高校生の冬山禁止の是非2017年04月08日

 4月5日付の中部経済新聞の一面「中経手帖」の手帖子が高校生の冬山禁止の動きを危惧している。
 那須町の山で起きた雪崩で8人の高校生らが亡くなった遭難事件に関し「冬山は危ないというイメージを決定的にしてしまった。・・・」と書きだし、「高校生の冬山を禁止する動きが広がりつつある。」と危惧する。 事故後に手帖子は白草山に登り、眼前の御嶽を目の当たりに見て、「この壮大な眺めを、山好きの高校生から奪うのはどうかと思う。中略、禁止することはない。天候にわずかでも不安があれば登らなければ良いのだ。以下略」
 しかし、大学山岳部も高校山岳部の指導者のレベルもお寒い限りと思う。
 小屋番の山日記の「今西錦司の言葉」に書いた。今西錦司は「そんなわけで、立派な登山家の薫陶を受ける機会の無い初心者は、あえて老猟師とはかぎらずとも、郷に入っては郷に従えで、その山をよく知った土地の人に教えを乞うて・・・・・・・。そして経験者といえども、都会生活を送るものが、わずかの暇を盗んで得たぐらいの経験はどうせ大したものではない。われわれは山に対してはいつになっても初心者であるという謙譲な気持ちを、つねに持っていたいものである。 」と書いている。 登山技術はあるが山を知らない指導者が多すぎるのだと思う。「山を知るとはどういうことか。山に登るというが我々は頂を目指して登る。頂は山ではなく一部である。山は全体を指す。しかし、山に登って山を見渡すとき頂の形をしっかり目に焼き付ける。だから頂を隠して山体だけを見せられてもどの山か見当がつかない。頂を見れば見当がつく。言わば頂は山の顔である・・・と。実はこれも今西氏の見解である。
 この前銚子洞の遡行に失敗して道の無い稜線に追い上げられた際に役に立ったのは正しく頂の顔(特長)であった。目に見える山々のどれか一つでも正確に同定できればあとは地形図と照合していけば自分の位置が判明し、他の山も分かろう。山を知るということは大変に広範囲な知識だけではなく尾根、谷、樹木の有様に加えて言葉にならないことも含むであろう。
 奥美濃の花房山に登る前に谷の近くの民家に教えを乞うたがこの谷のあそこが特に悪い、注意して行け、とアドバイスを受けた。行ってみると地元でダイラと呼んでいるところで伏流して小広くなっていた。下山の際にあれっと思ったのはこんなところを通ったのかなあ、という疑問であった。多分道迷いを心配してくれたであろう。
 山の隅々まで特徴を把握している(頭の中に血肉化して刻まれている)即ちこれが山を知ることであろう。 」

那須町で高校生ら8人雪崩で死亡2017年03月27日

 栃木県那須町のスキー場でラッセルの訓練中に雪崩が起きて8人の高校生が死亡した。何ともショッキングなニュースに絶句する。亡くなられた生徒たちのご冥福をお祈りする。
 それにしても積雪33センチも新雪が降ったこと、1月から2月にかけての積雪の雪面がかたまり、その上に湿雪が積もれば雪崩れるのは必至だったはず。指導者たちの登山観はどうなっているのか。
 おそらく大学山岳部で鍛えられた先生だろう。厳冬の高山もこなしてきたに違いない。しかし、冬山の指導者足らんとするには最低でも20年は要するというのが持論である。18年から20年に1回は豪雪の年があり、雪崩れの遭難事件が多発する。こうした経験と観察で状況判断力が養われる。
 ところが大学山岳部出身者は一番危ないという説もある。実際、これまでに遭難で死亡した登山者はみな大学山岳部出身者だった。降雪中、降雪直後でも豪雪地帯の沢に滑り込んで行き、雪崩で亡くなった。もう一人も豪雪地帯の低山ながら切りたった崖の谷に突進して倒木の落下にあたり死亡、北アルプスの谷に午前10時頃入山して落石で死亡と枚挙に暇がない。登山技術以前の判断力の欠如である。
 かつて、私の所属する山岳会に入会した関東の若い転勤族がこう言ったものだ。「あなたは大学山岳部OBではない(社会人だ)から無理をしませんね」と。「えっ、他の会じゃそんなに無茶をしてるんかい」と返した記憶がある。結局、山岳雑誌の記事に刺激された読者は自分の力量を顧みず無茶をするのだ。悪天候を突いて登るのがアルピニズムとばかりに、中途半端な西洋からの登山思想を吹き込まれた大学山岳部OBの指導者がまだまだ多いのだろう。

