郡上の東殿山と白山2に登る2023年04月23日

 今日も郡上の里山詣でに行く。振り返ると
2/26 上洲河の岳山773m
3/11 厚曽から黒岳795m 
4/14 西乙原の藤巻山733m
の3座になる。
 今日は藤巻山を調べていて知った東殿山と白山2である。白山2は点名である。奥三河にも鷹ノ巣山は段戸山1、寒狭山は段戸山2とあった。加賀の白山の御前峰は白山、白山1は不明、そして郡上の618mの里山に白山2が与えられている。その秘密は如何に。
           郡上八幡へ
 朝5時過ぎに出た。小牧東ICまでは高速で行く。近くの植田ICから一宮IC経由郡上ICまで利用すると3320円。名古屋ICからだと2140円。名古屋市内だけでも1210円。市内の通過がものすごく高い。ところが名古屋ICから小牧東」IC間は600円と安い。R41、美濃加茂からは岐阜県の県道63号線と286号線をつなぐと美濃市のR156へポンと出た。郡上八幡へは7時過ぎに到着。7時30分には出発できた。早起きは三文の徳である。
 Pはどこにするか検討したが市役所周辺の愛宕公園が平日は無料ながら休日は有料になる。どうせ半日程度なので郡上八幡の街歩きも楽しみに入れて城山公園駐車場に停めた。
         東殿山へ登る
 街歩きは約10分で愛宕神社に着いた。減税を求めて一揆を起こし打ち首獄門晒しの罪を負わされた宝暦義民碑を見学した。登山道は境内の奥から凝木を並べて遊歩道のように整備されていた。これは歩きにくい。赤谷山城跡の案内のあるところで一区切り。
 標高410m付近から登山道が立ち始めた。フィックスロープまでセットされている。足元の道には常緑針葉樹の落葉が乗っている。晩春から初夏にかけては常緑樹針葉樹(マツ、スギなど)の落葉の時期である。落ちているのは五葉松だろうか。新しい落葉は油分を含むので滑落に留意しながら登った。
 赤谷山城跡の三番目で頂点になり、そのまま先へ行くのかと思ったら青いロープで「元の道に戻れ」とあった。さては分岐のところで指導標が倒れていたので起こすと先へ道が続いている。桟橋もある。
 巻き終わって鞍部に登ってみると赤谷山は自然の要塞のような岩壁になっていた。地形図には表現されていない岩壁である。これではそのままでは下降できないからう回路を作ったのであろう。ここからも東殿山を巻く道があったが通行止めになっている。
 山頂へは左に寄り乍ら東のコブに到達後578mに行く。展望は若干大日ヶ岳と郡上八幡城が見えるだけ。しかし寒いのですぐ後にした。すると展望台が斜面に張り出してあった。そこからは郡上八幡の街並みを俯瞰できる。この眺めは良い。大日ヶ岳から左へ願教寺山、薙刀山、野伏ヶ岳が見える。
 尾根に沿って下山を開始した。470m付近から左へ振った。ジグザグに下ると石垣のある谷底に着いた。これはむかし安久田の人らの畑があった名残りだった。見落としたが谷沿いの破線路もまだ遺っているらしい。
 後は乙姫谷に沿いながら林道跡のように広い山道を歩く。堰堤があり、周囲にはヒメシャガが咲いていた。乙姫滝を眺めたが地味で規模も小さいのが惜しい。地元の人が散策に来ていた。むかしはもっと水量も多かったという。また夏はヤマビルが多いとも言われた。話終えると墓地のある谷口に着いた。
 路地裏の道を歩きながら往きとは違う橋を渡り、城への近道を登って城山公園Pに着いた。
 まだ12時前である。車でバローの店に行きお茶と昼食を買った。愛宕神社の参詣者用のPに行くと東屋があるので昼食を食べた。
        安久田から白山2へ
 愛宕神社から白山2に行く前に東殿山の山容を撮影するために郡上IC料金所の隣にある墓地へ行った。そこからはマッターホルンのような鋭鋒だった。地形図から受けるイメージより登ってみると険路の連続だった理由が分かった。
 その後R156を南行すると郡上八幡駅南の交差点から新緑の素晴らしい山が見えた。これから行く白山2である。北向きの斜面のほとんどが落葉樹の新緑でまぶしい。安久田へ左折。外れにある広場に車を停めて歩く。スマホのGPSの位置と地形図の破線とが重なったところが登山口である。ところが若干は誤差がある。荒れ地に入り込んで前方を見ると道が見える。その方向へ行くと微かな踏み跡があった。これでは分かりにくい。
 13時30分に杉林の良く踏まれた山道を歩き始めた。この道は山頂に建つアンテナの保守路として整備されたみたいです。基本的は尾根をたどりながらもコブは巻いて凹凸はない。場所的はよく掘れこんであり落葉が溜まっている。550m付近から道が急になった。ややジグザグに歩きながら登頂。約45分。三角点の脇には四角い建物と電波塔が建っていた。
 建物の東に白山神社という黒御影の石碑も埋まっている。これが白山2の謂れか。奥宮のイメージにしてはちょっと迫力がない。小さくても祠くらいはあって欲しい。
 麓から見上げるとあれだけ美しく見えた落葉樹の新緑も北西面にあるだけで東半分は植林である。展望はなく水を飲んで下山。往復1時間半の里山でした。

