つるまい図書館へポタリング2017年12月05日

 12/4の編集会議で石岡繁雄の列伝の記事を書きなおすことになった。石岡氏はいわゆるナイロンザイル事件の当事者である。それで資料として『氷壁・ナイロンザイル事件の真実―石岡繁雄が語る』を借りるために自宅から鶴舞まで運動不足解消を兼ねてポタリングした。
 まず天白川沿いのサイクリングロードを走ると両岸とも工事中で通しで走れず、早目に平地に下った。山崎川沿いのサイクリングロードから路地裏を抜けて広い車道に出て図書館に着いたら何と休館日だった。折角、月曜から休館日明けを狙って来たが残念。やむなく自転車をデポして愛知県図書館へは地下鉄で往復した。県の図書館にもある。
 また自転車のデポ地に戻って自宅へ帰った。
 ついでにイヴォン・シュイナード『社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』も借りた。アメリカのアウトドア用品メーカーだ。ここも登山家のハーネスの使い方が悪くて墜落事故があり、遺族は資金力のない登山ガイドからは損害賠償は取れないのでハーネスのメーカーのシュイナード・イクイップメントに請求してきた。アメリカの弁護士はいちゃもんでも堂々と訴訟を起こすから大変だ。シュイナードは設備を社員に譲渡、ブラックダイアモンド・イクイップメントを立ち上げて製品の生産は続行させた。
 ナイロンザイル事件は戦後まもなく前穂高岳で起きた事件で、井上靖『氷壁』のモデルになった。映画にもなった。石岡氏はザイルの研究を続けて、安全なザイルの啓蒙に努めた。PL法制定の契機になった。その顛末を詳細に記載した本である。
 ナイロンザイルの強度を蒲郡の工場で切断試験をした。報道陣にも公開された。試験結果は切断せず、だった。ところがおかしいと思った石岡氏側の人がこっそり工場に忍び込んで試験器具を調べたら角を丸めてあることが判明して大騒ぎになった。
 ザイルメーカーは東京製綱、ザイルの素材メーカーは東洋レーヨンであった。事前に口裏を合わせて切断されないように角を丸めた確信犯だった。こちらはいちゃもんではなく実証済みである。実験の責任者だった篠田軍治氏はあれは登山用ザイルではなく魚網の試験だったと言い逃れた。
 鋭角で切断する欠点ははっきりした。これだけはっきりするとメーカーはもう言い逃れできない。東京製綱はいつしか消えた。東洋レーヨンは1970(昭和55)年に東レと名称変更した。企業はつくづくメンツ(利益)を重んじて、たとえ多数の人命が失われても真実を隠蔽するものだという原点のような企業だ。
 試験後もザイルの強度を信じて使用した登山者が次々墜落死したのだった。東海地方だけでも名大山岳部、名古屋山岳会、愛大山岳部の3名が死んでいる。
 ひところ、企業の社会的責任論が広まったが今再び無責任な企業が表面化してきた。東レも再び聞いた。

