新緑の江美国境を歩く ― 2025年05月05日
朝6時出発。ナビが名古屋高速3号大高線を指示するので誘導されるままに高辻ICから入った。なるほどこのルートだと都心環状線へ迂回するロスはない。瑞穂区内も朝6時台なら渋滞はない。一宮線から一宮IC経由で関ヶ原ICを出る。久々に伊吹山山麓を間近に眺めながら懐深く姉川源流の村である甲津原に向かった。スキーシーズンも終わり、雪も消えて新緑の季節になっている。甲津原アグリコテージの入り口のPに車を停めて歩き出す。
姉川は甲津原で向山谷を分けて、更に中津又谷と瀬戸山谷に別れる。流路の長さから見て中津又谷が姉川本流であろう。
甲津原アグリコテージへの入り口付近にP。歩き出すと最初は舗装道路だがコテージへの道を分けると奥は未舗装になる。軽ならまだ走れそうだ。1台だけ軽を見た。
林道は645m付近で姉川(中津又谷)を直角に曲がると林道も700m地点で終点。ここから赤や黄色のテープのマーキングを見て踏み跡(古道)になる。歩き易い右岸左岸を選んで渡り返しながら行くと二又になる。杉の植林からすべて新緑の自然林になりここからテープで尾根に導かれる。最初は根曲りの枝で藪っぽいがよく踏まれた尾根道である。標高800m付近に風化した石仏が置かれていた。今日の目的の一つはこれを見る事だった。遠くに金糞岳が見えた。ここから更に奥は先ほど別れた二又の右の谷が眼下に迫り、10m位の滝が見える。踏み跡は谷に近づいて法面が無くなり、注意深く登る。炭焼釜跡を越すとしばらくで流れに降りた。石仏は滝を尾根に大高巻きさせるための目印であろうか。登山靴でも水に浸ることはなく、上流に行くとまたテープが現れて、支尾根を急登させられた。ここにも炭焼釜跡があり、右へ登ると昨年6/1に来て1年ぶりの新穂峠だった。新緑とタムシバが咲いて素晴らしい。休憩していると沢登りの2人が来た。岐阜の人で中津又谷を遡行したらしい。
峠路の荒れ様に疲労したので本命の新穂山(アリノカミノ岳)往復は断念した。往復3時間かかる上に再びあの微妙な風化花崗岩の崩れた山道を下るリスクを考えて品又峠への周回コースを優先した。このルートもギャップは多いがブナの大木が残っており新緑とタムシバが素晴らしい。無名の三角点のピークは瀬戸山というらしい。ここから品又峠までは約1000m以上の美濃と近江の国境稜線を歩く。
終点と思ったが大きく地形がえぐられてコルになっているのでロープで降りると奥伊吹スキー場のゲレンデの一角である。日の出山へはゲレンデを歩いて回り込んだところに歩道が登っていく。以前にスキーに来た際に雪の上を登ったことがあるが今は笹に覆われて歩きにくい。錆びた鉄骨の展望台の向こうに三角点があった。
ゲレンデに戻り、芝生の上を雷光型に下った。後は管理用の車道を下る。スキー場のセンターハウス等の多数の建物がある。。ここからはブンゲンの登山口らしいが案内板は気が付かなかった。ハウスからは県道40号線をてくてく歩くとコテージのPに着く。16時30分でした。
帰路は久々に伊吹薬草の里の薬草風呂に入浴した。620円(JAFカード提示で50円引き)と安い。入浴後体重計に乗ると69.4kgだった。やっと70kgを割った。高速は渋滞なので東名阪まで南進して帰宅した。
姉川は甲津原で向山谷を分けて、更に中津又谷と瀬戸山谷に別れる。流路の長さから見て中津又谷が姉川本流であろう。
甲津原アグリコテージへの入り口付近にP。歩き出すと最初は舗装道路だがコテージへの道を分けると奥は未舗装になる。軽ならまだ走れそうだ。1台だけ軽を見た。
林道は645m付近で姉川(中津又谷)を直角に曲がると林道も700m地点で終点。ここから赤や黄色のテープのマーキングを見て踏み跡(古道)になる。歩き易い右岸左岸を選んで渡り返しながら行くと二又になる。杉の植林からすべて新緑の自然林になりここからテープで尾根に導かれる。最初は根曲りの枝で藪っぽいがよく踏まれた尾根道である。標高800m付近に風化した石仏が置かれていた。今日の目的の一つはこれを見る事だった。遠くに金糞岳が見えた。ここから更に奥は先ほど別れた二又の右の谷が眼下に迫り、10m位の滝が見える。踏み跡は谷に近づいて法面が無くなり、注意深く登る。炭焼釜跡を越すとしばらくで流れに降りた。石仏は滝を尾根に大高巻きさせるための目印であろうか。登山靴でも水に浸ることはなく、上流に行くとまたテープが現れて、支尾根を急登させられた。ここにも炭焼釜跡があり、右へ登ると昨年6/1に来て1年ぶりの新穂峠だった。新緑とタムシバが咲いて素晴らしい。休憩していると沢登りの2人が来た。岐阜の人で中津又谷を遡行したらしい。
