山岳遭難ー生死の分かれ目2021年02月08日

行方不明のスキーヤーの男女を発見「穴を掘って一晩を過ごした」 岐阜の北アルプス
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed899cdb2969dfd1e87e44120bacd6b5751c8a5c/comments

コメントから
・2手に分かれって、どちらの方がスキー能力差があり付き添ったんですかね?
冷静なご判断とビバーク出来る力量はご立派です!
自然相手ですから、最悪の事態も想定していたんでしょう。

・この方たちは山を知っている人だったから、無事に下山できたのです
山を知っているとは、山がいかに危険かを考えて装備も行動も知識も
積み重ねている人たち
通常、山をやっていると不慮の事態も少なからずはあります
ただし、それを前提に装備も知識も考えて対応できるように
それぞれが努力しています
もとろん、対応できないと判断したら撤退します
それができる人とできない人との違いです

ちかごろはそれができない人が増えてきて、電話一本で人に救助されることが
当たり前になってますけど、まずは自分で何とかするのが自己責任ですよ
責任取れないなら山に行く資格ないです

自分の命は自分でまもらないと
救助ありきの山はだめだと思います

・・・雪洞を掘るためのスコップを装備していた点は良かった。かつて、3月の北アでプロガイドが高齢の登山者を連れて唐松岳に登った。二つ玉低気圧が来ているにもかかわらずに登ったもののお客さんの足が遅かったのか、稜線で吹雪に捕まってしまった。ガイドはスコップを持っていなかったのでピッケルで老人2人を入れる雪洞を掘り終えて疲労で死んだという。

群馬県嬬恋村スキー行珍道中②2021年01月30日

1/25 つま恋の丘から浅間山が見える。「嬬恋の宿 あいさい」に着く
・・・以前に見たことがあるが雪山はまた別です。宿は欧風の建物で吹き抜けが大胆。温泉も2階にあり移動は少なくて済む。料理はフランス料理風で多種で少量の御馳走をいただく。

1/26 晴天のパルコールつまごいスキー場で滑りまくる
・・・朝9時に宿を出て1日スキー場で遊べた。ホントに久々のゲレンデスキー三昧。夕食はやはり地物の野菜、魚、肉が少量づつ出されて上品な味わいだった。

1/27 荒天のスキー場で午後は打ち切り
・・・天気が持ったのは午前中だけであった。ゴンドラで上がってもゆらゆら揺れたから低気圧が通過中と聞いた。ゴンドラもリフトも横風に弱い。夕食は今日で3回目だが同じものは出さない。メニューの工夫が大変だな。

1/28 「嬬恋の宿 あいさい」を去る
・・・スキー宿が快適で良かった。ゲレンデは1日半だけは楽しめた。参加メンバーも多くは入れ替わった。常連だった会員も高齢には勝てない。自分もそうなる。9時過ぎに宿を出発。

群馬県嬬恋村スキー行珍道中(五平餅の道)①2021年01月29日

 1/25から1/28までは群馬県嬬恋村に宿をとり、15人ばかりが関東や関西から集まってスキー懇親会を楽しんだ。とはいえ、このご時勢であるから山岳会は関与せず、個人の任意の集会ということになった。当初は20人程度が5人減ったという。
 名古屋は朝6時に出発。最初はR153で伊那へ周り北上する予定が、スマホのナビはどういうわけか豊田市でR419へ行け、と案内する。治部坂峠経由の計画はナビに負けて岐阜県へ迂回し、岐阜県の山間部沿いの県道を走って恵那市へ出た。道の駅や売店の五平餅の看板が気になった。

