鶏むしるべく冬川に出でにけり 飯田龍太2023年12月28日

 朝一でタイヤ交換をする予定だったが、昨夜の忘年会の酔い覚ましで半日を無為に過ごしてしまった。午後から久しぶりに行きつけの喫茶店で怠惰な時間をむさぼる。新聞3紙と週刊誌2誌をざっと読む。今の話題は豊富である。
1 相続とか終活の話題
2 老後の健康と薬の話
3 政治の話題
4 経済の話等々
 午後からは買い物に出かけた。年末に食う年越しそばと汁に使う鶏ガラを買う。実家にいた子供の頃は、年末になると飼っていた鶏1羽を父親が捻った。それを私が近くの川に行って羽をむしった。むしると北風が吹いてきてふぁーっと空中に舞って飛んで行った。掲題の俳句はそんな思い出に直結する。特に名句でもないがありのままに描写されていかにも骨格の太い龍太の俳句らしい。
 他に牛肉、鶏肉、白菜、しいたけ、チーズ、真鱈の切り身とたくさん買い過ぎた。
 帰宅後はアマゾンから小さめの擂鉢、擂粉木を注文した。便秘解消のために大和芋を食べ始めたら覿面に効果がある。

1 おろし器でおろし、

2 擂鉢で汁と生卵を合わせてすりおろす。

3 ご飯にかける

 おろし器ですり下ろすのを止めて擂鉢で直接摺ると結構摺れると分かった。しかし、どの器具にも粘った残りものが出る。
 しかも1本の大和芋で3食分はあるので余る。今の時期は暖房の無い部屋で保存して食べ尽くす。日常的に四季を通じて食すとなると調理は一食分のみにしたい。そこで丼の大きさの擂鉢を購入して、そこにご飯を入れて混ぜて食えば残らない、というわけだ。

吹き飛ばす石は浅間の野分かな 芭蕉2023年10月10日

https://www.asahi.com/articles/ASRB86S33RB7UUHB007.html

朝日岳は「風遭難多い山」 那須連山で最も風が吹き抜けるコース

この登山道について、那須連山にある、三斗小屋温泉の大黒屋旅館の館主、高根沢春樹さん(41)は「もっとも風が吹き抜ける場所」と指摘する。「那須の山は、標高2千メートルもないが、風だけは標高3千メートル以上の山と同じぐらいの強さだ」

 同温泉の煙草屋旅館の館主、野本芳彰さん(53)は「那須の山には5日午後からずっと風速20メートル超の予報が出ていた。その中で小雨が降ったりやんだり。悪いコンディションだった」と話した。

 5日は帰途につく泊まり客に「沼ッ原湿原へ向かえば林間なので風の影響を受けない。そこからタクシーで帰ったら」と助言した。

 6日は、強風のためキャンセルが相次ぎ、予約客約30人のうち6人しか来なかった。同日朝、同旅館付近の気温はおよそ4度。朝日岳は標高が高いので、気温はもっと低い。

 ただ、野本さんは「例年、風…
以上

 この時期の北関東は空っ風が有名である。那須・朝日岳の遭難も風に禍された。情報収集を誤った結果であろう。
 掲題の俳句は軽井沢の辺りで詠まれた芭蕉の作品である。野分こそこの時期の強い風のことである。石でさえも吹き飛ばすくらいの勢いのある風である。防風防寒対策をした上で行くか撤退か判断するが、この日なら撤退だったであろう。

六月の女すわれる荒筵 石田波郷2023年06月01日

増殖する俳句歳時記から

 作者が実際に見た光景は、次のようだった。
 「焼け跡情景。一戸を構えた人の屋内である。壁も天井もない。片隅に、空缶に活けた沢瀉(おもだか)がわずかに女を飾っていた」(波郷百句)。

