岳連の会計監査2024年04月17日

 午後から岳連の会計監査を実施。財務担当2名、監事2名で昨年10/1~今年3/31の複式簿記で作成した財務諸表、帳簿、仕訳帳を順次チエックを重ねた。仕訳ミス、原始伝票の誤記、誤記の訂正の仕方、公式の事業への講師の交通費は認めるが、研修や行事への個人の参加の交通費が誤認して、岳連の会計から支給されていると判明したため、理事会に諮って公開し、返金させることとした。その他精算に関して手数料、通信費が余りにも多すぎることに懸念を呈した。各事業、会合のリアルな機会を復活させる提案もした。コロナ以前に戻ろうということだ。

岳連の会計精査2024年04月10日

 午後から岳連の法人化後の会計仕分けの精査を3人で行った。昨年の10/1以降は原始伝票に基づいて会計ソフトに入力。そこから簡単な財務諸表をプリントしてみると変な会計科目の残高が目に付く。一枚一枚照合する。ミスは都度修正する。
 入力する財務担当は複式簿記の未経験者なので4/1以降の新年度は経験者に一時的に交代することとした。
 来週は総会での会計報告に備えて監査をする。更に修正をした上で理事会に諮って承認を得て総会で公開することになる。

逆転の発想2024年03月26日

 若い頃、営業マンになるための入門書を読んだ。その本の内容で今も記憶に残ることは、例えば欧州の女性下着メーカーは売上増大を図るために考えたことはアフリカの土人の女性に売るということであった。
 しかし、裸で暮らしている人々にどうしてわざわざ下着を付けさせるのか、という突っこみがある。答えは裸で暮らしているからこそ無限の市場があるというのである。
 同様にアメリカの靴メーカーも文明国には行きわたった段階で売上増加を図るために黒人の裸足で生活している人々に履かせることを考えた。現代ではもう裸の黒人女性はいない?だろう。裸足で生活する黒人も極めて少ないと思う。
 常識的には考えもつかない発想である。
 山岳古道を調査する過程でも逆転の発想を思ったことがある。近江商人は東海地方にモノを売るために鈴鹿山脈の峠越えが障壁としてあった。だが商人は山は高ければ高いほど良い。その分高く売ってやるという意気込みである。
 西堀栄三郎の両親は近江商人だった。そんな親から生まれた故に南極越冬隊の準備では専門家に頼らないで知恵を出して成功させた。
 松阪商人の小津家は江戸時代でも牛の飼育が盛んだったと見えて、牛糞を船で江戸にまで運んだ。それがいい値で売れて商売になった。建物の骨格になる木材なら売れて当然とも言える。牛糞のような捨て場に困るような産業廃棄物でもカネを産んだ。

 ネットから拾うと「「荷物輸送用として、江戸市中には牛馬が闊歩していました。牛馬が歩けば、彼らが落とす糞も町中に溢れます。けれど当時の江戸には、この馬糞を、自主的に拾う人々がいました。
 それは子供たちでした。子供たちはアルバイトで馬糞を集めていたのです。何のために馬糞を集めるのかと言えば、それは「燃料」にするためでした。牛馬は藁や草を主食にしています。ですから糞には、藁や草がたくさん含まれていて、よく燃えたのです。落ちている馬糞を集めては、それらを乾かして燃料として販売する業者もいたのです。」

 小津家からは本居宣長が出た。小津宣長を名乗ったこともある。但し宣長は商人向きではないと母親が心配して京都に医者の修業に出した。地域医療をこなしながら好きな日本の古典研究の泰斗になった。

