「他山の石」のためにも情報公開を ― 2025年02月27日
木梶山での遭難者は低体温症で死亡と発表された。男盛りに無念なことでした。
ところで記事の「警察は登山者に対し「撤退する勇気を持ってほしい」」とは捜索救助にあたる行政の立場からよく警告されてきた。ところが一向に無くならないのはなぜか。
登山者には敢えて困難に打ち勝とうとする思想が自然に醸成される。欧州由来のアルピニズムと呼んでいる。特に冬山を目指す登山者はそこにいたるまでに先輩などから鍛えられる。そのためにロープワーク、氷雪上での滑落停止、イグルー作り、雪上のビバーク訓練をする。
今冬のように雪が降って又とない機会には闘志が搔き立てられたんではないか。花田警視にはリスペクトを込めて、敢えて困難に向かう勇気こそ立派と褒めてあげたく思う。
そのためには普段のトレーニングである。気象観測も大切だ。今回は低体温症だが気象遭難と思う。近年は個人情報保護法の関係で遭難者の装備、着衣、経験などは発表されない。だから「他山の石」という教訓を得られない。引き返す判断力を付けるためにも遭難者の詳細な情報を公開してもらいたいと拙に願う。
ところで記事の「警察は登山者に対し「撤退する勇気を持ってほしい」」とは捜索救助にあたる行政の立場からよく警告されてきた。ところが一向に無くならないのはなぜか。
登山者には敢えて困難に打ち勝とうとする思想が自然に醸成される。欧州由来のアルピニズムと呼んでいる。特に冬山を目指す登山者はそこにいたるまでに先輩などから鍛えられる。そのためにロープワーク、氷雪上での滑落停止、イグルー作り、雪上のビバーク訓練をする。
今冬のように雪が降って又とない機会には闘志が搔き立てられたんではないか。花田警視にはリスペクトを込めて、敢えて困難に向かう勇気こそ立派と褒めてあげたく思う。
そのためには普段のトレーニングである。気象観測も大切だ。今回は低体温症だが気象遭難と思う。近年は個人情報保護法の関係で遭難者の装備、着衣、経験などは発表されない。だから「他山の石」という教訓を得られない。引き返す判断力を付けるためにも遭難者の詳細な情報を公開してもらいたいと拙に願う。
木梶山の遭難 ― 2025年02月26日
2月25日は空から地上から捜索されたが発見できなかった。26日も継続。ヤマップの活動日記は2月11日があった。良いねが273もあるので多数のヤマッパーが心配してチエックしたのだろう。投稿者はアイゼントレーニングで入山したという。滑落しやすい場所があると指摘。私の記憶でも取付きからしばらくは急登だった。この時期に行くからには熟達者と思うがご無事で発見される様に祈る。
台高山脈の木梶山で遭難 ― 2025年02月25日
報道各社が伝えるところによると「きのう(2/24)午後6時半過ぎ、男性警視の妻から「登山に行った家族が帰ってこない」と通報がありました。
男性警視はきのう午前、松阪市の木梶山(きかじやま)と赤(あか)ゾレ山(やま)に1人で登山に出かけたということです。木梶山と赤ゾレ山は、いずれも標高およそ1300メートル。山道には寒波の影響で雪が積もっていて、男性警視の服装はわかっていませんが、食料は持っているということです。」
2/25もヘリと地上で20人で捜索したが発見に至らなかった。
この三連休で悪天をついて入山した登山者がいた。北アルプスの唐松岳でも名古屋の34歳の登山者が今日遺体で発見された。
男性警視はきのう午前、松阪市の木梶山(きかじやま)と赤(あか)ゾレ山(やま)に1人で登山に出かけたということです。木梶山と赤ゾレ山は、いずれも標高およそ1300メートル。山道には寒波の影響で雪が積もっていて、男性警視の服装はわかっていませんが、食料は持っているということです。」
2/25もヘリと地上で20人で捜索したが発見に至らなかった。
この三連休で悪天をついて入山した登山者がいた。北アルプスの唐松岳でも名古屋の34歳の登山者が今日遺体で発見された。
山岳古道のWEBミーティング ― 2023年05月12日
午前10時から30分ほど本部のPTの人らとミーティング。1尾鷲道2八風街道3塩の道のまとめに入る。
1) ホームページの進捗状況(永田)
(共有画面で提示しつつ)120古道のトップページの背景写真は、スライダーになっています。TOPICS(新着情報)へは、各古道が完成するごとに掲載していきます。
その下は古道の検索で、「地域から選ぶ」、「ジャンルから選ぶ」の2種類があり、各古道名をクリックすると、該当する古道のTOP(概要)に移動します。(このTOPが、先日原稿依頼をした部分です。)
