NHKラジオ「石丸謙二郎の山カフェ」で山を詠む~山岳俳句の話2019年11月16日

 今朝は良く晴れた。昨夜は小寒かった。その分放射冷却で冷えたのだろう。猿投山は靄もなく、くっきり見える。空気中の水蒸気が少ないからである。今朝は初めて石油ストーブを使った。昨夜の鍋ものを温めて、且つお湯も沸かす。この生活スタイルは来春まで続く。沢納めは13日に終わり、機を見てスタッドレスタイヤに履き替える。スキー板や装備の点検もある。山屋の冬用意は結構多い。

 さて掲題の山岳俳句の話の主役は堀本祐樹さんという本格俳人がゲストでした。ググるとウィキペディアで「堀本 裕樹(ほりもと ゆうき、1974年8月12日 - )は、日本の俳人、文筆家。所属事務所はアドライフ。和歌山県出身。東京経済大学・二松學舍大学非常勤講師、実践女子学園生涯学習センター講師、杉並区立角川庭園・すぎなみ詩歌館講師、俳人協会幹事。國學院大学法学部卒業。俳句結社「蒼海俳句会」主宰。」でした。著書も12冊、NHK俳句にも出演しメディア露出が多く、プロとして食べて行けるのだろう。俳句結社「蒼海俳句会を主宰」。
 HPにあいさつには

  蒼海の一粟(いちぞく)の上(え)や鳥渡る   堀本裕樹

故事ことわざ辞典には「滄海の一粟とは、広大なものの中にある、きわめて小さいもののたとえ。また、広大な天地の間にある、人間の存在のはかないことのたとえ」とあった。國學院大學卒業だけあって漢語に造詣が深いと見える。(法学部だが)

 番組では横浜の「みろく山の会」(1982.11.1創立、会員数750名)の俳句同好会も紹介された。HPからコピペすると
「俳句同好会が活動開始
最近、俳句ブームという言葉を聞くようになりましたが「みろく山の会」にも興味を持っている方が増えていますので俳句同好会を作ることになり、2018年3月より活動を開始しました。

俳句は楽しみの延長であり、頭の体操になり、感性が養われ、言葉を知ることができます。外へ出る機会も増え、作品を発表することで句を磨くことになります。鉛筆とノートがあれば参加でき、良いことが沢山ありますので是非参加ください。皆様のご入会をお持ちしています。

活動内容
・入会、退会は幹事・副幹事に連絡するだけで良い。
・当面次の活動を毎月どれかを1回行う。
 1)メール句会
 2)俳句山行
 3)室内句会
 ※2018年度の詳細計画は、世話役会山行・年間計画の俳句山行年間計画を参照ください。
・作品は俳句同好会に投句し、会員投票による多選作品をみろく情報誌に発表する。
・メール句会は作品を主にメールにより送信し、毎月19日を投句の日とする。
・俳句山行は通常の会山行で行い、A・S山行とする。
・室内山行はみろく事務所で毎月19日ごろの平日2時~4時に行う。
・月次案内は情報誌裏表紙のスケジュール表に乗せる。」

 能書きの通りですね。同会は2000年にNPO法人として法人化された先進的な取り組みになっている。名古屋では「ふはく山の会」が多数の会員数を擁する。どちらも労山系である。

 対して日本山岳会東海支部も会員数は多い。但し目標が海外遠征を至高とする方針のせいか退会者も多い。新人の世話係(トレーニング、山行企画、遭難対策など)が大変ということである。自分から手を挙げて会の世話に係る人が居ないわけではない。同好会(スケッチ、写真、古道歩きなど)が多数あるからだ。そんな中でも私も山を詠んだ俳句の「支部俳壇」を設けた。俳句愛好家がたくさん居ればクラブ化したいが追随者は居ない。山行を消化するだけで手一杯なのだろう。

白洲正子『近江山河抄』を読む2019年11月11日

 明日は歴研のバス旅の予定。日吉大社と西教寺である。はて、どこかにあったぞと書棚の本を取り出し、「日枝の山道」を読んだ。どちらも行ったことはないので予備知識を入れておこうと思う。日枝は”ひえだ”、ではなく”ひえ”と読ませる。『古事記』には日枝と書き、比枝、比叡と転じたと書く。
地形図を貼っておく。
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 地形図を眺めると
 日枝の御神体山は八王子山381mである。この山は延暦寺境内へとつなぐ尾根の末端にあたる。そして真西には比叡山延暦寺の根本中堂がある。白洲さんの文には八王子山、牛尾山、小比叡(おびえ)というと紹介される。『古事記』にも登場する歴史の古い山なのである。
 そういえば、今年の夏珍しい仕事を手掛けた。名古屋近郊にある宗教法人様の規則変更であった。しかも天台宗なのでここが大本ではないか。書類には比叡山の事務局の印鑑も押印してあった。これは余談である。
 西教寺のことも少し書いてある。行ってみてまた読んでみる。

