名大学長松坂佐一のことども2019年09月10日

 朝6時台は気温は少し下がったとはいえ、直射日光が照りつける道を歩き出す。冷蔵庫で冷やした濡れたタオルをポリ袋に入れて汗を拭き拭き、朝一で地下鉄に乗る。もう座席は埋まっている。
 クラブ愛知の集会に出席する。早朝7時からホテルの朝食を食べながら愛知大OBのゲストスピーカーを呼んで話を聞く。今日は不動産屋で成功した若いOBだった。不動産業は成熟産業なので隙間の需要を取り込みながらの情報サービス企業である。それなりに成功をしたらしい。
 スピーチが終わるとOBからの任意のエピソードの時間になった。新趣向である。一番手の昭和29年卒業という大先輩の某氏の言葉がいたく印象に残った。表題の松坂佐一(明治31(1898)年~平成12(2000)年)のことだった。
 松坂佐一はウィキにはこう紹介されている。岡山県倉敷市の生まれ。「小学校を卒業後上京し、東京府立第一中学校、第一高等学校を経て1923年東京帝国大学法学部卒業。京城帝国大学教授(昭和5年)、愛知大学教授(昭和21年)、名古屋大学法学部教授(昭和24年)、名古屋大学総長(昭和34年)、NHK経営委員会委員などを歴任し、晩年は研究の傍ら弁護士としても活躍。」とあるので一応愛大教授を務めたことは分かる。
http://nua.jimu.nagoya-u.ac.jp/upload/news/20/68ba1a55e62582f2a38c3930b393522f.pdf
 ネット検索で深掘りすると、名大法学部独立に寄与したとのことが「名大史」から分かった。学長としては1959(昭和34年)から1963(昭和38)年。ちょっと名大史から引用すると、愛大教授をやりながら名大法経学部設置に尽力したのである。名大は帝大だったが理系のみで文系はなかった。
 戦後は上海にあった東亜同文書院大学の教授と学生を継承した愛知大が旧制で法経学部を設置し中部地方の大学で初めて法学教育に乗り出した。外地の台湾の台北大学、朝鮮の京城大学からも引揚者が合流したらしい。このスタート時に教授として迎えられるのは自然な成り行きだったと思う。松坂氏は47歳になっていた。家族を抱えて大変な戦後を過ごしたことは想像に難くない。国立名古屋大学法経学部は数年遅れてスタートしたのである。
 先輩某氏の話には松坂氏に大変親しみを感じていたことがわかる。なぜならば名大に軸足を移しても愛知大の教授としていてくれたというのだ。中々聞けない貴重な話だった。
 その後、M女史のインストラクターに体力測定をしてもらうと、体力年齢は57歳と出た。ただし、肥満気味とのこと、また内蔵脂肪が多めらしい。道理で動きが悪いはずだ。糖質制限をしなくっちゃね。
 若い弁護士のMさんや司法書士のYさんらと山の話をして別れた。

松過ぎてまだまだ続く新年会 拙作2019年01月17日

 7日または15日過ぎを松過ぎという季語がある。新年会と季重なりになる。11日は業界団体の支部、13日は地域の俳句会、15日は業界団体の賀詞交歓会、昨夜は山岳会の新年会で14名集まった。久しく会う人もいて盛会になった。但し80歳代が1人不参加になったのが寂しい。
 料理はマスターの手作りがウリ。そのせいか、他の店に変えろ、という声がない。完全に指定の店になった。滅多に食えない甲焼も出た。
 気になるのは御馳走を食べて太る傾向なので体重増である。怖くて体重計に乗れない。
 先週、11日にござらっせ温泉に入湯した際には、1Kg弱増加していた。肥満を警戒して、粗食に戻すべく、5分突き米にした。これだと2時間後には排泄する。
 白米は糠がゼロで美味しいが炭水化物のみなので太りやすい。玄米は100%糠で覆われ、炊飯が面倒だし、消化も悪い。それで5分突きにしたら食味は若干落ちるが、消化が良くて、体調も良い。糠に残るV2やミネラル、繊維質が体に良い。ヨーグルトを食べなくても5分突き米で充分だ。炊飯も若干浸水時間を多めにするだけで良い。
 19日は100人規模の参加がある山岳会の新年会、2月は同窓会、知人関係の新年会と続く。来週は太り気味の体を絞りに久々に連泊でスキー旅行に行く。2月からは本格登山を再開する。仕事も獲りに行かねばならない。

