会員の退会さはに木の葉髪 拙作2019年11月14日

 今朝は傘を持って居る人が居たので外を見ると時雨模様だった。それでも雨合羽を着ていたので少雨なら大丈夫とポタリングに出た。いつもの喫茶店でモーニング。山岳会の忘年山行の段取り、公正証書遺言の段取りなどのメールの返信などを処理して丸の内事務所へ。今週は認知症関連の記事が多い週刊誌を3冊購入。事務所ではストーブに点火して暖房。エアコンより暖かい。
 さて掲載の句は年末になって山岳会のベテラン会員の退会の届け出が続いた。みな会歴が長く、退会すれば寂しいことになる。しかしさいわいにもネット経由で延べ8人の入会者があった。縁故入会、一般紙面からの入会者は絶えて久しいので退会者が続くのは辛い。11月になって髪の毛も心なしか抜け毛が増えた。退会が原因というわけではない。生きるもの全てが生気を失ってゆく11月である。髪の毛が抜けるように寂しいのである。そういえば、髪という字は長い友と書く。抜け始めてわかる、髪は長~い友達なのである。そんなCMがあったなあ。

西区の黒龍神社へ2019年10月20日

天井画
 10月19日付の中日新聞朝刊の市民版に掲載。黒龍神社の天井画を描かれた乃村豊和氏は愛知大OBでロサンゼルス在住の洋画家です。天井画は松坂屋の個展に行った際にみましたが実際に収まった形で見てみたい。
 今日はほんとは戸隠山の登山の予定でした。天候不順と甚大な長野盆地の被災地に配慮して中止に。
 それでマイカーに自転車を積んで丸の内にP。自転車に乗り換えて東区の二葉館へポタリングし、ステンドグラスの展示会を見学。次は西区の黒龍神社へポタリングした。神社は庄内川の左岸の堤防の上に建っていました。乃村画伯の銘が入った天井画を仰いで拝見してきました。その後は名古屋駅周辺を回ってマイカーへ戻る。

運転免許証更新2019年09月24日

 今朝からさわやかな気候になった。しかし午後からは悪化するという。秋の天気は変わりやすい。雑用を済ませた後、平針試験場へ自転車で行く。現在は駐車場をつぶして新築中でマイカーは使えないからだ。運動するとまだ少しは暑く汗も出るが風がすーっと通って乾くので涼しい。
 平針試験場へは海抜15mから60mの大根池付近を通るまでは結構な坂道になる。R302を横切るとアップダウンが多くなり、平針駅からの市道に出会う。するとまた急坂をこいで登らされるとやっと目的地に着く。一汗かいた。 
 更新手続きは流れに乗るように進んだ。視力検査を済ますと写真撮影に進み、そこで配布になった。青いラインの入った免許証をもらった。次は2024年になる。今回は講習会はない。
 今気づいたのは中型の文字が入ったこと。(8トン未満)10人までなら乗せることができる。

       8t限定中型免許(旧普通免許)について

 平成19年6月2日に中型第一種免許・中型第二種免許・中型仮免許が新設されました。
 中型免許新設後は、平成19年6月1日以前に取得した旧普通第一種免許(AT限定免許を含む)は8t限定中型第一種免許(AT限定免許を含む)とみなされ、旧普通第二種免許(AT限定免許を含む)は8t限定中型第二種免許(AT限定免許を含む)とみなされることになりました。

       運転できる自動車の範囲

 8t限定中型第一種免許(AT限定免許を含む)・8t限定中型第二種免許(AT限定免許を含む)で運転できる自動車の範囲は、既得権が保護されるため、中型免許新設前と同じで次の通りです。
車両総重量が8トン未満で、最大積載量が5トン未満の貨物車
車両総重量が8トン未満で、乗車定員が10人以下の乗用車

 交通法規の改正があったわけだ。
 手続きは約30分ほどで済んだ。待ち時間に読むつもりで持参した新聞雑誌は無駄になった。帰路はポツリと雨が来た。予報通りに悪くなってきた。自宅まではほとんど下り一方のダウンヒルを楽しむ。

原稿書き2019年06月04日

 朝早くゴミ出しの後、ポタリングでモーニングに行く。軽い運動でもしないよりは良い。終わって出たら救急車が3台、パトカー1台、もう1台変わった車が縦列駐車して、交通事故に対応していた。この頃は事故が頻繁に起きる。見物はして居れないが死傷するような重大事故ではなさそう。

