三遠研の総会2024年04月20日

 豊橋市方面に向かう時に県道56号から片側2車線のR155に右折。このままでは知立へ行くので左折、地道を抜ける内に三河線をまたぐ。伊勢湾岸道へ左折して並行線から離れてようやく矢作川を渡った。
 岡崎市市街地も混雑気味である。岡崎IC手前でR1に合流。その先で喫茶店で一休み。モーニングサービスはオプションだったがコーヒー代プラス180円、360円、500円とうぉっという価格設定だった。しっかり腹づくりしたい人には良いかも。赤坂付近から東の空を見るとどんより雲が厚そうである。今日も黄砂が降っているのだろうか。
 R1から左折して御油駅周辺の渋滞を回避。山間部を迂回して本宮山の山懐を走り、豊川を渡った。秀麗な山容の吉祥山が目の前に見える。13時まではまだ時間があるので新城市図書館へ寄った。地域資料コーナーの中で研究輯録の創刊以来のバックナンバーをチエックした。2号の目次に響くものがあったので閉架図書の開示請求をして閲覧。読んでみると資料解釈が精細すぎてこなれていない。研究者の域を出て作家的な視点で書いてないと素人には読みづらい。
 時間が迫ったので富岡ふるさと会館に行く。総会なので令和5年度の事業報告と会計報告、次年度の事業計画と予算案の読みあげと説明があった。特に会計では現金不足が深刻である。印刷した『研究輯録10』が売れて資金回収できないとカネが回らない。
 これは山岳会の上部団体でも資金不足で幹部は資金調達に苦労している。どこもコストダウンに知恵を絞る。
 続いて、「ええじゃないかの始まりと広がり」と題して、豊橋市二川宿本陣資料館館長の和田 実氏の講演があった。江戸時代の末期に全国規模で起きた狂乱的な民衆運動だった。その中でも豊橋市に的を絞っている。

 余談メモ

名古屋市博物館のHPから
https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari_joyubi_news/eejyanaika/index.html

 「ええじゃないか150年
平成29年9月27日(水)~10月22日(日)
 いまから150年前の慶応3年(1867)7月14日、三河国渥美郡牟呂村(現豊橋市)へ伊勢神宮のお札が降り、二夜三日の祭礼が行われました。人々はお札降りを神仏の出現ととらえて祭礼を行います。お札降りが連続するとお祭りも連続し、日常生活が麻痺する熱狂的な騒ぎへ発展します。これが幕末に流行した「ええじゃないか」です。

 全国に伝播した「ええじゃないか」ですが、名古屋へは8月末に伝わり11月まで続きました。名古屋では、お札が降ると町奉行所へ届けて祭礼を行います。町奉行で集計されたお札は三千枚を超え、いかに「ええじゃないか」の騒ぎが大きかったかがうかがえます。加えて、名古屋の「ええじゃないか」祭礼は七日七夜にわたり、降札による祭礼の連続、祭礼の長期化が城下を祝祭空間に変えてしまったのです(図1)。

 こうしてみると「ええじゃないか」は、お札降りを口実に人々が勝手に遊びくるったようなイメージをもつかもしれません。しかし、名古屋の「ええじゃないか」祭礼は、地域の伝統的な祭礼のルールのもとで行いました。名古屋城下茶屋町をみてみると、町で管理する屋根神の中へ「ええじゃないか」のお札を納め、関係の寺社へとお礼参りをして「ええじゃないか」の一連の行事は終了しました。」以下略。

 慶応3(1867)年は日本が近世(封建制)から近代に生まれ変わった年でした。
・坂本竜馬、新政府綱領八策(しんせいふこうりょうはっさく)を起草
・大政奉還(たいせいほうかん)
・王政復古(おうせいふっこ)の大号令
 慶応4(1868)年は
・鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)を機に戊辰戦争(ぼしんせんそう)が始まる
・江戸を東京と改称し、年号を明治とする

