事務所の整理整頓2019年09月01日

 午後から事務所へ。行く前に行きつけの喫茶店に寄った。書店、うどんや、中華料理屋、レストラン、喫茶店など廃業の多いなかにあって、いつも客が絶えない。マスターのお人柄に魅力があるのだろう。今日も老婦人2人がたわいもない話題で盛り上がっている。曰く、土筆の頭は取るべきか否か。ご婦人らが帰るとほっとして、季節外れの話題についてゆくのも大変だねというと、マスター曰く、うんうんと苦笑。そしてとうとう9/1になったねと。これから年末までは矢のごとく早い。

 日曜日は駐車場が無料なので良い機会とばかりに溜まっていた書類の山を整理しに行く。ポリ資源ごみ、雑紙を梱包して自宅に持ち帰る。紙袋の類も保存してゆくうちに目につくほどたまるので目障りだ。資源ごみになる。他にトイレのタオル、汗拭きタオルなども更新。コピー機のカーボンも交換時期が来た。コピー用紙も消費税アップ前に買い置きするかな。床掃除、書籍や書類の整理までは手が届かなかった。またの機会に。外に出るともう薄暗い。

事務所の整理整頓22019年09月02日

今朝は爽やかでした。昨日事務所から回収した資源ゴミを出すと久々にポタリングに天白生涯学習センターへ。ついでに、9/8の登山セミナーの実地研修で四等三角点のある小山に登るので試しに登りました。以前と違い、広くなり階段まで付けられて台無しになった。おまけに三角点がない。歩道を整備した際に埋めたかな。奥の小高いところも探ったがないので往路を戻る。一旦下って中山神社へも登拝しました。三角点の山は落葉樹の林、ここの境内は照葉樹林がしめています。面白いですね。
 背中まで汗をかいたので近くの喫茶店でモーニングコーヒーとトーストをいただく。ここも天白公演の入り口にあり、立地が良いせいかお客が多い。みな私と同じ高齢者ばかりで公園でウォーキングなどして汗をかいて入るのだろう。相席になった。ゆっくり喫茶を楽しんだ。コーヒー代も380円と安い。わずか20円だが大きい。それに新聞も日刊紙3紙、スポーツ紙2紙、週刊誌2誌と充実ぶり。
 午後は丸の内へ。昨日の整理整頓の続きをする。出るわ出るわで次々雑紙袋に入れてゆくと3袋にもなった。昨日と合わせて5袋になった。
 若いころに読んで実践してきた野口悠紀雄『超整理法』では3ヶ月間見もしない書類は捨ててゆく方式だった。会社員時代はそうやって、上司が不安がった。しかし毎日プリントされるデータを貯めて後から見直すことはほとんど無い。見直す書類のみ残すことで良い。仕事が完璧ならデータ類は不要である。結果のみ保存するだけだ。それは法律の義務でもある。
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 しかしイザ自分が経営者の立場になるといずれ見るかも知れないと貯めてしまう。それで賞味期限の過ぎた書類が山積するわけだ。今日は思い切って捨てた。法改正でこれまでの研修や参照してあるプリント類も不要になったので廃棄した。これですっきりした。
 夜8時一旦事務所を出たが、待っていた郵便物が投函されていたのでまた戻り、書類を整えた。2時過ぎでもなかったのにいつ投函されたのだろう。県庁の窓口に持参しても良いのだが、夜9時過ぎに事務所を出て、中郵便局から投函した。一手間省ける。これで事実上受理されたことになる。
 9時30分過ぎ、徒歩で上前津駅へ行く際、N外食屋へ寄った。がらんとした店内に客は3人しかいない。簡単なメニューにしては待たされるので中を覗くと何と厨房では外人が1人で調理していた。いくら人手不足でもこりゃダメだ。

靴磨き&メンテナンス2019年09月03日

 今日も蒸し暑かった。残暑が厳しい。加えて体調がすぐれない。夏バテかも知れない。暑かったから毎晩エアコンの部屋で氷割の焼酎を飲み続けた。これが消夏法だったのである。
 夕方になると少しは暑さも和らぐから買い物へ。帰宅してさて一杯の段の前にふと思いついたのは登山靴や普段履きのランニングシューズ、ビジネスシューズ等の手入れだった。
 つい最近、接着剤、ミンクオイル、補修用の革を買い込んであった。これまで登山靴の補修&油塗布を考えて居ながら着手できなかった。油ものは夏暑い時がチャンスである。良く伸びるし皮革に浸透しやすい。
 逆に台所の油汚れは年末ではなく、夏にやれ、というのは暑い時は油が固化していないから拭き取りやすいからだ。その分洗剤も少なくて済む。
 
