未来へつなぐ俳句コンテストに応募 ― 2026年06月30日
6/27に新聞で知った同コンテストの俳句は全部で12句作った。SNSに掲載したものは除くと10句から3句を選んでHPから応募した。締め切りは7/5だが忘れるから出来たときに送信。発表は9月。
コロナ禍を謳う俳句作品募集 ― 2026年06月27日
台風が連ちゃんで来襲、加えて山梨県富士五湖を震源とする地震があって穏やかではない。外は雨だが風はないのでたまった汚れ物の洗濯をした。一段落して、いつもの喫茶店でコーヒータイム。読売新聞を開いたら広告欄に「俳人・夏井いつき先生が審査員長 新型コロナウイルス感染症をテーマとした俳句コンテストを開催 「暮らしを守る コロナの学び 未来へつなぐ俳句コンテスト」 2026年6月5日(金)より募集開始」が目に留まった。
主意は「当社は、俳人・夏井いつき先生を審査員長に迎え、読売新聞社との共催により、新型コロナウイルス感染症をテーマとした「暮らしを守る コロナの学び 未来へつなぐ俳句コンテスト」の募集を、2026年6月5日(金)より開始します。本コンテストは、俳句を通じて、一人でも多くの方に新型コロナ感染症の「今」を知っていただくとともに、これまでの経験を生かし、ご自身やご家族の暮らしを守るためにできることを社会全体で考える機会とすることを目的としています。本コンテストは読売新聞社との共催により実施します。」というもの。
「テーマ: 新型コロナウイルス感染症の経験と、これからのわたしたち
募集内容:
新型コロナウイルス感染症の経験や対策の知恵、
平時の暮らしのありがたさ、この機に伝えたい想いなどを表現した俳句
日常生活の中での気づきや共感、希望や前向きなメッセージが感じられる作品のご投句をお待ちしています。
※五・七・五の形式で作成してください。
※1回のご応募で3作品まで。ペンネームでの応募可。
※俳句に込めた思いや背景、コメントもあれば添えてください。
注意事項として以下
•作品内への、特定の病院名や個人名など個人を特定できる内容、病院・個人を特定できる文言や、治療薬およびワクチンの製品名、検査値、副作用等に関する具体的な記述はお控えください。
•新型コロナウイルス感染症に関して、誤解を招く表現や不快感を与える内容の記述はお控えください。
•主催者が不適切と判断した応募、または応募条件を満たさない応募は無効とする場合があります。
•ハガキ・封書による応募は無効となります。
•応募作品は、ご本人が創作した未公表作品に限ります。受賞作品発表まで、インターネットやSNS等で公表しないでください。
•二重応募や著しい類想類句、受賞作品発表前の公表、著作権侵害等が判明した場合は、審査の対象外、または受賞を取り消す場合があります。
•俳号(ペンネーム)が公序良俗に反するなど不適切と判断した場合、作品発表時にペンネームの掲載を見送る場合があります。
•受賞作品に関する著作権を含む一切の権利は、武田薬品工業株式会社および読売新聞社に帰属します。受賞作品の発表や制作物等への二次利用に関する権利についても、武田薬品工業株式会社および読売新聞社が有するものとします。なお、その際に応募者氏名等を表示する義務を負いません。
•選考基準・審査結果に関するお問い合わせにはお答えできません。
以上
選者の夏井いつき先生は中日新聞が毎年8月に募る平和の俳句にしても詩になっているか、どうか、と話しておられる。つまり川柳や標語でははねられる。受賞するにはなかなかに厳しい。
例えば即興で作ってみた。
どこであれ常に備えしマスクかな
なんて句はどうだろう。実際、車の運転席、机の引出し、カバン、山用のザック、服のポケットなど様々な場所にマスクは常備しているからだ。
とりあえず10句作ってみた。ここに書いた句は投稿できない。推敲を重ねてこれはという句を3句投稿してみたい。
