台風19号2019年10月11日

 今朝はどんよりした曇り空である。自宅から猿投山はくっきりと見えている。北の岐阜方面は雲が厚い。上空には冷たい空気が流れているのだろう。 
 8時現在のtenki.jpでは「愛知県では、高波に注意してください。
大型で非常に強い台風第19号が父島の西の海上にあって、北北西へ進んでいます。
また、伊豆諸島付近には前線が停滞しています。
東海地方は、おおむね曇りで、雨の降っている所があります。
今日の東海地方は、前線や湿った空気の影響でおおむね曇りとなり、夜は雷を伴い激しい雨の降る所があるでしょう。
明日の東海地方は、台風第19号の影響で大荒れの天気となり、雨で雷を伴って非常に激しく降る所がある見込みです。」と報じた。
 さて明日明後日は富山市の結社の年次大会に行く予定。今夕から明日の夕方までは雨だが以後の13日は10%の降雨率で晴れる。一方で富山県は12日午後から13日まで雨の予想。ルートとなる東海北陸道が通行止めになると痛い。
 高速道路会社のHPではまだ東海道の関東方面のみ警戒。「東海地方から東日本の広い範囲で高波や強風雨が予想されています。通行止めとなる可能性が高まった場合、具体的な区間を順次発表してまいります。高速道路をご利用になるお客さまは、お出かけ前に今後の気象予測や道路交通情報をご確認ください。」というわけで神経質な1日になりそう。

台風19号台風は関東寄りに2019年10月12日

 1日中天気情報を眺めて富山市の俳句結社「辛夷社」の年次大会行きの可否を検討した。結果、10/13の名古屋は晴れ、岐阜県飛騨高山も曇り、富山県のみは70%の降雨率と予報が出た。富山駅前の予約中のホテルのキャンセルは10/12の23:59までならキャンセル料なしだったが行くことで零時を経過後就寝した。

新涼の身に添ふ灯影ありにけり 久保田万太郎2019年10月13日

 朝5時30分過ぎ出発した。東の空が赤く焼ける。少し手間取ったが6時30分に名古屋ICから名神、東海北陸道へ。道路情報では中央道から東はみな通行止めになっている。現在台風が通過中である。鉄道も止まるだろう。
 高速は飛騨清見までは順調に1時間半で着いた。まだ8時なら時間はあると高山経由でR41へ向かった。ついでに高山市内の吉野家で朝食も。さてR41で飛騨古川まで来るとR360の入り口の電光掲示板にR41は船津で通行止め、それなら宮川町経由で左折したが、R41は猪谷付近も通行止めになっていたのでUターン。また高山西から清見に戻り富山ICへ行く。11時30分過ぎになりぎりぎりで着いた。そのまま予約のホテルのPへ止めて会場の電気ビルへ向かう。

 12時電気ビルへ。1年ぶりの再会であるが今回は関東からの出席者が北陸新幹線の不通、高速道路の通行止めで来られなかった。他に毎年温かく歓迎してくれた人も高齢で来られなかった。もう1名も病気とかで来られず再会はならなかった。これも世の中の移り変わりであるが今年は台風が激変させた。