峠路の荒れ様に疲労したので本命の新穂山(アリノカミノ岳)往復は断念した。往復3時間かかる上に再びあの微妙な風化花崗岩の崩れた山道を下るリスクを考えて品又峠への周回コースを優先した。このルートもギャップは多いがブナの大木が残っており新緑とタムシバが素晴らしい。無名の三角点のピークは瀬戸山というらしい。ここから品又峠までは約1000m以上の美濃と近江の国境稜線を歩く。
終点と思ったが大きく地形がえぐられてコルになっているのでロープで降りると奥伊吹スキー場のゲレンデの一角である。日の出山へはゲレンデを歩いて回り込んだところに歩道が登っていく。以前にスキーに来た際に雪の上を登ったことがあるが今は笹に覆われて歩きにくい。錆びた鉄骨の展望台の向こうに三角点があった。
ゲレンデに戻り、芝生の上を雷光型に下った。後は管理用の車道を下る。スキー場のセンターハウス等の多数の建物がある。。ここからはブンゲンの登山口らしいが案内板は気が付かなかった。ハウスからは県道40号線をてくてく歩くとコテージのPに着く。16時30分でした。
帰路は久々に伊吹薬草の里の薬草風呂に入浴した。620円(JAFカード提示で50円引き)と安い。入浴後体重計に乗ると69.4kgだった。やっと70kgを割った。高速は渋滞なので東名阪まで南進して帰宅した。
春の舟伏山を歩く ― 2025年04月29日
このところ根尾谷へ連続して行くことが多い。4/5の倉見山、4/13の能狂言の奉納、4/20の揖斐川歴史民俗資料館で根尾谷の歴史調べ、そしてまた山に向かった。朝6時起き、松屋で朝食もとった。
尾並坂峠には朝9時頃に到着。9時10分に出発。最初は尾根に向かうがすぐに行き詰まり戻って鉄塔巡視路から奥へ。これもはっきりしなくなるので植林の中を適当に尾根よりに登って行くと巡視路に戻った。後は尾根通しの一本道、730mのピークは右から巻道をたどると鞍部に着いて、そのまま行くと天狗城へ行くので鞍部から左へ戻った。
折からの春北風が激しく吹き小寒い気がする。まあまあ順調に歩けたが692mのコブの北にあるコブ2つが石楠花の密生した群生地だった。突然ルートを見失う。GPSで尾根に寄り乍ら行くが、新緑で下の鞍部が見通せないので左へ行きすぎたり、右へ振り過ぎたりしてピークの真下の崖をトラバースして主尾根に戻れた。この時、両手で木の根、岩場をつかむためにストックを離したら1本が下へ落ちて回収不能になった。
主尾根に入ると後は順調に旧登山道の阿弥陀仏に着いた。この時点で峠から4時間もかかり、同じルートを戻るとまたヤブで難儀しそうだ。山中で日没の予感がするので小舟伏山でUターンして貴船神社へ下山することにした。
現在は工事中ということで立入禁止になっているが落葉の積もった登山道を滑落しないようにゆっくり登って稜線に着いた。ここから小舟伏山までの緩斜面の道を往復した。コバイケイソウの若葉色が目にしみる。貴船神社に向けて下り始めて岩のゴツゴツした尾根はまたも春北風が容赦なく吹き付けてくる。ここも滑落に注意しながら下る。
植林帯について、林床に一人静の花を見た。すみれは所々で見たがこの花は春の花の象徴に思える。もっと下ると足の置き場もない急斜面に遭遇した。中々の険路である。木につかまりながらそろそろ下る。杉林に来ると樒の花が慰めてくれた。更に行くと水が勢いよく噴出しているタンクの前を通過、何とか道を拾いながら貴船神社に降り立った。同時にバッテリー切れになった。
時は16時過ぎでここからは車道を約5km歩いて60分でR418へ出た。ここで17時。樽見駅付近のタクシーを呼びたかったが、携帯が使えず、周囲に人家はあっても人影はない。仕方なく峠まで歩くことになった。着いたら18時50分でした。約11km、2時間半の車道歩きで足が棒になった。
尾並坂峠には朝9時頃に到着。9時10分に出発。最初は尾根に向かうがすぐに行き詰まり戻って鉄塔巡視路から奥へ。これもはっきりしなくなるので植林の中を適当に尾根よりに登って行くと巡視路に戻った。後は尾根通しの一本道、730mのピークは右から巻道をたどると鞍部に着いて、そのまま行くと天狗城へ行くので鞍部から左へ戻った。
折からの春北風が激しく吹き小寒い気がする。まあまあ順調に歩けたが692mのコブの北にあるコブ2つが石楠花の密生した群生地だった。突然ルートを見失う。GPSで尾根に寄り乍ら行くが、新緑で下の鞍部が見通せないので左へ行きすぎたり、右へ振り過ぎたりしてピークの真下の崖をトラバースして主尾根に戻れた。この時、両手で木の根、岩場をつかむためにストックを離したら1本が下へ落ちて回収不能になった。
