サマータイヤを新調 ― 2019年06月01日
早くも6月入り。令和になって1ヶ月になった。昨夜はベランダの窓を開けて寝たら朝になって寒かった。寒暖の日較差が大きい月でもあり、さわやかな初夏の過ごしやすさを味わうのも今ひと時である。
今日は懸案のマイカーのタイヤを購入した。GWでは青森往復はスタッドレスタイヤだった。帰名後はサマータイヤに履き替えた。16日から19日まで再び南東北のロングドライブに行くが、ゴム質が固い分転がり抵抗が少なく、サマータイヤは軽い走りになる。ところが山岳路のタイトなカーブを高速で走ったためタイヤのショルダー部が摩耗が激しかった。
お金でも、クルマの燃料計でも最初は減り方が少なく安心していると、一気に減り始める。タイヤでも同じことで、まだ良いと様子見していたらこの前の雨の日のドライブで、ブレーキをかけるとABSが働いた。つまり摩耗したショルダー部は雨水の逃げ場がないのでブレーキでタイヤがスリップしロックするためだった。
これはタイヤの交換サインなので今日は安いタイヤショップを謳う店を訪ねた。ところが安さの秘密は韓国製だった。日本製は以前に値上げしたために、韓国製のタイヤでフィッシングするのだろう。前輪のみなのであまり値引きはなく、そこはパス。いつもの店で見積もると2本で1000円安かったのでそこにした。しかも日本製で後輪と同じメーカーなので都合が良い。
これで安心して雨の日のドライブでも走れる。いわば保険料みたいなものだ。
今日は懸案のマイカーのタイヤを購入した。GWでは青森往復はスタッドレスタイヤだった。帰名後はサマータイヤに履き替えた。16日から19日まで再び南東北のロングドライブに行くが、ゴム質が固い分転がり抵抗が少なく、サマータイヤは軽い走りになる。ところが山岳路のタイトなカーブを高速で走ったためタイヤのショルダー部が摩耗が激しかった。
お金でも、クルマの燃料計でも最初は減り方が少なく安心していると、一気に減り始める。タイヤでも同じことで、まだ良いと様子見していたらこの前の雨の日のドライブで、ブレーキをかけるとABSが働いた。つまり摩耗したショルダー部は雨水の逃げ場がないのでブレーキでタイヤがスリップしロックするためだった。
これはタイヤの交換サインなので今日は安いタイヤショップを謳う店を訪ねた。ところが安さの秘密は韓国製だった。日本製は以前に値上げしたために、韓国製のタイヤでフィッシングするのだろう。前輪のみなのであまり値引きはなく、そこはパス。いつもの店で見積もると2本で1000円安かったのでそこにした。しかも日本製で後輪と同じメーカーなので都合が良い。
これで安心して雨の日のドライブでも走れる。いわば保険料みたいなものだ。
「横浜シーサイドライン」の逆走事故 ― 2019年06月02日
朝刊を読んだら表記の事故を知った。死亡事故にならなくて幸いであった。事故原因は不明という。無人運転で過去は無事故の実績がある。それなのになぜ?
