東濃・納古山を歩く2022年12月05日

 山岳会の忘年会の会場に東濃随一の大展望を誇る納古山に登山した。登山口は下麻生駅に近い南天の滝への一角の駐車場である。地元のボランティアの尽力で多数の駐車場が整備されていた。南天の滝への道標を見ながら林道を歩くと景行天皇の由来する滝に着く。ここで滝見すると中々に立派であった。ここから急な山道を登ると最近売り出し中の岐阜のグランドキャニオンとかいう遠見山に着く。何とかの何とかは本物よりスケールは小さい。そうか、これがグランドキャニオンか、と見る。

https://www.tokai-tv.com/.../feature/article_20211229_14600

 後は結構長い尾根をアップダウンしながら山頂を目指した。2時間ほどのアルバイトで軽く汗を流した。山頂は大人気の山らしく人だかりだった。リーダーはちょっと下った辺りのテーブルを陣取ってあんまん、肉まんを本格的な蒸し器で蒸して参加者14名にふるまった。リーダーの母親の差入らしい。ありがたい。
 下山は大牧谷川にとった。ここも急な傾斜が続き、崖がありチャートの露頭の上をクライミングの要領で下る。油断のならないルートである。
かなり下ると登山道も土が出てきて安定してきた。傾斜も緩むと長い林道の終点である392mポイントであった。そこからは酒蔵のPまで地道を歩く。
 酒蔵では疲れた足を休めるためと称して、「飲む点滴」のヨーグルト入り甘酒を飲んだ。汗をかいた体には冷たくて美味しかった。店内の土産物コーナーでは新酒も売っていた。もうそんな時期になったのだ。店の人に杉玉は?と尋ねると今週中にも飾るとのことだった。

https://www.sawanotsuru.co.jp/.../knowledge/sugi-dama/

 外に出ると空中に白い浮遊物が飛んでいる。「雪虫」だ。冬の季語にもあるこれが飛ぶとしばらくで降雪があるという。そうかもう12月だ。東濃にも雪が来る兆しである。
 大展望がウリの山頂から冠雪した白山、御嶽山、中アなどは見れなかったが山里の冬の風物詩を見て満足した。

初の忘年会2022年11月29日

 同窓会の忘年会に参加した。名鉄仮名駅前のANAクラウンホテルの28階の宴会場で開催。久々のリアルな宴会が開催できたことにほっとする。料理はフランス料理風なものでした。出し物は日本一というマジックでした。参加者間の交流というよりは見世物を身に入った感じですがまあ良いか。

⑥四国の山旅~諭鶴羽古道を歩く2022年11月21日

 南あわじ市は淡路島の最大の市である。総人口は45000人ちょっと。 淡路市は20000人、洲本市は40000人。淡路島全体でも124000人の人口がある。
 先日の樋口季一郎は南あわじ市の阿万町の生まれという。福良とは目と鼻の先のである。
ソース:https://intojapanwaraku.com/culture/159110/
 北海道石狩市には樋口季一郎記念館があるという。また北へ旅心を刺激される。

「1888(明治21)年、兵庫県淡路島の阿万村(あまむら:現南あわじ市)に生まれた樋口季一郎(旧姓奥濱)。陸軍士官学校を経て、幹部養成機関である陸軍大学校を卒業。将来を嘱望され、陸軍将校としての道を歩み始めます。」

 道の駅「福良」は静寂である。月曜日ということもある。車中泊のクルマらしいワンボックス車が数台とキャンピングカーが1台止っていた。夜の内には車の屋根を叩く雨が降った。
 果たして21日の朝は止んでいたが山の上は雲がかかる。行くしかない。弁当を食べて、登山口のある諭鶴羽ダムまでは約20分の分かりやすい道だった。

