各務原市の伊木山で岩登りトレ2016年04月09日

登攀中のSさん
 朝7時30分、名古屋を出る。伊木山は木曽川右岸にある低山で、夕暮れ富士の異称もある景勝の地だ。
 天気は気温が高いせいか、春らしく曇天である。周囲の低山も萌えあがるような新緑に包まれて、まさに山笑う季節になった。木曽川は濁っている。上流では雨が降ったようだ。
 伊木山のPには10分ほど前に着いた。メンバーはすでに到着していた。後から来たメンバーとも合流してゲレンデに向かう。今日はキューピー岩という岩場だった。
 参加者は10名で1名はドタキャンになったが、9名もそろったのは偉観である。うち3名は旧人6名が新人の女性たちだ。岩登りのトレを強く望むのは日本アルプスはいうに及ばず、鈴鹿級の低山でも岩場の通過を無難にこなしたいがためである。殊勝な心がけである。謙虚な心がけを忘れなければ遭難などあるはずがない。
 ベテランでも遭難するのは素直な心を忘れたからだ。○△山岳会の会員ならこのルートは登れて当然と難ルートを攻撃するから痛い目に遭う。わざわざ遭難するためにルートを選んだとしか思えない遭難事故も見聞する。
 初心忘れるべからず。
 クライミングシューズではなくロープで確保しながら登山靴で登攀した。2ルートにロープを張り、一人2回はやれたはずだ。最後はゲレンデから岩稜の痩せ尾根をよじ登り。キューピーの鼻へ登った。電車組とは犬山遊園駅で解散。クルマ組は犬山の秘湯「さら・さくらの湯」に入湯。市営なので500円、65歳以上は300円と嬉しい。快い汗を流して帰名した。

笹又から伊吹北尾根を歩く2015年04月26日

 新入会した3人と旧人の5人で伊吹北尾根に行った。登山口は笹又にした。さざれ石公園に着いたのは9時過ぎ。以前登った記憶が全く無い。トイレに登山届けポストがあるので、ここが登山口と思いきやどうも違う。登山口特有の雰囲気が感じられない。しかし、思いつきで選んだため、地図は用意したものの忘れた。他のメンバーも笹又のところが欠けた地図のコピーしかない。何でも、国見峠発のルートを考えていたらしい。ネットでのチエックでは4/12の時点で峠直前で道路決壊で工事中とのこと。
 とりあえず、舗装路の続く車道に戻って走った。タイトなカーブの連続する車道を行くと所々に登山道の標示があるのでどうやらこの道で良いらしい。獣避けネットの取り付け工事に村中で取り組んでいるようだ。急斜面だがのどかな感じのする笹又を通り抜けた。更に羊腸の道を登ると終点らしい駐車場に着いた。比高約280mあるので1時間弱は楽した。獣避けネットの扉を開けて登山道に入る。
 家は標高470m付近に構え、畑作は標高750m付近まで展開していた。南向き斜面で耕作には良い条件である。旧春日村を地形図で嘗め回してみても平地は殆ど無い。谷底の村は日照時間が少ないから畑作には不向きだ。南斜面、緩斜面、大きな谷が無いという条件はむしろ好条件であろう。
 暖かな陽光がふりそそぐ畑を耕す風景は「耕して天に至る。以って貧なるを知るべし。」の言葉が浮かぶ。日本に来た孫文か李鴻章の吐いた感動の言葉という。そして、「然るに我が国土広大なるも国力に劣れり」と続く。日本人の勤勉性を称えたのであった。蒋介石は中国人は砂、日本人は粘土に例えた。ぎゅっと握って手を広げると砂はバラバラになるが、粘土は固まる。日本人は一致協力して不利を補ってきた。登山口の「さざれ石」はその象徴かも知れない。
 俳人・山口誓子は瀬戸内海の畑を見て
   天耕の峯に達して峯を越す
という俳句があるが、それに近いかも知れない。映画「裸の島」では瀬戸内海の島に住む夫婦の日課は畑にまく水を確保し、本州から毎日運ぶことだった。
 笹又には伊吹山から流れる沢水があるのでその心配は無い。道すがらに眺めた畑には沢から引かれたビニールホースがあり、蛇口付近には水の詰まった2リットルのペットボトルが沢山置いてあった。干天時の備えだろうか。畑は750m付近を境に終わった。2回目の獣避けネットをくぐる。つくしが一杯生えていた。そして杉の植林、自然林の森の中の道を登る。土の道から石灰岩の道に変る。浅い沢をまたぎ、急傾斜の砂ザレの道を登る。冬は雪庇があっただろう、場所は草も生えていない。やっと尾根に達した。尾根道からは伊吹山のドライブウェイの下部のトラバース道を行く。良く見ると、今日の目的だったハクサンハタザオの小花が出迎えてくれた。
 静馬ヶ原の分岐から1149m峰へ右折。メンバーの1人が1149mが静馬ヶ原という。えっ、それは何かの間違いではないか。それならば静馬ヶ原山と呼称するべきでしょう。大台ヶ原山、那須ヶ原山が思いつく。
 983m峰を乗り越してゆるやかに御座峰1070mに登頂。約2時間20分かかった。ここからでも能郷白山、白山の一部、虎子山、金糞岳、貝月山、小島山、池田山等が見えた。他のメンバーは先へ行きたがったが、ここで引き返した。久々の山行でもう十分なアルバイトになった。
 新人さんらを見ていると体が軽そうだ。登山を連続的にやっていると強くなる。登山の実践に優るトレーニングはない。油の乗った重い体を引きずりながら往路を戻る。帰りは薬草湯に入って帰名。
メンバーの報告によると
・カタクリ 
・ハクサンハタザオ 
・ネコノメとボタンネコノメ(ヨゴレといったネコノメ) 
・フッキソウ 
・ヤマエンゴサク
・ヤマルリソウ(ワスレナグサといった花)
・キランソウ
・ハシリドコロ(御座峰北側)
・ザゼンソウ(コバイケイソウのようなはえ方をした大    
きな葉っぱ)
以上  
他に私の見立てであるが、
チゴユリを見たが上向きに咲いているので?
一人静
二輪草
スミレ
ヤシャブシ
ウマノアシガタ
麓ではシャガの花

