鎌田則雄山岳写真展「遥かなる日本の山々」開催2019年05月14日

 朝6時半ごろの地下鉄に乗る。この時間帯はまだ辛うじて座れた。もう少し後になるほどすし詰めになり呼吸も困難なほどに混む。伏見駅で下車して名古屋観光ホテルへ。ちょっと早すぎてまだ閑散としているがぼつぼつ集まりだしてはいた。
 早朝に朝食を一緒に食べて、共通の話題で1年間の会合を持つ。今日はクラブAの総会(大学の同窓会)である。約50名以上は集まったと思われる。事業報告、決算予算など報告され議事進行する。
 終わった後、若い弁護士のMさんが声をかけてくれた。3月のスピーチで、登山40年・・・山歩き人生40年・・・登った、読んだ、書いた・・・を聞いて何がしかの印象を持ったらしい。コーヒーを飲みながら山談義した。
 その後、広小路通りを徒歩で栄まで歩く。少し見ぬ間にも、丸善ビルの取り壊しに続き、今は東海銀行本店ビルが取り壊し中だった。次は丸栄も囲まれて取り壊し工事が進んでいるようだ。そして親しまれた中日ビルまでもが一部を囲まれて取り壊しに入っている。
 中でも東海銀行本店ビルの消滅は、東海銀行山岳部の知友20名くらいと交流していただけに一時代が終わってゆく寂しさがある。最後まで親しくしていたNさんも昨秋に亡くなった。
 東海地方の金融センターの崩壊は三和に吸収、三菱に吸収される形であった。その影響で資本的には兄弟のような松坂屋もおかしくなった。最近ではユニーが外部資本の傘下に入った。東海地方に本社を置く会社の地盤沈下が激しいのはなぜだろうか。
 名大の地元占有率が高く、親元から通学、親元から通勤する傾向になり、変化を望まない風土があるからか。いわゆる名大閥である。国立大学が大量に優秀な人材を供給するのは使命ではあるが偏在は良くない。
 かつては親族でなければ出世できないと、オリエンタル中村は三越に経営権を奪われた。名大卒でないと出世できないと知れば社員の意欲は削がれる。これが地元資本の会社の沈没につながる気がする。
 そんなことを思いながら、中区役所に着いた。9時半の開催時刻とほぼジャスト。会場ではまだ梱包の整理やら、お祝いの胡蝶蘭の展示に大わらわであった。
 
2019年 5/14 ~ 5/19
名古屋 市民ギャラリー栄 8階 (第6/7/8室)  総数137点
講演 : 山の構図セミナー 5/19 13:00~14:30 (無料)

 一回りした。ブースを3室も使って137点の作品を展示してありました。 想像以上に見ごたえがあり、圧巻というべし。
 個展開催を祝う仲間からの胡蝶蘭などが次々運び込まれて大変なことになっていました。
 となりの展覧会の人が何人で出品されたんですか、というので、いや、個展ですから1人ですよ、といったら驚かれました。
 一言言えば、制作年月日順に展示されるとこの作家の成長過程がわかってもっと良かった。
 当初は雪山、鋭鋒の構図重視でしたから絵葉書的になりやすかった。鋭鋒の雪山は外国の巨峰に比すれば見劣りする。それが段々テーマが広がり、今は足元の山野草にも注目する。マクロからミクロへ、静から動へ、またその組み合わせとなる。
 雷鳥を撮影するにしても雄の婚姻色である赤い肉冠にフォーカスするなど動物写真家への転換か、と思わせる。
 今後は歴史、民俗、社会などへのテーマ展開の可能性がある。愛知県には東松照明など異色の写真家がいた。単なる風景ではないモノへのフォーカスを期待する。

 小雨模様になってきた。地下街を抜けて、久屋大通駅へ行くと大雨になっていた。濡れるのを覚悟で事務所へ駆け込んだ。若干の雑務の処理。あっという間に正午が迫る。また駅まで行き植田駅へ。自宅に戻って、損保の手続きをした。ネットの見積もりサイトで見積もると10000円も安くなった。やってみるもんだ。

