五竜捜索隊の解散式2015年08月27日

 8/26、夜、支部ルームに大勢の若い人たちが集まった。去る4/11に結成された五竜捜索隊の解散式ということである。若い会員等の無償の働きがあった。その中に老齢のわが身もある。雪の尾根や谷を縦横に探し回る体力はないが多年の経験から何とか埋没地点を予測することができた。
 4月、5月GWと行ったが見つからなかった。6月半ばに残雪の谷の中で3人は遺体で発見されたのである。これは早大山岳部OBの連中で意地に掛けても探し出した。その執念が実った。大町警察署も驚くほどスピーディな発見らしかった。先年の御池岳も長期に亘ったが執念で探し出した。遺体の発する電波のようなものが強いのだろうか。
 7月には遺族のお別れ会が催されて私も出席した。大半は勤務先の東京海上火災の社員だった。しめやかではなく、賑やかに行われた。
 そして、8月になり、捜索隊の解散式になり、けじめをつけた。支部長Oさんも出席。今後の遭難対策についても話し合った。愛知岳連の遭難対策口の話もしておいた。鈴鹿の遭難者の60%以上は愛知県民であり、増加傾向にあるからだ。
 解散式の後は、近くの飲食店でミニ宴会になった。久々の顔ぶれに話も弾んで酒量がオーバーしてしまった。地下鉄に乗ったところまでは覚えているが、気が付いたら米野木駅だった。すでに12時を回っている。電車までオーバーしてしまった。終電だったのでやむなくタクシーで帰宅した。名鉄運賃260円とタクシー代3700円余りを払った。宴会での飲み代は某筋の配慮で無料だったが、トンだところで支出してしまった。
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さあ!Iさんの捜索行が始まる2015年04月12日

 去る1月19日、北アルプスの五龍・遠見尾根の一角で山スキーを楽しみに来ていたIさんと仲間2人が行方不明となった。47スキー場のマイカー内に残された山スキーの資料の内、村尾根の部分が無い事から、逆にそこへ行ったのではないかと、推測されている。
 4月11日夜、ルームに集まった会員は21名、それ以外にも10名以上が協力する意思を取り付けているという。支部長Oさんの挨拶後、出席者の自己紹介、これまでの経過説明があって協議に入った。
 中心的なYさんの説明では1月の事故直後は大町署は捜索行動そのものを制限された。何しろ一晩で1m近く積雪があり、天候不順でもあった。2月、3月も有志が少数で捜索に入っているが成果はない。
 捜索行動の面で若手の中心になるT君からは家族との連絡状況の話もあった。生存可能な間は頻繁にヘリが飛ばされたが、絶望的になった後は飛ばないことに焦燥感もあるようだ。
 豪雪地帯の遭難救助の困難さが理解できないのだ。
 今、4月になって、5月半ばまでが捜索の適期になったと思われる。雪が解ければ、村尾根滑降はできなくなり、山が緑に包まれると目視が困難になる。発見されても遺体を運ぶことすらも困難になる。雪の中で凍結していると見られる今がきれいな状態で家族に対面させられる適期と思われる。
 まず、組織的にコントロールされた中でやろうということになった。二重遭難を回避するためにも無理はしないで、複数でパーティを組み行動すること、捜索に行く際は届け出る、という基本的な枠組みを確認した。メンバー表作成、交通費など捜索資金の会計管理もする事務局を立ち上げていくことにした。
 捜索ポイントとして、私がにらんでいるのは村尾根の中間地点の緩斜面の辺りだ。急斜面を滑降して、緩斜面に突入し、また、狭い尾根にルートファインディングしながら突入する。そして平川に着く。平川についても左岸林道は雪崩の巣のような箇所がある。緩斜面で右か左の沢に迷い込むとより雪崩を誘発しやすくなる。
 平川はすでに雪解けの水で濁流と化しているそうだ。スキー板、ストック、帽子、ヤッケ、ザック、手袋と証拠品の発見も大切なポイントになる。鈴鹿の御池岳の捜索では手袋1つで発見に結びついた。延べ700人以上が協力し、2月半ばから4月末までの大捜索に終止符を打った。
 まず手がかりの1つでも発見に努めるべく、5月GWも返上して、参加することにした。5月16日の総会までに報告できればいいが・・・。

