猿投山捜索行2017年12月16日

 今年の5月16日、猿投山で行方不明になったAさん。直後から警察や消防団の捜索活動が行われた。大部隊の捜索にも関わらず発見されなかった。そこで家族は山岳会に捜索協力を要請された。猿投の森の会が活動していたからだった。山岳会は検討した結果協力に応じることになった。6月末から7月にかけて動員した延べ人数は100名を軽く越えた。それでも何ら遺品一つも発見に至らなかった。
 捜索活動は暗礁に乗り上げた。関係者が協議の上、12月中旬から再開することとなった。夏季は暑いこともあって午前中のみであるが、冬は午前と午後のほぼ1日とした。16日は初日である。9時までに集合し、班分けして出動した。
 山道の散歩が日課と言う人だったので東大演習林内が濃厚という。
 一つの反省としてわれわれ山屋は藪尾根でも藪沢でも突っ込んで行ってしまう能力がある。山慣れもある。
 しかし、Aさんは実は山屋さんではない。靴はハイキングシューズではないし、食料や水なども無かった。まして地形図やコンパスも無かっただろう。だから同じ道をくりかえすのみであっただろう。近親者によればせいぜい2時間程度の行動の範囲ということだった。
 但し、Aさんは心臓ペースメーカーを入れていたらしかった。喘ぐような山坂を登ることも想像しにくい。するとどこかの尾根から転落が考えられるとして今日からは山腹に視点を当てることとなった。
 風化花崗岩の地質で崩壊した個所がいくつかある。沢も結構掘れてミニゴルジュになって険しい谷相である。残念ながらどの班も何も成果はなかった。
 これまでの山岳遭難の捜索活動の見聞から意外なところで発見されるということを学んでいる。何が意外なのかが分かりにくい。

つるまい図書館へポタリング2017年12月05日

 12/4の編集会議で石岡繁雄の列伝の記事を書きなおすことになった。石岡氏はいわゆるナイロンザイル事件の当事者である。それで資料として『氷壁・ナイロンザイル事件の真実―石岡繁雄が語る』を借りるために自宅から鶴舞まで運動不足解消を兼ねてポタリングした。
 まず天白川沿いのサイクリングロードを走ると両岸とも工事中で通しで走れず、早目に平地に下った。山崎川沿いのサイクリングロードから路地裏を抜けて広い車道に出て図書館に着いたら何と休館日だった。折角、月曜から休館日明けを狙って来たが残念。やむなく自転車をデポして愛知県図書館へは地下鉄で往復した。県の図書館にもある。
 また自転車のデポ地に戻って自宅へ帰った。
 ついでにイヴォン・シュイナード『社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』も借りた。アメリカのアウトドア用品メーカーだ。ここも登山家のハーネスの使い方が悪くて墜落事故があり、遺族は資金力のない登山ガイドからは損害賠償は取れないのでハーネスのメーカーのシュイナード・イクイップメントに請求してきた。アメリカの弁護士はいちゃもんでも堂々と訴訟を起こすから大変だ。シュイナードは設備を社員に譲渡、ブラックダイアモンド・イクイップメントを立ち上げて製品の生産は続行させた。
 ナイロンザイル事件は戦後まもなく前穂高岳で起きた事件で、井上靖『氷壁』のモデルになった。映画にもなった。石岡氏はザイルの研究を続けて、安全なザイルの啓蒙に努めた。PL法制定の契機になった。その顛末を詳細に記載した本である。
 ナイロンザイルの強度を蒲郡の工場で切断試験をした。報道陣にも公開された。試験結果は切断せず、だった。ところがおかしいと思った石岡氏側の人がこっそり工場に忍び込んで試験器具を調べたら角を丸めてあることが判明して大騒ぎになった。
 ザイルメーカーは東京製綱、ザイルの素材メーカーは東洋レーヨンであった。事前に口裏を合わせて切断されないように角を丸めた確信犯だった。こちらはいちゃもんではなく実証済みである。実験の責任者だった篠田軍治氏はあれは登山用ザイルではなく魚網の試験だったと言い逃れた。
 鋭角で切断する欠点ははっきりした。これだけはっきりするとメーカーはもう言い逃れできない。東京製綱はいつしか消えた。東洋レーヨンは1970(昭和55)年に東レと名称変更した。企業はつくづくメンツ(利益)を重んじて、たとえ多数の人命が失われても真実を隠蔽するものだという原点のような企業だ。
 試験後もザイルの強度を信じて使用した登山者が次々墜落死したのだった。東海地方だけでも名大山岳部、名古屋山岳会、愛大山岳部の3名が死んでいる。
 ひところ、企業の社会的責任論が広まったが今再び無責任な企業が表面化してきた。東レも再び聞いた。

