落葉期は登山道上の落葉での滑落に気を付けよう。2020年11月19日

落葉期は登山道上の落葉での滑落に気を付けよう。
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 鈴鹿の八風峠で滑落死された78歳の地元四日市市の登山者のニュースが今もメールのアラートにヒットしてくる。反響が大きいと見る。

 共同通信の記事「 17日午後5時半ごろ、三重県菰野町の八風峠で、遭難した後に四日市西署の山岳警備隊とともに下山していた同県四日市市の無職佐藤一雄さん(78)が足を滑らせて滑落し、死亡した。同署は「必要な救助方法だったが、事故に至ったことは誠に残念」と話した。

 同署によると、同日午後2時40分ごろ、八風峠登山道周辺の山中で佐藤さんから「道に迷った」と110番通報があった。同5時ごろ、駆け付けた山岳警備隊員3人とともに下山を開始したが、約30分後、約20メートル下の岩場に滑落した。

 同署は、佐藤さんが登山経験が豊富で、周囲も暗くなっていなかったことから、下山できると判断した。」

 今年は春からステイホームとコミュニケ-ションが断絶された。感染拡大を防ぐためにはやむを得なかった。ところが個々には体は鈍るし、対人関係から疎遠になると精神的にもおかしくなる。佐藤さんもそんなお一人かと想像している。
 あの古城山に消えた87歳の松茸採りの老人も裏庭みたいなものだった。弟さんの話では、兄は独居であり、6月ごろからおかしかったと言っておられた。妻は施設に入居し、茶飲み話の相手もいないから精神的にまいっていたのかと想像する。
 この方も詳細は報じられないが同様に体はフレイル、精神は集中力を欠く状況かと。

 それ以外に考えられるのは、表記のように落ち葉によるスリップ事故である。若い人ならリカバリーができるが高齢で疲れているとそのままずるずると滑ってしまう。

 遭難の原因は一つではなく、複合的なものだろう。年をとって弱ってくるとちょっとしたことが大事になってしまう。

相変わらず多いフレイルが原因の滑落事故2020年11月18日

 今年は春からステイホームとコミュニケ-ションが断絶された。感染拡大を防ぐためにはやむを得なかった。ところが個々には体は鈍るし、対人関係から疎遠になると精神的にもおかしくなる。
 共同通信の報道から
「17日午後5時半ごろ、三重県菰野町の八風峠で、遭難した後に四日市西署の山岳警備隊とともに下山していた同県四日市市の無職佐藤一雄さん(78)が足を滑らせて滑落し、死亡した。同署は「必要な救助方法だったが、事故に至ったことは誠に残念」と話した。

 同署によると、同日午後2時40分ごろ、八風峠登山道周辺の山中で佐藤さんから「道に迷った」と110番通報があった。同5時ごろ、駆け付けた山岳警備隊員3人とともに下山を開始したが、約30分後、約20メートル下の岩場に滑落した。」
 
 事故原因は滑落とだけ事実のみ報じられる。背景を探ると前述のようなコロナ禍を回避するためにとられたステイホームからくるフレイルであろうと思う。亡くなった佐藤さんもそんなお一人かと想像している。
 山県市のあの古城山に消えた87歳の松茸採りの老人も裏庭みたいなものだった。弟さんの話では、兄は独居であり、6月ごろからおかしかったと言っておられた。妻は施設に入居し、茶飲み話の相手もいないから精神的にまいっていたのかと想像する。
 佐藤さんも詳細は報じられないが同様に体はフレイル、精神は集中力を欠く状況かと。以て他山の石としたい。