高速道路の逆走はちょくちょくあるが自動運転の電車は初見である。
昨年10月に起きた台湾の鉄道で特急列車がカーブを高速で曲がり切れず、18人が死亡する事故があった。これは必要な場合は自動ブレーキが働くにも関わらず、運転士がスイッチを切っていた。これが主因であった。但し、切ると指令室に情報が届くシステムになっていないのは日本車両の設計ミスとして賠償する話も出ている。
今回の事故とは経緯が違うが、コンピューターに依存し過ぎると、ポカが起きやすい。いずれ解明されると思うが、自動は本来は自働でなけれなならない。
これまでにも車の自動ブレーキの事故、プリウスのブレーキとアクセルの間違い事故多発、かつては自動で速度を一定に保つ装置もあったが今はどうか。すべてはドライバーの責任にされてきた。
推測だが、指令室のスタッフの人為事故が濃厚であろう。ミスは人間しかしないからだ。コンピューターはプログラム通り働く。そこにミスがあればミス通り働く。コンピューターは9という数字に敏感なのも気になる。開設が1989年、今年は2019年、と9が並ぶ。
事故原因解明が待たれる。
暑くなると交通事故が増える傾向は過去から続いている。頭がぼうっとするのと、夜、ビールを一杯というのを引きづりやすい。緊張感が弛緩する環境にある。気を引き締めて欲しい。
高速道路の逆走はちょくちょくあるが自動運転の電車は初見である。
昨年10月に起きた台湾の鉄道で特急列車がカーブを高速で曲がり切れず、18人が死亡する事故があった。これは必要な場合は自動ブレーキが働くにも関わらず、運転士がスイッチを切っていた。これが主因であった。但し、切ると指令室に情報が届くシステムになっていないのは日本車両の設計ミスとして賠償する話も出ている。
今回の事故とは経緯が違うが、コンピューターに依存し過ぎると、ポカが起きやすい。いずれ解明されると思うが、自動は本来は自働でなけれなならない。
これまでにも車の自動ブレーキの事故、プリウスのブレーキとアクセルの間違い事故多発、かつては自動で速度を一定に保つ装置もあったが今はどうか。すべてはドライバーの責任にされてきた。
推測だが、指令室のスタッフの人為事故が濃厚であろう。ミスは人間しかしないからだ。コンピューターはプログラム通り働く。そこにミスがあればミス通り働く。コンピューターは9という数字に敏感なのも気になる。開設が1989年、今年は2019年、と9が並ぶ。
事故原因解明が待たれる。
暑くなると交通事故が増える傾向は過去から続いている。頭がぼうっとするのと、夜、ビールを一杯というのを引きづりやすい。緊張感が弛緩する環境にある。気を引き締めて欲しい。
事業年度終了届の仕事 ― 2019年06月03日
朝7時の地下鉄で事務所へ。8時だと非常に混雑するから一足早くでた。事務所には余裕で着く。冷房なども初の仕事になる。そして10時の来客を待った。建設業は許可を得ただけではだめで1年の決算ごとに事業報告を届け出る。これも当職の仕事である。決算書を提出してもらってDLした書類に入力してゆく。それ以外に社員数の増減、住所の変更などを聞く。また重要なのは事業報告書の作文であるから経営状況もヒヤリングする。約1時間もかからずに終わった。
原稿書き ― 2019年06月04日
朝早くゴミ出しの後、ポタリングでモーニングに行く。軽い運動でもしないよりは良い。終わって出たら救急車が3台、パトカー1台、もう1台変わった車が縦列駐車して、交通事故に対応していた。この頃は事故が頻繁に起きる。見物はして居れないが死傷するような重大事故ではなさそう。
昨日もプリウスの事故があった。アクセルとブレーキの踏み間違いという。それにしては多発傾向にある。ネットではついに「プリウスミサイル」というありがたくないニックネームが付いた。
トヨタに遠慮していつもはしつこいメディアも騒がず、叩かずの様子見姿勢である。他の車メーカーはめちゃくちゃ叩くのにこの差は何だろう。現代の車は電子技術のかたまりだから手に負えないのだろうか。
かつてはラルフネーダーのようなユーザーの立場に立った弁護士が現れて活躍し、アメリカの欠陥車を暴いた。GMではリコール車と言い換えていたが。日本でも登場して欲しい。
