薩摩の山と風雪流れ旅2015年01月18日

清見岳の山懐の新永吉という山里に咲く石蕗の花
 12/29の夜、名古屋を発って12/30昼、鹿児島県に着く。 

風狂の薩摩の山へ晦日にて

 12/30 清見岳

池田湖の彼方開聞岳眠る

みんなみの薩摩半島冬霞

青々と薩摩の山の冬木立

冬の日を浴びて嬉しき山の村

人影の無き山村や石蕗の花

小家建つ山懐に石蕗の花

 12/31 御岳と甫与志岳

冬空に高隈山の双耳峰

冬空に噴煙高く桜島

大枯野湾曲鳴之尾牧場

擂鉢のやうなる冬の牧場

高隈山(たかくま)の冬でも青き尾根を行く

塔の上の手水鉢に氷張る

大晦日高隈山に登頂す

 甫与志岳

登頂と同時に霰降りにけり

雪雲が押しよせて来ぬ甫与志岳

 1/1 権現ノ尾と野間岳

薩摩なる権現ノ尾に雪しまき

枯芝に埋まる一等三角点

帽子飛ぶほどの風雪吹きまくる

 野間岳

野間岳にいよよますます雪降れり

初詣岬の山の寂しさよ

 知覧特攻平和会館

隊員の涙か冬の雨降れり(知覧護国神社)

館内を暖める記事や赤崎氏(南九州市出身)

 1/2 帰名

冬ぬくき都城を訪ねおり

南九州一等三角点の山旅④ 都城市の旧友を訪ねる2015年01月03日

鹿児島市から高千穂峰を眺める。都城市は右。
 鹿児島県の1等三角点を訪ねる山旅は結局薩摩半島から3座、大隅半島から2座という成果を得た。天気は今一だったが全国的に荒れたので仕方ない。映画「ローマの休日」のアン王女ではないが、それぞれに良いところがあって一概に甲乙は付けがたい。でもやっぱり高隈山が良かったと思う。以前から登りたいと思っていた山は唯一高隈山だった。

 さて、2日の朝も朝食バイキングを楽しんだ。荷物を片付けて車に運びこむともう帰名するだけである。その前に以前から訪ねたい人がいた。宮崎県都城市に住む人だ。もう40年来会っていないエスペランチストのTさんだった。といっても今も現役か分からない。深い交流はなかったが不思議と忘れがたい人であった。
 20歳前後の頃、指導者のMさんを中心に交流があった。私は豊橋市に行き、その後名古屋に転居。Tさんは親の面倒を見るということで帰郷された。以来音信は不通だったが、昨年、2009年のMさんの死後、文集を出版することになりTさんがワープロ作成を手伝った関係で久々に名前を聞いた。
 帰名する前に都城市へ迂回するようにR10を走った。右には終始冠雪した桜島が見える。手前まで来たところで電話すると驚かれた。声を交わすだけでも良かったのだが、自宅に招かれた。
 都城市は盆地で高い建物がないのですっきりした街である。青空に高千穂峰があの独特の姿で迎えてくれた。他県が曇りでもここは晴れているらしい。霧島連山が雪雲を遮っているのだろうか。
 Tさんの家は飲食店を経営している。丁度お孫さんたちが参集して賑やかだった。頭髪が少し白くなった他は印象は変わっていない。それはお互い様である。
 長期間のブランクにもかかわらず話が弾んだ。ちょっと顔見世の積りが昼食もいただき、午後2時を回ってしまった。話の種はいくらでも出てくるのでそこを遮って名古屋での再会を約して別れた。
 R10に戻り、宮崎自動車道に入った。高千穂峰が素晴らしい。九州道に入っても車は順調に走れたが北へ近づくほどに渋滞に悩んだ。特に古賀SA付近は緩やかな上り坂で、しかもSAに入る車が行列をしている。すっかり夜になってしまった。植木IC辺りでは明るかったが北部は次々、長崎や大分からの支線から本線への車が集まってくるから尚更だ。本州へ渡るとさすがに渋滞はなかったが路面の凍結があって全体に速度制限を余儀なくされた。姫路辺りから夜が明けて京都のSAで朝食にした。新名神、東名阪、伊勢湾岸道を走り抜けて自宅に着いたのが、1/3の11時近くになった。荷を片付けてとりあえず、洗車と給油に向かった。ボディは塩で白っぽいからすぐに洗っておきたかった。走った距離は2600kmを越えた。片道では1100km位である。現地で500km位は走り回ったことになる。こうして南九州のピークハントは終わった。

