山岳会東海支部の新年会に出席2020年01月19日

 今池のガスビル8F。16時30分に受付を開始。懐かしい面々と新年のご挨拶を交わす。しかし、年々、知っている人が減って知らない人が増える。そこが寂しさを感じる。かつてはほとんどが錚々たる先輩ばかりだったのに今はこっちが古参会員の部類に入ってきた。後10年も続くかどうか。
 山は楽しい。しかし人間は年を取るのだ。やがては消えてゆく運命である。せめて元気なうちは続けたいもの。
 今回はNHKのディレクターの廣瀬 学氏を呼んで、NHKの得意の山番組の裏表を語ってもらった。廣瀬氏は2年前に名古屋へ転勤で来られたらしい。副支部長と懇意というのでつながった。20世紀は映像の世紀というので山々にもTVカメラが入り込んだ。その前に伊藤孝一の映画用のカメラが入った話も出た。当然だろう。
 後は番組制作の裏話になった。これはスマホで撮影して拡散しないでくれとの要望になった。この世界にも昔は容認されたが今は苦情が出るものもあって再放送はできないとのことだった。そこをちょいと切り取って見せてもらえた。加えてキャンプ、焚火、などは放映すると苦情が来るとのこともあった。冬山とか登山道のない山ではそんなわけにはいかないのだが・・・・。世間は分からずやなのです。
 まして何かとスキャンダルの多いNHKは視聴者の見る目が厳しくなっていることもある。NHKから国民を守る党もある。バッシングがひどくなっている。それでも山番組は人気が高い。お茶の間で見るにしてもどこか非日常の世界へ誘いがあるからだ。この後、宴会に入る。私の顔を見るなり『名古屋周辺週末の山登りベスト120』が好評だった。支部報に寄せる読み物も好評であった。みなさんなかなかよく読んでいただいている気がする。

日本山岳写真協会 東海支部展2020年01月18日

 昨日開始、23日まで。場所は地下鉄伏見駅を出て、御園座南にあります。たった今拝見してきました。みな傑作ばかりです。まさに山への誘いです。

阪神淡路大震災から四半世紀2020年01月17日

今日17日で25年か、早いものだ。当日、共著で拙書『ひと味違う名古屋からの山旅』の2刷の印税が入金した。これも何かの縁と、共著の人たちの了解を得て、全額を中日新聞社を通じて義援金として寄付した。ささやかでも助け合うことで被災者の力になると思った。その後の報道で未曾有の 義援金が集まった。本もよく売れて3刷までいった。
業界団体の研修旅行で神戸市の被災地跡を見学した。想像を絶する展示だった。天災は忘れた頃にやってくるというが、近年は加速度的に起こる。巨大土木工事が続いてあるから地盤がストレスを受けやすい。リニア新幹線とか中央構造線をぶち抜く。何も無ければ良いがと思う。

茶刈機のエンジン音は響かひて彼方に望む春の伊勢湾 森紀子2020年01月16日

歌会始 東海地方ゆかりの短歌も
https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20200116/3000008564.html

皇居・宮殿の「松の間」では、天皇皇后両陛下をはじめ、皇族方などの前で入選した10人の短歌が読み上げられ、四日市市の主婦、森紀子さん(75)の歌も古式にのっとって披露されました。
 お茶の生産が盛んな、山沿いの水沢町に暮らす森さんは、新茶が芽吹く茶畑の向こうに見える伊勢湾が春の日ざしを受けて輝く風景に心を打たれ、「茶刈機のエンジン音は響かひて彼方に望む春の伊勢湾」と詠みました。
 森さんは、自分の歌が詠み上げられると小さく繰り返しうなずきながら耳を傾けていました。
 歌会始のあとの記者会見で森さんは「天皇陛下は『いい歌をありがとう』と声をかけてくださりました。中断した時もありましたが続けてきてよかったなと実感しました」と入選の喜びを話していました。
以上
・・・・森紀子氏のお住いの水沢町といえば雲母峰の南東にある鈴鹿山麓の方ですね。入選おめでとうございます。時々は通過するのでその情景は頭に浮かびます。御作は中々の大景です。大景を詠むのは難しいものです。入選作の背景には伊勢の地名が効果的だったと感じます。伊勢の地名は「神風の伊勢」と枕詞で詠まれ、皇室ゆかりの神宮につながるのです。

