NHKウィチュウ「ゆる山へGO」録画登山行2017年04月29日

 山岳会の先輩筋から「ゆる山」に出ないか、と話があったのはかなり前のことになる。漠然とした話なのでなかなかイメージもつかめなかった。
 平成7年に『ひと味違う名古屋からの山旅』の出版にちなんだ民放TV局出演の経験もあるにはある。あの時はまるっと2日間つきっきりだったが、本の宣伝をしてあげるのだから、と出演料もなくボランティアになった。
 今回も天下のNHK様であり、山岳会経由なのでまたボランティアのつもりで引き受けた。ゆる山の候補10座選定以上には打ち合わせも進まず、どうなることかと思っていたら4月中旬になって急速に進展した。
 ゆる山の候補は10座あげて2座に絞り、カメラマンのことを配慮して寧比曽岳を1番手で推薦。2番手に岩小谷山を推薦。展望と手軽さを優先して岩小谷山に変更、下見にびわくぼ峠に登山してみたが、重たいTVカメラを携えては危険と察したので再び寧比曽岳に変更した。
 下見登山は4月21日に制作会社の担当者と同行して無難に終えた。当初、4月29日に予定したが、天気が変わりやすいので28日に繰り上げてもらった。 
 28日は快晴になった。朝4時半起床。マンションの窓から見ると東の三河高原の方が朝焼けしている。北風でやや寒そうだ。熱いお茶を飲む。テルモスにも熱いお茶を入れた。お茶は橋幸夫大使推薦の静岡茶である。朝食と久々にメンパに弁当を詰めた。6時前に出発。NHK前にはすでに1台ごついランクルが止まっていた。歩荷役のHさんだった。舘谷キャスター、カメラ、音声、監督のスタッフ3名と揃い出発。東新町ICから高速をつないで、東海環状に入り、鞍ヶ池PAスマートICから県道にでて足助へ。少し買い物を済ます。県道33を遡ると大多賀峠はすぐだ。ここに歩荷さんと案内の私はマイカーをデポする。
 1台に同乗。段戸湖の登山口に着いた。するとマイカーが半分ほど埋まっている。釣り客でもないが・・・。

 録画撮りはここから始まった。27歳といううら若き舘谷春香キャスターをガイドするという役目でカメラに向かってなにやら台本も持たず台詞をしゃべる。もとよりしゃべるのは得意ではないが思いついたことを言う。道道歩きながらしゃべることになる。林道のゲートから先が裏谷原生林の領域になる。
 ゲートを入った途端、せせらぎの方に大きなカメラを抱えたバードウォッチャーさんが屯していた。ははん、車は彼らだったのだ。なにやら小鳥の営巣地があるらしい。
 そこを離れて少し先で超望遠レンズを持ったバードウォッチャーに出会った。スタッフが声をかける。小鳥談義をする。見せてもらうと鮮明な小鳥の画像にびっくりする。おそらく何十万円もするだろう超望遠レンズで撮影するのだろう。
 五六橋で右折、トイレの場所から山道へ入る。いよいよ核心部である。せせらぎに沿う山道はこころを癒される。細道がせせらぎに下りているので水辺に近づいた。下見では魚影があったが今日は見えない。ササやぶ越しに若草が見えた。対岸に渡るとバイケイソウだった。流れが変わったので湿地帯になり、少数ながらバイケイソウの群落になったのだ。日光に映えて若草が美しい。
 せせらぎを後に、道々樹木の大きさに圧倒される。樹齢200年から300年ともいう。明治維新の50年前からの樹齢になる。下見の際は芽吹きも少なかったが1週間で森林は若やぐ感じになり、芽吹き、花も増えた。但し、シロモジかアブラチャンなのか図鑑なしでは同定出来ないのが残念。小鳥のコロニーでもあるのか鳴き声も盛んだ。いくらも標高差はなく900mから1000mまでゆったりとした歩みを楽しむ。これが愛知県随一の原生林である。大迫力の映像になったのではないか。
 峠状(菜畑峠)の乗り越しで一服。今までは矢作川水系でここからは豊川水系になる。山腹を巻くように檜の植林帯の水平道を歩く。途中で林道と交差する。そこの枯れ枝の配置から道迷い防止への見知らぬ登山者同士の配慮について説明する。
 さらに進む。湧水は飲んでいいと説明。駒鳥に続いて筒鳥が聞こえてきた。やや小さいと音声さんが嘆く。峠状(富士見峠)の鞍部に着いた。小休止後、1140m峰へ最後の登りが始まる。以前はササをかき分けて登らされたが、刈り払いされて、明るい。比高200mもないのですぐ到着。トイレが更新された。中電反射板を見にゆく。休み場には御料局三角点があった。かつては皇室の御料林の名残だ。
 緩やかに下って少し登り返すと三角点の埋まる山頂である。ここでもカメラに向かって舘谷キャスターと並び登頂の喜びをしゃべる。録画はこれで完了。やっと終わった。
 今日は山頂からのパノラマも素晴らしい。御岳、恵那山、南アルプスの巨峰群、北に目を転じると山霞みの中にぼうーっと浮かんだのは名古屋駅前のビル群だった。舘谷さんも大喜びだった。
 ウィチューでは川柳を募っているので舘谷さんも一句ひねった。私は俳人なので俳句を即興で詠んだ。

