哀悼!登山が好きだった八千草薫さん死去2019年10月28日

若かりし頃の八千草薫さん
 往年の美人女優の八千草薫さんが24日に88歳で死去と報じられた。ご冥福をお祈り申し上げます。
 八千草薫さんの出演された映画で今も記憶にあるのは1957年豊田史郎監督の「雪国」(原作:川端康成)。主演は池辺良(島村役)と岸恵子(駒子)で駒子の義妹役が八千草薫さんだった。ちょっとくらい役目だが活き活きと演じる姿は印象に残る。あの当時はまだ冬のスポーツのスキーも活発ではなかったから雪国の生活は大変だった。そういう貧しい雪国の愛の物語である。
 川端が逗留し執筆していた高半旅館(現:雪国の宿 高半)の部屋も保存されて見学したことがある。
 映画のはじめは国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。という書き出しの通り、蒸気機関車に引っ張られた客車の中に池部良と八千草薫が座っている場面がある。

【「雪国」 川端康成】
 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
 明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。
 もうそんな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に呑まれていた。
「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます」
「ああ、葉子さんじゃないか。お帰りかい。また寒くなったよ」
「弟が今度こちらに勤めさせていただいておりますのですってね。お世話さまですわ」
以上
 この中の葉子役である。「駅長さあん」と叫ぶのが八千草さんだった。段々思い出してきた。1957年封切りなのであの頃で26歳だった。ちょうど谷口監督と結婚し山歩きをし始めたころだ。DVDが出てきたらまた観てみよう。

Never too late.・・・・映画「Edie(エディー)」から2019年10月25日

 2020年1月に83歳の主婦がスイルベン山頂へ!映画「イーディ、83歳 はじめての山登り」が公開される。何と83歳である。

 歌は世につれ、世は歌につれ、じゃないけど映画も高齢社会の影響を受ける。アメリカ映画「ロングトレイル」は60歳の男性作家が3000kmを超えるトレイラーとして挑戦するが挫折する話。今度は83歳の女性初心者の話。

 私の山岳会にも60歳代から70歳台の元主婦は多くいる。男性は80歳代に達した。中でも60代半ばで入会してきた某は元日銀OLで夫も日銀支店長として全国を転勤していた転勤族である。妻として身の回りの世話のためにあちこち転居してきた。日々の生活に明け暮れて、2人の子育てもきっちりやった。夫の定年退職を機に遊び始めた。まずは卓球だった。その友達が入会してきた縁で連れ立って入会した。
 名古屋近郊の低山歩きにはしっかり参加して熱心に歩いたので力が付いた。予定がなくても催促があると適当に設定して連れて行った。ある年、三泊四日の夏山縦走の計画が持ち上がった。男性2名女性1名だったが寂しいのでもう1人誘うことにして某に声掛けすると乗ってきた。途中でバテたら小屋の荷揚げのヘリで救助を依頼しますからと。
 折立、薬師岳、五色ヶ原、立山と縦走して無事に下山。まるで発狂するかに興奮した。達成感で感動を越えてしまったのである。室堂の土産物店で物色していると何でも買いなさい、お勘定は私が払う、と言って聞かない。気丈な性格は承知であるがこの時は申し入れをありがたく受け入れた。
 その後、主婦仲間にこの縦走を話すと羨ましがられたという。某には誇らしい人生経験になったのだ。平凡とばかりに思っていた老後にこんな素晴らしい経験ができるとは思わなかったと感謝された。
 某は伊那の低山で不覚にも転倒し右腕を骨折したのを機に退会し登山からも引退された。夫は妻の骨折が直る間は自分で家事をこなすことになったからもう止めてくれと泣きつかれたのだろうか。
 何事も始めるのに遅すぎることはないが、リスクもある。
 映画「エディー」はどんな話になるのか。高齢社会は世界の趨勢であるから注目されるだろう。

以下はニュージーランド在住の日本人女性「自然大好きトレッキング大好き写真大好きなニュージーランド在住のネイチャーフォトグラファーyumiM」の映画の感想記の一部です。2018の夏の記載です。英国では2017年に公開されています。

https://ameblo.jp/izumi-483/entry-12394709489.html

映画のあらすじはというと、

舞台は現在のイギリス。

支配的な夫と結婚して以来、自分の魂の声、自由な心、情熱、夢を失って生きてきたエディー。

30年の介護生活の末に夫の死を迎え、今まで「妻」でいたという義務感だけで生きてきた彼女にとっては生きる意味さえもわからない日々。

夫の死後3年後に、娘がエディーをお年寄りの施設に入居させようとするがエディーは気に入らない。

そんな時、幼少時代に父から送られてきた一枚の絵ハガキを手にしてスコットランドのSuilvenという有名な山に登るという、封印してきた夢を思い出す。

ある日、町のフィッシュアンドチップス屋さんでランチを食べ後終わりそうな頃、「今からフライドポテトを注文しても良い?」と注文したエディーに対し、「手遅れなんてことは全然ないよ。(Never too late)」と答えた店員。

Never too late.

この言葉にピンときたエディーは、山に登る決意をし、行動を起こすのであった。
以上

【人権問題特別講演会】「杉原千畝の功績 歴史から学ぶ」を考える2019年07月20日

 名古屋市中区の中生涯学習センターで13時30分から15時30分。表記の講演会に出席した。

講座名 杉原千畝の功績 歴史から学ぶ
     ~命のビザが救った多くの人々の人権~

【 講師 】元岐阜県八百津町国際交流員 ハニト リバーモア

★あらまし★
幼少期に中区平和小で過ごした杉原千畝は、中区の誇れる偉人です。命のビザで知られる杉原千畝の功績を歴史から学び、社会にある人権問題の解決に向けて一緒に考えてみませんか?

