ワークマンでクライミングパンツを買う2020年07月17日

 山用のパンツは何本かはあるが、古くなったこともありワークマンで物色してみたら丁度いいのがあった。1900円也。さっそく着用するとかなり細身であるが膝の抵抗がなく動きやすい感じがする。安いし、いい買い物になった。町で履くのも良い。

https://camphack.nap-camp.com/4906

機能的には春から夏の終わりまでは山でも使える。高山で少し気温が低いところではファイントラックのスキンメッシュのTシャツと同タイツをはけば体温調整になる。

https://www.kojitusanso.com/shop/pages/finetrack.aspx

大西暢夫『ホハレ峠』を読む2020年06月20日

彩流社刊

著者は  アマゾンから
大西/暢夫
1968年、岐阜県揖斐郡池田町育ち。東京綜合写真専門学校卒業後、写真家・映画監督の本橋成一氏に師事。1998年にフリーカメラマンとして独立。ダムに沈む村、職人、精神科病棟、障がい者など社会的なテーマが多い。2010年より故郷の岐阜県に拠点を移す。『ぶた にく』(幻冬舎)で第58回小学館児童出版文化賞、第59回産経児童出版文化賞大賞。映画監督作品:『水になった村』(第16回EARTH VISION地球環境映像祭最優秀賞受賞)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

出版社側のねらいは
編集者が明かす、ダムに沈んだ徳山村の本を出した理由 ―そこから見え隠れする近現代
https://note.com/sairyusha/n/naeff5f3e8d72

朝日新聞の書評は
(書評)『ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡』
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14511895.html?pn=3

 ■現金がのみ込んだ大地との生活

 ダムの底に沈んだ岐阜県揖斐郡徳山村。一五〇〇人ほど暮らしていた村民が次々と出ていく中、そのもっとも奥の集落・門入(かどにゅう)で、最後まで暮らしていた廣瀬ゆきえさん。

ここから続き
 山に入り、山菜を採り、日が暮れれば寝る。夫を村で看取(みと)り、たった一人で大地の恵みと呼吸するような生活に、強制的に終止符が打たれる。ダム建設に伴い立ち退きを余儀なくされた日、漬物小屋を解体する重機から目をそらすように遠くを見つめる写真が全てを物語る。「村の清流だった揖斐川の水が、自らこの大地を飲み込もうとしている」

 約三〇年前から村に通い、ゆきえさんと向き合い、その足跡を記録した。門入の住民は街に出るために、ホハレ峠を越えた。早朝に出たとしても着くのは夕方。わずか一四歳、家で育てた繭を運びながら峠へ向かう。峠の頂上から初めて「海」を見た。それは、初めて見る琵琶湖だった。

 北海道真狩村に嫁ぎ、やがて村に戻ると、山林伐採、ダム建設が忍び寄っていた。ダムの説明会に参加するだけでお金が支給され、集落の繋(つな)がりを巧妙に札束で崩していく国。「みんな一時の喜びはあっても、長い目で見たらわずかなもんやった。現金化したら、何もかもおしまいやな」

 転居した先のスーパーで特価品のネギを見て、「農民のわしが、なんで特価品の安いネギを買わなあかんのかなって考えてな。惨めなもんや」と漏らす。村を最後まで見届けたゆきえさんの人生は「点」でしかないが、その点は長く繋がってきた尊いもの。誰よりも本人がそのことを知っていた。

 台所で倒れ、亡くなったゆきえさん。口の中から一粒の枝豆が出てきた。ゆでた枝豆をつまみながら、ご飯を作っていたのだろう。時折さしこまれる写真の数々が、村の歴史、ゆきえさんの足跡を伝える。読みながら、本のカバーを何度も見返す。「現金化したら、何もかもおしまいやな」と繰り返し聞こえてきた。

 評・武田砂鉄(ライター)