第63回日本表現派展~愛知県美術館2019年10月30日

 愛知県美術館で開催中の日本表現派展に行ってきました。山岳会の先輩で且つ画家でもある杉田博画伯の作品を観に行きました。杉田さんは94歳の今も創作意欲を持ち作品を発表している。凄い。

 題名は「路地からのヒマラヤ」・・・路地はいかにもネパールの煉瓦を重ねた民家を彷彿させる。「ネパール 路地」で検索するとたくさんヒットする。ネパールというとヒマラヤであるが意外に迷路のような路地裏の小径も愛されている。その路地裏から不意にヒマラヤが見えたという構図である。この絵ではヒマラヤは脇役である。

 入場料は600円。65歳以上は無料。

Never too late.・・・・映画「Edie(エディー)」から2019年10月25日

 2020年1月に83歳の主婦がスイルベン山頂へ!映画「イーディ、83歳 はじめての山登り」が公開される。何と83歳である。

 歌は世につれ、世は歌につれ、じゃないけど映画も高齢社会の影響を受ける。アメリカ映画「ロングトレイル」は60歳の男性作家が3000kmを超えるトレイラーとして挑戦するが挫折する話。今度は83歳の女性初心者の話。

 私の山岳会にも60歳代から70歳台の元主婦は多くいる。男性は80歳代に達した。中でも60代半ばで入会してきた某は元日銀OLで夫も日銀支店長として全国を転勤していた転勤族である。妻として身の回りの世話のためにあちこち転居してきた。日々の生活に明け暮れて、2人の子育てもきっちりやった。夫の定年退職を機に遊び始めた。まずは卓球だった。その友達が入会してきた縁で連れ立って入会した。
 名古屋近郊の低山歩きにはしっかり参加して熱心に歩いたので力が付いた。予定がなくても催促があると適当に設定して連れて行った。ある年、三泊四日の夏山縦走の計画が持ち上がった。男性2名女性1名だったが寂しいのでもう1人誘うことにして某に声掛けすると乗ってきた。途中でバテたら小屋の荷揚げのヘリで救助を依頼しますからと。
 折立、薬師岳、五色ヶ原、立山と縦走して無事に下山。まるで発狂するかに興奮した。達成感で感動を越えてしまったのである。室堂の土産物店で物色していると何でも買いなさい、お勘定は私が払う、と言って聞かない。気丈な性格は承知であるがこの時は申し入れをありがたく受け入れた。
 その後、主婦仲間にこの縦走を話すと羨ましがられたという。某には誇らしい人生経験になったのだ。平凡とばかりに思っていた老後にこんな素晴らしい経験ができるとは思わなかったと感謝された。
 某は伊那の低山で不覚にも転倒し右腕を骨折したのを機に退会し登山からも引退された。夫は妻の骨折が直る間は自分で家事をこなすことになったからもう止めてくれと泣きつかれたのだろうか。
 何事も始めるのに遅すぎることはないが、リスクもある。
 映画「エディー」はどんな話になるのか。高齢社会は世界の趨勢であるから注目されるだろう。

以下はニュージーランド在住の日本人女性「自然大好きトレッキング大好き写真大好きなニュージーランド在住のネイチャーフォトグラファーyumiM」の映画の感想記の一部です。2018の夏の記載です。英国では2017年に公開されています。

https://ameblo.jp/izumi-483/entry-12394709489.html

映画のあらすじはというと、

舞台は現在のイギリス。

支配的な夫と結婚して以来、自分の魂の声、自由な心、情熱、夢を失って生きてきたエディー。

30年の介護生活の末に夫の死を迎え、今まで「妻」でいたという義務感だけで生きてきた彼女にとっては生きる意味さえもわからない日々。

夫の死後3年後に、娘がエディーをお年寄りの施設に入居させようとするがエディーは気に入らない。

そんな時、幼少時代に父から送られてきた一枚の絵ハガキを手にしてスコットランドのSuilvenという有名な山に登るという、封印してきた夢を思い出す。

ある日、町のフィッシュアンドチップス屋さんでランチを食べ後終わりそうな頃、「今からフライドポテトを注文しても良い?」と注文したエディーに対し、「手遅れなんてことは全然ないよ。(Never too late)」と答えた店員。

Never too late.