南九州一等三角点の山旅③ 権現ヶ尾と野間岳2015年01月01日

2015年1月1日最初の1等三角点が座す欧州の城塞のような権現ヶ尾
 今日は元旦だ。全国各地の神社仏閣は初詣で賑わっていることだろう。1等三角点教の信徒としてはまず権現ヶ尾484.5mを目指した。ホテルの美味しい朝食バイキングも2回目で要領を覚えた。正月らしく料理も揃っている。洋風雑煮もあった。コーヒーも飲みたいだけ飲める。
       権現ヶ尾へ
 ホテルを出てR225から県道20号に入る。途中の錦江高原ホテルへ左折。再び左折してそこを目指す。雪が降っているので合羽を着た。ホテルのフロントに風の丘への通行許可をもらいに行く。所定のカードを預かった。徒歩10分くらいらしいがありがたく車で楽させてもらった。風の丘らしく風車が1基据えつけてある。かなりの強さの風雪混じりで帽子が飛ばされた。少しよろけながらヨーロッパのお城のような建物の階段を上がる。建物の山頂にちゃんと1等三角点が埋まっていたのには感心した。2015年の最初の三角点であるがこの風と雪では長居は出来ない。早々に下った。雪は少し積もりそうなくらい降ってきた。急いで下りフロントにカードを返却した。ホテルからは鹿児島湾、桜島などの夜景が楽しめそうだ。ゴルフ場であるが泊まるたけに来ても良い。
 ホテルを出ると次は野間岳を目指した。県道20号からR270、R226と走る。野間岳は野間岬からそそり立つような絶壁の上に聳える山で南さつま市辺りから遠望すると開聞岳をスケールダウンした山容に見える。最初はあれっ、開聞岳が見えるのかな、と思った。
       野間岳へ
 アクセスはいくつもあるが地図で見当をつけて笠松から入った。峠を越すと立派な山容の野間岳が現れて車を止めて眺め、写真も撮った。少し先まで下ると黒瀬と祓川を結ぶ県道に出て、野間岳への道標まで現れてあとは椎木からスムーズに登山口まで来れた。野間岳の登山口は野間神社である。今日は元旦とあって清められた境内には淑気があった。登山靴に履き替えて野間岳まで0.7kmの道標に導かれて神社への石段を登る。宮司さんは1人で頑張って居られた。高い杉の方に道標があり、そこから遊歩道が続いていた。最初はセメントで固められていたが、泥んこの道に変わった。登山道は全体に照葉樹林の下で何も見えないが、途中には東シナ海を眺めるポイントが2ヶ所あった。低い割には高度感がある。登るほどに急登になり岩を攀じる。鉄の鎖もあって急峻な登山道を安全に登れるように配慮されていた。
 山頂に着くとまた雪が降ってきた。こんな南西の山で雪だなんて。実は北西の季節風の影響をまともに受けるからで、今日でも宮崎県の方は晴れているのである。薩摩半島の東端の1等三角点に登ったことになる。