東濃・天瀑山を歩く2015年03月28日

 余りにも天気が良さそうなので撮影のチャンスとばかりに出かけた。交通量はかなり多く、あちこちで渋滞が発生中だ。恵那ICで下りてR19からR257へ。
 懐かしい岩村町に来ると、天瀑山への登山口への案内に、佐藤一斎の町、とあって、へえーいつから売り出したのだろう。多分、小泉純一郎さんが首相時代に佐藤一斎の『言志四録』の一節を引用されてからかな。しかし、真新しい。
 そして坂を登って行くとまた案内板があり左折。終点Pが登山口になっていた。ここから40分とあったのでカメラのみ持参して歩く。但し、遊歩道ではなく、完全な山道だった。しばらくは谷沿いの山道で、松葉、桧の落ち葉で滑りやすいし、砂地でちょっとやばい感じがする。谷からジグザグで尾根に上がる。一部から雪の御嶽山が見えた。岩村の町も俯瞰できた。約20分で佐藤一斎の詩碑にきた。折角なので撮影するが暗くて分かりにくい。ここを後にまた急登する。更に10分で山頂に着いた。4等三角点が埋まっていた。標高はぞろ目の777mで縁起が良い。
 展望は何もないのですぐ下山した。やっぱり水くらいは持参すべきだった。Pに戻るとウグイスの鳴き声だ。今春初めてなので初音ともいう。山を下って、次は岩村城へ向かった。城まで800mとあるので徒歩で登城した。中々に急な坂道であった。しかも石畳なので足には堪える。ここからも御嶽山が良く見える。やがて植林内に入った。大勢の観光客とすれ違う。やや明るくなると本丸址に着いた。平らになって建物はなく、明治維新で廃城になったという。城主が松平姓だから徳川直系になる。薩長から見れば敵方だから謀反を起こされないようにということか。
 ここからは斑雪(はだれ)の恵那山が良く見えた。風格があっていい山である。下山後は歴史資料館に入った。佐藤一斎の学習のためだが、館員さんは佐藤一斎は1回来ただけという。しかも天瀑山に登ってそれっきりだったが、本家のあった美濃市にはしばしば立ち寄ったそうだ。中山道からは山奥になるし、遠いし、で来れなかったのだろう。歴史資料館のPの一角に佐藤一斎の塑像が建っていた。やっぱり、小泉さんの筆になる文字が揮毫されていた。
 岩村の町へ。佐藤一斎の詩を書き付けた看板や詩碑を良く見かける。小泉さんも良いことをしたもんだ。今や大もてなんだろう。どんなことばを残したのか。HPから山や向きの言葉を拾うと