 13時から辛夷賞、衆山皆響賞の発表と受賞式、大会への投句の受賞句の発表と受賞式も連続的に行われた。かつてとの違いはほとんどが女性であることとしかも高齢であることだった。壇上にすら上がれないのだった。
 わが結社も老いたり。
 表題の俳句はあいさつの中で、句の語句の一部の「身に添う」俳句を作るようにとのアドバイスがあった。わが結社は古参結社の10社未満の中に入るらしい。
 但し、他の老舗結社、有名な大結社も続々解散していることを思うとまだ大会を挙行するだけましか。最古参の「ホトトギス」でさえ最盛期の30%以下にまで会員数が減少したという。今後も会員数減、会費減、財政難から俳句雑誌の発行が困難になり解散することだろう。
 人気のあった金子兜太の「海程」、加藤楸邨の「寒雷」も解散というのは信じがたい。中村草田男の「万緑」はすでにない。かつては山本健吉が人間探求派として持ち上げた結社ばかりが寂れてゆくのはどうしたことか。金子兜太は水原秋櫻子の弟子だったからいわゆる新興俳句が守旧派の「ホトトギス」よりも先に寂れてゆく現象はどう説明が付くのか。
 結局は人間把握の甘さだろうに。山本健吉は28歳で「俳句研究」の編集長になり人間探求派を言った。当時の文学者は大抵は左翼系であり、若かったのだ。マルクス、レーニンをかじるもののほとんど未消化のままで、社会生活を十分経験せず、人間観察は未熟だし、青いまま文学を論じる。論だけは立つ。楸邨も同じ傾向がある。
 人間探求派(主に左翼系俳人)は現在までに駄句の山を築いてきたのだ。これでは継承者は育たない。社会派と囃された沢木欣一も「風」で活躍したが東大に就職すると左翼から転向したという。死後「風」は解散し、愛知県支部が「伊吹嶺」に継承された。
 最後は投句された俳句への主宰の講評が延々と行われた。結社は主宰がすべてといわれる。主宰の独裁であるが支えるのは会員の会費であるから力関係は五分五分である。十分な鑑賞力がないとそっぽを向かれる。
 当会は毎年の年次大会や1000号記念大会でも俳壇から来賓を招かなかった。これは異例なことらしい。前田普羅の方針でもあったらしい。それはそれとして北陸のガラパゴスにならなければ良い。
 一連のイベント終了後は懇親会会場へ。ここも関東からの会員の欠席していては賑やかさが違う。遠方は私のみとは寂しいかぎり。恒例のおわら節の踊りも今年は無だった。最後は残心句会へ。
 ホテルに入ると睡魔に襲われるごとく寝た。

わが俳句は俳句のためにあらず、更に高く深きものへの階段に過ぎず 前田普羅2019年10月14日

 辛夷社のホームページの巻頭に掲げる前田普羅の言葉の一説である。
https://www.kobushisha.com/

 HPにはないが、続けて「こは俳句をいやしみたる意味にあらで、俳句を尊貴なる手段となしたるに過ぎず」とある。

 要するに、俳句に精進するのは趣味を超えて、人生の質を高めるための手段というのだ。自己を高めるための手段としている。あるいは修業というべきか。柔道、剣道、茶道、芸道みな修業なのである。
 前田普羅はそんな俳人だった。中央俳壇、俳壇ジャーナリズムと交流してメディアに露出し、知名度を高めて会員を増やし、有名俳人として読者に媚びを売ってまで食べてゆくことはしない。後進を育てることもしなかったらしい。それなのに今の中坪主宰で4代目になりしかも2010年に1000号を突破し、発行誌「辛夷」令和元年5月号は1111号を記録した。
 先日に書いたように金子兜太、加藤楸邨などは俳壇ジャーナリズムに囃されて作られた虚像だった。新聞、雑誌が売れない今の時代はもう彼らを支えきれなくなったのだ。だから結社解散という現象になったと理解できる。金子兜太の命脈はかなり長く続いたが死を以って主宰誌は廃刊、結社まで解散である。金子兜太の死がすべてを清算させた。巨木だったが中は空洞だったのだ。朽ちるのも早いわけだ。
 
 それで「辛夷」はどうなるか。北陸のガラパゴス結社にならないように新しみを追いかける一方で、守るべきものは守る。それは俳句は自己を高めるための手段であることとの認識である。ハードルは高い。
以上が年次大会で感じたことの反省記である。