亡くなられた登山者にはご冥福を祈ります。

古城山捜索行②2020年11月14日

 11/3の山行後に地元の集団での捜索に参加、青波の林道から比較的手前の尾根を捜索した。11/8は自主的な捜索行でやはり青波から破線路の登山道を歩いて山頂直下の登山道に着いた。その後は曲輪群のある北西の尾根を下降して捜索した。ごみはいくつか発見して、実弟に不明の兄のものか問うも違うだろうと否定。
 本日も自主的に捜索してきました。今度ははじかみ林道の登山口から登り、メインルートに到達後は南西に歩き、伝「馬場」を経て、堀切に下る。ここからは確かに松の木が多い。期待半ばで踏み跡程度の道を320mのコブを越える。しかし松の木は手前の鞍部までだった。ここルートは赤テープや道標の残骸まであったから古い登山道だったのだろう。杉坂峠はどこかは知らないが、地形的には292mの鞍部だろう。
 320mのコブからは桧の植林が優勢になる。それで青波最奥の谷へ下った。踏み跡はないので照葉樹林の灌木の藪を避けながら下る。最初は水がないが出てくると少し段差や岩場も出てきて悪くなるので右に巻いた。すると等高線が緩んで平地に見えるのは廃田だろう。登山道はないので獣道みたいな跡をたどって林道の分岐に着いた。
 林道を歩いて標高170辺りから11/8に下降した尾根の踏み跡を探して登り返す。ここから370mのメインルートまで比高200mを登った。実際には少し手前で曲輪群の中を歩いた。下の方まで段々畑のように曲輪が見えた。メインルートにもっとも近づいたところで上がる。はじかみ林道への分岐はすぐだった。
 今日も何も得られなかった。獲物を追う猟師山を見ず、というように茸採り、山菜採りも自分が戻ることを想定せずに歩き回るから道迷いは必然ともいえる。それによく出る場所は親子でも言わないからどこへ行ったやらと思うばかりである。

古城山捜索行2020年11月08日

 出発は遅くなり朝9時。古城山の北麓の青波には10時50分。11/3には捜索本部のテントがあったゲートボール場に駐車して11時丁度に歩き出す。目的は87歳のきのこ採りの老人の捜索である。とはいえ、10/25に入山、その日に下山せず、息子さんが自力で10/31まで捜索したが、11/1に県警に捜索願を出して大掛かりな捜索が行われた。
 11/2は雨で警察だけで捜索したらしい。11/3に私が古城山を下山後に青波に回り、ボランティアで参加、警察10人地元民40人で行われたが手がかりなし。そこで公的な捜索は打ち切りになった。
 人生は自助、共助、公助の順だが、山岳遭難は逆で、まず警察に捜索願いを出すことに始まる。そのためにはルートなどを書いた入山届、登山届けが必須だが、山菜採り、きのこ採りには喧しく指導されない。この人もまつたけのよく獲れる自分の知っている場所へ行ったのだろう。勝手知ったる裏山だから本人以外に居場所は分からない。
 赤の他人だからほうっておいても良い。しかし、捜索後の解散のあいさつできのこ採りの長男氏(61歳)の涙ながらの話は身につまされる。ご遺体が発見されないと死亡届も出せず、相続も始まらない。長いこと山歩きをしてきた身には何とか本人の捨てたゴミでも落ちてやしないかと来てみた次第である。
 まずは地形図にある破線路を歩いてみた。分岐までは17分、ここで熊鈴が良く鳴るように位置を変えた。先回来たところからさらに奥まで車道の廃道が伸びていた。終点からも踏み跡程度の道が続く。廃田も残る。こちらの方が歴史的には古いのだ。
 登山道の稜線が見える。風が騒ぎ、木立が揺れると、はて、熊か、野猿かとどきっとする。単独は心細い。源流部には廃墟があったが曲輪(郭)だ。正しく古城である。稜線には12時ジャスト。標高360m。ゲートボール場(100m)から比高260mだから大したことはない。
 目的は伝「馬場」から西の日当たりの良い稜線か尾根を探る予定だったが、370mのコブからの北西尾根も気になる。北の直下にはきれいな道が見えるので注意して見ていると踏み跡が下っていく。よしここだと降りてみたら連続した曲輪の平地がここまで延びていた。どんどん下ると、がさごそと音が摺るので見上げると人だった。やれやれ。この人も捜索だった。Kさんという。
 付かず離れずで交互に捜索を続けた。この尾根は松が大変多い。日当たりも良いのでまつたけが出そうだ。そして飴を包んだゴミを発見。末端までに3枚撮影。加えてバナナの皮を入れた紙袋もあった。これがきのこ採りの老人のものなら一帯を集中捜索することになる。
 結局末端まで一緒に下ったがゴミ以外はなかった。Kさんは南へ林道を行き、馬場へ戻ってはじかみ林道の駐車場へ行くというので別れた。青波に戻って、老人の自宅を尋ねてみた。丁度実の弟さんが畑仕事の最中で話を聞いてみた。
1 行方不明の兄は独居ということ。妻は施設に入居。つまり兄の自宅は今は留守。
2 11/3のあいさつされた長男は名古屋市に住んでいること。
3 入山経路は青波ではなく、はじかみ林道の登山道からということ。
4 弟さん自身もまつたけのよく出る場所は分かっているので後日行くという。
5 北西尾根のゴミは兄のものじゃないということ。
6 近年は山に入る人が居ないのでよく知った人も居ないという。
 その他立ち話であるが、長々と世間話をして別れた。87歳の老人が長男と同居ではないことがちょっとショックだった。4月以降の外出禁止、面談禁止などで6月頃の兄はおかしかったとも言われた。他人と一切話をしないとそりゃおかしくなる。
 私が4月以降道迷い事故(山菜、きのこ採りを含む)の報道を集めてきたが、高齢者が多かったことは確かである。中には山の精通者もいるから精神的に参っていたのだろう。
 古城山の捜索は今は縁のある人らの自助と何も関係はないが心ある人の共助だけになった。もう一回だけ、山やとして気になる場所を探ってみたい。それまでに発見されることを願う。