徳山村は映画「ふるさと」にもなった。
以上

 個人的には、昨夜で粗方読破してしまった。奥美濃の山は登山の開始と同時進行である。山岳会に入会したのが昭和53(1978)年(28歳)であった。『鈴鹿の山』とか『秘境 奥美濃の山旅』を買って読んで山行のヒントにした。『ぎふ百山』を知るのはもう少し後になる。次々と登った山が増えてゆくのが楽しみになった。この後、サンブライト出版から森本次男『樹林の山旅』の復刻版が出た。すぐに買った。たちまち愛読書となった。
 足は月1回のレンタカーであった。入会した年の10月にトヨタ・スターレットというレンタカーで、馬越峠を越えた。初めての徳山村探訪になった。早暁、薄いガスの中に徳山谷が見え、紫色の煙が昇っていた。その時は冠山に登った。特に岐阜の山が面白く、当時は守山区に住んでいて、中日新聞の購読に加えて、岐阜新聞の東濃版を配達してもらった。昭和55(1980)年3月4日から『続・ぎふ百山』の連載が始まっていた。それが目的だった。昭和60(1985)年1月までのスクラップが残っている。切り抜きしたものを友人に託したらきれいな海賊版にしてくれた。何冊も印刷して仲間に配布したが後に岐阜新聞社から立派な装丁の『続 ぎふ百山』が出版された。海賊版は100山目で止まっていたが新版は130山もあった。
 昭和55(1980)年(30歳)にマイカーを買った。その車で、金ヶ丸谷の偵察に出掛けた。この時は揖斐川沿いに走り、西谷川を遡った。初めての門入との遭遇である。着いた門入では家の取り壊し中だった。墓には白い布をかぶせてあった。こんな情けない姿を先祖に見られたくないからだという。それで村人に金ヶ丸谷の熊の生息状況を聞いたら、いつぞやは京都の若い人が夜叉ヶ池から金ヶ丸谷を下降して遭難死したという。京都から親御さんがきて息子が帰らないから探してくれというので探したら谷の中で死んでいた。「あんたね、熊よりも谷の方が怖い。行かん方が良い」と諭してくれた。その日はそこで帰った。これが門入とのなれそめである。『ホハレ峠』P236には「たしかに昭和55年ということは、そろそろ徳山村から移転地へ引っ越しが具体的になってくるとき」とあるから記憶にまちがいはない。
 金ヶ丸谷の遡行は平成17(2005)年9月になった。偵察から実に25年の歳月が流れ、ダムの湛水が始まる前年だった。我ながらしつこく追いかけたものである。
 門入の予備知識としては安藤慶一郎編著『東海 ムラの生活誌』(昭和55年9月刊 中日新聞社)がある。5番目に「西美濃山村の生活と親族組織」がある。学者が書いただけに綿密に調査したのだろう。門入の特殊性は通婚関係と指摘している。閉ざされた狭いムラ社会ではそうせざるを得ないだろう。
 乙川優三郎『脊梁山脈』は木地師が主人公の小説である。しかも東亜同文書院の学生のまま兵隊にとられた設定。小説では長野県売木村の木地師と主人公が復員列車の中で出会うのだが、復員列車で親切を受けたお礼に売木村を訪ねると本人は居るのだが別人であった。出会った人は東北に住んでいたというトリックにも使われている。つまり東北の兄が結婚してすぐに出征したが戦死した。弟は無事で帰国できたので戸籍上は兄に成りすましたまま、兄の嫁と子を養う人生を送る。そんな筋書きだった。木地師の社会も他と交わりが少ないから近親婚になるのだろう。要するに限られた山奥の閉ざされた社会での家を守ったのである。
 著者も門入の婚姻関係の理解には相当な苦労をしている。P182辺りから明らかにされている。
 廣瀬ゆきえさんは大正7(1918)年生まれ。昭和7(1932)年14歳で初めてホハレ峠を越えたと、本書にある。昭和8年にはまたホハレ峠を越えて、更に鳥越峠を越えて彦根市のカネボウの紡績工場へ働きに出た。16歳までの冬はそこで働いた。17歳から24歳まで一宮市、名古屋市の紡績会社で働いた。
 著者の大西暢夫さんは門入が越前藩の領域だったことまでは調査されていないようだ。越前から見て最初のムラが門入、次は戸入、本郷である。古くはお坊さんも越前から迎えていた。福井県の日野川源流の廃村・大河内へ行く途中に二つ屋があり、そこから夜叉ヶ池に向かって登る尾根が街道の尾と言った。登りきると金ヶ丸谷の源流部に下る。そこからどのように道があったのかは明らかではない。
 ゆきえさんは昭和17(1942)年頃、24歳で結婚し北海道に渡った。『ぎふ百山』の千回沢山・不動山の項に入谷の人らは大正の初めに北海道へ渡ったことが書いてある。門入では明治36年から移住が始まっていたのである。戦争を経て昭和28年に北海道を引き揚げた。34歳になっていた。八ヶ岳山麓に一時的に身を置き、昭和30(1955)年に徳山村へ戻った。13年間はまさに転変流転の人生だ。廣瀬家から橋本家に嫁いだはずなのに夫がまた廣瀬家に戻した。もともと親戚同士の結婚だった。これが親族組織で成り立つ門入の特殊性である。
 愛読書の『樹林の山旅』には黄蘗(きはだ)の村(千回沢山と不動山)の項で門入が紹介される。きはだは薬になる木のことで、徳山会館で売っていた。
 森本は昭和10年頃の記録をまとめて昭和15年に発刊した。だから廣瀬ゆきえさんは18歳頃になり同時代を生きていたことになる。但しゆきえさんは一宮市の紡績工場に住み込みで働いているので遭遇はしなかった。森本は大滝屋という旅館に泊まって門入のめぼしい山と谷を跋渉した。ホハレ峠の話も出てくる。「あへぎあへぎ登る急な坂路は、太陽の光を顔に受けて峠に着いた時分には日焼けで頬がはれている。だから、ここはホヽハレ峠だという話を聞いたが、この峠の名前は街で信じてもらうにはふざけすぎている。だが私達は嘘だとは思わない。」
 栃や欅の原木を板に挽いてホハレ峠まで来ると余りの力仕事に頬が腫れるというのが由来のようだ。
 湛水が始まったころは遊覧船が浮かぶとか、門入へは県道が通るとかは仄聞したが今も実現していない。

