初冬の富士を見る山行・箱根・神山を歩く2014年12月09日

 12/7(日)はゆっくり起きた。酒の勢いでよく眠れた。今日は予定では奥多摩の山だった。昨夜のニュースで降雪がありそうなので中止して、箱根の神山にした。往路と同じ道を引き返すように箱根に走った。箱根の近くに来てから、同行者の1人が途中で朝食を取るためにはいったガストにスマホを忘れたことに気づいた。連絡をとって宅配便で送り返してもらう交渉に手間取った。先を急ぎたいのに大きな時間のロスになった。
 登山口の箱根園に着いたのは11時過ぎになった。ロープウェイに乗車し、7分で駒ケ岳山頂に行ける。簡単すぎて何の感動も無い。駒ケ岳神社に型通りの参拝を済ませてから笹の山頂を下った。足元は霜柱が解けたせいで泥んこになっている。神山への最低鞍部に下ると良い道が交差している。そのまま神山へ岩のゴロゴロした登山道を登った。その際、硫黄臭が漂っていることに気づいた。ここも噴火の危険が迫っているような気がする。東北大震災をきっかけに各地の火山活動が活発化しておるようだ。
 神山へはあっけなく登頂できた。周囲は樹林越しに見えるだけで、富士山も最初は見えたがそのうちすっぽり雲に覆われた。山頂付近は霜柱ではなく降雪があったようだ。富士山が見えないと興趣はそがれる。再び往路を下った。交差点では右に坊ヶ沢を下った。笹が刈り払われて歩きやすい道である。
 下りきったところは県道だった。県道を歩いてロープウェイ駅まで戻った。予期しないアクシデントで時間切れになった。楽しみにしていた温泉もそばもカットして御殿場ICに向かった。


 箱根の山では硫黄臭があるとの情報がインターネットにアップされているので引用する。以下を読むと金時山から眺めた神山の山腹の噴煙は最近のものだと分かった。御嶽山だけではないのだ。人災にならねば良いが・・・。

2チャンネルから孫引き
2014年12月08日(月)

東日本大震災後、体に感じる地震の回数も減り、落ち着いたかに思えた日本列島。だが、長野での地震、御嶽山・阿蘇山の噴火など、大地の動きはつづいていた。そしていま、さらなる地殻変動が?。

■70年近くいて初めて見た

「なんだ、あれは……」

11月下旬、神奈川県と静岡県の県境にまたがる金時山でのことだ。ここは、富士山麓に連なる箱根山のすぐ近くに位置する。「金太郎」こと、「坂田の金時」伝説ゆかりの地でもある。

登山が趣味の本誌記者は、この山に100回以上登っている。麓の町から山道を歩くこと1時間半ほど。山頂付近にある山小屋の人々もすっかり顔なじみだ。

しかしこの日、見慣れたはずの風景を何気なく眺めていると、奇妙なものが目に飛び込んできたのだった。

「箱根山から、煙が……出てる?」

あいにくの天気で雲も低く垂れこめているが、丸で囲んだ部分、中腹の山並みの間から白い煙があがっている。

箱根の山は、言わずと知れた温泉観光地だ。地中に溜まったマグマの熱で地下水が温められ、温泉として噴き出している。

常に活発に噴気をあげている大涌谷は温泉たまごなども有名で、ピーク時には一日約2000人の観光客が詰めかけ、火山の生み出す特徴的な風景を楽しんでいるという。ちなみに大涌谷に向かうロープウェイの
年間乗客数は世界一であり、昨年度は220万人。ギネスブックにも載っている。

世界で一番、身近な火山とも言える箱根山。そこで噴気があがったと聞いても、「箱根ではいつでも噴気が出ているんじゃないの?」と思われるかもしれない。

しかし今回発見したのは、大涌谷から尾根ひとつ越えた、北西側の斜面だ。しかも、その噴気は大量で、離れた場所からもはっきり目視できるものだった。

この金時山頂上の山小屋で1947年、14歳のときから働いている「金時娘」こと、小見山妙子さん(81歳)に訊ねてみた。

「あの噴気のこと?あれは私も驚いてんのよ。噴気なんか出るようなところじゃないと思ってたから。最初は誰かゴミでも焼いてるのかと思ったの。はじめは細い煙みたいに見えたけど、日が経つにつれてだんだん
大きくなってきた」

