秋の流レ谷遡行 ― 2024年09月23日
台風の影響で当初の9月21日から9月23日の計画は中止。代案として久々に流レ谷を遡行してきた。
自宅を未明に出て、入溪地の鈴鹿の朝明渓谷の手前の流レ谷橋に着いた。夏はロープで駐車できないが今日は駐車出来た。
入溪地は橋のすぐ近くから谷の中に降りる。しばらくは荒れた河原歩きで右から廃林道が来る。いくつかある砂防堰堤を乗り越す。
以後は小滝が次々現れて直登する。高巻きではトップの判断でロープを出してもらい確保をして登攀する。6回位は確保してもらった。1回は確保したにも関わらず、足場が確保出来ず、水浴びになり撤退。左の空谷から脆い岩伝いによじ登った。尾根を越えるとトップも上がって来たばかりだった。
その後も適当に手強い滝が現れて登攀を楽しめた。滝の上流に谷底から天然杉の高い木が直立していた。その滝では関西からの5人パーティに追いつかれた。力のあるメンバーらしい。先に行ってもらった。その後すぐの二股で関西の5人は右の本流へ。我々は左の谷に入り中尾根の登山道に出て下山した。
中尾根は何度か歩いているがこんなに痩せ尾根だったかと思うほど険しかった。登山口に近づくと照葉樹林帯になり青いどんぐりが落ちていた。キャンプ場は閑散としている。林道を経て入溪地のPに戻った。谷で出会った5人は多分松尾尾根を下山していてまもなく帰って行った。我々は山休の゙湯で汗を流して帰った。
自宅を未明に出て、入溪地の鈴鹿の朝明渓谷の手前の流レ谷橋に着いた。夏はロープで駐車できないが今日は駐車出来た。
入溪地は橋のすぐ近くから谷の中に降りる。しばらくは荒れた河原歩きで右から廃林道が来る。いくつかある砂防堰堤を乗り越す。
以後は小滝が次々現れて直登する。高巻きではトップの判断でロープを出してもらい確保をして登攀する。6回位は確保してもらった。1回は確保したにも関わらず、足場が確保出来ず、水浴びになり撤退。左の空谷から脆い岩伝いによじ登った。尾根を越えるとトップも上がって来たばかりだった。
その後も適当に手強い滝が現れて登攀を楽しめた。滝の上流に谷底から天然杉の高い木が直立していた。その滝では関西からの5人パーティに追いつかれた。力のあるメンバーらしい。先に行ってもらった。その後すぐの二股で関西の5人は右の本流へ。我々は左の谷に入り中尾根の登山道に出て下山した。
中尾根は何度か歩いているがこんなに痩せ尾根だったかと思うほど険しかった。登山口に近づくと照葉樹林帯になり青いどんぐりが落ちていた。キャンプ場は閑散としている。林道を経て入溪地のPに戻った。谷で出会った5人は多分松尾尾根を下山していてまもなく帰って行った。我々は山休の゙湯で汗を流して帰った。
猛暑の鈴鹿を歩く ― 2024年08月10日
朝4時過ぎに出発。R23で四日市市経由で菰野へ向かう。早朝はさすがに交通量が少ない。四日市市の松屋で朝食を済ます。R477を走って朝明渓谷駐車場へは7時20分到着。
駐車場の管理人に500円支払う。釈迦ヶ岳で行方不明になった人の状況を聞く。現在までに発見はされていない。警察の捜索は1週間で終わるため10日からは山岳会の会員らが手分けして捜索しているらしい。NTTドコモの電波の反応は東の庵座のの滝、中尾根付近だそうだ。どこかの谷に落ちたのだろうか。ご無事を祈る。
7時23分に出発。中峠分岐の道標で左折、谷川を渡渉した辺りは踏み跡が明瞭ではない。目印も見当たらず、山に向かって行くと古い林道が現れた。砂防堰堤の工事用の廃道だろうか。鈴鹿の中央部は風化花崗岩でできているので崩壊が激しい。あちこちに砂防堰堤が作られている。廃道の終点から枝谷を渡渉すると登山道が安定的に続いた。
