忘年山行兼新人歓迎会~天狗堂を歩く2016年11月21日

 11/19から11/20は所属山岳会の忘年山行兼新人歓迎会でした。11/19は朝から雨で登山は中止。それでも午前中に出発して野菜などの買い物をしながら会場の某山荘(会員のつてで借用)へ行きました。
 スーパーの野菜は高いのでいなべ市と野菜でググって地元産の農産物市場を探し大泉駅前の「うりぼう」で格安で美味しい野菜などゲットできました。
 それでも時間があるので2012年に行ったことがあるいなべ市藤原町鼎にある「農業レストランフラール」で昼食にしました。地元産の野菜料理のバイキング方式です。レストランの場所が高台に変わり価格も800円から1100円になりましたが満足のあるメニューでした。朝11時開店というのにPはほぼ満杯でした。以前の店よりも少し広くなっていました。それだけ人気が高いのでしょう。野菜で腹いっぱいになったのにまぜご飯、たこ焼き、蕎麦、カレー、ケーキ、フレンチトーストなど減量に取り組み始めた私には体に毒な料理が続々出されて悩ましいところです。
 特にまぜご飯は懐かしいふるさとの味がした。在所の三重県津市一志町の味だというとこのまぜご飯は一志の人が炊いたというのです。それは米、しょうゆ、砂糖、鶏肉、ゴボウのささがきでした。香り高いゴボウと砂糖の甘味が絶妙の味を出しているのです。何杯もお代わりしたいのですが減量を考えて1杯で我慢でした。晴れておれば御池岳から藤原岳がよく見えるところです。又来てみたい「フラール」でした。
 午後2時になり会場の山荘へ着きました。早速、清掃をしてから、道具類を運び込みます。女性会員5人が野菜などを切り分けて鶏鍋の下準備に取り掛かった。鍋といっても昆布やシイタケで出しをとる手間を省いて鍋の素を使うのであっという間に終わる。しばらくは付近を散歩したりして5時の宴会開始まで時間をつぶす。
 5時になりコンロ3個に鍋を置いて7人で宴会を始める。新人のTさんの入会を祝った。始まってしばらくでまず、Iさんが着いた。新人のFさん、最若手のMさん、会長のWさんと輪に入るたびに乾杯を繰り返した。何を話したのかさっぱり覚えていないが盛り上がったことは確かである。Iさんは家族の用事で夜に帰宅された。
 11/20は午前5時に起床。朝食をとるが早いか、一斉に片づけ、清掃をした。荷物を運び出すと参加者全員で記念の写真を撮影する。まだ薄暗い感じがする。7時過ぎに山荘を出発。竜ヶ岳登山口付近の国道に設けられたPでKさんとKさんを待つ。マイカーを4台に集約して12人で君が畑に出発。途中で新しくできた道の駅でトイレ休憩。木地師発祥の村・政所から蛭谷、君が畑の秘境の山里に行く。バス停には15人の先行者パーティが準備中だった。
