岩と雪と酒を愛した真のアルピニスト逝く!2019年10月23日

 今夕は支部報の編集会議に出席。その席で古参会員の橋村一豊氏の死去を知った。「岳人」や「山と溪谷」誌などのバックナンバーをよんでいると記録報告が目についた往年のアルピニストである。支部活動を通じて謦咳に接すること多々あった。
 芳野満彦『新編 山靴の音』(中公文庫)にも成城大学山岳部の学生として出てくるから相当な登山技術の登山家であった。剱岳や穂高岳周辺の初登攀の記録の持主とも聞かされた。
 東海支部との出会は創設当初の海外遠征に参加したというから古い。多分、1965年10月~1966年3月のアンデスのアコンカグア峰(6,959m)であろう。しかし、大企業の会社員だったから生活の拠点は東京だった。定年後自由の身となり、豊田新線の三好付近に住まわれていた。支部ではもっぱら中高年になってから始めた登山教室修了者の新人の登山指導に熱をいれていた。岩登り、ルートファインディング等。
 それが一段落すると森林インストラクターの資格をとり「猿投の森」を立ち上げた。しかも法人格を取得する手続きにも精通していたのは会社員時代の事務能力の高さを示す。愛知県の県有林の北向きで育ちが悪い部分の植林を伐採し、そこに落葉樹を植えて自然を愛する人らの憩いの場を造成する試みである。今は見事な雑木林になっていると思われる。
 過去の支部報にも多数の寄稿がある。「岳人」にも寄稿していた。中でも忘れられないのは、氷壁登攀のトレーニングの逸話だった。藤内壁でアイゼンの爪先が丸くなるまでやったという。そこまでやって初めて本格的な穂高や剱の氷壁に挑戦する自信が付いたというのだ。一にも二にも自信が付くまでやり通すわけだ。
 多くの山仲間を山で失った。九死に一生を得る経験もあったという。生き残れたのは豊富な練習量が支えになったという。
 晩年は認知症になり関東の老人施設で療養中と聞いた。狷介固陋なところはあったが、あれだけ知的な人物がなぜ認知症になるのか、不思議に思う。また酒が大好きだった。折があれば健筆をふるってもらいたかった。
 来る10月26日には橋村氏が立ち上げたその猿投の森で、「森の音楽祭」が開催される。東海学園交響楽団による演目はL. v. ベートーヴェン / 交響曲 第5番 ハ短調「運命」作品67。トヨタ自動車合唱部の合唱もあるらしい。良い追悼の機会になるだろう。あの世に響け「運命」。