  遥かなる(春香)名古屋のビルも霞みけり

 春香さんの名前を織り込むつもりはなかったが結果として織り込んだ。これはオフレコである。

 私はかつて正月休みに4回渡道した。いずれも山スキーが目的だった。その計画の中に春香山もあったがついに叶わぬ夢に終わった。北海道の山は気温が低く、低山でも山麓まで真っ白になる。但し天気も悪いので登頂の実績は少なかった。
 彼女は東京生まれだが、名前から両親のうちどちらかが北海道出身と推察して聞いてみたら図星だった。大抵は父親である。
 誕生して雪ん子のような真っ白な愛娘を抱いた。たちまち故郷の春香山の白皚々(しろがいがい)とした山容が目に浮かんだ。そうだ、春香と名づけよう、と。まったくの想像であるが・・・。

 舘谷春香さんはスレンダー美人である。去る3月のフルマラソンも4時間台で走るとか。ほっそりした体つきはアスリートゆえだった。それなら心肺機能は発達しており、日帰り登山ぐらいは楽にこなせる。今回は入道ヶ岳に続いて2回目になる。さらに登山の面白さを倍増させたようだ。
 舘谷春香さんは文学を志す。川柳以外に小説を書くし短歌も詠むとか。以前の赴任先の富山は万葉集の故地だ。北日本新聞は文学賞を募る。裏日本の人達は筆豆である。そんな土地で4年も住めば物書きになる素地ができるのだろう。実際、山の本でも福井、石川、富山、新潟の岳人は出版をよくする。
 録画は直ちに編集されて7分に集約されるそうな。映像の情報力は半端じゃないからきっと充実したものになるだろう。そうあってほしいもの。
   春更けて足助の山に登るなり

花に嵐のたとえも・・・2017年04月17日

 今日は一日中荒れた。そこで思い出したのは「花に嵐のたとえも・・・」のフレーズである。調べると西行の和歌かと思ったが以下が原典であった。

 勘酒・・・酒を勧む
勧君金屈巵・・・君に勧む金屈巵
満酌不須辞・・・満酌辞するを須いず
花發多風雨・・・花發けば風雨多く
人生足別離・・・人生は別離に足る

井伏鱒二の訳は次のようになります。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

 有名なさよならだけが人生さの言葉はこれが原典だったのか。一期一会ともいう。日本で花といえば桜と思うが、漢詩ならば花は梅という。

名古屋も大雪!2017年01月14日

 今日は初雪でしかも大雪になった。と言っても窓から眺めても道路は濡れているが積もる感じはない。しかし、横殴りのいかにも風雪の気分はある。昨日のうちにスタッドレスタイヤに履き替えておいてよかったと思う。
 スキー場には待望の雪が降った。さあ、行くぞ、と思うが膝が悪いのでじっと我慢。しかし、ビタミン剤の服用で少しは軽減してきたような気がする。血行を良くすることで少しづつ治癒してゆくんだな。

