山岳会の新年会2020年01月15日

 19時から元会員の経営する居酒屋を貸し切りで16名の参加で行われた。18時過ぎから三々五々集結してきた。すっかり高齢化してしまったがみなさん元気な会員ばかりである。
 料理はオーナーの手作りである。今年は人数が多いのでバイキング方式になった。量はたっぷりある。また新たなお手伝いさんになった。20歳のピチピチの若い娘さんである。前の子はちょうど10年で退職されたとか。
 Fさんは名酒、私は対馬の焼酎「つしまやまねこ」を差し入れした。
 申込者は22名あったが最終的には病気や急用、出張などで6名が欠席になった。それでも以前は12名から13名だったこともあり、員数的には盛会になった。やはり新入会員が入ったことが大きい。一方で3月までにベテラン会員が2~3名退会すると聞いている。登れるうちは登るということにはならないようだ。また昨年、元会員が82歳で死亡したと仄聞した。
 こちらもすでに70歳になった。登山者としての余命は後5年くらいか、マイカーの車齢は今年で17年、後5年持つか。すでに24まんkmを越えた。30万kmまではもってほしい。肉体的、気力を維持することと、課題はマイカーを維持する経済力とのバランスである。
 運転免許も巷間伝わるのは認知テストなど聞くだけでもうっとおしい。しかし、高齢者の暴走、逆走があり、社会の仕組みになってしまった。それは団塊の世代が75歳に達すると今よりももっと増えると考えられるからだ。加えて70歳以上の登山者の道迷い、道迷いが遠因の転落死、登山中の病死などが増えている。
 心新たにする1日である。

お千代保稲荷へ初詣2020年01月13日

 11日から13日の3連休は年末年始の対馬の山旅の後片付けと休養にあてた。最終日の今日は商売繁盛の神様で知られる岐阜のお千代保稲荷へ初詣に行った。開運と健康を祈願する。
 2010年、60歳で定年後、自営業に転じて、毎年参拝してきたが最近3年間は遠ざかっていた。そのせいでもあるまいが業績は芳しくない。昨年は再度開業の意思で広告費をつぎ込んだ。
 2020年、開業10年目の今年は成果を見たい。コスモスの広報活動も成果が上がってきつつある。そろそろ名古屋市の若い行政書士にも後見人のご指名が出ると良い。これまでの6年間は無駄になっていないと信じる。
 お千代保さんは13日というのに相変わらずの善男善女で埋め尽くしていた。三が日ほどではないがさっさと前に歩けない人ごみの中を拝殿に進む。50円で油揚げを買い、ローソクをもらって灯す。拝殿でお賽銭と油揚げを投げ入れて、拝礼する。
 帰路は参道の周りの露天が楽しい。串かつはうまいが今はやや肥満気味なので我慢、代りに白菜の漬物や麩饅頭を買った。なまずの蒲焼も今は食傷気味である。かつては食べたフナの味噌煮、諸子の佃煮など冷蔵庫の片隅に置かれるともう食べないので割愛した。
 道の駅クレールで自然薯が600円から800円で売られていたので1本買った。調理が面倒だが粘りのつく食品でビジネスも粘り強く進めたいもの。験かつぎである。

治療2020年01月10日

 1/3に対馬・龍良山の山頂の岩場で凍結していたのか、ちょっと転んで左足の向こう脛を打った。筋肉だらけの部位である。出血はなく鈍痛だったから治療もしなかった。その後1/4から以降もほとんど痛みは感じず、温泉で温めていた。
 ところが1/6に帰名後から痛み出した。対馬より名古屋は寒いと感じる。寒いから血液循環が悪いのだろう。患部を見ると紫色にはれて広がっている。もしやばい菌でも入ったか、と不安になり治療を受けた。結果は自然に治癒してゆく過程らしい。紫色は内出血の血が変色して血管に吸収されて行くという。一安心した。簡単な塗り薬をもらった。

暖房とビタミンC2019年12月10日

 11月の中旬かに用意した灯油がいつの間にか無くなったので買い増しした。夜とか朝少し寒い時に暖房が欲しい。本格的な厳冬期はまだこれからだ。エアコン暖房は乾燥するので喉に悪い。石油ストーブにやかんをかけて湯気をたてることも健康管理につながる。
 少し離れた日進市のガソリンスタンドに走った。ここはマイカーに入れる軽油でも名古屋市内より10円は安い。灯油は比較していないが安いに違いない。さらに幟には零時から朝8時までなら20%引きとあった。これは安い。さりとてまた引き返して出直すのも無駄になる。次の機会には夜討ち朝駆けで買いに来るか。

