新刊!髙山正之+馬渕睦夫『世界を破壊するものたちの正体 日本の覚醒が「グレート・リセット」の脅威に打ち勝つ 』を買いに行こう2021年03月02日

秘かに浸透するディープ・ステートのプロパガンダにはもう騙されない!

今回アメリカ大統領選挙はディープ・ステートの存在を鮮明に浮かび上がらせた! そして、いまだトランプ陣営を謗り続けるメインストリーム・メディアと、その報道をただトレースするだけで主体性も客観性も見受けられない日本のメディア……。
ディープ・ステートとメインストリーム・メディアの連携は、これからも世界を破壊していくのか? 「グレート・リセット」という名の国際干渉主義に日本は耐えていけるのか? 歴史修正主義とレッテルを貼り、日本をいまだに縛り付けるのは何物か? 陰謀論と決めつけ議論をシャットアウトする勢力の魂胆は? アメリカで起きている異常事態は、この日本でも水面下で侵攻しつつある。フェイクを生み出すメディアの姿を歴史的事実から紐解く髙山正之氏と、メディアが伝えない国際情勢の因果関係を元外交官の視点から分析する馬渕睦夫氏――ふたりが腹蔵なく語り合った、日本人の覚醒の書。


本書「プロローグ(馬渕睦夫氏)」より抜粋

ディープ・ステートの実態が暴かれたた今日、次に取り組むべき課題として歴史修正主義を取り上げました。ディープ・ステートが書いた正統派歴史観に疑問を呈したのが歴史修正主義ですが、「陰謀論」と「歴史修正主義」というレッテルを貼って自らに気の喰わない言論を封殺してきた彼らの悪業を克服することが、本書のテーマである私たちの「覚醒」に繋がるからです。

本書「エピローグ(高山正之氏)」より抜粋

何の国益もない戦争が続き、その間に戦争をやめようとしたケネディは暗殺され、ニクソンは辞任させられた。
そして今回「戦争をやめる」と言ったトランプが異様な大統領選でホワイトハウスを追われた。
米市民はここに至って「もしかして我々の知っている米国政府とは別の組織が米国を操っているのではないか」と怪しみだした。
あのウイリアム・ハーストのように新聞もそっち側と組んで国益とは無関係の戦争を煽っているのではないか。そう考えるとニューヨーク・タイムズやCNNがトランプを終始詰り倒すのか、すっきり理解できる。
日本の新聞はそうしたしがらみはないはずだ。ワシントン駐在の特派員は岡目八目、寧ろ冷静にその辺を評価できるはずだが、本書にもあるように、そうした記事は見えない。
日本は今、極悪非道の支那を面前にしている。反日親中のバイデンはもはや頼れるパートナーではない。
日本の新聞は今こそ健康なジャーナリズム精神を取り戻して、自衛できるようマッカーサー憲法からの脱却とか、まともな世論喚起を考えてもらいたいものだ。

[本書の内容]
プロローグ 馬渕睦夫
第一章 アメリカの現実
第二章 歴史は語り繰り返す
第三章 縛られる日本
第四章 日本が覚醒する日
エピローグ 髙山正之

※グレート・リセットとは?
より良い世界をもたらすために、私たちの社会と経済のあらゆる側面を見直し、刷新すること。

世界情勢の改善に取り組む国際機関である「世界経済フォーラム(WEF)」が、2021年5月に開催するダボス会議のテーマを「グレート・リセット」にすると発表したことから、注目を集めている。ダボス会議は世界経済フォーラムの年次総会であり、世界経済や環境問題など幅広いテーマで討議される内容は、各界から注目されている。

世界経済フォーラムがグレート・リセットの必要性を訴える理由としては、新型コロナウイルスの感染拡大が経済成長、公的債務、雇用、人間の幸福に深刻な影響を及ぼしていること、そして気候変動や格差の拡大といった社会問題が危機的状況にあることが挙げられる。これらの危機からより良い世界を取り戻すためには、その場しのぎの措置ではなく、まったく新しい経済社会システムを構築しなければならないという考えを表明している。
以上

宮崎正弘+宮脇淳子『本当は異民族がつくった!虚構国家中国の真実』を読む2021年03月01日

ビジネス社刊。2018.12.12。
内容説明
平気でウソをつく面の皮の厚い人だけが成功する中国人に日本人はどう対抗すべきか。日本国民に告ぐ!これ以上、騙されてはいけない!!