 後はR19をひた走る。国道沿いの吉野家で朝食をとる。
 次は塩尻の手前の洗馬駅付近からR19を出よ、とのガイダンスがあり不思議に思いながら走った。すると最初は川沿いの道やごちゃごちゃした市街地を走ったが、次第に田園地帯へ誘導された。どこをどう走ったかは記憶にないが梓川にぶつかり、倭橋南という信号で梓川右岸へ右折したことは覚えている。
 地図で見ると松本空港の西側を走ったようだ。洗馬から奈良井川を渡り、アルプスグリーンロードをたどり、道の駅「今井恵みの里」にも寄ったことを思い出した。買うものはなかったが地物野菜がたっぷりあった。その後は梓川沿いにはしりR254へ誘導されて、上田市へ。R254から県道176へ、再びR152へと。大屋でR18を突っ切り、県道176で田園地帯を迂回しながら真田でR144(幸村街道)に入ると後は鳥居峠を越えて群馬県へ行く。真田付近からは以前の記憶があるのでスムーズだった。
 菅平への分岐からすぐのところにある「峠のおやき なかざわ」の看板に「五平餅」があるのが気になった。(有)ナカザワ商店の出店で本店は上田市市街にある。写真で見ると三河のそれと同じ形である。

 「上田市 五平餅」でググると
「五平もちは長野県の木曽地方や伊那地方に伝わる郷土料理で、炊いたうるち米を潰したものに、タレをつけて串焼きにしたもの。かつては豊作への願いと、その感謝を込めて、神前に供えられたといわれており、今でも長野ではハレの日や大切なもてなしの席に欠かせないものだ。扁平な楕円形が一般的だが、円形のものや円盤型を複数刺したもの、団子状のものなど、地域によって形が異なり、タレもすりつぶしたくるみが入った味噌味や、くるみとゴマをすりつぶしてあわせた醤油味、ゆずや山椒を入れて風味を出したものなど、様々なものがある。」

 南信州ナビHPの五平餅は「飯田の五平餅の特徴
https://msnav.com/navi/tokusan/food/goheimochi
 「五平もちには地域によって餅や串の形、付けるタレなど何種類かあります。一般的には、団子型もしくはわらじ型に整形し、串に刺して焼き、味噌や醤油をベースにし胡桃や胡麻、山椒の芽などを加えたタレを付けて作ります。現在飯田で作られている五平もちには、主に眼鏡型とわらじ型があるほか、御幣を模した波形をした五平もちもあります。こうした様々な形の五平もちを、ひとつの地域で味わえるのは南信州だけです。」という。
 どうやら南信州が本場だったみたいですね。飯田市のHPには味の文化財とまで書いています。
https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/goheimochi.html

豊田五平餅学会まであるらしい。
http://www.toyota-go-hey.jp/history/kigen.html

塩の道は五平餅の道
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/1955?page=3

スキー始め2020年12月27日

めいほうスキー場から
 朝4時自宅を出発。某所でWさんと合流し、Wさんのマイカーであるスバルのフォレスターに乗せてもらった。一宮ICから東海北陸道に乗り、郡上八幡ICで降りてめいほうスキー場へ行く。沿道の山肌はスキー場が近づいてもほとんど雪がない。晩春の山みたいだ。それでもスキー場内には何とかあるみたい。新聞情報では積雪110センチで△マークだから全面滑走が出来なかった。
 もう一人豊田市からくるSさんとはPで確認できた。3人そろった。身支度してリフトを2本乗り継いでトップへ。出発前にスキー板にシールを貼ろうと探すが無い。忘れてしまった。大失態。仕方なく2人に行ってもらった。私はゲレンデスキーで遊ぶことにした。
 とはいえ、水分の多い人工雪で固めたせいかゲレンデが凍結してしまい、スキー板がエッジングしがたい。バランスを崩し気味ながらなんとか下ったが疲れた。車に戻って休憩である。これが高齢スキーヤ―の悲しさである。
 昼になると彼らからメールでトップに下山したとの連絡があり、こちらもリフトで登る。トップで合流し、滑降することにした。朝と違い、昼は良く晴れて、乗鞍岳、御岳山の巨峰がどっかと座している。御嶽の向こうは中央アルプスだろう。北には笠ヶ岳、槍穂高連峰などが白銀に輝く。いつもながらここはロケーションが素晴らしい。
 2人に聞くと結局積雪が無く、藪を抑えての登山では進まず、途中で引き返してきたとのことだった。車の中でスマホのヤマップの軌跡を見ると鞍部辺りから一向に進行しなかったのはヤブと格闘中だったからだ。以前も烏帽子岳を目指したが藪で閉口して途中で戻ったことがあった。これじゃ藪スキーだな、と笑った。
 ゲレンデスキーのアイスバーンも朝よりは軟化して処しやすくなった。Sさんは毎年ゲレンデスキーだけはやっていたそうでバランスが良い。何より細身なので敏捷性がある。
 途中のレストハウスで休憩と昼食タイム。その後も中間のエリアで何度もゲレンデスキーに徹して遊んだ。帰路は温泉には入らず帰名。

