春の鳶 寄りわかれては 高みつつ 飯田龍太2021年03月06日

 鳶が二羽、春の空に舞う。寄り合ったかと見ると、たちまち別れ、次第に空の高みへと、せり上がってゆく。まるで何かに押しあげられるように上昇気流に乗って。春を迎えて求愛の飛翔だろうか。
 この句の中七以下を細かく区切ってみると、「寄り」「わかれては」「高み」「つつ」のようになるが、いずれも鳶の刻々の動きを言葉で具象化してゆく表現。作者がいかに対象の動きを細かく文節化する才能に恵まれているかが判る。
 そして、その細分化された対象の動きを一気に力強い詠み方で合体させるとき、句全体はきびきびした律動を与えられる。昭和28年刊『百戸の谿』所収。

飯田龍太は2007年二月下旬に亡くなった。飯田龍太は飯田蛇笏の4男として誕生。「雲母」主宰を勤めるが、もう十数年も前に自分の結社も解散した。潔いと言えよう。日本芸術院会員。
以上
ブログhttp://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-1207.html?sp
から転載。
・・・まるで動画を見ているようなゆるやかな動きのある俳句でした。

いきいきと 三月生る 雲の奥 飯田龍太2021年03月04日

 確か、朝日新聞の大岡信のコラムで知った記憶がある。一読して大らかな把握、伸び伸びした表現に感心したものだった。
 未だコロナ禍は終息はせず、警戒しながらも生活する。ただしワクチンの国民的投与が始まる。今は準備中である。国民の多数が接種すれば沈下していくだろう。特に不特定多数の人に接する仕事の人は必須である。
 コロナ禍が終息の目途がついたら山に行くもよし。旅にも出かけたい。旅先で雲の動きを眺めて解放感に浸るが良い。

草の戸も住替る代ぞひなの家 芭蕉2021年03月03日

芭蕉データベースから
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno011.htm

 月日は百代の過客*にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ*馬の口とらえて老をむかふる物*は、日々旅にして 、旅を栖とす。古人*も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の 思ひやまず、海浜にさすらへ*、去年の秋江上の破屋*に蜘の古巣をはらひて、や ゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神*の物につきて心をくるはせ、道祖神*のまねきにあひて取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里*に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて*、住る方は人に譲り、杉風が別墅*に移るに、

 「雛の家」という ように芭蕉が立ち退いた後の芭蕉庵は、女の子のいる家族が移り住んだようだ。この譲受人は兵右衛門という妻子持ちであった。『一葉集』には、「・・・。日比住みける庵を相知れる人に譲りて出でぬ。この人なむ、妻を具し、娘・孫など持てるひとなりければ」と詞書が付けられている。 どうも兵右衛門夫婦は若い人達ではなかったらしい。
 なお、この句は、
草の戸も住み替る世や雛の家
(真蹟短冊)
ともある。こちらが初案であろう。 「世」から「代」へ変更は「世帯」から「時代」への時代の変化を意味しているのであろう。「や」と「ぞ」で句勢がまったく異なってくる。

・・・・春ともなれば旅に出たくなる。旅に出るために住んでいる家も処分した。かつての草庵には女の子がいる親子が住んでいる。今日はひな祭りの日だ。

コレラの家を出し人こちへ来りけり 高浜虚子2021年02月13日

 (虚子五句集P43。「五百句」大正3年作)
・・・句意は明瞭。コレラに罹患した家から人が出てきてこっちへ向かって来る、自分も菌を移されないように気を付けよう、というのである。季語はコレラで夏の俳句)

