みよし市周辺をポタリング2017年09月09日

 昨日は八事アルプス越え2回で大腿筋に少し負荷がかかったせいか、特に体を動かす意欲はなかった。愛知牧場のログテラスのグラタンを食べにいく目的で出発した。遅い昼食ついでである。
 いつもの天白川沿いに遡上する。思ったよりも稲は色づいてはいない。というか早稲はもう刈り取られたのだろう。刈り取った後に焦げた跡がある。
 ログテラスは約10kmだがすぐに着いた感じがするのは慣れもある。グラタンは牧場の新鮮な牛乳をつかうせいか、濃厚で美味しい。体にしみわたる気がするのは若干運動後もあろうか。
 十分な食後の休憩の後、黒笹山界隈をポタリングするが、何もなく、下ると県道54号に出た。刑務所の三角点を目指してもいいが、かなりのギャップを敬遠して浅い谷間を走り、この前見逃した福谷の御嶽神社を目指す。やはり道標など何もないので近くの婆さんに聞くが、行ってみると民家になるので不審者扱いされてもいやなので引き返した。
 結局、県道54号の新道をからめたり、民家を抜けたり迷走して県道231号に出て日進市に戻った。後は来た道をほぼ辿って帰宅する。

小泉武夫『猟師の肉は腐らない』を読む2017年08月25日

 書店をのぞいてふと見つけた新潮文庫である。2014年に単行本が出て2017年4月に文庫化された。日経新聞連載で知った『食あれば楽あり』は読んだ。この本も文庫化された。掲載の本は最初は発酵学の蘊蓄を傾けたエッセイかと思ったが何と小説であった。この著者は小説も手がけているんだ。
 山岳文学というと深田久弥、新田次郎、田中澄江辺りが有名だ。山に登ったり下ったりで中々文学にはなりにくい。新田文学はなんでも気象学に収れんされてしまうので飽きた。
 さて、お得意の発酵学からはどんな文学を?
 舞台の設定の八溝山地というのが気になっていた。以前から八溝山には登山したいと思っていた。そこを舞台にどんな物語を展開しているのか興味津々で読み進めた。 
 登場人物は八溝山地に生れの猟師の義っしゃんと猟犬のクマ1頭、それに小泉さん自身らしい東京の先生である。一人称である。
 とにかく出てくるのは山暮らしの猟師の創り出す食べ物がテーマであった。実は私も農家の生まれなので子供時分から蜂の子、川魚などは自分で捕って食べていた。鶏も飼い、年末、葬儀などのイベントがあれば1羽つぶしたものだった。うなぎも祖父に連れられて仕掛けに行った。大きなミミズを隣家の畑に断ってとり集め、それをすぐに仕掛けて川に沈めた。朝4時ころ、子供の時分にはそんな早起きはできず、祖父が回収に行き、何匹か仕掛けに入っていた。それをためてひと夏に何度か天然ウナギを食したものである。
 そんな田舎暮らしの食い物のネタがいっぱい詰め込まれた「小説」だから楽しく読み、またサバイバルなどと声高に云わなくとも自然の中でカネ要らずのグルメを堪能する夢や可能性を抱かせるのである。
 実際、読んでいる最中に買い置きした豚肉の調理を思いついた。猪肉の燻製とまではいかないが、豚肉に天然塩を振り、おろしにんにくを合わせた。しばらく置くと水分がしみ出して、終わったころで天火で焼くと実にやわらかくおいしい味になった。燻製ならなお美味であろう。マンション暮らしでは煙は御法度なのである。
 水郡線の矢祭山駅で降車する件までは事実であろう。その先からフィクションの小泉発酵学ワールドの世界に入る。
 先生が山奥に住む義っしゃんへの手土産に背負うものとしては
1 粕取焼酎・・・いまだ飲んだことがない。アマゾンでぐぐると高いがワンクリックで買える。
2 飛魚のくさや・・・これも未食である。ただし、飛魚のだしは、冷麦、ソーメンの汁として、何種類かアマゾンで買った。スーパーの有名メーカーの均一で甘めの出しには飽きがきているからだ。
 飛魚の出しを使ったら抜群にうまい。焼そばや卵焼きの出しにも使っている。ペットボトルの残り少なくなって見えてきた飛魚はカレーの隠し味にする予定だ。
 とこれだけだが義っしゃんの大好物なのだ。
 一方で文中の山のメニューに素材は
1 赤蛙
2 岩魚  甘露煮、燻製
3 山女
4 鮠
5 蝮
・・・・これは血を飲む。焼酎に漬け、まむし酒にすることもあるようだ。三重県の田舎の叔父はマムシを見つけると捕まえて首をはね、生き血を飲んだ。但し、昨今の農山村では田畑や農道にも農薬をまく。それに汚染された蛙、蜥蜴などの小動物を蛇が飲み込むと食物連鎖で、農薬の濃度が高くなる。そのマムシ酒を飲んだ息子が急死、そんなはずはないと老父が試飲したらやはり死んだニュースが奥三河であった。今は注意が要る。
6 縞蛇
7 鶫
8 山鳩
9 鶉
10 猪肉の燻製
・・・愛知県足助町の山奥では今でも猪が大活躍するらしい。この前行った山の伊熊神社の麓の山家では2日に1回は巡回してくるそうだ。そこで罠を仕掛けてある。捕獲すると埋設するとか。足助町ではジビエとして「山恵」なる解体会社をつくって猪肉の販売に乗り出した。私も購入したことがある。そんなに美味いものならここでも燻製を売ってくれないだろうか。
11 じゃがいもとニンジン
12 キューリ、トマト、
13 蝗 佃煮
14 地蜂の子の甘煮、炊き込みご飯
・・・・これは奥三河や東濃の山村で食える。先だって、新城市のゆーゆーアリーナの食堂のメニューにもあった。須山御嶽山に行く際、地蜂の採集禁止の警告板を見た。いまや、珍味ゆえに希少性のある財産になった。
15 野兎
16 納豆
17 山ブドウとあけび
18 どじょうの蒲焼・・・・これは豊橋の松葉公園の近くの小さなうなぎ屋で食えたが今もあるかな。うなぎ養殖の池にどじょうを放しておく。うなぎよりあっさりした味でしかも安かったからちょくちょく食べた。蒲焼、柳川鍋ともに美味かった。
19 かぶと虫の蛹・・・これもクヌギの丸太を割った際に蛹(白っぽい幼虫)が出てきた。祖父の話で焼いて食った記憶がある。ヘコキムシ、クワガタムシ、カミキリムシもある。
20 山羊の乳・・・・日進市の田園地帯をポタリングしたていたら、山羊を飼っている家を発見した。都市近郊ではいまどき珍しい。富山県立山町の道の駅みたいな土産物センターでも山羊を飼い、山羊の乳のソフトクリームを売っている。
21 その他の植物の根や実の話
以上は第1部の長閑なること宇宙のごとしに出てきた食味である。梅雨明け近い、というから7月初旬の八溝の夏の四泊五日の山暮らし体験記であった。
 第2部は八溝の初冬の候である。あれから2年5ヶ月後の12月初旬、三泊四日の山暮らしに出かける。そこの食生活は如何。今度も粕取焼酎は無論、魚の缶詰、くさや、カレールー、塩鮭、を持参。
1 猪肉の味噌漬け
2 渓流魚のカレー・・・イセエビのカレーは聞いたことがある。魚は出しが良く出るのでカレーには良い。鮎が安くなれば鮎カレーを作るか。鮎をカラカラに焼いて出しにすると美味いかもしれない。鮪缶、アサリ缶、鮭缶などのストックは欠かさない。

