与良木を走る ― 2026年02月26日
午後から新城市文化会館で会合。早めに出て、R153、R473、R420、R257から道の駅したらへ行く。天神山を歩いて見たかったがゆっくりもできないので又与良木トンネルを越えて与良木を走った。前回は急な左折をパスしたためにR257へ出る市道を走ったが古道の面影はなかった。
今回は一旦パスして、やや広いところでUターン、やっと与良木の村落に入れた。赤い梅が満開だった。但し道路幅は4ナンバーでも一杯、しかも急坂だった。地形図の実線の道に入ろうとしたが、登りが急すぎて元の道にバック。すると後輪が空回りする。4駆に入れて脱出。その先でもヘアピンがあり一回では通過できなかった。
後日下の道に車を置いて歩いて見たい。今回は後期伊那街道、先回は前期伊那街道になる。いずれも田口で合流する。一般道の崖にはかつての塩の道の馬頭観音がいくつも組み込まれて面影を残している。
R257に出て新城市文化会館へ。4/18の総会へ向けて会の大綱を話し合った。新役員、規約の見直し等。帰路はR301.県道20.R1.県道39、同56を経て帰名。
今回は一旦パスして、やや広いところでUターン、やっと与良木の村落に入れた。赤い梅が満開だった。但し道路幅は4ナンバーでも一杯、しかも急坂だった。地形図の実線の道に入ろうとしたが、登りが急すぎて元の道にバック。すると後輪が空回りする。4駆に入れて脱出。その先でもヘアピンがあり一回では通過できなかった。
後日下の道に車を置いて歩いて見たい。今回は後期伊那街道、先回は前期伊那街道になる。いずれも田口で合流する。一般道の崖にはかつての塩の道の馬頭観音がいくつも組み込まれて面影を残している。
R257に出て新城市文化会館へ。4/18の総会へ向けて会の大綱を話し合った。新役員、規約の見直し等。帰路はR301.県道20.R1.県道39、同56を経て帰名。
磯谷栄一著『消えゆく松平往還を歩く』を入手 ― 2026年01月18日
元旦には名古屋市から鶴舞線・豊田線豊田市駅経由おいでんバスで松平郷へ。そこから岡崎城までウォーキング。中岡崎駅から愛環で帰名の予定。ところが思わぬ風邪でダウン。
5日に親戚の親子を連れて村積山ハイキング。あいにく奥殿陣屋はまだ休業。メールで本の在庫の有無を確認してあったので18日に書院を訪ねて磯谷栄一氏の労作である『消えゆく松平往還を歩く』を入手。その後渡通津町から滝山寺をドライブで偵察しました。
当初は大給城址、岩津城址、信光明寺を絡めて歩く予定でしたが松平往還の方が山岳古道の趣きがある。
さて何時歩こうか。
5日に親戚の親子を連れて村積山ハイキング。あいにく奥殿陣屋はまだ休業。メールで本の在庫の有無を確認してあったので18日に書院を訪ねて磯谷栄一氏の労作である『消えゆく松平往還を歩く』を入手。その後渡通津町から滝山寺をドライブで偵察しました。
当初は大給城址、岩津城址、信光明寺を絡めて歩く予定でしたが松平往還の方が山岳古道の趣きがある。
さて何時歩こうか。
伊那街道の歩き方 ― 2026年01月15日
年末に駆け込むように登った鞍掛山では多くのヒントが得られた。道の駅したらのPを拠点にして、まずは田口に向かって新しい伊那街道を歩いて登る。石畳もあるらしいので発見があると思う。田口からは荒尾、塩津に下って、小代、かしやげ峠、大代、四谷に下る。そこから216mポイントに下れば与良木峠へ登り返すだけだ。比高170m位なので大したギャップではない。峠を越えたら道の駅したらは近い。これで新旧の伊那街道を踏破できる。
厳寒の鞍掛山を歩く ― 2025年12月27日
名古屋を朝早く出発。ものすごく寒い。日進市で朝飯を食う。R153、R301、R420、R257と走った。新段戸トンネルを出てすぐの橋は凍結していた。他は順調に飛ばして道の駅したらに着いた。
先週に引き続き、設楽町清崎の山を探って見たくなった。そこで図書館で明治時代、戦後、高度成長期の五万図をチエックして見た。清崎からかしやげ峠に突き上げる郷沢沿いの地形が緩斜面なので水田でもあろうか、記号が破線路なので歩けるならトレースして見たかった。かしやげ峠に突き上げて鞍掛山に登頂も悪くない。と大まかな案を立てて出発した。
道の駅からしばらくは車道を歩く。野々瀬川沿いの道を行くと赤松神社を過ぎて郷沢に出合う。適度に踏み込まれた山道を想定していたが、なんだすべて舗装された林道である。橋を渡ると未舗装になる。あそこもここも水田の廃田が続く。
林道の終点で郷沢沿いから離れて境界尾根と西尾根の間の緩斜面に作られた新しい林道を歩く。この林道からは立派な石組みが見えて来た。(下山後、地元の人に聞くと昔は渡邊いっけいさんの母親が住んでいたそうだ。)かつて生活があったという断片は一切なかった。石垣の上に入っても何も見当たらない。
林道は石垣の下で終わった。そのまま散乱した上を行くと土管が見えて小代からの林道に突き当たった。白いガードレールも見える。林道歩きから境界尾根474に合うとかしやげ峠の道標があった。ここを登ると踏み跡があり辿ってゆくと鞍部を越えて左折。そのまま歩くと棒沢の源流部が見下ろせる。植林下、ゴーロはないので歩けるだろう。まもなくでかしやげ峠に着いた。
