痩せたければダイエットしてはいけない2017年06月08日

 今朝の中部経済新聞の16面の見出しだ。日刊ゲンダイから購入した記事である。
 要旨は以下の通り。
1 減量を目的にした食生活は、かえって肥満を招く。
2 おやつを饅頭などの和菓子にする。
3 「食事量を減らしなさい、カロリー制限をしなさい」とは言わない。
4 「体重を減らして健康に」というアドバイスは健康をむしばむ。ダイエットや体重をコントロールするための行動はむしろ体重増加につながる。
5 カロリー量を減らせば必然的に食事量が減り、体に必要な栄養素が量的にあるいは質的に不足する。
以上
 なかなかに難しいものです。
 
 食事制限や食事療法は一つ間違えば体を痛めてしまう。病気になってしまう。さまざまな情報が飛び交うが注意したいことです。

NHKういちゅう「ゆる山へGO]の勧め2017年05月10日

 昨夜、3ヶ月に1度の成年後見監督人さんの書類監査を受けた。その後の雑談で、5/13は友人と御在所岳へ行くんです、と言われた。金華山くらいしか登ったことがないらしいので、リーダーはいるんですか、と聞くと、予定していたが来れなくなったそうな。すると女性ばかりの初心者同志なので、それじゃ大変と、アドバイスしておいた。
 曰く、三重県側の登山道はどのルートも厳しいこと、特に下山には転落、転倒に細心の注意をすること。できれば武平峠から登った方がいいと。
 そして、「NHKのういちゅう「ゆる山へGO」を視聴されるようにお勧めした。「ゆる山へGO」は鈴鹿の入道ヶ岳のガイド番組だが『分県登山ガイド三重県の山』の執筆者の1人の金丸勝実氏が指導している。短いが要所要所の注意点を指摘しているので鈴鹿入門に良い。
 御在所岳は初心者同志にはちょっと厳しいが女性は慎重なのでまあ無難に登るだろう。かつ、たまには日常を離れて怖い思いもしたいだろう。事故の起きないように祈ります。

 「ゆる山へGO]は4/15が1回目。2回目は私の担当で、5/13の朝7時30分から放映される。段戸湖から寧比曽岳である。

ウィークエンド中部のHPは以下の通り。これまでの動画にアクセスすると見られる。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/we/

GWはメンテナンス週間・・・原稿書きと雑書整理2017年05月04日

 朝から俳句雑誌の原稿を1本書きあげる。少し間を空けてチエック後送信することとする。後、他の原稿にかかる予定。GW中にガイドブックの初校の校正原稿を送ると出版社から電話があった。そろそろ荷受けするころか。本業以外で忙しくなった。 

 漢方薬は初日は服用後、副作用で気持ち悪くなり休んだ。登山の際に足の痙攣をやった際に「芍薬甘草湯」を服用するが、それによく似た味である。他の生薬を混ぜるのでもっと複雑な味になっている。
 それでも飲まないといけないのでは朝と昼は休み、昨夜はちみつを混ぜて服用した。今朝はリンゴとニンジンのジュースを混ぜて服用した。いくらかは楽に飲める。唾に血のような膿が混じるので効いて来たのだろうか。
 体重は75.1kgになった。このラインは何度か来るがここからが中々減らない。運動量を増やしたいがひざ痛が完治しないうちは無理だ。完治するためには体重減が必達になる。漢方の副作用で食欲が減退したからこの機会に75kg割れにならないか。肥満は諸悪の根源である。

 正午前にホームセンターに行く。夏タイヤの走りは軽快そのものだ。スタッドレスタイヤはゴム質がやわらかく、ディーゼル車の重さとエンジンパワーにやや負けているせいかスリップする。特に濡れた路面は要注意である。
 ホームセンターへのPは満杯で少し外れに止めた。買い物客であふれている。行楽だけではなく長期の休みの間に自宅でやることも多いのだろう。思い思いに買い物をしている。雑書を梱包する段ボール箱を購入。重い箱を持ち運ぶのも大変なので小型のキャリーカートも購入した。これで雑書を整理できる。
 店内の喫茶店で休むと、若い娘さんが、ニコニコ笑いながら、どこかで見た冬帽子を持ってきた。私のだ。ここに忘れたんだ。よくぞ、顔を覚えていてくれたものよ。深謝!