トヨタには前科がある。ハイラックスサーフという人気車のパワーをアップしたが、機能部品はそのままだったために、ハンドルにつながるステアリングが強く回すと(据え切りすると)折損する事件があった。熊本地検に告発されていた。しかし、トヨタは中間の技術者を処分しただけで幕引きしている。
当時の豊田章男氏は専務か常務の地位だったが「車会社として恥ずかしい」というコメントを残した。正直な経営者だと思う。今は社長になったのだから、トヨタの名前が付いた車が殺傷事故を多発していることに心を痛めているだろう。上級役員の反発や技術者のプライドを抑えてリコールする対応を取るべきだ。
朝から原稿書きに終始する。俳句の方は採用する句が決まったのですぐにかかる。なんと行ってきたばかりの青森のりんごの花と津軽富士の組み合わせの句。もう一件は新聞連載の山の話になる。オリジナリティのある話にするには地形図を眺め、記憶をたどって、なるだけ引用を避けることになる。
昨日もプリウスの事故があった。アクセルとブレーキの踏み間違いという。それにしては多発傾向にある。ネットではついに「プリウスミサイル」というありがたくないニックネームが付いた。
トヨタに遠慮していつもはしつこいメディアも騒がず、叩かずの様子見姿勢である。他の車メーカーはめちゃくちゃ叩くのにこの差は何だろう。現代の車は電子技術のかたまりだから手に負えないのだろうか。
かつてはラルフネーダーのようなユーザーの立場に立った弁護士が現れて活躍し、アメリカの欠陥車を暴いた。GMではリコール車と言い換えていたが。日本でも登場して欲しい。
トヨタには前科がある。ハイラックスサーフという人気車のパワーをアップしたが、機能部品はそのままだったために、ハンドルにつながるステアリングが強く回すと(据え切りすると)折損する事件があった。熊本地検に告発されていた。しかし、トヨタは中間の技術者を処分しただけで幕引きしている。
当時の豊田章男氏は専務か常務の地位だったが「車会社として恥ずかしい」というコメントを残した。正直な経営者だと思う。今は社長になったのだから、トヨタの名前が付いた車が殺傷事故を多発していることに心を痛めているだろう。上級役員の反発や技術者のプライドを抑えてリコールする対応を取るべきだ。
朝から原稿書きに終始する。俳句の方は採用する句が決まったのですぐにかかる。なんと行ってきたばかりの青森のりんごの花と津軽富士の組み合わせの句。もう一件は新聞連載の山の話になる。オリジナリティのある話にするには地形図を眺め、記憶をたどって、なるだけ引用を避けることになる。
忘れたころにお金が戻る! ― 2019年06月05日
つい先日だった。自宅ポストに現金書留の配達したが不在のおしらせが入っていた。私に現金を送ってくるなんて??と郵便局へ行って受け取ると何と青森県からでした。金額は400円のコイン。
GWで青森県のあちこちをドライブし、夜は車中泊で過ごしていた。マイカーなので荷物はたっぷり入るが、日に日に汚れものがたまってゆく。そこでコインランドリーの看板を見て入った。5/3のことだった。
今まで利用したことはない。利用案内を読みながらおずおずとお金を投入したが、100円入れる度に金額が減ってゆく。これはおかしい。しかし誰にも聞く人はいない。とりあえず全額入れてみたらゼロになった。そこで気が付いた。そうか、自販機とは違うんだと。
また400円用意してようやく洗濯機を稼働させた。乾燥機も無事稼働させて汚れ物はなくなった。しかし、400円入れ過ぎてしまった。室内の携帯電話にかけても出ないのでクレーム帳が用意してあったので、これこれしかじかで入れ過ぎたので返金希望と書いて住所も記載しておいて店を出た。
多分戻らないだろうと思っていた。そしてほぼ1ヶ月経過して、投入し過ぎた現金が返金されてきたのには驚きと感動を覚えた。
多分送金料の方が余計にかかるからなあ、と諦めていた。こうなると単純な話でまた青森県に旅行したくなった。少額でも面倒がらずに返金してくれる人情が嬉しいではないか。
それにしてもあのコインランドリーの機械は外国製だったと記憶している。これだけ入金されたよ、という自販機は国産だが、あちらは未入金額を催促するシステムなのだ。文化が違うのだろう。日本人は頭で暗算ができるから追加分を頭で計算して投入する。
欧米人は暗算ができない(らしい)。400円の料金に1000円札を出すと、400円プラス500,600,700,800,900,1000とカウントする(らしい)。600円のお釣りが暗算できないらしい。