 ダムと言っても標高600mの山なので降雨量は少ないだろう。築堤の規模も小さい、左岸側に登山口があった。8時20分入山。
 最初は比高約70mほどの急登に喘ぐ。右からの尾根に合うと緩やかになった。すぐに「神倉神社(かんのくら神社:修験道の修行の磐座。神様の乗られた鶴が羽を休めた由緒あるところ。)」に着く。ここで休むには早いが通り過ぎるには惜しい。
 後は道々石仏を眺めたり照葉樹林の中で激しく鳴く冬鳥の鳴き声を聞きながら歩を進めると自然に着いてしまった。10時登頂。
 眺めは南あわじ市の街や田畑が見下ろせる。すっきりはしないが雨よりは良い。撮影すると諭鶴羽神社へ下ってみた。道は広くてしっかりしている。一等三角点だけに四方に眺めが良いから電波施設が多い。
 境内は南の光がかがやくように明るさがあった。無人だったが軽自動車もあるし、御神灯も点灯している。境内の一角には登山者向きの休憩舎もあったし、眺めは海が見えて最高に良い。
 昨夕福良に向かっている際にオレンジ色にかがやく一面の明るさは夕日に輝く海だったのだろう。
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 この神社も
ソース:https://yuzuruha.jimdo.com/
「諭鶴羽神社 御創建 二千百五十年祭斎行
伊弉諾神 伊弉冊神 鶴の羽に乗り
諭鶴羽山に舞い遊ばれ
そして・・・    諭鶴羽神社をご創建

 国生みをなされた 伊弉諾(いざなぎ)伊弉冊(いざなみ)お二柱の神様が、天つ国より鶴の羽に乗られて、この山で舞い遊ばれていました。この神聖な山に一人の狩人が掟を破って入り込み狩りをしてしまいます。
 あろうことか、狩人、二柱の神様が乗られた鶴めがけて矢を射ってしまいます。羽に傷を負った鶴は、頂上のカヤの大樹にとまり、二神は、人のお姿となって狩人の前に現れます。 
 『私は、伊弉諾 伊弉冊である。国家安全・五穀豊穣成就を守るためにこの山に留まるなり、これよりは諭鶴羽大神となる』
 狩人、涙を流して神様に謝ります。伊弉諾(いざなぎ)伊弉冊(いざなみ)お二柱の神様は、狩人を許し、村人とともに力を合わせてお社を建てることを命じました・・・このお社が、諭鶴羽神社です。
 今も、二柱の神様の乗られた二羽の鶴は、この山の上を仲睦まじく飛び続けられ、国の安寧と人々の暮らしを見守って下さっています。
(諭鶴羽山縁起より)
 諭鶴羽山の頂上には、頂上社として二神をお祀りし、奥の院は、最初に諭鶴羽神社がご創建された元の諭鶴羽神社として、二神をお祀りしています。」

「歴史の道『諭鶴羽古道』

 諭鶴羽古道は当神社を起点として灘黒岩へ十八町(表参道)又、神代浦壁へ三十町(裏参道)の二つのルートがあります。一町は、約109m、一町ごとにお地蔵さん(町目地蔵)が迎えてくれ、その表情も様々。季節ごとに豊かにその様子を変えていく山の表情ともあいまって、山歩きの醍醐味をお楽しみいただけます。」
以上
 何とまあ。昨日の伊弉諾神宮と同様のご神体が祭ってある。今回は裏参道を歩かせてもらった。歩きやすい山路でした。
 下山すると12時。ダムのベンチで昼食。田園地帯まで下ると温泉施設があったので入湯した。65歳以上は520円也。
 これで旅の目的は達成し終わった。しかしさっさと帰る気にもなれない。北淡町の野島断層記念館に道草した。平成7年の地震は強烈だった。あれでできた地面の断層がもろに残してある。730円。
 更に明石海峡真下の道の駅にも寄って海峡を往来する船舶を眺めた。海峡の中程が震源地である。夕暮れが迫りようやく帰名の途に付いた。