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白尾山スキー登山2015年03月17日

3/14(土)、夜9時、名古屋市内で待ち合わせ。東海北陸道を北上、郡上市の白鳥町六ノ里のしらおスキー場へ。夜空には春星が瞬いている。明日は晴れそうな予感がする。Pの一角で仮眠。
3/15(日)、朝7時過ぎにはPも満杯になっている。リフト券は1500円分購入。3本乗り継いでトップ1245m地点へ。昔はここに気象観測のロボット小屋があった記憶がある。
 8時20分にシールを貼って出発。一旦は植林帯の尾根を下降。鞍部で地形図に表現されていない新しい林道に出合う。ここらは積雪2mはありそうだ。1250mの等高線の尾根はほとんど高度を稼がない。1315mの独標を過ぎるとようやく登りがきつくなる。1400mの等高線まで来て、尾根が広がり、周囲が見渡せる。細幹の密生林からブナやダケカンバの疎林になった。とはいえ、二次林のためか高く太い樹林は殆ど無い。青空に白銀の尾根、ブナと素晴らしい条件の整ったルートだが、いいところは短い。
 2/8以来、運動不足と過食で、太り気味の体に、1ヶ月半ものブランクがあると登りがきつい。にもかかわらず、体が軽くなるような気分で高揚感があって、登頂できた。比高367mの楽なルートであるが、3時間たっぷりかかった。
 まもなく、谷を隔てた尾根の登山者も登って来た。意外な尾根を、あの尾根はスキー向きの良いルートだな、といっていたが、それを実践するパーティだった。
 登頂と同時に青空も見えた。山頂からは何といっても濃飛国境に聳える鷲ヶ岳の連嶺が素晴らしい。青いカンバスに真っ白な鷲ヶ岳が素晴らしい。ガスが晴れて白山も見えた。左は別山か、いや三ノ峰か、などと怪しげな同定を楽しんだ。また、毘沙門岳と大日ヶ岳の間の桧峠のかなたには荒島岳もかすかに見えた。春霞で輪郭ははっきりしないが、展望も素晴らしい山だ。
 まもなくもう1人登って来た。3人だが最後の人はばてたらしい。滋賀県から来たと言われた。山の名前、谷の名前を出すともう登った、まだだ、とか話が弾んだ。時間が来たところで、彼等と別れた。
 一面、雪原の広がる濃飛国境の奥白尾1667mまで足を延ばそうとしたが、既に13時になったので、中白尾で引き返した。この周辺は等高線が緩く、スキー向きの地形である。めいほうスキー場の方を眺めて、あれが山中山(オサンババ)、あれは烏帽子岳、気良烏帽子と同定できた。母袋烏帽子はただのコブに過ぎない。
 山頂でシールをはがして、糊をスプレーでふき取り、ワックスを塗布した。その上で滑走を開始する。自在のスラロームをやれるのは最初だけだった。尾根が狭まり、樹間が狭くなると、藪スキーになった。多少は枝に当るのを覚悟しながら、狭い林間をストックターン(杖制動)ですり抜ける。コブのあるところではサイドステップやスキーを漕いだ。1250mのだらだらした尾根の突破は長かった。下山の目印に付けておいた赤い布切れを外しながら行く。走らない上に雪が重い。鞍部ではシールをつけたが相方はシール無しで登りきった。
 スキー場のトップからはゲレンデの滑降になるが、滑ることだけに専念すれば良いから、もう何の苦労も無い。Pに戻った。帰路は美人の湯 白鳥温泉で一風呂浴びた。
 インターへ入る間際、毘沙門岳が黒っぽい山容を見せた。長良川右岸の山はまだ冬空のようだった。右岸の左岸ではかくも気象に違いがある。

