ミニウォーキングで事務所へ2024年02月01日

 今朝は10時の地下鉄で高岳駅まで行き、喫茶店でモーニング。その足で市政資料館まで歩いた。今日は暖かいせいか、コートが要らないほど体が温まった。
 豊橋市の神野新田を開拓した神野さんを顕彰したコーナーを見学した。パネルで説明されている。
 退館後は市政資料館南のバス停からテレビ塔までバスで移動。徒歩で事務所に向かった。インターネットの会社から営業に来たので説明を聞いて仮契約した。ADSLが廃止になった後はそのまま継続せずに様子見してきたが毎月2750円なら払える。ただし、今の契約を見直しして3000円くらい節減する段取りとした。
 また2020年に買い置きしたデスクトップパソコンもそろそろ4年も空費しているので使うことにする。現在のXPはそのままデータを据え置く。電子申請に慣れてゆく必要がある。電磁記録も時代の要請になってきた。というわけでドコモショップでまずネット代節減の手続きを始めたい。
 朝は温かったが、帰宅時には寒冷な気温に戻った。まだ寒の内ですからね。

民法研究会に出席2024年02月02日

 およそ三年ぶりに行政書士の同業で自主的な勉強会に出席。顔ぶれは半分は入れ替わっていた。わずか3年で知らない人が半分はいたわけである。
 テーマは『家族法』をテキストにして配偶者居住権であった。ほとんど最終章であった。私が欠席する前はこのテキストの半ば位であった。その間は任意の山岳団体の法人化と相続業務に追われていた。余りに多いので減らしたわけだ。法人化はボランティアであるがWEBミーティングはPCの前に座るのでさぼることができにくい。
 法人化は昨年10月に終わった。相続も12月末に成就して送金できた。多額の他人のカネをもって年を越したくなかった。
 明けて2024年は少しは肩の荷が下りたがまだ継続的な仕事はある。そろそろ再開である。

北の海からの味覚「ごっこ」の鍋物を食う2024年02月03日

「ごっこ」の入れ物はプラスチック製
 食品スーパーの鮮魚売り場で見つけた「ごっこ」の鍋物。今までに見たことはなく、当然食べたこともないのでスマホでググった。北海道の海で獲れる。しかもこの時期だけの漁獲という。栄養はコラーゲンたっぷりという。
 名古屋の冬は伊吹おろしで乾燥しやすい。喉を傷めるからコラーゲンの補給は有益だ。
 醤油ベースで食用酒で鍋にしてみた。見てくれは黒っぽくてグロテスクだが、食べてみると身はぷるぷると軟らかい。骨も食えるくらい軟らかいが、異物には違いないので出す。残り汁は豆腐などを入れて食べて切ってしまえる。

サイトから
基本情報
主に北海道、東北から入荷してくる。現在関東では、珍しいものではなくなりつつある。食べ方を知る人も増えてきており、冬を感じさせる魚のひとつだ。
食べ方は単純。ぶつ切りにして汁にするだけ。まだ一般的なとまではいえないものの、一度食べたら好きになるという味だと思う。

水産基本情報
市場での評価 冬、産卵期になるとまとまって入荷してくる。雄と雌は別々に入荷してくる。雌はやや高値、雄は安い。
漁法 刺し網
産地 北海道、青森県、岩手県

選び方
触って張りのあるもの。柔らかいもの、白っぽくなったものは古い。新しいものは吸盤が吸い付く。

味わい
旬は冬。
産卵に浅場にくる冬場が漁期で旬。卵巣は粘液質で旨味があるが、雄の方が筋肉などは美味。
アンコウに似ていて皮と身がブルブルして柔らかく鱗はない。吸盤も骨も柔らかい。
肝は柔らかくクセもなくやや強い旨みがある。白子も美味。胃や腸なども食べられる。
卵巣は煮るとバラバラになるが粘液をまとっているので、沈んでしまわず、ほどよく汁のなかで浮かぶ。
産卵期が漁の盛期で、入荷が増えるので、どうしても汁を作ることになる。
以上