①四国の山旅~和歌山港フェリー乗場へ2022年11月18日

 お昼過ぎに名古屋を出発。R23を走り、四日市からR1へと走る。亀山ICからR25(名阪国道)へ入り伊勢路から大和路へ。R25はトラックを中心に交通量が多い。桜峠で521mもある標高は大きくカーブを描いて60m前後の奈良盆地へ下る。
 郡山ICからはR24を南下する。北は奈良市中心になる。その西が安倍元総理の終焉の地となった近鉄大和西大寺駅前だが訪ねてみたいが今日はパス。
 R24ha金剛山地に寄り添いながら五條市で紀の川にぶつかると真西へと方向を変える。夕方になると紀伊山地のその奥に夕日が当たる大峰山脈が神々しく見えた。紀の川に沿うともう暗くなる。そして和歌山市に着く。和歌山城を右に見ると和歌山港は近い。徳川御三家とは思えないほど小ぶりな城に見える。
 和歌山港の乗場では21時50分の出航待ち。2時40分までは時間があるので車中で横になり仮眠。

ここまでと鈴鹿時雨の峠かな 拙作2022年11月16日

 FBFの報告では今日は鈴鹿でも雨だったらしい。御在所山に登る途次、思わぬ雨で国見峠で引き返した。
 思わぬ雨こそは時雨である。
 ネットで時雨を検索すると
「時雨(しぐれ)とは晩秋から初冬にかけて、晴れたかと思うと曇り、曇ったかと思うと日差しが出るような時に降ってはすぐ止むような雨を呼びます。
 北西の季節風に流された雲が日本海側から太平洋側へ移動する際に盆地で雨を降らせます。京都盆地の北山時雨が有名です。また、時間帯によって朝時雨や夕時雨という表現もあります。」がヒット。
 名古屋でも丸の内の事務所に行った際に夕方少雨があった。ああ時雨だと思ったのだ。
   真っ黒な西空やがて時雨れけり  拙作

三連休中日は曇り2022年10月09日

 今日は10/8から10/10の3連休の中日ですが、午後から雨が来る予報です。明日の朝まで降るらしい。今年の連休もこれで終わるが連続した良い天気は無かった気がする。もっともこちらも山へは気が向かわなかったし。行くと雨になるしで冴えない1年でした。

大台ヶ原山へ②2022年08月21日

 朝6時ごろ起きた。外はざーざーぶりの雨だった。計画が流れてゆく感じがした。朝7時の朝食をとる。焼鯖が旨い。ザックを整理して外に出るがまだ傘が要る。車の外で準備中に雨が止んできた。それじゃとカッパの上着のみ着て尾鷲辻への踏査を試みた。
           雨の尾鷲辻へ
 登山口は日出ヶ岳と同じだが少し先で右へ分かれた。昨日と同様にオーバーユースに備えてほとんどはコンクリートで固めてある。そしてほぼ水平の道である。日出ヶ岳から流れるシオカラ谷の流れは1540mなのでやや下り気味であり、1580mの尾鷲辻まではやや登り気味である。尾鷲辻には東屋が建っているので雨具のズボンも着用した。近くにはオレンジのテープが巻いてある。これは下部では尾鷲道の印、青色は松浦武四郎の歩いた標になっていた。
        尾鷲道をちょっと足を踏み入れる
 東屋を出ると今までの整備され過ぎた道とは違い途端に山道らしくなる。それに雨水も溜まって歩きにくい。比高80m下って1550m付近からジグザグの巻き道の下りに入る寸前で引き返した。できれば堂倉山の山頂でも踏めれば良いなと控えめの目標はあった。ここから1500mまで一気に下がり、さらに1450mまでだらだら下ると堂倉山との鞍部である。約20m登り返すと山頂だ。約150mの比高を登り返すのだが雨では止む無し。
 尾鷲道の道標のある下り道の始まりで引き返したが往きには気が付かなかった道標も見つかった。昭文社の地図でもこの先は未整備を示す破線路になっている。つまり古道のまま廃道の運命であり、わずかな好き者が歩いているに過ぎない。途中に避難小屋はなく、水場は地図にはあるが実際には流れていなかった。常水ではないので縦走には大量の水を担ぐから体力とRFの力が試されるコースである。
 山上に戻ってビジターセンターの軒先で濡れ物を脱いで乾いた着物に着替えた。雨は小止みになり大峰山脈付近には晴れ間も見えた。終わったら晴れたのだ。成果は挙げられなかったが尾鷲道への知見は若干でも深まった。
        名古屋へ帰る
 ワイパーを作動せずに帰路についた。朝方の大雨だとがけ崩れなども心配したのである。ドライブウェイを走ると稜線と路上が同じになるので川上村の山々が見えた。中でも雲海に浮かぶ白髭岳の三角錐の立派な山容が素晴らしかった。日出ヶ岳に登った際はついぞ気が付かなかった。1378mの標高は300m以上も低いので目立たないのだ。1403m辺りだろうか。同じ目線の高さで堂々と聳えている。今西錦司が83歳の時、1500山目に登った記念碑的な山である。
 伯母峰峠もまた来てみたいところだった。そこからぐんぐん高度を下げてR169に出た。後は同じ道をたどり帰名した。