 我々もノエビアの空地まで走りメンバーを降ろす。下山口の瀬川林道入り口に車をデポする準備を行った。御池林道のノタノ坂などには車が一杯止まっていた。シロモジの黄葉、カエデの紅葉で御池谷は錦秋の秋を迎えていた。
 君が畑に戻り、出発。神社では何やら山人らが仕事中だった。登山届は出したかねと尋ねられていた。多分神社の冬支度であろう。来週辺りから降雪があってもおかしくはない深山である。神社の右の尾根の急登に喘ぎながら登る。膝痛を抱えて泣き泣き登る。大事にすると運動不足で筋肉が減り益々太る。かといって過激な運動はより悪化しかねない。昨夜はビール、焼酎のお湯割り、Fさんの差し入れの名酒をしたたか飲んだがそのアルコールが今や汗となって滝のように流れる。冬なのでタオルは持ってこなかった。帽子からも汗がしたたり落ちる。小さなハンカチがたちまち汗まみれになったので軍手をタオル替わりにした。
 尾根に乗ると歩きやすくなった。アップダウンをこなしながら山頂へ行く。今日は見えないが遠くから眺めると三角錐の立派な山容である。益々急傾斜になり爪先立ちの登高が続く。先を行く人が遙か上に見える。それで山頂が近づいたことを予感する。あいにくの霧の山頂であった。風に乗って話声が流れてくる。先行者らは近くで宴会中のようだ。簡単に水を飲んだり中食をとり休憩する。御池林道に急降下する道標がある。かつてはここを往復した記憶がある。山仕事中の人からこの山は5月中旬を過ぎると山ビルが降ってくるから気を付けよ、と教えらてぎょっとしたこともあった。
 長休みは体が冷えるのでサンヤリを目指しそこそこに出発する。宴会中のパーティが盛り上がっていたのを傍目に過ぎると岩の展望台がある。そこから急降下していた。924mへ行く途中で時雨もようになり合羽を着た。サンヤリから来る大パーティとすれ違う。我々と合計すると約40名は下らない。錦秋の鈴鹿を目指す登山者でにぎわっているのだ。サンヤリへは1時間ほどで着いた。2等三角点がある。今日は霧で何も見えない。W会長が登山道を探りに行くが踏み跡も見いだせないようである。晴れておれば道なき道を探るささやかな冒険を楽しみたいが、12人の人数に加えて80歳代の高齢者も居るので天狗堂に戻って御池林道に下る登山道を下ることとした。
 天狗堂には誰も居なかった。急降下する踏み跡を木の枝、根っこを支えに下る。かなり下っても急な道が終わらなかった。沢の音が聞こえる。沢沿いになると登山道も傾斜が緩くなり御池林道も近い。やれやれで林道に着いた。サンヤリから瀬川林道に下るのは失敗したのでマイカーを回収に行く。またノエビアの前で集まり解散とした。