主尾根に入ると後は順調に旧登山道の阿弥陀仏に着いた。この時点で峠から4時間もかかり、同じルートを戻るとまたヤブで難儀しそうだ。山中で日没の予感がするので小舟伏山でUターンして貴船神社へ下山することにした。
現在は工事中ということで立入禁止になっているが落葉の積もった登山道を滑落しないようにゆっくり登って稜線に着いた。ここから小舟伏山までの緩斜面の道を往復した。コバイケイソウの若葉色が目にしみる。貴船神社に向けて下り始めて岩のゴツゴツした尾根はまたも春北風が容赦なく吹き付けてくる。ここも滑落に注意しながら下る。
植林帯について、林床に一人静の花を見た。すみれは所々で見たがこの花は春の花の象徴に思える。もっと下ると足の置き場もない急斜面に遭遇した。中々の険路である。木につかまりながらそろそろ下る。杉林に来ると樒の花が慰めてくれた。更に行くと水が勢いよく噴出しているタンクの前を通過、何とか道を拾いながら貴船神社に降り立った。同時にバッテリー切れになった。
時は16時過ぎでここからは車道を約5km歩いて60分でR418へ出た。ここで17時。樽見駅付近のタクシーを呼びたかったが、携帯が使えず、周囲に人家はあっても人影はない。仕方なく峠まで歩くことになった。着いたら18時50分でした。約11km、2時間半の車道歩きで足が棒になった。
寧比曽岳のミツマタの花 ― 2025年03月30日
3/20に来たら川面町で通行止め。何だろうと左折して林道を行くと察しがついた。ところどころ杉の幼木が根っこから倒れているので雪害だろう。上八木町、五反田町と迂回、明川町でR153に出た。伊勢神峠から大多賀まで15センチの積雪路だった。いつも賑わうPには1台だけ。大多賀の里人に聞くと大多賀、稲武、設楽辺りの約7000戸が停電中というのであきらめて帰った。今日はその雪辱戦である。
名古屋市の自宅を出て登山口の大多賀に着いたのは11時。道路脇のスペースに先着者のクルマが止まっているので後に停めた。林道周辺は全山人工植林の山なので何も変化は見られない。美しい谷川を眺めながら歩くと30分で堰堤のある林道終点。三椏はその少し手前にまだ寒いので白っぽくつぼみが見えた。2~3の花だけが黄色い色で咲く。ちょっと早い気がした。
三椏は昔は和紙の原料としてたくさん栽培されていた。小原町には「和紙のふるさと工芸館」があり今も植えられている。ここのも昔は大規模に栽培されていたものが谷沿いに残ったのだろう。
ヤマップで山頂に通じる尾根道をチエックすると少し戻ると赤テープで地形図の破線路につながる尾根道に導いている。踏みこんでみると意外によく歩かれて道になっていた。赤テープのマーキングも多くて特に迷うところはない。しかし傾斜は急で下着の背中が汗で濡れる。登るにつれて風も強くなる。正規の登山道に合流し、山頂を目指す。12時半に登頂。いつもは先着者でにぎわうが休んでいる人は居ない。1人だけ無線通信に夢中で取り組んでいた。東屋の陰に隠れて小休憩。おやつをかじる。ちょっと休んで富士見峠へ行く。電波反射板の台地からは恵那山や南アルプスの山々が大きく見えた。2/15に来た際はすべて雪山だったが今日は黒っぽくなっている。
ここからが未知のルートなので地形図をチエック。登山道ではなく、防火線(帯)という数メートル幅の切り開きの中を下る。切り開きは真北と北東に分かれる。防火線が977mのコブをからめるので右へ振る。防火線はけっこう急な斜面を下ってゆく。977mから真東へ少し行き過ぎて戻る。登山道ではないので真北へ振る分岐はだだっ広く注意が要る。950mの等高線から900mへゆったり下ると沢ノ入林道につながる。ここは三差路なので地形図をチエック。ここからはほぼ一本道の車道歩きで浄水場辺りで舗装路になる。周辺の山の沢が集まってくるので水量も多い。てくてく下ると標高750mの高原の山里の大多賀に着く。
大多賀には鍬入れを待つ稲田が水をたたえてあった。ここはミネアサヒだろうか。私はいつも山のまぼろし「ミネアサヒ」をストックしている。令和6年産は2kgしか買えなかった。水がきれいで1日の気温較差が大きい中山間地の特産である。
ここからは県道33号線に戻りPまで若干の登り返しになる。
ちょっと思い出話