ものすごく寒い中で一休み。早々休んでも居れず鞍掛山に向かう。ここから坂道が急峻になった。ゆっくりゆっくり高度を上げる。北風がまともに当たって寒い。足元には霜柱が立っている。急登をこなして883mに登頂。三角点が見当たらない。まあ良いか。最高所で一休みするが寒いのですぐに立つ。
びわくぼ峠までも凍結で固い土をやり過ごしながら下る。峠からは荒れた山道を下る。断崖絶壁から氷柱が下がっている。下部に下っても傾斜がゆるくならず、東海自然歩道にしては手強い。やっと塩津の村に出た。あいにく県道、町道とも工事中だったが人間だけなら通れるよ、と地元民のアドバイスで車道を歩く。塩津温泉の宿が二ヶ所ひっそりと営んでいる。
植林に囲まれてた車道歩きに飽きた頃、やっと清崎の外れに来た。棒沢の対岸の家に人が居たので聞いたら「郷沢」との回答。あそこが鞍掛山だよ、というので仰ぐとかぶさるような山容だった。郷沢から上って今、あそこから下って来たんです、と。再び道の駅へ歩み始めた。清崎まではいくらもない。
先週に引き続き、設楽町清崎の山を探って見たくなった。そこで図書館で明治時代、戦後、高度成長期の五万図をチエックして見た。清崎からかしやげ峠に突き上げる郷沢沿いの地形が緩斜面なので水田でもあろうか、記号が破線路なので歩けるならトレースして見たかった。かしやげ峠に突き上げて鞍掛山に登頂も悪くない。と大まかな案を立てて出発した。
道の駅からしばらくは車道を歩く。野々瀬川沿いの道を行くと赤松神社を過ぎて郷沢に出合う。適度に踏み込まれた山道を想定していたが、なんだすべて舗装された林道である。橋を渡ると未舗装になる。あそこもここも水田の廃田が続く。
林道の終点で郷沢沿いから離れて境界尾根と西尾根の間の緩斜面に作られた新しい林道を歩く。この林道からは立派な石組みが見えて来た。(下山後、地元の人に聞くと昔は渡邊いっけいさんの母親が住んでいたそうだ。)かつて生活があったという断片は一切なかった。石垣の上に入っても何も見当たらない。
林道は石垣の下で終わった。そのまま散乱した上を行くと土管が見えて小代からの林道に突き当たった。白いガードレールも見える。林道歩きから境界尾根474に合うとかしやげ峠の道標があった。ここを登ると踏み跡があり辿ってゆくと鞍部を越えて左折。そのまま歩くと棒沢の源流部が見下ろせる。植林下、ゴーロはないので歩けるだろう。まもなくでかしやげ峠に着いた。
ものすごく寒い中で一休み。早々休んでも居れず鞍掛山に向かう。ここから坂道が急峻になった。ゆっくりゆっくり高度を上げる。北風がまともに当たって寒い。足元には霜柱が立っている。急登をこなして883mに登頂。三角点が見当たらない。まあ良いか。最高所で一休みするが寒いのですぐに立つ。
びわくぼ峠までも凍結で固い土をやり過ごしながら下る。峠からは荒れた山道を下る。断崖絶壁から氷柱が下がっている。下部に下っても傾斜がゆるくならず、東海自然歩道にしては手強い。やっと塩津の村に出た。あいにく県道、町道とも工事中だったが人間だけなら通れるよ、と地元民のアドバイスで車道を歩く。塩津温泉の宿が二ヶ所ひっそりと営んでいる。
植林に囲まれてた車道歩きに飽きた頃、やっと清崎の外れに来た。棒沢の対岸の家に人が居たので聞いたら「郷沢」との回答。あそこが鞍掛山だよ、というので仰ぐとかぶさるような山容だった。郷沢から上って今、あそこから下って来たんです、と。再び道の駅へ歩み始めた。清崎まではいくらもない。
地形図に残された交通史~森林鉄道 ― 2025年12月26日
設楽町の資源は森林と水である。昭和の初めの地形図には明治時代にはなかった田口鉄道のトンネルが印刷される。後には豊橋鉄道田口線に変わる。戦後の石油輸入が盛んになると自働車用に改良されて稲目トンネルに変わった。1958年頃にはスバルのテントウ虫が発売、続いてトヨタのパブリカ、日産のサニー、トヨタのカローラでモータリゼーションの波が来ると鉄道は衰退する。
田口線の終点は田口から寒狭川に下ったところに田口駅があった。昔は津具村で算出した金鉱山も運んでいた。田口線田峯駅から当貝津川沿いに森林鉄道の支線が張り巡らされた。更に栃洞線、最奥の鰻沢線が伸びた。鰻沢の源流は出来山という。鰻沢を遡行して出来山に登った。この時も源流部には森林軌道の跡が残置されていた。橋脚、沢沿いの軌道は美しいアーチを描く石垣が続いていた。これを見ると伐採作業員、鉄道の機関士、石工等多くの働き口を提供したであろう。
トラックの時代になるとこれらは一気に何事も無かったかのごとく消え去った。古いトンネルだけは壊さずに残っている。
田口線の終点は田口から寒狭川に下ったところに田口駅があった。昔は津具村で算出した金鉱山も運んでいた。田口線田峯駅から当貝津川沿いに森林鉄道の支線が張り巡らされた。更に栃洞線、最奥の鰻沢線が伸びた。鰻沢の源流は出来山という。鰻沢を遡行して出来山に登った。この時も源流部には森林軌道の跡が残置されていた。橋脚、沢沿いの軌道は美しいアーチを描く石垣が続いていた。これを見ると伐採作業員、鉄道の機関士、石工等多くの働き口を提供したであろう。