平針の針名神社を経巡るポタリング2018年07月02日

 7月になった。6月は沢登り2本、ロング1本で立て続けに本格的な登山をこなした。それで満足してしまい先週も今週も中休みにした。強度としてはプレ夏山になる。 
 それでも大腿筋の筋力の衰えが気になるので、しばらく休んでいたポタリングを再開した。昨年は6月から9月まで3日置きに走っていた。お陰で膝痛が緩和して、登山を再開できるまでに回復した。
 今は毎日飲んでいるビタミンB剤からの解放を目指して、米を5分づきにして食べることにしている。食べると効能は明らかで、たちまち便秘が解消した。米糠の繊維質か胚芽にあるビタミンB1の働きかは不明ながら健康食との確信を得た。
 適度な運動、時々限界に挑むハードな運動、ほぼ毎日5分突き米を食し、植物性と動物性のタンパク質を摂取する。これが当面の日課になる。
 今朝は明け易い時期なので、5時過ぎには目が覚めた。5時半にプラスチック資源ごみを出し、自転車に乗った。さてどこへ行くか。瀬戸市辺りに黒っぽい雲が湧いている。名古屋は梅雨晴れで青空が見える。雲はかかるが、猿投山の輪郭もはっきりしている。自然と東に向った。
   梅雨晴れ間猿投の見える所まで
 平針駅まで来て、昨年6/9の初参拝以来、しばらく来ていない針名神社に参拝するべく走った。静寂な境内で御手洗で手を清める。ここは水が噴出し、曲げ物の柄杓で水を掬う。これは繁盛している神社のバロメーターである。参拝者の少ない神社は水が空だったり、アルミの柄杓だったりする。本殿は改修中であったが、お賽銭を投入して参拝を済ませた。他の神様にも参拝した。
 神社を辞して、赤池駅から名古屋市鉄道局の整備工場をまたぐ橋を渡ると日進市から東山に抜ける県道219になる。久々に御嶽山の水で満たされた田園風景に見入る。ゆっくり走って、天白川の橋を渡り、路地からコメダ珈琲店梅森台店に入る。朝7時前でも営業中なので、ちょっと休む。日刊紙各紙に目を通し、汗をかいた後の体でコーヒーを味わう。この習慣は続けたい。
 喫茶店を出ると後は一目散に自宅に戻る。原駅が近づくと、三々五々、通勤者が歩いて行く。
 小津映画の『早春』の冒頭で見られるショットと同じである。あっちからこっちから会社員風情の男女が早足で駅に向い、ホームで鈴生りに並ぶ。そして東京へ向かう。どんな意味があるのか。多分、会社員の喜怒哀楽を描く象徴として描いたのだろう。
 天白川を渡り緑道を走って帰宅した。今日も暑い1日になりそうだ。梅雨明けが近いかも。

GW後半へ2018年05月05日

 今朝は猿投山が見えていたのに午後は曇天になった。少し肌寒い。午後3時過ぎまで積読の本や雑誌を読みまくる。
 乱読に飽きると自転車に乗りたくなった。すると前に修理したパンクだが再び後輪がパンクしていた。已む無く、タイヤとチューブを交換してもらった。約6000円弱の支出になった。まあクルマよりは軽い。
 曇っていた空が黒くなり、雨粒が落ちてきた。すぐ止んだので平針市街地をぐるっと走った。すると土手には例の絶滅させたいオレンジ色の花の群落を見た。しつこい外来種である。
 夏モードに切り替える時期が来た。それからタイヤも夏タイヤに変えなきゃ。昨日はタイヤ4本を載せる台車の車輪が壊れたのでホームセンターで買ってきて交換した。
 さらに倉庫代わりの車内を整理をした。スキー板、ピッケル、ストック、山スキー専用靴、タイヤチエーン、シールなどを部屋の押入れに収納してすっきり。逆にポリタンの灯油の残りはディーゼル車の給油口に注いで空に。
 今日も見まわすと片付いたと思っていたが、まだワカンと冬用登山靴、冬用のヤッケもパンツも残っていた。ところが北アルプスから尾瀬にかけて北の山では冬に逆戻りで降雪中という。春山の怖さである。遭難が起きねば良いが。
 GW前半の山では心肺機能と持久力の低下を実感した。この年で鍛え直すなんてどうかなと思うが、走れる体に戻したいとは思う。減量のために減食で急いだために急病を招いた昨年の反省がある。少しづつランニングを取り入れたい。
 体には常にタンパク質とビタミンの補給が必須だと知った。さらに酵素も必須だった。要するに刺身のツマや付け合わせである。大根おろし、しょうがの付け合わせ、生野菜のサラダや生ジュースなど。加熱すると失われる酵素は様々な病気を引き起こす。犬や猫でさえ飼育されると人間並みの病気になる。それは酵素の不足だそうな。刺身のツマにも意味はあったのだ。白髪は酵素が不足して頭髪に回せなくなった結果だという。
 老いて知るのは先人の食の知恵には一切の無駄がないこと。