 さて、朝8時、ホテルのPを出発。R41で帰名した。心配した通行止めは今朝は解除されていた。1時間に120m/mの降雨量で通行止めになるらしい。道の駅で情報をもらうと12日は14時ころまで通行止めだったらしい。激しい降雨があったのだ。
 今日も断続的に強雨がある。それで猪谷からR360へ右折した。対向車が続々走ってきた。船津の通行止めを予測して回避したのか。この道はトンネルと橋で改良が行われてかなり走りやすくなった。一部に一車線の狭い箇所が残るだけである。約40分で飛騨古川へ抜けた。やはり早い気がする。
 高山のスーパーで昼の弁当などを買った。飛騨萩原に来ると簗が開店していたので寄った。落ち鮎の塩焼き2尾と鮎飯、味噌汁で2000円也。鮎は目の前で焼いてくれる香ばしい匂いが良い。今年の食い納めである。
 いろいろ道草を食いながら犬山、小牧を通過。午後3時ながらすでに渋滞中である。多くの行楽客も今年は散々だったのではないか。16時に帰宅できた。何と8時間もかかった。高速料金相当は食事や買い物で地元に落としてきたのである。

台風19号の被災地のこと2019年10月15日

 台風19号は関東甲信越地方に甚大な被害を残していった。特に北陸新幹線基地が水没した写真には衝撃を覚える。クルマでも最近の技術は電子部品のかたまりであるから水には弱い。それなりの対策をしてあると思うが水没までは想定してないだろう。水没したクルマは使えないので買い替えとなるからただでさえ出費が嵩むところへ高額製品の故障は痛い。それにしてもこんなことがあるから電子化した車は買えない。
 週末には戸隠山へ登山の予定なので宿泊予定の民宿に電話で安否を問うと戸隠は風も雨も強かったが被災は無かったというので一安心した。週末には登山道の状況をチエックすることにする。
 それで話は自然に新幹線車両基地の水没の話になった。おばさんの話ではあそこは「赤沼」といって元々水の出やすい地域であり、広い敷地が要るのであそこにならざるを得なかったとの見解だった。
 国地院の地形図でチエックすると、なるほど、赤沼は水害を受けやすいと分かる。山間部を流れてきた犀川(梓川)と千曲川が合流して氾濫を繰り返して出来た平地が長野盆地なのである。そして一つになった千曲川は小布施町辺りで狭い山間の峡谷に流れて行く。2車線が1車線に狭まるから水が滞留し易い。豊野という地名は氾濫河原で作物がよく実ったのであろう。岐阜の輪中の村もなぜそんな地区に執着するかといえば上流の山からの土砂が新たな肥料を運んで作物がよく育つという理由らしい。
 赤沼は千曲川左岸にある。地形図を仔細に眺めると左岸の標高が約340m前後でさらに東の山勝ちに浅川が流れる。源流は飯縄山になる。赤沼の住宅地は332m、浅川の山側も333mしかない。赤沼は浅川と千曲川に挟まれている地形になる。浅川は自然史的には村山付近へ東流していたのではないか。
 それが一つになった千曲川の水勢で土砂が押し流されて合流地が北へ北へと移動した。土砂の盛り上がりが十分でないところが赤沼という凹んだ地形になったと想像する。沢登りすると本流と支流の関係でそんな地形を見ることがある。
 水流が無い時は凹みだけに水が残り沼地になった。千曲川を堤防で囲んでしまえば広大な土地が造成できた。そこに新幹線車両基地や住宅地が造成された。
 破堤すると水は正直に凹んだ地形にたまる。どう対策するか、例えば犀川の水を千曲川と合流する前に長野市の山際に導水トンネルで飯山市辺りまで流すことが考えられる。小布施辺りから放水路をつくり下流へ流すことも考えられる。
 家を買う時住み替える時は、池(今池、赤池、池場、池下、池袋)、沼(沼田、大沼、沼尻)、津島(津は水が集る意味、島は離れた土地)、久手(湿地の意味。作手、大久手、長久手)は土地の状況をよく確認することである。すべて水はけが悪い地形になる。数千万円も出して水没なんて悪夢しかない。

