春牛蒡を食う・・・私の『土を喰らう日々』2020年03月23日

 時々無性に土の香りがする牛蒡を食べたくなるのは農家の生まれのせいもあろうか。先だっても買い置きした牛蒡を洗ってささがきにした。包丁の背で皮も少し削いだ。水にさらしてあくをとり下ごしらえをする。ものすごく匂う。その後は、フライパンにごま油を落とす。熱したフライパンにひね鶏を刻んで入れて炒めます。砂糖、醤油で味を調えて火が通ったところで出来上がり。
 食べてみると、肉質は硬い。あるブログによると「(鶏全般ですが)ヒネとは、「卵を産み尽くした頃のメス鶏」を指します。「親鶏」「廃鶏」などとも呼ばれ、採卵用に飼われていた鶏が年をとり嫌な表現になってしまいますが、「利用価値がなくなった」鶏が「ヒネ鶏」として出荷」とあります。
 しかし、旨い。牛蒡の香りと簡単には咀嚼できず、口の中でガムみたいに歯でよく噛んで柔らかくしてから飲み込む。その時は肉のうまみを味わう。牛蒡の香りと鶏肉の味わいの一品は元気づける。

大根おろし2020年03月11日

 おろし金の大きなモノを購入したので試しに大根おろしを作って食べた。前評判通り、さくさくと下せるし、食感もやわらかい。しらすと合わせると健康食の一品になった。
 買い込んだ自然薯もあるし当面下す食材を片付けていきたい。気分だけはさっさと調理すればいいがなかなかに面倒なことでもある。おろし金を新調したことがモチベーションになって食材の在庫を楽しみたい。リンゴ、ニンジンもある。ニンジンは絞った粕をカレーに入れて食べればいい。リンゴは濃厚なジュースを楽しめる。実はジューサーがあるが片付けが結構手間暇かかる。いっそおろし金で下して絞れば良いのではないか。

オーバーズボンを探す2020年02月06日

 今日は一日中風が強かった。良く晴れて猿投山も良く見えた。多分山も冬日和になったことだろう。朝方は読書三昧、山と俳句の原稿の構想を練る。遅めの朝食兼中食を食べる。
 午後は喫茶店に寄り買い物に行く。新聞の広告に葉酸の本が紹介されていた。ブロッコリーやホウレンソウなどに含まれる栄養価の高い野菜類を買う。後、牛肉、牡蠣、生和布が豊富にあった。和布は塩蔵でもしないと冷蔵でもすぐ腐敗するので小分けして冷凍した。しまったにんにくを買い忘れた。
 12月と1月は新聞の購読を休んでいた。年末年始は長期旅行もある。新聞の速報性はネットで十分である。今や旧聞になった。それでも昨年来の古新聞と2月から再開した新聞購読が溜まり始めたので整理整頓する。
 週末の山スキーの服装や道具の準備、さらに雪中での車中泊に備えて車内を整理した。ごちゃごちゃと物置代わりにしてあるから登山口に着いてすぐ眠れるように不要なものを出した。
 ディーゼルエンジン車の対策として、灯油を10ℓほど石油缶に移す。名古屋の灯油は凍結するので現地で軽油に灯油を混合しておくと凍結を防止できる。
 不用品を出した後は、シュラフ、シュラフカバー、象足、山スキー板、シール、ストック、ワカン、ピッケル、雪用スコップ、アイゼン等を収納した。服装は赤のオーバーヤッケ、羽毛服、羽毛ズボンを収納するがオーバーズボンがない。
 押入れや段ボール箱を探してもない。車内にもなかった。昨年3月でスキー仕舞いした際にどこかへ忘れたか。否、そんなことはあるまいと、ワイシャツ類を仮に掛けてある鴨居を探すとあった。今時は薄手のワイシャツ類は着ないから埋もれていた。やれやれだ。これで山スキーの準備は済んだ。天気を祈る。