 こんな俳句を思い浮かべたのは、数日前に、実弟の夫婦がコロナウイルスに罹患して入院中と知人を通じて聞いたからだ。
 本人から今電話があり、掛かりつけの病院に入院して一時の重い症状は脱したとのことだった。今はアビガンを注射されて回復の途上にあるとのことでほっとした。
 その話の中に、一足先に退院した妻が帰った際に、他の人との接触で、弟の妻にウイルスが移らないか心配だ、ということをまず話すという。本来なら、どうですか、退院できて良かったね、とお見舞いの一言を声掛けして欲しいのに忌避される態度に出られたことに憤慨していたのである。
 大正時代のコレラ流行でも人々はコレラの家から出て来た人と話をすると感染するんではないか、と疑心暗鬼になり、表記のような俳句が生まれたのである。時代は変わっても人心は変わらないのだと思う。

物言えば唇寒し秋の風 松尾芭蕉2021年02月11日

 今は春だが社会ではとんでもない椿事が起きた。以下にアップした言葉が切り取られて女性蔑視というのである。言霊を信じてよく考えないとトラブルになる。
 
 句意ははっきりしている。コトバンクから

 「芭蕉の句で、貞享年間(一六八四‐八八)に成ったといわれる「座右の銘」、「人の短をいふ事なかれ 己が長をとく事なかれ」のあとに添えられているもの。人の短所を言った後には、なんとなくさびしい気持がする。転じて、なまじよけいなことを言えば、そのためにわざわいを招くということ。口は禍の門。
※滑稽本・七偏人(1857‐63)四「もの言(イヘ)ば唇さむし秋の風だ。何でも口数が多いと襤褸が出るから」

森会長の問題とされる発言は
 「これはテレビがあるからやりにくいんだが。女性理事を選ぶというのは、日本は文科省がうるさくいうんですよね。

 だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。これは、ラグビー協会、今までの倍時間がかかる。女性がなんと10人くらいいるのか? 5人いるのか? 女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。

 あまり言うと新聞に漏れると大変だな。また悪口を言ったと言われる。女性を増やしていく場合は、「発言の時間をある程度、規制を促しておかないと、なかなか終わらないので困る」と言っておられた。誰が言ったかは言わないけど。そんなこともあります。

 私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。」

というわけで、マスコミに切り取られて大騒ぎになり、辞任に追い込まれてしまった。正に口は禍の元。否コロナウイルスも口から唾を飛ばして感染してます。

父母の亡き裏口開いて枯木山 龍太2021年01月28日

この句も人口に膾炙している。裏口が開いて、なんとは無しに両親がそこにいるような気がする。「山慮」は枯木山につながっている。
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白梅のあと紅梅の深空あり 龍太2021年01月27日

印象明瞭な句。河東碧梧桐の”赤い椿白い椿と落ちにけり”を思った。龍太のオリジナルに違いないが、碧梧桐の句は龍太の脳裏の底に刻み込まれている。2月になってからの季題だが、今は温暖化で既に咲き始めている。

枯れ果てて誰か火を焚く子の墓域 龍太2021年01月26日

 何でこんな句が生まれたのか。検索すると父蛇笏と同じく、逆縁の悲しみを抱いてきた人だった。

「 抱く吾子も梅雨の重みといふべしや

 昭和二十六年の作であるから、長女公子・八歳、次女純子は前年に出生している。したがって、この句は次女を対象としている。八歳の子では重すぎるであろうし、梅雨の重みとしては適当ではない。じめじめした長雨の大気の重さを、抱いた子の重みと感じた表現に、新しい俳句の方向がみえ新鮮である。しかも、「いふべしや」ときっぱり言ったことで、作品に重厚さがにじむ。長女、次女とも今は亡く、蛇笏同様に逆縁の憂き目をみる。」とあるごとくである。

 今日では個人情報の極みではあるが、
https://plaza.rakuten.co.jp/kamomeza/diary/201209080000/
「(補足)2016年11月26日
多くの年譜でもあえて触れられていないが、龍太の妻は、兄総一郎の妻であった俊子(1924-2008)である。いわゆる逆縁婚(レビラト婚)であった。これが、戦争がもたらした厳しい現実である。俊子は総一郎の間に公子を儲け、龍太との間に純子、秀實、由美子を儲けている。」

