晩秋の裏木曽・井出ノ小路山界隈を歩く2017年11月06日

 11/4の夜、世間ではもう寝るか、という10時過ぎ、メンバー4人が合流して名古屋市を出発。中央道を走って、中津川市から下呂への南北街道から付知峡に分け入ると、零時を回った。赤石園という小さな園地に幕営、空には都会では見られない青い月が微笑んでいた。月明かりだけでもテントは張れるほど明るい。おそらく零度近い気温に、ビールを飲む気になれず、ミニ宴会もなく5時起床とだけ約して1時30分に就寝。
 11/5、5時、非情の目覚ましベルに起床。簡単な朝食をとる。直ぐにテント撤収。登山口の林道ゲートまではすぐだった。身支度を整えて出発したのは6時20分となった。ゲートをくぐって林道を歩き始める。真弓峠への分岐を過ぎ、井出ノ小路橋を渡ると左岸に移る。合体木とか、神宮備林の案内板のあるところで美林橋になり右岸に渡る。しばらくはいい道だったがヘアピンを過ぎたころから路盤が荒れ始めてきた。谷が押し出されて埋まったところもあり、帰路、日没を想定してリーダーのW君が赤い布をべた打ちしてくれた。林道は延々続いたが突然、堰堤から下流の谷底がえぐられた箇所に来た。ここが事実上の登山口の茶屋小屋谷である。
 堰堤の左を巻いて谷芯に降りて遡行を開始した。遡行とはいえ、この時期は水は伏流して荒れた登山道を行くような感じで登攀の趣きである。かつて水が流れていたので岩は浮石が多く油断が出来ない。石車や抱き石に注意した。堰堤からしばらくは谷が立っているので高度は稼げる。厳しいところを過ぎて安定した谷相に入った。
 時計を見ながら鞍部へは予定通り着くかどうか。心配していると突然、明るい谷にも関わらず、右へ振るというリーダーの指示で笹を漕いで枝沢に移った。なるほど、上方からは明るい日差しが見えて今やっと日が昇ったかに思える。東南の方向へ振ったのである。
 苦労の末にたどり着いた鞍部は井出ノ小路山への鞍部ではなく、中の谷1806.4mへの鞍部であった。この時点で目的地への登山は断念せざるを得なかった。折角1700mまで高度を稼いだのだから中の谷の三角点を稼いで下山しようと提案したら乗ってくれた。この地点から下山すれば明るいうちに車に戻れるが手ぶらでは帰れないと誰しもが思ったのだろう。
 鞍部から中の谷への話は以下の通り。(東海白樺山岳会ブログ)
 井出ノ小路山と1806.4mの2等三角点の鞍部に詰める予定が、朝日が上がった方向(東南)を鞍部と勘違いして、その枝沢に乗り換えた。ここでコンパスを出して確認すべきだった。山勘だけに頼ると陥りやすいミスだ。ただし、現在位置は確認できたので、1806.4mの2等三角点「中の谷」だけでも踏んで下山することとした。間違った鞍部から激ヤブを漕いで中の谷に登った。途中、御嶽が至近距離に見え、遠く白山もみえて癒された。私は2回目で、中の谷は夕森山からヤブコギで往復した記憶がある。そばには抜き取られた御料局三角点が埋まり、桧の良材の宝庫だったことを彷彿させる。1806mから鞍部へは踏み跡もなく訪問者はきわめて限られた好事家しか登らないのだろう。鞍部も古い赤テープがあるだけで踏み跡は一切ない。
 井出ノ小路山は登山者のまれなヤブ山である。
 溝状の谷の下降も最初は急で神経を使う。半ばから少し傾斜が緩くなるがまた急になり、登る際には岩登りの感覚で登攀した箇所は右岸の笹薮の中のかすかな踏み跡をたどって下山した。堰堤から下流は谷底がえぐれて大変に荒れていた。蛇抜けであろう。日没前に林道に下れて良かったが、美林橋から上は荒れて谷の崩壊があり、押し出された土砂で埋まっていた。リーダーのW君は往きに日没がありうると想定し、危険箇所に赤い布をべた打ちしておいた。美林橋の手前から日没し、ヘッドランプで下山した。
 夜明けは6時16分ころで、ゲート前を朝6時20分に出発し、戻ったのは18時30分超で実に12時間以上の長丁場であった。日没の早いこの時期としては前夜発日帰り登山の限界を超えていた。中の谷を経由しなければ2時間は早く下山できただろう。中の谷をゲットできただけでも良しとしたい。
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 下山が遅れて温泉入湯は出来ず、夜自宅で入浴後、体重計に乗ると74.75kgを指した。少し前から1kgの減量となった。朝食はコンビニのおにぎり1個、バナナ1つ、カップ麺1杯、行動食としてミカン2個、餅を5つ、はちみつのスティック2本、300mmの牛乳1個、ドラ焼き1個を食べた。これだけ食べても空腹感があり、恵那峡SAでは夕食にビフテキカレーを平らげた。それでも減量したのだからいかに激しい運動量だったか分かる。ただし水は水出し麦茶1リットルで足りた。