・・・テーマは人種としてのユダヤ人側から見たホロコーストの迫害の歴史話であった。講師の夫の父が当事者らしく、人権上の切実な訴えに近い。
 かつて杉原幸子著『新版 六千人の命のビザ』を読んで以来関心を持ってきた。また、映画「夜と霧」も見た。ただ、ホロコーストを知っていますかとハニトが言ったので挙手して「映画」で見たよ、と。どんな映画か、と問われたが咄嗟に答えられなかった。調べると「夜と霧」に違いない。
http://koyaban.asablo.jp/blog/2018/04/06/8819943

http://koyaban.asablo.jp/blog/2018/04/02/8817543

以下、ユダヤ人はなぜ迫害を受けるほどに嫌われてきたのか。ネットから拾ってみた。

 ヨーロッパは国単位で考えるなというのは多分馬渕睦夫氏だったと思う。ユダヤ教、キリスト教の確執も分かりにくい。以下にあげる欧州の革命の度にユダヤ人が勢力を広げてきたことが分かる。他国の王政を壊し、ユダヤの息の掛かった政権をたてて、金融財務を握り、言わば、ディープ・ステーツを形成してきた。他、司法、新聞、芸能などに食い込んだ。

***17世紀 英国革命***

「ピューリタン革命はユダヤ人受入のための革命だった」ということです。

それまでイギリスは、400年近くに亘ってユダヤ人入国禁止としていました。それに対して、オランダのユダヤ人金融資本家が、クロムウェルに資金提供し実現させた革命とのことです。

その後、イギリスに宮廷ユダヤ人が入り込み徐々に勢力を拡大していきます。そして次に、彼らの意向が通るように王政から議会政治への道を開いたのが、いわゆる名誉革命(1688年~1689年)です。

これらを主導していたのが、主にオランダの金貸しで、有力者に資金援助したり、借金させたりして、その弱みに付け込んで、自分達の意のままの体制をつくってきたということです。

その5年後の1694年には、ついに本格的な中央銀行として、イングランド銀行が設立されました。

中央銀行は、「通貨は負債から生まれる」つまり「国王等が借金すればするほど通貨が発給される仕組み」で運営される錬金術機関です。その後、金貸しは世界各国に次々に中央銀行を設立していきます。
世界各国の民主化への戦争や変革、自由な経済活動推進への動きは、中央銀行設立とそれによる国家支配の動きといっても過言ではありません。

***18世紀 フランス革命***

フランス革命はフランスユダヤ革命だったのです 日本の明治維新が明治ユダヤ維新だったことです 日本を商人国家とすることだったのです。

***20世紀 ロシア革命***

 ロシアの社会主義運動の中心部にいたのは、ユダヤ人だった。19世紀末ロマノフ朝圧制下のロシアで、ユダヤ人はポグロムと呼ばれる虐待・虐殺を受けた。多数のユダヤ人が出国してアメリカ等に移民した。ユダヤ人に対する迫害を阻止するには、ロマノフ王朝を打倒しなければならないとする急進的な革命思想が広がった。将来のパレスチナへの移住よりも、現在の体制からの解放が追求された。そのため、多くのユダヤ人が革命運動に参加するようになった。シオニズムより共産主義という選択である。

***ドイツ革命***

『第二次大戦時、ユダヤ人はなぜドイツで迫害されたのか』
ユダヤ人がホロコーストでいかに甚大な被害を受けたのか、を説明する本は多々あるが(図書館のドイツ史コーナーに行くと、そんな本ばかりである)、なぜユダヤ人がそのような迫害を受けるに至ったかを簡易に説明する本は少ないと思う。

この記事では、戦前の日本で発行された本などを参考に、ユダヤ人がどのようにしてドイツで恨みを買い、迫害される原因を作ったかを簡単に書いていきたい。

第一次世界大戦においてドイツは連合国(イギリス・フランス・ロシアなど)と戦った。その戦争中に、ドイツ内のユダヤ人は各方面で勢力を拡大した。

商業においては、他国のユダヤ人と協力して物資調達を行い、商業上の地位を上げ、また巨利を得た。窮乏しそうな物品(食糧など)があれば先回りして買い占め、隠匿し、値段を釣り上げて売却した。このような行為は取締りにあったが、法曹界にユダヤ人が多かったことから、ユダヤ人商人はほぼ罰せられず、ドイツ人商人は厳罰にあった。

ユダヤ人左翼は戦時下においても革命の準備を着々と進めていた。新聞はユダヤ人経営だったので、新聞を通じて世論を左傾させ、他国においてはドイツへの憎悪を煽った。ドイツの左翼は、自分達の革命が成功するためには、ドイツの敗戦が必要であると宣伝していた。

第一次世界大戦末期の1918年、ユダヤ人を中心とする左翼はドイツ革命を成功させ、ドイツを共和国にした。この新政府要職の多数をユダヤ人が占め、さらに教育、司法、警察などのトップにもユダヤ人が就いた。

敗戦後のパリ講和会議に出たドイツ代表もユダヤ人だった。

第一次世界大戦敗戦でドイツは多額の債務を背負い、苦しい生活を送ることになった。ドイツ人にしてみれば、自分達が祖国のために戦っている間に、他民族に国を陥れられ、戦争に負け、長い窮乏生活を送らされる破目になったのである。