秋の服黒のジャンパー買ひにけり 拙作2019年10月16日

 目まぐるしく変わりやすい秋の気候である。明日からはまた天気が下り坂になる。さすがに半袖では寒い。すでに半袖は一部残して収納した。長袖シャツに切り替えた。仕事には久々に背広を着た。普段着には長袖にベストを併せていたが夕方には小寒い季節になった。
 それでジャンパーを買うことにした。アピタ店に行くともの凄い車が出入りしている。何事かと聞くと16日17日は特別セールとかいう。衣類も20%引きというので物色でなく本気で選んだ。先ずは内ポケットのしっかりしたモノが良い。なるだけミニバッグは持ち歩きたくない。手帳、長財布、小銭入れ、スマホ、キーホルダーと持ち歩くものは結構ある。
 艶消しの薄い黒色のオーソドックスなものを買った。やや作業服っぽいかな。16000円の20%3200円オフで14000円ほどの出費。これで自転車でポタリングにも着れる。約15kmある丸の内の事務所にも着て行ける。防風、防寒、ちょっとした雨に耐える撥水性、透湿性も謳う。
 食品売り場では大勢のお客が買い物中である。カード客は5%引きというのでこぞって買い物なのだ。消費税2%アップしたものの吹き飛ばすかの消費意欲である。Pから出るのもかなり渋滞した。

戸隠山登山は中止2019年10月17日

 毎日天気予報をチエックする。当たり前だが毎日変動する。長野県は18日は午後から90%の降雨率である。19日は90%だったが70%になった。20日は10%だったのが20%になった。1日の中でも大きく変動するのは気圧が不安定な時期に差し掛かったからだ。立冬には少し早いが日本海に近い地域はすでに雪が降ってきている。
 それでも中止したのは被災地への配慮である。2011.3.11は死亡、行方不明を併せて18000人を超えた。直ちに歌舞音曲を慎むムードになり、イベントやコンサートが中止、延期になった。一ヶ月半後に予定していた御園座の島津亜矢コンサートは迷いながらも実施された。ステージで島津亜矢が言ったのは自粛ばかりでは却って滅入るからと、喪章を着物に付けて歌唱されたことがあった。それで良かった。朝日新聞にもそんな記事が掲載された。
 今回も行く予定で調べていたが参加者の一部の人が気合が入らなかったようだ。登山は何かを気にしながらやると大怪我の元なので中止を決めたのである。ましてや戸隠山は岩場の連続する難路である。名山はいつでも登れる。

戸隠の民宿へ電話2019年10月18日

 昼過ぎ、戸隠の民宿へ予約の取り消しを電話で伝えた。幸いに当日ではなくキャンセル料は発生しなかった。本当は行ってみたい。20日は晴れる確率が高いからだ。そして道の駅とかに寄って台風で落ちた大量の林檎を一袋でも買えば地元への支援にもなる。配慮して行かないのも気持ちだが行っておカネを落とすのも配慮である。

 2011.3.11の一か月後に行った島津亜矢のコンサートも開催を危ぶんだが実施された。当時の記録から抜粋すると

 彼女は黒い着物の前身ごろに白い辛夷の花をあしらった和装に喪章を付けて登場した。華やかな振袖姿とイメージしていたから一瞬ぎょっとしたがそれがすぐに東日本大震災で亡くなった人、今も行方不明の人々への喪に服する意思の表れと感じた。事実、舞台の挨拶でその感情を吐露された。以後、場面が変わって衣装も変わるが喪章だけは付けていた。こんな時に歌舞音曲を催していていいのかしらと関係者間で悩んだ末の公演であったという。
 折りしも、今日の朝日新聞朝刊の15面には”いまこそ歌舞音曲”という大見出しの活字が踊る。 
 下段の欄には「震災と原発事故は日本を悲嘆の中に沈めた。けれど、私たちは生きている。悲しみの水底から、もがき出る。歌おう、踊ろう、。笑おう。それが生きることならば。死者を悼む心あらば」とある。
 左様、全国が自粛ムードではホントに沈んでしまう。誠に時宜を得た記事だ。

