠征である。
 ヒマラヤ遠征とか若いころに一時的に本格的な冬山に打込んだ人は多いがほとんどは結婚や仕事の都合でリタイヤ、中断する。そんな人が50歳代になって山岳会に戻っても空白を埋めることはできない。大抵は理屈をいうだけになる。また、話をすると休日はゴルフ、テニスという人も多い。つまり登山をレジャーの中のスポーツという一面でしかとらえていない。山岳会の指導者層には案外こんな人が多いのだ。むしろ、ゴルフの話をしている時の方が楽しそうである。
 私の場合は登山をスポーツを含めた文化としてとらえる。
 沢登りは登山技術の一ジャンルというだけの把握では心もとない。岩登りが登山技術の基本とすれば、沢登りは登山文化の粋ではないかと思っている。尾根を伐開して道を開くまでは沢登りは登山の方法であった。登山技術の総合力を試される、という。即ち、滝を攀じ登るのは岩登り技術の応用である。途中でビバークする場合は幕営と生活技術が試される。
 その中の重要なものは焚火である。町中は当然であるが田舎でも焚火は堂々とやりにくい時代になった。ちょっとしたコツがわからなくなったのだ。
 古新聞紙を火種に枯葉、枯れ枝、流木を燃やすだけのことであるが、これが意外に難しい。時にはローソクやメタを使って火種の維持に努めるが中々に着火しない。焚火なしで寝るのは寒いし、着衣が濡れてはシュラフにも入れない。何とか100%のコツをつかみたいと思っていた。それで3個100円の料理用メタを常用したりもしてきた。
 着火の基本は火床になる地面に石を敷き詰めて地面からの水蒸気を遮断すると成功率が格段に上がると知った。たったこれだけのコツをつかむのに長年苦労したのである。これを知ってからはメタも不要になった。沢登りでツエルト張り終えて、料理の用意とともに焚火の枯れ枝集めは重要な仕事である。しかも明るいうちに集めねばならない。焚火は実用性ばかりでなく心を落ち着かせる効果もある。贅沢な時間の演出家であった。
 人類と獣の違いは第一に火を扱うことであった。火をコントロールすることであった。火の力は暖かい、焼く、煮る、乾かす、殺菌する、明るい、これは文化である。コントロールに失敗すると火事になる。焼失もする。軽量携帯のガスコンロ、石油コンロもあるが焚火はマッチ1本で自然にあるエネルギーを取り出し利用する。