日本人に置き換えて状況を想像してみてほしい。命をかけて戦争に赴いていたら、国内の少数の異民族が撹乱工作を為し、戦争のロジスティクスを操作して暴利をむさぼり、新聞を支配して言論を操作し、戦争中にもかかわらず国家を転覆し、政体を変えてしまう。新政府の要人はすべて異民族に占められ、経済、教育、法、通信、芸術などがその異民族に好きにされる。一方で自分達は戦後賠償のために奴隷のような困窮生活を送る。これで怒らない民族はいないだろう。

このような状況に対する怒りが、国粋的政党(ナチス)に対する熱狂的な支持を生むに至った。ユダヤ人は、郊外にピクニックに行った人が突然の雨に逢ったかのように迫害されたのではなく、迫害される原因を自ら作っていたのである。

またこのような状況は、他国においても歴史上繰り返されてきたことで、ユダヤ人は紀元前から同様のパターンを各地で繰り返している。

ユダヤ人がこのようなパターンを繰り返さず、平和裏に他民族と共生できたのは、ユダヤ人の権利が制限されている社会においてだった。ユダヤ人は教育・司法の職についてはならない、などの制限があった社会ではユダヤ人の台頭も限定的だったので、ユダヤ人への迫害も起こらなかった。

ナチスのユダヤ人への仕打ちを肯定するわけではないが、現在のナチスとユダヤ人への言論はあまりに一方的であり、ユダヤ人は再び迫害に至る途を辿っているように見える。どんなに法律を制定しても、ネット上での言論を取り締まっても、AfDなどの政党は支持者を増やすだろう。

「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」というが、ユダヤ人の知恵にはこれが欠けている。
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『全ての不幸の元は旧約聖書』

2000年以上前に書かれた『旧約聖書』の記述をほとんど唯一の根拠として、欧米の白人系ユダヤ教徒(アシュケナジー)によって中東のパレスチナの地に人工的に建国された宗教国家が、『イスラエル』と言う名の紀元前の古代国家と同名であるが勿論何の関係も無い。

この『ユダヤ教』という宗教によって作られた国家(イスラエル)ほど、パスカルの『人間は宗教的信念をもってするときほど、喜び勇んで、徹底的に、悪を行うことはない。』という言葉の正しさを証明して見せているものはない。

現在ガザで行われている悲惨で愚かな蛮行の出発点、根本原因とは何か。?
それは、猛烈に不愉快な一つの神を持つ一部族の『カルト』だったユダヤ教と、そのカルトの教義を記した『旧約聖書』にその原因の本質があった。

『旧約聖書とは何か』

ユダヤ教の教典で有るばかりでなく、欧米世界で最も影響力が有るキリスト教の教典の一つでも有る『旧約聖書』の、病的ともいえる悪行を為す残忍な鬼畜のような『神』の存在抜きにして今のイスラエルの蛮行を説明するのは難しい。
引用は以上

 ハニトさんは被害者意識一辺倒であった。ユダヤ人というだけで子供も殺害された。その数600万人という。うち子供は150万人という。ユダヤ人の立場からみればまさに迫害だ。しかし、上に上げた革命のうちロシア革命では2000万人のロシア人を殺害しているという。
 なぜユダヤ人が迫害されるのか知っていても言えない。これは止む無し。ユダヤ人が公平には学問的に客観的に述べられる立場にはならないだろう。これはユダヤ人たる彼女の限界である。
 人権問題の講演会としては消化不足であった。ハニトさんをはじめとするユダヤ人が私どもも悪かったのよ、と虚心坦懐になれば反ユダヤ問題すなわち人権問題は無くなる。人権問題には狂信性がある。ユダヤ人は賢いが、どこか間が抜けても居る。間が抜けているのはカルトといわれるユダヤ教徒ゆえであろう。ユダヤ人たるマルクスが言ったという「宗教は阿片だ」という言葉。理知も何もないのだ。

司馬遼太郎『北のまほろば―街道をゆく〈41〉』読了2019年06月22日

目次だけを見てもボリュームたっぷりだった。読みこなすのは大変なことだった。

古代の豊かさ
陸奥の名のさまざま
津軽衆と南部衆
津軽の作家たち
石坂の“洋サン”
弘前城
雪の本丸
半日高堂ノ話
人としての名山
満ちあふれる部屋
木造駅の怪奇
カルコの話
鰺ケ沢
十三湖
湖畔のしじみ汁
金木町見聞記
岩木山と富士山
翡翠の好み
劇的なコメ
田村麻呂の絵灯篭
二つの雪
山上の赤トンボ
志功華厳譜
棟方志功の「柵」
移ってきた会津藩
会津が来た話
祭りとえびすめ
鉄が錦になる話
恐山近辺
三人の殿輩
蟹田の蟹
義経渡海
龍飛岬
リンゴの涙
以上
・・・約400ページに圧縮され、非常に多彩なテーマを織り交ぜながら、青森県の歴史と文化を楽しませる。
 ことに興味深いのは愛知県豊橋市出身の菅江真澄の話が縦横に語られること。真澄の見聞が契機となって古代史に光が当たる。真澄の旅は物見遊山ではなく、国学で学んだこと、すなわち日本のことをもっと知りたい、日本人は何者だったのか、という学問的欲求だったと思われる。
 山のこともちょっぴりだが入っている。岩木山、八甲田山をベースにした文学の盛んなことも指摘。風土色の強い芸能も盛んである。
 青森県の歴史は津軽と南部の重層性が特殊である。津軽は南部から分かれた。津軽為信の野心が南部からの独立させた。弘前城の規模は徳川家康の許容範囲を超えたものらしい。それは関ケ原の戦いに際しての津軽為信の政治性の巧みを描く。
 その上に近代以降の会津藩の多層性もある。青森県の歴史と文化は一筋縄では解読できない複雑さがある。
 個人的な興味は三重県の北畠家が青森へ移ったことで、児童文学者・北畠八穂が生まれ、近代文学に華を添えた。
 この紀行自体は太宰治の『津軽』を下敷きにしている。太宰の視点で津軽の理解に努めた風だ。
 リンゴの涙の章の最後に小学生の詩を引いた。「リンゴの涙」と「でかせぎ」。「津軽や南部の言葉を聞いていると、そのまま詩だと思うことがある。」と。「この小さな津軽詩人の詩を借りて「北のまほろば」を終える。」と締めくくった。
 演歌歌手・吉幾三の「津軽平野」は1984年のリリース。歌詞にでかせぎ、岩木山が出てくる。美空ひばりの「津軽のふるさと」「りんご追分」など数々の名曲にはりんご、岩木山が出てくる。
 青森県自体が詩の国なのである。

