日進市の白山宮に参拝2019年05月10日

 久々に気持ちの良い朝。北風があるのでさわやかである。日進市の白山宮へ参拝のポタリングに出掛ける。名古屋市境を一歩出ると田園風景が一気に広がる。この開放感が良い。天白川沿いに走るとまだ田んぼに水が入っていない。牛糞が積まれているから田を鋤くのはこれからだ。
 白山宮に着いて鳥居の前で一礼。階段を登る。本宮の後、合祀の末社にも参拝。その後で、足王社に参る。ひざ痛の神様である。下山後、次々と参拝者が登って行った。結構な信仰者が居るようだ。
 その後、行きつけの喫茶店で一休み。原駅の眼鏡店に寄る。かねてより、常用の眼鏡が壊れそうなので新調した。普段使いの度の弱い調整のままである。眼鏡店の記録を見たら1988年に調整していた。ずいぶん長く使ったものである。古い眼鏡も溶接できればしてもらう旨依頼した。
 次は布団干しの際に落とした枕の回収の仕事があった。1階下は無住、2階下も長期無住であった。ところが2階下のベランダに布団が干してある。自宅に戻り、管理人室で、階下の住民の電話を教えてもらう。事情を話すと気持ちよく回収してくれた。たまたま外国から帰国していたらしい。来週中にはまた日本を離れるという。色んな住民が居る。
 もう一つ力仕事が残っていた。ジャッキでボディをアップしてはめかえる。汗を流してやっとスタッドレスタイヤから夏タイヤに交換した。4/27から5/6までは青森へのロングドライブで途中豪雪地域を通過するので用心してそのまま走った。その心配は無用であった。

愛知県知事選2019期日前投票に行く2019年02月02日

 うらうらと冬晴れの1日、このところの読書疲れで飽きたこともあり、午後から期日前投票に出かけた。外に出るとけっこう風が強くて寒い。ビル風というやつで高層ビル群の間を巻き込むように吹きつける。とっくりセーターにジャンパー、防風衣に雨具を着用し、自転車にまたがる。投票所の天白区役所はすぐである。

 区役所の3Fまで徒歩で上がり、投票のしらせを渡す。意中の候補者の名前を書いて投函。現役と日本共産党候補なので、勝利はもう決まったようなものでだが、投票率を気にする報道もあり、やはり権利行使をしておこうと行った。

 期日前投票にはかなりの人が来ている。並ぶほどではないが切れ目なく有権者が続く。報道が効いているかに思う。40%は無理としても35%くらいに達するか。

 愛知県には目下、政争といえる政治難題はないに等しい。大村知事の行政手腕は可も無く不可もない。しかし、投じないと低迷に終わる。

 かつて中日新聞の小出社長(今は主筆)が失言したことを思い出す。

 以下、ハフィトンポストWEBから
 「中日新聞社前社長で現主筆の小出宣昭氏(73)が、名古屋市千種区で13日に開かれたシンポジウムで愛知県三河地方出身の大村秀章知事について語る際、「三河に行くと時々、大村さんのような保守かリベラルか、性同一性障害ぐらいの知事が出ます」と発言した。終了後、小出氏は記者団に対し「言葉が滑った」と述べ、発言を撤回した。

 小出氏は、立憲、民進、希望の3党幹部をパネリストにしたシンポジウムにコメンテーターとして参加。発言は、愛知県の政治風土を解説する中で出た。会場には大村氏も姿を見せていたが、この発言の前に退席していた。

 小出氏は「三河は保守的な風土が強い所だが、大村さんは非自民の態勢を貫きつつ、自民党的な発想も大事にしていることを言った。(性同一性障害という)表現は不適切だった」と説明した。(黄澈)

 小出氏は東海高校から早稲田大へと名古屋人のエリートコースを行ったから三河人気質が分からない。三河を保守と断定するから失言するのである。
 三河人気質とは
1 一刻者
2 忠君愛国
3 薩長藩閥政府に対するコンプレックスがある。など。
 1は頑固者という意味。
 2は殿様や上司によく仕える風土がある。
 特に3は岡崎が生んだ偉人・志賀重昂はジャーナリストの草分けであり政治評論にも健筆をふるった。時の愛知県人をみて「三河男児の歌」を著したほどだった。確かに八高も名古屋帝大も一番最後に設立されて割を食っている。
 