登山技術の本質2017年01月04日

新年早々から山岳遭難のニュースがラッシュになっている。
しかも滑落が圧倒的に多い。

これはどうしたことか。
愚考するに
・ピッケルとアイゼンだけで冬山の基本装備は事足りるようになっている。
・確保のトレーニングが足りないのではないか。
・・・確保技術とは滑落停止
・・・ロープワークとしてコンテニュアス、スタカット
・基本装備はあくまで場面場面で使いこなすことが肝要である。
古い話であるが、
かつて11月後半の連休の富士山は全国から山岳会が集結し、雪上技術講習会のゲレンデと化した。
日本で一番早く積雪面が利用できるから北海道からも遠征してきた。
11月末までならば5合目まで車が通行できる。
一般は5合目にテント泊し、7合目付近で滑落停止の技術を繰り返しトレーニングした。

上級者はコンテニュアスで頂上を目指していった。
8合目付近から4人パーティが1人の滑落に引っ張られるような形で全員が滑落する事故があった。
その時、メンバーで掛け声をかけあって、全員が同じリズムでピッケルを刺すことで無事停止することができた。
今の登山者はこんなトレーニングを積んできているのだろうか。

別の登山者だが、同じ斜面で4名死亡している。滑落後、岩に激突したためだ。
その後、余りの事故の多さに山梨県警から入山禁止のお達しでトレーニングができなくなっている。
富士山の滑落事故が静岡県側に偏るのはその所為かと思われる。

山岳スキーにおいても顕著なことは道具が改良されて範囲が広がりパウダースノー指向が強まった。
・パウダーに突っ込む山スキーヤーの雪崩事故が跡を絶たない。
・降雪中、直後でも突っ込んでゆく。雪が安定するまで待てないのだろう。
・基本的な知識や常識を知らないことと、トレーニングの不足であろう。

赤沼千尋『山の天辺』を読む2016年12月30日

 赤沼千尋は黎明期の北アルプスの燕岳に登山小屋を建設した人である。『山の天辺』(昭和50年、東峰書房)は折々に書いた随想集の体裁となっている。扉には畦地梅太郎の版画「雪渓に立つ」「燕山荘」が挿入されている。序文は『たった1人の山』の浦松佐美太郎が書いた。
 今回特に書き残したいのは、「山男と遭難」の文に山小屋経営者ならではの秀逸なエピソードがあるのを見つけたからだ。
抜粋すると
「人生ことごとく運である。
山岳遭難もまた運である。」

「ことに雪山、それは荒れた日には、眼も開けられぬ恐ろしさに総毛立つ魔者となり、晴れた日と雪崩と言う武器で、音もなく襲いかかる狡猾な肉食獣となることがある。登山する人間にとって、このような山の災厄から逃れられる唯一の道は、天候などの条件のよい日に登山する以外はない。
 そして、早く登山したいはやる心を押さえながら、良い天候を待ち続ける忍耐心と、待ちに待つ時間がとれるかどうかということが問題なのである。」

 黒部の一帯を映画に撮影した名古屋の登山家・伊藤孝一著『狸囃子』からの引用から
「流動を停止した雪崩は、人間の眼には解らないが、停止と同時に力強い圧縮を開始するものである。故に、雪崩れている最中か、又は停止直後に、雪の中から泳ぎ出るか、或いは助け出されルカでなければ、忌まわしい結果が生じる。以下略」
「その夜、(佐伯)平蔵が雪崩に衝かれたら、押されるままにしていてはならぬ。足は飛んだり跳ねたり、手は眼の前を掻いて泳ぐように動かし続けることを忘れるな、と戒めた語り草は、生新しい体験が生んだ不滅の金言として、炉辺に居並ぶ全員の心の髄まで染み込んだ。」

 次は百瀬慎太郎遺稿集『山を想えば』からの引用
「前略、雪崩れに遭った時はいちはやくスキーを脱ぐ事が肝要だと言われる。これが咄嗟の場合によく行われ得る事だろうか。山田二郎氏(筆者注:慶応大学山岳部OB,マナスル隊員、元JAC会長)もこの試みを直ちに実行しようとして、右足のスキービンディングを脱いだ瞬間やられたのであった。それほど雪崩のスピードは速いものであった・・・。」

 以上の引用の後で赤沼自身の言葉は
「こんなエキスパートでも責任感が厚く、良い人たちが雪山に消えて行ったのである。今時の装備と比べれば誠にプリミティブなものであったが、然し登山の熱意と鍛錬並びに事前の準備は大変なものであった。それにも拘らず遭難した。そこには何か抗し難い運命のようなものが感ぜられる。」
と結んだ。
 単に思い出話や自慢話に終始しないで山と人生を語った名著の予感がする。今のところ本書は古書でしか入手できない。(愛知県図書館の横断検索をかけても1冊も蔵書がなかった。)中公文庫、岩波文庫辺りが文庫本化して欲しい。
 他に登山史から忘れられたような伊藤孝一の親友でもある。伊藤は厳冬期の北アルプスを縦走且つ映画撮影行という破天荒な登山家だった。赤沼は黒部の精通者として百瀬慎太郎とともに案内人役で同行した証人である。

低山学入門5・・・登山の装備と道具、服装など2016年12月12日

 登山の用具、服装は私の山歴40年の間にめまぐるしく変わった。
 当初は日常に着ていたシャツのお古、はき古したズボンを転用したり、帽子、手袋などは一般品を使っていた。高価なウールのシャツ、ズボン下を着て厳冬の山に登山してきた。