老いの身で行方の知れぬ茸採り 拙作2020年11月04日

 昨日11/3は10/25に勝手知ったる山の松茸採りに行ったまま帰らざる人の捜索に協力した。山城の廃墟、奥山田も廃田となり杉が植えられた。小さな山なのですぐに発見されるだろうとの楽観は打ち消された。
 この山に精通しているはずなのだが山は広く深く、人の知らない部分はあるということだ。家族を残して忽然と消えた老人の足跡は分かっているのにつかめなかった。昔から獲物を追う猟師山を見ず、という。知っているようで知らないのが精通者というものである。
 父不見山という山名がある。由来は
http://www7a.biglobe.ne.jp/~n-baba/s-tetemiezuyama.html
にある。
「それにしても不思議な山名である。父不見と書いて「ててみず」「ててみえじ(ず)」「ててめーじ」等呼ぶ。この山にはいくつかの伝説がある。何れも、「父が見えない」と云う山名に由来する物語である。
 
  (1)昔、中平の寺僧が子供を捨てて逃げ、後を追った子供がこの山
    で父を見失った。(埼玉大百科事典    埼玉新聞社)
  (2)神流川を挟んで北側の桐ノ城にすむ武将の妻子が、戦いに出か
    けた父をいつ帰るのかと眺めていた方向にあった山である。 
              (群馬県百科事典 上毛新聞社)
  (3)平将門が戦死し、その子がまだ見ぬ父を慕って嘆いたと云う伝
    説による。(角川日本地名大辞典)」
 昔から猟師、茸採り、鉱山師など山に入った人は多かったから下山できない人も多かったであろう。マタギ、木地師、木こりなどは短期間でも場所を定めるから余程のことがないと帰れないことはなさそうだ。

