奥三河・須山御岳山2017年08月19日

山頂の石碑群
 朝起きると久々に天気がいい。デゴランドへポタリングに行こう、と地図を用意しておいたが、気になっていた宇連山の撮影に出かけた。
 須山の場所はかつては鳳来町と呼び、今は新城市になった海老。海老の下町から海老川を渡り、山間部へ走る。二股で右へ行くと須山である。村落の手前に須山御岳山の立派な石碑が建立されている。
 9時10分、手前にマイカーを置き、鉄線の網で囲まれた山中へ登り、簡単なカギを開けてネットの中へ入る。下草が生え、低灌木で緑っぽいので鬱蒼としている。植林の山だが落ち着いた感じがする。やがて山猿の声が聞こえる。集団で山道の前方に見える。警戒心の心を表す短い声は彼らのテリトリーに入ったからだろう。
 そこは役の行者様が祀ってあったが、飛ばして進むと山道の傾斜が急になった。爪先上がりで登ると多数の石碑の建つ山頂の一角に着いた。ほぼ12分くらいか。さらに左手に薄い踏み跡を踏みしめて登ると489.6mの4等三角点のある山頂だった。山頂にも御岳信仰、八海山神社、風神社、天照皇大神、三笠山神社、の文字が彫られた石碑が建っていた。
 山頂からの眺望も良い。すぐ近くに鞍掛山と前景の四谷千枚田が見下ろせる。宇連山の山並遥かと言う感じでそびえる。落葉期ならばもっと鮮明だろう。ネットで知った岩場にも下ってみた。かなり急な尾根を南下20分で着く。ここからの方が鞍掛山も宇連山もすっきりと見渡せる。これで満足と時計をみると10時10分だ。登山口からまだ1時間しか経過していないのだが、山頂へ戻り一服する。暑くてボトルの冷茶を飲み干した。下山して、役の行者にも寄った。古い石像が壊れたので平成になって新しく造られた。登山口へ戻ると11時10分だった。2時間ほどの霊峰散歩だった。
 須山の里にも寄った。狭い盆地状の地形ながら米がとれたのだ。周囲の山から湧水があり、水田耕作ができるのだ。洲は「どろや砂が堆積(たいせき)して水面に現れ出た土地」の意味で須は当て字だろう。
 いわゆる中山間地といわれる地形と思う。狭いながらも水田を耕作して命をつないで来れた。それがこの信仰の篤さに現れる。

南区の牛毛神社へポタリング2017年08月18日

 昨夜は暑くはないがむしむしとした感じでエアコンをつけて寝た。寝汗をかかないので快適だが体の代謝は止まったままだ。どれひと汗かくか、と西の空を見ると曇っていて今にも一降り来そうな空模様である。
 昨日はいざ出発と言う段になって前輪がパンクして、修理に行けたのは午後遅くになってからだ。パンパンに空気圧を高めてもらったのでよく跳ねるが、植田川と天白川の出合からスタートする。川には珍しく釣り人が立ちこんでいた。
 河川敷のサイクリングロードは風を切って気持ちよく走る。堤防上に上がったり下りたりして、名鉄名古屋本線を迂回して、R1号の大慶橋も迂回する。ここからはサイクリングロード専用ではなく、自動車との併用である。新幹線の橋にぶつかると牛毛神社に着いた。約7.7kmの道程である。
 いつもは新幹線橋の下をくぐるが今日は天候不順もありここで打ち止めだ。気になっていた神社でもあった。
 ググると名古屋市南区のHPには以下に紹介されている。
 「牛毛神社