第20回名古屋モーターショーへ行く2017年11月24日

 朝、マイカーに自転車を積んで名古屋モーターショーの会場・ポートメッセなごや (名古屋市国際展示場)へ行く。以前に稲永まで自転車でポタリングしたが、交通量の多さ、信号の多さで疲れた。稲永までマイカーで行き、ポートメッセまでポタリングと計画したが、距離が少ない。荒子川公園からの距離は9.3kmと出たので荒子川公園のPに駐車した。
 Pは午前中ながら数台は空きがあった。早速、走りだす。稲永までは既視感があるのは当然だ。稲永からは企業の配送センター、倉庫、工場がならぶ。ほぼ一直線の道を走るとやがてポートメッセに着く。マイカー組はPに入るため行列中だった。自転車を適当な場所に固定。入り口まで行くとチケット売り場も行列だった。
 当方は前売り券ですいすい入場、まずはマツダのブースへ。目当ては12月中旬発売の新型CX-8に注目。幅1840、長さ4900とあってかなり大きいという印象である。運転席、後席、3列目にも試乗させてもらった。運転席は深深として、前方視界が悪い。フロントを見下ろす感じがなく、前方のみ視界が広がり、車両感覚がつかみにくかった。特に左側の死角はハイウェイ走行以外は気になる。着座ポイントをかなり高くしないと解消しないだろう。ここがどう評価するか。タイトなカーブの山道走行は厳しい。左側が絶壁の道も怖い気がした。
 次は三菱車のブースだ。D-5に試乗してみた。幅1795、最小回転半径5.6mはCX-8より20センチ短いから扱いやすい。アイポイントが高く死角は気にならない。外から見て肩から腕が15センチ見えるか隠れるかで死角は改善される。アウトランダ―と姉妹車も良い。
 スバルのブースではレヴォーグに試乗してみたが、これはかなり良いデザインであった。SUVの先進的なメーカーと思わざるを得ない。但し、ガソリン車しかない。
 ディーゼルはD-5,CX-8がラインアップするのみ。
 日産のブースは見るべきクルマがなかった。エクストレイルは旧型はあったディーゼルを排してハイブリッド化してしまった。丸いデザインは大きな車体を小さく見せるから扱いが厄介である。
 鈴木のブースの参考出品車のクロスビーは1000ccながら楽しいクルマのようだ。長距離走行をやらなければこれで十分だろう。トヨタ、ホンダ、ダイハツとも見るべきクルマはない。
 それにしても日本人はクルマが大好きなんだ。連休の谷間でも皆さん休暇をとって車を見に来たんだろう。だから1億人余の市場なのにトヨタ、日産、ホンダ、スバル、マツダ、三菱、ダイハツ、鈴木などが相当な売上を確保している不思議。
 3号館に移動。愛工大のブースに置かれていた初代カローラを見て懐かしかった。日産サニーの1000ccに比べて、プラス100CCの余裕とか日本のハイコンパクトカーとかいう宣伝を思い出す。他の見学者とともにこんなに小さかったかなあ、と話した。シンプルな運転席にも目を見張った。
 2号館はヨーロッパ車専門のブースだった。どの車も一回り大きい。そんな中でルノーはかなり日本車にちかくコンパクトであった。それを係員に話したら日産と組んでいるから最近のルノーはクルマ作りがうまくなりました、という。車台を共通に使用しているのかも知れません。ルノーは倒産しかかっていたところをゴーン社長が乗りこんで再建している。日産も同じだった。ゴーン社長のすご腕というべき経営術を尊敬したい。約3時間見て回って退場した。また自転車をこいで荒子川公園に戻った。

緑区滝の水緑地4等三角点へポタリング2017年11月03日

 午後3時、読書の乱読に飽きてポタリングに出た。目的地は名古屋市緑区滝の水緑地の4等三角点である。点名も滝の水緑地で63.8m。
 自宅は約15mの低地なのでまたペダルをこいで坂道を登る。R302号の側道に達したら、最高点である68mの標高点を通過する。そして西友ストアのある神沢の交差点までは長い下り坂を気持ちよく下る。そして登り返すとピアゴ滝の水店のある交差点だ。ここを過ぎると又下るので側道沿いに踏み跡がないか探るがないので戻って北側の住宅地との間の車道を走ると滝の水緑地の園地に着いた。ここまで4.8kmだった。
 東屋、ベンチ、トイレがあり、遊歩道まであった。今は小さな池の水を抜いている作業中だった。俳句の冬の季語に「池普請」があり、まさにその仕事であろう。立冬以後は水も枯れて、作業がしやすくなりこんな仕事が増えるだろう。
 園地の一角に自転車を止めて遊歩道を登る。赤松を主体にクヌギなどで構成した雑木林であり、典型的な里山の緑地である。歩道は幅1mあり2人で連れだって歩ける。散歩帰りの老夫婦とすれ違った。今はまだ緑だが冬になり落葉すると若干は見通しも良いだろう。登るというほどの傾斜も無く、4等三角点の「山頂」に着いた。5分くらいか。北側に開けており、藪の向こうにはピアゴやR302号の道路が見えた。晴れれば冬の白い御嶽山や恵那山が見えると思う。
 「山頂」から南に下る階段道があったので下ってみた。同じような雑木林の道である。主婦らしい「単独行者」に会った。キッチンを離れてふらりと歩いているのだろう。そのまま歩くと二手に分かれる。左は登り気味に山手に続き、右の凝木の道は湿地帯の木道である。
 わずかに水が浸み出している。そして小さな池に溜まるのだが、水抜きをしたばかりなので泥が日を浴びて新しい。作業は何とか協議会の腕章や高校生らしい子供らが協同でやっていたらしい。
 腕章の人に聞くとここは市有地で、かつてはサギソウも咲いていたが今は株を移植して咲かすらしい。宅地開発から逃れ、大都市に奇跡的に残された自然の一こまである。湿地ゆえに宅地に不向きとして残ったのだろう。
 帰路はR302号を戻り、島田住宅東まで登り返す。中平4丁目まで気持ちよく下り左折。このところ気になっていたマツダの販売店へ寄った。CX-8の展示車がないか、と思ったが来月半ばとのこと。クリ―ディーゼル、燃費17km/l、最低地上高20センチを確保した最新のSUVだ。車両価格で350万円超の高級車である。カタログをもらって当面夢を見させてもらう。喫茶店で一休みして帰宅。