 そういえば、12/1以来のビタミンCの毎日の服用で空ぜきはほぼ快癒してしまった。ほんのちょっと体に足りないだけだった。農家の子供の頃は味噌汁の野菜はその朝に摘み取って入れた。新鮮そのもだからビタミンCも損なわずたっぷりとれていたのだろう。
 今は都会暮らしで農家で採った野菜を洗って梱包し運んで市場で各消費地へまた運ばれて店頭にならぶ。消費者はそれを買い、その日のうちに消費することもあれば野菜収納庫に保存するからビタミンCはどんどん失われてしまう。約50%以下になるとの新聞記事を読んだ記憶がある。洗うだけでもビタミンCは流れてしまうとか。
 ジャガイモはビタミンCの宝庫というがストックの期間が長いから期待するほど取れていない。肥満するから糖質を避けよ、塩分は高血圧になるから危険だ、とか健康管理を謳う前に食べ物の取り方を正常化する必要があるのだろう。ストックしない、冷蔵しない、文明は長寿化をもたらしたが同時に病気も蔓延させた。

ビタミンC(アスコルビン酸)の威力2019年12月04日

 11/29の岳連主催「遭難を考える~低体温症の話」の中で、ビタミンCの事が語られた。私も歯磨きで出血した際にアスコルビン酸を備え付けの小さじ1杯か2杯(1g)を服用してきた。するとすぐに出血が止まった。

「低体温症の話」
http://tss1962.blog.fc2.com/blog-entry-1075.html

 この話を聞いてから、予てより悩んでいた空咳に効能がないか、12/1の夜から1gを2時間から3時間置きに服用してきた。すると2日経過した昨日辺りから空咳の回数が減った。今日は顕著に減った。
 咳が減ると体力が凄く楽である。咳が続くと体がぐったいりするくらい疲れる。これは粘膜の乾燥だったのであろう。これが続くと、呼吸器系の病気の一歩手前かも知れないと考えて呼吸器科を受診したこともあるが悪質な咳ではなかった。
 いつもはのど飴でごまかしてきたが何も舐めずに過ごせる。すると糖分をとらず、虫歯にもなりにくい。これはビタミンC服用の効能ではないか、と思われる。

 改めて、ビタミンCと粘膜で検索すると次のブログ記事がヒットした。

「ビタミンA・C・E(エース)で免疫力UP!!

毎日の食事が大切です。食材を組み合わせ効果を高めよう

特定・特別医療法人福島厚生会  福島第一病院
 栄養管理科主任 菅野 史絵」

ソース:http://www.daiichihosp.jp/ronbun/meyoudate/1702.htm

「ビタミンCの働き
皮膚や筋肉、骨、血管の細胞を結合させるコラーゲンというタンパク質を作ります。また、ウイルスの増殖を阻止するインターフェロンの生成を促進する効果も発揮します。水溶性ビタミンなので、体内に蓄えることができず、一度にたくさんとっても排泄されますので、毎食欠かさず食事に取り入れましょう。

ビタミンCが不足したら?
不足すると肌や粘膜が弱り、弾力が失われて、ウイルスに対する抵抗力が落ちます。また、寒さや疲労・発熱などのストレスにより消耗されて、抵抗力や免疫力が低下してしまいます 。

ビタミンCを多く含む食材
野菜(赤ピーマン・芽キャベツ・パセリ・ブロッコリー・など)・果物(キウイ・レモン・柿・など)・芋類(じゃがいも・さつまいもなど)」がヒットした。

 商品名は外箱にビタミンC原末、日本薬局方ビタミンC,アスコルビン酸、第三類医薬品などと印刷してある。メーカーは小林薬品工業㈱。
 効能はしみ、そばかす、日焼け、かぶれ、による色素沈着。歯ぐきからの出血、鼻出血、肉体疲労時、妊娠、授乳期、病中病後の体力低下時、老年期。
 成人は匙に2杯、1gを服用。服用期間は4時間以上置くように注意喚起がある。
 注意書きは7歳未満は服用禁止。尿、大便の検査に影響を及ぼすそうで、医師に伝えよ、とある。服用後、消化器に副作用があること。症状は吐き気、嘔吐、下痢。この場合は中止とする。
 
