愛知山吟Ⅱ2016年05月24日

   5/14 宇連山
滝を見て滝の高さを越えにけり

大会を目指す生徒や若葉山

   5/15 本宮山
山頂に立つ夏空の中に立つ

   5/22 渥美半島山巡り
整いし三河平野の植田かな

日本のデンマーク今麦の秋(安城市)

常緑の林が嬉し薄暑かな

海風がたえず吹き抜く夏木立

何杯も水飲んで汗かきどおし

湧水に添水仕掛ける里の山

はつなつの岩頭に立ち鳥見かな

海藻を採りているらし夏の浜

釣り人を乗せし小舟や夏の海

沖遠く浮かぶ大船夏の海

十薬の寄り合って咲く白い花

   福江の潮音寺
緑陰に弔問客の集まれり

夏めくや杜国の墓の影はわれ

夏日受く誓子の句碑や潮音寺
    
   アイプラザ豊橋
車中に寝て蚊一つに追われけり

アゲハめく黒地に白の着物着て

うすものを召す歌い手に魅入られぬ

渥美半島山巡り2016年05月23日

              衣笠山
 このところ、好天続きである。5/21(土)も渥美半島に出かけた。衣笠山の三河湾側の白谷(しろや)の林道や旧道を探るためであった。白谷はとても美しい海辺の里です。衣笠山の急斜面ににはりつくような小さな里です。月江寺も美しい名前です。たぶんげっこうじ、と読ませるのでしょう。入り江を照らす月の光は絵になります。
 検索で衣笠山の古い地図がヒット。衣笠山は真北に伸びた尾根の先端に月江寺があり、破線路があった。今はどうなっているのか探ってみた。残念ながら鉱山でずたずたになっていた。次は八柱神社周辺を探ったが尾根はヤブに帰っていた。クルマで林道衣笠線を走ってみた。4m幅の舗装路で快適なドライブができる。216mの北西のところが急にぱっと明るくなった。ここはハンググライダーの離陸地点になっていた。その周囲も見たが山道が通じている様子はないと諦めた。そのまま216mのコブを回り込むと衣笠山からの山道があった。その延長もさぐるが道は見えない。
 藤七原湿原の方向に下ってみた。見覚えがある分岐に来た。かつては未舗装路を登ってここまで歩いた記憶がよみがえる。そこをパス。しばらくで未舗装路を下る。舗装路そのものが新しいのでいずれは舗装されるのだろう。こうして成果もないまま帰名。
 5/22(日)は早起きしてまた渥美半島まで来た。クルマで見ているだけでは何も得られないので藤七原湿原から衣笠山に登ることとした。5時過ぎに出発し、R302、R23、R473、R23の豊橋港ICから県道2を走って約90kmm、6時半に着く。藤七原の湿地帯の遊歩道を歩くと林道に抜けてそのまま歩く。杉の植林が優勢であるがちょっと登った辺りから右は杉の植林、左の山側はウバメガシの大木もある原生林のようだ。クルマで走っていると観察はできないから目に見えるものも見ていない。216mのコブにつながる破線路の尾根に入る。周囲は常緑照葉樹の灌木になっている。密生して暑苦しいが風はよく通る。海側の風が吹き上げるのだろう。幅5mはある切り開きは何のためだろう。216mのピークにはアンテナが立っていた。そのまま下ると林道との接点に着く。再び軽く乗り越すと林道と行き来できる踏み跡もある。反対側を探るとヤブっぽいが良い道が下ってゆく。それを辿れば林道に下るエスケープルートになる。
 ここから衣笠山までは胸突き八丁の言葉を彷彿するような急登になった。ジグザグになっていないしほとんど歩かれていないので踏み跡も薄い。立ち止まっては登る。しかしゆっくり歩くのは良いものである。足元を見つめることになり、山野草が目に付いた。特にカンアオイである。ギフチョウの幼虫はこれを食べて成長するという。今はより大型のモンキアゲハが盛んに乱舞している。渡りで知られるアサギマダラは昨年10月に三ヶ根山で大量の乱舞を見た。アザミの蜜を吸っていた。そのアザミもここに生えている。どうやら海に近い低山は蝶の生息に適した環境なのだろう。