 昨日もプリウスの事故があった。アクセルとブレーキの踏み間違いという。それにしては多発傾向にある。ネットではついに「プリウスミサイル」というありがたくないニックネームが付いた。
 トヨタに遠慮していつもはしつこいメディアも騒がず、叩かずの様子見姿勢である。他の車メーカーはめちゃくちゃ叩くのにこの差は何だろう。現代の車は電子技術のかたまりだから手に負えないのだろうか。
 かつてはラルフネーダーのようなユーザーの立場に立った弁護士が現れて活躍し、アメリカの欠陥車を暴いた。GMではリコール車と言い換えていたが。日本でも登場して欲しい。
 トヨタには前科がある。ハイラックスサーフという人気車のパワーをアップしたが、機能部品はそのままだったために、ハンドルにつながるステアリングが強く回すと(据え切りすると)折損する事件があった。熊本地検に告発されていた。しかし、トヨタは中間の技術者を処分しただけで幕引きしている。
 当時の豊田章男氏は専務か常務の地位だったが「車会社として恥ずかしい」というコメントを残した。正直な経営者だと思う。今は社長になったのだから、トヨタの名前が付いた車が殺傷事故を多発していることに心を痛めているだろう。上級役員の反発や技術者のプライドを抑えてリコールする対応を取るべきだ。

 朝から原稿書きに終始する。俳句の方は採用する句が決まったのですぐにかかる。なんと行ってきたばかりの青森のりんごの花と津軽富士の組み合わせの句。もう一件は新聞連載の山の話になる。オリジナリティのある話にするには地形図を眺め、記憶をたどって、なるだけ引用を避けることになる。

日進市の白山宮に参拝2019年05月10日

 久々に気持ちの良い朝。北風があるのでさわやかである。日進市の白山宮へ参拝のポタリングに出掛ける。名古屋市境を一歩出ると田園風景が一気に広がる。この開放感が良い。天白川沿いに走るとまだ田んぼに水が入っていない。牛糞が積まれているから田を鋤くのはこれからだ。
 白山宮に着いて鳥居の前で一礼。階段を登る。本宮の後、合祀の末社にも参拝。その後で、足王社に参る。ひざ痛の神様である。下山後、次々と参拝者が登って行った。結構な信仰者が居るようだ。
 その後、行きつけの喫茶店で一休み。原駅の眼鏡店に寄る。かねてより、常用の眼鏡が壊れそうなので新調した。普段使いの度の弱い調整のままである。眼鏡店の記録を見たら1988年に調整していた。ずいぶん長く使ったものである。古い眼鏡も溶接できればしてもらう旨依頼した。
 次は布団干しの際に落とした枕の回収の仕事があった。1階下は無住、2階下も長期無住であった。ところが2階下のベランダに布団が干してある。自宅に戻り、管理人室で、階下の住民の電話を教えてもらう。事情を話すと気持ちよく回収してくれた。たまたま外国から帰国していたらしい。来週中にはまた日本を離れるという。色んな住民が居る。
 もう一つ力仕事が残っていた。ジャッキでボディをアップしてはめかえる。汗を流してやっとスタッドレスタイヤから夏タイヤに交換した。4/27から5/6までは青森へのロングドライブで途中豪雪地域を通過するので用心してそのまま走った。その心配は無用であった。

愛知県知事選2019期日前投票に行く2019年02月02日

 うらうらと冬晴れの1日、このところの読書疲れで飽きたこともあり、午後から期日前投票に出かけた。外に出るとけっこう風が強くて寒い。ビル風というやつで高層ビル群の間を巻き込むように吹きつける。とっくりセーターにジャンパー、防風衣に雨具を着用し、自転車にまたがる。投票所の天白区役所はすぐである。

 区役所の3Fまで徒歩で上がり、投票のしらせを渡す。意中の候補者の名前を書いて投函。現役と日本共産党候補なので、勝利はもう決まったようなものでだが、投票率を気にする報道もあり、やはり権利行使をしておこうと行った。