津軽山地・算用師峠を歩く2019年05月01日

 令和元年をつつがなく迎えた。
 天気予報通り、霧の中にあり、よろしくない。津軽山地の大倉岳は明日にして、算用師峠に変更した。雨でも歩けるように考えてあった。吉田松陰が越えたというので「みちのく松陰道」として整備されている歴史の道である。他にも愛知県豊橋市出身の紀行家で民俗学の草分けである菅江真澄も越えて蝦夷に渡った。
 R339を走って、傾り石(かたがりいし)まで行くと案内が建っている。右折して林道に入る。奥へ行くほどに悪路になって心配になる。足元にはキケマンの花が群れ咲く。悪路をこなしてなんとか登山口にたどり着く。広い沢の出合いである。
 算用師とは分水嶺辞典というサイトに「「算用師」とはその名のとおり算術で生計をたてた職業の一つ。読み書きが普及していなかった江戸時代、村の算用をひきうけたそうだ。しかしながらここ算用師峠の名前の由来はこの職ではなく、アイヌ語の「サニウシ(sani-usi)」であるという(江戸時代に東北を游歴した文人・菅江真澄の日記に古名がさにうしであることが記されている)。これは「昇り降りをする場所」という意味で、まさに峠口であるからこの名があったのである。このように東北にもアイヌ語の転化した地名が広く分布しているのだ。」とある。
 山田 耕一郎『青森県山岳風土記』の増川岳には昔、三厩村にはアイヌがいたと書いてあるので蓋然性は高い。
 7時40分、登山口からゴム長を履いて歩き始めた。霧は深いが雨は降っていないのでストック代用で傘を持った。入り口から山野草の宝庫であることを期待させる。イチリンソウ、シラネアオイ、エンレイソウなどが惜しげなく繁茂していた。右岸から左岸にかけて森林鉄道の残骸が残されていた。青森名産のヒバは翌桧のことで、ヒバで作った架橋の跡である。アスナロは風呂桶に使われる。油分が多いので腐食しにくいのだろう。
 せせらぎのような穏やかな流れに沿う小径を歩く。イチリンソウの大群落の中を行くと、前方に一段高く巻いてゆく小径へと登ってゆく。しばらくでまた緩やかな道になる。とにかく一面が若葉青葉で覆いつくされた美しい。足元には山野草が絶えず出てくるから飽きが来ない。枝沢を渡る際にはアップダウンがあるが最後の渡渉を終えるとあとは峠に向かうのみとなる。8時50分峠に着いた。道標は倒れていた。三厩側は笹が刈られている。峠道は短いが、林道は長い。峠で10分休んで引き返す。
引用
 吉田松陰が歩いた「みちのく松陰道」
江戸に留学中、ロシアの船が北方の海に出没することを知った松陰は、その防備状況を確かめるべく、脱藩覚悟で東北へ旅立った。嘉永4年(1851)の旧暦12月、弱冠22歳の時である。

翌年3月、彼は熊本藩士宮部鼎蔵とともに津軽半島に達した。
『東北遊日記』に「真に好風景なり」と書かれているのは、中里の十三湖岸の景色のことだ。

3月5日、2人は小泊から海岸沿いに北上し、途中から山道に入る。当時津軽藩は旅人がこの道を通ることを禁じて道をつくっていなかった。谷間をのぼり、膝まで水に漬かりながらあちら側、こちら側と沢を幾度も越えてようやく算用師峠の頂上に至る。嶺を下ると、二、三尺も雪が残っており、雪の中を歩き、さらに雪解け水が大流となっている川を何度も渡って、「困苦太甚し」という苦行の末に、やっと三厩の海岸に出たという。

その途中詩作している。「去年今日発巴城(去年の今日巴城を発し)…」で始まる詩文は、昭和41年竜飛崎に建立された「吉田松陰詩 碑」に刻まれている。
2人は、三廐から海沿いに今別へ向かう。袰月海岸の波打ちぎわにある洞門は、彼がここを通り抜けたことから「松陰くぐり」の名がつい た。

袰月に宿をとった松陰は、竜飛崎と松前間の狭い津軽海峡を外国船が堂々と往来するのを許しているのは、日本の存亡にかかわる重大なことであると悲憤している。

松陰が翌日訪ねた平舘には、砲台があった。「大砲が7個あるが普段は備えていないこと、下北半島とわずか3里の海を隔てたこの要衝の地に砲台があるのはすこぶる佳いこと、また4年前に外国船がやって来て、5、6人の異人が上陸したこと」などを日記に書き残している。
出典:弘前国道維持事務所「幕末の志士が辿った[みちのく松陰道]」

 R339まで戻ると竜飛岬に向かった。海岸線からきついカーブをこなして稜線へ上ってゆく。しかも濃霧の中であった。ヘッドライトは点けたままである。道の駅と青函トンネル記念館がある。ここでちょっとコーヒータイム。記念館の中の見学はスルーした。さらに先へ走る。Pから濃霧の中を散策。何も見えないが、燈台へ行ってみた。すると渡海三角点を見た。
 説明板には「この渡海三角点は青函トンネル竜飛側の基準点であり、青函トンネル工事の偉業とともに測量の精度を紹介するものである。

青函トンネルは、海底23.5kmを有する全長53.85kmの世界最長の海底トンネルです。このトンネルの建設にあたっては、いかに計画ルートどおりに掘削し貫通させるかが大きな課題の一つでした。(地球は丸い-高精度測量が必要) 青函トンネルがあまりにも長いので、地球の曲率(丸み)を考えた驚くほど高精度な測量を行う必要がありました。

①と北海道の抗口における水平位置と高さを精密に関連づける基準点の設置から始めました。(精密三角測量、渡海水準測量、昭和40年開始)
②これらの基準点を拠点として、トンネル掘進に伴う坑内での測量が行われました。(坑内トラバース測量、昭和42年開始)

昭和58年1月先進導坑が貫通しました。この貫通出会差は距離2cm、高低20cm、左右64cmのわずかな誤差でトンネルを貫通し得た。(貫通精度確認測量、昭和58年開始)

