自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」2020年04月06日

ソース:https://www.yomiuri.co.jp/national/20200406-OYT1T50058/
大見出し:自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」…地方は困惑「本来ありがたいが」

 新型コロナウイルスの感染者の増加を受け、東京都や大阪府などの大都市から地方に旅行したり、一定期間滞在したりする人が目立っている。インターネット上では「コロナ疎開」との言葉も使われる。ウイルスからの避難や「自粛疲れ」などが背景にあるようだが、専門家からは感染拡大の危険性が指摘され、各地で困惑が広がっている。

中略

「3密」避け冷静対応を 専門家呼びかけ
 政府の専門家会議メンバーの押谷仁・東北大教授は、都市部から地方への避難について、「新型コロナウイルスが拡散する恐れのある行動で、避けてほしい」と呼びかける。

 地方都市の中には医療機関の備えが不十分なところが多く、高度な医療が提供できる施設も限られる。住民に高齢者が多いこともあり、都市部から感染が波及すると、大きな被害が出る可能性があるという。

 押谷教授は、「密閉、密集、密接が起こる環境を避ければ、感染者が増えている東京や大阪でも普通に生活できる」と説明し、冷静な対応を求めている。
以上

・・・・そういえば、名古屋市でも4/4(土)の朝8時過ぎは車が多かった。名二環から一宮JCT経由木之本ICまで利用したが、養老SA辺りまでは車が多かった。関ケ原ICを過ぎてから交通量は激減したかに思う。
 木之本ICからR8に出てもやはり車は多く、サイクリストも良く見た。JR永原駅のPは数台の車で閑散としていた。輪行袋を抱えたサークルも見かけたが数は少ない。私はより人の居ない山中へと分け入ったから「三密」は回避できている。万路越えから無名のコブで3人に会っただけ。
 海津大崎へ下山後は、予想ではマキノ町のHPで有名な花見のイベントを中止したから閑散としているかと想像したが、県道は一方通行で渋滞中であった。ナンバーは滋賀県が圧倒し、他に京都府、福井県くらいで都会からの他県ナンバーの「コロナ疎開」はなかったかに思える。交通監視員に聞くと、それでも例年よりはうんと少ないのだとか。
 こちらはマキノ駅から永原駅まで乗車したが、駅のホームでは私一人、車内の乗客も閑散。下車する人もちらほら。マイカーに戻るとあとは接触は地元スーパーでの買い物以外は自宅までほとんどない。一宮JCTではいつもの渋滞はなく、名二環もスムーズだった。愛知県民は自粛を守っているのだろう。帰路は早かった。帰宅後は手洗い、入浴、うがいをして就寝。
 自粛で室内にいると読書するくらいしかない。あるいは隅々の掃除とかはこの機会にやるが気は進まない。やっぱり人は他人との接触の中で生きている。そういう形で物事は進んでゆくものなんだな。