しばらくは支谷を歩くがやはり堰堤がある。左岸には石垣も見える。最後の堰堤を過ぎると谷が立ってきた。ロープも設置してある。
急登を終えると尾根を本谷へ乗り越す。ここはかつて秋の中峠から下った際、薄暗くて、乗り越しのポイントを見落として滝の方へ進み、音が大きいのでおかしい、と引き返して改めて乗り越しを見つけた思い出がある。
ここまで来ると中峠も近い。峠は平地が近江側迄続いて開放的なところだ。峠から西へ下水晶谷に沿う登山道を辿る。緩斜面に雑木林が広がる素敵な場所である。ツエルトを持ってくればキャンプもできる。水はすぐそばをせせらぎのように流れる。古い炭焼窯の跡を2ヶ所見た。
しかし、標高が下がると急に暑さを感じた。金山から流れる谷の渡渉地点で休憩の後引き返した。下水晶谷は花崗岩の美しい谷だが雨が降らないこともあり藻が生えていた。これでは興趣に欠ける。
中峠に戻って金山を目指す。炎天下で暑かったが多少は風があり樹林もあるので少しは涼しい。いくつもの小ピークを越えた。最後の金山からは独立峰のように聳える釈迦ヶ岳を真正面に仰いだ。
あの樹海の中に救助を待っている登山者がいるのだろう。
金山から羽鳥峰へ向かう時、ちょっとしたミスをした。来た道の先に登山道が続く習性で道標もなく明瞭ではない尾根に入った。登山者の気配がないのでおかしいと思い、少し来た道を戻って見たら分岐がある。ちょうど倒木が進入禁止を示すように落ちていたので廃道と思ったわけだ。
ここからも若干のアップダウンを繰り返し炎熱の羽鳥峰峠に着いた。12時を過ぎた。周囲は白砂青松の表現の通り白い花崗岩の砂地である。青松はないが低灌木の緑が美しい。一幅の山岳画のように思えた。緑陰に入って昼食。さっき汲んで置いた下水晶谷の沢水で梅干しのおにぎりを流し込む。山蟻が盛んに体にまとわりつく。塩分を欲しがっているのだろうか。
昼食後、険しい石段、石畳の登山道を下って朝明渓谷駐車場に到着。西山荘の自販機の清涼飲料水を立て続けに2本飲んだ。
帰路は久々に阿下喜温泉あじさいの里に入った。8/10から盆休みは夏季特別料金ということで900円にアップ。個人的には許容範囲は700円程度なのでぎょっとする。経営母体が変わったみたいだ。
ゆったり湯に浸かった後はまた地道で帰名した。
駐車場の管理人に500円支払う。釈迦ヶ岳で行方不明になった人の状況を聞く。現在までに発見はされていない。警察の捜索は1週間で終わるため10日からは山岳会の会員らが手分けして捜索しているらしい。NTTドコモの電波の反応は東の庵座のの滝、中尾根付近だそうだ。どこかの谷に落ちたのだろうか。ご無事を祈る。
7時23分に出発。中峠分岐の道標で左折、谷川を渡渉した辺りは踏み跡が明瞭ではない。目印も見当たらず、山に向かって行くと古い林道が現れた。砂防堰堤の工事用の廃道だろうか。鈴鹿の中央部は風化花崗岩でできているので崩壊が激しい。あちこちに砂防堰堤が作られている。廃道の終点から枝谷を渡渉すると登山道が安定的に続いた。
しばらくは支谷を歩くがやはり堰堤がある。左岸には石垣も見える。最後の堰堤を過ぎると谷が立ってきた。ロープも設置してある。
急登を終えると尾根を本谷へ乗り越す。ここはかつて秋の中峠から下った際、薄暗くて、乗り越しのポイントを見落として滝の方へ進み、音が大きいのでおかしい、と引き返して改めて乗り越しを見つけた思い出がある。
ここまで来ると中峠も近い。峠は平地が近江側迄続いて開放的なところだ。峠から西へ下水晶谷に沿う登山道を辿る。緩斜面に雑木林が広がる素敵な場所である。ツエルトを持ってくればキャンプもできる。水はすぐそばをせせらぎのように流れる。古い炭焼窯の跡を2ヶ所見た。