トラックの時代になるとこれらは一気に何事も無かったかのごとく消え去った。古いトンネルだけは壊さずに残っている。
奥三河・冬枯れの無名の山を歩く。 ― 2025年12月19日
明日明後日は悪天候というので気になっていた三角点「連合」のピークハントに来た。与良木峠(370m)は伊那街道の古い峠道である。クルマでトンネル迄走って見た。
生成AIの回答(一部編集)は「南設楽郡鳳来町(現新城市)の「与良木(よらぎ)」の地名由来は、「与良木」が元々、鳳来寺の氏子圏だった小野村(現在の連合地区)の別称」だそうです。与良木隧道は「明治27年(1894)に作られた。当時の原形を留めており、愛知県最古のトンネルである。長さ35m、道路幅5m、車幅4m、高さ5m。設楽町側の扁額には、草書体で上段に「北設楽」、下段に「よらき隧道」と記される。新城市側の扁額には、楷書体で上段に「南設楽」、下段に「與良木隧道」と記される。新城市側の坑門は明治の頃の姿を残している。内部はコンクリートで修復されているが、元々は素掘りだった。後略」
三角点の点名の連合も「元々は別の集落や地名だったものが、明治の市町村制施行やその後の合併を経て、この地域一帯の集まり(連合体)のような意味合いで「連合」という名称が使われ、それが大字名として残った」と回答があった。
設楽町側からトンネルを通過して旧鳳来町側の山側に杣道を探して見た。△494.8mの真東まで実線の林道を走ったが無いので設楽町側まで引き返す。
峠まで登る山路は残っておらず、危うい踏み跡をたどった。馬頭観音の碑が確かに古い峠だった証を示す。設楽町と新城市の境界尾根に立った。峠から東へは明瞭な踏み跡が登ってゆくのに「連合」へはない。境界尾根は幸いに植林の疎林であり、ヤブもないのでそろそろ歩いていく。「連合」は南北に長い尾根の南端にあり、境界尾根が北端につながったところの獣道を急登すると460mの等高線に達する。ここで約40分なので水を飲もうとしたらペットボトルを忘れた。
三角点までの約500mの尾根も疎林で多少の低灌木はあるが痩せ尾根のために障害はない。明るいので岩場からの展望を期待したが灌木に囲まれて見えない。東は樹林越しに仏坂峠から宇連山辺りの稜線が見える。西には龍頭山だろう。三角点は土に埋まっていた。地形図では無名なので誰も登って来る人がいないのだろう。しかし、無名であるはずはなく、地元では命名されているだろう。ヤクルトの空容器の分岐まで戻る。登った獣道がこんなに急だったか、と思わせるほどの急斜面を下って鞍部に立つ。峠まで戻っても良いが鞍部から谷を降りてみた。カール状の源流部の急斜面は杉の立木や灌木の根元を支点にゆっくり下る。間伐材が散乱する谷底まで来ると足元は安定する。林道に出て峠まで戻った。
峠から地形図の実線の道を少し歩いて見たら水田の廃田のところで引き返した。峠へ登り返して危うい踏み跡を下った。
実線の道を行けば410mのコブの右の小さな峠を越えたところが与良木だ。水線が複雑に入り組む地形では湧水が豊富なのだろう。だから水田耕作が出来たのだ。又南向きの斜面は作物の生育には良い。米が採れれば建物の記号が固まってあるから結構人が住んでいたのだろう。隣の四谷は棚田で知られる。清崎を流れる豊川の支流の野々瀬川の支谷が境界尾根を越えて四谷の源流部に食い込んでいる。地形図を眺めていると不思議な地形だから再び来てみたい。
帰りは道の駅したらに寄って遅い中食にした。絹サーモンを注文したが売り切れという。一日五食というレアなメニューである。あれは豊邦というところで養殖していた気がする。代わりに鮎のフライ定食にした。3尾の鮎が開かずに丸ごと揚げてある。頭からかぶりつくが骨が硬いので食べにくい。味はまあまあ。たっぷりのキャベツも良い。
生成AIの回答(一部編集)は「南設楽郡鳳来町(現新城市)の「与良木(よらぎ)」の地名由来は、「与良木」が元々、鳳来寺の氏子圏だった小野村(現在の連合地区)の別称」だそうです。与良木隧道は「明治27年(1894)に作られた。当時の原形を留めており、愛知県最古のトンネルである。長さ35m、道路幅5m、車幅4m、高さ5m。設楽町側の扁額には、草書体で上段に「北設楽」、下段に「よらき隧道」と記される。新城市側の扁額には、楷書体で上段に「南設楽」、下段に「與良木隧道」と記される。新城市側の坑門は明治の頃の姿を残している。内部はコンクリートで修復されているが、元々は素掘りだった。後略」
三角点の点名の連合も「元々は別の集落や地名だったものが、明治の市町村制施行やその後の合併を経て、この地域一帯の集まり(連合体)のような意味合いで「連合」という名称が使われ、それが大字名として残った」と回答があった。
設楽町側からトンネルを通過して旧鳳来町側の山側に杣道を探して見た。△494.8mの真東まで実線の林道を走ったが無いので設楽町側まで引き返す。