奥美濃・貝月山スキー登山2015年02月08日

 朝から雨模様だが、決行した。6時にW君宅で合流。地方道から東海大橋を経由し、揖斐川右岸道路を北進。晴れておれば小津三山が見えるが今日は金華山が見えるのみ。
 R303に入り、揖斐高原スキー場の貝月ゲレンデに左折。今年は坂内ゲレンデは閉鎖中だった。路面は濡れているが一応奥まで来ると降雪中だった。
 リフト券を1回分だけ買う。終点(標高約700m)から村界尾根を目指す。地形図の通り急斜面の連続で手こずった。傾斜の緩い尾根まで来たが、積雪が少なく、波を打っていて快適な滑走は望めない。3時間超頑張ったが、1018mの独立標高点までがやっとだった。比高300mにこんなにもかかってしまったのは体力不足もあるが、スキー向きではないことが大きい。
 山頂は指呼の距離に見えるがまだ1時間はかかるし、やはり雪庇が波打つように連続している。これならワカンかスノシューの方が早いだろう。13時、シールを剥がして下山したが、村界尾根はブッシュがひどく、登れてもストックターン(杖制動)する隙間も無いのでついにスキーを脱いだ。下手なターンよりもよほど早い。
 ゲレンデの一角へは1時間半ほどで降りてしまった。登っている間に気温が上がったせいか、雪質も悪いのでそのまま帰った。久々に汗をかいたので藤橋の湯で一風呂浴びた。体重計に乗ると77kg超ある。体の切れが悪いはずだ。75kg以下になるまで減食で減量したい。
 コンディションは最悪だったが、それでも1日、雪山で遊べたことに意義はある。