忘年山行(那須ヶ原山~唐木岳)兼新人歓迎会2017年11月26日

 11/25から11/26にかけて山岳会恒例の忘年山行と1名の入会者があったので新人歓迎会を催した。場所は鈴鹿南部のゲストハウス関ロッジ。かつては国民宿舎だった宿だ。観光の目玉がない亀山市周辺では経営が覚束ないのか数年前に閉鎖してしまった。今回は7月ごろにリニューアルオープンしたが、一度利用した実績もあり、また使ってみることにした。
 但し、料理は自分らの自炊ということになった。メニューはすきやきにして食材調達は会の幹事が担った。
 ともかく午後5時ごろにはメンバー13名がそろった。テーブルにコンロ3台、あらかじめ切ってある食材を並べて調理してゆく。アルコールはビールは館内自販機で買うのが条件。焼酎は持ち込み可能というのでずらっと並んだ。差入れの日本酒もあって山屋にふさわしい宴会になった。自己紹介から始め、あとはもう宴たけなわとなるや気が付いたら布団に寝ていたという次第。1名が宴会後帰宅して12名が泊った。
 26日は帰宅組と山行組に分かれて行動。山行組は6名が残り、R1から滋賀県入り、蟹坂から大原貯水池を目指す。参道橋の先にいいPがあって2台を止めた。
 参道橋まで戻り、舗装の林道を登り始めた。荒れた林道の終点から山道が始まる。黒滝の手前の小屋に2合目とあった。参道橋といい、2合目の表示といい、那須ヶ原山へのメインルートだった証拠だ。登るにつれて傾斜が増す。谷から尾根を伝い高度があがった。枯れすすきが晩秋の山のシンボルのようになびく。遠くには綿向山、雨乞岳、御在所岳、鎌ヶ岳と鈴鹿を代表する1000m級の名山が横に並ぶ山容が圧巻である。
 2回目のネットをくぐると山頂は近い。約1時間ほどで登頂。簡素な祠を風雨や風雪から守るために建物で囲ってある。その下も避難小屋か登拝者の休憩室が設けてある。三角点は建物の後にあった。
 ここから81歳の長老と女性は下山し、我々4人はミニ縦走の道に入った。稜線は土が痩せているせいか、つつじ科のあせびのトンネルになっている。春の開花期には白い米粒のような花を咲かせる。
 三つ頭山、唐木岳へは標高差はないが、細かいギャップが続く。キレットを通過、小笹山に立ち寄り、さらに坂下峠への道を下降した。峠道は三重県側へ下る。若干登り返す。災害で荒れた道を歩くときれいな舗装の林道に出てPに戻った。
 山上でリーダーのスマホに連絡があったが電池切れでキャッチできなかった。下山後、宿に寄ると布団の中に時計の忘れものがあったと知った。メンバーの1人だったので良かった。管理人の計らいで無料で入浴を勧められた。もちろん、ありがたく入浴させてもらった。
 これで万事終了であったが、リーダー同行でもう一つ立ち寄りたいところがあった。今夏訪ねた亀山市の能褒野(のぼの)にあるヤマトタケルの墳墓と鈴鹿市の加佐登神社と白鳥塚を訪ねた。後はR1,R23を経て帰名した。

