志村けん去(ゐ)んでますます春愁い 拙作2020年03月30日

志村けんさんが逝去

 昨日も行きつけの喫茶店で話していたばかりだった。志村けんさんの兄(73)が、話もできない、状態と。生死をさ迷っていたと知り、そして、死去の報に絶句する。この芸能人だけは死なせたくないですね、と異口同音に話した。こんな明るいキャラクターの人に死なれると武漢ウイルスへの憎しみが増す。

春雷を三度聞くなり飛騨の山 拙作2020年03月29日

 3/22の大鼠山スキー登山の途上、遠雷が鳴った。春は気圧が不安定な時期であり、上空5000m級の高層圏には冷たい空気が流れこみ、低空の温かい空気と触れ合って雷が起こる。「下山しろ、これから悪くなるぞ」というような嫌な音だ。雹か霰かが降ってきた。かといって引き返すわけでもなく遅々とした歩みで山頂へ向かった。

いづくより鹿の呼ぶ声霊山寺 拙作2020年03月28日

伊賀市名産の組み紐
  27日、郵便受けをみたら、伊賀市役所から封書が届きました。何だろうと開封したら、文書と組み紐が同封されていました。昨年11月30日(土)に登った霊山寺で投句した俳句が当選したというお知らせでした。武漢ウイルスでうっとうしい毎日ですが、ちょっぴり鬱な気分を明るくしてくれました。
https://maps.gsi.go.jp/
 選者の宮田正和氏をググると「宮田さんは31歳から俳句を始め、1975年に全国的な俳壇の登竜門である「角川俳句賞」を県内で初めて受賞。80年には「山繭俳句会」を結成し、主宰者として会活動をリードしながら、後進の育成でも多大な功績を挙げている。また、県俳句協会の設立に発起人として尽力し、県内の俳句文化の普及と向上に貢献した。」そうです。
 師系は「風」の沢木欣一(金沢市)で写生を基本とする俳人。中日俳壇の選者栗田やすし(「風」の後継誌の「伊吹嶺」創刊主宰)さんと同じ師系になる。沢木欣一は深田久弥とも近しい俳人で、1971.3.21に茅ヶ岳で死んだ時、「さながらに羽化登仙の山霞」と親密でないと詠めない追悼句を寄せた間柄だった。
 選者の宮田さんは三重俳壇の第一人者と分かりました。1933年生まれの高齢ながら今も頑張っておられます。こんな偉い選者に即興の拙作を選定していただき、丁寧な句評も大変うれしいです。それと組み紐もありがとうございます。伊賀市役所様にはお礼お申し上げます。

対岸のぼんぼり霞む花の雨 拙作2020年03月27日

 昨晩は天白川右岸の緑道沿いのぼんぼりが点いたことを発見した。季節は確実に巡るのにちょっと寂しい花見の季節になった。住まいの天白川堤防の桜並木の桜も3分咲きになっただろうか。今日は雨である。窓から眺めるぼんぼりも霞んでいる。

 森山直太朗の「さくら」をお聞きしましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=jqMCjCSSk6k

 この人が歌うとどうなるか
【さくら(独唱)】 島津亜矢
https://www.youtube.com/watch?v=ZichF_PPIQM

 もう一人今春小学校を卒業して4月からは中学生になるという東亜紀ちゃんの小学生4年次のカバー曲です。
【さくら】森山直太朗over東 亜樹、小学4年生
https://www.youtube.com/watch?v=WI94_7vpcxc

ウイルス禍柳に風と過ごされず 拙作2020年03月21日

名古屋城のお濠にて、キャッスルホテル前。
春らしい柳(春の季語)の芽吹きです。名句よりも「やはらかに柳あをめる北上の・・・」と啄木の短歌が浮かぶ。

ブログ「季語めぐり ~俳句歳時記~」から転載

 柳は芽吹いてから間もない頃、あるいは、葉がまだ瑞々しい頃が特に美しいため、春の季語とされる。
 細く垂れ下がった無数の枝が、黄緑色の若い葉をいっぱいにつけているのを見ると、思わず見入ってしまう。

