ローバチベッタ修理2019年06月21日

 先日、名古屋市栄の好日山荘から登山靴の修理が終わったと電話があった。それで昨日店に行って受け取った。まさかとおもうほどきれいに修理されていて感動した。
 これまでに3回は修理に出した。ゴム底の修理でネジで止めてあった。一応は接着剤でゴム底と甲を圧着するのだろうが、さらにネジでしっかり止めてあった。しかし、長い間にはネジと革、ゴムの部分から水が染み込んで革が湿り、腐ってしまったのだろう。本当はオイルなどを塗布して長持ちさせるメンテもするべきだったがしてこなかった。
 結果、靴底の甲とゴムの間の革が割れて水が浸透するようになった。さらに5/3の八甲田山へ登ろうと履く寸前に割れた部分とゴム底の剥離が分かった。
 帰名後すぐに登山用品店に修理に出した。41年前の骨とう品のような登山靴だが、一応現物を送って、修理可能か問い合わせてもらい、後日可能と分かった。多分輸入先のタカダ貿易か、その委託先であろう。それにしてもよく直ったものだ。
 昨夜はアマゾンにミンクオイル、靴敷き、合皮シールを注文した。これで細かい部分の手直しをする。オイルで革に栄養を与えるそうだ。来冬には使える。他の革製登山靴、尻革、革手袋もオイルを塗布してメンテナンスをしておきたい。今時がオイルも柔らかくなり一番良いそうだ。

ローバチベッタ2019年05月11日

 メンテナンスといえば、40年愛用の登山靴の修理の件で市内の登山用具店に問い合わせたら可能とのこと。明日持ち込むことにした。28歳のころ、給料が8万円だったが、ローバチベッタは4万円もした。
 ピッケルやザイルを駆使して登攀する冬の槍だ穂高だという登山はしなかった。主に山スキーの靴として愛用した。非常に頑丈な作りに感心する。その後、紐締め式プラブーツ、バックル式プラブーツ、以上は皆経年変化で壊れたりした。今は2代目のバックル式プラブーツになった。
 今回は残雪のたっぷりある八甲田山で履こうとしたら靴底の革の部分が脆弱になって剥がれた。やむなく無雪期用の靴で間に合わせた。
 もう新調してもいいが愛着がある。これまでにビブラム底2回、内側の革1回張り替えた。こうして長く使えるのは良いものである。

岩木山登山2019年04月30日

 朝4時過ぎ、明るさに目が覚める。さっそく朝食に取り掛かる。あり合わせの野菜類を使った汁物で体を温める。片づけてPを出て、R101に戻る。青森まで120kmとの道路表示にかなり遠いのだと悟る。
 今日は午後から天気が悪いとの予報である。津軽半島への移動は止めて、岩木山を前倒しした。鯵ヶ沢から津軽岩木スカイラインの入り口に向けて右折。着いたらまだ7時なので8時までの時間は岩木山神社へ参拝に行った。令和を寿ぐ幟がたくさん立っていた。朝早いにもかかわらず岩木山神社は参拝客がもういた。
 また戻ってスカイラインに入った。通行料1800円のところ、JAFカード提示で200円引き。このスカイラインは69ものカーブをつけて1250mまで登る約10kmの山岳道路だ。Pには意外に多くの車が先着していた。しかも春スキーヤーの人らが多い。登山口の表示はあるがここから雪面ばかりである。比高390mあり、約1時間半の登りがある。但し踏み跡は見えない。先行者はシール登高してゆく。
 9時、ツボ足では見当が付かず、さらに登山リフト利用で登ることにした。往復900円である。リフトを降りると標高1470mくらいまで高度を上げる。硬い雪面を歩いて登山道に行く。いったんくだって岩の段々の急登をしのぐと1625mの山頂であった。
 たくさんの観光登山の登頂者であふれている。時に10時である。15分ばかりの滞在で下山する。
 登山リフトの乗り場まで来ると、もうガスが垂れ込めてきて山頂は見えなくなった。天候の悪化は山頂に寒気が来たことで分かる。
 スカイラインを下り、岩木山神社まで来る。地元のGSで給油して、良い温泉はないか、と聞くと百沢温泉を教えてくれた。350円だがJAFカード提示で50円引きになった。但し石鹸、シャンプーはない。非常に熱いお湯だった。長旅の疲れがほぐれて気持ちのいい湯加減に思えた。
 クルマの流れに任せて、弘前市内に入った。現在は桜まつりのたけなわで観光客と車でごった返していた。これはミスった。R339へ逃げて、竜飛岬を目指した。
 R339は津軽平野を貫通する。広大な田園風景が広がり、彼方に今しがた登ったばかりの岩木山が見えた。山体はほとんど雲に隠れていた。吉幾三の「津軽平野」はここが舞台か。真冬には一面雪に覆われると農作業はできないから出稼ぎに行く。そんな歌詞だった。
 途中、太宰治の出生地であることの案内(斜陽館)があり、心惹かれるがあまり時間はない。十三湖の道の駅の食堂ではしじみラーメンを食した。十三湊遺跡を見たり、港町の小泊では太宰治の文学館にも寄ったが、5時過ぎで、既に閉館していた。日本海に出て今夜は道の駅「こどまり」で車中泊になった。