奥美濃・毘沙門岳スキー登山行2014年01月19日

 昨年秋に立ち上げたJAC東海支部のアルパインスキークラブ(ASC)の最初の山行は毘沙門岳になった。私は17日の夜9時まで仕事でどうなるか不明だった。それで参加申込みはしていなかった。通いなれた山域であり、直接集合場所へ行き、総勢11名の出発になった。
 東海北陸道を走るが雪は殆どない。トンネルを出て大和ICが近づいた辺りからようやく前方に懐かしい大日ヶ岳の連山が迎えてくれる。左から鋭鋒の鎌ヶ峰、大日ヶ岳と連なる。この風景はしばらく続く。白鳥ICを出て、白鳥の市街地を抜けるまで見えた。
 ここまで来ると田んぼは雪面になっている。長良川とR156が接近した。前谷から左折すると桧峠の九十九折の県道を登る。路面にも雪はない。しばらく降っていないのだろう。走るのは楽だが山の雪の方が心配になる。桧峠で左折する。私の脳裏には今も峠にあった民宿の記憶がある。
 かつては葡萄ヶ原と呼ばれた毘沙門岳北麓の高原は戦後、白山スキー場になり、白鳥高原スキー場に変わる。今はスノーウェーブパーク白鳥高原というらしい。こんな時間に、玄関に近いPに止められたがスキー人口も大きく減ったのだろう。
 ここからの見晴らしは素晴らしく、小白山、野伏ヶ岳、薙刀山、よも太郎、願教寺山が石徹白の村を囲むように並ぶ。更に奥の高い山は別山だろう。鄙びた山村であるが山岳景観は第一級の価値がある。ゆえに白山スキー場と命名されたのだろう。
 準備してリフト券を買う。リフト券は2枚いるが一回乗るだけで1200mの終点に着く。スキーの裏にシールを貼って出発。独立標高点1201まではだらだらした水平歩行であるが、シールをつけたまま一旦鞍部へ滑走する。ここで新人さんたちが難儀した。
 山スキーは初めてか慣れていない人が7人いる。皆さんゲレンデスキーには自信がある方ばかりだろう。高齢の女性Wさんはこの鞍部でUターンしてもらうことになった。雪の上をスキーで歩くことも難しい。前後左右のバランスが均等でなければどちらかに倒れる。ストックでバランスを補整しようとすると深い雪に抵抗無く潜る。転倒して手を付いて立とうとすると手が潜る、で悪戦苦闘になる。リーダーのYさんの付き添いでゲレンデに戻り、歩行練習から入門することになった。
 さて9人は続行した。鞍部から緩やかに登るとab1210mの県境ジャンクションピークに到達。ここからは荒島岳が見える。石徹白が福井県に属していた昭和33年までは大日ヶ岳からここまでに県境が引かれていた。併合されてからの県境は90度西へ曲がってしまった。しかし越美国境はそのままであり、それは20万の地勢図「岐阜」で知ることができる。
 以前に来たころはまだ杉が植林されたばかりで一面広々とした雪面だったが、今は数mに成長して見晴らしが悪くなった。1210mから若干下って再び鞍部に着く。ここから毘沙門岳にむかって急登が始まった。樹林は二次林のせいか狭くルートの取り方が限られる。約30分も登っただろうか。11時半でスキー登行を打ち切った。ここらから傾斜も緩み山頂も近く滑走を楽しめる部分であるが時間がかかりすぎた。
 後続者の様子を見に下ったが難儀している。休憩後、シールを外して思い思いに滑走する。薮がうるさいので山スキーではなく藪スキーといわれそうだ。
 やれやれの思いで鞍部に戻る。1210mに登りかえす。ここでゲレンデに帰る組と県境尾根を下ってかつての石徹白シャーロットに滑り込む組に分かれた。無線でYリーダーと連絡した。
 1210mのジャンクションピークから西へはしばらく緩斜面の林間滑走が楽しめた。スムーズな箇所は何しろスキーは早いからあっという間に終わる。緩やかなコブだが長そうなのでシールをつけて登りかえす。再び剥がす。そしてI君がGPSを見たり地形図を見たりするが古いピンクのテープが出てきたので後はそれを探しながらくだった。地形図の破線路は沢に下ってしまいスキー場の終点には登りかえすことになるので尾根を辿った。樹林も密度があり快適な滑走は無理だ。しかし、雪は豊富なので浅い沢に迂回したりコブを巻いたり、何とか杉の植林地帯に入れた。地形図の910mの独立標高点と思われたので休憩する。
 ここからは圧雪されていない雪原を滑走できた。石徹白シャーロットは休業中なので音楽も聞こえない。スキーヤーもボーダーもいない。かつてボーダーの不規則な滑りに警戒しながら滑ったが・・・。
 リフト終点に着いた。上級コースで適度の斜度もある。自分たちのシュプールを描きながら滑走を楽しめた。閑寂なスキー場内を3人の男が滑る。誰か撮影してくれないか。I君はクラシックなテレマークで華麗に滑走してゆく。Sさんは新しい山スキー板で飛ばす。私も追う。春の北アルプスの一角にいるような滑りでした。標高差530mのワンデイ山スキーでした。
 無線でYさんと連絡。桧峠からこちらへお迎えのクルマを依頼した。感謝。スキー場に戻り、帰宅の準備。白鳥IC近くの「美人の湯」に入湯した。「いい湯だなあ」 。山頂には立てなかったが結成して初の山行でそれぞれに反省の弁も聞かれた。意義はあった。

日本雪崩ネットワークのこと2013年11月25日

黒壁山(鳥ヶ東)への途上で。雪庇が出ているので樹林帯に沿うように登る。崩れると雪崩れる恐れがある。
 立山・真砂岳の雪崩遭難事故は7人が死亡するショッキングなことになった。すでに捜索は終了。あっけないほどスピーディに運ばれたのは第一に雪崩ビーコンが威力を発揮し、早期救出につながった。遺体はヘリで富山市内の病院に搬送されたが、死亡を確認するのみであった。雪崩の怖さは即死(主に窒息死)である。存命であっても15分以内に人工呼吸をしないと脳に障害が残るともいう。
 今回の事故は世の山スキーヤーにどんな教訓を残してくれたのであろうか。
 10/24付けの朝日新聞の記事で日本雪崩ネットワークなる団体があることを知った。
 今日届いたJACの「山」を読むと、巻頭記事にその日本雪崩ネットワークの出川あづさ理事長に、会報担当の柏澄子さんが質疑応答の形式で雪崩についてのテーマで聞いている。(柏さんも同ネットワークに所属している)一部を引用してみよう。
 