 大村知事は三河で生れた久々の逸材であろう。東大卒、官僚経験、政治家(国政、県政)の道は、志賀の期待した三河男児を彷彿させる。一期目のころ、トヨタ自動車のために「汗をかいた」ともコメントした記憶がある。トヨタの業績低迷は愛知県の財政にももろに響くからだ。ここは自民党的体質である。
 それでいて、リベラルの面もある。朝鮮人学校への補助金助成でも知事は人権重視として支給する。河村市長は徐々に減額する姿勢とは一線を画す。
 また昨年は杉原千畝の顕彰碑を県立瑞稜高校に設置した。ナチから逃れるユダヤ人へのビザを命令に背いて発給したというもの。日本国挙げてユダヤ人を逃がしてあげたのだから杉原1人の功績ではないのだが、裏で時の日本政府の東条英樹首相を悪者にしたい政治勢力があると思う。つまり東京裁判史観である。
 こんな所がメディア側からは把握し難いのである。突っ込みどころのない全方位行政である。
 一方で、対立候補の榑松佐一氏は政策はリベラル一辺倒であり県の発展につながる夢がない。何分、日本共産党であるから、2600年の伝統のある皇室否定、一党独裁、など日本崩壊につながる。県政を委ねるわけにはいかない。
 共産主義は所詮、ユダヤ人のマルクスが考えた思想に過ぎない。これにユダヤ人とモンゴル人の血が混じったレーニンが結びついて暴力革命の思想になった。ロシア革命は実はユダヤ・クーデターというのが現在の見方である。プーチンがたたかって来たのはロシア内のユダヤ人であった。
 ユダヤ人は両建てといって、資本主義も共産主義又はグローバリズムもカネ儲けの道具に過ぎない。日本共産党も深層ではアメリカのユダヤ金融資本の掌に乗っているのではないかと思っている。しかし、日本共産党のようなカネに清潔な政党がないのもまた困ったことである。と言うわけで今回は??。

元旦の針名にひびく太鼓かな 拙作2019年01月01日

 初詣にははじめての針名神社を目指した。普段はポタリングでよく行くランドマークにしている神社である。いつもは閑散としているが今日は違った。マイカーは渋滞を予想したとおりPは満杯だった。それでポタリングにしたが、初詣客が何と鳥居の近くにまで及んでいた。
 新春の心を鼓舞するかのごとき太鼓も鳴り響き、淑気に満ちた針名神社の元旦の風景を目に収めた。地域で有数の参拝客を誇るだけのことはある。
 早朝は多いので午後遅くにしたのだが天気が良かったせいで予想以上に外へ出たのだろう。行列に並ぶ手もあったが、本殿までぐるっと周って心の中だけの参拝を果たした。
 元旦から割り込みは避けたいので・・・。
  金輪際わりこむ婆や迎え鐘  川端茅舎
という有名な俳句もある。句意は「迎鐘の行列に婆が割り込んでくる。
婆さん順番だ、と教えても耳が遠い振りなどして結局割り込んで鐘をついた。金輪際」は仏教用語で大地の底の底。どこまでも、という意味。」
 
 自宅までもどって地下鉄で丸の内へ。中区三の丸の愛知県護国神社へ初詣した。ここは官庁街とあって閑散としている。境内もちらほらといるだけでスムーズに参拝を済ませた。

 徒歩で久屋大通りの事務所へ入って、年賀状を整理する。新規は20枚、返信用にとっておいた10枚では足りないので買い足すことになる。
 明日は初登山で多治見市の最高峰の高社山416mへ。山上の高社神社へ初詣する予定。明日も晴れますように。