富山県・南保富士を歩く2019年03月21日

 今年は岐阜県や長野県でも雪が少ない。それでTutomu hirakiさんの記事を見て白鳥山を計画した。
 3/19の夜、愛知岳連の理事会終了後、Wさん宅に車をデポし、10時発で20日の夜2時過ぎに入善町の園家山キャンプ場のPで仮泊。3時間の仮眠後6時に出発。
 園家山は標高17mの1等三角点のある山。これで3回目の訪問か。海の近くでも真水が湧水するので砂丘のような雰囲気のところに設けられたキャンプ場である。
 3/20、R8に出て、コンビニで乾電池などを購入したり、給油したりしながら新潟県境を越える。境川に沿って山奥に走る。山姥の里という。新潟県糸魚川市上路には7時30分ごろに着いた。車道の未除雪地点に1台あった。
 閑散とした上路には雪が道の脇に残る。車道の奥は除雪されていなかった。そこが終点になる。入り口を探すためにまた戻る。里人が1人だけ居られたので聞くと今年はやはり雪が少ないので藪が出てるよとのこと。それでも気持ちを奮い立たせて8時に出発。
 教えられた小脇谷と榀谷の間の林道の廃道を歩き終点から尾根にとりつく。標高300m付近まで登ったものの灌木の茂る藪尾根に断念。スキー板を抱えての登山は無理と9時に撤退。
 下山後は南保富士に転戦した。山頂は簡易トイレが埋まるほどの積雪にびっくりする。南保富士の山頂からの眺めは抜群で、白鳥山、犬ヶ岳、朝日岳、白馬方面まで見えた。すぐ近くの仁王山、黒菱山、初雪山、犬ヶ岳と山スキー向きの緩やかな雪稜が続いている。また剣岳、毛勝三山、僧ヶ岳の眺めも非凡。
 日本海は眼下に見え、入善町の扇状地も素晴らしい。沖には黒い巨船が北に向かって航海中だ。ふと歌謡曲の歌詞が浮かんだ。♪船を見つめていたあ、・・・上海帰りのリルリル♪と断片的ながら。歌手は入善町出身の津村謙のヒット曲。大いに山頂滞在を楽しんだ。
 往路を下山と思ったが、出会った地元の登山者から今年の干支の猪山490m経由を勧められたので540mのコブから北の尾根へ分かれる。道とはいえ、フィックスロープのあるやせ尾根で急降下、急登を繰り返す難路だった。七重滝の上ではカモシカに会った。滝への分岐から西山用水路跡の水平路を歩くがここも残雪でのり面が埋まりキックステップを余儀なくされて緊張した。
 無事に登山口に戻り、宇奈月町のバーデン明日(あけび)で一風呂浴びた。入善町のスーパーで夕食を調達、地下からの湧水を一杯汲んで園家山キャンプ場でテント泊。
 21日午前4時ごろから予報通り降雨。登山は止めて、入善町から魚津にかけてドライブ中、僧ヶ岳が立派に見える。魚津市の埋没林博物館と水族館、米騒動発祥の地を見学後は帰名。好展望の南保富士に登れたことで良しとした。