 初出誌は1994年5月22日~1995年2月24日号の週刊朝日に連載された。

 この中の「湖畔のシジミ汁」には名古屋市の出身で、城郭考古学を専門とする奈良大学教授の千田 嘉博氏の学説も引用されている。名古屋城の解体、木造化で揺れている昨今、千田氏の言動に注目が集まる。上物の更新だけに傾倒した行政の前のめりの姿勢を批判し、石垣の保全に目を向けさせる。

ヒトラーとチャーチルの映画の通低はユダヤ人2018年04月06日

 『夜と霧』と『ウインストン・チャーチル』の2本を観た。どちらも根底にはユダヤ人が問題としてある。被害者としてユダヤ人が強調されている。
 以下のHPの主張を観るとチャーチルはユダヤ金融財閥の代理人だった。英国のためにではなく、ロスチャイルド家のために戦争をしたのである。
 映画では英国と世界を救ったなどと英雄視される。ハリウッド映画はユダヤ人のものゆえに真実は描かれないわけだ。ヒトラーを悪者として描く。ユダヤ人をホロコーストに導いたのはユダヤ人側にも原因があった。
 ロシア革命でもロシアの国民が皇帝を倒したのではなく、アメリカからロシアに移住したユダヤ人がロシア人を大量虐殺して成立したロシア・クーデターと言われる。その後はユダヤ人がソ連建国へと導く。
 いわばチャーチルとソ連指導者は仲間内だ。ドイツを叩けば欧州の半分はソ連に盗られる。根底にはユダヤ人の利益になる。
 あの映画が尻切れトンボで終わるのもこうした背景があるがらだろう。

 https://www.youtube.com/watch?v=S6Ey_NZPGiQ
 馬渕睦夫 世界規模で隠されるロシア革命の謎!!馬渕睦夫が徹底解説!!

 https://www.youtube.com/watch?v=tZfDtuZO5oU
 【おそロシア】(馬渕睦夫 解説)学校で学んだロシア革命は完全に嘘である!隠されたユダヤ人の正体とは?!

 
 http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc622.html
  ロスチャイルド家の代理人  チャーチルの反撃

 ヒトラーが1936年に立てた計画では、1938年にオーストリア、チェコスロバキア、ポーランドを併合、そして後にソ連を占領し、作戦は1943年に終了する予定になっていたという。しかもその間、イギリス、フランスは無干渉でいるだろうと計算していたらしい。
 そして、ヒトラーが計画していた「ユダヤ人問題の最終的解決」とは、「ユダヤ人の絶滅」ではなく、ユダヤ人たちを東方地域へ移住させることだったという。

 しかし、計算が狂ってしまった。特に1940年5月11日にイギリスの宥和派であるチェンバレン首相が解任され、チャーチル首相が登場すると、大きく計算が狂ってしまったという。

 イギリスの対ヒトラー政策を、「宥和」から「全面対決」へ突然変えた男、チャーチル。彼はナチスの脅威からヨーロッパを救った平和の使者だったのか? それとも……
             中略
 以上はソースにアクセス

 このスターリンとの対決の前に、ドイツはオランダだけでなく、ベルギー、ルクセンブルクを占領し、破竹の勢いでイギリス海峡に到達。さらにムッソリーニのイタリアが南からイギリス・フランスに宣戦布告し、フランスを挟撃する形を取った時には、フランス政府は逃げ出してしまったのである。

 1940年6月14日、ドイツ軍がパリへ無血の入城を果たし、かの憎むべき屈辱の条約を締結したヴェルサイユ宮殿に、いまはクレマンソーの姿はなく、ヒトラーの有頂天にのぼりつめる姿が代わりにあった。パリ陥落……
        〈中略〉

 ユダヤ人にとってただひとつ残された希望、それはイギリスのほかになかった。ウィンストン・チャーチルの両肩にすべての責任が重くのしかかってきた。ところがこの好戦家は、周囲に重厚な人材を揃えていたため、たじろぐどころか身を乗り出して戦闘を呼びかけた。
 ヒトラーが休戦を申し入れても、それを蹴ったのがチャーチルであった。チャーチルは、イギリスの敗北を避けるための首相ではなく、ナチズムを倒すための首相、として選ばれていたからである。チャーチルに与えられた任務は、戦勝に向かう道であった。

 それまで石炭を使っていた軍用船に石油を使うよう海軍を大改革した最初の男、それがチャーチルであった。史上空前の海軍予算を使い、海軍大臣としてヴィッカースやアームストロングの造船事業に莫大な金を投じてきた。空を見上げれば、航空大臣としてイギリス空軍の生みの親がチャーチルであれば、軍需大臣として戦車という動く兵器を戦場で自ら考案したのも同じチャーチルであった。しかもこれら機動部隊への燃料補給のため、中東の石油会社の株をイングランド銀行の金で買収させてしまった。