大鼠山スキー登山2020年03月22日

 3/22は飛騨市山之村の大鼠山へスキー登山を果たしました。
 2/9は1502mの地点で大雪のために撤退。今回はそのリベンジになります。3/21の午後3時30分、同行のWさんの職場から出発。名二環、名古屋高速から名神、東海北陸と使えるものはみな使って飛騨清見ICで飛騨入り。神岡町のスーパー「バロー」へ着いたら午後6時20分。バローで食材の買い物を済ますと山之村へ。神岡町の素晴らしい夜景をちらっと眼下に見て、つづら折れの県道を走り伊西トンネルを抜けると山之村に着く。
 荒涼とした風景の中を走る。それでも春は来ており、2/9には雪道走行だったが今は路上の雪はない。山はいわゆる斑雪山(はだれやま)になった。戦前のベストセラーの中河与一の小説『天の夕顔』の駅に着く。ここは天蓋山の登山口だが桑崎山や明日登る大鼠山の拠点にもなる。Pにも雪はほとんどない。軒先でビバークさせてもらう。少しばかりの酒とうどんすき焼きで体を温める。
 3/22の朝4時起き。食事、片づけて出発は6時20分になった。2/9はここからシールを張って歩いたが今日は車で1km先のスノーモービル置き場まで走り、出発。しかし、雪は林の中だけは残り、山之村牧場が見えるところでは路面の雪は解けたのでスキー板をかついで歩く。ここで7時25分経過。再び路面の雪ではスキーを履くが登山道になる林道の先でまた解けている。板を外して、また履いてを2回繰り返し、標高1300m付近からしっかり残雪の林道歩きになった。
 以前撤退した1502m地点は楽々通過出来、大鼠山の登山道のある地点まで一気に歩いた。ここに深洞湿原の道標を見た。地元の人の話では中々に良いところらしい。先行者のスキー跡があるのでそれを追うように登る。林道を離れると針葉樹、ブナ、ダケカンバ、ササ、低灌木の茂る混交林になる。登山道は雪に埋もれているが、ゆるやかな地形をたどると30分もかからず、1590mの最高点に着いた。11時2分。
 展望は北東に見えるがあいにくの曇天で山岳同定はできない。北ノ俣岳辺りが見えるとは思うが・・・。山名板があるのでここが終点かと思ったら実は三角点1584.5mはもう一つ隣のこぶだったのでまた腰をあげて歩いた。着いたものの三角点はまだ雪の下。いくらも滞在することもなく下山した。破線の登山道は1590mを迂回しているが実際には幹に赤ペンキでルートを示してある。三角点からの展望は北東だけで周囲は樹林にさえぎられる。どちらかと言えば最高点の方がよさそうだ。
 下山はわれわれが残したスキーの跡をたどるがリーダーが付けた赤布も回収する。林道に着いたがシールを外すのは1502m地点にした。途中にギャップがあるからだ。シールをはがして、滑走面の糊を溶剤で掃除してワックスを塗る。先回はこれをしなかったから滑走面に雪が付いて難儀した。滑らないスキー板は危険でさえある。それで今回は気持ちよく走ってくれた。登りは時速2km以下、下りは時速10km以上だから早い早い。あっという間に車道に出た。車道もところどころスキー板を付けたり外したりで忙しかったが楽しくリベンジ登山を終えた。
 今回の収穫は林道歩きが多かったが、1400m以上では残された山毛欅の大木に目を奪われたことだ。加えて山頂までシールを付けたまま登山できたこと。
 山頂周辺の山毛欅、針葉樹、ダケカンバなどの混交林も特筆される。日本海側の山では山毛欅の純林が多かったから意外な発見である。今回は登山に夢中で留意はしなかったが、点名は「大鼠、おおねず」からの想像であるが、ネズコ(黒部、黒檜、ネズコは幹が鼠色に由来)の大木の群生地だったのか。𣜌(木へんに鼠)とも書く。
 また今年の干支の鼠に因んだ山名の山に登れてやっと正月が祝えるねと笑った。帰路は飛騨市古川の桃源郷温泉「すぱーふる」に入湯。良い湯でした。

阪神淡路大震災から四半世紀2020年01月17日

今日17日で25年か、早いものだ。当日、共著で拙書『ひと味違う名古屋からの山旅』の2刷の印税が入金した。これも何かの縁と、共著の人たちの了解を得て、全額を中日新聞社を通じて義援金として寄付した。ささやかでも助け合うことで被災者の力になると思った。その後の報道で未曾有の 義援金が集まった。本もよく売れて3刷までいった。
業界団体の研修旅行で神戸市の被災地跡を見学した。想像を絶する展示だった。天災は忘れた頃にやってくるというが、近年は加速度的に起こる。巨大土木工事が続いてあるから地盤がストレスを受けやすい。リニア新幹線とか中央構造線をぶち抜く。何も無ければ良いがと思う。

