日進市機織池の3等三角点藤島を確認後、長久手市根岳にポタリング2017年09月17日

 台風接近中で動きにくい日曜日。空を見上げるとどんより黒い雲で覆われて不気味である。大雨の予感がある。しかし、降雨は小休止状態になっている。
 北海道にある高気圧が台風の接近を遮っているのだろう。一時的な回復を誤って奥深く入ると大荒れで下山もままならないことになる。気象庁に勤務していた作家・新田次郎は『偽りの快晴』という小説で「台風接近中はいかなる理由があっても山に登ってはいけない」とした。
 さて、ポタリングは自転車のお散歩なのですぐに引き返せる。今は猿投山が見えている。その奥の段戸高原辺りも見えている。数時間はもつだろうと、8時すぎに自転車にまたがる。
 日進市役所を過ぎて米野木町までは田園地帯を走る。黄金色の稲穂が美しい。そこへなぜかシラサギが何羽もたたずんでいる。台風前に食いだめするのか。東名高速にぶつかったら左折。側道を西へ走り、ゆるく乗り越すと薬品会社やコンビニの元締めの会社の配送センターがならぶ。左折して終点まで下る。機織池の一角である。
 地形図を首っ引きで見つめると池までは行かず、この辺りから斜面を登ればすぐの感じだ。歩道をゆっくり走ると斜面に踏み跡が登っていくので自転車をデポして、歩いて登った。
 すると9/14の歩いた遊歩道に合流。地図で舐めるように斜面の踏み跡を探すがない。また一旦下ってしまった。穴惑い(秋の蛇)がおろおろしている。まむしではないので木の枝で追い払う。
 前の踏み跡を再び辿り高見に登るが三角点はない。藪の向こうには民家が見える。どうも西へ振り過ぎだ。戻って東へ高見を目指す。いくらも比高はないが尾根がある。登ってみるとまた民家が見える。藪の中に人がごそごそしているのを見られると不審者に思われかねないのですぐ隠れた。
 シダ類の繁茂で踏み跡は隠れているがいくらか歩きやすくなったと思ったら3等三角点の藤島83.5mが見つかった。シダ類の繁茂で地面が見えないが反対側に下ると最初の遊歩道に出た。何のことはない、地形図通りにええい、と登ればよかったのだ。
 これで9時過ぎ。東名高速の側道を名古屋IC手前まで走った。かつて愛知万博の広大な駐車場になっていた場所だ。今は瀟洒な飲食店などが立ち並ぶニュータウンに変わっていた。猪高緑地の手前で左折するとすぐに根嶽の交差点になり右折。市道を登りきると根岳の麓に着く。地形図をにらんで現在位置を確認。
 家の記号に7の文字がある地図記号がある。これは何と老人ホームだった。7に見えるが杖の持ち手をイメージしているようだ。確かに老人ホームがあった。山奥に入る踏み跡も見つかったので自転車をデポ。
 何と遊歩道になっていた。すぐに長湫越しなどという道標まであり、嬉しくなる。歩道があると無いとでは大違いだ。何の愁いもなく、根岳4等三角点108.7mに登れた。手前の道標には親鸞山とあった。これは高針にある山だ。かつて名東区に引っ越した頃、高針アルプスと名付けて「縦走」したはずだが、記憶にはない。あの頃は歩道なんてなかったし。
 戻ってもつまらないからどこへ下山できるのか歩いてみた。長湫南部公園に下りた。市道へ出て山周りに戻れた。この一帯は老人福祉のメッカのような施設が集中していた。
 自転車に戻って市道に出て喫茶店でモーニングコーヒーを飲む。ひと汗かくとコーヒーの味も違う。帰りにはポツリと来た。サドルも雨滴で濡れた。長久手市と日進市境を越えると岩崎川の流域になり、天白区まで下る一方になる。