ここにその記録をとどめ長く保存するものである。」とあった。
 専門的には
http://uenishi.on.coocan.jp/k680seikan.html
に詳しい。
 石川さゆりのデビュー曲にして大ヒットした「津軽海峡冬景色」の歌碑もあった。ごらんあれが竜飛岬、と歌詞に謳われているからだろうが、ボタンを押すと歌声まで流れるのはやりすぎである。
 竜飛観光を終えて、またR339を戻り、小泊の太宰治文学館で行った。ここは太宰の幼年時の養母が嫁いだところだった。太宰が信頼し心を寄せていた女性である。その縁をこの地ではとても大切にして記念館を建てた。名作『津軽』(新潮文庫)の重要な舞台になった。
 ここでは地元の女性が津軽弁で語り部となり、「津軽」の一節を聞かせてくれた。同席した夫婦のうち秋田県から来たという女性は涙を流して聞いていた。しかし私には耳慣れない津軽弁は外国語同然である。 但し、語り部さんへの返礼には
   行く春や津軽言葉で聞く「津軽」
と即興の句を贈った。
 語り部さんはこちらが席を立とうとすると話をして帰らせまいとする気がした。普段はあまり見学者もないことだろう。僻村ゆえに観光客も立ち寄りにくい位置にあるのが残念だ。文学館を辞して、R339を今泉まで戻って、県道を走って外ヶ浜町の蟹田へ行く。左折してR280を北上し、道の駅「たいらだて」に着いた。がらんとしている。これは竜飛への道が県道14号がバイパスみたいに良い道になり寂れたのだろう。車中泊はここに決めて、若干戻り、湯ノ花温泉に入湯した。ぐっすり眠れた。

白神山地・白神岳を歩く2019年04月29日

 朝4時過ぎ、明るさで目が覚めた。さっそく朝食をとる。温かいうどんに白菜などのカット野菜を放り込んで食した。いろいろ雑事をこなすと出発は6時過ぎになった。隣の若い人は5時半頃に出発して行った。やることが早い。
 最初は林道を10分ほど歩くと旧来の登山口があり、登山届を書いておく。本格的な山道を歩きだす。林道周辺は針葉樹の植林だったが落葉樹に変わる。周囲の雑木林の若葉が美しい。323mとの小さな乗り越しを行くと途端に足元の山野草が増えた。イチリンソウ、カタクリ、エンレイソウ、それにシラネアオイまで見えた。撮影に忙しい。山腹を伝う山道を歩くと二俣に着いた。直進の沢コースと左へ蟶山経由の尾根コースに分かれた。左折する。白神川の枝谷の源流部を迂回するイメージで高度を上げていく。小さな水場が続き、「最後の水場」の表示で文字通り水場が絶える。ここからジグザグの急登になり雪も出てきた。
 急登を喘いで蟶山分岐に着いた。大峰川側は一面の残雪に覆われた。そしてブナの巨木が林立する尾根に立ったことを思う。最初は緩やかな尾根を雪を踏みしめて歩く。気持ちの良い尾根歩きだ。新緑期、黄葉期とも素晴らしいだろう。途中2回ほど小休止を取りながら重い体を持ち上げる感じで登る。十二湖からの長い稜線に合流するまでの直前が喘がされた。しかし、背後には日本海が広がりピッチは軽い。
 稜線には一段と積雪量が増えた。もうこれ以上の高い山はなく、山頂は目前である。1235mのコブで千葉県の若い人と出会った。既に登頂後である。彼はなんと沢コースを登ったという。道が不明瞭で大変なルートだったという。
 山頂には避難小屋とトイレが別に建っていた。山頂はすぐ先だ。数名が休んでいた。11時登頂。約5時間かかった。1等三角点の標石を触る。先行パーティが去ると独りになった。
 周囲は360度の大パノラマだ。岩木山、八甲田山、その他見知らぬ山々ばかりの新鮮な眺めに見入った。
 11時30分下山開始。来た道を下った。残雪の道は登山靴の踵をけりながら、時には滑らせながら高度を下げるから楽で効率が良い。登山口には3時だった。2時間30分かかった。快適なピッチだった。
 3時から移動しても車中泊の適地は分からず、もう一泊した。

