八草駅から猿投山へ縦走2024年01月04日

白山連峰
 電車とバスで山々を跋渉したい。日照時間の短い時期なので猿投山の縦走を企てて見た。三角点「西広見」を経由して物見山に行き、猿投山へ縦走する計画である。
 リニモ終点の八草駅を8時40分ごろ下車。8時50分、身支度して駅から愛工大の南をなぞると椀貸池に着く。日本のあちこちにある椀貸伝説の池である。今は水を抜いて池さらえの最中。俳句歳時記に池普請という冬の季語がある。
 胸形神社への参道を登ると終点に本殿があった。道迷いも含めて約1時間ちょっとかかった。せっかくなので参拝させてもらった。
 右端にトイレがあり、脇から尾根に取り付く。ヤブこぎというほどの密植ではない。尾根の分岐には篤志家の付けたテープがある。あるかないかの踏み跡をたどるとやがて二等三角点「西広見」に着く。瀬戸市と豊田市の市界には破線があり微かな踏み跡が続く。
 里山の常で小さなコブには四方に枝道がありどれにもテープがある。その度にヤマップで方向を確認。しかし時には濃厚なテープにだまされてしまい、下がり過ぎて戻ること2回あった。海上の森からの道と合流するとハイカーに出会った。さすがに海上の森である。高速道路のようにアクセルを踏むだけで何の迷いもなく、快適に移動できる。最初のピークである物見山に登頂。麓や山中で迷ったのでロスタイムがあり予定より1時間遅れになった。
 先が長いので12時に出発。この先の道も昔は難路だった記憶がある。今は快適な高速道路である。猿投方面から続々ハイカーやトレランのランナーが丸腰か軽装で走ってくる。小休止しておにぎり1個とお茶を飲む。赤猿峠がエスケープルート選択の分岐点になる。延々続く稜線の道をたどってようやく赤猿峠に着いた。ここでアンパンを半分、ミルクでエネルギーを補給。時計を見ると15時前なので1時間で着けば日没の16時50分までに猿投神社に下れる。
 13時50分赤猿峠着、14時過ぎ出発。猿投山へは14時45分に着いた。単独のハイカーが一人居ただけだった。冠雪した伊吹山、能郷白山、白山、御嶽山と名峰が並ぶ。カメラに収めるとまた4人組の若者らが来た。入れ替わるように多数のハイカーが遅めの登頂を目指す。東の宮の入り口で15時40分になった。日没を考慮して車道コースを下った。16時53分に日没。猿投神社には17時ジャスト。薄暗い中、結構多くの善男全女が居る。おみくじには行列していた。私も参拝を済ませた。参道にはたこ焼きなどの多数の露店が並ぶ。そこをを通って山門を出た先にバス停がある。17時10分にバス停を見ると17時34分のバスがあった。たこ焼きを食べながら時間を過ごす。バスに乗ると西の空が赤く焼けて見える。名鉄豊田線上豊田南バス停を降りるともう真っ暗だった。道行くおばさんに駅を聴くと今から行くというのでついて行った。いわゆる駅前らしくない田舎駅だった。地下鉄の階段を下りるような感じである。18時11分の上小田井行に乗車すると植田駅までは意外に近かった。

風もなく雲一つなき初猿投 拙作2024年01月01日

 窓から眺める猿投山。いつも見慣れた風景であるが元旦の朝は格別である。
 俳句では元旦に眺める山野は初山河、有名な山は例えば初富士、初浅間である。地域により初筑波、初比叡と詠む。東海地方ならば初伊吹、初御嶽、初恵那、初猿投である。

 猿投山の右の一段下がった辺りが猿投神社の奥宮の1つ西宮である。第12代景行天皇の皇子であるオオウスノミコトの墓がある。ヤマトタケルの兄とされる。左利きなので猿投神社には左鎌が奉納されている。
 本年の初詣は東郷町の白鳥神社にしたい。ここはヤマトタケルが御祭神になっている。西に東に活躍されたヤマトタケルにあやかりたい。
 別の日に豊田線、バスをつないで西宮から東宮、猿投山、物見山を経めぐる登拝ウォーキングにでかけようと思う。

雑用に明け暮れすでに小晦日 拙作2023年12月30日

 晦日はつごもりと読む。小晦日は12月30日のことで、こつごもりと読む。 31日は大晦日になる。本年の最終週は瞬く間に過ぎてしまった。
12/25  相続の最終業務として送金をすました。これで肩の荷を下ろし、ほっとした。
12/26  午後はコンプライアンスとハラスメントで研修。

12/27  山岳会の役員20名で最後の忘年会実施。

12/28  健康管理のために大和芋を常食するためにどんぶり大の擂鉢を購入。食べる分だけ摺り下ろしてどんぶりにご飯をよそって無駄なく食べる。年賀状の段取り。

12/29  40枚の年賀状の下書き。

12/30  小晦日。コロナの間増えすぎた書籍の整理のために本棚を物色。エンチョーを見るが組み立て家具はないので、アマゾンで発注、1/26着荷の予定。年賀状は手に付かず。