https://www.uhb.jp/news/single.html?id=33673

詰め腹を切るということ2024年02月04日

 ソース:https://imidas.jp/idiom/detail/X-05-X-18-7-0005.html
辞職・辞任させられるなど、むりやり責任を取らされる。「だれかが責任をかぶらなければ、ということで販売課長が詰め腹を切らされて結局左遷さ」
以上
 2/2の帰り際に同席の人が元豊田自動織機の会社員だったので、「古巣が大変なことになっているね」と声掛けした。「辞めて良かった。居たら詰め腹を切らされていた」と。部下の手柄は上司の手柄、失敗は部下の責任という土壌であろう。
 トヨタの親会社であるから他のグループ会社よりも別格扱いされてプライドも高いだろうと思われる。そんな会社でも認証不正に手を染めてしまった。多くのトヨタ車のファンにショックを与えたんだろうと思う。
 こんな名門企業がなぜって?

 つらつら考えるとトヨタは世界での競争に勝ち抜いてきた。トヨタを追いかけるライバルが実質存在しない。ライバルは世界一のその慢心ではないか。

 2009年6月1日に世界一のGMが倒産した。
 トヨタは1968年に国内生産100万台を達成。それから48年後の2016年に1017万5000台に到達。
 世界の3大自動車グループの2016年世界販売はフォルクスワーゲン 1031万2400台、GM 996万5238台。
 トヨタはまずGMに勝った。2019年にワーゲンは1097万台まで伸ばしたが2015年以後はディーゼルエンジンの計測値の不正がばれてジり便になり、2022年には826万台まで落ち込んだ。ワーゲンにも勝ったのだ。
 日本のトヨタから世界のトヨタに名実ともに達成したのに。
 
 トヨタの経営難には至れり尽くせりの支援と恩典が与えられてきた。
 戦後の経営危機では日本銀行名古屋支店が市中銀行に呼び掛けて協調融資の音頭をとった。そして日銀再割引の恩典が付与された。市中銀行はトヨタが振り出した手形、裏書きした手形は日銀で割引ができる。流動性があるので信用は一気に高まる。協調融資銀行団は5000人の従業員の内1500人の人員整理を断行させた。代わりに協調融資でトヨタを支援。
 円高になるとドル買い円売りで支援。ドルは米国債に化けた。
 財務省は、1989年(平成元年)4月1日、日本ではじめて消費税3%を導入した。入れ替わりに昭和63年に20%の内税だった物品税が無くなった。これだけでも17%の減税である。
 当時の円は137円だった。1990年の法人税は40%だった。トヨタはお家芸のコストダウンで儲けても儲けても為替差損で利益を減らしていた時代だ。
 この時から直間比率の見直しの掛け声で消費税率増税と法人税率減税が始まった。しかも輸出車両の仮払い消費税は還付されるという恩典も与えられた。 
 世界と競争する企業の為替差損を支援するためだろう。トヨタには恩恵も大きい。
 2009年には豊田章男氏が社長に就任。アメリカで大量リコール、営業赤字4300億円、と大波乱でスタート。14年目の2023年に退任。
 地方自治体などがプリウスに補助金を支給したり、自動車税を免除して、増販促進を図る。日本経済のカネをを回す。こんなにもして経営に下駄をはかせるのも日本経済のエンジン役を担う基幹産業なればこそである。トヨタ自身の努力もあるが社会的に大きな支えがあることを自覚するべきだろう。

