確定申告に行く②2024年03月15日

 15日自宅PCで決算書を改めてプリントアウトした。申告書と揃えて再び中税務署に行く。今度は無難に受理された。そして受付印の押印は来年以降は無くなる旨通告された。おそらくスマホからの電子申告に誘導するつもりと思う。電子申告だと添付書類が要らないという。
 郵送は郵送料が掛かる。但しスマホもタダではない。プロバイダー料が掛かっている。インターネット環境の維持には結構高く付いているのである。
 さて来年はどうするか。思案のしどころである。

確定申告に行く①2024年03月14日

 午前中に中税務署に申告書を持って行った。12人待ちだった。点検をしてもらったが決算書の添付を忘れて出直しとなった。自宅に戻ってPCの確定申告書作成コーナーに保存データから順に見直すと最後の印刷のボタンを何度クリックしても保存に向かうらしい。一旦終了して直感的に保存場所のファイルをクリックして印刷することができた。しかし、印刷物は申告書と決算書に分かれている。昨年までは印刷をクリックすると一連の印刷が終わったのである。したがって、決算書のファイルをクリックして印刷しなければならないと分かった。

確定申告書作成終了2024年03月13日

 3/12は深夜まで頑張ったところで株式の入力コーナーで行き詰まった。今朝は早めに事務所に出て行ってR4年の控えを探したが見つからない。領収書、帳簿はあるのに申告書の控えがないのはどこかにしまい込んでしまった可能性がある。
 結果、探すのは諦めて、一昨年の控えにある数字を入力した。R3年R4年とも株式売買を休んでいるので損も益もない。R3年の控えにあるR2年の損失の繰り越しだを入力したら先へ進んでくれた。
 R5年で利益があれば相殺できるのだが無いからくたびれもうけになった。総納税者が利用するシステムも正直すぎて融通が利かない。気が利かないというか。所詮は機械である。
 その後も詰まりながら入力して最後にやっと印刷できた。国では電子申告に誘発したがっている。しかし、スマホでもその環境の維持には多額の経費を使っている。こけるとシステムを利用できないからやっぱり紙で申告が安定している。若干の還付金が出た。来年は納税するだけの売上を上げたい。

ようやく確定申告へ2024年03月09日

 2023年度の会計ソフトの数字の最終的な点検を終えて会計帳簿をプリントアウトできた。後は国税庁の確定申告コーナーから入力して申告書を作成し税務署へ投函する。
 思えばいつも延び延びになる。期限が迫らないとやる気になれない。それは入力内容の点検が意外と時間を要するのである。思いがけないミスもいくつか発見する。何でこんな間違いがあったのか、見つかって良かったとの思いになる。
 今年は年初から体調が悪く特に2月はひどかった。老化もあるがコロナ明けで環境の変化が著しかったこともある。3月以降は再起動である。

研修:任意後見契約と死後委任契約2024年03月07日

 3月6日の午後2時から4時までびっしり私法部の研修に出席。会場はほぼ満席でした。コロナの間はWEBミーティングでも実施されていたが他のことで忙しく、すべて見送っていた。
 昨年までは所属の任意団体から法人化への支援でほぼ3年を要したが昨年10月に終わったし、相続も昨年12月に終えて少し心の余裕が生まれての出席である。
 講師の石﨑功二氏は検事正で退官後、葵町役場の人でまだ1年だそうです。名古屋大学法学部卒。ややハイスピードでしたがパワポで示されるので聞き逃しは無かった。
 任意後見契約もさることながら死後委任契約の方が難しい。画面にも赤字で注意ポイントを示された。要するに相続人との利害関係があることに留意する。当職の立場はビジネスであるが、一個人の人生の終活に関与するのだから信頼関係を築くことが重要である。

行政書士の日、竹島の日、猫の日2024年02月22日

 窓から見える猿投山は雲にすっぽり覆われて山体は見えない。今日も天気は芳しくない。昨日までのほわっとした温かさから今日は少し寒いので空関が連続的に出てくる。
 朝食は体を芯から暖めるために主食はチーズの乗ったピザと野菜スープにした。コンソメ、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーを油で炒めて水から茹でると出来上がり。後は納豆にネギ少々。ニンジンのスムージー、はちみつ、ヨーグルトを食べる。
 今日は行政書士の日という。愛知会全体で中日新聞の全紙の広告を出稿している。ところで2月はいろんな記念の日が多かった。マスコットには猫が使われている