下記の1~4が、5月20日までに提出していただく項目です。
[1]古道の名前と特長を簡潔に表現した一文
[2]代表的な写真を一枚(無い場合は、最初は白いままか、あるいはこちらで用意します)
[3]原稿の中の2)概要
[4]略図(調査する地点がわかれば、簡単で構いません)
概要の下部には古道名が記されてあり、古道名をクリックするとその古道に飛びます。名前のすぐ下に地図のボタンがあり、クリックにより、古道を緑線で示した地形図が出ます。そして、写真を左右2枚に並べて、本文が流れていきます。深掘りスポットやまつわる話などは、下方にあるボタンを各々クリックすると出てきます。
スマホの場合は、写真は左右2枚でなく、自動的に1枚で展開します。
1) ホームページの進捗状況(永田)
(共有画面で提示しつつ)120古道のトップページの背景写真は、スライダーになっています。TOPICS(新着情報)へは、各古道が完成するごとに掲載していきます。
その下は古道の検索で、「地域から選ぶ」、「ジャンルから選ぶ」の2種類があり、各古道名をクリックすると、該当する古道のTOP(概要)に移動します。(このTOPが、先日原稿依頼をした部分です。)
下記の1~4が、5月20日までに提出していただく項目です。
[1]古道の名前と特長を簡潔に表現した一文
[2]代表的な写真を一枚(無い場合は、最初は白いままか、あるいはこちらで用意します)
[3]原稿の中の2)概要
[4]略図(調査する地点がわかれば、簡単で構いません)
概要の下部には古道名が記されてあり、古道名をクリックするとその古道に飛びます。名前のすぐ下に地図のボタンがあり、クリックにより、古道を緑線で示した地形図が出ます。そして、写真を左右2枚に並べて、本文が流れていきます。深掘りスポットやまつわる話などは、下方にあるボタンを各々クリックすると出てきます。
スマホの場合は、写真は左右2枚でなく、自動的に1枚で展開します。
大台ヶ原山を歩く②・・・マブシ嶺から古和谷 ― 2023年05月02日
新木組峠へ
5/2 尾鷲市の夜明けは5時6分。少し前から東の空が朝焼けになった。出発予定の午前5時の1時間前に起きてガスコンロでお湯を沸かして熱いお茶をすする。朝飯の柿の葉寿司も食えるだけ食う。遠くから小鳥の鳴き声が聞こえる。風も小康状態だ。外に出てパッキングする。山頂に戻ると地面が凍結していた。昨日は泥だったのに一晩で冷気に晒されて霜柱が立っている。寒い訳である。5時過ぎにマブシ領を発つ。比高200mほど下ると平らな雑木林になる。風はほとんど吹いてこない。穏やかである。本当はここらで幕営したかった。しかし適地はすべて熊の生息地と重なる。昨夜も蚊取り線香を焚いて熊に知らせた。青嵐で熊も落ち着かなかったのだろう。熊鈴を鳴らしながら巡礼者のように素敵な自然林の中を歩く。木組峠に着く。ここからまた若干の登りになる。登りついたところから光山の分岐を後にする。1250m前後のコブを上下しながら新木組峠に着いた。ここでも水を飲み、若干は食べた。昨年5月中頃に仲間と訪れた際は木組峠の稜線道を登り帰りは尾鷲道(リスク大)を通過した。反対に帰路は1297.6mに登って又口辻に下りた。これが松浦武四郎らが通った道だった。
古和谷分岐へ
今回は横断的な尾鷲道を行く。落葉が多くふわっと重なっている。ザックが重いので転滑落には要注意だ。靴先で落葉に隠れた石ころを探りながら歩いた。神明水は流水があった。3回目でやっと水の流れを見た。しかし今日は寒いし水はあるので通過。中間地点まで来たところで左足に痙攣が走った。ヤバいな、と小休止し、芍薬甘草湯を水とともに流し込む。苦くもなく少し甘めのながら薬効は即効だ。再び危険な横断道を歩く。篤志家らが張ってくれたフィックスロープが非常にありがたい。その内に又口辻、そして古和谷分岐に着いた。
古和谷へ下る