 さて、あれだけの食材をあてに飲んでは食い、食っては飲んでいる場面ばかりである。しかし、それではいくら発酵学の蘊蓄が盛りだくさんでも物語性がない。
 事実上は猟師の山暮らしなので猟犬の「クマ」の話と猟銃の村田銃の話も出てくる。なかでも「クマ」は高安犬と秋田犬のハイブリッド(優性遺伝)の設定になっている。 
 ここまで読んではたと思い出したのは戸川幸夫『高安犬物語』(新潮文庫)の本だった。動物文学の嚆矢とされる名作である。作者は直木賞も受賞した。この小説は高安犬物語、熊犬物語、北へ帰るなど5編の中短編からなり、1から3編が高安犬がテーマになっている。
 熊犬物語には希少種であり、秋田またぎ犬と掛け合わす話がでてくる。また病気で手術する話もあり、もちろん村田銃の話も出てくる。小泉氏もこの本を下敷きにしているな、と感じさせる。この知識の挿入が本書を発酵学の蘊蓄を傾けた食道楽三昧に堕落させないスパイスの役目になっている。

 ただし、時代の設定が不明な点が消化不良を起こしている。というのも早川孝太郎全集Ⅳの「常陸八溝山麓の狩詞」に語彙がまとめられている。前文のみ引用してみよう。

<太子町を立ちて八溝山麓黒沢村に一泊、翌日は矢祭山を見、国境を踰え磐城の平原に入る。水の流れ依然南に向うが不思議なり。あたかも秋の盛りにて遥かにみる東白川郡の山々一様に染まり、低き丘の次々に続きし様印象深し。東館に一泊、翌朝立ちて塙に向う。徒に家のみ大なる者並びたり。知る人も無く町を一巡して、またもや道を田に出で、そこに働く人をとらえてモンペの話を聞く。モンペは近年の輸入なり。
塙、花輪、鼻輪。阿武隈川のほとり武隈の塙の松。
有名なる賽の神。
磐城の塙も似た地形なり。秋田県と岩手の境の花輪、これも同じ地形なり。山形県にもあり。喬木村に稲荷神社あり。そこの祭特色あり。人の名もききたれどついにたずね行かず終わりたり。著者の欄外書き込み>