(記事の続きや関連情報はリンク先で)
引用元:現代ビジネス http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41336

初冬の富士を見る山行・箱根・金時山を歩く2014年12月08日

 行けそうで行けない関東周辺の山。箱根の山は観光気分が強くて、先送りして行くうちに、定年後の今になった。余り体力も要らず、ルートファインディングといった煩わしい技術も不要のハイキングの山である。名物の蕎麦と温泉を味わえれば、と未明の名古屋を発った。刈谷で1名を拾い、岡崎ICから東名に入る。三ケ日JCTから新東名に入ると後は富士山を見ながらのドライブとなった。
 静岡を過ぎて、富士川を渡る直前から雄大な富士山が目一杯に広がる。愛鷹連峰の南端を回って御殿場ICに向かう。この付近で東名と新東名が合流する。すぐに高速から降りた。降りてからも分かりやすく、乙女峠に行ける。トンネルをくぐって若干下ったところに金時神社がある。Pはすでに満車状態で、日本三百名山だけあってナンバーも全国区である。そこに車を置いて歩き始めた。道標には75分とあるから軽い気分で歩く。
 左にコンクリート製のマサカリをかたどったモチーフがある。公時神社(キントキジンジャ)である。山名の由来の元らしい。登山道は多くのハイカーが歩く。岩が露出していて歩きにくい。境内を過ぎると車道を横切り、傾斜も急になった。ぐんぐん高度を上げて行くと大きな割れ目のある岩に着いた。更に登ると植林の道から低潅木の道になった。明るくなり、周囲の山が見え出す。山腹をからむ道から尾根道と合流して更に傾斜が増す。足元は悪いが、富士山への期待がいや増す。木の根のからむ急な道を登り終えると狭い山上に茶屋が2軒もある山頂だった。
 1軒は元祖を名乗る金時娘の茶屋で『強力伝』のモデルになった小宮山正の娘・小宮山妙子さんの店。もう1軒は金太郎茶屋。小宮山妙子さんは昭和22年以来、14歳から茶屋を切り盛りしているとか。今年で67年になる。ということは81歳になる。飲み物を頼んだが息子さんが居ないということで出来なかった。後姿は見た。ここへ自力で登ってくるだけでも大変なことだ。
 さて、ここからの富士山は前山がなく裾野からコニーデ型に伸び上がる山容が素晴らしい。金時山も富士山のこの眺望あっての名山である。富士山の別称を芙蓉の峰というが、厳冬期はそう見えるかも知れない。眺望を堪能して下山した。
 同行者が是非にでも蕎麦を食いたいというので強羅の温泉街の一角でやっと探し当てて食べた。温泉の臭いの立ち込めるいかにも箱根の風情が漂うところだ。今回は明日、東京で行われる山岳会の年次晩餐会に参加するため神奈川県鎌倉市大船の宿に向かった。
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實川欣伸著『富士山に千回登りました』2011年07月14日

