雪の寧比曾岳2025年02月15日

 雪山に行きたしされど体力はなし。そんな自分にも寧比曽岳なら近場であり登山の時間もかからない。と言うわけで寧比曽岳に行って来た。天気図は西高東低の気圧配置であり北は悪いが愛知県は天気が良い。しかし明日は悪い。
 名古屋を7時前に出た。県道33号線は大多賀峠の手前からアイスバーンになった。4WDのスイッチを入れておく。氷を踏むような音を立てて坂道を登ると大多賀峠のPに着いた。9時半、すでに10台以上の先着があって身支度中だ。今日も賑わうだろう。
 自分も購入して初めてチェーンスパイクを装着、東海自然歩道の階段道を右から少し回り込んで階段上部に合流。後は杉や桧の木立の中の踏み固められた雪道を淡々と歩く。保安林のところは落葉した雑木林になり林床に雪が明るく反射する。小さなコブをアップダウンしながら着実に標高をかせぐ。
 中間ではチェーンソーの音が聞こえてきた。俳句歳時記で冬に伐採作業する人を冬杣と言う。姿は見えないが仕事をしているのだろう。高みに近づくと明るくなり雪に覆われた山頂が見えた。登頂だ。20日間の間を置いただけだが体が重く感じた。
 山頂は樹林がないから大展望である。名古屋方面の巨大ビル群が霞む。天白区の自宅からも夜明けの山であるから視野には入っているはずだ。御嶽山、恵那山、猿投山、寧比曽岳は自宅の窓越しに見える朝な夕なの親しい山々である。
 伊吹山、白山、御嶽山、隣は乗鞍岳、奥穂高岳の吊尾根も見える。恵那山の根張りが大きい。存在感がある。そして南アルプスの巨峰群。寧比曽岳の人気の根源はこの豪華な大展望だろう。
 富士見峠に移動すると御嶽山の並びが良く見える。恵那山は同じだが南アルプスの合間に富士山が垣間見える。大多賀に通じる登山道はないが防火帯が4mから5m幅で下っている。これだけあればスキーでターンが出来そうだ。下部の林道は滑走できないが歩くだけでも良い。
 山頂に戻って下山開始。健脚者には抜かれるばかりだが満足した。Pに戻った。足助の街の手前にある百年草に寄って入浴した。何と300円。後で飲んだコーヒーが美味い。水が良いんだろう。
 寧比曽岳の足助側には渓流魚の養殖場がある。富士見峠の大多賀側には水線が多数あり湧き水もあるようだ。取水して浄水場もあるらしい。
 寧比曾岳の比曽の由来は『地名の語源』に1針葉樹の茂る地。特に桧の生える所。北向きの日当たりの悪い地。中部から東部の瀬戸内に多く分布。例として寧比曾岳も挙げてある。
 今は人工林と雑木林だが明治以前はきららの森と同様に「「きららの森」は、愛知県内最大級の規模を誇る、太平洋型に属するブナの原生林。樹齢200年を超える巨木がそびえたち、モミ・ツガなどの常緑針葉樹に、ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹を交えながら天然林が広がってい」(設楽町HP)たのではないか。森が育んだ伏流水が湧きだしているのであろう。そんな生まれたばかりの水だからコーヒーが美味い。水だけでも美味い。