7月句帳 梅雨の雲母峰2016年07月17日

山蛭の待ってましたと雲母峰

山蛭を初めて見るや都会の子

山蛭に血を捧げても喜べず

梅雨雲に隠れていたり雲母峰

梅雨の山ハンググライダー鳥になる

登るほどにヒグラシの鳴く雲母峰

何となく物悲しげな蝉しぐれ
https://www.youtube.com/watch?v=PoJ0PTnzbjU

寂しさに鳴くだけ鳴けや蝉しぐれ

山頂や湧いてくるごと夏の虫

   Y事務所8周年を祝し888mの標高の山に記念登山
登り来てすぐに万歳三唱す

温かきコーヒー美味し梅雨の山

  湯の山温泉・希望壮に入湯
流血の止まらず蛭の吸いし痕

流血に汚れし登山ズボンかな

入湯の後飲む冷やしラムネかな

心まで癒すにアイスクリーム食ぶ

名湯に放心するや洗ひ髪

鈴鹿・野登山から仙ヶ岳を歩く2015年12月02日

 11/28は計画を大幅に縮小して、万野だけに登り、無事下山した。1年でもっとも日が短いこともあり、あやふやな情報しかないので茶野から先に登らず、万野から登る計画にしたが、正解だったと思う。万野周辺で午後2時か3時になって道に迷うとやばいことになるからだ。さて、大君ヶ畑を後にして会場の朝明山荘に急いだ。
          朝明山荘の一夜
 山荘では買出し組が先着して準備にかかっていた。買出しにはIさんやAさんも協力してくれたとか。鯛の粗煮、鱸の刺身、魚の鍋物、鶏のダッチオーブン焼き、サラダと盛りだくさんの料理が並ぶ。薪ストーブに乗せて置くだけでジャガイモのホイル焼きなどもできる。
 W会長や新人のM君は遅くなるので、まず、新人、旧新人、旧人の会員ら11人で乾杯をして料理に舌鼓を打った。何を話したのやら、脈絡のない話をした。そのうちM君がナナハンでやってきた。W会長は皆が出来上がって、就寝した頃に、遅くになって駆けつけた。
          小岐須渓谷へ
 11/29の朝。慌しく起床。なにぶん13人もの人が一ツ家に起居すると落ち着いては居られない。朝食をかき込んで、片付け、出発準備、室内の掃除、精算などを済ませると8時前がやっとだった。7時30分には瀬戸市のKAさんと名古屋市のKUが同乗してやってきた。みんなで記念撮影に納まった。W会長のナビで小岐須渓谷に向かう。久々の茶畑の風景が懐かしい。眼前に山腹を削られた痛々しい山が見える。野登山の東尾根である。その直下に流れるV字渓谷に分け入る。
 Pにはほぼ満杯だった。この時期は山蛭の出没もなく、かえって人気があるのだろうか。我々も支度する。15名もの参加者が一斉に一つの山に向かうなんてここ何年もなかった風景だ。W会長も張り切って滅多にやらない準備体操を始めた。
         野登山へ
 あいさつの後、出発だ。最初は渓谷を渡り、右岸に沿う山道を行く。次第に本流から支流の一の谷にそう登山道に導かれて行く。落葉期なので見通しは良い。ふわふわの落ち葉を踏んで歩く。まだ新しい乾燥した落ち葉なので音がする。
     大いなる足音聞いて山眠る    前田普羅
15人分の足音をしながら登る。窓に着くと風が心地よいがむしろ冷たいので温まった体温を逃さないようにすぐに歩くことにする。等高線が緩み若干は歩きやすい。しかし、尾根の凹凸はあり結構なアルバイトを強いられる。国見広場に着くと眺めが良い。そこで小休止した。野登山は電波塔施設があり、山上の景観は台無しである。三角点まではすぐだった。眺めは無いのですぐ下る。山道から林道に出て若干下ると仙鶏尾根入り口に着いた。ここで大休止の昼食タイムになる。
        仙ヶ岳へ
 この尾根は鈴鹿でも有数のギャップが激しい。大体は痩せ尾根でキレットもある。野登山までは石灰岩の地質だったがここからは風化花崗岩に変わるので脆い。ようやくという感じで図根点がある仙ヶ岳に着いた。もう少し歩くと仙の石があり、東峰にも寄る。絶頂感のあるいい山頂である。西の峰へは若干下って白谷道分岐を経て登り返す。ここは県境縦走路が貫く要になっている。昨年登った能登ヶ峰の草原が見える。意外にも雨乞岳周辺は雲がかかる。1200m級の上空には寒気が来ているようだ。
 小休止の後小社峠に向けて下った。急な痩せ尾根だった。峠からは植林帯に入る。谷から谷へ渡渉を繰り返しながら林道に降り立つ。大石橋まではのぼり気味で長い。車止めから舗装の車道になり終点が広く駐車場になっている。近くの句碑(遭難碑)に寄った。比較的新しい供花があった。知多半田市の30歳の医者が行方不明になりこの辺りで遺体で発見されたと記憶している。父親が建立したものらしい。
    うつしよの泪かひそと渓蛍  公?
大石橋を経て下り一方の車道になる。小岐須渓谷のPに着いた。2日間の行事と山行も終わった。それぞれに散会となり帰った。