 急登とはいっても278mの低い山である。それほど喘ぐこともなく山頂の一角の平に着いた。すぐに桟敷岩への分岐である。ちょっと寄ってみた。これは西に延びる尾根の肩に当たる部分で岩記号はない。この程度の岩頭はいくらでもあるのがこの山である。
 渥美半島の低山の山道を整備している「たらめ会」はこうした岩場でも何か由来を調べては小まめに命名しているのであろう。楽に登れるせいもあって芸のこまかい活動ぶりに感心する。
 山頂に着いた。以前はここが唯一の目的地であった。三角点のみならず今は面で歩き回っている。そこそこに通過してたらめ会称する殿様新道を下る。このルートも開削したばかりのころは歩きにくい印象があったがよく歩かれて今はしっくりしてきた。アルミ梯子で林道に降り立つ。遠くから竹の音が聞こえる。登る際に見た獅子脅しまたは添水(そうず)ともいう。これは秋の季語になっている。
 そのまま添水のある衣笠線に下る道もあるが、林道を登り返していくとジョギングコースのある広い道に合流する。ここから左折して小衣笠を経て下山した。ここも幅5mはある切り開きを下る。下りきると沢にでる。藤七原へ直接下れず、一旦県道に出て藤七原のPへ歩くことになる。
 低山の割に水の豊かな山だった。藤七原の湿地は衣笠山の地下水が浸みだしてくるのだろう。これをためて水田も成り立つ。滝頭山も水は豊にある。しかし圧倒的に水量が少ない。だから周囲にはため池の記号が点在する。衣笠山の山頂に祀られていた田原神社奥宮は農業神だろう。今の渥美半島の田地田畑を潤すのは豊川用水である。
           大山山系タコウドへ
 さて、もう一座だめ押しで越戸大山山系のタコウドに行くこととした。県道2からR259へ出て石神の信号で左折。和地で右折すると越戸大山が大きくそびえる。遠くからはガスで霞むが近づくと見えてくる。椛のシデコブシへ右折。シデコブシのPに置く。
 地形図の破線路は古いままで、今は鉄塔巡視路が登山道になっている。前に下った鉄塔巡視路の道を登る。最初の鉄塔まではやや急登になる。右に大きく見えるのは物見岩で右が雨乞山になる。目を転じて、左はのろし山である。緩くなった山道を行く。シダ類が瑞瑞しいみどりに映える。高圧電線の下の枝尾根を歩いていた山道は高度を上げて山腹の道になる。いっそう自然が濃くなる気配を感じる。電線は谷を越してのろし山の右手と椛峠の間を越してゆく。谷間は伐採された様子がわかる。
 巡視路から右手へ雨乞山へ分かれる分岐に着いた。これは以前からあったのか記憶がないので登ってみた。急登をしのいでゆくと小さな尾根を乗り越すが地形図では分からない。いくらも歩かずに椛峠からの道と合流した。5/9のレポートに雨乞山への直登路と書いたのは勘違いであった。椛峠まで行かずにここからも行けるよ、という枝道である。
しばらく登ると泉福寺からの道と出会う。更なる急登をゆくと大きな岩が行く手を阻むようにあるが左を巻いてゆく。いくらもしないで稜線に着いた。左は弁当岩を経てタコウドへ。右は雨乞山だ。右に行く。すぐに達磨岩だ。ここに鳥を観察中の人が居た。しばらく歓談。雨乞山を目指すが物見岩が雨乞と思っていたが一段低いピークだった。あそこまで行くともう下りきった方が良い。それに一度は歩いているので引き返す。タコウドは高土(戸)の読みだろうか。樹林に囲まれた三角点があるだけの静かな山頂だった。弁当岩まで戻って周囲を見ると大変に眺めが良い。先の達磨岩も良い。越戸大山を眺める山である。分岐点からは椛峠に下り、シデコブシPまで歩いた。
 帰路はR259からまた県道2を走った。渚ドライブが良いからだ。仁崎まで来ると思わず車を停めた。仁崎の海岸まで歩いて衣笠山を眺めた。前景に仁崎海岸背景に衣笠山が撮影できた。低山ながら素晴らしい構図である。磯には海藻取りがいたし、小舟を浮かべて一人の漁師か趣味の海釣りかは分からないが絵になる。まるで時間が止まったような気分になる。忙しいという字は心を亡くすと書く。この風景を見るとしばし回復する。急がなくてもいいじゃないか。田原市街地から眺める衣笠山も均整がとれていいが、ここからの風景も良い。