 牛毛は、本地(ほんじ)、南野(みなみの)、荒井(あらい)などとともに、天白川の砂州が発達し、その上にできた集落です。

 神社は堤防上にあり、創建は太閤検地(1582年から95年)より以前と推定されます。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)です。境内には、明和6年(1769年)に奉納された手洗い鉢、庚申塚(こうしんづか)の碑、ムクノキの大木があります。」
 HP名古屋神社ガイドによると
 「村名の由来が牛の毛かといえばそうでもないようで、津田正生『尾張国地名考』にこうある。
「牛毛は正字 海潮池の釣るなるべし」
 海潮池は「うしおいけ」か「うみしおいけ」だろうけど、それを略したものだという説だ。現在の神社名は「うしげ」となっているけど、江戸期の村名は「うしけ」だったようだ。
 それにしても、何故、牛毛などという字を当てたのだろう。」
がヒットした。
 天白川もこのあたりはほとんど流れがない。かつては牛毛海岸だったというのも分かる。
 帰路は大慶橋まで戻り左岸に渡る。県道59を走るが途中で降雨が始まった。雨宿りをかねて野並の喫茶店でモーニングコーヒーを楽しむ。それでも止まないのでずぶぬれになって帰宅した。

根の上高原の保古山、餅穴、血洗の三角点を訪ねる!2017年08月13日

 朝7時、会員2名を同乗して、金山駅前を出発。今日は東濃の根の上高原の三角点探しを名目に避暑ドライブとなった。
 8時50分ころ、根の上高原に着く。あいにくの曇天にがっかりするが、まずは保古山を目指す。池の周辺道路をのろのろ走る。秋はさぞや紅葉がきれいだろうと思わせる落葉樹の林の中を走る。林道の状況がよろしくて山頂まで着いてしまった。直下に車を止めて三角点がありそうな場所へ行くと2等三角点があった。北の方は青空も見えたが見晴らしはゼロ。
 戻って、林道分岐のところにあった展望台の看板に従う。車を置き、約200mゆったりと歩く。笹が刈ってあり歩きやすい。鉄骨製の展望台にはすぐに着いたが何も見えず。続いて本命の3等三角点の餅穴を探しながら笹藪の高原を歩く。直感的には高見を目指すが何も手がかりはなかったので、根の上体育館に通じる別の道を下って車に戻った。過日の下見のおかげである。
 さらに、R363まで走り、旧キャンプ場の中にある3等三角点の血洗を目指す。車はゲートがあるため、入口に置き、ゲートの横から車道に入る。登りきった辺りから左へ細道が登っている。それを辿るとすぐに三角点が埋まっていた。これで2つ目をゲットした。
 餅穴が気になるが、国民宿舎恵那山荘へ行ってコーヒーを注文。水が良いせいか、コーヒーの味が美味しい。スタッフに根の上高原のウォーキングマップをコピーしてもらう。地形図をベースに地元ならでは地名や施設名、建物名などを表現してある。これに935.8mの三角点の位置も判明したので参考になる。
 先程は下山に使った林道を逆に登って、根の上体育館の近くに車を置いた。登り返すと地図と首っ引きで地形の特徴を把握に努めた。等高線が大きくゆるみ、その北が急な斜面になるところまで下った。すると桧の植林の中なのにぽっかりと空間があり、薄が生えているところがあった。メンバーがそこじゃないかと指摘するので探すと笹に埋もれた三角点を見出した。標柱には漂泊したテープが巻いてあり、好事家が来ていることを示す。
 どの山もほぼ10分以内でゲットした。帰路は中津川市の車屋の蕎麦でしめた。

