ジャンホギョさんのKポップを聴く2019年11月24日

ステージで歌う
 会場は長浜文化芸術劇場大ホール。シリアスな日韓の歴史イベント(朝鮮通信使)から一転して女性が続々入場してきた。Kポップというジャンルの音楽は初見。パントマイムに乗りの良い音楽で振り付けた気がした。
 韓国の歌手でジャンホギョさん。冬ソナの主題歌で歌い始める。日本に来て8年経過、岡山県で国内、アジアなどで活動中とか。ステージでは華奢に見えたが間近で見ると背が高く体は細い。ダンスで引き締まっているのだろう。声援に対して小さく手を振ってこたえる。ファンサービス旺盛。日本語も上手です。

「韓国から見た雨森芳洲」朝鮮通信使のイベントにて~長浜市2019年11月23日

朴 花珍教授の講演
 朴 花珍(パクファジン)教授の解説は文献に基づき、実証的です。さすがは学者です。日本語はやや韓国訛りがあるが十分通用するレベルです。学者は古文献に当たるために漢字の素養も必須です。韓国側の芳洲観は誠信が請けい入れられているのでしょう。特に批判的なことはありませんでした。

「親をたづねる子には親を、子をたづねる親には子をめぐりあわせ給え」長谷川 伸2019年10月09日

瞼の母ノート
http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/10/03/9160852

沓掛時次郎の歌詞の ♪浅間三筋♪とは
http://koyaban.asablo.jp/blog/2017/04/18/8492067

 新生御園座で長谷川伸の名作「瞼の母」を観劇してきた。第五十回記念 吉例顔見世」の一幕見席2000円を試みた。あらすじを知らない物語はパスして観たい名作のみを観劇する。
 19時に開幕。劇は筋書き通り進む。最高潮は水熊のおはまの居間で忠太郎と対面する場面。セリフがバトルする。

おはま「親子の名乗りがしたかったら、堅気の姿で訪ねて来い」

忠太郎「笑わしちゃいけないぜ、親にはぐれた小雀が、ぐれたを叱るは無理な話よ、愚痴じゃねえ、未練じゃねえ おかみさん 俺の言うことを良く聞きなせえ 尋ね尋ねた母親に倅と呼んでもらえぬような こんなやくざに誰がした」

忠太郎「何が、今更、忠太郎だえ 俺のおっかさんは、俺の心の底にいたんだ 上と下の瞼を合わせりゃ 会わねえ昔のやさしいお母の面影が浮かんでくらあ 逢いたくなったら 俺あ 瞼を閉じるんだ。」

忠太郎「逢わなけりゃ良かった 泣かずに済んだ これが浮世と言うものか」
 閉幕は20時40分頃。結構長かった。一幕見席は2階の最上段にあり見下ろす感じで、役者の表情までは感じ取れない。しかし、役者の動きはかえってよくわかる。私は舞台に向かって右端だったが、中央には白人のお客が団体で観劇を楽しんでいた。義理と人情、意地、忠と孝の世界が分かるのかなあ。
 隣の男客は歌舞伎通らしく、盛んに屋号で声援を送っていた。
 番場の忠太郎は中村獅童で屋号は「萬家~」
 水熊のお浜は片岡秀太郎で「「松嶋屋~」と。