現代歯痛地蔵譚2016年05月20日

木曽越峠の歯痛地蔵
 タイトルが硬くなりました。山を歩いていると、古い峠に石の地蔵さんが頬に手を当てて痛がっているのを見ます。それが歯痛地蔵だとか。江戸時代は歯科診療も不十分で旅の途中で痛くなったらたまらんかっただろう。(写真)今は進化したが高齢化で収入も先細りというのに高額の治療費の工面に悩む。いつの時代も悩みが消えることはない。
 自分の不健康の話をちょっと格好を付けてしまいました。先だって、虫歯でブリッジにしていた前歯の土台が折損して、今、治療を始めたところである。幼児から虫歯治療で口腔内環境は最悪になった。治療したところが再発するの繰り返し。高齢に片足を突っ込み、弱者になってゆく自分の将来を思うとしっかりメンテナンスしなきゃ、と思うが・・・。
 ブリッジは生きた歯を土台にするがすっぽりかぶせるから歯間ブラシで毎回掃除がいる。サボると8年でこんなことになる。治療費もセラミックでやると自費になるので高額になり歯だけでなく財布にも痛い。
 そこで今、保険にするか、自費にするか、高額療養費の請求手続きを調査している。自費だと保険がきかず高額療養費の補助もない。将来は年金だけの生活になるのは必至。もうこれを最後にしたいと思うが、歯の健康の維持に秘策などはなく、ただただ、磨くのみという。数冊の歯科関係の書籍にあたるがブラッシングしかない。
 江戸時代はもとより、戦前、戦後と比較しても日進月歩で歯科治療技術は格段に進歩している。そのおかげで高度な治療を受診できるのだが、維持は自分次第というのが悲しいところ。歯にはメンテナンスフリーはないのである。90歳くらいまで生きるかもしれんぞ、と歯と財布のこととを真剣に考えている。

東三河・本宮山に立つ2016年05月15日

 今日も遅れがちの出発になった。右ひざの疼痛が気になるが晴れているので行ってみることにした。
 新東名を走った後で東名を走るとずいぶん路面が荒れていることに気が付く。新東名は滑るように走って行ける。クルマの性能がよくなったみたいだ。東名は凹凸があるわ継ぎ目の音がするしで長年の酷使に耐えてきたんだと思う。
 豊川ICで降りる。R151を走り、北へ向かうと、薄いガスがかかるが、本宮山が立派に見える。砥鹿神社近辺からは三河富士というように左右に均整のとれたいい姿になる。
 そろそろ梅雨の季節に入る頃だ。
 コンビニで買い物をする。レジのシートには合計789円とある。店員に「あれっ、今日は本宮山に来たんだけれどこの数字は標高と同じ」、と言ったら笑っていた。偶然の一致とはこのことだ。但し、登山口まで来るには来たが、Pは満車だった。平日でも登山者の多い山とは聞いていたがこれほどとは。結局、右ひざが悪いことにかこつけて休戦とした。
 そのまま帰るにはもったいないのでスカイラインを経て山頂だけでも踏んで帰ることにした。R151からR301を走ると新東名の下をくぐる。本宮山の山裾をトンネル9箇所が貫通していて、雁峰第一トンネルから観音山トンネルまで1/9から9/9とナンバーが振ってある。一番長いのが本宮山トンネルで2km余りある。信仰の山もズタズタにされた。
 R301からスカイラインに左折すると山上へ登る。こっちの道の方がもっとダメだ。駐車場からは砥鹿神社に行けるが今日はパスして、1等三角点を拝みに行く。頂上にはまだ天測点が設置されていた。奥美濃の大洞山は撤去されたというから貴重な存在である。一等三角点の標石も右書きになり新しく、改理された。標高も古いガイドブックなどは789.2mであるが、0.1mアップして789.3mになった。多くの登山者が続々登ってきた。やはり人気の山である。Pに戻り、くらがり溪谷に下った。こちらも結構な観光客を迎えていた。
 一等三角点の山は信仰の名山であること、展望がいいことから観光開発が盛んである。近年は電波塔も林立する。伊吹山、越戸大山、養老山、御在所山、大台ヶ原山、乗鞍岳、、鉢盛山など人気者ゆえに犠牲も多い。