辻井伸行の演奏/『春よ、来い』を聴く2023年03月23日

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 3/11の美濃の山村をドライブした。その際のBGMは作詞・作曲 松任谷由実の「春よ、来い」だった。ピアノのリズム感が素晴らしい。走った場所も飛騨川と長良川に挟まれた山域だった。山でもマンサクと樒の花しか見れなかったから早春の山の村であった。歌詞は文語調でまとめられて韻律性もあり曲と合っている。
 辻井伸行は全盲のピアニストという。非凡な才能に驚く。

股旅演歌と行進曲の類似性2023年02月12日

1 鳴り物の楽器で構成=派手に鳴らす=鼓舞
弦楽器は使わない

2 リフレイン

3 移動、動きがある

4 歌が入ることもある・・・愛国行進曲=統率

5 軍隊、自衛隊:やくざの旅、やくざ同士の争い=士気を鼓舞する

『日本の起源は日高見国にあった 縄文・弥生時代の歴史的復元 (勉誠選書)』と「愛国行進曲」2022年12月28日

 田中英道氏の書籍に遭遇してゆくうちに冒頭の愛国行進曲を知った。戦前の歌である。
 「高い太陽を見る国=日高見国」はどこにあったのか。「古事記」「日本書紀」「風土記」等の詳細な検討と、鹿島・香取神社、三内丸山遺跡、富士山などとの関係から、古墳時代以前約1万年の謎を解き明かす。【「TRC MARC」の商品解説】

「高い太陽を見る国=日高見国」は実在した!
美術史の大家が、生物学、神話学、考古学を縦横無尽に博捜して解き明かす、古代史の謎。
以上がキャッチ。
 著者は日高見国が即ちアマテラスの国とした。気持ちの良いほどの断定である。アマテラスは太陽神だった。そしてこの曲が日高見国の歌として冒頭で紹介している。

東京音楽隊合唱隊が歌う「愛国行進曲」
https://www.google.com/search?q=%E6%84%9B%E5%9B%BD%E8%A1%8C%E9%80%B2%E6%9B%B2&sxsrf=ALiCzsZh68yWm0o3HUXpsnOGO-fAbMX-Dg:1672234097434&source=lnms&tbm=vid&sa=X&ved=2ahUKEwiMie-6tZz8AhVAklYBHZUNCS8Q_AUoAXoECAEQAw&biw=1366&bih=625&dpr=1#fpstate=ive&vld=cid:86aa24e9,vid:F0U6Mly-KMY
1.
見よ東海の 空あけて
旭日(きょくじつ)高く 輝けば
天地の正気(せいき) 溌剌(はつらつ)と
希望は躍る 大八洲(おおやしま)

おお晴朗の 朝雲に
聳(そび)ゆる富士の 姿こそ
金甌無欠(きんおうむけつ) 揺るぎなき
わが日本の 誇りなれ

映画「土を喰らう十二カ月」を鑑賞2022年12月17日

午後から天気が悪くなる予報。見たかった映画に行くことにした。「土を喰らう十二カ月」は以前に水上勉の原作を読んでいたので、料理の内容をどんな内容で画像化した飲んだろうという興味深々だった。
 当初はあちこちでかかっていたが今はミリオン座くらいになった。しかも1日1回の上映という。余り評価が高く無さそうだ。主演は沢田研二と松たか子という華のある俳優なので期待した。
 信州が舞台なのでロケーションは良かったと思う。山家の老作家の独り住まいに東京かららしい松たか子の原稿を催促に訪ねる。そこから料理の数々が展開されてゆく。精進料理である。
 原作にある言葉をセリフに差し込みながらそれなりに退屈はしなかった。但し鳩は映画では山鳩と言っていたがあれは伝書鳩だ。姿、鳴き方、習性を見てもわざとらしい場面だった。
 購入した作品又は映画の原作になった作品
①『土を喰ふ日々』文化出版局 1978 のち新潮文庫(随筆集)

