疲労回復 ― 2024年12月30日
昨日のスキー行の疲れでぐっすり眠れた。天然温泉のお陰もあって筋肉痛は少ない。好きなことを気の合った仲間同士で楽しんだことでコロナ禍の間に溜まったストレスも解消できた気分がある。
今日は年内最後のゴミ出しの日。朝8時には起きて可燃ごみと資源ごみビン、缶を出しに出た。管理組合の小屋も12/31から1/6までは施錠するという。不心得者が居るからだ。
昼間は今年最後の株式相場を見た。386円安の39894円で終わった。それでも年間の終値としては「6430円値上がりした。2年連続で前年を上回り、年末の株価としては、バブル期の1989年に付けた3万8915円を超え、35年ぶりに史上最高値を更新した。」と記事にある。
夕方には新聞代の集金人が来た。新聞を取ろうか止めようか迷うが取ることにした。夜になってから買い物に出かけた。ついでに喫茶店に寄る。520円に値上げ後は行かなかった。久々に入ったら500円に戻っていた。さすがに高いと見て客足が遠のいたのだろう。
今日は年内最後のゴミ出しの日。朝8時には起きて可燃ごみと資源ごみビン、缶を出しに出た。管理組合の小屋も12/31から1/6までは施錠するという。不心得者が居るからだ。
昼間は今年最後の株式相場を見た。386円安の39894円で終わった。それでも年間の終値としては「6430円値上がりした。2年連続で前年を上回り、年末の株価としては、バブル期の1989年に付けた3万8915円を超え、35年ぶりに史上最高値を更新した。」と記事にある。
夕方には新聞代の集金人が来た。新聞を取ろうか止めようか迷うが取ることにした。夜になってから買い物に出かけた。ついでに喫茶店に寄る。520円に値上げ後は行かなかった。久々に入ったら500円に戻っていた。さすがに高いと見て客足が遠のいたのだろう。
信州へゲレンデスキー行 ― 2024年12月28日
思えば、2024年は雪不足でゲレンデスキーにも行かなかった。山スキーすら行けなかった。それは山岳会の上部団体の法人化と決算をボランティアで付きっ切りでサポートしていたこともあって気が向かわなかったこともある。多くの他の仕事を犠牲にして一般社団法人の会計のサポートに邁進していた時期だ。それは5月の決算に無事こぎつけてひとまず肩の荷が降りた。
そしてゲレンデスキーの話をしているところを聞きつけてそれに乗って計画が進んだ。15時に名古屋を出て信州の白馬岩岳の宿も取れた。今夜は夕食は食べる時間には着けないが暖かい布団に寝ることはできる。かつてのようなゲレンデ近くにテントを張って仮泊ということではない。
中央道を走り、安曇野ICを出て明科から池田町、大町市を抜ける県道を通過すると雪が俄然多くなった。大町市でR148に合流、木崎湖、青木湖を過ぎて、佐野坂からは一面が白くなった。白馬の道の駅を通過、白馬駅前を通過、栂池スキー場の手前を左折。西山というところに雪に覆われた民宿があった。そこに今夜は泊れる。
そしてゲレンデスキーの話をしているところを聞きつけてそれに乗って計画が進んだ。15時に名古屋を出て信州の白馬岩岳の宿も取れた。今夜は夕食は食べる時間には着けないが暖かい布団に寝ることはできる。かつてのようなゲレンデ近くにテントを張って仮泊ということではない。
中央道を走り、安曇野ICを出て明科から池田町、大町市を抜ける県道を通過すると雪が俄然多くなった。大町市でR148に合流、木崎湖、青木湖を過ぎて、佐野坂からは一面が白くなった。白馬の道の駅を通過、白馬駅前を通過、栂池スキー場の手前を左折。西山というところに雪に覆われた民宿があった。そこに今夜は泊れる。
忘年山行・長者峰&高嶺 ― 2024年11月17日
午前5時に起床。外は暗い。もたもたするうちに6時前に自宅を出た。ようやく東の空が焼け始めた。音聞橋から眺めると雄大に見える。天白の牛丼屋で朝定を食う。6時半に出る。
今日は東の彼方の南信州の山で山岳会の新人歓迎会と忘年会である。