山岳会の新年会2020年01月15日

 19時から元会員の経営する居酒屋を貸し切りで16名の参加で行われた。18時過ぎから三々五々集結してきた。すっかり高齢化してしまったがみなさん元気な会員ばかりである。
 料理はオーナーの手作りである。今年は人数が多いのでバイキング方式になった。量はたっぷりある。また新たなお手伝いさんになった。20歳のピチピチの若い娘さんである。前の子はちょうど10年で退職されたとか。
 Fさんは名酒、私は対馬の焼酎「つしまやまねこ」を差し入れした。
 申込者は22名あったが最終的には病気や急用、出張などで6名が欠席になった。それでも以前は12名から13名だったこともあり、員数的には盛会になった。やはり新入会員が入ったことが大きい。一方で3月までにベテラン会員が2~3名退会すると聞いている。登れるうちは登るということにはならないようだ。また昨年、元会員が82歳で死亡したと仄聞した。
 こちらもすでに70歳になった。登山者としての余命は後5年くらいか、マイカーの車齢は今年で17年、後5年持つか。すでに24まんkmを越えた。30万kmまではもってほしい。肉体的、気力を維持することと、課題はマイカーを維持する経済力とのバランスである。
 運転免許も巷間伝わるのは認知テストなど聞くだけでもうっとおしい。しかし、高齢者の暴走、逆走があり、社会の仕組みになってしまった。それは団塊の世代が75歳に達すると今よりももっと増えると考えられるからだ。加えて70歳以上の登山者の道迷い、道迷いが遠因の転落死、登山中の病死などが増えている。
 心新たにする1日である。

中央支部新年会2020年01月09日

18時30分から愛知会中央支部の新年会に出席。会場は丸の内の老舗料亭河文。一卓7人で10卓とすると70人は居た。同業者団体初の新年会になった。新人紹介も多数並び、同業者が増えた。支部全体で500名とか。私が開業時で300名だったから凄く増えた。廃業、死亡も少なくないが、魅力ある士業と見られているのだろう。私も2020年は開業10周年になる。月日の経つのは早いものだ。人生百年、生涯現役でいく。山歩き、仕事もだ。
春風や闘志いだきて丘に立つ 高浜虚子

七草がゆを食う会2020年01月07日

 朝6時代の地下鉄に乗る。今日はまだラッシュではないが座れない。伏見駅で下車。名古屋観光ホテルの3F桂の間へ。着席後すぐ七草がゆが運ばれてくる。魚の切り身、フルーツ、漬物など豪華な朝食である。
 今日のテーマは愛知大文学部教授・和田明美氏を招き、「新元号 令和を寿ぐー出典『万葉集』の「序文」と「梅花の歌」についての講話。元号は令和で初めて国書の万葉集から採用されたというお話。わずかな時間でかいつまんで何となく分かった気になった。
 万葉集巻5所収の梅花の歌の序の中の「初春令月 気淑風和」に由来する。和田先生の核心はこの序文には唐詩(漢詩)の「帰田賦」にルーツがあると解説。この序文に「仲春令月 時和気清」を手本にしている。換骨奪胎というか謂わばオマージュなのである。
 唐詩の内容は都で出世もできず、田舎に落ちぶれて帰るうらぶれた内容である。唐詩に範を求めても万葉集では日本的に「変奏」しているというのだ。仲春は初春に変わり、「詩」ではなく、やまと歌の「短詠」へと変容。「受容と変容の日本文化を具現した」したと解説する。

 そうですね。芥川龍之介「神々の微笑」(1922年)の中の
「日本の霊として現れた老人が日本で布教しているキリスト教の神父に対してこういう。

「…(日本人は)何人でも(キリスト教に)帰依するでしょう。
ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人(日本人)は大部分悉達多(シッダールタ=釈迦)の教えに帰依しています。
しかし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」

※出典 青空文庫 小説「神神の微笑」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html

 和田教授の話の核心はここだろう。朝の短い時間ではぎりぎりの講話だった。日本は作り変えてゆく国であり、元号ももうシナの古典ではなく、国書から採用しますよ、という文化的属国からの脱却のメッセージにもとれる。
 してみると、この春中国の習主席を国賓(新天皇との接遇には反対意見が多い)で来日する話で持ち切りだが、令和への改元のタイミングとしては策士として安倍首相の深謀遠慮に注目したい。否ちょっと政治的な解釈に傾き過ぎたか。