猿投山を歩く2017年09月10日

 朝行くか行くまいか、迷ったが7時過ぎには出発した。今日は膝痛の一般登山道での試運転の日だ。沢登りでは完全に踏破できた。RFで少し待ち時間があるから割りに楽なのである。一般登山道はただただ歩くだけになる。その分膝に来る。
 新しいアクセスも考えた。県道58号は最近は渋滞するようになった。特にR155と交わる大井橋である。それでR153を豊田市に向い、県道54号に左折して、みよし市の刑務所の横を通る。一旦、R155と交わるが直進すると保見駅の交差点に出る。これもやや交通量は多いが主要道のためか流れが良いと分かった。保見で県道58号に右折、すぐに県道283号に入る。すると猿投神社が近い。
 猿投神社のPは8時でもすでに埋まっている。車道奥も良いが、手前の路側帯にとめる。大勢の登山者とともに車道を歩く。途中から尾根道に左折。サバ土の壊れやすい東海自然歩道を行く。凝木の土留の段差が疲れやすい。大腿筋の補助に2本のストックをフルに活用する。やがて休憩所に着く。ここで汗をかいたので水分補給だ。傍らで韓国人の若い女性3人のグループが何やらしゃべりながら休んでいる。
 親子連れも多かった。段差は子供の足では届かないから苦労している。そうしてP504mのコブの山腹を巻いて車道に下り、東の宮の鳥居をくぐって最後の登りに入る。山全体が御神体なので喬木に覆われている。特に杉が多いわけではなく雑木も多い。西宮へ分岐する自然観察路を左に見送るとすぐに東の宮に着いた。参拝の後、一休みする。最高点632mはさらにひと登りするが今日はパス。629mの山頂へ向かう。632mへ突き上げる谷の源流部を巻きながらなるだけギャップを弱めるように道をつけてある。629mへは若干の登り返して登頂。大勢の登山者が休んでいた。眺めは北に偏りがある。
 帰路は往路を戻る。戻りついでに小さなPに寄ると東大演習林のエリアへの立ち入り制限の札があった。ここが北尾根の出発点だ。東の宮へ行く手前にも632mへの踏み跡があった。ここもいずれはトレースしたい。
 東の宮に着いたら、見知らぬ女性から声をかけられた。私は記憶にないが先方はかつて山岳会に所属してたというWさんだった。話をするうちに、中央アルプスの摺古木山から安平路山、越百山へ縦走したメンバーだったことを思い出した。突然の雷雲を凌ぐために金属を遠ざけてツエルトをかぶったことがあった。9/9のNHKの「ゆる山へGO」も見たらしい。よもやま話をしていると時間ばかり経過していくので打ち切って分かれた。
 次は西ノ宮へ行きたかった。何度も登った猿投山であるが西ノ宮は登った記憶がなかった。
 東の宮から西ノ宮へは道標がなく、すぐの自然観察路を下ったが、急に谷へ下るのでおかしいと思い引き返した。地形図を忘れるとこんなことになる。下って行くとカメラを構えた人が何やら撮影している。ヤマジノホトトギスの群落だった。行く時は全く気がつかなかった。
 東の宮の鳥居を出て、右へ車道を下るとしばらくで西ノ宮への鳥居があった。急坂を登ると千木や鰹木のある立派な社があった。格式が高い証拠だ。その奥にはオオウスノミコトの墳墓があった。
 満足して下山は自然観察路を歩いた。途中から東海自然歩道に合流し、車道までくだった。猿投神社にも参拝した。ここも立派な神社だった。

猫のつく山名2017年09月08日

 先日の山岳会の例会で猫のつく山名の山に登ることになった。北アルプス剣岳の北方稜線の毛勝三山の一つである猫又山と大猫山である。周遊でも往復でも11時間くらいの長丁場の山である。にもかかわらず大勢の参加希望者があったのには驚いた。
 元々はFさんが行ったが登れなかったらしいので膝が治ったことを確かめる意味もあって私が持ちかけてみたら二つ返事で決まった。
 それにしても最近は猫ブームで多くの人が猫に癒されている。しかし、登山となればそんなに甘くはない。
 なぜ猫が山の名前に採用されるのだろうか。ググってみると猫のことわざや故事成語は結構ある。
1 猫の額ほどせまい・・・非常に狭い。
奥美濃に猫峠がある。
鈴鹿の釈迦ヶ岳の手前には猫岳がある。
中信に根子山がある。猫の当て字だろう。
以上から猫には狭い、短いのたとえにされている。

短いといえば八丁もある。京都の八丁峠が浮かぶ。

2 猫の手も借りたい・・・猫の手(前足)は短く役に立たないたとえ。そんな猫の手でも借りたいほど忙しい。
猫又山はこのたとえか。

3 化け猫の伝説
東北に猫魔ヶ岳がある。
新潟の『北越雪譜』には「泊り山の大猫」が紹介されている。

黒部峡谷鉄道には猫又駅があり、猫又谷の先には猫又山がある。

ググっていくうちにブログ「山は猫」がヒットした。
http://neko-yama.blogspot.jp/
自己紹介文には
「日本全国の猫にまつわる山々を巡り歩きます。猫にちなむ伝説や言い伝えのある山、猫の登場する文学作品の舞台となった山、猫の姿形をした山や岩などを探訪予定。最終的には全国に分布する「猫山」(地図に載らない猫山も含め)を洗い出し、人と猫と山のつながりを人々の記憶から忘れ去られる前に明らかにしておきたい、というのが狙いです。
 タイトルの「山は猫」は、
芭蕉が会津・猫魔ヶ岳を詠んだ
「山は猫 ねぶりていくや 雪の隙」
からとりました。」だそうな。