 近年の企業番付では、ヨーロッパ1位が「シェル」、2位が「ブリティッシュ・ペトロリアム」(英国石油)という順位が不文律となっている。後者はBPと略して呼ばれ、つい先年、1987年に株が民間に公開された時には史上最大規模のためロンドン・シティーが大騒動となった。石油王ロックフェラーの本拠地「スタンダード石油オハイオ社」を完全買収し、鉱山王グッゲンハイム家が支配してきた世界最大の産銅会社「ケネコット」も買収したのが1980年代のBPの姿だ。このBPの株を海軍に買わせたのが、ほかならぬチャーチルだったのである。そのためウォール街では今日でも、チャーチルは世界一の投資家とみなされている。

 チャーチルは戦争が面白くてならなかった。インド、エジプト、南アという大英帝国植民地の3C拠点で、原住民を苦しめ抜いた戦争のなかから誕生したチャーチルが、今や独裁者ヒトラーを倒して自ら英雄になろうという野望を抱いていた。


               ◆


 ところがこの人物、単純な戦争屋ではなかった。ほかに別の目的をもって活動してきた。侵略の急先鋒として、植民省のナンバー2「次官」から商務院に移って総裁のポストに就くと、ロスチャイルド一族の貿易のために走り回り、次いで情報機関のボスとして内務大臣を務めたあと、海軍大臣となっては艦船を激増させ、軍需大臣となっては戦車の生産に没頭した。さらに陸軍大臣・航空大臣・植民大臣と軍事世界のトップを歴任したが、いずれのポストにあっても、ほかに類のない軍備増強の足跡を残してきた。細菌爆弾の研究さえ命じたことが明らかにされている。

 この男が大蔵大臣という要職を手にしたのが1924年、その翌年にチャーチルが何をしたかと言えば、シティーのロスチャイルドやゴールドシュミットなど五大金塊銀行がボロ儲けをした金本位制の復活という一大経済政策であった。第二次大戦の開戦と共に直ちに海軍大臣となってしきりに腕をさすってみたが、チェンバレンのドイツ融和政策の前になす術もなく、首相を猛烈に批判してきたチャーチルである。悲願であった首相のポストを手にして、そのうえ国防大臣を兼務することになったのであるから、戦争屋にはこたえられなかった。

                ◆

 チャーチルは間違ってもヒトラーを倒した英雄ではなかった。イギリスの軍需産業に火を付け、そのためヒトラーとナチズムを生み出した戦争の挑発者、特にナチズムに対するドイツ国民の共感を誘発した男、第二次大戦の要因を自らの手で生み出した男、それがチャーチルの過去であった。そして自分で蒔いた種は、自分で刈り取らねばならなかった。その男の出番が到来したのである。

 “チャーチル首相の閨閥”を系図でみると、従兄のチャールズ・チャーチルが、19世紀全米一の富豪で鉄道王ヴァンダービルトの娘と結婚していたため、首相は一文無しのような顔をしながら、一族には金がうなっていた。従姉リリアン・チャーチルは、イングランド銀行総裁とモルガン・グレンフェル創業者のグレンフェル一族と結婚し、これまたロスチャイルド家とモルガン家という世界二大富豪を掌中にしていた。チャーチル本人はマルボロ(モルバラ)公爵家に属する最高位の貴族ファミリーで、1953年にガーター勲章を授けられて、サーの称号で呼ばれるようになり、チャーチル夫人は、“レディー”と呼ばれるようになった。

                ◆

 チャーチルは若くして、ロスチャイルド一族に惚れ込み、南アのボーア戦争に参戦する直前、21歳のときにロスチャイルド邸のパーティーに招かれていた。

 「ロスチャイルド卿は素晴しい感覚の持主で、まことに博識です。このように賢い人に会って話を聞くことができるというのは、実に貴重な体験です」

 このようにしたため、母に手紙を出していた。この文面にあるロスチャイルド卿は、MI5“スパイキャッチャー”ヴィクター・ロスチャイルドをパーティーの14年後に生み落とす家族、当時のイギリス政界を動かしていたユダヤ王の当主だった。

 チャーチルの惚れ込みようは尋常なものでなく、終生ロスチャイルド家の代理人として働いたが、戦後、南アの「アングロ・アメリカン」や「リオ・チント」の資金を糾合してカナダに巨大発電プロジェクトを成功させ、アンソニー・ロスチャイルドとエドマンド・ロスチャイルドを感激させたのが、チャーチルだった。

 「私が老いても友情がこわれないというのは嬉しいことです」

 チャーチルはその時ロスチャイルド宛てにこう手紙を書いたが、この開発事業というのが、カナダのチャーチル河にあるチャーチル滝のダム建設で、これがのちにロスチャイルドの原子力帝国を築く出発点となり、わが国のウラン輸入に大きな道を拓くのである。ロスチャイルド家の誠実な代理人で好戦家、これがチャーチルの隠された最大の特質であった。ロスチャイルド財閥のメンバーとして、この男が首相の座についた瞬間、イギリス国内の反ユダヤ勢力は一掃され、上流社会の動揺は遂に鎮静された。ロスチャイルド財閥は崩壊していなかったのである。

