野沢凡兆の俳句2009年06月06日

 登山家の小島烏水や山岳俳人と呼ばれた前田普羅も訪れた凡兆の俳句の魅力はなんだったのか。
 参考にしたのは嵐山光三郎の労作『悪党芭蕉』という本。凡兆は芭蕉が高く評価したという。芭蕉七部集の最高傑作とされる『猿蓑』に入集した最多の俳人は編者となった凡兆の41句であった。芭蕉は40句、同じ編者の去来は25句であるから破格の出世であろう。
 もっとも『猿蓑』編集の場所も凡兆宅だし芭蕉が旅から帰ると凡兆宅を定宿にしたという。芭蕉より4歳年長ということもある。パトロンとしての役得ともいえる。
 このことは『悪党芭蕉』の獄中俳人凡兆に書いてある。さらに読むと京都で安定した医者の生活のかたわら俳諧を楽しむゆとりがあるかと思えば関係者の罪に連座して獄中生活も体験した波乱の人生である。これほどの名誉を得ても以後は芭蕉と袂を分つ。芭蕉に心酔しながらも盲従はしなかったようだ。
 蕉門つまり芭蕉をめぐる弟子の人間関係の消長を描いたこの本はただの俳句の本ではない。作家が書くのだからやっぱり人間を描くことが中心になるのは当然だろう。
 代表句を見てみよう。

  かさなるや雪のある山只の山

*重畳たる山なみ、という表現がある。それを俳句にした感じであるが雪山とまだ積もってない山と対比して遠近感を示す。正岡子規が凡兆を称賛したというのはこんな手法であろう。

  炭窯に手負いの猪の倒れけり

*鈴鹿の山中でも炭焼き窯は良く見る。その窯に(猟師が放った)矢が刺さった猪が力尽きて倒れているという。むごい風景である。今なら猟銃で一発で即死だろう。猪は山中で何度か見た。八風南峠の近くで寝ている猪を見たときはびっくりしてそっと去った。争えばこっちが手負いになりそうである。

  ながながと川一筋や雪の原

*石徹白の和田山牧場辺りは雪原の中に一筋の流があってまさにそんな風景である。こないだ行った蓮華温泉からの兵馬の平の風景も雪原(夏は湿原)の中央部をながながと川が流れていた。今もどこかで見る懐かしい風景である。

  鷲の巣の樟の枯枝に日は入ぬ

*問題の高原川左岸の句碑の句である。これも『猿蓑』の中に入集された1句だった。前書きの「越より飛騨へ行くとて籠のわたりのあやうきところあやうきところ、道もなき山路にさまよひて」とある。それで諦めて引き返した地点で詠んだ。
 現地で印象は両岸切り立った感じで今はダム湖になったが昔は滝が見えた峡谷そのもの。『日本風景論』6版の表紙に描かれた風景である。烏水も普羅もこだわるわけである。

コメント

_ 川上純子 ― 2015年10月14日 21時30分53秒

野沢凡兆の歌碑「わしのすのくすのかれえにひはいりぬ」がある茂住の学校にいってました。学校の文集のタイトルが「わしのす」でした。凡兆がどんな人だったのかわかってうれしいです。
現在歌碑へは道が崩れて行けず歌碑を見ることができないのは残念です。今日は富山市民大学で、「越中と飛騨の関所跡巡り」で中街道の西茂住へ行ったので凡兆を思い出して検索してみました。

_ 小屋番 ― 2015年10月17日 00時42分51秒

コメントをありがとう!
飛騨は茂住の生まれですか。歌碑ではなくて句碑です。
カテゴリの飛騨の山をクリックすると、茂住の山や、句碑を訪ねた記録が残してあります。またお立ち寄りください。

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