八溝山   茨城、栃木、福島の三県に跨り、久慈郡の北端を占める常磐一の高山である。頂上に八溝神社を祀り、代々の神主を磯神の高階氏と言って、遠く紀伊の鈴木氏の末である。ここ三、四〇年前までは、附近一帯に猪鹿が多かったので、今の黒沢村のうち、蛇穴、磯神、上の宮、上郷等部落はほとんど狩を渡世にしていたのである。現今では猪はほとんど影を絶ち、僅少の鹿が頂上付近に棲息するというが、それもあるいは疑問とするくらいである。したがって狩りの生計は跡を絶って、狩詞ばかりがわずかに遺っている。
以上
 昭和3年11月「民族」に初出した文の時点でさえ、狩はもう廃れていたのだった。したがって小説が成立するのは少なくとも大正時代以前というのが私の推測である。
 文中の住所には東白川郡矢祭町とある。これは昭和38年に合併後の地名だ。
 水郡線が開通したのは明治30年であるから結構早い。矢祭山駅は昭和12年3月開業である。
 アマゾンの本書のコメント欄にはかすみ網猟禁止とか現代の基準からみて違法性を指摘する。鳥獣保護法は明治初期から制定されているが、かすみ網の禁止そのものは1947年以後である。
 時代考証するととてもでたらめの小説と突っ込まれている。私もそう思う。しかし、ここは小泉発酵学の蘊蓄を吐露する場所として八溝山が選ばれたのだ。小説たるゆえんである。読後感としては悪くないのである。

根の上高原の保古山、餅穴、血洗の三角点を訪ねる!2017年08月13日

 朝7時、会員2名を同乗して、金山駅前を出発。今日は東濃の根の上高原の三角点探しを名目に避暑ドライブとなった。
 8時50分ころ、根の上高原に着く。あいにくの曇天にがっかりするが、まずは保古山を目指す。池の周辺道路をのろのろ走る。秋はさぞや紅葉がきれいだろうと思わせる落葉樹の林の中を走る。林道の状況がよろしくて山頂まで着いてしまった。直下に車を止めて三角点がありそうな場所へ行くと2等三角点があった。北の方は青空も見えたが見晴らしはゼロ。
 戻って、林道分岐のところにあった展望台の看板に従う。車を置き、約200mゆったりと歩く。笹が刈ってあり歩きやすい。鉄骨製の展望台にはすぐに着いたが何も見えず。続いて本命の3等三角点の餅穴を探しながら笹藪の高原を歩く。直感的には高見を目指すが何も手がかりはなかったので、根の上体育館に通じる別の道を下って車に戻った。過日の下見のおかげである。
 さらに、R363まで走り、旧キャンプ場の中にある3等三角点の血洗を目指す。車はゲートがあるため、入口に置き、ゲートの横から車道に入る。登りきった辺りから左へ細道が登っている。それを辿るとすぐに三角点が埋まっていた。これで2つ目をゲットした。
 餅穴が気になるが、国民宿舎恵那山荘へ行ってコーヒーを注文。水が良いせいか、コーヒーの味が美味しい。スタッフに根の上高原のウォーキングマップをコピーしてもらう。地形図をベースに地元ならでは地名や施設名、建物名などを表現してある。これに935.8mの三角点の位置も判明したので参考になる。
 先程は下山に使った林道を逆に登って、根の上体育館の近くに車を置いた。登り返すと地図と首っ引きで地形の特徴を把握に努めた。等高線が大きくゆるみ、その北が急な斜面になるところまで下った。すると桧の植林の中なのにぽっかりと空間があり、薄が生えているところがあった。メンバーがそこじゃないかと指摘するので探すと笹に埋もれた三角点を見出した。標柱には漂泊したテープが巻いてあり、好事家が来ていることを示す。
 どの山もほぼ10分以内でゲットした。帰路は中津川市の車屋の蕎麦でしめた。