大多賀の里は年間を通じて冷涼な気候と聞く。大昔、名古屋の気温35℃の暑熱に耐えかねて富士見峠の南にあった開拓の農村を訪ねたことがあった。設楽町になる標高900mの農家を訪ねると「まあ上がれ」と招き入れられて何と炬燵に足を入れた。そして小粒のじゃがいもの煮っころがしをいただいた。その後996mの鞍部を経て寧比曽岳を往復した。2回目は段戸湖から寧比曾岳を往復後、996mで下って921mの林道を越えて段戸湖へ下ったこともある。この一帯は冷涼なので段戸湖で貯めて水を温めて水田耕作を試みたらしいがうまく行かなかったのだろう。921m付近の豚舎もすでに廃屋だった。
名古屋市の自宅を出て登山口の大多賀に着いたのは11時。道路脇のスペースに先着者のクルマが止まっているので後に停めた。林道周辺は全山人工植林の山なので何も変化は見られない。美しい谷川を眺めながら歩くと30分で堰堤のある林道終点。三椏はその少し手前にまだ寒いので白っぽくつぼみが見えた。2~3の花だけが黄色い色で咲く。ちょっと早い気がした。
三椏は昔は和紙の原料としてたくさん栽培されていた。小原町には「和紙のふるさと工芸館」があり今も植えられている。ここのも昔は大規模に栽培されていたものが谷沿いに残ったのだろう。
ヤマップで山頂に通じる尾根道をチエックすると少し戻ると赤テープで地形図の破線路につながる尾根道に導いている。踏みこんでみると意外によく歩かれて道になっていた。赤テープのマーキングも多くて特に迷うところはない。しかし傾斜は急で下着の背中が汗で濡れる。登るにつれて風も強くなる。正規の登山道に合流し、山頂を目指す。12時半に登頂。いつもは先着者でにぎわうが休んでいる人は居ない。1人だけ無線通信に夢中で取り組んでいた。東屋の陰に隠れて小休憩。おやつをかじる。ちょっと休んで富士見峠へ行く。電波反射板の台地からは恵那山や南アルプスの山々が大きく見えた。2/15に来た際はすべて雪山だったが今日は黒っぽくなっている。
ここからが未知のルートなので地形図をチエック。登山道ではなく、防火線(帯)という数メートル幅の切り開きの中を下る。切り開きは真北と北東に分かれる。防火線が977mのコブをからめるので右へ振る。防火線はけっこう急な斜面を下ってゆく。977mから真東へ少し行き過ぎて戻る。登山道ではないので真北へ振る分岐はだだっ広く注意が要る。950mの等高線から900mへゆったり下ると沢ノ入林道につながる。ここは三差路なので地形図をチエック。ここからはほぼ一本道の車道歩きで浄水場辺りで舗装路になる。周辺の山の沢が集まってくるので水量も多い。てくてく下ると標高750mの高原の山里の大多賀に着く。
大多賀には鍬入れを待つ稲田が水をたたえてあった。ここはミネアサヒだろうか。私はいつも山のまぼろし「ミネアサヒ」をストックしている。令和6年産は2kgしか買えなかった。水がきれいで1日の気温較差が大きい中山間地の特産である。
ここからは県道33号線に戻りPまで若干の登り返しになる。
ちょっと思い出話
大多賀の里は年間を通じて冷涼な気候と聞く。大昔、名古屋の気温35℃の暑熱に耐えかねて富士見峠の南にあった開拓の農村を訪ねたことがあった。設楽町になる標高900mの農家を訪ねると「まあ上がれ」と招き入れられて何と炬燵に足を入れた。そして小粒のじゃがいもの煮っころがしをいただいた。その後996mの鞍部を経て寧比曽岳を往復した。2回目は段戸湖から寧比曾岳を往復後、996mで下って921mの林道を越えて段戸湖へ下ったこともある。この一帯は冷涼なので段戸湖で貯めて水を温めて水田耕作を試みたらしいがうまく行かなかったのだろう。921m付近の豚舎もすでに廃屋だった。
アセビの花咲く大野山 ― 2025年03月23日
名古屋市の空はどんより霞んでいる。現地ではどんな空だろうか、と思いながら昼前に出発。12時30分、R153を走って地方道を抜けてまたR153へ。豊田市足助町の喫茶店でカレー&コーヒーを食べる。
足助町の空はやや青空も見える。気温が低いから水蒸気も少ない。今日は山頂に立ちたい、と設楽町へ向かった。R153を伊勢神トンネルを抜けて小田木から段戸山牧場を経由する広域農道へ右折。標高千メートルの高原地帯を走り抜けると設楽町湯谷に下る。
湯谷からR257を南下、大桑で旧津具村に抜ける広域農道に左折。右手にため池を見るとすぐに大野山の登山口の案内板が立っている。未舗装の林道へ右折、すぐに桧の倒木が見える。枯木ではなく、太さ5センチ以上はある生木なので撤去できず引き返す。林道の入り口付近に3台は置けるPに停める。