朝のポタリング再開2018年10月26日

 山に行きたし、されど猛暑と悪天候で中止が続いた。今年は不作に終わった。せめてトレーニングにとポタリングも考えたが早朝から30℃を越えるので止めた。
 秋冷とともに動きやすくなった。それでポタリングを再開した。朝冷えの中を走るのは気持ちが良い。爽やかな気分である。天白川には白い鳥が乱舞し始めた。晩秋から初冬の風物詩である。
 先だっての14日は瑞穂区の瑞稜高校にオープンした杉原千畝の愛知県の顕彰碑にポタリングで行って来た。報道もあってか大勢の見学者でにぎわっていた。帰路は瑞穂区の袋小路のような市街地の路地を抜けて走った。その中に津賀田(つがた)神社を発見した。祭神は天照大御神と仁徳天皇であった。ちょうど秋祭の準備中であった。
 実は6年間お世話をしてきた被後見人が7月に亡くなった。8月9月は相続人調査に終始し、引き継ぎを終えた。相続人から引き続き遺産相続の手続きも依頼された。財産は100%把握している。二つ返事で受任した。9月末に遺産分割協議を終え、争いがないことを確認して預金解約に奔走してきた。これも今は90%まで解約が進み、後は不動産の相続登記が済むと終わる。さらに相続税の申告書を税理士に依頼すると当職も肩の荷がおりる。
 多くの銀行や役所と折衝するので相当にストレスがかかった。寝床についても頭の中では書類の内容と手順を繰り返しチエックしている。寝付かれず、遊ぶ気になれなかったのも事実だ。
 他人の権利義務に関与する書類作成は行政書士法に認められた法定業務だ。しばらくは緊張感のともなう日々が続く。終わったら山に行きたい。紅葉に間に合うだろう。

平針の針名神社を経巡るポタリング2018年07月02日

 7月になった。6月は沢登り2本、ロング1本で立て続けに本格的な登山をこなした。それで満足してしまい先週も今週も中休みにした。強度としてはプレ夏山になる。 
 それでも大腿筋の筋力の衰えが気になるので、しばらく休んでいたポタリングを再開した。昨年は6月から9月まで3日置きに走っていた。お陰で膝痛が緩和して、登山を再開できるまでに回復した。
 今は毎日飲んでいるビタミンB剤からの解放を目指して、米を5分づきにして食べることにしている。食べると効能は明らかで、たちまち便秘が解消した。米糠の繊維質か胚芽にあるビタミンB1の働きかは不明ながら健康食との確信を得た。
 適度な運動、時々限界に挑むハードな運動、ほぼ毎日5分突き米を食し、植物性と動物性のタンパク質を摂取する。これが当面の日課になる。
 今朝は明け易い時期なので、5時過ぎには目が覚めた。5時半にプラスチック資源ごみを出し、自転車に乗った。さてどこへ行くか。瀬戸市辺りに黒っぽい雲が湧いている。名古屋は梅雨晴れで青空が見える。雲はかかるが、猿投山の輪郭もはっきりしている。自然と東に向った。
   梅雨晴れ間猿投の見える所まで
 平針駅まで来て、昨年6/9の初参拝以来、しばらく来ていない針名神社に参拝するべく走った。静寂な境内で御手洗で手を清める。ここは水が噴出し、曲げ物の柄杓で水を掬う。これは繁盛している神社のバロメーターである。参拝者の少ない神社は水が空だったり、アルミの柄杓だったりする。本殿は改修中であったが、お賽銭を投入して参拝を済ませた。他の神様にも参拝した。
 神社を辞して、赤池駅から名古屋市鉄道局の整備工場をまたぐ橋を渡ると日進市から東山に抜ける県道219になる。久々に御嶽山の水で満たされた田園風景に見入る。ゆっくり走って、天白川の橋を渡り、路地からコメダ珈琲店梅森台店に入る。朝7時前でも営業中なので、ちょっと休む。日刊紙各紙に目を通し、汗をかいた後の体でコーヒーを味わう。この習慣は続けたい。
 喫茶店を出ると後は一目散に自宅に戻る。原駅が近づくと、三々五々、通勤者が歩いて行く。
 小津映画の『早春』の冒頭で見られるショットと同じである。あっちからこっちから会社員風情の男女が早足で駅に向い、ホームで鈴生りに並ぶ。そして東京へ向かう。どんな意味があるのか。多分、会社員の喜怒哀楽を描く象徴として描いたのだろう。
 天白川を渡り緑道を走って帰宅した。今日も暑い1日になりそうだ。梅雨明けが近いかも。