 それにしても餅穴は珍名だ。福井県大野市には持穴がある。岐阜県には鼠餅(ねずもち)の地名がある。笠ヶ岳に突き上げる穴毛谷なる地名もある。血洗は下流の血洗池に由来することは違いない。
 ところで、餅穴でぐぐると
http://www.windsnet.ne.jp/column_n/colum.php?day=20170314812
がヒットした。以下に引用すると
 「今のところ、郡上で「餅穴」は那比でしか確認していない。小字として二、通称地名として一、「焼-餅穴(やき-もちあな)」と句の一部として使われる例が一、計四か所である。まだその内、一か所しか踏査していない。これに関わる伝承や、民話などは聞こえてこない。
 四か所もあるわけだから、面白半分につけられたはずはないので、ほとほと困った。
 そこで、けっこう前から福井県和泉村にあった「持穴村」との関連を考えてきたが、なかなか繋がらない。
 また岐阜県の中津川にも「餅穴」という字があるものの、大蛇の住む穴へ餅を供えるというような話になっており、那比の分布と符合しないように思われる。というようなわけで、糸口すら掴めず月日が経ってしまった。
 この間、友人に那比四か所のうち通称地名で「餅穴」と呼ばれるところへ案内してもらった。全体として大きく窪んだ地形になっており、周囲の一部にうず高く割石が積み上げられていた。中に赤茶けた石があり、薄い褐鉄鉱らしきものが付着しているだけなので確信を持てないけれども、これに着目すれば製鉄と関連するかなあという印象がある。褐鉄鉱の良質な部分をとった後の欠片とすれば、タタラの遺跡かもしれない。
 それからもう一つ。五六十年ほど前、餅穴の川向いに水路を掘るため発破した時にけっこう黄銅鉱が出たそうである。岩盤が続いているようなので、この穴は黄銅鉱を露天で掘り、石を細かく割った残骸を積み上げた結果と考えれば、つじつまが合うような気がしてきた。この場合、「餅穴」の「餅」は銅ないし鉄が溶けたもの。「穴」には解釈が二つあり、一つは鉱物を掘った穴、一つは炉としての穴である。」
以上
 郡上に点在しているのだから普遍性はあるのだろう。
 もうひとつ粘って、鏡味完二・鏡味明克の『地名の語源』を引くと、モチには
(1)菱餅形の土地
(2)小さい盆地、谷
(3)平坦地
 地名の例が紹介してあり、北海道以外の全国に分布とある。
 展望台から三角点一帯は等高線がゆるみ、(3)の平坦地であることは確かである。
 三河の宇連山の別称のガンゾモチフデはガンゾ(設楽町誌の絵図ではガンドゥ)は鋸歯の意味。これは何本かある岩脈をイメージする。
 モチフデが分からなかった。川合国有林の看板の地名にはモチフデの記載があった。モチは平坦地というなら棚山の地形に合う。フデは筆で土地の単位であるがしっくりしない。

高根山1等三角点55.1mへポタリング2017年08月11日

 8/11は山の日。山に感謝する日という。山は山でも高根山なんて誰も知らんだろう。体を絞るために始めたポタリングだが、新規の行く先がないので、かつて登った名古屋市緑区の高根山55.1mへ行った。
 昨夜はむっとするような湿気と熱気に包まれて雷雨に見舞われた。久々にエアコンをつけて寝た。今朝はやや体が重いので発汗するためにもポタリングに行く。7時過ぎに自転車にまたがる。天白川右岸のサイクリングロードを走る。名古屋高速の高架橋が見えたら川を渡る。以前に行った氷上姉子神社に向かう。神社で参拝を済まし、地形図を眺めて道路をチエックする。
 住宅地をぬうように走ると知多半島道路にぶつかり、道路をくぐる。定納山という住宅地に着いた。宅地を抜けると池に出たがその先は道がふさがるのでまた道路の西に戻り、南下を探るが農地で行き詰まる。戻って定納山からR23を右折。
 巨大な名古屋南ICの周辺の側道を探りながら走ってみたが、それらしい場所に出ない。大府市の公園まで行きすぎてしまい、側道を戻りつつ探す。そのうち黒い雲が上空を覆い雨が降って来た。南ICのランプウェイが縦横にあって、現在地が分からず、とりあえず、イオンの店に飛び込んで雨宿り。イオン内の書店の道路地図で確かめると、ちょうど南にあると分かった。朝食代わりに鉄火丼を食べて腹ごしらえした。
 小止みになったので再度出発。名二環の下をくぐり、水主ヶ池の西をからみながら登り、名四道路の下をくぐる。右へ曲がり、軽く登ると、愛知用水のサイホンの吹きあがっている所へ来た。ここだここだと確認。用水路の左手がこんもり緑が盛り上がっている。またしても小雨が来たが、どこかに踏み跡がないか探すが見つからず、藪の隙間を狙って侵入。蜘蛛の巣を払いながら2分ほど急斜面を攀じ登ると1等三角点標石が鎮座していた。周囲は樹木で何も見えず。そのまま下った。さらに大雨になったので、またイオンに逃げ込んだ。
 かつて30歳代にも自転車で来た。まだ家などなかったころだ。そして、愛知用水の管理道路を走ったり、農道を走って知多半島の先まで行った。そして遅くに帰宅したものだ。今はそんな元気はない。
 イオンでお茶して帰ろうとするとまた雨が来た。中々しつこい雨だ。県道50号に出て下汐田から県道59号で帰宅した。喫茶店で休んでいる最中にもスコールのような雨が来た。12時を回ってしまった。

