ご用心、鈴鹿北部の山に熊が放獣された!2015年05月29日

産経WESTから
27日午前4時半ごろ、滋賀県多賀町樋田の県道で、道路脇の地蔵堂に参拝していた近くの無職女性(88)が背後から近づいてきたクマに襲われ、顔にけがを負った。クマは山中に去り、女性は病院に搬送された。

 現場は、三重県境に近い鈴鹿山脈の山あいで、20世帯ほどの集落の一角。滋賀県警彦根署によると、クマは体長1メートル程度。女性は前足で顔をひっかかれ、深い傷を負ったとみられる。

 滋賀県内では、今月20日にも高島市で登山中の男性がクマに襲われて重傷を負う事故があった。
続報
三重県内で捕獲されたクマを、同県の担当者が隣接する滋賀県の山中に放していたことが27日、分かった。同日早朝には、滋賀県多賀町で女性がクマに襲われて重傷を負う事故があり、滋賀県側はこのクマの仕業だった可能性があるとみて、知事名で三重県に抗議する方針。三重県側は落ち度を認めて同町に謝罪し、滋賀県への謝罪も検討している。

 三重県獣害対策課によると、同県いなべ市で今月17日、ツキノワグマ1頭が捕獲され「麻酔で眠らせた上で、滋賀県境の山中に放した」と発表。しかし、実際には三重県の放獣担当者は県境を越え、滋賀県多賀町でクマを放したが、滋賀県に連絡していなかった。

 その後、同町で27日早朝、女性(88)が自宅近くでクマに襲われ、頬骨を折るなどの重傷を負った。滋賀県によると、これまで同町内でのクマの目撃情報はほとんどなく、三重県が放したクマの仕業ではないかとみている。
以上
御池岳、天狗堂、藤原岳、三国山、霊仙山周辺に登山を計画されている人は要注意である。捕獲されるまでは入山を控えた方が良い。
襲われた場所は滋賀県多賀町樋田で、御池岳の真西にあたる。
熊は一晩で40kmは移動するらしい。
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続報
NHKの朝のラジオでは、熊に取り付けた発信機から、岐阜県海津市付近に居る、と報道している。ということは養老山系(多度山から養老山)に当る。

「山女原」(あけびはら)考2013年12月10日

難読地名考
山女原  
 仲間内がどう読むのか、と聞くので、「あけびはら」と言った。しかし、そのわけは知らなかったのでこの際検索でググって見た。

 どうしても”やまめはら”としか読めないが、”あけびはら”という。あけびならば、WIKIPEDHIAによると
「アケビ(木通、通草)は、アケビ科の蔓性落葉低木の一種(学名: Akebia quinata)、あるいはアケビ属(学名: Akebia)に属する植物の総称である。」と、立派な漢字が当てられているが、これも知らないと読めない。

ある人のブログには
「山形では、秋のお彼岸には、先祖の御霊が<アケビの舟>に乗ってこの世に戻って来るという言い伝えがあり、その頃になると山からアケビを採ってきて、仏壇にお供えする風習があるそうです。また、東北地方では、アケビを<山女>とか<山姫>とも呼びます。」
 うんうん、山形では山女でもあけびと読むのだそうだ。

検索を続けるうちに牧野富太郎先生の記事に出会った。全文はクリックして読むとして、一部を転載すると

「その口を開けたのに向かってじいっとこれを見つめていると、にいっとせねばならぬ感じが起こってくる。その形がいかにもウーメンのあれに似ている。その形の相似でだれもすぐそう感ずるものと見え、とっくの昔にこのものを山女とも山姫ともいったのだ。なお古くはこれを、※[#「くさかんむり/開」、85-15]と称した。すなわちその字を組立った開は女のあれを指したもので、今日でも国によるとあれをおかい又はおかいすと呼んでいる。これはたぶん古くからの言葉であろう。そしてこの植物は草である(じつは草ではなく蔓になっている灌木の藤本だけれど)というので開の上へ草冠を添えたものである。こんなあだ姿をしたこの実から始めてあけびの名称が生まれたのだが、このあけびはすなわちあけつびの縮まったもので、つびとは、ほどと同じく女のあれの一名である。」