麦秋の海津市を訪ねて2018年05月26日

 23日に行ったが、遅掛けでさらっと見てきただけだった。所用が片付いたので再度海津市を訪ねた。今回は名二環から県道79号経由東海大橋を渡った。
 木曽川、長良川の大河を渡る。ほとんど流れは見えない。底流では早い流れなのだろう。雪解け水や大雨で川岸の木の枝も水に浸かり、水量は多めに見える。
 海津市に入ると田園が一面に広がる。大かたは水田で、苗を植えたばかりの植田が多い。水田もまだある。その反面で麦田も結構広がって見える。高い建物が無いから空が広い。
 西には屛風のように養老山地がふさがる感じである。左のアンテナの多い山は多度山だろう。北寄りに狐平山がある。
 さて、まずは喫茶店でホットコーヒーで一休み後、お城をイメージしたような歴史民俗資料館へ行く。館内に入って310円を支払う。閑散としているが来客はちらほらある。当館のメインテーマは1F~2Fの輪中と低地の農業・暮らしである。3Fの高須藩のスペースでは、高須松平藩御館の一部を復元した。御玄関から御書院の間に至る主要部分の能舞台と広間を加えた。華美ではないが、それなりの格式をもっていたのだ。
 2015年には林董一氏が来て講演会もあったらしい。最後にコーナーで『高須四兄弟』(新宿歴史博物館、平成26年)のパンフレットを購入して辞した。美濃高須藩と云っても、四兄弟は新宿で生れたのである。高須は領地だったという関係だけなのだ。ただ領主は1回か2回は来たらしい。恵那の佐藤一斎だって、江戸屋敷の生れで、1回だけ来て、天瀑山に登ったという。
 その後、自転車を出して、高須を走った。ネットからプリントした絵図を参考にしたが案内はないので山勘で走った。植田が庭園のように見える見事な田園風景である。山にも景勝地として餓鬼の田んぼがあちこちにある。低湿地のことである。
 地図を見ながら適当に走ると、堀の跡の園地に着いた。主水橋という橋が当時の名残をとどめるのみである。
 そこからやや登り気味に走ると旧市街地である。若干高くなっている。古街道のように軒先を寄せ合って、クルマなら軽がやっと通れるような狭い道がまっすぐに伸びる。一見。江戸時代にタイムスリップした古い家並みが続く。
 そうか、高須の地名の由来が想像できる。地名語源辞典には高洲、高い所、台地、自然堤防などと類例がある。ここでは本来は高洲と書くのだろう。自然史的には東海湖が干上がった結果できた低湿地帯である。揖斐川や長良川が氾濫を繰り返して出来た沖積平野である。堤防道路を除くと標高は2.4Mあり、海津市では一番高い。高い所に住宅が密集している。
 地政学的にも、中山道の関ヶ原へは陸路で、桑名藩の松平定敬へは水上交通、尾張藩の慶勝へは水上交通でほぼ等間隔の位置にあり、重要な位置だったと分かる。
 これも自転車で走るから分かったことである。約30分のポタリングになった。

御嶽の水日進の植田水2018年05月21日

 体が久々に運動を欲しているので、朝一で資源ごみを出したついでにポタリングに出かける。部屋に戻るとネットや読書になるので一汗かくまでは戸外で遊ぶ。
 21日の天気予報を見ると、朝6時現在は日本列島の中心に高気圧が張り出している。その周りには5つの低気圧があり、千島列島に熱帯低気圧から前線がかかる。晴れているのになぜか湿っぽいのはこのせいか。梅雨前線の前触れである。