2等三角点「野並村」へポタリング2017年10月30日

 9/22以来、ごく近場しか乗らなかった自転車。5月下旬からの4ヶ月にわたるポタリングの成果で膝痛が緩和して10月から本格登山を再開できた。木曽の沢登り、猿投山、中央アルプス日帰り、富山の牛嶽と高落場山、鎌ヶ岳と数だけは稼いだ。
 10月中旬からは週末ごとの台風で実行できず。月末は所用が重なり1ヶ月ポタリングはできなかった。体重計に乗ると75.7kgとやや太りつつある。10/28の姫路城見学でも実際は乗り物で行動し、御馳走三昧でほとんど歩いていないからカロリーの取り過ぎである。
 今日は午後から久々に自転車にまたがった。台風の後でまだ強風が吹くが、爽やかである。向った先は天白区久方というところにある「野並村」という2等三角点である。市道からいつもの道路は傾斜が強いので路地に入り、段々に高度をあげてペダルを漕いだ。
 三角点は69.3mほどで低い。路地を抜けると豊田工業大学の一角に着いた。一帯は戸笠公園の散策路になっていた。三角点は大学のグラウンドの外れにあるが、道路側からでも視認はできた。何と石垣で一段高く盛土してあり、国地院の説明板まであった。
 確認後は住宅内を下った。どこを走っても下り坂である。ダイレクトに来ると2.3kmなので周遊して9.2km程度の運動にはなった。野並駅経由で自宅に戻りつつ背中に少し汗をかいた。

改めて白山宮・足王社へお礼参り!2017年09月05日

 9/3の沢登りは恐る恐る参加した。何分2年ぶりのことである。翌朝も翌翌朝も足の痛みは特になかった。階段の下りで感じた激痛はもうないのだった。エレベーターを探したり、階段の手すりに頼った下りはしなくてもよくなった。
 正座できないとかはあるが登山は普通にやれるまでになった。
 実は6/11にも浜松のクライミングジムで支障なく登攀出来たのでお礼参りに行った。今回は2回目になった。猿投社、稲荷社、等の末社にもお参りした。信ずる者こそ救われるを実感した。
 ポタリングで白山宮へ来るだけでやっとの思いだったが、自信がつくと愛知池に足をのばし、最近は100m級の三角点ハンティングを兼ね、かつ、白鳥神社も詣でることにしていい目標ができた。最遠方は藤前干潟だろう。次は猿投山の登山口の猿投神社まで一走りするか。

