コスモス成年後見S/C総会2018年09月22日

 9/21,午後3時からのコスモス成年後見サポートセンター愛知県支部の総会に出席。創立時は100名を越えなんとする気分があったが、員数は82名という。昨年よりも13名退会、入会3名で10名減った。広報活動には3年前から支援していたが、地方は受任の成果があがり始めたが、特に名古屋市内の会員は受任がなく、会費を払い続けるのは困難ということである。
 議案はすべて異議なしで通過した。活動に何が足りないのだろう。個々の会員の営業努力は知れたものだから組織的な認知の努力ががまだまだ足りないと思われる。今後は出版活動、大規模セミナーなどを展開しながら2025年問題に対応することになる。
 総会後は近場のレストランで懇親会を開いた。和室の座席では、腰痛が完治せず、座布団3枚を重ねて座った。辛かったが、和気あいあいのうちに終わって良かった。年に1度は非公式な会合での交流が必須である。

関市へ仕事探しの旅2018年09月07日

 6日の午前中は朝早く、病院で半年に1回の検診を行った。血液検査から得られるデータは上限下限の範囲に入り、3月より好転した。まあ病気ではない、また病気になる徴候もないのだろう。一安心した。大病院での検診は半日仕事である。
 午後は岐阜県の関信金本店で行われるシニア人材交流会に向かった。1社だけだったが能力を発揮できそうな予感がしたので応募しておいた。最終の時間にセットされたが、午後1時30分に地道をドライブ。着いたら何と4時だった。平日でR41は渋滞が激しかった。
 R41から旧R248を経由し、関市内に入ると迷走したが、7/14に災害ボランティアで来た際の市役所のビルがランドマークになった。あの時は早朝で渋滞もなくスムーズに1時間程度で来れたが、今日は2時間半もかかった。
 関信金本店内で時間まで40分ほど待機。中濃地域の建設業の幹部と面談すること25分。余りにも短い。それでも予め経営課題のポイントから読み込んでおいた語彙を発して反応を見るとほとんど的確に返ってきた。打つ手は打っているし、やることはやっている。不作為はなさそうだ。
 何が問題なのか、結局は人事面の充実と直感した。つまりハードもソフトも一応は体制ができている。経営者の判断1つである。経験的に社員はみな面従腹背である。社員は会社のどこを見ているのか。
・倒産の恐れがない経営をする・・・社員が住宅ローンを組む際に見られるのは社員の信用(積立貯金、定期預金などの実績の有無)もさることながら、勤務先の信用である。
・能力主義、成果主義は後進を育てないで、自分の手柄をアピールするから日本には根付かない。中小企業には特に情実が必要である。
・地域で1番の企業にする目標の明確化が必須だろう。ライバルを意識して仕事のモチベーションを高める。
・対外的な仕事をする立場の社員には権限を付与する。銀行員でよく支店長代理という肩書きの名刺をいただくことがある。支店長ではないが、対外的に同等の権限を与えられているとのイメージである。すると、社員は会社に不利益になる判断はしないものである。
 システムもハードも大切だがそこに魂を吹き込むのは人間である。知識、技術だけではない人間力が問われている。
 面談の際には思い出せなかったが、トヨタの河合満氏は中卒の現場一筋であるが若手育成を見込まれて、豊田章男社長に専務そして副社長抜擢された。あの学歴偏重社会(名大閥)のトヨタにあってこの人事はサプライズであった。
 この2年間、面談会で10社以上対話してきたが、企業は人なり、ということを今ほど強く思ったことはない。中小企業も人を育てる視点が必須である。定年後の安い人材発掘というのならこの面談会は成功しないだろう。
 終了後は17時30分になった。夕飯には早いが、関の名物と言われるうなぎの名店に寄って食した。平日の早めの時刻でも6分の入りであるから人気店であろう。名古屋にも数多有るのにここまで来る人もいるらしい。
 何であれ商売もここまで成功したら面白い。遠くても足を運んでくれる行政書士事務所にしたいものである。