神楽峰へのバックカントリースキーで遭難か?2019年02月17日

 このところ毎年のようにバックカントリースキーヤ―の遭難騒ぎと遭難が報じられるようになった。ゲレンデに飽き足らないスキーヤ―は冬山登山の装備に身を固めて自然の雪山に登山し、パウダースキーを楽しもうという人々である。 
 多分スキー技術は完全、体力もあるし、装備もしっかりしているだろう。情報だって、今じゃスマホで自分の位置が分かる仕掛けがある。それじゃ何で行方不明になるのか。
 やはり豪雪のほどを舐めているとしか思えない。一晩で1m近く降る雪の怖さを知らないんだろう。思えば、友人のI君は北アの遠見尾根の1月の枝沢に粉雪を求めたが雪崩に死んだ。4月以降から捜索を続けたが、遺体が見つかったのは初夏になってからだった。沢の出合の出ブリに埋まっていたそうだ。行方不明が伝わった日も一晩で1mも降った。
 関西学院大パーティーは大長山で下山不能と伝えられたニュースに驚いたが、地元の人は大学生らに入山を引きとめていた。大学の監督はあんな1600m級の山の雪で何で下山出来ないのか、と学生らをなじった。
 ある年の年末、東京の山岳ガイドが数名のお客を連れて、飛騨の北ノ又岳を目指した。しかし、大雪で進めなくなり、かつ下山も出来なくなって救助を求めてきた。これも豪雪の山を舐めた結果である。
 他にも例はある。ほとんどは都会に住む登山者であり、登山ガイドである。日ごろぬくぬくと過ごしていて、登山技術、体力、知識、経験はあるはずだが、それでも遭難するのは一晩で1mも降る豪雪への警戒心がないからだろう。
 先月も妙高山麓にゲレンデオンリーでスキーを楽しんだ。宿のペンションのオーナーは一晩で80センチも降ったと宿周辺の除雪に大わらわであった。マイカーの屋根も3日間で1mは積もっていた。コース外滑走禁止とあちこちに警告板があったにもかかわらず、シュプールだらけだった。しかも外人が多かった。
 今、上越の神楽峰へバックカントリースキーに行った東京のパーティーが帰還できないと報じられている。やはり当日は70センチの降雪だったらしい。吹雪の中をどうして山に向うのか。
 妙高の杉の原スキー場のトップは標高1500mくらいだが、隣の三田原山ゲレンデのトップは1855mだった。リフトを降りるなり、吹雪いていた。しかも寒い。
 神楽峰のスキー場でもリフトのトップでは何とかなる視界であっただろう。進むにつれて、先行者のシュプールも無くなるし、あっても風が強くなれば消えてしまう。スマホはあくまでも位置だけの情報である。方向、雪の深さ、風の強さまでは知らせてくれない。そこは判断力しかない。