R153からR301、そして松平橋を左折、県道を足助に向かう。紅葉期は過ぎたがまだ観光客は多いので早朝に足助の街を駆け抜けた。通行量はやはり多い。
標高500mの稲武の道の駅「どんぐりの里 いなぶ」でトイレタイム。Pは早朝でも50%は埋まる。ナビをチエックすると残り30分くらいのドライブ。稲武はクロスロードなので飯田、豊橋、恵那へと分散する。飯田方面も少なくはないが今までよりは減った。
R153は足助からは山坂が多くカーブも多い。オーバードライブのボタンをオフにして走る。エンジンの回転数を高めに保ち、トルクの強いところを維持する。以前の3000ccターボディーゼルは余り考えもしなかったが今のクルマは2500ccと500ccも減らしたからトルクも減ってトップギアの走行が不安定になった。
日産のND350キャラバンの8年落を購入後、エンジンルームからの異音に気づいてファンベルトとテンショナーの部品を交換してもらった。低速域での使い勝手が悪くなった。最近になって気が付いたことは最小回転半径が4.9mから5.9mに大きくなったことである。だから回転や駐車にちょっと手間取る。
現在販売中の日産キャラバンは2400CCとさらに100ccダウンサイジングしたために7速の変速機を使わざるを得ないのだろう。
そうこう考えながら走るうちに根羽村を一気に駆け抜け、標高920mの
道の駅 信州平谷のPに着いた。午前8時30分過ぎだった。毛糸の帽子をかぶったリーダーが目に着いたのでそこへ走った。出発の準備中で私もさっそく支度にとりかかる。
トイレを済まし、出発したのは午前9時5分。柳川を渡って右岸に諏訪神社を見て右折。しばらく車道を歩き養蜂農家の前を過ぎると左へ大きくカーブする。左から来る小沢の手前に登山口がある。舗装路から別れて砂利道に入るとすぐに1040mの独立標高点のある尾根へ渡渉する。この尾根は最初は植林だが尾根が急登になると自然林になる。足元にはどんぐりの実が一杯落ちている。しかも太っている。
自然林に日光が当たって美しい。急登に耐えながら行くと山毛欅の古木があった。すぐに舗装された林道に飛び出す。30分ごとに林道を串刺しにしながら長者峰のPに着く。
そこで先着の会員らが居た。目の前の小屋でさっそくお湯を沸かし肉まん&あんまんを蒸す準備に取り掛かる。小屋では宿泊と火器の禁止を謳うが、今日のイベントでお湯を沸かす許可は事前に断ってある。
思いがけない冬晴れのお陰で360度のうち180度くらいは丸見えだった。しかも風もなく穏やかで小春日和といったところである。次々蒸し挙がる肉まんあんまんを食べて年忘れである。また車での登山組も3名登ってきた。
山頂のPにはライダーが多数登ってきている。三角点のある所の展望台はガラス張りになっており先着の山のグループが占領していた。
肉まんあんまんを食べ終えると高嶺へミニハイキングに行った。登山道は林道で山頂直下で笹薮の切り開きを登る。黒い柴犬を連れた親子夫婦が先着していた。眺めは西にちょっと開ける。
長者峰に戻って下山である。車で来たグループはお迎えが来て帰って行った。我々は自分の足で登ってきた道を下る。若い60歳代のメンバーは素早い。それでも尾根の中間点で待機してくれていた。
後期高齢者の私との差はやっぱり足腰と膝のバネだろう。今夏ジャンダルムへ登ってきた60代の女性2名は細い、軽い。足腰のバネがある。あっという間に登りあっという間に下ってしまう。かつて年長の人と富士登山で詠んだ拙句
遅れがちの老登山者に歩を合はす
が今では自画像になった。
最後は待っていてもくれず、ただ一人急峻な尾根をとぼとぼ下る。道の駅のPで再会した。雑談しているとふわふわと白い虫が飛んでいる。雪虫であった。雪虫が飛ぶと1週間以内に降雪を見るという。冬の到来を告げる虫である。
帰路はR153を辿り途中からR343、またR153,県道58で帰宅した。
ヤマップのデータでは往復9.9km。登りは約2時間半。高嶺往復は25分。下りは1時間20分だった。平均ペース130~150%で速い。らしい。コース定数は18でふつう。らしい。