国境の島・対馬の山旅⑦龍良山2020年01月03日

 3日の龍良山はスダジイの原始林に象徴するもっとも対馬らしさを残す山であった。それも地元でガイドブックも執筆するNさんの同行を得られてディープな情報が得られたからだった。訪対するまでの情報収集では対馬を深く紹介したガイドブックは皆無だった。それで『分県登山ガイド 長崎県の山』の対馬を担当するNさんに情報収集中と連絡していた。返信があったのは元旦であった。普段は連絡しない手段だった。
 それでも見知らぬ私に同行のお誘いを受けることになった。Nさんは城山か龍良山か、評価が今一はっきりしない龍良山を希望した。Nさんは城山を勧めてくれた。古代の城戸が残り、陸軍の砲台跡も見学できるからだろう。全島照葉樹林に覆われた対馬の山でも特に保存状態が良いとされる龍良山を希望したのは直感である。
 朝8時、宿舎のホテルまでお迎えに来てくださった。同僚の若い女性Yさんも同行してくれた。Nさんの車に同乗させてもらい、厳原町内山まで行く。これまでの北から対馬の南端に近い山だ。環境省のツシマヤマネコの飼育センターの施設がある。ここで野生に戻す訓練をするという。広大なPに止めて林道を歩き出す。すぐに龍良山原始林内に分け入る。高い樹高、大径木の常緑樹が林立する木立である。日光が一切差し込まないから足元は土が出ている。下草も生えない。その上にあまり踏み跡はしっかりしないところもある。スダジイの大木というか古木まで来た。樹齢何百年か。伊勢神宮の神杉が樹齢約600年と聞く。それに単純比較はできまい。

 九州森林管理局のHPには「 豆酘龍良山スダジイ等遺伝資源希少個体群保護林は、対馬下島の南西部、龍良山の北西斜面に設置されており、全域が連続した照葉樹林となっている。植生は海抜350m付近を境に、下方をスダジイーイスノキ林、上方をアカガシ林が成立する。林内には胸高直径1m以上のスダジイを始め、イスノキ、アカガシ、イヌマキ等、天然林に近い照葉樹林は最大級の規模といわれている。
また、平成21年度には、同じ対馬の下島最南端の神崎半島に位置する豆酘内院龍良山神崎スダジイ等希少個体群保護林が、同じく下島の中でやや北部に位置する対馬白嶽アカガシ等希少個体群保護林がそれぞれ同様に類似するスダジイ、イスノキ等照葉樹林であり、これら2つの照葉樹林の保護林が隣接して設定された。
主峰・龍良山(標高558m)は、霊山として島民に崇められている。史跡名勝天然記念物、壱岐対馬国定公園に指定され、年間を通じ登山客も多く見受けられる。また、麓には厳原町が整備した「鮎もどし自然公園」があり、公園から保護林を一望できる展望台、キャンプ場等があり、多くの観光客が訪れている。」と紹介される。

 文化遺産オンラインには「史跡名勝天然記念物
龍良山原始林は対馬下島にあり標高559mで,標高120mの低地から山頂まで,良好な照葉樹林が残されている。低標高地域には,他の地域では人為により破壊されてしまった,スダジイ林が良好に残されている。標高350m以上ではアカガシ林にかわり,山頂付近では雲霧林を形成し,ラン,シダなどの着生植物が多く見られる。低地のシイ林から高地のアカガシ林までの連続した照葉樹林が良好に残されている地域は,日本でも数少なく,貴重なものである。

天然紀念物調査報告(植物之部)第五輯 一五頁 參照
天然紀念物解説 二一七頁
對馬全島中ニテ暖地性常緑樹種ノ最盛ニ發生セル原始林ニシテしひのき、あかがし、うらじろがし、をがたまのき、しきみくすのきやぶにつけい、あをがし、たぶのき、さかき、ひさかき、かくれみの、いすのき、さねかづら、むべ、むさしあぶみ、等發生ス」