ランドリーの機械には予め入金してもいないのに400円の表示があり、投入するごとに減額される仕組みだった。しかも返金は機械ではできなかった。仕組みを理解しないと損する。
旅の恥はかき捨てとはよく言ったものだ。恥ずかしながら勉強になった。
GWで青森県のあちこちをドライブし、夜は車中泊で過ごしていた。マイカーなので荷物はたっぷり入るが、日に日に汚れものがたまってゆく。そこでコインランドリーの看板を見て入った。5/3のことだった。
今まで利用したことはない。利用案内を読みながらおずおずとお金を投入したが、100円入れる度に金額が減ってゆく。これはおかしい。しかし誰にも聞く人はいない。とりあえず全額入れてみたらゼロになった。そこで気が付いた。そうか、自販機とは違うんだと。
また400円用意してようやく洗濯機を稼働させた。乾燥機も無事稼働させて汚れ物はなくなった。しかし、400円入れ過ぎてしまった。室内の携帯電話にかけても出ないのでクレーム帳が用意してあったので、これこれしかじかで入れ過ぎたので返金希望と書いて住所も記載しておいて店を出た。
多分戻らないだろうと思っていた。そしてほぼ1ヶ月経過して、投入し過ぎた現金が返金されてきたのには驚きと感動を覚えた。
多分送金料の方が余計にかかるからなあ、と諦めていた。こうなると単純な話でまた青森県に旅行したくなった。少額でも面倒がらずに返金してくれる人情が嬉しいではないか。
それにしてもあのコインランドリーの機械は外国製だったと記憶している。これだけ入金されたよ、という自販機は国産だが、あちらは未入金額を催促するシステムなのだ。文化が違うのだろう。日本人は頭で暗算ができるから追加分を頭で計算して投入する。
欧米人は暗算ができない(らしい)。400円の料金に1000円札を出すと、400円プラス500,600,700,800,900,1000とカウントする(らしい)。600円のお釣りが暗算できないらしい。
ランドリーの機械には予め入金してもいないのに400円の表示があり、投入するごとに減額される仕組みだった。しかも返金は機械ではできなかった。仕組みを理解しないと損する。
旅の恥はかき捨てとはよく言ったものだ。恥ずかしながら勉強になった。
徹夜で仕事 ― 2019年06月06日
昨夜は山岳会の定例会だった。終わってから10時過ぎ、また事務所に戻り、先月末に受任した仕事を片付けた。
実はとなりのビルの解体工事が始まり日中はうるさくてかなわない。集中力が阻害されるので仕事にならなかった。深夜なら邪魔が居ない。というわけで滅多にしない徹夜でやった。
やってみると、静かではあるがスムーズにはいかなかった。初めての仕事であるし、定型業務ではなく、法律に基づいた文書作成なので考えながら進める。そこであちこちでつまづく。令和元年か、1年か。旧字体か新字体か。署名押印か記名押印か、などなどで細目でつまづく。徹夜が明けてから9時を過ぎて当局に電話で確認した。
そうして慎重にチエックしながら文言を確認する。まさに権利義務に関する法務文書とはこういうものである。あるいは事実証明の書類も含めて定型業務のように手慣れた進め方はできない。
一段落したのは午後2時過ぎになった。できた文書を依頼先に郵送して遅くなった昼食を食べに栄方向に向かった。すると名古屋国際ホテル周辺が騒がしい。野次馬根性丸出しで行ってみたら3台がからむ交通事故だった。キャラバンが横転、セダンは中央分離帯の並木にフロントが食い込む激突状態だった。横転したバンはタクシーのドアにも接触して開いたままになった。
それでも死傷者はいないようで不幸中の幸いだった。時間が経過するにつれて騒がしくなり、マスコミが取材にどっと来た。空はヘリが舞っている。最後は車も撤収されて片付いた。やれやれだ。昨日も天白で事故を見たばかりだった。
夕方からは建設業関係の研修に出席した。今日は徹夜のせいで疲れた。
実はとなりのビルの解体工事が始まり日中はうるさくてかなわない。集中力が阻害されるので仕事にならなかった。深夜なら邪魔が居ない。というわけで滅多にしない徹夜でやった。
やってみると、静かではあるがスムーズにはいかなかった。初めての仕事であるし、定型業務ではなく、法律に基づいた文書作成なので考えながら進める。そこであちこちでつまづく。令和元年か、1年か。旧字体か新字体か。署名押印か記名押印か、などなどで細目でつまづく。徹夜が明けてから9時を過ぎて当局に電話で確認した。