 豊田章男会長の双肩は重い負荷がかかった。

本の整理④2024年02月05日

 今朝は早起きしてプラごみ、空き缶類、燃えるゴミ類を出した。このところよく溜まるのは自炊が増えたこともある。朝食後はやや重いメニューだったせいか眠くなったので仮眠。
 午後はいつもの喫茶店で新聞を読む。その足で日進のコーナンに行く。昨夜にジャンボエンチョ-を物色したが良いものはなかったので規模の大きいコーナンへというわけである。やはり品ぞろえが豊富で充電式電動ドライバーは4000円前後であった。合わせて穴あけドリル、ドライバー、耐震金具などを購入した。
 自宅で電動ドライバーを2時間充電してから部屋の鴨居と本棚にL字形の金具をねじ止めした。とりあえず1ヶ所のみとした。後は天井と書棚のすき間を埋めるプラスチックの板も埋めた。これは天井のコンクリートが重量で垂れてきているのだろう。左右で約1センチの誤差がある。これもとりあえず、一番すき間が少ないところだけ埋めて見た。
 そして細紐に錘を垂らして約1mほど垂らすと左右前後の傾きが分かる。左右はOK,前後もOKでした。後は今まで書棚をセットしていた場所を変えた。レイアウトを考えながら少しづつ蔵書を整理して行く。

公益法人のガバナンスと危機2024年02月06日

 山岳会の上部団体が財政危機と報告された。昨年末に初めて公表されたがここにきて詳細が明らかになってきた。一体何があったのだろうか。
 『失敗の本質』は日本軍の敗戦に至る原因を失敗と見立てて原因を究明した書籍でベストセラー且つロングセラーになっている。 本書では6つに要約された。
ソース:https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6997
『失敗の本質』の
ポイント1:6つの失敗から学ぶ日本軍の特徴
日本軍は、全体として戦いの
①目的が不明瞭でした。各作戦において、行き当たりばったりに戦闘したり、目的が二重性を持つ(2つの戦略目的を持つ)ことになってしまったりと曖昧な目的だったため、統一性のない戦闘がおこなわれてしまったのです。

一方の米軍は、仲間内で議論を重ねて検討を進めた後に、目的をはっきりさせて動いていました。

ポイント2:異端・偶然を排除した結果の硬直化
日本軍には、「異端や偶然を排除する」という性格がありました。
②すべて人を同じ方向へ向かせ、異なるものは刑罰を与えたり排除する。当時の日本が「戦争一色」だったことを考えると、確かに、とうなずいてしまえる特徴です。

しかし「異端や偶然」は、自分たちの方向性を見直すためのものでもあります。自分たちの向いているもの、目的が果たして正常なものなのか。それを考えるきっかけが「異端と偶然」です。

しかし、日本軍はそれを徹底的に排除してしまっていたために、盲目的に組織が目指す目的を疑わずに行動してしまっていました。これは、組織の方向性の修正だけでなく、新しい考えも生まれない、つまり組織のイノベーションが起きないといった問題をも生み出してしまう考え方なのです。

ポイント3:環境の変化に適応できるかが勝敗を分ける!
日本軍と米軍は、環境の変化に対応したかどうかでも、違いが表れます。

③日本は初期の成功体験を信じ続け、また上層部の硬直した考え方で、戦略らしい戦略をとらず、戦術を重視した戦法を取り続けました。その結果、ガダルカナルの戦いで戦力を大幅に喪失した日本軍は、その後は負け続けてしまいます。

一方米軍はというと、日本軍の戦法を常に研究し続け、学習し、それを加味した対策・作戦で日本軍を圧倒していきました。新しい戦法を生み出し、トライ&エラーを続ける彼らの変化に、日本軍はついていけません。

日露戦争で勝利を収め、近代国家の仲間入りを果たした日本は、当時の勝利をひきずっていたのです。「白兵銃剣主義」「艦隊決戦主義」を過信し、新たな武器や兵器、戦闘機の発達に遅れをとりました。実際にこの戦争の決戦では、必ずしも白兵戦や艦隊戦が重要ではなかったのです。

