自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」2020年04月06日

ソース:https://www.yomiuri.co.jp/national/20200406-OYT1T50058/
大見出し:自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」…地方は困惑「本来ありがたいが」

 新型コロナウイルスの感染者の増加を受け、東京都や大阪府などの大都市から地方に旅行したり、一定期間滞在したりする人が目立っている。インターネット上では「コロナ疎開」との言葉も使われる。ウイルスからの避難や「自粛疲れ」などが背景にあるようだが、専門家からは感染拡大の危険性が指摘され、各地で困惑が広がっている。

中略

「3密」避け冷静対応を 専門家呼びかけ
 政府の専門家会議メンバーの押谷仁・東北大教授は、都市部から地方への避難について、「新型コロナウイルスが拡散する恐れのある行動で、避けてほしい」と呼びかける。

 地方都市の中には医療機関の備えが不十分なところが多く、高度な医療が提供できる施設も限られる。住民に高齢者が多いこともあり、都市部から感染が波及すると、大きな被害が出る可能性があるという。

 押谷教授は、「密閉、密集、密接が起こる環境を避ければ、感染者が増えている東京や大阪でも普通に生活できる」と説明し、冷静な対応を求めている。
以上

・・・・そういえば、名古屋市でも4/4(土)の朝8時過ぎは車が多かった。名二環から一宮JCT経由木之本ICまで利用したが、養老SA辺りまでは車が多かった。関ケ原ICを過ぎてから交通量は激減したかに思う。
 木之本ICからR8に出てもやはり車は多く、サイクリストも良く見た。JR永原駅のPは数台の車で閑散としていた。輪行袋を抱えたサークルも見かけたが数は少ない。私はより人の居ない山中へと分け入ったから「三密」は回避できている。万路越えから無名のコブで3人に会っただけ。
 海津大崎へ下山後は、予想ではマキノ町のHPで有名な花見のイベントを中止したから閑散としているかと想像したが、県道は一方通行で渋滞中であった。ナンバーは滋賀県が圧倒し、他に京都府、福井県くらいで都会からの他県ナンバーの「コロナ疎開」はなかったかに思える。交通監視員に聞くと、それでも例年よりはうんと少ないのだとか。
 こちらはマキノ駅から永原駅まで乗車したが、駅のホームでは私一人、車内の乗客も閑散。下車する人もちらほら。マイカーに戻るとあとは接触は地元スーパーでの買い物以外は自宅までほとんどない。一宮JCTではいつもの渋滞はなく、名二環もスムーズだった。愛知県民は自粛を守っているのだろう。帰路は早かった。帰宅後は手洗い、入浴、うがいをして就寝。
 自粛で室内にいると読書するくらいしかない。あるいは隅々の掃除とかはこの機会にやるが気は進まない。やっぱり人は他人との接触の中で生きている。そういう形で物事は進んでゆくものなんだな。

コロナに関する山名2020年03月12日

 中国の武漢市に発生し拡散されてしまったコロナウイルス。コロナとは何だろう。古い人はトヨタの車名のトヨペット・コロナを浮かべるだろう。登山が趣味の私は乗鞍岳のコロナ観測所を想う。娯楽事業の「コロナグループは、複合型娯楽施設のコロナワールドなどを運営する愛知県の企業グループ。」もある。映画館の名前になっている。また冬にお世話になる石油ストーブメーカーにもその名がある。
 割に親しい語彙である。その意味は何か。ギリシャ語では王冠という。コロナウイルスはウイルスの形が王冠に似ているかららしい。
 トヨタの車名は王冠を意味するクラウンに始まり、コロナは「太陽大気の最外層で、皆既日食の時、太陽のまわりに真珠色の淡い冠状の光として見えるもの。」に因む。光冠とする書き方がある。花冠を意味するカローラも冠になる。日本語の冠を英語化したカムリで冠シリーズは終わった。
 さて山の名前には冠山がある。岐阜県と福井県の境にある。広島県にも一等三角点の冠山がある。美ヶ原の最高峰は王ヶ頭という。山梨百名山の王岳がある。近場の冠山にでも登ってコロナウイルスを征服してみたい。