 ウールの保温性は抜群である。毛玉ができやすいことで擦り切れてしまい穴が開く。洗濯で水洗いができない。圧迫を受ける箇所はフェルト化しやすい。激しい使い方をするにはメンテナンス性が悪いというわけで登山衣料の世界からは姿を消した。わずかに手袋、帽子、靴下で頑張っている。

 今は登山専用にカスタマイズされた便利な機能的な衣類が普及している。例えばズボンのポケットのジッパーは一般品にはない機能である。割高な価格を除けば結構なことだと思う。
 友人の中には作業着の専門店で間に合わすのも居る。これは価格は50%OFFであるが丈夫さを機能とするためかやや重い。

 透湿性、吸汗性、保温性、洗濯に強い、防臭性はどの衣料も当然のようになった。登山用衣料から始まった差別化は一般化しているから量販店のものでも間に合うだろう。

 肌に着ける下着についてはナイロン製ながら機能的で画期的なものがある。汗を吸い上げて重ね着した衣料で発散する仕組みである。沢登りで全身が濡れても沢から上がるとさっと水切れして乾きが早い。これは優れものである。今までは衣類が水分を吸って重くなるわ、体温が奪われるわで対応が大変だった。長い距離では大きな差がつく。これは防寒着の下着にも有効である。冬でも汗で濡れることもあるからだ。

 登山靴も大きく変わった道具の一つだ。革製重登山靴からプラスチック製になった。中級から初級クラスの登山ではまだ革製が幅を利かせている。ナイロンの表皮が多かった軽登山靴は水分を発散するためにゴアテックスを組み込んだ靴を多く見かけるようになった。基本的には靴底がしっかり土や雪に食い込むパターンのものを選びたい。

 ストックは中高年世代が登山の世界に遊ぶようになってから急速に普及した道具の1つである。それまでは冬山でピッケルくらいしか手に持つ道具はなかった。山スキーではストック2本は必備の道具であり、それが独立して一般登山者をサポートする道具になったのだろう。伸縮機能付きが普通になった。

 地形図、コンパスは必携なのは昔からであるが近年は高度計付時計、更にGPS機能のスマホ、GPSが登山者に広まっている。この傾向に比例するように道迷いの事故が増えているのは皮肉である。使いこなせていないのだろう。事前に地形図をにらんで地形を読み込んでシュミレーションしておくことが肝要である。
・コンパス・・・自分の立ち位置を中心に方向を知る道具
・高度計・・・気圧を利用するので誤差を織り込んでおく。独立標高点があれば修正するか誤差を知っておく。
以上を踏まえて行き先を判断する。
・尾根、稜線、山頂・・・周囲を眺めて特徴のある山、地形があれば立ち位置からの方角を地形図に合わせる。特に山頂からは放射状に登山道が集まる場合は下山に要注意である。
・谷の中・・・特徴のある地形・・・滝、大きな崖、大きな岩、大きなガレ、大きな崩壊地、谷の上を横切る高圧電線、谷の下に広がる風景などを判断することになる。

 ザックは殆ど変わり映えのしない道具である。機能は収納だけであるからそう進歩することもなさそうである。

 ヘッドランプは夜間の照明に欠かせない。乾電池のたゆまない改良、電球がLEDに進化して革命的な商品が出回る。もう重くてちょくちょく切れた電球のヘッドランプは使えない。

 雨具も画期的なゴアテックス製が普及して久しい。但し、私は購入したことがない。余りにも高価なのと使う機会がないこととで安いもので間に合わす。但し、ヤッケだけはゴア製を利用している。

低山学入門4・・・登山届と山岳遭難の経済学2016年12月04日

〇山岳会の役割の一つに遭難の際に捜索救助活動がある。
 山岳会といっても多々ある。ここでは各県の山岳連盟や労山に加盟する団体とする。それぞれ上部団体があるが岳連は公益社団法人日本山岳協会である。ここで山岳保険を扱う。
https://www.jma-sangaku.or.jp/cominfo/
 万一の遭難に備えて保険加入は常識になった。

〇山岳保険のあらまし
詳細は日山協のHPにあるので読んでおこう
http://www.jma-sangaku.or.jp/kyosai/profile/about-insurance/

 山岳会への加入はしないでも岳連に個人加入する手もあり、山岳保険にも加入できる。詳細は各県の岳連に問い合わせる。

 山岳保険は日本山岳会会員に独自のサービスがある。
 日本勤労者山岳連盟(労山)でも独自に扱う。
 平成19年には日本山岳救助機構合同会社がjRO(ジロー)という山岳保険も開発された。山岳団体への加入というハードルがない分加入しやすいと思う。
http://www.sangakujro.com/