日本軍は航空機や燃料の発達により、壊滅的な被害を受けました。空軍より海軍を重要視したため、米軍に遅れを取ったのです。

このように、日々進化していく科学技術や、相手の戦略に柔軟に対応することが、勝利の分かれ目となっていました。

ポイント4:成功体験にとらわれないイノベーションの重要性!
過去の成功体験にとらわれていては、イノベーションは起こりません。

先ほども説明したように、日本軍は日露戦争の勝利を、この戦争でも引きずっていました。また、最初の半年の勝利によって、それらの成功体験はやはり正しいのだと、過信を助長させてしまったといえるでしょう。

④そのため敵の戦力を過小評価し、一度失敗しても「過去に成功したのだから、運が悪かっただけだ」のように思ってしまうことが多かったのです。その間にも、米軍は日本軍の戦術を着々と研究し、自分たちの失敗も成功も改良し、次の戦いに備えていきました。

そもそも日本軍は、すでに模範解答が用意されており、それに向かっていく教育がなされていたのです。そのために、従来どおりの行動をし続けてしまうという弱さがありました。

過去に成功したからといって、それに甘んじているのではなく、相手が成長してくることも見据えての戦術や科学技術の開発、さらには組織としてのあり方を疑問視するようなイノベーションが起こらなかったというのも、日本軍の敗北要因のひとつでしょう。

ポイント5:学習スタイルの違いから学ぶ自己革新力の鍛え方!
では、成功体験を引きずらずにイノベーションを起こし続けるには、どうしたらいいのでしょうか?

⑤組織や自己が変わって進化し続けるには、自己革新力が必要です。これを身につけるには、まず「自己否定」をすることから始まります。そもそも成功にとらわれていては、自分を否定することはできませんよね。

本作では、日本軍と米軍の学習スタイルが異なることを例に挙げて説明しています。日本軍は「シングルループ」、米軍は「ダブルループ」といったスタイルです。

シングルループは、目標、問題構造が変わらないという認識を持ったうえで進める学習プロセスです。一方ダブルループは、学習の目標、問題そのものが本当に変わらないか?という疑問を持ったうえで、再びその問題を再定義したり、変更することもいとわない学習となります。

環境は、常に変わっていくもの。それを念頭において絶えず変化する現実、現状を見つつ、どんどんと見直していくスタイルが、ダブルループなのです。これだけの説明でも、米軍の学習スタイルが日本を上回っていたのだ、と理解できるのではないでしょうか。

人間活動でも自然活動でも、環境は常に変化していきます。特定のコト・モノに固執せず、柔軟に物事を考えなければ、自己革新はままなりません。どんなときもダブルループの考え方で取り組むことで、イノベーションは起こっていくのです。

ポイント6:現場を知らない指揮官の危険性!
⑥職場で、現場で営業している部下と上司の見方が食い違う。そんなこともあるのではないでしょうか。現実はこうなのに、上司はわかってくれない……そんな体験はありませんか?実はこの太平洋戦争のときも、そういった剥離が起こっていたのです。

先に説明した山本五十六は、新しい作戦を提案して実行するなど、確かに革新的な指揮官でした。しかし、個人の知識に頼ってしまった彼は、現場から帰還してきた部下と対話などせず、現場がどういうことになっているのかをあまり理解せずにいたのです。

それはつまり、結局は彼の頭の中だけでの計算にしかすぎないということ。そのなかでうまくいっても、実際に動く兵たちがどのように感じ、どのように行動し、また相手がどのように反応するかということを、報告を受けたうえでブラッシュアップするなどは、おこなわれませんでした。

上官が絶対だった日本的組織は、上官が現場を知らないにも関わらず、盲目的に上からの言葉を信じるのみだったのです。現場とそれが剥離している状況にも関わらず、です。

対話のままならない指揮官では、状況を好転させることは難しいといえるでしょう。

ポイント7:「空気」に左右される日本人気質の罠
今の日常でも、「空気を読む」という言葉は頻繁に使われますよね。旧日本軍も、そういった「空気」に左右されていたのです。

沖縄戦への戦艦大和出撃は、当初反対されていました。それは作戦を検討した際、大和が出撃しても意味がないという結論に至っていたからです。

しかし、それは参謀の一言で、出撃決定、とひっくり返されてしまいました。冷静に考えれば、兵員の犠牲や成功率などを重視しなければいけない場面であったにも関わらず。

なぜ、このような「空気」に左右されてしまうのでしょうか?