 一社対馬観光物産協会のHPには「龍良山は、対馬独自の天道信仰の聖地として立ち入りが禁じられ、千古斧の入ったことのない原始の照葉樹林として、国の天然記念物に指定されています。森の平均樹齢は200年で、スダジイ・イスノキなどが他の地域では見ることのできない巨大な姿を見せています。
 低域部は雰囲気の良い照葉樹木原始林で、1時間程度の散策を楽しめます。
標高558m。登山口から山頂までのコースタイム(休憩除く)は、往路90分、復路75分。」とあり、大体200年くらいだろう。
  
 登山道は西の鞍部に向かって斜めに登り、一部は植林内を横切って鞍部に到達。鞍部から尾根を登ると岩盤の山頂である。三角点は少し先に埋まる。点名は男竜良という。往路を戻る。下山後は飲食店で蕎麦をいただく。
 その後は豆酘の尾崎山の燈台までドライブになった。対馬海流の荒波が直接ぶつかる対馬南端の海岸は絶壁に近い。5年前の薩摩半島の野間岳でも小雪混じりの悪天の中東シナ海の荒波を眼下にみた。今日は晴れているだけましだ。また厳原町まで戻ってNさん,Yさんと別れた。その後で、宗氏の菩提寺である万松院と居城であった金石城跡も訪ねた。

対州は大山国やほととぎす 河野静雲2019年12月22日

虚子の句碑
 「(一社)対馬観光物産協会ブログ」から
 2011年 1/11 【高浜虚子の歌碑】
上見坂公園(かみざか、対馬市厳原町)にて、正岡子規の弟子、高浜虚子の俳句です。
「対州は 大山国や ほととぎす」
島なので、海が見えると思って来てみたら、山ばっかりだった・・・と(^_^;)
対州は対馬の古い呼び方です。
以上
・・・簡単明瞭な俳句です。虚子ではなく、河野静雲と思われます。高浜虚子の弟子で福岡市の俳人です。大山国はおおやまぐに、と読むんでしょう。5万図3枚でカバーする中堅的な規模の島嶼です。


『魏志倭人伝』の一節はHPからコピペすると
原文
「始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴」

読下し文
「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所は絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。船に乗り、南北に市糴す。」

口語訳
 「始めて一海を渡り、千余里で対海国に至る。その大官はヒコウといい、副官はヒドボリという。居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。千余戸の家がある。良田はなく海産物を食べて自活している。船に乗って南や北(九州や韓国)へ行き、商いして米を買い入れている。」

鈴鹿・奥草山を歩く2019年12月21日

 鈴鹿の奥草山に登って来ました。
 名古屋を出たのは予定より30分遅れの7時30分になった。武平峠を越えて滋賀県土山町大河原のかもしか壮に着いたのは8時30分。伊勢湾岸道、新名神のお陰で約1時間ともの凄く早い。1250円也。
 かもしか壮のPから仰ぐとこれから行く山なみが見える。かもしかにPの承諾を得て、出発は9時になった。PからR477へ出て右折、R477の手前で右に入る車道を行く。最初は舗装だったが未舗装になる。標高450mの峠で車道は終わる。ここから尾根の踏み跡を探しながら歩き始める。すると左から良い道が合わさり、そのまま行くと537mのコブを巻くイメージで登った。さらに急な切り開きを攀じ登る。東西に横切る幅2mくらいの作業道に合う。そこも横切って急登にあえぐと820mの奥草山に着いた。
 まだ11時前だし、寒いのでそのまま歩く。雑木林を下って小さなコブを越え、右折して下ったところに政子3等三角点があった。点名は鶏岩という。ピンクや黄のテープが多い。11時になった。ここから一段と下って南のコブに行く。ピンクのテープが花が咲いたように見えるほどたくさん結んであった。矢印まである。明瞭な尾根を下る。標高620m付近でやっと12時を回ったので昼食にした。
 山頂と違って風もない。尾根は広くなった。雑木林から植林内へ入ると下枝もない。黄のテープが小まめに巻いてありそれを追う。途中、二重巻きがあって分岐らしいが尾根を忠実に下った。最後は堰堤の取り付け道路の終点に下れた。途中で下ると車道の山側の金網が越えられないだろう。堰堤まですぐだった。
 近道になると思い、ちょっと堰堤の階段を下ってみたが対岸で鍵がありしかも鉄条網で出られず袋小路になっていたのでまた戻ることになった。これは失敗。立入禁止の看板はなかったが事実上そうなっている。またR477へ出てかもしか壮へ戻った。13時30分頃か。
 一風呂浴びた。65歳以上は400円とシニアに優しい。旧宿舎以来久々の入浴である。コンパクトながら手ごたえはあった。
 奥草山は赤松の古木が多かった。樹齢は150年くらいか。かつては東海道を往来する馬の秣(まぐさ)を生産する草山だったのだろう。秣の需要が無くなると松を植えた。松は草山で養分が流れたやせた土地に強い。倒木が多いのは雑木林で落葉が養分となり地味が肥えたために枯れたのだろう。放っておけば落葉広葉樹の薪炭林になる。薪炭の需要も無くなると今度は皆伐して杉桧の植林山になった。
 里山の森林文化史を歩いているようだった。奥草山とは言いえて妙である。奥三河の萩垂山、萱場山は伊那街道の草山だったし、木曽上松の風越山は中山道の秣生産の山だった。