 期日前投票にはかなりの人が来ている。並ぶほどではないが切れ目なく有権者が続く。報道が効いているかに思う。40%は無理としても35%くらいに達するか。

 愛知県には目下、政争といえる政治難題はないに等しい。大村知事の行政手腕は可も無く不可もない。しかし、投じないと低迷に終わる。

 かつて中日新聞の小出社長(今は主筆)が失言したことを思い出す。

 以下、ハフィトンポストWEBから
 「中日新聞社前社長で現主筆の小出宣昭氏(73)が、名古屋市千種区で13日に開かれたシンポジウムで愛知県三河地方出身の大村秀章知事について語る際、「三河に行くと時々、大村さんのような保守かリベラルか、性同一性障害ぐらいの知事が出ます」と発言した。終了後、小出氏は記者団に対し「言葉が滑った」と述べ、発言を撤回した。

 小出氏は、立憲、民進、希望の3党幹部をパネリストにしたシンポジウムにコメンテーターとして参加。発言は、愛知県の政治風土を解説する中で出た。会場には大村氏も姿を見せていたが、この発言の前に退席していた。

 小出氏は「三河は保守的な風土が強い所だが、大村さんは非自民の態勢を貫きつつ、自民党的な発想も大事にしていることを言った。(性同一性障害という)表現は不適切だった」と説明した。(黄澈)

 小出氏は東海高校から早稲田大へと名古屋人のエリートコースを行ったから三河人気質が分からない。三河を保守と断定するから失言するのである。
 三河人気質とは
1 一刻者
2 忠君愛国
3 薩長藩閥政府に対するコンプレックスがある。など。
 1は頑固者という意味。
 2は殿様や上司によく仕える風土がある。
 特に3は岡崎が生んだ偉人・志賀重昂はジャーナリストの草分けであり政治評論にも健筆をふるった。時の愛知県人をみて「三河男児の歌」を著したほどだった。確かに八高も名古屋帝大も一番最後に設立されて割を食っている。
 
 大村知事は三河で生れた久々の逸材であろう。東大卒、官僚経験、政治家(国政、県政)の道は、志賀の期待した三河男児を彷彿させる。一期目のころ、トヨタ自動車のために「汗をかいた」ともコメントした記憶がある。トヨタの業績低迷は愛知県の財政にももろに響くからだ。ここは自民党的体質である。
 それでいて、リベラルの面もある。朝鮮人学校への補助金助成でも知事は人権重視として支給する。河村市長は徐々に減額する姿勢とは一線を画す。
 また昨年は杉原千畝の顕彰碑を県立瑞稜高校に設置した。ナチから逃れるユダヤ人へのビザを命令に背いて発給したというもの。日本国挙げてユダヤ人を逃がしてあげたのだから杉原1人の功績ではないのだが、裏で時の日本政府の東条英樹首相を悪者にしたい政治勢力があると思う。つまり東京裁判史観である。
 こんな所がメディア側からは把握し難いのである。突っ込みどころのない全方位行政である。
 一方で、対立候補の榑松佐一氏は政策はリベラル一辺倒であり県の発展につながる夢がない。何分、日本共産党であるから、2600年の伝統のある皇室否定、一党独裁、など日本崩壊につながる。県政を委ねるわけにはいかない。
 共産主義は所詮、ユダヤ人のマルクスが考えた思想に過ぎない。これにユダヤ人とモンゴル人の血が混じったレーニンが結びついて暴力革命の思想になった。ロシア革命は実はユダヤ・クーデターというのが現在の見方である。プーチンがたたかって来たのはロシア内のユダヤ人であった。
 ユダヤ人は両建てといって、資本主義も共産主義又はグローバリズムもカネ儲けの道具に過ぎない。日本共産党も深層ではアメリカのユダヤ金融資本の掌に乗っているのではないかと思っている。しかし、日本共産党のようなカネに清潔な政党がないのもまた困ったことである。と言うわけで今回は??。

元旦の針名にひびく太鼓かな 拙作2019年01月01日

 初詣にははじめての針名神社を目指した。普段はポタリングでよく行くランドマークにしている神社である。いつもは閑散としているが今日は違った。マイカーは渋滞を予想したとおりPは満杯だった。それでポタリングにしたが、初詣客が何と鳥居の近くにまで及んでいた。
 新春の心を鼓舞するかのごとき太鼓も鳴り響き、淑気に満ちた針名神社の元旦の風景を目に収めた。地域で有数の参拝客を誇るだけのことはある。
 早朝は多いので午後遅くにしたのだが天気が良かったせいで予想以上に外へ出たのだろう。行列に並ぶ手もあったが、本殿までぐるっと周って心の中だけの参拝を果たした。
 元旦から割り込みは避けたいので・・・。
  金輪際わりこむ婆や迎え鐘  川端茅舎
という有名な俳句もある。句意は「迎鐘の行列に婆が割り込んでくる。
婆さん順番だ、と教えても耳が遠い振りなどして結局割り込んで鐘をついた。金輪際」は仏教用語で大地の底の底。どこまでも、という意味。」
 