奥三河の雪見ドライブ2025年02月11日

 午後からふらっと大多賀峠の様子見のドライブに出た。R153、R301、松平で県道39号、足助について喫茶店でコーヒータイム。ここのは水が良いせいか、コーヒーの味が良い。一休みしてから県道33号の予定だった。それが勘違いしてR420に右折してしまった。
 いつまでたっても見える景色が見えてこない。その内、日影部分のアイスバーンに冷っとさせられて4WDのスイッチをONにした。そうか、間違ったと気が付いて引き返すのも面倒なので設楽町を周回する雪見ドライブに切り替えた。
 新段戸トンネルを抜けると豊田市から設楽町になる。R420のカーブの多い山岳路を走りながらR257に合流。田口へ左折して道の駅したらと奥三河郷土館に寄った。久々である。変わらないようだが少しづつ変化はあった。
 R257を登り田口へ走る。設楽ダムの工事現場をへつりながら街中を通過、街の外れが湛水後の高さを想定して高架橋の建設が進行中だった。工事は遅れて竣工は延期とはいえ、以前よりも立体的な進捗度は進んで来た。そこから名倉高原へは九十九折れの坂道を走る。名倉高原は冬田に雪が積もって美しい山村風景を見せている。
 そして再び道の駅アグリステーションなぐらに寄った。ここも改装されて農産物の店舗が配置換えされスーパーみたいになった。
 稲武は素通りしてR153を名古屋に向かう。小田木の谷底の村の雪景色が素晴らしい。連谷町の橋を渡ってすぐに県道484号(牛地大多賀線)に左折。ここからはアイスバーンが連続する緊張感を伴う細道となった。一車線しかない狭い道だ。一回だけ対向車とすれ違ったが幸い小橋の両側によける隙間があり助かった。
 大多賀の山里で当初の目的だった県道33号(瀬戸設楽線)に合流できた。ここからは積雪量がかなり厚い。段戸湖方面へ左折、すぐに県道から右へ細道に入る。大きな山家が2軒あり、最奥の家の前で除雪が終わっていた。約150mほどはある。
 その先は橋を渡って右へ行くと「林道 沢ノ入線」とあった。目分量で積雪20㎝以上はあるだろう。これならワカン、スノーシュー、スキーを使える。これが目的だった。
 33号へ戻って、大多賀峠へ向かう。三俣の咲く谷にもしっかり雪があった。この林道の名前は不明だがスキーが使える。ずっと積雪路を走る。大多賀峠近辺にはもう1台もない。峠を越えてしばらくは積雪路を下った。
 足助の街に戻って追分から久々にR153,平戸橋に行く。うな丼を食べて帰ろうと探りながらドライブしたが新築の住宅が並んで面影は無くなっていた。ネットで調べたらうなぎ屋の「うな武」は2021年8月15日をもって閉店したという。梅坪駅近くの鰻はるに寄ってみた。たれの味は甘目で似てゐなくもない。
 梅坪駅から浄水駅、県道58号から帰名した。

殿様街道の歩き方2025年01月09日

 殿様街道をどう歩くか。起点は名古屋城。定光寺迄24km。今の県道61号なので大曾根から尾張旭までは瀬戸街道を歩く。しかし市街地なので割愛。名鉄瀬戸線で旭前で下車、砂川(すがわ)の交差点から東に瀬戸街道から殿様街道が分かれて行く。つんぼ石という。ここからが始まりになる。ここから定光寺迄13kmというから大した距離ではない。
 なるだけ資料で示される旧道を辿りながら森林公園口の柏井坂を上り、瀬戸市へ越える。瀬戸市もはっきり残っているわけではない。東光寺から先の道を左折すると石坂峠への山路の入り口になる。峠に着いたら定光寺自然休養林内の歩道を歩いて見るのも良い。丸根山を経て定光寺山門前で終点だ。そこから引き返し、221mの三角点玉ヶ峰を経て中水野駅から高蔵寺駅乗り換えで帰名する。
 ざっとこんなプランニングである。令和7年3月31日で定光寺の義直公の廟が竣工する。昨年12月には工事中で入れなかった。この機会に廟へ行くことも意味はある。

殿様街道下調べ②2025年01月07日

 鶴舞図書館の検索機で木下信二著『殿様街私考』があると分かった。郷土資料コーナーで見ると、「昭和61年発行、孔版私家版限定65/冊子P54、 愛知県尾張旭市 樹下文庫第25冊」であった。日本の古本屋では5000円の希少価値が付いている。
 中身を見ると、実際に現地を歩いて、地元の精通者や古老などに聞きいて実証する姿勢である。また古文献、瀬戸市史などにも当たって調査は緻密と思える。それでも私考としたのは謙遜だろう。
 中でも、東光寺から石坂峠までの石畳の検証では、江戸時代以来のものではなく、電話線の保護のためと分かった。尾鷲の熊野古道の石畳は多雨地帯ゆえに道を保護する目的で多方面に亘って敷き詰められている。ここでは部分的というところに著者の注意深さが伺える。
 今となっては約400年の歴史の変遷で改修されたり破壊されて道の形は部分的にしか残っていない。それでも古きを訪ねるのはノスタルジアであろうか。