春雷を三度聞くなり飛騨の山 拙作2020年03月29日

 3/22の大鼠山スキー登山の途上、遠雷が鳴った。春は気圧が不安定な時期であり、上空5000m級の高層圏には冷たい空気が流れこみ、低空の温かい空気と触れ合って雷が起こる。「下山しろ、これから悪くなるぞ」というような嫌な音だ。雹か霰かが降ってきた。かといって引き返すわけでもなく遅々とした歩みで山頂へ向かった。

大鼠山スキー登山2020年03月22日

 3/22は飛騨市山之村の大鼠山へスキー登山を果たしました。
 2/9は1502mの地点で大雪のために撤退。今回はそのリベンジになります。3/21の午後3時30分、同行のWさんの職場から出発。名二環、名古屋高速から名神、東海北陸と使えるものはみな使って飛騨清見ICで飛騨入り。神岡町のスーパー「バロー」へ着いたら午後6時20分。バローで食材の買い物を済ますと山之村へ。神岡町の素晴らしい夜景をちらっと眼下に見て、つづら折れの県道を走り伊西トンネルを抜けると山之村に着く。
 荒涼とした風景の中を走る。それでも春は来ており、2/9には雪道走行だったが今は路上の雪はない。山はいわゆる斑雪山(はだれやま)になった。戦前のベストセラーの中河与一の小説『天の夕顔』の駅に着く。ここは天蓋山の登山口だが桑崎山や明日登る大鼠山の拠点にもなる。Pにも雪はほとんどない。軒先でビバークさせてもらう。少しばかりの酒とうどんすき焼きで体を温める。
 3/22の朝4時起き。食事、片づけて出発は6時20分になった。2/9はここからシールを張って歩いたが今日は車で1km先のスノーモービル置き場まで走り、出発。しかし、雪は林の中だけは残り、山之村牧場が見えるところでは路面の雪は解けたのでスキー板をかついで歩く。ここで7時25分経過。再び路面の雪ではスキーを履くが登山道になる林道の先でまた解けている。板を外して、また履いてを2回繰り返し、標高1300m付近からしっかり残雪の林道歩きになった。
 以前撤退した1502m地点は楽々通過出来、大鼠山の登山道のある地点まで一気に歩いた。ここに深洞湿原の道標を見た。地元の人の話では中々に良いところらしい。先行者のスキー跡があるのでそれを追うように登る。林道を離れると針葉樹、ブナ、ダケカンバ、ササ、低灌木の茂る混交林になる。登山道は雪に埋もれているが、ゆるやかな地形をたどると30分もかからず、1590mの最高点に着いた。11時2分。
 展望は北東に見えるがあいにくの曇天で山岳同定はできない。北ノ俣岳辺りが見えるとは思うが・・・。山名板があるのでここが終点かと思ったら実は三角点1584.5mはもう一つ隣のこぶだったのでまた腰をあげて歩いた。着いたものの三角点はまだ雪の下。いくらも滞在することもなく下山した。破線の登山道は1590mを迂回しているが実際には幹に赤ペンキでルートを示してある。三角点からの展望は北東だけで周囲は樹林にさえぎられる。どちらかと言えば最高点の方がよさそうだ。
 下山はわれわれが残したスキーの跡をたどるがリーダーが付けた赤布も回収する。林道に着いたがシールを外すのは1502m地点にした。途中にギャップがあるからだ。シールをはがして、滑走面の糊を溶剤で掃除してワックスを塗る。先回はこれをしなかったから滑走面に雪が付いて難儀した。滑らないスキー板は危険でさえある。それで今回は気持ちよく走ってくれた。登りは時速2km以下、下りは時速10km以上だから早い早い。あっという間に車道に出た。車道もところどころスキー板を付けたり外したりで忙しかったが楽しくリベンジ登山を終えた。
 今回の収穫は林道歩きが多かったが、1400m以上では残された山毛欅の大木に目を奪われたことだ。加えて山頂までシールを付けたまま登山できたこと。
 山頂周辺の山毛欅、針葉樹、ダケカンバなどの混交林も特筆される。日本海側の山では山毛欅の純林が多かったから意外な発見である。今回は登山に夢中で留意はしなかったが、点名は「大鼠、おおねず」からの想像であるが、ネズコ(黒部、黒檜、ネズコは幹が鼠色に由来)の大木の群生地だったのか。𣜌(木へんに鼠)とも書く。
 また今年の干支の鼠に因んだ山名の山に登れてやっと正月が祝えるねと笑った。帰路は飛騨市古川の桃源郷温泉「すぱーふる」に入湯。良い湯でした。