中津川市阿木の旧跡・(アマテラスの)血洗池~血洗神社~恵那神社~根の上高原へドライブ2017年08月06日

 午前中は原稿の推敲を行う。いよいよ脱稿したいが、今一、補完的な写真が欲しいと午後から撮影ドライブになった。暑いとはいえ、高原だから少しは涼しいだろうとの期待を込めて。
 12時20分に出発、途中で燃料補給。県道58から県道283、R419を経て岐阜県に越境し、R363に入る。エアコンを切っても結構涼しい感じがする。R363は山間部の谷合いを貫通している。交通量は少なく快適なドライブである。最終的には中津川市川上に行くが、途中でメインの血洗池と血洗神社に寄る。岩村の田園地帯を抜けて、山間部に入ると血洗神社が見つかった。村社ゆえか地味で案内板もなく見過ごしそうだった。血洗池が近くにありそうだがない。神社の横の山道を10分ほど登ってみた。林道に出たので右折すると解体中のキャンプ場に着いた。ゲートを越えるとR363で血洗神社はすぐだ。おかしいので山道を今度は下ったが見いだせない。マイカーに戻って神社の裏に埋まった池でもないか、探したがない。
 1台の車が止まったので聞くと下に関係ありそうな場所があると言うので行ってみた。血洗池だった。是こそ探していたところだった。
 血洗池は、恵那山の山名の由来になったアマテラスの胞(えな)を洗った池だという伝説がある。そんな謂れを書いた看板も立ち、旧跡血洗池の石碑まである。胞をここで洗ってから山頂まで運んで埋設したというのだ。それで胞山と呼ばれたのだ。池は砂で埋まっていた。そして、かなり離れた落合川の上流の湯船沢で産湯をつかったというのだ。湯船はそれが由来という。現在でも岐阜県は胞山県立自然公園を名乗る。恵那は雅字だろう。看板には漢字導入以前の神代文字のほつま文字にも記録があるそうな。
 次は恵那神社へ向かった。R363は最高地点の870mの峠を過ぎると途端につづら折れの酷道になる。狭くてタイトなヘアピンカーブが連続する。しかし、こんな道こそ運転の面白さを楽しめる。3速オートマだが、セカンドギアにして、エンジンブレーキを利かせると、FRなので、ハンドルが素直に曲がる。
 中津川市川上に着いた。しばらく下流に走ると橋があり、渡って右に行く。ウェストン広場なる園地ができ、川遊びの家族連れが多かった。中津川は花崗岩の美しい川である。すぐに恵那神社へ左折。山田と山家をぬいながら走ると正ヶ根谷へ行く林道で通行止めのゲートがあった。前宮ルート入口まで1kmとある。
 恵那神社へは左折すると大きなPがあった。誰もいないので正面まで乗り入れて、参拝をした。無人であるが、大きな杉が生えて荘厳な雰囲気がある。拝殿、社殿がある。千木はないが鰹木はある。しっかりした造りである。
 辞して、ふと前を見ると鳥居越しに恵那山が見えた。あいにく曇天だが、晴れれば素晴らしい景色だろう。今日の目的は終えたのでまたR363を登り返した。根の上高原国民宿舎にも寄ってみた。山岳会の忘年山行の宴会の会場探しだ。
 ここなら少し遠いが、天狗森山、三森山がある。国民宿舎を拠点に保古山970、1mならば40分だそうな。高原内には無名ながら3等三角点936、3m(餅穴)、R363の入り口の反対側に3等三角点888、3m(血洗)がある。三角点の点名まで胞に因むのか。好事家の会員が喜びそうだ。すべての目的を終えてまた往路を戻った。