今日は東の彼方の南信州の山で山岳会の新人歓迎会と忘年会である。
R153からR301、そして松平橋を左折、県道を足助に向かう。紅葉期は過ぎたがまだ観光客は多いので早朝に足助の街を駆け抜けた。通行量はやはり多い。
標高500mの稲武の道の駅「どんぐりの里 いなぶ」でトイレタイム。Pは早朝でも50%は埋まる。ナビをチエックすると残り30分くらいのドライブ。稲武はクロスロードなので飯田、豊橋、恵那へと分散する。飯田方面も少なくはないが今までよりは減った。
R153は足助からは山坂が多くカーブも多い。オーバードライブのボタンをオフにして走る。エンジンの回転数を高めに保ち、トルクの強いところを維持する。以前の3000ccターボディーゼルは余り考えもしなかったが今のクルマは2500ccと500ccも減らしたからトルクも減ってトップギアの走行が不安定になった。
日産のND350キャラバンの8年落を購入後、エンジンルームからの異音に気づいてファンベルトとテンショナーの部品を交換してもらった。低速域での使い勝手が悪くなった。最近になって気が付いたことは最小回転半径が4.9mから5.9mに大きくなったことである。だから回転や駐車にちょっと手間取る。
現在販売中の日産キャラバンは2400CCとさらに100ccダウンサイジングしたために7速の変速機を使わざるを得ないのだろう。
そうこう考えながら走るうちに根羽村を一気に駆け抜け、標高920mの
道の駅 信州平谷のPに着いた。午前8時30分過ぎだった。毛糸の帽子をかぶったリーダーが目に着いたのでそこへ走った。出発の準備中で私もさっそく支度にとりかかる。
トイレを済まし、出発したのは午前9時5分。柳川を渡って右岸に諏訪神社を見て右折。しばらく車道を歩き養蜂農家の前を過ぎると左へ大きくカーブする。左から来る小沢の手前に登山口がある。舗装路から別れて砂利道に入るとすぐに1040mの独立標高点のある尾根へ渡渉する。この尾根は最初は植林だが尾根が急登になると自然林になる。足元にはどんぐりの実が一杯落ちている。しかも太っている。
自然林に日光が当たって美しい。急登に耐えながら行くと山毛欅の古木があった。すぐに舗装された林道に飛び出す。30分ごとに林道を串刺しにしながら長者峰のPに着く。
そこで先着の会員らが居た。目の前の小屋でさっそくお湯を沸かし肉まん&あんまんを蒸す準備に取り掛かる。小屋では宿泊と火器の禁止を謳うが、今日のイベントでお湯を沸かす許可は事前に断ってある。
思いがけない冬晴れのお陰で360度のうち180度くらいは丸見えだった。しかも風もなく穏やかで小春日和といったところである。次々蒸し挙がる肉まんあんまんを食べて年忘れである。また車での登山組も3名登ってきた。
山頂のPにはライダーが多数登ってきている。三角点のある所の展望台はガラス張りになっており先着の山のグループが占領していた。
肉まんあんまんを食べ終えると高嶺へミニハイキングに行った。登山道は林道で山頂直下で笹薮の切り開きを登る。黒い柴犬を連れた親子夫婦が先着していた。眺めは西にちょっと開ける。
長者峰に戻って下山である。車で来たグループはお迎えが来て帰って行った。我々は自分の足で登ってきた道を下る。若い60歳代のメンバーは素早い。それでも尾根の中間点で待機してくれていた。
後期高齢者の私との差はやっぱり足腰と膝のバネだろう。今夏ジャンダルムへ登ってきた60代の女性2名は細い、軽い。足腰のバネがある。あっという間に登りあっという間に下ってしまう。かつて年長の人と富士登山で詠んだ拙句
遅れがちの老登山者に歩を合はす
が今では自画像になった。
最後は待っていてもくれず、ただ一人急峻な尾根をとぼとぼ下る。道の駅のPで再会した。雑談しているとふわふわと白い虫が飛んでいる。雪虫であった。雪虫が飛ぶと1週間以内に降雪を見るという。冬の到来を告げる虫である。
帰路はR153を辿り途中からR343、またR153,県道58で帰宅した。