以上、広瀬隆著『赤い楯』(集英社)より

映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」観賞2018年04月02日

 前評判の高い表記の映画を見に行った。映画館は昨年開館した日進市赤池にある『プライムツリー赤池』4FのTOHOシネマズである。天気も良いのでポタリングで行った。調べると約3.5kmくらいだった。14時30分に出て15分で着いた。
 映画COMの解説「名優ゲイリー・オールドマンがイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルを演じ、第90回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した歴史ドラマ。チャーチルの首相就任からダンケルクの戦いまでの知られざる4週間を、「つぐない」のジョー・ライト監督のメガホンで描いた。
 第2次世界大戦初期、ナチスドイツによってフランスが陥落寸前にまで追い込まれ、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。連合軍が北フランスの港町ダンケルクの浜辺で窮地に陥る中、就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手にヨーロッパ中の運命が委ねられることに。
 ヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、究極の選択を迫られるチャーチルだったが……。チャーチルを支える妻クレメンティーンに「イングリッシュ・ペイシェント」のクリスティン・スコット・トーマス、秘書エリザベス役に「ベイビー・ドライバー」のリリー・ジェームズ、英国王ジョージ6世役に「名もなき塀の中の王」のベン・メンデルソーン。
 脚本は「博士と彼女のセオリー」のアンソニー・マッカーテン。アカデミー賞では主演男優賞のほか、オールドマンの特殊メイクを担当した日本人メイクアップアーティストの辻一弘らがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。」とあり、日本人のメイクアップが話題になった。オールドマンがこんなにも変わるのかというサプライズがあった。
 出演者が数名に絞られているが、中身は大きな歴史のうねりを描いた。名政治家は演説がうまい。言葉で多数の人を動かす。敵役にされたヒトラーの演説も中々のものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=T2jhno1BL3w
 ドイツ国民を奮い立たせる扇動者の見本である。WW1で敗戦後のワイマール体制からの脱却を訴える。
 一方、受けて立つチャーチルはどうか。
チャーチルの肉声が聞こえる演説
https://www.youtube.com/watch?v=BYddUT_547A
チャーチルの人物像をまとめた
 https://www.youtube.com/watch?v=s_ssvsIY7Oo&t=1s

 映画を見て思ったことはチャーチルの偉さは困難から逃げなかったこと。
 それは英国の宣教師で登山家だったW・ウエストンは『日本アルプス 登山と探検』のまえがきの「今日の日本において、世界はまのあたりに、国民的な威信をなおそこなわないで保ちながら西洋文明に同化適応する力を発揮している東方一国民の、類い稀な例証を見ることが出来る。
 その上、この注目すべき民族が、現在では予測できないほど将来豊かに発展することは、ほとんど疑問がない。この民族は、国民的な威信の向上のためには、恐らくどんな自己犠牲も払えるのである」 ウォルター・ウェストン(1861-1940)『日本アルプス 登山と探検』(平凡社ライブラリー) 」と書いた。
 騎士道の国が武士道の国を認めたのである。
 アルピニズムの国らしく困難から逃げずドイツに挑んだ。騎士道の国ゆえに困難から逃げなかった。日本は負けたが欧米の奴隷になるまいと思って戦った。日本は多大な犠牲をはらい、絶滅寸前まで戦ったから国体が守られた。
 チャーチルもまた英国にドイツの国旗が立っても良いのかと、問うた。「never」と叫んだ。多くの犠牲を生んだが国を守る気概を示した。言葉一つで流れが変わったのだ。
 一見の価値があります。

映画「夜と霧」観賞2018年03月29日

 1955年のフランス作品。監督:アランレネ。
 DVDのケースの解説は「第二次大戦中、ユダヤ人を強制収容し、死へと至らしめた悲劇の場所アウシュビッツ。10年後の現在と過去が交錯する映像の中に、静かにそして苛烈に、非人道的な戦争への非難と真実を希求する声が響く。以下略。杉原賢彦。
・・・そうか1955年といえば終戦の10年後。ナチスドイツのモノクロの生々しい記録映画と1955年のカラー映画が交錯する。モノクロだから見て居れるがカラーだったら目をそむけるような残酷なショットが多い。
 ユダヤ人の死体をブルドーザーで穴へ廃棄するショットも凄惨である。なぜこんなにもユダヤ人を殺戮するのか。

 5分で分かるホロコースト
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4822

 遠因はウィキペディアに「ドイツ革命(ドイツかくめい、独: Novemberrevolution, 英: German Revolution of 1918–19)は、第一次世界大戦末期に、1918年11月3日のキール軍港の水兵の反乱に端を発した大衆的蜂起と、その帰結として皇帝ヴィルヘルム2世が廃位され、ドイツ帝国が打倒された革命である。ドイツでは11月革命とも言う。

 これにより、第一次世界大戦は終結し、ドイツでは議会制民主主義を旨とするヴァイマル共和国(ワイマール)が樹立された。また、革命の指導者のクルト・アイスナー、ローザ・ルクセンブルク、エルンスト・トラー、オイゲン・レヴィーネらがユダヤ人であったことから、ドイツ革命に反発した民族主義の右翼は、共産主義者とユダヤ人による「背後の一突き」でドイツを敗北へと導いたとする見方を広め、革命後のヴァイマル共和国では反ユダヤ主義が高まっていった[1]。」書いてある通りだ。
 その上にユダヤ人は移民でありながら自由と平等を求めた。
 これが14年でワイマール共和国が消滅した理由であり、ホロコーストの原因である。大多数のドイツ人の中で、実権を握った少数のユダヤ移民の増長(ワイマール憲法による権利主張、政治介入)こそ争いのもと。だからといってホロコーストを擁護することはできない。