・山に登ったり、川をわたったり、長い旅をしたり、時には野宿したり、時には飢えたり、時には寒さに凍えたりということは生きた学問である。これに比べて、綺麗な机に座って本を読むなどは、力があまりつかないことだ。

・・・・そうか、登山、沢登り、縦走、山でのビバークは生きた学問になるのか。確かに畳の上の水練とか言って、いくら練習しても実際の流れのある川では泳げない。やってみて、苦労してみて、知恵を付けて行くのである。

・登山では上りは倒れないが、下りでつまずくことが多い。失敗というのは順調な時の油断に生じる。

・・・・中々に真理を突いている。50歳で天瀑山に登ったからいわゆる中高年登山の悲哀を共感する。当年とって10歳は違うから今なら60歳から65歳くらいだ。体験からにじみ出たんだろう。

・春風のような優しさで人に接し、冬の霜のような厳しい態度で自分を正すのがよい。

・・・・・登山口の看板にもこの詩が紹介してあった。折りしも今は春だ。確かに春風は優しい。冬のように身を縮めることもない。他人には優しく、自分には厳しくだ。

 R19へ戻って帰名。帰路、最近ガンで入院するとかいう友人宅に寄ったが、留守だった。岩村名物のカステラを買ったのに残念でした。帰宅後電話すると奥さんが出て、すでに入院したらしい。春風のように優しく接する積りが空振りに終わった。

東濃・寿老の滝からの屏風山2014年10月10日

 今日は65歳の誕生日。ということで今日から老人の仲間入り。どうせなら元気で長生きしたいものです。平日であったが、何かの記念にと、恵那市に近い寿老の滝から屏風山に登った。峰山林道終点まで車で上がった。今日は曇り空で恵那山、御嶽山、中央アルプスの眺望はなかった。
 他に養老の滝からの養老山、美濃の誕生山、遠く足を延ばせば京都丹波の長老ヶ岳などがある。平日でもあり、近場で済ました。
 寿老とは多分、七福神の一神からの借用であろう。目出度いことには違いない。
 往きに弁当を買うのを忘れたので道の駅で朴葉寿司を買った。結構美味いものです。加えてご当地の新米も購入した。