山岳会の新年会2020年01月15日

 19時から元会員の経営する居酒屋を貸し切りで16名の参加で行われた。18時過ぎから三々五々集結してきた。すっかり高齢化してしまったがみなさん元気な会員ばかりである。
 料理はオーナーの手作りである。今年は人数が多いのでバイキング方式になった。量はたっぷりある。また新たなお手伝いさんになった。20歳のピチピチの若い娘さんである。前の子はちょうど10年で退職されたとか。
 Fさんは名酒、私は対馬の焼酎「つしまやまねこ」を差し入れした。
 申込者は22名あったが最終的には病気や急用、出張などで6名が欠席になった。それでも以前は12名から13名だったこともあり、員数的には盛会になった。やはり新入会員が入ったことが大きい。一方で3月までにベテラン会員が2~3名退会すると聞いている。登れるうちは登るということにはならないようだ。また昨年、元会員が82歳で死亡したと仄聞した。
 こちらもすでに70歳になった。登山者としての余命は後5年くらいか、マイカーの車齢は今年で17年、後5年持つか。すでに24まんkmを越えた。30万kmまではもってほしい。肉体的、気力を維持することと、課題はマイカーを維持する経済力とのバランスである。
 運転免許も巷間伝わるのは認知テストなど聞くだけでもうっとおしい。しかし、高齢者の暴走、逆走があり、社会の仕組みになってしまった。それは団塊の世代が75歳に達すると今よりももっと増えると考えられるからだ。加えて70歳以上の登山者の道迷い、道迷いが遠因の転落死、登山中の病死などが増えている。
 心新たにする1日である。

連嶺に礼して年の改まる 福田蓼汀2020年01月14日

・・・分かりやすい。”髯白きまで山を攀ぢ何をえし” という句もある。山の道楽はきりがなく続く。

 福田 蓼汀(ふくだ りょうてい、1905年(明治38年)9月10日 - 1988年(昭和63年)1月18日)は日本の俳人、登山家。本名は福田幹雄(みきお)。山口県萩町(現在の萩市)生まれ。

 東北帝国大学法文学部法科在学中に学友の勧めで高浜虚子門に入る。1940年には「ホトトギス」同人。948年、「山火」を創刊・主宰。1958年、橋本鶏二の「年輪」、野見山朱鳥の「菜殻火」、波多野爽波の「青」と共同で四誌連合会を結成し、その世話役を務めた。1961年の俳人協会設立にも参画、のちに副会長も務めている。

 1939年の八ヶ岳登山を皮切りに日本各地の山々を踏破、山岳俳人の第一人者として名を高める。戦後に隆盛した社会性俳句の流れからも一線を画し、季節感情と対象を具体的に把握しようとする写実精神を主張。「山岳と自然の純粋美を讃える作品」(岡田日郎)としての山岳俳句を作り続けた。1969年には次男が奥黒部で遭難死するという不幸があり、この悲しみを詠んだ「秋風挽歌」30句(『俳句』11月号掲載)などの業績により、1970年に第四回蛇笏賞を受賞した。1988年1月18日、没。享年82。「山火」は門人の岡田日郎が継いだ。(ウィキペディア抄録)

お千代保稲荷へ初詣2020年01月13日

 11日から13日の3連休は年末年始の対馬の山旅の後片付けと休養にあてた。最終日の今日は商売繁盛の神様で知られる岐阜のお千代保稲荷へ初詣に行った。開運と健康を祈願する。
 2010年、60歳で定年後、自営業に転じて、毎年参拝してきたが最近3年間は遠ざかっていた。そのせいでもあるまいが業績は芳しくない。昨年は再度開業の意思で広告費をつぎ込んだ。
 2020年、開業10年目の今年は成果を見たい。コスモスの広報活動も成果が上がってきつつある。そろそろ名古屋市の若い行政書士にも後見人のご指名が出ると良い。これまでの6年間は無駄になっていないと信じる。
 お千代保さんは13日というのに相変わらずの善男善女で埋め尽くしていた。三が日ほどではないがさっさと前に歩けない人ごみの中を拝殿に進む。50円で油揚げを買い、ローソクをもらって灯す。拝殿でお賽銭と油揚げを投げ入れて、拝礼する。
 帰路は参道の周りの露天が楽しい。串かつはうまいが今はやや肥満気味なので我慢、代りに白菜の漬物や麩饅頭を買った。なまずの蒲焼も今は食傷気味である。かつては食べたフナの味噌煮、諸子の佃煮など冷蔵庫の片隅に置かれるともう食べないので割愛した。
 道の駅クレールで自然薯が600円から800円で売られていたので1本買った。調理が面倒だが粘りのつく食品でビジネスも粘り強く進めたいもの。験かつぎである。

読書三昧2020年01月12日

對州は大山国やほととぎす
 司馬遼太郎『街道を行く 壱岐・対馬の道』(朝日文庫)などを読み直す。発見したのは上見坂公園の句碑の作者が高浜虚子になっていることだった。P189に
「山ですねえ」
と私は、バスが山の壁にぶちあたりそうになっては巧みにかわして山の壁に沿ってゆくのを見て、永留氏に言った。
「対馬は来てみれば大山国だったという意味の句が虚子先生にあります」と永留氏が言った。