しかし、標高が下がると急に暑さを感じた。金山から流れる谷の渡渉地点で休憩の後引き返した。下水晶谷は花崗岩の美しい谷だが雨が降らないこともあり藻が生えていた。これでは興趣に欠ける。
中峠に戻って金山を目指す。炎天下で暑かったが多少は風があり樹林もあるので少しは涼しい。いくつもの小ピークを越えた。最後の金山からは独立峰のように聳える釈迦ヶ岳を真正面に仰いだ。
あの樹海の中に救助を待っている登山者がいるのだろう。
金山から羽鳥峰へ向かう時、ちょっとしたミスをした。来た道の先に登山道が続く習性で道標もなく明瞭ではない尾根に入った。登山者の気配がないのでおかしいと思い、少し来た道を戻って見たら分岐がある。ちょうど倒木が進入禁止を示すように落ちていたので廃道と思ったわけだ。
ここからも若干のアップダウンを繰り返し炎熱の羽鳥峰峠に着いた。12時を過ぎた。周囲は白砂青松の表現の通り白い花崗岩の砂地である。青松はないが低灌木の緑が美しい。一幅の山岳画のように思えた。緑陰に入って昼食。さっき汲んで置いた下水晶谷の沢水で梅干しのおにぎりを流し込む。山蟻が盛んに体にまとわりつく。塩分を欲しがっているのだろうか。
昼食後、険しい石段、石畳の登山道を下って朝明渓谷駐車場に到着。西山荘の自販機の清涼飲料水を立て続けに2本飲んだ。
帰路は久々に阿下喜温泉あじさいの里に入った。8/10から盆休みは夏季特別料金ということで900円にアップ。個人的には許容範囲は700円程度なのでぎょっとする。経営母体が変わったみたいだ。
ゆったり湯に浸かった後はまた地道で帰名した。
ここまでと鈴鹿時雨の峠かな 拙作 ― 2022年11月16日
FBFの報告では今日は鈴鹿でも雨だったらしい。御在所山に登る途次、思わぬ雨で国見峠で引き返した。
思わぬ雨こそは時雨である。
ネットで時雨を検索すると
「時雨(しぐれ)とは晩秋から初冬にかけて、晴れたかと思うと曇り、曇ったかと思うと日差しが出るような時に降ってはすぐ止むような雨を呼びます。
北西の季節風に流された雲が日本海側から太平洋側へ移動する際に盆地で雨を降らせます。京都盆地の北山時雨が有名です。また、時間帯によって朝時雨や夕時雨という表現もあります。」がヒット。
名古屋でも丸の内の事務所に行った際に夕方少雨があった。ああ時雨だと思ったのだ。
真っ黒な西空やがて時雨れけり 拙作
思わぬ雨こそは時雨である。
ネットで時雨を検索すると
「時雨(しぐれ)とは晩秋から初冬にかけて、晴れたかと思うと曇り、曇ったかと思うと日差しが出るような時に降ってはすぐ止むような雨を呼びます。
北西の季節風に流された雲が日本海側から太平洋側へ移動する際に盆地で雨を降らせます。京都盆地の北山時雨が有名です。また、時間帯によって朝時雨や夕時雨という表現もあります。」がヒット。
名古屋でも丸の内の事務所に行った際に夕方少雨があった。ああ時雨だと思ったのだ。
真っ黒な西空やがて時雨れけり 拙作
尾高山の行方不明者遺体で発見 ― 2022年11月15日
https://news.yahoo.co.jp/articles/60f7275fc242ab2fb0c68305b28a7f1a972babe1
11月12日、三重県菰野町で登山に出掛けたまま行方が分からなくなっていた小学校教員の女性が15日朝、山の中で遺体で見つかりました。
警察によりますと三重県四日市市富田栄町(とみださかえまち)に住む小学校教員の梅谷明美さん61歳は11月12日、三重県菰野町にある尾高山に登山に行くと家族に話して外出。