奥越・笹ヶ峰の長トコ谷敗退2018年08月13日

 8/11の朝6時にリーダーのWさん宅を出発。お盆休みの渋滞が始まっているので高速には入らず、地道で行く。木曽三川を渡り、関ヶ原、木之本を通過、栃の木峠越えで南越前町に入った。やがて広野ダムから廃村・大河内に着く。ここまではほとんど渋滞は無く、3時間で来れた。高速とそんなに違わない。
 さてここからどこまで行けるか。土砂の押し出しでやや傾斜面があったので、空車でも2300kgもある重量の重いマイカーがずるっと行く可能性がある。そこでマイカーの入山はストップ。徒歩で行く。
 いくばくもなく砂防ダムの手前の広場まで来れた。軽いクルマなら無難に走れるだろう。ここまでは実は整備されていたのだ。その先は草深い林道が続いていた。入渓地点まで歩いてみた。踏み跡があるので明日の偵察は終わった。先の整備された広場まで戻ると、大河内川を渡る橋があるので入って見た。入り口には笹ヶ峰登山口という消えそうな道標があって、ああ、これがロボットへの尾根コースの入り口であった。橋を渡ってみて偵察すると杉の幹に白っぽい紐が結んである。これが多分ロボットの尾根ルートであろう。予定では下山にとることになっている。
 入山情報の少なさに、湛水のはじまる二ツ家付近で車止め、そこから徒歩も覚悟していた。心配は解消した。
 まだ昼前なので今庄の宿まで行き、おろし蕎麦を食べた。久々に美味い本場の今庄のおろし蕎麦を味わう。また大河内に戻り、車の置いてあった出作り小屋の主人Y氏に声を掛けた。突然の珍客に驚かれたが、笹ヶ峰の登山に来たことを告げると気安く話に応じてくれた。
 大河内の村の歴史から笹ヶ峰一帯の山守をしていたこと、22歳まで村にいたこと、そして山が好きなこと。増永迪男氏の山の本の話もしていくらでも話が続き止まなかった。こちらも林道脇にテントを張って仮眠の予定もあり、離れがたくも話を打ち切って別れた。
 テント適地は特になく、林道脇に張った。近くを小川が流れて炊事が楽である。小さな焚火もした。こんな山なので蚊が多く、蚊取り線香を焚いた。
 8/12の朝4時起床、朝食をかきこむ。テントを片付けて出発すると5時30分になった。林道終点まで歩いて6時入渓。平凡な谷相であるが、周囲は落葉広葉樹に覆われている。ここも奥美濃の沢と同じ雰囲気を持った樹林の山旅の世界である。
 小さな滝を越え、直登のできない滝は左から巻いた。いくらもしないうちに滝谷と長トコ谷との出合に着く。滝谷を見送り、長トコ谷へ入る。うわっと見上げたのは魚止めの滝であった。10mくらいはあり滝壺に落ち、更に小さな滝で2段目の滝壺に落ちている。全体で70mとも言う。
 岩質は一枚岩が浸食されて後退したような滝で見事である。取り付くしまが無い気がする。
 Wは右岸の岩溝をたどって攻めた。そこもスラブの小さな溝になっているらしく高巻を試みるうちに滑落したという。幸い木の枝にスリングでビレイをとってあったので滝壺に落ちずには済んだという。
 いつもより時間がかかり過ぎており、岩場を様子見に攀じ登る。Wに近づけないこともないが、もし下降する場合は厄介だ。待つこと1時間も経過しただろうか。突然後退を告げて、ザイルが投げられた。それに確保して微妙なバランスの岩場を下りた。その後Wも下って来た。途中で岩のスリットにハーケンを1枚打ち、更に下降する。Wはハーケンを抜いて尻を滑らせて下って来た。高巻は困難な状況と知った。
 事前の調べてでは白崎重雄・前川宏隆『屛風山脈の旅ー越美県境稜線の山と渓谷を行く』(1978(昭和53)年)は左岸の高巻で突破している。左岸の方が傾斜が緩く、樹木も生えている。右岸は垂壁に近い。
