能郷の猿楽を鑑賞2025年04月13日

撤饌
 先週に能郷の手前の倉見山へ登った際、来週の13日の日曜日は能狂言の奉納の日だな、また行ってみようと急に思い立った。
 前は2014年4月13日に初見だった。この時は天気が良くて多くの来場者があり、地べたに座って鑑賞した記憶がある。
https://koyaban.asablo.jp/blog/2014/04/13/7274185
 今日は朝から雨の予報だった。能郷白山神社の能狂言の奉納は毎年4月13日と決まっているので雨天決行です。能狂言保存会の人らも半年前から仕事が終わった後、一定の場所に集まって練習をして来たわけです。所作、セリフ、間合いに乱れがあっては芸にならないので真摯に練習されてきたと思います。
 予定の7時半には出発できず8時半になってしまった。名古屋高速から名神・一宮ICを経由して東海北陸道から美濃関JCTから東海環状の山県ICで降りた。地方道を走って金坂峠を越えると金原である。ここからはR157を一本道になる。雨のせいか、根尾川も濁流と化した。薄墨桜の公園付近も車は少ない。
 出発して約2時間後の10時30分過ぎに白山神社に到着。高速道路をフルに利用して片道95km。地道だけなら3時間だが、そんなに急ぐことも無かった。開演までの待つ時間も実は面白い。
 関係者らが集まって準備中だった。指定のPに案内してもらって簡単な服装で神社に戻る。10時から予定の神事はすでに終わっていたのでカッパを着て本殿に参拝。非常階段みたいな急な石段を登って参拝を済ませる。また車に戻って羽毛ジャケット、雨合羽上下、登山靴姿で戻った。
 開演前に神社脇の受付に係りが着席したので金五千円を寄進。お返しに小さな羊羹をくれた。これには「撤饌」と印刷されている。撤饌とは本来ならお米、清酒、お餅などの神饌(供物)に対するお下がりの意味。神社の方から手渡される際の箱に『撤饌(てっせん)』と書かれてある。神様にお供えされたものを食べる=神様の力を体の中に取り込むということになります。神社から、神様から分けていただいたありがたいお下がりです。美味しく食べることにします。前は落雁という粉菓子でしたが今回は井村屋の羊羹でした。
 12時前後、根尾谷最奥の村となった能郷付近にコンビニや飲食店はないので予め用意したパンとミルク、バナナを車内で昼食は済ませた。
本当は屋台でも出ると良いのだが。
 開演13時が近づくと、参加者らのクルマが続々着いた。Pには岐阜ナンバーに交じって神戸ナンバーもあったからファンがいるのだろう。参加者は120人と中日新聞は伝える。
 定刻通り上演される。
1.能:式三番(露払い・翁・三番叟)

2.狂言:丹波淡路

3.能:高砂

4.狂言:宝槌

5.能:田村

6.狂言:鐘引き

7.能:羅生門
以上の演技を順次鑑賞。やっぱり能は厳かであり、狂言は諧謔的な面があって違いを楽しんだ。特に能は後半になるに従い動きが派手になり、衣装も彩色されて華麗な雰囲気がある。
 書いている途中で白洲正子の『かくれ里』や『お能/老木の花』『世阿弥』などを手にしてみた。しかし、能郷の能は芸として確立させる前の素朴な形式なんだそうです。そのままに味わう方が良いようです。世阿弥の能はまた機会があれば鑑賞してみたい。
 約2時間たっぷり中世以前の古式ゆたかな世界に浸った。
 目の前は依然として大雨である。世俗の垢を洗い落とせたんではないか。一斉に能郷を後にして帰る車が列をなした。その中に私もまじって帰名した。冷えた体を温めに一週間ぶりに根尾川谷汲温泉に立ち寄り入湯した。R157を南進、R21に左折し忘れたのでそのまま南進し、安八スマートICから名神に入った。大降りであった。

姪の家でSちゃんと遊ぶ2025年01月02日

 名古屋市郊外にあるGさん宅に遊びに行った。昨年末実弟が娘(姪)の家に遊びに行くので来ないか、と誘われた。Sちゃんとは夏と秋にハイキングに行ったこともあり、二つ返事で承諾。
 自然薯を手土産に渡す。Sちゃんにはわずかながらでもお年玉を渡した。幼児でも専用の口座を作ってあるので入金するんだそうだ。
 話題になったのは関西に居る従姉妹のことだった。肢体不自由児で生まれて中年になった今もリハビリが欠かせない。一時は川遊びもやれていたのに何もしなくなると筋肉の硬直があるのだろう。
 それで2月に関西へ用事でいくので1日時間を作って見舞いがてら久々に会いに行くこととした。
 Sちゃんには富士山の歌を教えて一緒に歌ってもらった。口パクで終わったがまた教えてあげよう。

