中央アルプス・アザミ岳に登る2010年10月10日

中央アルプス南部の縦走路が開削されたのは比較的新しい。

 「岳人」101号(昭和31年9月号)によれば昭和29年の愛知岳連による国体登山部門愛知予選が摺古木山を中心として行われて以来注目され登山路開発の要望が高まったことに端を発すると言う。飯田市は地元山岳会「飯田スキ-山岳倶楽部」に踏査を依頼しその記録が101号に掲載された。この時点でもアザミ岳の名は無い。昭和34年9月号No137になって初めて登場する。この年越百山以南の山に2m幅の縦走路が開通する。松川乗り越しにはブロック建ての避難小屋が完成。摺古木山~大平峠間は4時間半のコ-スタイムで紹介されている。これにより全山縦走が可能になった。中ア登山史上記念すべき年だった。年月が流れ11年後の昭和45年12月10日に大平が集団離村し飯田市と三留野(南木曾)を結んでいた1日2本のバスも廃線となった。摺古木山まで南下してきた登山者は昭和52年版のガイドブックでは2本の選択が出来たが両方とも難儀を極めた。大平へ下山すれば飯田市への長い車道歩きが大変なアルバイトとなった。またアザミ岳を経て木曽見茶屋に下ろうとすれば手入れされないままヤブに帰っていた縦走路をル-トファイディングしながらビバ-クも覚悟の上で挑まねばならなかった。無事茶屋についてもまだ6キロ車道を歩き人里にでてやっとバスに乗って南木曾駅に出られた。下山後の不便さを嫌ってか越百山以南は再び静寂を取り戻し縦走路は荒れるに任せ荒廃した。1983年版のガイドブック以来摺古木山から大平峠間はさらっと記述するにとどめ地図からは破線路を消してある。マイカ-登山の普及と林道開発のお陰で摺古木山は日帰り出来る2000m峰として人気が高い。一方でアザミ岳は忘れられた。東沢林道終点の休憩舎から見るアザミ岳に見入って何年かたつ。近そうで遠い山になったアザミ岳に何とか立ちたい。中ア最南端の2000m峰である。登る価値はある。大平から床浪林道から摺古木からと挑戦してあっけ無くはねつけられてきた。この山に弱点は無かった。今回は4回目。

 5月6日、休憩舎で一夜を明かす。6時40分出発。いきなりの急登。しばらく歩くともう雪が現れた。春遅くになって降った雪は柔らかく潜りやすい。分岐点でトレ-スのない左へ行く。ますます雪は深くなり歩行は難渋した。夏道も一部分かりにくくしばしば立ち止まった。最後の谷の登りでは雪も締まり歩きやすくなった。南のこぶとのコルに出た。右は本峰だが前方のアザミへの尾根へショ-トカットする事にした。雪の詰まった谷を下り尾根へ2~3分で登り返す。コルまでは雪に泣かされたがコルからは雪を利用して楽が出来た。以前に下って引き返した所迄は簡単に行けた。斜めになった白骨林から笹の海を下った。残雪が所々にあり大回りしてもつなぎながら歩いた。大方は残雪の上を歩けた。1995mPから下ると湿原らしい平地にでた。また雪の上を拾って歩いた。いよいよアザミが目前に迫った。右へ回り込んで行く尾根に取り付いて登った。北面の所為か雪が多くしかもよく締まってキックステップが快い。山頂へは灌木を抜けて行く。するとピンク(元は赤か)のテ-プがあった。ほぼ昔の登山道をトレ-スしているらしい。山頂部は矮小化した灌木林だった。風が強い所為で育ちが悪く背が高くない木ばかり。シャクナゲが割りと多い。等高線が緩い地図のとうり平坦な山頂からの展望は無い。東にでて見ると休憩舎が見えた。南に目を転ずると長々と稜線が続く。が踏み跡はない。何本かの尾根が東沢に下って行く。凝視してみたが切り分けらしいものは無かった。南下は諦めざるを得なかった。山頂に戻ると志水さんが正田さんに携帯電話をかけた。つながった。緑さんが出た。今東北の岩手山と言う。地域外で聞き取りにくいが通信に関する限り日本は狭くなった。昼食を済ませてどう下山するか話し合った。北東尾根を下ろうかと偵察を試みたが雪が緩んで歩きにくくヤブもひどい。尾根の突端にすら近づけず元のル-トを下山した。1995mPまで戻ると往きには見落とした古い指導標に気づいた。これは昭和34年以来のものか!?朽ちて字は読めなかったが厚みがあってしっかりしたものだ。鞍部まで下り再び摺古木山への登りとなった。登山靴は水分をふくんで重いが通い慣れた登山道に戻ると安堵感が出た。休憩舎から再びアザミ岳を仰いだ。やはり遠い山だと思った。感慨に耽っていると続々2パ-ティの登山者が下山してきた。越百山からだと言う。山慣れた強者という感じだった。2年前の夏私も越百山へ逆縦走したがたった1パ-ティしかいなかった。GWというのに静かな山域である。

同行者 志水、甲村、横田

記録 休憩舎 6:40~山頂10:30-11:30~休憩舎14:20

コメント

_ とりあたま ― 2022年09月01日 10時18分06秒

随分と昔の記事へのコメになることをご容赦くださいませ
当方、ヤマレコに旧安平路避難小屋への山行を載せましたが、その際小屋番様が纏められた
「中央アルプスを登り尽くせ知り尽くせ」
を引用、掲載させていただきました
氏への確認をする前に掲載をしたこと、誠に申し訳ございません
削除の要請がございましたら迅速に対応いたします

_ 小屋番 ― 2022年09月02日 20時06分15秒

了解です。昔はネット情報は皆無なので古雑誌を集めるところから始まった。懐かしい記事を再読しました。中央や南ア南部の未知のバリ(廃道)歩きは楽しい。記憶に残る山行は西俣川を遡行して安平路山に登ったこと。飯田松川を遡行して御所平でビバークし、兎沢から大島山、念丈岳、奥念丈岳に登ったこと。

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