”小酒井不木 この男がいなかったら江戸川乱歩はなかったかもしれない展”に行く2020年11月11日

 愛知県庁の仕事が担当者の休みで時間が空いた。それで名古屋市市政資料館へ出向いた。11/1から11/15まで開催中の「小酒井不木 この男がいなかったら江戸川乱歩はなかったかもしれない展」に行ってみた。
 何でこんな無名の人を知ったのか、自分のブログを検索してみたがヒットしない。何年か前には、御器所の小酒井不木の旧宅跡の前を通り過ぎたことがある。それだけなら偶然であるが、蟹江町の小酒井不木資料室まで足を伸ばしている。
 俳句だろうか。小酒井は中日新聞に掲載される「ねんげ句会」の発起人だった。それで調べて見たのだろうか。もう記憶がない。
人の検索で関連付けると

 小酒井不木、横溝正史、江戸川乱歩ではヒットしなかった。森下雨村だと以下。

 茶の花を心に灯し帰郷せり 村越化石
http://koyaban.asablo.jp/blog/2017/03/31/8436380

 映画「小島の春」鑑賞
http://koyaban.asablo.jp/blog/2007/08/16/1729307

 蟹江町のHPには「小酒井不木は、医学博士という科学的な知識を生かし、探偵小説の草分け的な存在といえる人です。江戸川乱歩をはじめ、探偵小説(後の推理小説・ミステリー小説)で活躍する後輩を育成しました。また、俳句にも情熱を注いだ彼は「ねんげ句会」の発起人でもあります。
そこで、魅力ある人物 小酒井不木の一生を紹介します。」と紹介されるが、蟹江町に関連付けてもヒットしない。

 新たな情報は蟹江町にある鹿嶋神社の句碑か。

 いつとんで来たか机に黄の一葉   小酒井不木

文学苑
鹿嶋神社の境内南側には、蟹江の風景を読んだ26基の句碑が並ぶ「文学苑」がある。蟹江町出身の建築家である黒川巳喜は小酒井不木が創立した「ねんげ句会」の同人でもあり、1968年(昭和43年)から18年間をかけて、私財を投じて故郷に「文学苑」を建設した。

 市会議員の横井利明氏のブログにもアップ
http://blog.livedoor.jp/minami758/archives/2490508.html

諸行無常2020年11月05日

 WEB版岐阜新聞から
https://www.gifu-np.co.jp/news/20201104/20201104-288797.html
大見出しの「土屋嶢大垣共立銀行会長が死去 新型コロナ感染で入院」
に驚いた。「大垣共立銀行会長の土屋嶢(つちや・たかし)氏が死去したことが4日、分かった。74歳。新型コロナウイルスに感染し、入院していた。」まだ74歳の若さと9月にコロナウイルスに感染して入院中だったということ。こんなにあっさりと死んでしまうものか。コロナの感染力の怖さを思い知らせる記事だった。
 諸行無常の言葉を浮かべるのに時間はかからなかった。
 頭取は昨年中にバトンタッチしていたから業務には支障はないだろう。にしても大勢の人に会うのが銀行員の仕事だから或いは感染者に会っていたかもしれない。
 岐阜県はこのところ感染者数も増えている。経済活動が再開されて、4月以来の低迷を挽回する矢先であった。今後冷えて乾燥してくるとインフルエンザも増えるだろう。コロナも増えるに違いない。警戒しつつ経済を進めてゆくことになる。

学問のカネと地位2020年10月27日

 菅新首相になってから「日本学術会議」で105名中6名が除外されたということで、ネットや新聞等で議論百出している。騒ぎ出したのが日本共産党発行の「赤旗」でそこから日刊紙へ飛び火して今は燎原の火のごとく燃え広がった。
 しかし、任命されなかった人には気の毒だが、地位が高くなっても相変わらず日本批判を続けているようでは仕方ないではないか。カネを出す人(国)をあれこれ批判するなんてどうかしている。「日本学術会議」の外にでて批判するのは一向に構わない。
 学問するということはカネがかかる。学問で国のカネを得たい、国のお墨付きの地位を得たいという乞食根性が情けない。
 今西錦司は京都西陣織の家に生まれた。家業は継がず、もっぱら好きな登山を続けるために生物学を専攻し、猿学の権威になった。京大時代の駆け出し時代は無給だったからむしろカネをつぎ込んだのであった。
 小林秀雄の講演を集めたCDの中に本居宣長の出版とカネの話が出てくる。松阪市で町の小児科をやり、源氏物語を教えたりして小銭を稼ぎ、それで古事記の研究書の原稿を書いていった。宣長は存命中は本の上梓を見ることはなかった。今の学者、評論家、作家なら部数いくら、印税いくらでという話になる。
 学者なら宣長のひそみに倣えと思うのである。