猿投山を歩く2017年09月10日

 朝行くか行くまいか、迷ったが7時過ぎには出発した。今日は膝痛の一般登山道での試運転の日だ。沢登りでは完全に踏破できた。RFで少し待ち時間があるから割りに楽なのである。一般登山道はただただ歩くだけになる。その分膝に来る。
 新しいアクセスも考えた。県道58号は最近は渋滞するようになった。特にR155と交わる大井橋である。それでR153を豊田市に向い、県道54号に左折して、みよし市の刑務所の横を通る。一旦、R155と交わるが直進すると保見駅の交差点に出る。これもやや交通量は多いが主要道のためか流れが良いと分かった。保見で県道58号に右折、すぐに県道283号に入る。すると猿投神社が近い。
 猿投神社のPは8時でもすでに埋まっている。車道奥も良いが、手前の路側帯にとめる。大勢の登山者とともに車道を歩く。途中から尾根道に左折。サバ土の壊れやすい東海自然歩道を行く。凝木の土留の段差が疲れやすい。大腿筋の補助に2本のストックをフルに活用する。やがて休憩所に着く。ここで汗をかいたので水分補給だ。傍らで韓国人の若い女性3人のグループが何やらしゃべりながら休んでいる。
 親子連れも多かった。段差は子供の足では届かないから苦労している。そうしてP504mのコブの山腹を巻いて車道に下り、東の宮の鳥居をくぐって最後の登りに入る。山全体が御神体なので喬木に覆われている。特に杉が多いわけではなく雑木も多い。西宮へ分岐する自然観察路を左に見送るとすぐに東の宮に着いた。参拝の後、一休みする。最高点632mはさらにひと登りするが今日はパス。629mの山頂へ向かう。632mへ突き上げる谷の源流部を巻きながらなるだけギャップを弱めるように道をつけてある。629mへは若干の登り返して登頂。大勢の登山者が休んでいた。眺めは北に偏りがある。
 帰路は往路を戻る。戻りついでに小さなPに寄ると東大演習林のエリアへの立ち入り制限の札があった。ここが北尾根の出発点だ。東の宮へ行く手前にも632mへの踏み跡があった。ここもいずれはトレースしたい。
 東の宮に着いたら、見知らぬ女性から声をかけられた。私は記憶にないが先方はかつて山岳会に所属してたというWさんだった。話をするうちに、中央アルプスの摺古木山から安平路山、越百山へ縦走したメンバーだったことを思い出した。突然の雷雲を凌ぐために金属を遠ざけてツエルトをかぶったことがあった。9/9のNHKの「ゆる山へGO」も見たらしい。よもやま話をしていると時間ばかり経過していくので打ち切って分かれた。
 次は西ノ宮へ行きたかった。何度も登った猿投山であるが西ノ宮は登った記憶がなかった。
 東の宮から西ノ宮へは道標がなく、すぐの自然観察路を下ったが、急に谷へ下るのでおかしいと思い引き返した。地形図を忘れるとこんなことになる。下って行くとカメラを構えた人が何やら撮影している。ヤマジノホトトギスの群落だった。行く時は全く気がつかなかった。
 東の宮の鳥居を出て、右へ車道を下るとしばらくで西ノ宮への鳥居があった。急坂を登ると千木や鰹木のある立派な社があった。格式が高い証拠だ。その奥にはオオウスノミコトの墳墓があった。
 満足して下山は自然観察路を歩いた。途中から東海自然歩道に合流し、車道までくだった。猿投神社にも参拝した。ここも立派な神社だった。

奥三河・須山御岳山2017年08月19日

山頂の石碑群
 朝起きると久々に天気がいい。デゴランドへポタリングに行こう、と地図を用意しておいたが、気になっていた宇連山の撮影に出かけた。
 須山の場所はかつては鳳来町と呼び、今は新城市になった海老。海老の下町から海老川を渡り、山間部へ走る。二股で右へ行くと須山である。村落の手前に須山御岳山の立派な石碑が建立されている。
 9時10分、手前にマイカーを置き、鉄線の網で囲まれた山中へ登り、簡単なカギを開けてネットの中へ入る。下草が生え、低灌木で緑っぽいので鬱蒼としている。植林の山だが落ち着いた感じがする。やがて山猿の声が聞こえる。集団で山道の前方に見える。警戒心の心を表す短い声は彼らのテリトリーに入ったからだろう。
 そこは役の行者様が祀ってあったが、飛ばして進むと山道の傾斜が急になった。爪先上がりで登ると多数の石碑の建つ山頂の一角に着いた。ほぼ12分くらいか。さらに左手に薄い踏み跡を踏みしめて登ると489.6mの4等三角点のある山頂だった。山頂にも御岳信仰、八海山神社、風神社、天照皇大神、三笠山神社、の文字が彫られた石碑が建っていた。
 山頂からの眺望も良い。すぐ近くに鞍掛山と前景の四谷千枚田が見下ろせる。宇連山の山並遥かと言う感じでそびえる。落葉期ならばもっと鮮明だろう。ネットで知った岩場にも下ってみた。かなり急な尾根を南下20分で着く。ここからの方が鞍掛山も宇連山もすっきりと見渡せる。これで満足と時計をみると10時10分だ。登山口からまだ1時間しか経過していないのだが、山頂へ戻り一服する。暑くてボトルの冷茶を飲み干した。下山して、役の行者にも寄った。古い石像が壊れたので平成になって新しく造られた。登山口へ戻ると11時10分だった。2時間ほどの霊峰散歩だった。
 須山の里にも寄った。狭い盆地状の地形ながら米がとれたのだ。周囲の山から湧水があり、水田耕作ができるのだ。洲は「どろや砂が堆積(たいせき)して水面に現れ出た土地」の意味で須は当て字だろう。
 いわゆる中山間地といわれる地形と思う。狭いながらも水田を耕作して命をつないで来れた。それがこの信仰の篤さに現れる。