三河一向一揆・・・研究発表会2020年01月26日

 新城市富岡ふるさと会館で13時30分から同会の研究発表会が開催された。集結したのは約50名と多数。研究発表は2名でどちらもパワーポイントで視覚的に解説されて分かりやすかった。
 テーマは表記の①三河一向一揆の話で講師は中野豊光氏。
 ウィキペディアには「三河一向一揆(みかわいっこういっき)は、戦国時代に三河国の西三河全域で永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)まで半年ほど行われた一向一揆である。」と紹介された歴史的事実である。
 まず一向一揆とは何か、門信徒の勢力の強い教団はどこか、などの基礎的知識を解説しながら核心に迫ってゆく。この事件に関与したお寺を紹介しながら、徳川家康が如何にてこずったか、の興味深いお話でした。家康といえども最初から三河国一円を睥睨したわけじゃない。多大な収益源を確保したお寺は強い。(約10年後の1570年から1574年に織田信長も長島一向一揆で手を焼いた。)
 和議の成立と決裂・・・一旦和議を結ぶが約20年にわたってくすぶり続けた。結果的には追放である。
 またウィキペディアには「この経験により、家康は本願寺教団の力が戦国大名にとって大きな脅威であることを身をもって理解することとなった。これが後世、本願寺教団の分裂に際し、教如を支持する一派(今の真宗大谷派)に土地を寄進して分裂を支持する行動に繋がった」との解説がある。
 中野氏は冒頭の教団の勢力図の解説でも浄土真宗が西本願寺派と東本願寺派とに分裂した話をされたがこれが原因だったのである。
 途中で気が付いたのは、徳川家康の扱い方である。講話中の中野氏が徳川家康で通していることに違和感を持ったのである。
 1 今川氏からもらったのは松平元康
 2 1563年に今川氏から独立後松平家康に改名
 3 1566年、朝廷からの勅許で徳川家康に改める
つまり、三河一向一揆の頃はまだ松平姓であった。
 ウィキペディアは「この一揆は、三河における分国支配の確立を目指した家康に対して、その動きを阻もうと試みた一向宗勢力が、一族や家臣団を巻き込んで引き起こしたものである。その意味では、松平宗家(徳川家)が戦国大名として領国の一円支配を達成する際に、必ず乗り越えなければならない一つの関門であったと考えられる。」と結んでいる。
 お寺への信仰は自由にさせるが自治(不介入権、財力)は抑制させた。この後、家康は東三河平定へと進む。

②は新城城主の本宮山登山の記録を斎藤彦徳氏が語られた。講師の自著である『池田主鈴寛親』(山婦ミ乃記、松山ごゑ記、一の宮満つ理)を現地で購入した。これをテキストに進講した。
 「山婦ミ乃記」とは”山踏みの記録”で要するに三河本宮山の登山記である。新城城主は江戸詰めなので帰郷してのふるさとの探訪記であった。
 書かれた文政元年は1818年。江戸幕府開幕から215年、今から202年ほど前になる。明治維新の50年前になる。文面からは天下泰平の世が偲ばれる。旧暦10月3日は太陽暦で11月半ば、しかし、当時はいくら空気が澄んでいたとしても浅間山が見えたのだろうか。

 原文から引くと
「からうしていたゝきに至れハ、雲をもしのくハかりにて覚えて、四方の山々ハ海原に立浪のやうに見へて其山々の上より遠き国々の海山見へワたる、爰(ここ)にてしはし休らひ給ふ、北の方に甲斐の国・信濃の国の山々見ゆ、右のかたへよりていと高き峯に雲のかゝりたるハしなのなる駒かたけといへる高山なりとそ、雪の色ハ月毛と見へてハるかなる雲井にかける駒嶽もいとはるかに見へて、雲をいたゝきたるハ浅間か嶽也と聞て
  冬ハまた浅間かたけの煙よりつもれる雪をや見やはとかめぬ  」

 意訳・・・辛うじて山頂に立つと、山脈が波涛のように見えた。山山を眺めながら休んだ。北の方には山梨県や長野県の山々が見える。木曽駒ヶ岳が見える。雪がクリーム色に見えた。甲斐駒はもっと遠くに見える。雲がかかるのは浅間山と聞いた。そこで一首詠んだ。
 冬には浅間山の煙より高く雪が積もるのを見たらすごいことだなあ?