 幸いに空気は冷たい。さっそうと爽やかな空気を割いて走る。日進市まで入ると空気もうまい気がする。かなたにはやや霞んで猿投山が見える。田んぼはまだ水を入れている段階。その水は愛知用水即ち木曽川の水である。
 なるだけクルマと同じ道を避けて走るが、渋滞回避のクルマが狭い道でも入ってくるから危険この上ない。天白川沿いには自宅近くから「オオキンケイギク」の群落が目立つ。日進市のHPでは6/5から特定外来生物の駆除を始めるとか。しかし、名古屋市は大らかで駆除の話は聞かない。
 見た目はきれいである。「5月~7月頃にかけて、鮮やかな黄色の花をつけるオオキンケイギク。市内の河川敷や道路脇などでよく見かけます。
 オオキンケイギクは、日本の生態系に重大な影響を及ぼすおそれのある植物として、外来生物法による特定外来生物に指定され、栽培(植える、蒔く)、運搬、販売、野外に放つことなどが禁止されています。」とHPにある。北アメリカ原産という。

 話は飛躍するが、まったくキリスト教の布教と同じで、信長も秀吉も手を焼いた。家康になって排除していった。日本人は祖先を敬う宗教は受け入れた。仏教も外来思想だが祖先を祀るから広く布教できた。しかし、インド仏教は祖先崇拝はしないそうだ。
 ググってみると「日本仏教は、さまざまな要素の寄せ集めから成り立っているということになります。ある研究者によれば、日本仏教の8割はインド仏教とは無関係な先祖供養、1割が心の救済を求めてのインド仏教、1割が現世利益を求めての道教の要素から成り立っている」
 持統天皇も道教に熱心だったという。伊勢神宮は皇室の祖先崇拝であるから仏教系の思想ではない。自ら神になって遷宮を始めたのも祖先を忘れないようにという狙いだっただろう。
 というわけで日本には有害な一神教は育たなかった。アメリカは日本を破壊しようと、いろいろ画策する。東アジアの平和をひっかきまわすのもアメリカである。GHQによって丸腰になり日本の国防はゼロになった。その隙に多くの朝鮮人が不法入国してきた。戦後は被害者の立場を強調、メディア、企業、司法、政治、行政など社会の中枢に定着してしまった。李明博大統領があからさまに旧民主党政権を通じて日本侵略を宣言したことで日本人の怒りを買った。

 外来種は植物でいえばフキノトウ、ヒガンバナ、スイセンなどだが、大抵は荒れ地や林道脇、河川敷、田んぼなど絶えず人間の干渉が入る所にはびこる。しかし、原生林や鎮守の森のような伐採の手が入らない所は在来種が守られる。
 人間の社会もまさにこれ。日本社会の衰退した所や無防備なところが狙われる。今日の週刊誌の見出しに、中国人が中国で出産したのに「出産育児一時金は海外で出産しても受給可能で、病院の出生証明書があれば申請できます。海外出産の実に63%が中国籍です。しかし、出生証明書が本物かどうか、区は確認していない。紙切れ1枚あれば42万円が受け取れるのです」(zakzak)というのだ。高い健康保険料を払って、なぜ反日国家の中国人の福祉に貢献するのか。

 話を元に戻して。河川敷には本当にオオキンケイギクだけが目立つ。繁殖力が強すぎて他の植物を排除するのだ。そんなことを思ううちに日進市役所付近まで走った。あいぼくテラスまで足を伸ばしたかったが昨年12月で閉店という。走る目的が無くなるとモチベーションが弱い。今日はここで引き返す。水田、植田、苗田を散見した。田植えはまだこれからだ。