初例会2018年02月07日

 今夜は12月以来の定例会。1月は新年会で休会だったからだ。来年度の会費納付、山岳共済保険料の納付を済ませた。続いて今月から来月の山行予定を掲示した。
 個人的には年の数だけ登らねばなるまいと思った。昨年の反省で食事制限は栄養バランスを壊し体調が悪くなり入院まで余儀なくした。また運動も心がけるがどのスポーツも単調に見える。山歩きだけが2時間でも10時間でも体調に応じて歩けるから長く続けられる。
 山行歴が長くなると過去に登った山が多くなり、新規に登る山が減ってしまった。山行回数が激減して運動量が減って体重が増加した。以前はスキー技術も下手だったから毎年転んで体力を消耗していた。1月2月に宴会太りしても4月ごろになるとちょうどいい体重に減量できたのだった。年々上手くなって転ばなくなると体力を消耗することなく楽に滑るようになった。これで体重が減らなくなった。
 健康寿命を延ばすには最大の解決策は山行回数を増やすことに尽きる。時にはきつい登山を交えながら調整する。
 さて、年間65回から70回登山するとなると、月に5回から6回登ることになる。大きな山岳では縦走して1日に数座稼ぐこともある。要するに毎週登山になる。このノルマはきつい。それでも何とかヒマを工夫しながら数をこなしていきたい。

晩秋の裏木曽・井出ノ小路山界隈を歩く2017年11月06日

 11/4の夜、世間ではもう寝るか、という10時過ぎ、メンバー4人が合流して名古屋市を出発。中央道を走って、中津川市から下呂への南北街道から付知峡に分け入ると、零時を回った。赤石園という小さな園地に幕営、空には都会では見られない青い月が微笑んでいた。月明かりだけでもテントは張れるほど明るい。おそらく零度近い気温に、ビールを飲む気になれず、ミニ宴会もなく5時起床とだけ約して1時30分に就寝。
 11/5、5時、非情の目覚ましベルに起床。簡単な朝食をとる。直ぐにテント撤収。登山口の林道ゲートまではすぐだった。身支度を整えて出発したのは6時20分となった。ゲートをくぐって林道を歩き始める。真弓峠への分岐を過ぎ、井出ノ小路橋を渡ると左岸に移る。合体木とか、神宮備林の案内板のあるところで美林橋になり右岸に渡る。しばらくはいい道だったがヘアピンを過ぎたころから路盤が荒れ始めてきた。谷が押し出されて埋まったところもあり、帰路、日没を想定してリーダーのW君が赤い布をべた打ちしてくれた。林道は延々続いたが突然、堰堤から下流の谷底がえぐられた箇所に来た。ここが事実上の登山口の茶屋小屋谷である。
 堰堤の左を巻いて谷芯に降りて遡行を開始した。遡行とはいえ、この時期は水は伏流して荒れた登山道を行くような感じで登攀の趣きである。かつて水が流れていたので岩は浮石が多く油断が出来ない。石車や抱き石に注意した。堰堤からしばらくは谷が立っているので高度は稼げる。厳しいところを過ぎて安定した谷相に入った。
 時計を見ながら鞍部へは予定通り着くかどうか。心配していると突然、明るい谷にも関わらず、右へ振るというリーダーの指示で笹を漕いで枝沢に移った。なるほど、上方からは明るい日差しが見えて今やっと日が昇ったかに思える。東南の方向へ振ったのである。
 苦労の末にたどり着いた鞍部は井出ノ小路山への鞍部ではなく、中の谷1806.4mへの鞍部であった。この時点で目的地への登山は断念せざるを得なかった。折角1700mまで高度を稼いだのだから中の谷の三角点を稼いで下山しようと提案したら乗ってくれた。この地点から下山すれば明るいうちに車に戻れるが手ぶらでは帰れないと誰しもが思ったのだろう。
 鞍部から中の谷への話は以下の通り。(東海白樺山岳会ブログ)
 井出ノ小路山と1806.4mの2等三角点の鞍部に詰める予定が、朝日が上がった方向(東南)を鞍部と勘違いして、その枝沢に乗り換えた。ここでコンパスを出して確認すべきだった。山勘だけに頼ると陥りやすいミスだ。ただし、現在位置は確認できたので、1806.4mの2等三角点「中の谷」だけでも踏んで下山することとした。間違った鞍部から激ヤブを漕いで中の谷に登った。途中、御嶽が至近距離に見え、遠く白山もみえて癒された。私は2回目で、中の谷は夕森山からヤブコギで往復した記憶がある。そばには抜き取られた御料局三角点が埋まり、桧の良材の宝庫だったことを彷彿させる。1806mから鞍部へは踏み跡もなく訪問者はきわめて限られた好事家しか登らないのだろう。鞍部も古い赤テープがあるだけで踏み跡は一切ない。
 井出ノ小路山は登山者のまれなヤブ山である。
 溝状の谷の下降も最初は急で神経を使う。半ばから少し傾斜が緩くなるがまた急になり、登る際には岩登りの感覚で登攀した箇所は右岸の笹薮の中のかすかな踏み跡をたどって下山した。堰堤から下流は谷底がえぐれて大変に荒れていた。蛇抜けであろう。日没前に林道に下れて良かったが、美林橋から上は荒れて谷の崩壊があり、押し出された土砂で埋まっていた。リーダーのW君は往きに日没がありうると想定し、危険箇所に赤い布をべた打ちしておいた。美林橋の手前から日没し、ヘッドランプで下山した。
 夜明けは6時16分ころで、ゲート前を朝6時20分に出発し、戻ったのは18時30分超で実に12時間以上の長丁場であった。日没の早いこの時期としては前夜発日帰り登山の限界を超えていた。中の谷を経由しなければ2時間は早く下山できただろう。中の谷をゲットできただけでも良しとしたい。
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 下山が遅れて温泉入湯は出来ず、夜自宅で入浴後、体重計に乗ると74.75kgを指した。少し前から1kgの減量となった。朝食はコンビニのおにぎり1個、バナナ1つ、カップ麺1杯、行動食としてミカン2個、餅を5つ、はちみつのスティック2本、300mmの牛乳1個、ドラ焼き1個を食べた。これだけ食べても空腹感があり、恵那峡SAでは夕食にビフテキカレーを平らげた。それでも減量したのだからいかに激しい運動量だったか分かる。ただし水は水出し麦茶1リットルで足りた。