主意は「当社は、俳人・夏井いつき先生を審査員長に迎え、読売新聞社との共催により、新型コロナウイルス感染症をテーマとした「暮らしを守る コロナの学び 未来へつなぐ俳句コンテスト」の募集を、2026年6月5日(金)より開始します。本コンテストは、俳句を通じて、一人でも多くの方に新型コロナ感染症の「今」を知っていただくとともに、これまでの経験を生かし、ご自身やご家族の暮らしを守るためにできることを社会全体で考える機会とすることを目的としています。本コンテストは読売新聞社との共催により実施します。」というもの。
「テーマ: 新型コロナウイルス感染症の経験と、これからのわたしたち
募集内容:
新型コロナウイルス感染症の経験や対策の知恵、
平時の暮らしのありがたさ、この機に伝えたい想いなどを表現した俳句
日常生活の中での気づきや共感、希望や前向きなメッセージが感じられる作品のご投句をお待ちしています。
※五・七・五の形式で作成してください。
※1回のご応募で3作品まで。ペンネームでの応募可。
※俳句に込めた思いや背景、コメントもあれば添えてください。
注意事項として以下
•作品内への、特定の病院名や個人名など個人を特定できる内容、病院・個人を特定できる文言や、治療薬およびワクチンの製品名、検査値、副作用等に関する具体的な記述はお控えください。
•新型コロナウイルス感染症に関して、誤解を招く表現や不快感を与える内容の記述はお控えください。
•主催者が不適切と判断した応募、または応募条件を満たさない応募は無効とする場合があります。
•ハガキ・封書による応募は無効となります。
•応募作品は、ご本人が創作した未公表作品に限ります。受賞作品発表まで、インターネットやSNS等で公表しないでください。
•二重応募や著しい類想類句、受賞作品発表前の公表、著作権侵害等が判明した場合は、審査の対象外、または受賞を取り消す場合があります。
•俳号(ペンネーム)が公序良俗に反するなど不適切と判断した場合、作品発表時にペンネームの掲載を見送る場合があります。
•受賞作品に関する著作権を含む一切の権利は、武田薬品工業株式会社および読売新聞社に帰属します。受賞作品の発表や制作物等への二次利用に関する権利についても、武田薬品工業株式会社および読売新聞社が有するものとします。なお、その際に応募者氏名等を表示する義務を負いません。
•選考基準・審査結果に関するお問い合わせにはお答えできません。
以上
選者の夏井いつき先生は中日新聞が毎年8月に募る平和の俳句にしても詩になっているか、どうか、と話しておられる。つまり川柳や標語でははねられる。受賞するにはなかなかに厳しい。
例えば即興で作ってみた。
どこであれ常に備えしマスクかな
なんて句はどうだろう。実際、車の運転席、机の引出し、カバン、山用のザック、服のポケットなど様々な場所にマスクは常備しているからだ。
とりあえず10句作ってみた。ここに書いた句は投稿できない。推敲を重ねてこれはという句を3句投稿してみたい。
雑誌・会報届く ― 2026年04月27日
2つの山岳会の会報や機関誌や俳句結社からどさっと雑誌が届いた。東京に本部のある山岳会は電子化へ誘導することが多くなった。郵送費が馬鹿にならないくらいに高騰したからだろう。しかし、紙に執着があるからなあ。
大給城址から岩谷山を歩く ― 2026年04月19日
4月になった。天白川堤防沿いの桜が満開から葉桜、そして散ったというのに中々出掛ける機会がなかった。やっと豊田市郊外の里山を歩けた。
春更けて山奥深く浸りけり
ウグイスのしきりに鳴くや城の跡
廃田を無心に耕す老農夫
と詩心のおもむくままに作った。
まず小さな峠から大給城址に登城した。松平家の初期の武家。ここから岡崎平野へと領地を広げていったのだ。城趾の一角からは豊田市街を見下ろせる。道は整備されて険しくなくぶらっと散策に良い。