 今の日本の世相と幕末はよく似ていると思います。消費税率が打出の小槌のようにアップしてきた。大企業には減税しているし、諸外国にカネをばらまくわでいい顔したがる岸田政権。江戸時代の大衆も重税に悩んでいた。
 昨年春から長良川や津保川流域の里山を歩いていると郡上一揆の石碑を多数発見します。
 郡上一揆は18世紀半ばに起きた農民の減税運動でした。
 農民は結束し秘密裏にことを進めめ公事(今の弁護士で宿泊所付きの法律事務所)に頼んで籠訴を準備。しかし籠訴は首謀者は獄門晒し首の掟がある。首謀者の実家の墓に行ったこともある。
 これは大衆への見せしめには効果があった。権力に逆らうと只では済まんぞ。というわけだ。その後に下流の美濃市で流行った大衆芸能の「美濃流しにわか」では時事、世相批判が材料で藩(支配者)をチクる。証拠を残さないために一回限りとした。おそらくですが権力への忖度があったのでしょう。
 さらに時代が下がると「ええじゃないか」が起こる。権力者を批判するでもない。戦後の学生運動は左翼運動でしたから大衆の支持を得られないままに終焉した。ええじゃないかは徳川幕府をつぶすためでもなかった。
 マルクスは「万国の労働者よ団結せよ」、と共産党宣言(1848年)を書いたが、そんな高邁な思想はない。
 江戸時代の大衆は絶望感の共有から変革への願望がええじゃないかにつながり、明治維新が生まれた。変わるべくして変わった。

次の山行は水晶山からナカザコ2024年04月12日

 長良川左岸の山はほとんど登っていない。そこでこの前の洲原神社から対岸に渡って上河和から水晶山、ナカザコと周回し、馬越峠への北上を考えて見た。ナカザコの北面が岩尾根で厳しいらしい。しかし里山の事だ、何とかなるだろう。馬越峠からは大矢駅まで歩き、長良川鉄道でマイカーのある洲原神社へ行く案。

池田富士と春日井三山を歩く2024年04月07日

 自宅を1時間早めに出発。地下鉄鶴舞駅でJRに乗換。高蔵寺駅で30分の余裕が生まれ高蔵寺駅構内の喫茶店で香り高いコーヒーと軽い朝食を取りました。
 内々神社行バスの始発は8時ちょうど。内々神社バス停まで約30分。内々神社まで徒歩2分。トイレで用足し後、登山を開始。境内の右側に東海自然歩道が通じている。植生は見事な杉、照葉樹林の高木でした。ジグザグで東屋のあるピークに登る。もう一つ先の四等三角点の北山を踏んで下る。犬山へ行く道と別れて右へ周回後、春日井市と多治見市の境迄歩く。そこには春日井三山の一つ弥勒山437mの登山口がある。
 今日は池田富士370mを経めぐりたいので少し戻ってラブホテルの入り口の左のピンクのテープから植林内に入る。枝が落ちていたり、倒木も未整備であるが踏み跡はなんとか歩ける。左側の金網に沿って歩く。林内は迷いやすいが赤、ピンク、黄色のテープのマーキングがあるので心配はない。金網にどこまでも沿うと無名のコブに出て北の方面の眺めが良い。少し戻って赤テープが多数巻いてある処から東へ行く。踏み跡は頼りないがテープが多数あるので迷わない。
 小さなコブを2つ乗り越すと池田富士に登頂。小さな祠が2つあり、ベンチのある処からは樹木が切り払われて多治見市街地を見下ろせる。霞んでいるが恵那山、南アルプスも見えた。休んでいると八曽山からというトレランのハイカーが登ってきた。凄い肺活量だね。赤テープに導かれて廿原へ下る。途中に鳥居や池田富士への道標も在って地元の人らに愛された里山だと知った。廿原と書いてつづはらと読ませる。
由来はhttps://www.gifu-np.co.jp/articles/-/82703
 多治見市廿原の山里に下るといちご狩りのマイカー客が一杯来ていた。ちょうど12時になったのでその中のmontanaという喫茶店でカレーを食した。
 約30分後、弥勒山へ登山を再開。桧の植林内のしっかりした登山道を弥勒山まで登った。ここでもトレラン1人が追い越していった。トレランブームかな?山頂では改埋された二等三角点が埋まっている。ベンチもある。東屋もありハイカーに人気があるのもうなづける。山頂を辞して急な階段状の登山道を下るうちに膝に痛みが走った。そろそろ下る。大谷山、道樹山と一応三山は踏破できた。
 計画では定光寺駅まで縦走だったが暑いのとひざ痛がぶり返して来たので道樹山で下山した。細野町に下って車道を歩き、15時55分、石尾台東のバス停で登山活動を終えた。本当はキャンプ場から細野のバス停に歩けば車道歩きは少なくて済んだ。石尾台のバス停で2つ目だった。待ち時間の間にストック、カメラなどを仕舞い、パッキング。16時12分のバスに乗って高蔵寺駅まで乗車。16時47分の快速に乗れた。