ヤマップのデータでは往復9.9km。登りは約2時間半。高嶺往復は25分。下りは1時間20分だった。平均ペース130~150%で速い。らしい。コース定数は18でふつう。らしい。
蛇峠山ファミリーハイキング ― 2024年08月13日
午前6時50分に尾張旭市のGさん宅に着いた。4歳になる長女Sちゃんは寝起きが悪く泣いている。大荷物を車に積み込んで出発。瀬戸市の市街地を通過して昔の中馬街道を行く。R363を走るだけ走ると恵那市周辺をナビの指示に従うと上矢作町のR418を経由して平谷村だ。R153へ左折すると道の駅でトイレ休憩後治部坂峠へ。ここが登山口だが今日は4歳児と暑いのでズルして馬の背1450mへ車で登った。着くとすぐに虻が飛んできたが1匹だけで済んだ。身支度を整えて出発。
ゲートの左にある樹林の山路に入る。これの方が直射日光を浴びずに済むからだ。但し風の通りは悪く涼しい感じはない。ゆっくりゆっくり幼児の初山行のペースを探りながら登る。身長がない分大人は一跨ぎの段差でも母親に手を引っ張ってもらって乗り越える。
30分も登ると車道に出合うので樹林の中で水を飲んだりして休憩。するとすぐに虫が寄ってくる。都会と違い幼児は虫に一々反応するので持ってきた虫除けスプレーを噴霧しておく。
車道にはホタルブクロの花を見た。マツムシソウの花も見た。すぐに山路に戻る。これを後1回繰り返す。後は車道を歩く。コオニユリの鮮やかなオレンジ色の花に目を引き付けられる。空気のきれいな信州の高原の山だなあと思う。
電波塔が林立する山頂部に来た。二岐で左へ行くと展望台の草地に着いた。今日はここが山頂である。三角点は割愛した。雲が厚く遠望は利かないが湿気の少ない空気は爽やかだ。
下山は車道のみを辿った。こっちの方が日陰にならないので花も多い。ウマノアシガタかシナノキンバイか、信州ならではのミニハイキングでした。
ゲートの左にある樹林の山路に入る。これの方が直射日光を浴びずに済むからだ。但し風の通りは悪く涼しい感じはない。ゆっくりゆっくり幼児の初山行のペースを探りながら登る。身長がない分大人は一跨ぎの段差でも母親に手を引っ張ってもらって乗り越える。
30分も登ると車道に出合うので樹林の中で水を飲んだりして休憩。するとすぐに虫が寄ってくる。都会と違い幼児は虫に一々反応するので持ってきた虫除けスプレーを噴霧しておく。
車道にはホタルブクロの花を見た。マツムシソウの花も見た。すぐに山路に戻る。これを後1回繰り返す。後は車道を歩く。コオニユリの鮮やかなオレンジ色の花に目を引き付けられる。空気のきれいな信州の高原の山だなあと思う。
電波塔が林立する山頂部に来た。二岐で左へ行くと展望台の草地に着いた。今日はここが山頂である。三角点は割愛した。雲が厚く遠望は利かないが湿気の少ない空気は爽やかだ。
下山は車道のみを辿った。こっちの方が日陰にならないので花も多い。ウマノアシガタかシナノキンバイか、信州ならではのミニハイキングでした。
小川路峠へ ― 2023年11月19日
遠山谷も昨夜は凍て雲が山にまとわりついて寒かったが朝から快晴でした。6時50分に和田の宿を出発。7時30分に清水地区にある秋葉街道登山口を出発。野生のシカの頭蓋骨が落ちていた。人工林の中の道は不明瞭でしばしばRFで渋滞気味になる。それでも石の地蔵があるのでかつての街道には違いない。一旦皆伐してしまうとイバラ、タラなどが繁茂し、いわゆるヤブ道になる。植林すると日陰になって雑草は枯れてしまう。この間に人が歩かないと廃道になる。現在は森林は密植されており、間伐を待っている。道も廃道状態に近い。一旦は林道に上がって横切る。再び人工林の中を登るがやはり不明瞭である。最終的に林道に上がった。1062.8mの三等三角点上村の尾根の先に地蔵などが設置されている。昔は建物でもあった跡である。