 午後になって、事務所へ向かうが雪がちらちら舞うのでマイカーで行く。図書館から携帯に電話があり、富山県の図書館に又借りする本が届いたとのこと。ちょうど良かった。ついでに他の本も検索するが借りたい本は皆貸出し中だった。事務所に着いて、本屋へ行き、昨日購入した本がダブっていたので別の本と交換を希望したら了解だった。貸出し中と知ると余計に読みたくなり新刊を立ち読みする。高い本だが戻せなくなった。

 結局野暮用だけで無為の1日で終わってしまった。未だ集中力が伴わず、正月気分を払拭したいが、1/16、1/21と新年会が続く。

沢登り研修2016年09月04日

 山岳会会員の技術の底上げを狙いとして研修を企画された。沢登りの方は頼むというので当方がリーダーを務めることになった。指導するほどの高いレベルの知識・技術・経験などがあるわけではない。只、山行の年季だけは長い。毎月1回は山へ行く。これを40年近く休まず続けている。しかも一般登山のみならず、ヤブ山から沢登り、山スキーを一応はこなす。やらないのは本格的な冬山と海外遠征である。
 ヒマラヤ遠征とか若いころに一時的に本格的な冬山に打込んだ人は多いがほとんどは結婚や仕事の都合でリタイヤ、中断する。そんな人が50歳代になって山岳会に戻っても空白を埋めることはできない。大抵は理屈をいうだけになる。また、話をすると休日はゴルフ、テニスという人も多い。つまり登山をレジャーの中のスポーツという一面でしかとらえていない。山岳会の指導者層には案外こんな人が多いのだ。むしろ、ゴルフの話をしている時の方が楽しそうである。
 私の場合は登山をスポーツを含めた文化としてとらえる。
 沢登りは登山技術の一ジャンルというだけの把握では心もとない。岩登りが登山技術の基本とすれば、沢登りは登山文化の粋ではないかと思っている。尾根を伐開して道を開くまでは沢登りは登山の方法であった。登山技術の総合力を試される、という。即ち、滝を攀じ登るのは岩登り技術の応用である。途中でビバークする場合は幕営と生活技術が試される。
 その中の重要なものは焚火である。町中は当然であるが田舎でも焚火は堂々とやりにくい時代になった。ちょっとしたコツがわからなくなったのだ。
 古新聞紙を火種に枯葉、枯れ枝、流木を燃やすだけのことであるが、これが意外に難しい。時にはローソクやメタを使って火種の維持に努めるが中々に着火しない。焚火なしで寝るのは寒いし、着衣が濡れてはシュラフにも入れない。何とか100%のコツをつかみたいと思っていた。それで3個100円の料理用メタを常用したりもしてきた。
 着火の基本は火床になる地面に石を敷き詰めて地面からの水蒸気を遮断すると成功率が格段に上がると知った。たったこれだけのコツをつかむのに長年苦労したのである。これを知ってからはメタも不要になった。沢登りでツエルト張り終えて、料理の用意とともに焚火の枯れ枝集めは重要な仕事である。しかも明るいうちに集めねばならない。焚火は実用性ばかりでなく心を落ち着かせる効果もある。贅沢な時間の演出家であった。
