奥越・笹ヶ峰の長トコ谷敗退2018年08月13日

 8/11の朝6時にリーダーのWさん宅を出発。お盆休みの渋滞が始まっているので高速には入らず、地道で行く。木曽三川を渡り、関ヶ原、木之本を通過、栃の木峠越えで南越前町に入った。やがて広野ダムから廃村・大河内に着く。ここまではほとんど渋滞は無く、3時間で来れた。高速とそんなに違わない。
 さてここからどこまで行けるか。土砂の押し出しでやや傾斜面があったので、空車でも2300kgもある重量の重いマイカーがずるっと行く可能性がある。そこでマイカーの入山はストップ。徒歩で行く。
 いくばくもなく砂防ダムの手前の広場まで来れた。軽いクルマなら無難に走れるだろう。ここまでは実は整備されていたのだ。その先は草深い林道が続いていた。入渓地点まで歩いてみた。踏み跡があるので明日の偵察は終わった。先の整備された広場まで戻ると、大河内川を渡る橋があるので入って見た。入り口には笹ヶ峰登山口という消えそうな道標があって、ああ、これがロボットへの尾根コースの入り口であった。橋を渡ってみて偵察すると杉の幹に白っぽい紐が結んである。これが多分ロボットの尾根ルートであろう。予定では下山にとることになっている。
 入山情報の少なさに、湛水のはじまる二ツ家付近で車止め、そこから徒歩も覚悟していた。心配は解消した。
 まだ昼前なので今庄の宿まで行き、おろし蕎麦を食べた。久々に美味い本場の今庄のおろし蕎麦を味わう。また大河内に戻り、車の置いてあった出作り小屋の主人Y氏に声を掛けた。突然の珍客に驚かれたが、笹ヶ峰の登山に来たことを告げると気安く話に応じてくれた。
 大河内の村の歴史から笹ヶ峰一帯の山守をしていたこと、22歳まで村にいたこと、そして山が好きなこと。増永迪男氏の山の本の話もしていくらでも話が続き止まなかった。こちらも林道脇にテントを張って仮眠の予定もあり、離れがたくも話を打ち切って別れた。
 テント適地は特になく、林道脇に張った。近くを小川が流れて炊事が楽である。小さな焚火もした。こんな山なので蚊が多く、蚊取り線香を焚いた。
 8/12の朝4時起床、朝食をかきこむ。テントを片付けて出発すると5時30分になった。林道終点まで歩いて6時入渓。平凡な谷相であるが、周囲は落葉広葉樹に覆われている。ここも奥美濃の沢と同じ雰囲気を持った樹林の山旅の世界である。
 小さな滝を越え、直登のできない滝は左から巻いた。いくらもしないうちに滝谷と長トコ谷との出合に着く。滝谷を見送り、長トコ谷へ入る。うわっと見上げたのは魚止めの滝であった。10mくらいはあり滝壺に落ち、更に小さな滝で2段目の滝壺に落ちている。全体で70mとも言う。
 岩質は一枚岩が浸食されて後退したような滝で見事である。取り付くしまが無い気がする。
 Wは右岸の岩溝をたどって攻めた。そこもスラブの小さな溝になっているらしく高巻を試みるうちに滑落したという。幸い木の枝にスリングでビレイをとってあったので滝壺に落ちずには済んだという。
 いつもより時間がかかり過ぎており、岩場を様子見に攀じ登る。Wに近づけないこともないが、もし下降する場合は厄介だ。待つこと1時間も経過しただろうか。突然後退を告げて、ザイルが投げられた。それに確保して微妙なバランスの岩場を下りた。その後Wも下って来た。途中で岩のスリットにハーケンを1枚打ち、更に下降する。Wはハーケンを抜いて尻を滑らせて下って来た。高巻は困難な状況と知った。
 事前の調べてでは白崎重雄・前川宏隆『屛風山脈の旅ー越美県境稜線の山と渓谷を行く』(1978(昭和53)年)は左岸の高巻で突破している。左岸の方が傾斜が緩く、樹木も生えている。右岸は垂壁に近い。
 Wは高巻に大いにてこずって、続行のモチベーションを無くしてしまったようだ。何分、4週連続で計画が流れ、今日こそはという気が優り過ぎてしまったのだろう。体力や技術もあるのに気が優ると妙に同じ場所にこだわって時間を空費する。
 結果、敗退を決めた。
 しかし、このまま沢を下るよりは、次につなげるようにと、出合からロボットの尾根の722mを目指して北尾根を登った。少し人が歩いた跡はあり、ゴミもあった。激藪でもない。左へ滝上に下る踏み跡も捜しながらヤブ尾根を登った。上から眺める長トコ谷は緑のトンネルに覆われて、流れは見えない。
 懸垂下降2回で降りれそうな気がする。但し大高巻になるが・・・。Wは谷から離れるな、という主義なので首肯しないだろう。
 途中からシャクナゲがからまるようになり全力で登った。そこを過ぎるとしっかりした踏み跡が現れた。またコンクリートの小さな標石もあるし、なた目もある。標高700m付近の平らなところでロボットのコースに着いた。約1時間30分を費やした。
 そこで1時間ほど、涼しい風を楽しむように休んだ。その後、右ブナ等の落葉広葉樹の二次林、左は杉の植林の細道を下った。昨日の偵察の場所に出た。
 昨日の大河内のYさんの話では2年前に白谷の頭(約1000m)までコース整備をしたという。その先は武生山岳会がやったとか。ロボットまでなんとか今も行けるだろう。
 私自身は30歳代に2回GWに登っている。2回目は3人パーティでロボットにツエルトを張り、笹ヶ峰を往復、翌日は大河内山(から美濃俣丸?)を往復した。だから30年ぶりで再訪したのである。
 下山後、片付けてからまたYさんの小屋に寄って報告した。残念ながら敗退でした、と。
 いろいろ質問すると、722mの尾根の要旨を話すとあれは自分が付けた道だという。ロボットの尾根から北尾根の間に広がる山を売ったという。そのための山道の名残だった。天草山から五葉坂の間にも道を付けた。そこも売ったという。それで町で生活する資金を得たのだろう。五葉とは五葉松の意味で、北尾根にも五葉松が若干みつかった。壁小屋谷は岩壁が屹立するところがあると言う。大河内の生き字引みたいに知っていた。
 さて、再び挑戦することはあるだろうか。長トコ谷は遡行に値する気がする。何より、地名に興味がある。長トコは床であろう。滑を想像する。上杉喜寿『続 山々のルーツ』(1987(昭和62)年)には、笹ヶ峰の別称の焼小屋丸の焼小屋とはたたら製鉄の場所ではないかと想像する。Yさんはマンガン鉱山があったとも。しかも戦後のことらしい。鉱物が豊富なのだろう。
 私見では夏小屋丸の夏小屋とは夏になってから蕎麦を蒔いても収穫できるとの意味で木地師の小屋があったのではないか。長トコ谷から大倉谷を経て夏小屋谷になることからの推測である。大倉とは木地師に多い名前である。
 木地師の村には夏焼という地名が散見する。奥三河の稲武の夏焼、三重県松阪の夏明も同じ意味か。同書には大河内は木地師の村だったとの記述がある。これはYさんも認めている。Yさんの話では徳山村の枝郷という説が興味深い。徳山村自体が越前の国に属していたからだ。婚姻関係もあったらしい。下流から来て出来た村ではなかったのである。
 帰路、大河内を離れてすぐに、日露戦争出征の記念碑があった。地形図にも記載されている。まだあったのだ。Yさんの話では数名が出征し、戦死した人もいたらしい。昔は二ツ屋とは山越えでつながっていたから峠道を越える戦士を姿の消えるまで見送ったであろう。
 今庄の宿に戻った。暑い暑い。ドリンクを1本飲み干す。そして、また冷水仕立ての下ろし蕎麦を食べて同じ道を名古屋へ帰った。