②『精進百撰』岩波書店 1997 のち現代文庫(写真随筆集)、田畑書店 2022に復刊

③『五番町夕霧楼』文藝春秋新社 1963(『別冊文藝春秋』1962年9月号) のち角川文庫、新潮文庫、小学館
『枯野の人』光風社 1963

④『湖の琴』講談社 1966(角川文庫 1968年)(『読売新聞』1965年7月23日-66年6月8日)

⑤『湖北の女』集英社(コンパクト・ブックス)1966(『週刊女性』1965年3-12月) のち文庫

⑥『はなれ瞽女おりん』新潮社 1975(「はなれ瞽女おりん」『小説新潮』1974年2月号、「はなれ瞽女口伝」『小説新潮』1974年8月号)、のち文庫、新編「越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん」

⑦『良寛を歩く』日本放送出版協会 1986 のち集英社文庫(紀行文集)

 他に映画作品では「飢餓海峡」などいい作品の原作を手掛けている。

 映画の場面では焼き物の窯に入っているところで心筋梗塞になる。実際は「1989年(平成元年)、訪中作家団の団長として訪れた北京において天安門事件を目の当たりにし、市内の交通が途絶して北京飯店に三日間足止めになるが、東京からの救援機第1号にて帰国。直後に心筋梗塞で倒れ、集中治療室に三日間入り、心臓の三分の二が壊死、1993年「蛍」など療養とリハビリを背景とした作品を執筆、北京滞在時、および闘病の体験は『心筋梗塞の前後』として刊行されている。心筋梗塞後は軽井沢の別荘を売って、長野県北御牧村に家を買い、仕事場を移した。」
 『土を喰う日々』は1978年なので心筋梗塞以前の発刊になる。したがって映画「土を喰らう十二カ月」では創作してある。どちらかと言えば、1989年の心筋梗塞に罹病後の1997年の『精進百撰』に近い。2022年10月28日に復刊したのも映画のベースにしたからだろう。
 田畑書店のHPから
「心筋梗塞で倒れ心臓の3分の2を壊死し失った著者。病身に適した食生活を求めたとき、蘇ったのは少年時代禅寺の侍者として触れた精進料理の世界であった…。

本書は水上勉がすべての料理を手がけ、器は北御牧在住の陶芸家角りわ子が制作した。

今回全写真をリフレッシュし、料理とそれを盛る器の魅力がいっそう楽しめるようになりました。

誰でも何歳からでもここから始められる、精進料理入門の名著復刊。」

 映画でも器を長時間写していた気がする。あれはそんな背景があったのかと、今更思った。器とともに楽しむ映画だったのだ。

思ひ出す「柿の木坂の家」の歌 拙作2022年11月08日

 https://www.youtube.com/watch?v=v34T-rRo12M

 長野県下伊那郡阿智村の中平は東山道が通う最奥の坂道の多い山里だった。地形図を見ると水田の記号はある。確かに冬田はあった。それにも増して柿の木が目立った。歩いているうちに青木光一が歌って大ヒットした歌謡曲を思い出した。
 懐かしいメロディーである。青木光一の滑らかな声調が美しい歌唱になっている。ヒットするはずだ。
 網掛けトンネルは何度も通過したがちょっと離れたところにこんなのどかな山里があったとは。今日は青木光一の動画を貼り付けて郷愁を味わう。

長渕剛、北海道ツアーで熱弁「この土地を外国人に売らないでほしい」観客たちは涙、涙…2022年10月04日

ソース:https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-1903011/

 歌手の長渕剛(65)が1日までに自身のYouTubeチャンネルを更新。北海道・札幌文化芸術劇場で行われた「Tsuyoshi Nagabuchi Concert Tour 2022 REBORN with the BAND」のリポートを公開し、ファンに「この土地を外国人に売らないでほしい」と、思いを伝える場面があった。

 MCになり、長渕が「僕は北海道が大好きです!空が高いし、青いし、空気が綺麗だし。水も豊かだし、人間も優しいし、僕は大好きです!」と語ると、観客からは万雷の拍手が送られた。

 また「この北海道という街は、その昔、開拓民たちが一生懸命に開拓した街だ。お願いだから、この自然に満ち満ちたこの土地を、外国人に売らないでほしい」とメッセージを送る場面も。