目次(若干編集)
第1章 強盗国家の常識

P33 英雄のいないウイグルのメモ

東トルキスタン共和国は1933年と

1944年 新疆北部(モンゴル系)に二度目に設立

二度目の共和国の指導者が死亡後

1955年に新疆ウイグル自治区成立

ISISに共鳴するイスラム過激派が誕生

新疆南部のオアシス都市の人はカシュガル人とホータン人でまとまりはない。

世界各地のウイグル人の団体は13あるがみんなバラバラ

日本でも喧嘩してる

横の連絡なし

・・・結局ウイグル人の悲劇の原因はウイグル人自身にもある。かれらをまとめる強烈な指導者が現れないことには当面漢民族からの虐待が続く。中国における毛沢東、朝鮮における金日成、ベトナムにおけるホーチミン。すべては若い頃からの教育であろうか。日本ならば小異を捨てて大同に就くことですぐまとまるのだが。ただイスラムが支援しているとのことでこのままで置かれるわけではなさそう。

第2章 漢字支配と歴史捏造の実態
第3章 中国を動かす客家コネクション
第4章 中国は大分裂するのか
第5章 「習王朝」権力闘争の行方
第6章 経済大崩壊の末路
第7章 いやでも中国人と戦う時代

著者等紹介
宮崎正弘[ミヤザキマサヒロ]
1946年石川県金沢生まれ。評論家。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長、貿易会社経営などを経て、1982年『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇デビュー。中国ウォッチャーとして知られ、全省にわたり独自の取材活動を続けている

宮脇淳子[ミヤワキジュンコ]
1952年和歌山県生まれ。1976年京都大学卒業、1982年大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1983年から東京外語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員ほかを歴任。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

楊海英『中国人の少数民族根絶計画』を買う2021年02月27日

 産経NF文庫。2020.1.24発刊

 第19回正論新風賞を受賞した論考。著者は中国人名ながらオーノス・チョクトというモンゴル人である。1964年生まれで静岡大学教授で文化人類学を教える。恐ろしい書名だが、モンゴル人の立場で書かれているからそうなるのだろう。
 つまり歴史的には漢民族=シナはモンゴル人に支配された時代があったのです。こんな本を買ったのもシナに滅ぼされようとしているウイグル人のことを知るためです。

 これまで断片的に書いているが、胡の話です。中国共産党の政治家である胡錦涛の胡は従来から、シナを取り囲む匈奴の1つでした。胡は別称ですが、漢民族が名乗っているのはすでに混血がなされたのではないかと思います。
胡(こ)は、中国の姓の一つ。『百家姓』には158番目に挙げられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1_(%E5%A7%93)

ブログ「「中国人の名前」についてのメモから

・中国人の名前のつけかたの歴史的変遷は、中国社会の構造の変遷と結びついている。
中国人=漢民族+少数民族(非漢民族)

・姓を見れば大まかな先祖がわかる?
江…南方系の姓。川の地名を、中国の北方では「…河」「…水」、南方では「…江」と呼ぶ。
  【比較参考】谷の地名を、西日本では「…谷」、東日本では「…沢」と呼ぶ。
林…南方系の姓。福建省や広東省に多い。「三国志演義」に林姓のキャラがいない理由は、三国志は北方人中心の話だから。
金…東北系の姓。先祖が匈奴人、蒙古人(モンゴル)、満洲人、朝鮮人の可能性がある。
姜…西北系の姓。紀元前11世紀、殷王朝を滅ぼした周の「姫姜連合」の中心人物「太公望」「呂尚」「姜子牙」。
馬…西北系の姓。先祖が遊牧民族や(三国志の馬超)、イスラム教徒(マホメットの「マ」)である可能性がある。
康…康居国(現在のカザフスタンにあった国)から大昔に中国に渡来した人々の子孫である可能性がある。
安…安息国(パルティア。現在のイランにあった国)から大昔に中国に渡来した人々の子孫である可能性がある。