 この他ブログ「粘膜を強化するビタミンCは美容にも風邪にも最適」
https://news.livedoor.com/article/detail/9488068/

 敢えて分かち書きに編集してみた。

「ビタミンCは粘膜を強化してくれる

 ビタミンCの効能は粘膜を強化してくれることにあります。

コラーゲンと結合することで、皮膚の内側の部分を保湿して潤いを持続することができます。

そのため、お肌の潤いを保つためにもビタミンCがとても重要な働きをしてくれるんですね。

しかし、ビタミンCはお肌の潤いを保つだけの成分ではありません。

体内でとても重要な粘膜の部分も保湿していき、外敵から守ってくれています。

たとえば、目の粘膜、鼻の粘膜、口の中の粘膜までもがビタミンCのおかげで守られています。

もしビタミンCが不足すると、乾燥を招くのも分かりますよね。

ビタミンCを必要としている部分はとても多いので、もし粘膜部分が乾燥気味になってしまったら、菌などに負けてしまい風邪をひきやすくなってしまいます。」とあり、重要なビタミンと理解できる。

 結局、私の空咳が年中続くのはビタミンCが常時不足しているのである。自然の風は良いが、エアコンの乾燥した風には弱くすぐ喉が反応し咳が出やすい。喉の粘膜が乾燥するからだ。それじゃとフルーツや新鮮な野菜は常時手に入り、常時補給できるかというと困難な環境にある。畑から何日も経過して都会のスーパーの店頭にならぶうちにビタミンCはどんどん失われる。自宅のストックでさらに失われる。

 喉の粘膜を守るには、マスク、うがい、喉飴、等があるが、抜本的にはサプリメントのビタミンCの補給が有効である。空咳が治まってきたら、自然に柿、リンゴ、ホウレンソウ、みかん、ブロッコリーなどで摂取に務めるが良い。
 山岳遭難特に低体温症を防ぐには普段からの栄養管理が大切なのだと理解を深めた。

時雨るるや句会の後の食事会 拙作2019年11月26日

 休日の句会は何かとぶつかるので平日に変えてみた。また10年前の発足時には5人いたが今は3人に減った。皆健康を害して継続できなくなったのです。生き残った人は健康だし意気も盛んです。1人には結社への入会を勧めたら入った。82歳でもなお向上心を失わない心意気に凄いと思う。
 今までは喫茶店でお茶を飲みながら進めていたが喧噪の中での句会はお店の迷惑にもなる。それで今日は天白スポーツセンターを借りてみた。3時間1000円。ほどほどの広さの会議室である。集まったのは近くの1人で遠方の1人が中々来ないので連絡するとうっかり特急に乗り、地下鉄鶴舞線乗り換え駅の上小田井駅を乗り越したらしい。金山駅で下車してしまった。そんな訳で遅れに遅れて3時30分からになった。
 句を見るとしっかり詠んでいる。認知症にはまだ縁はないだろう。それでも身の回りのことが困難なエリアに来ているので機会があれば脳のCTスキャンで診断を仰ぐようにお勧めした。もう1人はすでに受診したことがあるそうだ。かく言う私も機会があれば受診しておきたい。否75歳になると運転免許の更新で否が応でも試される。
 してみると今日の1日のように人生は短い。黄金の六十代も終わり黄昏の七十代、お二人は八十代。句会が終わると時雨て来た。3人で夕食を共にした。句会よりこれが狙いかというほどおしゃべりを堪能された。

老人性低体温症2019年11月04日

遭難を考える講演会
 このところの冷え込みで秋山遭難が増えてきた。北アでは72歳の老登山者が低体温症で死亡した。 
 登山の基本は、温かい衣料(行動中は軽く、休止中は防風対策、冷えに対策して工夫)、十分な水と食料(非常食も含む)、後不時露営に備えて、ツエルト、防寒着、体力が許せばコンロ、コッヘルで暖を取れる準備を固めていきたい。これらの装備をいつでも使えるようにしておくことも大切だ。
 今時は携帯電話など連絡手段も必須になった。秋山は早く日没する。早出早着きが常識。これから冬至までは日照時間が少なくなる一方なので行動時間が限られることも念頭に置きたい。