北鈴鹿・万野に登る2015年11月30日

 11/28から11/29は山岳会の忘年会と今年は異例に増えた新入会員の2回目の歓迎会を兼ねた行事になった。宿泊は鈴鹿中部の朝明渓谷の山荘を貸切で利用させていただいている。もうはや常設会場になった。
 28日の食事の準備は買出し組に一任してもらい、新人3名と先輩新人3人、旧人2の8名で向かったのは近江の大君ヶ畑(おじがはた)だった。ここから茶野、大見晴、万野を結ぶ周回を計画したが、万野と大君ヶ畑の間が情報不足なのでそこから登ることにした。
 金山駅前を8時前に出発。今日の御池岳、鈴北岳の登山口はマイカーで埋まる。コグルミ谷の登山道も修復されて登山者が上ってゆく。鞍掛峠の登山口のPも満杯。R306を鞍掛峠のトンネルを抜けるとそこも満杯。登山口の大君ヶ畑へは9時30分過ぎに着いた。廃屋が多くなった。寺も廃寺になったようだ。ここだけは山眠る季節のせいですべてが眠るがごとく静かだ。
 万野へ向かうのはわれわれだけのようだ。最初は林道を進む。終点で沢沿いの廃道を歩く。沢の分岐で右のはずだが、上部にむかう気配を感じさせるケルンを見た。杭の上に置かれた石ひとつでそう判断した。沢は山抜けのために顕著な溝になっていた。
 地形図で送電線の下に巡視路があるはずとの読みで、落石に注意しながら急斜面を登ったが何も見つからず、そのまま尾根を登った。やがて、滝洞谷(北鈴鹿で一番の悪相の谷)を見下ろす本尾根に合流すると茶野が大きく聳えるのが見えた。われわれが登ったのは顕著な尾根ではなく、枝尾根であった。
 そのままゆるやかに登ると760mの等高線のコブに着く。ここからコンパスを見て真西に振る。すぐに赤テープを見出す。これは実は大見晴れへの目印らしい。そのまま西進すると三角点のある万野へ着いた。すでに11時30分なので茶野はおろか大見晴も断念して大君ヶ畑へ下ることに注力した。
 山頂の一段下に鉄塔が見える。そこまで下る。さいわいに巡視路のプラスチックの階段もみえたが、中腹から下は崩壊して急斜面の土に埋まっていた。等高線の詰まったイメージ通りで、踏み跡もなく急斜面の下山は困難を極めた。時々落石もあり緊張した。メンバーの1人が足がすくんで恐がるので、旧人が持っていたロープで確保してもらった。何とか難関を突破して、下ると尾根が顕著になった。その辺りから巡視路のトラバース道らしい踏み跡もあったがそのまま尾根を下った。
 万野から真北に伸びる尾根と登りにとった尾根との間に挟まれた小尾根のようだ。末端らしいところで一旦左に振るが、別の(北)尾根にトラバースするので、沢に下ってみると、落ち込みが急なので、末端に戻って右に振ると踏み跡が現れてそのまま登りにとった沢を横切った。対岸に見覚えのあるケルンを見た。何と、そのケルンは登る際は右に振れ、というサインだったのだ。よく見ると、山側に踏み跡が続くので下ると林道終点に下りた。2時過ぎだった。

 8人中6人の新人様には道なく、道標もなく、不安なことであったと思う。それでも地形図を食い入るように見て、コンパスを見て、地形を読みながら、悪場をしのぎながら無事に下山した。この体験を大切にしてもらいたい。
 鈴鹿ではどんな変なルートでも殆ど人に会わないことはない。そのジンクスは今日は通じなかった。それだけ変なルートだった。これが本来の山登りというものである。
 8人が迷いつつ、目的を万野登頂に置き、苦行(というほどではないが)を続ける。それは確かにわずかでも忍耐を要するし、正常な人には理解できない行為なので「精神障害」を疑われるかも知れない。

原真『乾いた山』から
 「我々はみな多かれ少なかれ目的の固定化によって、頂上へ向かって歩き続ける。歩いては止まり、止まってはまた歩く。立ち止まったときにはただひたすら呼吸をする。よくのどの粘膜が破れないなと思う。頂上は目前に迫っているのに歩調はますます遅くなる。この苦行に満ちた単純作業は、忍耐でもあり、悟りでもあり、精神障害でもある。」

