北八ヶ岳のしらびそ小屋に泊る2018年12月22日

 30歳代に北八ツの西側からはよく登ったけれど、東側の登山道は真教寺尾根を登っただけで他はトレースしたことはない。それは交通の不便さが第一である。それでも八ヶ岳の地形図を眺めながら、しらびそ小屋にはいっぺんは泊って見たいと念願していた。
 あらからほぼ30年経過して、私も来年は古稀を迎える年ごろになった。登山者としての余命はそんなに長くはない。死ぬまでに1度は泊って見たい小屋になった。それは山岳会の12月の定例会でS君からの提案があったことから急に決まった。S君は八ヶ岳が大好きである。好みが一致して実現することになった。
 12/21朝7時過ぎ、集合場所の金山駅前を3人で出発。高速道路をひた走ると、長坂ICを経由してR141に合流した。そこからの見慣れない八ヶ岳連峰の主峰の赤岳は圧巻である。
 登山口のミドリ池入口に9時過ぎに到着。幸い積雪は少なく楽に走れた。昔からの登山口の稲子湯にも寄って見た。静まり返っていた。入り口に戻り、9時30分にゲートを出発。最初はカラマツ林の中の登山道と交錯する林道を登る。林相はシラビソに変わり源流の音が近づく。やや急な道を登りきるとストーブの煙の臭いが漂うミドリ池湖畔のしらびそ小屋に着いた。2時間10分であった。
 小屋には小屋主の奥さんが1人でお留守番であった。平日の今夜のお客は我々3人だけの貸し切りである。夕食は5時半からという。さっそくクマザサ茶がふるまわれた。夕食までのヒマは美味しいコーヒーと談話で過ぎて行った。いつの間にかあてがわれた部屋には暖房が入った。寝不足もあってうとうと寝入ってしまった。夕食になり、起きて食事。奥さんの山の話が面白かった。
 また13歳離れた御主人とのなれそめの話も面白い。何と東京都出身だそうである。「親の話は聞いておくもんだ」と意味深なことをつぶやかれた。20歳代で山小屋経営者にあこがれて結婚したことを後悔しておられるんだろうか。私は「30歳代になれば、智恵がつくからね」と応じた。青春時代の一途な心は尊いもの、大切にしてほしい。
 翌朝、5時起き、外は雨に変わった。窓から見るミドリ池も若干融雪してしまい、氷も解けたであろう。今日のニュウへの登山は早々と中止に決定した。朝食は5時30分になった。それも済ますと後は奥さんと話をしてのんびり時間を過ごした。
 山口耀久の名前を出すと、即座に有名な『北八ツ彷徨』の書名が出てきたのはさすがだ。しかし、意外なことも口にされた。山口さんの筆になる看板は息子さんが取り払ったそうだ。なぜなんだろう。山口さんの文体も読みづらいと余り評価は高くない。確かに思索的な点でスイスイ楽しめる文章ではない。
 随分としらびそ小屋での滞在時間を楽しんだ。下山したくなかったが、9時を回るとそうも行っておれず下山した。そうしたら入れ代りに続々登って来た。ミドリ池入口のPに戻って身支度を整えた。帰路は八峰の湯(ヤッホーの湯)を浴びてさっぱりする。ついでに昼食もとった。副食に名物の鯉の旨煮を付けて郷土の味を楽しんだ。
 R141に出て、途中で野辺山駅に寄った。ここからの八ヶ岳連峰の大観も素晴らしい。清里で八ヶ岳高原ライン(県道11)に入り、長坂インターを目指す。県道28に左折してすぐに八ヶ岳倶楽部の看板を見て立ち寄る。有名な柳生博さんの経営するレストランであるが、野鳥が集まる雑木林の散策が最大のウリになっている。四季の自然観察も良い。標高1360Mというから伊吹山のお花畑付近に相当する。以前は句会の人らを案内して喜ばれた。
 ここでコーヒーを注文。すると近くにどこかで見た白髪の老紳士が立って何か説明中だった。若いスタッフに聞くと柳生博さん本人だった。すぐに去られてしまった。本職はイケメンの俳優であるが、最近は日本野鳥の会会長としてのイメージが濃厚である。店を去るときに外のテラスでワインをたしなんでおられたので声を掛けてみたら気楽に応接してくれた。もっぱら山の話に弾んだ。
 去り難い八ヶ岳山麓の道草を断ち切って、又ドライブ。目の前に南アルプスの大観が。高速へ入ってからも八ヶ岳が見送ってくれた。

 奥さんが山口さんの著作に不機嫌だった理由。それは帰宅後に分かった。『八ヶ岳挽歌』を取り出し「しらびそ小屋」を読むと、今日的には個人情報がしっかり暴露されていた。現在のオーナーは今井行雄さんだが、初代小屋主は兄の今井治夫といった。小屋の建設から結婚、人生の破たんまでの顛末が赤裸々に書かれていた。
 「しらびそ小屋」の名付け親は山口耀久であったが身内の恥を書籍で公然と書かれては良い気はしない。2001年の刊行時に1度は読んだがオーナーの関係者と接するとその生々しさは普通ではない。山口耀久は八ヶ岳の開発とともに忘れられてゆくのだろう。

コメント

_ 西澤實 ― 2019年11月05日 12時45分17秒

富士山には、しらびその常連、中村賢と一年先輩の佐藤さんと三人で登ったことがあります。そのころは、五合目は何軒かの茶店と土産物屋で、今のようなデパート紛いではありません。此処からのぼり最後はへたり、須走口に降りてきましたが、私の富士山好きも止まりません。富士山は五合目までがさらに良い。市毛よしえさんも絶賛していました。この間行った、新五合目とは、須走口のことでした。小屋のオヤジが、小屋をしめる日だったので、そこから雪の中を案内してもらいました。幸運というか、富士山の神様が、祝福してくれたのかもしれません。あの忌々しいカミク一色村も昇ってきました。それ以外にも、いたるところのトレッキングを試みいています。

_ 小屋番 ― 2019年11月06日 11時03分19秒

本記事は八ヶ岳のしらびそ小屋ですが、富士山にもしらびそ小屋があったとは知りませんでした。

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