清水ともみ+楊海英著『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』を買った2021年02月26日

 hontoから
 中国が支配する新疆ウイグル自治区。エジプトで結婚し、三つ子を授かったウイグル人女性が実家に帰ると、赤ん坊とともに拘束され、電気棒などの拷問を受け…。ウイグル人女性の証言をもとに、ウイグル弾圧の実情を漫画で描く。【「TRC MARC」の商品解説】

 中国によるウイグル人への弾圧を告発するノンフィクション漫画。
 ウイグル人による実際の証言にもとづく本作品は、2019年にウェブ上で発表されるや否や、衝撃を持って受け取られ、SNSで瞬く間に拡散されていきました。有志の手によって世界14ヵ国語に翻訳され、ワシントンポスト、ガーディアン、ブルームバーグ、CNNなど多くの海外メディアによって紹介されています。

・・・私ども日本人はウイグル人について何も知らない。学校で学んだ記憶もないのは当然で、中国の建国後に侵略されたのである。

 宮脇淳子『かわいそうな歴史の国の中国人』(徳間書店)には、P184~「現在の中国が領有する国土の64%は中国ではない」という。
 ウイグル人はトルコ系の言葉を話すイスラム教徒です。と書いてある。新疆ウイグル自治区を英語では東トルキスタンという。トルキスタンはトルコ人の住むところの意味。
 中央アジアはひとつながりの土地であり古来から中国の不可分の土地という主張は嘘という。
 ウイグルが中国の領土にされたのは?
 昔、遊牧帝国「ジュンガル」があった。チンギスハーンの女系子孫が建てた帝国である。清朝とも争ったが、最後は内部分裂した。ジュンガルはモンゴル人であり後継者争いで兄弟喧嘩した。1775年に乾隆帝がモンゴル騎兵を派遣してジュンガルを滅ぼした。新疆自治区の全域がジュンガルの支配地だった。そのまま清朝の最大版図となった。今の中国は清朝を受け継いだことにした。
 以下重要なことが書いてあるので詳細は本書による。

 中国のウイグル人の人権蹂躙はひどいものです。こんな国で来年の冬に北京オリンピックが主催されるが、良いのかということです。これを日本のメディアは記事にして報じないのですが、ですからほとんどの日本人は知らないのです。しかしネットの動画で発信されています。清水さんの本も動画で知ったわけです。

山岳古道⑨北畠が陸奥へと赴任した東山道2021年02月22日

 『神皇正統記』の著者の北畠親房の足跡を追う。

https://1000ya.isis.ne.jp/0815.html
「 北畠親房が『神皇正統記』を書いたのは、常陸の筑波山麓にたつ小田城の板の間でのことだった。同じころ吉田兼好が『徒然草』を書いていた。二人の執筆の姿勢はまことに対極的で、親房は日の本を背負い、兼好は草の庵を背負っていた。14世紀になってしばらくのこと、内乱の時代の只中である。」

「 こうした親房が『神皇正統記』をなぜ陣中で急いで書いたのかというと、これは東国武士に南朝への参加を説得するための分厚い政治パンフレットだったのだ。かつては後村上天皇のために書いたとされていたのだが、いまでは関東の“童蒙”(かんぜない君主)、すなわち結城親朝の説得のために書いたというのが定説になっている。
 けれどもその効果は出ずに、説得工作は失敗をする。しかもその直後に後醍醐の崩御を聞いた。親房は傷心のまま吉野まで帰ってくることになる。まだ十代の後村上天皇はさすがに親房の労をねぎらい、准大臣として迎えるのだが、親房は静かに黙考して、動かない人になっていた。つまり『神皇正統記』は後醍醐存命中にこそ流布されるべきレジティマシーのための一書パンフレットだったのである。」