 人類と獣の違いは第一に火を扱うことであった。火をコントロールすることであった。火の力は暖かい、焼く、煮る、乾かす、殺菌する、明るい、これは文化である。コントロールに失敗すると火事になる。焼失もする。軽量携帯のガスコンロ、石油コンロもあるが焚火はマッチ1本で自然にあるエネルギーを取り出し利用する。
 さて、一般登山では足を交互に動かせば先へ進める。沢登りは大抵は足場は濡れて滑りやすい。そこをバランスよく攀じる。また道標もないから読図力とRFが重要になる。総合力は随所で試されるのである。
 今回は台風の影響で急な増水を心配する向きもあった。しかし、栃を中心とする落葉広葉樹林の原生林は保水力が良いとされる。テントのフライを激しく叩く夜来の雨にも関わらず、顕著な増水はなかった。但し、日本アルプスなどの岩場の多い山では増水(鉄砲水)は必至であろう。ユメ入るべからずである。
 朝4時起床。前夜のうちに炊いて置いたご飯に鶏鍋を温めて朝食を済ます。テント撤収。林道を下って、6時前に入渓。最初はヤブっぽい渓相にがっかりするが1時間もしないうちに栃の原生林になって空が高くなった。しかも長々と滑滝になって奥へと続く。滝はすべて自力で越える。次は次はと期待して遡るうちに右岸に虎ロープが垂れ下がる滝に来た。これは滝の左を攀じ登った。ここでメンバーの1人が目に傷を負うアクシデントがあった。1人でリタイアさせたが、滝を登ったところで降雨があった。これ以上は雨雲の領域に突っ込んで行くことになる。
 昨日の偵察で、ここからの山道を辿れば林道終点に行けるので全員の撤退を決めた。行程の四分の一くらいだが、滑、滝、栃の原生林という美味しい部分は味わったのである。この先には溝状の滝が楽しみだったが後日に期することとした。
 山道は崩壊花崗岩の山の斜面を開削して開いた。林道に着いて国見峠方面を眺めると標高900m以上は雨雲に隠れていた。テント場まで下り、装備をはずし片づけた。池田温泉の開場は10時なのでそれまでの時間活用に揖斐川町の播隆上人ゆかりの一心寺の訪問を提案したら全員が乗ってきた。
 春日村美束で24℃の涼しい気温は平野部では32℃に上がった。台風の影響で亜熱帯独特の暑さにうんざりする。狭い路地を走り抜けて一心寺に到着した。少し歩いて城台山の城跡にも登った。一応頂上である。少し下に点名城台山4等三角点もあった。慰めにはなる。再び車で池田温泉に移動した。中々の名湯である。効験が顕著なのか朝から開場を待つ人もいた。ぬるぬるした成分がいかにもと思う。さっぱりした後は炎熱の名古屋に帰って解散した。とはいえ、まだ12時前だ。ベランダに濡れたテントとフライを干すと風にはためく。フエルト靴の泥を洗ってベランダに干す。次はまたどこの沢へ行けるのかな。