美濃でフルセット・古城山周回・捜索協力・温泉・関市で鰻を食う2020年11月03日

 朝7時20分出発。名二環・植田から一宮へ、美濃JCTから関・広見まで高速。R418から登山口まで国道、地道で順調に着く。スマホのナビを使っても分かりにくい。明智光秀のドラマの影響で脚光を浴びたにしては案内が今一である。
 9時20分新設されたPを出発。山城研究のグループがたむろ、受付したり、今日は大勢が登るらしい。正規の登山道を行くとすぐ1人になった。登山道はよく整備されて歩きやすい。
 植生は植林である。その中に暖地性のシダ類が繁茂している。照葉樹林の艶々した緑の葉が美しい。落葉樹はなく、紅葉、黄葉は見られず。登ると30分で小休止。2ヶ月ぶりだから心肺も足も相当弱っている。
 尾根に出ると風があり涼しい。今日は木綿のシャツだが少し汗をかいたからひんやりする。高い山だと寒く感じるだろう。上から登山者の声が聞こえてくる。山頂は近いのだろう。登山口で110m、山頂で407mだから正味300mしかないから60分程度である。
 傾斜が立ってきたらまた尾根に出て二股に分かれた。馬場の地名があり、馬を馴らしたというが、馬場が山に多い。猿ヶ馬場山、川上岳の点名は兎番場(馬場)、山中山の旧称はオサンババと呼んでいたが、兎番場らしい。つまり山頂が馬の背のように丸く広いイメージである。こんな急峻な山で馬を馴らすなんて歴史の捏造です。
 そうこうするうちに頂上に着いた。最後はフィックスロープの助けで急な岩場の道をよじ登ると山頂直下のミニ広場に着いた。その先にミニのお城が建っている。またこんなものを。やりすぎである。
 城を経て登頂。三角点はあるが展望は限られる。少し休んで下山。はじかみ林道経由で下った。ここもずっと急でフィックスロープが張ってある。8/22も転落事故があり、カメラマンが落ちて背骨を骨折した事故があった。
 林道の登山口には多数の車が駐車。ここから30分なので登山をしない人はここから歩くのだろう。係りの人が何やらパンフを売っていた。その人に11/2報道された87歳の老人の行方不明事件を聞くとまだ見つからず今日も捜索中という。
 マイカーのPまでは徒歩で下ってもまだ12時前。途中で行方不明の現場へ行ってみる。パン1つをかじって昼食。現地では捜索隊を編成し、本格的なテントを張って本部を置いて範囲を検討中だった。私もボランティアを申し出て地元の人らと歩き出す。12時半。
 地形図で破線路のある一帯を調べていた。昔はここから登られたらしい。今は杉の植林だが、古い田んぼの跡がある。居宅もあったらしい。87歳の老人はこの山一帯で採れるまったけの権利を買ったとかいう。いわば精通者であった。それがどうしたものか。
 まったけは松の生える尾根に出るので適当に尾根を登った。確かに少ないが松が続く。しかし87歳の老人の足にはきつい気がする。それじゃどこへいったやら。別方向から捜索してきた人らと合流して藪の少ない斜面を下って元へ戻った。2時半になっていた。2時間の捜索であった。3時ちょうど本部まで戻り解散。息子さんらしい人が涙ながらに捜索へのお礼を述べられた。
 10/25に入山したが、行方不明となった。10/26から11/1に届けるまでは自力で捜したようだ。11/1に捜索願が出て警察が動き、今日で3日目で公的な捜索は終了した。後は親族とボランティアで捜すことになる。時間の経過でもう存命の望みはないが、ご遺体がないと相続もできない。
 解散後は、武芸川温泉に入浴。祝日は800円だった。その後まだ時間があるので関市のうなぎ屋に寄った。5時過ぎから営業するが、店は1卓を除いて満席だった。人気の店みたい。上丼を注文したが御飯が多かったから鰻が少なく感じた。久々に食ったから旨い。
 今日はフルセットで遊んでしまった。まあ偶には良い。

食材の在庫整理で調理2020年11月01日

 午後5時過ぎというのにもう夕方になる。調理は17時37分までかかったが、外は真っ暗になっている。日没早し。国立天文台のサイトにアクセスすると、それもそのはずで日の入りは16時57分、日の出は6時13分だった。これから1日につき1分日の出は遅くなり、日の入りは1分早まる。11月30日の日の出は6時41分、日の入りは16時41分とあった。冬至は12月21日であるが、それぞれ、6時57分、16時44分になる。日の入りは11月26日にいったん16時41分で落ち着く。12月1日から9日まで16時40分で安定し、その後12月18日から1分毎に長くなる。
 つまり11月中旬から12月中旬までは日の入りが早いので早めの下山が必要である。

 さて、以前に購入してあった冷蔵保存の食材を調理して惣菜を作り置きした。

1 親鳥の牛蒡と人参の甘辛炒め

 冷蔵中の①親鳥は細かく刻んで熱湯に通し、表面の油を洗っておく。人参1本、牛蒡を2本洗って細かく②ささがきにする。大き目のフライパンに菜種油を少し垂らして熱し、まず①を入れて油をなじませ、②を入れて箸でかき混ぜ、火を通す。砂糖大匙2杯、醤油しゃもじ2杯を掛けて炒める。牛蒡と親鳥の香ばしい匂いがしてくる。火が通ったら出来上がり。
 
2 親鳥と里芋、人参の煮物

 ホーロー鍋に水を適宜入れて、コンロに火を着ける。①の残りを入れる。②里芋と人参を食べやすい大きさに切って鍋に入れて沸騰させる。味付けは醤油と砂糖を適宜。里芋が柔らかくなったら出来上がり。

3 生イカの細切れパックで焼きそばを作る

冬支度へ2020年10月18日

 窓から眺める猿投山には中腹に白雲がたなびく。ちょっとの観察でも雲が移動してゆく。浅野利郷の短歌が浮かぶ。

 移りつつ静かに色を変へてゆく豊旗雲の空のたなびき

 白山、立山に雪が降ったらしい。山は冬支度に入った。山麓では熊の出没の情報が絶えない。餌になるドングリの不足で寒さと飢えに耐え切れずに襲うのだろう。何をしていても襲ってくるのだから山村住民は恐怖であろう。
 10/11、白山の楽々新道へトレランに出発した50代のランナーが登山口から2kmの登山道の崖から滑落死した。警察の捜索は14日で打ち切られ、17日からプロや有志の捜索隊が入った。家族はヤマップやヤマレコで捜索協力や情報を募る発信をしていた。その中で出発時にすれ違った京都の登山者がまた引き返して崖下に遺体を発見した。死亡が確認されるか行方不明のままかでは大きな違いが出る。
 亡くなられた登山者にはご冥福をお祈りします。
 