参考:佐藤忠男『長谷川伸論』。渡辺保『歌舞伎手帳』

歌舞伎「瞼の母」ノート2019年10月03日

 新生御園座の吉例顔見世が昨日から始まった。是非に観劇したいのが「瞼の母」である。滋賀県の番場の宿跡も歩き文学碑も見てきた。ストーリーは大体掴んでいるが見るのと頭で考えるのとは違う。
 松竹の歌舞伎美人から転載
「一、瞼の母(まぶたのはは)
 江戸時代も末の頃。やくざの忠太郎が、弟分の半次郎の家を訪ねて来る。実は、忠太郎は半次郎と共に、親分殺害の仕返しのため飯岡の助五郎を襲ったが失敗、今は追われる身。半次郎と一緒に逃げようとするが、対応に出た半次郎の母おむらと妹のおぬいは、半次郎を心配し、半次郎はいないと言い張る。半次郎のことを必死で守ろうとする母おむらの姿を見た忠太郎は、半次郎に堅気になるように言い残す。というのも、幼い時に母と生き別れ、その後、父とも死別し、生涯孤独の身の上ゆえ母への強い思慕の念を抱いているからであった。
 そこへ半次郎を追った飯岡の子分が現れるので、忠太郎はこれを斬り捨てる。そして、文字が書けない忠太郎は、おむらに手をとってもらい、この人たちを斬ったのは番場の忠太郎だと書き残すと、母を探しに江戸へ向かう。
 それから一年半後。江戸で母を捜し続ける忠太郎は、助けた夜鷹から母の手がかりを聞きだし、水熊の女将おはまの許を訪ねる。その身の上話を聞いたおはまは、忠太郎が自分の息子であることを確信する。しかし、今ではお登世という娘もいるおはまは、忠太郎に冷たく応対する。離れていると親子の情もなくなってしまうと感じた忠太郎は、悲しみの内に立ち去る。しかし、その姿を見て兄と気づいたお登世がおはまを説得して、ふたりは後を追いかける。荒川堤で忠太郎の名を呼び続ける母と妹。だが、忠太郎は物陰に隠れ、そのまま旅立って行くのであった。」
 ある人の観劇記も参考にアップ。
https://news.livedoor.com/article/detail/14007532/

小屋番の山日記から
http://koyaban.asablo.jp/blog/2015/03/22/7596135
美濃・近江の史跡を訪ねて

司馬遼太郎『北のまほろば―街道をゆく〈41〉』読了2019年06月22日

目次だけを見てもボリュームたっぷりだった。読みこなすのは大変なことだった。

古代の豊かさ
陸奥の名のさまざま
津軽衆と南部衆
津軽の作家たち
石坂の“洋サン”
弘前城
雪の本丸
半日高堂ノ話
人としての名山
満ちあふれる部屋
木造駅の怪奇
カルコの話
鰺ケ沢
十三湖
湖畔のしじみ汁
金木町見聞記
岩木山と富士山
翡翠の好み
劇的なコメ
田村麻呂の絵灯篭
二つの雪
山上の赤トンボ
志功華厳譜
棟方志功の「柵」
移ってきた会津藩
会津が来た話
祭りとえびすめ
鉄が錦になる話
恐山近辺
三人の殿輩
蟹田の蟹
義経渡海
龍飛岬
リンゴの涙
以上
・・・約400ページに圧縮され、非常に多彩なテーマを織り交ぜながら、青森県の歴史と文化を楽しませる。
 ことに興味深いのは愛知県豊橋市出身の菅江真澄の話が縦横に語られること。真澄の見聞が契機となって古代史に光が当たる。真澄の旅は物見遊山ではなく、国学で学んだこと、すなわち日本のことをもっと知りたい、日本人は何者だったのか、という学問的欲求だったと思われる。
 山のこともちょっぴりだが入っている。岩木山、八甲田山をベースにした文学の盛んなことも指摘。風土色の強い芸能も盛んである。
 青森県の歴史は津軽と南部の重層性が特殊である。津軽は南部から分かれた。津軽為信の野心が南部からの独立させた。弘前城の規模は徳川家康の許容範囲を超えたものらしい。それは関ケ原の戦いに際しての津軽為信の政治性の巧みを描く。
 その上に近代以降の会津藩の多層性もある。青森県の歴史と文化は一筋縄では解読できない複雑さがある。
 個人的な興味は三重県の北畠家が青森へ移ったことで、児童文学者・北畠八穂が生まれ、近代文学に華を添えた。
 この紀行自体は太宰治の『津軽』を下敷きにしている。太宰の視点で津軽の理解に努めた風だ。
 リンゴの涙の章の最後に小学生の詩を引いた。「リンゴの涙」と「でかせぎ」。「津軽や南部の言葉を聞いていると、そのまま詩だと思うことがある。」と。「この小さな津軽詩人の詩を借りて「北のまほろば」を終える。」と締めくくった。
 演歌歌手・吉幾三の「津軽平野」は1984年のリリース。歌詞にでかせぎ、岩木山が出てくる。美空ひばりの「津軽のふるさと」「りんご追分」など数々の名曲にはりんご、岩木山が出てくる。
 青森県自体が詩の国なのである。