殿様街道下調べ①2025年01月04日

 元旦の山歩きで偶然に知った殿様街道をネットで調べると殿様とは徳川義直が鷹狩で出かけた定光寺の豊かな自然が気に入ってここに墓を作れと作らせた。山路だが生活道路でもあったという。
 今日は1/2に行ったばかりの尾張旭市の一角に残る殿様街道の案内板を見に行った。その後、森林公園を通りながら瀬戸市へ越えて、中水野の東光寺からの山岳古道への道筋を調べた。奥が行き止まりで入り口までは行けなかった。この先が入り口で石畳の道へ続く。そして石坂峠に登る。そこからは丸根山を経て、東海自然歩道に合流し定光寺へ良い道があるはずである。
 別の機会に『瀬戸市史』や『尾張旭市史』などをチエックしてみたい。

初旅は定光寺から東谷山へ2025年01月01日

庄内川から眺めた東谷山
       <JR中央線で定光寺へ>
 JR鶴舞駅は9:38発の普通に乗車。10:06の定刻通りJR定光寺駅に到着。庄内川の右岸から城嶺橋を渡り、定光寺に向かって歩き始める。県道205号線に進むと谷川の左岸側に東海自然歩道が通じているので移る。やや薄暗いが静かで安全だ。まもなく正伝池に着く。ここで東海自然歩道と別れ、県道を進る。定光寺の参道入口は昨年12月に車で定光寺へ行ったので割愛。まもなく喫茶店が営業していたのでふらふら入ってコーヒーを飲む。すでに11時を回った。
      <定光寺から東海自然歩道の宮刈峠へ> 
 店を出てしばらく山里を歩くと交差点の角に西山自然史博物館なる看板がある。その方向へ進むが博物館に寄る時間はない。林道を緩やかに登ると宮刈池(トンボ池)を右に見て、東海自然歩道の宮刈峠(279m)と出合う。立派なトイレとベンチもある。ここからは再び東海自然歩道を歩く。327.6mの山星山(基準点:山星)を越える。やがて大洞峠を過ぎる。中小企業大学校瀬戸校(労働者研修センター)の敷地に上がった。車道と交差するが東海自然歩道を行くと高根山(290m)を越えて森林交流館に下る。正式には「愛知森林管理事務所 森林交流館」という。
       <定光寺自然休養林>  
 この一帯が林野庁管轄の定光寺自然休養林である。丸根山とも言うらしいがピークは不明。ここからは車道と遊歩道が交錯しているので車道優先、時々遊歩道を下った。車道で石坂峠を越える。
観光案内図の看板にはここから「殿様街道」が東光寺へと南下している。付近には名城大学演習林もあり細道が下るが前途不案内なので引き返す。
    <初代名古屋城主・徳川義直が歩いた殿様街道とは>
 ちょっと長いが検索で得た「瀬戸市歴史文化基本構想を活用した観光拠点形成のための協議会」のサイトから「尾張藩主の行列が通ったことから名づけられた。
 尾張藩初代藩主徳川義直が葬られた定光寺への墓参りの道として、また、水野で行われた狩りのために通う道でもあった。初代尾張藩主義直は、藩主として領国内の民情を把握するために鹿狩や鷹狩を盛んに行った。
 特に水野には元和8年(1622)以降20回以上訪れており、その際に訪れた定光寺の景色に感銘を受け、自らの墓所に定めたとされている。名古屋城から定光寺までは、約6里(24Km)の行程で、瀬戸市内では「中水野」交差点から水野大橋を渡って東光寺、そこから丘陵地帯に入って石坂峠までの区間が道として残っている。」とある。
 つまり江戸時代以来の山岳古道である。一度は歩いて見たい。愛環の中水野駅から定光寺へのルートも良い。
 三角点221.1mの基準点名は玉ヶ峰と言う。今回は割愛。下部では基本的に山路の方を歩いた。そして車道に降り立った。地形図では内田町の一角である。愛環の中水野駅には14時10分頃着いた。これならまだ東谷山を明るいうちに乗り越えられると、続行した。 
       <東谷山へ登拝の参道を登る>
 国道と県道を歩き、住宅の並ぶ十軒町に行くと県道の交差点に案内板があった。地形図には東谷山から真東に石段を表わす記号から実線が伸びている。ここへ誘導されて鳥居をくぐるともう境内の一角である。長い参道の石段を登ると待望の東谷山(198m)の頂上に建つ尾張戸神社である。名古屋市の最高峰である。
 平地を歩く参拝ではなく、登って拝むから登拝である。遠くを眺める場合は遥拝という。苦労した末の登拝が初詣になった。500mlの水を飲みほした。これで今日の目的は果たしたので高蔵寺駅へ下山である。神社の横を通って社務所の管理用の車道へ出た。住宅地からR155、庄内川を渡ると高蔵寺駅だ。16:10の電車に乗れた。正味6時間の初旅になった。