高根山1等三角点55.1mへポタリング2017年08月11日

 8/11は山の日。山に感謝する日という。山は山でも高根山なんて誰も知らんだろう。体を絞るために始めたポタリングだが、新規の行く先がないので、かつて登った名古屋市緑区の高根山55.1mへ行った。
 昨夜はむっとするような湿気と熱気に包まれて雷雨に見舞われた。久々にエアコンをつけて寝た。今朝はやや体が重いので発汗するためにもポタリングに行く。7時過ぎに自転車にまたがる。天白川右岸のサイクリングロードを走る。名古屋高速の高架橋が見えたら川を渡る。以前に行った氷上姉子神社に向かう。神社で参拝を済まし、地形図を眺めて道路をチエックする。
 住宅地をぬうように走ると知多半島道路にぶつかり、道路をくぐる。定納山という住宅地に着いた。宅地を抜けると池に出たがその先は道がふさがるのでまた道路の西に戻り、南下を探るが農地で行き詰まる。戻って定納山からR23を右折。
 巨大な名古屋南ICの周辺の側道を探りながら走ってみたが、それらしい場所に出ない。大府市の公園まで行きすぎてしまい、側道を戻りつつ探す。そのうち黒い雲が上空を覆い雨が降って来た。南ICのランプウェイが縦横にあって、現在地が分からず、とりあえず、イオンの店に飛び込んで雨宿り。イオン内の書店の道路地図で確かめると、ちょうど南にあると分かった。朝食代わりに鉄火丼を食べて腹ごしらえした。
 小止みになったので再度出発。名二環の下をくぐり、水主ヶ池の西をからみながら登り、名四道路の下をくぐる。右へ曲がり、軽く登ると、愛知用水のサイホンの吹きあがっている所へ来た。ここだここだと確認。用水路の左手がこんもり緑が盛り上がっている。またしても小雨が来たが、どこかに踏み跡がないか探すが見つからず、藪の隙間を狙って侵入。蜘蛛の巣を払いながら2分ほど急斜面を攀じ登ると1等三角点標石が鎮座していた。周囲は樹木で何も見えず。そのまま下った。さらに大雨になったので、またイオンに逃げ込んだ。
 かつて30歳代にも自転車で来た。まだ家などなかったころだ。そして、愛知用水の管理道路を走ったり、農道を走って知多半島の先まで行った。そして遅くに帰宅したものだ。今はそんな元気はない。
 イオンでお茶して帰ろうとするとまた雨が来た。中々しつこい雨だ。県道50号に出て下汐田から県道59号で帰宅した。喫茶店で休んでいる最中にもスコールのような雨が来た。12時を回ってしまった。