峠まで登る山路は残っておらず、危うい踏み跡をたどった。馬頭観音の碑が確かに古い峠だった証を示す。設楽町と新城市の境界尾根に立った。峠から東へは明瞭な踏み跡が登ってゆくのに「連合」へはない。境界尾根は幸いに植林の疎林であり、ヤブもないのでそろそろ歩いていく。「連合」は南北に長い尾根の南端にあり、境界尾根が北端につながったところの獣道を急登すると460mの等高線に達する。ここで約40分なので水を飲もうとしたらペットボトルを忘れた。
三角点までの約500mの尾根も疎林で多少の低灌木はあるが痩せ尾根のために障害はない。明るいので岩場からの展望を期待したが灌木に囲まれて見えない。東は樹林越しに仏坂峠から宇連山辺りの稜線が見える。西には龍頭山だろう。三角点は土に埋まっていた。地形図では無名なので誰も登って来る人がいないのだろう。しかし、無名であるはずはなく、地元では命名されているだろう。ヤクルトの空容器の分岐まで戻る。登った獣道がこんなに急だったか、と思わせるほどの急斜面を下って鞍部に立つ。峠まで戻っても良いが鞍部から谷を降りてみた。カール状の源流部の急斜面は杉の立木や灌木の根元を支点にゆっくり下る。間伐材が散乱する谷底まで来ると足元は安定する。林道に出て峠まで戻った。
峠から地形図の実線の道を少し歩いて見たら水田の廃田のところで引き返した。峠へ登り返して危うい踏み跡を下った。
実線の道を行けば410mのコブの右の小さな峠を越えたところが与良木だ。水線が複雑に入り組む地形では湧水が豊富なのだろう。だから水田耕作が出来たのだ。又南向きの斜面は作物の生育には良い。米が採れれば建物の記号が固まってあるから結構人が住んでいたのだろう。隣の四谷は棚田で知られる。清崎を流れる豊川の支流の野々瀬川の支谷が境界尾根を越えて四谷の源流部に食い込んでいる。地形図を眺めていると不思議な地形だから再び来てみたい。
帰りは道の駅したらに寄って遅い中食にした。絹サーモンを注文したが売り切れという。一日五食というレアなメニューである。あれは豊邦というところで養殖していた気がする。代わりに鮎のフライ定食にした。3尾の鮎が開かずに丸ごと揚げてある。頭からかぶりつくが骨が硬いので食べにくい。味はまあまあ。たっぷりのキャベツも良い。
山岳古道のミーティング ― 2025年12月02日
今夜は山岳古道のWEBミーティング。これが最後の会合になった。個人的には2023年5月1日に尾鷲古道の踏査を終えてから、色んな雑用が一気に押し寄せてきてストップしたままになっている。年内が締め切りというので入力を急がなくならない。
三ヶ日町平山からの荒廃した平尾山往復 ― 2025年11月22日
計画では本坂峠の静岡県側にマイカーをデポ。姫街道を峠まで40分歩く。峠からは坊ケ峰を越えて平尾山まで縦走約90分、4等三角点のある中山峠乃至旗振山に登る。①東への尾根を辿って三ヶ日町平山へ下山。②4等三角点から南へ尾根の破線路を辿って三ヶ日町本坂へ下り、マイカーのデポ地へ歩く。の二案を考えていた。
静岡県へ行く前に嵩山に来たのでR362から左折して姫街道の旧道に寄る。ここには本陣の屋敷がある。姫街道の新しい石標も立っている。
実際には本坂トンネルを抜けて静岡県に入ると上空は厚い冬雲が北へ流れている。つまり太平洋の湿った空気が北の冷たい空気に混じり雲になったのだ。これでは富士山は見えない。もっと冷えて冬型の気圧配置にならないと富士山は見えないだろう。
というわけで、平尾山と4等三角点の踏査だけに絞った。一旦はR362を下って左から宇利峠を越えて来たR301と出合うところまで来た。前方にバローが見えたので食料品を買い足した。三ケ日ミカンが豊富に並んでいるので一袋買う。
店を出て三差路に戻り宇利山川に沿ってR301を走る。途中で平山奥へ行く車道に左折。中山峠の東尾根の末端に来た。周囲はたわわに実った蜜柑山だった。軽自動車も一杯止まっている。標高は110m。その一角に停めさせてもらって蜜柑山の作業道へ入って登る。
作業道はセメントで舗装されている。見た目以上に急坂ですぐに息が切れる。北東には富幕山がどっしり見えている。地形図の実線の終点で標高200mの等高線の手前に道標が見えた。車道から滑りやすい斜めの道とも言い難い道を登る。蜜柑山側は電線なのでうっかり触れることもできない。
すぐに左への隙間がある。かつては尾根道があったのに蜜柑山の整地で削られたのであろう。手入れのしていない桧の植林の中の廃道というか荒廃した感じのルートを探りつつ登る。倒木あり、枝も散乱する歩きにくい道である。
幸い赤テープのマーキングはある。等高線がゆるくなると道もはっきりしてきた。息苦しさも慣れてきて約30分のところで一息入れた。すると人工林の中の尾根にも関わらず大径木が林立する。樹木名は知らないが常緑照葉樹林でブナ科の仲間であろう。母樹として伐らずに残されているのだろう。嵩山の山上にも数多見た樹種だ。