近江鈴鹿の元越谷を溯る2015年06月15日

大滝の前で
 6/14。最近入会した新人3名のいわゆる山婆(サンババ、3人の婆か?)を含む7人が参加した。鈴鹿でも近江側は静かな山域であるが、久々に鈴鹿スカイラインを越えて入山。先行車が1台のみあったが何の目的か不明。
 いつものように林道を歩きながら入溪地に向かう。最初は河原歩きから堰堤を巻いて行くと徐々に溪谷らしくなってくる。花崗岩の谷は美しく明るい。小さな滝を左岸から高巻く。今回は大勢なので懸垂下降はしない。昔はなかったフィックスロープが垂れ下がっているので難無く下降できた。ここを過ぎると次も落差はないが直登できない滝を左岸からへつる。以前はロープをつけて泳いだところだが。
 溪谷の斜度が高くなり、小さな滝を直登したり、大小の岩がごろごろしてきた。両岸の岩壁も直立してゴルジュの渓相になると大滝は近い。前日までの雨で水量は多く、飛沫がほとばしる。豪快である。大滝は左岸の岩溝を攀じて突破する。ロープで確保して、滝上に降りると核心部に到達する。ここからしばらくは花崗岩の削られた溝や釜を持った小滝を次々に突破する極上の溪谷登攀を楽しむ。五月蝿かった三婆もここだけはおしゃべりを飲み込んで黙々登攀してゆく。登山道を歩いているだけでは味わえない沢登りの楽しさが溢れる箇所だ。
 核心部を無難に突破した後、二股まで来た。もちろん右に振る。斜度は大人しくなった。と思いきや垂直の小滝に手こずる。ロープを出して確保。結構遊ばしてくれる。しばらくは溪谷歩きの余韻を楽しむ。斜度は殆ど均されて高度を上げる感じがしない。森の中のせせらぎになった元越谷源流部を歩く。いい加減、溪谷歩きに飽満した頃、突然傾斜がまして前方が明るくなった。あれが県境稜線か、と口々に言い合う。土つきの斜面を滑らないように登ると登山道のある稜線だった。伊勢側から吹く風が心地よい。しばし休憩する。
 ここで登山靴に履き替える人も居るがリーダーと私はそのままである。消耗が激しくなるがザックを軽くしたいからだ。オレンジなどの差し入れを食べたりして、また三婆のおしゃべりが復活した。水沢峠に降り立ち、左折すると荒れた峠道を下る。道形は残っているが所々で崩壊しており、RFに注意する。完全な廃道といっても良い。林道の廃道が出てきた。風化花崗岩の脆さは如何ともし難い。それでも林道は作られる。以前からあった整備された林道につながった。古い道標もあった。昔はここから水沢峠への登山道に下りていったのだろう。
 三婆とそれに旧人の婆も加わって話題は家族のこと、世間のことに散るがあっという間に駐車地に着いた。河原では赤ちゃんを連れた若い親子が食事など楽しんでいた。無事に下山。スパッツを剥がすと蛭は居なかった。今日は献血せずに済んだようだ。

ご用心、鈴鹿北部の山に熊が放獣された!2015年05月29日

産経WESTから
27日午前4時半ごろ、滋賀県多賀町樋田の県道で、道路脇の地蔵堂に参拝していた近くの無職女性(88)が背後から近づいてきたクマに襲われ、顔にけがを負った。クマは山中に去り、女性は病院に搬送された。

 現場は、三重県境に近い鈴鹿山脈の山あいで、20世帯ほどの集落の一角。滋賀県警彦根署によると、クマは体長1メートル程度。女性は前足で顔をひっかかれ、深い傷を負ったとみられる。

 滋賀県内では、今月20日にも高島市で登山中の男性がクマに襲われて重傷を負う事故があった。
続報
三重県内で捕獲されたクマを、同県の担当者が隣接する滋賀県の山中に放していたことが27日、分かった。同日早朝には、滋賀県多賀町で女性がクマに襲われて重傷を負う事故があり、滋賀県側はこのクマの仕業だった可能性があるとみて、知事名で三重県に抗議する方針。三重県側は落ち度を認めて同町に謝罪し、滋賀県への謝罪も検討している。