2等三角点「野並村」へポタリング2017年10月30日

 9/22以来、ごく近場しか乗らなかった自転車。5月下旬からの4ヶ月にわたるポタリングの成果で膝痛が緩和して10月から本格登山を再開できた。木曽の沢登り、猿投山、中央アルプス日帰り、富山の牛嶽と高落場山、鎌ヶ岳と数だけは稼いだ。
 10月中旬からは週末ごとの台風で実行できず。月末は所用が重なり1ヶ月ポタリングはできなかった。体重計に乗ると75.7kgとやや太りつつある。10/28の姫路城見学でも実際は乗り物で行動し、御馳走三昧でほとんど歩いていないからカロリーの取り過ぎである。
 今日は午後から久々に自転車にまたがった。台風の後でまだ強風が吹くが、爽やかである。向った先は天白区久方というところにある「野並村」という2等三角点である。市道からいつもの道路は傾斜が強いので路地に入り、段々に高度をあげてペダルを漕いだ。
 三角点は69.3mほどで低い。路地を抜けると豊田工業大学の一角に着いた。一帯は戸笠公園の散策路になっていた。三角点は大学のグラウンドの外れにあるが、道路側からでも視認はできた。何と石垣で一段高く盛土してあり、国地院の説明板まであった。
 確認後は住宅内を下った。どこを走っても下り坂である。ダイレクトに来ると2.3kmなので周遊して9.2km程度の運動にはなった。野並駅経由で自宅に戻りつつ背中に少し汗をかいた。

牧野ヶ池緑地を一周するポタリング2017年09月22日

 昨日は3日連続のポタリングでさすがに太ももだけでなく、全身に疲れがでて休息した。疲れをとるには軽いポタリングがよかろう。
 今日は晴れていたが午後から降雨が必至の予報。少しばかりの時間だが、近場の牧野ヶ池緑地へ出かけてみた。先日のようにいきなり梅が丘へ登るときついので焼山の方へ迂回するルートを走った。
 R302号を渡り、緑地に沿いながら南へ走り、住宅地へ入る。児童園に着いた。3等三角点の高針は地形図を出して確かめるともっと北東にある。緑地に沿いながら歩道入り口を探すがない。
 それにしても山の斜面にびっしりと家が建っている。見いだせないまま市道に出て牧野ヶ池緑地多目的広場の園地に入ってみた。さびれた園地の階段を登ると下って行くと梅森坂西二の住宅地に出た。そしてすぐに竹林につづく踏み跡がある。最初は明るかったが、段々藪が密植して歩きにくくなった。
 左隣は民家がフェンス越しに見える。右となりはゴルフ場だろうか。コブから一旦下って、三角点のありそうな丘は目前であるが笹が密植している。とりつくしまがないので引き返す。
 園地に戻って一息ついた。缶ジュースを飲むとポツリ雨が来た。予報通り午後は雨だ。またR302号まで走る。帰路は平成橋を渡って植田へ下った。