 山岳会の捜索救助といっても北アルプスの岩場や深い山域では困難である。県警ヘリで救助されることも多い。問題は低山における捜索救助である。御在所山の岩場で事故があると友人で岩登りのエクスパートのTさん(故人)に協力要請が来たそうだ。岩場の事故はクライマーでないと手が出せない。
 現在は鈴鹿山脈では三重岳連と傘下の山岳会と有志が四日市西署に協力する形で捜索にあたる。北アルプスでは山岳捜索隊が独自に編成されているが三重県ではいわば民間協力に依存している。

〇救助・捜索費用の負担
 山岳会では万一に備えて捜索費用相当額を見積もってお金を貯めている。家族から捜索願いが出され、県警ヘリが出動するが存命の可能性が無くなれば出動しなくなる。
 それから後は家族の意思で有料で地元消防団などに依頼して遺体の捜索に当たる。山岳会でも有志を募って捜索に当たる。

 名古屋市の60歳の単独の女性ハイカーが御在所山付近の東海自然歩道で行方不明になった。1ヶ月、土日に地元消防団に依頼して捜索されたが見つからず打ち切った。1年後下流で遺体で発見された。捜索費用の余りの高額に耐えられないこともあった。この方は多分山岳会に未所属だったのだろう。

 名古屋市の40歳代の男性が2月中旬に藤原岳で行方不明となった。所属の山岳会から協力要請があり、合計7回ボランティアで捜索活動に出た。朝6時ごろ集合し、手分けしてそれぞれのルートをしらみつぶしに捜索したが、4月末、滋賀県側の谷で遺体で発見された。
 所属山岳会はなかったが、インターネットで拡散して多くのボランティアの協力者を得た。延べ人数に日当などを掛け算すると700万円相当にもなった。妻、中二の娘さん、両親、親族などが早朝から顔を出して我々に呈茶のサービスをして慰労にあたる姿に多くのボランティアがこの人らのために働こうと、心を動かされたのだ。また三重岳連の人脈も大きい。

 当事者の家族が一切顔を見せないと捜索協力は長続きしない。捜索には経済的負担だけでなく自分の生命をかけているからだ。

 北アルプスの八方尾根で行方不明になった高校生の息子を探すために家を処分した話も聞く。尾根に立つケルンはその記念碑と聞いた。
http://mtgear.blog18.fc2.com/blog-entry-67.html

 岐阜県では条例で12月1日から登山届を義務化して且つ違反者には罰金を科する規制が開始された。これまでも登山届の周知活動は活発に行われていたが罰則がないためか十分ではないと聞く。より徹底しようということである。
 警察側即ち岐阜県側からの立場では家族から捜索願いが出されたら動かざるを得ない。そこで登山届が出ておれば計画のルートを追って捜索活動ができ絞れるから短期に発見が可能になる。出ていなければ着手すらできない。

 例えば山スキーの好きな知人が長野県のある山に登山届を出した。1月中旬のことだ。帰ってこないので家族が捜索願を出したものの、登山口には車がないと分かった。車は北アルプスの白馬47スキー場の駐車場に置かれていた。天気が悪いのでゲレンデスキーに変更したのは良いが、ゲレンデだけで収まらず、村尾根のバリエーションルートに入ったらしい、と推測された。また、法大スキー小屋から南の尾根に滑降したとも推測された。最初は県警ヘリが空から捜索してくれたが絶望視された。私も4月から捜索隊に加わって考えられるルートを下ったが発見できなかった。結局6月になって村尾根の左の沢の中で遺体で発見された。5月GWに一度ならず捜索したが硬くて深い雪に埋もれていたのだ。
 この事例も未届けに当たる。岐阜県の条例は捜索救助で運よく救出されて、登山届が出ていなければ罰則が適用されると解した。死体では責任を問えない。何よりも捜索に要した費用は遺族の負担になるという事実。県警ヘリの捜索は税金で賄われるから本人や家族に負担はない。存命なら助かる。但し、遺体の捜索は友人であっても無償と言うことはない。

 山岳会で貯めているお金は出動してくれる会員に自弁させないための制度であって、遭難した人の救済制度ではない。だから事後は保険から支払われた保険金で弁済をしてもらうことになる。旅費交通費は当然であるが日当は各保険で出す出さないの違いがある。
 愛知岳連では山岳保険が出るまで立替える制度が新設された。設立の歴史が浅く遭難対策資金の積み立ての無いか、少ない山岳会が利用すればスピーディな捜索活動に入れる。

 山岳遭難を起こすと経済的には大いなる負担が生じる。生還できれば働いて返すこともできるが死ねば遺族にのしかかる。

 万一の遭難に備える意味で登山届提出の意味は大きく深いものがある。

低山学入門3・・・山域別の山岳事情と遭難事例2016年12月02日

    概観・・・東海地方の山岳事情と遭難事例
〇愛知県での遭難事例は殆ど聞かない。近年では三ッ瀬明神山の鎖場で転落死された1件あるのみ。八岳山ではまれに長野県側への道迷いがあると聞く。
愛知の山は標高差が低く遭難の危険性は少ない。
 初心者が西三河や東三河の低山のハイキングから入門するには最適である。
 奥三河には東海自然歩道が貫通しているので道標があり整備が行き届いている。
 冬は冬型気圧配置になると晴れる確率が高い。 