膝に回復の兆し2017年08月29日

 緊急入院の退院後、5/22以来、健康回復のために始めたポタリングも回数を重ねて30回近くになった。近場の所要でもなるたけ自転車を使うので実質はもっと多い。
 顕著な変化は大腿筋がついてきたせいか、地下鉄の急でしかも長い階段の下りで手すりにたよらず、下れるようになったことだ。登山でも登りは良いが下りに自信がなかったのに、何とか無難に下れるようになった。かといって、膝痛が完全に癒えたわけではない。但し、下山の翌日でも痛みを引きずらないことが大きい。
 そこでこれまでの反省である。
 大腿筋の復活で痛みが癒えつつある。ということは登山の回数が減った代わりにポタリングで復活したのだ。
 しかも食べる量が減らないから体重増になった。膝の痛みがでてからも、(それは押入れにしまってあったけい皮鎮痛剤の箱を見ると数年から10年に及ぶが)けい皮鎮痛剤で痛みをごまかしていた。代表的なインドメタシン配合剤は実は貼付した部分から薬剤が浸透して血液の流れを止めるという形で痛みを鎮めていたのだ。
 血液の正常な流れに自己治癒作用があると考えると薬で遠ざけていたことになる。患部が治癒しないまま重くなった体で登山を続ければ膝の軟骨の損傷は大きくなるばかりだろう。加齢で登山の回数は減るばかりだったから大腿筋も退化するわけだ。
 膝の痛みで登山の回数を減らし、スキーも今シーズンは初めてゼロになった。運動量は激減した。体重は80kg近くまで増えた。そこで減量のために減食を心掛けた。60歳以降、増えるばかりだった宴会の回数を半減した。4月には4kg減った。これが体に負担となったようで、5月に発病してしまった。病気は栄養分の何かが不足して起きる。体に必要な栄養分が不足したのだ。
 こうした悪循環が重なって現在がある。結果、3度3度食事をする、運動量を増やすことに思いを致す。膝痛については緊急以外は対象療法的な治療は避けることとする。インドメタシンの常用が中々治癒しない原因を招いているように思う。
 今後もポタリングで発汗を促す。猿投山をトレーニングの山に位置付けて通う。目指すは28歳ころの体重63kgだ。徳川家康が言ったという「人の一生は重き荷を負うて行くがごとし」の言葉。楽をすると駄目なんだなと。

緑区の氷上姉子神社へポタリング2017年07月19日

 朝6時起床、今日も冷房のまま目覚める。窓を開けるとむっとする湿気。一応シャワーを浴び、髭を剃ってしゃきっとしてから、6時35分に出発。ミニザックに財布、タオル、氷水を詰めた魔法瓶、塩飴などを放り込む。
 島田橋を過ぎてから天白川の右岸のサイクリングロードに入ると、後はまっしぐらとは参らず、時折、車道と折り合い、信号待ちもあったりする。それはイラつくのではなくいい休憩になる。休むことなしに1号線にかかる大慶橋をくぐる。新幹線の疾駆するガードは迂回するとすぐに名古屋高速、国道23号が重なる橋を渡ると丸の内になる。
 国道23号に沿うように行くとあっさりと氷上姉子神社の入り口に着いた。7時20分だった。約45分、グーグルで徒歩で検索すると10km弱なのでまあまあのスピードで走れた。
 境内は朝早いこともあり静まり返っている。御手洗いで清めて参拝する。そして居住していたと言う元宮にも参拝した。標高は約45mくらい。
 尾張の国を治めたミヤズヒメはヤトタケルから草薙剣を受け取ってそれが三種の神器となった。熱田神宮を創設してこれを収めた。つまりここは成海神社とともに熱田神宮のルーツになる由緒正しい神社ということになる。
 天白川左岸はほとんど連続性がなく走れない。主に右岸のサイクリングロードを遡った。帰宅は9時20分。
 いよいよ、熱田神宮とヤマトタケル終焉の地、三重県の野登山の麓のノボノ神社も行かねばなるまい。伊吹山で遭難した後、清水を飲んで一息ついたという霊仙山の麓のサメガイも改めて行ってみよう。