奥川並から湖北・神又峰(点名:大岳)を目指すが撤退2019年02月11日

         夜の余呉湖畔
 2/9夜9時、名古屋を発つ。名神で一宮ICから関ヶ原ICを経て、R365を走ると今夜の宿の予定地の余呉湖には近い。2月というのに雪のかけらも見ない。R365から左折して余呉湖畔のビジターセンターへ着く。11時半。トイレと広いPがあり、テントビバークにはもってこいだが、すでに数台は止まっているし、路面が濡れている。
 そこで別の場所を探す湖畔のドライブになった。余呉湖あじさい園は先着車があった。次はバンガロー風の廃屋があったが、大きな熊の檻に仰天して退散。賎ヶ岳ハイキングマップのトイレマークらしい所に落ち着く。照明はないがトイレがあるし、水も出る。しかも路面が乾いていた。さっさとテント設営してビバークする。往来するクルマは1台限だった。
         高時川水系の山村へ
 2/10の朝5時、夜中は強風にあおられて固定を忘れたフライが飛ばされた。時折はフレームがしなるほど強い風が吹いた。また雪が飛んできたから非常に寒い夜を過ごす。
 熱いお湯でカップ麺を胃にそそぐ。体温が少しは温まる。すばやく撤収。また周回の道を行くと、昨夜の閑散が信じられないほど公魚(ワカサギ)釣りで車も人も多かった。
 R365から上丹生に行く県道を走る。七々頭ヶ岳を仰ぎみて高時川奥へと良い道を走る。人家のある最奥の村の菅並に着く。良い道に誘われてうっかり洞寿院に入ってしまった。戻ると北海道(多分きたかいどう)トンネルがあるが???。Uターンして、神社のある寂れたような細道に入るとこれが目的地の田戸(たど)への県道であった。ところどころ通行止めの表示はあるが、横は通過できる幅があり、注意して行けよ、事故っても自己責任だぞ、とのサインか。
     雪解けの水を集めて流れる高時川中流の廃村田戸へ
 高時川は水量も豊かに蛇行しながら滔々と流れている。寡雪とはいえ、県境は相当な降雪があり、すでに雪解けが始まっているのだろう。上谷山、三国ヶ岳、左千方などの融雪を集めて雪解川となって琵琶湖に注ぐ。
 目的地の田戸へは意外に早く着いた。途中での路面の凍結や落石もなくスム―ズに走れた。ここから中河内までは走ったことがある。かつては安蔵山へ登りにも来たことがある。自分のブログをググってもヒットしないから15年前になるだろう。こんなマニアックな山に登れたのは何と言っても、1985(昭和60)年の山本武人『近江 湖北の山』のガイドがあればこそだった。
      廃村奥川並へ
 奥川並へは橋を渡り、歩くこと約2時間はあると、先行者の記録にある。山の尾根を眺めても雪は少ない。この時点で、スキー登山は断念した。奥まで行けば雪はあるが、2時間も重いスキーをかつぐのは愚かなことだ。というわけだがわかんを忘れたのでつぼ足覚悟で歩くことになった。相方は夏山用の登山靴もなく、スキー登山靴になった。
 安蔵山の南尾根を巻くように奥川並川沿いの林道を延々歩いた。林道は徐々に雪が現れた。山腹の電話線の垂れたのを見ると廃村も近いだろう。杉の林の中に各戸の墓の共同の碑を見た。廃村奥川並はすぐだった。今は石垣だけが残っている。検索すると「ブログこの道往けば」の「滋賀県道285号中河内木之本線 忘らるる村編」によれば、田戸は平成7年に、奥川並は1969(昭和44)年に離村した、と記載。
 廃村になって今は地形図にも奥川並の名前はない。段々雪深くなり、約20センチから30センチはある。0.7kmも歩くとリッカ谷と中津谷の出合に着く。ここまでで10時。
       中津谷林道を行く
 当初の計画ではリッカ谷林道を歩く予定だったが、相談で中津谷林道を上がることに変更。出合を左折。西尾根の末端を目で探ると踏み跡が登っている。しかしパス。中津谷と足ノ又の落合の蛇行する沖積平野を雪が覆って美しい。積雪がどんどん増えた。夏山用登山靴は雪で湿りはじめた。雨具のズボンを履くが靴下が濡れてきた。この辺が限界である。
 標高550m付近から積雪はどんどん増えた。ついに600m付近で林道は終点になり、谷奥には堰堤が見えた。ネットの記録には谷の奥の稜線に中尾峠があったが今は廃道。ここからヤブを分けて西尾根に合い、神又峰へ登山している。そして西尾根に踏み跡があったそうだ。その登り口は多分、大栃の辺か。或いは落合付近か。
      神又峰(大岳)は撤退
 11時を過ぎて、標高差450mの山頂往復は約4時間もかかるので撤退を決めた。足元の準備不足もある。奥川並に入ってから空が曇ったり晴れたり、雪が舞ったりする。中津谷でもリーダーが素っ頓狂な声を挙げた。ほらほら雪の結晶だ、と。六角形のあの雪印そのものを見せてくれた。標高があがると気温がグンと下がり結晶のままを見られるのだ。
      雪の結晶は六花という
 さて、リッカ谷出合に戻った。そこで昼食とした。カタカナのこの地名も六花(リッカで雪の結晶の意味)に由来するのだろう。横山岳にぶつかったマイナス30℃から50℃の寒気団が雪を降らせるのではないか。だとしたら美しい地名である。
 又しても撤退に意気消沈してしまう。延延林道を歩いて廃村田戸に戻った。この少し下流の小原で締め切って丹生ダムが予定されていたが今は中止となった。世が世なら湖底に沈むはずだった。前回来た時に家があったかどうか。もう記憶はない。
      公魚(わかさぎ)の天ぷらに舌鼓を打つ 
 再びR365に出て、余呉湖に寄った。何と昨夜ビバークを予定していたPは公魚(わかさぎ)釣りの車で満杯だった。釣り場にもひとだかりが見えた。近くの民宿「文右衛門」に入って、わかさきの天ぷらを頼んだ。これは美味かった。ヒマラヤの岩塩もよく効いた。白味噌のしじみ汁も味噌の香りが臓腑を刺激した。これで800円だった。撤退を慰めてくれた。ここはマガモ料理も食べさせてくれる。アイガモ(アヒル)か、と聞いたら内は使わない、マガモだと反論されたので本物だろう。値ははるが食べてみたい。帰路はあねがわ温泉で一と風呂浴びた。湖北は温泉施設が少ないので大繁盛していた。
 長浜市のR365を走ると、鈴鹿の霊仙山の前衛にある阿弥陀山が均整の取れた山容を見せる。見えなくなると岐阜県は近い。浅春の湖北の山旅を終えた。