黒笹山3等三角点129.7mへポタリング2017年08月04日

 昨夜は突然知人からの電話で夕飯を一緒にというので、うなぎ料理を御馳走になった。ビールも1本飲んだ。その日は朝から月1の通院中の病院で検査をうけて数値は若干改善した。また大量の薬が処方されたので再度担当医に会って薬を止めてもらった。次は2ヶ月後にしてもらった。その開放感で食も進んだ。
 今朝はどんよりして、湿度の高い日である。5時半起床、6時半自転車にまたがる。目的地は黒笹山の3等三角点である。
 天白川の左岸に沿うサイクリングロードを走る。今時はどこも一斉に河川敷の草刈りが始まった。大半は終えた。本当にさっぱり刈はらうものだ。刈草のかすかな芳香がする。
 日進市に入るとただただ田園地帯を走り抜ける。素晴らしいサイクリングロードである。平坦に見えるが天白川の流れに逆らうようにわずかな傾斜があるからギアを1段落として軽い走りにする。
 やがて宮前の交差点に着く。さらに田園地帯を抜けると東名高速にぶつかる。側道を走り、県道58を横切り、東名高速の側道を走る。中電の施設の北側と高速の間は砂利道ながら傾斜が少なく、走りやすい。愛知牧場に着いたら、一旦県道231に出る。
 黒笹駅の交差点を左折、ゆるい坂をギアを落として耐える。登りきったところが黒笹公園になる。滑り台を設置した園地とはいえ、グラウンドになっている。山を削って均したのだろう。その山側が5mくらいのセメントの擁壁(ようへき)になっている。その上は藪が見える。踏み跡か階段でもないか探したがない。朝から藪こぎなんてしたくないので裏側に回った。どこかに踏み跡が登っていくとみたがない。半周したところで地形図の山上の建物につながる道路に出たので登ってみた。愛知県三好ヶ丘ポンプ場に着いた。建物が最高点だが三角点はやや北寄りに低いところにありそうだ。
 建物から少し下がって、雑木林の斜面をトラバースしながら北へ歩いた。尾根らしいところに少し踏み跡があったがほとんどは藪である。擁壁の上にでると下から声がした。10mくらいはある。
 7時26分、前方に点名:黒笹山3等三角点があった。それだけである。樹木の中で展望はなし。やれやれである。元来たルートを辿って自転車に戻った。
 南よりに下って黒笹駅前に出た。8時少し前、喫茶店に着いた。愛知牧場ログテラスで軽い朝食をとる。
 後は東名高速の側道を走り、県道58を横切り、米野木に出て、田園地帯を走り抜けた。往きにこいだ道も帰りは軽い下り坂になるので快適そのものだった。自宅へは9時30分前に帰還。

豊明市の二村山へポタリング2017年07月21日

二村山の3等三角点:点名は沓掛。
 今朝もすっきり5時に目覚める。5時30分に起床、朝食後、6時に自転車にまたがる。行き先は豊明市の二村山で、71.2mの3等三角点のれっきとした愛知の名山である。だれも話題にしないのは100mにも満たない標高のゆえだろう。
 天白・平針から運転免許試験場を経由すると約8km未満の距離で早く行けるが、山越えがきつい。それで荒池、神ノ倉、熊の前を経て徳重へ向かった。熊の前へポンと下れるのだが標高約60mの丘を越えるのが結構きつい。赤池で標高30m、白土で標高52mあり、白土からは下りになる。平手で標高17mと天白と同じになる。天白区と緑区は広大な丘陵地なのである。車ならなんなく越えるが、自転車はすべて自力なので必死だ。
 6時28分、徳重交差点で左折、折角楽したのに愛知用水と交差する標高60m付近まで登り返す。愛知用水の右岸の管理用道路に入り、ゆっくり下りを楽しむ。しばらくで暗渠に入ると道路も行きどまり、一旦、住宅地の道に出た。新築の住宅が立ち並ぶ。車道を走ると立派な道と交差する。県道220号である。左折してやや登ると藤田保健衛生大学の門を右に見る。さらに行くと緑のこんもりした丘がある。これが二村山だった。
 皿池なる交差点を下ってゆくと二村山への案内板と駐車場があった。まだ7時前だ。自転車をデポして散策路に入る。昔は鎌倉街道といったそうだ。天白区野並の交差点にもそんな看板があった。岐阜県神岡町山之村にも鎌倉街道が通うから一筋の道ではなく鎌倉幕府時代の古道という意味だろう。
 景勝地に囲まれている民家の前を通過して軽く登ると地蔵尊がある。ここから句碑や歌碑の類が多くなった。知らない人物ばかりだ。登りきると何と3等三角点があった。その近くに展望台もある。5分ほどで登頂であった。
 展望台に立つと尾張から三河の山野が一望できた。なるほど名勝地とはやすだけのことはある。名駅の高層ビル群、猿投山、焙烙山と六所山。晴れれば伊吹山、鈴鹿連峰まで見えるらしい。多分、中アや能郷白山、御岳山、乗鞍岳、恵那山も視野に入るだろう。
 この山なら1つにカウントしてもいいかと思う。
 下山後は県道220号を皿池まで登り返し、後は平手の交差点まで下る。右折して徳重へ、左折して、国道302号へゆったり登る。交差点で右折、標高68mの黒沢台までのきつい登りをこぎ通す。ここから原の交差点までは快適な下りになる。原駅前の喫茶店で大休止する。まじめに帰れば往復2時間だが9時半ごろの帰還になった。