ここから林道をてくてく歩き始める。10分ほどで二岐になりGPSをチエック。記録では登山口は少し手前なので引き返して見た。文字が消えた看板が指導標だろう。巡視路の案内板で整備された鉄塔巡視路に導かれるのでこれか、と踏み入る。しばらくでジグザグしながら急登すると鉄塔の位置に登った。2/15以来なので心臓がバクバクする。それでも比高100mだからすぐに登頂だ。
南東の方向にドーム型の大鈴山が素敵な形で見える。少し離れて知生山(設楽富士)らしいのが見える。
こんな安気な登山でも地形図に山名が印刷された山である。一座は一座である。達成感はある。高齢者、病後、予後の登山に向いている。西からけっこう強い風が吹きつけるので鉄塔の風下に座ってお茶を飲む。坐って目線が低くなって目に飛び込んできた白い花。今年初めて見るアセビの花だ。ようやく春の山の実感がしてきた。
下りは南東へ巡視路が下っている。芽吹き前の雑木林の中を下るとあっという間に林道に降り立つ。北へ行くと広域農道につながっている。右回りに下ると登りに取った登山口に行く。すぐに三差路に着く。延坂峠から来る林道の入り口に鍬塚城址なる案内板が立っている。今日はカット。しかしうっかり延坂峠への林道を行き過ぎて戻った。地形図を見直すと大野山を半円形に歩く形だった。春の陽気のせいで注意力が散漫になったのだろう。
足助町の空はやや青空も見える。気温が低いから水蒸気も少ない。今日は山頂に立ちたい、と設楽町へ向かった。R153を伊勢神トンネルを抜けて小田木から段戸山牧場を経由する広域農道へ右折。標高千メートルの高原地帯を走り抜けると設楽町湯谷に下る。
湯谷からR257を南下、大桑で旧津具村に抜ける広域農道に左折。右手にため池を見るとすぐに大野山の登山口の案内板が立っている。未舗装の林道へ右折、すぐに桧の倒木が見える。枯木ではなく、太さ5センチ以上はある生木なので撤去できず引き返す。林道の入り口付近に3台は置けるPに停める。
ここから林道をてくてく歩き始める。10分ほどで二岐になりGPSをチエック。記録では登山口は少し手前なので引き返して見た。文字が消えた看板が指導標だろう。巡視路の案内板で整備された鉄塔巡視路に導かれるのでこれか、と踏み入る。しばらくでジグザグしながら急登すると鉄塔の位置に登った。2/15以来なので心臓がバクバクする。それでも比高100mだからすぐに登頂だ。
南東の方向にドーム型の大鈴山が素敵な形で見える。少し離れて知生山(設楽富士)らしいのが見える。
こんな安気な登山でも地形図に山名が印刷された山である。一座は一座である。達成感はある。高齢者、病後、予後の登山に向いている。西からけっこう強い風が吹きつけるので鉄塔の風下に座ってお茶を飲む。坐って目線が低くなって目に飛び込んできた白い花。今年初めて見るアセビの花だ。ようやく春の山の実感がしてきた。
下りは南東へ巡視路が下っている。芽吹き前の雑木林の中を下るとあっという間に林道に降り立つ。北へ行くと広域農道につながっている。右回りに下ると登りに取った登山口に行く。すぐに三差路に着く。延坂峠から来る林道の入り口に鍬塚城址なる案内板が立っている。今日はカット。しかしうっかり延坂峠への林道を行き過ぎて戻った。地形図を見直すと大野山を半円形に歩く形だった。春の陽気のせいで注意力が散漫になったのだろう。
シラタマホシクサ群落を見る ― 2022年09月24日

台風一過で久々に秋晴れを見る。新城市の会合は午後からなので少し早めに出て葦毛湿原のシラタマホシクサの群落を見学した。結構多くの散策者がいた。人気のある草花である。
今日はコロナで沈滞していたサンエンケンの総会を3年ぶりにリアルで開催することとなった。会場はいつもの新城市富岡のふるさと会館。
13時30分開会。会長あいさつ、各スタッフのあいさつや方向などが活発に話し合われた。3年間の事業萎縮期間中に会員の退会、高齢者の役員辞退など深刻な議題もあったがそれほど深まらず、進行した。
経済活動がこれだけ自粛させられては沈滞してしまったのも無理はない。今後どう盛り返すか、である。
今回の講演のゲストスピーカーは『江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)』の著者の久住祐一郎氏を招いて行われた。この種の研究家はけっこう根強いものがあるなと感じた。
過去にも2003年に磯田道史『武士の家計簿―「加賀藩御算用者」の幕末維新』が出て話題になった。加賀 樹芝朗『朝日文左衛門『鸚鵡篭中記』 (江戸時代選書)』などがある。