烏帽子岳スキー登山はヤブで撤退2019年02月05日

 2/5の朝、未明の6時過ぎに出発。しかし、予想以上にクルマが多い。そうか、今日は平日なんだ、多分通勤の車である。高速道路が普通に通勤に利用されている。名二環の松川を過ぎてようやく東の空から日が昇った。一宮JCTを経て東海北陸へ。まだクルマは多い。
 郡上八幡ICを出てまた渋滞、トンネルを出て左折したが、道間違いと遅れた。本当は2つ目のトンネルだ。通いなれたはずの奥美濃ではあったがもう記憶から遠くなった。途中でリーダーのYさんに遅刻の連絡。スキー場に向うのに雪がほとんどない。やれるのかな。
 10分遅れでめいほうスキー場に着いた。すぐに着替えて、結局出発は30分遅れてしまった。リフト2本を乗りついで頂上へ。スキー場トップは幸い雪晴れの好天である。御嶽、中ア、乗鞍、北ア、白山、三方崩山、ほぼ360度雪山で囲まれる。
 シールを貼っているとスキー場の係りの人が近寄って来た。登山届を出せ、という。岐阜県警には届けてあるとYリーダー。計画書のコピーを渡して届けた。オフピステ否スキー場外滑走禁止の立て札はないが、どこのスキー場でも粉雪を求めるスキーヤーの事故が多く、苦慮されているのだろう。
 男性はYリーダー、IS、KI、IT、私の5人。最年少、紅一点のSさんが山スキ―に染まっていたとは知らなかった。計6人で笹やぶの隙間をぬう林間を歩き始める。周囲は細幹の岳樺や大き目のブナなどが生い茂る高原である。緩斜面を行き、オサンババにつながるポイントから別れると大きく下降する。最初の鞍部に到達する。またゆるやかに1553mのコブに登り、下降する。2つ目の鞍部までは笹やぶの密度が濃くなり難渋する。鞍部でYリーダーが口火を切って鳩首協議する。4等三角点「床辺山」へはもっとブッシュが濃くなり、雪もはげている感じに見えた。烏帽子岳ははるかなる高みに見える。結果、全行程の5分の1も消化しないで撤退を決めた。天気は良いのだが。
 ふたたび笹やぶを分けて登り返す。スキー場トップ(4等三角点で点名は山中峠)へはゆるやかな登りである。つまりはじめて登った。トップに戻ってシールを剥がし、ゲレンデを滑降。雪質は硬く、アイスバーンの状態であった。多分、暖かいから雪も解けるので、夜間はスノーマシンで雪を確保しているのだろう。
 センターに戻り、Pへ。帰路は久々に名宝温泉に入湯した。R472,R156を美濃ICまで走り高速に入る。大した渋滞も無く帰宅。土日と違い、絶望的な渋滞はないのでスキーは平日が良い。但し、高速料金の割引がない。
 帰宅後は庫内で解凍のラム肉をジンギスカン鍋で焼いての焼き肉で空腹を満たす。山中ではパン2個をかじっただけであった。行動中はのんびりと食べて居れず、また腹筋がしまるせいか、空腹を感じにくいので飲み物だけになった。

春の丸黒山と日影平山2018年05月01日

4/29 飛騨清見の道の駅で仮泊後、県道462を走って乗鞍青少年交流の家に行く。7時45分に出発。交流の家のスタッフに登山口を教えてもらう。しばらくは林道のような遊歩道を歩く。終点は日影峠になっている。ここから右はカブト山へ、左は日影平山へ道が分かれる。
 丸黒山へは二筋に分かれるが右の道をたどった。一旦は急降下してゆくが、すぐに1559mへ登り返す。乗り越すと1570mの平らなブナヶ平に着く。ここで地元の人らしい人と会った。丸黒山では1人行方不明があったと教えてくれた。これは手前に左に巻き道もあって回避できる。眺めのいいところがある。そのまま下るとブナヶ平と合流する。またしばらくで二筋に分かれる。右は旧道である。左は新道で1694mの枯松山を経由して、枯松平休憩所に下る。現在は文字通り喬木となった唐松の疎林である。
 旧道は枯松山の山腹を巻きながら休憩所へ行ける。この道は近道であり、アップダウンもない歩きやすい道である。水場も2箇所確認した。途中のほとんど平らなところに鉄の支柱が倒れていた。これは鉄条網の支柱と見られ、かつては牧場であった名残である。
 『飛騨百山』の執筆者は「放牧された牛が、われわれを見ると寄ってきた」と書く。彼等がテント場にした枯松平には立派な休憩所が建っている。
 一休みしてから一旦ゆるく下る。平坦な唐松林を歩く。最初の急登はガンバル坂という。がんばると階段の踊り場のような白山展望台に着く。真っ白な白山が見える。道標にもあるし、地形図にある青屋への破線路は笹薮に埋もれていた。すぐに根性坂に差し掛かる。ここをしのぐと雪が出てきた。1926mの主三角点に着いた。少し先で12時を回り、相談の結果、計画を進めて奥千町ヶ原避難小屋に行けても明日に無理がかかると判断して前途を中止。スキーやザックをデポして水だけ持って山頂を往復することとした。
 丸黒山で12時半過ぎになった。撤退をしたものの丸黒山からは乗鞍岳、笠ヶ岳、槍穂高連峰などの大展望に癒されました。御嶽、恵那山は木立に遮られて少ししか見えませんでした。
 青少年交流の家の若いスタッフらが登って来たので話を聞きました。丸黒山から先は登山道の整備がないため這い松の枝が伸びて歩行が困難だろうとのことでした。丸黒山頂から滑降予定の千町尾根を眺めると余り雪が残っていませんでした。スタッフも丸黒山にこんなに雪がないのは珍しいとのことでした。登山口の別のスタッフの話では先週は1mくらいあったそうです。今日は斜面に20センチ程度残っていました。雨とかで急速に融雪が進んだようです。千町尾根は熊が棲息しているそうです。
 当初の計画段階では記録の多い岩井谷を検討しましたが雪解けが早く、雪の塊の崩壊などを恐れて尾根にしたのですが、岩井谷の無雪期は入山禁止になっているそうです。
 丸黒山を下山後は枯松平休憩所の避難小屋で一泊しました。ログキャビン風のきれいな小屋で上質な毛布の備えもあって快適でした。水場は近くに沢水があります。
4/30 避難小屋を出てWさん未踏の日影平山(ぎふ百山)に寄って下山。県道を車で走る途中でも白山、笠ヶ岳、槍穂高連峰などの一級の山岳景観を楽しみました。
 帰りは美女峠の水芭蕉を散策。帰路に見座というところの金峰神社の祭礼の行列に出会いました。R41で帰名する途中、下呂温泉で一風呂浴びて行きました。