大鼠山は登頂ならず2020年02月09日

 朝5時に起きて湯を沸かす。昨日神岡町のバローで買ったアルミ鍋の白菜と豚肉入りうどんを食べる。お茶を飲んだりしているとすぐ時間がたつ。てきぱきとやって出発できたのは7時10分ごろか。
 クルマの天井には約30センチの積雪がある。道路もそれだけ降ったであろう。シールを付けて車道を歩く。実は入り口を行き過ぎて桑崎山の方へ行ってしまい戻る。林道奥深く歩いたところで空腹を覚えたので行動食を食べる。そこへなんと山スキーのグループがやってきた。男女3人から4人であるが1人は下山した。
 しばらくラッセルで先行していたが交代すると申し入れがありありがたく合同で林道のラッセルをした。助かったなあ。聞けば神岡町在住のバックカントリーの愛好者グループだった。この山域にも精通しているので様々な情報もいただいた。
 結局この思いがけない降雪で林道のラッセルは1502m地点で深さ50センチにもなり前途を諦めることになった。それでもここまで来れたのは貴方たちのお陰だ、と双方がたたえて別れた。我々はもう少しとラッセルしたものの下ってゆくのでやはり下山することにした。1502m地点はブナの原生林が林立しており芽吹きから青葉の頃も楽しいだろう。
 シールをはがす。林道のラッセル跡は中々滑らない。それでもなんとか車道に出て高原の駅まで下山した。
 帰路は流葉温泉に入湯して帰名する。体が冷えているせいもあってか、やや熱めのアルカリ性単純泉のいお湯だった。

厳冬の神岡町山之村へ2020年02月08日

 午後3時30分に名古屋市を出発。一宮ICから清見ICへ。奥飛騨の冬は久々に訪れる。古川町から神岡町へR41を走っても雪は見ない。今年は本当に雪が降らない。途中流葉スキー場を通過、ここも山頂部だけが営業中とかいう。神岡町に着いてバローの店で夕食や行動食などを購入する。ここは午後9時閉店と思っていたが最近は7時になった。30分ほどの時間でパッパッと買い物を済ませる。次は道の駅で冬山の服装に着替えた。コンビニではおにぎりを調達。これで神岡町の街から県道484に入り伊西トンネルまでの羊腸の山岳路を登る。上部では圧雪路になった。
 トンネルを抜けると標高900m以上の高原の山之村に着いた。家もほとんどない。一面真っ白な雪道を疾駆する。そして高原の駅「天の夕顔」に着いた。かつて天蓋山や桑崎山に登りに来た登山口である。
 ロードクリアランスが170センチの愛車もギリギリのラッセルに耐えて到着だ。今時はだれもいない。この一角でテントを設営だ。雪は一晩中降り続いた。