黒笹山3等三角点129.7mへポタリング2017年08月04日

 昨夜は突然知人からの電話で夕飯を一緒にというので、うなぎ料理を御馳走になった。ビールも1本飲んだ。その日は朝から月1の通院中の病院で検査をうけて数値は若干改善した。また大量の薬が処方されたので再度担当医に会って薬を止めてもらった。次は2ヶ月後にしてもらった。その開放感で食も進んだ。
 今朝はどんよりして、湿度の高い日である。5時半起床、6時半自転車にまたがる。目的地は黒笹山の3等三角点である。
 天白川の左岸に沿うサイクリングロードを走る。今時はどこも一斉に河川敷の草刈りが始まった。大半は終えた。本当にさっぱり刈はらうものだ。刈草のかすかな芳香がする。
 日進市に入るとただただ田園地帯を走り抜ける。素晴らしいサイクリングロードである。平坦に見えるが天白川の流れに逆らうようにわずかな傾斜があるからギアを1段落として軽い走りにする。
 やがて宮前の交差点に着く。さらに田園地帯を抜けると東名高速にぶつかる。側道を走り、県道58を横切り、東名高速の側道を走る。中電の施設の北側と高速の間は砂利道ながら傾斜が少なく、走りやすい。愛知牧場に着いたら、一旦県道231に出る。
 黒笹駅の交差点を左折、ゆるい坂をギアを落として耐える。登りきったところが黒笹公園になる。滑り台を設置した園地とはいえ、グラウンドになっている。山を削って均したのだろう。その山側が5mくらいのセメントの擁壁(ようへき)になっている。その上は藪が見える。踏み跡か階段でもないか探したがない。朝から藪こぎなんてしたくないので裏側に回った。どこかに踏み跡が登っていくとみたがない。半周したところで地形図の山上の建物につながる道路に出たので登ってみた。愛知県三好ヶ丘ポンプ場に着いた。建物が最高点だが三角点はやや北寄りに低いところにありそうだ。
 建物から少し下がって、雑木林の斜面をトラバースしながら北へ歩いた。尾根らしいところに少し踏み跡があったがほとんどは藪である。擁壁の上にでると下から声がした。10mくらいはある。
 7時26分、前方に点名:黒笹山3等三角点があった。それだけである。樹木の中で展望はなし。やれやれである。元来たルートを辿って自転車に戻った。
 南よりに下って黒笹駅前に出た。8時少し前、喫茶店に着いた。愛知牧場ログテラスで軽い朝食をとる。
 後は東名高速の側道を走り、県道58を横切り、米野木に出て、田園地帯を走り抜けた。往きにこいだ道も帰りは軽い下り坂になるので快適そのものだった。自宅へは9時30分前に帰還。