 中々の山岳同定である。締めの和歌は『伊勢物語』の換骨奪胎だろうか。

信濃なる浅間の嶽に立つ煙をちこち人の見やはとがめぬ      
                         在原業平

見やはとがめぬ=「やは」は反語の助詞。見とがめないことがあろうか。どうして注目しないことがあろうか。
以上
・・・晴れたら雨生山(うぶやま)から金山を歩く予定だったがあいにく雨で中止した。登山口のみ偵察しておいた。地質的に特異な地域らしいので春か秋の花の時期が良いだろう。

日本山岳写真協会 東海支部展2020年01月18日

 昨日開始、23日まで。場所は地下鉄伏見駅を出て、御園座南にあります。たった今拝見してきました。みな傑作ばかりです。まさに山への誘いです。

対州は大山国やほととぎす 河野静雲2019年12月22日

虚子の句碑
 「(一社)対馬観光物産協会ブログ」から
 2011年 1/11 【高浜虚子の歌碑】
上見坂公園(かみざか、対馬市厳原町)にて、正岡子規の弟子、高浜虚子の俳句です。
「対州は 大山国や ほととぎす」
島なので、海が見えると思って来てみたら、山ばっかりだった・・・と(^_^;)
対州は対馬の古い呼び方です。
以上
・・・簡単明瞭な俳句です。虚子ではなく、河野静雲と思われます。高浜虚子の弟子で福岡市の俳人です。大山国はおおやまぐに、と読むんでしょう。5万図3枚でカバーする中堅的な規模の島嶼です。


『魏志倭人伝』の一節はHPからコピペすると
原文
「始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴」

読下し文
「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所は絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。船に乗り、南北に市糴す。」

口語訳
 「始めて一海を渡り、千余里で対海国に至る。その大官はヒコウといい、副官はヒドボリという。居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。千余戸の家がある。良田はなく海産物を食べて自活している。船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。」

NHKラジオ「石丸謙二郎の山カフェ」で山を詠む~山岳俳句の話2019年11月16日

 今朝は良く晴れた。昨夜は小寒かった。その分放射冷却で冷えたのだろう。猿投山は靄もなく、くっきり見える。空気中の水蒸気が少ないからである。今朝は初めて石油ストーブを使った。昨夜の鍋ものを温めて、且つお湯も沸かす。この生活スタイルは来春まで続く。沢納めは13日に終わり、機を見てスタッドレスタイヤに履き替える。スキー板や装備の点検もある。山屋の冬用意は結構多い。

 さて掲題の山岳俳句の話の主役は堀本祐樹さんという本格俳人がゲストでした。ググるとウィキペディアで「堀本 裕樹(ほりもと ゆうき、1974年8月12日 - )は、日本の俳人、文筆家。所属事務所はアドライフ。和歌山県出身。東京経済大学・二松學舍大学非常勤講師、実践女子学園生涯学習センター講師、杉並区立角川庭園・すぎなみ詩歌館講師、俳人協会幹事。國學院大学法学部卒業。俳句結社「蒼海俳句会」主宰。」でした。著書も12冊、NHK俳句にも出演しメディア露出が多く、プロとして食べて行けるのだろう。俳句結社「蒼海俳句会を主宰」。
 HPにあいさつには

  蒼海の一粟(いちぞく)の上(え)や鳥渡る   堀本裕樹

故事ことわざ辞典には「滄海の一粟とは、広大なものの中にある、きわめて小さいもののたとえ。また、広大な天地の間にある、人間の存在のはかないことのたとえ」とあった。國學院大學卒業だけあって漢語に造詣が深いと見える。(法学部だが)

 番組では横浜の「みろく山の会」(1982.11.1創立、会員数750名)の俳句同好会も紹介された。HPからコピペすると
「俳句同好会が活動開始
最近、俳句ブームという言葉を聞くようになりましたが「みろく山の会」にも興味を持っている方が増えていますので俳句同好会を作ることになり、2018年3月より活動を開始しました。

俳句は楽しみの延長であり、頭の体操になり、感性が養われ、言葉を知ることができます。外へ出る機会も増え、作品を発表することで句を磨くことになります。鉛筆とノートがあれば参加でき、良いことが沢山ありますので是非参加ください。皆様のご入会をお持ちしています。