 「壁も天井もない」とは、ちゃんとしたそれらがないということで、四囲も天井もそれこそ荒筵(あらむしろ)で覆っただけの掘っ立て小屋だろう。焼け跡には、こうした「住居」が点在していた。
 女が「六月」の蒸し暑さに堪えかねたのか、壁代わりの筵が一枚めくり上げられていて、室内が見えた。もはや欲も得もなく、疲労困ぱいした若い女が呆然とへたり込んでいる。
 句の手柄は、あえて空缶の沢瀉を排して、抒情性とはすっぱり手を切ったところにある。句に抒情を持ち込めば哀れの感は色濃くにじむのだろうが、それでは他人事に堕してしまう。この情景は、詠まれた一人の女のものではなく、作者を含めて焼け跡にあるすべての人間のものなのだ。
 哀れなどの情感をはるかに通り越したすさまじい絶望感飢餓感を、荒筵にぺたんと座り込んだ女に託して詠みきっている。焼け跡でではなかったけれど、戦後の我が家は畳が買えず、床に荒筵を敷いて暮らしていた。あの筵の触感を知っている読者ならば、いまでも胸が疼くだろう。『雨覆』(1948)所収。(清水哲男)

 もう一つ別の鑑賞では「六月のある日、戦争ですべてが焼き尽くされ、何も残っていない「荒筵」に、女が一人座っているよ。 戦後、焼け跡の地で春を売って生業としている女性をテーマに詠んだ句」とされる。

・・・・戦後生まれ、戦後育ちの私には理解を超える句である。

麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子2023年03月06日

 朝から快晴だ。やや暖かい。日差しも春らしい。今朝は早くに布団干しにした。この部屋は東南の角に当たるから12時には日陰になる。約3時間ほどの貴重な日照である。
 見出しの俳句は最近取り上げられることの少ない山口誓子の句である。おそらく今頃の季節に詠まれたのではないか。ネットでは「日本ではJIS規格によって月曜日が七曜の始まりと決められている」ので今日は週の始めになる。
 仕事も少し進展があった。プライベートでも遅々としながらも進んでいく。こんな時は心も弾む。まさにスプリングである。

なにがうそでなにがほんとの寒さかな 久保田万太郎2023年01月31日

 愛知県知事選の投票日は2/5。そろそろ期日前投票に行きたい。しかし意中の候補者がいない。
 掲句のように何がホントで何が嘘なのか、見極め難い。

 愛知県知事選挙に立候補した6氏の経歴・政策まとめ
 https://news.yahoo.co.jp/articles/5e1a925be49074922ef4f306c8f588c9f9cc9d28

 任期満了に伴う愛知県知事選挙が1月19日告示、2月5日投開票の日程で実施されています。今回の愛知県知事選挙には届け出順に無所属新人の
 安江朗氏(55)、無所属新人の
 末永啓氏(37)、政治団体「起きる会。」新人の
 山下俊輔氏(60)、無所属新人の
 上原俊介氏(46)、共産党が推薦し社民党が支持する無所属新人の
 尾形慶子氏(65)、自民党愛知県連・立憲民主党・公明党・国民民主党が推薦する無所属現職の
 大村秀章氏(62)の6名が立候補しました。

1 安江氏は愛知県岩倉市出身、仏教大学中退。外資系企業や国際NGOボランティアを経て、現在は会社社長を務める
安江氏は愛知県岩倉市出身、仏教大学中退。外資系企業や国際NGOボランティアを経て、現在は会社社長を務める

安江氏は愛知県岩倉市出身、仏教大学社会学部中退。

外資系企業、国際NGOボランティア、トヨタ自動車等の勤務を経て、現在は医療コンサルタント会社社長を務めています。

2 末永氏は青山学院大学卒業。衆院議員秘書を経て、春日井市議を3期務める
末永氏は青山学院大学卒業。衆院議員秘書を経て、春日井市議を3期務める

末永氏は青山学院大学卒業。

衆議院議員秘書を経て、2011年から春日井市議会議員を3期務めました。

2022年には春日井市長選挙に立候補しました。

末永氏が掲げる政策とは
末永氏は以下の政策を公表しています。

・物価高への対応・賃金上昇対策として、最低賃金を引き上げることを目下の課題であり、現行986円から欧州並みの1.5~2倍にすることを労働経済政策の目標値とする。総合経済政策として、老朽化したインフラの再整備、フリーエネルギーへの設備投資等の公共事業、名古屋市と歩調を合わせた県民税減税、学生ローン返済免除など、国の緊縮財政とは真逆の積極財政に転換する。愛知県から通貨を発行して配布する。