カスピ海ヨーグルトを食べにポタリング2017年08月01日

 今日も暑そうな予感がする。6時35分、自転車にまたがる。一路、日進市の田園ロードへ。風を切ると少しは涼しい。
 5月の田植時は
   まほろばや日進の田に余り苗    拙作
と詠んだのに早いイネはもう頭を垂れている。コシヒカリは早いそうだが・・・。他のイネはまだまっすぐに伸びるに任せている。田によっては雑草が混じって生えている。農薬の量の違いだろうか。ケリやアオサギ、シロサギが田の中に見える。
 蟹甲町から米野木町へも田園地帯を突き抜ける。県道75を経て田園地帯を走ると東名高速道路につきあたる。トンネルをくぐり県道58と交差し、突っ切ると地道になった。天白川があって向こう岸へ渡れず、迂回する。三本木の交差点からの2車線の良い道に合流したので右折してみた。
 地形図でチエックすると標高75mくらいから100mまでの長い上り坂をギヤチェンジしながら耐える。一段上がってまた登ると今度は急カーブを伴いながら下る。するとまた東名高速にぶつかる。手前で左折すると愛知牧場だ。ゆるい上り坂を凌ぐと途中東郷PAにも入れる。喫茶店として利用可能であろう。後は下る一方で牧場入り口からトンネルをくぐるとログテラスへ。7時半前に到着。開店は8時なので愛知池の管理道路に入り一周した。戻ってくると8時ジャスト。入り口には同年代のサイクリスト2人と親子4人が開店を待機していた。
 モーニングコーヒーとセットを注文。これで3回目。聴くとねばねばのヨーグルトはカスピ海ヨーグルトというんだとか。濃厚なミルクのスープもうまい。飲むより食べる感じのとろみがある。汗をかいた後の体には塩味がうま味になる。トースト半切れ2枚、ゆで卵、ミニサラダ、コーヒーで550円也。
 帰路は東名高速沿いの道を探しながら走った。県道58は朝6時台でも交通量が多い。トヨタ系の企業は8時か8時半始業なので下請けも含めるとかなり朝早くから車が多い感じだ。東名高速の側道は両側にあるが北側を走った。やや上り坂をこなすと後は下る一方になった。愛知東邦大学日進グラウンドを経て愛知用水にぶつかる。右へ用水の管理道路をいくと橋があり渡る。天白川にぶつかるが橋は東名の南側になる。トンネルをくぐって一般車道に合流。後は東名沿いに走り、米野木から日進市の田園地帯を駆け抜けた。気持のよい道である。次の機会には黒笹駅に近い黒笹山130mの3等三角点に寄るのも面白い。