猿投山捜索行③と土岐市白鳥神社をたずねる2017年07月15日

豊田市迫町からの猿投山
 7/9までに捜索しきれなかった豊田市側の戸越峠付近の沢に入ってみた。峠直下のつづら折れの県道33号から西に入る林道跡に分け入る。草深いので最初から雨具のズボンをはいた。終点には大きな砂防堰堤がある。右岸から乗り越す。白砂のせせらぎである。藪はなく、スイスイ遡る。
 ところが突然、両岸が切り立ちゴルジュの様相を見せ始めた。単独なので奥深く入るのはためらう。右岸にいい踏み跡が続くのでそこを辿った。流れと巻道の落差は大きく谷底が見えない。
 ゴルジュはのど元の意味である。または滝の後退で出来るともいわれる。谷底のどこかに滝があるかも知れない。確かに危険領域である。滝は強引に攀じ登れるが、下降が難しい。装備がないので無難に行く。
 踏み跡と流れが一致したところで左岸に渡り、山腹のけもの道を辿ってみた。谷底とはいえ、真夏で風が通らないために非常に暑く、樹林下でも高温多湿である。1時間もしないのに大汗をかかされる。たびたび、水分補給して休んだ。こんなところで倒れたら笑いものになりかねない。
 シダの群生に隠れたけもの道を辿って、とにかく尾根に出た。かすかな風を受けて涼しい。水を飲んで落ち着きを取り戻す。地形図を眺めても位置は不明だが、地形図の戸越峠の印刷の「越」付近だろう。尾根上には踏み跡があるので辿ってみた。すると、7/8に辿って引き返した地点に着いた。北尾根に立っていることを確認できた。ここから赤テープが多くなる。多くの登山者がここで引き返しているのだろう。
 北尾根を南へたどると赤テープを2重巻きにした分岐に着いた。もう一か所あるが、ここから下ってみた。この枝尾根は最初は踏み跡が残っていたが途中からなくなる。やむなく藪をこいで急斜面を下ると東大演習林の林道に降り立った。ここまで2時間経過した。
 そのまま無難に歩ける。県道33号線に出て捜索行は終わった。戸越峠を越え、マイカーのデポ地に戻った。汗だくの体をパンツ以外は着替えた。

 次は岐阜県土岐市に向かった。県道33号から国道352号に左折。県境を越えた。目的の1つは西山712m(曽良山、鶴岡山)の登山口のチエックである。愛知県側からしか登ったことはないが、実は岐阜県の方が登山道の整備もして力を入れている。愛知県では西三河の最高峰であるが登りは20分ほどで整備するまでもない。ついでに曽木のバーデンパークSOGIに入湯した。パンツも着替えてさっぱりした。
 そして第2の目的の白鳥神社の参拝があった。愛知県の東郷町にも白鳥の地名があり、白鳥神社があった。ここも白鳥の地名であり白鳥神社があった。さらに国道363号を瀬戸市に向かい、柿野の白鳥神社に参拝を果たした。こちらは本格的なたたずまいである。
 実は柿野は垣野だという。
 猿投山の山上には大碓命の墓がある。大碓命は『古事記』ではさえない役割である。景行天皇の妃の候補の女性を横恋慕し、自分の妻にしてしまった。美濃の美山町の柿野に隠れ住んだ。晩年は土岐市の柿野で亡くなったそうな。祭神をヤマトタケルにしたのは人気があったことと、先に猿投山に葬られたからだという。双子の兄弟だった大碓と小碓。小碓はのちに大活躍してヤマトタケルになるが悲劇的な最期を遂げる。大碓は平凡ながら平民に近い幸せを享受した。
 山名の景行天皇がいたずらする猿を投げたという伝説には妃を横取りした大碓を勘当したことを暗示しているように思えてならない。