北ア・白馬乗鞍岳スキー登山2018年04月02日

白馬乗鞍岳頂上から見た小蓮華山と向こうは三国境、白馬岳
 1月から3月までスキーを履いたのは2回だけ。本格的な滑りを味わうこともなくシーズンが終わりまた来年まで長いブランクができる。膝の痛みは少しは残るが歩行には問題なく、登山にも支障がない。但しスキーだけは咄嗟の動きで関節に影響があると考えて踏みきれなかった。既にブランクは2015年を最後に中2年になる。意を決して行こうと決めた。
 行く先は白馬乗鞍岳だ。乗鞍岳は未経験であるが天狗原までなら蓮華温泉と朝日岳スキー登山のため数回は行った。天狗原から1時間ほどで登れる。
 3/31の17時天白を出発。名古屋ICまでは絶好の行楽日和かクルマが多く渋滞気味だった。入線は18時前になった。
 東名から名神にかけてもクルマは多めで小牧JCT手前からとうとう渋滞になったが中央道へは空いている。恵那SAに着いたのは18時50分。
 夜空には春満月が明々と浮かぶ。何と恵那山の真上にあり、黒々とした恵那山を明るく照らす。天照大神の胞を埋めたという伝説が彷彿する。春満月は恵那山トンネルの手前まで見えた。そして伊那谷に出ると今度は南アルプスの上に出ている。
 中央道から長野道へ入り、梓川SAで一休みする。安曇野ICから出てR19経由で白馬方面へ走った。周囲には雪の断片すらないが、夜目には高々と北アルプスの白い嶺が並ぶ。
 白馬村からさらに小谷村へ。白馬駅前のにぎわいを過ぎると途端に灯が消えたように暗くなった。行き交うクルマはなく栂池スキー場へ走る。心細いほど暗い山道をくねくね走ると雪明かりでほっとするようなエリアに出た。まだ10時前だが通りは宿の灯が消えて寂しい。スキーブームが去ってボードが支えている。少子高齢化は観光地にも影を落とす。
 駐車場には9時55分着。梓川SAで車内を片付けておいたからシュラフを広げて寝るだけだ。
 4/1朝明るさに目覚めると5時。早過ぎるが二度寝すると起きられなくなるのでシュラフを片付け、荷物室を整理。寒いので羽毛ジャケットを着る。食事の準備をした。昨夜買っておいたアルミ鍋の天ぷらうどんを温める。それを食べながら寿司をつまむ。終わると服装の準備だ。羽毛ズボンの上にオーバーズボンを履くと準備は終わった。次はパッキングだ。7時、ゴンドラ乗り場へ偵察に散歩する。まだだれも居ない。そのうち7時30分になったのでチケット売り場に行く。1920円。長野県所定の登山計画書をプリントアウトしたものを添えてチケットを購入。8時にゴンドラが動き出す。
 終点駅でいったん下車して、スキーを履いて、ロープウェイ乗り場へ滑る。また外して並ぶ。自然園駅に着いたのは9時7分だった。1829mとあった。駅舎を出る前に小谷村の山案内人から登山者向けの注意喚起があった。ひよどり峰は雪崩やすいので登らないで欲しいこと、直下の林道滑降は雪崩の常習地帯があるので立ち止まらずスピーディーに行動して欲しいとのこと。また雷鳥が白馬乗鞍岳に向って移動中なので脅かさないで欲しいとのことだった。3月初旬に行方不明になった人がいるので帽子など所持品と思うものを見つけたら連絡して欲しいと言われた。
 9時35分、外の雪面でスキー板にシールを貼って、いよいよ出発だ。尾根に移ってシールを効かせながら歩く。20分ほどで息が切れるので休む。持ち重りする食べ物を飲んだり食べたりする。朝食は6時ころだからもう3時間は経過しているからだ。特に林檎は美味しいし重いので休むたびに食べた。また少し登っては休んだ。2204mの天狗原とは比高375mで1時間強程度。高度計を見ると2000mを越えたら急に力が湧いた。
 11時7分天狗原に到着。ここで小休止、11時20分出発。急斜面に取り付く。シールを効かせながら登る。一気には登れず、呼吸を整えてまた前進をくりかえす。何とか端っこに着いたが山上は広々している。
 12時10分ケルンの建つ乗鞍岳頂上に着いた。夏道は歩いた記憶がないので新鮮な角度で小蓮華山と三国境の雪稜を眺めた。向こうは黒い露岩を張り出した白馬岳である。三国境からは雪庇の張り出しがすごい。未踏の雪倉岳、悪戦苦闘して登った朝日岳が見える。素晴らしい眺めである。
 12時30分、小高く盛り上がった2456m辺りまで行ってシールを剥がす。いよいよ滑降。雪質は粉雪で抵抗なく曲がる。あっという間に急斜面の降り口に着いた。雪質の良いところはターンしたが、腐っているところは曲げにくいのでキックターンで滑降した。北東へ行くほど腐っている気がした。上手いスキーヤーは悪雪でも滑降してゆく。
 天狗原に滑り降りた。また小休止。13時前、天狗原を後にする。まずはロープウェイ乗り場を目指す。広すぎて目標がつかみにくい。悪雪のなので斜滑降とキックターンで下る。一旦林道に下ったがR乗り場で水を買った。栂の森駅までの案内をもらう。結局は林道が近道のようだ。今は至るところスキーの跡が付いているのでどこでも行けそうだが知らないととんでもない所に下る。
 林道は余り走らない。大腿筋だけが使われるせいか疲労感がたまる。何とか栂の森駅下に来たが、Rで下るのはもったいない。ゲレンデを下ったり、林道を下ったり、またゲレンデに戻って下った。結局15時過ぎにゴンドラ乗り場に着いた。目いっぱい遊ばせてもらった。
 駐車場に戻るとガラガラだったが満杯に埋まっていた。身支度を終えて白馬の湯に向った。やや熱めである。入浴後はR148をひたすら走った。途中大町のスーパーでジンギスカンのパックを買った。帰路は朧月夜であった。