「浪岡氏(なみおかし)または浪岡北畠氏(なみおかきたばたけし)は、村上源氏の一族北畠家の流れを汲む陸奥の国司の一族とされる。

「後醍醐天皇の命により国司として奥州を支配した北畠顕家の時代には、2度までも足利尊氏を危機に追い込むほど強勢を誇ったものの、顕家が2度目の上洛戦で戦死し、勢力を引き継いだ弟の顕信も、傘下の武士の離反や幕府より奥州に派遣された吉良氏や斯波氏のために勢力を衰退させていったという。顕信の後半生ですら不詳であり、それ以後の歴代当主の事跡は、戦国期に登場した具永(後述)以前のものは判然としてはいない。

当初は南朝ゆかりの南部氏に保護されて、稗貫から閉伊船越にいたようであるが、やがて三戸南部氏が北朝方についたため、根城南部氏の庇護のもと、浪岡に入部した[2]ものと推測されている。[3]

現在の地に15世紀後半に浪岡城が築城されたとみる説[4]が多い。北畠氏は浪岡を拠点としたことから「浪岡御所」と呼ばれて、浪岡の位置する津軽田舎郡から外浜・西浜にかけて勢力を維持することとなった。」

 北畠氏は14世紀に日本史に登場する。三重県で一代勢力を拡大した時期もあったが、親房は長男とともに奥州統括のために多賀城へ赴任する。その時の通路は東山道であっただろう。京都から神坂峠を越えて陸奥までほぼ東日本を縦断する幹線であった。
 不思議なのは青森県の北畠氏の存在である。浪岡氏が復姓したのだろうか。どうやって調べるのか見当がつかない。
 それでも青森に北畠八穂が生まれたことは確かであり、錯綜した歴史の中で流れ流れて青森に定着したのである。

森喜朗氏の辞任を考えるーヤマトタケルと言挙げ2021年02月12日

 結局、森氏は「言挙げ」してしまったのだ。マスコミの切り取りはあったにせよ、スキがあったのだ。以下の文に見る如く、ヤマトタケルも相手を軽く見たわけではないのに、自分の思いを正直に言葉にしてしまった。それが「言挙げ」であり、感受性の強い女性の神経にさわるのである。そしてマイナスに働き、屈強の神様も足が三重(三重県の由来)に曲がってしまった。鈴鹿市で力尽き、「大和は国のまほろば・・・」と詠って亡くなった。実に恐ろしきものは言挙げである。他人の癇に障る言葉は厳に慎まなくては。

 ブログ「和人」から
https://www.wabito.jp/ibukiyama-siroinosisi/
【古事記】倭建命(やまとたけるのみこと)「伊吹山(いぶきやま)の白猪」

 倭建命(やまとたけるのみこと)は、尾張国(愛知県)の美夜受比売(みやずひめ)と結婚された後、伊吹山(滋賀県と岐阜県の境にある山)の神を討ちに出かけますが、その時、御刀である草薙剣(くさなぎの剣)を、美夜受比売(みやずひめ)の元に置いて、「この山の神は、素手で倒してやる!」

といい、持たずに出発しました。そして、その山に登った時、山の麓(ふもと)で白い猪に遭遇しました。その大きさは牛ほどあります。

そこで、倭建命(やまとたけるのみこと)は、言挙(ことあげ)して「この白い猪に化けているのは、その神の使者だな。今殺さずとも帰る時に殺してやろう!」と言い、そのまま山を登って行きました。

*言挙:自分の意思をあらわにし宣言すること。古代では言挙しその内容が間違いであった時、効力を失い自分の力をも失うとされ、禁句とされていたようです。

 すると、突然激しい雹(ひょう)や雨が降って来て、倭建命(やまとたけるのみこと)はその雹と雨に打たれ意識を失ってしまいます。実は、その白い猪は神の使者ではなく、山の神そのものだったのです。