奥三河・滝洞を遡る2019年11月13日

3段25mの美しい滝
 今日は1年の沢登りを締めくくる沢納め。場所は設楽町の滝洞を選定した。今期4度目の設楽町の沢歩きである。
 地形図には名前はないが、滝の口川が正しい地名のようだ。林道は滝洞林道と呼ばれている。池ノシリの588m地点から入り、不動橋付近に駐車可。林道ゲートは三角点838.7mの左のくの字型の箇所にある。
 栃洞を遡行した際、下山は838.7mの三角点を経て豊邦の山里に下山した。そこで山の小母さんたちとのよもやま話が面白かった。草の生えないところへ行きたいとか、滝洞は奥入瀬みたい、11月中旬が良いよ、と推奨をされた。
 それでこの時期に沢納を兼ねて10時30分ごろ、不動橋にP、林道ゲートを過ぎてからしばらく歩き滝洞に入渓した。谷は鰻沢、栃洞に比して若干小規模だが小さくまとまった感じ。大した難所はないが核心部は2か所あった。最後は3段25mの美しい滝で締めくくる。標高883mの尾根の下がった辺り。この辺りまで来るとヤマモミジの紅葉が美しい。滝を過ぎると平凡になり林道の分岐まで歩いて12時30分ごろに昼食。
 滝洞林道を歩いて下山した。道中で雪蛍を見た。この虫が浮遊するとやがて雪が降ると言われる。Pに着いたのは13時30分ごろだった。手軽な溪谷ハイキングの趣がある。帰りは時間に余裕があり、足助町の百年草に入湯した。温泉ではないが温まる。300円。足助町の紅葉は今一で来週から月末にかけてごった返すかも知れない。すでに駐車場客獲得に大わらわである。
 段戸の山と谷のランキング
1 澄川  ◎  段戸山
2 栃洞  〇  出来山
3 滝洞  〇  出来山
4 鰻沢  △  出来山