ここから本格的な秋葉街道になった。15番の観音から始まる。しばらくは人工林だが疎林になっただけ、見通しが良く明るくなった。遠くに白い山も見える。観音様の番号が増えることで着実に登っていく実感がある。雪も出てきた。29番を過ぎると山抜けの沢の渡渉が待っていた。かつては桟橋もあったが朽ちている。虎ロープも切れて巻いてあった。リーダーがロープを出して女性らを確保して渡渉した。三点支持の基本技術があれば怖くない。そこから地蔵がずらっと並んだところにきてすぐ先に茶屋址と熊の檻があった。地形図では急な尾根だが九十九折れで優しく登って行ける。
12時45分にうっすらと雪のある小川路峠に到着した。昼食後、体が冷えない内に1人で13時30分に来た道を引き返す。途中、4回足に痙攣が走った。都度68を飲んで対応した。下山後約2時間の15時25分に林道に着く。太陽は隣の山にかかってすぐに日没しそうだ。帰路は樹林帯は薄暗いので林道を歩き通した。約1時間でクルマのおいてある入口に着いた。
小川路峠は上久堅からは5回も往復しているが遠山谷側は初見でしたので満足できた。秋葉街道は南西面に付けられているので西日が当たり午後も明るい。林道に下りた地点で3時30分位でしたが日が伊那山脈に沈んだ。山の中は飯田市の日没4時40分よりも1時間以上早い。
残照があるので4時半までマイカーまでは明るかくヘッデンは点けずに済んだ。
マイカーで矢筈トンネルを通過、下氏乗から中宮でR256に合流、左折して富士山之神社(スマホのナビの目標)へ向かうと5時20分ちょうど東京組と合流できた。後は飯田駅へ送って別れた。飯田から園原まで地道。20kmほど。中央道園原ICから帰名。2000円。102km。
名古屋から周回の距離は約380km位でした。山間ドライブは正味150km位。極端なタイトなカーブが多いので山よりもドライブに疲れた。3ヶ月のブランクがあったので足腰が久々に痛んだ。
※すでに完成している矢筈トンネルと青崩トンネルが高規格の道路に生まれ変わると鳳来峡ICにつながる。観光客も増えて秘境のイメージも無くなるかも知れません。
ここから本格的な秋葉街道になった。15番の観音から始まる。しばらくは人工林だが疎林になっただけ、見通しが良く明るくなった。遠くに白い山も見える。観音様の番号が増えることで着実に登っていく実感がある。雪も出てきた。29番を過ぎると山抜けの沢の渡渉が待っていた。かつては桟橋もあったが朽ちている。虎ロープも切れて巻いてあった。リーダーがロープを出して女性らを確保して渡渉した。三点支持の基本技術があれば怖くない。そこから地蔵がずらっと並んだところにきてすぐ先に茶屋址と熊の檻があった。地形図では急な尾根だが九十九折れで優しく登って行ける。
12時45分にうっすらと雪のある小川路峠に到着した。昼食後、体が冷えない内に1人で13時30分に来た道を引き返す。途中、4回足に痙攣が走った。都度68を飲んで対応した。下山後約2時間の15時25分に林道に着く。太陽は隣の山にかかってすぐに日没しそうだ。帰路は樹林帯は薄暗いので林道を歩き通した。約1時間でクルマのおいてある入口に着いた。
小川路峠は上久堅からは5回も往復しているが遠山谷側は初見でしたので満足できた。秋葉街道は南西面に付けられているので西日が当たり午後も明るい。林道に下りた地点で3時30分位でしたが日が伊那山脈に沈んだ。山の中は飯田市の日没4時40分よりも1時間以上早い。
残照があるので4時半までマイカーまでは明るかくヘッデンは点けずに済んだ。
マイカーで矢筈トンネルを通過、下氏乗から中宮でR256に合流、左折して富士山之神社(スマホのナビの目標)へ向かうと5時20分ちょうど東京組と合流できた。後は飯田駅へ送って別れた。飯田から園原まで地道。20kmほど。中央道園原ICから帰名。2000円。102km。
名古屋から周回の距離は約380km位でした。山間ドライブは正味150km位。極端なタイトなカーブが多いので山よりもドライブに疲れた。3ヶ月のブランクがあったので足腰が久々に痛んだ。
※すでに完成している矢筈トンネルと青崩トンネルが高規格の道路に生まれ変わると鳳来峡ICにつながる。観光客も増えて秘境のイメージも無くなるかも知れません。
青崩峠へ ― 2023年11月18日