裏木曽・高時山を歩く2014年09月30日

高時山頂上からの御嶽山
 9/27、御嶽山が水蒸気爆発を起こして3日目。懸命の捜索救助活動が続けられている。にもかかわらず、危険な火山ガスの発生で長時間は滞在できず、限定的なようだ。鈴鹿なら応援に行けるが特殊な高山では邪魔になるだけであろう。
 なるだけ近いところから御嶽を眺めたいと探したのが裏木曽の高時山である。検索するとランプの宿として知られる渡合温泉への林道は4月に修復し開通していることが分かった。加子母側の長い林道走行は避けたいから温泉から登ることにした。
 R257から付知峡へ入る。R257自体は昔は南北街道と言ったらしい。わざと古い町並みの街道を走ったこともある。そして、さらに驚くのがこの県道である。
 明治時代初期には御嶽信仰の登拝の道として開削された。主導者は私財を投入して完成させ、感謝されたが、家運は傾いた。中央線はまだ開通しておらず、白巣峠を越えて王滝へ行く方が近道にもなった。そんな歴史を刻んだ石碑があった。中央線の開通とともにこの道の登拝道としての役目を終えて廃れた。もっぱら林道として利用されている。
 渡合温泉への道は遠かった。県道から林道へ、そして未舗装の道へと進む。そのどん詰まりに温泉はあった。かつて1度、入湯させてもらったことはある。あの時は林道を走れるだけ走ってそこから歩いたから楽な山歩きだった。木曽越峠の歯痛地蔵だけは記憶がある。
 渡合温泉は夫婦で経営されているようだ。朝早く着くと主人がどこかへ出かけるようだったので、山道のインフォメーションをもらった。親切に紙に書いて教えてくれた。まづ滝を見学しなさい、と。というので旧道を歩くことになった。この道は初見であった。滝までは良い道があった。滝からは利用者も余りないせいで踏み跡程度になった。古い道標はそこかしこに残っているので何とか迷わずに歩けた。基本的には谷沿いに歩くが、一部崩壊箇所もあり、薮に覆われていたりする。初心者向きではない。約1時間もしただろうか、林道へ上がった。しばらく林道を歩くとまた道標で山道に導かれた。ここもススキで覆われて分かりにくいが突破すると何となく山道に開かれて行く。ヒノキの植林内を急登してトラバース気味に行くと木曽越峠だった。
 峠は加子母側の林道と付知側の林道がゲートで遮断されて行き来はできないが、開発し過ぎである。かつて慈しんだ峠の歯痛地蔵は辛うじて保存されていた。
 峠から一旦林道に下り、又登ると御嶽展望台があった。間じかに噴煙を上げる御嶽を眺めた。そこからしばらくでまた林道に下り、登り返した。この尾根はヒノキ、トチノキの大木が残る素晴らしいものだが、自然破壊がやり切れない。尾根伝いに登ってゆくと御料局の8の文字のある標石があった。付知側は国有林だからかつては御料林だったのか?
 1434mを経てさらに長い釣り尾根を登りかえすと御嶽山に開かれた山頂だった。2等三角点が埋まる。これだけ良い眺望であるが、御岳信仰の祠などはない。
 今も多くの登山者が山頂付近で心肺停止のままで救助を待っている。未発見の登山者もいるかも知れない。朝方から捜索救助のヘリコプターの音がひっきりなしに聞こえてきたが、可及的速やかな捜索救助を祈る。遭難された登山者を思い、手を合わせた。
 高時山は御嶽山の南南西の位置にある。噴煙を噴き上げる火口が良く見える。噴煙は北西の風に流されて東に流れてゆく。右に三笠山、左の継母岳も良く見える。継母岳は崩壊しそうなほど鋭角に聳えている。何事もなければ豪快な山岳風景であるが遭難者や家族を思うと心が痛む。
 25分ほど滞在して下山。峠からは山道を下ったが、旧道へは降りずに林道を下った。長い林道歩きだった。温泉に戻ると奥さんにあいさつして帰った。

恵那山秋色2014年09月29日

 9/27(土)は30才代の若い男女3名の同行を得て恵那山に登った。士業の同業であるY君とその事務員のO女、彼氏のNさん。かねてからどこか山に行こう、と誘っていた。9月始めの白山は天気不良で流れたので、恵那山になった。
 事務所前を7時に出発。園原ICから広河原の登山口を目指す。本谷川沿いの道を行けば良いのだが、地形図を忘れて右往左往した。地元でインフォメーションをもらって無事到着。林道は工事中でゲートがあった。Pにはすでに20台が止まっているし、路駐も数台あった。我々も隙間に場所を確保。
 午前9時半、仕度後出発。さすがに若い人は服装からして違う。2名がタイツにパンツスタイルだ。これは先年、北アルプスで見た。ひざが軽いので運動性は良いだろう。林道を約30分歩くと本来の登山口に着く。本谷川を橋で渡る。かつて増水中に渡り、落ちて死亡した事故があった。
 対岸に渡ると登山道は左にゆっくり登ってゆく。周囲は唐松林であるが今は青い。1ヶ月もすると金色に輝くような黄葉になるだろう。単調な唐松の植林内をほぼ直登するから急登になる。尾根らしい末端に取り付くと少し傾斜も緩む。多少は自然の植生になってきた。このまま緩むかと思った尾根道は再び急登になった。開けたところからは伊那の街が見えたが、飯田市だろう。
 完全に原生林の趣になってきた。高度計を見るとまだまだの標高である。着実に高度を稼ぐと山頂の一角になった。周辺に紅葉が見られる。何の植物か走らないが山頂はいち早く秋になった。人影が見えると高い展望櫓の建つ山頂であった。13時登頂。快適なペースだった。
 但し、ガスで何も見えない。