西濃・本巣駅から雁又山~大谷山下山後揖斐駅へ2024年03月30日

 名古屋駅7時発の電車は区間快速であるが通勤電車並みに混んでいた。行楽シーズン入りしてお客が増えたんだろう。33分で大垣駅着。大垣駅で樽見鉄道に乗り換え本巣駅下車。
 田園地帯の中でのんびりした田舎の風景を歩いた。喫茶店が営業している。2つ目の喫茶店では1日中モーニングサービスありと謳う。3つ目の喫茶店のモーニングサービスが気に成り、入店。朝飯を抜いたので、トースト、サラダ、茶碗蒸し、が美味しかった。30分のロスが出てしまった。
 大野町寺内の西外れの山麓の家並みを抜けて山腹奥深くに歩く。三差路で左は大谷スカイライン、右は金尾滝の案内があり、右へ。舗装路から砂利道に変わり奥まで行くと金尾滝に着いた。ここでも左は滝谷山、右の送電鉄塔の道標に従えば雁又山に行く。どちらも指導票はないので地図での判断である。GPSを見ると右側の道を歩いたから滝谷山への道標は見落としたかも知れない。
 鉄塔巡視路を登り始める。最初の鉄塔は眺めが良い。尾根の切り分けを行くと木に結び付けた布切れ、テープの類が左右にあるから迷わされる。尾根に忠実に行くと滝谷山へ直登するので右のやや下り気味の踏み跡を下る。すると谷にまで下ってしまうが数メートル下ってから横へ行くと再び鉄塔巡視路の道標があった。ここからは浅い水の無い谷の地形をゆっくり登った。すると又明るい尾根に出て、又谷を横切ることを繰り返しながら雁又山の鉄塔に着いた。ここで2人連れに出会った。
 左折してけっこう急な町界尾根を喘いで登ると430mの雁又山だった。三角点はない。新聞で見た展望台があった。ベンチもある。田園風景を見下ろす良い山である。土曜日というのに静寂な雰囲気は意外な気もする。
 自家製の弁当を食う。卵焼きとハムの焼いたもの数切れ。しかし腹筋に負荷をかけているために半分も食べきれなかった。お茶だけはがぶがぶ飲める。
 山頂を後にしてゆっくり下る。350mの鞍部迄下って登り返すと400mの展望丘に着く。北への見晴らしが良い。三角点398、1mは少し下って登り返すとあった。南から遠望すると双耳峰に見えるだろう。ここからは南に少し開けるが見えない。途中にはコブがいくつもありアップダウンする。350mの大谷山に着いたが城跡でもあった。ここからも大野町を俯瞰する展望台が設けられていた。
 大谷山からはやや急な尾根を下った。途中で二岐に分かれるが右は花立峠というのでパスしてしまった。地形図では野村坂としか認識が無かった。ここからは主要道に見える南尾根を下って分岐に着いた。このまま下ると運動公園に行く。間違ったと気が付いた。ハイキングが終わるので大谷スカイライン経由で花立峠に迂回することにした。
 地形図を見ると野村坂の印刷はあるが花立峠はない。しかし立派な花立峠の石碑がある。検索して見ると昔は谷汲山への参詣道だったらしい。揖斐川町へ下ると華厳寺へまっすぐの道だった。時間が迫るので権現山への縦走は牛洞坂で前途中止にした。
 野村山の頂上もパスしてう回路を歩いた。出合いで合流、少し下へ下ってまた別の道と合流するがヘアピンカーブのように右折。そのまま歩くと牛洞坂に降り立った。
 鳥坂から南へまっすぐな車道をひたすら歩くと仲之元でR303と出合う。更に南へ行く。右折すると真西へ三町大橋へ直進。途中で名鉄揖斐線の線路址があった。昔は2001(平成13)年に廃止されるまで終点本揖斐駅があった。他に谷汲線もあった。今朝通過した稲富にも駅があったはずである。マイカーでの参拝が凌駕したわけである。
 揖斐川町、大野町、池田町の三町大橋を渡ると揖斐川をまたぐ。東瀬古、溝口を経て揖斐駅到着。足が棒になるくらい歩いた。18時直前になった。いっぱいやりたかったが駅前には飲食店はなし。
 18時16分に乗車。大垣駅までは上下に跳ねるような乗り心地の養老線の旅でした。