 しかし、倭建命(やまとたけるのみこと)は「山の神の使者」と言挙してしまったので、その怒りを買いこのようにして気を失わせたのでした。
倭建命(やまとたけるのみこと)は、意識が混濁(こんだく)する中、その山からなんとか帰り下り、玉倉部の清水(たまくらべにある泉:所在未詳(滋賀県坂田郡米原町の醒が井あるいは、岐阜県不破郡関ヶ原町玉とも言われています)に着き、休みになっていると少し意識が回復しました。それで、その清水を居寤清水(いさめのしみず)といいます。

 そして、そこから倭建命(やまとたけるのみこと)は出発し、当芸野(たぎの:岐阜県養老町)の辺りに着いた時こう言いました。「私の心は、常に空を飛び翔けて行けると思っていた。しかし今は、私の足は歩くことも出来なくなり、たぎたぎしく(腫れてぼこぼこに)なってしまった」

 それで、この地を当芸(たぎ)といいます。

 そこから少し進むが、とても疲れ、なんとか杖をついてそろそろと歩きました。そこで、その地を杖衝坂(つえつきざか:三重県四日市市)といいます。
以下略

髙山正之著『コロナが教えてくれた大悪党』を買う2021年02月05日

 新潮社。著者は産経新聞の元記者。並みの記者と違うのはイスラム地域の実情に詳しい点だろうか。分かりにくい中央アジア周辺の話を分かりやすく書く。そして中国と韓国への舌鋒鋭いペンは未だ衰えず、この「変見自在」本のシリーズで何と15冊目にもなる。
 つまり著者の得意の地域は欧州にいじめられて来たイスラムであるし、ロシアの侵略に苦しんだ中央アジアになる。また英国、オランダ、フランスの植民地になった東南アジアも同じである。ただ、中国と韓国だけは欧米にいじめられて来たにもかかわらず、反日国になった。欧米の黄色人種同士を戦わせる意図が見抜けなかったのである。或いは知っていても儒教の悪に染まり日本と融和できない。
 この著者の切り口は常に新鮮であり、ひねりも効いている。

岩村忍『文明の十字路=中央アジアの歴史』を買う2021年02月04日

世界史の窓から「トルキスタン」
講談社学術文庫版
内容:
「ヨーロッパ、インド、中国、中東の文明圏の彼方で、生き抜いてきた遊牧民たちの領域が中央アジアである。絹と黄金を運んだ悠久の交易路シルクロード。多くの民族と文化の邂逅と衝突。アレクサンドロス大王とチンギス・ハーンの侵攻……。仏教・ゾロアスター教・マニ教・ネストリウス派そしてイスラムもこの地を経由した。中央アジアの雄大な歴史をコンパクトにまとめた入門書。(講談社学術文庫)


東西の文明交流の担い手=遊牧民族の3千年。東から絹を西から黄金を運んだシルクロード。世界の屋根に分断された東西トルキスタン。草原の遊牧民とオアシス農耕民との対立と共存を軸に、雄大な歴史を描く。」


アマゾンのコメントから
① 「この本が書かれたのは1977年だから、ソ連崩壊後の中央アジアの激動は反映されていないし、欧米列強進出後の中央アジアの近代史は駆け足で簡単に触れてある程度だが、古代から近世に至る部分は通史の概説書としてよくできている。
 中国史の一部として、あるいはシルクロードの東西交渉史として触れられることがほとんどの中央アジア史を、東西トルキスタンに焦点を当てて概説したものは少ないのではなかろうか。現在は東トルキスタンは中国の新疆ウイグル自治区、西トルキスタンはカザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、アフガニンスタンにほぼ該当する。
 東西を分けるものはチベットからつながるパミール高原の急峻な山岳地帯であるため、東西で歴史の経過が異なっている。
 点在するオアシス都市国家と草原を疾駆する騎馬遊牧民の歴史はまさしく「民族の興亡」というにふさわしく、繁栄と没落のダイナミックな展開に興味は尽きないが、著者は定住民と騎馬民族の攻防の局面よりも、交易による平和的共存の時代のほうが長かったという。
 ただ、中国の歴史書やチンギス・ハーンの遠征記、あるいは玄奘三蔵やマルコポーロの旅行記などの史料で埋まらない空白部分の存在があり、まだわからない部分が多いことも記されている。
 ソ連崩壊後の西トルキスタンの諸国家独立や近年の中国の一帯一路政策により中央アジアは政治的経済的に変貌を遂げつつある。近年の研究も踏まえた概説書が望まれるところである。