   頂上や霧深くとも櫓に立つ     拙作

 昼食などするうちに下山となった。急登の尾根を振り返るようにこんな傾斜をよく登ってきたもんだと思う。谷川にもすぐ下山した。谷水で汗を拭いた。林道歩きの後マイカーに戻った。早速、スマホ使いの誰かが、御嶽山が噴火したと、情報を話してくれた。「えーっ」というばかり。
 ここまで来たからには昼神温泉へと走った。天下の名湯で知られる下呂温泉と同じ泉質らしく人気が高い。とある温泉施設もスマホで検索して探してくれた。
 入湯したら、湯船に使っているとなりの人が本当は御嶽山に行く予定だったという。京都の登山者だった。ニュースで地元の旅館をキャンセルして、こちらに避難してきたらしい。明日は恵那山に変更したのだという。間一髪で災難を逃れたのだ。
 登山後の入湯は疲労回復に効果的だった。

初登山は美濃・南宮山と南宮大社初詣+アルファ2013年01月02日

 予定では干支の山で長野県南部の”蛇峠山”に登ることにしていたが、あいにく天気が思わしくないので中止。天気図を見ると東海地方では午前中だけは晴れそうだったので初詣を兼ねてのハイキングを探した結果南宮山に決めた。
 午前6時半、起床。7時すぎには自宅を出発できた。名古屋ICには7時半に入り、大垣ICから地方道、国道21号を辿り、南宮大社へ行く。三が日は交通規制中で、看板にしたがう。無料Pがいくつか用意されている。神社の上手、本殿の裏側に停めることができた。山登りが主なので早目に出発してきて良かった。
 現在位置を確認するために、一旦、本殿に参拝し、バス停まで歩くと人も車も一杯だった。このPは午前11時から規制される。キョロキョロすると、南宮山へのハイキングコースの道標が建っている。それを追うとちゃんと車に戻れた。
 空は気温が高いせいか快晴とはいかず、靄がかかっている。雪は一かけらもない。クリスマスのころに降っただけという。8時20分にPを出発。小さな鳥居が沢山並んだ道をゆっくり登った。奥社の手前で左折するとため池に着いた。ここでコースは二俣に分岐。尾根道を選んだ。
 下ってくる人もいる。皆空身なので地元民が散歩がてらに登っているらしい。コース案内の看板を見ると頂上まで1時間とあった。とにかく尾根を登り出す。するとたちまち息が苦しい。12月半ばから運動不足に食べているからやや体重が重め。そこを我慢しながら登ってゆく。厚着しているので2枚脱いだ。その間に追い抜かれた。
 尾根道は単調で詰まらないものであるが、高山神社に着くと松林の綺麗な林になる。松の落葉散り敷く山路である。登りきると「境」という石碑を2体見る。最後の境の立つところは象鼻山への尾根を分ける。傾斜が緩むと山頂である。ここは山頂というより、歴史の人物に因む展望広場になっていて望遠鏡まで設えてあった。東屋も2ヶ所ある。
 さっき追い抜かれたハイカーが先着していて世間話をした。大抵の人はここで引き返すという。ここまでが9時20分ごろ。南宮山の三角点を見に行く。とたんに踏み跡程度の道になり、緩やかに下る。小さなコブを終えると右へ急カーブして下る。下りきると又登り出す。10時、周囲は木立に囲まれた山頂に着いた。改埋された新しい二等三角点があった。小休止。
 空を仰ぐと薄い雲が流れている。予報通り午後から悪化の兆しか?昼食にも早いし、おまけに車に忘れてきた。テルモスの熱いお茶を飲んで下山する。最低鞍部まで下ると、またハイカーにすれ違った。三角点まで来る人もいるのだ。登り返すと中間のコブを越える。そこからまただらだら歩くと展望広場に戻れた。
 往路を下る。空身の親子連れ4人とすれ違った。結構、ヒマを持て余しているらしい。ダックスフンドを連れて気楽に登ってくる。そのまま下るとため池に戻った。ここからは山道から解放されて、普通の未舗装の車道である。さっきは誰も居なかった奥社に人が居て焚き火をしている。こんな奥社でも次次参拝客がある。私も参拝して辞した。連続する鳥居をくぐると瓦塚のPに着いた。11時20分。往復3時間でした。
 小用を足すためにまた本殿に行くと朝にも増して善男善女がずらーっと行列していた。さすが2日である。朝見たPは満車であったが11時からの規制で入らせないせいか数台のみ残る。立ち並ぶ屋台には美味しそうな食べ物がそろう。足の踏み場もないほど混雑している。そこを抜けてマイカーに戻り、看板の帰路に従って帰った。外に出ると駐車場につながる道路には参拝客の車が渋滞中だった。
 美濃一の宮のご利益は大したものである。金の神様という。マネーではなく、金属の意味だろう。いやあの金もゴールドという貴金属である。