 ついこの前にも『まいにち富士山』の本のことを書いたが今日も書店を覗いたらこの本が目に留まった。富士登山ブームが起きていることは仄聞しているがその頂点にいる人による相次ぐ出版である。
 日経プレミアムシリーズ。新書版。2011.7.8刊行。著者は1943年生まれで68歳。日本山岳会会員。静岡県沼津市在住。
 どちらも富士山が好きなことでは人後に落ちない。佐々木氏は64歳から始めて800回を達成、實川氏1985年に初の富士登山をして以来というから42歳から始まったことになる。1000回目は2010年10月10日に達成。
 本書には佐々木氏のことも出てくる。顔なじみになるのだろう。全編が体験記に満ちている。富士登山を道楽にしてしまった変人クラブでもあるのだろう。交流記にもなっている。つまり自慢会のようなもので誰かの賞賛を励みにしている気がした。
 話題を変えると山登りにもいろいろあるものだ。
 日本百名山
 日本二百名山
 日本三百名山
 1等三角点百名山
 日本の3000m以上の山を全部登る
 ガイドブックにある山を全部登る
 日本分水嶺を歩く人
 日本の2000m以上の山に全部登った男
 日本の1等三角点968座を全部踏破した男
 みんなすごい人ばかり。しかしこうした記録が山岳雑誌で採り上げられることは余りない。山岳界では初登頂、初登攀が重んじられているからだ。つまりマスコミ受けしないと題材にならなかった。
 もともと山は静かに歩いて楽しむものだった。
 いまどきのニッポンのフジさんに起きた超変な登山ブーム。
 ふっと思いついたのは江戸時代に起きたおかげ参りとええじゃないか、という伊勢神宮への集団巡礼運動である。あの時代も幕末で政治の行き詰まりがあった。
 今もまた国政が行き詰まっている。コロコロ変わるニッポンの首相さんたち。富士山に登ることで濁世、浮世の憂さ晴らしかな。
 しかし本書にそんな視点などあるわけではない。純粋な登山記である。

佐々木重良著『まいにち富士山』2011.6.20刊2011年06月25日

 定年後、サンデー毎日になる人が増える一方。もてあますヒマを富士登山に費やす人が居る。しかも本になった。富士山に一度も登らぬ馬鹿、三度登る馬鹿、という根拠不明の言葉があるがこの人は度を越している。
 著者は昭和15年生まれで今年71歳になる。64歳で富士山に初登頂して以来、富士山にとりつかれてしまった。本書は厳冬期以外は”まいにち富士山”に登ることになった顛末記である。
 その回数は819回という。大阪の金剛山に毎日登るとか、鈴鹿の藤原岳に800回登る短歌も読んだことがあるがこの人は日本一高い富士山である。
 5合目の標高は新富士宮5合で2400m、御殿場で1450m、富士吉田で2304m、須走口で1959mあり、一番楽な標高差でも3776-2400=1376mある。標高差300mにつき1時間はかかるのでおよそ4時間半は見ておきたい計算だ。
 この著者はこれを2時間40分で登っているそうだ。早い。これが鍛錬というものだろう。ちなみに『50歳からのヒマラヤ』の著者の石川富康氏はヒマラヤ登山のトレーニングで5合目から4回登ったうち、最初の2回は3時間を切れなかったが3回目で2時間を切ったそうだ。まだ50歳の始めだからといえる。
 以前に富士山は8合目からが苦しいと聞いたことがある。急な山道が災いするのだろうか。薄い酸素に体が慣れるまでは危険である。酸欠で死亡する人もいる。小屋には酸素も売っているほどだ。その負荷ゆえに下山後の体重は2kgも減るとか。著者も73kgあった体重が減り始めて60kgを割ってしまい、栄養補給に努めてほぼ60kgをベスト体重として維持しているそうだ。
 体験記であるがガイドブックにもなるし、読み物としても面白い。特に銃後を守る奥様のポーカーフェースぶりに抱腹絶倒してしまう。すごいわね、頑張ってね、よくやったわね、などと激励しようものなら調子にのって協力させられることを恐れているのだろう。
 著者は元教員だけに事があって新聞に出たら恥ずかしい。山の事故はことさら大げさに報道される傾向がある。教え子も心配するだろう。妻にすれば単独で登山して無事に帰宅すればそれでよし。夫の清遊を優しく見守っているのだ。
 そんな夫婦間の雰囲気も客観的に描写されて流石は元国語教員と思った次第。それと新田次郎の『強力伝』を読んで富士山登山を意識していたというのも先生らしいきっかけであった。