 原著はやや古いものだが、現代でも十分通用する質の高い内容である。」

以下は「世界史の窓」から
・・・ トルキスタンとは、イラン語で「トルコ人の地域」の意味で、中央アジアのパミール高原の東西に広がる広大な草原と砂漠地帯を言う。この地域をトルキスタンと言うようになったのは、ほぼ9世紀ごろにトルコ系民族のウイグルが定住生活を送るようになってからのことである。それ以前は、パミール高原の西のソグディアナを中心としたイラン系のソグド人がオアシスに定住しながら、東西交易に活躍していた。すでに6世紀にトルコ系の突厥が中国北部からこの地域を含め、西アジアに及ぶ大帝国を作ったが、彼らは遊牧生活を続けており、遊牧国家という性格を強く持っていた。

トルコ系民族の定住

 それに対して、もともとモンゴル高原にいたトルコ系ウイグル人の国家が、9世紀にキルギス人に滅ぼされて、その一部がタリム盆地のオアシス地帯に定住して西ウイグル王国を建ててから、この地域のトルコ化が進み、さらにトルコ系民族は西進して西アジア各地に広がっていった。これに押されて他のトルコ民族(カルルク人など)がパミール高原西部に移住するようになり、この地域もトルコ化が進んだ。
 先住民であるソグド人、サカ人、トハーラ人などのインドヨーロッパ語族のイラン系民族が、定住した支配者であるトルコ人の言語に同化されていった結果、この地はイラン語で“トルコ人の土地”を意味するトルキスタンと言われるようになった。トルキスタンは広大な範囲を指すが、パミール高原を中心にして、その東を東トルキスタン、西を西トルキスタンという。

コメント② 「中央アジアという地域はあまりなじみはないかもしれないが、東は中国、南はインド、西はギリシア、ペルシア、トルコ、北はロシア、モンゴルと接し、古代からさまざま文化、軍事勢力が群雄割拠し、カラフルな彩りを示してきた。世界史の縮図といってもよい密度の濃い歴史の舞台となってきた。

 本書は先史時代から現代に至るまで、この時代の歴史を誠実に描く。アレクサンドロス大王、感の武帝、チンギスハン、様々な英雄が織り成す活劇が展開され、あきることはない。

 この地域の歴史の入門書としては申し分ない。ただし、近年では特に現地の言語資料の解読や、歴史観、歴史理論の進展により、これらの地域の研究はさらに進歩が著しい。さらに研究を深めたいならば、杉山正明、岡田英弘といった名前や中央ユーラシアといったキーワードで最新の研究に進まれることを薦める。」

・・・世界史はモンゴルから始まったという岡田英弘の著作集は揃えてあるがいつ取り掛かれるやら。中央アジアすなわちイスラム社会は世界の中でもっとも分かりにくい地域である。
 中国、アメリカ、ロシアなどの大国が手を焼いて来た。今も中国がウイグル人をいじめているが、歴史的には中国は攻められていた側だろう。万里の長城も外敵から守るためだったが、自らを閉じ込める結果にもなった。
 この一帯は砂漠が広がる。最初から砂漠はあり得ないから、遊牧民の飼う羊により草も根っこから食うために砂漠化したのではないか。さらに煮炊きに使う木材もかつては森林があったと思われるが、伐採のみで植林しなかったから乾燥地帯になっていったのではないだろうか。この地域の自然史も知りたいものである。