 なお、枝垂柳は柳の代表的な種類で、糸柳は枝垂柳の別名である。

 また、青柳は葉が青々としてきた頃の柳を指し、そうなる手前の芽を出したばかりの柳は、芽柳(柳の芽)と呼ばれ、独立した季語として扱われることが多い。
 
 柳は、春のうちに種の入った無数の白い綿毛を風に放すが、これも「柳絮(りゅうじょ)」と呼ばれる独立した春の季語である。
以上

 柳はほとんど詠んだことはない。但し黒部川を遡行した際に河原で休んでいて思わぬ柳絮を見ることになった。
「すると、空から白い綿毛が舞っては川に落ちている。あれは?柳絮だろう。これが風媒花というものだろう。町では春の季語であるが、高山では8月になる。
 ネットで見ると山岳俳人と呼ばれた前田普羅は柳絮の句を残している。普羅は自然を直視した俳人だったのだ。若い頃は植物研究会にも入っていたから詳しいわけだ。
 尾根を越す柳絮の風の見えにけり 普羅
 人に来て人に触れざる柳絮かな   普羅
 ひとすぢの柳絮の流れ町を行く   普羅
 ある時は柳絮に濁る山おろし     普羅 

 八月の黒部の奥の柳絮かな     拙作
 初秋や柳絮舞い落つ奥黒部     拙作」

母の背につひに追いつき卒業す 拙作2020年03月21日

 前日に同じ東亜紀ちゃんが小学校を卒業。フェイスブックに投稿された母親(推定年齢13歳+25歳≠38歳)と並んだ写真を見るとほとんど並んで見える。亜紀ちゃんが歌いだし動画が投稿されたのは小学校低学年からだったからまだほんとに子供だった。ところがしっかりした歌い方、歌詞の記憶力抜群で周囲を驚かした。そこで天才少女歌手の呼び声が高まり引っ張りだこになった。
 幼女の頃は可愛かったがこれからは急速に大人に脱皮してゆく。体格的には母親と並んだことでもう大人に近い。女性らしい表現力や仕草、作法など学ぶことも増える。インプットがなければアウトプットも無いわけで、プロになるには信頼できるメンターが必須である。
 また良い素材の人材は居ないか、と芸能界は新人を発掘しているはずだ。いわゆる名伯楽(育ての親)に出会えるかどうか。生みの親から歌手としての才を磨く育ての親に恵まれると良いな。

歌姫の才を伸ばせよ卒業子 拙作2020年03月20日

 天才少女歌手の呼び声高い東亜樹ちゃんが名古屋市内の小学校を19日、めでたく卒業した。4月からは中学生になる。何年か前から動画を見てきた。歌詞を間違わずに覚えて音程もきちんと唄う。しかも声量もある。卒業式の動画には袴姿で歩いているところが撮影された。コロナウイルスの感染防止のため、マスクをしての姿が異様ではある。

雪解川彼方赤石岳聳ゆ 拙作2020年03月19日

大鹿村からの赤石岳
 リニア工事の始まっている大鹿村。小渋川をまたぐ橋から源流の赤石岳が真っ白に輝いた。7年後は瞬間風速のような列車と組み合わせる写真が撮れるかも知れない。生きて居れば?

春の風さざなみ立てしお堀かな 拙作2020年03月16日

北の西区堀端町から眺めた天守閣とお濠
 名古屋城の配置図を見ると、真南の正門と真東の東門しかない。正門は本町通をはさんで三の丸から丸の内につながった。丸の内は御用商人の街である。東門は武家屋敷に直結していた。
 だから水のないお濠は見て居ていたが西北と北は防御ゾーンなので満々と湛えた広大なお濠になっているのである。

名城の堀に水脈引く残り鴨 拙作2020年03月15日

西日を受ける名古屋城の西北隅櫓
 きんしゃちブログによると「名古屋城のお堀は本丸の北側と西側が水堀、南側と東側が空堀となっているのが特徴。南側には武家屋敷が立ち並び、本町通りを通り熱田神宮まで城下町が続いていた。北側にある水堀は仮想敵は北から攻めてくると想定して名古屋城が造られたことを物語っている。
 敵を防ぐためのお堀ではあるが、水が干上がってしまっては意味がない。しかし江戸時代に築城されてから今日までどんなに猛暑だろうとお堀の水が干上がってしまったことはない。」という。それでお堀が広くしてあるのだ。
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 地形図を見ると、隣は庄内川をへだてて北西に清須市がある。江戸時代初期に清洲では西から攻められたら危ないので商人ともども清洲越でここへ引っ越したんですね。