マダニ(笹ダニ)にやられた2017年07月14日

 昨夜、股のところがチクチクする。しばらくすると痛みはなくなり、またチクチクするので、明るいところで調べると、何とわが息子(陰嚢)に食らいついているのは一目見て、笹ダニと分かった。こりゃ大変だ、手でつまんでも中々離さない。しぶといが何とか引き剥がし、透明の袋に入れた。今朝は皮膚科を訪ねたというわけである。
 笹ダニはエロダニとも言い、股や腕、足の関節部の柔らかいところに食らいつく。医師に実物の犯人を見せると開口一番「ああマダニですね」と言い、患部はかさぶたができているので抗生物質を処方すると言われた。
 マダニの足は8本ある。犯人の足も8本あるので皮膚に食い込んだわけではなさそうだ。つつがむし病が心配です、と訴えると、抗生物質で治癒するとのことであった。1から2週間は経過観察することになった。
 やれやれである。
 7/9の猿投山の捜索で道なき道を歩けば笹だらけである。下山後は服を着替えたがパンツだけはそのままだった。帰宅後はシャワーを浴びたから、その際は何も違和感はなかった。それが今になってどこかから股にまで到達したのだろう。
 それにしても医師は即座にマダニと知っていたのは良かった。笹ダニの別名までは知らなかった。

猿投山捜索行②2017年07月09日

 去る6月29日から11日間毎日十数名の山岳会有志が集結して捜索活動に当ったが、何ら手がかりの得られない残念な結果になった。しかし、綿密に緻密に地形図を眺めて空白を埋めるような捜索でも発見に至らなかった。すると捜索範囲以外の場所に潜んでいるとしか思えない。それには余りにも範囲が広すぎる。

 東大演習林内の未踏査の沢と尾根を3人で探った。沢といっても水量は少なく登山靴のまま歩ける。源頭の手前で左の未踏の尾根に上がった。植生は松、照葉樹林、落葉樹林が混じる。下草は生えていないので歩きやすい。
 松はかつてははげ山になった証拠といえる。薪炭林として活用されていたに違い。石油の輸入でエネルギー革命が起きて、薪炭林の炭は需要が激減、山の落葉樹は放置されたままになった。
 雨で栄養分が流されて特に尾根は地味がやせる。やせると松しか生えない。そこへ落葉樹は茂るに任せる時代になった。放置すればまず照葉樹林が茂る。年中、太陽の光が届かない林下は下草も生えない。遷移が起きる過程であろう。

 個人的には7/8の猿投山の北尾根の捜索で知った戸越峠周辺の地形の複雑さが気になるので再度訪れてみたい。7/9にもここが気になると申し出てみたが東大演習林の中の尾根と沢をやることになった。関係者は軽装かつスニーカーで行くところではないと否定的だった。事故というものは普段と違うことをやるから起きる。意外なところで発見されることが多い。それだからなおも気になる。
 猿投山から北尾根をたどると素直に戸越峠にすとんと下れそうだが、実はそれまで北を向いていた尾根は峠の手前で東西に地形が変わる。峠には道形もなく一とくせある地形なのだ。
 地形図に名前のある峠なのだが、道路は切通しのまま狭く平行し、歩行者として歩きにくい。峠の神様の類いもない殺風景な場所である。北尾根は地形図で想像以上にやせて懸崖である。

 帰路は県道33号からR419で帰った。猿投山の山容は瀬戸市側は鉄塔だらけで美観を損ねる。真南の籠川流域からは桃の花を前景に美しいが山容は尾根が南に伸びるせいか、間延びして今一だ。北一色町辺りからは南尾根が隠れて山頂にまとまりがあるように見えて美しい。
 R419から県道58号へ右折。思いついて愛知池に寄った。ここから自宅までは12kmくらいなのでポタリングのエリアに入る。