・新型コロナウイルス感染症対策の抜本的な見直しを実施する。PCR検査やワクチン接種を即時中止する。

・産業振興・スタートアップ企業支援として、子どもが好きなことを見つけて続けられるように教育から改め、一人ひとりの生み出す力を伸ばす。コロナ関連予算を組み替え数千億円規模の若者スタートアップ基金を創設し、学生ローンの返済免除、賃金1.5~2倍ターゲット総合経済政策を実施する。現役世代の起業、伝統文化の継承、耕作放棄地の営農等の支援、生産拠点の国内回帰や首都圏からの本社機能移転を促進する。

・少子化対策・教育子育て支援に関して、子宮頸がん(HPV)ワクチンやコロナワクチンの接種、PCR検査を廃止しマスクも撤廃する。助産院を支援し自然分娩を促進する。教育委員会は委員を入れ替え抜本改革する。

・防災・減災対策として、エネルギー自給率アップに取り組む。老朽化するインフラの再整備をしつつ、タルタリア文明の建築を復興し、トヨタ自動車等と連携して電線の要らないフリーエネルギーを実用化し普及させる。

・共生社会の実現のため、教育や人づくりを抜本的に見直す。

3 山下氏は三重県朝日町出身、國士舘大学中退。現在は経営コンサルタント会社代表を務める
山下氏は三重県朝日町出身、國士舘大学中退。現在は経営コンサルタント会社代表を務める

山下氏は三重県朝日町出身、國士舘大学政経学部一部経営学科中退。

現在は経営コンサルタント会社代表、政治団体「起きる会。」代表を務めています。

4 上原氏は名城大学卒業。薬剤師として薬局に務める
上原氏は名城大学卒業。薬剤師として薬局に務める

上原氏は名城大学薬学部卒業。

製薬会社勤務を経て、現在は愛知県武豊町内の薬局で薬剤師として勤務しています。

上原氏が掲げる政策とは
上原氏は以下の政策を公表しています。

・物価高や賃金上昇対策として、間接的支援として自動車税の減税を行う。

・新型コロナはただの風邪と認識して感染症法の第2類相当から規制や警戒を緩和する方向に動くべき時だと考え、エビデンスに従い脱コロナを目指す国の施策に沿う。

・水、電力、道路等に関するインフラ整備により産業基盤の強化をはかり、防衛産業の支援により企業立地の促進、魅力的な観光資源を持つ知多半島を広報することにより観光産業の浮揚などにより産業振興をはかる。スタートアップ支援については、不必要な規制の改廃などにより後方支援する。

・少子化対策で成果を上げた明石市の政策を一部借用し、①18歳未満の医療費の無償化②第二子以降の保育料の無償化③保育士増員等の支援を実施する。また若い人が経済的に安定するよう景気・雇用対策を行い、間接的に少子化対策とする。

・田原市、豊橋市を念頭に、例えば夜間停電時を想定した津波避難訓練が必要である。常日頃から自衛隊との連携を確認し、被災時に速やかに救助要請する。また、被災地域では消防署員も警察官も被災者なので公助が十分に機能しないことが想定されるため、公助が機能するまでの間どのように緊急時に対処するかを避難訓練で確認する。

・共生社会の実現のためにはお互いに尊重しあうということにつきる。公共の福祉に反しなければどういう人にも寛容な愛知県であるようにする。共生社会を受け入れたくないという考えも尊重し、共生を強制しないのが良い社会だと考える。

5 尾形氏は三重県四日市市生まれ、大阪外国語大学卒業。通訳等を経て、環境問題や有機農業推進運動等に参加
尾形氏は三重県四日市市生まれ、大阪外国語大学卒業。通訳等を経て、環境問題や有機農業推進運動等に参加