西尾市の茶臼山で山納め2024年12月31日

 名古屋市の自宅をゆっくり出発。R302からR23へ合流すると後は西三河の平野を横断する信号のない快適なドライブである。目指す茶臼山もはるか前方に見えて来る。須美インターを出て地道を走り登山口へ。
 左折すると直ぐに無人販売の小屋がある。降りて名産のミカン一袋、旨そうなさつまいもも一袋買う。200円をコイン入れに落とす。クルマに戻って坂道を登る。木守り柿が誰にも気に留められず朽ちてゆくばかり。右折してどん詰まりが登山口の平原の滝だった。
 身支度して早速登りだす。しばらくは舗装された参道を登る。句碑を横目に薬師堂に着く。小さい滝が見える。
 ここからはやっと山道になる。これ以上は侵食されない硬い古生層の露岩を見ながら急登する。頁岩の露頭も見える。周囲の植生は照葉樹林の矮小化した林である。地面林シダ類が覆う。典型的な里山である。やがて平坦になり山頂が近い。地元の学校の剣道部の子供らが大勢居てこれから下山するところだった。
 あっという間に去ってただ一人の山頂になった。展望は東西に植生が続くので南北に開けている。無風のせいか、碧南火力の煙突の煙が真っ直ぐ昇っている。
 地形図に山名の記載もない標高291mのミニ里山だが北西からの微風でも寒気は体を冷やす。登り約40分なので体も温まっていない。くしゃみがでたので休憩20分で下山することにした。乙女峠まで戻って薬師堂のある谷へダイレクトに下る。下りきると谷を渡る。堰堤を越えると薬師堂が見えてくる。ここからはまた舗装された参道を下る。谷には落葉がいっぱい溜まっている。登山口には朝よりも多数のクルマが止まっていた。
 帰路は道の駅に寄って、みかん、栽培した自然薯(夢とろろ)2本を買った。JA豊田の名産かと思っていたらこんなところでも買えた。

4歳のSちゃんと三ヶ根山へハイキング2024年11月08日

 姪の娘家族と西三河の三ヶ根山へ行ってきた。11/7の立冬は暦通り木枯らしが吹いて寒かった。今日もまだ寒気が居座っていて寒い。Sちゃんは大沢を起点に一周するコースを3時間ほどで歩ききってくれた。殉国七士廟からの下りで一部荒れた道を嫌がってパパさんに抱っこしてもらったが、舗装路出てからはまた元気に歩いてくれた。
 狙いは4歳児のSちゃんにアサギマダラの生態を観察させたいと思ったが、この寒さでもう南方へ飛んで行ってしまったのか一匹も観れなかった。またの機会に再訪させたい。