 初出誌は1994年5月22日~1995年2月24日号の週刊朝日に連載された。

 この中の「湖畔のシジミ汁」には名古屋市の出身で、城郭考古学を専門とする奈良大学教授の千田 嘉博氏の学説も引用されている。名古屋城の解体、木造化で揺れている昨今、千田氏の言動に注目が集まる。上物の更新だけに傾倒した行政の前のめりの姿勢を批判し、石垣の保全に目を向けさせる。

「三内丸山遺跡センター」が6日オープン2019年04月05日

ソース:http://www.mutusinpou.co.jp/news/2019/04/54995.html

 青森市の国特別史跡・三内丸山遺跡と隣接する縄文時遊館が6日、教育機関「三内丸山遺跡センター」としてオープンする。これに先立って4日、記念式典と関係者向けの内覧会が開かれ、三村申吾知事は「縄文ここにありということを世界に発信できる拠点が完成した。縄文の持つ深み、広さ、素晴らしい価値観を感じてもらいたい」と語り、今後の活用に期待を寄せた。
 同遺跡と縄文時遊館は同遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を見据え遺跡の積極的な保存活用の取り組みを進めるために教育機関とすることとし、観覧料を徴収する。
 オープンを記念し、6日には記念講演会を開催するほか、企画展示室では6日から6月9日までオープン記念特別展「縄文の色―縄文人が見せられた魔法の石・黒曜石―」を開催。縄文時代の交易品の代表とされる黒曜石などの出土品約110点を展示し、魅力を知ってもらう狙いだ。

ソース:青森 NEWS WEB
三内丸山遺跡 展示施設を整備
https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20190404/6080004350.html

 青森市の三内丸山遺跡で、6日新たな展示施設が整備されてリニューアルオープンするのを前に、4日、記念の式典が開かれました。

 三内丸山遺跡は、国の重要文化財に指定されている貴重な土器や石器を展示する施設を整備し、この春「三内丸山遺跡センター」として新たにスタートします。
 4日は、青森県の三村知事や県教育委員会の関係者などおよそ40人が出席して記念の式典が開かれ、地元の小中学生と一緒にテープカットを行い6日のオープンを一足早く祝いました。
 このあと、出席者は黒曜石をテーマにした特別展を見学し、北海道の遺跡で出土した黒曜石の矢じりなどを眺めて縄文人の暮らしぶりに思いをはせていました。
 三内丸山遺跡は、これまで入場が無料でしたが、施設の維持管理や遺跡の保存費用を工面するため今月から有料となります。
三内丸山遺跡センターの佐藤英紀所長は「有料化したから入館者が減ったと言われないよう、魅力ある施設づくりやサービスの向上に努めていきたい」と話していました。

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・・・・縄文文化がブームになる。
 愛知県清須市の朝日遺跡も来年は公園化されて再オープンする。こちらは弥生遺跡だが。設楽町のダム工事現場の流域でも縄文遺跡が発掘された。新設楽発見伝を見学に行ったばかりだった。現在は弥冨市の愛知県埋蔵文化財調査センターでイベント開催中である。