作詞=厳谷小波 (文部省唱歌)

1 あたまを雲(くも)の 上に出し
四方(しほう)の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士(ふじ)は 日本一の山
 
2 青空(あおぞら)高く そびえたち
からだに雪の 着物(きもの)着て
かすみのすそを 遠くひく
富士は 日本一の山 

次のハイキングも3月にシデコブシの開花に合わせていくことにした。

松山千春の歌2024年10月07日

 フェイスブックのタイムラインに流れていた松山千春の歌が上手いので何度も再生した。北島三郎と共演であるが北島も天才的な上手さがある。どちらも天才なのであろう。
 北海道は名歌手を産む土壌がある。

 https://www.youtube.com/watch?v=ONqWld_eYt0

 これをクルマのカーオーディオで再生したいと設定に取り組んで何とか設定できた。
 
 北島三郎の「恋」も聞きごたえがある。

 https://www.tiktok.com/@koji_nagoya/video/7125748008272137473?lang=ja-JP

Bluetoothを繋ぐ2024年10月01日

 パソコンでBluetoothのつなぎ方を検索。その通りにしてみたがさっぱり分からない。あれこれいじるうちにどっちかと言えば、スマホの方の設定を優先することが分かって来た。その上で、車に備え付けのカーオーディオの設定をいじるうちになんとなく繋がってしまった。
 松山千春の動画を再生してみたらクルマのスピーカーから音楽が再生されて聞こえてきた。おや、成功だ。感動ものである。但し、短時間で広告が入るので、途中で切れる。自動的に再生されず、運転中はスキップの操作ができないので高速運転中はやはりCDにした方が安全だろう。

郡上の東殿山と白山2に登る2023年04月23日

 今日も郡上の里山詣でに行く。振り返ると
2/26 上洲河の岳山773m
3/11 厚曽から黒岳795m 
4/14 西乙原の藤巻山733m
の3座になる。
 今日は藤巻山を調べていて知った東殿山と白山2である。白山2は点名である。奥三河にも鷹ノ巣山は段戸山1、寒狭山は段戸山2とあった。加賀の白山の御前峰は白山、白山1は不明、そして郡上の618mの里山に白山2が与えられている。その秘密は如何に。
           郡上八幡へ
 朝5時過ぎに出た。小牧東ICまでは高速で行く。近くの植田ICから一宮IC経由郡上ICまで利用すると3320円。名古屋ICからだと2140円。名古屋市内だけでも1210円。市内の通過がものすごく高い。ところが名古屋ICから小牧東」IC間は600円と安い。R41、美濃加茂からは岐阜県の県道63号線と286号線をつなぐと美濃市のR156へポンと出た。郡上八幡へは7時過ぎに到着。7時30分には出発できた。早起きは三文の徳である。
 Pはどこにするか検討したが市役所周辺の愛宕公園が平日は無料ながら休日は有料になる。どうせ半日程度なので郡上八幡の街歩きも楽しみに入れて城山公園駐車場に停めた。
         東殿山へ登る
 街歩きは約10分で愛宕神社に着いた。減税を求めて一揆を起こし打ち首獄門晒しの罪を負わされた宝暦義民碑を見学した。登山道は境内の奥から凝木を並べて遊歩道のように整備されていた。これは歩きにくい。赤谷山城跡の案内のあるところで一区切り。
 標高410m付近から登山道が立ち始めた。フィックスロープまでセットされている。足元の道には常緑針葉樹の落葉が乗っている。晩春から初夏にかけては常緑樹針葉樹(マツ、スギなど)の落葉の時期である。落ちているのは五葉松だろうか。新しい落葉は油分を含むので滑落に留意しながら登った。
 赤谷山城跡の三番目で頂点になり、そのまま先へ行くのかと思ったら青いロープで「元の道に戻れ」とあった。さては分岐のところで指導標が倒れていたので起こすと先へ道が続いている。桟橋もある。
 巻き終わって鞍部に登ってみると赤谷山は自然の要塞のような岩壁になっていた。地形図には表現されていない岩壁である。これではそのままでは下降できないからう回路を作ったのであろう。ここからも東殿山を巻く道があったが通行止めになっている。
 山頂へは左に寄り乍ら東のコブに到達後578mに行く。展望は若干大日ヶ岳と郡上八幡城が見えるだけ。しかし寒いのですぐ後にした。すると展望台が斜面に張り出してあった。そこからは郡上八幡の街並みを俯瞰できる。この眺めは良い。大日ヶ岳から左へ願教寺山、薙刀山、野伏ヶ岳が見える。
 尾根に沿って下山を開始した。470m付近から左へ振った。ジグザグに下ると石垣のある谷底に着いた。これはむかし安久田の人らの畑があった名残りだった。見落としたが谷沿いの破線路もまだ遺っているらしい。
 後は乙姫谷に沿いながら林道跡のように広い山道を歩く。堰堤があり、周囲にはヒメシャガが咲いていた。乙姫滝を眺めたが地味で規模も小さいのが惜しい。地元の人が散策に来ていた。むかしはもっと水量も多かったという。また夏はヤマビルが多いとも言われた。話終えると墓地のある谷口に着いた。
 路地裏の道を歩きながら往きとは違う橋を渡り、城への近道を登って城山公園Pに着いた。
 まだ12時前である。車でバローの店に行きお茶と昼食を買った。愛宕神社の参詣者用のPに行くと東屋があるので昼食を食べた。
        安久田から白山2へ
 愛宕神社から白山2に行く前に東殿山の山容を撮影するために郡上IC料金所の隣にある墓地へ行った。そこからはマッターホルンのような鋭鋒だった。地形図から受けるイメージより登ってみると険路の連続だった理由が分かった。
 その後R156を南行すると郡上八幡駅南の交差点から新緑の素晴らしい山が見えた。これから行く白山2である。北向きの斜面のほとんどが落葉樹の新緑でまぶしい。安久田へ左折。外れにある広場に車を停めて歩く。スマホのGPSの位置と地形図の破線とが重なったところが登山口である。ところが若干は誤差がある。荒れ地に入り込んで前方を見ると道が見える。その方向へ行くと微かな踏み跡があった。これでは分かりにくい。
 13時30分に杉林の良く踏まれた山道を歩き始めた。この道は山頂に建つアンテナの保守路として整備されたみたいです。基本的は尾根をたどりながらもコブは巻いて凹凸はない。場所的はよく掘れこんであり落葉が溜まっている。550m付近から道が急になった。ややジグザグに歩きながら登頂。約45分。三角点の脇には四角い建物と電波塔が建っていた。
 建物の東に白山神社という黒御影の石碑も埋まっている。これが白山2の謂れか。奥宮のイメージにしてはちょっと迫力がない。小さくても祠くらいはあって欲しい。
 麓から見上げるとあれだけ美しく見えた落葉樹の新緑も北西面にあるだけで東半分は植林である。展望はなく水を飲んで下山。往復1時間半の里山でした。