大台ヶ原山へ①2022年08月20日

    晩夏の 大和路へ
 尾鷲道の踏査を目的に大台ケ原山へ向かった。久々のロングドライブになった。
 朝7時金山駅前を出発。東名阪から名阪国道へ。針ICから国道をつなぎながら晩夏の大和路を走った。名阪国道を針ICで出て、R370を走るとかつて登った貝ヶ平山の東の香酔峠を越える。玉立(とうだち)の交差点を左折してR370から離れる。榛原市街を迂回する地方道を抜けて宇陀川沿いで再びR370に戻る。ひたすら南下して窪垣外で吉野川に出る。ここは高見山からの高見川と大台ケ原山からの吉野川が合流する地点で、流れは複雑な地形通りに蛇行する。中央構造線の影響だろうか。活断層だから大きな地震に見舞われてきたことだろう。
 中央構造線と災害を結び付けると有名な寺社が建っていることが分かった。
 「奈良県吉野郡(よしのぐん)ほか。紀伊半島の中央部・吉野山(よしのやま)から大峰山(おおみねやま)にかけての山岳地帯のこと。古くから山岳信仰の地として知られてきました。

大滝ダムの建設で水没する前に発掘調査が行われた丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみやしろ)の境内では、11世紀ごろの祭壇跡だけではなく、縄文時代の祭祀遺構も見つかっています。

第40代天武天皇(てんむてんのう)は、この地域にある吉野宮に隠棲したのちに挙兵しました。また、第41代持統天皇(じとうてんのう)の行幸の記録も残っています。

天川村にある有名な天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、通称は天河神社)は、役小角(えんのおづの)が創建したと伝わる古いお社。

芸能の神を祀る神社であるとともに、近年はパワースポットとしても有名ですよ。」とあった。
 R370は矢治から吉野川を渡る地道に入り、樫尾でR169に合流する。ここら中央構造線沿いの紀ノ川の源流の吉野川に沿う道になる。
 ここまで奈良市、宇陀市、吉野郡吉野町と南下してきた。つまり「南朝=吉野朝廷は、鎌倉幕府滅亡後に始まった建武の新政に失敗した後醍醐天皇などの大覚寺統の天皇が、京都の都を逃れ奈良県吉野郡吉野町や奈良県五條市西吉野町などを本拠とした朝廷」のエリアをドライブしてきた。
      名物の柿の葉寿司を仕入れる
 R169からは吉野川の険谷沿いの道になり。杉の湯の道の駅で柿の葉寿司を仕入れる。正岡子規が有名な
     柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
と詠んだごとく柿は奈良県の名産らしい。柿の実のみならず葉も寿司に利用するわけだ。葉の大抵はビタミンCが多く防腐剤になると言われる。鯖の生き腐れというのような鮮度の短い魚はすぐに塩でしめて柿の葉で包むことで発酵を促す。この時期は飛騨の朴葉寿司も同じ理屈だろう。近くには古刹丹生川上上社もあるが今回はパスした。
 登り一辺倒のR169はやがて入之波温泉への分岐をやり過ごす。標高400mの大迫ダムからループ式トンネルを通って標高700mの大台ケ原へのドライブウェイ入口になる。入ると途端に道が狭く薄暗くなる。対向車は殆どないが時々ぬっと現れる。伯母峰峠1000m位から周囲が開けて稜線の道になる。
      大台ケ原・標高1570mの冷涼な高原に着いた
 午前10時50分に到着。土曜日とあってPは閑散。とりあえず晴れているうちにと日出ヶ岳を往復した。山頂展望台からは熊野灘が見えた。往復1時間半程度。宿のチエックインは15時であるがまだスタッフも見えない。
 下山後は大台教会も訪れた。ここへの登拝の道が尾鷲道である。人影はないが御神灯は点いていたので参拝はさせてもらった。
 宿は心・湯池館。最初は7名で申し込んだが最終的には4名になったので大部屋に代えてもらった。大部屋は文字通り何十人もの布団がすでに敷いてあったが4名と隣のルームに女性の2人連れのみだった。若者の団体客も他には居た。多分別室を確保したのだろう。夫婦組は個室だった。
 ここで夕食の18時まで缶ビールで歓談した。夕飯のメニューは猪肉のミニ鍋が付いたごちそうが出た。夕食でもまたカップ酒にお付き合い。酒好きが2名も居たのだ。
 風呂に入って寝た。ビールのせいか夜中に3度小便に起きた。年寄りはただでさえ小便が近いのにビールは利尿剤なので尚更だ。