GW後半へ2018年05月05日

 今朝は猿投山が見えていたのに午後は曇天になった。少し肌寒い。午後3時過ぎまで積読の本や雑誌を読みまくる。
 乱読に飽きると自転車に乗りたくなった。すると前に修理したパンクだが再び後輪がパンクしていた。已む無く、タイヤとチューブを交換してもらった。約6000円弱の支出になった。まあクルマよりは軽い。
 曇っていた空が黒くなり、雨粒が落ちてきた。すぐ止んだので平針市街地をぐるっと走った。すると土手には例の絶滅させたいオレンジ色の花の群落を見た。しつこい外来種である。
 夏モードに切り替える時期が来た。それからタイヤも夏タイヤに変えなきゃ。昨日はタイヤ4本を載せる台車の車輪が壊れたのでホームセンターで買ってきて交換した。
 さらに倉庫代わりの車内を整理をした。スキー板、ピッケル、ストック、山スキー専用靴、タイヤチエーン、シールなどを部屋の押入れに収納してすっきり。逆にポリタンの灯油の残りはディーゼル車の給油口に注いで空に。
 今日も見まわすと片付いたと思っていたが、まだワカンと冬用登山靴、冬用のヤッケもパンツも残っていた。ところが北アルプスから尾瀬にかけて北の山では冬に逆戻りで降雪中という。春山の怖さである。遭難が起きねば良いが。
 GW前半の山では心肺機能と持久力の低下を実感した。この年で鍛え直すなんてどうかなと思うが、走れる体に戻したいとは思う。減量のために減食で急いだために急病を招いた昨年の反省がある。少しづつランニングを取り入れたい。
 体には常にタンパク質とビタミンの補給が必須だと知った。さらに酵素も必須だった。要するに刺身のツマや付け合わせである。大根おろし、しょうがの付け合わせ、生野菜のサラダや生ジュースなど。加熱すると失われる酵素は様々な病気を引き起こす。犬や猫でさえ飼育されると人間並みの病気になる。それは酵素の不足だそうな。刺身のツマにも意味はあったのだ。白髪は酵素が不足して頭髪に回せなくなった結果だという。
 老いて知るのは先人の食の知恵には一切の無駄がないこと。

映画「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」観賞2018年04月02日

 前評判の高い表記の映画を見に行った。映画館は昨年開館した日進市赤池にある『プライムツリー赤池』4FのTOHOシネマズである。天気も良いのでポタリングで行った。調べると約3.5kmくらいだった。14時30分に出て15分で着いた。
 映画COMの解説「名優ゲイリー・オールドマンがイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルを演じ、第90回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した歴史ドラマ。チャーチルの首相就任からダンケルクの戦いまでの知られざる4週間を、「つぐない」のジョー・ライト監督のメガホンで描いた。
 第2次世界大戦初期、ナチスドイツによってフランスが陥落寸前にまで追い込まれ、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。連合軍が北フランスの港町ダンケルクの浜辺で窮地に陥る中、就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手にヨーロッパ中の運命が委ねられることに。
 ヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、究極の選択を迫られるチャーチルだったが……。チャーチルを支える妻クレメンティーンに「イングリッシュ・ペイシェント」のクリスティン・スコット・トーマス、秘書エリザベス役に「ベイビー・ドライバー」のリリー・ジェームズ、英国王ジョージ6世役に「名もなき塀の中の王」のベン・メンデルソーン。
 脚本は「博士と彼女のセオリー」のアンソニー・マッカーテン。アカデミー賞では主演男優賞のほか、オールドマンの特殊メイクを担当した日本人メイクアップアーティストの辻一弘らがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。」とあり、日本人のメイクアップが話題になった。オールドマンがこんなにも変わるのかというサプライズがあった。
 出演者が数名に絞られているが、中身は大きな歴史のうねりを描いた。名政治家は演説がうまい。言葉で多数の人を動かす。敵役にされたヒトラーの演説も中々のものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=T2jhno1BL3w
 ドイツ国民を奮い立たせる扇動者の見本である。WW1で敗戦後のワイマール体制からの脱却を訴える。
 一方、受けて立つチャーチルはどうか。
チャーチルの肉声が聞こえる演説
https://www.youtube.com/watch?v=BYddUT_547A
チャーチルの人物像をまとめた
 https://www.youtube.com/watch?v=s_ssvsIY7Oo&t=1s