それは、まず1つ目にサンクコスト、つまり今までの犠牲を取り戻すために、さらに損害を重ねてしまうことが原因と考えられます。さらに説明すると、ずさんな計画を立てて多くの犠牲が出て、もう取り戻すのは不可能と思えても、それでも固執してしまうという状況です。

たとえば「次の台で出るかもしれない」とパチンコを続けてしまう考えと同じといえるでしょう。

さらに戦況が苦しく、打開する策が見つからない、何をしてもうまくいかないときは、現実を認められずにむきになってしまいます。冷静に考えることができなくなるのです。

そして、それは日本の「精神論」的な考えにもつながり、「やる気」「積極性」といった目に見えないもので評価される人事制度を助長したのです。

⑦上下関係が絶対だった日本軍では、部下の意見などを取り入れられることは、ほとんどありませんでした。そして上層部からの命令に、盲目的に従ってしまいます。

このような「空気」が日本軍を支配し、無謀ともいえる戦いに大きな犠牲を払ったのです。この「空気」は、現代社会にも少なからず存在するものといえるでしょう。

ポイント8:現代の日本とも共通する!?権威主義のリスク!
日本人的気質は、今も昔も共通しているのではないでしょうか。

目的が抽象化して具体案でないこと、何のための会議なのかわからないけれど上層部の判断に任せておこなわれること、人間関係や場の空気が尊重されること、結果よりも上司へのやる気の見せ方やプロセスなどが過剰に評価されること、声の大きい人の意見がとおってしまうこと……。

⑧現場との意思疎通が難しく、上層部が現実を見ず、過去のデータや成功体験に固執してしまい、変化に対応できないことなど、どこをとっても現代の組織の問題点にも通じます。

つまり、ここで書かれている失敗の本質は、「日本軍の組織的研究」でありながら、日本人の現代の組織の失敗の本質を説いているともいえるのではないでしょうか。

組織として上層部に権威を与え、そこを重要視していく日本的組織は、以前の日本軍のような失敗をする可能性をはらんでいるといえるのです。

・・・・・とてつもない巨額の赤字が出てから問題視される。予算統制が出来ていない。あるカネでしか執行できないはずが借金してまでやっている。どこかに無理がある。日本軍の敗戦と同様である。

干し芋で血尿?2024年02月07日

 午前中にアマゾンに注文していたつや出しワックスが届いた。さっそく1本を塗布した。乾いた板にしみこむばかりでつや出しというまでは効果はない感じである。とりあえず1本は使い切るまでもなく塗布し終わった。後は乾燥を待つ。
 昼遅く、昼食代わりに干し芋を食べた。国産の芋である。朝飯を抜いたせいか、空腹なので一袋全部食べてしまった。繊維質もあるし健康食である。
 ところが午後、事務所で用足しすると遅くに血尿が出ている。きれいな血液の赤ではなく混濁した感じの色だった。何が原因なのか、干し芋の食べ過ぎってこと?
 夜は山岳会の定例会に出席したが例会後の夕食では少しだけ濁っていた。明日は泌尿器科へ行って受診して見よう。

小便の色は正常に戻る2024年02月08日

 今朝一番で泌尿器科へ走ろうと思っていたが早朝には正常な色に戻っていたのでほっとした。なんだったんだろう。
 夜は久々にスーパーに行って、白菜の漬物や滅多に口にしない梅干し、果物、野菜等を買い込んだ。忙しいと肉類などに傾きがちで酸性体質になっているのだろう。少しはアルカリ質の食品でバランスを取りたい。
 相続人にはレターパック520で確定申告に必要な売買契約書などを送付した。少しづつ肩の荷が下りる感じがする。