活動内容
・入会、退会は幹事・副幹事に連絡するだけで良い。
・当面次の活動を毎月どれかを1回行う。
 1)メール句会
 2)俳句山行
 3)室内句会
 ※2018年度の詳細計画は、世話役会山行・年間計画の俳句山行年間計画を参照ください。
・作品は俳句同好会に投句し、会員投票による多選作品をみろく情報誌に発表する。
・メール句会は作品を主にメールにより送信し、毎月19日を投句の日とする。
・俳句山行は通常の会山行で行い、A・S山行とする。
・室内山行はみろく事務所で毎月19日ごろの平日2時~4時に行う。
・月次案内は情報誌裏表紙のスケジュール表に乗せる。」

 能書きの通りですね。同会は2000年にNPO法人として法人化された先進的な取り組みになっている。名古屋では「ふはく山の会」が多数の会員数を擁する。どちらも労山系である。

 対して日本山岳会東海支部も会員数は多い。但し目標が海外遠征を至高とする方針のせいか退会者も多い。新人の世話係(トレーニング、山行企画、遭難対策など)が大変ということである。自分から手を挙げて会の世話に係る人が居ないわけではない。同好会(スケッチ、写真、古道歩きなど)が多数あるからだ。そんな中でも私も山を詠んだ俳句の「支部俳壇」を設けた。俳句愛好家がたくさん居ればクラブ化したいが追随者は居ない。山行を消化するだけで手一杯なのだろう。

白洲正子『近江山河抄』を読む2019年11月11日

 明日は歴研のバス旅の予定。日吉大社と西教寺である。はて、どこかにあったぞと書棚の本を取り出し、「日枝の山道」を読んだ。どちらも行ったことはないので予備知識を入れておこうと思う。日枝は”ひえだ”、ではなく”ひえ”と読ませる。『古事記』には日枝と書き、比枝、比叡と転じたと書く。
地形図を貼っておく。
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 地形図を眺めると
 日枝の御神体山は八王子山381mである。この山は延暦寺境内へとつなぐ尾根の末端にあたる。そして真西には比叡山延暦寺の根本中堂がある。白洲さんの文には八王子山、牛尾山、小比叡(おびえ)というと紹介される。『古事記』にも登場する歴史の古い山なのである。
 そういえば、今年の夏珍しい仕事を手掛けた。名古屋近郊にある宗教法人様の規則変更であった。しかも天台宗なのでここが大本ではないか。書類には比叡山の事務局の印鑑も押印してあった。これは余談である。
 西教寺のことも少し書いてある。行ってみてまた読んでみる。

第63回日本表現派展~愛知県美術館2019年10月30日

 愛知県美術館で開催中の日本表現派展に行ってきました。山岳会の先輩で且つ画家でもある杉田博画伯の作品を観に行きました。杉田さんは94歳の今も創作意欲を持ち作品を発表している。凄い。

 題名は「路地からのヒマラヤ」・・・路地はいかにもネパールの煉瓦を重ねた民家を彷彿させる。「ネパール 路地」で検索するとたくさんヒットする。ネパールというとヒマラヤであるが意外に迷路のような路地裏の小径も愛されている。その路地裏から不意にヒマラヤが見えたという構図である。この絵ではヒマラヤは脇役である。

 入場料は600円。65歳以上は無料。

Never too late.・・・・映画「Edie(エディー)」から2019年10月25日

 2020年1月に83歳の主婦がスイルベン山頂へ!映画「イーディ、83歳 はじめての山登り」が公開される。何と83歳である。

 歌は世につれ、世は歌につれ、じゃないけど映画も高齢社会の影響を受ける。アメリカ映画「ロングトレイル」は60歳の男性作家が3000kmを超えるトレイラーとして挑戦するが挫折する話。今度は83歳の女性初心者の話。