奥三河・三ツ瀬明神山を歩く~そのⅡ2018年09月05日

 9/2から9/3にかけてN局の山番組の本番の録画登山を行った。中々好評らしいので関わった1人として何より嬉しいことである。
 8/28に監督さんと下見の登山に同行してポイントはつかんである。それでも台風の接近で日程のやりくりが厳しい。9/1から9/2の沢登りはキャンセルして、録画登山に合わせた。台風の接近は9/4の予定である。この日程でこなせないと放映がずれてしまう。天気予報を見ると9/3は幸いにも雨ではない。台風が天気図にあるときは山に向かうな、というのは山屋の鉄則である。しかし、台風の影響で擬似晴天が現れるのが9/3であればこれはチャンスである。
 9/2のうちに大きな見所である乳岩周遊の録画を済ませた。日曜日だけにハイカーが多かった。Pも満車状態で少し遅いと遠くへ止めることになった。夜は近場の旅館に素泊まりとした。
 9/3は午前4時起床、4時半に集った。降雨だったが一応出発するが、奥へ進むほどに降雨が激しいので旅館に戻った。1時間後、2時間後と空模様を眺めながら出発を遅らせて8時に出発。
 但し、乳岩口から登ると登頂に5時間以上かかるので、三ツ瀬口からを提案。登頂に1時間以上は節約できる。車で走る時間にはロスもあるが、労力の節約が大きいと判断した。
 結局三つ瀬を10時に出発、乳岩分岐で12時。ここから撮影開始。ミヤマママコナ以外にツルリンドウの花も見つかった。登頂は13時半を回った。14時からの下山は中道を採った。栃ノ木沢道は山道の崩れがあったからだが、この道も廃道で沢のところはみな崩壊していた。但し道標だけはしっかりして迷うことはなかったのは幸いであった。
 そして、台風の影響で南からの湿った気流の影響で、三つ瀬の谷でもこの中道でも大量の山蛭の襲来に困惑させられた。三河でもこんなにも山蛭が増えたのは驚きである。
 栃ノ木沢道分岐、鬼石分岐を経て鬼石に着くともう下山も射程距離に入った。順調に撮影を進めながら鬼石を出発。急峻な山道に疲れた足を運んだ。
 乳岩分岐を過ぎて後は桟敷岩を滑落しないように慎重に歩く。18時過ぎ、既に薄暮となった駐車場に三ツ瀬口から回ってくれたバスが待っていた。山頂からバスに携帯が通じたので助かった。通じなければ誰かが単独で下る手はずだったがその労力が省けた。
 18時を回り、30分に近い頃、続々とスタッフが車に着いた。皆さん山慣れない人ばかりなのでお疲れの様子だった。苦労の多い録画登山だったが、きっと感動的な画像に編集されると思う。
 私は複数の人に「登山の喜びは登山に要した苦労の関数である」となんどもはなしたことがある。登り甲斐のある山はそれだけ苦労も多いことである。
 高速で走る際、足首がもぞもぞするので触ると芋虫みたいな太い山蛭がいたのでズボンの上からぎゅっとつぶした。上郷SAのトイレで足首を点検すると、ぽろっと太い山蛭が落ちた。靴下、ズボンの裾が血で真っ赤に汚れた。左足からもぽろっと落ちた。他にも傷口があり、一杯血を吸われたようだ。そうか、他のスタッフと合わせると結構な量の献血を強いられたのである。
       秋山の彼方に光る三河湾

奥三河・三ツ瀬明神山を歩く~そのⅠ2018年08月28日

 N局の山番組のガイド役を今年も担うことになった。愛知県では一番の登り甲斐がある明神山を推すが、登山道に鎖場やハシゴがあって若干手強い。他の山といくつか選定したが、この山になった。怖いところが山の魅力でもある。
 8/27に監督さんに下見を提案するが、都合で8/28になった。午前5時に落ち合って、一路乳岩登山口を目指す。6時40分登山開始。平日でも4、5台がとまっているので先行者がいる。
 乳岩は最初の見所である。その手前の沢から離れる橋の上から渓流魚が見えるので撮影する時間をとった。生き物のいる谷は良いものである。沢から離れると乳岩分岐。そしてジグザグの登山道が始まった。鬼石まで遠い。水溜りで涼をとりながら進むとクライミングのメッカのような鬼石に着く。見上げるような大きな岩である。眼を凝らすとクライミング用のリングがぶら下がっている。蜘蛛のように岩に張り付いてよじ登る際の確保の金具である。
 鬼石を後に少し行くとまた大きな岩があった。ここはオーバーハングしたている。ここにもリングが埋まっていた。更に険路を登ると、鬼石乗越であった。左すれば栃ノ木沢へ下る。そして山頂の南のコルへ突き上げる。8時30分だからここまで2時間弱を要した。
 さらに歩くと下山者と会った。女性の単独行だった。身軽に下ってゆく。おそらく5時に出発、8時登頂、そして9時???のスピード登山。胸突き八丁にさしかかると男性2人組の下山者に会う。彼等も早い。胸突き八丁を何とか乗り越えると、三ツ瀬道との分岐だ。
 一旦ゆるやかに下ると小さな鎖場がある。次は2段の鎖場を越す。すると小さな花が揺れているのが目に付く。知らないので調べると深山飯子菜という。隣の長野県では准絶滅危惧種に指定。
 やせて細い尾根を行くと馬の背に着いた。ここもハシゴで馬の背に乗る感じで突破する。後は山頂までひたすら登る。途中で追い越した人が展望台で休んでいた。5時間掛かった。
 若干休んで、下山は栃ノ木沢のルートに下った。鞍部まで下ると急峻な道を下る。中道分岐で二股になるが右へ沢道を行く。途中で道が崩れているが、特に難渋することもなく、沢芯に下れた。
 栃ノ木沢を遡行するとここで登山道に出会う。良い沢なのに水量が少ないのが惜しい。
 沢芯からは若干登り気味に歩くとまた栃ノ木沢道が分かれている。そこからまた登り気味にいくと中道との分岐を経て、鬼岩乗越だった。結構長く感じるのは地形図で表現される破線路は平坦だが、実際はえぐれて長い道のりをたどるからだ。あまり歩かれていないようだ。
 鬼岩乗越からは乳岩まで一本銚子の下りになる。時間切れで乳岩の周遊は次回にする。登山口へは3時半ごろか。少し時間が掛かりすぎたが、撮影ポイントを吟味しながらのゆっくりペースなのでこんなものだろう。但し、蒸し暑いので大汗を流した。