岳連2024年03月18日

 加盟団体の連絡会で名工大の会場へ行った。いつもは事務所のある久屋大通駅から上前津で乗り換え鶴舞駅から徒歩でしたが、乗り換えが面倒なので吹上駅から歩いて見た。この道も結構時間がかかった。夜道なのでスマホにガイドされて東門へ。
 議題は盛り沢山で、中でも上部団体の財務問題が遅々として進んでいないことを知った。公益社団法人とはいえ、あるカネしか使えないはずが、何で赤字を出せるのか。何とか、金融で凌いでいる様子です。複式簿記を学ぶと分かるが負債は確実、資産は不確実と知るでしょう。
 実は30年デフレもリチャード・クーさんは「バランスシート不況」と命名したごとく、財政赤字に陥りやすい罠があるのです。政府日銀のトップにいる賢い人たちがこの罠にはまった。苦しむのは庶民です。
 上部団体のトップが証券会社出身と知って、なるほどと思った。金融業は多額の貸方(負債)のカネを右へ左へ動かして手数料を取るビジネス。行き詰まると国が救済する。こんな体質が浸み込んだ人がトップに立つと大抵は失敗します。
 5月には国からの補助金が支給される。入金されればキャッシュフローが改善する見込み。破綻すると困るので支援をする方向で検討中。頭が良いだけの人をトップにしないこと。特に金融出身はダメですよ。
 法人化に協力を要請されて約3年間、密度の濃いWEBミーティングで定款や規則制定、会計指導に首を突っ込んで来た。昨秋に何とか登記に持ち込んでほっとしたのも束の間で降って湧いた議題でした。

確定申告に行く②2024年03月15日

 15日自宅PCで決算書を改めてプリントアウトした。申告書と揃えて再び中税務署に行く。今度は無難に受理された。そして受付印の押印は来年以降は無くなる旨通告された。おそらくスマホからの電子申告に誘導するつもりと思う。電子申告だと添付書類が要らないという。
 郵送は郵送料が掛かる。但しスマホもタダではない。プロバイダー料が掛かっている。インターネット環境の維持には結構高く付いているのである。
 さて来年はどうするか。思案のしどころである。

確定申告に行く①2024年03月14日

 午前中に中税務署に申告書を持って行った。12人待ちだった。点検をしてもらったが決算書の添付を忘れて出直しとなった。自宅に戻ってPCの確定申告書作成コーナーに保存データから順に見直すと最後の印刷のボタンを何度クリックしても保存に向かうらしい。一旦終了して直感的に保存場所のファイルをクリックして印刷することができた。しかし、印刷物は申告書と決算書に分かれている。昨年までは印刷をクリックすると一連の印刷が終わったのである。したがって、決算書のファイルをクリックして印刷しなければならないと分かった。

確定申告書作成終了2024年03月13日

 3/12は深夜まで頑張ったところで株式の入力コーナーで行き詰まった。今朝は早めに事務所に出て行ってR4年の控えを探したが見つからない。領収書、帳簿はあるのに申告書の控えがないのはどこかにしまい込んでしまった可能性がある。
 結果、探すのは諦めて、一昨年の控えにある数字を入力した。R3年R4年とも株式売買を休んでいるので損も益もない。R3年の控えにあるR2年の損失の繰り越しだを入力したら先へ進んでくれた。
 R5年で利益があれば相殺できるのだが無いからくたびれもうけになった。総納税者が利用するシステムも正直すぎて融通が利かない。気が利かないというか。所詮は機械である。
 その後も詰まりながら入力して最後にやっと印刷できた。国では電子申告に誘発したがっている。しかし、スマホでもその環境の維持には多額の経費を使っている。こけるとシステムを利用できないからやっぱり紙で申告が安定している。若干の還付金が出た。来年は納税するだけの売上を上げたい。

ようやく確定申告へ2024年03月09日

 2023年度の会計ソフトの数字の最終的な点検を終えて会計帳簿をプリントアウトできた。後は国税庁の確定申告コーナーから入力して申告書を作成し税務署へ投函する。
 思えばいつも延び延びになる。期限が迫らないとやる気になれない。それは入力内容の点検が意外と時間を要するのである。思いがけないミスもいくつか発見する。何でこんな間違いがあったのか、見つかって良かったとの思いになる。
 今年は年初から体調が悪く特に2月はひどかった。老化もあるがコロナ明けで環境の変化が著しかったこともある。3月以降は再起動である。