 海は俯瞰できたが、360度の展望は天気のせいで駄目だった。粘ってもだめと諦めてくだった。神社に下ると誰も居なくなっていた。正月というのに淋しい。社務所に寄った。名古屋から来ました、と告げると、僕も名古屋に居た、というではないか。よく聞くと伊勢の皇學館大学のOBだった。皇學館大の博物館こも行ったことがある、とか、神宮といえばそれは伊勢神宮のこと、とか、日本三大遊郭だった古市の話もして少し話がシンクロしてきた。懐かしそうにされた。次は下山岳ですが、この雨では中止して、知覧特攻平和会館にと告げて去った。ここが初詣になった。
 登山口のPまで来ると女性の登山者2人とすれ違った。登りに来る人も居たのだ。
     知覧特攻平和会館へ
 椎木まで下って黒瀬から野間半島を一周した。国道からも野間岳の岩壁が良く見えた。半島の先端には九州電力の風車があった。行ってみたが遊べるような施設はなかった。R226から県道、R225、また県道を走り南九州市の知覧特攻平和会館を目指した。
 小高い丘にあった。また雪が舞うので傘をさした。知覧の護国神社に参拝後、平和会館に入館。すると目に飛び込んできたのはノーベル賞受賞の赤崎先生の新聞記事だった。へー、ここが出身地だったのか。名古屋では鹿児島県出身というくらいの紹介であるから気がつかなかった。先生は継続は力なり、を実践。その哲学の背景には若くして国のために命を犠牲にした同胞への無念の思いがあったのか。研究成果を挙げるまでの道のりは臥薪嘗胆の言葉が似合う。
 入館して一回りする。400名以上の特攻隊員の遺書と写真がある。中には当時日本国だった朝鮮人の名前もあった。朝鮮の人らも日本人として戦ったのである。敗戦後は戦勝国を気取り、狼藉を働いた人と同じとは思えない。それにしてもこれだけあると涙がこぼれそうになる。
 「ホタル」という映画にもなったようだ。私をここへ連れてきたのは映画「永遠のゼロ」だった。沖縄を米軍に奪取されまいと最後の手段として特攻が考えられたらしい。当時としてはこれしかなかったのだろう。
 W・ウェストンの『日本アルプス 登山と探検』(英文)の冒頭にこう書いてある。「今日の日本において、世界はまのあたりに、国民的な威信をなおそこなわないで保ちながら西洋文明に同化適応する力を発揮している東方一国民の、類い稀な例証を見ることが出来る。その上、この注目すべき民族が、現在では予測できないほど将来豊かに発展することは、ほとんど疑問がない。この民族は、国民的な威信の向上のためには、恐らくどんな自己犠牲も払えるのである」 ウォルター・ウェストン(1861-1940)『『日本アルプス 登山と探検』(英文)を著す。明治29年の発刊である。
 この英人宣教師にして登山家は「おそらくどんな自己犠牲でも払える」と看破している。特攻の精神を見るとまさにその通りであった。鬼畜米英は日本民族の性格を知り抜いた上で石油禁輸で挑発し、戦争に引きずり込んだのであろう。調子に乗って戦線を広げすぎたこともあるが、「どんな自己犠牲でも払う」という性格はわが民族独自の性格なのであろう。だから畏怖され、孤立することもあるのだ。
 ますます降雪強まった知覧を後にした。ホテルへは県道23号を辿った。R225からは桜島が冠雪していた。美しい。