宇連山を歩く・・・棚山分岐まで2016年05月14日

 もうちょっと眠りたい気を取り直して空を見ると晴れ間が出ている。8時30分とやや出発が遅れたのは昨日までの仕事の疲れか。この時間帯には多くの行楽客もでてくるので名古屋ICまでの道は渋滞している。東名はやや多め。新東名に向かう。今日は岡崎SAに寄ってみた。デパ地下をコンパクトにまとめた感じの御馳走と食品の店で大賑わいである。特に大須から出店した味噌とんかつで有名な矢場トンの店まであるには驚いた。美味しそうな鶏肉の弁当をおごってしまった。
 新城ICまで70kmで1時間もかからない。ICを出て14kmで県民の森に左折する。10時30分の時間帯だからPは80%はマイカーで埋まる。すぐに身支度を整えて出発。
 大津谷川に沿う林道を亀石の滝の終点まで歩いた。県民の森のセンターは標高130m位あり、終点で200m弱。約50分かかったが、比高で70mしか稼いでいない。そこから亀石の滝を右手に仰ぎながら急な道を登る。尾根上に着くが32mという滝の高さ以上に登るから尾根も急登を強いられる。すぐに滝尾根展望台という東屋に着いた。ここは標高340mくらい。比高150mほど高さを稼いで、軽く汗をかいた体に涼しい風が吹く。ここまで上がると桧の若い植林地になった。林床にはシダが萌えるように伸びる。若い緑が美しい。植林が密植状態となって薄暗い感じの道を登る。枝尾根の道は谷に急峻に落ち込むから急になるのが常だ。北尾根分岐を過ぎて休みたくなるころ、西尾根との滝尾根分岐に着いた。標高640mの分岐は休み場にいい広さがある。
 西尾根と言っても県民の森を中心に名づけてあるから宇連山を中心に言えば南東尾根と言うべし。
 空気は乾燥しているせいか、喉が渇くので清涼飲料水をがぶ飲みする。たちまち半分を飲み干した。昼食時だが空腹感はない。それでも腹に何か詰めておきたいと、餡入りフレンチトーストを半分だけ頬張る。違和感なく食べられるから空腹なのであろう。GW以降、2週間で軽い山ではあるが6座も稼いだから腹筋がしまり、空腹を感じにくくなった。もっと汗を流すようになれば減量につながると期待する。新年会の鯨飲馬食で堕落した生活を立て直すには登山はいいスポーツである。例年ならば山スキーで体を絞るのだが雪不足で不発に終わり今に引きずっている。 
 さて、15分で北尾根分岐(744m)に着く。若者パーティが楽しそうに談笑している。大きなザックを背負うからトレーニングだろうか。左に視界が開け、前方に吊り尾根の両端にピークが見えてきた。左は829mの独立標高点で、棚山につながる尾根の中間点である。やや痩せた尾根を登ると上から続々下山してきた。朝早く登った人らは12時前後には登頂し、山頂で展望と食事をして降りてくる頃であろう。
 やがて整備された植林が目の前に見えると棚山分岐(850m)に着く。ここは道標はないが良い道が左(西)へ下ってゆく。4/29はここまで来て、下ったものの記憶があいまいで道標があったはず、と不安を覚えまた引き返したところだ。ここから山頂へはすぐだが、目的はここまでなので小休止の後北尾根分岐まで引き返した。
 分岐では北尾根に下った。滝尾根と同様に急峻な尾根を下る。アップダウンはほとんどない。ホソバシャクナゲの残り花を楽しむ。その故か花盗人に盗掘されやすい花と聞く。上品なピンク色の花が何ともいえない。途中で大きなザックを背負った若いパーティとすれ違った。さっきも見たので聞くと名古屋市の向陽高校という。知己のS先生が勤務していた学校だが3年前に退職された。今日はインターハイのトレーニングとか。朝見たパーティもその目的か。
 東西と南へ案内する道標が立つ大幸田峠(480m)に着いた。小さな峠である。車道へ30分の表示がある。
 東への道は600mのピークを越えて、南下する。また東へ振りながら南へ400m級のピークをアップダウンしながら県民の森の建屋へ下る。東側は鳳来湖なので見下ろせる箇所もあるだろう。1度は歩いて見たい。
 結局、車道へ下った。亀石の滝へ10分の印があるので下流へ下ったわけだ。朝は犬を連れたハイカーもいたが、今は静かな溪谷の道になった。15時30分を大きく回ったので、15時までという入浴時刻には間に合わなかった。マイカーは数少なくなっていた。
 R151へ出て新城ICから帰名。湯谷温泉の湯う湯うアリーナは満車だったのでパスした。岡崎SAに又寄ってしまった。三河山中に突然現れたミニデパ地下は朝よりも更にお客でごった返していた。美味しそうな高額の食品売り場で行列をつくるほどである。駐車場は満杯だ。やっぱり不況なんかじゃない。恐慌やデフレならば消費はガクンと落ちる。楽しいことや珍しいことにはお金を使う。成熟した社会(経済成長が鈍化したか低下傾向)の1つの現象なんだと思う。