1990~2012  124件の雪崩死亡事故発生  201名死亡
年間平均5件発生 9名死亡
登山、スキーヤーが         80%
除雪、建設現場、住民の災害で  20%
スノーボーダーは10%弱

滑走系の事故が多いとはいえない

登山者の死亡者の80%が山岳会、大学山岳部、ワンゲル部などの組織登山者。スキーヤーでも組織に所属する死亡者が40%居る。

登山者の死亡者の70%が雪崩ビーコンを装着していない。

組織登山者の死亡の割合が高い原因は不明
 一度に多数の人が亡くなる傾向がある。

雪崩については。
 感覚的な把握はダメ
   判断に偏見が入る
   適切な教育訓練を受ければOK
   
 具体的な現象を直視する

雪崩れるには原因がある
 重要事項の組み合わせで起きる

雪崩に遭わないためには?
 地形を学ぶ
 地形を上手に利用する
 雪の性質を学ぶ
以上

 アメリカの数字では、雪崩に遭う人の90%がビーコンの装着者という。(出典は図書館で見た雪崩のビデオだった記憶がある)

 いやいやもっと大切なことがあると思う。そう思って、書架を探した。佐伯邦夫『実戦現代山スキー』(1978年、東京新聞出版局)という書名を探り当てたが、肝心の本が埋もれてしまった。初心者時代(私が28歳、1977年ごろ)に貪り読んで、バイブルになった。そのエッセンスがもう1冊別の『佐伯邦夫の山とスキー大全』(1995年、シーピーエー)に載っていた。佐伯先生曰く、
 P15 スキー登山
 しかし、冬山といえば剱岳や穂高をすぐに考えるのがおかしいのである。いわばこれらは、日本の冬山の最高の舞台である。しかし、日本は山国であるから、手近なところに山はいくらでもあるのだ。極端なことをいうなら富山の呉羽山も高岡の二上山も、砺波の頼成山も小矢部の稲葉山も魚津の開木山も、冬の山はみな冬山なのだ。冗談を言っているのではない。雪深い冬に自分の足でそこを歩いてみたことがあるだろうか。そこの自然がどんなに新鮮な驚きを与えてくれるか。そこを歩くことが、スポーツとしてどんなに大きい喜びを与えてくれるか経験したことがあるだろうか。そういう、夏はとても登山の対象にならなかったところが冬なればこそ登山の喜びを与えてくれるのだ。
 一般に冬山とは、一週間も二週間も雪中露営をして頑張るものだと考えられていないか。そんなことはない。先に二、三〇〇mの山ばかりをあげたが、五〇〇でも六〇〇でも七〇〇mでもよい。手近に面白い山がいくらでもある。その中から年齢に応じ、実力に応じ、ヒマに応じ、地域に応じ、目的に応じ、好みに応じ、登る山をいくらでも選べる。1日のヒマがあれば1日の冬山を楽しめるし、半日ヒマがあれば半日の冬山登山が可能なのだ。
 そしてそれは、スキーを使うことによってその行動範囲が飛躍的に増し、楽しみは倍加する。スキーといっても今日ゲレンデで使われるそれではない。山歩きをするその靴で履けて、かかとの自由に上がるものを指す。以下略。
 初期の冬山登山はスキー登山であった。その原点に立ち返り、低山におけるスキー登山を見直さなければならない。それを冬山登山の基本として考えるなら、いきなりアルプスに挑んで遭難を多発させている今日の現状はかなり救えるものと考える。(1975年、北日本新聞)
以上

 あの当時、良い指導者、メンバーを得られず、雪崩や滑落を恐れてアルプスに行けなかったし、ヒマもなかった私はこの文に随分勇気づけられた。奥美濃や飛騨の低山に通い始めたのである。私にとっての最高の登山は冬の御岳や乗鞍岳であった。そこにスキー登山のために何度も通った。低山のスキー登山で、基本を鍛えられたのである。
 奥美濃の豪雪の山に登って、雪庇とか、デブリとか、泡などの雪崩用語を覚えた。天地が分からなくなるホワイトアウトの恐さも知った。アルプスなら、そこに居ることが危険なので、とてもそんな観察の余裕はないだろう。