そうして慎重にチエックしながら文言を確認する。まさに権利義務に関する法務文書とはこういうものである。あるいは事実証明の書類も含めて定型業務のように手慣れた進め方はできない。
一段落したのは午後2時過ぎになった。できた文書を依頼先に郵送して遅くなった昼食を食べに栄方向に向かった。すると名古屋国際ホテル周辺が騒がしい。野次馬根性丸出しで行ってみたら3台がからむ交通事故だった。キャラバンが横転、セダンは中央分離帯の並木にフロントが食い込む激突状態だった。横転したバンはタクシーのドアにも接触して開いたままになった。
それでも死傷者はいないようで不幸中の幸いだった。時間が経過するにつれて騒がしくなり、マスコミが取材にどっと来た。空はヘリが舞っている。最後は車も撤収されて片付いた。やれやれだ。昨日も天白で事故を見たばかりだった。
夕方からは建設業関係の研修に出席した。今日は徹夜のせいで疲れた。
九十三の手足はかう重いものなのか思はざりき労いたはらざりき過ぎぬ 土屋文明 ― 2019年06月07日
今朝は雨。見えていた猿投山も今は大降りになって霞んでしまった。
長い電話を1本こなす。
作者の土屋文明は「土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)」で100歳まで生きた長命の歌人である。
要旨は93歳になると自分の手足さえ重いと思わざるを得ない。特に労わることもなく生きてきたからなあ。と解した。
昨日も名古屋の国際ホテルの前で3台がからむ交通事故の直後に遭遇した。朝刊に詳細が乗っている。曰く87歳の弁護士が運転していてホテルの地下駐車場から公道に出る際にアクセルを踏み過ぎて暴走した、とあった。このところの事故は87歳が多い。80歳台になると色んな生理機能が衰えるのは致し方ない。
ブレーキとアクセルの踏み間違いも多い。事故の報道から見えてくる高齢者像を考えるうちに表記の短歌が浮かんできたのである。要するに筋力の低下である。低下した筋力は自分の身のうちでさえ重力を感じるのだ。伸びきったパンツのゴム紐と同じで軽いパンツでさえ支えきれない。微妙なコントロールもできない。
すると、運転中にはハンドル操作、アクセルやブレーキの機敏な操作、メーター、オーデイオの操作など結構複雑な操作を走行中にやっている。目の視力も基本的には筋肉の動きなので当然危険を察知する能力も落ちる。
高齢は仕方ないとしても自分をこの歌のように客観化することは必要である。社会に迷惑だからと遠慮して折角の文明の利器から遠ざかるのももったいない。タンパク質、ビタミンの摂取に務めて健康と活力を維持してもらいたい。
長い電話を1本こなす。
作者の土屋文明は「土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)」で100歳まで生きた長命の歌人である。
要旨は93歳になると自分の手足さえ重いと思わざるを得ない。特に労わることもなく生きてきたからなあ。と解した。
昨日も名古屋の国際ホテルの前で3台がからむ交通事故の直後に遭遇した。朝刊に詳細が乗っている。曰く87歳の弁護士が運転していてホテルの地下駐車場から公道に出る際にアクセルを踏み過ぎて暴走した、とあった。このところの事故は87歳が多い。80歳台になると色んな生理機能が衰えるのは致し方ない。
ブレーキとアクセルの踏み間違いも多い。事故の報道から見えてくる高齢者像を考えるうちに表記の短歌が浮かんできたのである。要するに筋力の低下である。低下した筋力は自分の身のうちでさえ重力を感じるのだ。伸びきったパンツのゴム紐と同じで軽いパンツでさえ支えきれない。微妙なコントロールもできない。
すると、運転中にはハンドル操作、アクセルやブレーキの機敏な操作、メーター、オーデイオの操作など結構複雑な操作を走行中にやっている。目の視力も基本的には筋肉の動きなので当然危険を察知する能力も落ちる。
高齢は仕方ないとしても自分をこの歌のように客観化することは必要である。社会に迷惑だからと遠慮して折角の文明の利器から遠ざかるのももったいない。タンパク質、ビタミンの摂取に務めて健康と活力を維持してもらいたい。