辻井伸行の演奏/『春よ、来い』を聴く2023年03月23日

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 3/11の美濃の山村をドライブした。その際のBGMは作詞・作曲 松任谷由実の「春よ、来い」だった。ピアノのリズム感が素晴らしい。走った場所も飛騨川と長良川に挟まれた山域だった。山でもマンサクと樒の花しか見れなかったから早春の山の村であった。歌詞は文語調でまとめられて韻律性もあり曲と合っている。
 辻井伸行は全盲のピアニストという。非凡な才能に驚く。

股旅演歌と行進曲の類似性2023年02月12日

1 鳴り物の楽器で構成=派手に鳴らす=鼓舞
弦楽器は使わない

2 リフレイン

3 移動、動きがある

4 歌が入ることもある・・・愛国行進曲=統率

5 軍隊、自衛隊:やくざの旅、やくざ同士の争い=士気を鼓舞する

『日本の起源は日高見国にあった 縄文・弥生時代の歴史的復元 (勉誠選書)』と「愛国行進曲」2022年12月28日

 田中英道氏の書籍に遭遇してゆくうちに冒頭の愛国行進曲を知った。戦前の歌である。
 「高い太陽を見る国=日高見国」はどこにあったのか。「古事記」「日本書紀」「風土記」等の詳細な検討と、鹿島・香取神社、三内丸山遺跡、富士山などとの関係から、古墳時代以前約1万年の謎を解き明かす。【「TRC MARC」の商品解説】

「高い太陽を見る国=日高見国」は実在した!
美術史の大家が、生物学、神話学、考古学を縦横無尽に博捜して解き明かす、古代史の謎。
以上がキャッチ。
 著者は日高見国が即ちアマテラスの国とした。気持ちの良いほどの断定である。アマテラスは太陽神だった。そしてこの曲が日高見国の歌として冒頭で紹介している。

東京音楽隊合唱隊が歌う「愛国行進曲」
https://www.google.com/search?q=%E6%84%9B%E5%9B%BD%E8%A1%8C%E9%80%B2%E6%9B%B2&sxsrf=ALiCzsZh68yWm0o3HUXpsnOGO-fAbMX-Dg:1672234097434&source=lnms&tbm=vid&sa=X&ved=2ahUKEwiMie-6tZz8AhVAklYBHZUNCS8Q_AUoAXoECAEQAw&biw=1366&bih=625&dpr=1#fpstate=ive&vld=cid:86aa24e9,vid:F0U6Mly-KMY
1.
見よ東海の 空あけて
旭日(きょくじつ)高く 輝けば
天地の正気(せいき) 溌剌(はつらつ)と
希望は躍る 大八洲(おおやしま)