 というくだり。永留氏とは文中にある永留久恵氏。大正9年生まれで鶏知の中学校の校長。民俗学の研究者。

 この句は上見坂の句碑の句のことだろう。高浜虚子の弟子の河野静雲の間違いではないか。銘を見ると虚子とは書いてない。会話中の文なので誤植ではない。

対馬の嶺は下雲あらなふ上の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも 万葉集2020年01月11日

 林野庁のHPから
https://www.rinya.maff.go.jp/j/kokuyu_rinya/kokumin_mori/katuyo/reku/rekumori/ariakeyama.html

   地理的・地形的特徴
 対馬南部の有明山山系の丘陵地帯に位置し、有明山を中心として小峰が連なり、山頂部を除いて比較的急峻な地形となっています。フェリーで厳原港へ向かう途中、正面に最も大きく見える山が、有明山です。山頂部は平坦で草原が広がり、昼食や休憩などのんびり過ごすことができます。眼下には清水山城跡や厳原の町が広がり、また、山頂からは、矢立山(648m)や白嶽(515m)リアス式海岸の入り組んだ地形で風光明媚な浅茅湾(あそうわん)を望むことができます。
   歴史的・文化的特徴
 万葉集14巻3,516の防人の歌に、「対馬の嶺は下雲あらなふ上の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも」があります。この歌は故郷を離れた防人(朝鮮半島との戦いである633年の「白村江の戦い」の後、北九州(対馬、壱岐、福岡)を守るために遠方から、集められた兵士)たちが、故郷に残してきた家族や恋人に想いをはせる情景を詠んだものです。歌の中の「対馬の嶺」は有明山とは限らないのですが、厳原港から最も大きく見える山であることから、これが有明山であるとも考えられます。
 当時から、対馬は「国境の島」として、戦いの最前線の島として、近隣の国と重要な関係を持ってきましたが、国交が回復すると、今度は親交の島として歩んできました。
 眼下には、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際(1591年)に築城したと言われる「清水山城跡」があり、階段状の山城で全国的にも類を見ない城で国指定の記念物となっています。近隣には、石川県前田家墓地、山口県毛利家墓地と並び、日本三大墓地に数えられる対馬藩守護代宗家十万石の菩提寺「万松院」をはじめ、かつての対馬を偲ぶ多くの遺跡が残っています。時代の流れとともに、移り変わってきた激動の「国境の島・対馬」は歴史的、文化的に貴重な場所として注目されています。
気候等と植生・野生生物
 3月下旬から4月にかけて、日の当たる尾根筋や山頂近くで鮮やかなゲンカイツツジが、葉が展開する前に枝先に淡紅色の花を数輪つけ、冬枯れの寂しい風景のなかでひときわ美しい花を咲かせます。このころ、足元ではフデリンドウやシハイスミレなどの可憐な植物が開花し、対馬に春の訪れを告げます。梅雨時になるとヤマボウシの白い花が見頃を迎えます。
 登山道は一部ヒノキの人工林を通るところもありますが、スダジイやヤブツバキ、アカガシなどの照葉樹林も残り、林床ではアリドオシなどをよく見かけます。植林されたヒノキは、色合いや香りに独特の特徴のあるヒノキで、対州ヒノキと呼ばれており、ブランド展開されています。
・・・・以上の紹介記事を読むと今度行くなら緑の季節が良いと思う。今回のドライブと渡航で如何に遠い島かいうことはしっかり味わった。飛行機か高速船を使い、現地のレンタカーが合理的な旅のやり方であろう。乗りなれたマイカーが一番良いが不経済である。但し、有り余る時間があるなら高速を使わず、ホテルも泊まらずの車中泊が良いか。今回の旅で大方の地理勘はできたから水、食料、トイレさえ確保すればどこでも自由に旅を楽しめる。

治療2020年01月10日

 1/3に対馬・龍良山の山頂の岩場で凍結していたのか、ちょっと転んで左足の向こう脛を打った。筋肉だらけの部位である。出血はなく鈍痛だったから治療もしなかった。その後1/4から以降もほとんど痛みは感じず、温泉で温めていた。
 ところが1/6に帰名後から痛み出した。対馬より名古屋は寒いと感じる。寒いから血液循環が悪いのだろう。患部を見ると紫色にはれて広がっている。もしやばい菌でも入ったか、と不安になり治療を受けた。結果は自然に治癒してゆく過程らしい。紫色は内出血の血が変色して血管に吸収されて行くという。一安心した。簡単な塗り薬をもらった。