 Wは高巻に大いにてこずって、続行のモチベーションを無くしてしまったようだ。何分、4週連続で計画が流れ、今日こそはという気が優り過ぎてしまったのだろう。体力や技術もあるのに気が優ると妙に同じ場所にこだわって時間を空費する。
 結果、敗退を決めた。
 しかし、このまま沢を下るよりは、次につなげるようにと、出合からロボットの尾根の722mを目指して北尾根を登った。少し人が歩いた跡はあり、ゴミもあった。激藪でもない。左へ滝上に下る踏み跡も捜しながらヤブ尾根を登った。上から眺める長トコ谷は緑のトンネルに覆われて、流れは見えない。
 懸垂下降2回で降りれそうな気がする。但し大高巻になるが・・・。Wは谷から離れるな、という主義なので首肯しないだろう。
 途中からシャクナゲがからまるようになり全力で登った。そこを過ぎるとしっかりした踏み跡が現れた。またコンクリートの小さな標石もあるし、なた目もある。標高700m付近の平らなところでロボットのコースに着いた。約1時間30分を費やした。
 そこで1時間ほど、涼しい風を楽しむように休んだ。その後、右ブナ等の落葉広葉樹の二次林、左は杉の植林の細道を下った。昨日の偵察の場所に出た。
 昨日の大河内のYさんの話では2年前に白谷の頭(約1000m)までコース整備をしたという。その先は武生山岳会がやったとか。ロボットまでなんとか今も行けるだろう。
 私自身は30歳代に2回GWに登っている。2回目は3人パーティでロボットにツエルトを張り、笹ヶ峰を往復、翌日は大河内山(から美濃俣丸?)を往復した。だから30年ぶりで再訪したのである。
 下山後、片付けてからまたYさんの小屋に寄って報告した。残念ながら敗退でした、と。
 いろいろ質問すると、722mの尾根の要旨を話すとあれは自分が付けた道だという。ロボットの尾根から北尾根の間に広がる山を売ったという。そのための山道の名残だった。天草山から五葉坂の間にも道を付けた。そこも売ったという。それで町で生活する資金を得たのだろう。五葉とは五葉松の意味で、北尾根にも五葉松が若干みつかった。壁小屋谷は岩壁が屹立するところがあると言う。大河内の生き字引みたいに知っていた。
 さて、再び挑戦することはあるだろうか。長トコ谷は遡行に値する気がする。何より、地名に興味がある。長トコは床であろう。滑を想像する。上杉喜寿『続 山々のルーツ』(1987(昭和62)年)には、笹ヶ峰の別称の焼小屋丸の焼小屋とはたたら製鉄の場所ではないかと想像する。Yさんはマンガン鉱山があったとも。しかも戦後のことらしい。鉱物が豊富なのだろう。
 私見では夏小屋丸の夏小屋とは夏になってから蕎麦を蒔いても収穫できるとの意味で木地師の小屋があったのではないか。長トコ谷から大倉谷を経て夏小屋谷になることからの推測である。大倉とは木地師に多い名前である。
 木地師の村には夏焼という地名が散見する。奥三河の稲武の夏焼、三重県松阪の夏明も同じ意味か。同書には大河内は木地師の村だったとの記述がある。これはYさんも認めている。Yさんの話では徳山村の枝郷という説が興味深い。徳山村自体が越前の国に属していたからだ。婚姻関係もあったらしい。下流から来て出来た村ではなかったのである。
 帰路、大河内を離れてすぐに、日露戦争出征の記念碑があった。地形図にも記載されている。まだあったのだ。Yさんの話では数名が出征し、戦死した人もいたらしい。昔は二ツ屋とは山越えでつながっていたから峠道を越える戦士を姿の消えるまで見送ったであろう。
 今庄の宿に戻った。暑い暑い。ドリンクを1本飲み干す。そして、また冷水仕立ての下ろし蕎麦を食べて同じ道を名古屋へ帰った。