9:30。小休止の後、未踏の古和谷道に下る。杉や桧の植林内のよく歩かれている感じの尾根道が続く。分岐から張り出した尾根の1053mの手前の鞍部から谷へ急降下。ここでも中間地点でまた痙攣が走った。芍薬甘草湯を服用して治まるのを待つ。なるだけゆっくりと下り、ようやく古和谷の流れを眼下に見たときはほっとした。左岸の植林内に細々とした山路が続く。思った以上に歩きやすい感じだ。後ろに人気を感じて振り返ると半袖の若い登山者が追い付いてきた。しばし情報交換して先に行ってもらう。今日尾鷲辻から下ってきてもう追いつかれたのである。一体何時に出発したんだろう。ヤマッパーらしい。あっという間に視野から消えた。韋駄天とは彼みたいな男をいうのだろう。そろそろ足を労わりながら重荷を担ぐより、寝具、食料など省いて軽量にして駆け抜けるのも一案である。渡渉地点でちょうど昼時になり、ザックを下ろした。先を急ぎたい気持ちより山に浸る方に重きを置いた。河原でガスコンロをだし、お湯を沸かし、お茶を楽しみ、カップ麺を食った。その後石飛で右岸に渡る。左岸より右岸の方が悪い。森林軌道の跡らしいが、橋が落ちたところは高巻きする。目印はあるものの上下、左右に留意した。河原に近い箇所はレールの残骸がある。朽ちた桟橋をいくつか恐る恐るわたると尾鷲道の登山口は近い。13:40に車道に出た。ここからが長い長い林道歩きだ。県道に着くまで2時間はかかった。
思いがけない親切に深謝
計画では2時30分に尾鷲駅到着だったが、到底無理。昨年泊った民宿に電話しようとしたが圏外だった。その内、後続がまた一人とトレランが下山してきた。どうしようか、と考えていると釣り師が親切にも駅まで乗せてってあげると申出があった。渡りに船と便乗させてもらった。名古屋へ帰る旨話すと鈴鹿市在住なので自宅に近い白子駅まで乗せてもらえた。感謝感謝であった。
参考データ
大台ヶ原山 尾鷲道 その1 尾鷲辻~又口辻~古和谷林道終点
https://amaimonoko.at-ninja.jp/s-mtdata/ki/odai-owase/1.htm
・JACの古道調査です。
・GPSの信号はヤマップを通じてWさんのスマホに送信されます。
・天候:1年に400日雨が降る、とか弁当忘れても傘忘れるなという尾鷲市から大台ヶ原一帯の俚諺です。
一般的な天気予報は5/1~5/4の降雨率20%、5/5以降は70%以上にアップ)
・非常に不安定な天気です。
5/2 尾鷲市の夜明けは5時6分。少し前から東の空が朝焼けになった。出発予定の午前5時の1時間前に起きてガスコンロでお湯を沸かして熱いお茶をすする。朝飯の柿の葉寿司も食えるだけ食う。遠くから小鳥の鳴き声が聞こえる。風も小康状態だ。外に出てパッキングする。山頂に戻ると地面が凍結していた。昨日は泥だったのに一晩で冷気に晒されて霜柱が立っている。寒い訳である。5時過ぎにマブシ領を発つ。比高200mほど下ると平らな雑木林になる。風はほとんど吹いてこない。穏やかである。本当はここらで幕営したかった。しかし適地はすべて熊の生息地と重なる。昨夜も蚊取り線香を焚いて熊に知らせた。青嵐で熊も落ち着かなかったのだろう。熊鈴を鳴らしながら巡礼者のように素敵な自然林の中を歩く。木組峠に着く。ここからまた若干の登りになる。登りついたところから光山の分岐を後にする。1250m前後のコブを上下しながら新木組峠に着いた。ここでも水を飲み、若干は食べた。昨年5月中頃に仲間と訪れた際は木組峠の稜線道を登り帰りは尾鷲道(リスク大)を通過した。反対に帰路は1297.6mに登って又口辻に下りた。これが松浦武四郎らが通った道だった。
古和谷分岐へ
今回は横断的な尾鷲道を行く。落葉が多くふわっと重なっている。ザックが重いので転滑落には要注意だ。靴先で落葉に隠れた石ころを探りながら歩いた。神明水は流水があった。3回目でやっと水の流れを見た。しかし今日は寒いし水はあるので通過。中間地点まで来たところで左足に痙攣が走った。ヤバいな、と小休止し、芍薬甘草湯を水とともに流し込む。苦くもなく少し甘めのながら薬効は即効だ。再び危険な横断道を歩く。篤志家らが張ってくれたフィックスロープが非常にありがたい。その内に又口辻、そして古和谷分岐に着いた。
古和谷へ下る
9:30。小休止の後、未踏の古和谷道に下る。杉や桧の植林内のよく歩かれている感じの尾根道が続く。分岐から張り出した尾根の1053mの手前の鞍部から谷へ急降下。ここでも中間地点でまた痙攣が走った。芍薬甘草湯を服用して治まるのを待つ。なるだけゆっくりと下り、ようやく古和谷の流れを眼下に見たときはほっとした。左岸の植林内に細々とした山路が続く。思った以上に歩きやすい感じだ。後ろに人気を感じて振り返ると半袖の若い登山者が追い付いてきた。しばし情報交換して先に行ってもらう。今日尾鷲辻から下ってきてもう追いつかれたのである。一体何時に出発したんだろう。ヤマッパーらしい。あっという間に視野から消えた。韋駄天とは彼みたいな男をいうのだろう。そろそろ足を労わりながら重荷を担ぐより、寝具、食料など省いて軽量にして駆け抜けるのも一案である。渡渉地点でちょうど昼時になり、ザックを下ろした。先を急ぎたい気持ちより山に浸る方に重きを置いた。河原でガスコンロをだし、お湯を沸かし、お茶を楽しみ、カップ麺を食った。その後石飛で右岸に渡る。左岸より右岸の方が悪い。森林軌道の跡らしいが、橋が落ちたところは高巻きする。目印はあるものの上下、左右に留意した。河原に近い箇所はレールの残骸がある。朽ちた桟橋をいくつか恐る恐るわたると尾鷲道の登山口は近い。13:40に車道に出た。ここからが長い長い林道歩きだ。県道に着くまで2時間はかかった。