 さて、一般登山では足を交互に動かせば先へ進める。沢登りは大抵は足場は濡れて滑りやすい。そこをバランスよく攀じる。また道標もないから読図力とRFが重要になる。総合力は随所で試されるのである。
 今回は台風の影響で急な増水を心配する向きもあった。しかし、栃を中心とする落葉広葉樹林の原生林は保水力が良いとされる。テントのフライを激しく叩く夜来の雨にも関わらず、顕著な増水はなかった。但し、日本アルプスなどの岩場の多い山では増水(鉄砲水)は必至であろう。ユメ入るべからずである。
 朝4時起床。前夜のうちに炊いて置いたご飯に鶏鍋を温めて朝食を済ます。テント撤収。林道を下って、6時前に入渓。最初はヤブっぽい渓相にがっかりするが1時間もしないうちに栃の原生林になって空が高くなった。しかも長々と滑滝になって奥へと続く。滝はすべて自力で越える。次は次はと期待して遡るうちに右岸に虎ロープが垂れ下がる滝に来た。これは滝の左を攀じ登った。ここでメンバーの1人が目に傷を負うアクシデントがあった。1人でリタイアさせたが、滝を登ったところで降雨があった。これ以上は雨雲の領域に突っ込んで行くことになる。
 昨日の偵察で、ここからの山道を辿れば林道終点に行けるので全員の撤退を決めた。行程の四分の一くらいだが、滑、滝、栃の原生林という美味しい部分は味わったのである。この先には溝状の滝が楽しみだったが後日に期することとした。
 山道は崩壊花崗岩の山の斜面を開削して開いた。林道に着いて国見峠方面を眺めると標高900m以上は雨雲に隠れていた。テント場まで下り、装備をはずし片づけた。池田温泉の開場は10時なのでそれまでの時間活用に揖斐川町の播隆上人ゆかりの一心寺の訪問を提案したら全員が乗ってきた。
 春日村美束で24℃の涼しい気温は平野部では32℃に上がった。台風の影響で亜熱帯独特の暑さにうんざりする。狭い路地を走り抜けて一心寺に到着した。少し歩いて城台山の城跡にも登った。一応頂上である。少し下に点名城台山4等三角点もあった。慰めにはなる。再び車で池田温泉に移動した。中々の名湯である。効験が顕著なのか朝から開場を待つ人もいた。ぬるぬるした成分がいかにもと思う。さっぱりした後は炎熱の名古屋に帰って解散した。とはいえ、まだ12時前だ。ベランダに濡れたテントとフライを干すと風にはためく。フエルト靴の泥を洗ってベランダに干す。次はまたどこの沢へ行けるのかな。