 山姫とか山女と読んだのは女性器に見立てたからだったのだ。ちょっと、下品な発想をすると、山女というは余りもダイレクトなので漢字では地名にしか残らないのだろうか。

「あけびの実はなかなかに風情のあるものであるから、俳人も歌よみもみなこれを見逃さなかった。昔の連歌に山女(あけび)を見て「けふ見れば山の女ぞあそびける野のおきなをぞやらむとおもふに」と詠んでいる。」

 この戯れ歌?も、女が(股を開いて)遊んでいる。それを見た野のおきながやりたい、というのである。野のおきなとは野老(ところ、山芋の一種)のことで、芭蕉の句に
  山寺の悲しさ告げよ野老掘り
がある。アケビとヤマイモの取り合わせとは楽しい歌だこと。

「これは自分の拙吟だが「なるほどと眺め入ったるあけび哉」、「女客あけびの前で横を向き」これはどうだと友達に見せたら、そりゃー川柳へ入れたらよかろうと笑われた。」とまあ、牧野翁も自作を楽しんでいるのは笑わせる。
 
 全文は以下で
http://www.aozora.gr.jp/cards/001266/files/47237_29243.html

 もう一つ思い出した。映画「雪国」の冒頭の場面に、池部良がアケビの一房を持って山を下るところがあった。それを岸惠子がもらって食べるところもあった。あの川端先生のことであるから、ただの描写とは思えなくなった。越後の山奥の女、即ち山女である。
 「雪国」は決して清純な映画ではなく、色恋の強い文学であった。「女を世話してくれ」などというセリフがあるのを見ても性への傾斜が強かった川端康成の暗示かも知れないと思った。練達の文章が文学たらしめている。

 いやはや、地名をまじめに探る目的で調べたら、週刊ポストとか週刊現代のお色気記事になりそうな話で落ちがついた。

第13回岳人写真展のご案内ー作品紹介2012年03月23日

作品名「春の虎子山」
 虎子山と書いてトラスと読ませる。地形図では無名であるが今西錦司氏が干支の山に登るテーマで探された山だった。滋賀県と岐阜県境の山である。
 ある年の2月、未明に国見岳スキーの外れの国見峠への道を出発。峠に着いて登り始めると、東の空が明るみ出した。春暁である。順々に明るくなると雪面に真横から光が差す。それがダイアモンドの粒をばら撒いたように輝いた。折しも先行者が雪の泡をすり抜けて蒼天に登らんとする一瞬を捉えた。
 虎子山を経てブンゲン、貝月山とツアーする予定だったが雪が腐って滑走が困難だったため、日越峠の手前の尾根から急峻な谷底に下って登山口に戻った。山道は不明であったため、谷底に降りたりして大変に苦労したが12時間後には戻れた思い出のスキーツアーだった。

岳人写真展は3/25まで開催中!

西近江・阿弥陀山と岩阿沙利山を歩く2011年06月18日

 鯖街道の花折峠の茶屋で名物の鯖寿司を食す

 阿弥陀山は1等三角点にして信仰に因む命名
  登山口から50分で三角点へ
  ノーマークの1等だったので望外の一山
  梅雨時で今にも降りそうな気配。
  ホトトギスが鳴いている
 