竹屋谷遡行2018年08月06日

栃の大木の森を流れる滑滝を溯る
 7月半ばから山行計画がみな流れた。7/14の小秀山の沢は道路決壊で、7/21は猛暑で避暑に切り替え、7/31は台風で中止。8月の第1週は沢登りだなと提案し、山岳会でまとまった。
 この時期に、近場で、蛭がいなくて、そこそこ楽しめる。となれば竹屋谷が脳裏に浮かんだ。前夜発で提案したが、猫を飼っている人が朝発を希望。こちらも3週間以上のブランクで体力減退の懸念があってレベルダウンした。朝発ではブンゲンに登頂できないから、1095mを迂回して同じルートをたどらない計画をした。
 8/5の6時30分に金山駅前を出発、今回は3月に供用開始された安八スマートインターチエンジを経由。大垣大橋を渡るとすぐに揖斐川堤防の県道を経て粕川へ。現地には8時30分くらいに到着。こんなに早かったのは安八効果です。
 沢の方は水量は充分、沢の流れに足を浸すと冷気が全身を包んだ。最初はやぶっぽい灌木の中を流れを溯った。流れが広くなり、空間が広まった。滑滝に来た。樹高20m以上はある栃の大木が集中的に生えている。核心部の栃の原生林の中の滑滝に圧倒されながら遡行を楽しんだ。滑滝では本当に涼しい。北海道のツアー登山から帰ったばかりのKさんは北海道より涼しいと感激。北海道の夏は涼しいというイメージでいたからその暑さに裏切られた思いだったらしい。次々と現れる滝を登ったり巻いたりした。
 出発は9時前で,ブンゲンの登頂を狙うには遅いので最初から、隣の小沢に乗り換えて、地形図で1095mのコルを目指す計画だった。小沢へ乗り越す尾根を意識しながら溯った。地形図では尾根が最もくびれた箇所になる。
 二股を過ぎて観音滝を越えると左に竹屋谷と並行する尾根が沢に最も近づくところがあり、そこを乗り越すと1095のコルへの小沢になる。規模は小さいながら滑の連続する美しい谷であり、小滝が連続する。最期の方で大きく巻いた後、谷に戻らず尾根をそのまま辿った。尾根は風が無く暑いので余計なアルバイトを強いられたが、1095mに登れてしまった。
 そこからは以前にたどった踏み跡を頼りに尾根を下った。RFの失敗で双門の滝の少し上流へ下った。左岸の藪をこぎながら瀧の遊歩道入口までは大岩谷を下る。クルマへはすぐに戻れた。15時30分。まだまだ暑い時間帯だ。帰りは薬草風呂に入って汗を流して帰名した。
 帰りも安八SIC経由で走る。するとすぐに渋滞した。一宮JCTがあるためだ。一宮ICまではいつもこの有様だ。帰りは名古屋ICまで走った。970円だった。往きは1450円だったから480円の差額がある。
 反省。今日は久々の山行だった。3週間のブランクのうちに体重は2kg増となり切れが悪かった。もともと悪いうえに今日はいつもWさんが持ってくれるザイル、ハーケンの類いがプラスされたから尚重かった。それでも沢登りの醍醐味を味わった。
 日本の夏山はこれで良い。