 こうして愚考するに、バスや電車でいきなり3000m級の冬山に登ることが以下に危険をともなうことか。そして自分の都合に合わせて登りに行く。山スキーのベテランといっても、たまたま事故に遭わなかっただけかも知れない。ネットワークの分析にもあるように雪崩れる条件が揃えばどこでも起きる。目の前の山の進退を考えるとき、山と雪を見る目が必要のようだ。

 日本雪崩ネットワークのHPは
http://nadare.jp/
の中の研修内容をみても結局、スキー場とかの低い山でやる。滋賀県、福井県境と岐阜県の県境の山に登ってみれば、それ自体が研修になりうると思う。

真砂岳の雪崩、助からなかったが、ビーコンの威力で早期の発見!2013年11月24日

 今回も皆の見ている前で起きたため目撃者がいち早く県警に通報し、現場では登山者らが協同で、生き埋めになった人を掘り起こされたようである。場所の特定にはビーコンが威力を発揮したことは言うまでもない。
 3年前の同時期にも雪崩による死亡事故があった。ここでもビーコンが早期救出に役立った。ビーコンは必携の道具になったと思う。しかし、その前に判断力を養う方が先決であろう。
 降雪直後、しかも2m以上の大雪で、快晴とあって、連休期間中でもあり、登山者は雪の山に誘われるのも無理はない。ヤバイ、という兆候は無かったものか。地元の人らはちゃんと察していた。雪崩の条件は揃っていたという。
 15分以内に救出されても、窒息していた場合、適切な処置をしないと脳に障害が残るそうだ。今回は皆即死状態だったようだ。

2010年12月02日
立山の雪崩:遭難5人死傷 「雪崩の危険どこでも」 ビーコンで居場所捜索 /富山
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立山町の立山黒部アルペンルート・大谷付近で起きた雪崩は、巻き込まれた6人のうち5人が死傷する大事故となった。古い雪の上に積もった新雪が崩れる「表層雪崩」が起きたとみられ、県警山岳警備隊の横山隆・小隊長は「雪が積もっていれば、どこでも雪崩が起きるリスクはある」と注意を促している。

上市署によると、6人は友人同士で、5人は会社の同僚。スキーとスノーボードを楽しむため室堂ターミナルの南西約500メートルの斜面を登る途中、雪崩に遭った。携帯電話で119番したのは川崎市の会社員、江草朋樹さん(31)。他に神奈川県逗子市の男性会社員(38)と横浜市の同、田中嵐洋さん(28)が雪からはい出てきた。

同署によると、けがのなかった男性会社員は「上が明るかったので自力ではい出た」と話し、その後、雪から体が半分出ていた田中さんを助け出したという。だが、通報時にはまだ3人が雪に埋もれていた。
.
いち早く救助に駆けつけたのが、ターミナルで雪崩を目撃した立山黒部貫光の職員らだった。協力して3人のうち2人を救出。午前9時50分に県警山岳警備隊が到着した時、既に約15人が現場にいたという。県警も「適切な対応をしてもらった。ありがたい」と感謝する。

6人は全員、体に巻き付けて使う「雪崩ビーコン」を持参していた。安価なものでも1台2万~3万円するが、遭難現場では雪中から発信される周波数を他のビーコンで検知し、捜索する。亡くなった武田悠さん(32)=東京都世田谷区=も山岳警備隊がビーコンで居場所を特定し、救出した。

現場の雪の状態について横山小隊長は「新雪が降り積もってすぐの晴れ間だったため、雪面は不安定で危険な日だった。滑るのには気持ちがいいが、注意が必要だ」と話す。
(毎日新聞)
以上

http://lcymeeke.blog90.fc2.com/blog-entry-1150.html
ブログ「お山へ行こう」から

死因の多くは窒息死ですが、埋没後、15分以内の生存率は 93%。
35分後には 30%!
2時間後、低体温症も併発すると、残念ながら 0% 。

発見されたのが深さ2mということですが、手足、スキーの板、その一部も雪の上に出ない状態ですから、まず、ぱっと見だけでは埋没場所を特定できません。その際、雪崩れビーコン というものがあれば、大まかながらピンポイントで場所を特定できます。
ビーコンがなければ、ゾンデ棒 という長い棒(昔なら竹竿)を雪に突き刺して感触で場所を特定します。