 帰宅後、食間に服用するために今度はリンゴと春キャベツのジュースを作って混ぜて飲んだ。早く効いてこないかな。
 ネットでニュースをチエックすると北アルプスと中央アルプスで雪崩事故発生。死亡者多数。今回は気温が高く雪崩は必至だと見ていた。それでも行く。リスクをかけないと生きている気がしないのだろう。

GWはメンテナンス週間・・・スタッドレスタイヤ交換2017年05月03日

 今日はスタッドレスタイヤから夏タイヤに交換した。私の年中行事である。今冬は富山県への出張で1回だけ雪道ドライブを味わっただけに終わった。いつものことだが終わるとひと汗かく。タイヤを持ち上げるので腰にも負担がかかる。いつまで自力でやれるやら。
 ジャッキアップのついでに車の油漏れや車体の錆もチエックする。車齢14年にもなると結構錆びてきている。フレーム付きなので剛性はある。外したスタッドレスタイヤは溝をチエックした。食い込んだ小石を外し、釘が刺さっていないかを点検してまたベランダに置いた。これで終わり。

GWはメンテナンス週間・・・漢方薬処方の話2017年05月02日

 昨日は走りこんだマイカーのオイル交換をやってもらった。交換後のエンジン音の軽やかなこと。20万kmも走った老朽車であるが、労われば必ず応えてくれる。続いて事務所でたまっていた雑用を片付けた。

 さらに体のメンテナンスにと漢方薬の店に飛び込んだ。何と予約制になっていたので今日の昼前に再訪問した。相手の薬剤師さんに体の慢性的な不調を訴えた。曰く、ひざ痛の治療中のためにビタミン系の薬を服用中、歯肉の化膿のために歯科で治療中、と加齢にともなう不調を述べて処方を依頼した。 

 当方から依頼したのは排膿散及湯(ハイノウサンキュウトウ)という薬品であった。文字通り、歯肉の化膿を解消する目的で服用したい旨告げた。歯科は基本的に外科治療で、以前の腫れもメスで刺し、膿を強制的に出したがまた再発してきた。根本からの治療になっていない。おまけに膿が歯に長期間触れると溶けるので抜歯が必要になる。かなり荒っぽい治療である。西洋医学は病気をやっつける発想だからからそうなる。これだと治療費もかなり高額になるだろう。
 かつて、若いころ、PCの使い過ぎで市販の目薬を差して、ガンマーGTPなどの数値が悪化した。一般的には常時飲酒する人が該当する。新聞の生活欄の記事で、目薬には防腐剤が含まれていると知って、どくだみを服用して改善した。
 さらに飛蚊症で眼科にかかった。当初はすわ失明か、とあわてたが杉田眼科病院で長期の治療で改善した。この際も丸薬を処方された。多分漢方薬と思われる。口唇の治療でも南天に由来する丸薬を服用して手術痕がきれいに治った経緯がある。漢方は長期間を要するが体質を改善するので再発しにくい。
 要するに漢方薬は自然治癒を助ける狙いである。果たして薬効が出てくるか。

渡部昇一氏死去2017年04月18日

 産経新聞から
 本紙正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。葬儀・告別式は親族で行う。喪主は妻、迪子(みちこ)さん。後日、お別れの会を開く。ここ数日、体調を崩していた。

 昭和5年、山形県鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授をへて教授に。専門は英語学で、「英文法史」「英語学史」などの専門書を著した。