中濃の里山歩き2024年03月10日

 3月10日 今までR156を往来する度に気になっていた美濃市の鶴形山にようやく登れた。
 車を停めた洲原神社からは見上げるような岩壁が見える。登山道は道標があり整備されていた。植生は鬱蒼とした常緑照葉樹林が占める。冬でも青々としている。
 長良川の水を引いた用水路があり、しばらくは樹林の中を岩壁を避けるようにジグザクに登る。下からはR156の騒音が聞こえてくる。
 急登もあり思いのほか難コースだった。神社跡の二ヶ所を経て、鶴形山へは道も未整備となる。少し雪の残る山頂からの展望は樹林に囲まれて皆無。足元にはヒカゲノカズラが繁茂している。周囲の植生は植林の下に照葉樹の灌木が生えて青い。
 そこから高山への縦走路に行く。今までと違い未整備な踏み跡で赤テープをチエックしながら歩く。鉄塔の周辺のみ樹林が伐採されて見通しが良い。一旦鞍部迄下がって登り返す。高山へはかなりな急登でフィックスロープもあったからまったく整備されていないこともない。ここで親子連れにあった。ちょっと家族連れには不向きな気がするが山慣れしているんだろう。
 高山は三山の中で唯一展望があった。濃尾平野に前山が立ち並び、彼方には名古屋駅前の巨大ビル群が見えた。御岳山は樹林に邪魔されるが真っ白にかがやき、白い。恵那山は良く見えた。恵那山の左側の白い山なみは南アルプスだろう。
 高山を下山し、母野洞の分岐点は明瞭ではないが、GPSで確認して左折。地形図で破線のある397mの鞍部迄一気に下る。野田洞という村への古道は明瞭に残って見える。ここからも明瞭な尾根歩きになった。この道はところどころにある高圧電線の鉄塔巡視路だろう。長い尾根の登りに耐えて母野洞三角点に登頂。しかし樹林の中で展望は皆無。
 一休みした後、急な落葉と雪にまみれた踏み跡をたどった。鉄塔巡視路へ行く踏み跡へ引き込まれそうになり、GPSで確認して引き返す。この踏み跡は明瞭だが南へ垂れ下がるように曲がる尾根に引き込まれそうになった。GPSで確認して引き返す。その後も簡単には歩かせてくれない山路でした。
 昨年の2月から登り残した中濃の山のピークハントをしていますが、里山といえども侮れない山々です。