オーバーズボンを探す2020年02月06日

 今日は一日中風が強かった。良く晴れて猿投山も良く見えた。多分山も冬日和になったことだろう。朝方は読書三昧、山と俳句の原稿の構想を練る。遅めの朝食兼中食を食べる。
 午後は喫茶店に寄り買い物に行く。新聞の広告に葉酸の本が紹介されていた。ブロッコリーやホウレンソウなどに含まれる栄養価の高い野菜類を買う。後、牛肉、牡蠣、生和布が豊富にあった。和布は塩蔵でもしないと冷蔵でもすぐ腐敗するので小分けして冷凍した。しまったにんにくを買い忘れた。
 12月と1月は新聞の購読を休んでいた。年末年始は長期旅行もある。新聞の速報性はネットで十分である。今や旧聞になった。それでも昨年来の古新聞と2月から再開した新聞購読が溜まり始めたので整理整頓する。
 週末の山スキーの服装や道具の準備、さらに雪中での車中泊に備えて車内を整理した。ごちゃごちゃと物置代わりにしてあるから登山口に着いてすぐ眠れるように不要なものを出した。
 ディーゼルエンジン車の対策として、灯油を10ℓほど石油缶に移す。名古屋の灯油は凍結するので現地で軽油に灯油を混合しておくと凍結を防止できる。
 不用品を出した後は、シュラフ、シュラフカバー、象足、山スキー板、シール、ストック、ワカン、ピッケル、雪用スコップ、アイゼン等を収納した。服装は赤のオーバーヤッケ、羽毛服、羽毛ズボンを収納するがオーバーズボンがない。
 押入れや段ボール箱を探してもない。車内にもなかった。昨年3月でスキー仕舞いした際にどこかへ忘れたか。否、そんなことはあるまいと、ワイシャツ類を仮に掛けてある鴨居を探すとあった。今時は薄手のワイシャツ類は着ないから埋もれていた。やれやれだ。これで山スキーの準備は済んだ。天気を祈る。

乗鞍岳の雪崩事故2020年02月05日

乗鞍岳・地形図(国土地理院)
 2/1に起きた乗鞍岳の雪崩事故の報告がアップされた。

乗鞍岳で雪崩 1人死亡 スノボ中に巻き込まれる
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200202/KT200201FTI090010000.php

【調査速報】200201乗鞍岳・雪崩事故
https://www.nadare.jp/announces/6
●補記●
「降雨によって雪面が凍り、その上の新雪が滑るようにして雪崩れる」という表現はよくある間違いです。今回の雪崩は、再結晶化した雪(※)が歩く刺激で破壊され、発生しました。また、雪崩のすべり面は1月7日~8日にかけてのまとまった降雨あるいはその後の降雨によるものと推定しており、雪崩の原因となった弱層は、一定期間、積雪内に潜んでいたことになります。(※水蒸気が積雪内の温度差によって移動することで、雪粒子に霜が付き、雪粒子同士の結合力が低下)

再結晶化した雪の不安定性は、最初の刺激(今回は滑落)では雪崩を起こさず、複数人が滑走した後、その斜面全体が崩落する、といった事例が多々あります。積雪テストの結果もバラつくことが多く、雪崩対策の現場で働く実務者にとっても、取り扱いが厄介な雪崩です。

注:降雨について地元ガイドより指摘あり、一部表現を修正しました(2/4)
・・・乗鞍岳は若いころから通ってきた。これまでに雪崩で遭難した話は聞いたことがなかった。今年は雪が少なく、高山でも雨が降るような異常気象である。再結晶化という事象が報告されて新たな知識が提供された。元々スキーは雪を切るし、ボーダーはより深く強く切る傾向がある。原因は不明だが、降雪直後の不安定な雪であることには違いない。これはもう不運としか言いようがない。