 それにしても餅穴は珍名だ。福井県大野市には持穴がある。岐阜県には鼠餅(ねずもち)の地名がある。笠ヶ岳に突き上げる穴毛谷なる地名もある。血洗は下流の血洗池に由来することは違いない。
 ところで、餅穴でぐぐると
http://www.windsnet.ne.jp/column_n/colum.php?day=20170314812
がヒットした。以下に引用すると
 「今のところ、郡上で「餅穴」は那比でしか確認していない。小字として二、通称地名として一、「焼-餅穴(やき-もちあな)」と句の一部として使われる例が一、計四か所である。まだその内、一か所しか踏査していない。これに関わる伝承や、民話などは聞こえてこない。
 四か所もあるわけだから、面白半分につけられたはずはないので、ほとほと困った。
 そこで、けっこう前から福井県和泉村にあった「持穴村」との関連を考えてきたが、なかなか繋がらない。
 また岐阜県の中津川にも「餅穴」という字があるものの、大蛇の住む穴へ餅を供えるというような話になっており、那比の分布と符合しないように思われる。というようなわけで、糸口すら掴めず月日が経ってしまった。
 この間、友人に那比四か所のうち通称地名で「餅穴」と呼ばれるところへ案内してもらった。全体として大きく窪んだ地形になっており、周囲の一部にうず高く割石が積み上げられていた。中に赤茶けた石があり、薄い褐鉄鉱らしきものが付着しているだけなので確信を持てないけれども、これに着目すれば製鉄と関連するかなあという印象がある。褐鉄鉱の良質な部分をとった後の欠片とすれば、タタラの遺跡かもしれない。
 それからもう一つ。五六十年ほど前、餅穴の川向いに水路を掘るため発破した時にけっこう黄銅鉱が出たそうである。岩盤が続いているようなので、この穴は黄銅鉱を露天で掘り、石を細かく割った残骸を積み上げた結果と考えれば、つじつまが合うような気がしてきた。この場合、「餅穴」の「餅」は銅ないし鉄が溶けたもの。「穴」には解釈が二つあり、一つは鉱物を掘った穴、一つは炉としての穴である。」
以上
 郡上に点在しているのだから普遍性はあるのだろう。
 もうひとつ粘って、鏡味完二・鏡味明克の『地名の語源』を引くと、モチには
(1)菱餅形の土地
(2)小さい盆地、谷
(3)平坦地
 地名の例が紹介してあり、北海道以外の全国に分布とある。
 展望台から三角点一帯は等高線がゆるみ、(3)の平坦地であることは確かである。
 三河の宇連山の別称のガンゾモチフデはガンゾ(設楽町誌の絵図ではガンドゥ)は鋸歯の意味。これは何本かある岩脈をイメージする。
 モチフデが分からなかった。川合国有林の看板の地名にはモチフデの記載があった。モチは平坦地というなら棚山の地形に合う。フデは筆で土地の単位であるがしっくりしない。

カスピ海ヨーグルトを食べにポタリング2017年08月01日

 今日も暑そうな予感がする。6時35分、自転車にまたがる。一路、日進市の田園ロードへ。風を切ると少しは涼しい。
 5月の田植時は
   まほろばや日進の田に余り苗    拙作
と詠んだのに早いイネはもう頭を垂れている。コシヒカリは早いそうだが・・・。他のイネはまだまっすぐに伸びるに任せている。田によっては雑草が混じって生えている。農薬の量の違いだろうか。ケリやアオサギ、シロサギが田の中に見える。
 蟹甲町から米野木町へも田園地帯を突き抜ける。県道75を経て田園地帯を走ると東名高速道路につきあたる。トンネルをくぐり県道58と交差し、突っ切ると地道になった。天白川があって向こう岸へ渡れず、迂回する。三本木の交差点からの2車線の良い道に合流したので右折してみた。
 地形図でチエックすると標高75mくらいから100mまでの長い上り坂をギヤチェンジしながら耐える。一段上がってまた登ると今度は急カーブを伴いながら下る。するとまた東名高速にぶつかる。手前で左折すると愛知牧場だ。ゆるい上り坂を凌ぐと途中東郷PAにも入れる。喫茶店として利用可能であろう。後は下る一方で牧場入り口からトンネルをくぐるとログテラスへ。7時半前に到着。開店は8時なので愛知池の管理道路に入り一周した。戻ってくると8時ジャスト。入り口には同年代のサイクリスト2人と親子4人が開店を待機していた。
 モーニングコーヒーとセットを注文。これで3回目。聴くとねばねばのヨーグルトはカスピ海ヨーグルトというんだとか。濃厚なミルクのスープもうまい。飲むより食べる感じのとろみがある。汗をかいた後の体には塩味がうま味になる。トースト半切れ2枚、ゆで卵、ミニサラダ、コーヒーで550円也。
 帰路は東名高速沿いの道を探しながら走った。県道58は朝6時台でも交通量が多い。トヨタ系の企業は8時か8時半始業なので下請けも含めるとかなり朝早くから車が多い感じだ。東名高速の側道は両側にあるが北側を走った。やや上り坂をこなすと後は下る一方になった。愛知東邦大学日進グラウンドを経て愛知用水にぶつかる。右へ用水の管理道路をいくと橋があり渡る。天白川にぶつかるが橋は東名の南側になる。トンネルをくぐって一般車道に合流。後は東名沿いに走り、米野木から日進市の田園地帯を駆け抜けた。気持のよい道である。次の機会には黒笹駅に近い黒笹山130mの3等三角点に寄るのも面白い。