この言葉にピンときたエディーは、山に登る決意をし、行動を起こすのであった。
以上

大村知事は四面楚歌?2019年10月05日

 あいトレの「表現の不自由展・その後」という確信犯的な展示が3日目に中止に追い込まれている事件。10/6~10/8に限定的に公開する予定だったが、WEBのNHKによれば「芸術祭の実行委員会と、コーナーの企画に関わったメンバーとの間では、展示方法などをめぐる協議が難航していて、愛知県は6日の再開は見送る方針」という。これだけケチのついた問題の作品群公開の再開は無理。
 これでは補助金不交付は当然であり、河村市長の質疑にも回答していない。名古屋市からの資金補助も出せなくなるだろう。そもそも昭和天皇のご真影を焼いて足で踏みつける動画などはどう考えても芸術とは言い難い。知事を擁護するばかりのメディアと同調者、支持者がいるが収拾できないと手のひらを返される。まさしく四面楚歌の状況にはまってゆく。大村知事は責任をとって辞任してもらいたい。

 気になるニュースでは山梨県道志村の7歳の女の子の行方不明の事件がまだ発見に至っていない。9/28には当方も参加してみたが地形が険しく山中で迷うことにならならないと思う。むしろ誘拐説に傾き始めた。親の人間関係で憎悪をもたれることがなかったかどうか。すでに調べているかと思うが。

 俳句会向けの鑑賞文1本と中経向けの山の文1本をまとめた。10月に入った今も暑いままに過ぎるが夏よりははかどるようになった。少し寝かせて読み直し、書き直ししてから送信することとした。

道志村の捜索ボランティアへ参加2019年09月28日

 コスモスの懇親会後、少し睡眠をとった。11時過ぎ、支度してあったザックを積み込んで出発する。高速料金を少しでも節約するため名古屋ICより東名三好ICから入る。3650円也。220円カットできた。
 新東名を走って御殿場JCTで1本になり御殿場ICで出た。R138を走るがナビはR246を指示するので従う。これが地理勘のない人にはありがいたいが、どうも東京へ向かうので、スマホをチエックすると明神峠、三国峠を越える県道に導きたいようだ。つまり最短距離を教えてくれるのだが深夜に地理勘のない山岳路は走らない方針なのでR138に戻る。しかしもう深夜の2時なので小山町の道の駅で仮眠した。半袖では涼しいより寒い。
 午前4時に起きてまたR246を戻りR138を走った。R138は籠坂峠を越えて山中湖へ。そしてR413になり山伏峠を越えて道志村へ。前後を自衛隊の大型車が3台も走っている。100人くらいは乗せているだろう。今日も捜索行であろう。
 現地の椿壮オートキャンプ場へは6時に到着。現地本部周辺には車がぎっしり詰まっている。
 とりあえず素通りして林道奥まで走って偵察して置く。地形図も出して見ておく。地理勘のない人間にはさっぱり分からないからだ。周囲はおおむね杉、檜の植林山になっている。当初は加入道山から登山道を歩いて大室山に下山。椿沢を見る予定だったがどちらも登山口の道標はない。直感的にはこりゃ難しい、と思った。
 戻って本部付近にPする。おにぎり1個を食べて支度する。現地本部のテントにはパトカー、自衛隊員、消防署員、役場の人らが集まって鳩首会議中だ。私も加わって事情を聴く。自衛隊員が中心になって椿沢、道志川の周辺はしらみつぶしに捜索されたこと書き込んだ白地図を見せてもらった。
 ボランティアに対しては村役場の人が対応してくれた。しかしボランティアを班編成する本部は27日に解散したので自主的に捜索することになった。単独ではしないでくれ、と言われたが見知らぬ人とにわかにチームなど組めないので仕方なく、6時30分から独自に捜索開始した。
 まずテニスコートへの階段を登って加入道山の登山口を探したが皆無だった。踏み跡すらない。それで林道や村道を中心に捜索するが多数の先行者が入っていた。
 また本部付近へ戻り、椿沢に沿う林道の捜索に入った。ここも先行する人らが多数居た。大室山の登山口付近では消防車も入ってきた。こちらを見ると、登山か、と聞くので捜索だが、と言うと単独の人が一番危ない、などど言われたのは心外だった。
 実は27日に20歳代の単独のボランティアが崖から落ちて怪我をしたとの110番通報があり場所が特定できないまま行方不明になり、その人の捜索の負担までできたからだろう。あちらからは単独で老人の来るところではないと、と思われたか。ご忠告ありがとうと答えて別れた。
 椿沢の橋まで往復して下山した。捜索した範囲でいえばどこも急斜面であり、露岩も多い。転落すると怪我は必至だろう。
 小倉美咲ちゃんはまだ7歳だから、しかも千葉県の子供だから山慣れせず、遠くへは行けないはずだ。誘拐説もありうるだろう。こんな壮年期の険しい溪谷のキャンプ場でどこへ行ってしまったのか。みんなからはぐれた22日の夜、森の中から見える山家の灯を求めて足元を照らす明かりもなく歩けば転落しかない。じっとしていてくれれば良いのだが。

