映画「出来心」鑑賞2007年12月03日

1933年制作の無声映画。松竹蒲田作品。昭和8年度 キネマ旬報ベストテン第1位 小津安二郎30歳のときの作品。
監督 小津安二郎、出演=坂本武、大日方傳、飯田蝶子・伏見信子、突貫小僧など。
 素晴らしいサイレント作品に弁士歴35周年という活動弁士・澤登翠の台詞が入って大変面白かった。10月にも溝口映画「滝の白糸」を初めて観たが今回は小津作品ということであり期待以上の内容であった。満足した。
 12/1-12/2の第13回オーヅ先生を偲ぶ集いは松阪市の奥飯高町のスメールで行われた。名古屋からはかなりあるので土曜日に休暇をとって出かけた。土曜日は迷岳に登山したが名古屋を7時過ぎ出発でも登山口に立ったのは11時であった。おまけに庵の谷林道を奥まで利用するつもりが鉄骨製のゲートで車幅、車高とも一杯で通過できずにそこから歩いた。林道歩きは約1時間20分、ジャンクションピーク12時過ぎ。大きなピークを一つ越えて山頂直前の柚子の木平のピークまで頑張ったが14時となり日没の早いこの時期を考えて引き返した。登山道は未整備であるがルート自体は自然林が豊富で大変良かった。新緑期、黄葉期ともいいだろう。野うさぎ、カモシカを見た。きっと野生動物も多そうだ。
 夕方5時頃スメール入り。埼玉県から来たという同宿の方ともすぐ意気投合して映画談義、小津談義の話が弾んだ。温泉を楽しみ、宴会も広島、埼玉、東京、長野各地から遠来の小津ファンが集い文字通り偲ぶ会になった。
 12/2の10時半から上映開始。滑らかな口調の弁士の語りが画面を生き生きとさせる。ホテルの宴会場なのでスクリーン自体は小さめであるがやはり小さなTVの画面で観るのとは迫力が違う。
 昭和8年という時代を反映してか、台詞の内容には「蟹工船」という小林多喜二の小説にもなった言葉がポンポン出てくる。折りしも昭和8年の2月に小林多喜二は獄中死している。この作品は下町の人情物で解説されるが登場人物に語らせることで社会派リアリズムを悟られないように挿入したと思う。
 昭和8年は4年前のニューヨーク大暴落(世界大恐慌)の後遺症のいえぬ時代である。紡績工場を解雇された身寄りのない若い娘がふらふらと主人公の坂本武の住む長屋に現れるところから物語が始まる。娘は竹久夢二の美人画に出てきそうな弱々しい感じである。小津さんはそんな流行も取り込んだに違いない。夢二は翌年に50歳で死んだから封切り時にはまだ生きていた。
 坂本は若いきれいな娘に惚れるが息子のいるやもめ暮らしである。娘はやもめよりも友人の次郎という隣の若い男に惚れる。この構図は後々の男はつらいよの寅さんの原型であろう。男はつらいよシリーズにも寅さんが労働者諸君!といってアパートの住民に叫ぶシーンがあったがまったくずれていた。分かっていないなあ、と観客に思わせるのである。そこがコメディなのである。喜劇は悲しいのである。
 プロレタリア文学、大正ロマン、経済不況、社会不安などの時代背景を断片的に巧みに映像に忍ばせてやたらに人がいい喜八という男と下町の人情を描いた。食堂の女将さん役の飯田蝶子もいい演技であった。春江役の伏見信子は大正15年生まれというから当時18歳と適役であった。
 映画が終ってからも弁士と藤田明氏とのトークショーがあった。スメールを辞して松阪に向ったが宮前の小津資料室に立寄った。また同宿のFさんに便乗してもらって青春館も訪ねた。それでも終らず、ホテルの喫茶ルームで弁士とO氏を囲む談話会も設けられた。より深く掘り下げた映画論が展開されて飽きることがない。小津映画はただ観ているだけでもいいが見過ごせないものが一杯あると感じたことであった。

コメント

_ PineWood ― 2016年02月21日 05時32分22秒

小津安二郎監督は小説家の志賀直哉との交流があったが、小林多喜二も志賀に作品のアドバイスを求める程、敬愛していたという。多喜二もチャップリンの映画を始め映画評も残している。反骨精神旺盛な点で安二郎と多喜二を結ぶ師・志賀の姿が垣間見れる。この(出来心)や無声映画の中にに髭のカール・マルクスのポスターを堂堂と貼ったり、天下の悪法の治安維持法を諷刺したりとー活動(映画)に熱狂していた当時の庶民の姿とオーバーラップする。

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