 さて、玄関に油、古い歯ブラシ、靴ブラシ、軍手、ぼろ布、冬用登山靴、スリーシーズン用登山靴、ビジネスシューズ等を並べた。ビジネスシューズ&山用はオール使用だし、軽登山靴、沢シューズにもわずかに革が使ってある。革の剥がれは接着剤で止めて油を塗布した。すると古い靴でも見る見る光沢がよみがえった。特にビジネスシューズは光沢も深い。油は動物用油脂なので皮革の栄養になるからだ。
 ランニングシューズにもわずかに使ってある。これも剥がれを接着剤で止めて革の部分に塗布した。革を使うのはデザイン性ばかりでなく耐久性もあるかに思う。
 1重登山靴2無雪期登山靴3軽登山靴4沢シューズ5から7ランニングシューズ8から15ビジネスシューズと、こうして15足が息を吹き返した感じになった。

三角点を確認2019年09月04日

 登る道もちょっと変えて昨日は見落とした四等三角点島田を探しに登った。今日はすぐに見つけた。昨日は見えていたのに見ていなかったことになる。今日は藪蚊が多くて刺してくるのですぐ下山する。
 遊歩道には結構櫟の大木があり、戦後、薪炭に利用をしなくなって伸び放題である。しかし、樹高はこれくらいが限界だろう。風による倒木も増えてくる。直径1m位の切り株もあります。近くには薪にしてありました。里山の名残りです。白っぽい茸、茶色の食えそうな茸も生えていて秋山らしい。ツユクサ、ピンクのヒガンバナ、ミソハギ、黄色の花は不明だが道々の草花も目に留まりました。
 結構汗をかいて近くの喫茶店で涼んでから帰宅する。

 夜は山岳会の定例会に行く。いつもは見ない2人が出席していた。先月復会の会員も正式に入会になった。もう一人の女性も仕事帰りで少し遅れて入室してきた。誰かが沢ばっかりでは新人さんが参加しにくいじゃない、とご意見がありごもっともと新人向けの山行を考慮することとした。また岩登りで酷使するザイルが消耗したとかで新調することが提案されて異議なしで決定した。新人歓迎会兼忘年山行の日時も11月末とだけを決定した。コンテンツは提案してもらうことになった。

原稿書き2019年09月05日

 朝から蒸し暑い残暑の1日でした。句誌から1句を選んで鑑賞文を付す。割合に早く見つかった。常念岳の登山で得た嘱目を詠んだ1句。高齢化が著しい俳句界であるが高山の夏山を楽しむ元気な俳人もいることにホッとする。

リニア中央新幹線の行方2019年09月06日

大村VS川勝知事会談を報じる新聞
 9/5の朝刊各紙は大村知事と川勝知事の会談の顛末を報じた。各県にまたがる問題なので国の積極的関与が必須との確認に終わった。

 これまでに川勝知事には赤石トンネルの位置を間ノ岳と北岳の間に移して大井川の水源問題に与しない旨提言した。JR東海は私企業であり、水利権問題に関与するのは無理と思われるからだ。

 9/5の知事会談を知って、大村知事には現在の計画通りの場合は長野県側に流れ出る水量を計測し、長野県側に貯水ダムをつくって水路で大井川源流に還流する方法を提言した。
 報道を見るとどの方法でも地方自治体の首長の権限の範囲を大きく逸脱するので知事レベルでの調整は不可能だと理解した。

過去の記事から
http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/11/01/7031382
大鹿村中央構造線博物館見学

ハイボール半額で二日酔い2019年09月07日

 毎月第一金曜日夕方からは同業者仲間有志で民法の勉強会を開く。一応改正民法のテキストを読み込みながら解釈をまじえ理解に務める。この会は良さは仕事の実務から来る知見の表明にある。少し脱線もするがそこは自制しながら閑閑諤諤議論をする。楽しくもあり頭に浸透もし易い。
 その後は近場の飲み屋で一杯やるのも楽しい。今日はハイボール380円のところ190円と看板に出ていた。そこで氷の冷たさでアルコールの量も少なめだからかぐいぐい飲んでしまった。
 今朝は二日酔いとまでは言えないがいささか飲みすぎの感あり。いくら薄く感じても量をこなせば酔う。それで10時ころまで寝た。友人から電話があり昼前には事務所へ。一緒に昼飯を食べてまた休養。台風がもたらす高気圧のせいで蒸し暑いこともあり活発には動けない。こんな時は沢遊びが良いのだが。