 皇紀2679年とも2800年ともいわれるが、朝日遺跡は2400年前なのですっぽりかぶることになる。この時代に日本人が生まれ、日本語が考案されて、日本という国家が誕生した。
 しかし、弥生人が縄文人を征服したということではない。縄文人が弥生人の先進的な知識や技術を受け入れながら、弥生人が同化していったのだろうと考えられている。
 愛知県から北の木曽山脈、飛騨山脈を境に、東日本は縄文文化が色濃く残った。西日本は谷、東日本は沢にほぼ分かれる。言葉も縄文語が基礎になっているとみられる。

 さて青森県の三内丸山遺跡が世界に知られることになった。令和元年にふさわしい。
 東日本は詩歌が発達している。日本語の書き言葉が考案されるまでは人々は歌謡といって同じことばを繰り返して、リフレインで記憶に努めた。口承文芸である。それはアイヌ文学の骨格でもある。
 梅原猛は東北に詩人が多いことを挙げた。石川啄木、宮沢賢治、太宰治、奥の細道、遠野物語の舞台にもなった。奥の細道は俳句文学の古典になった。遠野物語は詩人だった柳田国男が文語体で書いたから名もなき山人の叙事詩に思う。東北には縄文文学の基層がある。
 演歌でも東北、北海道はヒット曲が多い。演歌歌手は全国規模で広がりがあるが、歌詞は東北から北が好まれている。東北の民謡は本場でありあまたある。民謡もまたリフレインの縄文文化が基盤であろう。
 例えば、「津軽海峡冬景色」の作詞家の阿久悠は兵庫県淡路島出身だし、歌手の石川さゆりは熊本県であるから西日本の文化なのになぜか東北の人かと思ってしまう。縄文人は日本列島全域に亘って広く分布していただろう。弥生人の渡来で西日本が変質したのだ。
 弥生文化の影響の少なかった東北はその分縄文文化が残ったのだろう。三内丸山遺跡はその証拠である。
 江戸時代末期、豊橋市出身の菅江真澄が28歳で故郷を後にして東北の旅に出たのは、縄文文化の調査だったのではないか。物見遊山ではなく、学問的な好奇心だったといわれる。秋田市に住まい、青森、岩手に旅している。故郷に還らず、角館に没した。

富山県・南保富士を歩く2019年03月21日

 今年は岐阜県や長野県でも雪が少ない。それでTutomu hirakiさんの記事を見て白鳥山を計画した。
 3/19の夜、愛知岳連の理事会終了後、Wさん宅に車をデポし、10時発で20日の夜2時過ぎに入善町の園家山キャンプ場のPで仮泊。3時間の仮眠後6時に出発。
 園家山は標高17mの1等三角点のある山。これで3回目の訪問か。海の近くでも真水が湧水するので砂丘のような雰囲気のところに設けられたキャンプ場である。
 3/20、R8に出て、コンビニで乾電池などを購入したり、給油したりしながら新潟県境を越える。境川に沿って山奥に走る。山姥の里という。新潟県糸魚川市上路には7時30分ごろに着いた。車道の未除雪地点に1台あった。
 閑散とした上路には雪が道の脇に残る。車道の奥は除雪されていなかった。そこが終点になる。入り口を探すためにまた戻る。里人が1人だけ居られたので聞くと今年はやはり雪が少ないので藪が出てるよとのこと。それでも気持ちを奮い立たせて8時に出発。
 教えられた小脇谷と榀谷の間の林道の廃道を歩き終点から尾根にとりつく。標高300m付近まで登ったものの灌木の茂る藪尾根に断念。スキー板を抱えての登山は無理と9時に撤退。
 下山後は南保富士に転戦した。山頂は簡易トイレが埋まるほどの積雪にびっくりする。南保富士の山頂からの眺めは抜群で、白鳥山、犬ヶ岳、朝日岳、白馬方面まで見えた。すぐ近くの仁王山、黒菱山、初雪山、犬ヶ岳と山スキー向きの緩やかな雪稜が続いている。また剣岳、毛勝三山、僧ヶ岳の眺めも非凡。
 日本海は眼下に見え、入善町の扇状地も素晴らしい。沖には黒い巨船が北に向かって航海中だ。ふと歌謡曲の歌詞が浮かんだ。♪船を見つめていたあ、・・・上海帰りのリルリル♪と断片的ながら。歌手は入善町出身の津村謙のヒット曲。大いに山頂滞在を楽しんだ。
 往路を下山と思ったが、出会った地元の登山者から今年の干支の猪山490m経由を勧められたので540mのコブから北の尾根へ分かれる。道とはいえ、フィックスロープのあるやせ尾根で急降下、急登を繰り返す難路だった。七重滝の上ではカモシカに会った。滝への分岐から西山用水路跡の水平路を歩くがここも残雪でのり面が埋まりキックステップを余儀なくされて緊張した。
 無事に登山口に戻り、宇奈月町のバーデン明日(あけび)で一風呂浴びた。入善町のスーパーで夕食を調達、地下からの湧水を一杯汲んで園家山キャンプ場でテント泊。
 21日午前4時ごろから予報通り降雨。登山は止めて、入善町から魚津にかけてドライブ中、僧ヶ岳が立派に見える。魚津市の埋没林博物館と水族館、米騒動発祥の地を見学後は帰名。好展望の南保富士に登れたことで良しとした。

