熟睡 ― 2026年01月22日
処方された薬のお陰だろうか、今日は昼前までぐっすり眠れた。朝食は取れなかったが昼飯は小松菜入りの味噌汁にお餅2個いれて炭水化物もとった。なにしろ咳が激しいので体力の消耗もある。卵焼きも追加して栄養をとった。
クリニックへ ― 2026年01月21日
風邪の咳と鼻水が酷いのでついに近くの内科医に行った。熱がある人は前もって申告せよという。窓口で申告すると隔離部屋に通された。そこで待つこと何分か、医師が携帯電話にかけて問診された。次は看護士が鼻孔に綿棒を当てて何やら検査して行った。ようやく医師の診察。検査ではインフルではないとの診断だった。激しい咳と鼻水を訴えた。対応する薬を処方してもらった。
昼は買い置きの弁当を食べた。食後に早速服用した。夜になって自炊で蕎麦を食った。服用する。寝床に就いても咳は若干は治まった気がする。鼻水は激減した。たぶん薬が効き始めたのだろう。
昼は買い置きの弁当を食べた。食後に早速服用した。夜になって自炊で蕎麦を食った。服用する。寝床に就いても咳は若干は治まった気がする。鼻水は激減した。たぶん薬が効き始めたのだろう。
買い物 ― 2026年01月20日
終日激しい咳と鼻水に悩まされる。1/24にはミニハイキングと暖房の無い部屋での勤行に参加する予定もある。健康回復に取り組む。
先ずは買い物で鰻弁当1200円を買った。野菜を買い足した。葉物青野菜は白菜の4分の1、小松菜、根菜はジャガイモ、ニンニク、ショウガなど。鶏肉で鶏鍋も作る。
先ずは買い物で鰻弁当1200円を買った。野菜を買い足した。葉物青野菜は白菜の4分の1、小松菜、根菜はジャガイモ、ニンニク、ショウガなど。鶏肉で鶏鍋も作る。
リンゴの擂りおろし ― 2026年01月19日
昨日から咳が止まらない。特に就寝中は眠れないので一計を案じた。買い置きのりんごの擂りおろしである。まず半分に切って更に半分に切って擂る。これをゆっくり噛んで唾に混ぜて飲んだ。するとあら不思議、咳が治まってゆくではないか。
もう一つは頻尿対策でドラッグで買ったホッカイロが就寝時は使うな、と注意喚起があった。低温やけどだろう。仕方がないのでバスタオルを二つ折りにして腰の周りに巻いてトレパンのゴムで固定して寝た。これも良く効いて一度もトイレに起きることが無かった。
何でもっと早く気が付かなかったのか。
朝からよく晴れたので10時から14時頃まで布団や毛布を外に干した。効果のほどは分からないが咳の原因はハウスダストにあるらしい。寝室を清潔環境に整えることも重要なポイントらしい。
もう一つは頻尿対策でドラッグで買ったホッカイロが就寝時は使うな、と注意喚起があった。低温やけどだろう。仕方がないのでバスタオルを二つ折りにして腰の周りに巻いてトレパンのゴムで固定して寝た。これも良く効いて一度もトイレに起きることが無かった。
何でもっと早く気が付かなかったのか。
朝からよく晴れたので10時から14時頃まで布団や毛布を外に干した。効果のほどは分からないが咳の原因はハウスダストにあるらしい。寝室を清潔環境に整えることも重要なポイントらしい。
磯谷栄一著『消えゆく松平往還を歩く』を入手 ― 2026年01月18日
元旦には名古屋市から鶴舞線・豊田線豊田市駅経由おいでんバスで松平郷へ。そこから岡崎城までウォーキング。中岡崎駅から愛環で帰名の予定。ところが思わぬ風邪でダウン。
5日に親戚の親子を連れて村積山ハイキング。あいにく奥殿陣屋はまだ休業。メールで本の在庫の有無を確認してあったので18日に書院を訪ねて磯谷栄一氏の労作である『消えゆく松平往還を歩く』を入手。その後渡通津町から滝山寺をドライブで偵察しました。
当初は大給城址、岩津城址、信光明寺を絡めて歩く予定でしたが松平往還の方が山岳古道の趣きがある。
さて何時歩こうか。
5日に親戚の親子を連れて村積山ハイキング。あいにく奥殿陣屋はまだ休業。メールで本の在庫の有無を確認してあったので18日に書院を訪ねて磯谷栄一氏の労作である『消えゆく松平往還を歩く』を入手。その後渡通津町から滝山寺をドライブで偵察しました。
当初は大給城址、岩津城址、信光明寺を絡めて歩く予定でしたが松平往還の方が山岳古道の趣きがある。
さて何時歩こうか。
山岳会の新年会 ― 2026年01月17日
12時半から受付開始。13時から13時40分までは海外遠征の報告。13時50分から16時30分までは稲熊隆之氏の気象遭難を予防するための講演会が行われた。中途で休憩をはさみながらの長い講義になった。気象だけは訓練ができないから学ぶことと経験を重ねるしかない。