その後、帰宅しないことを心配した家族が13日、110番通報していました。
警察と消防が捜索したところ、15日午前10時すぎ、山頂から1.5キロほど離れた沢辺で、梅谷さんが遺体で見つかったということです。
沢辺は登山道からは離れた場所にあり、遺体には擦り傷もあることから、 警察は梅谷さんが1人で登山中に滑落した可能性があるとみて詳しい状況を調べています。
以上
鈴鹿の前衛峰で533mしかないからすぐに発見されると思っていたら思いがけずに亡くなっていた。一度は歩いたコースだがそんなに危険個所があったわけじゃない。
要するに山での危険は登山者側の不注意か不運であろう。そうならないように慎重な登山を心掛けるしかない。
11月12日、三重県菰野町で登山に出掛けたまま行方が分からなくなっていた小学校教員の女性が15日朝、山の中で遺体で見つかりました。
警察によりますと三重県四日市市富田栄町(とみださかえまち)に住む小学校教員の梅谷明美さん61歳は11月12日、三重県菰野町にある尾高山に登山に行くと家族に話して外出。
その後、帰宅しないことを心配した家族が13日、110番通報していました。
警察と消防が捜索したところ、15日午前10時すぎ、山頂から1.5キロほど離れた沢辺で、梅谷さんが遺体で見つかったということです。
沢辺は登山道からは離れた場所にあり、遺体には擦り傷もあることから、 警察は梅谷さんが1人で登山中に滑落した可能性があるとみて詳しい状況を調べています。
以上
鈴鹿の前衛峰で533mしかないからすぐに発見されると思っていたら思いがけずに亡くなっていた。一度は歩いたコースだがそんなに危険個所があったわけじゃない。
要するに山での危険は登山者側の不注意か不運であろう。そうならないように慎重な登山を心掛けるしかない。
八風街道の文献調査 ― 2022年10月05日
10月2日は秋日和でした。
中央アルプスの寂峰を予定していたがキャンセルに。八風街道の文献調査の宿題を片付けるために菰野町と東近江市の図書館をはしごするドライブに行く。
先ずは菰野町図書館へ。午前中というのに既に暑い。司書さんに来館の目的を告げると親切に立ち合って出してくれた。菰野町史はコピーを依頼、後はスマホに撮影。
次はいなべ市のR421から石榑トンネルをくぐり東近江市湖東町へ。道の駅はごった返していたのでパス。R307から西堀栄三郎記念館へ。湖東町に何の縁か、親が近江商人でこの地で商売していたらしい。知恩院で西堀さんの墓を見たことがあったが近江の人だったのだ。
八風峠について書いた文だったか「峠は高い程良い。高い分高く売れる。」と近江商人の心意気を書いた文を思い出した。数ある鈴鹿の峠でも高く険しい。
ビジネスとアルピニズムは一脈通じる。リスクとは日々の糧を得るという意味のアラビア語だが、高い程リスクもあるが満足感や儲けも大きい。
盟友の今西さんも展示されていた。
隣の湖東町図書館で調べたが核心的な史料はない。永源寺町図書館へ移動。やはり永源寺町史は核心を突くのでコピーを依頼した。
R421を走ると永源寺そばを謳う蕎麦屋に吸い込まれた。昼ご飯を食べていなかったからだ。天ざる蕎麦1300円也。この蕎麦は美味しい。
杠葉尾の山家をぬうように狭い旧街道を走ると八風街道の面影を残す「左 いせ」の道しるべを発見。伊勢参りにはこんな険しい八風峠も越えたんだ。来た甲斐があった。
中央アルプスの寂峰を予定していたがキャンセルに。八風街道の文献調査の宿題を片付けるために菰野町と東近江市の図書館をはしごするドライブに行く。
先ずは菰野町図書館へ。午前中というのに既に暑い。司書さんに来館の目的を告げると親切に立ち合って出してくれた。菰野町史はコピーを依頼、後はスマホに撮影。