 岩阿沙利山も信仰に因む命名
  登山口から25分で山頂

近江里山吟2010年11月08日

穭(ひつじ)田や近江の里の山歩き

元富士の山懐のイノコズチ

竹林の小道や秋の蝮の子

猪を驚かしたる山の尾根

干拓の見渡す限り刈田原

境内に往来の子は七五三

近江・元富士と長命寺山を歩く2010年11月06日

 久々の名神高速を走る。新名神へ多くが流れたせいか通行量は少な目。快適なドライブである。八日市ICから山麓のムラを目指す。
 小春日和で温暖な気候が素敵だ。刈田にはヒツジが生えている。二毛作も可能ではないかと思う。水郷地帯を抜けると山麓に着いた。
 遠望すると湖南アルプスとも姨綺耶(いきや)山系とも言われる低い山なみの右端に端正な三角錐の元富士が見えた。奥津山が一般的なようだが地元では権現山で親しまれている。ムラの左端の神社に車を置かせてもらった。
 10時少し前、ムラの老人に山の様子を伺うとはっきり「権現山か」という。自分の庭のような気分で手に取るように教えてくれた。山際で再び確認。少しばかりの間は蜘蛛の巣と足元の竹の散乱に手を焼いたが上に行くに連れて良くなった。帰宅後にこの山を検索するとマムシが多いと知った。小さな蛇はマムシだったのだ。色が枯れ木色でそっくり。
 周囲は手入れのない雑木で南国風のシダ類の繁茂する急斜面の参道を登る。およそ20分も歩いただろうか。巨石に抱かれた権現様が見えた。これは検索すると「愛知県知立市の知立(ちりゅう)神社から勧請されたとみられる「池鯉鮒(ちりふ)権現」が祀られた一間社」という。なんと愛知県に縁ある神社だったとは。
 右へ適当に薮や枯れ木を避けながら登ると山頂だった。展望はない。途中には巨石が何箇所かあった。この山はどうやら巨石信仰の山のようだ。
 戻って途中から分かれる横断の山道を歩いて見たが谷の奥で林道に下れた。薮虱が一杯着いた。下っていく方向に下ったが途中で終り谷筋に沿って下って見ると竹林に着き、元の登山口に戻れた。周回できてよかった。
 車に戻って隣の長命寺へ向かった。山懐のお寺のその上の山である。お寺までは車で登れる。なぜかお寺からは直接の登山道はない。Pから少し戻って湖南アルプスのハイキングルートに入った。終始樹林帯で琵琶湖の絶景は見ることもなかった。この山も周囲は樹林帯で展望はない。
  下山途中では「ぶひゅ」という声に仰天した。野生の小型猪が上に向かってそれこそ猪突猛進していった。向かって来られたらたまったもんじゃない。
 Pに戻ってもまだお昼過ぎ。近江八幡市街で有名な酒屋を改造した食事処で昼食とした。

 白洲正子が絶賛したという長命寺あたりの風景はついに俯瞰できなかった。それを書いた『近江山河抄』(講談社文芸文庫)は昭和47年に「芸術新潮」に連載したものをまとめた。62歳だった。低山とはいえ周辺の山をも登っているから大したものだ。奥島山も含めて。
 彼女が愛した水郷地帯の美はもう今は多くを干拓で失われてしまったようだ。大中の干拓地がそれでこのいきさつは司馬遼太郎が『街道を行く』24近江・奈良散歩(朝日文庫)に書いている。読むと再び行って安土山も登りたい気分がする。晩春から初夏にかけては美しいだろうという想像はできる。
 私達が渡った橋も水門になっていてゲートが昇降する仕掛けである。昔は奥津島という琵琶湖最大の島だったそうだ。大中干拓によって陸地化してしまった。ゲートの役割は干拓地が湖水面よりも3mも低いから大水で琵琶湖の湖水が逆流しないためのもの。西の湖に溜まった水はポンプで琵琶湖に排水する。日本の中のオランダになっている。