佐久・茂来山は眺望絶佳!2010年11月15日

 宿は長野県北相木村にある旅館・相木荘。標高は900mの谷間にある。釣宿として知られているようで居間には尺もの岩魚の魚拓が飾られていた。高原の村の宿は寒くてすでに炬燵が入り石油ストーブも焚かれた。宿はお婆さん、夫婦、息子さんで切り盛りしているようだ。
 昨夜は地元青年団の寄り合いで宴会でにぎわっていた。夕食は鯉の旨煮が出て満足でした。佐久は鯉の名産地で我々に供するために長時間かけて煮込んだとか。たっぷりの副食にご飯も美味しかった。
 朝は5時半ころに起きてしまった。まだ暗いのでまた寝た。7時までTVに見入った。朝食を食べると出発だ。山間地を走ってR141に戻る。佐久市へ向かって走ると右手に茂来山らしい山容が見えてきた。十国峠の標識を見てR299へ右折する。
 田園地帯を走るともう山麓に着いて槙沢登山口の案内標識、続いてバス専用の案内が見えたがパス、本来の霧久保沢登山口の案内で右折した。さっきの道とも橋で合流した。ゲートのある広場は大きなバスも駐車可能な広いスペースで人気のほどがわかる。
 8時40分出発。案内に従っての安気な林道歩きである。分かれ目からはしばらく廃林道を行くが渡渉すると本格的な急な山道になった。こぶ太郎という大木までは整備された遊歩道が続いた。
 こぶ太郎は樹齢250年のトチノキで巨木であり、古木でもあった。周囲を踏みつけないよう見学用の木製園地に整備されていた。9時20分、そのベンチに座って休憩。するとふわふわ雪虫(綿虫)が浮遊していた。冬の到来近し、と告げる風物詩である。
 こぶ太郎を辞して一気に斜度も急になるし、狭くなった山道を辿る。するともう一段登った辺りでまたトチノキの巨木にであった。完全な姿の炭焼き窯跡もあった。沢の水は絶えて石がごろごろする源流の様相となった小さなカール状の急峻な地形をジグザグに登りあがる。胸突き八丁といったところであろうか。周囲の樹相もよろしい。今は裸木であるが最盛期の黄葉が美しいだろう。
 尾根にたどり着くと槙沢からのルートと合流する。ここから山頂はあっけないほどすぐに着いた。地元の青年風の単独行の人が先着していた。月に一回は登るとか。眺望は広大無辺で非凡としか言いようがない。彼からは色々話を聞かせてもらった。おらが自慢のふる里の山なのである。
 ここからは佐久市が盆地だということが良くわかる。背後には名峰浅間山を従えて山すそがせまる。左からは八ヶ岳のこれまた長い山すそが引いて佐久に流れる。そこへ千曲川が北流する。沖積平野なのだった。今日は冬の靄が佐久盆地の上空を覆う。
 山岳同定をしてみよう。主峰赤岳を抱く八ヶ岳連峰、浅間山を盟主とする上信国境の山々、その間にはかすかに北アルプスが見える。荒船山、西上州の低山群、奥秩父の山々。標高は100mほど低いのだが昨日の横尾山とはまた違った角度を楽しんだ。
 そのうちに槙沢からという関東かららしい17人の団体さんが着いた。立錐の余地がない狭い山頂はすぐ満員になった。眺望を堪能した後は我々も下山することにした。
 下山後もこぶ太郎に寄って休んだ。雪虫はまだいた。高曇り、無風を条件に現れる。数日後には降雪を見ると言い伝えられる。
 登山口に戻るとマイクロバスが2台。山頂で会ったパーティが下山は霧久保沢口と言っていた1台だな。途中で会った人も20人近かったから彼らのバスかな。
 R299へ戻った。いったんR141に重なる。佐久穂町の奥村土牛の記念美術館に寄る。奥村土牛(おくむらとぎゅう)は日本画家で1889から1990まで生きた。お目当ての富士山の画はなかった。
 R299は麦草峠を越える。小淵沢を経由するよりは茅野市へ近道になるのでR141から分かれる。素晴らしい山岳道路だった。白樺林の美しいところがあったし峠には初雪があった。11/18からは冬の通行止めに入る。茅野市側に超えて諏訪ICへ。