春に三日の晴れ間なし2016年04月04日

 昨日は花曇りの一日、天白川の堤防の桜並木の下は花見客でにぎわった。シートを敷いて宴会のグループも多かった。堤防を走るランナーが増えてきた。いよいよ春爛漫である。今朝は雨。文字通り花の雨になる。午後は上がるらしいが、天気予報では当面晴れ間がなさそうだ。

初スキー2016年01月19日

 久々に志賀高原で行われる山岳会のスキー懇親会に参加。1/17に出発するが、前夜の二次会のせいで、すっきりしない。自宅を出たのは10時30分過ぎとなった。中央道をひた走り、梓川SAで昼食を兼ねて休憩する。松本平でも雪はない。山間部を抜けて善光寺平に着いたが、ここもない。信州中野ICから出て志賀高原へ向かう。山間の急坂になってやっと道路脇に雪を見た。山猿の大群がR292にi出て我が物顔で遊んでおり、ゆっくり走る。蓮池まで上がると、全面雪面となった。指定のスキー宿は谷間にあるので左折して、ブレーキテストをする。ギギッとABSが機能することを確認。急な下り坂を下って宿の共同駐車場に着いた。5時間かかった。その日は、ゲレンデ状態は悪く、アイスバーンというので膝が完全ではないのでパスした。
 久々の参加なので既知の参加メンバーと旧交を暖めた。新潟のWさんは80歳を少しオーバーした頃、もう引退と言っておられたが、90歳で現役である。名古屋大学の教員として赴任されていたことがあるOさんは御在所の岩をよじ登ったことがよほど懐かしいのかよく話された。この人も84歳で現役である。メンバー表を見ると殆どが70歳以上で60歳代は私とあと2人だけだった。酒の席で閑閑諤諤議論をとばしていた人も既に亡くなったり、引退したりと淋しくなる一方だ。
 1/18は未明から大雪となった。谷間にある宿のせいか、風雪は感じないが各地では相当な積雪量のようだ。外は風があるので、リフトは午前中は様子見となった。その間もゲレンデの整備でブルがしきりに往復する。部屋の中で雪に関するTVニュースを見続けた。リフトは午後から動き出した。
 4時間券というのを購入して、初リフトに乗る。ゲレンデトップから、未整備の約30センチから40センチの新雪滑走を楽しんだ。膝に難があるので両膝を閉めて確実に雪に乗るようにして無難に滑り終えた。迂回路の狭いところも滑走してフォームをチエック。昨年は1月以来の遭難で自粛していたから3度くらいしか行けなかった。身体はちゃんと覚えていた。そのうち、同じメンバーが何となく集まってグループで滑走を繰り返した。整地してあるコースは本当に滑りやすい。平日なので混雑することもなく、顔を見つけやすい。夜は宴会で交流を楽しむ。
 1/19は朝は晴れ間がでていた。天気情報では今後も悪化しそうなので切り上げる。9時記念撮影後、朝一で宿を出た。来たときとは違って白一色に染まる雪景色に満足する。
 中野市街からは長野市に向かった。善光寺へ向かう。最初に参拝したときは本堂の北のPに止めたから参道を往復しただけであった。一度、表参道を歩いてお参りしたかった。雪は殆ど無かった。大門のPに止めて、参道を歩き、仁王門から仲見世通りを通り、善光寺さんに参拝した。

冬の雨2015年12月23日

 暖冬の象徴のような冬の雨。山上では雨か雪か。
 雨が降る前の午前中にスタッドレスタイヤに交換した。午後は定例の句会をこなした。夫が亡くなったり、骨折して介護に追われたり大変である。一方で早くに夫と死別した人は俳句に音楽にと活動しまくる。新年会を約して、散会した。散会後、エンジン音が大きくなったのでオイル交換する。これで冬道の準備は終わった。

能登半島は秋時雨2015年10月12日

 10/11(日)は毎年恒例の所属俳句結社(本部・富山市)の年次大会である。その前後に登山を組み込む。天気予報ではあいにく、よろしくない空模様になっている。それで本格的なピークハントは止めて、10/12のみ能登半島の1等三角点のピークハントとした。殆ど車で登るからドライブ登山になる。

       神岡町はノーベル賞受賞で祝賀ムード
 10/11は朝から雨。高速道路も速度制限ありなので小牧からR41で北上する。ついでに神岡町の道の駅に寄った。小さな谷間の町はノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏の祝賀ムードで一杯だった。狭い商店街の間には高く祝賀の看板を挙げ、商店の入り口にも受賞を祝う張り紙が目立った。道の駅のPは朝早い時間にもかかわらず、お祝いの観光客のマイカーで埋まっていた。梶田氏の功績は人類の生活にどんな利益をもたらしたものか、何度読んでも理解できない。交通量は多めなので会場へ急ぐ。

       富山市の電気ビルへ  
 13時過ぎ、大会が始まる。40歳で入会したからこれで26年目になる。毎年のように出席してきた。多くが高齢者なので将来が心配になるが、それはどこでも同じこと。山岳会も高齢化を心配しているが決め手はないのが現状だ。それにしても、顔ぶれは5年単位ですっかり入れ替わる気がする。知っている人は亡くなったり、退会されたか。知らない人が増えているからだ。
 辛夷賞などを発表。その後の主宰の心ばかりの講評は恒例になっているがこれがあればこそ会員の帰属意識を繋ぎとめられる。拙作は珍しく一句が佳作に入った。