 三重県獣害対策課によると、同県いなべ市で今月17日、ツキノワグマ1頭が捕獲され「麻酔で眠らせた上で、滋賀県境の山中に放した」と発表。しかし、実際には三重県の放獣担当者は県境を越え、滋賀県多賀町でクマを放したが、滋賀県に連絡していなかった。

 その後、同町で27日早朝、女性(88)が自宅近くでクマに襲われ、頬骨を折るなどの重傷を負った。滋賀県によると、これまで同町内でのクマの目撃情報はほとんどなく、三重県が放したクマの仕業ではないかとみている。
以上
御池岳、天狗堂、藤原岳、三国山、霊仙山周辺に登山を計画されている人は要注意である。捕獲されるまでは入山を控えた方が良い。
襲われた場所は滋賀県多賀町樋田で、御池岳の真西にあたる。
熊は一晩で40kmは移動するらしい。
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続報
NHKの朝のラジオでは、熊に取り付けた発信機から、岐阜県海津市付近に居る、と報道している。ということは養老山系(多度山から養老山)に当る。

美濃から近江にかけて史跡散歩2015年03月25日

濃尾から見へず伊吹の山霞む

   松尾山
さながらにドームのごとき班雪山

雪庇落ちず彼岸の伊吹山

   中山道・番場宿の蓮華寺
紅梅や菊の御紋の古刹なり

鳥曇りぐれて瞼の母を恋う

彼岸なれど人影もなき古刹かな

   三島池
伊吹山雪は消へつつ残る雁

伊吹との別れを惜しむ春の雁

落し物探す仕草の土筆摘み

美濃・近江の史跡を訪ねて2015年03月22日

 外を眺めるとどんより春特有の曇り空になった。それでも何か分かることがあるだろう、と出かけた。行先は滋賀県に隣接する関ヶ原町の松尾山だ。ここから伊吹山を眺めるのが主目的だった。ここは戦国時代小早川の陣地として知られる。町全体が東西の入り乱れる戦場だった。
 伊吹山は木曽三川があるせいで天気が良いと春霞で見えなくなる。冬型になると見える。今日も麓の養老町まで近づいても霞んでいた。R365を走って関ヶ原町からR21へ。少し先で案内板にしたがい左折。黒血川という不気味な名前の川を渡る。壬申の乱の時代、戦った兵士の血で黒く汚れたことが由来というが、ここは天然の要害なので、戦いの歴史が層になって重なっている。
 現在は平和な山村で整地された田園風景が広がる。松尾山から流れる支流に沿う細道を辿るとまた頼りない橋を渡る。その先に登山口と駐車場があった。1台のみ先行者がいる。まもなく1人下山してきた。伊吹山は良く見えたとか。
 午後1時10分。山頂まで40分とある。お茶、おやつも無しで、カメラだけ持って林道を歩く。まだ車でも入れそうなくらい整備されているが、未舗装、ガードレールなし、転回地点が分からず、では進めない。傾斜が急になった辺りに分かれ道があり、松尾山は右へと教える。ここからの道も相変わらず広めで遊歩道的だ。階段状の道付けは歩きにくい。アップダウンを2回繰り返すと最後の急登で山頂だった。1.9km、約25分ほどだった。この間、単独、若い男3人とすれ違う。結構人の多い山である。