郡上の東殿山と白山2に登る2023年04月23日

 今日も郡上の里山詣でに行く。振り返ると
2/26 上洲河の岳山773m
3/11 厚曽から黒岳795m 
4/14 西乙原の藤巻山733m
の3座になる。
 今日は藤巻山を調べていて知った東殿山と白山2である。白山2は点名である。奥三河にも鷹ノ巣山は段戸山1、寒狭山は段戸山2とあった。加賀の白山の御前峰は白山、白山1は不明、そして郡上の618mの里山に白山2が与えられている。その秘密は如何に。
           郡上八幡へ
 朝5時過ぎに出た。小牧東ICまでは高速で行く。近くの植田ICから一宮IC経由郡上ICまで利用すると3320円。名古屋ICからだと2140円。名古屋市内だけでも1210円。市内の通過がものすごく高い。ところが名古屋ICから小牧東」IC間は600円と安い。R41、美濃加茂からは岐阜県の県道63号線と286号線をつなぐと美濃市のR156へポンと出た。郡上八幡へは7時過ぎに到着。7時30分には出発できた。早起きは三文の徳である。
 Pはどこにするか検討したが市役所周辺の愛宕公園が平日は無料ながら休日は有料になる。どうせ半日程度なので郡上八幡の街歩きも楽しみに入れて城山公園駐車場に停めた。
         東殿山へ登る
 街歩きは約10分で愛宕神社に着いた。減税を求めて一揆を起こし打ち首獄門晒しの罪を負わされた宝暦義民碑を見学した。登山道は境内の奥から凝木を並べて遊歩道のように整備されていた。これは歩きにくい。赤谷山城跡の案内のあるところで一区切り。
 標高410m付近から登山道が立ち始めた。フィックスロープまでセットされている。足元の道には常緑針葉樹の落葉が乗っている。晩春から初夏にかけては常緑樹針葉樹(マツ、スギなど)の落葉の時期である。落ちているのは五葉松だろうか。新しい落葉は油分を含むので滑落に留意しながら登った。
 赤谷山城跡の三番目で頂点になり、そのまま先へ行くのかと思ったら青いロープで「元の道に戻れ」とあった。さては分岐のところで指導標が倒れていたので起こすと先へ道が続いている。桟橋もある。
 巻き終わって鞍部に登ってみると赤谷山は自然の要塞のような岩壁になっていた。地形図には表現されていない岩壁である。これではそのままでは下降できないからう回路を作ったのであろう。ここからも東殿山を巻く道があったが通行止めになっている。
 山頂へは左に寄り乍ら東のコブに到達後578mに行く。展望は若干大日ヶ岳と郡上八幡城が見えるだけ。しかし寒いのですぐ後にした。すると展望台が斜面に張り出してあった。そこからは郡上八幡の街並みを俯瞰できる。この眺めは良い。大日ヶ岳から左へ願教寺山、薙刀山、野伏ヶ岳が見える。
 尾根に沿って下山を開始した。470m付近から左へ振った。ジグザグに下ると石垣のある谷底に着いた。これはむかし安久田の人らの畑があった名残りだった。見落としたが谷沿いの破線路もまだ遺っているらしい。
 後は乙姫谷に沿いながら林道跡のように広い山道を歩く。堰堤があり、周囲にはヒメシャガが咲いていた。乙姫滝を眺めたが地味で規模も小さいのが惜しい。地元の人が散策に来ていた。むかしはもっと水量も多かったという。また夏はヤマビルが多いとも言われた。話終えると墓地のある谷口に着いた。
 路地裏の道を歩きながら往きとは違う橋を渡り、城への近道を登って城山公園Pに着いた。
 まだ12時前である。車でバローの店に行きお茶と昼食を買った。愛宕神社の参詣者用のPに行くと東屋があるので昼食を食べた。
        安久田から白山2へ
 愛宕神社から白山2に行く前に東殿山の山容を撮影するために郡上IC料金所の隣にある墓地へ行った。そこからはマッターホルンのような鋭鋒だった。地形図から受けるイメージより登ってみると険路の連続だった理由が分かった。
 その後R156を南行すると郡上八幡駅南の交差点から新緑の素晴らしい山が見えた。これから行く白山2である。北向きの斜面のほとんどが落葉樹の新緑でまぶしい。安久田へ左折。外れにある広場に車を停めて歩く。スマホのGPSの位置と地形図の破線とが重なったところが登山口である。ところが若干は誤差がある。荒れ地に入り込んで前方を見ると道が見える。その方向へ行くと微かな踏み跡があった。これでは分かりにくい。
 13時30分に杉林の良く踏まれた山道を歩き始めた。この道は山頂に建つアンテナの保守路として整備されたみたいです。基本的は尾根をたどりながらもコブは巻いて凹凸はない。場所的はよく掘れこんであり落葉が溜まっている。550m付近から道が急になった。ややジグザグに歩きながら登頂。約45分。三角点の脇には四角い建物と電波塔が建っていた。
 建物の東に白山神社という黒御影の石碑も埋まっている。これが白山2の謂れか。奥宮のイメージにしてはちょっと迫力がない。小さくても祠くらいはあって欲しい。
 麓から見上げるとあれだけ美しく見えた落葉樹の新緑も北西面にあるだけで東半分は植林である。展望はなく水を飲んで下山。往復1時間半の里山でした。