山歩き講座2019年09月08日

 朝10時から11時30分まで天白生涯学習センターで「山歩き講座」を開講しました。拙いながら講師役を務めさせていただきました。受講生は当初10名と聞いていたのですがキャンセルがあって4名に減りました。しかし少ない分距離感が縮まり親しく接することができました。
 石川館長の開講のあいさつで始まった。登山やハイキングの経験者は1名もなく、約1時間はレジュメに沿って机上学習で登山の注意事項を中心にレクチュアーしました。
1 登山計画書の作成、
2 ガイドブックの活用、
3 自分に合った山の見つけ方、
4 ネットからの地形図のプリントアウトの活用でした。
 装備類は登山計画書の作成の過程で必然的に覚えるし、登山用具店でも知る機会があろうかと簡単に済ませました。
 特に山岳遭難では道迷いが増えていることを警告的に主張して置きました。統計で転落、滑落とあっても道に迷った結果、未整備な尾根や谷を歩くことで転落することがあるのでまずは迷わないことに重点を置きました。迷わないためには地形図を使い倒すことしかない。自分が今どこに居るのか。
 1時間の机上学習後は生涯センターの裏の里山、四等三角点60.1mの埋まる「島田」山へガイド登山しました。全員に地形図のプリント、私はコンパスを持って、地形図とコンパスの使い方を話しました。
 太いクヌギも森林文化史的にみれば、里山として利用されなくなった結果大木になったこと。限界を越えると幹に空洞ができて倒木するのであちこちに間引きされたクヌギの薪を見ました。この樹種が薪やシイタケの原木に利用されてきたわけです。
 島田山は落葉樹と常緑樹の混交林です。中山神社のコブは全域常緑樹で覆われていて、絶えず人間の干渉を受ける里山と伐採や採集から守られる鎮守の森の植生の違いも示しました。
 2.5万図の地形図には10m以内の地形の変化は表現されず、結果絶対的ではないことと、水のない浅い谷の地形を指しながら地図の見方を教えました。やがて平らな山頂に達すると三角点についてのレクチャーを始めました。曰く地形図を作成する基準となる重要な標石と。一等から三等は戦前の内に五万図を作成するための測量の基準として、2.5万図は写真測量でつくられ、四等は戦後に埋設されたもの。等々。
 一旦等高線1つ分下って何もないコブも地形図と比較しながらこうやって表現される旨話した。地形図の枝道の二又の表現で右折して生涯センターに戻るとちょうど11時30分になった。30分のミニガイドはおおむね好評のうちに下山しました。緑陰講座にもなりました。
 最後に石川館長のあいさつで締めた。

新聞の無い月曜日2019年09月09日

 朝習慣的に新聞を取りに行く。あれ、ないぞ、あそうか、今日は休刊日だった。活字人間の自分としては落ち着かない朝になる。今日もベランダの窓を開けると生暖かい。今日も暑いぞと覚悟する。
 事務所へは行く前に散髪を済ませた。公正証書遺言の段取りに入るが冷房がきいてくるまでは頭がぼうっとして集中力が散漫になる。冷えてくるまでネットのニュース、他で気を紛らわす。
 ネットでニュースを拾うと結構あるある。台風15号の爪痕は東海地方の三重県北部に水害をもたらしたが、関東でより大きかった。またしても太陽光電の施設が損害をうけた。自然破壊であり、危険な施設である。
 日韓関係は悪化する一方になった。週刊ポストの最新号では日韓関係を特集。今日の関係に至るまでの経緯を解説するが、歴史を後世が裁いても仕方ない。後講釈ならだれでも言える。その場その場の判断である。
 今日の日韓関係は例えれば協議離婚と同じだ。頭を冷やしてドライに割り切って別れ話を進めることになる。かつて日本(夫)が貧しい朝鮮(妻)を娶ったものの、それまで生活習慣や文化が違いすぎた。アジア人同士なら合うだろうと思ったが分かり合えなかった。随分利益になることもしてあげた。しかしありがた迷惑だったのだ。欲しくも無いのに無理にほら、これ良いだろうと、鉄道や学校(教育)、植林、ダムなどを無理やり与えられた。妻(朝鮮)としては子供を産まされたような被害者意識が強い。事実朝鮮人に国家運営は無理かも知れない。
 日産の西川社長の辞任が決まった。日産は昔からよいリーダーに恵まれない会社だと常々思う。国策会社は血縁関係が無いので、古くは日本興業銀行から社長を送り込まれたし、失敗すると格下のルノーからゴーンが来たが、カネに汚い人物としてボロを出した。西川社長は後釜としてまとめ切れなかった。人望のある経営者が出て欲しい。
 N国の立花孝志氏が脅迫の疑いで調べられたらしい。何でもN国で当選した東京都中央区の二瓶親子との間のトラブルで脅迫まがいのユーチューブの文言で二瓶さんが被害届を出したという。警察は被害届が出れば事情聴取に動かざるを得ない。マスコミは事情聴取の前に騒ぎ始めているのでリークがあったとか。要は快進撃を続けるN国を叩こうというのだ。
 マスコミには政治家の子女が多数就職している。というよりマスコミとしては人質みたいな存在であろう。政治家自身にことが及んだ際、マスコミに不利な法改正がある際に相互に助け合うことができる。世界の情報が入ってくるから政治家には貴重な情報源になる。持ちつ持たれつだろう。立花さんみたいに柵(しがらみ)の無い政治家は思い切った政策が打ち出せるから叩いておきたい勢力がいるのだろう。
 それにしても二瓶親子も良い度胸である。N国人気だけをちゃっかりいただき当選するとハイさいならと連絡を絶ったというのだ。しかもカネも納付しない。そりゃ立花さんも怒るわな。彼ら以外にもまだ2名ほど除名の党員がいるらしい。議員報酬1300万円をゲットするだけがネライだったのだ。お主も悪よのう。