長久手古戦場から御旗山(富士ヶ根)へポタリング2017年09月20日

 今朝も週末の原稿のチエックと会報のチエックで午前中がつぶれる。久々に体重計に乗ると減っていない。大腿筋はついてきたが体重減に結び付くほどの運動量にはなっていないようだ。
 行く先は昨日の続きで、長久手市界隈に行く。いつもは天白川沿いに走るが、今日はいきなり山越えしてみた。植田東、梅が丘、R153を橋でまたいで、梅が丘、梅森坂へと牧野ヶ池緑地の南縁をなぞるように走った。香久山、岩崎台とつなげる。日進と長久手の市界までは登る一辺倒だ。ここまではアップダウンが多くアルバイトが大変だった。
 市界からは下り坂だが、下りきらず、卯塚墓地へ軽く登り返し、東名をまたぐ橋を渡る。杁ヶ池の交差点に来ると後は住宅地の路地裏の道を走って古戦場へ走る。
 古戦場は今日は開場していた。中に入って少しばかり地名の話を聞いた。後で地形図にもとづき、4等三角点武蔵塚71.2mを探す。少し低いところに埋まっていた。埋設は良好な環境。古戦場から御富士の交差点へ走り、御旗山へ向かった。長久手小牧の戦いの拠点である。 さて、御旗山に登った後は、日進・長久手分水界を越えて、岩崎台を下った。

 しかし、長久手古戦場といっても歴史を知らないとただの丘に過ぎない。戦国時代でぐぐると戦国時代の年表がヒットした。

 応仁の乱が始まった1467年は「人の世虚し」と覚える。1477年で終結する。さらに9年後の1486年から全国規模の戦いが勃発する。群雄割拠する武将の中で織田信長が台頭するが、1582年本能寺の変で倒れ、天下統一は志半ばで挫折した。謀反を起こした明智光秀は豊臣秀吉に討ち取られる。ここから秀吉の天下統一事業がはじまり、信長の次男の織田信雄と敵対する。
 ここではじめて、1584年の小牧・長久手の戦いの主人公の池田恒興が登場。山崎の戦いでは秀吉に仕えて貢献する。長久手の戦いでは織田信雄は徳川家康に援軍を依頼、池田は秀吉方として戦う。徳川方の岩崎城攻めで中入り(奇襲攻撃)に手間取り、徳川方に討たれる。
 長久手古戦場にはそこで死んだという池田恒興の勝入塚(45歳で入道(仏門に入ること)し、勝入斎と名乗った。)がある。49歳で討ち死にした。
 岐阜県揖斐郡池田町本郷1341-1 龍徳寺地内には池田恒興・元助父子墓がある。池田山の真西だ。ここへも行かねばなるまい。
 長久手の戦いは長期戦になり、徳川家康+織田信雄は秀吉と和睦を結ぶ。そして1600年の関ヶ原の戦いを制した徳川家康が1603年に江戸幕府を開府するまで戦乱の世は続いたのである。
 参考:年表で見る戦国時代
http://www.geocities.jp/hosinoufo3/index.html