猿投山捜索行2017年07月08日

雲興寺の東屋に集まり捜索範囲を地図で検討する
 5月16日に忽然と行方不明になった人を探している。
 車を止めた場所と本人が地形図を駆使して山野を歩きまわる登山者ではなく、近くの住民として散歩のエリアになっていた。そのことからすぐに見つかると思っていたが7/8現在までに手がかりすら得られていない。非常に緻密な捜索態勢の網にも引っかからず、一体どこにおかくれになったのでしょう。
 今朝も4時起き、寝床でうつらうつらする内、東の空が朝焼けになった。早くおきよと、せかされているようだ。顔を洗って、5時少し前に出発する。今日は東郷町の白鳥神社に参拝した。白山社もあり、くくり姫もおわす。参拝後、県道233から長久手市で県道57になり、瀬戸市から赤津を経て7時過ぎ、雲興寺へ集結する。
 7時半を過ぎて8時までに三々五々、捜索に参加するメンバーが集まって来た。例によって過去の捜索で塗りつぶした地形図の未踏の部分をトレースするべく、班分けする。
 私は気になっていた豊田市北一色町の側から1名の応援を得て捜索することとした。
 戸越峠を越えて豊田市側に行き、北一色の林道の奥深くまで走る。途中で、猿投山のバリを下山中のパーティに遭遇し驚く。彼らは猿投山最高点の632mに直接突き上げる沢を下降してきたらしい。道はないそうである。「まだ見つからないんですか」というから彼らも知っているんだろう。(捜索の張り紙もあるし)
 彼らと別れて尚も走って、舗装が途切れた終点らしいところで車をデポする。
 林道を少し戻って小さな沢を遡った。沢なので道形は崩壊しているが水量はないので登山靴のまま遡れた。水が絶えて、尾根への踏み跡も見いだせた。地形図の破線路のイメージ通りである。尾根の道形はしっかり残っていて歩きやすい。しかもよく掘れている。きっと炭焼きとか塩を担いだ行商の道だったであろう。豊田市と瀬戸市の境界の470mのピークには難なく着いた。捜索はここからだ。
 一旦は480mの独立標高点を目指す。ここは巻道があったが直登する。猿投山への北尾根道はしっかりしている。480mから東南の尾根を少し下って北尾根にスイッチバックする。一と癖ある地形である。赤テープが多いので助かる。猿投山への道はここで一旦鞍部まで下る。そして登り返すと629mの山頂である。登頂には向かわず、水線のある浅い谷は既に捜索済みなので引き返す。
 470mまで戻って戸越峠までの北(市界)尾根を探ってみた。踏み跡は明瞭で破線路との分岐には顕著な赤テープがあった。ここも踏査済みである。市界尾根を辿ってみた。ゆるゆる進むと急な断崖で尾根が左右に分岐した。地形図の戸越峠の印刷の越の辺りと思えたが、同行者のスマホの軌跡ではかなり手前を示唆している。
 地形図と実際の地形はかなり違う。そこで赤テープのあった少し手前の分岐まで戻って下ってみた。この踏み跡の赤テープはすぐに見失った。結局は尾根の直下の山腹のけもの道らしい足跡を辿って破線路辺りまで戻った。事実破線路に合流している。これも実感では市界尾根に思えたがスマホの軌跡は破線路を示した。
 山勘はいかに当てにならないか。
 同行者もルートファインディングのいい勉強だという。山中の行方不明者の捜索というものは山野を跋渉するから猟師の行動に似ている。獲物を追う猟師山を見ず、であって猟師も遭難することがあるのだ。
 市界尾根に戻って470mに戻る。さてどう下るか、相談。私は480mの東南尾根を下る案を示す。往路の沢道は下りたくない。この尾根にもきれいな山道が残っていた。そして林道へすとんと下れた。途中で右の明るい森で山腹を下ればあるいは実線の未舗装の林道へ下れたかも知れない。
 何とか無事に下れた。手がかりはないのが残念である。
 小長曽陶器窯跡の入り口にマイカーを止めて1時間の行動範囲を改めて考えると戸越峠周辺の微細な地形が気になる。転落すると厄介なことになりそうな急峻な谷の地形である。
 11時30分か、捜索を終えて雲興寺の本部に帰って報告。誰からも発見の言葉はなく口が重い。家族には焦燥感が募ることだろう。それぞれが解散となった。
 帰路は豊田市民芸館で開催中の写真展に寄る。長年の友人が矢作川流域の自然の風景を撮りためたものだ。
 帰名中、思いついて長久手市の景行天皇社にも寄った。猿投山の由来は景行天皇が猿を投げたという伝説に由来する。猿投山上に祀られている墓の大碓命はヤマトタケル(小碓命)に殺されたことになっている。関係の深い神様である。ここにも白山社がある。明日の発見を祈願した。
(写真は捜索メンバーのM氏撮影)