杉浦明平『ノリソダ騒動記』2020年10月09日

 田原市博物館では、2001年に亡くなった郷土を愛した小説家、杉浦明平の回顧展を開催します。

本人写真:1997年「書斎にて」、1929年「書斎にて」
 杉浦明平は、1913年(大正2年)6月9日、愛知県渥美郡福江町(現田原市折立町)に生まれた。旧制豊橋中学を経て第一高等学校に入学、「アララギ」に入会し、土屋文明に師事。東京帝国大学国文学科に進み、立原道造や寺田透らと同人誌などを創刊し、交流した。
 大学卒業後、イタリア・ルネサンス研究のため、イタリア語を習得、翻訳・編集の仕事に携わった。
 第二次世界大戦中、郷里に戻り、共産党に籍を置き、渥美町議会議員を2期務めた。その間の見聞を元に、海苔養殖業者の利権争いを『ノリソダ騒動記』というルポルタージュで発表、その後も共産党員の活動記録『基地六〇五号』、映画化もされた『台風十三号始末記』『夜逃げ町長』などの新スタイルの記録文学が評判になり、注目を集めた。
 1962年(昭和37年)に新日本文学会内部の対立で共産党から離れた後は、畑仕事にいそしみながら、郷土の渡辺崋山をはじめとした江戸時代の文人を取り上げた小説や評論、食べ物エッセイ、翻訳などの多分野で活躍した。『朝日ジャーナル』に連載した『小説渡辺崋山』で1971年に毎日出版文化賞、1977年に中日文化賞、1995年に『ミケランジェロの手紙』の翻訳で日本翻訳出版文化賞の特別功労賞を受賞した。

 火力発電所増設反対問題を契機に、1981年からは、地元の友人たちと読書会をし、地元の同人誌への寄稿も行なっている。1989年には、1カ月に1万ページの読書をしたことで集まった蔵書の一部を渥美町図書館へ寄贈した。杉浦が亡くなり、9年を過ぎ、来年3月で10年を迎える今、現在残された手紙や原稿、発刊された本などを通し、文学・評論・エッセイなどで、人間社会を見極めた「みんぺーさん」を回顧する機会としたいと思います。


アマゾンの説明 
 ノリソダとは海苔の着生する粗朶のことであり、渥美地方の漁業権をめぐって、地方ボスの支配する腐敗、不正を日本共産党の地区細胞が暴露し、果敢にたたかう。その一部始終を一種の記録として作品化したものが本書で、我が国ルポルタージュ文学の先駆的作品。地方色豊かな登場人物をユーモラスに描き、日本の地方居住者のいまも変わぬ保守性、狡猾さなどの心性をも典型化し得ている。

レビュー
「読書メーター」から転載
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「愛知,渥美半島は福江湾における,海苔の種付け利権をめぐる闘争史.地元のボス連に,共産党の細胞が立ち向かう社会派ルポルタージュ小説.と一面それは真実なのだけれど,著者の奇跡的とも言える軽妙飄々たる筆致によって,何よりもまず頗る面白い読み物として成立しているところに特色がある.ボスの一人釜之助なんぞは,組合の金を使って誰彼の隔てなく飲みに連れて行くもんで,「言われてる程悪い人じゃない」と呑まれてしまう人が多かったり.共産党細胞も郷里で活動してるもんで「太平のせがれ」と呼ばわれたり.田舎のリアリティが凄くある。」

ハチアカデミー
「ノリソダとは、海苔を付着させるための粗朶(木の枝)である。その棒と海苔の養殖を巡る、村の権力者と漁師たちの闘争の記録。社会派ルポルタージュではあるのだが、本書の魅力は何といっても人物描写。出鱈目な理屈で金をせしめる地方ボス「釜さ」を始め、敵も味方もどこかコミカル。養殖とはいえ、仕込んだ海苔が全て育つ訳ではなく、波に流されてしまう事も多い。それはどこか運任せで神頼みの生業なのだ。だからこそ彼らは思い通りに行かない不条理な日常の中でもどこかのーてんき。シリアスな状況の中の笑いこそ、本書の一番の魅力である。」

ねぎとろ
「ユーモアを交えた文体で楽しめる。私が言うまでもないが傑作ルポである。 しかし暗澹とした気持にもなる本。これは昭和20年代の話にもかかわらず、解説にもあるようにまったく今、現在の話として受け取れてしまうからだ。 自分のみの利にさとく、権力に極めて弱い地域ボス、ボスの下にうごめくお調子者たち、一時の団結で熱が冷める人民、都市部であろうと地方であろうと、我々の周りに幾らでもいる人々の原形がここにある。検察や警察もその構造自体は今と変わらない。我々の民主主義はこの60年間何をしていたのか、と思わされる。」