長沢和俊『楼蘭王国』2021年02月03日

 1963年角川新書から加筆修正した1988年の徳間文庫版である。アマゾンにもレビューはなく取り付く島がない。本の内容をコピペすると
「内容説明
茫漠たる砂の海、白雪皚々の高原、七彩に輝く氷河や峡谷、それらを縫い、ラクダの白骨を目印にキャラバンが進んだシルク・ロード。1900年春、探検家ヘディンによって発見された楼蘭王国の王都クロライナは、かつてシルク・ロードの要衝として無類を繁栄を誇り、晋の西域進出とともに突如、廃墟と化したオアシスであった。夥しい装飾美術品、古文書等をもとに西域学の泰斗が神秘の国の全貌に迫る名著。

目次
序章 シルク・ロードのほとり
第1章 幻の古都を尋ねて
第2章 さまよえる湖
第3章 ローラン王国の繁栄
第4章 カローシュティー文書は語る
第5章 底辺に生きた人々
第6章 砂漠をおおう戦火
第7章 クロライナの夢のあと
第8章 東西文化の交流」
以上

 著者についてはウィキペディアからコピペすると
「略歴
1957年(昭和32年)、早稲田大学第二文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程を修了。東海大学講師、鹿児島短期大学教授を歴任する。
1966年(昭和41年)、シルクロード踏査隊の副隊長として、現地史跡を調査する。

・・・日中国交正常化は1972年のこと。当時は中国へは入国できないからパミール以西ということになった。
 この踏査隊は深田久弥(1903年~1971年、作家)、長沢和俊(1928年から2019年、学者)、鈴木重彦(1933年~2001年、日本山岳会東海支部)、藤原一晃(白水社)、朝日新聞が援助した関係で社会部高木正幸記者、カメラマンの関沢保治、朝日テレビの吉川尚郎の7名の自動車旅行であった。
 後に共著で『シルクロード 過去と現在』(白水社)を出版。パミール以西のシルクロードものの嚆矢だったと思われる。

1975年(昭和50年)、早稲田大学第一・第二文学部教授。
1980年(昭和55年)、『シルク・ロード史研究』にて、文学博士(早稲田大学)の学位を取得。定年後は早稲田大学名誉教授。就実女子大学教授に就任。
著書
『シルクロード 東西文化のかけ橋』 (校倉書房、1962年/校倉選書(増補版)、1979年)
『シルクロード』 講談社学術文庫、1993年 ISBN 4061590863。再訂版
『楼蘭王国』(角川新書、1963年/新版 レグルス文庫:第三文明社、徳間文庫)
『敦煌』(筑摩書房(新書)、1964年/新版 レグルス文庫:第三文明社、徳間文庫)
『チベット 極奥アジアの歴史と文化』 校倉書房、1964年
『ネパール探求紀行』角川新書、1964年
『日本の探検隊』早川書房(新書)、1966年
『シルクロード踏査記』 角川新書、1967年
『シルクロード遍歴』角川選書、1985年 増補版
『日本人の冒険と探検』(白水社、1975年、新装版1998年)
『パゴダの国へ ビルマ紀行』(NHKブックス、1977年)
『世界探検史』(白水社、1978年、新装版1996年/講談社学術文庫、2017年)
『シルクロードの終着駅 正倉院への道』(講談社現代新書、1979年)
『シルクロード史研究』国書刊行会、1979年
『東西文化の交流 新シルクロード論』白水社、1979年、新版1986年
『探検学 未知の世界に挑んだ男たちの記録』大陸書房、1980年
『シルクロード 歴史と文化』角川選書、1983年
『シルクロード文化史』全3巻、白水社、1983年
『シルクロード踏査行』くもん出版、1983年
『西安からカシュガルへ』旺文社文庫、1986年
『シルクロード博物誌』青土社、1987年
『シルクロードの旅人』徳間文庫、1988年
『海のシルクロード史 四千年の東西交易』中公新書、1989年
『楼蘭古城にたたずんで』朝日新聞社、1989年
『楼蘭王国史の研究』雄山閣出版 1996年 ISBN 4639013477
『シルクロード波瀾万丈』 新潮社 2000年 ISBN 9784104341016
『遥かなるシルクロード スケッチガイド 北京からイスタンブールまで』里文出版、2000年。画文集
共編著
『シルクロード 過去と現在』深田久弥共著、白水社、1968年
以下略
・・・以上のデータからほぼ生涯をシルクロード探求に掛けた学者だった。