思いがけない親切に深謝
計画では2時30分に尾鷲駅到着だったが、到底無理。昨年泊った民宿に電話しようとしたが圏外だった。その内、後続がまた一人とトレランが下山してきた。どうしようか、と考えていると釣り師が親切にも駅まで乗せてってあげると申出があった。渡りに船と便乗させてもらった。名古屋へ帰る旨話すと鈴鹿市在住なので自宅に近い白子駅まで乗せてもらえた。感謝感謝であった。
参考データ
大台ヶ原山 尾鷲道 その1 尾鷲辻~又口辻~古和谷林道終点
https://amaimonoko.at-ninja.jp/s-mtdata/ki/odai-owase/1.htm
・JACの古道調査です。
・GPSの信号はヤマップを通じてWさんのスマホに送信されます。
・天候:1年に400日雨が降る、とか弁当忘れても傘忘れるなという尾鷲市から大台ヶ原一帯の俚諺です。
一般的な天気予報は5/1~5/4の降雨率20%、5/5以降は70%以上にアップ)
・非常に不安定な天気です。
大台ヶ原山を歩く①・・・・尾鷲辻~マブシ嶺 ― 2023年05月01日
新緑の大台ヶ原ドライブウェイ
5/1 近鉄名古屋駅5:58発のアーバンライナーに乗車。4070円。(4/30に地下鉄桜通線名古屋駅から近鉄地下改札口に直通の通路を検分)近鉄大和八木駅に定刻通りに着く。奈良交通のバス乗り場で8:15発の大台ヶ原行きのバスを待つ。道の駅杉の湯で休憩中に柿の葉寿司を調達。新伯母峰トンネルをくぐって和佐又山キャンプ場で降車させて、このバスは大峰山脈の山上ヶ岳への縦走にも利用できるわけだ。新伯母峰トンネルを戻り大台ヶ原ドライブウェイに行く。
伯母峰峠を越えて上北山村に来た途端に新緑に彩られた自然に魅了された。これだけを見て帰っても満足するだろう。伯母峰峠の標高は991m、そこから比高450mもの高原に来るとまた冬景色に戻る。針葉樹の中に少し落葉樹があるが芽吹いたばかりである。大台ケ原ビジターセンターのある山上広場は標高1570m程度。バスは定刻通りに到着。11:20前後。ここで登山届を出す。ベンチでパッキングを見直し装備の点検。中食。12時少し前に出発。山頂は昨年8月に登ったので省略。尾鷲辻への水平の道を急ぐ。ここではバードウォッチャーが大型カメラを手にシャッターチャンスを狙っている。
未知の尾鷲道を歩く
尾鷲辻に着いた。昨年8月は雨の中到着しここでカッパを着た。尾鷲道を少しだけ覘いた。今日は好天に恵まれた。40年前紀勢線に「名古屋23:58発、紀伊勝浦行夜行急行「紀州5号」というのがあっ」た頃、尾鷲駅から尾鷲道の計画を立てては断念してきた。紀勢線の夜行もすでに1984年に廃止。2005年発刊の『新日本山岳誌』に登山の対象ではない栃山、保色山等をとりあげた。取材山行で尾鷲道の最新の情報を知った。マブシ嶺が名古屋から前夜発で往復できると知って2017.12.10に登った。ブログに「木立は落葉して見通しが良い。最初の道標は古和谷分岐である。ここからが古来からの尾鷲道である。下山路として今も歩けるのかどうかは不明だ。先へ進む。数分で又口辻だ。」と書いた。
今回は高齢の自分には長大な尾鷲道を踏破する最後の機会になるかも知れない。
堂倉山も往復したかったがエネルギー温存のために断念。別の日に山上から往復する機会を狙う。堂倉山の南の鞍部は平らで一晩過ごしたい。1414mの無名の山からマブシ嶺までは1400mの稜線の西側(上北山村内)をアップダウンの少ない道になっている。ところどころに山抜け(蛇抜け)の痕が痛々しい。そこだけは尾鷲道も寸断されるからう回路を設けてある。地元の篤志家グループのお陰で迷うことはない。
山の花を楽しむ
ホンシャクナゲの開花期に巡り合い、淡いピンク、濃いピンク色の花が美しい。花に酔っていると下から5名のパーティに出会った。マブシ領の往復だった。今日人に出会ったのはこの組だけだった。1402mの独立標高点に行く踏み跡があるが道標は左折となる。下るだけだと思ったが1450mの無名のコブに登った。地倉山の道標があった。ちらっと平らなビバークの適地を見たが熊の生息域との警告もある。下り気味の道ながら少しは登り返す。15:30頃、見覚えのあるマブシ嶺に着いた。砂礫の殺風景な平は大峰山脈の展望を欲しいままに楽しめる。大峰南部の釈迦ヶ岳の鋭鋒は既登ゆえにランドマークになっている。