島津亜矢唄う「時代」2019年01月01日

本年もどうぞよろしくお願いいたします
皆様にとって今年が素敵な一年となりますよう
お祈りいたします

中島みゆき「時代」を島津亜矢が唄う。
ソース:https://www.youtube.com/watch?v=YA40ZYNFWdM
12/31のアップ前は38000件、アップ時は44448件だったが、あっという間に45000件を超えた。1/1の10時過ぎには53400件を越えていた。
御世代わりもあり、選曲が良かった。
亜矢の歌のうまさがあいまって人気化した。
この分では10万件突破は時間の問題である。

追記 1/15の朝、125,804件に急増している。

2018年の紅白でも大好評
http://news.livedoor.com/article/detail/15816651/

2018年のレコード大賞曲も高評価
https://www.youtube.com/watch?v=QRucIY-AmaE

この「山河」も島津亜矢が歌うとスケールが一回り大きくなった気がする。五木ひろしのオリジナルも良いのだが、コブシを利かせない島津の歌い方が素直に思える。
https://www.youtube.com/watch?v=wWVyGQ-QLYg

一方で、新たな新人候補もいる
現在は名古屋市の小学校に通う11歳だが天才少女歌手と言われる東亜樹ちゃんだ。
かつての島津亜矢も九州地区の素人のど自慢大会でトップだったとか。当時の亜矢ちゃんも今の亜樹ちゃんのように天才といわれたという。そして13歳で上京して星野哲郎門下に入る。実力NO1に大成。
亜樹ちゃんもがんばって欲しいね。
「時代」をお聞きしましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=TQXty4a_whk

天才的な少女歌手・東 亜樹ちゃんの歌を聴く2018年08月07日

 偶然ですが、久々にユーチューブの歌を聴こうとして検索中に東 亜樹なる少女の歌を聴いた。
https://www.youtube.com/watch?v=B9_yz-E_Ycc
 聴いた歌は有名な「お月さんこんばんわ」でした。こんな難しい歌を楽々と歌いこなしており、本来の目的を忘れて他の歌にも飛んで聴くうちにファンになってしまった。美空ひばりの「裏町酒場」もうまい。次々とネットサーフィンしたら午前様になった。
 きっかけは島津亜矢の「裏町酒場」だったように思う。右の次の動画の中に亜樹ちゃんの動画が待っていた。
 まず島津亜矢を聴く。
 https://www.youtube.com/watch?v=4qUN3IRbdAI
 この唄いぶりで、島津亜矢のファンになったのは2010年秋のことだった。翌年3月に御園座に来ると分かって生で聴いてはまった。島津さんも小学生時代からふるさとの九州ののど自慢大会で受賞を勝ち取り13歳でプロになった。
 続いて東亜樹ちゃんの歌
https://www.youtube.com/watch?v=871wYUu3cjQ
 素人の歌という気がしない。高名な作曲家に弟子入りしてこんな唄い方を覚えたんでしょうか。
 あちこちからひっぱりだこになっているらしい。しかも外国からの招待もあるという。韓国語、中国語、ロシア語などでも唄うから世界の歌姫になる可能性を秘めている。自分でもそう語るから空恐ろしい。
https://www.youtube.com/watch?v=oNGZ4jHLdRs
こんな「長良川艶歌」を聴いたら五木ひろしもにっこりだろう。首を振りながら熱唱する姿も島津亜矢に似ている。よく声が出ている証拠である。
 しかも名古屋市瑞穂区に在住という。福岡県博多市出身だから島津亜矢の再来かと思う。名前も1字同じだ。どんな歌手になるのか楽しみなことである。ライブに行きたいな。