 私の山岳会にも60歳代から70歳台の元主婦は多くいる。男性は80歳代に達した。中でも60代半ばで入会してきた某は元日銀OLで夫も日銀支店長として全国を転勤していた転勤族である。妻として身の回りの世話のためにあちこち転居してきた。日々の生活に明け暮れて、2人の子育てもきっちりやった。夫の定年退職を機に遊び始めた。まずは卓球だった。その友達が入会してきた縁で連れ立って入会した。
 名古屋近郊の低山歩きにはしっかり参加して熱心に歩いたので力が付いた。予定がなくても催促があると適当に設定して連れて行った。ある年、三泊四日の夏山縦走の計画が持ち上がった。男性2名女性1名だったが寂しいのでもう1人誘うことにして某に声掛けすると乗ってきた。途中でバテたら小屋の荷揚げのヘリで救助を依頼しますからと。
 折立、薬師岳、五色ヶ原、立山と縦走して無事に下山。まるで発狂するかに興奮した。達成感で感動を越えてしまったのである。室堂の土産物店で物色していると何でも買いなさい、お勘定は私が払う、と言って聞かない。気丈な性格は承知であるがこの時は申し入れをありがたく受け入れた。
 その後、主婦仲間にこの縦走を話すと羨ましがられたという。某には誇らしい人生経験になったのだ。平凡とばかりに思っていた老後にこんな素晴らしい経験ができるとは思わなかったと感謝された。
 某は伊那の低山で不覚にも転倒し右腕を骨折したのを機に退会し登山からも引退された。夫は妻の骨折が直る間は自分で家事をこなすことになったからもう止めてくれと泣きつかれたのだろうか。
 何事も始めるのに遅すぎることはないが、リスクもある。
 映画「エディー」はどんな話になるのか。高齢社会は世界の趨勢であるから注目されるだろう。

以下はニュージーランド在住の日本人女性「自然大好きトレッキング大好き写真大好きなニュージーランド在住のネイチャーフォトグラファーyumiM」の映画の感想記の一部です。2018の夏の記載です。英国では2017年に公開されています。

https://ameblo.jp/izumi-483/entry-12394709489.html

映画のあらすじはというと、

舞台は現在のイギリス。

支配的な夫と結婚して以来、自分の魂の声、自由な心、情熱、夢を失って生きてきたエディー。

30年の介護生活の末に夫の死を迎え、今まで「妻」でいたという義務感だけで生きてきた彼女にとっては生きる意味さえもわからない日々。

夫の死後3年後に、娘がエディーをお年寄りの施設に入居させようとするがエディーは気に入らない。

そんな時、幼少時代に父から送られてきた一枚の絵ハガキを手にしてスコットランドのSuilvenという有名な山に登るという、封印してきた夢を思い出す。

ある日、町のフィッシュアンドチップス屋さんでランチを食べ後終わりそうな頃、「今からフライドポテトを注文しても良い?」と注文したエディーに対し、「手遅れなんてことは全然ないよ。(Never too late)」と答えた店員。

Never too late.

この言葉にピンときたエディーは、山に登る決意をし、行動を起こすのであった。
以上

大村知事は四面楚歌?2019年10月05日

 あいトレの「表現の不自由展・その後」という確信犯的な展示が3日目に中止に追い込まれている事件。10/6~10/8に限定的に公開する予定だったが、WEBのNHKによれば「芸術祭の実行委員会と、コーナーの企画に関わったメンバーとの間では、展示方法などをめぐる協議が難航していて、愛知県は6日の再開は見送る方針」という。これだけケチのついた問題の作品群公開の再開は無理。
 これでは補助金不交付は当然であり、河村市長の質疑にも回答していない。名古屋市からの資金補助も出せなくなるだろう。そもそも昭和天皇のご真影を焼いて足で踏みつける動画などはどう考えても芸術とは言い難い。知事を擁護するばかりのメディアと同調者、支持者がいるが収拾できないと手のひらを返される。まさしく四面楚歌の状況にはまってゆく。大村知事は責任をとって辞任してもらいたい。

 気になるニュースでは山梨県道志村の7歳の女の子の行方不明の事件がまだ発見に至っていない。9/28には当方も参加してみたが地形が険しく山中で迷うことにならならないと思う。むしろ誘拐説に傾き始めた。親の人間関係で憎悪をもたれることがなかったかどうか。すでに調べているかと思うが。

 俳句会向けの鑑賞文1本と中経向けの山の文1本をまとめた。10月に入った今も暑いままに過ぎるが夏よりははかどるようになった。少し寝かせて読み直し、書き直ししてから送信することとした。