 テルモという医療器具のメーカーのHPから
 高齢者では暑さ、寒さに対する感覚が鈍くなり、身体の反応も弱くなっています。具体的には、暑くても汗をかきにくく、汗の量も少なくなります。また暑いと皮膚の血流が増えて体内の熱を逃がそうとするはずですが、高齢者の場合、暑くても皮膚の血流量が増えにくくなります。
 逆に寒くなっても皮膚の血流量があまり減らないため、体内の熱を逃がしてしまい、体を冷やしやすくなります。
 老人性低体温症
寒いとき、高齢者の手に触ると、温かく感じることが多いと思います。本来、寒いときは皮膚の血管が縮まって血流量が少なくなり、体内から熱が逃げるのを防ぐ仕組みがあります。しかし若い人にくらべて高齢者の皮膚血管はその反応が鈍いため、体内から熱が奪われやすくなります。
 さらに体内で熱を作り出す反応も高齢者では弱いため、体が冷えてしまいます。
 寒いときに体の中心部の体温が35℃以下に下がった状態を「偶発性低体温症」といいますが、高齢者の体温が低くなったときの状況をとくに「老人性低体温症」と呼びます。
以上
・・・・こんな老人の生理を考慮して秋山冬山に対応する必要がある。2012年のGWの白馬岳の稜線をTシャツ1枚だけで登っていた中高年のパーティ6人が全員低体温症で死亡している。
 「豊後ピートのブログ」から
「GWの白馬岳で6人が凍死 4」
https://blog.goo.ne.jp/bongo-pete/e/2b0dc77309ffd5dee6f12fe543b436f5#comment-list

 結局は当ブログの右に掲げたコラムにある跡部昌三さんの箴言に尽きると思う。
「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」

 自分の限界を知っておく。所詮自然の猛威には勝てない。頑張って褒められるのは人間界の虚構の中での話である。

蟾蜍長子家去る由もなし 中村草田男2019年09月18日

 今朝は早起きして、シャワーを浴びたが擦過傷の患部への刺激は減少した。薬が効いたのか。皮膚科でもらった薬を塗布した。

 朝7時過ぎ、通勤者のマイカーで混雑する道をナビに振り回されながら地方都市の地銀の支店へ行く。成年後見制度や相続、遺言書などの相談員の1人として。遠くても手を挙げたのは地銀が広告と会場を貸与するという好機を生かしたいためだ。
 相談者は1名だけだった。前回はゼロだったそうだ。それで手を挙げたのは地元の行政書士1名のみ。1名では銀行の好意に背くので名古屋の私でよければと、手を挙げて相談員として赴いた。内容は遺産分割のもつれである。現行民法は法定の均等割を強いるが祭祀継承者への配慮をしてあげることへの理解を求めた。
 相続人らを困らせているのは兄弟姉妹の5人のうちの三女で、かつ夫が国立大学の法学部教授とくるから始末が悪い。法定通りじゃないと法に訴えると言っていると困惑された。
 戦後GHQがわずか1週間で日本国憲法を制定していった。その影響下で長男の地位が大きく棄損された。最大のものは墓をだれが守るか、という視点である。GHQのメンバーの中心は世界を流浪する民族のユダヤ人らだったから祖先崇拝なんてことは頭にはない。如何に個人として優位に生きるかだけだろう。個人主義の蔓延が争う相続と揶揄されるわけだ。
 計算式としては長子は現在65歳なので85歳まで存命すると20年、33回忌は98歳になるので厳しいが、27回忌まではやれる。
 一例として
  1回数万円の法事負担費×7回+墓の管理費+アルファ=??万円
程度を長子に加増して三女を説得する旨伝えてみた。長子への感謝の気持ちも必要だ。

 法事のたびに集まって「兄さんどうお元気?」「お前も腰の痛みはどうだや」「あの子は認知症になったんだわ、後見人が付いちゃってね」などと同胞(はらから、兄弟姉妹)の消息を話し合ういい機会だ。

 相談後の感想としては表題の俳句
 中村草田男の 蟾蜍長子家去る由もなし を想起した。
ヤフー知恵袋から
「ここは、家を去る理由がない、ではなく
家を去ることができない、というふうにとったほうがいいでしょう。

蟾蜍(ヒキガエル)は、どこにでもいるというものではありません。
すみ易いところが決まっているのか「ヒキのいるような家」という表現があるように、
まるで一匹の蟾蜍がずーっと死なないで取り付いているかのように、毎年毎年、同じ庭に現れます。蟾蜍の方も、代替わりしているかもしれないのですが、はたからみると、何百年たっても同じ蟾蜍です。