十二支に入れてもらえなかった猫の話も面白い。猫という自分なりにテーマを持って山を歩いている人をひそかに尊敬したい。

木曽川水系岩倉川をさかのぼる2017年09月04日

 9/2から9/3の久々の沢登りです。しっかり水を浴びてきました。
 中アの沢は何本か遡行してきましたが、木曽川右岸の支流ははじめてでした。岩倉川ももちろん初めてですが、支度中に、関東ナンバー2台、8人くらいのパーティがきました。知る人ぞ知る沢なんでしょう。
 私達4人は本流を遡行しましたが、もたついていても追いつかれず、別の沢に入ったようです。本流の沢のグレードは1級から2級らしいです。適度な滝が次々現れ、なめもあって楽しめる沢でした。懸垂は無くほとんど直登できました。特に本流の滝に支流が2本滝となって落ちている所はなかなかの見所です。ここは支流2本滝上を巻いて本流に出ました。堰堤が2か所あること以外は自然のまんまです。平流になって遡行を打ち切り、林道を歩いて下れました。登頂できないのはちょっと寂しい。
 帰路は柿其温泉に入湯しました。冷泉の加温です。湯船に浸かっていると汗がでてきます。泉質は単純弱放射能冷鉱泉です。メンバーの1人が湯あたりするほどですから効能があったのでしょう。放射能泉は湯あたりしやすいそうです。翌朝の私の膝痛もなんともなく歩行や自転車も痛みなく過ごせています。温泉の効能かも知れません。
 気になったのは沢の浅瀬で岩魚が弱弱しく泳いでいたことです。警戒心の強い岩魚ですからすぐ逃げるはずです。多分、産卵後で体力を使い果たしでいたのだろう。岩魚は水面が凍るくらいになると孵化するそうです。それとどの稲田も穂を垂れて美しい山村の風景でした。これも秋ならではの風景です。
 R19に出る手前、大きなドーム型の山が見えました。最初は糸瀬山か、と思いましたが南木曽岳でした。方向によって大きく違うんですね。山口村まで来ると秋空にくっきりと恵那山がそびえていました。いい1日でした。

名銀ハートフルプラザ「はじめよう登山」セミナー②2017年08月09日

 8/8の名銀ハートフルプラザの「はじめよう登山」セミナーは15名の受講者を得て無事に終了。台風5号の接近でスワ中止かと危ぶんでいたのですが開催できてほっとしました。
セミナーでは、大きなTVに国土地理院の地図にアクセスして、個別の山を映しだし、言葉だけでなく視覚的に位置関係も見てもらいました。プレゼンの技がないのでこれが精一杯です。
 2014年に長野県から始まった山のグレーディング表は今は岐阜、山梨、新潟など名峰、難峰をかかえる自治体がHPで公開中です。
 東海地方はないので、考え方のみ同じで、日帰り可能な名古屋近郊のグレーディング表を作成して、受講者に見てもらいました。自分が登りたい山がどんな位置にあるか、登る体力、登山技術などがマッチするか否かを一目瞭然で判断できるものです。表の右上に良い山が偏ってきます。
 結果として、良い山、登りがいのある山ほど何がしかのリスクがあるものです。当然か。体力や装備、天候判断を誤れば遭難するわけです。
 そこで登山のトレーニングは登山が一番と、近場の山へ通うようにお奨めの山を挙げておきました。2ヶ月で3座登れば(年間18座)健康にも良く筋力も落とさずに済む。

名銀ハートフルプラザ「はじめよう登山」セミナー①2017年07月11日

 名銀ハートフルプラザは大名古屋ビルヂング16Fにある。今冬、成年後見制度の広報のセミナー開催の交渉に行った。話は難航した。セミナールームから濃尾平野の山々がよく見えるので、話のはずみで、山の話題にふれた。今回、縁あって、山のセミナー開催にこぎつけた次第である。芸が身を助けるほどの不仕合せ(古川柳)というがまさにそんなことになった。成年後見のセミナーも7/26にやれるので言ってみるものである。
 持ち時間は1時間なので広範囲な話は無理。課題はそれこそ山のように盛れるが、最新の衣類の知識の説明に重点をおいた。ちょっとした知識が生命を左右するかも知れない。
 レジュメはあっさり書いておいて、深い話は参考資料4点を添付した。
心得・・・山の命と弁当は自分持ち

服装・・・吸汗速乾機能の衣類

装備・・・スマホの利用が普及拡大中だが、必携とまではされていない。ザックと登山靴は基本のキなので登山用具専門店で相談して購入。

ストック・・・あれば便利で脚力を補佐する。しかし邪魔にもなる。必携かどうかは登山者次第である。

食料・・・粒食(ごはん)と粉食(パンやラーメン)の違い。

登山計画書・・・・条例化されて義務となった登山計画書。書くことで自分やメンバーの実力と向き合うことになる。
 実際の見本と長野県のWEBからDLした様式も呈示した。いの一番は登山計画書というわけである。
 次は書くための資料収集の選択である。ガイドブックとインターネット経由の情報との質的な違いを指摘した。