台風19号の被災地のこと2019年10月15日

 台風19号は関東甲信越地方に甚大な被害を残していった。特に北陸新幹線基地が水没した写真には衝撃を覚える。クルマでも最近の技術は電子部品のかたまりであるから水には弱い。それなりの対策をしてあると思うが水没までは想定してないだろう。水没したクルマは使えないので買い替えとなるからただでさえ出費が嵩むところへ高額製品の故障は痛い。それにしてもこんなことがあるから電子化した車は買えない。
 週末には戸隠山へ登山の予定なので宿泊予定の民宿に電話で安否を問うと戸隠は風も雨も強かったが被災は無かったというので一安心した。週末には登山道の状況をチエックすることにする。
 それで話は自然に新幹線車両基地の水没の話になった。おばさんの話ではあそこは「赤沼」といって元々水の出やすい地域であり、広い敷地が要るのであそこにならざるを得なかったとの見解だった。
 国地院の地形図でチエックすると、なるほど、赤沼は水害を受けやすいと分かる。山間部を流れてきた犀川(梓川)と千曲川が合流して氾濫を繰り返して出来た平地が長野盆地なのである。そして一つになった千曲川は小布施町辺りで狭い山間の峡谷に流れて行く。2車線が1車線に狭まるから水が滞留し易い。豊野という地名は氾濫河原で作物がよく実ったのであろう。岐阜の輪中の村もなぜそんな地区に執着するかといえば上流の山からの土砂が新たな肥料を運んで作物がよく育つという理由らしい。
 赤沼は千曲川左岸にある。地形図を仔細に眺めると左岸の標高が約340m前後でさらに東の山勝ちに浅川が流れる。源流は飯縄山になる。赤沼の住宅地は332m、浅川の山側も333mしかない。赤沼は浅川と千曲川に挟まれている地形になる。浅川は自然史的には村山付近へ東流していたのではないか。
 それが一つになった千曲川の水勢で土砂が押し流されて合流地が北へ北へと移動した。土砂の盛り上がりが十分でないところが赤沼という凹んだ地形になったと想像する。沢登りすると本流と支流の関係でそんな地形を見ることがある。
 水流が無い時は凹みだけに水が残り沼地になった。千曲川を堤防で囲んでしまえば広大な土地が造成できた。そこに新幹線車両基地や住宅地が造成された。
 破堤すると水は正直に凹んだ地形にたまる。どう対策するか、例えば犀川の水を千曲川と合流する前に長野市の山際に導水トンネルで飯山市辺りまで流すことが考えられる。小布施辺りから放水路をつくり下流へ流すことも考えられる。
 家を買う時住み替える時は、池(今池、赤池、池場、池下、池袋)、沼(沼田、大沼、沼尻)、津島(津は水が集る意味、島は離れた土地)、久手(湿地の意味。作手、大久手、長久手)は土地の状況をよく確認することである。すべて水はけが悪い地形になる。数千万円も出して水没なんて悪夢しかない。

越美国境・笹ヶ峰から下山2019年09月16日

 滝ヶ谷を登り詰めて笹ヶ峰の北方のピーク(ab1270m)でビバークを決断。Wリーダーがビバークに最適な砂地の平な一角を見つけた。そこで二張りのツエルトを設営。濡れたものを乾かすために焚火を試みたが着火に失敗。不快なままだったが疲労困憊の体ですぐ就寝できた。
 夜は多少は寒かった。足の冷えは資源ごみの袋を足ごと包み、ザックにすっぽり入れて寝たら快適だった。防寒としては羽毛のベストが軽くて快適だった。
 朝4時か、目覚ましが朝を知らせる。周囲は濃霧に包まれている。それでも6時ごろになると東の空から太陽が昇るのが見えた。能郷白山、イソクラなども同定できた。(Wさん)気温が上昇すると霧は晴れた。スマホも使えたので午後から天気が悪くなるとの予報は聞こえた。
 さて、6時過ぎ、霧に包まれる笹ヶ峰を目指す。何とか獣道を探しながらも笹と低灌木の藪のからむ稜線の藪漕ぎは著しく体力を消耗させる。我慢我慢の藪漕ぎをすること40分で登頂できた。
 笹ヶ峰の三角点周辺はきれいに刈り込まれているので登山者があるのだろう。ここからロボット(ab1280m)のピークまでは藪山好きの登山者がつけてくれた踏み跡に期待したが、笹と低灌木の藪漕ぎは続いた。ここでもかすかに残る獣道を探しながら越美国境稜線の縦走を続ける。この山の登頂者は残雪期が多く、稜線もスキー向きなほど広いから期待したほどの踏み跡はなかった。
 先頭を行くWリーダーが1294mの夏小屋丸の南のコブから不動山へRFを間違えた。が、Wさんが下がりすぎと、気が付いたのですぐにGPSでチエックしてもらったらやはりミスだった。『秘境奥美濃の山旅』のガイドはここから不動山往復をしている関係で踏み跡ができてしまったのだろう。
 ビバーク地から約6時間後、やっとロボットに着いた。12時10分に廃村大河内に向かって下山する。この尾根道も白谷山までは藪が絡む。しかし獣道ではなく、ロボットのために付けられた登山の道の廃道なので途切れず、下るペースは確保できる。白谷山を過ぎてから尾根は急降下する。途中で熊4頭に遭遇し、Wさんが笛を鳴らして知らせる。疲れた体をかばいながら何とか白谷の水場へ着いた。不足していた水分を思いきり補給して人心地ついた。
 橋を渡るとマイカーのあるPへはすぐだ。時に4時半。着替えて廃村大河内を後にした。帰路、林道に立ちすくむ鹿と遭遇する。登山者が去れば獣天国に還る。今庄の宿で有名な今庄そばを賞味できた。温泉には時間切れで入湯できなかった。沢から山頂を踏んで、稜線を縦走して夢のようだ、とWさん。三度目の正直か。失敗しないと性根が座らないのは私も同じだ。しかし奥美濃でこんなに山深く秘境的雰囲気を楽しめる山は貴重だ。究極の登山であった。