 実は3/30に初公開の「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男Darkest Hour」を観賞するための予習である。原題は「暗い時間」とあるごとく娯楽映画ではない。
 但しユダヤ人のハリウッド映画だから英国を被害者として描き、チャーチルを英雄視するのだろう。
 ユーチューブのコメントにモノの分かったコメントがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=rdjzlkj2PrY
「カッツェ 2 週間前
 sasuke ishikawa ドイツはチェコスロバキアのズデーテン地方を割譲してくれたらこれ以上領土を要求しないとイギリスと約束したのにチェコスロバキアに侵攻してチェコを併合しスロバキアを保護国にしたんだよ   更にポーランドの元ドイツ領であるダンツィヒの割譲を要求し侵攻したからイギリスは国防上見地から宣戦布告したんだ

 あの時点でイギリスが宣戦布告しなかったらドイツの勝利だったと思う
だからこそ今の日本政府も集団的自衛権の行使をできるようにしたんだ 攻撃されてからでは何もかも遅いんだよ

 わかりにくいと思うから例え話で説明するけど自分が世界1強い格闘家だとして将来自分より強くなりそうな奴がいてそいつが他の人間を虐めていたらどうする? 徹底的に潰して世界1位の座を奪われない様にするんだよ 虐めを止めるという口実でね」

 歴史をしらべるまでもなく英国ほど腹黒い国は無いというのが印象としてある。インドを植民地化し、シナにはアヘン戦争をしかけている。薩英戦争もしかけてきた。大東亜戦争では日本軍に簡単に負けている。
 さてチャーチルはどんな風に描かれているのやら。

映画「鉄道員(ぽっぽや)」観賞2018年01月07日

 浅田次郎『鉄道員』(1997年、集英社文庫)原作は直木賞受賞。映画化は1999年。監督・脚本は 降旗康男。DVDは2001年。
 やがて廃線になる北海道のローカル線の駅長が主人公。佐藤乙松は機関車の罐焚きから駅長に出世した。いわばたたき上げのぽっぽやだった。結婚して一女をもうけるが数ヶ月で死なせる。妻も早くに死ぬ。そんな時でも乙松は駅頭に立って駅長の役目を愚直にこなした。仕事第一の不器用な男に描かれている。
 そして物語の中盤から浅田次郎の世界に引き込まれる。それは亡くした女児が幻になって乙松にまとわりつく。少女、女生徒になり変わる。生と死、黄泉の国から一時帰国させて、リアルに描くと暗くなりがちなドラマをほのぼのとさせる。やがて乙松も職場の駅頭で倒れる。雪に埋もれるのだった。
 野外の特に山岳のショットの切り取り方に不思議な既視感があった。DVDの撮影監督を見るとやはり木村大作だった。「八甲田山」「剣岳点の記」など山岳映画の撮影で一人気を吐く職人さんである。
 浅田ワールドは初見でした。原作も買ってきて読んだ。さらに深まった。 高倉健が主人公役を演じるのは好適としても女房役の大竹しのぶはミスキャストのように思われた。田中好子が出ていたらしいが気がつかなかった。志村けんもはまり役だ。男優陣には不足はない。女房役にもう少し苦労が顔に刻まれた女優は居なかったのだろうか。余りにも儚い演技でした。否それが彼女の演技なんですね。
 でもね小津安二郎なら哀しい時は哀しさを見せないんだという。難しい役です。台詞を与え過ぎるのかな。
  露の世は 露の世ながら さりながら     小林 一茶

赤沼千尋『山の天辺』を読む2016年12月30日

 赤沼千尋は黎明期の北アルプスの燕岳に登山小屋を建設した人である。『山の天辺』(昭和50年、東峰書房)は折々に書いた随想集の体裁となっている。扉には畦地梅太郎の版画「雪渓に立つ」「燕山荘」が挿入されている。序文は『たった1人の山』の浦松佐美太郎が書いた。
 今回特に書き残したいのは、「山男と遭難」の文に山小屋経営者ならではの秀逸なエピソードがあるのを見つけたからだ。
抜粋すると
「人生ことごとく運である。
山岳遭難もまた運である。」

「ことに雪山、それは荒れた日には、眼も開けられぬ恐ろしさに総毛立つ魔者となり、晴れた日と雪崩と言う武器で、音もなく襲いかかる狡猾な肉食獣となることがある。登山する人間にとって、このような山の災厄から逃れられる唯一の道は、天候などの条件のよい日に登山する以外はない。
 そして、早く登山したいはやる心を押さえながら、良い天候を待ち続ける忍耐心と、待ちに待つ時間がとれるかどうかということが問題なのである。」

 黒部の一帯を映画に撮影した名古屋の登山家・伊藤孝一著『狸囃子』からの引用から
「流動を停止した雪崩は、人間の眼には解らないが、停止と同時に力強い圧縮を開始するものである。故に、雪崩れている最中か、又は停止直後に、雪の中から泳ぎ出るか、或いは助け出されルカでなければ、忌まわしい結果が生じる。以下略」
「その夜、(佐伯)平蔵が雪崩に衝かれたら、押されるままにしていてはならぬ。足は飛んだり跳ねたり、手は眼の前を掻いて泳ぐように動かし続けることを忘れるな、と戒めた語り草は、生新しい体験が生んだ不滅の金言として、炉辺に居並ぶ全員の心の髄まで染み込んだ。」

 次は百瀬慎太郎遺稿集『山を想えば』からの引用
「前略、雪崩れに遭った時はいちはやくスキーを脱ぐ事が肝要だと言われる。これが咄嗟の場合によく行われ得る事だろうか。山田二郎氏(筆者注:慶応大学山岳部OB,マナスル隊員、元JAC会長)もこの試みを直ちに実行しようとして、右足のスキービンディングを脱いだ瞬間やられたのであった。それほど雪崩のスピードは速いものであった・・・。」