 話に違わず、伊吹山が良く見える。南東面は名神高速でちらっと見る構図であるが、落ち着いて見られるのはいいものである。関ヶ原の家並みを見下ろせる。三角点を探したが見つからず下山。後で調べるとベンチの近くに有ったらしい。下ろうとすると続々登って来た。遅めの出発でもこの山なら大丈夫だ。
 駐車場に戻ると次はR21を走って、番場宿の蓮華寺に向かった。昨年9月、夕方になって薄暗くなるので忠太郎地蔵尊を訪ねることを断念した。その宿題の片付けである。R21の柏原も醒ヶ井も霊仙山の登山口だ。しばらく行ってないな。米原ICへの入り口を過ぎる。次に忠太郎の塑像が道端に建っている交差点に来た。架空の人物=やくざなのだが芝居、歌謡曲で実在のように親しまれた。やりすぎとも思う。
 ここを左折すると旧中山道の番場の宿だ。番場は細長い山間の村である。どの家も平屋のせいか、すっきりした家並みである。この村に並行して名神高速道路が貫通している。番場の宿は細長いが、背後は結構広い。番場の意味は馬場とも書くが、乗馬をする場所という。そんな時代があったのか。
 これが山の名前になることもある。猿ヶ馬場山、兎番場(川上岳の点名)、オサンババ(兎馬場、山中山)、白山の南竜が馬場など。皆山上が平で広い山である。
 蓮華寺へ入って300円を払う。金ぴかの菊の御紋が至るところに見える。瓦の屋根の紋にまである。何でも聖徳太子が建立したと説明板があり、見事な紅梅が咲いている。忠太郎地蔵尊はお寺の裏山にあった。台座には『瞼の母』の作者・長谷川伸の「「親をたづねる子には親を、子をたづねる親には子をめぐりあわせ給え」という伸の願いが刻まれている。寺守の主婦2人に聞くと、住職の和尚さんが伸に教えたことがあり、伸もここに来たんだとか。『瞼の母』は伸自身の体験に基づく話なので真に迫ることがあるのだろう。歌舞伎や大衆演劇の舞台の定番でもある。演歌にも取り込まれている。
 https://www.youtube.com/watch?v=EDQ-ifx7n_s
 寺を辞して摺針峠にも行ったが、小さな峠で通り過ぎた。R8から峠に戻って、民家が建っているところまで歩いてみると説明板に琵琶湖を望む茶屋があったという。確かに琵琶湖が見えた。
 一応の予定を終えて、次は三島池に向かった。三島池の渡り鳥はごくごく少数になっていた。伊吹山も春霞ながらきれいに見えた。
 R21に戻ろうと走ると今度は霊仙山が見えた。しかも前衛の阿弥陀ヶ峰が鋭角に聳えていた。修験者が目に付けそうな山容ではある。そして伊吹山を更に押さえた円形=ドーム形の山容である。番場の蓮華寺はその山の端の右にある。近辺には松尾寺山もある。関ヶ原から米原に掛けて、自然、神社仏閣、歴史の舞台に事欠かない。