次はいなべ市のR421から石榑トンネルをくぐり東近江市湖東町へ。道の駅はごった返していたのでパス。R307から西堀栄三郎記念館へ。湖東町に何の縁か、親が近江商人でこの地で商売していたらしい。知恩院で西堀さんの墓を見たことがあったが近江の人だったのだ。
八風峠について書いた文だったか「峠は高い程良い。高い分高く売れる。」と近江商人の心意気を書いた文を思い出した。数ある鈴鹿の峠でも高く険しい。
ビジネスとアルピニズムは一脈通じる。リスクとは日々の糧を得るという意味のアラビア語だが、高い程リスクもあるが満足感や儲けも大きい。
盟友の今西さんも展示されていた。
隣の湖東町図書館で調べたが核心的な史料はない。永源寺町図書館へ移動。やはり永源寺町史は核心を突くのでコピーを依頼した。
R421を走ると永源寺そばを謳う蕎麦屋に吸い込まれた。昼ご飯を食べていなかったからだ。天ざる蕎麦1300円也。この蕎麦は美味しい。
杠葉尾の山家をぬうように狭い旧街道を走ると八風街道の面影を残す「左 いせ」の道しるべを発見。伊勢参りにはこんな険しい八風峠も越えたんだ。来た甲斐があった。
雨乞岳の行方不明の人は ― 2022年09月16日
FBのタイムラインにアップされた息子さんの訴え
「 いつも山本進二と懇意にして頂いている皆さんありがとうございます。
山本進二の長男の山本慶太と申します。
父進二が、9月12日(月)に滋賀県の雨乞岳に入山した以来、消息を絶っています。
15時に家族に東雨乞岳の写真とともに、「今から下山します。」とメッセージを送り、その後18時30分頃に「少し帰りが遅れます。」と再度連絡を入れて以降、既読がつかない状態となってしまいました。
もし、登山関係のご友人で、12日の登山に関して連絡を取られた方がいらっしゃったら、連絡いただきたく存じます。
本人の行動の情報が少なく、少しでも情報を得たいと思っております。
13日以降、警察、消防の方がいずれも懸命に探してくださっています。私も現場におり、連絡いただければ消防、警察の方にすぐお伝えできますので、12日にSNS等でも連絡取られた方いらっしゃればなにとぞご一報ください。
連絡先 09063299900(山本慶太)
(山中のため少し繋がりにくいタイミングもあります。)」
※チラシは発見後は削除します。
9/17は武平峠から御在所岳に登る登山道の滋賀県側の峠谷を遡行する予定でしたが友人?が9/16に遡行されたようです。
9/12の18時30分の最後の電話をしてきた時点で本人は計画より下山が遅れたことで遭難したとの自覚するまでのアクシデントの事態にまでは成っていなかった。電話が通じたのは東雨乞岳だった。遊園地の御在所岳周辺も濃厚だから本人は近いところにいただろう。
「 いつも山本進二と懇意にして頂いている皆さんありがとうございます。
山本進二の長男の山本慶太と申します。
父進二が、9月12日(月)に滋賀県の雨乞岳に入山した以来、消息を絶っています。
15時に家族に東雨乞岳の写真とともに、「今から下山します。」とメッセージを送り、その後18時30分頃に「少し帰りが遅れます。」と再度連絡を入れて以降、既読がつかない状態となってしまいました。
もし、登山関係のご友人で、12日の登山に関して連絡を取られた方がいらっしゃったら、連絡いただきたく存じます。
本人の行動の情報が少なく、少しでも情報を得たいと思っております。
13日以降、警察、消防の方がいずれも懸命に探してくださっています。私も現場におり、連絡いただければ消防、警察の方にすぐお伝えできますので、12日にSNS等でも連絡取られた方いらっしゃればなにとぞご一報ください。