奥三河・清水谷遡行2016年08月27日

 8/26から8/28にかかけて予定していた北アルプスの大キレット縦走は台風接近のため中止。代案として涼しい沢登りに出かける。鈴鹿は蛭被害が多そうなので奥三河を選んだ。

 朝6時10分金山駅前に集合、5人で出発。名古屋高速の高辻ICから新東名の鳳来峡ICまで一気に走れる。奥三河の山歩きには革命的なアクセスの便利さになった。登山口の宇連ダムへは7時30分と早い。鳳来湖は干上がっていました。タイトなカーブの連続する湖岸道路をくねくね走る。設楽町と新城市の境にある第10岩脈も見えました。車を停めて普段は湖底にある第10岩脈の穴滝を路上から見学する。すぐに登山口の宇連橋に着いた。
 身支度を整えて8時半出発。宇連橋を渡って左折すると林道を歩く。対岸からの橋を見送って進むと清水谷と林道の高さが近づく。林の中の踏み跡を辿って入渓する。
 三輪川の支流・清水谷右俣(実は左俣右)は平坦なところは滑床が続き素晴らしかった。足をじゃぶじゃぶ流れに浸す。水量は少なく水の抵抗はない。いっぺんに冷涼な気分に浸れる。この楽しさは沢登りならではのもの。中流部では滑滝、ポットホールの非常に深いゴルジュ、など変化の多い沢でした。
 ポットホールは石ころが水の流れで回転し浸食した自然の造詣である。ゴルジュの滝壺の一つ一つがポットホールになっており、何とかなりそうに思うがつるつるの岩盤で支点がすくなく、また水の流れがないため風呂桶みたいなポットホールも底の方では渦を巻いて一旦足を入れたら引き込まれて抜け出せない恐れもある。底の見える深さは私の胸くらいであるが青く深いところは入るのを止めた。
 子供の頃、水泳場にしていた川も岩盤の一部にそんな危険個所があって自殺した老人もいた。入水すれば足を引き込まれると知っていたわけである。鈴鹿の仙香谷でも淵に引き込まれて溺死した事故があったと記憶している。
 そんなわけで左岸を巻いた。微かな巻道があった。
 標高450m付近から沢が立ってくる。岩脈を突き破るように10mほどの滝が落ちている。右岸を巻いて岩脈に着いたら下へ辿り、スリングで川床に下りた。そこから更に滑が続く。やや傾斜をともなった滑滝をフリーで攀じ登る。日頃のクライミングの成果が試される場面である。
 やや平坦な場所で一休みする。目の前に滝が落ちている。更に奥まったところには30mの滝らしいのも見える。ここで約3時間、11時半になった。空は台風の影響でどんよりしているし、午後からは降雨もありそうということで遡行を打ち切る。納涼沢登りの目的は達した。
 宇連山には登らず、下山は左岸の山腹を探るように上部へ登る。すると浅い枝谷があり、大きな岩があるので更に上部を巻いた。眼の上に明らかに石組みが見える。近寄って見ると古い山道を発見。所々に炭焼き窯跡があったから、多分、炭焼きの往来した道の名残であろう。
 左へ登れば稜線の登山道につながりそうだが降雨の事もあり、右へ下る。シダが覆う廃道であるが道形はほとんど残っていた。枝谷をまたぐところのみ注意を要する以外は順調に下れたので相当早く下山できた。古い赤テープも発見した。三河の山では珍しい。沢に平行して歩くと路もはっきりしてきた。遡行中に見た廃屋も通過して正しい道を確認する。右岸左岸を渡り返しながら行きがけに見送った橋を渡って左岸の林道に戻った。車まで戻るとメンバーから安堵の声がした。小さな冒険に満足したのである。大キレットのスケールとスリルには及ばないがガイドブックにないルートを辿るのも面白い。しかも日帰りである。
 マイカーの隣には若者3人が夏の軽装で遊んでいた。小さな動物は何と野生の子猿だった。親からはぐれたのだろう。餌をねだっているように見えたから飼い主に捨てられたのだろうか。私の足元にすり寄ってきたり、車の荷室に入ろうとしたり、運転席に上がるとドアのところに手をかけて上がろうとするので追い払ったが、妙に人懐こい。人への警戒心がないので野生ではないと思った。
 帰路はR151へ戻り、名号の交差点から少し先の「梅の湯」を浴びて帰りました。汗と汚れを落とすとさっぱりする。入湯後は大雨になりました。山中で粘らなくてよかった。新城まで来ると残暑厳しいことを実感するような良いお天気という変な1日でした。
追記
同行のメンバーが地形図に落とした軌跡を送ってきたので見たらなんと清水谷左俣右に入っていた。廃小屋や大岩など過去の記憶通りに進んでいると思っていたが入渓地点が少し早かった。汗!