おお晴朗の 朝雲に
聳(そび)ゆる富士の 姿こそ
金甌無欠(きんおうむけつ) 揺るぎなき
わが日本の 誇りなれ

映画「土を喰らう十二カ月」を鑑賞2022年12月17日

午後から天気が悪くなる予報。見たかった映画に行くことにした。「土を喰らう十二カ月」は以前に水上勉の原作を読んでいたので、料理の内容をどんな内容で画像化した飲んだろうという興味深々だった。
 当初はあちこちでかかっていたが今はミリオン座くらいになった。しかも1日1回の上映という。余り評価が高く無さそうだ。主演は沢田研二と松たか子という華のある俳優なので期待した。
 信州が舞台なのでロケーションは良かったと思う。山家の老作家の独り住まいに東京かららしい松たか子の原稿を催促に訪ねる。そこから料理の数々が展開されてゆく。精進料理である。
 原作にある言葉をセリフに差し込みながらそれなりに退屈はしなかった。但し鳩は映画では山鳩と言っていたがあれは伝書鳩だ。姿、鳴き方、習性を見てもわざとらしい場面だった。
 購入した作品又は映画の原作になった作品
①『土を喰ふ日々』文化出版局 1978 のち新潮文庫(随筆集)

②『精進百撰』岩波書店 1997 のち現代文庫(写真随筆集)、田畑書店 2022に復刊

③『五番町夕霧楼』文藝春秋新社 1963(『別冊文藝春秋』1962年9月号) のち角川文庫、新潮文庫、小学館
『枯野の人』光風社 1963

④『湖の琴』講談社 1966(角川文庫 1968年)(『読売新聞』1965年7月23日-66年6月8日)

⑤『湖北の女』集英社(コンパクト・ブックス)1966(『週刊女性』1965年3-12月) のち文庫

⑥『はなれ瞽女おりん』新潮社 1975(「はなれ瞽女おりん」『小説新潮』1974年2月号、「はなれ瞽女口伝」『小説新潮』1974年8月号)、のち文庫、新編「越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん」

⑦『良寛を歩く』日本放送出版協会 1986 のち集英社文庫(紀行文集)

 他に映画作品では「飢餓海峡」などいい作品の原作を手掛けている。

 映画の場面では焼き物の窯に入っているところで心筋梗塞になる。実際は「1989年(平成元年)、訪中作家団の団長として訪れた北京において天安門事件を目の当たりにし、市内の交通が途絶して北京飯店に三日間足止めになるが、東京からの救援機第1号にて帰国。直後に心筋梗塞で倒れ、集中治療室に三日間入り、心臓の三分の二が壊死、1993年「蛍」など療養とリハビリを背景とした作品を執筆、北京滞在時、および闘病の体験は『心筋梗塞の前後』として刊行されている。心筋梗塞後は軽井沢の別荘を売って、長野県北御牧村に家を買い、仕事場を移した。」
 『土を喰う日々』は1978年なので心筋梗塞以前の発刊になる。したがって映画「土を喰らう十二カ月」では創作してある。どちらかと言えば、1989年の心筋梗塞に罹病後の1997年の『精進百撰』に近い。2022年10月28日に復刊したのも映画のベースにしたからだろう。
 田畑書店のHPから
「心筋梗塞で倒れ心臓の3分の2を壊死し失った著者。病身に適した食生活を求めたとき、蘇ったのは少年時代禅寺の侍者として触れた精進料理の世界であった…。

本書は水上勉がすべての料理を手がけ、器は北御牧在住の陶芸家角りわ子が制作した。

今回全写真をリフレッシュし、料理とそれを盛る器の魅力がいっそう楽しめるようになりました。

誰でも何歳からでもここから始められる、精進料理入門の名著復刊。」

 映画でも器を長時間写していた気がする。あれはそんな背景があったのかと、今更思った。器とともに楽しむ映画だったのだ。

思ひ出す「柿の木坂の家」の歌 拙作2022年11月08日

 https://www.youtube.com/watch?v=v34T-rRo12M

 長野県下伊那郡阿智村の中平は東山道が通う最奥の坂道の多い山里だった。地形図を見ると水田の記号はある。確かに冬田はあった。それにも増して柿の木が目立った。歩いているうちに青木光一が歌って大ヒットした歌謡曲を思い出した。
 懐かしいメロディーである。青木光一の滑らかな声調が美しい歌唱になっている。ヒットするはずだ。
 網掛けトンネルは何度も通過したがちょっと離れたところにこんなのどかな山里があったとは。今日は青木光一の動画を貼り付けて郷愁を味わう。