連絡先 09063299900(山本慶太)
(山中のため少し繋がりにくいタイミングもあります。)」
※チラシは発見後は削除します。
9/17は武平峠から御在所岳に登る登山道の滋賀県側の峠谷を遡行する予定でしたが友人?が9/16に遡行されたようです。
9/12の18時30分の最後の電話をしてきた時点で本人は計画より下山が遅れたことで遭難したとの自覚するまでのアクシデントの事態にまでは成っていなかった。電話が通じたのは東雨乞岳だった。遊園地の御在所岳周辺も濃厚だから本人は近いところにいただろう。
鈴鹿の雨乞岳で行方不明 ― 2022年09月15日
FBのタイムラインにFBF父親が鈴鹿の雨乞岳で行方不明になっていることを伝えるコメントが流れてきた。アカウントは行方不明の父親だが発信者は息子さんである。現在までにネットのメディアにはアップされていない。
9/12(月)に入山した。15時に東雨乞岳の写真を受信、18時30分頃「少し帰りが遅れます」の受信が最後になった。13日から警察、消防が捜索に入ったが15日現在までに発見されていない。それでFBFに発信されたのだろう。
雨乞岳は鈴鹿山脈から離れているが第二位の標高ということもあり人気が高い。登山者が多いこともあり遭難者も多いのは仕方がない。多くは武平峠からの往復である。ところが道迷いの事故も多い。また稲ヶ谷では2021年5月に死亡事故があったばかりだし、2020年には雨乞岳で行方不明とされながら御在所岳に突き上げる黒谷で遺体で発見されている。
往復だけでは物足りなくなった登山者は御在所岳をタッチして下山するのだろう。ヤマップにはそんな周回登山の記録も多数ある。今回の行方不明の人も御在所山への尾根か沢に取り付いて事故ったのか。滑落すると骨折、動けない、谷の中は電波が通じないとの想像から谷のどこかで遭難し救助を待っている。
9/12(月)に入山した。15時に東雨乞岳の写真を受信、18時30分頃「少し帰りが遅れます」の受信が最後になった。13日から警察、消防が捜索に入ったが15日現在までに発見されていない。それでFBFに発信されたのだろう。
雨乞岳は鈴鹿山脈から離れているが第二位の標高ということもあり人気が高い。登山者が多いこともあり遭難者も多いのは仕方がない。多くは武平峠からの往復である。ところが道迷いの事故も多い。また稲ヶ谷では2021年5月に死亡事故があったばかりだし、2020年には雨乞岳で行方不明とされながら御在所岳に突き上げる黒谷で遺体で発見されている。
往復だけでは物足りなくなった登山者は御在所岳をタッチして下山するのだろう。ヤマップにはそんな周回登山の記録も多数ある。今回の行方不明の人も御在所山への尾根か沢に取り付いて事故ったのか。滑落すると骨折、動けない、谷の中は電波が通じないとの想像から谷のどこかで遭難し救助を待っている。
ヤマヒルが這い登るわが登山靴 拙作 ― 2022年05月19日
八風峠への古道歩きでの一コマ。そんなに暑くもないので居ないか、と期待したが居た居た。私の登山靴のかかとから這い上がってきた。用意の良い人は塩を振りかけてくれたら丸くなって落ちた。
シロヤシオ白い霧吹く夏の山 拙作 ― 2022年05月17日
八風街道は今が美しい。シロヤシオの林は感動的だった。そこを白い霧が流れてゆく。
青嵐八風峠風止まず 拙作 ― 2022年05月14日
朝7時金山駅前に集合。8人で2台に分乗して出発。往きは東名阪が工事中で混むので伊勢湾岸経由で行く。1台は菰野ICから田光を経て八風峠登山口へ、もう1台は大安ICから石榑トンネルを経て近江側の登山口へ向かった。