11/18 浜松市天竜区は快晴
名古屋の自宅を6時30分頃出発。R153を走って東名三好ICから新東名経由で浜松北ICで出た。1820円。西鹿島駅へ8時50分頃着。102km。
9時過ぎ東京のPT7名と合流。青崩峠を目指しR152を北上。青崩トンネルの工事が真っ最中です。
峠直下まで車道はあるが足神神社でデポ。そこから徒歩40分で峠へ。石畳の遊歩道でした。峠では寒気のために降雪があり、初冬の気候と冬黄葉の残る自然林がマッチして美しい。東京組は峠から信州側へ下山、私は青崩れの地層が見える四阿で別れた。
車に戻って赤石山脈の兵越えを越えてR152に下った。下った辺りから先は青崩トンネル(2023年5月に貫通)の工事の真っ最中でした。ダンプが行きかうので一般車は立入禁止でしたが恐る恐る入っていくと東京組に出合えた。そこでピックアップして宿のある和田へ向かった。途中でも番所跡を見学したりして有意義なことでした。
宿はかぐら山荘。飲み代込みで10000円位。宿の風呂が壊れていたので平岡駅まで走って温泉に入湯できました。往復20km。
名古屋の自宅を6時30分頃出発。R153を走って東名三好ICから新東名経由で浜松北ICで出た。1820円。西鹿島駅へ8時50分頃着。102km。
9時過ぎ東京のPT7名と合流。青崩峠を目指しR152を北上。青崩トンネルの工事が真っ最中です。
峠直下まで車道はあるが足神神社でデポ。そこから徒歩40分で峠へ。石畳の遊歩道でした。峠では寒気のために降雪があり、初冬の気候と冬黄葉の残る自然林がマッチして美しい。東京組は峠から信州側へ下山、私は青崩れの地層が見える四阿で別れた。
車に戻って赤石山脈の兵越えを越えてR152に下った。下った辺りから先は青崩トンネル(2023年5月に貫通)の工事の真っ最中でした。ダンプが行きかうので一般車は立入禁止でしたが恐る恐る入っていくと東京組に出合えた。そこでピックアップして宿のある和田へ向かった。途中でも番所跡を見学したりして有意義なことでした。
宿はかぐら山荘。飲み代込みで10000円位。宿の風呂が壊れていたので平岡駅まで走って温泉に入湯できました。往復20km。
秋葉街道踏査の計画 ― 2023年11月10日
11/18~11/19の秋葉街道の踏査の計画がまとまった。東京の古道調査PTら7名と私で8名(男4名、女4名)の久々の大人数になった。浜名湖の北で落ち合い、青崩峠を越えて遠山谷で一泊。翌日は和田から小川路峠を越えて飯田市へ出る。
小川路峠は過去に数回は行った。
①思い出深いのは飯田市と遠山谷の合同で峠まで登ってジンギスカンの焼肉を食わせてもらったこと。
②今は亡きU先生と小川温泉1泊で往復した。この時に松濤明『風雪のビバーク』の春の遠山入りに出てくる街道と知った。
③ある時は『岳人』の”本を片手に”という特集でこの本と街道を取り上げた。取材で登山した。
④また、『ひと味違う名古屋からの山旅』三十三山の1つで曽山1601mを取り上げて登った。
⑤ある時は小川路峠の南のピークである金森山1703mに登るために登山したこともある。
途中にある木地師の墓が何とも哀れな気がしたものだった。供花一つなき小さな墓は供養する人もないまま時代の推移を見守ってきた。33観音は馬を引いて登る人、秋葉信仰の人への慰みになった。また登山者の安全を見守った。松濤明は登りに、深田久弥は下りに利用した。松濤明の頃はまだ宿があった。しかし、お客が少なくなったと嘆く宿のオーナーの言葉もあはれである。
青崩峠は豊橋市に住んでいた頃に1回だけ行った。飯田線を利用したからフルに一日かかった。久々に地質学的に特異な地域の山へ行ける。楽しみなことである。
小川路峠は過去に数回は行った。
①思い出深いのは飯田市と遠山谷の合同で峠まで登ってジンギスカンの焼肉を食わせてもらったこと。
②今は亡きU先生と小川温泉1泊で往復した。この時に松濤明『風雪のビバーク』の春の遠山入りに出てくる街道と知った。
③ある時は『岳人』の”本を片手に”という特集でこの本と街道を取り上げた。取材で登山した。