はつあきの花2018年08月20日

節黒仙翁
 昨日は遅掛けに出発。どの道路も時間帯のせいか、或いは夏休みも終盤ということか、車が多かった。いつもの茶臼山高原へ向かう。稲武まで来るともう24℃まで下がっている。面ノ木峠までは一気に登る80号を行く。峠から面ノ木園地のPへ。狙っていたのはレンゲショウマと言う花。東京の御嶽山で咲き始めたというニュースでこちらも?と来てみたが。
http://rengeshoma.guidebook.jp/
 園地のPから湿地帯へ下るが、花はほとんど見当たらない。わずかにサワギキョウが数株残っていただけだった。残念。そのまま引き返すのも芸がないのであちこち歩き回ると、フシグロセンノウが見つかった。やっぱり人の目から離れた場所でないと花は残らないのか。一株くらいいいや、と盗掘するマニアとか山野草の業者が虎視眈々と狙っているから油断も隙もない。ここも盗掘されたのだろう。
 諦めて、下って来た遊歩道を離れて山林内の尾根道を登り返す。すると上から老人が2人下って来た。山林パトロールだとか。そういえば、湿地につながる林道入り口に廃棄物の不法投棄を警戒する看板があった。何度かはあったのだろう。
 聞くと、周辺では鹿が増えているという。食べたのだろうという推測を述べた。するとサワギキョウだけがなぜ残っているのかの説明にもなる。あれは猛毒で知られる。さすがの鹿にも毒草は味が悪いのだろう。

 ウィキペディアには「サワギキョウは毒草としても知られる。麻酔などの効能を薬草として利用された例もあるが、危険が大きいようである。
横溝正史の長編推理小説『悪魔の手毬唄』では「お庄屋殺し」の名で登場し、場面を盛り上げた。」と説明される。

 先だって、アテビ平にも花は何もなかったが、バイケイソウの花は咲いていた。これも毒草である。鹿は食えるものは食いつくして行く。結果、毒草も食べ始めるそうだ。そして妊娠中の鹿は中絶する。よやく固体が増えるのが自然に止まる。毒の回った鹿を人間が食べると発狂するという書き込みがあった。鹿肉は注意が要る。
 かつて三河で息子が獲ったまむしを焼酎に漬けてまむし酒を飲んだら死んだ。そんな馬鹿なことはないと、祖父が飲んだら祖父も死んだ。そんな事件があった。原因はまむしの食べた蜥蜴にあったらしい。

 と言うわけで、レンゲショウマも以前はあったが、鹿に食われたのだろうというこになった。成果はフシグロセンノウとサワギョウだけでした。
 追記
稲武の80号線を走った際、夏焼城ヶ山の登山口付近でキツネノカミソリが開花期を迎えたという看板があった。ヒガンバナの仲間で、これも毒草である。昔は囃すほども生えていなかったように思う。鹿が増えて毒草しか残らなくなり、群生するようになったのか。

さみどりの御池岳を歩く2018年05月13日

 5/11の朝7時30分過ぎ、鳴海駅前で同行者と合流。伊勢湾岸道・東海ICから入って30km余りで延伸された東海環状道・東員ICを出た。そのままR365からR306へ。鞍掛トンネルは通行止めの看板あり。目指すはコグルミ谷でしたが平日でも路駐多数ありパス。ここまで2時間。鞍掛峠から登ることに。
 Pはほぼ満杯でした。鞍掛峠へのきつい登りをこなすとちょっと汗が噴いた。鈴北岳への尾根を歩く。県境北面の落葉樹林は今や新緑のいろどりがさわやかです。空気もドライです。
 ものすごく繁茂していたクマザサは今は全滅して土が露わになっているのに驚きます。60年に1度の笹の花が咲くと死滅するというのは本当だった。
 1056mのコブで同行者がタテ谷へ下るというマニアックなルートへ分かれた。踏み跡もなく赤布のマーキングもないルートである。知る人ぞ知るルートか。なんでも珍しい花を見るためらしい。この尾根は積雪期に捜索で下った記憶がある。
 ここからは登りが急になった。鈴北岳の手前でタテ谷からの道と合流する。そうかタテ谷にはコグルミ谷と結ぶ道があるのだ。鈴北岳に登頂後、小休止して県境稜線を歩いてみた。
 ここも積雪期には歩いたが無雪期は記憶がない。登山道ではなく、踏み跡程度だがマーキングはある。水を湛えた池が3ヶ所もあった。山頂は1182mから1090m付近で県境は北東へ分かれ、1060m付近でコグルミ谷からの登山道に合流した。気持のよい稜線歩きだった。新緑期ならではのルートである。夏草が繁茂するとどうなるやら。
 この後は登山道を歩き御池岳に登る。真の谷はイチリンソウの花盛りであった。またコバイケイソウが大群落をなす。途中で樹林越しに野生のシカを見た。こっちをじっと凝視している風である。鹿もコバイケイソウは毒草と知って食わないから繁茂するのだろう。
 久々の御池岳山頂に立つ。雪で白い白山、乗鞍岳、御嶽山がならぶ。目を凝らせば能郷白山や中央アルプスも見えた。手前は霊仙山、伊吹山と見える。昔からこんなに眺めが良かったかな。平日でもたくさんの登山者が集まって来た。それぞれに昼食を楽しむ。そのうち山ガール2人も上がって来た。2人並んでスマホで撮りたいので押してくれという。もちろんOK。若い人が山に増えるのは良いものである。
 山頂を辞してボタンブチに向ったが時間がないので引き返す。山頂から北西に下る登山道を歩く。オオイタヤメイゲツの原生林の下はやはりコバイケイソウの大群落だ。西の奥はたしか「日本庭園」とかいった。真の谷からの登山道と合流。平坦な道を歩く。緑のワンダーランドである。鈴北岳の麓で多くの登山者が何やら採っている。聞くとワラビだった。喜々として摘んでいた。
 昭和32年4月29日の滋賀大生の遭難碑を経て、ゆるやかに鈴北岳へ。あの笹原はどこへ消えたのか。鈴北の山頂も笹で覆われていたころはガイドブックの『鈴鹿の山』に県境尾根の道はxxxxで表示されていた。
 初心者のころは下降した際御池谷の枝沢に迷い込んだ。突然踏み跡が消えるし、県境尾根が見えるので戻って見ても3度目でも県境への踏み跡が見いだせず、ままよと下った。するとチエーンソーの音がするのでその方向に行くと伐採中の人に道を問うた。「ここは御池谷だ、俺らも終わるから付いてこい、峠まで送ってやる」というので甘えさせてもらったことがある。
 後年、捜索で御池谷の道を溯り、途中から山仕事の人らについて下った道へ入った。かすかに記憶がよみがえった。1056mから下る枝尾根周辺の植林帯だった。
 今は笹もなく見晴らしも良い。鈴北岳から延々くだって峠へ。そしてトンネルに着いた。Pに戻ってもまだ相棒が着いていない。携帯で電話しても圏外で通じない。しばらくで電話があり、コグルミ谷を下降中とのこと。1056mからタテ谷へ下り、県境の1148mへの尾根を登ったらしい。御池の山頂は踏まずにコグルミ谷を下った。御池岳は広大な面積をもつのでこんなお中道的な歩き方も出来るのだなと思った。コグルミ谷の入り口で合流して無事帰名した。