 さて、まだ正午にならず、帰名には少し早い。そこでおちょぼ稲荷に寄ることにした。順調に行けた。但し、駐車場に入る車がここでも大渋滞で一旦引揚げた。約10km南の海津温泉に入湯しに行く。幸い今日から営業でいわば”初湯”を楽しむ。入浴客も混雑気味であった。又戻って様子を見ると混雑は治まっていない。
 そこで窮余の策で、農道の一角に停めた。無数の車が駐車してある。名古屋ナンバーの人と同時に停めて話すと以前はもっとひどかった、きょうはまだ良いほうという。
 大鳥居のある入り口に行くと正規の駐車場には120分待ちと朱書きしてあった。境内へは両脇に常設の店と露店が交互に並ぶ。そこをもの凄い人数の参拝客が歩く。幅3mもあるかないかの雑踏の街である。境内の手前で入場制限中で時々歩みが止まる。やっと境内へ。それも人を押し分けて拝むような始末。何でこんな無理な初詣をするのか。キャパシティが圧倒的に不足している。かといって分散でということもできない。
 ともあれ、”商売繁盛”を祈願した。農道から振り替えると室町時代以来というにしては天を突く神杉や南宮大社のように威圧するような建築物があるわけでもない。大抵はそれなりの雰囲気があるものだが、何が魅力でそんなに弾きつけるのか。不思議な感想を抱いた。2本つまみ食いした串カツは美味かった。娯楽としての初詣かな。

長良川第九の街に雪が降る!2012年12月24日

   金華山から俯瞰した長良川国際会議場、
   しばらくすると黒雲に被われ雪が降ってきた
   今日はウィーン岐阜管弦楽団とウィーン
   合唱団の第14回第九演奏会の日
長良川第九の街に雪が降る

雪雲が第九の街を隠しける

冬の川第九の街を流れけり

鵜船みな休みし冬の長良川

金華山冬日に憩う人だかり

   建物の陰にあった
誰も見ぬ三角点や冬木立

雪抱き小津権現の山眠る

    指揮者の平光 保さんがクリスマスソングメドレーのトップに
    立ち、ベルを鳴らしながら客席の袖からユーモアたっぷりに
    登場
ベルを手に走る指揮者のサンタめく

全身で第九指揮する十二月

バイオリニスト体ごと弾く第九なり

    赤いドレスの伴 和子さん(メゾ・ソプラノ)の
    クラシック特有のメリハリのある歌唱に感動
歌姫の声確かなるクリスマスソング

歌姫の声清らかな聖夜聴く

荘厳というべし第九響きあい

繰り返し第九に拍手又拍手

暗くして皆で聖夜を斉唱す

ゆらゆらとローソクの灯の聖夜らし

     伴さんの呼びかけに応じて寸志を寄付 
年の暮東北へ寄す募金箱

 会場を振り替えると1階席1295席が満席に近く、2階席も394席の半分ほどの客の入りだった。およそ1300人から1500人位だろうか。盛況だったと思う。伴和子さんは歌い、かつ司会進行役もやるがこんなに沢山のお客様が見えて・・・、と感激の面持ちだった。

明々と冬の夜空に金華山

梅雨雑詠2012年07月15日

  7/8 梅雨の谷(下大須、越波、高屋山)