愛知山吟2016年05月13日

衣笠山のモンキアゲハ
  4/29 宇連山
目覚ましの後一と眠り朝寝かな

山椒の芽採りつつ下る尾根の道

三椏の花群れ咲きし尾根の道

昭和の日分けてくれけり夏みかん

三河なる桜並木は水田べり

  4/30 天狗棚と1200高地
さえずりやぶなの高木仰ぐべし

青き踏む面の木峠園地かな

コンニャクを買ふ道の駅四月尽

  5/1 棚山
春更けて森のせせらぎ道を行く

石楠花のよくぞ残され咲きにけり

  5/5 立夏
山行けば血行盛ん夏の初め

  5/8 渥美半島の山駈け
しばらくは乱舞に見とれ夏の蝶(衣笠山)

ウバメガシただそれだけの夏木立(滝頭山)

滝こそは不動を祀るご神体

杉林埋め尽くすごと羊歯萌ゆる(大山)

老鶯の下手さ加減や里の山

東三河・衣笠山から滝頭山を歩く2016年05月09日

 今日は渥美半島の山をダブルヘッダーで歩く予定だ。前半は首尾よく終わり、後半は衣笠山から滝頭山を歩くために田原市に向かう。
 大山トンネル北口は11時30分に出発。R259へ戻り、馬草から県道2号に左折。この道路は初めてであるが、三河湾の渚に沿うドライブウェイである。地形図「野田」はこの界隈の地名であった。仁崎町から海を絡めて衣笠山が均整のとれたコニーデ型の山容で迫る。
 白谷の交差点で右折、更に滝頭公園への交差点を直進すると公園のPに着く。12時30分に出発。登山口まで徒歩7分ほど車道を戻る。道標に導かれて薄暗い照葉樹の林の中の遊歩道を登る。階段道が辛いので脇を登る。ジグザグを切りながら高みを目指す。松尾岩を通過すると山道はますます急になった。地形図の等高線はほぼ同じに見えるが、上になるほどジグザグを切れなくなり直登になるからだ。
 右からくる殿様云々のルートと合流すると山頂はすぐだ。山頂も樹林におおわれているが、大山と同じサイズの展望台が建っていた。あいにく霧が薄くただようのですっきりしない。蔵王山や三河湾の俯瞰はできるのがせめてもの慰めだ。木立の中の三角点を確認。おにぎりを1個食べる。暑いのでお茶の方が美味しいくらいだ。
 山頂を辞して白谷林道と桟敷岩の道標の方へ行ってみる。すぐに分岐になる。白谷林道は山の北へ下りてしまうので左の桟敷岩を巡る。岩に立つと三河湾が俯瞰できた。下りは桟敷岩の付け根を左へ回り込みながらいい道が下ってゆく。途中で衣笠山への直登路と合流する。すぐに車道のような道に合流。仁崎峠に導かれる。峠へも二岐があり、一方は急坂、左はなだらかな道とあり、もちろん左を選ぶ。
 峠からは滝頭山を目指した。植生は照葉樹ながらも樹高が高い。そのためか少し明るい感じがする。衣笠山は細幹の灌木類が密生して風も通らないのに滝頭への道はやや明るい。
 その違いは衣笠山に松尾岩の地名があるように、一度燃料確保のために皆伐されたと想像する。ウバメガシは紀州備長炭で知られるようにいい炭の原料になる。ところどころ松の古木が残っていたのは地味が痩せると松しか生えないからだ。話は飛ぶが、戦中は石油も輸入ができないから身近な燃料の木炭はいい値で売れた。戦後すぐの写真があれば見たいものである。おそらく兀山だったに違いない。
 滝頭山へは急登で喘がされた。こんなにもきつかったかなと思う。今はここにもフィックスロープがある。頂上は樹木に囲まれて衣笠山が少し見えるにとどまる。道標は藤尾山へ向かうものと滝頭不動へ下るものと分かれる。左へ下る。恐竜の背という岩場を経る。そこに寄るが足場はあるが樹木の密生で下が見えにくく、迂回路の分岐に戻って下った。滝不動までは急降下する。やがて立派な神社があり石段を下ると滝頭公園の奥に立つ。車道を下れば駐車場までは10分。2時間ほどのハイキングだった。
 公園からR259へ、久々に豊橋市街に行く。目指すは松葉公園。登山用具店「モンタニア」さんだ。記憶を頼りに行くがなかった。近所の老婦人に聞くとあそこ、と立派なビルを指差して教えてくれた。
 40年前の20歳代半ば、初めてこの店でニッカーズボンなどを買った。腰回りがだぶだぶなのでぴったりするサイズをいうと、主人はそのうち体の方が合ってくるというのだ。疑心暗鬼で購入したがなるほどウェストは68センチから80センチを越えた30歳を過ぎても愛用していた。10年は使えた。こんな細々したことを覚えているのも大金をはたいたからだ。
 間口の狭い店から立派なビルを建てるまでに発展していた。代替わりして今は息子さん夫婦で切り盛りしている。私の山暦のこの40年で名古屋でも一貫して発展した店は「駅前アルプス」だけだ。身の丈にあった規模の店に変わりながら広げてきた。サンコージツは一旦撤退後、好日山荘になり、IBS石井スポーツは休業期間を経て再開、いくつもの登山用具店が生まれては廃業してく消長を見てきた。東三河の中心の地方都市とはいえ暖簾を守るのは大変なことだっただろう。
 『本宮山』はありますかと用件を告げると在庫を出してくれた。駅前の精文館にも寄り山書を物色するが購入する本はない。帰路はR23を経た。右手の大きな山は本宮山だった。