 自宅までもどって地下鉄で丸の内へ。中区三の丸の愛知県護国神社へ初詣した。ここは官庁街とあって閑散としている。境内もちらほらといるだけでスムーズに参拝を済ませた。

 徒歩で久屋大通りの事務所へ入って、年賀状を整理する。新規は20枚、返信用にとっておいた10枚では足りないので買い足すことになる。
 明日は初登山で多治見市の最高峰の高社山416mへ。山上の高社神社へ初詣する予定。明日も晴れますように。

朝のポタリング再開2018年10月26日

 山に行きたし、されど猛暑と悪天候で中止が続いた。今年は不作に終わった。せめてトレーニングにとポタリングも考えたが早朝から30℃を越えるので止めた。
 秋冷とともに動きやすくなった。それでポタリングを再開した。朝冷えの中を走るのは気持ちが良い。爽やかな気分である。天白川には白い鳥が乱舞し始めた。晩秋から初冬の風物詩である。
 先だっての14日は瑞穂区の瑞稜高校にオープンした杉原千畝の愛知県の顕彰碑にポタリングで行って来た。報道もあってか大勢の見学者でにぎわっていた。帰路は瑞穂区の袋小路のような市街地の路地を抜けて走った。その中に津賀田(つがた)神社を発見した。祭神は天照大御神と仁徳天皇であった。ちょうど秋祭の準備中であった。
 実は6年間お世話をしてきた被後見人が7月に亡くなった。8月9月は相続人調査に終始し、引き継ぎを終えた。相続人から引き続き遺産相続の手続きも依頼された。財産は100%把握している。二つ返事で受任した。9月末に遺産分割協議を終え、争いがないことを確認して預金解約に奔走してきた。これも今は90%まで解約が進み、後は不動産の相続登記が済むと終わる。さらに相続税の申告書を税理士に依頼すると当職も肩の荷がおりる。
 多くの銀行や役所と折衝するので相当にストレスがかかった。寝床についても頭の中では書類の内容と手順を繰り返しチエックしている。寝付かれず、遊ぶ気になれなかったのも事実だ。
 他人の権利義務に関与する書類作成は行政書士法に認められた法定業務だ。しばらくは緊張感のともなう日々が続く。終わったら山に行きたい。紅葉に間に合うだろう。

平針の針名神社を経巡るポタリング2018年07月02日

 7月になった。6月は沢登り2本、ロング1本で立て続けに本格的な登山をこなした。それで満足してしまい先週も今週も中休みにした。強度としてはプレ夏山になる。 
 それでも大腿筋の筋力の衰えが気になるので、しばらく休んでいたポタリングを再開した。昨年は6月から9月まで3日置きに走っていた。お陰で膝痛が緩和して、登山を再開できるまでに回復した。
 今は毎日飲んでいるビタミンB剤からの解放を目指して、米を5分づきにして食べることにしている。食べると効能は明らかで、たちまち便秘が解消した。米糠の繊維質か胚芽にあるビタミンB1の働きかは不明ながら健康食との確信を得た。
 適度な運動、時々限界に挑むハードな運動、ほぼ毎日5分突き米を食し、植物性と動物性のタンパク質を摂取する。これが当面の日課になる。
 今朝は明け易い時期なので、5時過ぎには目が覚めた。5時半にプラスチック資源ごみを出し、自転車に乗った。さてどこへ行くか。瀬戸市辺りに黒っぽい雲が湧いている。名古屋は梅雨晴れで青空が見える。雲はかかるが、猿投山の輪郭もはっきりしている。自然と東に向った。
   梅雨晴れ間猿投の見える所まで
 平針駅まで来て、昨年6/9の初参拝以来、しばらく来ていない針名神社に参拝するべく走った。静寂な境内で御手洗で手を清める。ここは水が噴出し、曲げ物の柄杓で水を掬う。これは繁盛している神社のバロメーターである。参拝者の少ない神社は水が空だったり、アルミの柄杓だったりする。本殿は改修中であったが、お賽銭を投入して参拝を済ませた。他の神様にも参拝した。
 神社を辞して、赤池駅から名古屋市鉄道局の整備工場をまたぐ橋を渡ると日進市から東山に抜ける県道219になる。久々に御嶽山の水で満たされた田園風景に見入る。ゆっくり走って、天白川の橋を渡り、路地からコメダ珈琲店梅森台店に入る。朝7時前でも営業中なので、ちょっと休む。日刊紙各紙に目を通し、汗をかいた後の体でコーヒーを味わう。この習慣は続けたい。
 喫茶店を出ると後は一目散に自宅に戻る。原駅が近づくと、三々五々、通勤者が歩いて行く。
 小津映画の『早春』の冒頭で見られるショットと同じである。あっちからこっちから会社員風情の男女が早足で駅に向い、ホームで鈴生りに並ぶ。そして東京へ向かう。どんな意味があるのか。多分、会社員の喜怒哀楽を描く象徴として描いたのだろう。
 天白川を渡り緑道を走って帰宅した。今日も暑い1日になりそうだ。梅雨明けが近いかも。