話には出なかったが、例えば豪雪と寡雪は20年サイクルで来る。豪雪は登山者を確実に判断を誤らせる。38豪雪はその典型で愛知大生の薬師遭難では13人が命を絶った。
気象遭難は大抵は東京大阪名古屋の大都会の登山者が多い。ふだん便利な社会で暮らしていると気象変化に疎くなるのだ。関西学院大ワンゲル部の学生らが大長山で豪雪によりテントがつぶれるトラブルがあった。救助要請をしたが監督はそんな低い山でテントがつぶれるほど降るわけがないと高をくくっていた。東京のプロガイドが飛騨市山乃村から入山して北俣岳に向かったがこれも豪雪で下山できなくなって救助要請している。富山の文登研では豪雪の年に大日岳の雪庇に乗って崩落し、死亡事故があった。これなど多人数がのれば崩落するのは当然だが注意喚起を欠いた。那須連峰の雪崩事故も南面を夜が明けてから登攀中に雪崩れた。3月ということでブロック雪崩だろうか。
太陽は東から昇る。昇ると同時に高い所から気温が上昇する。夜が明けてから明るくなってから出発すると上部の凍結していた雪の塊も落ちて来る。雪庇も崩壊し易くなる。この原則を守れるか否か。知己はこれで4人が死んだ。ことおごとく運といえばそうかも知れない。
その後はシルクロードに会場を移して懇親会となった。こんな機会でもないと会えない人に会えるので毎回出席している。
話には出なかったが、例えば豪雪と寡雪は20年サイクルで来る。豪雪は登山者を確実に判断を誤らせる。38豪雪はその典型で愛知大生の薬師遭難では13人が命を絶った。
気象遭難は大抵は東京大阪名古屋の大都会の登山者が多い。ふだん便利な社会で暮らしていると気象変化に疎くなるのだ。関西学院大ワンゲル部の学生らが大長山で豪雪によりテントがつぶれるトラブルがあった。救助要請をしたが監督はそんな低い山でテントがつぶれるほど降るわけがないと高をくくっていた。東京のプロガイドが飛騨市山乃村から入山して北俣岳に向かったがこれも豪雪で下山できなくなって救助要請している。富山の文登研では豪雪の年に大日岳の雪庇に乗って崩落し、死亡事故があった。これなど多人数がのれば崩落するのは当然だが注意喚起を欠いた。那須連峰の雪崩事故も南面を夜が明けてから登攀中に雪崩れた。3月ということでブロック雪崩だろうか。
太陽は東から昇る。昇ると同時に高い所から気温が上昇する。夜が明けてから明るくなってから出発すると上部の凍結していた雪の塊も落ちて来る。雪庇も崩壊し易くなる。この原則を守れるか否か。知己はこれで4人が死んだ。ことおごとく運といえばそうかも知れない。
その後はシルクロードに会場を移して懇親会となった。こんな機会でもないと会えない人に会えるので毎回出席している。
原稿入力 ― 2026年01月16日
山岳会支部報の原稿の大枠をまとめた。後は新年会で親しかった人に人となりを取材して補充すればいいだろう。
伊那街道の歩き方 ― 2026年01月15日
年末に駆け込むように登った鞍掛山では多くのヒントが得られた。道の駅したらのPを拠点にして、まずは田口に向かって新しい伊那街道を歩いて登る。石畳もあるらしいので発見があると思う。田口からは荒尾、塩津に下って、小代、かしやげ峠、大代、四谷に下る。そこから216mポイントに下れば与良木峠へ登り返すだけだ。比高170m位なので大したギャップではない。峠を越えたら道の駅したらは近い。これで新旧の伊那街道を踏破できる。
残雪や曽って一揆のありし村 (貫野 浩) ― 2026年01月14日
郡上八幡観光協会 Gujo Hachiman Tourism AssociationのFBから
本文
雲間から差す日の光は、
郡上八幡城(岐阜県)の天守閣や
木々の枝の雪を垂(しず)るものの、
白山へとつづく山のうねりは、
まだ白銀(しろがね)に輝いています。
自分のコメント
郡上市は白山文化の里。白鳥町の白尾山は白山の尾に当たるから白尾山と言う、と白鳥町史にあった。以南も山続きで郡上八幡に至る。
籠訴をしたために獄門晒し首になった一揆の首謀者の実家を訪ねた。大日ヶ岳山麓だった。当家は北海道へ移住されたが墓を拝んで来た。
冒頭の句はそういう歴史を知るものには感慨深い。ああそうなの、と読み流せない。東殿山の登山口付近、タラガ峠への途次にも一揆の記憶を忘れまいと石碑が建っていた。
本文
雲間から差す日の光は、
郡上八幡城(岐阜県)の天守閣や
木々の枝の雪を垂(しず)るものの、