2等三角点「野並村」へポタリング2017年10月30日

 9/22以来、ごく近場しか乗らなかった自転車。5月下旬からの4ヶ月にわたるポタリングの成果で膝痛が緩和して10月から本格登山を再開できた。木曽の沢登り、猿投山、中央アルプス日帰り、富山の牛嶽と高落場山、鎌ヶ岳と数だけは稼いだ。
 10月中旬からは週末ごとの台風で実行できず。月末は所用が重なり1ヶ月ポタリングはできなかった。体重計に乗ると75.7kgとやや太りつつある。10/28の姫路城見学でも実際は乗り物で行動し、御馳走三昧でほとんど歩いていないからカロリーの取り過ぎである。
 今日は午後から久々に自転車にまたがった。台風の後でまだ強風が吹くが、爽やかである。向った先は天白区久方というところにある「野並村」という2等三角点である。市道からいつもの道路は傾斜が強いので路地に入り、段々に高度をあげてペダルを漕いだ。
 三角点は69.3mほどで低い。路地を抜けると豊田工業大学の一角に着いた。一帯は戸笠公園の散策路になっていた。三角点は大学のグラウンドの外れにあるが、道路側からでも視認はできた。何と石垣で一段高く盛土してあり、国地院の説明板まであった。
 確認後は住宅内を下った。どこを走っても下り坂である。ダイレクトに来ると2.3kmなので周遊して9.2km程度の運動にはなった。野並駅経由で自宅に戻りつつ背中に少し汗をかいた。

改めて白山宮・足王社へお礼参り!2017年09月05日

 9/3の沢登りは恐る恐る参加した。何分2年ぶりのことである。翌朝も翌翌朝も足の痛みは特になかった。階段の下りで感じた激痛はもうないのだった。エレベーターを探したり、階段の手すりに頼った下りはしなくてもよくなった。
 正座できないとかはあるが登山は普通にやれるまでになった。
 実は6/11にも浜松のクライミングジムで支障なく登攀出来たのでお礼参りに行った。今回は2回目になった。猿投社、稲荷社、等の末社にもお参りした。信ずる者こそ救われるを実感した。
 ポタリングで白山宮へ来るだけでやっとの思いだったが、自信がつくと愛知池に足をのばし、最近は100m級の三角点ハンティングを兼ね、かつ、白鳥神社も詣でることにしていい目標ができた。最遠方は藤前干潟だろう。次は猿投山の登山口の猿投神社まで一走りするか。