麦秋の海津市を訪ねて2018年05月26日

 23日に行ったが、遅掛けでさらっと見てきただけだった。所用が片付いたので再度海津市を訪ねた。今回は名二環から県道79号経由東海大橋を渡った。
 木曽川、長良川の大河を渡る。ほとんど流れは見えない。底流では早い流れなのだろう。雪解け水や大雨で川岸の木の枝も水に浸かり、水量は多めに見える。
 海津市に入ると田園が一面に広がる。大かたは水田で、苗を植えたばかりの植田が多い。水田もまだある。その反面で麦田も結構広がって見える。高い建物が無いから空が広い。
 西には屛風のように養老山地がふさがる感じである。左のアンテナの多い山は多度山だろう。北寄りに狐平山がある。
 さて、まずは喫茶店でホットコーヒーで一休み後、お城をイメージしたような歴史民俗資料館へ行く。館内に入って310円を支払う。閑散としているが来客はちらほらある。当館のメインテーマは1F~2Fの輪中と低地の農業・暮らしである。3Fの高須藩のスペースでは、高須松平藩御館の一部を復元した。御玄関から御書院の間に至る主要部分の能舞台と広間を加えた。華美ではないが、それなりの格式をもっていたのだ。
 2015年には林董一氏が来て講演会もあったらしい。最後にコーナーで『高須四兄弟』(新宿歴史博物館、平成26年)のパンフレットを購入して辞した。美濃高須藩と云っても、四兄弟は新宿で生れたのである。高須は領地だったという関係だけなのだ。ただ領主は1回か2回は来たらしい。恵那の佐藤一斎だって、江戸屋敷の生れで、1回だけ来て、天瀑山に登ったという。
 その後、自転車を出して、高須を走った。ネットからプリントした絵図を参考にしたが案内はないので山勘で走った。植田が庭園のように見える見事な田園風景である。山にも景勝地として餓鬼の田んぼがあちこちにある。低湿地のことである。
 地図を見ながら適当に走ると、堀の跡の園地に着いた。主水橋という橋が当時の名残をとどめるのみである。
 そこからやや登り気味に走ると旧市街地である。若干高くなっている。古街道のように軒先を寄せ合って、クルマなら軽がやっと通れるような狭い道がまっすぐに伸びる。一見。江戸時代にタイムスリップした古い家並みが続く。
 そうか、高須の地名の由来が想像できる。地名語源辞典には高洲、高い所、台地、自然堤防などと類例がある。ここでは本来は高洲と書くのだろう。自然史的には東海湖が干上がった結果できた低湿地帯である。揖斐川や長良川が氾濫を繰り返して出来た沖積平野である。堤防道路を除くと標高は2.4Mあり、海津市では一番高い。高い所に住宅が密集している。
 地政学的にも、中山道の関ヶ原へは陸路で、桑名藩の松平定敬へは水上交通、尾張藩の慶勝へは水上交通でほぼ等間隔の位置にあり、重要な位置だったと分かる。
 これも自転車で走るから分かったことである。約30分のポタリングになった。