八名山地・吉祥山を歩く2018年04月21日

本宮山の尾根からの吉祥山(2016.6.2)
 午後からは吉祥山の新城市富岡で歴史研究会の総会があるので登山と二つかねて1日を宛てた。
 朝6時半ごろ、名古屋を発つ。東名高速は早朝から多めの交通量だ。天気は良いが良すぎてガスがかかる。目に付くかぎりは緑一色になった。それで行楽日和なのである。
 豊川ICを出て、地図を見ながら豊川(地名はとよかわだが、川の場合はとよがわと読む)を渡る道を目指す。R151から一宮町豊の交差点を右折、県道380、381を走り豊川を渡る。景色が開けて、三河富士という本宮山がきれいな山容で見える。山容の撮影に走ったことが思い出された。吉祥山の山容も南北に尾根が流れるように張り出して美しい。
 金沢の交差点を通過、東名高速と交わる手前にAコースの登山口の道標がある。吉祥山ふれあいの森である。クルマは2台ほど。ログハウス風のトイレで用足しを済ます。となりにはビジターセンター風の建物は休憩舎があり愛好家のたまり場になっているようだ。
 8時37分に出発。周囲には多分鶏舎の廃屋があり異様な感じがする。登山道はすぐに樹林の道になる。一旦開けた尾根に着いてあとは尾根通しに坦々と歩く。山頂まであと??mという道標もある。雑木林の中に入ると風も吹きぬけて涼しい。時々、鶯が良い声音で啼く。
 追い越して行った空身の人が何か花の写真を撮影中である。黄色が鮮やかなキンランだった。
 しばらくで大きな看板を兼ねた休憩所になった。山頂は近いが汗をかいたので小休止して水を飲む。いくらも登ることなく山頂だった。2Kmを約50分かかった。
 山頂は360度の大展望だった。冬ならば富士山も見えるらしい。今日はややガスがかかるが、三河本宮山、宇連山や三ッ瀬明神山が見えた。豊橋平野も見下ろす。低い割には展望が良い。
山頂には岩の露頭があり説明板がある。「角閃石片岩」という。この希少な岩石ゆえに標高300m以上が愛知県自然環境保全地域に指定されている。
 下山は北に階段を延々下った。椎の大木の林立する鞍部に着くと道が3つに分岐している。よく整備された道を下るとまた分岐になる。分岐を示す看板には直進すると先程の鞍部に吉祥天女の祠があるという。それでまたこの道をたどると鞍部に戻った。
 山頂に居た男の人も下ってきて吉祥天女を拝んでいる。これが山名の由来の吉祥天女か。それにしても小さくて地味である。

 ネットの説明を読んでも仏教なのに何で神様の名前が出てくるのか、複雑なので整理すると
1 仏教の守護神である天部の1つ
2 愛の神カーマの母
3 父は徳叉迦(とくさか)、母は鬼子母神であり、
4 夫を毘沙門天とする
5 吉祥とは繁栄・幸運を意味し幸福・美・富を顕す神
6 美女の代名詞として尊敬
 「仏像ワールド」のHPには「もとはインド神話の女神・美と豊穣と幸運を司るラクシュミーであり、密教では美女の代名詞といわれて信仰されていました。毘沙門天を夫に持ち5人の子供がいます。妹の黒闇天(こくあんてん)は災いと不幸を呼ぶ神です。