大白木山の沢を溯る2018年06月18日

 山岳会の例会で出された大白木山(おじろぎやま)の沢登りの計画に参加した。今年はこれで2回目になる。
 前夜の6/16(土)8時、集合場所で合流。スーパーで夜食と行動食を仕入れた。同行者が最近はスマホのナビを活用し出した。頭の中にはすでに道筋が入っているが、ナビは意外にも、岐阜羽島ICを経由する。東海北陸道・美濃IC経由尾並坂越えより、ナビの方が早かった。美濃市までの市街地を一気に高速で時間稼ぎするより、地道だけでそんなに早く行けるものか、ナビに従ってみた。
 名古屋市内からR22を走り一宮ICから名神高速を岐阜羽島まで走る。ICを出てからは複雑な指示に従った。夜道なので全く地理勘が働かない。県道46、県道18と走り、長良川を渡ると、揖斐川の手前で県道220に右折。これは揖斐川左岸道路で、本巣市役所付近で、根尾川左岸にそのままつながって、県道92になるが、木知原でR157に合流するまでは、 北進するのみであった。根尾川左岸の堤防道路は狭く、ガードレールもなく、怖かったが、対向車がなく、かなり早く走れたのは幸いだった。
 R157からは勝手知ったる道で上大須ダムまで走り、ダム湖畔まで行く。夜11時半、約100kmで2時間余りかかった。が、土砂崩れで園地までは行けない。照明のあるトイレと東屋で仮泊の予定だったがしばらく右往左往した後、ダム近くの東屋に落ち着いた。
 6/17(日)朝食後6時に出発、折越林道を走る。標高点542m地点の大栃の傍らのPに駐車。大白木山に突き上げる越波谷(おっぱだに)の源流である。
 事前の調べで、大白木山 沢登りでググると、ブログ「山へ行きたい」の2012年6月23日記録がヒット、何年か前に三段滝遊歩道が開通したらしい。
 7時15分出発。10分ほど歩道を歩くと終点で、沢を渡った先に三段滝があった。岩盤を削ったような溝が3段になり、見事な滝がかかる。記録は右岸の土壁を攀じて1170mへ遡行している。
https://blogs.yahoo.co.jp/two2106_hira/30795220.html
 私どもは、本流に戻って、7時40分、遡行を開始。小さな滝をいくつも越えて行く。
 この谷は栃の大木が多い。栃の実は栗よりも一回り大きい。しかし、食用とするには渋をとる必要があり、手間暇がかかる。それでも各地に栃の地名が多いのは貴重な食料として大切にされたからだろう。
     山人に愛され栃の夏木立   拙作
 最初にして最後の核心部に来た。ゴルジュにかかる約15mくらい。直登は無理で、右岸から高巻。急斜面を木の枝を掴みながら攀じる。滝上のポイントへトラバースして、懸垂下降。30mのロープで5m余裕があったから25mほどか。
 ここからも小さな滝はあるが問題はなく突破。雨が少ないのか、否、そんなことはない。多分浸透してしまうのだろう。全体に苔むしている。地形図にある林道と交差して、現在位置をチエック。
 その後は一段と水量が減って荒れた登山道を歩くような感覚だ。荒れているのは一度は伐採されたからだろう。錆びたワイヤーロープが捨てられていた。周囲には杉の植林を確認した。谷が枯れたのは、根の浅い杉を植えたからだ。ブナ、ミズナラのような落葉広葉樹は根張りが広く保水力がある。
 完全に伏流しているかと思えばまた流れが復活するが、ついに水が絶えた。1000m付近から土の溝になり、傾斜が増した。沢筋に蕗や大きなヤブレガサが繁茂している。不思議な植物環境である。
 1100m付近から斜面が立ってきて、土の溝を登るのが困難になり、沢一筋にこだわるリーダーがいよいよ尾根に転じる時と判断。樹林帯の山腹に入り、木の枝、根っこにつかまりながら、喘ぐと呼吸を整えながら高度を上げた。12時55分、登山道に出た。ハイウェイのように見えた。5分ほどで山頂だった。
 リーダーのWさんは「ぎふ百山」を山スキーか沢登りのバリにこだわって踏破することを狙っている。この山で又1つ踏破できた。私は完登したがバリで踏破するならと2順目を同行する。隣の高屋山も谷から登った。以下の山名の(* )内はWさんの履歴である。*は同行した印。
 1234.5mの並びのよい三角点が埋まる。今年は能郷白山の開山1300年にあたるとかで、この山も本巣7山の1つと言う。それをアピールする幟が山頂標にくくられている。
http://www.motosukankou.gr.jp/01_event/01_02_05.html
 高曇りで遠望は無かった。2基の反射板のある広場から山岳同定を楽しんだ。沢の中から見た根尾富士(福井の中の谷から踏破*)も良かった。美しいコニーデ型の屛風山には癒された。山頂から眺める根尾富士はまた格別である。ほぼ真北に位置する。さらにその背後には重なって荒島岳(ナルサコから踏破*)が見えた。白山、別山は雲の中に隠れている。
 更に目を凝らし、記憶をたどると、越美国境の平家岳(日の谷から踏破)、滝波山(残雪期に踏破)、手前の左門岳(銚子洞から踏破*)、対岸のドウの天井、反射板の建つ日永岳(西ヶ洞から踏破*)が見えた。少し位置を変えて、山頂から南東に高賀山(北の沢*)も確認。能郷白山は樹林に隠れた。梅雨時の条件下では最高の展望に満足した。
 充分な山頂滞在を満喫。下山を開始。つい最近まで、廃道に近かった登山道は整備されて歩きやすかった。登山道の脇には、この山を特長づけるヤマボウシの花が盛りである。最初はハナミズキと見たのですが、時間を置いて、正しい名前を思い出した。同じ仲間だから当然である。
 登山道を下って、南東に舟伏山(初鹿谷から踏破*)を確認した。あれも「ぎふ百山」の1座だ。
 以前、荒れていた部分の植林帯はきれいに整備された。杉の倒木の切り口には2018.4.22と書かれていた。篤志家の伐採日かな。これから登る人に出会った。立ち話すると登りがきつかったとか。一旦下って登り返すと反射板への分岐(1050m)に着いた。新しい道標が設置されていた。右へ行ってみたが、何も展望は無い。反射板があるから眺めが保証されているわけではなかった。
 後は折越峠に向ってどんどん高度を下げた。根上がりの桧にも案内板があった。篤志家らの仕事だろう。816mを過ぎて、峠に近付いた。急な斜面をジグザグで下る。折越林道を歩いて542mまで行く。疲れた足には少しこたえる。
 Pに戻った。汗とヤブをこいだ際の埃で汚れた体を水で拭いた。蛭やダニもチエックしたが何もなかった。帰路は廃村・越波から廃村・黒津をめぐりR157から能郷へ走った。
 道草ついでに源屋で川魚料理を楽しんだ。一番安い定食でも、鮎塩焼き2尾、あまごの甘露煮1尾、味噌汁、デザート、漬物、等盛りだくさんのごちそうだ。季節のものの鮎に舌鼓を打つ。これで2480円。食後は白山神社へ戻って休んだ。今年も猿楽が奉能されたであろう。
 後は来た道を戻った。