〇三重県の遭難は鈴鹿山脈において年間50件前後と多発している。死亡事故は5件という年もあった。鈴鹿山脈は高速道路に囲まれてアクセスが格段に良くなった。東海地方では日帰りで登山を楽しめるため登山者の人気が高く事故も多くなる傾向である。
 御在所山では岩登りに関する転落死亡事故が多い。釈迦ヶ岳では行方不明事故が2件あった。1件は捜索の結果遺体で発見された。尾根からの転落と見られる。1件は不明のままだ。御在所山でも1件行方不明者がいる。
 藤原岳から御池岳にかけては道迷いが多い。御池岳ではボタンブチからゴロ谷へ転落死した例があった。T字尾根でも事故例がある。御池岳は山上部が広く、登山道が急斜面という特徴がある。ルートファインディングに慎重さが要求される。初心者同士で行くには厳しいので経験のあるリーダーのもとで行動したい。

〇台高山脈では北部の薊岳での道迷いが大きく報道されて記憶に新しい。南部では仙千代ヶ峰の行方不明事故がまだ発見されていない。山頂付近まで植林がされて枝道が多いために迷いやすいかも知れない。初心者だけで入山しないことだ。
 大杉谷では転落事故が発生しているので慎重な行動が必要だ。鎖や階段で整備されているとはいえ、谷筋や滝の高巻には細心の注意が要るので初心者向きではなく、しっかりしたリーダーのもとで登山することだ。どちらかと言えば中級者以上の向きといえる。
 この地域は冬型の気圧配置になると晴れる確率が高い。逆に夏は弁当忘れても笠忘れるなというほど雨が多い。

〇養老山地は養老山を中心に登山道が整備されている。養老の滝からの登山道は傾斜がきつく転落に注意したい。過去には転落死があった。鈴鹿と同様の断層山脈の常で東側の傾斜がきつい。笙ヶ岳周辺では道迷いの事故があった。登山道が分かりにくいので初心者だけの登山は注意すること。

〇布引山地は経が峰は初心者向き、登山道が厳しいので中級向きの錫杖ヶ岳などが登山の対象である。特に遭難の事例は聞かない。

〇岐阜県は美濃の西は伊吹山、東は恵那山と名山に恵まれた地域である。恵那山は過去に度々遭難があった。行方不明と長野県側では増水した川の橋を渡る際に落ちて流されて死亡した事例があった。水が引くまで待つか、ザイルを持った人に確保してもらう、或いは救助を待つ。危険性が低くなるのを待つ辛抱がいる。
 中濃では展望の良い高賀山が良く登られる。東濃は低山の宝庫でピークハントにもってこいの山域。阿寺山地は多少手強いが危険という山はない。但し山が深いので時間がかかる。
 盟主で最高峰の小秀山では出発が遅いために下山中に日没となり、ライターの灯りで歩行中に転落死した事例がある。十分な時間を見込むこと。この山も断層山脈で岐阜県側が切りたっている。

〇奥美濃は揖斐川源流域と長良川、板取川、吉田川流域を指す。登山道が整備された山は少なく、ヤブ山と言われるように道の無い山もまだまだ多い。玄人向きの山域である。夏は沢登り、冬は山スキー、わかん山行も楽しめる豪雪地帯にもなる。
 登山道がはっきりしているのは夜叉ヶ池くらいまでで、池から派生する登山道は整備状況が分からない。刈り払いしても5年位でネマガリダケが道を覆うようになる。三周ヶ岳、三国ヶ岳、左千方は事前に調べてから登りたい。夜叉ヶ池の岩壁では過去に転落死があった。左千方への道迷いで時間がかかり夜間の下山を強行したためと見られる。
 冠山、金草岳、能郷白山は良く整備されている。
 沢登りの事故はかなり多い。一番多いのは銚子洞で関西の人を中心に10名以上は死んでいる。銚子滝は30mだが高巻は70mの落差がある。岩ではなく、木の枝があるために懸垂下降しないで素手で下降を試みて枯れ枝をつかんで折れて転落死という事例を聴いた。北アルプスなら慎重に事を運ぶが低山だと軽く見るからだろう。木は折れるし、岩は崩れることがある。
 赤谷でも事故死した人の遭難碑がウソ越えにあったが今は見当たらない。道の無い釈迦嶺でも最近事故が発生している。
 金ヶ丸谷では過去に転落死があった。門入にまだ人が住んでいたころ住民から聞いた話では、京都の人が夜叉ヶ池から下降を企てたが帰宅しないので家族が地元に捜索してもらったら谷の中で死んでいたという。ダム湖ができて今は廃村になったが谷は生きている。
 虎子山では過去に道迷いの事故があった。登山道がはっきりしないので下山で間違えたがヘリが出動して無事に救出されている。
 どの山も標高は低いが山が深く、最近は廃村となって事情を聴く住民が居ない。十分な調査といつでも引き返す柔軟な気持ちが大切だ。 この山域は登山道を歩いて年季を重ねただけのベテランよりも総合的な登山技術や知恵を持った登山者が本気になって取り組むべきだ。