地形図に実線のある林道と交差した。古い道標が割れて落ちていた。林道を見送ると尾根に取り付くが右へ新たな林道が出来ていた。この林道はすぐに大きく段差が掘ってあり車が通行できないようにしてあった。左の尾根に踏み跡を探すとかすかに続くのが見える。明瞭ではないが何とか歩ける。地形図の中山峠の印刷の「中」に着く。赤テープと薄い踏み跡が北と南に別れるので南に振った。一旦は掘割のような地形の鞍部に降りた。これが本来の中山峠であろう。向こうにも踏み跡が続く。破線路の尾根には赤テープが断続的に見えるので容易に4等三角点にたどり着いた。展望はまったくなし。ここがかつては旗振山と呼ばれた場所だろうか。嵩山の山上からここで旗振りの相場の情報を読み取り、また東の方の中継点へ伝えたという。
南へはかすかに切り開きもありそうな気がするので下山路に使える。下りきれば三ヶ日町本坂に着く。
踏み跡を戻るが鞍部から左下へ幅のある山路が下って行く。たどると中山自然歩道と県境縦走路の交差する地点だった。ここも中山峠という。ここから5分県境縦走路を登ると先ほど別れた地点に着く。更に20分で平尾山の山頂だった。13時20分登頂。ここも展望なしで詰まらない山頂だ。13時30分下山開始。分岐点に下って「中」からは元の尾根を下った。
蜜柑山には多数のミカン狩りの女性らがいた。業者もハサミで切り取りながら積み込んでいた。今がミカンの取入れの最盛期なのだろう。ナビで本坂へ下った。愛知県に戻ってまた国道を帰名した。
静岡県へ行く前に嵩山に来たのでR362から左折して姫街道の旧道に寄る。ここには本陣の屋敷がある。姫街道の新しい石標も立っている。
実際には本坂トンネルを抜けて静岡県に入ると上空は厚い冬雲が北へ流れている。つまり太平洋の湿った空気が北の冷たい空気に混じり雲になったのだ。これでは富士山は見えない。もっと冷えて冬型の気圧配置にならないと富士山は見えないだろう。
というわけで、平尾山と4等三角点の踏査だけに絞った。一旦はR362を下って左から宇利峠を越えて来たR301と出合うところまで来た。前方にバローが見えたので食料品を買い足した。三ケ日ミカンが豊富に並んでいるので一袋買う。
店を出て三差路に戻り宇利山川に沿ってR301を走る。途中で平山奥へ行く車道に左折。中山峠の東尾根の末端に来た。周囲はたわわに実った蜜柑山だった。軽自動車も一杯止まっている。標高は110m。その一角に停めさせてもらって蜜柑山の作業道へ入って登る。
作業道はセメントで舗装されている。見た目以上に急坂ですぐに息が切れる。北東には富幕山がどっしり見えている。地形図の実線の終点で標高200mの等高線の手前に道標が見えた。車道から滑りやすい斜めの道とも言い難い道を登る。蜜柑山側は電線なのでうっかり触れることもできない。
すぐに左への隙間がある。かつては尾根道があったのに蜜柑山の整地で削られたのであろう。手入れのしていない桧の植林の中の廃道というか荒廃した感じのルートを探りつつ登る。倒木あり、枝も散乱する歩きにくい道である。
幸い赤テープのマーキングはある。等高線がゆるくなると道もはっきりしてきた。息苦しさも慣れてきて約30分のところで一息入れた。すると人工林の中の尾根にも関わらず大径木が林立する。樹木名は知らないが常緑照葉樹林でブナ科の仲間であろう。母樹として伐らずに残されているのだろう。嵩山の山上にも数多見た樹種だ。
地形図に実線のある林道と交差した。古い道標が割れて落ちていた。林道を見送ると尾根に取り付くが右へ新たな林道が出来ていた。この林道はすぐに大きく段差が掘ってあり車が通行できないようにしてあった。左の尾根に踏み跡を探すとかすかに続くのが見える。明瞭ではないが何とか歩ける。地形図の中山峠の印刷の「中」に着く。赤テープと薄い踏み跡が北と南に別れるので南に振った。一旦は掘割のような地形の鞍部に降りた。これが本来の中山峠であろう。向こうにも踏み跡が続く。破線路の尾根には赤テープが断続的に見えるので容易に4等三角点にたどり着いた。展望はまったくなし。ここがかつては旗振山と呼ばれた場所だろうか。嵩山の山上からここで旗振りの相場の情報を読み取り、また東の方の中継点へ伝えたという。
南へはかすかに切り開きもありそうな気がするので下山路に使える。下りきれば三ヶ日町本坂に着く。
踏み跡を戻るが鞍部から左下へ幅のある山路が下って行く。たどると中山自然歩道と県境縦走路の交差する地点だった。ここも中山峠という。ここから5分県境縦走路を登ると先ほど別れた地点に着く。更に20分で平尾山の山頂だった。13時20分登頂。ここも展望なしで詰まらない山頂だ。13時30分下山開始。分岐点に下って「中」からは元の尾根を下った。
蜜柑山には多数のミカン狩りの女性らがいた。業者もハサミで切り取りながら積み込んでいた。今がミカンの取入れの最盛期なのだろう。ナビで本坂へ下った。愛知県に戻ってまた国道を帰名した。
本坂峠から富士見岩ハイキング ― 2025年11月18日
10月3日の坊ケ峰に続いて18日も午後からの所用で新城市へ。午前中をフルに使って先月の心残りの本坂峠から富士見岩の間の部分を歩いた。先月は峠直下の旧トンネルまで車で上がったが今日はR362のトンネル手前にP。しばらく車道を歩くとR362の下をくぐってすぐにトイレがある。ここで左が姫街道、右が嵩山の蛇穴へと行く。