日盛に読む青葉松事件の碑 拙作2018年08月08日

 連日の猛暑もちょっと一服の7日夕方、クラブ愛知のイベントで約20名が本丸御殿を見学。総桧造りの立派な御殿に時の権力者の財力を思う。この辺の事情は、林董一の『尾張藩漫筆』に詳しい。家康の肝いりで建立したから名城の誉れが高い。見学後は少し時間があったので、青葉松事件の記念碑にも立ち寄った。
 事件の真相は謎というのだが・・・。慶勝は江戸へ向う勢力をスムーズに通らせる役目を果たしたというのだ。これって、ロシア革命前夜の状況に酷似しているではないか。
 革命家・レーニンが列車でオーストリアからドイツを通過してロシアに行くのを妨害しなかったというのだ。ということはドイツにレーニンを通過させる勢力がいた。それはドイツ内のユダヤ金融資本か。欧州ではロシア革命はユダヤ・クーデターという見方が常識だという。ソ連はユダヤ人が支配した国家だった。
 薩摩・長州の軍が江戸へ下り易くなるように計らった慶勝とは何者だったのか。徳川幕府は自らを解体していった。慶喜と示し合わせたか。日本が欧州の植民地にならないようにするには徳川幕藩体制ではほころびがあり過ぎた。中央集権しかも立憲君主制で隙のない国家運営に目覚めていた。二人ともそれに気づいていたとしか思えない。
 アジアの植民地にされた国は、多民族、他宗教、多文化、他言語の国ばかり。タイと日本だけは植民地にならなかった。タイは仏教国として国がまとまっていたから植民地にならずに済んだ。
 
 その後金シャチ横丁の義直ゾーンで飲み放題食べ放題の暑気払い(懇親会)を開催。約40名が集まったとか。

焼酎をホッピーで割る愉しさよ2018年08月02日

 焼酎は夏の季語。
 今日の名古屋は気温39.6℃だったとか。
 朝から役所を回って相続に必要な戸籍謄本等を集めた。また別の役所で手続きの指導をうけながら進めている。
 なるだけ外の気温に当らないように地下鉄を利用するが、自宅から駅までは炎熱地獄のような暑さである。今日は昼に自宅に戻って1時間の昼寝をとった。
 魔法瓶に氷を詰めて、麦茶を注ぐ。行動中に度々飲む。さらに熱中症対策に、はちみつの携帯型のパックを持参していつでも舐めることにした。効能は素晴らしい食べ物である。

「はちみつには、各種有機酸や酵素、ビタミンBをはじめとしたビタミン類、アミノ酸20種類、ミネラル27種類、ポリフェノールなどの各種抗酸化物など、たっぷりの有効成分がからだに吸収されやすいかたちで含まれています。ビタミン、ミネラルの宝庫であると同時にすばやくエネルギー源となるのが特徴なので、はちみつは夏場の疲れや発汗の際のイオン飲料の材料として、まさに理想的であるといえます。」

 役所から丸の内の事務所入りするが冷房が効くまではサウナ室である。頭がぼっとして集中力ゼロ。アイスクリームを食べながら体を冷やす。遅々として進まない仕事であるが、それでも形は見えてきた。

 帰宅途中、駅まで歩くうちに焼き鳥屋に入った。以前にホッピーというビール系飲料で焼酎を割る飲み方を教えてもらったので、キンミヤ焼酎にホッピーを割る逸品を注文した。まずグラスにオンザロックの焼酎が入っている。そこへビールの小瓶に入ったホッピーを注ぐ。
 何とも不思議な味わいがある。焼酎の酔いにビールテイストの味わいである。この商品はここで初めて見た。色んな居酒屋に入ったが置いてなかったか、気が付かなかった。

 ググって見ると、結構古くから飲まれている。こっちが知らなかっただけであった。

https://www.nomooo.jp/blog/16343/
皆さんこんにちは。
皆さんはキンミヤ焼酎についてご存知でしょうか?大衆居酒屋にてカルト的な人気を誇る、下町焼酎のカリスマ的存在である「キンミヤ焼酎」。今回はそんなキンミヤ焼酎の魅力についてご紹介します。