 48年ごろから評論活動を本格的に展開し、博学と鋭い洞察でさまざまな分野に健筆をふるった。51年に「腐敗の時代」で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された「知的生活の方法」は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超のベストセラーとなった。
 57年の高校日本史教科書の検定で、当時の文部省が「侵略」を「進出」に書き換えさせたとする新聞・テレビ各社の報道を誤報だといちはやく指摘し、ロッキード事件裁判では田中角栄元首相を擁護するなど論壇で華々しく活躍。一連の言論活動で「正確な事実関係を発掘してわが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として60年、第1回正論大賞を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、保守論壇の重鎮だった。平成27年、瑞宝中綬章。主な著書に「日本史から見た日本人」「ドイツ参謀本部」など。フランシス・フクヤマ「歴史の終わり」など翻訳も多数手がけた。
以上
 哀悼の意を表する。
 享年86歳だった。若いころからTVなどの時事番組で知った。その後はベストセラーの『知的生活の方法』で改めてファンになった。
http://koyaban.asablo.jp/blog/2016/12/14/8275366
 続々出版される本は大抵は購読してきたはずだ。驚くのは知的生活の提案者らしく蔵書が膨大で和英合わせて15万冊に及ぶらしい。
 渡部氏のやり方を知ってからは本を消耗品扱いするのをやめた。雑誌といえども何でこんなものを買ったのかと思うが後で読み直すと意味はあった。失敗と成功の積み重ねで失敗を減らしていくのだろう。的確な本の選択眼蔵書術も教わった気がする。
 蔵書専門のマンションの購入も夢見ているがそれを維持する収入がないことで実行できないでいる。夢で終わる公算大であるが、渡部氏から得たものは大きかった。
 梅棹忠夫からは行動のための読書術を教わり、渡部昇一氏からは知の計算外の蓄積の大切さを教わった。無用なものでも継続すれば無用でなくなり、体系が生まれると知った。専門家でないことが新鮮な発想を生むのである。
 渡部先生!やすらかにお眠りください。お別れ会には上京して出席したいものだ。

花に嵐のたとえも・・・2017年04月17日

 今日は一日中荒れた。そこで思い出したのは「花に嵐のたとえも・・・」のフレーズである。調べると西行の和歌かと思ったが以下が原典であった。

 勘酒・・・酒を勧む
勧君金屈巵・・・君に勧む金屈巵
満酌不須辞・・・満酌辞するを須いず
花發多風雨・・・花發けば風雨多く
人生足別離・・・人生は別離に足る

井伏鱒二の訳は次のようになります。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

 有名なさよならだけが人生さの言葉はこれが原典だったのか。一期一会ともいう。日本で花といえば桜と思うが、漢詩ならば花は梅という。

読売新聞「HAIKUの世界」を読んで2017年04月13日

 読売新聞朝刊が4/11から4/13まで「HAIKUの世界」を3回にわたって連載し、本日完結した。記者は文化部の佐々木亜子氏。
4/11 上 英語が導き出す自由
4/12 中 「偶数行の鉄則」に挑戦
4/13 下 文化遺産登録を視野に
 何回も読み返したが違和感がぬぐえない。