地図を見て岩谷山へミニ縦走した。山道は俄然悪くなりコース外れで行きつ戻りつを繰り返した。岩谷山の山名通り山頂付近は大岩が屹立する険路になった。御嶽教の様な山岳宗教の雰囲気がある。修行僧がいたのだろうか。危うく無理して下りかかったがおかしいと気がついて引き返すと普通の山道に戻れた。岩谷山は専用の登山口から登らないとけっこう骨が折れる。
一旦林道に出て山里につながる車道を戻った。その後九久平の県道39号線に出てお菓子屋で柏餅を購入。
主目的の松平辰蔵の墓に詣でた。お菓子屋の北のセメントの階段を登って行くと植林内に着く。右行くとヤブ気味で建物がある。何となく左に行けば良さそうだが階段まで戻った。直進すると薄い踏み跡があり奥に墓石が見えて来た。無秩序な感じで墓が建っている。松平辰蔵の墓は上の方にあった。
1836年の加茂一揆の頭取だった男だ。1万人以上の農民が動員された。松平一体の農民が米価高騰に怒って立ち上がった。挙母藩、岡崎藩に抑え込まれた。1840年のアヘン戦争敗北から植民地化を恐れた幕府は開国に踏み切った。幕末は騒然とするが世直しのきっかけになった一揆だった。取り調べに対して上が腐れば下は猶も腐ると言った。松平の名をいただいた男の気概だろう。
松平往還を歩いた際に豊田市滝脇町の小学校付近にあった岩御堂が一揆のモニュメントである。
下山後は豊田市中央図書館に寄って加茂一揆の史料に当たって見た。辰蔵の家は焼かれた。早くに死んだ。取り調べの記録もある。藩は治安のために処分せざるを得なかった。原因はインフレだった。戦が無いと人口は増える。モノが足りない。
幕府、藩は給与を米で払った。米価は高い方が良い。今も消費税増減税でもめる。公務員の給与は税金だから増税を維持したい。
こうして昔も今も税金を巡る争いの種は尽きない。
春更けて山奥深く浸りけり
ウグイスのしきりに鳴くや城の跡
廃田を無心に耕す老農夫
と詩心のおもむくままに作った。
まず小さな峠から大給城址に登城した。松平家の初期の武家。ここから岡崎平野へと領地を広げていったのだ。城趾の一角からは豊田市街を見下ろせる。道は整備されて険しくなくぶらっと散策に良い。
地図を見て岩谷山へミニ縦走した。山道は俄然悪くなりコース外れで行きつ戻りつを繰り返した。岩谷山の山名通り山頂付近は大岩が屹立する険路になった。御嶽教の様な山岳宗教の雰囲気がある。修行僧がいたのだろうか。危うく無理して下りかかったがおかしいと気がついて引き返すと普通の山道に戻れた。岩谷山は専用の登山口から登らないとけっこう骨が折れる。
一旦林道に出て山里につながる車道を戻った。その後九久平の県道39号線に出てお菓子屋で柏餅を購入。
主目的の松平辰蔵の墓に詣でた。お菓子屋の北のセメントの階段を登って行くと植林内に着く。右行くとヤブ気味で建物がある。何となく左に行けば良さそうだが階段まで戻った。直進すると薄い踏み跡があり奥に墓石が見えて来た。無秩序な感じで墓が建っている。松平辰蔵の墓は上の方にあった。
1836年の加茂一揆の頭取だった男だ。1万人以上の農民が動員された。松平一体の農民が米価高騰に怒って立ち上がった。挙母藩、岡崎藩に抑え込まれた。1840年のアヘン戦争敗北から植民地化を恐れた幕府は開国に踏み切った。幕末は騒然とするが世直しのきっかけになった一揆だった。取り調べに対して上が腐れば下は猶も腐ると言った。松平の名をいただいた男の気概だろう。
松平往還を歩いた際に豊田市滝脇町の小学校付近にあった岩御堂が一揆のモニュメントである。
下山後は豊田市中央図書館に寄って加茂一揆の史料に当たって見た。辰蔵の家は焼かれた。早くに死んだ。取り調べの記録もある。藩は治安のために処分せざるを得なかった。原因はインフレだった。戦が無いと人口は増える。モノが足りない。
幕府、藩は給与を米で払った。米価は高い方が良い。今も消費税増減税でもめる。公務員の給与は税金だから増税を維持したい。
こうして昔も今も税金を巡る争いの種は尽きない。
地名と季語・・・六花のこと ― 2026年03月27日