車道を歩くと行き止まりになるので戻って、山側に続く踏み跡をたどると国の史跡に指定された嵩山(すせ)の蛇穴だった。ここには嵩山自然歩道の道標がある。自然歩道は桧の植林で手入れがされて美しい冬木立になっている。歩いて行くと浅間神社への分岐、姫街道への分岐を見送り、頭浅間の古社のある稜線(豊橋自然歩道)に到達した。途端に強い北風が吹きさらされて寒い。
ここまでが1時間弱でベンチで休むと冷えるのですぐ南に向けて歩き出す。愛知県側は桧の人工林だが静岡県側の境内周辺は常緑照葉樹林が覆う。この植生は427.2m(4等三角点:本坂峠)を越えてもしばらくは続く。かつて日本列島の西南はこのような植生が占めていた。樹齢の古そうな太い幹も多い。保全されているのだろうか。
柴田明彦『旗振り山と航空灯台』(ナカニシヤ出版。令和3(2021)年出版)によると米相場の情報伝達の場として嵩山の山上とだけの記載があり、427.2mの本坂峠のピークを推定されている。周囲より20m以上高いのでそうかも知れないが現状は愛知県側は桧の人工林が高く、静岡県側は前述の通り照葉樹の高木が生えている。ただ三角点の先が膝くらいの笹原になっている。そして静岡県側に広い地形は想定通りか。ここ以外に良い場所はない。ここから中山峠の南の旗振山(点名:中山峠。393m)につなげるのは無理がない。
嵩山町側へのバリルート(破線路)の案内もある。常緑照葉樹林から抜け出すとパッと明るくなり、下り気味に歩いて登り返すと富士見岩だった。南側に回って岩に攀じ登り素晴らしい展望を得た。眼下には三ヶ日町の猪鼻湖、広大な浜名湖は冬の太陽に鈍く照り返し光る海に見えた。山の中の山も良いが海の見える山も良い。
冬晴れには違いないが遠方は冬霞ではっきりしない。それでも黒っぽい富士山が見えた。まだ雪が少ない。これで一応の目標は達成できた。
下山時は12時30分。新城市の歴研の会合まで1時間あるが昼食を食べている時間は無さそうだ。ナビを見ると27分とあった。信号が殆どないから早い。途中、次郎柿の露天売り場が続くのでつい一袋買った。200円で6個は入っていた。13時20分に無事会場入りできた。
会議後、100km先の奥大井の山を予定していたが冬型の気圧配置の影響か冷たい雨がぱらついて中止にした。名古屋への帰途はR23に周ったが刈谷市周辺から大渋滞。東名高速も豊田市周辺が大渋滞だったらしい。R301が良かったかな。R23は刈谷で降りて徳重経由で帰った。
車道を歩くと行き止まりになるので戻って、山側に続く踏み跡をたどると国の史跡に指定された嵩山(すせ)の蛇穴だった。ここには嵩山自然歩道の道標がある。自然歩道は桧の植林で手入れがされて美しい冬木立になっている。歩いて行くと浅間神社への分岐、姫街道への分岐を見送り、頭浅間の古社のある稜線(豊橋自然歩道)に到達した。途端に強い北風が吹きさらされて寒い。
ここまでが1時間弱でベンチで休むと冷えるのですぐ南に向けて歩き出す。愛知県側は桧の人工林だが静岡県側の境内周辺は常緑照葉樹林が覆う。この植生は427.2m(4等三角点:本坂峠)を越えてもしばらくは続く。かつて日本列島の西南はこのような植生が占めていた。樹齢の古そうな太い幹も多い。保全されているのだろうか。
柴田明彦『旗振り山と航空灯台』(ナカニシヤ出版。令和3(2021)年出版)によると米相場の情報伝達の場として嵩山の山上とだけの記載があり、427.2mの本坂峠のピークを推定されている。周囲より20m以上高いのでそうかも知れないが現状は愛知県側は桧の人工林が高く、静岡県側は前述の通り照葉樹の高木が生えている。ただ三角点の先が膝くらいの笹原になっている。そして静岡県側に広い地形は想定通りか。ここ以外に良い場所はない。ここから中山峠の南の旗振山(点名:中山峠。393m)につなげるのは無理がない。
嵩山町側へのバリルート(破線路)の案内もある。常緑照葉樹林から抜け出すとパッと明るくなり、下り気味に歩いて登り返すと富士見岩だった。南側に回って岩に攀じ登り素晴らしい展望を得た。眼下には三ヶ日町の猪鼻湖、広大な浜名湖は冬の太陽に鈍く照り返し光る海に見えた。山の中の山も良いが海の見える山も良い。
冬晴れには違いないが遠方は冬霞ではっきりしない。それでも黒っぽい富士山が見えた。まだ雪が少ない。これで一応の目標は達成できた。
下山時は12時30分。新城市の歴研の会合まで1時間あるが昼食を食べている時間は無さそうだ。ナビを見ると27分とあった。信号が殆どないから早い。途中、次郎柿の露天売り場が続くのでつい一袋買った。200円で6個は入っていた。13時20分に無事会場入りできた。
会議後、100km先の奥大井の山を予定していたが冬型の気圧配置の影響か冷たい雨がぱらついて中止にした。名古屋への帰途はR23に周ったが刈谷市周辺から大渋滞。東名高速も豊田市周辺が大渋滞だったらしい。R301が良かったかな。R23は刈谷で降りて徳重経由で帰った。