名古屋市緑区の成海神社へポタリング2017年07月07日

 久々に朝早く起床した。九州は豪雨で甚大な被害というのに名古屋は梅雨晴れである。日中は暑くなりそうだ。6時前、顔を洗ってすぐにポタリングに出かける。
 行く先は成海神社という。ここもこれまではこんなところに大きな神社があるなあ、と見過ごしてきた。何で知ったかといえば、古代史の本を読んでからである。『古事記』や神々と神社の書籍を読み漁るうちに、東海地方は神話の中でも特にヤマトタケルと関係が深いと知った。日本武尊と書く。調べるとあちこちに主祭神として祀られている。これから主な神社をポタリングして行こうとと思う。
 行きがけに野並八剣社にも参拝した。ここも分社ながら日本武尊他が祀られていた。
御由緒
八劔社は、旧鎌倉街道(上野道)沿いに鎮座し、「尾張名所図絵」には交通の要所として記されるなど、地域の安全、国家安寧を見守ってきました。 八劔社周辺は、古くから「大宮司山」と呼ばれ、熱田神宮大宮司であった千秋家の領地でした。その他に熱田神宮にある八劔社の分神として主祭神の日本武尊他八柱の神様がお祀りされています。 相殿神として日本武尊のお妃である宮簀媛命を始め、相殿の全ての神様が創造の神など対でお祀りされているので、縁結びや安産などに特にご利益があると伝えられております。 また日本武尊がご自身にふりかかる数々の災いを払いのけ、見事に名を上げられた故事に倣い、厄払いや立身出世の神様としても篤く崇敬されています。

御祭神
日本武尊,伊弉諾尊,伊弉冊尊,天照大御神,月読尊,蛭児神,素盞嗚尊,宮簀媛命,建稲種命
以上

 野並から鳴海まではほぼ平坦だが、鳴海から若干の登りが辛かった。自転車のギアを調整しながら成海神社まで登りきった。広大な駐車場が整備されたばかりだった。境内に進み、御手洗場で手を清めた。ここも杉の曲げのひしゃくであったから本格派である。玉砂利の境内を本殿まで進んで参拝した。 

 成海神社はウィキペディアによれば

主祭神
日本武尊
配祀
宮簀媛命
建稲種命
宮簀媛命は、尾張国造の乎止与命と真敷刀俾命の子で、日本武尊の后の一人。伊吹山に赴く日本武尊から草薙剣を預かり、後に熱田神宮を創祀した。
建稲種命は、宮簀媛命の兄で、日本武尊の東征の際、副将軍として随従した。
以上

熱田神宮は宮簀媛命が創祀したという。熱田神宮の創建を見てみると

創建[編集]
第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手元へ留め置いた。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれているとされ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。
以上

 世に名高い熱田神宮と成海神社は日本武尊とのつながりにおいて切っても切れない関係にあった。成海神社は格式の高い古刹といえる。

 参拝後はさらに登りをこなして下り坂に出て、千句塚公園に寄った。松尾芭蕉の生前唯一の自筆の句碑が建立されている。断崖の上にあるので公園からは名駅前の高層ビル群がよく見える。自転車を下りて車道から野並まで走る。野並からは天白川のサイクリングロードを走って帰宅した。約1時間半だった。