研修:任意後見契約と遺言書のロールプレイを学ぶ2019年12月23日

 18時から愛知会にて中央支部の研修があるので新栄駅に向かう。結構多くの受講生が来ていた。開講後もバタバタと入ってこられた。空席がほぼ埋まったから重要な研修と見られたのだ。
 講師はコスモスS/CからH支部長とN顧問の2名。成年後見制度に実務と理論で精通する方たちであり、愛知会の草分け的な指導者でもある。一応簡単なテキストで一通りの流れをおさらい。
 休憩後にロールプレイに入る。各テーブル数名が相談員と相談者に分かれて向かい合った形で配布された事例に対して提案する。より実践的に知識が試される。法的サービスを利用しないと困惑する立場の人の環境が出題される。賃貸に回している不動産を持って居る人の対応策を尋ねる問題だった。
 その後に講師による解説が発表される。当方はまあ概ね回答できていたと思われる。テーブルで同席した人の回答の中に一般社団法人をかませる案が提示された。一般的には任意後見契約か家族信託である。
 研修後は会場を移して懇親会兼忘年会になった。枝豆、野菜の盛り合わせ、刺身、しゃぶしゃぶ、鳥肉の煮込み、などの御馳走が出た。当方は焼酎のお湯割りで行く。
 名刺交換すると司法書士を兼業する人であったから一般社団法人を持ってきた考えもなるほどと思った。また、ロールプレイでは出なかった回答には売却という案もあったがその場では出なかった。認知症になる前に不動産のような厄介な資産にかかる事業は売却がもっともリアルかと思われる。
 また例題の設定では60歳で妻、子なし、遠方に住む妹の支援を望むこと、妹の子に遺贈の手続きはしてある。この出題の回答に別の人は結婚という回答もあった。出題者はこの男性は持病があると明かした。それを知ると空想的だが結婚も回答にあってよい。初婚か再婚かは不明だが希望は捨ててはなるまい。
 最近、婚活を事業化する一般社団法人設立の相談を受けたことがあった。若い事業家である。検索してみると、確かにある。現代は非婚の時代が背景にあるからだろう。未婚というのは結婚が当たり前ということを前提にしているが非婚は人生のイベントから外れている。婚活の指導で稼ぐ事業である。いろいろあるものである。
 懇親会ではそんな雑談で盛り上がった。お開きで時計を見ると23時を回っている。急いで帰宅しなきゃ。

年忘れ一日がかりで上京す 拙作2019年12月07日

 12/6の夜10時、Sさんの車に同乗して一路上京に向かう。名古屋市内からR23のバイパスに入り、三河平野を貫通。蒲郡市を経由して豊橋バイパスに入ると後は静岡県の浜松市から静岡市までほぼ渋滞もなくスムーズに移動できた。静岡市から御殿場市に向かいR246で神奈川県入り。座間市までは覚えていたがとりあえずの目的地の府中市までの道は毛糸がもつれたように入り乱れた道路なのでナビに頼る。ともかく府中市のパーキングに着いた。宮西町の1日24時間1210円というPにデポ。そこで着替えて、ビジネスホテルでチエックインを確認。その足で京王電鉄京王線の府中駅から乗車し終点新宿駅へ。
 京王プラザホテルはすぐだった。ホテルに入るとすでに全国から会員が集結していた。図書交換会など閲覧して回った。それでも時間は余裕があったが旧交を温める会員もいて時間は過ごせた。やがて17時半近くになると宴会会場に入場。薬師岳のテーブルを割り当てられた。東海支部のT支部長がテーブルマスターである。他支部は2名のみであった。
 天皇陛下が入場されて拍手で迎えた。会員数は500名の割れんばかりの拍手である。即位の祝意も含めての事である。天皇と同じ会場で同じ料理を食べて時間を過ごすのは大変にぜいたくな時間である。料理はフランス料理である。ワインも出た。
 会長あいさつに続き、永年会員表彰、新入会員紹介、物故者への黙祷などが続く。最後は豊橋市の福井酒造の四海王の樽酒の鏡開きになる。登壇者は最初はさすがに天皇陛下は見学と思われた。お声がかからなかった。皇太子時代は常連であった。係りの人も表情を見て取って最後にお声がけされた。大そう喜ばれた。
 車椅子の谷垣氏など数名が登壇して全会員が掛け声で樽の蓋が割られた。後に各テーブルに配られた。檜の香りが酒に移り独特の味わいになった。
 乾杯用のビールが注がれて乾杯。そしてフランス料理が次々運ばれて宴たけなわになった。天皇が在席中は各テーブル内の交わりしかできなかった。天皇が退席されて入り乱れての交流になった。二次会も別の部屋で行われた。ここでも旧交を温める。お開きになると府中市へ電車で帰り、部屋に入る。時はすでに零時を回っていた。睡眠不足と疲れでぐっすり眠った。