能褒野神社、加佐登神社、長瀬神社、椿大社へドライブ2017年07月30日

加佐登神社
 午前5時30分出発。県道59号、36号、R23と走って、四日市市からR1に入り、亀山市を目指す。鈴鹿市まで来ると、どんよりした曇り空が頭上を覆い、降り出しそうだ。伊勢湾からの水蒸気を含んだ黒い雲が流れていく。あれが鈴鹿山脈にぶつかると上昇気流となって上空の冷たい空気に触れて雨になる。急激だと雷雲になる。案の定、ものすごいスコールのような雨が降り出した。
 亀山市の能褒野神社(のぼの)を目指す。一帯は水田地帯で今は緑一色である。晴れておれば鈴鹿山脈が背後に美しいだろう。その景色を眺めて、
    ”大和は 国のまほろば たたなづく 
          青垣山ごもれる 大和し 美し”
と詠まれた。大和し、のしは強調であるから死を覚悟しての望郷の御歌であろう。
 安楽橋を渡ってすぐの右折の信号をやり過ごしたので1つ先の信号から地道に入り、R306から県道637へ右折。御幣川にかかる白鳥橋を渡ると名越の交差点で右折。少し大回りしたが目的地に着いた。午前7時30分。約63km。
 日本武尊は東征の後、伊吹山の荒神を退治するために向かうが言挙げして、怒りを買い、大氷雨を降らされて痛手を負った。醒ヶ井で傷を癒すが体力を消耗させる。今でいう低体温症か。四日市市を経て、大和へ帰る途上、ここ能褒野で崩御したという。
 Pと公衆トイレが完備している。小雨の中、傘を手に薄暗い樹林の中の小道を登る。とにかく高いところへ行くと奥に神社が見えたので参拝した。御手洗い場は水道で且つアルミのひしゃくだった。社殿は地味なたたずまいだった。しかし、古墳が分からない。一旦、車道へ出て、改めて絵図で確認した。再度、小道を行き、左折する。墳墓の周囲は柵が設けられている。やや下った辺りに墳墓への階段があった。立ち入り禁止の札が宮内庁の名で表示してあった。墳墓の周囲の小道をめぐると元のPへ帰れた。
 次は加佐登神社である。県道637、県道27を行くと、駐在所の信号を左折。椎山川をせき止めた調整池が白鳥湖といい、神社へは椎山川にかかる白鳥橋を渡る。マイカーを置き、長い石段を登ると小広い境内の奥に社殿が鎮座していた。
 社殿の屋根は反りを抑え、低めに見える。鰹木や千木もなく、威圧的な建築物ではない。御手洗場は水があふれ、杉の板を曲げたひしゃくで本格派である。有人であり、車祓いをうけて収益を確保し、維持に努めているところが、能褒野神社とは違う。
 私の観察では、御手洗場のひしゃくの品質が杉の曲げ物であること、車祓いをうけていること、信仰のグッズの販売をしていることが社格の上下につながっている。少しでも収入を確保し、境内の掃除(特にトイレ)を欠かさず、参拝客を迎える努力が神社を長く維持させる。ひしゃく等はこれまでみてきたのはアルミ製、プラスチック製などは概して無人無住であった。杉の曲げ物を見ると一定の収入を確保できているんだなと思う。
 右手から車道を辿ると白鳥塚に行ける。白鳥塚の周囲をぐるりと回ってみた。能褒野よりもかなり規模が小さい。かつてはここが墳墓とされていたが比較すると能褒野に軍配を挙げざるを得ない。但し、あちらの神社は宮内庁が正式に御稜と指定してから神社が創建された経緯がある。
 神主さんが見えたのでいろいろお話を伺った。記紀神話からヤマトタケルの話等々、ついつい長話になった。来客があったところでお暇して、長瀬神社に向かった。これはここで教えてもらった。
 長瀬神社は鈴鹿ICのすぐ近くにあった。社務所には老婦人らが歓談していたが神社関係者ではない。ここもヤマトタケルが寄った伝説の地らしい。前二社に比べるとかなり規模は小さい。
 ここまで来たら椿大社に参らねば片詣りになる。
 小雨の鈴鹿路を道なりに走ると雲隠れした鈴鹿山脈の入道ヶ岳の麓に着いた。椿会館などの飲食、宿泊設備できる売店があり、駐車場もほぼ満杯であった。こんな雨模様の日でも参拝客は引きも切らない。特に車祓いの参拝客は順番待ちで10台くらいは並んでいた。みな新車である。車祓い専用の社殿には大ぜいが正座してお祓いを受けていた。マイカーにもカミが宿るのだ。
 御手洗場で杉のひしゃくですくって手を洗う。樹齢何百年もある杉木立の玉砂利の参道を歩いて本殿に向かう。伊勢神宮をコンパクトにまとめた気がする。熱田さんはすべて照葉樹林の鬱蒼とした森だったが、ここはやはり山奥なんだと思う。
 参拝後はレストランで鶏めしをいただいた。食べるとふるさとの鶏めしの味と同じであった。土産品売り場でそれのレトルトも買った。ついでに椿餅も買った。ふらりと寄っただけなのに2000円弱の散財になった。伊勢一宮ともあれば、こうしてお金を落とす仕掛けづくりがうまい。
 帰路はR306、R365からR23で帰った。R365は二階建てで高速道路の建設中だった。伊勢湾岸道から京阪神へいく車をここへ誘導して東名阪の負担を減らすためだろう。北勢は道路だらけになった。ヤマトタケルに由来する神社を訪ねるドライブは終わった。