マブシ嶺のビバーク
さてビバーク予定地の木組峠、又は新木組峠まではまだ時間がかかる。ビバーク地の適地ではないがマブシ嶺にした。雑木林の近い所の小さな凹地にツエルト張った。ザックの軽量化のために支柱は2本のストックにした。立木の枝、木の根っこ、石などに張り綱を結ぶ。これで今夜の寝処が完成。同じくシュラフも止めて羽毛のジャケットとズボンで冷えに備えた。加えてシュラフカバーでOK。シュラフは一度潜ってしまうと用足しに外に出るのが億劫になる。羽毛服なら着たまま用足しできる。
青嵐のビバーク
さて、午後6時頃までは大峰山脈が見えていたが、簡単な夕食を済ませて寝ていると外が風で騒がしくなってきた。なんだこの風は?とスマホで尾鷲市の天気情報を見ると晴天で降雨率は10%である。春山特有の天気の急変だろう。俳句の季語にある青嵐(あおあらし、せいらん)は「青々とした草木や野原の上を吹き渡っていく風を青嵐(あおあらし)と言います。嵐の字が使われているように、やや強く吹く風です。上空に寒気が流れ込むと突風やひょうが降ることもあり、青嵐となります。5月は全般に快適な季節ではありますが、寒気の流入には注意が必要です。」と説明される。遠くで春雷も聞こえて来た。強風でフライが飛ばされ、ツエルトがなぎ倒されるような環境に一句作る心の余裕はない。只一人、まんじりともしない山の夜を過ごした。時間の経過とともに冷えてくる。ツエルト内の空間は外の冷気から自分を守る大切な空間である。合羽を着て外気に晒されると低体温症になるから登山の装備に必須となった。
5/1 近鉄名古屋駅5:58発のアーバンライナーに乗車。4070円。(4/30に地下鉄桜通線名古屋駅から近鉄地下改札口に直通の通路を検分)近鉄大和八木駅に定刻通りに着く。奈良交通のバス乗り場で8:15発の大台ヶ原行きのバスを待つ。道の駅杉の湯で休憩中に柿の葉寿司を調達。新伯母峰トンネルをくぐって和佐又山キャンプ場で降車させて、このバスは大峰山脈の山上ヶ岳への縦走にも利用できるわけだ。新伯母峰トンネルを戻り大台ヶ原ドライブウェイに行く。
伯母峰峠を越えて上北山村に来た途端に新緑に彩られた自然に魅了された。これだけを見て帰っても満足するだろう。伯母峰峠の標高は991m、そこから比高450mもの高原に来るとまた冬景色に戻る。針葉樹の中に少し落葉樹があるが芽吹いたばかりである。大台ケ原ビジターセンターのある山上広場は標高1570m程度。バスは定刻通りに到着。11:20前後。ここで登山届を出す。ベンチでパッキングを見直し装備の点検。中食。12時少し前に出発。山頂は昨年8月に登ったので省略。尾鷲辻への水平の道を急ぐ。ここではバードウォッチャーが大型カメラを手にシャッターチャンスを狙っている。
未知の尾鷲道を歩く
尾鷲辻に着いた。昨年8月は雨の中到着しここでカッパを着た。尾鷲道を少しだけ覘いた。今日は好天に恵まれた。40年前紀勢線に「名古屋23:58発、紀伊勝浦行夜行急行「紀州5号」というのがあっ」た頃、尾鷲駅から尾鷲道の計画を立てては断念してきた。紀勢線の夜行もすでに1984年に廃止。2005年発刊の『新日本山岳誌』に登山の対象ではない栃山、保色山等をとりあげた。取材山行で尾鷲道の最新の情報を知った。マブシ嶺が名古屋から前夜発で往復できると知って2017.12.10に登った。ブログに「木立は落葉して見通しが良い。最初の道標は古和谷分岐である。ここからが古来からの尾鷲道である。下山路として今も歩けるのかどうかは不明だ。先へ進む。数分で又口辻だ。」と書いた。
今回は高齢の自分には長大な尾鷲道を踏破する最後の機会になるかも知れない。
堂倉山も往復したかったがエネルギー温存のために断念。別の日に山上から往復する機会を狙う。堂倉山の南の鞍部は平らで一晩過ごしたい。1414mの無名の山からマブシ嶺までは1400mの稜線の西側(上北山村内)をアップダウンの少ない道になっている。ところどころに山抜け(蛇抜け)の痕が痛々しい。そこだけは尾鷲道も寸断されるからう回路を設けてある。地元の篤志家グループのお陰で迷うことはない。
山の花を楽しむ