〇静岡県では駿河の竜爪山に事故が多いと聞く。勝手につけられた枝道へ迷うそうだ。地形図を読んでルートを見極めたい。
 遠州地域では南アルプス深南部を抱えるので初心者は近づかないこと。熊の生息域である。しっかりしたリーダーのもとで慎重に登りたい。

〇長野県でも木曽山地南部の山々は整備がされて登りやすくなっている。恵那山トンネルを抜けると伊那地域になる。中央アルプスの前衛的な山が多い。遭難事例は聞かないが入山者が少ないこともある。山が深いので初心者だけで行かないこと。熊の生息域である。名古屋からの移動時間や登山の時間もかかるので経験のあるリーダーのもとで慎重に登ること。

低山学入門2・・・ビバークと焚火の技術2016年11月30日

 道に迷って正しい登山道に戻れなかったらどうするか。あるいは安全圏に入れなかったらビバークも登山技術の重要な一つである。
 進退窮まればビバークすることになる。不二露営とも言う。ツエルトを被る、合羽を着る、セーターなど防寒着を着るなど保温に努めることになる。コンロがあれば白湯を沸かして飲む、あるだけの食料はメンバーで分かち合うことも重要だ。大人数なら弱った人に配慮することも重要であろう。

 2003年11月の最も日が短い時期に房総半島のハイキングで道迷いからビバークになり、下山口で待機していたバスの運転手がスワ遭難と警察に届けたことで大騒ぎになった。房総半島なので大したことはないが人数の多さと高齢者が多くいたことでメディアが批判的な記事を流したことが騒ぎに拍車をかけた。
以下は当事者のHPである。
石尊山 何故林道から戻ったか?
http://www.geocities.jp/ohaakab33/#プライバシー侵害の暴挙
石尊山騒動顛末記
http://www.geocities.jp/ohaakab33/newpage1.html

「ビバークは悪か」を一読しておこう。
http://www.geocities.jp/ohaakab33/sekison1.html

結局、新ハイのような団体は多人数の参加者を得て楽しいのですが、人間関係が希薄になりやすい。
登山のことを知らないバスを使ったことで予定時刻に下山しないから運転手があわてて連絡した。
メディアがコメントを求める識者、山岳団体の長、著名登山家は海外遠征、冬山、岩登りなどの登山技術の秀逸な登山家が多く就任する。高い山のことは知悉していても低い山の実情はほとんど知らないことが多い。高級料理屋で牛丼を注文するようなもので的確なコメントができるものではない。

 山の中のビバークはなるだけ風の当たらない岩陰とか安全な場所を選びたい。暖かいこと、明るいことで生存への希望をつなぐ意味で重要なサバイバル技術である。基本はマッチかライターが必須。古新聞紙を種火にして枯れ枝、流木、などを燃やす。場所は延焼の恐れがないこと。地面は乾燥していること。舗装路面、大きな岩の上、小石を敷き詰めてならしてもいいだろう。火勢がついたら青葉、生葉でも燃える。古新聞紙の代わりに牛乳パックも良い。高級パルプ材で内側にはナイロンコーティングもしてあるから良く燃える。下山する際は砂や石をかぶせて火事にならなように後始末を絶対にしておくことだ。

 ビバークの下山後は関係者への連絡・報告と謝罪が欠かせない。メディアが聞きつけて取材に来たら担当者を決めて対応すること。捜索隊が編成されておれば謝礼の話もすることになる。ビバークは覚悟が要る。
 だからその前の登山届や更に事前のルート調査へとなる。ルートが不確かな場合は足が揃っていて意思疎通の可能なメンバーに絞ることだ。力量の分からない人まで連れて行くとこうなった場合が大変だ。

低山学入門・・・体験的道迷いからの脱出方法2016年11月29日

 先日の遭難を考える会でも道迷いの事故は統計的に40%を越えた。道迷いから転倒、転落、滑落に結び付くことがある。奥美濃のヤブ山で道に迷い方向を確認するため木に登ったら折れて転落し亡くなった登山者もいた。この場合は転落死にカウントするだろう。
 道迷いを防止できれば一番いいが人間はそう完ぺきではない。間違うから人間ともいえる。危なっかしい山登りもしたが今まで辛うじて生き延びて来れた。その体験を披露して参考にしていただきたい。要するに行政側の指導はお世話になった人向けに発せられる。彼らとて実際に登山すれば遭難することがある。大きく報道されないだけである。
 教科書的メッセージではなく、登山者側の立場で考えてみた。

 過去に道迷いで困ったことは4回あった。2回は山頂が霧だった。1回はヤブだった。もう1回は残置された赤布だった。

1 霧の三周ヶ岳の場合・・・単独・・・霧で見通しが悪い場合の笹の中の踏み跡は見失いやすいので赤布を付ける
 笹をかき分けて登る際には迷うことはなかった。下山時に笹の中の踏み跡を追うがどうしても金ヶ丸谷の源流の沢に降りること2回。山頂へ引き返すこと2回。そこで地形図をよく見て、左側が絶壁だったことを知って、なるだけ左よりにルートを探った。無事夜叉ヶ池に戻れてほっとした。