 背中に軽い汗をかいたが、使い始めた新しいザックは背中に隙間があるので風が通る。吸汗速乾のラガー1枚では少し小寒いほどである。それで上着を着こんだ。
 8時30分、マイカーに戻り、残りのおにぎり1個を食べて30分ほど休憩した。現地本部を伺うと良いニュースはないようだ。但し、メディアの員数はより増えて本部周辺は報道カメラが林立していた。自衛隊の人らは隊列を組んで下山していく。
 結局、消防署員の言う通り、地理勘のない単独のボランティアでは限界があり、迷惑になってもいけないので9時30分撤退を決めた。2時間ほどの捜索ボランティアでした。
 後は観光ドライブに切り替えた。12時、道志の湯で一風呂浴びて蕎麦を食う。沼津市まで地道を走り、静岡市の草薙神社、焼津市の焼津神社を参拝後、また新東名で帰名した。

毛筆の練習2019年09月19日

 詠進歌を投稿するためににはかに毛筆の練習中である。
 毛筆は心を落ち着かせる。何かと忙しない日々を送るものにとって、貴重な時間かも知れない。毛筆は力を入れすぎると太くなるし、筆圧が弱いと擦れたり細くなる。中々にバランスが難しい。
 しかし昔はみな毛筆で書籍を認めていたのである。本居宣長はきちんとした筆跡で古事記伝を著した。その根気に比べると自分などは足元にも及ばない。
 さて、短歌の御題は「望」でこの漢字が入れば読み方は自由でよい。山をテーマにした一首を作って、半紙に書いた。3枚目でようやく失敗の無い筆跡になった。失敗がないというだけできれいな字とは言えない。期限まで練習を続ける。

越美国境・笹ヶ峰から下山2019年09月16日

 滝ヶ谷を登り詰めて笹ヶ峰の北方のピーク(ab1270m)でビバークを決断。Wリーダーがビバークに最適な砂地の平な一角を見つけた。そこで二張りのツエルトを設営。濡れたものを乾かすために焚火を試みたが着火に失敗。不快なままだったが疲労困憊の体ですぐ就寝できた。
 夜は多少は寒かった。足の冷えは資源ごみの袋を足ごと包み、ザックにすっぽり入れて寝たら快適だった。防寒としては羽毛のベストが軽くて快適だった。
 朝4時か、目覚ましが朝を知らせる。周囲は濃霧に包まれている。それでも6時ごろになると東の空から太陽が昇るのが見えた。能郷白山、イソクラなども同定できた。(Wさん)気温が上昇すると霧は晴れた。スマホも使えたので午後から天気が悪くなるとの予報は聞こえた。
 さて、6時過ぎ、霧に包まれる笹ヶ峰を目指す。何とか獣道を探しながらも笹と低灌木の藪のからむ稜線の藪漕ぎは著しく体力を消耗させる。我慢我慢の藪漕ぎをすること40分で登頂できた。
 笹ヶ峰の三角点周辺はきれいに刈り込まれているので登山者があるのだろう。ここからロボット(ab1280m)のピークまでは藪山好きの登山者がつけてくれた踏み跡に期待したが、笹と低灌木の藪漕ぎは続いた。ここでもかすかに残る獣道を探しながら越美国境稜線の縦走を続ける。この山の登頂者は残雪期が多く、稜線もスキー向きなほど広いから期待したほどの踏み跡はなかった。
 先頭を行くWリーダーが1294mの夏小屋丸の南のコブから不動山へRFを間違えた。が、Wさんが下がりすぎと、気が付いたのですぐにGPSでチエックしてもらったらやはりミスだった。『秘境奥美濃の山旅』のガイドはここから不動山往復をしている関係で踏み跡ができてしまったのだろう。
 ビバーク地から約6時間後、やっとロボットに着いた。12時10分に廃村大河内に向かって下山する。この尾根道も白谷山までは藪が絡む。しかし獣道ではなく、ロボットのために付けられた登山の道の廃道なので途切れず、下るペースは確保できる。白谷山を過ぎてから尾根は急降下する。途中で熊4頭に遭遇し、Wさんが笛を鳴らして知らせる。疲れた体をかばいながら何とか白谷の水場へ着いた。不足していた水分を思いきり補給して人心地ついた。
 橋を渡るとマイカーのあるPへはすぐだ。時に4時半。着替えて廃村大河内を後にした。帰路、林道に立ちすくむ鹿と遭遇する。登山者が去れば獣天国に還る。今庄の宿で有名な今庄そばを賞味できた。温泉には時間切れで入湯できなかった。沢から山頂を踏んで、稜線を縦走して夢のようだ、とWさん。三度目の正直か。失敗しないと性根が座らないのは私も同じだ。しかし奥美濃でこんなに山深く秘境的雰囲気を楽しめる山は貴重だ。究極の登山であった。