過去の記事
「春の蓮華温泉 山スキー行 ―」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2009/05/06/4289561

「リベンジ成功!春の朝日岳大滑降 」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/05/06/5065719

「北アルプス・金山沢滑降! 」
http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/04/30/6794363

風雪の奥伊吹スキー場に遊ぶ2018年02月11日

 建国記念日の今日は朝5時集合ということだったが30分遅れて5時40分に山友宅を出発。高速を使えば一宮ICから関ヶ原ICだけなので地道を走った。東海大橋を渡って直進すると養老山麓を走る。雪は一片もない。牧田川を渡ると大垣市に入り、すぐに関ヶ原町に入る。
 関ヶ原古戦場をかすめるように行くと米原市だ。すぐにR365と分かれて伊吹山登山口の案内に従い、地方道に右折する。藤川、上平寺へと走る。
 藤古川を渡ると上平寺になる。この辺りが揖斐川(牧田川)水系と琵琶湖に注ぐ天野川水系との分水嶺になる。藤古川の源は伊吹山の最高点から流れる。県境は東の端をかすめるのだから近江の山に見えるが、この辺りに伊吹山は岐阜県の山という地勢の根拠があるのだろう。
 そもそも岐阜県は飛騨も美濃も慎ましい性格の土地柄である。県境について自己主張をしないのである。木曽川でも愛知県側の堤防は岐阜県側よりも高くしてあるそうだ。愛知県と岐阜県境でも所属争いが最近まであった。
 逆に石徹白のように美濃文化圏なのになぜか福井県であった。選挙で不便と言うので岐阜県に編入された。近年は長野県山口村も岐阜県に編入された。これは経済圏の問題であろう。
 白山は「加賀の白山」といい、御嶽は「木曽の御嶽」と他県にゆずる。阿寺山脈にしても長野県の木曽に対して、岐阜県側は裏木曽という。尾張藩が管理した木曽を重く見たのだろう。
 穂高だって長野県側の方が熱心に観光開発をしている。登山者間には槍穂高連峰で落ちるなら岐阜県側に落ちよ、とまでささやかれているそうだ。長野県警は判断によって結構有料のヘリに切り替えるからだ。しっかりしている。
 飛騨はかつては天領といった。幕府直轄だったからナショナリズムが発達しなかったのだろう。