東三河・越戸大山を歩く2016年05月09日

 5/5は大渋滞を予測できず、田原市内で昼過ぎになり、山に登るモチベーションがなくなった。それで写真撮影のみで帰名したのである。今日は気合を入れて朝6時に出発した。東名は込まないが、一般道に出てから混むので早朝の走行しかない。
 自宅からR302、R23に入ると高速道路なみに走れる。この道路は豊田市、刈谷市、田原市のトヨタの工場群と下請け企業を結ぶ産業道路だから休日は空いている。連休の最後とあって家族ドライブも少なくなったようだ。1時間ほどで豊橋市に着いた。
 天気は今日もゼロ%であるが、田原市に来ると半島の先が霞んでいる。太平洋側から海霧が流れているようだ。また悪い予感がしてきた。近づけば薄い霧が流れている。それでも上空は青空であるから、朝霧は女の腕まくりという天気の俚諺を思い出して、気を取り直す。登山口には8時に着いた。
 大山トンネル北口に登山口があり、Pも以前と変わりない。まだ誰も居ない。支度を整えて出発だ。登山口の目印から山側に沿った古い林道の廃道に入る。道は雨で荒れている。右に沢の音を聞くようになると細い山道になる。杉の植林であるが、林床にはシダ類がびっしり生えて、西南日本の植生を思わせる。傾斜が強くなると水音もはっきりしてくる。本流は右に分かれ、枝沢はもうお湿り程度しかない。この分かれ際に何とフィックスロープが張ってあった。ここからは大山と椛峠(なぐさ)を結ぶ稜線まで喘登を強いられる。
 夢中で上り詰めた稜線の植生もいつしか照葉樹に変わっている。ウバメガシに代表される西南日本の樹種である。樹高は高くないが、多分、原生林であろう。分岐からも急登は続くが広いので歩きやすい。小さな岩の突起に名前を付けて展望台になっている。すぐに小広い平地に着いた。昔のヘリポート跡地だろう。左から大山神社の参道が登ってくる。山頂はすぐ先にある。一等三角点本点である。
 かつて、柳田國男が旧姓の松岡國男だった頃、この山に登ったことを「遊海東記」に書いている。
 以前は通信施設の向こう側に行けば好展望が得られたが、今は、防護ネットで行けず、その代わりに鉄骨の展望台が建っていた。2011年3月に建ったらしい。標高も古い地形図では327.9mであるが、国地院のHPには328.0mとあり0.1mアップしている。あの自衛隊ヘリ離着陸問題の時も反対運動が盛り上がり中止になった。わずかな期間に小さな変化はあったのである。
 そのうち、4人パーティーが登ってきた。聞くと大山神社からで35分かかったとのこと。懐かしい三河弁の会話についつい話の輪に入った。やはり豊橋の人らだった。会話の中身や所作が初心者とかハイカーではないので、どちらからともなく、山岳会を名乗る。東三河山歩会と知って、三ッ瀬明神山の尾根や谷のルート16本を踏査した地域研究書『私たちの明神山』の本の件になる。その本買いましたよ、と急に話が弾んだ。
 その後、『東三河の山』、『本宮山』も出たとのこと。『本宮山』はまだ豊橋市内の山用具店「モンタニア」に在庫があるとのことだった。HPからも買えるらしいが、折角なので、帰名のついでに「モンタニア」に寄り道することとした。
 次は雨乞山へ向かうというので、椛峠まで同行することとした。山頂からは一気に下る。ところどころの突起した岩場で眺めを楽しむ。狼煙山で彼らは昼食タイムになったので、そこで分かれた。およそ山中にふさわしくない鉄塔に出会うと椛峠はすぐだった。約15分でシデコブシの自生地に着いた。
 途中で雨乞山に直登する登山路があった。これも以前には無かった。椛峠からも踏み跡は登っていたが、雨乞山に登った後で、どうするか。以前は148m三角点を経て用水路施設付近に下り車道を歩いて大山トンネル北口まで戻った。この新ルートを下りに使えば椛のシデコブシ自生地に下り、徒歩15分で北口に戻れる。