池田富士と春日井三山を歩く2024年04月07日

 自宅を1時間早めに出発。地下鉄鶴舞駅でJRに乗換。高蔵寺駅で30分の余裕が生まれ高蔵寺駅構内の喫茶店で香り高いコーヒーと軽い朝食を取りました。
 内々神社行バスの始発は8時ちょうど。内々神社バス停まで約30分。内々神社まで徒歩2分。トイレで用足し後、登山を開始。境内の右側に東海自然歩道が通じている。植生は見事な杉、照葉樹林の高木でした。ジグザグで東屋のあるピークに登る。もう一つ先の四等三角点の北山を踏んで下る。犬山へ行く道と別れて右へ周回後、春日井市と多治見市の境迄歩く。そこには春日井三山の一つ弥勒山437mの登山口がある。
 今日は池田富士370mを経めぐりたいので少し戻ってラブホテルの入り口の左のピンクのテープから植林内に入る。枝が落ちていたり、倒木も未整備であるが踏み跡はなんとか歩ける。左側の金網に沿って歩く。林内は迷いやすいが赤、ピンク、黄色のテープのマーキングがあるので心配はない。金網にどこまでも沿うと無名のコブに出て北の方面の眺めが良い。少し戻って赤テープが多数巻いてある処から東へ行く。踏み跡は頼りないがテープが多数あるので迷わない。
 小さなコブを2つ乗り越すと池田富士に登頂。小さな祠が2つあり、ベンチのある処からは樹木が切り払われて多治見市街地を見下ろせる。霞んでいるが恵那山、南アルプスも見えた。休んでいると八曽山からというトレランのハイカーが登ってきた。凄い肺活量だね。赤テープに導かれて廿原へ下る。途中に鳥居や池田富士への道標も在って地元の人らに愛された里山だと知った。廿原と書いてつづはらと読ませる。
由来はhttps://www.gifu-np.co.jp/articles/-/82703
 多治見市廿原の山里に下るといちご狩りのマイカー客が一杯来ていた。ちょうど12時になったのでその中のmontanaという喫茶店でカレーを食した。
 約30分後、弥勒山へ登山を再開。桧の植林内のしっかりした登山道を弥勒山まで登った。ここでもトレラン1人が追い越していった。トレランブームかな?山頂では改埋された二等三角点が埋まっている。ベンチもある。東屋もありハイカーに人気があるのもうなづける。山頂を辞して急な階段状の登山道を下るうちに膝に痛みが走った。そろそろ下る。大谷山、道樹山と一応三山は踏破できた。
 計画では定光寺駅まで縦走だったが暑いのとひざ痛がぶり返して来たので道樹山で下山した。細野町に下って車道を歩き、15時55分、石尾台東のバス停で登山活動を終えた。本当はキャンプ場から細野のバス停に歩けば車道歩きは少なくて済んだ。石尾台のバス停で2つ目だった。待ち時間の間にストック、カメラなどを仕舞い、パッキング。16時12分のバスに乗って高蔵寺駅まで乗車。16時47分の快速に乗れた。

春日井三山の計画2024年04月04日

 4/6か4/7の山行のプランニングを考えた。今度は春日井三山に行こうか。以前の正月にJR定光寺駅から内々神社まで歩いたことがある。内々神社で初詣というわけだ。
 今度も大谷山シリーズで行く。①豊田市の大谷山、②西濃の大谷山、③春日井市の大谷山、④湖西の大谷山とまだまだある。加えて公共交通機関利用に限定した。②も公共交通機関にしたら使うエネルギーが多かった。マイカーは登山口に乗りつけて往復したり周回するが縦走はできない。今回も縦走することで見聞する範囲が広い。
 高蔵寺駅から内々神社へ行く。池田富士を周回し、春日井三山縦走に変化を付けてみた。またJR定光寺駅を経て時間が許せば、定光寺自然休養林や徳川義直の菩提寺も経めぐりたい。そして愛環鉄道もちょっぴり利用して見る。