研修:任意後見契約と死後委任契約2024年03月07日

 3月6日の午後2時から4時までびっしり私法部の研修に出席。会場はほぼ満席でした。コロナの間はWEBミーティングでも実施されていたが他のことで忙しく、すべて見送っていた。
 昨年までは所属の任意団体から法人化への支援でほぼ3年を要したが昨年10月に終わったし、相続も昨年12月に終えて少し心の余裕が生まれての出席である。
 講師の石﨑功二氏は検事正で退官後、葵町役場の人でまだ1年だそうです。名古屋大学法学部卒。ややハイスピードでしたがパワポで示されるので聞き逃しは無かった。
 任意後見契約もさることながら死後委任契約の方が難しい。画面にも赤字で注意ポイントを示された。要するに相続人との利害関係があることに留意する。当職の立場はビジネスであるが、一個人の人生の終活に関与するのだから信頼関係を築くことが重要である。

行政書士の日、竹島の日、猫の日2024年02月22日

 窓から見える猿投山は雲にすっぽり覆われて山体は見えない。今日も天気は芳しくない。昨日までのほわっとした温かさから今日は少し寒いので空関が連続的に出てくる。
 朝食は体を芯から暖めるために主食はチーズの乗ったピザと野菜スープにした。コンソメ、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーを油で炒めて水から茹でると出来上がり。後は納豆にネギ少々。ニンジンのスムージー、はちみつ、ヨーグルトを食べる。
 今日は行政書士の日という。愛知会全体で中日新聞の全紙の広告を出稿している。ところで2月はいろんな記念の日が多かった。マスコットには猫が使われている

2月3日 寒明け

2月4日 立春、節分の日

2月7日 北方領土の日

2月10日 松浦武四郎の期日
 「松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日) – 明治21年(1888年)2月10日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師、著述家、好古家。
 蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。 明治21年(1888年)、東京神田五軒町の自宅で脳溢血により死去した。 ゆかりの行事、記念事業 / 毎年2月最終日曜に、松浦武四郎記念館をメイン会場とした「武四郎まつり」が開催されている。
 2018年には北海道命名150年を記念した「北海道150年事業」が行われ、その一環として武四郎に関するイベントを各地で開催。また同年は松浦武四郎の生誕200年にも当たり、松阪市は平成30年(2018年)2月24日の開会式に始まり一連の記念事業を行った。

2月11日 建国記念の日

2月12日 菜の花忌、司馬遼太郎の期日
 「2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」です。司馬遼太郎は野に咲く花、とりわけタンポポや菜の花といった黄色い花が好きでした。『菜の花の沖』という長編小説があることにも由来します。

 記念館の書斎の前には、直径1メートルほどのヒューム管があります。司馬遼太郎はここに菜の花を植え、春の開花を楽しみにしていました。このあたりは、小さいながら雑木林風の庭になっていて、今も同じようにボランティアの皆さんが菜の花を植え、来館者をお迎えしています。

 また、この日の前後には、1997年以来、毎年、東京と大阪交互にシンポジウムや講演会を開いています。会場に全国から贈られる菜の花約3500本が飾られ、終了後、入場者にお配りするのが恒例になりました。記念館やその周辺の道路にも菜の花が飾られ、この日の来館者にプレゼントしています。」

2月14日 バレンタインデー

2月18日 梅花忌、根津一の忌日、霞山

2月22日 行政書士の日
「昭和26年2月22日に行政書士法が公布されたことにちなみ、2月22日を「行政書士記念日」と定め、行政書士の自覚と誇りを促すとともに、組織の結束と行政書士制度の普及を図っています。」

2月23日 天皇誕生日