熱田神宮、断夫山古墳、白鳥御稜、宮の渡しへポタリング2017年07月28日

 梅雨どきに戻ったかのような蒸し暑い朝。それでも行ってみるかと、午前7時自転車にまたがった。ルートは勝手知った道ばかりだが、楽に行きたいと、天白川左岸のサイクリングロードに入った。平子橋で詰まる。市道へ上がり、野並から平子橋を渡る。新郊通り3丁目までは緩やかな登りになる。呼継1丁目で右折して妙音通りに出る。内浜の交差点を突っ走って、跨線橋の左から迂回すると伝馬町の交差点だ。
 右折して熱田神宮で、約50分になるので、一休み後、断夫山古墳へ行く。大津通りから神宮西駅へ回り込む。R19を北上するとパセリのようなこんもりした森のある神宮西公園に着いた。蝉時雨の盛んな森を囲む周辺道路を注意しながら走ると小さな断夫山古墳の説明板を見た。
 次は白鳥古墳(御稜)だが、地形図をプリントしたため掲載されず、目標を見失った。(後で堀川の左岸側のハローワークの裏手と知った)堀川左岸のハローワークから右岸へ連絡橋がかかっているので降車して渡るが古墳は見いだせず。それにしても堀川の臭いこと。川面を良く見るとボラの死がいが大量に浮いている。流れがないために酸素不足になったのだろうか。蒸し暑いので自販機でドリンクを買って飲む。
 国際会議場へは行くまでもない。名古屋学院大学の赤レンガ造りの瀟洒な校舎を横目に見て、また堀川に戻ると白鳥庭園の正門に着いた。白鳥というもののヤマトタケルなど古代史とは何の関係もない。白鳥橋東から途中、喫茶店でモーニングセットで軽い休憩をとる。内田町の宮の渡しまでぶらぶら走る。また熱田神宮まで戻り、西門から入り、参拝をする。
 境内もやかましいほどの蝉時雨に満ちていかにも夏の盛りを味わう。夏なのに落ち葉掃除に勤しむスタッフがいた。そうか、神宮の森はすべて照葉樹林なのである。それで初夏から今頃は落葉期にあたる。それでもかっと照りつける直射日光を遮ってくれるから参拝客は意外と多い。夏休み中の子供たちの緑陰講座でもあるのか結構多い。
 白鳥古墳は境内にあるとのうろ覚えで、神職の巫女さんに問うが知らない。男性の神職が代わって、スマホ片手に、汗だくで教えてくれたが要領を得ない。先だって住吉大社から転勤してきたばかりという。
 神職は高卒なら境内にある熱田神宮学院で2年学ぶとなれる。今は国学院大学か皇学館大学で神道を修める。かつて鹿児島県の最果ての神社で、正月というのにただ一人社務所に務めていた神職も皇学館大学OBと言われたことを思い出す。この世界でも人事異動であちこち飛ばされるようだ。
 西門に戻ってスタッフに聞くとさすがに地元民らしく丁寧に教えてくれた。何のことはない。また神宮西駅から堀川へ横断するような道だった。白鳥山法持寺の奥にやはりパセリのようなこんもりした森が見える。これだ、と思ったが、入口が分からないので一周してハローワークの手前に案内板があって分かった。案内板も初見であるから名古屋市は知られたくないのだろう。蝉時雨のふりそそぐ古墳を前にしてヤマトタケルの霊を思った。
 帰路はほぼ往路通りになった。呼継から旧東海道を走り、熊野三社もちらっと寄った。東海道の影響か、建物が込み入っている。それにお寺や神社の多いこと。昔は知多半島まで見渡す干潟だったらしい。そういえば山崎川も流れはほとんどない。平子橋まで来て、天白川右岸を走る。植田の天白川と植田側の合流地点までストレスなく走れた。今日約8kmくらいだが、道草が多くて、約4時間もかかった。

豊明市の桶狭間古戦場伝説地へポタリング2017年07月22日

 今朝は少し寝覚めが悪い。昨夜の根つきが悪かったせいだろう。朝食後、7時35分に自転車にまたがって出発。行く先は豊明市の桶狭間古戦場伝説地である。天白から最短距離で9.7kmくらいだが、山越えを避けて、天白川のサイクリングロードに入った。今日は左岸沿いに走る。やっぱりサイクリングロードは信号なし、車との競走なしで安全で楽だ。結局鳴海処理場の近く、名鉄鉄橋で完全に逃げ道なしになり引き返して県道59号に出た。大慶橋は右岸でないと渡れない。
 中汐田の交差点に出て国道1号線を左折。国一を走る。中京競馬場前の三叉路を右折するとすぐに豊明市の桶狭間古戦場伝説地に着いた。想像以上にこじんまりとしていて小さな公園になっている。歴史資料館でもあるのかと期待したが時間をつぶす仕掛けはなく、すぐにお暇する。
 国一を桶狭間の交差点まで戻り左折。緩やかな坂道を登り、下ってゆくとカーマの店がありすぐ近くに桶狭間古戦場公園があった。ここも規模でいい勝負の小さな公園に過ぎず、がっかりする。結局、歴史に詳しいガイドの説明でもないと楽しめない気がする。
 帰路は国一から旧東海道の有松の町並みを通過して国道302号に沿いながら天白区滝の水まで登り、野並まで下った。後は勝手知ったる道を帰宅する。