錦秋の勢和国境の山を歩く~気になっていた台高山脈北部の空白を歩く ― 2025年11月08日
まだ伊勢道も開通していなかった頃、名古屋市から延々R23からR166を走って、50歳の前に高見大峠から高見山に登った。Pから高見山を往復するだけならお散歩程度だったから行ける所まで行ってみようと台高山脈縦走路を南下してみた。するとハッピのタワでちょうど良い時間になった。
後日台高山脈縦走を企てたが乗って来る人はいないので50歳のGWに体力試験として実施した。この時はマイカーで大又へ行って、大台ケ原へ下山後は近鉄吉野駅から大又までバスを利用した。これで周回できる。
当日は大又のバス停付近の空き地にデポ。伊勢辻山に向かった。予定通りとは行かなかったが何とか大台ヶ原へはたどり着けた。そして無事マイカーも回収できて帰宅した。
以来気になっていたのがハッピのタワから伊勢辻山間の空白部分である。2021年11月20日には木梶山をからめて念願の空白部分を埋める山行をしたが木梶林道への入り口が廃道に見えてパスしたために大幅にロスしてしまい、木梶山往復だけになった。だから4年ぶりの台高山脈ということになる。
名古屋は朝5時過ぎに出発。伊勢湾岸道は東海ICからいせ川越ICまで利用、あとはR23から中勢バイパスで松阪市までスムーズに南下。R166へ入って約65kmの道を走る。
先回の学習効果で木梶林道のPにはスムーズに着いた。以前は無かった簡易舗装までしてある。先着は4台あった。朝飯、用足しなどで道草を食ったせいで9時40分過ぎに出発。足早に飛ばすがちょうど紅葉、黄葉の盛りで美し過ぎて撮影に忙しく先へ進めない。全山人工林のイメージしかなかったが来る時が良いと素晴らしい景色に当たる。
ハッピのタワの入り口の標示で谷筋の道に入るが不明瞭で行きつ戻りつしながら短いスパンのジグザグの踏み跡に入る。しかも急峻な斜面である。GPSを見ても忠実には辿れていない。いつしか無意識のうちに破線路のトラバース道を辿る。小さな谷の入り口にハッピのタワへの標示があったのだが見落としてトラバースの道を辿り、倒木でやっとおかしいと気づいた。GPSを見ると外していることが分かって引き返した。約150mのロスだった。
正しいルートは水の無い谷を辿る。やっとの思いでハッピのタワに着いた。タワは峠の意味であるが見た目には地形的にはたわんでいる。辿り着いてすぐに乗り越すイメージではなく、結構広い。
さあ、いよいよ空白部分の縦走路の山路を歩く。右は針葉樹林で埋め尽くされた奈良県、左は針葉樹林のはげたところにススキの穂が揺れる。ハンシ山にさしかかるころから黄葉、紅葉した太平洋型の混交林の落葉広葉樹林が目立つようになる。
国地院の地形図を改めて眺めて見る。すると櫛田川は源流になると木梶川、蓮川に大きく分かれる。その中の木梶川が高見山から木梶山をカバーする。どの源流部もみな落葉広葉樹林の記号で埋まっているではないか。〇の下にバーがある記号。
蓮川は源流部で菅田川と木屋谷川に分かれて、木梶川源流部の山塊を抱き込んでいる。中央構造線の周辺には変わった地形が多いがそれは別に置く。
次々に現れてくる紅黄葉を眺めては足を止めて撮影に余念がない。
これを古人は錦秋といった。
今日はうまく当たったのだ。ハンシ山を下って伊勢辻山に登り返すところが正にブナの原生林になっている。大又からの登山道に合流する。ここまでが空白だった。記憶にはないがゆったりした気持ちのいい尾根道が伊勢辻山まで続いた。最後は冬のアセビの群落に阻まれる。何となく過ぎてしまいそうな山頂だった。ここで腰を下ろして休憩する。
若干のアセビ群落をやり過ごすと急な斜面になりゆっくり遠景を見ながら降りる。一旦は鞍部に下って登り返すと赤ゾレ山の山頂である。その手前に黄葉の美しい木があり撮影に夢中になった。1303mあり今日の最高点になった。ハンシ山、伊勢辻山、赤ゾレ山はともに地形図に三角点も山名もない。ここから南部の山々を眺めた。遥かなる大台ヶ原を目指した自分を思い出す。ツエルトビバーク2泊でたどり着いた。2023年5月1には大台ヶ原山上を正午に出発し、松浦武四郎らが歩いた尾鷲道をツエルトビバーク1泊(マブシ嶺山頂)で尾鷲市県道まで下った。
これで高見山から尾鷲市県道迄赤線がつながった。予定では木梶山を絡んで下りたかったがこれで満足、且つ出発の遅れで時間切れと判断し、赤ゾレからの尾根を下降。この領域もブナの原生林で尾根はほぼ黄葉で埋め尽くされていた。古びた道標のテープは少ないがブナの疎林なので見通しやすい。源流に下るところが急峻だが約1時間でと渡渉地点に下った。後は林道を歩けばPに着く。県境のすぐ東側にある谷なのですでに日没している。林道歩きの最中、浮遊する虫を見た。これは綿虫だろう。雪虫とも言い、台高山脈にも初雪が近いことの前触れか。
ハッピのタワの出合いを過ぎて林道を飛ばした。ほとんど平坦で落石や倒木もないから歩き易い。P着くと自分の車だけがあった。先着の登山者らは帰って行った後だった。