今日はコロナで沈滞していたサンエンケンの総会を3年ぶりにリアルで開催することとなった。会場はいつもの新城市富岡のふるさと会館。
13時30分開会。会長あいさつ、各スタッフのあいさつや方向などが活発に話し合われた。3年間の事業萎縮期間中に会員の退会、高齢者の役員辞退など深刻な議題もあったがそれほど深まらず、進行した。
経済活動がこれだけ自粛させられては沈滞してしまったのも無理はない。今後どう盛り返すか、である。
今回の講演のゲストスピーカーは『江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)』の著者の久住祐一郎氏を招いて行われた。この種の研究家はけっこう根強いものがあるなと感じた。
過去にも2003年に磯田道史『武士の家計簿―「加賀藩御算用者」の幕末維新』が出て話題になった。加賀 樹芝朗『朝日文左衛門『鸚鵡篭中記』 (江戸時代選書)』などがある。
まだ未熟ながら初音を聴けとこそ 拙作 ― 2022年04月05日
4/2の八曽山にて。登山口から歩き始めたらいきなり鶯が鳴いた。まだ鳴き方が下手なレベルで修業中であろう。声の方へ近づいても逃げず、一生懸命に啼いている。下手なところがおかしくもある。まるで私に聞いて欲しいわ、と訴えているかのようだ。
宙からの贈り物めくハルリンドウ 拙作 ― 2022年04月03日
シデコブシ乙女がぽっと染まるごと 拙作 ― 2022年04月02日
古今集「仮名序」の原文
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
中略
かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露を悲しぶ心・言葉多く、さまざまになりにける。
遠き所も、出で立つ足下より始まりて年月を渡り、高き山も、麓の塵泥よりなりて天雲棚引くまで生ひ上れるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。
以上
・・・八曽山にシデコブシを見に登った。昨年は5月過ぎだったから開花は終わっていたからこの時期を狙っていたのである。期待に違わず咲いていてくれた。本当に美しい花です。
古今和歌集の序文の通り、歩み出すとツツジのピンクの花がお迎えしてくれた。藪になくウグイスは今はまだ新入社員教育のように練習中で鳴き方は下手だった。これからだ。山頂に登ってみたが濃尾平野は山霞に霞んで、伊吹山すら見えなかった。
やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
中略
かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露を悲しぶ心・言葉多く、さまざまになりにける。
遠き所も、出で立つ足下より始まりて年月を渡り、高き山も、麓の塵泥よりなりて天雲棚引くまで生ひ上れるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。
以上
・・・八曽山にシデコブシを見に登った。昨年は5月過ぎだったから開花は終わっていたからこの時期を狙っていたのである。期待に違わず咲いていてくれた。本当に美しい花です。
古今和歌集の序文の通り、歩み出すとツツジのピンクの花がお迎えしてくれた。藪になくウグイスは今はまだ新入社員教育のように練習中で鳴き方は下手だった。これからだ。山頂に登ってみたが濃尾平野は山霞に霞んで、伊吹山すら見えなかった。
白やピンクの彩り、シデコブシの花が見頃 愛知・田原市の藤七原湿地 ― 2021年03月22日
白やピンクの彩り、シデコブシの花が見頃 愛知・田原市の藤七原湿地
https://news.yahoo.co.jp/articles/28c02a61f8c1c70861561ca3ee6e41090706cbcf
愛知、岐阜、三重県内にしか自生していないといわれるシデコブシが例年より早く、白やピンクの花が咲き始めました。
シデコブシは例年、3月中旬ごろから花が咲き始めますが、愛知県田原市によると、同市田原町の藤七原湿地(とうしちばらしっち)では今年、春先の気温が高かった影響か、今月4日に咲き始めたということです。
シデコブシの花は、来月上旬まで楽しめるということで、田原市は開花状況を市のホームページで案内しています。
以上
・・・いよいよ開花したようです。東濃のどこかの山へ見に行こうと思います。
