①石岡繁雄「遭難を防止するために」を読む2012年03月06日

石岡繁雄(1918~2006)は日本の登山家で『屏風岩登攀記』の著書がある。旧制八高→名古屋帝大から鈴鹿高専教授などを歴任。岩稜会を設立し会長を務めた。1955年、実弟をナイロンザイル切断事故で失い、井上靖『氷壁』のモデルとなった。
 1961年、日本山岳会東海支部設立に中心的に関わる。1964年、機関紙の『東海山岳』No1が発刊される。1963年の愛知大薬師遭難事故があった影響か、論説に石岡先生が6ページに亘り、「遭難を防止するために」と題した持論が展開されている。
 今、読んでも古くないので再掲した。要するに道具や服装、器具は改良され、便利になり、発達したが肝心の山に向かう人間は何ら進歩がない。温故知新でたまには古い人の話も知っておくと良い。
 石岡先生は登山で実弟を失うばかりでなく、ザイルの切断事故が社会的な事件になり、人生の修羅場をくぐって来られた。歴史を学ぶ機会がない、歴史に学ぼうとしない、そんな人にも知っておいて欲しいものです。今、我々がザイルを安心して利用できるのは実に石岡先生の尽力のお陰です。
構成は以下の通り。
(イ)遭難防止のあつかい方
 遭難防止ということを、我々としては(登山に愛着を持っている登山経験者の立場として、登山界といっても良いとおもう)どう扱えばよいか。例えば両親は、登山する以上危険が皆無でないことを知っているので、息子の登山そのものを禁止しようとする。一方、登山しようとする者の中には、山で死ぬのは本望と考えているものがある。このような開きの中で、両者とも包含している登山界としては、この問題をどう扱えばよいかを考えてみる。
 まず一般社会がこの問題をどのように考えているかという点を考えてみたい。人間の行動はすべて社会の影響を受けずにはいられないが、登山の場合でも同じである。登山に対する社会的影響は、時代と共に変化し、国柄、土地柄によっても異なる。社会が登山に全く関心を示さない場合から、例えば法的な制約といった強い圧力の状態まで、幅広い範囲がある。
 また登山に対する社会の関心には、登山における遭難の場合と、遭難とは関係のない登山の行為そのものに分けられる。社会は一般に、登山の行為には社会的なプラスがあると認め、とくに全力をあげて困難な山に登るといった事には好意を示す。
 これに反し、遭難に対してはこれを批難し、防止させる方向にもってゆこうとする。社会には生命尊重の強い態度があるので遭難防止にはとくに神経質であることが多い。
 また社会は、①登山する以上遭難は皆無にはならないこと。②登山者が危険に対し妥当な努力をすれば、遭難はほとんどなくなること、を知っているので、遭難が起きたとしても、遭難自体よりも、登山者が山の危険に対して妥当な努力をしたかどうかという遭難の内容を問題にし、とくに軽率な遭難に対して激しく非難する。(リーダーの刑事責任が追求されたことがある)これが日本の現状であると思う。
 一口に言えば、「危険な山に魅力を感じて出かけるのは良いが、万全の注意を怠るな」というところであろう。
 一方、社会は、遭難防止についてこのこと以上の強い態度には現在のところ出ていない。たとえば、遭難はリーダーの良し悪しに支配されることも大きいため遭難防止を強化するためにリーダーの資格を法制化すべきだという声もないではないが、例えば交通事故の場合は運転者の失敗が、一般通行人の犠牲をともなうことがあるが、登山では遭難は登山者自身に限られるなどの理由から、現在の社会はそこまでの強い態度には出ていない。
 次に遭難防止には直接関係はないが、社会が示すもう一つの関心は、登山者が社会に迷惑をかけた場合に示す非難である。これはとくに遭難が起きたときに現れる。
 たとえば、遭難者の救援とか遺体の捜索にあたって、地元の人とか警察に及ぼす迷惑とか、救援とか捜索にあたって登山者が緊急動員され、そのために勤務先に及ぼす迷惑等である。
 こういう迷惑がおきたとき社会は登山を非難する。登山者は、自分達が遭難してもほっといてくれればよいと考えるかもしれないが、日本では、放置しないのが普通である。
 結局、登山者が社会から非難されまいと思えば、万一遭難した場合、その後始末を自分達の力でなしうるように予め配慮しておかねばならないことになる。
 さて、登山界が社会の圧力を無視しようとしまいとそれは自由であるが、無視すれば、登山を志す者が登山することに障害が起きてくる。とくにこれから登山しようとする者が登山しにくくなる。このことは登山の衰微ということになるので、登山界としては、一般登山者に対し、社会の関心にマイナスにならないように要望し、かつその実現に積極的に努力する必要がおきてくる。
 要するに、登山界は登山者に対し、”軽率な遭難をするな”ということ、”社会に迷惑をかけるな”ということを強調し、それに向かって強力に指導してゆくことが必要となる。

 まさに正論ですねえ。事件から8年後の45歳のころの寄稿です。理系の学者の論文ですから決して読みやすくはないが正鵠を得た文で揺らぎがない。あいまいなところがない。今の登山界にこんな文を自分の頭で書ける登山家はいるんでしょうか。熟読玩味したいものです。
以下は順次入力後アップしてゆく。
(ロ)遭難防止の問題点
(ハ)遭難防止のための一つの対策
 ①登山界が「最前の注意」を登山者に示す場合の説明の形式
 ②遭難原因の追究の必要性
 ③遭難原因追求の方法

コメント

_ 石岡あづみ ― 2017年05月01日 12時51分57秒

-お願い-
石岡繁雄の娘であづみと申します。
上記の父執筆の「論説」をお載せくださりありがとうございます。小屋番様が素晴らしい解説をお載せくださっていますので、是非!抜粋部分を使用させていただきたいと思っております。申し訳ございませんが、このコメントをお読みくださいましたら、メ-ルをいただきたくお願い申し上げます。抜粋部分を掲載させていただきます資料を添付させていただき、ご覧いただいた上で、ご一考くだされば幸いです。
宜しくお願い致します。

_ 小屋番 ― 2017年05月07日 18時36分49秒

 開催期間中の7/1から9/3の間に行きたいと思います。以前から島島谷を歩いて徳本峠を越えるクラシックルートを歩きたいと念じていました。今、同行者を募っています。叶わなければバスで上高地入りもあります。

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