私は伊勢側の旧知の街道を歩いた。田光川に沿う山道を行くと新緑の今は山が一番美しい季節に思う。キャンプ場を過ぎると、小鳥が叫び、飛び交う山奥に入る。全山生命力にあふれている。登山口まで乗り入れるて、準備を終え、ヤマップのGPSを作動させてからゆっくりと歩き出す。
当面は林道の廃道のような広いが石ころが多い道が続く。後続があさっそくヤマヒルが出てきたと騒いでいる。広い山路にふさわしくない鳥居もある。今までなら無関心で通り過ぎたが今回は古道調査なので写真を撮影しておく。結構いくつもの被写体があった。お旅所旧跡なんて今まであったのかと思う。
左手の栗木谷を見ながら歩くがいくつもの砂防堰堤が見える。580m付近で大きな堰堤は終り、そこから右岸に渡り細い山路に入った。この細道にも旧跡があり、撮影していった。何よりも喜ばせたのはシロヤシオの花盛りだったことだ。少しだがシャクナゲの花も見える。足元には岩鏡の小花が咲き乱れている。
天気予報では午前6時からは20%の降雨率で晴れる見込みだったが、登山口から峠までずっと曇りであり、山霧が風に吹かれて流れていく。少し寒いから北からの風であろうか。南に梅雨前線が並び、中国大陸の高気圧が張り出し、北には低気圧がある。鈴鹿山脈は低気圧圏内にあるから北から風が吹き込みやすいのだろう。
久々の八風峠だ。20年ぶりだろうか。記憶にない新しい鳥居が建っている。昔、友人と登ったとき、友人が足元で古銭を拾った。江戸時代のものだったと記憶している。
滋賀県との県境稜線に立つと日本海側の低気圧からの強風で小さな嵐だった。俳句歳時記では青嵐に相当する。登山口から約2時間後の11時に登頂だ。
近江側のパーティを待った。霧と強風で安楽な気がしない。それでも軽い中食と飲み物を飲んで休んだ。峠周辺はシロヤシオの林であった。待っても中々来ないから大声でコールして見た。くる気配はしなかった。1時間後に道中で会うことにして下山を開始した。
県境から鞍部に下ると八風谷の道標があった。ここはもの凄く寒かった。こここそ本当の峠(鞍部)なので風を集めるからだ。合羽を着こんで置いて良かった。誰かが低体温症になるぞ、と警告している。本当だ。こんなところで60歳代から70歳代のおじさんおばさんが低温で倒れたら、だから言わんこっちゃない、と散々叩かれるだろう。
少し下った辺りで近江側と合流できた。ほっとした。伊勢側の運転者は戻り、近江側の運転者も八風峠は初めてゆえに頂上を踏みに行った。
近江側も伊勢側と同様の風化花崗岩の崩れやすい地質だった。崩れやすく滑りやすい路肩に留意しながらゆっくり下った。ある程度まで来たら運転者が戻ってきた。下るにつれて渓相も安定し、沢登りしたくなるような美しい渓谷になった。
杉の植林帯に入ると踏み跡も安定してきた。道も平坦になり、歩きやすくなる。旧跡というものは見当たらなかった。広い氾濫川原が見えた。砂防堰堤で河原が広がったらしい。対岸へ渡渉するところがあったが、右岸の破線路が街道だろうと、廃道同然の破線路にしたがった。踏み跡は殆どないが迷うと現れるから不思議だ。路肩が崩壊しているところもあるし、倒木もあるしで難路である。とかく谷沿いの山道は壊れやすい。
舗装道路へ出た時はほっとした。確かにこの辺りは分かりにくい。歴史の古道として整備することはないのだろう。八風谷橋でR421のPに着いた。石榑トンネルはすぐ右だ。峠を越えていた時代には想像もつかないくらいのクルマが往来している。しかもすごいスピードである。
八風街道はわずかに残された歴史の断片である。