キンミヤ焼酎は三重県の株式会社宮崎本店の甲類焼酎。クセのないスッキリとしたまろやかな味わいで、関東地方の下町居酒屋では割材として定番の焼酎となっています。添加物、増量剤などを全く使用していない甲類焼酎であるキンミヤ焼酎。クセはほとんどないのですが、ほんのりとした甘みも感じることが出来るので、そのままロックで飲んで頂いても美味しく頂けますよ。

 もうキンミヤ焼酎と言えばコレですよね。ビールの代用品として広まったホッピー。今では気軽にビールを飲めるようになりましたが、昔はビールと言えば、庶民にとっては高値の華だったのですね。氷とキンミヤ焼酎の入ったグラスにホッピーを勢い良く注いで、定番の味を楽しんじゃいましょう。
出典:キンミヤ焼酎×ホッピー

 キンミヤ焼酎に出会うと他の焼酎が飲めなくなります。居酒屋で飲むときも事前にキンミヤ焼酎があるかどうか確認してから行きます。無ければ行きません。他の焼酎では翌日頭が痛くなるし体調も狂います。添加物、増量剤の無いキンミヤ焼酎こそが本当の焼酎だと思います。もちろん、芋・麦等の焼酎は別です。甲乙分類して金宮は一番です。

 晩酌用としてホッピー白で割って飲んでます。キンミヤ焼酎+ホッピーを冷蔵庫で冷やし、ホッピージョッキを冷凍庫で冷やしておきます。キンミヤ焼酎をジョッキの☆2まで入れ、一気にホッピーを注ぎいれます。キンミヤ焼酎はホッピーとの相性が良く、ホッピーの味を損ねないのでお奨めです。また、飲みすぎた朝でも頭痛や吐き気などが無く、目覚めもスッキリです。なので、ついつい飲みすぎてしまいます。
 以上。焼き鳥7品、皮ポンとキンミヤ焼酎のホッピー割を〆て2300円でした。これは愉しい飲み物です。ハイボールとかチューハイは口当たりが良すぎてぐいぐい飲んでしまうが、ホッピー割は水っぽくないからいい。