梅雨の夜のジャズSAYAはげに熱唱す2018年06月23日

 夏山フェスタを辞して、丸の内の事務所へ移動。山岳会の会報を仕上げて送信した。
 少し休んで、徒歩で、名古屋有数の歓楽街の女子大小路に出向く。行く先はLive DOXY(ドキシー) - 名古屋栄の着席型ライブハウス。何日か前に偵察したが中々見つからなかった。地下にあったからだ。お陰で周辺を歩き回る結果になった。有名な宗次ホールもこの一角にあると知った。永井荷風が出てくるような陋巷(ろうこう)のような雰囲気が漂う。特に焼き鳥や焼き肉の臭いが充満する。

   市中はもののにおいや夏の月  凡兆

 目的は来名するSAYAのライブを聞くため。
 ジャズシンガーのSAYAはこんな人
http://www.1002.co.jp/aquarellerecords/saya/saya/biography.html

公式fb
https://www.facebook.com/saya.ohgi

 チャンネル桜のキャスターを務める。動画の最後の方で流される仙閣諸島の歌が美声であり、高音域が透き通るので一度は生で聞きたいと名古屋のDOXYで行われるライブに行った。
【守るぞ尖閣】尖閣諸島防人の歌
https://www.youtube.com/watch?v=AGjTvEj2tao&index=3&list=PLD6842BA2C2707BD6

 19時開演。すらりとしたスレンダーな肢体、中々の知的美人の熱唱に魅了された。それに期待にたがわず透き通るような美声で熱唱。ライブはどんな歌手であっても感動する。未体験だったがジャズってあんなにも熱唱するものなのか、と感動した。唄われた曲の半分くらいは少しは耳に馴染みがあった。
 ざっとメモった。どこかでいつか聞いたこともあるが、ジャズにアレンジされている。
○ニューヨークニューヨーク
https://www.youtube.com/watch?v=SAglWNyga98
○シェブールの雨傘
https://www.youtube.com/watch?v=SXysK0kwkQk
○ "Skindo-le-le"(スキンレレと聞こえたが・・・)
https://www.youtube.com/watch?v=AR_z1Q-9Xd4
○Let's Wait A While或いはオリジナルの「Wait A While(その日を信じて)」か
https://www.youtube.com/watch?v=PWR489Cqb2o

 暗がりの中でペンを走らせたので筆跡不明瞭。ライブは一期一会の出会い。アンコールの要望にこたえた歌唱も圧巻の内に終わった。SAYAは本物だなあ。というわけでサイン入りCDも購入しました。

 今日の新聞に金子兜太さんのお別れ会の記事があった。800人が献花したという。氏の俳句に確か、ジャズの句があったとググると

    どれも口美し晩夏のジヤズ一団  兜太

がヒットした。兜太らしいですね。

 梅雨の鬱陶しさをふっ飛ばしてくれたSAYAの熱唱ライブでした。ドリンクは焼酎の水割りとおつまみに入場料で6350円でした。

    焼酎に酔うSAYAの歌声に酔う