門玲子『玉まつり』購読2020年06月17日

あの深田先生が何故・・・ 復員後の深田久弥が志げ子夫人と暮らした大聖寺・金沢で親しく夫妻の謦咳に接した著者には、思いがけぬ深田の噂は大きな謎となった。 作品を丹念に読み解くことで昭和文学史の真実に迫る。久弥、八穂、志げ子への鎮魂の書。
幻戯書房刊。2020.5.24

表紙は富士写ヶ岳

副題
深田久弥『日本百名山』と『津軽の野づら』と

門玲子(ウィキペディア)

門 玲子(かど れいこ、1931年3月24日[1]- )は、日本近世文学研究者。
石川県加賀市大聖寺生まれ。1953年金沢大学文学部卒。1980年『江馬細香 化政期の女流詩人』で第8回泉鏡花記念金沢市民文学賞受賞。1998年『江戸女流文学の発見』により毎日出版文化賞受賞。江馬細香など近世の女性漢詩人、只野真葛など近世の女性思想家について研究している。

幻戯書房NEWSから
 
深田久弥と同郷で、復員後の深田と身近に接した著者が、当時を回想し、深田と北畠八穂の作品を丹念に読み込み、昭和文学史の真実に迫る、鎮魂の長篇エッセイ。

●本文より
 深田は長患いの八穂のためにさまざまに心を砕いている。上林暁の《この夫婦は辛い夫婦だつた》という言葉が思い合わされた。

中日新聞書評
深田久弥の謎 読み解く 同郷の門玲子さん 長編エッセー出版
 石川県大聖寺町(現加賀市)出身で「日本百名山」の著者として知られる作家深田久弥(きゅうや)(一九〇三〜七一年)。戦前は鎌倉文士として名をはせた深田が、戦後は大聖寺や金沢市で七年半を暮らし、「山の文学者」となっていったのはなぜか−。同郷の出身で、久弥と妻志げ子とも親交のあった女性史研究家の門玲子さん(89)=愛知県大府市=が、作品を読み解きながらその謎に向き合った長編エッセー「玉まつり 深田久弥『日本百名山』と『津軽の野づら』と」(幻戯書房)を出版した。(松岡等)
 東京帝国大在学中に改造社の編集者となった深田は、懸賞小説の下読みで、後に作家、詩人となる北畠八穂(やほ)(一九〇三〜八二年)の応募してきた作品「津軽林檎」に才能を感じ、八穂の住む青森まで出向く。
 結ばれた二人は、千葉・我孫子、東京・本所、鎌倉と移り住み、深田は文壇で頭角を現していく。しかしその出世作ともいわれる「津軽の野づら」に収められた「あすならう」は「津軽林檎」を元にしており、当時発表された作品のいくつかは八穂の下書きを元にした「共同作業」だった。
 また深田は、初恋の人だった志げ子と再会し、鎌倉でカリエスに悩まされていた八穂を残して、志げ子との間に子をもうける。出征した中国から復員後、深田は文壇を離れ、志げ子との間に生まれた子どもたち家族と故郷に暮らしながら国内の山々に登り、ヒマラヤの文献などを集めて読み込み、「山の文学者」となっていく。
 八穂は深田と離別後に作家として独立。やがて戦前の深田名義の作品の多くが八穂の下書きした作品だったと主張し、それが通説のようになっていく。しかし門さんは、八穂が戦後に自身の名前で発表した作品群にみられる独特の比喩や詩的な飛躍のある文章を読み込み、深田の理知的な作風と比較。「津軽の野づら」「知と愛」「鎌倉夫人」など、八穂が自作であるとする少なくない作品は深田自身のものではと示唆する。