ホンシャクナゲの開花期に巡り合い、淡いピンク、濃いピンク色の花が美しい。花に酔っていると下から5名のパーティに出会った。マブシ領の往復だった。今日人に出会ったのはこの組だけだった。1402mの独立標高点に行く踏み跡があるが道標は左折となる。下るだけだと思ったが1450mの無名のコブに登った。地倉山の道標があった。ちらっと平らなビバークの適地を見たが熊の生息域との警告もある。下り気味の道ながら少しは登り返す。15:30頃、見覚えのあるマブシ嶺に着いた。砂礫の殺風景な平は大峰山脈の展望を欲しいままに楽しめる。大峰南部の釈迦ヶ岳の鋭鋒は既登ゆえにランドマークになっている。
マブシ嶺のビバーク
さてビバーク予定地の木組峠、又は新木組峠まではまだ時間がかかる。ビバーク地の適地ではないがマブシ嶺にした。雑木林の近い所の小さな凹地にツエルト張った。ザックの軽量化のために支柱は2本のストックにした。立木の枝、木の根っこ、石などに張り綱を結ぶ。これで今夜の寝処が完成。同じくシュラフも止めて羽毛のジャケットとズボンで冷えに備えた。加えてシュラフカバーでOK。シュラフは一度潜ってしまうと用足しに外に出るのが億劫になる。羽毛服なら着たまま用足しできる。
青嵐のビバーク
さて、午後6時頃までは大峰山脈が見えていたが、簡単な夕食を済ませて寝ていると外が風で騒がしくなってきた。なんだこの風は?とスマホで尾鷲市の天気情報を見ると晴天で降雨率は10%である。春山特有の天気の急変だろう。俳句の季語にある青嵐(あおあらし、せいらん)は「青々とした草木や野原の上を吹き渡っていく風を青嵐(あおあらし)と言います。嵐の字が使われているように、やや強く吹く風です。上空に寒気が流れ込むと突風やひょうが降ることもあり、青嵐となります。5月は全般に快適な季節ではありますが、寒気の流入には注意が必要です。」と説明される。遠くで春雷も聞こえて来た。強風でフライが飛ばされ、ツエルトがなぎ倒されるような環境に一句作る心の余裕はない。只一人、まんじりともしない山の夜を過ごした。時間の経過とともに冷えてくる。ツエルト内の空間は外の冷気から自分を守る大切な空間である。合羽を着て外気に晒されると低体温症になるから登山の装備に必須となった。
マイカー登山から電車バス利用に変更 ― 2023年04月30日
大台ケ原山から尾鷲市に抜ける尾鷲道の踏破を計画していた。当初はマイカーで山上をベースに木組峠まで往復する計画にした。古和谷ルートは尾鷲市から往復の計画だが天気は不安定でもあり体力のロスも大きい。
それで公共交通機関に変更を検討した。ヤマップの記録を見ると2~3の縦走の記録がある。バスで来ると山上へは昼前になる。その日は大体木組峠付近でビバークになる。常水はないがこの時期と晩秋ならそんなに水は要らない。
木組峠から尾鷲市までは約8時間。古和谷分岐から古和谷への下降が不明瞭らしい。朽ちた桟橋などの写真があるが事故も道迷いの報告もないから無難に通過している。
というわけで縦走でも行けるんじゃないか、と練り直した。大台ケ原山へのバスは奈良交通が一日往復1本の運営で始発は8時15分。近鉄大和八木駅に間に合う名古屋発の電車は、5時58分のアーバンライナーのみ。問題は地下鉄の乗り継ぎである。
最寄りの植田駅は5時34分が始発。伏見駅5時52分~6時4分乗り換えで間に合わない。事務所のある久屋大通駅発5時35分なら5時40分に名古屋駅に着く。4/29にシュミレーションで実際に桜通り線の名駅から近鉄の名駅まで歩いて見たら9分だった。5時50分ころには着ける。
8分あれば切符を買ってホームに入り座席に滑り込める。ぎりぎりで間に合う。これを確認して変更を決めた。
計画を練り直してネットにアップしておいた。次はパッキングである。
山中一泊なのでビバーク用具と炊事用具が加わる。水と食料も増える。詰め込んで見て体重を計ると85kg、空身では74kgなのでザックの重量は11kgになる。泊りがけは山小屋はあるがツエルトビバークは何年ぶりだろう。
紀勢線に夜行列車があった30歳代のころに計画はしたが誰も乗ってこないのでつぶれていた。日帰りではマブシ嶺に行ったことはある。それ以来である。人生も下り坂故に山旅も下り坂、天気も3日以降は下り坂になる。安全無事を祈りたい。
それで公共交通機関に変更を検討した。ヤマップの記録を見ると2~3の縦走の記録がある。バスで来ると山上へは昼前になる。その日は大体木組峠付近でビバークになる。常水はないがこの時期と晩秋ならそんなに水は要らない。
木組峠から尾鷲市までは約8時間。古和谷分岐から古和谷への下降が不明瞭らしい。朽ちた桟橋などの写真があるが事故も道迷いの報告もないから無難に通過している。