ホトトギス鳴き声のまだととのはず

ビール飲み山談義する湖畔かな

草茂る谷の入り口さへ塞ぐ

山村に煙上がりし夏の朝

山びとは草を刈りつつけぶらせり

山蛭に備え虫除けスプレーす

万緑の谷清冽な水浴びし

夏の木のことに栃の木残されし

休むたび取り付く蛭を引き剥がす

ヤブ漕いで汗流しつつ登頂す

頂の三角点や夏木立

夏木立ブナある限り止められず

下山後は素足となりて蛭探し

金輪際山の蛭には親しめず

  7/14  鮎の宿「花いかだ」

梅雨出水川幅広し長良川

白波の泡立つ梅雨の長良川

長良川借景にして鮎の宿

山葵添え長良の鮎の洗膾かな

鮎寿司の一口大の小ささよ

雪の東海自然歩道を歩くー神海駅から華厳寺まで2012年01月03日

   遠山は濃尾はるかに初伊吹
 樽見鉄道はJR大垣駅から始まる。重々しいディーゼルエンジンをうならして美濃の平野をゆっくり走る。各駅停車して一人降りてはまた乗る人もある。本巣駅で乗り換える。ここからは極端に乗客が減るのかな。住友大阪セメントの採掘場の煙突から白煙がまっすぐ上がる。正月も操業中なのか。
  乗初や樽見鉄道乗りに来て
 美濃の平野を脱して、この辺から根尾川に接近して走る。川底も見えるほど透き通る。川沿いに走り、小さなトンネルをくぐると木知原=こちぼらに着く。根尾川が最も狭まるところだろう。ちらほら程度だった雪もぐんと増えた。沖積平野は一面の雪景色である。
 谷汲口駅を経て次が神海駅になる。空は鉛色に曇る。心なしか北陸の一角に来たような錯覚である。寂しい風景に胸に孤独感が募る。神海駅で下車するとディーゼルカーは北へ走り去った。かつてはここが終点だった。
 ここからはいよいよ歩くことになる。道路脇にはクリスマス寒波以来の雪が残っている。年賀状を配達途中か回収かは知らないがバイクの配達人が缶コーヒーで一服していたが彼が去ると人影は全くない。
 うるさいほどあると思っていた道標は一つもない。地形図を見ながら道路を歩き、適当に小道に入り根尾川を渡る橋に向かう。小道は大きく迂回するので線路伝いに踏み切りまで歩いた。子供の頃はよく歩いたものだ。ローカル線は郷愁がある。
 橋を渡る。初めての道標で確認して、右折する。しばらくは道沿いに歩く。近くの藪からチャチャという鳴き声がする。これがウグイスの笹鳴きだ。春になると美しい鳴き声のウグイスも今は地味な地鳴きである。
  笹鳴きや今は我慢と思ふべし
 やがて沖野という小集落を通り抜けると稲荷神社がある。地の人が3人、焚き火を囲んで談話中だった。ここでお参りさせてもらった。こんな小さな社でも正月は格別に清められて厳かな気分になる。道は行き止まりとなり山道になる。地形図では尾根に向かって破線路ががあるが入ってみると枯れ枝、倒木、折れた木で荒れ気味だった。雪も深くなった。一旦高まってまた車道に下ってしまった。このルートは廃道らしい。
 道標をみて、また車道を歩くと小さな谷あいに入ってゆく。周囲はスギやヒノキの植林山である。だからこその林道であろう。道沿いには柿がぶら下がっている。同行の人がかじると渋いという。誰からも見向きもされない。昔は焼酎で渋を抜いて食べたはずだが。
  誰がために山に実らん木守柿
 林道は全面雪で埋まるようになった。そのたびに足を取られるのでストックを出してバランスをとった。すでに12時となり、昼食にする。谷川の左岸から右岸へ、また左岸へと登って大きく迂回する。両岸から山が迫り、雪も深い。およそ20センチはあろうか。道標をみて高みに向かう。小さなジグザグを経て淀坂峠に着いた。するとそれまでは聞こえなかった華厳寺の鐘が響いててきた。
 休む間もなく急になった坂道を下る。谷沿いのやや荒れ気味の道を下ると妙法ヶ岳への分岐に着いた。ここで13時となり、往復2時間をかけると時間切れを思う。日の入りは16時50分ころ。帰りの足も不確かなので登頂は割愛する。
  華厳寺の手前で携帯電話がなる。聞くと実弟から知人のOさんの遺言書の相談の伝言だった。
  初電話いきなり問わる遺言書
 華厳寺に着くと凄い人出だった。本堂は底が抜けるほど参拝客が登っている。近くの鐘楼は順番待ちで行列ができている。観光地並みの賑わいである。本堂を仰ぐだけで下山を決めた。
  山好きは峠越えして初詣
 参道は善男善女で埋まる。土産物店が並ぶところも往来する人がひっきりなしに来る。店を除くと席は埋まり気味であり、パスした。車道が近づくと車が駐車場待ちで並ぶ。遠くまで車が渋滞する。農家らしい家の軒には干し柿が簾のように垂れている。
  冬日和すだれのやうな吊るし柿