順番的には、雪の上に顔を出している人から救助するのが先です。
捜索・救助する側に加わってもらうためです。

というのも、深く埋まってる人を助ける際、スコップでも1m掘り進めるのに5~10分はかかり、スコップがなくて手やスキー板で、となると40分以上かかるからです。2mの深さだと、縦だけでなく、ある程度、穴の幅も拡げながら掘りますから、時間余計にかかります。ひとつの目安、45分以内に助け出すためには一人でも助けが多い方がいいからです。

立山・真砂岳で雪崩発生、山スキーヤーが7人死亡2013年11月23日

続報  WEB版NHKニュースから

富山・真砂岳の雪崩 死者7人に
11月23日 16時53分
23日午前11時ごろ、富山県の北アルプス、真砂岳で大規模な雪崩が起き、登山やスキーをしていた人が巻き込まれました。
現場からはこれまでに7人が救助されましたが全員の死亡が確認され、警察は、ほかに巻き込まれた人がいないか捜索を進めています。

23日午前11時ごろ、富山県立山町の北アルプスの真砂岳、標高2860メートルの山頂西側の斜面で大規模な雪崩が起きました。
この雪崩で、周辺で登山やスキーをしていた人が巻き込まれ、警察が捜索を進めた結果、これまでに男性4人と女性3人の合わせて7人が救助されヘリコプターで病院に運ばれましたが全員の死亡が確認されました。
警察は、ほかに巻き込まれた人がいないか捜索を進めています。
真砂岳周辺は、23日朝から晴れて、登山やスキーをしに多くの観光客が訪れていました。
標高2450メートルの登山口、室堂ではここ5日間ほど雪が降り続き、23日朝の積雪は2メートル20センチありました。
映像と詳細は以下をクリック
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131123/t10013286071000.html
以上

 雪崩に遭わない大原則は降雪中、降雪直後に行かないこと。体力や技術、経験、知識では克服できないからです。雪が落ち着いてから警戒しながら行くというもののようです。
 特に北陸はドカ雪が降ります。大都会に住む登山者にはこの恐さが中々理解できない。みんなが行くから、行ってきた人が居るから、じゃあ、行ってみる?、となります。
 全員死亡はショッキングなことですが、冬山登山ではありうることです。多分、大量の雪に埋もれて体勢を整える間もなく、窒息死したのでしょう。リーダーの判断一つです。

雪崩の動画がユーチューブに投稿されました。雷鳥沢一杯に雪煙が広がる大規模な雪崩です。
http://www.youtube.com/watch?v=OSGPmVquYqU

立山・真砂岳で雪崩、数人巻き込み2人心肺停止2013年11月23日

WEB版読売新聞から
立山・真砂岳で雪崩、数人巻き込み2人心肺停止
23日午前10時55分頃、富山県立山町芦峅寺の真砂岳西側斜面で、雪崩が発生したと登山客から110番があった。
県警によると、現場付近で7、8人が雪崩に巻き込まれたという。2人は救出されたが、心肺停止の状態。県警などが捜索を続けている。

 現場付近では複数の登山客が山スキーをしていたという。

(2013年11月23日12時57分 読売新聞)

 実は昨日、名大博物館でのナイロンザイル事件の講演会終了後、栄の登山道具店で雪崩ビーコンを物色していた。山スキーグループを立ち上げたが、安全にが、第一である。
 東北や北海道ではビーコン携帯が常識化している。友人が正月休みに八甲田スキー場へ行ったら、ビーコンの不携帯を咎められたらしい。そういう時代である。探す側の苦労と危険を思えば数万円の出費も致し方ないと覚悟を決めた。
 それにしても、新雪のパウダースノースキーは雪崩の危険が大きい。雪崩れやすい斜面で数人が固まってスキーをすれば、絶対にスキーで斜面を切断している。新雪だから剥離しやすい状況だったと思う。つまり、自分自身で雪崩の原因を作っているのである。大声を出しても雪崩れるときは雪崩れるらしい。