黒津山は返り討ち~春北風(はるきた)の吹く尾根を歩く2018年02月19日

        厳寒の坂内村へ
 2月17日の夜、集合地の某所で4人が合流。一路、揖斐川に沿うR303を走る。往き交うクルマはほとんどない。揖斐峡に入ると雪が増えた。トンネルと橋で貫く夜の国道は風雪の状況になった。ふじはしの湯ある道の駅もクルマは見あたらず広大なPも真っ白になった。路面も白い。
 横山ダムに向うと風雪は強まった。奥いび湖を橋で渡ると坂内村だ。道の駅のPももちろん真っ白で風が強い。その一角にテントを張ってビバークする。ファミリーテントなのでは折々強風が吹くと大きくゆれた。寒いので宴会もなく早々にシュラフに潜った。
 2月18日、朝3時45分に小用で起きた。すぐに4時なので眠ることもなく出発に向けての準備に入る。お湯を沸かして簡単な食事をとる。テント撤収、身支度を整えて出発だ。旧役場の庁舎裏に登山口があった。というもの山城への遊歩道の案内である。地形図で461mの独立標高点が広瀬城跡という。
        春北風の吹く尾根を登る
 役場裏のPは除雪されていたが尾根の入り口は残雪があってワカンを付けた。午前6時15分出発だ。道標は1か所あったが竹林の斜面の道は雪で分からず適当に登って本来の登山道が雪に埋まり、その足跡に合流した。
 尾根にたどり着くと照葉樹林(あせび等)と杉の間の雪の上を登った。461mの城跡に達する。とっくりのセーターを脱いで体温調整する。しばらく歩くとそれから先は明るい雑木林の尾根になった。また城跡まであった歩道がなくなったせいか、夏道のない尾根は枝が行く手を邪魔してうるさい。登るにつれて雪が増えた。雪で明るい林は気持ちが良い。先頭はワカンで踏みしめてラッセルしてくれるから後続はさほど潜らず楽に登れる。踏み代は20センチくらいか。
 ときどき北風に乗って雪が舞う。ああ、これが俳句の季語にある春北風(はるきた)だ。北陸では暴風雪であろう。雪雲が奥美濃の空を黒く覆う。福井で雪を降らせた後北西の季節風に乗って、越美山地に吹いてくるのだ。この寒風のせいで尾根の雪も固く締まっているのだ。
        積雪が増えた尾根を歩く
 標高937mの南の900m辺りに第一の難渋場面があった。春北風のもたらす吹き溜まりが雪庇のように壁になってゆく手を阻んだ。ストックしかないと突破は難しい。先行者は1本の木があったのでそれをつかんで足場になる雪を崩して乗り越した。するとまた穏やかな尾根になり937mのコブを越えた。ここだけならスキーを持ってくればよかったと思う。
 4等三角点969.9mの「片手」は北西の季節風の影響をもろにうけて雪の壁が発達していた。先行者は躊躇していたが、左へステップして乗り越した。ヒラリーステップをもじって○△ステップとジョークを飛ばす。
 時計を見ると既に11時になった。行動予定の持ち時間は6時間と決めている。あと1時間しかない。せめて前衛のアラクラという1163m峰まででもと思う。
         アラクラの手前で撤退
 結局は1050mの等高線を越えて1080mの小さなへそのみたいなコブで12時となった。持ち時間を目いっぱい使ったがアラクラまでも踏めなかった。アラクラはすぐ目の上に聳え、黒津山ははるかに遠くにたおやかな稜線の上に見えた。
 遠い山だと思う。2011年3月に親谷から山スキーで登ったが稜線直下で6時間に達して撤退した。今回はリベンジだったが返り討ちにあった。藪が残雪に抑えられているこの時節でも6時間では登れないと悟った。大谷川の林道350m地点から4等三角点「荒倉」882.3mを経由すれば比高100mは楽できて尾根の長さも約半分と短い。残雪期だからといって優しい山ではない。
 ここで記念撮影だ。幸いにも青空が見え隠れして天気は良くなる方向である。金糞岳、貝月山と鍋倉山、その向こうの伊吹山、横山岳、高丸、烏帽子岳、すぐ近くには湧谷山、蕎麦粒山が見えた。しかし、何と言っても天狗山が左右に均整がとれて素晴らしい。それらを背景に撮影。黒津川源流の斜面はみな落葉樹林で覆われている。黒津と天狗の稜線も同じ落葉樹林である。
         青空を背景に聳える天狗山を見て下る
 下山を開始するとこれまでの景色が反対になる。尾根から眺める天狗山の山容は改めて素晴らしいと思った。黒津山から天狗山間を1日で駆けた韋駄天のような山やさんの記録もある。この眺めをみるとその野心も湧いてくるだろうに。この眺めに癒されたのか、登頂はできなかったが満足したという同行者のコメントにこちらも癒された。