能褒野神社、加佐登神社、長瀬神社、椿大社へドライブ2017年07月30日

加佐登神社
 午前5時30分出発。県道59号、36号、R23と走って、四日市市からR1に入り、亀山市を目指す。鈴鹿市まで来ると、どんよりした曇り空が頭上を覆い、降り出しそうだ。伊勢湾からの水蒸気を含んだ黒い雲が流れていく。あれが鈴鹿山脈にぶつかると上昇気流となって上空の冷たい空気に触れて雨になる。急激だと雷雲になる。案の定、ものすごいスコールのような雨が降り出した。
 亀山市の能褒野神社(のぼの)を目指す。一帯は水田地帯で今は緑一色である。晴れておれば鈴鹿山脈が背後に美しいだろう。その景色を眺めて、
    ”大和は 国のまほろば たたなづく 
          青垣山ごもれる 大和し 美し”
と詠まれた。大和し、のしは強調であるから死を覚悟しての望郷の御歌であろう。
 安楽橋を渡ってすぐの右折の信号をやり過ごしたので1つ先の信号から地道に入り、R306から県道637へ右折。御幣川にかかる白鳥橋を渡ると名越の交差点で右折。少し大回りしたが目的地に着いた。午前7時30分。約63km。
 日本武尊は東征の後、伊吹山の荒神を退治するために向かうが言挙げして、怒りを買い、大氷雨を降らされて痛手を負った。醒ヶ井で傷を癒すが体力を消耗させる。今でいう低体温症か。四日市市を経て、大和へ帰る途上、ここ能褒野で崩御したという。
 Pと公衆トイレが完備している。小雨の中、傘を手に薄暗い樹林の中の小道を登る。とにかく高いところへ行くと奥に神社が見えたので参拝した。御手洗い場は水道で且つアルミのひしゃくだった。社殿は地味なたたずまいだった。しかし、古墳が分からない。一旦、車道へ出て、改めて絵図で確認した。再度、小道を行き、左折する。墳墓の周囲は柵が設けられている。やや下った辺りに墳墓への階段があった。立ち入り禁止の札が宮内庁の名で表示してあった。墳墓の周囲の小道をめぐると元のPへ帰れた。
 次は加佐登神社である。県道637、県道27を行くと、駐在所の信号を左折。椎山川をせき止めた調整池が白鳥湖といい、神社へは椎山川にかかる白鳥橋を渡る。マイカーを置き、長い石段を登ると小広い境内の奥に社殿が鎮座していた。
 社殿の屋根は反りを抑え、低めに見える。鰹木や千木もなく、威圧的な建築物ではない。御手洗場は水があふれ、杉の板を曲げたひしゃくで本格派である。有人であり、車祓いをうけて収益を確保し、維持に努めているところが、能褒野神社とは違う。
 私の観察では、御手洗場のひしゃくの品質が杉の曲げ物であること、車祓いをうけていること、信仰のグッズの販売をしていることが社格の上下につながっている。少しでも収入を確保し、境内の掃除(特にトイレ)を欠かさず、参拝客を迎える努力が神社を長く維持させる。ひしゃく等はこれまでみてきたのはアルミ製、プラスチック製などは概して無人無住であった。杉の曲げ物を見ると一定の収入を確保できているんだなと思う。
 右手から車道を辿ると白鳥塚に行ける。白鳥塚の周囲をぐるりと回ってみた。能褒野よりもかなり規模が小さい。かつてはここが墳墓とされていたが比較すると能褒野に軍配を挙げざるを得ない。但し、あちらの神社は宮内庁が正式に御稜と指定してから神社が創建された経緯がある。
 神主さんが見えたのでいろいろお話を伺った。記紀神話からヤマトタケルの話等々、ついつい長話になった。来客があったところでお暇して、長瀬神社に向かった。これはここで教えてもらった。
 長瀬神社は鈴鹿ICのすぐ近くにあった。社務所には老婦人らが歓談していたが神社関係者ではない。ここもヤマトタケルが寄った伝説の地らしい。前二社に比べるとかなり規模は小さい。
 ここまで来たら椿大社に参らねば片詣りになる。
 小雨の鈴鹿路を道なりに走ると雲隠れした鈴鹿山脈の入道ヶ岳の麓に着いた。椿会館などの飲食、宿泊設備できる売店があり、駐車場もほぼ満杯であった。こんな雨模様の日でも参拝客は引きも切らない。特に車祓いの参拝客は順番待ちで10台くらいは並んでいた。みな新車である。車祓い専用の社殿には大ぜいが正座してお祓いを受けていた。マイカーにもカミが宿るのだ。
 御手洗場で杉のひしゃくですくって手を洗う。樹齢何百年もある杉木立の玉砂利の参道を歩いて本殿に向かう。伊勢神宮をコンパクトにまとめた気がする。熱田さんはすべて照葉樹林の鬱蒼とした森だったが、ここはやはり山奥なんだと思う。
 参拝後はレストランで鶏めしをいただいた。食べるとふるさとの鶏めしの味と同じであった。土産品売り場でそれのレトルトも買った。ついでに椿餅も買った。ふらりと寄っただけなのに2000円弱の散財になった。伊勢一宮ともあれば、こうしてお金を落とす仕掛けづくりがうまい。
 帰路はR306、R365からR23で帰った。R365は二階建てで高速道路の建設中だった。伊勢湾岸道から京阪神へいく車をここへ誘導して東名阪の負担を減らすためだろう。北勢は道路だらけになった。ヤマトタケルに由来する神社を訪ねるドライブは終わった。