2 霧の小津権現山の場合・・・3人・・・霧で見通しが悪い場合は赤布は手を抜かずべた打ちで付けておく
 今のように道標もなかった。踏み跡程度だったが何とか登れた。樹林帯では赤布を付けて下山に備えた。笹ヤブをもぐるように登るところは赤布を付けなかった。これなら分かるだろうという見込みがあった。登頂後、さて下山にかかるがはっきりしていた踏み跡がない。あわてて地形図とコンパスを出して下るが踏み跡が出てこない。3人で思案した。同行の1人が笹と樹林帯の境目から分かりにくくなったことを覚えていた。だからコンパスを見ながら尾根の方向に下ってみようと提案。それに従って笹のヤブをかき分けて下って境目でコンパスで方向を修正しながらトラバースしてゆくと登山道が見つかった。

3 御池岳の鈴北岳から鞍掛峠の県境尾根の場合・・・2人・・・間違ったと気がついたら戻るのが基本
 鞍掛峠への県境尾根の登山道は当時のガイドブックはxxxxxの印がありきり分がなかった。鈴北岳から笹の中の踏み跡を下るのだが右に県境尾根が見えるのでおかしい、と引き返す。また下るがどうしても同じところへしか行けない。間違ったと気がついて戻るから登山道の2倍歩かれていい道に見えるのだ。ええいままよ、と下るとチエーンソーの音が聞こえるのでそこの現場へ行くと作業員らは丁度帰る時刻だったので案内されると御池谷登山道に合流した。幸いに鞍掛峠まで送ってくれた。基本的には登ったルート(コグルミ谷)に戻るべきだった。枝道や獣道が多いので今もRFは慎重でありたい。

4 台高山脈縦走の場合・・・単独・・・残置された赤布に注意する
 1日目は伊勢辻山から入山、迷走しながら何とか添谷山まで来た。ここで登頂はした。本来の縦走路は右にそれる。ここまででも2回山頂を越えて行ったにもかかわらず山脈から外れたのは県境縦走路とはいえ、山頂は迂回するように付けられているからだった。それまでは右に高くなる県境稜線に気がついて戻ったが、ここでは赤布が続いているのでつられてしまった。かなり下ったところでパタッと消えた。それでも明瞭な踏み跡はあるので行くと鹿の巣のようなものをみた。そして下にはなんと尾鷲林道が見えた。その時点でも戻れば良かったが林道に下り、尾鷲辻に登り返した。
 先行者もおそらく獣道に誘われて下りつつ赤布を付けたものの間違いと気が付いて引き返したが赤布の回収をしなかった。

・既に付いている赤い布、赤テープ類は確かなものなら登頂や下山をサポートしてくれる。ところが登山者が気まぐれに付けたり、迷って同じところを戻らなかったりする場合は回収されないことがある。鈴鹿山系ではこれを信じて道に迷う事例が度々あった。
・有料の山小屋が発達した山系では登山道の整備、道標も整備されるが、低山では炭焼き道、植林道、獣道、鉄塔順視路が入り混じり、避難小屋すらない。迷い易い条件が揃っている。体力、登山技術はさほどでもないがRFは甘く見ないほうが良い。
・獣道と登山道の区別・・・獣の身長は約1mくらい、人間は約1m60センチ以上あるから踏み跡がしっかりしているように見えても樹木が顔を叩く場合は疑ってみる。
・樹木の木肌に鉈目があれば人が切りつけた証拠になる。
・人間特有のゴミがあれば登山道につながる証拠になる。
・伐採されると登山道は見失いやすい。日光が入ると藪が繁茂する。
・原生林の中の登山道はきれいに保たれる。
・道迷いの場合道のない沢は絶対に下らないこと。崖、滝が出てくるとザイルなどの装備がない場合対処できない。
・尾根の道で突然、左右に直角に進路を変更することがある。沢から尾根へと登山道が移る場合もあるので惰性で下らないこと。
・山に入ったら山に集中したい。世間話に注意力が散漫になり分岐を見落とすことがある。
・山道をよく観察して歩こう。突然、踏み跡が薄くなる、突然石ころが多くなる、突然ヤブがかぶさる、などは登山道から外れたことが多い。
・赤テープが両側に巻いてあったり、二重三重に巻いてあったり他とは違う場合は分岐になることが多い。注意を促すサインである。そんなルールが決められているわけではないが、低山歩きの作法である。
・ネット情報を信じ込んで大胆な登山は避けるが良い。何度も小さな失敗を重ねながら上達して行けば良いじゃないかと思う。
・道迷い事故の多発傾向にあって多くの有識者が読図力向上とか地図読みとか称する研修も大流行りになった。これらは技術として教えている。技術は要素のみを純化して教える。演繹法である。参加する価値はあるだろう。
・体験的方法は帰納法という。目の前にある情報からこっちだ、あちらだと推理する。地形図とコンパス、高度計などを活用しながら安全に無事下山する結論に導く。見えるはずの高圧電線が見えない。正しければ見えないはずの山や景色が見える。地図を読むということは等高線を読むだけではない。
http://koyaban.asablo.jp/blog/2006/11/08/700431