というわけで縦走でも行けるんじゃないか、と練り直した。大台ケ原山へのバスは奈良交通が一日往復1本の運営で始発は8時15分。近鉄大和八木駅に間に合う名古屋発の電車は、5時58分のアーバンライナーのみ。問題は地下鉄の乗り継ぎである。
最寄りの植田駅は5時34分が始発。伏見駅5時52分~6時4分乗り換えで間に合わない。事務所のある久屋大通駅発5時35分なら5時40分に名古屋駅に着く。4/29にシュミレーションで実際に桜通り線の名駅から近鉄の名駅まで歩いて見たら9分だった。5時50分ころには着ける。
8分あれば切符を買ってホームに入り座席に滑り込める。ぎりぎりで間に合う。これを確認して変更を決めた。
計画を練り直してネットにアップしておいた。次はパッキングである。
山中一泊なのでビバーク用具と炊事用具が加わる。水と食料も増える。詰め込んで見て体重を計ると85kg、空身では74kgなのでザックの重量は11kgになる。泊りがけは山小屋はあるがツエルトビバークは何年ぶりだろう。
紀勢線に夜行列車があった30歳代のころに計画はしたが誰も乗ってこないのでつぶれていた。日帰りではマブシ嶺に行ったことはある。それ以来である。人生も下り坂故に山旅も下り坂、天気も3日以降は下り坂になる。安全無事を祈りたい。
大台ヶ原ドライブウェイ 2023年開通 ― 2023年04月19日
ソース:https://www.pref.nara.jp/2977.htm
☆☆大台ヶ原ドライブウェイ 2023年開通☆☆
冬季通行止め期間の終了により、2023年4月17日15時から、県道大台ヶ原公園川上線(県道40号線、通称大台ヶ原ドライブウェイ)が通行可能となりました。
詳細は、道路管理者である奈良県吉野土木事務所(0746-32-4051(代表))へお問い合わせください。
それに伴い、大台ヶ原駐車場及び大台ヶ原ビジターセンターも利用可能となりました。
☆☆利用者の皆様へ☆☆
最近、Google Mapで、県道大台ヶ原公園川上線(県道40号線、通称大台ヶ原ドライブウェイ)の誤った規制情報が表示されることがあります。(令和5年4月18日現在、Google Mapの「交通状況」を表示すると県道大台ヶ原公園川上線に通行止めが表示されますが、通行止めではありません。)
正確な規制情報については、
・「奈良県道路規制情報提供サービス」外部サイトへのリンク
または
・「日本道路交通情報センター」外部サイトへのリンク
をご覧になるか、日本道路交通情報センター(050-3369-6666)又は道路管理者(奈良県吉野土木事務所:0746-32-4051(代表))までお問い合わせください。
【開館時間】 午前9時~午後5時
【冬季閉鎖期間】 終了
【住所】 〒639-3702 奈良県吉野郡上北山村小橡大台ヶ原山
【連絡先】 TEL&FAX 07468-3-0312
●公共交通機関
1.イオンモール橿原-(奈良交通バス)- 大和八木駅・橿原神宮前駅バスのりば経由 -大台ヶ原
所要時間:バス 約3時間25分
※2022年より大和上市駅に大台ヶ原へのバスは停車しません。
2.京都-(近鉄京都線・近鉄橿原線)-大和八木-(奈良交通バス)-大台ヶ原
所要時間:電車 約1時間 + バス 約3時間
3.大阪阿部野橋-(近鉄南大阪線)-橿原神宮前-(奈良交通バス)-大台ヶ原
所要時間:電車 約40分 + バス 約2時間45分
●マイカー
1.京都-(国道24号線)-橿原-(国道169号線)-川上村 新伯母峯トンネル手前-(大台ヶ原ドライブウェイ)-大台ヶ原
所要時間:約3時間30分 約140km
2.大阪-(西名阪)-郡山IC-(国道24号線)-橿原-(国道169号線)-川上村 新伯母峯トンネル手前-(大台ヶ原ドライブウェイ)-大台ヶ原
所要時間:約3時間30分 約140Km
【お知らせ】
●大杉谷登山道の開通について
大台ヶ原の東側(三重県側)に位置する大杉谷登山道においては、平成16年の台風21号災により一部区間の通行が禁止されておりましたが、災害復旧が完了し、平成25年4月25日より開通し、これにより奈良県側の大台ヶ原ビジターセンター~大台ケ原日出ヶ岳~三重県側の第三発電所間の全線の通り抜けが可能となりました。
詳しくは、社団法人 大杉谷登山センター ホームページ外部サイトへのリンクをご覧ください。
☆☆大台ヶ原ドライブウェイ 2023年開通☆☆
冬季通行止め期間の終了により、2023年4月17日15時から、県道大台ヶ原公園川上線(県道40号線、通称大台ヶ原ドライブウェイ)が通行可能となりました。