私は伊勢側の旧知の街道を歩いた。田光川に沿う山道を行くと新緑の今は山が一番美しい季節に思う。キャンプ場を過ぎると、小鳥が叫び、飛び交う山奥に入る。全山生命力にあふれている。登山口まで乗り入れるて、準備を終え、ヤマップのGPSを作動させてからゆっくりと歩き出す。
当面は林道の廃道のような広いが石ころが多い道が続く。後続があさっそくヤマヒルが出てきたと騒いでいる。広い山路にふさわしくない鳥居もある。今までなら無関心で通り過ぎたが今回は古道調査なので写真を撮影しておく。結構いくつもの被写体があった。お旅所旧跡なんて今まであったのかと思う。
左手の栗木谷を見ながら歩くがいくつもの砂防堰堤が見える。580m付近で大きな堰堤は終り、そこから右岸に渡り細い山路に入った。この細道にも旧跡があり、撮影していった。何よりも喜ばせたのはシロヤシオの花盛りだったことだ。少しだがシャクナゲの花も見える。足元には岩鏡の小花が咲き乱れている。
天気予報では午前6時からは20%の降雨率で晴れる見込みだったが、登山口から峠までずっと曇りであり、山霧が風に吹かれて流れていく。少し寒いから北からの風であろうか。南に梅雨前線が並び、中国大陸の高気圧が張り出し、北には低気圧がある。鈴鹿山脈は低気圧圏内にあるから北から風が吹き込みやすいのだろう。
久々の八風峠だ。20年ぶりだろうか。記憶にない新しい鳥居が建っている。昔、友人と登ったとき、友人が足元で古銭を拾った。江戸時代のものだったと記憶している。
滋賀県との県境稜線に立つと日本海側の低気圧からの強風で小さな嵐だった。俳句歳時記では青嵐に相当する。登山口から約2時間後の11時に登頂だ。
近江側のパーティを待った。霧と強風で安楽な気がしない。それでも軽い中食と飲み物を飲んで休んだ。峠周辺はシロヤシオの林であった。待っても中々来ないから大声でコールして見た。くる気配はしなかった。1時間後に道中で会うことにして下山を開始した。
県境から鞍部に下ると八風谷の道標があった。ここはもの凄く寒かった。こここそ本当の峠(鞍部)なので風を集めるからだ。合羽を着こんで置いて良かった。誰かが低体温症になるぞ、と警告している。本当だ。こんなところで60歳代から70歳代のおじさんおばさんが低温で倒れたら、だから言わんこっちゃない、と散々叩かれるだろう。
少し下った辺りで近江側と合流できた。ほっとした。伊勢側の運転者は戻り、近江側の運転者も八風峠は初めてゆえに頂上を踏みに行った。
近江側も伊勢側と同様の風化花崗岩の崩れやすい地質だった。崩れやすく滑りやすい路肩に留意しながらゆっくり下った。ある程度まで来たら運転者が戻ってきた。下るにつれて渓相も安定し、沢登りしたくなるような美しい渓谷になった。
杉の植林帯に入ると踏み跡も安定してきた。道も平坦になり、歩きやすくなる。旧跡というものは見当たらなかった。広い氾濫川原が見えた。砂防堰堤で河原が広がったらしい。対岸へ渡渉するところがあったが、右岸の破線路が街道だろうと、廃道同然の破線路にしたがった。踏み跡は殆どないが迷うと現れるから不思議だ。路肩が崩壊しているところもあるし、倒木もあるしで難路である。とかく谷沿いの山道は壊れやすい。
舗装道路へ出た時はほっとした。確かにこの辺りは分かりにくい。歴史の古道として整備することはないのだろう。八風谷橋でR421のPに着いた。石榑トンネルはすぐ右だ。峠を越えていた時代には想像もつかないくらいのクルマが往来している。しかもすごいスピードである。
八風街道はわずかに残された歴史の断片である。
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