 一等の徒に風雪のお元日     拙作
 日本の南の果や初詣        拙作
 シナ海の怒涛寄せ来る冬の海  拙作

南九州一等三角点の山旅② 高隈山(御岳)と甫与志岳2014年12月31日

鴨池港から垂水港に向かう途中から眺めた桜島
 昨晩からの天気予報では午後から雨模様と思わしくない。予定は高隈山だった。他の候補も考えて見た。朝食は6時半からと聞いた。早起きする積りが実際には1時間も遅くなった。食事を済ますと7時半になっている。しかし、レストランの大きな窓から眺めた桜島とその右奥の双耳峰は素晴らしい。高隈山地の一角らしい。はやり予定通り行くべき、と思い直した。現地に行く交通時間をフロントに相談すると意外なアクセス方法を教えてくれた。垂水港からフェリーで行くという方法だった。それだと対岸まで40分の時間で行けた。時刻表を見ると8時15分なら間に合う。車をホテルから200mほど移動して並ぶ。ここのフェリーは観光よりも生活の足になっているようだ。港から離れると桜島が近づき、鴨池港は小さくなる。泊まっているレンブラントホテルは海上から見ると立派なホテルに見える。双耳峰はどんどん近づく。
        鳴之尾牧場へ
 フェリーを降りてから2150円の料金を払う。垂水からはR220を走る。登山口の鳴之尾牧場を目指した。バイパスに入り、高原台地の鶴羽を左折。農道を走って花里町を抜け、NHKの電波塔への道標のある道路に交差点を左折。それからもつづら折れの山道を走った。鳴之尾牧場への道を分けてからは山の稜線に近いかなり高度感のある山岳路で少々恐かった。前方に電波塔の建つ山が見えた。登山口には1台、しばらくすると浜松NOが1台来た。登山口の標高は750mほど。1等三角点の御岳は1181.7m。比高430m登ることになる。約1時間半。
        御岳の1等三角点へ
 丁度10時に出発。全山照葉樹林に覆われた西南日本を象徴するような山の植生である。NHKの電波塔はすぐに着いた。登ってみると石の手水鉢には薄氷が張っていた。降りて、若干下って登りかえす。急登が続く。すると意外にも水場があるので寄った。冬でも少しは湧いている。小石を敷き詰めて水の溜まり場を作ってみた。出発しようとすると浜松の人が着いた。一緒に歩くことになったが彼は軽く登って行く。いつかはなれてしまった。T字の分岐でまた下山の2人連れに会った。分岐は左折。やや緩くなった尾根路を登った。一休みしたいのをこらえながら登ると登頂だ。11時10分だった。先行者が座っていた。彼以外は誰も居ない。素晴らしい展望である。そして、大箆柄岳(おおのがらだけ)をはるかに眺めて御岳だけにした。ここから往復4時間はかかるだろう。すると登山口まで50分として、17時に近くなってしまう。南国だからといって日照時間が延びるわけではない。日没につかまらないようにするには断念することだ。それに早くも空は怪しくなってきた。11時20分、踵を返すように下った。
         甫与志岳1等三角点へ
 まだ12時だ。このままホテルに帰るには早過ぎる。やはり1等三角点の甫与志岳を目指すことにした。南なら少しは天気も良いだろう。ナビがないので道路地図と首っ引きで走った。国道から県道、町から町へ、農村の中を走った。高山川に沿う県道を走ると高山キャンプ場があり、左に登山口の道標はあったが、林道にチェーンがかかって閉鎖。更に登って肝属山地を貫通する二股隧道を潜る。すると久保田川水系姫門川に沿う林道に左折。峠を越えると登山口があった。ここにも先行の福山NOの車があった。好き者は居るものだ。既に2時半。すぐに支度して出発だ。杉の植林地をしばらくで照葉樹林帯の尾根になる。急登が続く。828mを過ぎて下山者に会う。車の人だろう。何も言葉を交わさず、すれ違う。
   唯一人冬山を下りて来る人に会ふ 山口誓子
   冬山に会ひて別れて身を明かさず 山口誓子
 いずれもロープウェイが無かった時代の御在所岳登山の句である。誓子の句には詩がない。即物的である。しかし、孤独になってみるとその句境が良く分かる。気のあった大勢の仲間と登る幸せの中では生まれない句である。御岳で会った人も話しかけても寡黙であった。15時間かけて名古屋から来たんですよ、というと自分は3ヶ月も山から山を歩いているとの話に絶句した。人嫌いだから山に来るのか、孤独を味わいに来るのか、色んな人がいる。
 登山口では凄い風が強かったが、上に上がるともっと強まった。山頂へは60分ほどだったろうか。ついに雪雲につかまったようで、霰混じりの霙が降ってきた。合羽を着た。山頂滞在は5分もかからず下山となった。大箆柄岳を目指していたら既に降られていただろう。下山は早い。元来た道を戻った。山間部の高山川の県道では雨に降られた。肝付町の農村地帯では止んだ。どんな由来があるのだろう。珍しい地名ですね。鹿屋市まで来て給油した。9.5km/㍑だった。3000CCのディーゼルにしてはまあまあの燃費。ついでにオートバックスでスオイル交換も頼んだら何と4500円という。名古屋市の2倍以上とあってキャンセルした。店員も驚いていた。仕入量による地域差があるようだ。
 垂水港まで戻った。すると強風と雨になった。既に暗くなった。また40分船に揺られて鴨池港に行く。着いてすぐに外食に行き夕食を済ます。何とか波乱のあった大晦日の登山が終わった。
 あるサイトにはこうある。
「高隈山に「高隈山」というピークはない。最高峰は大篦柄岳なのだが、これに登っただけで高隅山に登ったということにはならないようだ。この山は古くからの修験道の山で、その「岳参り」というのは白山から横岳・平岳・妻岳・御岳・小篦柄岳・大篦柄岳の七岳を巡ることなのだ。私はこの七岳すべてに登ろうと思っている。」白山ははっさん、と呼ぶらしい。すると、最高峰を逃したからまた来ることになるだろう。今度は6座を縦走するのもいいなあ。ともあれ、御岳の点名は高隈山なので満足したい。