カラオケで「くちなしの花」を歌い追悼2020年08月19日

 名古屋市の成年後見制度の親族関係の調査業務を受託し、その担い手を募った。応募多数につき、親族関係の知識に関する考査があった。基本的な例題であるが高齢の頭では考えるのに時間がかかる。というより記憶力の問題である。というわけで頭に血が上った。1時間少々で終わった。
 少し早いがカラオケスナックのお店で、渡哲也の「くちなしの花」を歌唱した。他に数曲歌って今度は喉が疲れてしまった。渡さんの供養になっただろうか。今回は対馬へ旅した際に繰り返し聞いた桂銀淑さんの「すずめの涙」にも挑戦したがやっぱり難しい。
 昨年の青森の山旅で繰り返し聞いた吉幾三「津軽平野」、美空ひばり「津軽のふるさと」などゆっくりなスローテンポの曲が歌いやすい。後、橋幸夫「沓掛時次郎」は歌うと元気が出る。多分股旅ものだからだろう。

 渡哲也さん、安らかにお眠りください。

乱読三昧2020年08月18日

 日々猛暑なので外出の気力が湧かず。今日は研修を1つ忘れてしまい、開始時刻で気がついて電話で欠席を伝えた。ウェブあり、ズームありで方式も煩雑になった。リアルに戻れないかと思う。
 朝から乱読が続く。昔の週刊誌も捨てずにとってある。ちょいと引っ張り出して何で買ったかと改めて読み直す。更には以前読んだ本に行き当たるまで渉猟を繰り返しやっと記憶の中の文章に行き着いた。一度は眼を通しておくと頭の片隅には残るものである。
 久々に事務所へ。書店で知事リコールの書籍を買った。中日に広告が載ったからだ。リコールは成立するか否か。尾張地区の少し若い知人は成立を危ぶむ。三河地区の同年代の女性の友人2人に聞くと「それなあーに」なんて言っているからほとんど知られていない。
 昨年夏のアイトレ自体に興味や関心がないと何だか騒いでいるわね、で終わる。記憶に残らないのだろう。8/25から周知し、署名集めに進んで行くがエベレスト登山よりは楽なはず。みんなで真剣に取り組むことになる。結果はついてくるだろう。追い風が吹くか逆風か。

訃報 渡哲也さん 享年782020年08月14日

NHKニュースから

 渡哲也さんが亡くなったことについて、石原プロモーションは「長きにわたり病との闘いの末去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」とするコメントを14日午後7時半すぎ公式のツイッターに掲載しました。

 この中で、葬儀については静かに送ってほしいという故人の強い希望により、14日、家族葬という形で執り行い、お別れの会やしのぶ会なども行わないとしています。

 また、香典や弔電などの儀も故人の遺志により、辞退するとのことです。

 そのうえで、「何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします。皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます」としています。
以上

・・・つい先だって、FBの友達が「くちなしの花」をアップしたので「渡哲也のヒット曲の「くちなしの花」の動画をアップしたばかりだった。
 お悔やみ申し上げます。
 裕次郎が石原プロを作った際に渡哲也も入社した。すると裕次郎は無名の新人の渡哲也にもお辞儀して丁重に扱ってくれたことに感動したらしい。あの有名な裕次郎さんが自分に頭を下げて迎えてくれたというのだ。そんなエピソードを何かで読んだ。
 78歳とは早いとも言えないがもう少し活躍してくれても良かったと思う。