山元 誠「カンチェンジュンガ」鑑賞2016年05月07日

 山元誠氏は富山県出身、群馬県在住の俳人。このほど届いた俳句雑誌「辛夷」に寄せられた特別作品「カンチェンジュンガ」の30句から琴線に触れる作品を鑑賞した。

冬霞忽然とダージリンの街

・・・未知の土地へのわくわく感があふれる。期待感を冬霞の季語に隠す。ダージリンはネパールとブータンに挟まれたインド北部の街。お茶の産地として知られる。時々、ダージリンティーを飲むことがある。ヒマラヤ山脈の景観とトイトレインが有名。
http://dlift.jp/photo/photoDisplayWorldHeritage49

湯たんぽに立山ヶ根のことを思いけり

・・・作者は立山山麓の産。今でも寒い地方では湯たんぽを使う。私も冬の七面山に登り、敬神院に泊まった際に宛がわれた。起きてからはこれで顔を洗う。山岳宗教に縁が深いもののように思う。

神々の山嶺仰ぐ大旦

・・・ヒマラヤ山脈を神々の座と表現するようになった。

初日浴ぶカンチェンジュンガ朱を極め

・・・深田久弥『ヒマラヤ登攀史』(岩波新書)によると、世界第三位の標高を誇るカンチェンジュンガが古くから有名になったのは人間の住む所から一番近くに聳えていたからという。直線距離にして50kmほど。未明のタイガー・ヒルに登り、空高くバラ色に輝く荘厳なカンチェンジュンガの威容に接する、という。異国の丘からの初日の出というところに手柄がある。

玲瓏と雪嶺ヒマラヤ天に立つ

・・・玲瓏=美しく照り輝くさま。余計な説明は無用。

遙かなるマカルー・ローツェ初日浴ぶ

・・・日本山岳会東海支部に縁のある8000mのジャイアンツが2座も詠まれている。海外詠でしかも山岳俳句としてスケールが断トツに大きい。
 1970年のマカルー東南稜から初登攀は『遙かなる未踏の尾根MAKALU1970』にまとめられた。2006年に田辺治らがローツェ南壁の冬季初登攀を果たす。田辺はヒマラヤに通う理由をただ美しいから、と答え、今はダウラギリの雪の中に眠る。
 ダウラギリといえば、友人の故角谷柳雪の俳句を思い出した。所属雑誌「獺祭」の巻頭を飾った山岳俳句である。
  オリオンの盾ゆるぎなしダウラギリ   柳雪 