 金沢で暮らしていた間、文化人の中心にいた深田が「僕の心の中に七重に鍵をかけたものはあるが、その他はすべてオープンだ」と語っていたのを聞いていたという門さん。「深田自身は(八穂とのことについて)一言も弁解をしていない。地元の大聖寺でも、深田の傷のようにそっとしているのではないか。しかし、それでは(八穂が主張したことだけが)事実になってしまう。自分が感じたことは書き残しておかなければ、という気持ちを持ち続けていた」と語る。
 書名の「玉まつり」は、松尾芭蕉が寿貞尼をしのんで詠んだ「数ならぬ身となおもひそ玉まつり」から。志げ子さんとの会話の中でふいに出たその句に「ほのかな表現に哀れふかい弔いの心」を感じ取ったという。
 本書は、深田と八穂が暮らした鎌倉と我孫子を訪ねた紀行文で締めくくられる。二人に縁の場所を歩いた旅は、深田が生涯明かさずにいた思いを、門さん自身が納得するためだったようにも読める。
 四六判、二百二十六ページ。二千八百円(税別)。

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たまゆらの恋なりき君はセルを着て 深田久弥
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深田久弥山の文化館
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『津軽の野づら』の原作と出版の著作権
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研究輯録-三遠の民俗と歴史 第8号発刊!
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「日本百名山」
»〈ふたり〉へ深田久弥と志げ子―石川・大聖寺、白山
http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200611250173.html

車載常備登山用具一覧2020年06月03日

沢登りは
a ハーネス
bロープ30mX8mm
cヘルメット
dスリング
eカラビナ+安全環付カラビナ
f沢スパッツ+沢シューズ+沢ソックス+軍手

キャンプ用品は
a4人用テント
bコッヘル大小+アルミ食器セット+箸
cマッチ+ライター+蚊取り線香+着火剤+ローソク
dマット
e夏用シュラフ
f包丁+まな板+お玉
g紙コップ+コップ

登山用具
a登山靴
bスパッツ
c蛭ファイター
d赤布
e鉈
f鋸

岐阜県飛騨地方で地震が頻発2020年05月19日

 昨日地震の頻発する異常事態を書いたばかりだが今日も未明にあった。地元のメディアの報道はまちまちだが、長野県側の長野放送でも以下のように報じた。さすがに関心が高まったのだろう。

地震相次ぐ...約1ヵ月で『111回観測』 長野・岐阜県境付近 未明からけさにかけて11回発生
https://www.fnn.jp/articles/-/43568

焼岳登山はしばらく控えた方が良いかも知れない。また上高地の観光もそろそろ緊急事態宣言が解除されたこともあり復活する。多くの人や車が往来することになる。そんな折に焼岳が爆発したらどうなるか。多くの観光客や登山者も様子見するに違いない。すると御嶽山の悲惨な事故が再発することになる。今度は観光客も混じるので登山届云々の話ではない。行方不明者が多数出るかも知れません。想像の話バッカですが、あるかも知れないと思ったら山なんて行けないことも確かです。それでも地震の頻発という警告は出ているのです。これを警報と考えるのは臆病過ぎるかな。