膝に回復の兆し2017年08月29日

 緊急入院の退院後、5/22以来、健康回復のために始めたポタリングも回数を重ねて30回近くになった。近場の所要でもなるたけ自転車を使うので実質はもっと多い。
 顕著な変化は大腿筋がついてきたせいか、地下鉄の急でしかも長い階段の下りで手すりにたよらず、下れるようになったことだ。登山でも登りは良いが下りに自信がなかったのに、何とか無難に下れるようになった。かといって、膝痛が完全に癒えたわけではない。但し、下山の翌日でも痛みを引きずらないことが大きい。
 そこでこれまでの反省である。
 大腿筋の復活で痛みが癒えつつある。ということは登山の回数が減った代わりにポタリングで復活したのだ。
 しかも食べる量が減らないから体重増になった。膝の痛みがでてからも、(それは押入れにしまってあったけい皮鎮痛剤の箱を見ると数年から10年に及ぶが)けい皮鎮痛剤で痛みをごまかしていた。代表的なインドメタシン配合剤は実は貼付した部分から薬剤が浸透して血液の流れを止めるという形で痛みを鎮めていたのだ。
 血液の正常な流れに自己治癒作用があると考えると薬で遠ざけていたことになる。患部が治癒しないまま重くなった体で登山を続ければ膝の軟骨の損傷は大きくなるばかりだろう。加齢で登山の回数は減るばかりだったから大腿筋も退化するわけだ。
 膝の痛みで登山の回数を減らし、スキーも今シーズンは初めてゼロになった。運動量は激減した。体重は80kg近くまで増えた。そこで減量のために減食を心掛けた。60歳以降、増えるばかりだった宴会の回数を半減した。4月には4kg減った。これが体に負担となったようで、5月に発病してしまった。病気は栄養分の何かが不足して起きる。体に必要な栄養分が不足したのだ。
 こうした悪循環が重なって現在がある。結果、3度3度食事をする、運動量を増やすことに思いを致す。膝痛については緊急以外は対象療法的な治療は避けることとする。インドメタシンの常用が中々治癒しない原因を招いているように思う。
 今後もポタリングで発汗を促す。猿投山をトレーニングの山に位置付けて通う。目指すは28歳ころの体重63kgだ。徳川家康が言ったという「人の一生は重き荷を負うて行くがごとし」の言葉。楽をすると駄目なんだなと。

緑区の氷上姉子神社へポタリング2017年07月19日

 朝6時起床、今日も冷房のまま目覚める。窓を開けるとむっとする湿気。一応シャワーを浴び、髭を剃ってしゃきっとしてから、6時35分に出発。ミニザックに財布、タオル、氷水を詰めた魔法瓶、塩飴などを放り込む。
 島田橋を過ぎてから天白川の右岸のサイクリングロードに入ると、後はまっしぐらとは参らず、時折、車道と折り合い、信号待ちもあったりする。それはイラつくのではなくいい休憩になる。休むことなしに1号線にかかる大慶橋をくぐる。新幹線の疾駆するガードは迂回するとすぐに名古屋高速、国道23号が重なる橋を渡ると丸の内になる。
 国道23号に沿うように行くとあっさりと氷上姉子神社の入り口に着いた。7時20分だった。約45分、グーグルで徒歩で検索すると10km弱なのでまあまあのスピードで走れた。
 境内は朝早いこともあり静まり返っている。御手洗いで清めて参拝する。そして居住していたと言う元宮にも参拝した。標高は約45mくらい。
 尾張の国を治めたミヤズヒメはヤトタケルから草薙剣を受け取ってそれが三種の神器となった。熱田神宮を創設してこれを収めた。つまりここは成海神社とともに熱田神宮のルーツになる由緒正しい神社ということになる。
 天白川左岸はほとんど連続性がなく走れない。主に右岸のサイクリングロードを遡った。帰宅は9時20分。
 いよいよ、熱田神宮とヤマトタケル終焉の地、三重県の野登山の麓のノボノ神社も行かねばなるまい。伊吹山で遭難した後、清水を飲んで一息ついたという霊仙山の麓のサメガイも改めて行ってみよう。