名大学長松坂佐一のことども2019年09月10日

 朝6時台は気温は少し下がったとはいえ、直射日光が照りつける道を歩き出す。冷蔵庫で冷やした濡れたタオルをポリ袋に入れて汗を拭き拭き、朝一で地下鉄に乗る。もう座席は埋まっている。
 クラブ愛知の集会に出席する。早朝7時からホテルの朝食を食べながら愛知大OBのゲストスピーカーを呼んで話を聞く。今日は不動産屋で成功した若いOBだった。不動産業は成熟産業なので隙間の需要を取り込みながらの情報サービス企業である。それなりに成功をしたらしい。
 スピーチが終わるとOBからの任意のエピソードの時間になった。新趣向である。一番手の昭和29年卒業という大先輩の某氏の言葉がいたく印象に残った。表題の松坂佐一(明治31(1898)年~平成12(2000)年)のことだった。
 松坂佐一はウィキにはこう紹介されている。岡山県倉敷市の生まれ。「小学校を卒業後上京し、東京府立第一中学校、第一高等学校を経て1923年東京帝国大学法学部卒業。京城帝国大学教授(昭和5年)、愛知大学教授(昭和21年)、名古屋大学法学部教授(昭和24年)、名古屋大学総長(昭和34年)、NHK経営委員会委員などを歴任し、晩年は研究の傍ら弁護士としても活躍。」とあるので一応愛大教授を務めたことは分かる。
http://nua.jimu.nagoya-u.ac.jp/upload/news/20/68ba1a55e62582f2a38c3930b393522f.pdf
 ネット検索で深掘りすると、名大法学部独立に寄与したとのことが「名大史」から分かった。学長としては1959(昭和34年)から1963(昭和38)年。ちょっと名大史から引用すると、愛大教授をやりながら名大法経学部設置に尽力したのである。名大は帝大だったが理系のみで文系はなかった。
 戦後は上海にあった東亜同文書院大学の教授と学生を継承した愛知大が旧制で法経学部を設置し中部地方の大学で初めて法学教育に乗り出した。外地の台湾の台北大学、朝鮮の京城大学からも引揚者が合流したらしい。このスタート時に教授として迎えられるのは自然な成り行きだったと思う。松坂氏は47歳になっていた。家族を抱えて大変な戦後を過ごしたことは想像に難くない。国立名古屋大学法経学部は数年遅れてスタートしたのである。
 先輩某氏の話には松坂氏に大変親しみを感じていたことがわかる。なぜならば名大に軸足を移しても愛知大の教授としていてくれたというのだ。中々聞けない貴重な話だった。
 その後、M女史のインストラクターに体力測定をしてもらうと、体力年齢は57歳と出た。ただし、肥満気味とのこと、また内蔵脂肪が多めらしい。道理で動きが悪いはずだ。糖質制限をしなくっちゃね。
 若い弁護士のMさんや司法書士のYさんらと山の話をして別れた。