名古屋市は31℃を記録し真夏日になった!2020年05月02日

 真夏日の報道はチャイナウイルスの感染拡大を抑え込むのに追い風になると期待する。このウイルスは高温に弱いというからだ。そんな科学的な話も良いが、私はとっさにアマテラスのことを浮かべた。
 コロナとは太陽が月にすっぽり隠れる皆既日食のことで王冠とか光冠を意味する。その形がウイルスに似ているのでコロナウイルスというわけだ。月が隠していた日食が終わり太陽がダイレクトにわれわれを照らし始めた。
 古事記や日本書紀では太陽神のアマテラスが疫病神のスサノオを追放することになっている。今はまさに太陽神がアマテラスとなって現れたのである。そして疫病神のスサノオを追放し、世の中が明るく照らされる最初の印かも知れません。
 温かくなれば感染力は弱まる。感染しても発症を抑える効果があると思われる。人間の体温も上がり免疫力もつくだろう。
 令和2年の今、伊勢神宮に祀られたアマテラスは威力を発揮し始めた。このまま夏日が続いて欲しいものです。
 神風よ吹け吹け。
 カネで解決できることは政府がここぞとばかり国民に注力して欲しい。今までは外国に良いことばかりし過ぎたのだ。特に中国と親密になり過ぎた結果、入国した中国人が持ってきた豚肉製品の豚コレラが蔓延したことは耳に新しい。それが終わったかと思ったらこんどのチャイナウイルスの感染症拡大である。移民流入による多文化共生は経済の維持には良いが、ウイルスや不衛生までも共生は御免被る。

   金輪際御免被るコロナの禍   拙作

「ステイホーム(家で過ごそう)アクション」2020年04月29日

 信濃毎日新聞によると「 阿部守一知事は28日、大型連休が29日に本格的に始まるのを前に県庁で記者会見し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、不要不急の外出は控え、自宅で過ごすよう改めて呼び掛けた。県外からを含めた春山登山の自粛も促すため、北アルプスや八ケ岳など主要登山口の駐車場約20カ所について、閉鎖を管理者に依頼したことも明らかにした。

 知事は「ステイホーム(家で過ごそう)アクション」と銘打ち、外出自粛をアピール。市町村にも協力を求めて防災行政無線などで呼び掛けるほか、県外からの訪問自粛の徹底を図るため、高速道サービスエリアで館内放送やチラシ配布などをする。」
・・・要するに北アルプスの春山登山はGWが書き入れ時なのに来てくれるな、というのである。もちろん、チャイナウイルス感染防止とクラスター感染防止が目的。山岳遭難も毎年起きているから救助の際に感染者が遭難した場合はヘリのパイロット、隊員、運び込まれた病院関係者などにも感染拡大する懸念がある。陽性だった場合はヘリのパイロットは2週間待機を余儀なくされる。交代要員は余りいないはずなので冷や冷やしているわけだ。

北アルプスの山小屋はGWの期間中営業休止2020年04月14日

 北アルプス山小屋友交会所属のゴールデンウィークの営業を予定しておりました13 施設では、新型コロナウイルス「緊急事態宣言」発令を踏まえ、5 月 6 日までの間、宿泊営業を休止いたします。尚、今後の状況により、休止期間が変更になることがあります。ご理解賜りますようお願い申し上げます。
  宿泊営業以外の項目については下記のとおりですが、内容の変更や縮小など通常とは異なる対応となります。また期間も変更となる場合があります。下記情報は、ゴールデンウィーク営業予定の施設のみの情報です。
以上

 というわけで、チャイナウイルス禍は北アルプスを目指す登山者にも大きな影響を与える。しかし、自力で登山することを禁止したわけではない。昔ながらのテントをかついでいく場合は許されている。それも自粛の範囲といえばそうだが、絶好の春山登山の機会を見逃すわけにはいかない。但し、事故は常に留意するのは当然であるが、コロナ禍の最中で事故になると社会への負荷が大きい。慎重な判断が以前にも増して求められる。