鶏むしるべく冬川に出でにけり 飯田龍太2023年12月28日

 朝一でタイヤ交換をする予定だったが、昨夜の忘年会の酔い覚ましで半日を無為に過ごしてしまった。午後から久しぶりに行きつけの喫茶店で怠惰な時間をむさぼる。新聞3紙と週刊誌2誌をざっと読む。今の話題は豊富である。
1 相続とか終活の話題
2 老後の健康と薬の話
3 政治の話題
4 経済の話等々
 午後からは買い物に出かけた。年末に食う年越しそばと汁に使う鶏ガラを買う。実家にいた子供の頃は、年末になると飼っていた鶏1羽を父親が捻った。それを私が近くの川に行って羽をむしった。むしると北風が吹いてきてふぁーっと空中に舞って飛んで行った。掲題の俳句はそんな思い出に直結する。特に名句でもないがありのままに描写されていかにも骨格の太い龍太の俳句らしい。
 他に牛肉、鶏肉、白菜、しいたけ、チーズ、真鱈の切り身とたくさん買い過ぎた。
 帰宅後はアマゾンから小さめの擂鉢、擂粉木を注文した。便秘解消のために大和芋を食べ始めたら覿面に効果がある。

1 おろし器でおろし、

2 擂鉢で汁と生卵を合わせてすりおろす。

3 ご飯にかける

 おろし器ですり下ろすのを止めて擂鉢で直接摺ると結構摺れると分かった。しかし、どの器具にも粘った残りものが出る。
 しかも1本の大和芋で3食分はあるので余る。今の時期は暖房の無い部屋で保存して食べ尽くす。日常的に四季を通じて食すとなると調理は一食分のみにしたい。そこで丼の大きさの擂鉢を購入して、そこにご飯を入れて混ぜて食えば残らない、というわけだ。

ストーブや相続で夜も遅くまで 拙作2023年12月24日

 22日に送金したかったが書類作成に手間取って、23日も24日も続けて、ようやくまとまった。今日もエクセルで作成中の表の小さな訂正を繰り返すうちにセルに埋め込んだ計算式が壊れたかに思った。落ち着いて丁寧に最初からやり直してようやく出来た。送金は25日になった。

気の合った山の仲間で年忘れ 拙作2023年12月15日

 名古屋市の繁華街にある和食の店で忘年会を開催。といっても3名だけのささやかな規模です。刺身などを中心に2時間半も食べて飲んで話してお開きでした。広小路通りに出て何とか言う喫茶店で一休み後10時に解散した。

冬温し一駅前で降りて行く 拙作2023年12月14日

 桜通り線の高岳駅で下車。事務所まで歩く。温かいせいか、街を歩く人も伸び伸びしている感じ。ちょうどお昼時でもあり昼食の店に並んでいる会社員らしい人もいる。
 前を歩く3人組の男らが皆後頭部が禿げている。身なりから推してきっと五十歳代だろう。自分も上からの鏡では禿てはいないが薄くなったと感じるこの頃である。昨夜作った木の葉髪の続編です。

スーパー銭湯に入湯2023年12月13日

   銭湯にての雑感

太ももの細くなりけり木の葉髪

後へと退く額木の葉髪

    入湯料金600円
高くなるモノの値段や冬の夜

冬の夜のネオン瞬く銭湯に

愛されしホームドラマや麦秋忌 小津安二郎生誕120周年2023年12月12日

小津安二郎生誕120年記念プロジェクト特別映像
https://www.youtube.com/watch?v=tUTo1Hgh8u0

 今日は小津安二郎の誕生日にして命日である。

たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず 啄木2023年12月06日

 本人または家族がインフルのせいか例会を休む会員が多かった。報告事項を終えて閉会後はいつも夜食を食うが今夜は2人だけになった。その中で山岳会の活動を休もうという話になった。
 原因は老母の介護である。通院、デイサービス、買い物に車に乗せて付き合うそうだ。大変なことである。今は妻の協力もあるのでうまく回っているらしい。いよいよとなれば突っ切りになる。
 別れて帰り道でふと頭に掲題の短歌が浮かんだ。自分を産んで育ててくれた老母を背負ってみれば体重が軽くて驚いたのである。わが身を削って子育ての苦労の末に軽くなってしまった。母を思いやる歌である。
 会友にもそうやって母親の世話をすることが幸せなんだ、と。昔から親孝行したい時には親は無し、とそういう話もある。現実には介護施設に入居させて姥捨て山同然に扱われる老親たち。長過ぎる老後が社会の負担になっている現実が重い。