寒昴天に聳ゆる十四座

・・・ヒマラヤ十四座のことである。
1 エベレスト
2 K2
3 カンチェンジュンガ
4 ローツェ
5 マカルー
6 チョ・オユー
7 ダウラギリⅠ峰
8 マナスル
9 ナンガ・パルバット
10 アンナプルナⅠ峰
11 ガッシャブルムⅠ峰
12 ブロード・ピーク
13 ガッシャブルムⅡ峰
14 シシャパンマ

宙に浮くカンチェンジュンガ星冴ゆる

・・・ちゅうに浮く、ではなく、大空(そら)に浮くの意。カンチとタイガーヒルの距離は約50kmある。富山県の呉羽山145mの1等三角点と立山(雄山)3015mの1等三角点は40km間隔。仰角の比較では立山呉羽山間の方が大きい。但し、インド奥地の更に奥に聳えるので大空に浮くという表現になるのだろう。

西三河・六所山から焙烙山往復2016年05月04日

 今日も好天が期待できる。体はやや重い感じがするが疲労というほどではない。8時30分に豊田市松平町に向かって出発する。平針からR153に右折。そのまま豊田市まで走るとR301に直進。松平ICを通過。徳川家発祥の地に着く。松平東照宮のPは閑散としている。約30kmほどだが1時間30分かかり、10時に出発だ。
 六所山への登山口を緩く登り始める。徳川家の始祖とされる松平親氏の巨像を左に見てゆっくり登る。林道に出会い、直進する。すぐにコンクリート製の展望台に着くがパス。5分ほどで峠道と山道に分岐するが左の山道に入り、浅い谷の急な踏み跡を登る。しばらくは急登に耐えながら登ると風の通る尾根に着く。ちょっと一服。小さなコブを乗り越えて歩いてゆくと表参道の山道と交差する。そこは峠になっている。少し下って登り返すと六所神社の鳥居が立つ。山全体が原生林に覆われたご神体であろうが、境内に入って参拝。健康第一、商売繁盛、家内安全、登山の安全その他諸々。神社の右に道が続いている。三叉路について左折するとすぐに611mの山頂に着いた。何もない。かつては展望台があったが今は撤去された。代わって見晴台があるというので行ってみたが、高圧電線の鉄塔だった。ベンチもなく、ただ眺めがいいだけであるので、山頂へ戻る。きつねコースを下って、野外センターの近くへくだった。尾根を右に回り込むと焙烙山への道標があった。林道をひたすら歩くとうさぎコースの登山口に着くが、六所山に戻るので直進。県道に出て左折。焙烙山への車道の入り口に着いた。車道歩きに飽きるころ、近道があったので登ってみた。高齢の女性が「ここは焙烙山へ行けるのか」と声をかけてきた。行けるはずというと付いて来た。近道は結構な急な山道で沢沿いに登った。水の豊富な山だ。450mほどの歩きで登山口に着いた。車道歩きよりは早いし山の中が良い。
 登山口から3本あるコースのうち、左のコースに振った。尾根に着くと風が心地よい。しばらくで高圧電線の鉄塔に着き、もう一つのコースと合流した。豊田市の市街地の眺めがよい。
 植林もなくなり、新緑の雑木林に入ると山頂はすぐだった。683.6mの三等三角点が埋まる。豊田市の市域が広がる2005年4月1日までは市内最高峰であったが、今はその地位を稲武町の天狗棚に奪われた。
 展望塔に登ったが今日はもう曇っているのですぐ降りた。女性も追いついてきた。しばらくすると若い男性も登ってきた。GWというのに静かな山である。
 下山は左の広めの山道を下った。元の登山口に着いた。そこからは近道を下る。県道を左折し、うさぎコースの入り口を左折。これは六所神社への直行する道である。神社で一休み後、表参道を下る。樹齢の古そうな大杉が何本もあり、いかにも神域を想う。六所苑の建物が見えると車道になる。振り返ると六所山の頂上が頭を出していた。車道はすぐに左折する。そのまま若干のアップダウンをやり過ごすと朝の松平東照宮へ行く道にであう。