1多治見市虎渓山町 虎渓山のシデコブシ群生地
2ー1瑞浪市大湫633m:開発の手が入っておらず、自然状態のシデコブシが観察できる。
2-2瑞浪市釜戸町「竜吟の森」:シデコブシ自生地。竜吟湖の周囲には移植されたシデコブシやタムシバがある。
3恵那市大根山751mの北麓:標高500~600mのところに自生するシデコブシの群落が見られる。比較的自然に近い状態で生育している。
4中津川市千旦林の岩屋堂シデコブシ群生地:モクレン属の落葉低木性植物であるシデコブシ(Magnoliastellata)は、伊勢湾を取り囲む丘陵帯の限られた地域に分布する地域固有種(東海丘陵要素)で、湿地周辺に生育している。しかし、近年、開発等により自生地の消失や分断化が急速に進み、絶滅危惧種に指定されている。
岐阜県の東濃地方は、「土岐砂礫層」の特性から、湿地群が連続し、これら湿地群を中心にシデコブシが生育し、他の分布域にはみられない大きな分布面積の自生地がある。
この群生地も、周囲の段丘部から染み出した地下水によって形成された湿地で、426本(154株)のシデコブシがあり、東濃地方を代表するシデコブシ自生地となっている。
5土岐市泉町:7,500本の県下随一の群落を形成している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28c02a61f8c1c70861561ca3ee6e41090706cbcf
愛知、岐阜、三重県内にしか自生していないといわれるシデコブシが例年より早く、白やピンクの花が咲き始めました。
シデコブシは例年、3月中旬ごろから花が咲き始めますが、愛知県田原市によると、同市田原町の藤七原湿地(とうしちばらしっち)では今年、春先の気温が高かった影響か、今月4日に咲き始めたということです。
シデコブシの花は、来月上旬まで楽しめるということで、田原市は開花状況を市のホームページで案内しています。
以上
・・・いよいよ開花したようです。東濃のどこかの山へ見に行こうと思います。
1多治見市虎渓山町 虎渓山のシデコブシ群生地
2ー1瑞浪市大湫633m:開発の手が入っておらず、自然状態のシデコブシが観察できる。
2-2瑞浪市釜戸町「竜吟の森」:シデコブシ自生地。竜吟湖の周囲には移植されたシデコブシやタムシバがある。
3恵那市大根山751mの北麓:標高500~600mのところに自生するシデコブシの群落が見られる。比較的自然に近い状態で生育している。
4中津川市千旦林の岩屋堂シデコブシ群生地:モクレン属の落葉低木性植物であるシデコブシ(Magnoliastellata)は、伊勢湾を取り囲む丘陵帯の限られた地域に分布する地域固有種(東海丘陵要素)で、湿地周辺に生育している。しかし、近年、開発等により自生地の消失や分断化が急速に進み、絶滅危惧種に指定されている。
岐阜県の東濃地方は、「土岐砂礫層」の特性から、湿地群が連続し、これら湿地群を中心にシデコブシが生育し、他の分布域にはみられない大きな分布面積の自生地がある。
この群生地も、周囲の段丘部から染み出した地下水によって形成された湿地で、426本(154株)のシデコブシがあり、東濃地方を代表するシデコブシ自生地となっている。
5土岐市泉町:7,500本の県下随一の群落を形成している。
自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」 ― 2020年04月06日
ソース:https://www.yomiuri.co.jp/national/20200406-OYT1T50058/
大見出し:自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」…地方は困惑「本来ありがたいが」
新型コロナウイルスの感染者の増加を受け、東京都や大阪府などの大都市から地方に旅行したり、一定期間滞在したりする人が目立っている。インターネット上では「コロナ疎開」との言葉も使われる。ウイルスからの避難や「自粛疲れ」などが背景にあるようだが、専門家からは感染拡大の危険性が指摘され、各地で困惑が広がっている。
中略
「3密」避け冷静対応を 専門家呼びかけ
政府の専門家会議メンバーの押谷仁・東北大教授は、都市部から地方への避難について、「新型コロナウイルスが拡散する恐れのある行動で、避けてほしい」と呼びかける。
地方都市の中には医療機関の備えが不十分なところが多く、高度な医療が提供できる施設も限られる。住民に高齢者が多いこともあり、都市部から感染が波及すると、大きな被害が出る可能性があるという。