天下峰を廻る、松平町を撮る2017年05月21日

 ガイドブックの再取材となった。当初の構想から一歩後退し、またサブコースで復活させることとなった。
 午前6時過ぎ出発。県道58から環状道へ、R301への左折を見過ごし、とんだ大回りになった。松平郷へは少し手前の滝川沿いの道を走る。取材時は工事中だった切通しも今日は済んでいる。乗り越すと坂上町だ。宮口川にかかる宮口橋付近に松平郷の道標がある。六所山へ1.9km、天下峰へ1.3km、王滝渓谷へ1.9kmとあった。
 ここから右折すると六所山へ行き、左折すると仁王に行く。最初は仁王に下る。今まで訪れたのは秋か冬だった。枯れたイメージがあったが初夏とあって天下峰が苗田に映えて美しい。宮口橋に戻って六所山を撮影。その先の六所神社下宮一の鳥居のある六所山遙拝所からも撮影するが、手入れがされてないため、樹木が邪魔する。少し移動しながらアングルを考えて撮影。
 次は六所神社下宮(山上を上宮という)の本堂や舞台を撮影。先の地蔵堂橋にある石の道標には右松平郷、下流は天下峰、上流は原生林とあった。松平郷へは軽自動車程度がやっとの作業道が続いている。これも正規の道である。途中分岐が何か所かあるが道標があって迷うことなく沢連(そうれ)を経て松平郷へ行ける。
 六所神社入口、六所苑にはすぐの林道坂上線出合まで行って戻る。宮口橋を元の道を走り、以前は王滝渓谷から豊松小学校を経由した道の分岐がある。左折する。ここにも古い石の道標がある。本文の最後の佛以外は判読不明で、下の右も九久平に読めるが不明瞭、左松平だけははっきり判読できた。九久平はぎゅうだいらと読み、大給城跡があるところ。松平家の支配だったから当たっているかも。
 左折すると細くなるが舗装のままで羽明(はあす)に下る。左折すると東宮口の地蔵堂橋からの道に会う。直進すると沢連に行く。松平家の遠祖という在原氏の墓所の案内板を見る。看板によれば松平郷を開いたのは在原信盛氏で、2代目の信重にとき、諸国を流浪中の徳阿弥が入り婿となった。松平太郎左衛門親氏を名乗り、松平家発展の始祖になったという。306mの山は地形図では無名であるが、在原山という。
 念のため、司馬遼太郎『街道をゆく43 濃尾参州記』の「高月院」を読むと少し違う。すぐに松平に定着したのではなく、まず吉良へ行ったというのである。そこで酒井家に逗留して娘に子を産ませた。吉良には落ち着かず、松平に来るのである。酒井家の娘が亡くなり、老父が育てていたが困って連絡したところ、酒井家を家臣にしたそうだ。
 下れば松平東照宮はすぐである。高月院にも寄った。前述の本には30年前の印象で「高月院は、いいですよ」とあるが、自治体の町起こしで「天下祭」などが催され、歴史に関係のない観光施設が建てられていることに驚き嘆いている。
 Pの野菜売り場で白っぽい玉ねぎ3個とホウレン草を購入した。JAによって牛肉を買った。自宅で玉ねぎ2個を刻み、牛肉と炒めた。ペロッと平らげた。脂っこいものでも食欲が戻ったようだ。

 さて、三河三霊山の六所山、松平親氏が天下太平を祈願した天下峰をめぐる歴史と信仰の松平郷をどうまとめようか。特にあの宮口川を中心に水田のひろがる山村風景は良い。山里が清潔である。ちょうど、アオサギも生息している。六所山の山麓であり、御神体として拝まれたのだ。松平と天下峰が直結し、六所山とも直結する。このトライアングルは面白い。ただ、焙烙山が高さしか評価されないのが気になる。

以下は「神社と古事記」のサイトから転載。
・三河三霊山とは
1六所山 六所神社
上宮(豊田市坂上町六所山)・八ケ峰神社・下宮(豊田市坂上町地蔵堂)などで構成される神社の総称である。御祭神は猿田毘古神・塩椎神・岐の神・日本武尊。御朱印の有無は不明。