NHKニュース 映像付き
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131123/k10013284331000.html

 昨年の同時期の山スキーグループの記録を参照
http://miyabu.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/11/post_6880.html

 私は行ったことも行きたいとも思わないが、立山は山スキーのメッカのようだ。どちらかと言えばスケールの大きい滑降を楽しみたい山スキーヤー派だろう。私は雪山登山の道具として楽しんでいる方である。今シーズンは雪崩事故が多発する前触れだろうか。

山スキーの同好の士集う!2013年11月13日

 昨夜、山岳会ルームに山スキーの同好の士が集まった。総会員数数百名中10名余りとは少数派なんだ、と思う。それでもこれだけの人数が集まって山スキーの夢を語れたことは画期的なことだった。
 28歳以来、山スキーを続けてきたが、同好は常に1人か2人だった。関東辺りの複数のパーティーを見ると羨ましいと思ったものである。仲間に不自由しないグループに育つといいと思う。

 山スキーは冬山登山のアプローチの手段として発展してきた。映画「氷壁」を観ると上高地から徳沢へ向かう登山者がカンダハーという踵の上がる締具のスキーを履いて走ってゆくシーンがある。巧いかどうかではなく、深い雪を歩く道具であったから下手でも履かざるを得なかった時代である。

 今は、ビンディングもワイヤーからプレートに代り、ステップインも可能なゲレンデと同じ機能性の高いものになった。ブーツも登山靴からプラスティック製のものに代り、メンテナンスの楽なものに代った。ストックはトンキンポールから軽金属で伸縮可能、ウエアもラクダのシャツ、ウールのシャツ、セーターから極細化学繊維のものに変わった。この40年近い変遷を振り返ると外観ではゲレンデと何ら変わらないまでになった。
 一方で、山スキーを志向する人は、ゲレンデのオフピステ派が増えた。ゲレンデでは飽き足らないスキーヤーが冬山登山の領域に入り込んできた。このため、パウダースノー志向が強くなり、雪崩の事故も増えている。
 そして、ビーコンが必携と叫ばれるようになった。それだけではない。弱層テストも言われるし、生き埋め体験も指導科目に入ってきた。もはや冬山登山の常識を越えてしまったかも知れない。東北、北海道のスキー場ではビーコンを携帯していないと入山できないと聞いた。ビーコンは探す側の都合である。それだけ冬山登山の常識を破るスキーヤーが多いということであろう。
 下山時の目印の赤旗を立てずに登り、下山時、吹雪かれれば、一発で行方不明になるか、ビバークを余儀なくされる。スコップやザイル、コンロなどをもっておればいいが、それもないと死亡する。
 パウダースノーは尾根では風で飛ばされて、ありえないから勢い谷に入ることになる。北西の季節風の風下側には雪庇ができ、これを壊すと脆弱な雪質が雪崩を起す。降雪中、直後は入るな、というのは冬山登山では常識だが、これを守れる登山者は少ない。かくして思いがけない雪崩事故に遭遇する。
 今時の登山者は初めに道具ありき、でビーコンがあれば救助してもらえる、GPSがあれば方向がわかる、などと思うのだろう。必要なことは判断力がすべてである。実際問題、登山口まで来て、ヤバイそうだから引き返そうと、いうパーティはどれだけいるのか。
 山岳遭難は冬山が危険、気象が危険ということではなく、判断力の伴わない登山者が危険なのである。今春の白馬大雪渓の雪崩事故では、当局から危険を知らせるメッセージはなかった、と当事者は言ったらしいが、行くか、行かないか、途中で引き返すかは判断一つである。
 普段は都会に住んで便利な生活に浸っている。いきなり、大自然の中に放り込まれたら、判断力の養成なんてできっこない。そこは臆病に楽しみたいもの。命は一つしかないのだから。