過去の関連記事
掲示板「行ってきました」奥三河・宇連山の沢歩き
http://8425.teacup.com/koyabann1/bbs/99
小屋番の山日記
宇連山の沢・古峠・廃村
http://koyaban.asablo.jp/blog/2006/08/08/
宇連山覚書
http://koyaban.asablo.jp/blog/2006/08/12/
奥三河・宇連山を歩く・・・ガンゾモチフデ山考
http://koyaban.asablo.jp/blog/2016/06/04/8102510

奥美濃・大岩谷2016年08月14日

 伊吹山地とは伊吹山の北の金糞岳辺りまでをカバーする1300m級の山なみをいうらしい。その間に地形図に山名がある山はない。それでも国見山、虎子山、ブンゲンと知る人ぞ知る山が連なる。よく整備された登山道のある山は伊吹山と金糞岳に限られる。一般の登山者から忘れられた言わば秘境的な山域である。
 中でもブンゲンは1269mの標高があるが好事家くらいしか登られない。しかし、沢に限れば岐阜県側でも滋賀県側でも花崗岩質のきれいな沢が突き上げる。岐阜県春日村は西谷という。西谷の右俣が竹屋谷、中俣が大岩谷という。その他にいくつもの沢が江美国境に突き上げる。中でも竹屋谷は滑や樋状の滝が美しく江美国境に突き上げる。
 今回登った大岩谷も両門の滝があって美しい渓相を競う。大岩谷には近年遊歩道まで整備されていて驚いた。以前、沢納めで遡行し、ブンゲンに登頂、また下降した。うっとりするような黄葉の谷に突然雪が舞ってきて驚いた。当時は伐採中で下山すると焚火をしていたのでしばらく当たらせてもらった。林道も未舗装だった。
 午前6時、一社駅前で2人を拾い出発。渋滞気味の名神一宮ICを経て大垣ICで降りる。すぐに揖斐川堤防道路を走り約100km、2時間弱で美束の奥の尾西に着く。右へ大平八滝の案内板に導かれて大平林道の大岩谷の入り口に着いた。完全舗装だから隔世の感がある。その上に山主は遊歩道を整備して観光地化するようだ。駐車場も2か所整備してありかなり本気である。
 身支度後、熊避けのドラム缶を鳴らして入渓。一の滝から遡る。久々の水に体が喜ぶ。周囲は落葉広葉樹の森の中を清冽な谷水がほとばしる。滝ごとにフィックスロープや巻き道もあるがなるだけ谷芯を行く。体のキレが悪いのは体重が減っていないためだ。二の滝、三の滝と続々遡り、八の滝で観光滝道は終わる。谷沿いの路を戻らなくてもいいように帰路も設けてある。
 さて、本格的な遡行領域に入った。周囲は二次林の落葉広葉樹の森である。緑一色の谷の中、滝は連続するが傾斜が立ってきた。スケールも若干大きい。直登を試みるが巻道も行く。次々突破する。大きな5m以上の滝を巻くとついに両門の滝に着いた。左から右からの谷が一つの滝になっている。奥秩父の両門の滝のスケールには及ばないがコンパクトなまとまりが良い。あの黄葉の時の感動には及ばないが、万緑の中のやや多い水量が迫力ある渓谷美を魅せる。これは右から滝上に巻く。
 巻いた後は平凡な渓相が続き、二股を分ける。地形図でチエック。水量は同じだが右がやや多く本流と見て直進する。再び二岐になる。左がブンゲンに突き上げる本流、水量の少ない右は1095mの独立標高点に突き上げる谷。明瞭な二岐である。11時になり、ここまで3時間経過したこと、ヤブが覆うようになったことを鑑みて遡行を終了。1095mの尾根に上がることとした。11時、早めの中食を済ます。
 岩っぽい谷だが中途ですぐに踏み跡が横切っていくのに遭う。桧林の中を忠実に辿り尾根の背に到達すると踏み跡が下ってゆく。しばらくは植林内を順調に下った。傾斜が大変強くなり、伐採はしたが傾斜の関係か、植林はせず、放置したままの二次林の中でストップ。植林が尽きて二次林の中のけもの道を追った。。なるだけ尾根を追いながら且つ浅い谷に下ってみた。困難さはなく、本流に合流した。
 八の滝へはすぐだった。地形図では本流沿いの尾根を下ったのだろう。若いお嬢さんと両親らしい親子3人づれが滝の探勝に来ていて驚く。こんなところでも軽装で来るのだ。あちらも「凄い」と驚いた。
 私たちはフィックスロープの垂れ下がる谷を下降していった。6から7滝付近で観光用探勝路を下った。そのまま歩くと駐車場に戻った。帰路は薬草風呂で一風呂浴びた。猛暑の名古屋へ帰った。もう少し沢の涼しさに浸っていたかったな、と贅沢な思いが募った。