 今朝はさわやかというよりは小寒い。気温は23℃台にまで下がってきた。すでに毛布を1枚出してある。掛け布団も掛けるようになった。お昼になればさわやかな気温になるだろう。朝でも27℃以上あった夏とは違い快適になった。
 すると気持ちが積極的になり、まずはベランダに設置してある日除けの葦簀を外した。視界が広がる。次は4畳半の寝室を衣替えするために布団を干した。夏の間は物置だった6畳間を整理して、4畳半の部屋に移動。干した布団を6畳間に並べた。山積する本を整理すると何とかスペースを確保できた。
 これで急に寒くなっても風邪を引かずに済む。4畳半の部屋は2面がガラス戸なので寒暖の差が激しく、秋から冬は未明ごろに急速に冷え込む。要は自然な保温である。6畳間は4面壁と襖なので気温変化は緩やかである。この理屈が分からずに長い間、秋の中旬になると風邪を引き始めて、寒さに弱いなと感じていたのである。
 後は機会を見て灯油を買い置きするのみか。昨年は空咳を予防するために晩秋からビタミンCの摂取を始めた。これが功を奏して空咳がほぼ止まった。今年の冬からのチャイナウイルスに耐えられた。他人の前で咳をしないことはエチケットであるが今年は特に強調されて、公共の場では今でもマスク着用が半ば強制である。
 勢いで古新聞、古紙、段ボール箱の処分、古着の処分も行った。思えば4月以降は時間が止まらないまでも日常的なルーチンワークも緩慢になったような気がする。動かさなければ溜まる。体内も同じ。運動不足や栄養の偏りから血液の循環が緩慢になり細胞が異常になる。
 今年は世界も日本も自分も半分死んだような緩慢な動きになったのである。社会の上下関係も崩れて乱世になってきた。

トレラン遭難・・・行方不明になると2020年10月17日

 10/11に白山の楽々新道をたどるトレランのトレーニングに出かけたまま帰宅しない登山者がいる。10/14に警察の捜索は打ち切りになり今は家族が民間に切り替えた。現在はヤマレコで家族の中の娘さんが情報収集に懸命である。
 当会のブログにも掲載して拡散する協力をした。ささやかだが1人の人間の人脈は未知から未知へとつながって膨大な人数に拡散されてゆく。しかもインターネットは今や日常になった。多数の人が少しでも知れば拡散される。
 有益な情報がなくても捜索ボランティアに名乗りを上げる人も出てくるだろう。今はプロが2人、元捜索隊員だった人などが続々加わっているらしい。降雪期の初めでまだ少しは助かった。
 高い山ではもう降雪である。当然白山も降っている。トレランは装備を極端に切り詰めるからもしもの際は無防備で発見されても悲しい結果になるかも知れない。
 50歳代なので家族もあり、養育費もかかる年代だ。行方不明のままだと、職場は解雇、退職金はスズメの涙、給料は不明日以降は支給されず、相続はできない。金融機関の口座は遺産分割協議ができるまでは解約も凍結される。相続手続きは家裁に失踪宣告を申し立てて7年後になる。特例はあるのだろうか。
 行方不明は余りにも高い代償を払うことになる。

御嶽山噴火から6年2020年09月26日

 NHKニュースを見ると御嶽山噴火から27日でもう6年が過ぎた。死者行方不明者63名という大惨事であった。今も犠牲者の心の傷は癒えないままである。私はその3日後に真南の高時山に登って御嶽山を撮影した。ヘリの音が遠くから聞こえてきた。思わず手を合わせたものだった。
 何か出来ることはないか、と模索したが、登山禁止では捜索すらできないまま時が流れた。遺族はまだ見つからないご遺体を見るまでは息子の死を受け入れないだろうに。自衛隊があれだけ丁寧に探しても見つからなかった。とすると人の視野に入らない谷底しかないだろう。
 もし自分に体力と登攀技術があれば南俣川を遡行してみたい、とは思った。多分入山の許可が出ないだろうが。等高線の詰まった谷底のどこかに居るのではないか。