 米国の元外交官というアビゲール・フリードマン氏のコメント:「俳句は日本人には伝統的な芸術だが、私達は伝統に縛られずに自由に作ることができる。」という。日本人が異文化に根ざす海外の俳句を勉強したら、「もっと面白い俳句を作れる可能性があるのでは。」
 佐々木亜子記者のバイアスも多少混じっているが、こんな考え方がそもそも俳句にはなじまない。HAIKUならいいと思う。今の日本の俳句は面白くないと嫌味を言われているようにとれるではないか。海外の俳句よりも、たとえばウクライナの小学校では日本人も知らない芭蕉の俳句が学ばれているそうだ。つまり、われわれ日本人こそもっと「猿蓑」などを読むべきなのである。
 俳句は縛られること、ルールを厳守するから面白いのに、自由を謳うようでは俳句の真髄は一生分からないだろう。日本の俳人はだれも窮屈だから自由がほしいとは思っていない。日本人の自由律の俳句もついに定着しなかった。
 特にキリスト教圏の白人の啓蒙主義、優位性が押し出されていやらしいと思う。自らは平気で国際法を破り、不都合になると次々変える国の人らしい考えだ。表意文字の俳句は表音文字のHAIKUから学ぶことはない。俳句の文化遺産登録には反対も賛成もない。意味があるのかどうか。
 柔道が国際化されてスポーツになり、ジュードーになった。以来、見た目にはレスリングになった。柔よく剛を制すという講道館柔道はどこへ行ったのかと思う。柔の道の道に意義があった。俳句も言葉の断片ではなく、人生の一こまを謳う。あるいは詠む人の人生を思わしめる。国際化の意義はほとんど考えにくい。ただし、外国人との友好的な交流の道具にはなりうる。
 この記事を読んだ後、口直しに長谷川三千子『からごころ 日本精神の逆説』(中公文庫)を読んだ。「国際社会」の国際化のためにという論考である。結論めいた言葉だけを引用すると「近代ヨーロッパ人は「他人に学ぶ」ことができない人達ではない。自分たちよりも力の弱い者達からも学ぶ」ことができれば欧米人達もコクサイカが可能。「この世界には無限の「ものの見方」の可能性があるのだという事実を謙虚に受け止めるところから出発する。
 要するに欧米人は力でねじ伏せてinternationalizeしてきた。欧米人が俳句に学んで欲しいのはその心です。国、領土等を二カ国以上の共同統治、保護の元に置くことがinternationalizeの定義。日本人の国際化は基準を外においてそれに順化することと考えている。このずれがあるかぎりは俳句とは似ても似つかないHAIKUのままにとどまるだろう。
 佐々木亜子記者も自分が日本人でありながら国際化(欧米化)された考えに染まっている(からごころ)ことに気がつかない。欧米に基準をおいて日本をそれに合わせようとするずれに気付いて欲しいものだ。
追記
 日本の新聞記者や外交官、国際企業のビジネスマンはダブルスタンダードで生きている。あちらはあちらの流儀、日本は日本の流儀ということで、これがあいまいな日本の原点だろう。真の国際化にはほど遠いと思う。
小屋番の山日記から 芭蕉を学ぶ国の危機
http://koyaban.asablo.jp/blog/2017/03/19/8411013

哀悼!ペギー葉山さん死去2017年04月12日

NHKニュースから
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170412/k10010946071000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_019&movie=true
4月12日 14時59分
「ドレミの歌」や「学生時代」などのヒット曲で知られ、女性として初めて日本歌手協会の会長も務めた歌手のペギー葉山さんが12日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。83歳でした。
ペギー葉山さんは東京都出身で、昭和27年にレコードデビューしました。昭和33年には、NHK高知放送局の依頼で歌った「南国土佐を後にして」が、ふるさとを離れて働く人たちの望郷の歌として大ヒットしました。

その後も「ドレミの歌」や「ラ・ノビア」、「学生時代」など幅広いジャンルのヒット曲で人気を集め、昭和41年のNHK紅白歌合戦では紅組の司会を務めました。

また平成17年に亡くなった俳優の根上淳さんと仲のよいおしどり夫婦として知られ、根上さんの闘病生活を支えてきました。
その後も平成19年に、女性として初めて日本歌手協会の会長に就任するなど第一線で活躍し、おととし3月、放送文化賞を受賞しています。

所属するレコード会社によりますと、ペギー葉山さんは最近まで活動を続けていましたが、10日に東京都内の病院に入院し、12日昼前、肺炎のため亡くなったということです。
“バターの香り”教えてくれた大きな存在
ペギー葉山さんが亡くなったことについて、日本歌手協会の田辺靖雄会長は「戦後日本に軽音楽を通じて、洋楽・ポピュラーソングのバターの香りを教えてくれた大きな存在の歌手でした。亡くなるまで現役を通され、会長をひかれたあとも、後輩の私たちに温かく接してくださいました。お疲れさまでした。ごゆっくりお休みください」というコメントを出しました。
高知県知事「観光振興の大恩人」
ペギー葉山さんが亡くなったことについて、高知県の尾崎知事は「突然の訃報に驚いたし本当に悲しい。心から哀悼の意を表したい」と話しました。