南鈴鹿・能登ヶ峰に登る2014年11月30日

 11/30(日)は早朝目覚ましがなり、渡邉さんが電気釜にスイッチポン。そのうち寝て居れなくなり、片付けて朝食の準備に取り掛かる。夕べの盛り沢山の料理の残りなどを片付けながら済ます。
 山荘内の掃除清掃整理整頓を全員で行う。
 山荘の前で記念写真を撮影後、仕事でYさんが早立ち、Sさんも帰宅となり、ここでお別れ。残った8名が5台で山行に向かうことに。車は鳥居戸山の駐車場にデポ。3台で鈴鹿スカイラインを走って滋賀県側に行った。大河原で左折。登山口のある黒滝へ向かう。静かな山村でよそ者が珍しいのか、、84歳の媼がしきりに話しかけてきた。
 登山口には看板があり、水路のような谷の橋を渡って、杉の植林の中の道をジグザグしながら登ること1時間30分とはかからず登頂。但し、植林の中の山頂でなにも見えず、すぐに鹿の楽園に向かった。
 鹿の楽園は単に広々とした山上の草原ではなかった。実際の鹿の糞が大量にあって、夜な夜な現れるのだろう。他の笹や草は軒並み食べ尽くされて、アセビの木だけが残っていた。
 ネットで検索すると「馬酔木の名は、「馬」が葉を食べれば毒に当たり、「酔」うが如くにふらつくようになる「木」という所から付いた名前であるとされる。」だが、鹿も同じことらしい。
 糞が少ない茂みの陰で昼食とした。おにぎりが結構美味い。キウイは自家果樹園で取れたらしい。突然、Kさんの携帯電話で身内の不幸を受信。それを告げて、早急に下山へ行動を開始した。円い丘を一旦登って下ると地形図にも記号のある崖の鞍部に着く。そこから登りかえして稜線通しに歩く。地形図で見る以上に急な尾根を下って登るがアセビの大繁茂地帯にあってP696を確認するのに手間取った。
 わざわざ繁茂する樹林の中を行くので鉈で切り落してあるが、素直に稜線の高いところを歩けば歩けた。P696からの下りでまた登り返したところから踏み跡も目印も不明瞭になってしまった。メンバーが手分けしてルートファインディングした。若干登って、ピークの山腹を巻くようなところに錆びたドラム缶を見つけたのはKUさんだった。ここに田村川に下降するルートの表示があってようやく帰路を見出した。下降中も簡単ではなかった。狭い尾根のかすかな踏み跡と赤テープが頼りで心もとない。それでも何とかタラの滝に着いた。
 デポしてあった車に分乗して登山口に戻った。鳥井戸の駐車場に戻ってそれぞれの車に乗って解散となった。2014の忘年山行は終わった。

国地院の地形図に山名は無い。769.3mの三角点があるだけの山。仙ヶ岳の真西にあって、鈴鹿山脈の稜線から離れているために静かな山域である。
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鈴鹿・高畑山に登る 忘年山行2013年12月12日

 12/8の朝までに当初の計画だった四方草山から、メンバーの1人に、夫の病気付き添いがあるので、もっと近場の高畑山に変更された。折角の集いなので皆が賛成して、昨日の三子山の登山口に走った。
 石灯篭の近辺に駐車して歩く。十字路を直進すると道標が現れた。南鈴鹿縦走への出発点でもある。杉林の中を歩いて、まずは、鏡岩に寄った。麓から見ると石が輝くらしい。いわば、鈴鹿の光石(てかりいわ)か。若干の往復をしから縦走路に戻る。道は徐々に高度を上げ始めて急俊になってきた。三河の高畑(海老)も山頂に至るまでに急俊な尾根道を辿るがそんな意味は高畑にはないはずだが・・・。
 杉の植林から痩せ尾根になると周囲は落葉広葉樹林になり、近江側の景色が垣間見える。地味の痩せた尾根筋にはツツジ科の樹木が生える。アセビの木もある。矮小な樹林になったのに天気は今一で展望は良くない。キレットを通過する。風化花崗岩のボロボロのサバ土である。ロープが垂らしてある急斜面をえいっと、攀じ登る。頂上かと思われたがまだ先があった。
 山頂には三角点があり、展望は開豁と思うが冷気を伴う冬の雲のに遮られた。若干の休止で下山。登山口に戻って、会長が「よいお年を・・・」と挨拶して散会した。

 私と会長は名古屋の登山用具店に山スキーの道具を物色することになり同道した。小さなお店はスキー一色の装いで物色中のお客も多かった。結局は勉強(冷やかし)で終わった。
 ビーコン購入はまだ決断できなかった。命を守るのではなく、遺体を捜してもらう道具、という後ろ向きの機能に高価なカネを投じるには未だ疑問が残るのだ。
 ビーコンを装着して安心して雪崩れやすい沢筋に入ってゆく心理に同意できない。雪崩は避けるものであり、向かうのではない。困難に立ち向かってはならず、反アルピニズムを貫くべく、雪山に臆病になりたいものである。アルピニズムとは自然と闘うのではなく、自分と闘うのである。征服ではなく、ご機嫌のいい時機に遊ばせてもらうのである。