旧家の長男というのも、その旧家の伝統を背負って、先代の、先々代の、先々先代の、同じ暮らしを、同じ古屋で、続けていかなければなりません。
旧家の長男の、堂々たる威厳に満ちた悲哀、といったものを、蟾蜍の姿に投影したのでしょう。」ずばり名解説。

 相談者は長女でした。作用、句の解説にもあるように長子は逃げられないのです。「じゃだれが墓を守るんだ」とヒキガエルみたいにぼやいているとか。両親が商売で蓄財した財産をとくに不動産を5人で共有だなんて、したくないわと、相談に来られたのだ。亡親も泣いていているでしょうに。幸い現金があるのでそれの一部をツカミ金で縁をつなげたらいいなと思う。家制度は崩壊したが家族で助け合うことは民法でも義務になっていることを忘れてはなるまい。

皮膚科へ2019年09月17日

 激しい登山の後は体のメンテナンスが待っていた。リュックザックのベルトのかかる肩の前の皮膚がただれて赤くなった。以前もそうなったが自然に消えた。今回は1日10時間2日間も、だからといってそんなに重くもないザックではあったが皮膚がただれるほどになった。
 そこでさっそくへ皮膚科へ。先生に診てもらうとおっという顔をされた。私は時々珍しい症状を見せる。今回もどうしたか、いえ、ザックのベルトが当たって擦過症みたいです。というので塗り薬と薬をあてるパッドを処方された。ガーゼとテープは自分で買ってねという。

名大学長松坂佐一のことども2019年09月10日

 朝6時台は気温は少し下がったとはいえ、直射日光が照りつける道を歩き出す。冷蔵庫で冷やした濡れたタオルをポリ袋に入れて汗を拭き拭き、朝一で地下鉄に乗る。もう座席は埋まっている。
 クラブ愛知の集会に出席する。早朝7時からホテルの朝食を食べながら愛知大OBのゲストスピーカーを呼んで話を聞く。今日は不動産屋で成功した若いOBだった。不動産業は成熟産業なので隙間の需要を取り込みながらの情報サービス企業である。それなりに成功をしたらしい。
 スピーチが終わるとOBからの任意のエピソードの時間になった。新趣向である。一番手の昭和29年卒業という大先輩の某氏の言葉がいたく印象に残った。表題の松坂佐一(明治31(1898)年~平成12(2000)年)のことだった。
 松坂佐一はウィキにはこう紹介されている。岡山県倉敷市の生まれ。「小学校を卒業後上京し、東京府立第一中学校、第一高等学校を経て1923年東京帝国大学法学部卒業。京城帝国大学教授(昭和5年)、愛知大学教授(昭和21年)、名古屋大学法学部教授(昭和24年)、名古屋大学総長(昭和34年)、NHK経営委員会委員などを歴任し、晩年は研究の傍ら弁護士としても活躍。」とあるので一応愛大教授を務めたことは分かる。
http://nua.jimu.nagoya-u.ac.jp/upload/news/20/68ba1a55e62582f2a38c3930b393522f.pdf
 ネット検索で深掘りすると、名大法学部独立に寄与したとのことが「名大史」から分かった。学長としては1959(昭和34年)から1963(昭和38)年。ちょっと名大史から引用すると、愛大教授をやりながら名大法経学部設置に尽力したのである。名大は帝大だったが理系のみで文系はなかった。
 戦後は上海にあった東亜同文書院大学の教授と学生を継承した愛知大が旧制で法経学部を設置し中部地方の大学で初めて法学教育に乗り出した。外地の台湾の台北大学、朝鮮の京城大学からも引揚者が合流したらしい。このスタート時に教授として迎えられるのは自然な成り行きだったと思う。松坂氏は47歳になっていた。家族を抱えて大変な戦後を過ごしたことは想像に難くない。国立名古屋大学法経学部は数年遅れてスタートしたのである。
 先輩某氏の話には松坂氏に大変親しみを感じていたことがわかる。なぜならば名大に軸足を移しても愛知大の教授としていてくれたというのだ。中々聞けない貴重な話だった。
 その後、M女史のインストラクターに体力測定をしてもらうと、体力年齢は57歳と出た。ただし、肥満気味とのこと、また内蔵脂肪が多めらしい。道理で動きが悪いはずだ。糖質制限をしなくっちゃね。
 若い弁護士のMさんや司法書士のYさんらと山の話をして別れた。