シルクロードに思うこと2021年02月02日

 シルクロードは世界史の誕生でできた古道ということ。岡田英弘『世界史の誕生』のアマゾンのレビューに寄せられたコメントが簡明で要を得た内容なので引用させてもらうと

 「「西洋史」「東洋史」の2つの世界を同時に学ぶのが高校の「世界史」だったが、独立した関連性のない(ように見える)2つの世界について学ぶのは、正直なところ苦痛だった。
 しかし、中国を舞台にした歴史小説、あるいはローマ帝国を舞台にした塩野七生の小説を読むと、日本史にはないダイナミズムに満ちていて、実に面白い。世界史で学んだことのつまらなさとのギャップはいったいどこから来るのだろうという、どこか納得しきれない部分はずっとあった。

 岡田氏の論考は、この2つの世界を縦糸とするなら、遊牧民という横糸が合わさることで、世界史という1つの布を織りなしていることを証明するものである。「東洋史」を貫く思想が中華思想であり、「西洋史」を貫くのがローマ帝国やキリスト教を柱にする地中海(優越思想と言っても良い)史観だが、そこでは遊牧民の存在は矮小化、あるいは悪役視されている。
 しかし、大興安嶺からモンゴル高原、さらに中央アジアに至る地域に住む遊牧民の活動こそが、実は東西の歴史に重要な影響を与えてきたのであり、それはモンゴル帝国の成立によりその過程が完成したという著者の論考は、知的刺激に満ちている。

 一方で、著者の説は歴史学界において、完全に異端視されている。なぜなら、著者は「中国」が優越するとする中華思想が、実は遊牧民に抑えつけられ続けた中国人による一種のファンタジーであることを容赦なく暴いている。
 さらに、欧州(特に東欧)世界が、ロシア史の言うようなタタールのくびきから抜け出した栄光あるものではなく、実はモンゴルの延長線でしかないことを、さまざまな歴史的事実を用いて説明している。
 これは、既存の東洋史・西洋史の学者には到底受け入れられないだろう。歴史研究は史書を基盤にするが、その史書がよって立つところの虚妄を暴かれては、学者の反発も無理からぬモノがある。

 とはいえ、文献の少ない遊牧民の歴史を丁寧に調べ上げることで著者が見せた全く新しい世界観は、実にわかりやすく、そして魅力的だ。歴史の見方が根本的に変わる本書は、ある意味怖い本でもあるが、多くの人に手にとって欲しい、そう思えてならない1冊である。」

・・・中央アジアは欧州大陸と中国大陸のはざまにある。ゆえに中央だが、中心ということではなかった。そこをモンゴル族が欧州へと騎馬民族らしい移動を続けたことで世界史がなった。
 レーニンはモンゴル人の血とユダヤ人の混血というのも世界的な規模で見るとモンゴル人の隆盛を見る思いがする。

 その上で、中央アジア探検史の目次だけを眺めても膨大な時間の流れにため息がでる。かつては陸地の移動しかできなかった時代の東西の交流の中で発展と衰退を繰り返して来た中央アジアを貫く古道である。登山家たちはそんな経路にそびえる天山を見逃さなかった。そこに何があるか行ってみたい、という極地でないが、文化的な極地への憧憬だろうか。いかにも作家・深田久弥らしい取り組みではある。