2猿投山 猿投神社

3本宮山 砥鹿神社

・現在でも字金姓の小台地にたたずむ一の鳥居は、六所山を遙拝するのに最も適した場所にあるという。
・一帯はかつては松平郷といい、松平氏(徳川氏)発祥の地。永和3年・天授3年(1377年)8月19日、松平宗家初代松平太郎左衛門親氏が奥州塩竃六所大明神を六所山に勧請した。

それまで「吉木山」「蜂ケ峰山」などとされていた山名が、以降六所山と呼ばれるようになる。

産土神として奉拝されていた大山祇神は北東の蜂ケ峰に遷され、以来「隠居神様」と呼ばれながら六所神社摂社の八ケ峰神社として存続する。

新たに祀られた客人神の本殿は芳樹宮と名付けられ、六所大明神と称されて、松平氏・徳川氏の氏神として歴代当主の崇拝を受ける。

忘年山行兼新人歓迎会~天狗堂を歩く2016年11月21日

 11/19から11/20は所属山岳会の忘年山行兼新人歓迎会でした。11/19は朝から雨で登山は中止。それでも午前中に出発して野菜などの買い物をしながら会場の某山荘(会員のつてで借用)へ行きました。
 スーパーの野菜は高いのでいなべ市と野菜でググって地元産の農産物市場を探し大泉駅前の「うりぼう」で格安で美味しい野菜などゲットできました。
 それでも時間があるので2012年に行ったことがあるいなべ市藤原町鼎にある「農業レストランフラール」で昼食にしました。地元産の野菜料理のバイキング方式です。レストランの場所が高台に変わり価格も800円から1100円になりましたが満足のあるメニューでした。朝11時開店というのにPはほぼ満杯でした。以前の店よりも少し広くなっていました。それだけ人気が高いのでしょう。野菜で腹いっぱいになったのにまぜご飯、たこ焼き、蕎麦、カレー、ケーキ、フレンチトーストなど減量に取り組み始めた私には体に毒な料理が続々出されて悩ましいところです。
 特にまぜご飯は懐かしいふるさとの味がした。在所の三重県津市一志町の味だというとこのまぜご飯は一志の人が炊いたというのです。それは米、しょうゆ、砂糖、鶏肉、ゴボウのささがきでした。香り高いゴボウと砂糖の甘味が絶妙の味を出しているのです。何杯もお代わりしたいのですが減量を考えて1杯で我慢でした。晴れておれば御池岳から藤原岳がよく見えるところです。又来てみたい「フラール」でした。
 午後2時になり会場の山荘へ着きました。早速、清掃をしてから、道具類を運び込みます。女性会員5人が野菜などを切り分けて鶏鍋の下準備に取り掛かった。鍋といっても昆布やシイタケで出しをとる手間を省いて鍋の素を使うのであっという間に終わる。しばらくは付近を散歩したりして5時の宴会開始まで時間をつぶす。
 5時になりコンロ3個に鍋を置いて7人で宴会を始める。新人のTさんの入会を祝った。始まってしばらくでまず、Iさんが着いた。新人のFさん、最若手のMさん、会長のWさんと輪に入るたびに乾杯を繰り返した。何を話したのかさっぱり覚えていないが盛り上がったことは確かである。Iさんは家族の用事で夜に帰宅された。
 11/20は午前5時に起床。朝食をとるが早いか、一斉に片づけ、清掃をした。荷物を運び出すと参加者全員で記念の写真を撮影する。まだ薄暗い感じがする。7時過ぎに山荘を出発。竜ヶ岳登山口付近の国道に設けられたPでKさんとKさんを待つ。マイカーを4台に集約して12人で君が畑に出発。途中で新しくできた道の駅でトイレ休憩。木地師発祥の村・政所から蛭谷、君が畑の秘境の山里に行く。バス停には15人の先行者パーティが準備中だった。
 我々もノエビアの空地まで走りメンバーを降ろす。下山口の瀬川林道入り口に車をデポする準備を行った。御池林道のノタノ坂などには車が一杯止まっていた。シロモジの黄葉、カエデの紅葉で御池谷は錦秋の秋を迎えていた。
 君が畑に戻り、出発。神社では何やら山人らが仕事中だった。登山届は出したかねと尋ねられていた。多分神社の冬支度であろう。来週辺りから降雪があってもおかしくはない深山である。神社の右の尾根の急登に喘ぎながら登る。膝痛を抱えて泣き泣き登る。大事にすると運動不足で筋肉が減り益々太る。かといって過激な運動はより悪化しかねない。昨夜はビール、焼酎のお湯割り、Fさんの差し入れの名酒をしたたか飲んだがそのアルコールが今や汗となって滝のように流れる。冬なのでタオルは持ってこなかった。帽子からも汗がしたたり落ちる。小さなハンカチがたちまち汗まみれになったので軍手をタオル替わりにした。
 尾根に乗ると歩きやすくなった。アップダウンをこなしながら山頂へ行く。今日は見えないが遠くから眺めると三角錐の立派な山容である。益々急傾斜になり爪先立ちの登高が続く。先を行く人が遙か上に見える。それで山頂が近づいたことを予感する。あいにくの霧の山頂であった。風に乗って話声が流れてくる。先行者らは近くで宴会中のようだ。簡単に水を飲んだり中食をとり休憩する。御池林道に急降下する道標がある。かつてはここを往復した記憶がある。山仕事中の人からこの山は5月中旬を過ぎると山ビルが降ってくるから気を付けよ、と教えらてぎょっとしたこともあった。
 長休みは体が冷えるのでサンヤリを目指しそこそこに出発する。宴会中のパーティが盛り上がっていたのを傍目に過ぎると岩の展望台がある。そこから急降下していた。924mへ行く途中で時雨もようになり合羽を着た。サンヤリから来る大パーティとすれ違う。我々と合計すると約40名は下らない。錦秋の鈴鹿を目指す登山者でにぎわっているのだ。サンヤリへは1時間ほどで着いた。2等三角点がある。今日は霧で何も見えない。W会長が登山道を探りに行くが踏み跡も見いだせないようである。晴れておれば道なき道を探るささやかな冒険を楽しみたいが、12人の人数に加えて80歳代の高齢者も居るので天狗堂に戻って御池林道に下る登山道を下ることとした。
 天狗堂には誰も居なかった。急降下する踏み跡を木の枝、根っこを支えに下る。かなり下っても急な道が終わらなかった。沢の音が聞こえる。沢沿いになると登山道も傾斜が緩くなり御池林道も近い。やれやれで林道に着いた。サンヤリから瀬川林道に下るのは失敗したのでマイカーを回収に行く。またノエビアの前で集まり解散とした。