風雪の奥伊吹スキー場に遊ぶ2018年02月11日

 建国記念日の今日は朝5時集合ということだったが30分遅れて5時40分に山友宅を出発。高速を使えば一宮ICから関ヶ原ICだけなので地道を走った。東海大橋を渡って直進すると養老山麓を走る。雪は一片もない。牧田川を渡ると大垣市に入り、すぐに関ヶ原町に入る。
 関ヶ原古戦場をかすめるように行くと米原市だ。すぐにR365と分かれて伊吹山登山口の案内に従い、地方道に右折する。藤川、上平寺へと走る。
 藤古川を渡ると上平寺になる。この辺りが揖斐川(牧田川)水系と琵琶湖に注ぐ天野川水系との分水嶺になる。藤古川の源は伊吹山の最高点から流れる。県境は東の端をかすめるのだから近江の山に見えるが、この辺りに伊吹山は岐阜県の山という地勢の根拠があるのだろう。
 そもそも岐阜県は飛騨も美濃も慎ましい性格の土地柄である。県境について自己主張をしないのである。木曽川でも愛知県側の堤防は岐阜県側よりも高くしてあるそうだ。愛知県と岐阜県境でも所属争いが最近まであった。
 逆に石徹白のように美濃文化圏なのになぜか福井県であった。選挙で不便と言うので岐阜県に編入された。近年は長野県山口村も岐阜県に編入された。これは経済圏の問題であろう。
 白山は「加賀の白山」といい、御嶽は「木曽の御嶽」と他県にゆずる。阿寺山脈にしても長野県の木曽に対して、岐阜県側は裏木曽という。尾張藩が管理した木曽を重く見たのだろう。
 穂高だって長野県側の方が熱心に観光開発をしている。登山者間には槍穂高連峰で落ちるなら岐阜県側に落ちよ、とまでささやかれているそうだ。長野県警は判断によって結構有料のヘリに切り替えるからだ。しっかりしている。
 飛騨はかつては天領といった。幕府直轄だったからナショナリズムが発達しなかったのだろう。

 さて、伊吹山の麓まで来るとさすがに雪が多くなってスキー場へ行く気分が高まった。伊吹の交差点で右折。姉川に沿って走った。曲谷(まがたん)の地名が懐かしい。甲津原までくると雪国さながらの風景になった。スキー場手前の駐車料金ゲートで渋滞ができた。 無事駐車場に着いてやっとスペースを確保。すでに75%は埋まっている。関西ナンバーに混じって岡山、広島ナンバーもあった。
 トイレも、「アルカンデ」にも行列だ。歩かなくても済むがこちらは歩いてリフト券売り場に急いだ。当然、行列だ。今日は回数券だけにした。天気も悪い。それにこの来客ではゲレンデも混雑しそうだ。
 リフト設備は一新されていた。右側に乗ると2本目からは降雪がひどくなった。山スキーに必携のシールを玄関に干したまま忘れた。その上、寒風と横殴りの雪がブンゲンへのモチベーションを萎えさす。ともかくリフトのもっとも高いところへ降りた。約1200mはあるはずだ。寒気流は大体この高さで流れているらしい。早々に滑走に入った。
 このゲレンデはまずまずのコンディションだった。山友と話し合って、この悪天ではブンゲンは無理とあきらめた。
 それで4等三角点(点名:品又峠)日ノ出山1045.5mを提案。一旦、出発地点へ滑降、左側のリフト2基を乗り継いで終点に立った。風雪はそれほどでもない。比高150mの差である。
 ここでスキーを外す。鉄骨の展望櫓をめがけてキックステップで登り始めた。するとスキー場のパトロール員2名が注意喚起する。場外への滑走で行方不明事故が多発しているので挙動不審者には神経をとがらしているようだ。あの櫓へ、と山友が説明して不審を解いた。
 約50センチほどの深さはある斜面を蹴り込みながら登るのは快適であった。櫓付近は太ももまでもぐった。どこかに三角点があるが記憶がない。山友は櫓に登り始めた。上で踏板が外れていると分かって降りた。またゲレンデに下って、スキー板を履いた。
 品又峠に向って滑降を開始。かつて峠からは1230mの無名峰までリフト2本が設置されていたが今は廃止された。多分風雪が強いのだろう。揖斐高原スキー場から林道をたどり、品又峠からリフトに沿って登った。終点の廃屋付近でツエルトビバークをしたのもこの2月の連休だった。あの辺りはブナの原生林だったと思う。
 品又峠からは緩斜面のゲレンデを滑降。また最初に戻り、右のリフトを1本乗ると回数券は終わる。さらなる緩斜面に基礎スキーの技術チエックをしながら滑る。シュテムターン、シュテムギルランデなど、山で使う技術を意識して滑った。
 スキーのセンターまで来るとスキー客がびっしり埋める。うわ―、という感じで早々に板をはずしてPに戻った。時刻は12時30分くらいだっただろう。ちょっと早過ぎる気もするが混雑にはもまれたくない。それに朝は空いていた場所もクルマが埋まっていた。
 スキー場からの車道を下っても約6kmほどは渋滞中であった。おそらくキャパシティを越えているのではないか。最奥の甲津原もマイカーやバスで一杯だった。それからまだまだ渋滞は続いたのである。
 曲谷を過ぎて吉槻まで来ると急に明るくなった。それまでは裏日本の気候、ここからは表日本と言う感じだ。伊吹の道の駅で一休みしたらここも満杯だった。ようやく伊吹の麓を去った。朝の曇り空はよく晴れた。伊吹山も少し見えた。
 R365をたどり、関ヶ原、養老へ。養老ミートで気になっていた豚チャン1kgパックと他を購入した。温泉にでもと行ってみると800円の入湯料に引き返す。南濃町まで足を伸ばして南濃温泉 水晶の湯へ入湯。JAF会員は410円也。ああ、やっぱり本物の温泉は温まる。やっと帰宅する気になった。
 山友を送り、帰宅。自宅では早速、豚チャンを賞味した。フライパンに油を引き、にんにくのみじん切りを入れる。豚チャンを入れて、後でキャベツを大量に入れる。缶チューハイを片手に今日の反省をした。疲労と酔いで、横殴りの風雪を思いつつ間もなく睡魔に襲われるのであった。