押谷教授は、「密閉、密集、密接が起こる環境を避ければ、感染者が増えている東京や大阪でも普通に生活できる」と説明し、冷静な対応を求めている。
以上
・・・・そういえば、名古屋市でも4/4(土)の朝8時過ぎは車が多かった。名二環から一宮JCT経由木之本ICまで利用したが、養老SA辺りまでは車が多かった。関ケ原ICを過ぎてから交通量は激減したかに思う。
木之本ICからR8に出てもやはり車は多く、サイクリストも良く見た。JR永原駅のPは数台の車で閑散としていた。輪行袋を抱えたサークルも見かけたが数は少ない。私はより人の居ない山中へと分け入ったから「三密」は回避できている。万路越えから無名のコブで3人に会っただけ。
海津大崎へ下山後は、予想ではマキノ町のHPで有名な花見のイベントを中止したから閑散としているかと想像したが、県道は一方通行で渋滞中であった。ナンバーは滋賀県が圧倒し、他に京都府、福井県くらいで都会からの他県ナンバーの「コロナ疎開」はなかったかに思える。交通監視員に聞くと、それでも例年よりはうんと少ないのだとか。
こちらはマキノ駅から永原駅まで乗車したが、駅のホームでは私一人、車内の乗客も閑散。下車する人もちらほら。マイカーに戻るとあとは接触は地元スーパーでの買い物以外は自宅までほとんどない。一宮JCTではいつもの渋滞はなく、名二環もスムーズだった。愛知県民は自粛を守っているのだろう。帰路は早かった。帰宅後は手洗い、入浴、うがいをして就寝。
自粛で室内にいると読書するくらいしかない。あるいは隅々の掃除とかはこの機会にやるが気は進まない。やっぱり人は他人との接触の中で生きている。そういう形で物事は進んでゆくものなんだな。
大見出し:自粛疲れ?都会離れ「コロナ疎開」…地方は困惑「本来ありがたいが」
新型コロナウイルスの感染者の増加を受け、東京都や大阪府などの大都市から地方に旅行したり、一定期間滞在したりする人が目立っている。インターネット上では「コロナ疎開」との言葉も使われる。ウイルスからの避難や「自粛疲れ」などが背景にあるようだが、専門家からは感染拡大の危険性が指摘され、各地で困惑が広がっている。
中略
「3密」避け冷静対応を 専門家呼びかけ
政府の専門家会議メンバーの押谷仁・東北大教授は、都市部から地方への避難について、「新型コロナウイルスが拡散する恐れのある行動で、避けてほしい」と呼びかける。
地方都市の中には医療機関の備えが不十分なところが多く、高度な医療が提供できる施設も限られる。住民に高齢者が多いこともあり、都市部から感染が波及すると、大きな被害が出る可能性があるという。
押谷教授は、「密閉、密集、密接が起こる環境を避ければ、感染者が増えている東京や大阪でも普通に生活できる」と説明し、冷静な対応を求めている。
以上
・・・・そういえば、名古屋市でも4/4(土)の朝8時過ぎは車が多かった。名二環から一宮JCT経由木之本ICまで利用したが、養老SA辺りまでは車が多かった。関ケ原ICを過ぎてから交通量は激減したかに思う。
木之本ICからR8に出てもやはり車は多く、サイクリストも良く見た。JR永原駅のPは数台の車で閑散としていた。輪行袋を抱えたサークルも見かけたが数は少ない。私はより人の居ない山中へと分け入ったから「三密」は回避できている。万路越えから無名のコブで3人に会っただけ。
海津大崎へ下山後は、予想ではマキノ町のHPで有名な花見のイベントを中止したから閑散としているかと想像したが、県道は一方通行で渋滞中であった。ナンバーは滋賀県が圧倒し、他に京都府、福井県くらいで都会からの他県ナンバーの「コロナ疎開」はなかったかに思える。交通監視員に聞くと、それでも例年よりはうんと少ないのだとか。
こちらはマキノ駅から永原駅まで乗車したが、駅のホームでは私一人、車内の乗客も閑散。下車する人もちらほら。マイカーに戻るとあとは接触は地元スーパーでの買い物以外は自宅までほとんどない。一宮JCTではいつもの渋滞はなく、名二環もスムーズだった。愛知県民は自粛を守っているのだろう。帰路は早かった。帰宅後は手洗い、入浴、うがいをして就寝。
自粛で室内にいると読書するくらいしかない。あるいは隅々の掃除とかはこの機会にやるが気は進まない。やっぱり人は他人との接触の中で生きている。そういう形で物事は進んでゆくものなんだな。
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