山歩き講座2019年09月08日

 朝10時から11時30分まで天白生涯学習センターで「山歩き講座」を開講しました。拙いながら講師役を務めさせていただきました。受講生は当初10名と聞いていたのですがキャンセルがあって4名に減りました。しかし少ない分距離感が縮まり親しく接することができました。
 石川館長の開講のあいさつで始まった。登山やハイキングの経験者は1名もなく、約1時間はレジュメに沿って机上学習で登山の注意事項を中心にレクチュアーしました。
1 登山計画書の作成、
2 ガイドブックの活用、
3 自分に合った山の見つけ方、
4 ネットからの地形図のプリントアウトの活用でした。
 装備類は登山計画書の作成の過程で必然的に覚えるし、登山用具店でも知る機会があろうかと簡単に済ませました。
 特に山岳遭難では道迷いが増えていることを警告的に主張して置きました。統計で転落、滑落とあっても道に迷った結果、未整備な尾根や谷を歩くことで転落することがあるのでまずは迷わないことに重点を置きました。迷わないためには地形図を使い倒すことしかない。自分が今どこに居るのか。
 1時間の机上学習後は生涯センターの裏の里山、四等三角点60.1mの埋まる「島田」山へガイド登山しました。全員に地形図のプリント、私はコンパスを持って、地形図とコンパスの使い方を話しました。
 太いクヌギも森林文化史的にみれば、里山として利用されなくなった結果大木になったこと。限界を越えると幹に空洞ができて倒木するのであちこちに間引きされたクヌギの薪を見ました。この樹種が薪やシイタケの原木に利用されてきたわけです。
 島田山は落葉樹と常緑樹の混交林です。中山神社のコブは全域常緑樹で覆われていて、絶えず人間の干渉を受ける里山と伐採や採集から守られる鎮守の森の植生の違いも示しました。
 2.5万図の地形図には10m以内の地形の変化は表現されず、結果絶対的ではないことと、水のない浅い谷の地形を指しながら地図の見方を教えました。やがて平らな山頂に達すると三角点についてのレクチャーを始めました。曰く地形図を作成する基準となる重要な標石と。一等から三等は戦前の内に五万図を作成するための測量の基準として、2.5万図は写真測量でつくられ、四等は戦後に埋設されたもの。等々。
 一旦等高線1つ分下って何もないコブも地形図と比較しながらこうやって表現される旨話した。地形図の枝道の二又の表現で右折して生涯センターに戻るとちょうど11時30分になった。30分のミニガイドはおおむね好評のうちに下山しました。緑陰講座にもなりました。
 最後に石川館長のあいさつで締めた。