4月句帳4 花の舟伏山2017年04月25日

舟伏山に咲く岩桜
イハザクラただそれだけを見るために

ふみあとはイハザクラ見る分れ道

しぶとさを見習うべしやすみればな

寄りあって一人静は群れ咲きぬ

筒鳥の哀しき声の寂しさよ

百千鳥林に風の出でにけり

若草や雑木林は芽も吹かず

萌へいでし林一面ヤブレガサ

シロモジの芽吹きを見つつ下りけり

残雪のしるき能郷白山よ

春山や大白木山のこと言へり

一羽の蟻クレーターなめり穴を出る

何処へと羽蟻飛んでしまひけり

奥美濃・日永岳に登る2016年10月22日

マルバノキの紅葉
 天気予報では午前中は持つとの見通しなので午前6時に出発。高速をフルに利用すると武儀川と神崎川の合流する谷合まで約80kmあるが1時間で来れた。
 R418から神崎川に沿う道に右折すると後は広い道狭い道が交錯し連続する羊腸の道が続く。神崎を過ぎると舟伏山への登山口を見送る。奥へ進むに連れて遂に一車線の狭い道になった。2015年5月に来た時は伊往戸(いおど)で工事で通行止めをくらい引き返した。そしてタンポへと転戦した。今日はその雪辱戦である。
 最奥の仲越(なかごし)までは狭い道を走った。以前はあった廃校跡に着いたのは午前8時過ぎ。105km。ここからの林道は通行止めになっていたが荒れていないので入って見る。すると橋の所で工事中だった。土曜でも工事はあるかも知れず、ザックだけ置いて車は廃校跡に引き返す。徒歩で橋まで戻った。
 歩き始めたのは8時20分。熊避けの鈴を鳴らすためにザックに取りつけた。清冽な流れの谷川を見やりながら歩くとさっとアマゴらしい魚影が走った。もう産卵期に入っていると思う。途中で路肩工事中を過ぎてしばらく林道を歩いて終点へ。涸れ沢を渡渉して登山道に取りつく。樹齢数十年はあるような立派な杉の美林である。いきなりの急な道である。山腹のジグザグ道から尾根の端に着いたところで一服する。ここまで50分。尾根の急登に耐えながら山腹道へ来ると笹の刈り払いが見えた。最近刈ったばかりだ。ここからは杉の植林内の暗かった道も開けてやや明るくなる。傾斜も緩くなる。少しガレて登山道が壊れた箇所があったが何とかなる。遠くに鞍部に連なる山稜が見える。もうすぐだ。1090mのイタゴ洞への鞍部に着いて記憶が蘇った。

  奥美濃の巨渓西ヶ洞を溯る
http://koyaban.asablo.jp/blog/2007/09/30/1829494

 そうか、あの時は板取村の西ヶ洞からイタゴ洞を詰めて鞍部に登り、日永岳を往復したっけ。今日もあの日と同じで曇りである。幸いにも笹はきれいに刈り払われて歩きやすい。小ぶりの標石のマークが8の字に見える宮標石が埋まる。ここも御料林だったのか。
 やや急になって桧の大木の根っこに足場を置くようなところもあるが急登してゆくのが分かる。その上に黄葉が素晴らしくなってきた。持っていただけのカメラで撮影しながら後続を待った。
 山県市の最高峰、最北という看板の立つピークに着いた。板取村(現在は関市)と美山町(現在は山県市)の境界である。すぐに下って登り返すと電波反射塔を経て3等三角点の山頂だった。山頂はベニマンサク(マルバノキ)の紅葉とシロモジの黄葉に彩られていた。霧が流れて行く。西ヶ洞は霧の海になった。神崎谷はまだ少しは見える。舟が転覆したような巨体は舟伏山だろう。霧は山頂へも流れてきた。少し寒いのはそのせいだろう。滞在1時間も経たずに霧が降る山を下った。
 同じ道を戻る。林道では1時40分だったがこれから山頂に向かう単独行に出会った。1023mの三角点(点名:明神山)のクラソ明神のことを聞かれたがもう忘れた。相当なヤブ山好きである。お気をつけて、と別れた。谷川沿いに下っていると白い浮遊物が飛んでいた。あれは雪虫(雪蛍、綿虫)であった。1~2週間後には雪が降るという。この時節の風物詩である。
 橋の現場に工事関係者は居なかった。土曜は休みだったのだ。廃校跡に着いた。雨が降らずに済んでやれやれだ。秋山を堪能した気分に浸った。R418に戻って武儀川温泉を目指したが現在は改装中だった。大人しく帰名の途についた。