本の整理⑤2024年02月09日

 午後から本の整理に取り掛かる。まず、様子見していた天井の高さまである本棚の耐震金具の右側を取り付けた。左は傾きがあったので早く取り付けて変形の様子見をしていたが安定した。右は穴開けドリルと電動ドライバーがあるので早い。揺さぶって見たが堅固になったので本の収納を開始した。文庫本と新書版を中心にほぼ満杯になった。
 次は整理整頓をしながらスチールラックにも本を収納して行く。ベランダに干しておいた木製の古い本棚も活用するために書斎(窓側6畳間)に隅に置いた。これも段ボール箱の中身を出しながら収納する。ひとまず収まってきたので寝室(窓の無い6畳間)の整理整頓に入る。
 掃除機で綿埃を吸い取りながらも燃えるゴミ、資源ごみ、紙ごみ、雑誌、新聞、機関紙、週刊誌などに分類しながら整理。本と雑誌は書斎に移動して隙間に収納する。木製の本棚の地図はばらばらになるのですべて廃棄した。地図のスペースに週刊誌、アルバム、大型の雑誌などがうまく収まった。
 これで枕元に山積していた本はすべて片づいた。就寝中に地震がきて本に埋まることは無くなる。寝室の大型の本棚は耐震対策してある。スチールラックの本棚が右に傾き加減になっているのでボルトの締め直しが必要だ。これは大掛かりなのでまた時間を作って整理する。
 段ボール箱も3つ減らせた。オイルヒーターもついでに雑巾で拭き掃除をしておく。結構綿ほこりが溜まっている。古新聞も取りおきする他は整理する。雑誌は捨てない。
 午後から開始して休みなしで時計を見たら19時を回っていた。寝室はとりあえずは片付いた。書斎は50%の仕事が残る。4畳半は冬から5月頃までは物置にしてある。
 今後は山岳雑誌、一般雑誌、機関紙、衣類を捨てる。などでスペースを広げて余裕を持たせたい。

同窓会の新年会へ2024年02月10日

 今年最後の同窓会は母校の名古屋支部。会場は名駅前のマリオネットの16階。11時30分から始まるの1時間前に出発。これまでは生地の厚いシャツだったが少し薄いがしっかりした生地のカラーシャツと久々にネクタイを締めた。意外にも外は暖かい。立春が過ぎて春は争えない。
 土曜日で天気も良いせいか伏見駅までも満杯だった。名古屋駅も久々である。名古屋マリオネットアソシアホテルへのルートは大体が分かるがスマホでチエックするとワンダリングしてしまう。GPSも地下街には弱いのだろう。
 多数の同窓が先着。会費8000円を納付。しばらくして会場入り、コート、手荷物をクォークに預ける。広い会場に円卓が4列で並ぶ。渡された出席者名簿には219名とある。中々の盛会である。
 出席した理由は昨年11月の学長選で広瀬裕樹氏が新しく就任して、今日はそのお披露目の記念すべき日である。他の出席者もその理由で参加している。いつものの懇親会に加えて広瀬新学長の講演「愛知大学の「新しき朝の光」は~「面白い!」で溢れるキャンパスへ」があったからだ。このために広瀬ゼミの関係者も出席して盛り上げた。さらに愛大学生らののチアガールも華やかさを添えた。
 しかし料理は会場費に割かれたのか、品数は控え目というより少なかった。ビール少々と白ワイン一杯飲んだだけである。昼間からの食事なのでそんな配慮もあったのかな。散会するまでは知己と歓談した。
 14時30分、散会後はジュンク堂へ立ち寄る。国際センター前から久屋大通り駅前へ移動。事務所で寝不足を解消とばかりに寝てしまった。起きたら18時だった。3時間近くも惰眠をむさぼった。
 昼食をとっていないので、東桜のとんかつやへ行った。肉厚で軟らかい食べ応えのあるとんかつ定食だった。ご飯は小で良かった。これで1958円也。また行きたい店である。