秋雨前線2015年09月08日

   瓢ヶ岳
粥川の谷を高きに登りけり

頂上やどうしようもなき秋の雨

秋雨を集めて滝のほとばしる

徒渡る谷一杯の秋出水

ホトトギス咲くや雨足弱まりぬ

   星宮神社
秋の灯の下にテントを張りて寝る

一と缶の酒をちびりと夜長かな

長き夜を遡行プランの話する

渓声にかきけされたる虫時雨

   円空ふるさと館
秋冷や笑みを浮かべし木の仏

  美しい田園風景の一角に円空仏が建つ粥川の山里
数多おはす円空仏の稲田かな

御仏に見守られたる稲田かな

  9/8 台風の前兆(9/11は220日)
あと三日二百二十日に山に発つ

奥美濃・粥川谷から瓢ヶ岳へ2015年09月06日

 以前から行きたい粥川谷だった。ネットでチエックするとかなり良い沢である。9/20から9/22の北アルプス・金木戸川支流・打込谷遡行のトレーニングでどうしても1回は水を浴びておきたいので粥川谷を提案したら乗ってきた。
 9/4の夜9時合流。今年2回目の粥川谷奥の星の宮神社に行く。途中のバンガロー村が大賑わいだったのは意外だった。終点のPでテントビバークする。周囲に民家がないので気が楽だ。軽く1本空けて就寝。午前4時ごろ、テントのフライを打つ雨音がした。夜が明けてくるが地面は左程ぬれていない。小夜時雨だったのか。山時雨か。ともかく起きねば成らない。朝食は空腹でもないのでお菓子を摘んだだけ。とりあえず、目的はトレーニングにあるので出発することにした。午後の降雨率は50%以上だが山だから確率は高い。しかし、沢登りなので濡れて元々。6時半過ぎ、テントを片付けて出発。登山口は7時過ぎに出発。林道を歩かずいきなり沢に入渓する。一旦林道に横切られることと沢が荒れているので少し上流まで歩いて再び入渓した。
 すると意外なくらいの美渓に嬉しくなる。天然の造形にしては美しすぎるS字形の滝を突破、三枚滝に着くと今度は登山道に合流した。これもやり過ごして沢芯を辿る。登山道から離れて行く。この谷は最初から立っているので滝が非常に多い。小滝を次々突破しながら溯渓を続ける。
 林道の下のトンネルをくぐる前に雨が降り出したので合羽を着用した。やがて右か左かの分岐だが右に振る。水も無くなって笹を漕ぐと奥瓢ヶ岳付近のの登山道に出た。11時55分。山頂へは12時5分だった。大雨だった。ランチタイムどころではないので早々に下山した。下山は新しく開削された沢沿いの登山道を辿る。
 見覚えのある滝を見た。水量が多いので登山道か沢かの区別ができなかった。本当はここで遡行を打ち切って登山道から登っても良かったのだが分からないまま遡行を続けたのである。
 登山道は旧来からの尾根道と合流した。沢道のほうが若干長かった。下山は尾根主体となりぐんぐん下りだす。三枚滝の手前まで下ると沢は奔流となってきた。増水するとヤバイところだ。我々はザイルがあるから何とか成る。一般登山者は雨になると渡渉地点の増水で万事休すになる。減水まで待機することになる。
 三枚滝を過ぎて黙々下山。一旦林道に下りてまた林内を下る。足元には秋の草花のホトトギスの花が咲いていた。林道に下りると後は車まで歩くだけになった。
 下山後は円空ふるさと館に入館して円空仏を拝観した。穏やかさ、温かさのにじみ出た造形は円空特有のものである。他のコーナーには木地師の小屋などもあり、山屋には勉強になる。係員に粥川のうなぎの話を聞くと今でも多いとか。獲ると罰金だそうだ。道理で川のそこかしこにうなぎの禁漁の警告があった。粥川谷の人々は今でもうなぎを食わないという。伝説の神の使い手のうなぎを律儀に守っている。
 更に大雨になっていた。R156に出て子宝の湯に入湯した。やけにお客さんが多いのでWさんが聞くと長良川のラフティングの大会があったそうな。それで若い人が多かったのだ。美濃市まで来ると朝から本格的な食事をしていないことに気づいて夕食をとった。以前に来たことがあるうなぎ屋だった。大で2700円。冷たい水の中に住む魚の脂ならば沢登りの体つくりに役立つだろう。うなぎはともかく、秋刀魚、鰯、鯖など脂が乗った青魚を本番までせっせと食べて行きたい。美濃ICから高速に入り帰名。