2月3日 寒明け

2月4日 立春、節分の日

2月7日 北方領土の日

2月10日 松浦武四郎の期日
 「松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日(1818年3月12日) – 明治21年(1888年)2月10日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師、著述家、好古家。
 蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。 明治21年(1888年)、東京神田五軒町の自宅で脳溢血により死去した。 ゆかりの行事、記念事業 / 毎年2月最終日曜に、松浦武四郎記念館をメイン会場とした「武四郎まつり」が開催されている。
 2018年には北海道命名150年を記念した「北海道150年事業」が行われ、その一環として武四郎に関するイベントを各地で開催。また同年は松浦武四郎の生誕200年にも当たり、松阪市は平成30年(2018年)2月24日の開会式に始まり一連の記念事業を行った。

2月11日 建国記念の日

2月12日 菜の花忌、司馬遼太郎の期日
 「2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」です。司馬遼太郎は野に咲く花、とりわけタンポポや菜の花といった黄色い花が好きでした。『菜の花の沖』という長編小説があることにも由来します。

 記念館の書斎の前には、直径1メートルほどのヒューム管があります。司馬遼太郎はここに菜の花を植え、春の開花を楽しみにしていました。このあたりは、小さいながら雑木林風の庭になっていて、今も同じようにボランティアの皆さんが菜の花を植え、来館者をお迎えしています。

 また、この日の前後には、1997年以来、毎年、東京と大阪交互にシンポジウムや講演会を開いています。会場に全国から贈られる菜の花約3500本が飾られ、終了後、入場者にお配りするのが恒例になりました。記念館やその周辺の道路にも菜の花が飾られ、この日の来館者にプレゼントしています。」

2月14日 バレンタインデー

2月18日 梅花忌、根津一の忌日、霞山

2月22日 行政書士の日
「昭和26年2月22日に行政書士法が公布されたことにちなみ、2月22日を「行政書士記念日」と定め、行政書士の自覚と誇りを促すとともに、組織の結束と行政書士制度の普及を図っています。」

2月23日 天皇誕生日

小便の色は正常に戻る2024年02月08日

 今朝一番で泌尿器科へ走ろうと思っていたが早朝には正常な色に戻っていたのでほっとした。なんだったんだろう。
 夜は久々にスーパーに行って、白菜の漬物や滅多に口にしない梅干し、果物、野菜等を買い込んだ。忙しいと肉類などに傾きがちで酸性体質になっているのだろう。少しはアルカリ質の食品でバランスを取りたい。
 相続人にはレターパック520で確定申告に必要な売買契約書などを送付した。少しづつ肩の荷が下りる感じがする。

公益法人のガバナンスと危機2024年02月06日

 山岳会の上部団体が財政危機と報告された。昨年末に初めて公表されたがここにきて詳細が明らかになってきた。一体何があったのだろうか。
 『失敗の本質』は日本軍の敗戦に至る原因を失敗と見立てて原因を究明した書籍でベストセラー且つロングセラーになっている。 本書では6つに要約された。
ソース:https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6997
『失敗の本質』の
ポイント1:6つの失敗から学ぶ日本軍の特徴
日本軍は、全体として戦いの
①目的が不明瞭でした。各作戦において、行き当たりばったりに戦闘したり、目的が二重性を持つ(2つの戦略目的を持つ)ことになってしまったりと曖昧な目的だったため、統一性のない戦闘がおこなわれてしまったのです。

一方の米軍は、仲間内で議論を重ねて検討を進めた後に、目的をはっきりさせて動いていました。

ポイント2:異端・偶然を排除した結果の硬直化
日本軍には、「異端や偶然を排除する」という性格がありました。
②すべて人を同じ方向へ向かせ、異なるものは刑罰を与えたり排除する。当時の日本が「戦争一色」だったことを考えると、確かに、とうなずいてしまえる特徴です。

しかし「異端や偶然」は、自分たちの方向性を見直すためのものでもあります。自分たちの向いているもの、目的が果たして正常なものなのか。それを考えるきっかけが「異端と偶然」です。

しかし、日本軍はそれを徹底的に排除してしまっていたために、盲目的に組織が目指す目的を疑わずに行動してしまっていました。これは、組織の方向性の修正だけでなく、新しい考えも生まれない、つまり組織のイノベーションが起きないといった問題をも生み出してしまう考え方なのです。