山梨/長野・横尾山を歩く2010年11月14日

11/13早朝5時30分過ぎKiとKoさんの2人が来て出発。まだ薄暗い。本郷駅で待ち合わせのKuさんもちょうどグッドタイミングで合流できた。6時過ぎ、東名中央道の通行量は早朝にも関わらず随分多い。今頃がおそらく1年で一番いい行楽日和であろう。
 駒ケ岳SAで休憩のために降車するとひんやりする。涼しさを越して小寒い。一枚はおった。9時20分、須玉ICで出て信州峠に向かう。昨年の学習効果で比較的スムーズに行ける。
 峠には先着車が数台あった。10時20分、すぐに仕度して落葉したカラマツ(=落葉松と書く)林の尾根を歩く。晩秋から初冬にかけての山は落葉してすっきりした森林の広がりがいい。やや急な山道を登りきると周囲の展望が広がる一角に着いた。11時10分、もう少しでカヤトの展望丘に着くはずだが私たちはその一歩手前の岩場で休んでしまった。
 富士山は北面に少しだけ冠雪している。八ヶ岳は普段見る機会の少ない東側からの眺望に見入られる。奥秩父のみずがき山はもう前山でしかない。金峰山以外はすべて無個性の山なみに没している。みずがき山は山麓から仰いだ姿こそ素晴らしく見える。
 また歩くとカヤトの展望丘に着いた。ここはホントに素晴らしい眺望である。しかし休むには寒い気がする。再び360度の眺望をカメラに納めた。さっきと違って南アルプス、中央アルプス、白山、乗鞍岳が加わる。八ヶ岳は益々雄大に聳える。

 冬の靄が甲府盆地の上空を覆う。
 
 丘を辞して山頂に向かうと再び樹林帯に入る。多少の岩場もあって歩きづらい道である。約30分ほどで山頂に着いた。評判どおり眺望は南アルプスに開けているいるのみ。黄砂の影響もあるのか高曇りながら遠望は効かない。寒いので余り長居もできず、往路を下った。
 信州峠からは信州側に下った。まだ2時前なのでコーヒータイムをすることになった。一旦R141に出た。途中で何やらカメラマンがずらっと並んでいる。後で知ったが小海線を走るイベント列車のトロッコ列車を撮影しようと待ち構えていた鉄ちゃん達だった。
 目指す喫茶店は演歌歌手”藤あや子”が経営する「ギャラリー彩(あや)」だ。紅葉に染まる八ヶ岳高原を走り回って大泉駅の南にやっと見つけた。
 彼女の手作りコロッケが乗ったカレー(1000円、コロッケ1つ1300円、コロッケ2つ1500円也)を食べたかったが山頂で昼飯を済ませているので満腹だった。400円也のコーヒーだけにした。今日は他に客2名だけだが14日には熱狂的なファンが全国から80名集って彼女の快気祝いのイベントになるらしい。このお客さんも大阪から駆けつけたファンだった。一しきり彼女の話題で盛り上がって店を辞した。(彼女は6月頃突発性難聴という病気で入院。一時は歌手生命危うしと書かれていたが完治して10/5にステージに復帰済み)
 R141を北上して宿のある北相木村を目指した。