尾形氏は1957年三重県四日市市生まれ、大阪外国語大学ロシア語科卒業。

流通大手企業に就職し、第1子妊娠で退職。夫の転勤に伴い4ヵ国(アメリカ・フランス・ベルギー・ブラジル)に暮らし、英語・フランス語の通訳として働きました。

福島原発事故後に緑の党グリーンズジャパン結党に参加し、環境問題、気候変動問題、気候危機対策を訴える若者の支援、有機農業・オーガニック給食の推進運動、性犯罪をなくすフラワーデモ、女性の貧困に立ち向かうSNAW(女性によるセーフティーネット愛知)などに参加しました。

6 大村氏は愛知県碧南市生まれ、東京大学卒業。農林水産省を経て、衆議院議員を5期連続で、愛知県知事を3期連続で務める
大村氏は愛知県碧南市生まれ、東京大学卒業。農林水産省を経て、衆議院議員を5期連続で、愛知県知事を3期連続で務める

大村氏は1960年愛知県碧南市生まれ、東京大学法学部卒業。農林水産省に入省し、徳島市部長、農協課、企画課課長補佐(総括)を歴任しました。

1996年の衆議院総選挙に初当選、以降5期連続当選しました。経済産業大臣政務官、内閣府大臣政務官、内閣府副大臣(経済財政政策、地方分権改革、金融、多重債務者対策、再チャレンジ担当)、厚生労働副大臣等を歴任。

2011年の愛知県知事選挙に初当選、以降3期連続当選しました。今回は4期目を目指しての立候補となります。

大村氏が掲げる政策とは
大村氏は自らのホームページにおいて以下の政策を公表しています。

新型コロナウイルス感染症を克服!!
・新型コロナウイルスの感染状況に応じた医療提供・検査体制の確保。
・ワクチン接種体制の整備。
・将来の新興感染症感染拡大に備えた体制確保。
・政府の経済対策に呼応、新型コロナウイルス感染症や物価高騰等の影響を受ける県民生活、事業活動への支援。

ふるさとや臍の緒に泣く年の暮 松尾芭蕉2022年12月29日

ソース:https://blog.goo.ne.jp/take10nbo/e/2718d482706a78563f8fa8711f425cdd
「竹とんぼ」から
 貞享四年(一六八七)芭蕉四十四歳の作。季語「年の暮」で冬。
『笈の小文』の旅で故郷伊賀上野に帰郷した折の歳暮吟。『千鳥掛』(知足編)に歳暮と題し、「代々の賢き人々も、古郷は忘れがたきものにおもほへ侍るよし。・・・」と芭蕉のその折りの感慨が収められている。
 臍の緒は子供の生誕の日付などを記し、大切に保存しておく風習がある。母親が死去したとき棺に納め葬るが、このとき兄松尾半左衛門から大切に保存されていた自らの臍の緒を見せられ、芭蕉の胸中には今は亡き父母を偲び慈愛の情が込みあげてきたのだろう。
 「古里や」に、今故郷の地を踏みしめている感慨が表れ、「臍のをに泣く」の語に、切実な親子の情を言い得ている感がする。なお、「臍」の読みは芭蕉真蹟懐紙のかな書き「へそ」に従う。句意は、「年の暮に年老いた兄妹のいる故郷の生家に帰り、自分のへその緒をふと手に取ってみた。
 今は亡き父母の面影が偲ばれ、懐旧の情に堪えかね涙にくれるばかりである。」