 以上の引用の後で赤沼自身の言葉は
「こんなエキスパートでも責任感が厚く、良い人たちが雪山に消えて行ったのである。今時の装備と比べれば誠にプリミティブなものであったが、然し登山の熱意と鍛錬並びに事前の準備は大変なものであった。それにも拘らず遭難した。そこには何か抗し難い運命のようなものが感ぜられる。」
と結んだ。
 単に思い出話や自慢話に終始しないで山と人生を語った名著の予感がする。今のところ本書は古書でしか入手できない。(愛知県図書館の横断検索をかけても1冊も蔵書がなかった。)中公文庫、岩波文庫辺りが文庫本化して欲しい。
 他に登山史から忘れられたような伊藤孝一の親友でもある。伊藤は厳冬期の北アルプスを縦走且つ映画撮影行という破天荒な登山家だった。赤沼は黒部の精通者として百瀬慎太郎とともに案内人役で同行した証人である。

映画鑑賞『ロング・トレイル』2016年08月01日

 7/31に名古屋・ミリオン座で『ロング・トレイル』を鑑賞する。

http://www.long-trail.com/

 まず主演のロバート・レッドフォードであるが、演技力は良いとしても当年80歳の高齢で、アクティブな役柄には合わないなと思った。相棒のニック・ノルティも75歳でしかもアル中の役柄である。
 観ている最中はちょっとした動作がコミカルで笑わせる。コメディらしい運びは堪能した。但し、「人生はベストを尽くせばそれでいい!」の最後のセリフは素晴らしいが、そこへ収斂させるには荒っぽいドラマ展開である。

 それもそのはずで原作者はビル・ブライソンといい、1951年生まれというから団塊の世代に近い。アパラチャアントレイルを40歳前後で踏破している。2000年に翻訳も中央公論新社から出版されたが今は絶版になっている。原作はアマゾンで今でも取り寄せできる。

 原作のあらすじは日本語のコメントからコピペすると
「アメリカ東側に位置する3000kmは超えると言われるAppalachian trailを、60代の男二人がえっちらおっちら歩いていく話である。一人はBill Bryson、作者そのものの名前ですが、どちらかと言うとちょっとアタマのいい平均的なアメリカ人像。一方昔の同級生であるStephan Katzはどちらかというと、ちょっと足りない感じで、いろいろと騒動も起こす。ツッコミとボケの関係で、旅は続いていく。
 アメリカの大自然を描写する作風が主体であり、それに名所名所の歴史話が散りばめられる。また旅行記だけでなく、環境破壊、アメリカの動植物の変動、低体温の危険性、クマに遭遇したら・・・等々、おかたい話も挿入されている。
 AT周辺の聞いたこともないような地名がたくさん出てくるが、それをGoogle 画像でチェックしていくと、けっこう楽しい。すごいきれいな景色に出会えたり、こんなところなんだというのが実感として理解できます。
 今回初めてBill Bryasonの作品を手にしたが、ソフトな文体で、笑いやユーモアの記載も富んでいる。新宿紀伊国屋の洋書コーナーでpushするように置かれていたが、確かにimpressiveで良い本であったと思う。」

 翻訳本のコメントをコピペすると
 「ブライソンは自然歩道で何度も遭難しそうになりました。
文字が細かい上に分厚い本なので、初めは私も「読書の途中で遭難するのでは?」と思ったのですが、意外にも最後まで遭難すること無く、楽しく読むことができました。自然歩道を悪戦苦闘しながら行くブライソンとカッツの漫才のような会話は、とても楽しいものです。また、適当な間隔で、アメリカで進行する自然破壊、ハイカーが遭遇した事故や事件の状況などがデータと共に示され、「あなたは、どう思いますか?」という問いかけが行われるので、文明社会のあり方についても考えさせられます。笑いだけで終わらないところが、本書の良さだと思います。
ブライソンには、「こんな人が学校の先生だったら良いのに」と思わせるところが沢山あります。コメディアンとなっても十分成功したかもしれませんが、教師となっても大きな成功をおさめたのではないかと思います。単に批判するだけに終らないブライソンの文明観には素晴らしいものだと思います。また、成功した作家でありながら、一般庶民に近い経済感覚を失わない点も素敵です。食糧や装備補充のために立ち寄った店、食事をした店、宿泊した店、お金を払った全ての店に対して、著者は値段とサービスを検証し、「高い」「安い」で一喜一憂するのです。私も彼と一緒にアパラチア自然歩道を歩いているような気分になりました。とても楽しい本でした。」

 通りででねえ。つまり軽いアメリカンコメディとして見るなら損はない。上映中も笑いをかみ殺せなかった。観客も声を出して笑っていた。
 映画と原作の違いは上記によれば大自然の描写、歴史話、環境破壊などが割愛されていることだろう。たしか、お堅いセリフもあるにはあったが、コメディの中に吹き飛ばされてしまった。印象に残るセリフを思い出せない。
 トレッキングはクライミングと違って登頂の喜びはない。コースを歩き通す達成感にある。それを中途でリタイアしても「ベストを尽くせばそれでいい」と諦める。人生になぞらえているのだろう。ロングトレイルに挑戦する体力と気力、ヒマとカネがあるだけでも優に贅沢なこと。
 さて私はこの週末に五龍岳から唐松岳のショートトレイルに挑戦、月末には北アルプスの大キレット踏破に挑戦の予定。
 次は竹屋谷の沢登りに挑戦する。7/30に下見に行きましたが、伐採中だった場所も緑が茂り、大平林道は全線舗装、Pと遊歩道まで整備されていてビックリした。大栃のある竹屋谷を垣間見るとやっぱり素晴らしい渓谷でした。