自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」2020年04月06日

ソース:https://www.yomiuri.co.jp/national/20200406-OYT1T50058/
大見出し:自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」…地方は困惑「本来ありがたいが」

 新型コロナウイルスの感染者の増加を受け、東京都や大阪府などの大都市から地方に旅行したり、一定期間滞在したりする人が目立っている。インターネット上では「コロナ疎開」との言葉も使われる。ウイルスからの避難や「自粛疲れ」などが背景にあるようだが、専門家からは感染拡大の危険性が指摘され、各地で困惑が広がっている。

中略

「3密」避け冷静対応を 専門家呼びかけ
 政府の専門家会議メンバーの押谷仁・東北大教授は、都市部から地方への避難について、「新型コロナウイルスが拡散する恐れのある行動で、避けてほしい」と呼びかける。

 地方都市の中には医療機関の備えが不十分なところが多く、高度な医療が提供できる施設も限られる。住民に高齢者が多いこともあり、都市部から感染が波及すると、大きな被害が出る可能性があるという。

 押谷教授は、「密閉、密集、密接が起こる環境を避ければ、感染者が増えている東京や大阪でも普通に生活できる」と説明し、冷静な対応を求めている。
以上

・・・・そういえば、名古屋市でも4/4(土)の朝8時過ぎは車が多かった。名二環から一宮JCT経由木之本ICまで利用したが、養老SA辺りまでは車が多かった。関ケ原ICを過ぎてから交通量は激減したかに思う。
 木之本ICからR8に出てもやはり車は多く、サイクリストも良く見た。JR永原駅のPは数台の車で閑散としていた。輪行袋を抱えたサークルも見かけたが数は少ない。私はより人の居ない山中へと分け入ったから「三密」は回避できている。万路越えから無名のコブで3人に会っただけ。
 海津大崎へ下山後は、予想ではマキノ町のHPで有名な花見のイベントを中止したから閑散としているかと想像したが、県道は一方通行で渋滞中であった。ナンバーは滋賀県が圧倒し、他に京都府、福井県くらいで都会からの他県ナンバーの「コロナ疎開」はなかったかに思える。交通監視員に聞くと、それでも例年よりはうんと少ないのだとか。
 こちらはマキノ駅から永原駅まで乗車したが、駅のホームでは私一人、車内の乗客も閑散。下車する人もちらほら。マイカーに戻るとあとは接触は地元スーパーでの買い物以外は自宅までほとんどない。一宮JCTではいつもの渋滞はなく、名二環もスムーズだった。愛知県民は自粛を守っているのだろう。帰路は早かった。帰宅後は手洗い、入浴、うがいをして就寝。
 自粛で室内にいると読書するくらいしかない。あるいは隅々の掃除とかはこの機会にやるが気は進まない。やっぱり人は他人との接触の中で生きている。そういう形で物事は進んでゆくものなんだな。

コロナに関する山名2020年03月12日

 中国の武漢市に発生し拡散されてしまったコロナウイルス。コロナとは何だろう。古い人はトヨタの車名のトヨペット・コロナを浮かべるだろう。登山が趣味の私は乗鞍岳のコロナ観測所を想う。娯楽事業の「コロナグループは、複合型娯楽施設のコロナワールドなどを運営する愛知県の企業グループ。」もある。映画館の名前になっている。また冬にお世話になる石油ストーブメーカーにもその名がある。
 割に親しい語彙である。その意味は何か。ギリシャ語では王冠という。コロナウイルスはウイルスの形が王冠に似ているかららしい。
 トヨタの車名は王冠を意味するクラウンに始まり、コロナは「太陽大気の最外層で、皆既日食の時、太陽のまわりに真珠色の淡い冠状の光として見えるもの。」に因む。光冠とする書き方がある。花冠を意味するカローラも冠になる。日本語の冠を英語化したカムリで冠シリーズは終わった。
 さて山の名前には冠山がある。岐阜県と福井県の境にある。広島県にも一等三角点の冠山がある。美ヶ原の最高峰は王ヶ頭という。山梨百名山の王岳がある。近場の冠山にでも登ってコロナウイルスを征服してみたい。