ポイント3:環境の変化に適応できるかが勝敗を分ける!
日本軍と米軍は、環境の変化に対応したかどうかでも、違いが表れます。

③日本は初期の成功体験を信じ続け、また上層部の硬直した考え方で、戦略らしい戦略をとらず、戦術を重視した戦法を取り続けました。その結果、ガダルカナルの戦いで戦力を大幅に喪失した日本軍は、その後は負け続けてしまいます。

一方米軍はというと、日本軍の戦法を常に研究し続け、学習し、それを加味した対策・作戦で日本軍を圧倒していきました。新しい戦法を生み出し、トライ&エラーを続ける彼らの変化に、日本軍はついていけません。

日露戦争で勝利を収め、近代国家の仲間入りを果たした日本は、当時の勝利をひきずっていたのです。「白兵銃剣主義」「艦隊決戦主義」を過信し、新たな武器や兵器、戦闘機の発達に遅れをとりました。実際にこの戦争の決戦では、必ずしも白兵戦や艦隊戦が重要ではなかったのです。

日本軍は航空機や燃料の発達により、壊滅的な被害を受けました。空軍より海軍を重要視したため、米軍に遅れを取ったのです。

このように、日々進化していく科学技術や、相手の戦略に柔軟に対応することが、勝利の分かれ目となっていました。

ポイント4:成功体験にとらわれないイノベーションの重要性!
過去の成功体験にとらわれていては、イノベーションは起こりません。

先ほども説明したように、日本軍は日露戦争の勝利を、この戦争でも引きずっていました。また、最初の半年の勝利によって、それらの成功体験はやはり正しいのだと、過信を助長させてしまったといえるでしょう。

④そのため敵の戦力を過小評価し、一度失敗しても「過去に成功したのだから、運が悪かっただけだ」のように思ってしまうことが多かったのです。その間にも、米軍は日本軍の戦術を着々と研究し、自分たちの失敗も成功も改良し、次の戦いに備えていきました。

そもそも日本軍は、すでに模範解答が用意されており、それに向かっていく教育がなされていたのです。そのために、従来どおりの行動をし続けてしまうという弱さがありました。

過去に成功したからといって、それに甘んじているのではなく、相手が成長してくることも見据えての戦術や科学技術の開発、さらには組織としてのあり方を疑問視するようなイノベーションが起こらなかったというのも、日本軍の敗北要因のひとつでしょう。

ポイント5:学習スタイルの違いから学ぶ自己革新力の鍛え方!
では、成功体験を引きずらずにイノベーションを起こし続けるには、どうしたらいいのでしょうか?

⑤組織や自己が変わって進化し続けるには、自己革新力が必要です。これを身につけるには、まず「自己否定」をすることから始まります。そもそも成功にとらわれていては、自分を否定することはできませんよね。

本作では、日本軍と米軍の学習スタイルが異なることを例に挙げて説明しています。日本軍は「シングルループ」、米軍は「ダブルループ」といったスタイルです。

シングルループは、目標、問題構造が変わらないという認識を持ったうえで進める学習プロセスです。一方ダブルループは、学習の目標、問題そのものが本当に変わらないか?という疑問を持ったうえで、再びその問題を再定義したり、変更することもいとわない学習となります。

環境は、常に変わっていくもの。それを念頭において絶えず変化する現実、現状を見つつ、どんどんと見直していくスタイルが、ダブルループなのです。これだけの説明でも、米軍の学習スタイルが日本を上回っていたのだ、と理解できるのではないでしょうか。

人間活動でも自然活動でも、環境は常に変化していきます。特定のコト・モノに固執せず、柔軟に物事を考えなければ、自己革新はままなりません。どんなときもダブルループの考え方で取り組むことで、イノベーションは起こっていくのです。

ポイント6:現場を知らない指揮官の危険性!
⑥職場で、現場で営業している部下と上司の見方が食い違う。そんなこともあるのではないでしょうか。現実はこうなのに、上司はわかってくれない……そんな体験はありませんか?実はこの太平洋戦争のときも、そういった剥離が起こっていたのです。

先に説明した山本五十六は、新しい作戦を提案して実行するなど、確かに革新的な指揮官でした。しかし、個人の知識に頼ってしまった彼は、現場から帰還してきた部下と対話などせず、現場がどういうことになっているのかをあまり理解せずにいたのです。

それはつまり、結局は彼の頭の中だけでの計算にしかすぎないということ。そのなかでうまくいっても、実際に動く兵たちがどのように感じ、どのように行動し、また相手がどのように反応するかということを、報告を受けたうえでブラッシュアップするなどは、おこなわれませんでした。