春の富士登山2010年04月27日

メキシコからの富士登山の人たちと旧登山道にて
4/23(土)夜、山の支度中にS君から用事が早くすんだから10時出発を早めようと電話がある。8時出発とした。西友で食料を買い込む。高速に入る。深夜になり、中央道の二葉SAで仮眠。
4/24(日)早朝出発、河口湖へ向かう。白い富士が車窓から見える。国道に出てなか卯で朝食。馬返し登山口に向かう。すでに数台が止まる。7時半、今は歴史の道となった富士吉田登山道を登る。荒廃した神社、荒廃した宿泊所などを通過して林道に出る。再び山道に入り、スバルラインを横切る。すぐに5合目の佐藤小屋だった。2240mあるから恵那山とほぼ同じ高さに着く。
 12時までにはまだ余裕がある。小屋でコーヒーを飲んだり、缶ビールも飲む。登山者風情の熟年が二人缶ビールを空けて気焔をあげる。
 今から約32年前の11月末の連休に愛知岳連でバス、トラックを連ねて氷雪技術訓練に来たことがあった。スバルラインの終点から佐藤小屋までの道路沿いにテントを張って吉田大沢で訓練したものである。北海道でもまだ雪が少なく全国から約2000名が入山した。他の会で遭難事故が発生し、二日目の夜は救急車、パトカーのサイレンがけたたましく鳴り、佐藤小屋が連絡の拠点となった。この年は4名が亡くなった。死体をツエルトにくるめて吉田大沢を滑らせて下ってきた。まるでゴミ扱いだが仕方ない。
 死亡者が出て訓練の責任者で会長のKさん(故人)はテントをひとつづつ廻り、気合を入れた。こんな時に酒なんか飲んでる場合かと怒鳴られた。明日はわが関係者に及ぶことを恐れた。当然のことである。
(連休明けに出社すると社長が開口一番に「おお無事に帰ってきたのか」と心配されていたことを知った。新聞では派手に報道されていたからだ。その後管轄の山梨県警はこの地域の訓練の中止を勧告してきた。高山市の登山家が12歳の娘を富士山頂上から滑降させると聞いた山梨県警はこれも中止にさせた。)
 訓練は負傷だけで済んだ。以来来たことはない佐藤小屋であるが今でも観光者向きにはせず、純然たる登山者のための小屋を保つ。上の小屋は?億円の売上があり高級車を乗り回すが自分は赤字で軽自動車しかのれないとか、そんなことを話して笑わせてくれた。
 泊まりたい気もしたが小屋は4時で仕舞うとか。休みを切り上げて行けるところまで行こうと再び登った。六角堂に一張りあった。さらに登って6合目の安全指導センターの建物の敷地に設営した。
4/26(月)6時10分テントを出発。最初は火山岩の道を登る。花小屋でアイゼンを着装。昨日の外国人パーティはここでテントを張っていた。食事に誘われた。ずいぶんのんびりしている。食事は済んでいるから丁重に断るがS君がないと知りながらも禁断症状のためかタバコを所望した。タバコでは通じず、シガーシガーというと分かってもらえた。もちろんあるわけがない。
 久々にアイゼン&ピッケルワークの感触を確かめるように登る。但し途中で息切れがひどくなまった体を実感。S君には先行してもらった。小刻みな小休止を繰り返して鳥居荘まで来た。ここで外国人パーティに追いつかれた。装備が立派なので聞くとメキシコから来たプロガイドであった。もう一人の若い女性は京都に留学中の姪御さんだった。片言の日常会話には不自由がない。そばで会話を聞くと英語でも独語、仏語でもない。聞くと西語であった。墨西哥から3週間の旅行中だった。関西の山に登り、日本の象徴の富士山登山を楽しんで5/1には帰国とのことだった。
 来日に当っては富士山をよく研究されたようだ。装備は用意周到であった。文化面ではメキシコの山にも5000m級の高山があり、それは火山で神の山なので車では登らず徒歩で登られているという。
 かつて歌人の大町桂月は「富士山に登って山の高さを知れ、大雪山に登って山の広さを知れ」といったらしいが富士山には5万図6枚が要るとか。広さも有数であろう。
 また和歌にも詠まれた。山部赤人の長歌である。
「天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴(たふと)き
 駿河なる 布士(ふじ)の高嶺(たかね)を 天の原 振り放(さ)け見れば
 渡る日の 影も隠ろひ 照る月の 光も見えず
 白雲も い行(ゆ)きはばかり 時じくぞ 雪は降りける
 語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不尽(ふじ)の高嶺(たかね)は」
 約1400年も前の歌である。当時は活火山だったはず。江戸時代にも噴火している。そして今よりも低かったと思われる。それでもこのようにどこからでも見られ崇められて歌われた。
 鳥居荘から更に登ったが元祖室3250mまでで精一杯だった。この歌にあるような白雲が目の前を流れていく。雲の上まで登れたのである。
 12時半、数十mほど登って時間切れで下山した。下山は滑落しないように慎重に下った。鳥居荘で待機。S君が戻ってきた。聞くと御来光館3450mで山頂を見たが12時半時間切れで下山したそうだ。テントに戻って撤収する。佐藤小屋を経て馬返しまで歩く。
 途中の4合目の小屋で墨人パーティに追いつかれた。今日の富士はわれわれ4人で貸切状態だったから親密な気になるのだろう。リンゴを分けてくれた。美味しかった。4人で写真を撮ったりした。ささやかな日墨親善登山になった。