 貴族階級の人達に広く信仰されました。しかし一般の民衆に支持のあった弁財天に次第に人気を取られ、いつのまにか七福神の座も奪われてしまったといいます。」とあるので、神様の世界にも盛衰があるのです。

 男性曰く以前は今水寺の奥の院として山頂に在ったらしくここに移されたとか。吉祥山の北西の八名井の中腹に神社マークがある。ここが今水寺跡らしい。廃寺なのになぜ神社なのか不思議だ。一度は訪ねてみたい。

 ブログ「Bo-Bo-Rock」さんの記事には「平安時代には中腹に東三河屈指の大寺院、今水寺(こんすいじ)があり、その奥の院として吉祥天女(なぜに吉祥天?)が山頂にまつられ、​これが吉祥山の名前の由来となったそうです。ところが三河湾から奥の院が光って見えると魚がさっぱり獲れなくなるとのことでこまった漁師たちが奥の院を見えないようにしてほしいとお願いし、北側中腹に吉祥天女の祠を遷した」とか。

 愛知県の吉祥山の調査報告書には「角閃石片岩は、灰色を帯びた濃緑色をしてお り、結晶は細粒で 日の光に当てると新鮮な ものでは角閃石の結品がキラキラ輝 いて見えます。」という。
 
 この2つの記事を合わせると、山頂の輝きは角閃石片岩なのでしょう。最近、知った台高山脈のマブシ峰も、何がまぶしいかと思えば、近くに光山があり光谷があるし、南アルプスの光岳(てかりだけ)は石灰岩の光岩が光って見えるそうだ。皆海から見える光である。

 さて、吉祥天女の祠を拝んだ後は近道で元の遊歩道に戻り、Cコースをたどった。ここの山腹からは水が浸み出して小さな沢が流れている。低い山だが水は豊富な気がする。急な道をどんどん下ると作業小屋に着く。パスしていくと車道に出て登山口に着いた。休憩所への道標を見て、山の中へ入る細道を歩いた。ため池を横目に見ながら歩くとまた車道に出てひたすら車道を行くと休憩所である。朝とは打って変わってPは満車で車道にも路駐が多かった。一足違いで多くのハイカーが歩いているらしい。それだけ人気があるのだ。
 Pを出て次は本宮の湯に向った。県道381には母親と娘2人のハイカーも見た。多分JR長山駅から徒歩だろう。駅からでも2時間で登れるハイキングの山であった。
 本宮の湯は久しぶりだ。610円で入湯。湯を出て、軽い昼食をとると12時30分になった。そろそろ新城市富岡へ走る。

藤原岳孫太尾根を歩く2018年03月24日

孫太尾根・丸山で見たミスミソウ(雪割草)
 最近とみに名前を聞くようになった藤原岳の孫太尾根。WEBで見ると山野草の宝庫という。当方は花の名前は良く知らないが、このところ猿投山が続いたので、久々に鈴鹿の山に行った。長い間鈴鹿の山に登って来たが孫太尾根は初めてである。というより青川峡界隈はヤマビルの多いところなので避けてきたのだった。
 朝5時起き、登山口7時には出発の予定だった。就寝が遅く、自宅7時出発になった。東名阪は良く流れていたが行楽シーズン到来とあってか名古屋西ICを出てから蟹江辺りから渋滞気味になった。
 登山口には8時30分到着。小さな墓地のPはすでに満車で路駐もあった。関西ナンバーの他山梨ナンバーもあった。山野草はこんなにも人気が高いものなのか。田中澄江『花の百名百名山』の影響で、山歩きの楽しみ方に革命的な変化をもたらしたのだろう。墓地内の芝生に何とか寄せられた。40分に出発。
 植林の中に入ってゆるやかに登る。寝不足のせいか、体が重い。いくらも歩いていないのに、387mの尾根に乗った辺りで長休みになった。水を飲んで気を取り直す。
 しばらくはゆるやかな照葉樹林の中の道を歩くといきなり石灰岩の見上げるような急登になった。南西斜面には緑の濃いイチリンソウの草が開花を準備中であった。丸山まではきつい登りに耐えた。小さな菫の花が咲いている。丸山はいわゆる典型的なカレンフェルトの風景で小さな花が多い。ここで休んでいるパーティも多かったので私も一休みした。ようやく後尾に追いついたのである。
 丸山からは緩やかに下ってまた登ってゆく。どこからかキツツキのドラミングが聞こえてくる。植生は落葉樹の林になった。となりのセメント鉱山の現場が丸見えである。
 体が温まってきたせいかピッチも少し上がった。草木834mの頂上は巻道でパスしてしまったようだ。途中のピークで名古屋から来たという若い登山者に会った。いろいろ話を聞くと親が大町市出身とかで彼も山が好きになったらしい。遠望の乗鞍岳、御嶽山、中央アルプス、能郷白山などの山岳同定を楽しんだ。お目当てはフクジュソウだったとか。見られないので引き返すというが多志田山965mまで行くというと同行することになった。旅は道連れである。
 立ち止まっては地形図を見て、あれは竜ヶ岳、静ヶ岳、銚子岳などと現在地確認した。話を交わしながら登るとあっという間に多志田山に着いた。12時10分だった。
 雑木林の中の穏やかな山頂だ。新緑期には美しい林になるだろう。周囲にはまだ残雪が多い。残雪の上に黒っぽい春の泥がしっかりついている。登山者が多いことを示す。藤原岳を目指す登山者の後ろ姿を見たがここで引き返す。昼食後12時56分下山。
 遅い出発と思ったがまだ登ってくる登山者もいた。膝をかばいながらゆっくりと下った。15時20分着。まだクルマは多い。大貝戸周回組だろうか。
 下山後はいなべ市鼎の龍雲寺に向った。禅寺の庭の句碑の写真撮影である。以前と変わらぬ風景にホッとする。
 戻って阿下喜温泉あじさいの湯に入湯して帰名。帰路は桑名ICへの道が渋滞したので市街地を抜けてR1を走った。