大白木山の沢を溯る2018年06月18日

 山岳会の例会で出された大白木山(おじろぎやま)の沢登りの計画に参加した。今年はこれで2回目になる。
 前夜の6/16(土)8時、集合場所で合流。スーパーで夜食と行動食を仕入れた。同行者が最近はスマホのナビを活用し出した。頭の中にはすでに道筋が入っているが、ナビは意外にも、岐阜羽島ICを経由する。東海北陸道・美濃IC経由尾並坂越えより、ナビの方が早かった。美濃市までの市街地を一気に高速で時間稼ぎするより、地道だけでそんなに早く行けるものか、ナビに従ってみた。
 名古屋市内からR22を走り一宮ICから名神高速を岐阜羽島まで走る。ICを出てからは複雑な指示に従った。夜道なので全く地理勘が働かない。県道46、県道18と走り、長良川を渡ると、揖斐川の手前で県道220に右折。これは揖斐川左岸道路で、本巣市役所付近で、根尾川左岸にそのままつながって、県道92になるが、木知原でR157に合流するまでは、 北進するのみであった。根尾川左岸の堤防道路は狭く、ガードレールもなく、怖かったが、対向車がなく、かなり早く走れたのは幸いだった。
 R157からは勝手知ったる道で上大須ダムまで走り、ダム湖畔まで行く。夜11時半、約100kmで2時間余りかかった。が、土砂崩れで園地までは行けない。照明のあるトイレと東屋で仮泊の予定だったがしばらく右往左往した後、ダム近くの東屋に落ち着いた。
 6/17(日)朝食後6時に出発、折越林道を走る。標高点542m地点の大栃の傍らのPに駐車。大白木山に突き上げる越波谷(おっぱだに)の源流である。
 事前の調べで、大白木山 沢登りでググると、ブログ「山へ行きたい」の2012年6月23日記録がヒット、何年か前に三段滝遊歩道が開通したらしい。
 7時15分出発。10分ほど歩道を歩くと終点で、沢を渡った先に三段滝があった。岩盤を削ったような溝が3段になり、見事な滝がかかる。記録は右岸の土壁を攀じて1170mへ遡行している。
https://blogs.yahoo.co.jp/two2106_hira/30795220.html
 私どもは、本流に戻って、7時40分、遡行を開始。小さな滝をいくつも越えて行く。
 この谷は栃の大木が多い。栃の実は栗よりも一回り大きい。しかし、食用とするには渋をとる必要があり、手間暇がかかる。それでも各地に栃の地名が多いのは貴重な食料として大切にされたからだろう。
     山人に愛され栃の夏木立   拙作
 最初にして最後の核心部に来た。ゴルジュにかかる約15mくらい。直登は無理で、右岸から高巻。急斜面を木の枝を掴みながら攀じる。滝上のポイントへトラバースして、懸垂下降。30mのロープで5m余裕があったから25mほどか。
 ここからも小さな滝はあるが問題はなく突破。雨が少ないのか、否、そんなことはない。多分浸透してしまうのだろう。全体に苔むしている。地形図にある林道と交差して、現在位置をチエック。
 その後は一段と水量が減って荒れた登山道を歩くような感覚だ。荒れているのは一度は伐採されたからだろう。錆びたワイヤーロープが捨てられていた。周囲には杉の植林を確認した。谷が枯れたのは、根の浅い杉を植えたからだ。ブナ、ミズナラのような落葉広葉樹は根張りが広く保水力がある。
 完全に伏流しているかと思えばまた流れが復活するが、ついに水が絶えた。1000m付近から土の溝になり、傾斜が増した。沢筋に蕗や大きなヤブレガサが繁茂している。不思議な植物環境である。
 1100m付近から斜面が立ってきて、土の溝を登るのが困難になり、沢一筋にこだわるリーダーがいよいよ尾根に転じる時と判断。樹林帯の山腹に入り、木の枝、根っこにつかまりながら、喘ぐと呼吸を整えながら高度を上げた。12時55分、登山道に出た。ハイウェイのように見えた。5分ほどで山頂だった。
 リーダーのWさんは「ぎふ百山」を山スキーか沢登りのバリにこだわって踏破することを狙っている。この山で又1つ踏破できた。私は完登したがバリで踏破するならと2順目を同行する。隣の高屋山も谷から登った。以下の山名の(* )内はWさんの履歴である。*は同行した印。
 1234.5mの並びのよい三角点が埋まる。今年は能郷白山の開山1300年にあたるとかで、この山も本巣7山の1つと言う。それをアピールする幟が山頂標にくくられている。
http://www.motosukankou.gr.jp/01_event/01_02_05.html
 高曇りで遠望は無かった。2基の反射板のある広場から山岳同定を楽しんだ。沢の中から見た根尾富士(福井の中の谷から踏破*)も良かった。美しいコニーデ型の屛風山には癒された。山頂から眺める根尾富士はまた格別である。ほぼ真北に位置する。さらにその背後には重なって荒島岳(ナルサコから踏破*)が見えた。白山、別山は雲の中に隠れている。
 更に目を凝らし、記憶をたどると、越美国境の平家岳(日の谷から踏破)、滝波山(残雪期に踏破)、手前の左門岳(銚子洞から踏破*)、対岸のドウの天井、反射板の建つ日永岳(西ヶ洞から踏破*)が見えた。少し位置を変えて、山頂から南東に高賀山(北の沢*)も確認。能郷白山は樹林に隠れた。梅雨時の条件下では最高の展望に満足した。
 充分な山頂滞在を満喫。下山を開始。つい最近まで、廃道に近かった登山道は整備されて歩きやすかった。登山道の脇には、この山を特長づけるヤマボウシの花が盛りである。最初はハナミズキと見たのですが、時間を置いて、正しい名前を思い出した。同じ仲間だから当然である。
 登山道を下って、南東に舟伏山(初鹿谷から踏破*)を確認した。あれも「ぎふ百山」の1座だ。
 以前、荒れていた部分の植林帯はきれいに整備された。杉の倒木の切り口には2018.4.22と書かれていた。篤志家の伐採日かな。これから登る人に出会った。立ち話すると登りがきつかったとか。一旦下って登り返すと反射板への分岐(1050m)に着いた。新しい道標が設置されていた。右へ行ってみたが、何も展望は無い。反射板があるから眺めが保証されているわけではなかった。
 後は折越峠に向ってどんどん高度を下げた。根上がりの桧にも案内板があった。篤志家らの仕事だろう。816mを過ぎて、峠に近付いた。急な斜面をジグザグで下る。折越林道を歩いて542mまで行く。疲れた足には少しこたえる。
 Pに戻った。汗とヤブをこいだ際の埃で汚れた体を水で拭いた。蛭やダニもチエックしたが何もなかった。帰路は廃村・越波から廃村・黒津をめぐりR157から能郷へ走った。
 道草ついでに源屋で川魚料理を楽しんだ。一番安い定食でも、鮎塩焼き2尾、あまごの甘露煮1尾、味噌汁、デザート、漬物、等盛りだくさんのごちそうだ。季節のものの鮎に舌鼓を打つ。これで2480円。食後は白山神社へ戻って休んだ。今年も猿楽が奉能されたであろう。
 後は来た道を戻った。