近江曲谷の五色の滝まで2010年08月06日

華麗なる五色の滝の前を横切る
五色の滝の上流にある横長の滝でど迫力がある。風圧で涼しい。

横長の滝のアップ


痛快!山スキー虎子山からブンゲン周遊2010年02月21日

 2/20夜7時半いつもの栄の中心地でW君と合流する。今日はインフルも落ち着いたせいかいつもより終業が早かったようだ。
 栄から市街地を抜けて揖斐川堤防道路を北上。R303から旧春日村の国見岳スキー場へ左折する。後は一本道である。スキー場のPで待っていてくれたYさんと合流。やっとパーティが揃う。Pでは何かと騒がしいのと下山地点のデポも兼ねて2Km下の尾西へ移動。車内でミニ宴会後12時に就寝。2/21朝3時目覚ましで起きる。(先回の滝波山では中々起きられなかったのに!)お湯を沸かしてラーメンなど食べる。
 身支度して私の車でPへ移動。国見峠への道の除雪地点まで登るが1台先行車があった。ドライバーをヘッドライトで起こしてしまったようだ。Uターンして車はPへ置く。
 4:45ヘッドランプを点灯して除雪地点からシール登行開始。滝波山の雪と違ってよく締まっている。気温が低いせいかシールの滑りもよろしい。林道とはいえいつしか高度があがり夜間照明のライトが明々と照らすスキー場を俯瞰するようになる。大曲を4回繰り返すと一段と高度が上がりあとは峠まで比較的平坦な道のりである。
 5:35江美国境の国見峠は白い闇の中に静まりかえっている。美濃から近江へと微風が吹き抜けている。ああ!これは東風(こち)だ。寒いながらも春の風である。天空には春の星が瞬いている。W君がオリオンだ、と叫ぶ。今日はいい天気になるぞ!という予感がする。新たに国見岳への林道が開通しているし、吉槻への林道も快適そうな雪に埋もれている。
 小休止後、雪明りの峠から痩せた尾根に取り付く。最初はスキーをつけたまま登ったが薮と急斜面とで脱いでしばらくつぼ足で登った。抜けきった辺りで再びスキーを履く。滋賀県側は杉の植林、岐阜県側は雑木林の境を交互にジグザグしながら高度を稼ぐ。尾根が広くなると傾斜も緩くなる。雪は豊かに積もり雑木林を埋める。風も無い。6時30分過ぎ東の空が焼けて見える。春暁である。足元の雪面がキラキラする。ばら色に染まる感じだ。カメラを取り出す暇もなく見とれている内にショーが終わった。
 虎子山への稜線は豊かな雪に覆われていた。キラキラ瞬くような光線を見ながら山頂の一角に着いた。一旦下って登り返すと虎子山である。眺望はもう絶景!見晴るかす白山、奥美濃の山々、御岳、恵那山、乗鞍岳、中央アルプス、金糞岳など。伊吹山のドームも大きく見える。シールを剥がし県境稜線を北上する。遥かなるブンゲンと思うほど遠くに聳える。貝月山は更に遠い。今日一日でスキー縦走する予定である。果たして?
 7:40稜線にトレースはなく処女雪に踏み込んでいく。三角錐のブンゲンへの第一歩だ。あっという間に落ち込んでゆく感じだが急斜面に足がすくむ。おまけにアイスバーンになっている。北西面のせいか冷たい風が辺り雪面も硬い。一旦滋賀県側に逃げてまた県境へ戻った。再びターンを再開するがあっという間に美味しいバーンは終わる。
 シールなしの階段登高や開脚では疲れるので小ピークを越えた辺りでシールを付けた。小さなコブをいくつかやり過ごす。当面の目処としていた1187mの無名の三角点が近づく。あれほど遠い気がしたブンゲンもぐんと近い。1187mは立ち木がなく全山真っ白な雪の台形の山である。まるで「美濃の立山」かと思う。以前もブンゲンからここまで遊びにきたことがあった。
 ここからブンゲンまでの稜線の界隈は天然のスキー場のような別天地が拓かれている。岐阜県側はタケヤ谷とその支流の源流部は雑木林の疎林が拡がる。素晴らしい。一歩一歩スキーを進めるが11時を回ると雪が腐り始めたせいか重くなった。シールも濡れて雪が付着するようである。引きずるようにしながら11時30分、ブンゲンに登頂。予定通り。単独の山スキーヤーが滑降の準備中の他は誰も見ない。以前は登山者が鈴なりの状態だったのに。しばしブンゲンからの眺望を楽しむ。北アルプスまでも望見する。南には鈴鹿の霊仙山、御池岳辺りまでが見える。伊吹山はセメント材料に削られて見苦しい。平野部からは分かりにくいように削っているようだ。
 先を急いで休まずシールのまま滑降する。登り返した小ピークで休止。またもシールのまま滑降し、奥伊吹スキー場の終点まで登る。スキー場からは進入禁止の御触れが立っていた。ゲレンデを迂回するようにブナ林を抜けて日越峠への滑降地点のピークを目指した。この界隈はガスで見通しが悪いと行動は不可能に近いとおもう。
 13時10分日越峠への滑降地点のピーク着。約1200mの平坦なピークで杉の植林になっている。ここでシールを剥がす。靴にセットするが締め具の安全装置が元に戻らずてこずる。そうこうするうちに時間を空費してしまった。この時点で貝月山往復は断念した。
 14時出発。東谷側にダイレクトに下る尾根に迷い込む。戻って日越峠の尾根に沿う沢に滑り込み尾根に上がるが雪質が益々悪くなり足を取られる。おまけに尾根は狭く急なので中段辺りから沢に滑り込み沢沿いに下った。東谷本流に出会ったものの最初は緩斜面の沖積地帯の快適な滑りを楽しんだが両岸の迫る谷相ではスキーを外して2回渡渉を強いられた。
 林道らしき痕跡を発見後地形図にある橋を確認。17:07林道にでた。シールを剥がして除雪地点までは時速10Kmの滑走でファイナル滑走。除雪された林道は徒歩で行く。車道出合で18時。13時間のスキー縦走でした。スキーをデポして車まで戻る。10分ほど。スキー場の車を回収してようやく下山となった。帰りは村内のモクモクの薬草風呂で疲れを癒す。