長久手市・色金山と岩作御嶽山へポタリング2017年09月19日

 今日も天気は良い。朝、メールを開くと連休明けのせいか、多数着信している。山岳会関係の会報の添削、原稿の手直しを処理した。終わるとすでに11時を回った。夏と違って季節の変化ははっきりしている。正午前でももう暑くはない。11時20分に出発できた。
 日進市白山の交差点へは約20分で着く。さらに、日進JCTまでは岩崎川のサイクリングロードを走るので安全で早い。昨日は車道でクルマの多さに冷や冷やしたからだ。五色園入口の交差点をパス、ゆっくり上り坂になる。芸大通駅までは天白川水系と矢田川水系の分水界への登りがある。分水界を越えると香流川の支流になり、ゆっくり下る。前熊交差点の手前の路地裏道を左折。県道233号から県道215号だ。一帯は岩作(やざこ)何とかの地名が多い。交差点付近で香流川が合流する。すぐ上が色金山になる。
 岩作の中心の早稲田という交差点で右折すると色金山歴史公園の案内板があり、Pもある。山頂へは車道を右折、そのまま登ってゆくと奥のPに着く。右に細い道が登ってゆくので入ってみた。結構な急坂だが螺旋状に傾斜をゆるめてあるので、自転車でもこげないことはない。何とそのまま頂上まで登りきってしまった。展望台がある。やや曇っているがそれなりの眺めがある。三角点はなく正確な標高は不明だが91mくらい。
 山頂からはダウンヒルを味わう。ブレーキを掛けっ放しであるが気持ちの良いものである。次は色金山の南の岩作御嶽山へ向かう。
 早稲田の交差点から旧道に入り、左折。御嶽山の石碑のある香流川の橋を渡る。そのまま道なりに行くが、急坂になりついに下車して歩く。段々急になり、一旦平になったところで左に岩作御嶽山の石碑の建つ神社への急坂が見えるがパス。車道を自転車を引きながら登る。登り詰めた所は山頂に違いないが県の給水施設があり宗教的なものは見あたらない。
 神社へ通じる道すら見いだせず、自転車に乗って下山する。改めて参道から登拝した。爪先上がりの急坂を行くとさすがに息切れした。一段上がったら社務所と住み家があった。神社はまた一段上にあった。
 奥の院に参拝した。その後は別の道をたどると先程の山頂へ通じる細道があった。生活はこれで往来するのだろう。住み家の前を通る。ここはやはり湧水が得られるのだろう。社務所から急な階段を下り、自転車でダウンヒル。次は御旗山に予定していたがこれで満足したので帰ることにした。
 長久手古戦場公園の一角にも71.2mの三角点・武蔵塚があるが今日は公園自体が休みだった。ここからは北新田川へ下るように走った。広大な口論議運動公園、愛知学院大キャンパスを右に見ながら日進JCTに下れる。後は北新田川の右岸の自転車道を行く。岩藤川を合わせると岩崎川になる。車道と交差する以外はスムースに走れる。白山の交差点まで来ると天白は近い。
 但し、まだ真昼でもあり三角点の一つも踏まねば、と右手のこんもりした緑の丘を目指す。地形図では北高上(きたこうじょう)だが、点名は岩崎、75.8mの山。高圧電線の真下まで行き、道を探ると広い車道の廃道があった。そこを歩いてみると、右手の鉄塔に向う山道になった。鉄塔近くでは木の枝などで通せんぼがしてあった。
 そのまま乗り越すと何と遊歩道に整備されていた。道標まであった。少しで4等三角点へ登頂できた。親切にも4等三角点の説明板まで設置されている。意外なことに喜んだ。そのまま下ったが、別の案内板によると北高上緑地(きたこうじょうりょくち)とあった。登山口は3か所あり、市民の自然に親しむ森の道として整備されたそうだ。平成25年だからまだ最近のことである。思わぬ拾いものをしてまた天白へ帰った。