霾る日の藤巻山で一人歩き2023年04月14日

 登山口の表示ははないので記録でひかりの丘こども園の近くから獣除けの扉を探した。Pの端にあったが確信はない。職員にPの許可を得たがこれから父兄のクルマで登園してくるので拒否された。別の大洞谷へ移動して行く際に獣除け扉があった。ざっと見ただけではわからない。
 そこで尾根筋の道は下山することとし、東海北陸道の西乙原トンネルの入り口にある大洞谷側から取り付いた。高速道路を取り囲むように車道がある。西乙原トンネル上部への車道は獣除け扉があるが斜面なので引き返し赤谷トンネル側に移動。ここは平坦な場所に扉があり簡単に開閉できる。
 大洞谷の堰堤まで上がる。ここも登山口のマーキングは一切ない。砂防堰堤の右岸にある階段から堰堤上流に出てヤブを分け荒れた沢筋を登り、地形図の破線路は辛うじて踏み跡程度にはある。当地域の水源らしく水道用のパイプが上がっている。これを目印に登った。左岸側には車道が堰堤を越えているがPはない。ここからの方が入渓が楽にできる。
 地形図の破線路が鋭角に折れる尾根に取り付く地点をGPSでチエックすると水のタンク付近である。右岸の斜面を見ると微かな踏み跡があったので分け入ってみた。消え入りそうな踏み跡である。地形図でもコンターが詰まっているように非常に急で滑落に神経を使った。
 沢から尾根に上がると段々はっきりした。根っ子、幹、枝を支点代わりに確保して攀じ登る。593mの独立標高点の尾根に合流すると一息つける。この尾根は踏まれた道形が残っている。前途をふさぐヤブはなく植林帯の疎林なので倒木や枝などを避けながら650mの分岐に着く。
 650mの分岐で保育園からくる尾根と合流。登った沢やとりつきの尾根は下りたくないほど急なので下山はこの尾根をくだった。650mから山頂へは歩きやすい。かつてはよく登られたのはよく踏まれて掘り込まれているくらいはっきりしている。但し枝や葉っぱで歩きにくい。
 約2時間で登頂。山頂からの展望は樹林に囲まれて皆無。昼食時だが急登で腹筋が締まって固形の物は食えない。ポカリや水を飲んですぐ下山開始。下山の尾根ははっきりして歩きやすい。尾根は末端まで来るとあちこちに迷走するのでGPSの出番があった。目標にしていたひかりの丘こども園にダイレクトには下れず、尾根の途中から明瞭な登山道をたどると地形図に表現されない林道に下りたので右へ振った。標高250mの水平道で車を停めたトンネルのすぐ近くへ出た。麓へつながる道はなく、左へ振ればひかりの丘こども園につながったかも知れません。車道への出口は獣除けの扉があり鍵がかかっており乗り越えた。かなり暑くてくたびれた。
 R156からR256への法伝橋の近くのPから藤巻山のうねるような尾根が見えた。霾る(つちふる)せいですっきりしないが意外に素敵な風景である。帰りは下流にある子宝の湯で汗を流した。