白山へとつづく山のうねりは、
まだ白銀(しろがね)に輝いています。
自分のコメント
郡上市は白山文化の里。白鳥町の白尾山は白山の尾に当たるから白尾山と言う、と白鳥町史にあった。以南も山続きで郡上八幡に至る。
籠訴をしたために獄門晒し首になった一揆の首謀者の実家を訪ねた。大日ヶ岳山麓だった。当家は北海道へ移住されたが墓を拝んで来た。
冒頭の句はそういう歴史を知るものには感慨深い。ああそうなの、と読み流せない。東殿山の登山口付近、タラガ峠への途次にも一揆の記憶を忘れまいと石碑が建っていた。
新年会ダブルで出席 ― 2026年01月13日
朝早く7時過ぎに名古屋都ホテルに向かう。ところが1/11の山行で積もった車のフロントと屋根の雪が解けていなかった。汚れ落とし様の水で雪を解かした。ヒーターの熱では水温が上昇するまで解けない。視野だけ確保して出発した。
R153の八事の坂は常に渋滞するが、今朝も遅々として進まない。何時もなら後列に従うが8時前に着きたいので右に左に車線を変えて進む。吹上まで来ると暖まるにつれてフロントガラスにどさっと落ちて来た。急ぎたいのに下車して雪を下ろした。会場のホテルには7時45分に入れた。
今日はクラブ愛知の恒例の行事である七草がゆを食べる会の日。ホテルの料理で食う七草粥はひと味違う。
しばらくするとゲストスピーカーの愛知大学国際中国学研究センター(ICCS)所長李春利氏の講演が始まった。講演テーマ 愛大名古屋図書館「エズラ・F・ヴォーゲル文庫」誕生-故ハーバード大学名誉教授の蔵書3000冊余り寄贈、創立80周年への贈り物-。
エズラ・ヴォ―ゲルといえば1979年の日本研究書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が有名だ。日中関係史で業績を残したアメリカの学者である。この人は故人になったが縁あって愛知大の図書館に蔵書が寄贈されたという話。ハーバード大学では教鞭をとっていて、現在の林芳正総務大臣、茂木敏充外務大臣、小林鷹之衆院議員などは教え子だという。一冊くらいは読んでおきたい。
いったん自宅に戻った。雑務を片付けて午後3時から地下鉄で出直す。今度は金山駅前のクラウンコートホテルで業界団体の賀詞交換会に出席。今年は75周年記念と華々しく銘打ってある。会員総数3900名のうち、約700名が出席したらしい。会長、東京からの日行連会長、政連会長、政治家などの来賓が延々ご挨拶の後に宴会。入り乱れての賀詞交歓会となった。旧知の人は年々減っていくのは加齢したからでもある。開業以来15周年。生き残るために決断の年でもある。
R153の八事の坂は常に渋滞するが、今朝も遅々として進まない。何時もなら後列に従うが8時前に着きたいので右に左に車線を変えて進む。吹上まで来ると暖まるにつれてフロントガラスにどさっと落ちて来た。急ぎたいのに下車して雪を下ろした。会場のホテルには7時45分に入れた。
今日はクラブ愛知の恒例の行事である七草がゆを食べる会の日。ホテルの料理で食う七草粥はひと味違う。
しばらくするとゲストスピーカーの愛知大学国際中国学研究センター(ICCS)所長李春利氏の講演が始まった。講演テーマ 愛大名古屋図書館「エズラ・F・ヴォーゲル文庫」誕生-故ハーバード大学名誉教授の蔵書3000冊余り寄贈、創立80周年への贈り物-。
エズラ・ヴォ―ゲルといえば1979年の日本研究書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が有名だ。日中関係史で業績を残したアメリカの学者である。この人は故人になったが縁あって愛知大の図書館に蔵書が寄贈されたという話。ハーバード大学では教鞭をとっていて、現在の林芳正総務大臣、茂木敏充外務大臣、小林鷹之衆院議員などは教え子だという。一冊くらいは読んでおきたい。
いったん自宅に戻った。雑務を片付けて午後3時から地下鉄で出直す。今度は金山駅前のクラウンコートホテルで業界団体の賀詞交換会に出席。今年は75周年記念と華々しく銘打ってある。会員総数3900名のうち、約700名が出席したらしい。会長、東京からの日行連会長、政連会長、政治家などの来賓が延々ご挨拶の後に宴会。入り乱れての賀詞交歓会となった。旧知の人は年々減っていくのは加齢したからでもある。開業以来15周年。生き残るために決断の年でもある。
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