原稿書き、投稿2019年09月12日

 今日は1日中、原稿執筆になった。中経の連載1本、山岳会の会報2本、俳句会1本と精力的に書いた。そして推敲を重ねた。俳句会は今日中に送信したが後は今少し寝かせてから送信になる。
 また俳人協会の「明治以降の俳人と俳句の研究」をテーマとする原稿募集も気になる。これは締め切りが11/15とあるのでまだ期限まで間がある。構想を練ってみたい。
 宮内庁のお題「望」にもとづく短歌の投稿もしてみたい。2回目になる。丸善で新たに半紙と筆を買ってきた。試し書きはしてみたがぎこちない字になった。筆はやはり難しい。かつ精神的に落ち着かないと書けない気がした。これは締め切りが9月末で消印有効とある。もうそんなに間はない。
    お題「望」で一首(試作) 西穂山荘から乗鞍岳を眺めて
  山小屋ゆはるかに望む乗鞍岳雲海の上に島のごと見ゆ

山歩き講座2019年09月08日

 朝10時から11時30分まで天白生涯学習センターで「山歩き講座」を開講しました。拙いながら講師役を務めさせていただきました。受講生は当初10名と聞いていたのですがキャンセルがあって4名に減りました。しかし少ない分距離感が縮まり親しく接することができました。
 石川館長の開講のあいさつで始まった。登山やハイキングの経験者は1名もなく、約1時間はレジュメに沿って机上学習で登山の注意事項を中心にレクチュアーしました。
1 登山計画書の作成、
2 ガイドブックの活用、
3 自分に合った山の見つけ方、
4 ネットからの地形図のプリントアウトの活用でした。
 装備類は登山計画書の作成の過程で必然的に覚えるし、登山用具店でも知る機会があろうかと簡単に済ませました。
 特に山岳遭難では道迷いが増えていることを警告的に主張して置きました。統計で転落、滑落とあっても道に迷った結果、未整備な尾根や谷を歩くことで転落することがあるのでまずは迷わないことに重点を置きました。迷わないためには地形図を使い倒すことしかない。自分が今どこに居るのか。
 1時間の机上学習後は生涯センターの裏の里山、四等三角点60.1mの埋まる「島田」山へガイド登山しました。全員に地形図のプリント、私はコンパスを持って、地形図とコンパスの使い方を話しました。
 太いクヌギも森林文化史的にみれば、里山として利用されなくなった結果大木になったこと。限界を越えると幹に空洞ができて倒木するのであちこちに間引きされたクヌギの薪を見ました。この樹種が薪やシイタケの原木に利用されてきたわけです。
 島田山は落葉樹と常緑樹の混交林です。中山神社のコブは全域常緑樹で覆われていて、絶えず人間の干渉を受ける里山と伐採や採集から守られる鎮守の森の植生の違いも示しました。
 2.5万図の地形図には10m以内の地形の変化は表現されず、結果絶対的ではないことと、水のない浅い谷の地形を指しながら地図の見方を教えました。やがて平らな山頂に達すると三角点についてのレクチャーを始めました。曰く地形図を作成する基準となる重要な標石と。一等から三等は戦前の内に五万図を作成するための測量の基準として、2.5万図は写真測量でつくられ、四等は戦後に埋設されたもの。等々。
 一旦等高線1つ分下って何もないコブも地形図と比較しながらこうやって表現される旨話した。地形図の枝道の二又の表現で右折して生涯センターに戻るとちょうど11時30分になった。30分のミニガイドはおおむね好評のうちに下山しました。緑陰講座にもなりました。
 最後に石川館長のあいさつで締めた。