飛騨・美濃の里山三座を歩く2023年03月19日

岳山からの御嶽山
 今日は1日で三座を歩く予定なので朝5時30分に出発。もたついているうちに5時50分になった。外に出ると外気温が低い。冷えるかも知れないな。またとない好天になる。
          関市の岳山へ
 名古屋からはR41を走って上麻生で左折。七宗町役場のある狭い街道筋を走る。ここは昔は飛騨西街道といった。今は下呂、金山につながる県道である。狭い峡谷から広い谷間の神渕に来たら左折して関市方面へ行く。平成こぶし街道というらしい。奥田の地名に注意しながら走ると均整の取れた岳山がちらっと見えた。ここで右折し奥田川に沿う細い道を行くと二股に道標があった。一軒の家に導かれるが家人に聞くと「4ダブか」と聞く。道は悪いがまだ奥に行ける。未舗装になると確かに悪路であるが駐車場はすぐだった。
           岳山を歩く
 親切な道標は細かく導いてくれる。Pから新しい林道を歩くとまもなく登山口だった。植林内の山路を行くと沢を渡り尾根道になる。ここからが急登に次ぐ急登だった。低灌木の中に松の大木が残っている。昔はまったけが採れたのだろう。530m付近から傾斜がゆるくなってもしばらくは平坦な道を行く。腰を下ろしたいのを我慢して行くと頂上だった。約40分。日章旗があった。祠もあるので信仰の山である。2等三角点は祠の後ろにあった。展望は南に開けている。
 東へ踏み跡が続いているので行くとここは御嶽山の遥拝所と思われた。方角的には北東に聳える。右側の前衛山脈は裏木曽の小秀山だろう。左には不完全ながら乗鞍岳も白い山容が見えた。右には黒っぽい恵那山がドーム形の特長ある山容を見せている。遥拝所から続く踏み跡は上八日市に下るそうだ。(家人の話)
 下山後、帰りがけに奥の家の主婦と山の話をしてもらった。晴れたら名古屋の巨大ビル群が見えるよ、と自宅から写真を持ってきて教えてくれた。今日も好天だが名古屋はもう霞で見えなかった。再び神渕に戻り左折、高岡山に向かった。
          高岡山を歩く
平成こぶし街道と謳うだけありコブシが一部咲き始めていた。昔は難所だったという袋坂峠はトンネルで抜ける。袋坂の小村を見送り、菅田笹洞へ左折した。笹洞白山神社を経て、左へ左へと行く。廃屋が2軒ある。三差路のスペースに車を停めた。
 林道は走れないことも無いがUターンの見極めが難しいので歩いた。林道は終点近くで山抜けにより崩壊していた。押し出された土砂を慎重に横切り、尾根に突き当たる。ここからは微かな踏み跡やヤブの少ない歩きやすい所を選んで適当に登った。588.8mの4等三角点大地ヶ洞を確認。やや緩斜面の雑木林の広がるところだった。山頂へと歩みを進めるが山頂標は朽ちたものがあった。そこを山頂とした。
 最高点と三角点が一体でないと締まりが悪いものだ。最高点一帯は雑木の密林で休む気分にはなれず三角点まで下って小休止した。
下山も適当にヤブを避けながら下った。林道の終点の手前に新しい崩壊箇所がありそこからの御嶽山の眺め絶品だった。
 撮影後また下って終点に下りた。後は林道を歩いて車に戻った。笹洞白山神社に参拝した。
 結局高岡山は標高も低く、山頂からの展望もなく、登山道も整備されないために登山者には愛されない山だった。信仰の歴史もない。不遇な存在と知った。
 県道58号線に戻り次は御前ヶ岳に向かった。貝洞という最奥の村を目指す。
             御前ヶ岳を歩く
 御前ヶ岳というからには御嶽山の御前であろうか。この山は山頂直下まで車道が通じていたのでマイカーで登った。貝洞で住民に林道の状態を問うと獣除けのゲートの開け閉めを注意された。林道に入ってすぐにゲートがあった。道路は特に四駆でなくとも走れるくらい路面状態は良かった。落石、枯れ枝等の障害もなく頂上直下まで来れた。駐車場から三角点(桐洞)までは往復10分だった。山頂には石仏が並んでおりかつては信仰の山だった。当然御嶽山の方向を向いていたから御嶽信仰だろうか。
 下ってゆく途中伐採跡にも寄ったが樹林越しに乗鞍岳が良く見えた。また白山も真っ白に光っているが撮影には難があった。結局山岳悪路のドライブで終わった。

早春の美濃の里山の黒岳を歩く2023年03月11日

 朝6時30分に出発。都市高速から東海北陸道の郡上八幡ICに向かった。郡上八幡から登山口の和良町厚波(あっぱ)へ。2週前に下見がしてあったのでスムーズです。
 厚波は五軒くらいの山村ですが南向きの1軒は人がいたが他は空き家でした。家は手入れされているので春から夏の間は居るかも知れません。