 最初の登山はもう何時だったか忘れた。確かに廃校がまだあった。あの時は林道のゲートまで入れた。そして2回目は廃校の所から先は入れず歩いた。柴犬を連れた猟師がいた。気性が荒いから近寄らないでくれと制された。サワグルミなどを見ながら登ったものだ。3回目は沢からで今日は4回目になった。

沢登り研修2016年09月04日

 山岳会会員の技術の底上げを狙いとして研修を企画された。沢登りの方は頼むというので当方がリーダーを務めることになった。指導するほどの高いレベルの知識・技術・経験などがあるわけではない。只、山行の年季だけは長い。毎月1回は山へ行く。これを40年近く休まず続けている。しかも一般登山のみならず、ヤブ山から沢登り、山スキーを一応はこなす。やらないのは本格的な冬山と海外遠征である。
 ヒマラヤ遠征とか若いころに一時的に本格的な冬山に打込んだ人は多いがほとんどは結婚や仕事の都合でリタイヤ、中断する。そんな人が50歳代になって山岳会に戻っても空白を埋めることはできない。大抵は理屈をいうだけになる。また、話をすると休日はゴルフ、テニスという人も多い。つまり登山をレジャーの中のスポーツという一面でしかとらえていない。山岳会の指導者層には案外こんな人が多いのだ。むしろ、ゴルフの話をしている時の方が楽しそうである。
 私の場合は登山をスポーツを含めた文化としてとらえる。
 沢登りは登山技術の一ジャンルというだけの把握では心もとない。岩登りが登山技術の基本とすれば、沢登りは登山文化の粋ではないかと思っている。尾根を伐開して道を開くまでは沢登りは登山の方法であった。登山技術の総合力を試される、という。即ち、滝を攀じ登るのは岩登り技術の応用である。途中でビバークする場合は幕営と生活技術が試される。
 その中の重要なものは焚火である。町中は当然であるが田舎でも焚火は堂々とやりにくい時代になった。ちょっとしたコツがわからなくなったのだ。
 古新聞紙を火種に枯葉、枯れ枝、流木を燃やすだけのことであるが、これが意外に難しい。時にはローソクやメタを使って火種の維持に努めるが中々に着火しない。焚火なしで寝るのは寒いし、着衣が濡れてはシュラフにも入れない。何とか100%のコツをつかみたいと思っていた。それで3個100円の料理用メタを常用したりもしてきた。
 着火の基本は火床になる地面に石を敷き詰めて地面からの水蒸気を遮断すると成功率が格段に上がると知った。たったこれだけのコツをつかむのに長年苦労したのである。これを知ってからはメタも不要になった。沢登りでツエルト張り終えて、料理の用意とともに焚火の枯れ枝集めは重要な仕事である。しかも明るいうちに集めねばならない。焚火は実用性ばかりでなく心を落ち着かせる効果もある。贅沢な時間の演出家であった。
 人類と獣の違いは第一に火を扱うことであった。火をコントロールすることであった。火の力は暖かい、焼く、煮る、乾かす、殺菌する、明るい、これは文化である。コントロールに失敗すると火事になる。焼失もする。軽量携帯のガスコンロ、石油コンロもあるが焚火はマッチ1本で自然にあるエネルギーを取り出し利用する。
 さて、一般登山では足を交互に動かせば先へ進める。沢登りは大抵は足場は濡れて滑りやすい。そこをバランスよく攀じる。また道標もないから読図力とRFが重要になる。総合力は随所で試されるのである。
 今回は台風の影響で急な増水を心配する向きもあった。しかし、栃を中心とする落葉広葉樹林の原生林は保水力が良いとされる。テントのフライを激しく叩く夜来の雨にも関わらず、顕著な増水はなかった。但し、日本アルプスなどの岩場の多い山では増水(鉄砲水)は必至であろう。ユメ入るべからずである。
 朝4時起床。前夜のうちに炊いて置いたご飯に鶏鍋を温めて朝食を済ます。テント撤収。林道を下って、6時前に入渓。最初はヤブっぽい渓相にがっかりするが1時間もしないうちに栃の原生林になって空が高くなった。しかも長々と滑滝になって奥へと続く。滝はすべて自力で越える。次は次はと期待して遡るうちに右岸に虎ロープが垂れ下がる滝に来た。これは滝の左を攀じ登った。ここでメンバーの1人が目に傷を負うアクシデントがあった。1人でリタイアさせたが、滝を登ったところで降雨があった。これ以上は雨雲の領域に突っ込んで行くことになる。
 昨日の偵察で、ここからの山道を辿れば林道終点に行けるので全員の撤退を決めた。行程の四分の一くらいだが、滑、滝、栃の原生林という美味しい部分は味わったのである。この先には溝状の滝が楽しみだったが後日に期することとした。
 山道は崩壊花崗岩の山の斜面を開削して開いた。林道に着いて国見峠方面を眺めると標高900m以上は雨雲に隠れていた。テント場まで下り、装備をはずし片づけた。池田温泉の開場は10時なのでそれまでの時間活用に揖斐川町の播隆上人ゆかりの一心寺の訪問を提案したら全員が乗ってきた。
 春日村美束で24℃の涼しい気温は平野部では32℃に上がった。台風の影響で亜熱帯独特の暑さにうんざりする。狭い路地を走り抜けて一心寺に到着した。少し歩いて城台山の城跡にも登った。一応頂上である。少し下に点名城台山4等三角点もあった。慰めにはなる。再び車で池田温泉に移動した。中々の名湯である。効験が顕著なのか朝から開場を待つ人もいた。ぬるぬるした成分がいかにもと思う。さっぱりした後は炎熱の名古屋に帰って解散した。とはいえ、まだ12時前だ。ベランダに濡れたテントとフライを干すと風にはためく。フエルト靴の泥を洗ってベランダに干す。次はまたどこの沢へ行けるのかな。