 映画を見て思ったことはチャーチルの偉さは困難から逃げなかったこと。
 それは英国の宣教師で登山家だったW・ウエストンは『日本アルプス 登山と探検』のまえがきの「今日の日本において、世界はまのあたりに、国民的な威信をなおそこなわないで保ちながら西洋文明に同化適応する力を発揮している東方一国民の、類い稀な例証を見ることが出来る。
 その上、この注目すべき民族が、現在では予測できないほど将来豊かに発展することは、ほとんど疑問がない。この民族は、国民的な威信の向上のためには、恐らくどんな自己犠牲も払えるのである」 ウォルター・ウェストン(1861-1940)『日本アルプス 登山と探検』(平凡社ライブラリー) 」と書いた。
 騎士道の国が武士道の国を認めたのである。
 アルピニズムの国らしく困難から逃げずドイツに挑んだ。騎士道の国ゆえに困難から逃げなかった。日本は負けたが欧米の奴隷になるまいと思って戦った。日本は多大な犠牲をはらい、絶滅寸前まで戦ったから国体が守られた。
 チャーチルもまた英国にドイツの国旗が立っても良いのかと、問うた。「never」と叫んだ。多くの犠牲を生んだが国を守る気概を示した。言葉一つで流れが変わったのだ。
 一見の価値があります。

つるまい図書館へポタリング2017年12月05日

 12/4の編集会議で石岡繁雄の列伝の記事を書きなおすことになった。石岡氏はいわゆるナイロンザイル事件の当事者である。それで資料として『氷壁・ナイロンザイル事件の真実―石岡繁雄が語る』を借りるために自宅から鶴舞まで運動不足解消を兼ねてポタリングした。
 まず天白川沿いのサイクリングロードを走ると両岸とも工事中で通しで走れず、早目に平地に下った。山崎川沿いのサイクリングロードから路地裏を抜けて広い車道に出て図書館に着いたら何と休館日だった。折角、月曜から休館日明けを狙って来たが残念。やむなく自転車をデポして愛知県図書館へは地下鉄で往復した。県の図書館にもある。
 また自転車のデポ地に戻って自宅へ帰った。
 ついでにイヴォン・シュイナード『社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』も借りた。アメリカのアウトドア用品メーカーだ。ここも登山家のハーネスの使い方が悪くて墜落事故があり、遺族は資金力のない登山ガイドからは損害賠償は取れないのでハーネスのメーカーのシュイナード・イクイップメントに請求してきた。アメリカの弁護士はいちゃもんでも堂々と訴訟を起こすから大変だ。シュイナードは設備を社員に譲渡、ブラックダイアモンド・イクイップメントを立ち上げて製品の生産は続行させた。
 ナイロンザイル事件は戦後まもなく前穂高岳で起きた事件で、井上靖『氷壁』のモデルになった。映画にもなった。石岡氏はザイルの研究を続けて、安全なザイルの啓蒙に努めた。PL法制定の契機になった。その顛末を詳細に記載した本である。
 ナイロンザイルの強度を蒲郡の工場で切断試験をした。報道陣にも公開された。試験結果は切断せず、だった。ところがおかしいと思った石岡氏側の人がこっそり工場に忍び込んで試験器具を調べたら角を丸めてあることが判明して大騒ぎになった。
 ザイルメーカーは東京製綱、ザイルの素材メーカーは東洋レーヨンであった。事前に口裏を合わせて切断されないように角を丸めた確信犯だった。こちらはいちゃもんではなく実証済みである。実験の責任者だった篠田軍治氏はあれは登山用ザイルではなく魚網の試験だったと言い逃れた。
 鋭角で切断する欠点ははっきりした。これだけはっきりするとメーカーはもう言い逃れできない。東京製綱はいつしか消えた。東洋レーヨンは1970(昭和55)年に東レと名称変更した。企業はつくづくメンツ(利益)を重んじて、たとえ多数の人命が失われても真実を隠蔽するものだという原点のような企業だ。
 試験後もザイルの強度を信じて使用した登山者が次々墜落死したのだった。東海地方だけでも名大山岳部、名古屋山岳会、愛大山岳部の3名が死んでいる。
 ひところ、企業の社会的責任論が広まったが今再び無責任な企業が表面化してきた。東レも再び聞いた。