弥山・八経ヶ岳で行方不明の人奇跡の帰還2022年08月14日

 8/5から大峰山脈で行方不明の人らが救助された。助かって良かった。しかしどこでどう間違えたんだろうか。
8/4 地元に登山届を提出。弥山の小屋に泊まった。
8/5 弥山小屋から八経ヶ岳に向かった。そして山麓の民宿に着く予定だったが着かないので民宿から警察に連絡された。以来ずっと山の中でビバークしていたのだろうか。携帯電話の通じる所まで来てやっと救助要請の電話が出来た。
 地図を見ていると
八経ヶ岳から南西に伸びる尾根は1325m地点で赤線が止っている。この尾根に迷い込んで右往左往してしまったのだろうか。
 道迷いの原因は地図が読めないというよりは大抵は歩行中のおしゃべりである。麓に下りたら温泉に入ろう、宿ではビールを飲もう、などと心がそこにないと分岐のサインを見落とす。読図力より登山への集中力だ。
 ヤフーのコメントにはGPS云云かんぬんとか書いてある。こんな登山道や道標のある山でGPSなんか必携ではないだろうに。道に迷ったと思ったらまずは落ち着いて地図を見る。八経ヶ岳の山頂を踏んだのは間違いない。その時刻はスマホやカメラに記録される。そこから何時間かかった、とかで居場所を想定するのも良い。まずは山頂に戻る、地図で分岐などの道標が分かるところまで戻る。
 しかし、このお二人はそうしなかった可能性がある。動かなければ体力の消耗は抑えられる。でも助かって良かった。怪我もなく五体満足で下山できた。

風呂の排水溝の掃除2022年08月13日

 台風8号が東海地方に上陸という予報があったが、関東寄りにそれた。台風の接近のせいで湿った空気を巻き上げてくるせいか蒸し暑い。重要な用事があるが集中力に欠けるので雑務をこなす。給油に行く。先週は129円の軽油がもう134円に上がっている。いつもの安いスタンドは132円で安定している。
 食品の買い物を済ます。今年は種無しブドウが豊富に出回る。昨年までは高いな、と見送っているうちにすーっと市場から消えた。それで積極的に買うことにしているが食べても食べても市場に出てくる。
 イワナ220円/尾、鮎180円/尾だがイワナを2尾買った。塩焼きして渓流魚の味を楽しみたい。小さめのタコ、赤身の牛肉、鶏のもも肉、など。
 茹だるような暑さで洗濯物が見る見る溜まる。排水を見ると黒ずんでいる。この前は洗濯機の上水の排水口を外してみたら黒ずんでいたので歯ブラシで掃除しておいた。今日は洗濯の汚水を考えて排水溝をのぞいたらやはり黒っぽいので歯ブラシで掃除した。
 夏はすべてが腐る、カビが繁殖する。