奥美濃・大岩谷2016年08月14日

 伊吹山地とは伊吹山の北の金糞岳辺りまでをカバーする1300m級の山なみをいうらしい。その間に地形図に山名がある山はない。それでも国見山、虎子山、ブンゲンと知る人ぞ知る山が連なる。よく整備された登山道のある山は伊吹山と金糞岳に限られる。一般の登山者から忘れられた言わば秘境的な山域である。
 中でもブンゲンは1269mの標高があるが好事家くらいしか登られない。しかし、沢に限れば岐阜県側でも滋賀県側でも花崗岩質のきれいな沢が突き上げる。岐阜県春日村は西谷という。西谷の右俣が竹屋谷、中俣が大岩谷という。その他にいくつもの沢が江美国境に突き上げる。中でも竹屋谷は滑や樋状の滝が美しく江美国境に突き上げる。
 今回登った大岩谷も両門の滝があって美しい渓相を競う。大岩谷には近年遊歩道まで整備されていて驚いた。以前、沢納めで遡行し、ブンゲンに登頂、また下降した。うっとりするような黄葉の谷に突然雪が舞ってきて驚いた。当時は伐採中で下山すると焚火をしていたのでしばらく当たらせてもらった。林道も未舗装だった。
 午前6時、一社駅前で2人を拾い出発。渋滞気味の名神一宮ICを経て大垣ICで降りる。すぐに揖斐川堤防道路を走り約100km、2時間弱で美束の奥の尾西に着く。右へ大平八滝の案内板に導かれて大平林道の大岩谷の入り口に着いた。完全舗装だから隔世の感がある。その上に山主は遊歩道を整備して観光地化するようだ。駐車場も2か所整備してありかなり本気である。
 身支度後、熊避けのドラム缶を鳴らして入渓。一の滝から遡る。久々の水に体が喜ぶ。周囲は落葉広葉樹の森の中を清冽な谷水がほとばしる。滝ごとにフィックスロープや巻き道もあるがなるだけ谷芯を行く。体のキレが悪いのは体重が減っていないためだ。二の滝、三の滝と続々遡り、八の滝で観光滝道は終わる。谷沿いの路を戻らなくてもいいように帰路も設けてある。
 さて、本格的な遡行領域に入った。周囲は二次林の落葉広葉樹の森である。緑一色の谷の中、滝は連続するが傾斜が立ってきた。スケールも若干大きい。直登を試みるが巻道も行く。次々突破する。大きな5m以上の滝を巻くとついに両門の滝に着いた。左から右からの谷が一つの滝になっている。奥秩父の両門の滝のスケールには及ばないがコンパクトなまとまりが良い。あの黄葉の時の感動には及ばないが、万緑の中のやや多い水量が迫力ある渓谷美を魅せる。これは右から滝上に巻く。
 巻いた後は平凡な渓相が続き、二股を分ける。地形図でチエック。水量は同じだが右がやや多く本流と見て直進する。再び二岐になる。左がブンゲンに突き上げる本流、水量の少ない右は1095mの独立標高点に突き上げる谷。明瞭な二岐である。11時になり、ここまで3時間経過したこと、ヤブが覆うようになったことを鑑みて遡行を終了。1095mの尾根に上がることとした。11時、早めの中食を済ます。
 岩っぽい谷だが中途ですぐに踏み跡が横切っていくのに遭う。桧林の中を忠実に辿り尾根の背に到達すると踏み跡が下ってゆく。しばらくは植林内を順調に下った。傾斜が大変強くなり、伐採はしたが傾斜の関係か、植林はせず、放置したままの二次林の中でストップ。植林が尽きて二次林の中のけもの道を追った。。なるだけ尾根を追いながら且つ浅い谷に下ってみた。困難さはなく、本流に合流した。
 八の滝へはすぐだった。地形図では本流沿いの尾根を下ったのだろう。若いお嬢さんと両親らしい親子3人づれが滝の探勝に来ていて驚く。こんなところでも軽装で来るのだ。あちらも「凄い」と驚いた。
 私たちはフィックスロープの垂れ下がる谷を下降していった。6から7滝付近で観光用探勝路を下った。そのまま歩くと駐車場に戻った。帰路は薬草風呂で一風呂浴びた。猛暑の名古屋へ帰った。もう少し沢の涼しさに浸っていたかったな、と贅沢な思いが募った。

雪蛍2015年11月06日

朝日浴ぶ装ふ山のまだらなり

秋冷や久しく人の住まぬ里

冷まじや廃屋朽ちて屋根も落つ

根尾谷の猿も焚き火を恋しかろ

初雪の白山見へし峠かな

捕まえて見れば寂しき雪蛍

廃村の大河原なり芒原

黄葉に至らぬままに枯れており

天然の真珠のごと実むらさき

国境の稜線はみな黄落す

歴史ある雑木黄葉の道歩く(ありく)

鳴く鹿のたれも応えぬ無人境

秋蝶も北から山を越へにけり

代わる代わる焚き火の番や長き夜

山猿の咆哮を聞く秋の夕

道道で柿売る露店数多なり(本巣市)