高知県は、大ヒットした「南国土佐を後にして」が高知県への観光ブームを巻き起こしたことなどをたたえ、昭和49年、ペギー葉山さんに「名誉高知県人」の称号を贈っています。

尾崎知事は「曲がヒットしたことで高知県では『南国土佐』を1つのブランドとして長年、観光振興の取り組みを続けることができた。私たちにとっては大恩人だと思う」と功績をたたえていました。
以上
小屋番の山日記
http://koyaban.asablo.jp/blog/2007/11/25/2458224
 9年半前前に四国の山へ行った。本四架橋を渡る際にペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」の曲をカーオーディオから流して今から四国だぞという雰囲気を出した。それくらいあの歌は四国にふさわしい。誰かがこれから行くのだから「・・・・後にして」の歌と合わん、と言ったが、シンボルだから良いのだと思った。
https://www.youtube.com/watch?v=1JcGhhPM3YQ
を聞いて偲びたい。

高校生の冬山禁止の是非2017年04月08日

 4月5日付の中部経済新聞の一面「中経手帖」の手帖子が高校生の冬山禁止の動きを危惧している。
 那須町の山で起きた雪崩で8人の高校生らが亡くなった遭難事件に関し「冬山は危ないというイメージを決定的にしてしまった。・・・」と書きだし、「高校生の冬山を禁止する動きが広がりつつある。」と危惧する。 事故後に手帖子は白草山に登り、眼前の御嶽を目の当たりに見て、「この壮大な眺めを、山好きの高校生から奪うのはどうかと思う。中略、禁止することはない。天候にわずかでも不安があれば登らなければ良いのだ。以下略」
 しかし、大学山岳部も高校山岳部の指導者のレベルもお寒い限りと思う。
 小屋番の山日記の「今西錦司の言葉」に書いた。今西錦司は「そんなわけで、立派な登山家の薫陶を受ける機会の無い初心者は、あえて老猟師とはかぎらずとも、郷に入っては郷に従えで、その山をよく知った土地の人に教えを乞うて・・・・・・・。そして経験者といえども、都会生活を送るものが、わずかの暇を盗んで得たぐらいの経験はどうせ大したものではない。われわれは山に対してはいつになっても初心者であるという謙譲な気持ちを、つねに持っていたいものである。 」と書いている。 登山技術はあるが山を知らない指導者が多すぎるのだと思う。「山を知るとはどういうことか。山に登るというが我々は頂を目指して登る。頂は山ではなく一部である。山は全体を指す。しかし、山に登って山を見渡すとき頂の形をしっかり目に焼き付ける。だから頂を隠して山体だけを見せられてもどの山か見当がつかない。頂を見れば見当がつく。言わば頂は山の顔である・・・と。実はこれも今西氏の見解である。
 この前銚子洞の遡行に失敗して道の無い稜線に追い上げられた際に役に立ったのは正しく頂の顔(特長)であった。目に見える山々のどれか一つでも正確に同定できればあとは地形図と照合していけば自分の位置が判明し、他の山も分かろう。山を知るということは大変に広範囲な知識だけではなく尾根、谷、樹木の有様に加えて言葉にならないことも含むであろう。
 奥美濃の花房山に登る前に谷の近くの民家に教えを乞うたがこの谷のあそこが特に悪い、注意して行け、とアドバイスを受けた。行ってみると地元でダイラと呼んでいるところで伏流して小広くなっていた。下山の際にあれっと思ったのはこんなところを通ったのかなあ、という疑問であった。多分道迷いを心配してくれたであろう。
 山の隅々まで特徴を把握している(頭の中に血肉化して刻まれている)即ちこれが山を知ることであろう。 」