俳句雑誌『辛夷』4月号が届いた。早速連載中のコラム記事用の句を探す。今月はすぐに見つかった。六花という季語で手際よくまとめてある。一読地味な句風ではあるが、六花の季語のもつ凄さが分かる人には好さが分かるはずだ。雪が降って来るのだが目に見えるのは六角形の結晶だからとにかく寒いことを髣髴させる。そんな場所は北陸から以北である。地域制も想像がつく。
以前、奥近江の冬山に登った。登路の谷の名前がリッカ谷だった。後で調べてこれは六花谷だろうと断定した。地形図には山の名前が無いので人が登らないから山の本には書いてない。知る人ぞ知る地名であろう。
以前、奥近江の冬山に登った。登路の谷の名前がリッカ谷だった。後で調べてこれは六花谷だろうと断定した。地形図には山の名前が無いので人が登らないから山の本には書いてない。知る人ぞ知る地名であろう。
残雪や曽って一揆のありし村 (貫野 浩) ― 2026年01月14日
郡上八幡観光協会 Gujo Hachiman Tourism AssociationのFBから
本文
雲間から差す日の光は、
郡上八幡城(岐阜県)の天守閣や
木々の枝の雪を垂(しず)るものの、
白山へとつづく山のうねりは、
まだ白銀(しろがね)に輝いています。
自分のコメント
郡上市は白山文化の里。白鳥町の白尾山は白山の尾に当たるから白尾山と言う、と白鳥町史にあった。以南も山続きで郡上八幡に至る。
籠訴をしたために獄門晒し首になった一揆の首謀者の実家を訪ねた。大日ヶ岳山麓だった。当家は北海道へ移住されたが墓を拝んで来た。
冒頭の句はそういう歴史を知るものには感慨深い。ああそうなの、と読み流せない。東殿山の登山口付近、タラガ峠への途次にも一揆の記憶を忘れまいと石碑が建っていた。
本文
雲間から差す日の光は、
郡上八幡城(岐阜県)の天守閣や
木々の枝の雪を垂(しず)るものの、
白山へとつづく山のうねりは、
まだ白銀(しろがね)に輝いています。
自分のコメント
郡上市は白山文化の里。白鳥町の白尾山は白山の尾に当たるから白尾山と言う、と白鳥町史にあった。以南も山続きで郡上八幡に至る。
籠訴をしたために獄門晒し首になった一揆の首謀者の実家を訪ねた。大日ヶ岳山麓だった。当家は北海道へ移住されたが墓を拝んで来た。
冒頭の句はそういう歴史を知るものには感慨深い。ああそうなの、と読み流せない。東殿山の登山口付近、タラガ峠への途次にも一揆の記憶を忘れまいと石碑が建っていた。
忘年会旧知の人と二次会も 拙作 ― 2025年12月16日
名古屋市東区は江戸時代は武士の屋敷があったエリアで白壁でも知られる高級住宅街になっている。今夜の忘年会は武家屋敷をレストランに改造してフランス料理を食う趣向であった。
旧知の同窓の後輩が二次会はないのか、とつぶやく。12/11に行ったばかりの居酒屋に連れて行った。さすがに高齢の身には飲めないので焼酎のお湯割り二杯で引き揚げた。
旧知の同窓の後輩が二次会はないのか、とつぶやく。12/11に行ったばかりの居酒屋に連れて行った。さすがに高齢の身には飲めないので焼酎のお湯割り二杯で引き揚げた。
入学の児に書留で贈るなり 拙作 ― 2025年12月10日
姪の娘が来年6歳の学齢期になる。SNSで見ていたらもうランドセルなど購入して準備中なのでささやかながら金品を書留で送金しておいた。
俳句原稿送付 ― 2025年12月09日
俳句雑誌への連載記事を送信しておいた。採用した句は小津安二郎監督に因む俳句だったので蘊蓄を傾けて書いた。12/12は小津忌でもある。投句のはがきは昨日投函。
俳句7句を書きだす ― 2025年11月02日
10月中に作った俳句を整理してみた。10/10の山上ヶ岳、坊ケ峰、緑区の毘沙門天と外に出る機会が多くあったので俳句の数は確保できた。
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