平針荒池界隈ポタリング~午前の部2017年06月20日

 6/17から6/18の夏山フェスタも終わった。これが終わるといよいよ夏本番である。最後のセミナーで気になる膝痛の話を聞いた。入りは70%以上はあった。みなさんの関心が高い証拠である。
 膝痛のメカニズムがよくわかったが防止策として、講師は「体重を増やさないことですね」と断言。
 その通りです。処方は多々あるが、決め手は膝の負荷を軽減するしかない。というわけで今朝も少し遅めの目覚めで、7時過ぎにペダルをこぎ始めた。目指すは三角点「平針」63.5mと荒池界隈。
 自宅の標高が低いので一気に登らず、大根町を経て名二環を横切る、ある程度高度を稼いでから横断に入る作戦であった。ところが、南へ振りすぎて、緑区の熊ノ前に下り方向感覚が狂ってしまった。今さらまた坂を登り返すのも大変なので白土経由で県道56号に出て、東神ノ倉を迂回しながら北上、地理感のある荒池付近で左折、三角点を目指す。
 ところが向が丘の住宅地で微細な路地道に迷いこむ。かなり北へ行きすぎて、またバックして名古屋市農業公園の西縁を走っていたことに気付いた。当りがついたら急に徒労感がでて帰宅した。何のことはない。針名神社のすぐ南だった。
 地形図は過去15年間新情報を更新していないため、今はある道路も地図ではないことになっている。しかし古くからある道を辿ればよいと気付いた。平地の三角点ほどRFが難しいとはいうが本当である。
 自宅にもどってシャワーを浴びて体重計に乗るとトレパン姿のままで73kg。まあまあのところまで落ちてきた。

白山宮・足王社へお礼参り2017年06月13日

 6/11のクライミングで膝の痛みを感じなかった。つまり治癒が近づいている実感を得た。昨日は疲労と風邪気味で行けず、今朝、車で白山宮と足王社へ参拝した。ジムでもいよいよ復帰ですねと期待が大きかった。それに応えられると良い。
 今年前半は膝痛解消を目標に減量にこれ努めた。スキーも雪山登山もできない体になってしまった。沢登りも当然できない。
 減量に段階的に成功したが、5月半ばで健康障害が出て緊急入院してしまった。半健康状態も今月いっぱいで解消したい。
 5月中旬から始めたポタリングの参拝の成果も大きいように思う。ポタリングは膝に負荷をかけずに血行を良くする効果がある。大腿筋の強化もある。軽い山歩きで減量していけば最終目標の68kgに到達できるだろう。

浜松スクエアークライミングジムdeボードクライミング2017年06月11日

 朝9時、金山を出発。ナビは三ケ日で出よ、というので出たらやはり早かった。距離は100kmちょっと。着いたら11時半を回っていた。地道をはしらされたのが大きい。周囲は田舎地帯にあるポツンとした建物である。
 ここで登録料1000円と使用料2500円を支払って会員になる。シューズ、ギヤ、などは持ち込み可能なのでこれだけである。利用者はそんなには多くはいないので順番待ちはなかった。
 見学を決め込む積りだったが折角だからと1本やってみたらボードの半ばでロープダウンした。腕に力を入れすぎとルートがやや高度だったみたいだ。
 それで優しいルートをやるとするすると最高点まで登攀できた。3本目も場所を変えて、ややグレードの高いルートをやってみたらするすると最高点に到達できた。全員3回から4回はやれたところでお開きにした。
 今回の収穫は膝の痛みを感じなかったことである。ボルダリングはドスンと落ちるので避けたがトップロープに確保されての降下は軟着陸で膝への負荷が少ない。
 帰りは三方ヶ原SAのスマートインターチエンジから入線した。

痩せたければダイエットしてはいけない2017年06月08日

 今朝の中部経済新聞の16面の見出しだ。日刊ゲンダイから購入した記事である。
 要旨は以下の通り。
1 減量を目的にした食生活は、かえって肥満を招く。
2 おやつを饅頭などの和菓子にする。
3 「食事量を減らしなさい、カロリー制限をしなさい」とは言わない。
4 「体重を減らして健康に」というアドバイスは健康をむしばむ。ダイエットや体重をコントロールするための行動はむしろ体重増加につながる。
5 カロリー量を減らせば必然的に食事量が減り、体に必要な栄養素が量的にあるいは質的に不足する。
以上
 なかなかに難しいものです。
 
 食事制限や食事療法は一つ間違えば体を痛めてしまう。病気になってしまう。さまざまな情報が飛び交うが注意したいことです。