 淡白なただそれだけの鱧の味

主宰の講評・趣旨・・・京都を代表する味覚として余りにも有名。裏話的に言えば、京都は食材が豊かではないから骨きりのワザで売っているんだとか。富山湾は魚介類の生簀というほど豊富なのでわざわ高いカネをだしてありがたがる人はいない。名古屋でもそれほどの人気ではない。京都人には見せられない俳句。

 大会後は懇親会になる。横浜市、横須賀市、前橋市、八王子市など関東圏からの参加者が多かったのは北陸新幹線効果だろうか。それぞれミニスピーチを披露。最後は地元俳人の恒例の八尾の風の盆の踊りでしめる。その後も残心句会があり、終わったのは8時過ぎ?だったか。
 山の句材は高齢女性には縁が無いために得点は殆ど入ったためしはない。今回は2点もらった。沢登りでは焚き火がありがたいので目に見えるかぎり流木や枯木をかき集める。そして燃やし尽くす。パンツも濡れるので尻も当てて乾かす。それを詠んだ。但し、枯木は冬の季語なので木切れか木っ端がよろしいとの講評があった。

 あるだけの枯木を燃やし夜長かな

       能登半島は秋時雨
 10/12は雨か、と思いきや晴れている。しめしめと思いながら、6時30分に富山市のビジネスホテルを出る。R8から北高岡ICを経て、能登半島へ行く高速道路に入る。ところが能登半島の道は縦横に迷走気味でナビの必要を感じる。地理勘がないので道路地図と首っ引きとなった。その上に時雨模様で大雨が降ったり止んだりする。日本海に突き出した半島の気象は変化しやすいようだ。11時にようやく、宝立山トンネルまで来れた。

        宝探しのような三角点探し
 そこから宝立山469mの1等三角点までは地道に入る。舗装道路だったが電波塔への分岐に間違った道標があり、未舗装の道だが、ぬかるみもあって、4WDでもスリップしてヤバイ感じ。やっと高みに行くがあるはずが無い。道標は全く反対を示していたのだ。結局、地形図をよくみれば簡単だった。分岐からわずか2分で登頂した。展望はない。しかし、能登半島最北端の1等三角点に来れて満足する。大降りになったので輪島市の鉢伏山、氷見市の高坂山は断念した。成果は1座で終わった。
 帰路も迷走した。徳田大津JCTから南の幹線道路は金沢市系統と富山県系統に別れているからだろう。北ではのと里山海道と能登自動車道が重なるのにここから南はのと里山海道は金沢市へ行く。うっかり、のと里山海道を行くと金沢市に行くと分かって、R415から氷見市へ迂回し、能登自動車道へ戻った。
 迷走気味だったが、雲に隠れがちな立山連峰らしい山なみも見えた。半島から眺めるのも素晴らしいだろう。次は立山に雪がある頃が良いだろう。

北アルプス・十石山を歩く2015年09月12日

 9/11の夜8時、北アルプスの槍穂高連峰の大キレットの踏破を目的に出発。高山市清見の道の駅で仮眠。9/12朝5時30分過ぎ出発。途中のレストランで朝食をかきこむ。天気予報はまたまた大きく崩れて、9/12は快晴だが、9/13は崩れて降雨もあるとのことで、急遽中止した。別の山に転戦することを検討した。候補として錫杖ヶ岳が挙がったが、あそこはクライマーの死者の霊がさまようところなので気合を入れて行きたい。気楽な低山も数々あるが、健脚3人の山婆様が納得しないだろうと、登りでがあり、登り甲斐、展望も良い、アクセスも良いと十石山を選定した。

http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.161335,137.608266&z=15&base=std&vs=c1j0l0u0

 標高も2525mあるが、恵那山より高いものの、周囲の名峰の乗鞍岳、穂高連峰に囲まれて、格落ちする。しかし、人の多い槍や乗鞍よりも静寂な原生林の森をぬう登山道と展望は素晴らしい記憶があった。