浜焼きイカ丸干し着荷2016年11月16日

 10月の連休で富山県に旅した際、射水市のR8沿いの道の駅で買った浜焼きいか丸干しの味が忘れられなくて福井県の製造元から取り寄せた。冷凍の漁師漬けとか干物セットなども購入した。1ヶ月分はある。ご飯にあうおかずばかりで、よりによって、減量をスタートした後に着荷するなんてタイミングが悪いがたまには良いだろう。

落ち鮎を食う2016年09月11日

  8/23親戚の葬儀で帰郷
手に重き籾俵持ち帰宅かな

  9/10根尾へ鮎を食いに行く
爽やかや根尾の落ち鮎食ひに行く

  樽見の手前から根尾川の彼方に
  前山を従えた能郷白山が見える
天高し根尾の能郷白山よ

秋川の彼方能郷白山よ

秋鮎は天然や藻が飛び出せり

焼き鮎に舌鼓打つ秋の昼

きのこ飯さっぱりとしたお酢の味

やはらかき木耳の噛み応へなり

   本巣農協
子持ち鮎のラベル鮮魚売り場かな

一房のぶだうを買ひし地場の店

無花果がパックとなりて売られけり

新米が小袋に詰み込まれけり

   板取川界隈
水澄むや河原で遊ぶ親子連れ

秋日和行列作るモネの池

モネの絵さながらに澄む小池かな

秋の田の一枚はもう刈取り後

7月句帳2016年07月11日

    7/2葦毛湿原から神石山、石巻山へ
湿原の奥に歩めば夏木立

天地とも万緑の湿原を行く

緑陰の路心身のなじむなり

やすらえば蚊に襲われし峠かな

道標も覆うばかりに草繁る

ベンチにて座して休めば汗が引く

山頂や食欲の出る涼しさよ

よく見れば炭焼きの跡木下闇

    小池百合子氏都知事選出馬に寄せる3句
夏薊ここぞとばかり鮮やかに

    茎が折れても盛りは過ぎても腐ることなくしぶとく咲く
萎れても咲いて見せたる百合の花

    メディアから生まれメディアに咲く政治家
太陽が大好きな花虎尾草(をかとらのお)

    大知波峠(廃寺跡)
緑なすわずかばかりの平かな

     7/11 郡上市大日ヶ岳撮影行
長良川鮎と釣り師の風物詩

夏雲が押し寄せてゐる大日ヶ岳

峠から青嶺つらなる国境

青棚田隠れ里めく干田野かな

   丘を円錐形に平にした水田の水は汲み上げるしかない
山上に汲み上げてまで青田あり

草刈のエンジン音にかき消され

   道の駅で天然あゆの鮎めしと朴葉寿司を買う
鮎めしを食えば長良の味したり

朴の葉の寿司めし青き味したり

   展望地を求めて平家平スキー場にゆくが
草茂る平家平のスキー場(1992年廃業)  

廃屋も草に埋もれしスキー場 

ゲレンデを草埋め尽くす夏野かな