・・・かつて山岳会の忘年会で伊賀の山に登った際にこの句碑にも寄った。句碑は上野市の生家前と柘植の芭蕉公園の2つあり、柘植のを見たのである。

ちはやぶる神の御坂に幣奉り 斎ふいのちは母父がため2022年12月14日

20221210神坂峠遺跡
愛国百人一首
http://nagaraushi.g1.xrea.com/ai-kooshio.html

<歌意・鑑賞>
 「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。「神の御坂」(かみのみさか)は、神を祭って行路の 平安を祈って越える坂のことで、いわゆる「峠」である。信濃国伊那郡から美濃国恵那郡に越え る現在の神坂峠と呼ばれる地であると言われている。「母父」は「おもちち」と読む。
 神を祀ってある山坂に、幣を捧げて平安を祈る命は私のためではなく、父母のためである。
<コメント>
 防人の歌。作者は信濃国の埴科郡の出身で、主張(ふみひと)という郡の書記職にあったといわ れる。しかし、郡の中でのそれだけの地位にある人物が防人になったのかという疑問もあり、 主張丁の「丁」の字が落ちたのではないかとも言われている。「主張丁」ならば、主張が差し 出した丁ということになる。正丁といえば成人男子をさす。その丁である。
 しかし、郡司の主張ではなく防人部領使に所属した主張があったも考えられる。そう考えれば 部領使の下で書記役を務めることができた防人とも考えられる。
 いずれにしても、これだけの歌を詠めたのであるから、書記をつとめられるくらいの素養が あったとしてもおかしくない人物であったのであろう。

http://agimura.net/index.php5/%E7%A5%9E%E5%9D%82%E5%B3%A0
歴史
神坂峠は遺跡の出土品から畿内と東国とをつなぐ道として古代からの通行の要所となっていた。

古事記 (712年/奈良) において日本武尊やまとたけるのみことの東方遠征で「科野の坂の神を言向けて尾張国に還り来て」とは東山道の神坂峠と言われている。
また 755年 (天平勝宝7年/奈良)、防人に立った信濃国埴科郡神人部子忍男かむとべのこおしおが

「ちはやぶる 神の御坂に幣奉り 斎ふ命は母父のため」

と旅の無事を祈った歌が「万葉集」(巻20) に納められている。

815年 (弘仁6年/平安) には天台宗の開祖である伝教大師 (最澄) が東国巡化の折に神坂峠を通行したが、このあまりの難所ぶりを目の当たりにし、通行人の難儀を救うために広済院 (中津川側) と広拯院 (阿智側) という布施屋を建てた。

秋山が好き2022年11月06日

 有名な額田王の和歌である。網掛山の黄葉を楽しんだ際はこの和歌が頭に浮かんだ。

冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし
鳥も來(き)鳴きぬ 咲かざりし
花も咲けれど 山を茂み
入りても取らず 草深み
取り手も見ず
秋山の木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば
取りてそしのふ 青きをば 置きてそ歎く
そこし恨めし 秋山われは    額田王

歌意
冬が過ぎて春になると いままで鳴かなかった鳥も来て鳴きます 
咲かなかった花も咲きます でも山は茂りあっていて入って手にも取れないですよね 草も深く手折って見ることも出来ないですよね 
一方 秋の山は木の葉を見るに付け 黄葉を手に取っては賞賛し 
まだ青いまま落ちてしまった葉を手に取って 
また地面に置いては歎いてしまいます そんな一喜一憂する 
心ときめく秋山こそ 私は好きです

・・・・今もそうですが1400前の昔も錦秋の秋に軍配を上げたんだと思います。

湯豆腐や命の果ての薄明り 久保田万太郎2022年10月28日

 色んな人がいろいろに解釈をしている。背景を考えなければ平凡であるが、そこは作家の言葉の斡旋で読み過ごされないような心配りがある。命の果て、って何だろうと思わせる仕掛けがある。
 小林一茶もそうですね。
    露の世は露の世ながらさりながら
子供の儚い人生を詠んだ句です。
 名句の奥深さをじっくり味わいたいものです。

この道や行く人なしに秋の暮れ 芭蕉2022年10月27日

 俳諧の道を説いても弟子には理解されなかった。道を極めたトップに立つものであっても追随者がなくては継承は覚束ない。そんな寂しさではないか。
 世の中にはお金をいっぱい貯め込んでも友人を失ったり、家族に恵まれなかったりする人がいる。あるいは政家家や経営者としての成功者でもいったん地位を降りると弟子や支持者が雲散霧消する人もいる。
 やがて冬の季節に入る。寂寞を一層感じる秋の暮である。