山岳遭難の多発傾向への警告・・・体力、技術、服装、装備の準備に怠りがなければ滅多に遭難はない。リーダーの心得、ビバークの心得も示した。残される家族の悲惨さも説明した。

定員は20名のところ19名の受講申込と聞いていた。予備の椅子を出していたから定員は若干オーバーしたのかな。腑に落ちる話になったであろうか。

猿投山捜索行②2017年07月09日

 去る6月29日から11日間毎日十数名の山岳会有志が集結して捜索活動に当ったが、何ら手がかりの得られない残念な結果になった。しかし、綿密に緻密に地形図を眺めて空白を埋めるような捜索でも発見に至らなかった。すると捜索範囲以外の場所に潜んでいるとしか思えない。それには余りにも範囲が広すぎる。

 東大演習林内の未踏査の沢と尾根を3人で探った。沢といっても水量は少なく登山靴のまま歩ける。源頭の手前で左の未踏の尾根に上がった。植生は松、照葉樹林、落葉樹林が混じる。下草は生えていないので歩きやすい。
 松はかつてははげ山になった証拠といえる。薪炭林として活用されていたに違い。石油の輸入でエネルギー革命が起きて、薪炭林の炭は需要が激減、山の落葉樹は放置されたままになった。
 雨で栄養分が流されて特に尾根は地味がやせる。やせると松しか生えない。そこへ落葉樹は茂るに任せる時代になった。放置すればまず照葉樹林が茂る。年中、太陽の光が届かない林下は下草も生えない。遷移が起きる過程であろう。

 個人的には7/8の猿投山の北尾根の捜索で知った戸越峠周辺の地形の複雑さが気になるので再度訪れてみたい。7/9にもここが気になると申し出てみたが東大演習林の中の尾根と沢をやることになった。関係者は軽装かつスニーカーで行くところではないと否定的だった。事故というものは普段と違うことをやるから起きる。意外なところで発見されることが多い。それだからなおも気になる。
 猿投山から北尾根をたどると素直に戸越峠にすとんと下れそうだが、実はそれまで北を向いていた尾根は峠の手前で東西に地形が変わる。峠には道形もなく一とくせある地形なのだ。
 地形図に名前のある峠なのだが、道路は切通しのまま狭く平行し、歩行者として歩きにくい。峠の神様の類いもない殺風景な場所である。北尾根は地形図で想像以上にやせて懸崖である。

 帰路は県道33号からR419で帰った。猿投山の山容は瀬戸市側は鉄塔だらけで美観を損ねる。真南の籠川流域からは桃の花を前景に美しいが山容は尾根が南に伸びるせいか、間延びして今一だ。北一色町辺りからは南尾根が隠れて山頂にまとまりがあるように見えて美しい。
 R419から県道58号へ右折。思いついて愛知池に寄った。ここから自宅までは12kmくらいなのでポタリングのエリアに入る。

白山宮のくくり姫に祈願!2017年07月04日

 7/3も青山秀樹さんの捜索に参加してきた。
http://www.city.seto.aichi.jp/docs/2017052300024/
 5/16に猿投山の戸越峠付近で行方不明になった。以来、20日経過した。地元でも警察署、消防署などが捜索したらしいが発見に至らず、相当日数経過してからさなげの森を管理する山岳会に依頼された。そこで協力者を募ると60名以上が手を挙げた。6/29から毎日、手分けしてしらみつぶしに尾根や沢筋を歩きまわって手がかりを探しているが、現在までに見つかっていない。
 私も7/1は留守本部をつとめ、7/3は実際に道なき山を歩き回った。成果は得られなかった。
 帰り道、ふと思いついて、日進市の白山宮に寄って、くくり姫に祈願した。猿投神社も勧請している。
 くくり姫は「「ククリ」はものごとを「くくってとりまとめる」が語源である。
 つまり、死者であるイザナミと生者であるイザナギの間をとりまとめたことに由来するというのが一般的である。」
 ゆえに、神頼みするわけである。
 計画では7/9まで続ける。早く発見されることを祈りたい。幸いにも家族は私どもの捜索活動に発見の希望をつないでいる。家族が見放さない限り、われわれは捜索をする意義を見いだせる。
 何もしないで神頼みするわけではなく、やるだけのことを精一杯やるのだ。きっと発見されると思う。