R166へ戻る。飯高の道の駅で少々のお買い物をする。柿が6個400円とお買い得、名産の茶葉、しいたけ、葉に包んだ生菓子など1790円。松阪市に出てからはホルモン焼きの一升瓶で焼肉を食う。2380円。これで秋の一日を堪能できた。また中勢バイパスで帰名。
後日台高山脈縦走を企てたが乗って来る人はいないので50歳のGWに体力試験として実施した。この時はマイカーで大又へ行って、大台ケ原へ下山後は近鉄吉野駅から大又までバスを利用した。これで周回できる。
当日は大又のバス停付近の空き地にデポ。伊勢辻山に向かった。予定通りとは行かなかったが何とか大台ヶ原へはたどり着けた。そして無事マイカーも回収できて帰宅した。
以来気になっていたのがハッピのタワから伊勢辻山間の空白部分である。2021年11月20日には木梶山をからめて念願の空白部分を埋める山行をしたが木梶林道への入り口が廃道に見えてパスしたために大幅にロスしてしまい、木梶山往復だけになった。だから4年ぶりの台高山脈ということになる。
名古屋は朝5時過ぎに出発。伊勢湾岸道は東海ICからいせ川越ICまで利用、あとはR23から中勢バイパスで松阪市までスムーズに南下。R166へ入って約65kmの道を走る。
先回の学習効果で木梶林道のPにはスムーズに着いた。以前は無かった簡易舗装までしてある。先着は4台あった。朝飯、用足しなどで道草を食ったせいで9時40分過ぎに出発。足早に飛ばすがちょうど紅葉、黄葉の盛りで美し過ぎて撮影に忙しく先へ進めない。全山人工林のイメージしかなかったが来る時が良いと素晴らしい景色に当たる。
ハッピのタワの入り口の標示で谷筋の道に入るが不明瞭で行きつ戻りつしながら短いスパンのジグザグの踏み跡に入る。しかも急峻な斜面である。GPSを見ても忠実には辿れていない。いつしか無意識のうちに破線路のトラバース道を辿る。小さな谷の入り口にハッピのタワへの標示があったのだが見落としてトラバースの道を辿り、倒木でやっとおかしいと気づいた。GPSを見ると外していることが分かって引き返した。約150mのロスだった。
正しいルートは水の無い谷を辿る。やっとの思いでハッピのタワに着いた。タワは峠の意味であるが見た目には地形的にはたわんでいる。辿り着いてすぐに乗り越すイメージではなく、結構広い。
さあ、いよいよ空白部分の縦走路の山路を歩く。右は針葉樹林で埋め尽くされた奈良県、左は針葉樹林のはげたところにススキの穂が揺れる。ハンシ山にさしかかるころから黄葉、紅葉した太平洋型の混交林の落葉広葉樹林が目立つようになる。
国地院の地形図を改めて眺めて見る。すると櫛田川は源流になると木梶川、蓮川に大きく分かれる。その中の木梶川が高見山から木梶山をカバーする。どの源流部もみな落葉広葉樹林の記号で埋まっているではないか。〇の下にバーがある記号。
蓮川は源流部で菅田川と木屋谷川に分かれて、木梶川源流部の山塊を抱き込んでいる。中央構造線の周辺には変わった地形が多いがそれは別に置く。
次々に現れてくる紅黄葉を眺めては足を止めて撮影に余念がない。
これを古人は錦秋といった。
今日はうまく当たったのだ。ハンシ山を下って伊勢辻山に登り返すところが正にブナの原生林になっている。大又からの登山道に合流する。ここまでが空白だった。記憶にはないがゆったりした気持ちのいい尾根道が伊勢辻山まで続いた。最後は冬のアセビの群落に阻まれる。何となく過ぎてしまいそうな山頂だった。ここで腰を下ろして休憩する。
若干のアセビ群落をやり過ごすと急な斜面になりゆっくり遠景を見ながら降りる。一旦は鞍部に下って登り返すと赤ゾレ山の山頂である。その手前に黄葉の美しい木があり撮影に夢中になった。1303mあり今日の最高点になった。ハンシ山、伊勢辻山、赤ゾレ山はともに地形図に三角点も山名もない。ここから南部の山々を眺めた。遥かなる大台ヶ原を目指した自分を思い出す。ツエルトビバーク2泊でたどり着いた。2023年5月1には大台ヶ原山上を正午に出発し、松浦武四郎らが歩いた尾鷲道をツエルトビバーク1泊(マブシ嶺山頂)で尾鷲市県道まで下った。
これで高見山から尾鷲市県道迄赤線がつながった。予定では木梶山を絡んで下りたかったがこれで満足、且つ出発の遅れで時間切れと判断し、赤ゾレからの尾根を下降。この領域もブナの原生林で尾根はほぼ黄葉で埋め尽くされていた。古びた道標のテープは少ないがブナの疎林なので見通しやすい。源流に下るところが急峻だが約1時間でと渡渉地点に下った。後は林道を歩けばPに着く。県境のすぐ東側にある谷なのですでに日没している。林道歩きの最中、浮遊する虫を見た。これは綿虫だろう。雪虫とも言い、台高山脈にも初雪が近いことの前触れか。
ハッピのタワの出合いを過ぎて林道を飛ばした。ほとんど平坦で落石や倒木もないから歩き易い。P着くと自分の車だけがあった。先着の登山者らは帰って行った後だった。
R166へ戻る。飯高の道の駅で少々のお買い物をする。柿が6個400円とお買い得、名産の茶葉、しいたけ、葉に包んだ生菓子など1790円。松阪市に出てからはホルモン焼きの一升瓶で焼肉を食う。2380円。これで秋の一日を堪能できた。また中勢バイパスで帰名。
最近のコメント