南九州一等三角点の山旅① 清見岳2014年12月30日

清見岳から池田湖を前に聳える開聞岳を眺める
12月29日午後7時半ごろ、ようやく旅立つ。丸の内の事務所に寄り道して雑用を済ませ、R19から熱田区を経由して伊勢湾岸道東海ICを目指す。高速道路に入れば後は外に出ることもなく鹿児島ICにつながっている。ところが、又も吹田JCTで中国道へ入り損ねて阪神高速へ入った。そのまま直進して、一旦高速料金を精算した。一般道を姫路まで走り播但連絡道から山陽道へ入ることができた。SAで聞くと良く間違えて問われますとのこと。いよいよナビを取り付ける必要がありそうだ。あれっ、と思っても高速で走り抜けねばならない。否応無く走らされるから正確な地理勘が要るのだ。今回も5000円以上と11000円以上で合算すると2000円以上余計に払った。
 さて、気を取り直して山陽道をひた走った。深夜を過ぎても全然眠い気がしないのは興奮しているからか。仮眠する気になったのは午前4時を過ぎてからだった。そこで約2時間仮眠し、起きると6時を回っている。まだ九州ではない。以前に山口県の山までは登山で来たからいよいよ新天地に入る。関門海峡を渡った。
        九州に渡る
 九州の山は30歳代に友人と2人で7泊8日で1日1山を登ったことがある。最後の開門岳で終了し、鹿児島中央駅から夜行で帰名した。それ以来である。
 SAで休憩と給油をする。北九州から鹿児島まではまだ350km以上ある。約4時間はかかる。年末とあって交通量はかなり多い。のんびりと九州路を走る。熊本県は沖積平野が多く見晴らしが良い。八代IC辺りから山間部を貫通するようになりトンネルが連続する。長い加久藤トンネルを抜けて、ようやく広々とした宮崎県のえびのJCTに着いたと思ったらすぐに山間部に入る。宮崎県をかすめるように鹿児島県に入った。それからも山間部は続いたが、鹿児島県の地図を眺めると広い平野は殆どないことに気づいた。午前11時、15時間かかって鹿児島ICを出てすぐまた有料道路を走らされたがR225へ導かれた。
        清見岳に登る
 まだ明るいし、天気も良い。暖かいので霞んでいるが1座はやれる。今日の目的の山は清見岳と決めた。指宿温泉を目指して走り、池田湖の案内で右折。池田湖が見えると地図に照らし合わせると見当がついた。
 清見岳はイッシーで知られる池田湖を囲む山の一つで402mの高さがある。登山口を見つけるのに右往左往したが、湖畔道路を走ると清見岳の道標を見て左折。284mの標高点の蕗の畑の前に車を置く。標はないので地形図から判断して古い林道を歩いて行く。すると小さな道標があり、尾根に木の根で作った階段を登る。尾根筋を辿ると山頂だった。車のデポ地から18分だった。
 ここからの開聞岳の眺めは絶品であった。前景に池田湖、背後に富士形の開聞岳の組み合わせは絵になる。開聞岳はどこから眺めても良い山だが清見岳からの眺めは素晴らしい。感動を分け合う仲間も居ないから独り占めするのが申し訳ない。
 景色を堪能した後は足元に注意しながら下った。低山とはいえ、山懐にある新永吉という山村には切立った断崖絶壁になっている。全山照葉樹林の冬でも緑の山は見通しが悪い。
        指宿温泉へドライブ
 無事に車まで戻れた。薩摩半島最南端の1等三角点踏査は終わった。このままホテルに行くには少し時間があるので有名な指宿温泉にドライブした。指宿と書いて「いぶすき」と読むのは松本清張の小説「拐帯行」に出てくるからだ。実際に行くともっと淋しい、鄙びた温泉街かと思っていたらかなりの規模の繁盛している様子なので引き返した。清張文学には暗さと淋しさが必要である。
 R226は右に波穏やかな鹿児島湾を眺める良い観光道路である。市街地に着くころはもう暗くなってしまった。ホテルへの道は鴨池港フェリー乗り場を目指す。簡単に辿れた。目前に見る建物は立派で山やさんの貧乏旅行には似合わない気がするが、検索では一番安い素泊まり4000円だった。中央駅に近いともっと高くなる。街の散策の予定はないのでこのホテルは当りだった。