上松町出身の御嶽海の活躍は2020年08月01日

 7/30から7/31にかけて久々に上松尾根を登ったが、下山後は上松町営ねざめホテルで入浴した。コロナ禍で入浴者数を制限中だった。普通は浴室へ土足で行けたはずだが今は玄関で体温測定、消毒、土足からスリッパに履き替えて入浴者数をチエックする体制であった。男性は私1人であった。
 入浴後、雑談中、御嶽海の看板が目についた。あれは「おんたけうみ」か、いや「みたけうみ」でしょう、とやりあっていたらホテルの従業員が「みたけうみ」と読み、上松町出身と聞かされた。そして本名は大道(おおみち)というが、先に同名の力士がいたのでしこ名も地元の御嶽山に因んで命名した。出羽の海部屋は最後に海がつくので御嶽海を名乗ることになったという。町営なので地元力士の活躍を一日一日勝敗を掲げて応援しているわけだ。そんな蘊蓄を楽しく聞いた。
 帰名後、ググってみると父(現在68歳)は日本人だが母は何と21歳下の年の差婚で射止めた可愛いフィリッピン人で御嶽海はハーフだった。旧木曽福島町にはうまい蕎麦屋があり、そこの主人の嫁さんもフィリピン人だったから山家の外国人でも珍しいとは思わないが・・・。母親の大道マルガリータさんも今はフィリピンパブを経営中だとか。
 私の山岳会会員にも日本人の奥さんと別れてフィリピン人女性と再婚したのがいる。白人女性よりはよほど気心は会うのだろう。 
 元に戻って、御嶽海は東洋大学で法律を学んだ学生相撲出身であり和歌山県庁にも採用が決まっていたのにそれを断りプロの道を歩んだというから面白い。
 上松町がいやに暑いと思ったら御嶽海はなんと今日(8/2)の千秋楽で優勝争いに残っているのだ。「優勝争いの行方 千秋楽で照ノ富士が御嶽海に勝てば、その時点で照ノ富士の優勝が決まる。御嶽海が勝った場合は、照ノ富士、御嶽海、朝乃山-正代の勝者によるともえ戦(3人での優勝決定戦)となる。」(日刊スポーツ)地元力士の活躍で湧いているのですね。どおりで暑かったはずです。

岡井隆歌集を買う2020年07月14日

 現代詩文庫502『岡井隆歌集』(思潮社 2013年)を丸善にて購入。全国的な歌人ともなれば在庫があり買うことが出来た。調べていたのは<長江はくるしむ河と思はむか>の後の七七が思い出せずにいた。書架には歌人の歌集もあるにはあるが岡井隆のは見つからず、いらいらしていたが本があって良かった。
 中日新聞を購読していた頃は、毎日のように「今日の言葉」に短いフレーズを紹介していた。長命を得ていたせいもある。たしか、やはり長命の俳人の山口誓子の作品に触れて、もうそろそろ句業を引退しても良いと促したこともあったかに記憶している。
 今日は購読紙の読売新聞に<長江は>の短歌を引いてお悔やみの言葉を「気流」欄に初めて投稿してみた。

長江はくるしむ河と思はむかその上に寝て夢ぞ乱るる2020年07月11日

 訃報 歌人の岡井隆さん死去。
 表題の歌は『歌集 中国の世紀末』(1988.7.1)から。現代詩文庫『』井隆歌集』(2013 思潮社)に抄録。
・・・「長江は眠れる河か」は記憶違いで、ちゃんと歌集を見て確認しました。今も三峡ダム崩壊説が蔓延中ですが、実際に中国自身はその大きさに苦しんでいるのです。日本からは巨大市場に見えるのですが、実のある経済は実際は小さいのでしょう。32年も前の歌ですが、現代中国の現状を示唆していて、岡井隆死去の報にすぐ反応したのがこの歌だったわけです。
 大きすぎると、トップの号令も末端には届きにくい。みんなルールを守らない。外国からは攻められやすい。常に外国を攻めていないとすぐ攻め込まれる恐れがある。みんなの面倒も見きれない。大衆の不満は常にあり暴動が絶えない。

https://www.sankei.com/life/news/200711/lif2007110014-n1.html

歌人の岡井隆さん死去 前衛短歌運動の旗手
 昭和期の前衛短歌運動を牽引(けんいん)し、宮中歌会始選者も務めた歌人で文化功労者の岡井隆(おかい・たかし)さんが10日、心不全のため死去した。92歳。葬儀・告別式は故人の遺志で行わない。後日、お別れの会を開く予定。

 昭和3年、名古屋市生まれ。歌人だった両親の影響で短歌を始め、結社「アララギ」に入会。26年には近藤芳美さんらと歌誌「未来」を創刊した。慶応大学医学部卒業後も内科医の傍ら作歌を続け、36年に出した歌集「土地よ、痛みを負え」では象徴や比喩を多用し、従来の写実にとどまらない短歌の可能性を開拓。40年代にかけ、寺山修司や塚本邦雄さんらとともに、短歌に濃密な思想性を持ちこむ前衛短歌運動の中心的存在となった。

 40年代半ばには一時、歌壇から離れたが数年後に復帰。詩作や評論も手がけ、口語と文語を融合させながら日常の細部を軽やかに歌う「ライト・ヴァース」を提唱し、後進の歌人にも影響を与えた。

 「禁忌と好色」で迢空賞、「親和力」で斎藤茂吉短歌文学賞、「馴鹿(トナカイ)時代今か来向かふ」で読売文学賞をそれぞれ受けた。19年から天皇陛下や皇族の和歌の相談役として宮内庁御用掛を務めた。28年、文化功労者。