日進市五色園の4等三角点五色園へポタリング2017年09月18日

 昨夜から今朝にかけて台風18号の通過で風が強かった。台風一過で秋晴れになった。空気もさわやかだ。今朝も遅めながら自転車にまたがった。
 行く先は天白川の支流・岩崎川の奥、五色園にある4等三角点109.7mの五色園である。日進市白山の市道と県道57号の交差点を直進し、岩崎川に沿う県道217号、233号を走る。東名高速日進JCTの南のガードをくぐると五色園入口の交差点で右折。ゆるやかな坂道を登ると愛知用水との交差点・五色園を通過する。けやき台という住宅地になるとやや緩む。適当に住宅地の車道に進入。山沿いの道を走って踏み跡を探す。
 地形図とにらめっこするが何らてがかりはない。住民に聞くと、以前は道があったよ、というので教えてもらった辺りを探るがない。また、藪に突っ込むように山林に踏み込んだ。台風で相当な枝葉が落ちていたが案ずるよりは生むが易し、で、歩くのが困難なほどの藪はなく、シダ類もまばらである。
 藪尾根に乗ってみたが踏み跡はない。しかし、山腹に明瞭な踏み跡があるのを発見。強引に高みを目指さず、とりあえず踏み跡をたどった。
 この踏み跡は三角点に通じていた。好事家の足跡だったわけで、楽にゲットできた。三角点ははっきり分かったが展望はない。踏み跡のまま下ると住宅地へポンと出れた。
 帰路は地名の元になった五色園を訪れてみた。入り口は無人で無料という。宗教公園の触れ込みで、出入り自由とあった。名鉄バスの終点になっている。以前からこのバスを見るたびにどんなところか気になっていた。昭和9年にできたという。現在は浄土真宗五色山大安寺を名乗る。いわゆる宿坊や墓地がある。
 五色園を辞して、愛知用水の側道を下ってみたが途中でサイフォンになり、道も断絶してしまった。岩藤川の村里を走り、東名をくぐり、なるだけ車道を走らず、岩藤川そして岩崎川に沿いながら白山の交差点へ戻った。
 五色園の一帯は日進東部丘陵といわれる愛知の自然の最後の砦のような位置づけになっている。かつては産業廃棄物の埋め立て地にする目的で保安林解除の申請がされたが自然保護の市民運動がおこって保全された。
 東部丘陵は標高150mから170mあり、天白川の本流、支流のあつまる源流域だ。東側の北は矢田川の支流・香流川(かなれ)に流れ、南は伊保川、田籾川が食い込んで矢作川へ流入する。つまり分水界になっている。
 日進市と長久手市の市界の北の農業総合試験場は矢田川と天白川の分水界の上に開拓された。芸大になるともう香流川の支流になる。長久手市の地名の久手(大久手、細久手、作手村など湫は低湿地)は水はけの悪い地勢を意味するという。実際、丘陵地の宿命である。リニモの名称も愛知高速交通東部丘陵線というのもうなずける。
 こうして天白川を中心に地形図を眺めて、そして自分の足でポタリングしてきて、東海豪雨による野並地区の被害の原因も丘陵地がすべて宅地化されたことにあると思わざるを得ない。保水力のある山林を残すとか、ため池を埋めなければ都市洪水は起こらないだろう。
 社会の発展、経済の拡大が都市の新たな水害を生み出すなんて、県の行政と県議は自然を甘く見ないで、想像力を働かせて対応してほしい。