 「老いていく私たち人間は、年に抗って、お金にまみれないで。心を一つにして、今こそ僕たちの先人たちが築いてきた、共有する心や、和合する心を大事にしていって。ここから5年、10年、15年、100年と一緒にやっていこう」と呼びかけていた。

 終演後、感想を聞かれた観客たち「感動しました」「特に最後のMCは感動して涙が止まらなかったです」「最高です」「また来ます」「MCでウルッときて泣いちゃいました」と話し、涙を流す人もいた。

コメントから
・日本国憲法 第29条3項
「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」
日本の領土はいつでも日本国家が没収できるみたい。
・・・・法制を整備しないとね。

奥羽から北を目指すや鳥曇り 拙作2022年04月14日

https://www.facebook.com/profile.php?id=100079142031027
 原田協子さんのフェイスブックにアップされる白鳥の写真が素晴らしい。今日は日本滞在最後の段階という。そこで一句をしたためた次第。

 もう一つ、演歌の世界でも渡り鳥は数多く歌い込まれてきた。中でも「美空ひばり- お島千太郎」の作歌は秀逸かと思う。
 ♪渡り鳥さえ一緒に飛べる♪と歌い出す。人生の世渡りの不安定さと渡り鳥の習性をかけているのだ。渡り鳥は本能なので、家族を編成して連れだって渡ってゆく。そこに悲しみはないはずだが、人間は一人では生きて行かれない、と謳う。人間賛歌というところが人気が出たのだろう。
 本来はひばりのようなしっとりした歌い方が正統である。半面で勢いのある歌い方だが新鮮な島津亜矢で聞いてみよう。

https://www.youtube.com/watch?v=hpRUgSiLMWo

訃報 歌手の西郷輝彦さん死去2022年02月21日

ソース:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6418900

死去の西郷輝彦さん、前立腺がんと10年に及ぶ闘い 昨年には豪で国内未承認の最先端治療…寛解を報告

 歌手で俳優の西郷輝彦さんが20日午前9時41分に東京都内の病院で死去した。芸能事務所「サンミュージック」が21日に発表した。前立腺がん治療中で、75歳だった。

 公式ホームページで事務所は「西郷輝彦(本名:今川 盛揮)が長きにわたり、前立腺がんとの闘いの末、去る令和4年2月20日午前9時41分、75歳にて都内の病院にて永眠いたしました」と報告。「世情を鑑みて、葬儀に関しましてはご遺族の意向により近親者のみで執り行います」と加えた。

 西郷さんは約10年前に前立腺がんを発症し、全摘手術を受けたが6年後に再発。骨に転移するなどステージ4の診断を受けたが、医師に勧められた緩和ケアではなく抗がん剤治療を選択した。

 昨年4月には国内未承認の最先端治療を受けるため豪州に渡った。8月には現地から日本テレビ系チャリティー番組「24時間テレビ」に生出演し、笑顔で「がんが消えた画像をこの目で見たんです」「奇跡は起こります」と報告していた。
以上

 ご冥福をお祈りします。

「星のフラメンコ」をお聞きしながら西郷さんを偲びましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=cs7EPJ8N0B4

浅春の川に水鳥浮かびけり 拙作2022年02月17日

 いつも渡る人道橋の上から川を見下ろすとかいつぶりらしい水鳥の群れが泳いでいた。右岸は河川敷なので土砂が貯まりやすく浅瀬になる。左岸寄りに集まるのは木の陰で少し深くなっており魚がいるのだろう。

 鳥は一羽だと寂しい風景であるが群れると絵になる。ほとんどの鳥は群れで行動する。3月を待たずにもう北方へ飛び立つ時期である。
 代わって5月になると夏鳥が渡ってくる。これも基本は集団であるが、カッコウは単独である。鳴き声は聞くが姿は余り見ない。
 芭蕉の句にも詠まれた閑古鳥などとありがたくない別名がある。それも単独だからだろう。
 美空ひばりの数ある歌の中に「お島千太郎」という歌の中にも♪渡り鳥さえさえ一緒に飛べる 連れがなければ辛かろうに♪の歌詞がある。

https://www.youtube.com/watch?v=ByQxcbimHfY
2:05ころ

 日本に渡ってきたカッコウは旅の疲れで産卵はするが抱卵はウグイスの巣に入って卵を押し出して自分の子を産んで飛び去る。鶯は知らないまま抱卵して孵化したら自分より大きなカッコウが生まれてびっくりだろう。托卵という。