     寂しさや空き家の目立つ里の春

 山里を通過すると金山町への林道を走る。2km地点に古い登山口の道標があったが朽ちている。   
 昔は信仰で登山されていたらしい。今は廃道です。金山町との境が峠になっている。ここが登山口になる。
 そこから古い林道の廃道が尾根の半分の距離までつづいた。途中の南向きの雑木林にはマンサクの花がきれいだった。

     待ちきれず咲くマンサクの花細し

     
     さみどりに淡き黄色の樒かな 


 林道の終点からはかすかな踏み跡があり尾根に達したらヤブを登る。尾根上に出たらアップダウンはあるが消え入りそうな踏み跡をたどると山頂だった。
 展望は無し。山の神様を祀った祠の跡があった。これは厚曽(あっそ)側に向いている。実際厚曽の古老に話を聞いたら昔は登拝していたが今は下ろして里に祀ってあると言われた。厚曽への尾根も上から見る限りは植林の疎林でヤブではないために使えそうだが取り付きが困難。送電線保守路も厚曽の392m地点付近を下見したが跡形もなかった。ここも廃道か。
 結局はこの金山町と和良町の境界ルートがよく登られている。往路を戻った。
 車に戻ってまず道の駅「和良」へ行った。R256ですぐだ。ここで腹ごしらえした。スマホで調べると上之保温泉ほほえみの湯へは小那比川経由が少し早い。
 一車線の山岳路だが秘境の趣がある。津保川とその支流の村は高速道路や電車からも見放されて発展する機会がなかった。時代に取り残された山村である。しかしそれだけに鄙びた良さはある。

     早春の渓間に泳ぐアマゴかな    

 県道63号から85号になるとほほえみの湯が近い。一風呂浴びてもまだ時間があったのでネクストの山のアクセスの下見をした。県道85号を少し戻って県道294号で金山町へ山岳路の小合峠を越えた。峠の北が高岡山になる。
 県道58号を左折。和田から左折すると御前ヶ岳の登山口だ。逆に南下すると袋坂峠を越えて奥田から岳山の登山口になる。
 帰路は流れの良いR41に出て帰名した。

津保川流域のドライブ2023年03月05日

 深夜までスマホをいじるうちに就寝が遅くなり起床もずれた。名古屋出発は2時間遅れになった。高速を小牧東まで使ったが地道は信号待ちのロスが大きい。厚曽に着いたのは100kmほどで2時間以上かかった。それでも田舎道に入ると交通量は激減するから効率よく走れた。
 津保川源流域に来るとフロントガラスに小雨が来た。やれやれ雨か。モチベーションはダダ下がりになり予定が飛んでいった。厚曽は変わらずひっそりとしていたが一台の軽があった。老人が仕事をしていた。先週来た際に空き家が多い中でもそこはガラス窓がピカピカの家だった。後で山の話を聞くと日曜日だけ子供に送迎してもらっているとか。
 今日は奥まで走ってみた。R41から美濃加茂から左折して上之保の地名を追いながら走った。道の駅平成の案内が出てくればもう迷わない。下呂市厚曽まで一直線に県道63号線、県道85号をひらすら走ると放生峠を越えた。
 厚曽の古老は黒岳への登山道はないと言い切った。昔は山頂にあった祠も今は地元に引っ越したという。厚曽に祀られている。だから山から遠くなるわけである。
 厚曽の廃村を後に橋を渡るとトランクの置き場がある。その先は通行止めの表示があったがさらに林道の奥まで行くとまた橋を渡った。右手の谷が大きく伐採中で林道が伸びていた。古老はこの谷をどこまでも登れというのである。但し地元の精通者が案内しないと分からないだろうという。
 522mの尾根に取り付くために392mまで行って見た。ここは送電鉄塔の巡視路が通っているとの期待があった。しかし中電の道標はあったが対岸には踏み跡すら見いだせなかった。結果成果は得られなかった。しかし古老はこの山域は夏になるとヤマビルが出ると教えてくれた。今が一番いい時期だ、とは言ってくれた。往路を戻った。