詳細は、道路管理者である奈良県吉野土木事務所(0746-32-4051(代表))へお問い合わせください。
それに伴い、大台ヶ原駐車場及び大台ヶ原ビジターセンターも利用可能となりました。
☆☆利用者の皆様へ☆☆
最近、Google Mapで、県道大台ヶ原公園川上線(県道40号線、通称大台ヶ原ドライブウェイ)の誤った規制情報が表示されることがあります。(令和5年4月18日現在、Google Mapの「交通状況」を表示すると県道大台ヶ原公園川上線に通行止めが表示されますが、通行止めではありません。)
正確な規制情報については、
・「奈良県道路規制情報提供サービス」外部サイトへのリンク
または
・「日本道路交通情報センター」外部サイトへのリンク
をご覧になるか、日本道路交通情報センター(050-3369-6666)又は道路管理者(奈良県吉野土木事務所:0746-32-4051(代表))までお問い合わせください。
【開館時間】 午前9時~午後5時
【冬季閉鎖期間】 終了
【住所】 〒639-3702 奈良県吉野郡上北山村小橡大台ヶ原山
【連絡先】 TEL&FAX 07468-3-0312
●公共交通機関
1.イオンモール橿原-(奈良交通バス)- 大和八木駅・橿原神宮前駅バスのりば経由 -大台ヶ原
所要時間:バス 約3時間25分
※2022年より大和上市駅に大台ヶ原へのバスは停車しません。
2.京都-(近鉄京都線・近鉄橿原線)-大和八木-(奈良交通バス)-大台ヶ原
所要時間:電車 約1時間 + バス 約3時間
3.大阪阿部野橋-(近鉄南大阪線)-橿原神宮前-(奈良交通バス)-大台ヶ原
所要時間:電車 約40分 + バス 約2時間45分
●マイカー
1.京都-(国道24号線)-橿原-(国道169号線)-川上村 新伯母峯トンネル手前-(大台ヶ原ドライブウェイ)-大台ヶ原
所要時間:約3時間30分 約140km
2.大阪-(西名阪)-郡山IC-(国道24号線)-橿原-(国道169号線)-川上村 新伯母峯トンネル手前-(大台ヶ原ドライブウェイ)-大台ヶ原
所要時間:約3時間30分 約140Km
【お知らせ】
●大杉谷登山道の開通について
大台ヶ原の東側(三重県側)に位置する大杉谷登山道においては、平成16年の台風21号災により一部区間の通行が禁止されておりましたが、災害復旧が完了し、平成25年4月25日より開通し、これにより奈良県側の大台ヶ原ビジターセンター~大台ケ原日出ヶ岳~三重県側の第三発電所間の全線の通り抜けが可能となりました。
詳しくは、社団法人 大杉谷登山センター ホームページ外部サイトへのリンクをご覧ください。
武四郎の足跡②・・・尾鷲道 ― 2022年09月08日
尾鷲道の古和谷を通過しなかったみたいだ。R425を矢所から尾鷲へ行くには小さな峠越えがある。今はトンネルだが昔の人でも疲れた足で最後の峠を越えるのを避けた。
木津へ下れば海に近い町に出られる。武四郎は引本港から船で伊勢に帰ったらしい。京都の今西錦司も木津へ下ったが、便ノ山から馬越峠を越えて尾鷲に下った。そして船で伊勢に帰った。
今の常識なら紀勢線で伊勢に出て、参宮線で関西線の亀山駅から奈良経由で京都へ回るのだが海路が中心だったらしい。
歴史的には尾鷲道は新しい。上下動の少ない山腹の道が中心になる。武四郎道は尾根が中心になる。但し水が得られないから尾鷲道が開発されたのだろう。今ある尾鷲道の森も昔は原生林だったから湧き水も豊富だったと想像する。皆伐したがために特に西側は蛇抜けだらけになった。
木津へ下れば海に近い町に出られる。武四郎は引本港から船で伊勢に帰ったらしい。京都の今西錦司も木津へ下ったが、便ノ山から馬越峠を越えて尾鷲に下った。そして船で伊勢に帰った。
今の常識なら紀勢線で伊勢に出て、参宮線で関西線の亀山駅から奈良経由で京都へ回るのだが海路が中心だったらしい。
歴史的には尾鷲道は新しい。上下動の少ない山腹の道が中心になる。武四郎道は尾根が中心になる。但し水が得られないから尾鷲道が開発されたのだろう。今ある尾鷲道の森も昔は原生林だったから湧き水も豊富だったと想像する。皆伐したがために特に西側は蛇抜けだらけになった。
武四郎の足跡①・・・木組峠 ― 2022年09月08日
廃村・木組から木組峠に登り光山そして水無峠を越えて木津(こつ)へ。木津から便ノ山へ。そして引本浦港から海路を伊勢に帰った。
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