風生と死の話して涼しさよ 高浜虚子 ― 2016年06月02日
この俳句の風生とは富安風生のことで、三河一宮町出身。生家を訪ねたこともある。親戚筋の人が住んでいたが生家ということの標柱があったと記憶する。
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/tousan/110/110.htm
句の背景は「昭和三十二年夏。避暑のため訪れた山中湖畔で、句会が催されました。珍しく人名の詠みこまれた不可思議な句です。このころ富安風生はノイローゼ気味で、だから師弟の間で死の話に及んだそうです。」(ブログ俳諧の六四三)から
昭和32年当時で虚子が83歳の時に72歳の風生と死の話をしていたというのだ。90歳代の高齢者が増えた今は珍しくもないが当時は深刻なことだっただろう。涼しい、という季語には明日にも人生を終えるかも知れない恐れが込められているかに思う。もう少し加齢しないと本当の味わいは出来ない。
ここ一宮町に来るといつも風生の土地だなと思う。温雅な句風はこの土地に生まれ育ったからに違いない。豊川市は本宮山などの山から流れ出た土砂の扇状地であり、豊橋平野は豊川の沖積平野だ。しかも南向きで農業には好条件が揃う。本宮山の国見岩には大己貴命(おおなむちのみこと)が祀ってあったがまさに農業神として信仰されたであろう。
他人と優劣を争わない性格は俳句にも出ていて、山本健吉は遊俳といっている。肥沃な土地なら争わなくても生きていける。
http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/tousan/110/110.htm
句の背景は「昭和三十二年夏。避暑のため訪れた山中湖畔で、句会が催されました。珍しく人名の詠みこまれた不可思議な句です。このころ富安風生はノイローゼ気味で、だから師弟の間で死の話に及んだそうです。」(ブログ俳諧の六四三)から
昭和32年当時で虚子が83歳の時に72歳の風生と死の話をしていたというのだ。90歳代の高齢者が増えた今は珍しくもないが当時は深刻なことだっただろう。涼しい、という季語には明日にも人生を終えるかも知れない恐れが込められているかに思う。もう少し加齢しないと本当の味わいは出来ない。
ここ一宮町に来るといつも風生の土地だなと思う。温雅な句風はこの土地に生まれ育ったからに違いない。豊川市は本宮山などの山から流れ出た土砂の扇状地であり、豊橋平野は豊川の沖積平野だ。しかも南向きで農業には好条件が揃う。本宮山の国見岩には大己貴命(おおなむちのみこと)が祀ってあったがまさに農業神として信仰されたであろう。
他人と優劣を争わない性格は俳句にも出ていて、山本健吉は遊俳といっている。肥沃な土地なら争わなくても生きていける。
コメント
_ 澤田宏 ― 2016年06月03日 19時13分56秒
_ 小屋番 ― 2016年06月04日 20時22分24秒
コメントありがとうございます。
是非ともよろしくお願いします。昨年10月の年次大会後は能登半島先端の宝立山471mに登りました。今年は石動山高坂山507mなどを予定しています。
棚田歳時記も楽しく読ませていただいております。
是非ともよろしくお願いします。昨年10月の年次大会後は能登半島先端の宝立山471mに登りました。今年は石動山高坂山507mなどを予定しています。
棚田歳時記も楽しく読ませていただいております。
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「好句考」 複式の授業に炙る寒の餅
誠に有り難う御座いました。
何時か、「宝達山」を文夫さん共々、歴史秘話等を交えてご案内したいものです。