 清見からr158を辿り、平湯温泉から安房トンネルをくぐって、白骨温泉に向かう。登山口はスーパー林道から登った記憶を頼りに、今は使われなくなった林道の料金所ゲートを通過した。急なカーブをこなしながら進むと工事中の現場で通行止めになった。その先の下った辺りとうろ覚えしていたので、通行止めの前に駐車して歩く準備中に工事関係者が来て退去。1人に聞くと少し下ったところの登山口を教えてもらったので移動。メンバーにスマホで「十石山 白骨温泉」で検索してもらうと、地形図もヒットしたので、この道にまちがいないと確信した。
 なるほど、十石山の登山口の看板はないが、それらしい道標はあり、登山道が続いている。ここは急カーブの膨らんだ左端で、地形図では温泉から来る登山道とはつながっていないが実際にはつながっている。標高1420M辺りになる。pはないが5台は置けるスペースがある。
 8:30過ぎ、出発。最初は唐松の植林内を登る。喬木の針葉樹が林立する平になると、15分くらいでスーパー林道から来る登山道との三叉路に着いた。林道からの登山道は笹がかぶり整備はされていないようだ。
 ここから左折して急斜面の森の中の登山道をジグザグを切りながら登る。白樺の大木もあり素晴らしい原生林である。ジグザグを終わると平らかに成り、1835Mの山腹を巻くような平坦な登山道になる。ここらあたりは樹高30M以上はある原生林で鬱蒼としている。平坦な道が終わるとはっきりした尾根道を登り、眼下には梓川の谷間も見える。樹高も段々に低くなってきた。
 途中で休みを取りながら高度を稼ぐと樹間から穂高の一角が見えた。不思議なもので少しは苦労が報われた気になって疲れが軽減された。一本調子の登りが続く。周囲にはナナカマドの紅葉と赤い実が目立つようになった。足元にはツルリンドウが見える。
 周囲の樹木がみな低くなって、草地が開け、ナナカマドの潅木帯になった。ここのナナカマドは実は赤いが葉が青い。夏は高山植物の花々の咲き乱れた風景が想像される。地質は風化花崗岩で一部風化して崩れた箇所もあった。そこは初夏でも雪渓が残りそうで水が取れるだろう。ここから十石峠小屋はすぐだった。小屋は堅固に造られ立派なものである。
 山頂へはハイマツの稜線を乗鞍岳に向かう。登山道は風化して崩壊しているところとぎりぎりで通る。いくらもアルバイトすることなく三角点のある山頂だった。その先は登山道ははっきりしているがハイマツが立って歩きにくい。ここで首に巻いたタオルを献上したようだ。?
 小屋に戻る途中、焼岳よりの小高い丘に寄ると一層眺めの良い場所に着いた。小屋に戻って中に入るときれいに使われている。一と晩泊まってみたい。水は桶に貯めた天水が利用できる。
 下山は往路を戻った。s君が膝の故障を訴えたのでテーピングした。登山口の手前で山猿の大群に出会った。驚いたが、山猿の方がもっと驚いただろう。ボス猿が警告の叫び声を発して、素早く、大木を逆さまに下りた。ぞろぞろと猿の群れで山がざわめいた。登山口には約2時間半ちょっと。往復6時間の手応えたっぷりのワンデイ登山だった。
 町営の露天風呂(510円)に入湯。車道から階段を相当くだった。湯沢と湯川の合流する手前にある。白濁はしていないがいいお湯であった。帰路は久々に境峠を越え、r19経由で帰名。

秋雨前線2015年09月08日

   瓢ヶ岳
粥川の谷を高きに登りけり

頂上やどうしようもなき秋の雨

秋雨を集めて滝のほとばしる

徒渡る谷一杯の秋出水

ホトトギス咲くや雨足弱まりぬ

   星宮神社
秋の灯の下にテントを張りて寝る

一と缶の酒をちびりと夜長かな

長き夜を遡行プランの話する

渓声にかきけされたる虫時雨

   円空ふるさと館
秋冷や笑みを浮かべし木の仏

  美しい田園風景の一角に円空仏が建つ粥川の山里
数多おはす円空仏の稲田かな

御仏に見守られたる稲田かな

  9/8 台風の前兆(9/11は220日)
あと三日二百二十日に山に発つ