日進市機織池の3等三角点藤島を確認後、長久手市根岳にポタリング2017年09月17日

 台風接近中で動きにくい日曜日。空を見上げるとどんより黒い雲で覆われて不気味である。大雨の予感がある。しかし、降雨は小休止状態になっている。
 北海道にある高気圧が台風の接近を遮っているのだろう。一時的な回復を誤って奥深く入ると大荒れで下山もままならないことになる。気象庁に勤務していた作家・新田次郎は『偽りの快晴』という小説で「台風接近中はいかなる理由があっても山に登ってはいけない」とした。
 さて、ポタリングは自転車のお散歩なのですぐに引き返せる。今は猿投山が見えている。その奥の段戸高原辺りも見えている。数時間はもつだろうと、8時すぎに自転車にまたがる。
 日進市役所を過ぎて米野木町までは田園地帯を走る。黄金色の稲穂が美しい。そこへなぜかシラサギが何羽もたたずんでいる。台風前に食いだめするのか。東名高速にぶつかったら左折。側道を西へ走り、ゆるく乗り越すと薬品会社やコンビニの元締めの会社の配送センターがならぶ。左折して終点まで下る。機織池の一角である。
 地形図を首っ引きで見つめると池までは行かず、この辺りから斜面を登ればすぐの感じだ。歩道をゆっくり走ると斜面に踏み跡が登っていくので自転車をデポして、歩いて登った。
 すると9/14の歩いた遊歩道に合流。地図で舐めるように斜面の踏み跡を探すがない。また一旦下ってしまった。穴惑い(秋の蛇)がおろおろしている。まむしではないので木の枝で追い払う。
 前の踏み跡を再び辿り高見に登るが三角点はない。藪の向こうには民家が見える。どうも西へ振り過ぎだ。戻って東へ高見を目指す。いくらも比高はないが尾根がある。登ってみるとまた民家が見える。藪の中に人がごそごそしているのを見られると不審者に思われかねないのですぐ隠れた。
 シダ類の繁茂で踏み跡は隠れているがいくらか歩きやすくなったと思ったら3等三角点の藤島83.5mが見つかった。シダ類の繁茂で地面が見えないが反対側に下ると最初の遊歩道に出た。何のことはない、地形図通りにええい、と登ればよかったのだ。
 これで9時過ぎ。東名高速の側道を名古屋IC手前まで走った。かつて愛知万博の広大な駐車場になっていた場所だ。今は瀟洒な飲食店などが立ち並ぶニュータウンに変わっていた。猪高緑地の手前で左折するとすぐに根嶽の交差点になり右折。市道を登りきると根岳の麓に着く。地形図をにらんで現在位置を確認。
 家の記号に7の文字がある地図記号がある。これは何と老人ホームだった。7に見えるが杖の持ち手をイメージしているようだ。確かに老人ホームがあった。山奥に入る踏み跡も見つかったので自転車をデポ。
 何と遊歩道になっていた。すぐに長湫越しなどという道標まであり、嬉しくなる。歩道があると無いとでは大違いだ。何の愁いもなく、根岳4等三角点108.7mに登れた。手前の道標には親鸞山とあった。これは高針にある山だ。かつて名東区に引っ越した頃、高針アルプスと名付けて「縦走」したはずだが、記憶にはない。あの頃は歩道なんてなかったし。
 戻ってもつまらないからどこへ下山できるのか歩いてみた。長湫南部公園に下りた。市道へ出て山周りに戻れた。この一帯は老人福祉のメッカのような施設が集中していた。
 自転車に戻って市道に出て喫茶店でモーニングコーヒーを飲む。ひと汗かくとコーヒーの味も違う。帰りにはポツリと来た。サドルも雨滴で濡れた。長久手市と日進市境を越えると岩崎川の流域になり、天白区まで下る一方になる。

日進市米野木・御嶽山へポタリング2017年09月14日

 今日は白山宮の交差点で引き返し、軽く流すつもりだったが、喫茶店でモーニングセットでゆっくりするうちに、地形図は持たないが、少し足を延ばすことにした。思いついたのが機織池の傍の3等藤島の三角点だった。
 日進の田園は稲穂はまだ青いが色づくばかりに垂れている。台風18号で被害をうけねばいいが。神明社の北の交差点を右折して、ゆったりした坂登りをこなす。登りきると右へ地道が続くので入ってみた。神社の様子だった。大勢の老婦人らが清掃中だった。聞くと近々お祭りがあるらしく、多数の登拝客を迎えるという。
 ここは御嶽山というらしい。約85m。地形図には神社マークのみだ。立派な石碑がいくつも建っていてこの地域の人々の信仰心の篤さを感じる。やっぱりコメのよくとれる地域は神に感謝することを忘れない。親子三代、命のつながりは米が無難に収穫できてこそなのである。山頂に三角点がないか見たがなかった。地形図を忘れる日に限ってこんな発見がある。
 一旦、帰路についたが日進の図書館で地図をチエックすると確かにこの近くではある。もう一度引き返して田園を走り抜けていくと東名にぶつかる。調整池と書いた看板があったのでその方向にいくと機織池だった。園地になっていたが道は荒れていた。あちこち歩き回ったが、高いところへ行けば山頂というわけではない。饅頭をおいたような地形だから当が外れてしまう。結局三角点探しは無駄に終わった。地形図を片手に探す必要がある。というわけで、ちょっとは汗をかいた上に草虱でジャージーのパンツが大変なことになった。これを一つ一つとる宿題が出来た。