笹又から伊吹北尾根を歩く2015年04月26日

 新入会した3人と旧人の5人で伊吹北尾根に行った。登山口は笹又にした。さざれ石公園に着いたのは9時過ぎ。以前登った記憶が全く無い。トイレに登山届けポストがあるので、ここが登山口と思いきやどうも違う。登山口特有の雰囲気が感じられない。しかし、思いつきで選んだため、地図は用意したものの忘れた。他のメンバーも笹又のところが欠けた地図のコピーしかない。何でも、国見峠発のルートを考えていたらしい。ネットでのチエックでは4/12の時点で峠直前で道路決壊で工事中とのこと。
 とりあえず、舗装路の続く車道に戻って走った。タイトなカーブの連続する車道を行くと所々に登山道の標示があるのでどうやらこの道で良いらしい。獣避けネットの取り付け工事に村中で取り組んでいるようだ。急斜面だがのどかな感じのする笹又を通り抜けた。更に羊腸の道を登ると終点らしい駐車場に着いた。比高約280mあるので1時間弱は楽した。獣避けネットの扉を開けて登山道に入る。
 家は標高470m付近に構え、畑作は標高750m付近まで展開していた。南向き斜面で耕作には良い条件である。旧春日村を地形図で嘗め回してみても平地は殆ど無い。谷底の村は日照時間が少ないから畑作には不向きだ。南斜面、緩斜面、大きな谷が無いという条件はむしろ好条件であろう。
 暖かな陽光がふりそそぐ畑を耕す風景は「耕して天に至る。以って貧なるを知るべし。」の言葉が浮かぶ。日本に来た孫文か李鴻章の吐いた感動の言葉という。そして、「然るに我が国土広大なるも国力に劣れり」と続く。日本人の勤勉性を称えたのであった。蒋介石は中国人は砂、日本人は粘土に例えた。ぎゅっと握って手を広げると砂はバラバラになるが、粘土は固まる。日本人は一致協力して不利を補ってきた。登山口の「さざれ石」はその象徴かも知れない。
 俳人・山口誓子は瀬戸内海の畑を見て
   天耕の峯に達して峯を越す
という俳句があるが、それに近いかも知れない。映画「裸の島」では瀬戸内海の島に住む夫婦の日課は畑にまく水を確保し、本州から毎日運ぶことだった。
 笹又には伊吹山から流れる沢水があるのでその心配は無い。道すがらに眺めた畑には沢から引かれたビニールホースがあり、蛇口付近には水の詰まった2リットルのペットボトルが沢山置いてあった。干天時の備えだろうか。畑は750m付近を境に終わった。2回目の獣避けネットをくぐる。つくしが一杯生えていた。そして杉の植林、自然林の森の中の道を登る。土の道から石灰岩の道に変る。浅い沢をまたぎ、急傾斜の砂ザレの道を登る。冬は雪庇があっただろう、場所は草も生えていない。やっと尾根に達した。尾根道からは伊吹山のドライブウェイの下部のトラバース道を行く。良く見ると、今日の目的だったハクサンハタザオの小花が出迎えてくれた。
 静馬ヶ原の分岐から1149m峰へ右折。メンバーの1人が1149mが静馬ヶ原という。えっ、それは何かの間違いではないか。それならば静馬ヶ原山と呼称するべきでしょう。大台ヶ原山、那須ヶ原山が思いつく。
 983m峰を乗り越してゆるやかに御座峰1070mに登頂。約2時間20分かかった。ここからでも能郷白山、白山の一部、虎子山、金糞岳、貝月山、小島山、池田山等が見えた。他のメンバーは先へ行きたがったが、ここで引き返した。久々の山行でもう十分なアルバイトになった。
 新人さんらを見ていると体が軽そうだ。登山を連続的にやっていると強くなる。登山の実践に優るトレーニングはない。油の乗った重い体を引きずりながら往路を戻る。帰りは薬草湯に入って帰名。
メンバーの報告によると
・カタクリ 
・ハクサンハタザオ 
・ネコノメとボタンネコノメ(ヨゴレといったネコノメ) 
・フッキソウ 
・ヤマエンゴサク
・ヤマルリソウ(ワスレナグサといった花)
・キランソウ
・ハシリドコロ(御座峰北側)
・ザゼンソウ(コバイケイソウのようなはえ方をした大    
きな葉っぱ)
以上  
他に私の見立てであるが、
チゴユリを見たが上向きに咲いているので?
一人静
二輪草
スミレ
ヤシャブシ
ウマノアシガタ
麓ではシャガの花