 あの新聞にしては珍しく前向きに国民を鼓舞する記事に感心する。またあの民宿に予約して戸隠山へ登りたい。

マルクスの評価も暴落2019年10月19日

https://www.youtube.com/watch?v=CSnGMvnGHxY&t=123s

 右派番組のチャンネル桜の中でも人気は渡邊哲也さんのこれ。
「教えて!ワタナベさん日本も危ない?隠された「革命」の原理~マルクスの「資本論」と共産主義・社会主義 [桜R1/10/19]」です。今回のテーマは知っているようでしられていないカールマルクスのエピソードです。
 『共産党宣言』、『資本論』なども読んでみましたが日本には合わない。また労働者が資本家を倒し資本主義社会を転覆するといういわゆる暴力革命は尚も合わない。
 日本は皇紀2800年の連続した歴史を持っています。本居宣長は断続したシナの歴史と比較し、日本の長い歴史を発見しています。松阪市の本居記念館に行くと手書きの歴史絵図が展示してあります。
 マルクスはドイツ系ユダヤ人でした。動画では多分ユダヤ人全体をひっくるめて批判することになるので人種には配慮して言わなかったですね。日本は戦前から人種差別撤廃を叫んできた国ですから。
 マルクスが解き明かした資本主義社会の矛盾を他の多くの思想家や革命家に利用されてしまった。特にレーニンと結びついてソ連を誕生させたことは動かしがたい歴史事実です。レーニンもユダヤ人であり、4分の1はモンゴル人の血も混じる。レーニンの生まれた土地ではレーニン顔の人々がいるそうです。
 ちなみに私の35歳年長の知人Mさんもレーニン顔でした。戦前の日本共産党員であり、当時住んでいた三鷹市で政治活動をしていたので三鷹のレーニンと呼ばれていたそうです。しかし戦後はその過去が災いしてまともな仕事に就けず、貧困のうちに死去。彼の人生はなんだったんだろうか。
 共産党独裁のロシアでもシナでも良いことはほとんど伝えられてこない。人民の大虐殺、権力闘争の果ての殺人、他国への侵略、チベット、ウイグルへの圧政、旧支配者だった満州族(清朝)は分散統治し言語も失わせた。すべてマルクスの思想(共産党独裁)が根源にあることを思うとまるでカルト宗教の教祖かと思う。事実信仰者(コミュニスト)は教条主義的である。
 日本は世界の辺境にあり、まだまだコミュニズムを信仰する人々が多い。日本共産党が党員28万人に対してアメリカ共産党は党員15000名というからもはや比較にはならない。ソ連崩壊後のロシア連邦共産党の党員は16万人、統一後のドイツ共産党員は3500名なので衰微する趨勢にある。
 コミュニズムが衰退すると、今度はグローバリズムが台頭してきた。今や勢いを得て日本も巻き込まれた形である。これもユダヤ人左派が主導する国際金融資本という。結局労働者階級の救済にはならず、かえって賃金が下がって生活が貧困化に向かっている。欧州では反ユダヤ主義(反グローバリズム)が台頭しているという。トランプに続き欧州でもナショナリズムとの対決が続くのか。知的刺激に富む良い番組でした。

西区の黒龍神社へ2019年10月20日

天井画
 10月19日付の中日新聞朝刊の市民版に掲載。黒龍神社の天井画を描かれた乃村豊和氏は愛知大OBでロサンゼルス在住の洋画家です。天井画は松坂屋の個展に行った際にみましたが実際に収まった形で見てみたい。
 今日はほんとは戸隠山の登山の予定でした。天候不順と甚大な長野盆地の被災地に配慮して中止に。
 それでマイカーに自転車を積んで丸の内にP。自転車に乗り換えて東区の二葉館へポタリングし、ステンドグラスの展示会を見学。次は西区の黒龍神社へポタリングした。神社は庄内川の左岸の堤防の上に建っていました。乃村画伯の銘が入った天井画を仰いで拝見してきました。その後は名古屋駅周辺を回ってマイカーへ戻る。