忘年会2019年12月03日

 18時から大学同窓のクラブ愛知の忘年会である。一卓5~6人で12~3卓はある。宴会ホールの照明を落とし何が始まるか、と思いきや同窓の日舞の踊りであった。華やかな彩を添える。学長、全国同窓会長、クラブ愛知会長の挨拶が続き乾杯。あとはフランス料理(多分)が運ばれてきて飲み物を楽しんだりして過ごすうちにお開きになった。

忘年山行1霊山を歩く2019年11月30日

 朝8時過ぎ、私、M野、K,M本、T、I島の6人が集結し、金山駅前を出発。9時過ぎ亀山PA着。ここでIさんとSさんに合流し8名になる。東名阪高速を出て名阪国道(R25)へ行く。快調に飛ばして伊賀(柘植)ICを出る。スマホのナビで地理勘もなく霊山寺へ導かれる。
 霊山寺には数台の先行車が止まっていた。手軽なハイキングの山である。私たちも支度して出発。境内の長い階段を登ると本堂の横の大銀杏が黄金色に輝くような黄葉が素晴らしい。一度も吠えず老犬が見守ってくれる。登山道は左へ少し下った林道である。
 林道の終点から杉の植林の中の登山道が始まる。というより参詣の道だろうか。200mごとに号数が増える。とにかく異口同音に寒いと訴える。中腹まで登ると温まり一枚脱ぐ。
 中途には寺院遺跡のような名残りの名前がある。山頂直下には湿地帯もあったから夏は僅かでも湧水があるのだろう。山岳霊山が成立するには水源が大きな条件になる。

 伊賀上野観光協会のHPには霊山寺は「創建は古く、霊山山頂(765.8m)には、平安時代〜江戸時代にかけての一大寺院跡(面積11,200m2)があります。奥之院には、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)(延宝3年〈1675年〉)を安置し、石造台座には永仁3年(1295年)5月10日の銘があります。
 その後、霊山寺は現在のように霊山中腹に再興され、天台宗より黄檗(おうばく)宗に改宗されました。
本尊、十一面観世音菩薩は寄木造で、像高1.8m、江戸時代初期の作です。ほかに普賢(ふけん)菩薩や、平安時代の銅鏡が保管されています。」と約700年の歴史を誇る古刹である。

 山頂へは雑木林に変わった辺りから緩やかに登り石段を登ると萱とのの平らな山頂だった。南西の隅っこに一等三角点が埋まっていた。経塚を中心に塁が築かれている。そこに腰を下ろして休む。寒いのでやることもなく早々に下山した。
 本堂では俳句の投句箱があったので2句を即吟で投句しておいた。滋賀の大津市で4句、今日で2句と投句した。果たして結果は如何に。
 ゲストハウス関ロッジに行くにはまだ時間が早いので芭蕉公園を散策した。芭蕉は韜晦したので生まれた家、場所も定かではないらしい。そこで上野市は生家を具体的に挙げ、ここ柘植町にも生誕地を訴えます。
 観光資源になるほどの大物は違います。
 案内板には
「俳聖松尾芭蕉翁は、1644(正保1)年に伊賀国柘植郷拝野の里(現在の三重県阿山郡伊賀町大字柘植町)松尾儀左衛門の二男として生まれました。翁を偲び毎年11月12日に松尾家の菩提寺である萬寿寺などにおいて、しぐれ忌が開催されます。また、伊賀町内には句碑や像の他に、生誕地の碑・生誕宅址碑等が建てられ、翁の遺徳を讃えています。」
 園内には有名な

「古里や 臍のをに泣く としのくれ」

という、芭蕉が親不孝を詫びて詠んだ句碑が建っていました。旅の途中で訃報を聞いたにも関わらず死に目にも会えず、葬儀に来れなかった。兄からこれが母が大事に持って居たお前の臍の緒だと渡されて泣いたというのである。

その後、伊賀IC近くのレストランで蕎麦を食べて温まりました。そろそろ時間と関ロッジへ向かいました。このところ数年は常宿みたいになりました。自炊ながら風呂、布団もある立派なお宿です。
 今日は新人2名も含めて15名もの盛会になりました。かつては旧人ばかりだったこともあり10名前後で推移してきました。もう1名の新人候補もいたのですがあいにく風邪でドタキャンになりました。鋤鍋を囲んで今年の反省や来年の抱負など語らいました。例年になく充実した忘年山行になりました。その一方では70歳代後半から80歳代の3名の古参会員の退会を聞かされたので喜びも半ばですが。