総会もこれが最後や五月尽2018年05月31日

 今日は午後から愛知県行政書士会の総会だ。12時から受付なので10時30分過ぎに自宅を出た。窓からは降っていないように見えて折り畳み傘を用意したが、階下に来ると降っているではないか。戻って大きめの傘に取り換えた。
 地下鉄・御器所で乗り換え、国際センター前で下車。すぐに会場のプラザホテルに着く。大勢の人でにぎわっていた。受付を済ますと知己の先生らとしばし懇談。
 13時になり総会に入った。来賓入場、大村知事のあいさつ、会長のあいさつが続き、式次第が消化された。議案の審議に入る前に約3000名近い会員に対して出席者は200名以上、委任状を含めて総会の成立が宣言された。今回はいつも以上に質問が多かった。議事進行の動議がなされたが、何とか無事に終わった。続いて政治連盟も同様の審議に入ったが特別紛糾することはなかった。
 先週は自宅のマンションの管理組合の総会が流会したこともあり、そういうこともあるのだと緊張する場面もあった。管理組合の審議は山積で、愛知会の質問書を管理組合用にカスタマイズして理事長に提案しておいた。老朽マンションは今後多くの問題を抱えて紛糾するだろう。

 愛知会の方も会員増に対して仕事が奪い合いになるので、新たな業種を開拓せねばならない。
 カレー店、牛丼店、回転すし、ラーメンと餃子の店も繁盛店から廃業寸前までピンキリであるように、市場が飽和状態にあっても何とか知恵で切り抜けて行くしかない。
 弁護士業界も今や3万人と聞くし、7万人超の税理士業界は産業界が経営承継問題で廃業が現実化。顧問先を失う展望に改革を迫られている。食える士業でも大変であろう。

 行政書士業界は5万人に迫る。愛知会だけでも3000人突破は目前である。社会の変化に対応することが求められている。他の国家資格と組み合わせで業務拡大の先生もいる。
1 プラス社会保険労務士で企業の労務に専門化
2 プラス社会保険労務士と取次行政書士で入管に専門化
3 プラス税理士で相続・遺言書に特化
4 プラス土地家屋調査士で不動産関連に専門家
5 プラス司法書士で相続・遺言書を含める
6 公務員からの転身組(事務系公務員は17年以上で無試験で登録できる)では、
・警察畑・・・交通事故、風俗関係、自動車関係
・事務畑・・・相続・遺言書、許認可
7 その他、会社員、自営業など非常に多彩な経歴の持ち主が多い。
それぞれのキャリアと人脈を生かして「棲み分け」ている。