 さて、伊吹山の麓まで来るとさすがに雪が多くなってスキー場へ行く気分が高まった。伊吹の交差点で右折。姉川に沿って走った。曲谷(まがたん)の地名が懐かしい。甲津原までくると雪国さながらの風景になった。スキー場手前の駐車料金ゲートで渋滞ができた。 無事駐車場に着いてやっとスペースを確保。すでに75%は埋まっている。関西ナンバーに混じって岡山、広島ナンバーもあった。
 トイレも、「アルカンデ」にも行列だ。歩かなくても済むがこちらは歩いてリフト券売り場に急いだ。当然、行列だ。今日は回数券だけにした。天気も悪い。それにこの来客ではゲレンデも混雑しそうだ。
 リフト設備は一新されていた。右側に乗ると2本目からは降雪がひどくなった。山スキーに必携のシールを玄関に干したまま忘れた。その上、寒風と横殴りの雪がブンゲンへのモチベーションを萎えさす。ともかくリフトのもっとも高いところへ降りた。約1200mはあるはずだ。寒気流は大体この高さで流れているらしい。早々に滑走に入った。
 このゲレンデはまずまずのコンディションだった。山友と話し合って、この悪天ではブンゲンは無理とあきらめた。
 それで4等三角点(点名:品又峠)日ノ出山1045.5mを提案。一旦、出発地点へ滑降、左側のリフト2基を乗り継いで終点に立った。風雪はそれほどでもない。比高150mの差である。
 ここでスキーを外す。鉄骨の展望櫓をめがけてキックステップで登り始めた。するとスキー場のパトロール員2名が注意喚起する。場外への滑走で行方不明事故が多発しているので挙動不審者には神経をとがらしているようだ。あの櫓へ、と山友が説明して不審を解いた。
 約50センチほどの深さはある斜面を蹴り込みながら登るのは快適であった。櫓付近は太ももまでもぐった。どこかに三角点があるが記憶がない。山友は櫓に登り始めた。上で踏板が外れていると分かって降りた。またゲレンデに下って、スキー板を履いた。
 品又峠に向って滑降を開始。かつて峠からは1230mの無名峰までリフト2本が設置されていたが今は廃止された。多分風雪が強いのだろう。揖斐高原スキー場から林道をたどり、品又峠からリフトに沿って登った。終点の廃屋付近でツエルトビバークをしたのもこの2月の連休だった。あの辺りはブナの原生林だったと思う。
 品又峠からは緩斜面のゲレンデを滑降。また最初に戻り、右のリフトを1本乗ると回数券は終わる。さらなる緩斜面に基礎スキーの技術チエックをしながら滑る。シュテムターン、シュテムギルランデなど、山で使う技術を意識して滑った。
 スキーのセンターまで来るとスキー客がびっしり埋める。うわ―、という感じで早々に板をはずしてPに戻った。時刻は12時30分くらいだっただろう。ちょっと早過ぎる気もするが混雑にはもまれたくない。それに朝は空いていた場所もクルマが埋まっていた。
 スキー場からの車道を下っても約6kmほどは渋滞中であった。おそらくキャパシティを越えているのではないか。最奥の甲津原もマイカーやバスで一杯だった。それからまだまだ渋滞は続いたのである。
 曲谷を過ぎて吉槻まで来ると急に明るくなった。それまでは裏日本の気候、ここからは表日本と言う感じだ。伊吹の道の駅で一休みしたらここも満杯だった。ようやく伊吹の麓を去った。朝の曇り空はよく晴れた。伊吹山も少し見えた。
 R365をたどり、関ヶ原、養老へ。養老ミートで気になっていた豚チャン1kgパックと他を購入した。温泉にでもと行ってみると800円の入湯料に引き返す。南濃町まで足を伸ばして南濃温泉 水晶の湯へ入湯。JAF会員は410円也。ああ、やっぱり本物の温泉は温まる。やっと帰宅する気になった。
 山友を送り、帰宅。自宅では早速、豚チャンを賞味した。フライパンに油を引き、にんにくのみじん切りを入れる。豚チャンを入れて、後でキャベツを大量に入れる。缶チューハイを片手に今日の反省をした。疲労と酔いで、横殴りの風雪を思いつつ間もなく睡魔に襲われるのであった。