鈴鹿・イブネ残照2009年11月26日

 脳裏に焼きついたイブネの山景。どこかで見た風景である。2度ならず3度は行った山である。昨年も更にずっと昔も行ったことがある。
 辻涼一『鈴鹿源流』(山人舎 1995年)を取り出して読み直した。佐目峠のところを読むとリアルな描写がある。少し引いてみよう。”峠の東側にかつてあった御池鉱山の跡に立つと、余りの規模の大きさに唖然とする。中略。この山の中に神社が置かれるほど多くの人々が住んでいたのだ。中略。最盛期には700人からの人々が暮らしていたというからまさに一大村落が営まれていたのである。”そうなんだ、そうなんだ、と思いつつ本を閉じた。
 700人の男女子供らが生活していた。山中ゆえ電気もなかった時代であろう。郵便局も学校もあった、という。時代の要請で生まれた-金属資源の乏しいわが国の一時的な繁栄-を謳歌してこのムラは消えた。残ったのは鉱山跡や神社だけではない。イブネ一帯の自然破壊であった。しかし、傷は浅かったといえるだろう。中国山地を歩くとやはりタタラの遺跡がある。彼の地も笹原の山が多い。鉱物を掘り、精錬のために木を伐って製炭した。笹の山はそうした名残なのである。夥しい土砂が海に流れて対馬海流がまた海岸に寄せ返した結果、鳥取砂丘が生まれた。天橋立も自然破壊の産物であった。
 気になるのは大峠に向かう稜線に滋賀県造林公社の杭が打たれていたことだ。将来は杉の一大植栽地に変わるのだろうか。林道は愛知川の奥深くまで伸びている。すでに釈迦ヶ岳の近江側一帯は植林された。かつてツメカリ谷を溯る際伐採中であった。今のツメカリ谷は荒れ谷となった。
 もしもイブネ一帯にまで及んだら大変な自然破壊になる。林道があちこちに伸び、砂防堰堤が築かれ、佐目子谷も台無しだ。ハチノス谷も大半は杉で埋まる。すぐそこまで破壊の触手は伸びているのだ。林道を走る車を通して外来植物が進入する。林道が廃道になると山崩れもおき易い。せめてイブネクラシ源流部は自然保全地域に指定されないだろうか。聖域として残して欲しいと思うのは私だけではないだろう。

続・鈴鹿源流の沢旅-佐目子谷を溯る2009年11月25日

鈴鹿の晩秋の風情
 熊ノ戸平の解放感は鈴鹿随一である。但しそれは自然破壊の結果かも知れない。様々な思いを抱きながらイブネ北端を後にして大峠に向かった。昨年上谷尻谷から上がった場所も記憶にある。濃霧の中でここにたたずんだのだった。
 北に向かうと次第に尾根はやせていく。素晴らしい雑木林の尾根である。新緑も少しまえの紅葉もまた素晴らしい。しかし今の落葉期もいいものだな。
 フナブセらしいところで一服した。そのまま通過しがたい雰囲気がある。上に上がると深谷山でF君は更に奥へと行くらしい。根っからの鈴鹿フリークだな。私が奥美濃教徒なら彼は鈴鹿教の熱心な信徒であろう。W君は沢登り教の永遠の雲水か。馬鹿なことを思いながら大峠に着いた。峠からは水船の池へ直行した。ハチノス谷を下る段になってF君が珍しくRFをミスったので若干戻り、地形図で確認して下った。伏流から水の流れが出るとすぐ下では銚子のような滝が待ち構えていた。ここは懸垂で下る。
 その後も杉林の左岸にそって下る。かつては造林小屋があったという二股にもその面影もない。沢をただ下るだけだ。そしてついに姫ヶ滝の落ち口に着いた。2人は更に下って偵察に行った。沢を少し戻って左岸の杉林を攀じ登るとやせた尾根に着く。尾根の先端まで行くが脆い岩から松が生えて懸垂の支点には心もとない。松が生える地質は栄養分の少ないところだ。ここも戻って土の急傾斜の浅い溝を下った。懸垂も交えて何とか佐目子谷に周回できた。そこから約1時間でPまで戻った。16時を過ぎていた。山国の寒い風が帰りを急がせた。