④また、『ひと味違う名古屋からの山旅』三十三山の1つで曽山1601mを取り上げて登った。
⑤ある時は小川路峠の南のピークである金森山1703mに登るために登山したこともある。
途中にある木地師の墓が何とも哀れな気がしたものだった。供花一つなき小さな墓は供養する人もないまま時代の推移を見守ってきた。33観音は馬を引いて登る人、秋葉信仰の人への慰みになった。また登山者の安全を見守った。松濤明は登りに、深田久弥は下りに利用した。松濤明の頃はまだ宿があった。しかし、お客が少なくなったと嘆く宿のオーナーの言葉もあはれである。
青崩峠は豊橋市に住んでいた頃に1回だけ行った。飯田線を利用したからフルに一日かかった。久々に地質学的に特異な地域の山へ行ける。楽しみなことである。
三階峰と紅葉ドライブ ― 2023年10月29日
R153の寒原峠を左折、恩田から林道弓丿又線に右折すると頂上直下まで舗装された一本道である。軽く乗り越すと少し広めの道幅にクルマを停める。
山頂への尾根には笹ヤブがかぶさるがわずかに切り開きがある。強引に笹を引っ張りながら登るとあっという間に山頂に着いた。6分。テレビのアンテナが立っているが意味不明。ヤブでさえぎられて展望はない。林道と平行する尾根にかすかな踏み跡があるので下って見た。林道との段差が縮まった辺りで林道に下る。マイカーに戻る。周回13分。散歩にもならないが2ヵ月のブランクの身にはにはこれで良い。
せっかくなので紅葉を楽しむ林道ドライブにした。林道名が弓ノ又線という。弓ノ又川は恩田大川入山が源流で園原川の支流に当たる。新しく舗装されているので地形図にはないが園原方面につながっている見たい。12時前後は太陽が上にあり、ちょうど日光が当たり照り紅葉が素晴らしかった。
いつもと違う山が見える。最初は大川入山だろうと思った。大川入山は南西に右へ1900m前後の山なみのはずだ。北西に見えるし左右に均整がとれた山容は恵那山である。
平谷村から根羽村は明るくなった気がする。多分全山カラマツ林でわずかに黄ばんできたからです。大川入山は全山黄葉に見えた。標高1400m前後が紅葉の真っ最中です。
足助は来週以降ライトアップが始まる予定です。今日は天気が良かったせいか、車が多く、帰りは4時過ぎでもトンネル内から渋滞していました。
山頂への尾根には笹ヤブがかぶさるがわずかに切り開きがある。強引に笹を引っ張りながら登るとあっという間に山頂に着いた。6分。テレビのアンテナが立っているが意味不明。ヤブでさえぎられて展望はない。林道と平行する尾根にかすかな踏み跡があるので下って見た。林道との段差が縮まった辺りで林道に下る。マイカーに戻る。周回13分。散歩にもならないが2ヵ月のブランクの身にはにはこれで良い。
せっかくなので紅葉を楽しむ林道ドライブにした。林道名が弓ノ又線という。弓ノ又川は恩田大川入山が源流で園原川の支流に当たる。新しく舗装されているので地形図にはないが園原方面につながっている見たい。12時前後は太陽が上にあり、ちょうど日光が当たり照り紅葉が素晴らしかった。
いつもと違う山が見える。最初は大川入山だろうと思った。大川入山は南西に右へ1900m前後の山なみのはずだ。北西に見えるし左右に均整がとれた山容は恵那山である。
平谷村から根羽村は明るくなった気がする。多分全山カラマツ林でわずかに黄ばんできたからです。大川入山は全山黄葉に見えた。標高1400m前後が紅葉の真っ最中です。
足助は来週以降ライトアップが始まる予定です。今日は天気が良かったせいか、車が多く、帰りは4時過ぎでもトンネル内から渋滞していました。
図書館の地形図 ― 2023年08月22日
五万図「根羽」の地形図 ― 2023年08月21日
国地院に問い合わせていた大正時代の五万図「根羽」を閲覧できないかの回答があった。国地院のしかる窓口に申請すれば入手できると分かった。但し1枚2200円と結構する。どこかの図書館にないか、調べてなければ購入してみたい。
最近のコメント