上官が絶対だった日本的組織は、上官が現場を知らないにも関わらず、盲目的に上からの言葉を信じるのみだったのです。現場とそれが剥離している状況にも関わらず、です。

対話のままならない指揮官では、状況を好転させることは難しいといえるでしょう。

ポイント7:「空気」に左右される日本人気質の罠
今の日常でも、「空気を読む」という言葉は頻繁に使われますよね。旧日本軍も、そういった「空気」に左右されていたのです。

沖縄戦への戦艦大和出撃は、当初反対されていました。それは作戦を検討した際、大和が出撃しても意味がないという結論に至っていたからです。

しかし、それは参謀の一言で、出撃決定、とひっくり返されてしまいました。冷静に考えれば、兵員の犠牲や成功率などを重視しなければいけない場面であったにも関わらず。

なぜ、このような「空気」に左右されてしまうのでしょうか?

それは、まず1つ目にサンクコスト、つまり今までの犠牲を取り戻すために、さらに損害を重ねてしまうことが原因と考えられます。さらに説明すると、ずさんな計画を立てて多くの犠牲が出て、もう取り戻すのは不可能と思えても、それでも固執してしまうという状況です。

たとえば「次の台で出るかもしれない」とパチンコを続けてしまう考えと同じといえるでしょう。

さらに戦況が苦しく、打開する策が見つからない、何をしてもうまくいかないときは、現実を認められずにむきになってしまいます。冷静に考えることができなくなるのです。

そして、それは日本の「精神論」的な考えにもつながり、「やる気」「積極性」といった目に見えないもので評価される人事制度を助長したのです。

⑦上下関係が絶対だった日本軍では、部下の意見などを取り入れられることは、ほとんどありませんでした。そして上層部からの命令に、盲目的に従ってしまいます。

このような「空気」が日本軍を支配し、無謀ともいえる戦いに大きな犠牲を払ったのです。この「空気」は、現代社会にも少なからず存在するものといえるでしょう。

ポイント8:現代の日本とも共通する!?権威主義のリスク!
日本人的気質は、今も昔も共通しているのではないでしょうか。

目的が抽象化して具体案でないこと、何のための会議なのかわからないけれど上層部の判断に任せておこなわれること、人間関係や場の空気が尊重されること、結果よりも上司へのやる気の見せ方やプロセスなどが過剰に評価されること、声の大きい人の意見がとおってしまうこと……。

⑧現場との意思疎通が難しく、上層部が現実を見ず、過去のデータや成功体験に固執してしまい、変化に対応できないことなど、どこをとっても現代の組織の問題点にも通じます。

つまり、ここで書かれている失敗の本質は、「日本軍の組織的研究」でありながら、日本人の現代の組織の失敗の本質を説いているともいえるのではないでしょうか。

組織として上層部に権威を与え、そこを重要視していく日本的組織は、以前の日本軍のような失敗をする可能性をはらんでいるといえるのです。

・・・・・とてつもない巨額の赤字が出てから問題視される。予算統制が出来ていない。あるカネでしか執行できないはずが借金してまでやっている。どこかに無理がある。日本軍の敗戦と同様である。

民法研究会に出席2024年02月02日

 およそ三年ぶりに行政書士の同業で自主的な勉強会に出席。顔ぶれは半分は入れ替わっていた。わずか3年で知らない人が半分はいたわけである。
 テーマは『家族法』をテキストにして配偶者居住権であった。ほとんど最終章であった。私が欠席する前はこのテキストの半ば位であった。その間は任意の山岳団体の法人化と相続業務に追われていた。余りに多いので減らしたわけだ。法人化はボランティアであるがWEBミーティングはPCの前に座るのでさぼることができにくい。
 法人化は昨年10月に終わった。相続も12月末に成就して送金できた。多額の他人のカネをもって年を越したくなかった。
 明けて2024年は少しは肩の荷が下りたがまだ継続的な仕事はある。そろそろ再開である。

事務所の新聞紙整理2024年01月30日

 事務所に山積していた新聞紙をようやく片付けた。お金を出して買ったのだから目を通してから処分する。日付は1月4日以来だった。その間読んでいなかったわけだ。喫茶店では中日、朝日、毎日、週刊誌などを読んでいるが自宅での購読紙は読み切れないというぜいたくな悩みであった。