 総会終了後はお決まりの懇親会になった。御馳走をしっかりいただき、美酒を飲ませてもらった。周囲は見知らぬ若い人だらけになった。段々知己が減って行くような気がする。
 あとどれだけ頑張れるか。今も仕事がゼロではない。建設業許可取得に支援をした関与先から電話で今年も事業年度更新を依頼された。明日から着手する。成年後見人の仕事も本人が亡くなるまで続く。中途で降りるわけにはいかない。そこが解雇されたらゼロの会社員とは違う。
 梅雨のはしりのような1日が終わって家路についた。4月から続いた総会ラッシュも7回目の今日で終わった。まだあるが東京なので委任状で済ませた。

ニギスの塩焼き2018年04月24日

 スーパーの鮮魚売り場でワンパック1000円(11尾入)のニギスが250円にプライスダウンして売られていた。即買った。今夜はすぐに塩を振って塩焼きだ。水っぽい魚なので本当は干物にしたい。
 どこの産かは表示がなかった。多分三河湾だろう。本当は日本海産が旨いのだが・・・。この時期も旬の魚と云う。

 「旬の食材百科」
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fish/nigisu.htm
「ニギスは比較的一年を通して味にばらつきがあまりなく美味しい魚だが、春先に一気に大量に発生するオキアミをたくさん食べ、5月頃に脂がのる。この脂がのったニギスが獲れるのは5月と9月頃で、その頃がもっともニギスが美味しい旬の時期と言える。」

 かつて福井県の登山の帰り、地元のスーパーに寄って、地物の魚を物色していて、メギスの素焼きを買い、自宅で焼いて食べたら旨かった。その後名古屋のスーパーでもメギスを買うがまだあれ以上の味のものはない。時期は多分秋だったと思う。寒くなって脂が乗って旨みがでるのだろう。

金シャチ横丁で会食!2018年04月20日

 昨夜は世話になった人が定年退職するというので、金シャチ横丁の宗春ゾーンのポークレストラン「岳家」で会食した。丸の内の事務所から徒歩15分くらいで着いた。約束の18時30分までにはまだ時間があったのでちょっと散策した。美しい石垣に囲まれた空堀は雑草が茂り緑一色に染まった。藤棚のある歩道も藤の花盛りである。藤の花は短いが更に短い種類だという。時間がきたので開場へ。会食の話題はさまざまに飛んだ。違った世界に住む人の話は面白いものだった。出された豚の料理は美味であった。

身にしみる桜鯛なる潮汁 拙作2018年04月07日

 もう葉桜になった。それでも天白川沿いの桜並木のぼんぼりに点灯された。だれも通らない寂しい緑道である。蕪村と同時代の俳人・加舎白雄の句をふっと思い浮かべる。

     人恋し灯ともしころをさくら散る

人口に膾炙した俳句である。

 さて、今日は激安スーパーをのぞくと愛媛県産の真鯛のあらが見つかったので求めた。4パックくらいはあった。鯛の刺身も良いが、今夜も鯛の潮汁である。
 3/21以来である。まず下ごしらえで塩を振り、少し置く。鍋に霜降り用のお湯を沸かしておく。別の鍋には昆布を適宜用意して浸しておく。
 熱湯が沸いたらあらを掃除する。血あいは古い歯ブラシで落とす。これが生臭みのもとらしいので丁寧に落とす。昆布の入った鍋も点火。洗ったあらを入れて煮上がるのを待つ。
 結構なあくが出るので掬っては捨てる。火が通ったところで醤油を落とし味を調える。昆布と鯛の上品な出しが効いているので塩味は少なくても美味しい。体にしみわたる美味しさである。

 ところで鯛は季題になるらしい。歳時記には「桜の咲くころ産卵のために内海や沿岸に来集する真鯛のこと。産卵期を迎えて桜色の婚姻色に染まることと、桜の咲く時期に集まることから桜鯛という。」通りであらのパックも多かったのだ。