鎌倉山歩”吟行”2009年12月24日

蝋梅の花
 
遠目にも雪煙上がる芙蓉峰

冬ざれや北鎌倉の谷戸の道

蝋梅の喪中とは知らず咲く

冬の日や竹を編む塀奥床し

大仏へ引き寄せられる十二月

取れたての里芋を剥く冬の谷戸

焚き火して朝餉を待つや谷戸の人

霜柱かつてはありし谷戸の畑

弁天の冬の水にて銭洗う

化粧坂凍てて険しき道下る

鎌倉山歩2009年12月20日

竹を編んだ浄智寺の塀
12/18(土)
早朝6時15分頃、名古屋は降雪中を出発。天白区で早速スリップ事故を目撃。以前にあわや激突しそうになった坂道である。降雪のため名古屋ICからしばらくはスローな流れであったが渋滞ではない。静岡県に入ると明るくなり、晴れる。冠雪の富士山が段々大きく見えて楽しいドライブを堪能。厚木ICを出て鎌倉市の定宿Sへ着く。約5時間半。JR線で大船駅から北鎌倉駅迄乗り下車。浄智寺を通ると、竹の塀が素晴らしく風情がある。何か小津映画に出てきたイメージがある。谷戸を抜けて車道が終ると尾根に上がり、大仏ハイキングコースを踏破する。途中で富士山が真っ白に見える。照葉樹林の木立の中を上り下りのある山道である。大仏はパスして長谷観音の十一面観音像を拝観する。300円也。見晴らしのいい場所からは由比ヶ浜や鎌倉市街を俯瞰できる。鎌倉駅まで歩いてJRで大船駅まで乗り、宿に戻る。宿の夕飯はないので夜店で夕食を買出し宿で食べる。大変安い。
12/19(日)
今朝も快晴。朝食をたっぷり摂って宿を出た。湘南モノレールで町屋駅下車。鎌倉中央公園に向かう。昔ながらの谷戸の風情をなるだけ壊さずに保存する試み。残された田畑をボランティアで耕し、野菜つくりをするグループがある。散歩する人もあり、都市住民の憩いの場所になっている。谷戸を抜けると大仏ハイキングコースと交錯する道に出て銭洗い弁天様にお参りする。戻って化粧坂を下り、鎌倉駅手前から北鎌倉駅まで歩く。昨日は通りかかっただけの浄智寺を拝観する。200円也。
北鎌倉駅から大船駅に戻る。かつて松竹撮影所があった頃からの老舗レストラン・ミカドに寄り、昼食。「かつ飯」を食う。バター風味+たまねぎの焼き飯が旨い。コーヒー付きで1500円也。東名を走って帰る。帰りは1時半に出て7時半に帰る。約6時間。往復650Km。

第50回木暮祭に参加2009年10月19日

会場に展示されたパネル写真
現在の顕彰碑以前は大きな自然石に嵌め込まれたレリーフだったという。昭和34年の伊勢湾台風で壊れて翌年、現在の形に新設された。写真の深田久弥が訪れたのは旧顕彰碑であった。