仙香谷吟2015年07月13日

短夜や忘れ物なきやうに発つ

近江へのトンネル抜けて梅雨晴れ間

汗ぬぐい谷への道を急ぎけり

くちなはが見回りのごと現れし

万緑に覆われてゐる仙香谷

磨かれし花崗岩なる夏の谷

碧水を湛えし釜や夏の谷

谷涼し水を浴びつつ攀じ登る(赤坂谷)

滝の水梅雨なればこそほとばしる

滝轟々やむなく高く巻きにけり

溯る滝の向こうに何がある

岩襖懸垂下降で滝下る(ツメカリ谷)

深淵はロープを頼り泳ぎけり(神崎川本流)

愛おしく井守を手にすをみなかな

あかはらは都会っ子には愛されし

腐臭ありて鹿の子の骸(むくろ)かな

谷を出てヘルメットから夏帽子

日が暮れて河鹿蛙の寂しさよ

夜濯ぎや疲労困憊して干せず

近江鈴鹿の元越谷を溯る2015年06月15日

大滝の前で
 6/14。最近入会した新人3名のいわゆる山婆(サンババ、3人の婆か?)を含む7人が参加した。鈴鹿でも近江側は静かな山域であるが、久々に鈴鹿スカイラインを越えて入山。先行車が1台のみあったが何の目的か不明。
 いつものように林道を歩きながら入溪地に向かう。最初は河原歩きから堰堤を巻いて行くと徐々に溪谷らしくなってくる。花崗岩の谷は美しく明るい。小さな滝を左岸から高巻く。今回は大勢なので懸垂下降はしない。昔はなかったフィックスロープが垂れ下がっているので難無く下降できた。ここを過ぎると次も落差はないが直登できない滝を左岸からへつる。以前はロープをつけて泳いだところだが。
 溪谷の斜度が高くなり、小さな滝を直登したり、大小の岩がごろごろしてきた。両岸の岩壁も直立してゴルジュの渓相になると大滝は近い。前日までの雨で水量は多く、飛沫がほとばしる。豪快である。大滝は左岸の岩溝を攀じて突破する。ロープで確保して、滝上に降りると核心部に到達する。ここからしばらくは花崗岩の削られた溝や釜を持った小滝を次々に突破する極上の溪谷登攀を楽しむ。五月蝿かった三婆もここだけはおしゃべりを飲み込んで黙々登攀してゆく。登山道を歩いているだけでは味わえない沢登りの楽しさが溢れる箇所だ。
 核心部を無難に突破した後、二股まで来た。もちろん右に振る。斜度は大人しくなった。と思いきや垂直の小滝に手こずる。ロープを出して確保。結構遊ばしてくれる。しばらくは溪谷歩きの余韻を楽しむ。斜度は殆ど均されて高度を上げる感じがしない。森の中のせせらぎになった元越谷源流部を歩く。いい加減、溪谷歩きに飽満した頃、突然傾斜がまして前方が明るくなった。あれが県境稜線か、と口々に言い合う。土つきの斜面を滑らないように登ると登山道のある稜線だった。伊勢側から吹く風が心地よい。しばし休憩する。
 ここで登山靴に履き替える人も居るがリーダーと私はそのままである。消耗が激しくなるがザックを軽くしたいからだ。オレンジなどの差し入れを食べたりして、また三婆のおしゃべりが復活した。水沢峠に降り立ち、左折すると荒れた峠道を下る。道形は残っているが所々で崩壊しており、RFに注意する。完全な廃道といっても良い。林道の廃道が出てきた。風化花崗岩の脆さは如何ともし難い。それでも林道は作られる。以前からあった整備された林道につながった。古い道標もあった。昔はここから水沢峠への登山道に下りていったのだろう。
 三婆とそれに旧人の婆も加わって話題は家族のこと、世間のことに散るがあっという間に駐車地に着いた。河原では赤ちゃんを連れた若い親子が食事など楽しんでいた。無事に下山。スパッツを剥がすと蛭は居なかった。今日は献血せずに済んだようだ。