春の雪山~雪崩の季節2016年03月21日

 バリエーションルートが余りにも開発されすぎて、危険と安全の境目がない八ヶ岳の中でも特に遭難の多い阿弥陀岳で又事故が起きている。先だって八ヶ岳連峰の阿弥陀岳南鐐で雪崩による遭難事故が起きて1名死亡している。表層雪崩とみられる。
 信濃毎日新聞が登山ガイドにインタビューした記事を読むと、雪崩が起きる場所とは認識していなかったようだ。登山ガイドは地元の人であり、同じルートを10回以上登っているという。それでも回避できなかった。
 ずいぶん古いが、同じ3月に阿弥陀岳の北陵に沿う谷のルートで指導的な立場の登山家が雪崩で死んでいる。同じルートを登ったが稜線からの下り口が漏斗状になっており、ふわっと雪が乗ると怖いところであった。下からは想像できないので降雪直後は登るべきではない。
 雪崩は体力や登山道具、登山技術だけでは回避できない。ベテランやプロガイドでさえ、雪崩に遭い、同行者を死なせ、あるいは自分も犠牲になっている。げに恐ろしきは春の雪山である。
 雪崩の場所や時間帯の予知は難しい。そうではあるが、昔から雪国に住む人たちは知恵を絞って対策している。古典的ともいえる『北越雪譜』に書かれた雪崩を知っておいても損はない。

 山より雪の崩頽(くずれおつる)を、里言(さとことば)に「なだれ」という。又、なでともいう。
 按ずるになだれは撫下(なでおりる)也。「る」を「れ」というは、活用(はたらかする)ことばなり。山にもいう也。ここには雪頽(ゆきくずる)の字を借りて用う。字書(じしょ)に頽(たい)は暴風ともあれば、よく叶えるにや。

 さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふぶき)に双(なら)べて、雪国の難義とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く、凍るも又里よりは甚だし。
我国東南の山々里にちかきも、雪一丈四五尺なるは浅しとす。此の雪こおりて、岩のごとくなるもの二月(新暦の3月)のころにいたれば、陽気地中より蒸して解けんとする時、地気と天気との為に破(わ)れて、響きをなす。一片(へん)破(われ)て片々(へん/\)破る。其のひびき、大木を折るがごとし。これ雪頽(なだれん)とするの、萌(きざ)し也。

山の地勢と日の照らすとによりて、なだるる処となだれざる処あり。
なだるるは、かならず二月(注:旧暦の2月は新暦の3月に該当)にあり。里人(さとびと)はその時をしり、処をしり、萌(きざ)しをしるゆえに、なだれのために撃死(うたれし) するもの稀也。しかれども天の気候不意にして、一定(じょう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉こに砕くもあり。雪頽(なだれ)の形勢ありさまいかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こおり)その大なるは、十間以上小なるも、九尺五尺にあまる。大小数百千悉(ことごと)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく [かならず方(かく)をなす事、下に弁ず] なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くずれおつる)その響き、百千の雷(いかずち)をなし、大木を折り大石を倒す。此時はかならず暴風はやて力をそえて、粉に砕きたる沙礫(こじゃり)のごとき雪を飛ばせ、白日も暗夜(あんや)の如く、その慄(おそろ)しき事、筆帋(ひつし)に尽(つく)しがたし。
 此の雪頽(なだれ)に命を捨(おと)しし人、命を拾いし人、我が見聞きしたるを次の巻きに記しるして、暖国の人の話柄はなしのたねとす。
以上

 豪雪地帯に生活する人の観察記録である。江戸時代の文献なので旧暦である。2月は今の3月になる。3月になると朝早くに夜が明けて、陽光を浴び、気温があがる。日没も遅くなり、日照時間帯は雪も解ける。ところが夜になり、日没から時間が経過すると気温が低下し、夜明け寸前には最低気温となり、表面が凍る。この上に更なる降雪があると何らかのきっかけで雪崩る。
 上記の文では陽気が地中より蒸して解けんとするとき、とある。表面は凍っても、地面は暖められている。信じられないが、地肌は濡れているし、水が流れていることもある。雪解けは表面からもあるが、地面からも解けている。空洞もできる。表面からの刺激を受けやすくなるといえる。
 雪崩は自然現象だが登山者がきっかけをつくることがある。山の地形をよく知り、雪崩のメカニズムを知っておきたい。寒気と暖かさ、降雪と雪解けを繰り返しながら、5月になれば雪崩も消える。3月から4月は登って楽しい春の雪山であるが危険もはらむ。警戒しつつ楽しみたい。