・・・龍太は兄の戦死により、兄総一郎の妻俊子と子の公子を家族にしたのである。子にした公子も先に死んでしまった。こんな深い真相を知ってしまうと表題の俳句もいっそう悲しみを帯びる。

 結局、人間を読め、と偉そうに主張した一派が勢力を増した時期があった。そんなことは幸せな人たちであろう。悲しみを背負って生きる人は自然に心を寄せるのである。
 山岳俳句の前田普羅、また現代俳句の岡田某にしても弟が自殺するという悲しみを背負うから山岳美に没頭することでしか心の安寧が得られないのである。こうしてみると前田普羅と飯田蛇笏が意気投合したのも似通った境遇と山に寄せることで人格を陶冶していったのであろう。人生の不安定さに比べれば山は不動の位置にいつもいてくれるからその安心感を得るためである。

銀鼠色の夜空も春隣り 龍太2021年01月25日

伝統の色は
https://irocore.com/ginnezumi/#:~:text=%E9%8A%80%E9%BC%A0%EF%BC%88%E3%81%8E%E3%82%93%E3%81%AD%E3%81%9A%EF%BC%89%E3%81%A8,%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82
 銀鼠(ぎんねず)とは、銀色のようなほんのり青みを含んだ明るい灰色のことです。古くは『錫色すずいろ』とも。江戸中期は度々「奢侈禁止令しゃしきんしれい」が発布され、派手な色の着物が禁止されていました。そのため元々は地味な色と考えられていた茶系・鼠系の着物ですが、僅かな色の違いを粋に着こなすことが大流行し、様々な種類の茶色や鼠色が生まれました。いわゆる『四十八茶百鼠しじゅうはっちゃひゃくねずみ』のことです。銀鼠もそんな流行色の一つでした。

 銀鼠は水墨画でいうところの「墨の五彩ごさい」の「淡」にあたります。ちなみに、五彩とは単純に五色の色合いのみ表す言葉ではなく、墨の濃淡により無限の色を表現できるという意味です。

 銀は古くから「しろがね」と呼ばれるように、銀鼠も白系統の色に入ります。
以上

https://furigana.info/w/%E9%8A%80%E9%BC%A0%E8%89%B2

銭形平次捕物控:131 駕籠の行方 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)

用例:が、駕籠の側に付いていた若い男が、何やら駕籠屋に耳打ちをすると、そのまま駕籠をあげて銀鼠色の夕靄に包まれた暮の街を、ヒタヒタと急ぎます。

・・・珍しい用例です。俳句作品では初見。銀色を帯びた少し明るい灰色。英語ではシルバーグレー。明治時代以前の文学作品には結構つかわれていたみたいです。
 どことなく明るい感じが春も近いぞと思ったのです。

山河はや冬かがやきて位につけり 龍太2021年01月23日

「俳句の教科書」からの鑑賞文
https://haiku-textbook.com/iida-ryuta/

 飯田龍太の第一句集『百戸の谿(ひゃっこのたに)』の中の代表作です。飯田龍太が暮らした、山梨の故郷の村での景色を詠んだ句です。冬を迎えた澄んだ空気に満ちた故郷の姿が詠みこまれています。
以上

・・・父の蛇笏の句にも”芋の露連山影を正しうす”がある。山梨県にも多数の川は流れているが湿潤なイメージよりも乾燥した風土の寒さのイメージが強くある。やはり日本海から遠く離れているから湿気が上がる度合いが違う。湿った空気は立山や北アルプスで落とされて八ヶ岳まで来ると湿気のとれた乾燥した空気になるのだろう。どこかに黒々とした岩場も見えており、且つ雪の斜面も明るい日差しに輝くのである。真っ黒に見えた高峰が冬になり雪を付けて輝く。川も山も位置は変わらねど一変したんだなあ、という詠嘆を味わいたい。