夏山フェスタ盛況 ― 2019年06月08日
今日は恒例の夏山フェスタに行く。昼前になり、10時から配布予定の工藤夕貴さんのトークショーの整理券はもらえず。会場入りすると文字通り足の踏み場もない盛況ぶりに改めて驚く。
ブースは6Fと7Fに分かれて、7Fは登山用品の会場、、6Fは山小屋と山岳を抱える自治体の観光案内所である。何といっても7Fは凄かった。山岳会のブースも7Fにあり広報に務める。
13時前になり工藤さんの出演を待つ。整理券をもった人等が優先的に入場し、ない人は空きスペースに座れた。やがて工藤さんが入場すると、スレンダーなボディスタイルで舞台あいさつ、噂どおり可愛い笑顔が素敵な美人でした。山と登山との成りそめからトークが始まった。約20分ほどで中座させてもらった。その後、また各ブースを回り退場した。
一旦事務所へ行き、持ち物をチエック。集合場所へ向かう。予定通り16時に合流できた。いつもは深夜出発だが今日は明るいうちに名古屋を出た。地道で目的地の旧坂内村に向かう。
奥いび湖を渡ると坂内村だ。道の駅で仮泊の予定だったが7時まで明るいので奥まで走った。川上を過ぎてすぐ林道に入る。オートバイの遊び場のPと証明付きトイレが使え、水道も出るのでここでテントを張って仮泊にした。深夜までホトトギスが鳴いている。
ブースは6Fと7Fに分かれて、7Fは登山用品の会場、、6Fは山小屋と山岳を抱える自治体の観光案内所である。何といっても7Fは凄かった。山岳会のブースも7Fにあり広報に務める。
13時前になり工藤さんの出演を待つ。整理券をもった人等が優先的に入場し、ない人は空きスペースに座れた。やがて工藤さんが入場すると、スレンダーなボディスタイルで舞台あいさつ、噂どおり可愛い笑顔が素敵な美人でした。山と登山との成りそめからトークが始まった。約20分ほどで中座させてもらった。その後、また各ブースを回り退場した。
一旦事務所へ行き、持ち物をチエック。集合場所へ向かう。予定通り16時に合流できた。いつもは深夜出発だが今日は明るいうちに名古屋を出た。地道で目的地の旧坂内村に向かう。
奥いび湖を渡ると坂内村だ。道の駅で仮泊の予定だったが7時まで明るいので奥まで走った。川上を過ぎてすぐ林道に入る。オートバイの遊び場のPと証明付きトイレが使え、水道も出るのでここでテントを張って仮泊にした。深夜までホトトギスが鳴いている。
奥美濃・神又峰を歩く ― 2019年06月09日
今年2月滋賀県側から田土まで入れた。スキー登山を試みたが中津谷の終点で時間切れで撤退。さらに3月にも入山したが田土へは工事中で全面通行止めになったので賤ヶ岳に変更した。そして沢登りシーズンになったので岐阜県側から挑んだ。
6/8に夏山フェスタ会場を辞して、16時に集合場所へ行く。仮泊は池の又林道の通行止めに近い坂内バイクランドの一角で仮泊。6/9、暗いうちに起き、軽く朝飯を取り出発。夜叉ヶ池への林道の通行止め地点が神又峰の入り口だった。既に1台止まっていて聞くと蝶々の採集のようだ。身支度を整えていると夜叉ヶ池に向かう若者等も来た。
出発したのは5時15分。地形図にもある左岸の林道の廃道を進むとすぐ堰堤で行き止るので少し戻って巻き道に入る。明瞭な道で釣り師か山菜取りだろう。堰堤を越えると河原に降り立つ。しばらくは平らな河原歩きが続き、流れの膨らんだ草深い踏み跡をたどった。そのうち明瞭な林道の廃道を歩く。奥にまだ堰堤があるからだ。
二股になった。地形図には土蔵岳から北へ流れる谷の水を塞き止めた池がある。その池に廃道は続く。歩いてきた廃道はセメントの基礎部分を残して草むらに消えた。ここからは本流の水に浸して溯る。辺りはうっそうとしたブナ林、栃の巨樹、沢ぐるみが見られる。以前にも書いたが、まるで緑のうわばみに吸い込まれて行くようだ。
地形図を食い入るように見ながら周囲の地形をチエックする。今、自分たちはどの辺か。やがて標高700mの二股に着いた。右へ。谷が立ち始めて750m付近で滝を8mと5mくらいのを2つ突破。また平流が続く。ぬるぬるとしたいやらしい滝をWリーダーのみ右岸を大きく高巻きして、ザイルで確保してもらって登攀する。そうしないと軟弱な地盤なので落石が頻繁にあるからだ。
ザイルが滝つぼに落ちると岩魚がびっくりして浅瀬に踊り出てきた。右往左往しているのが分かる。すまん、脅かすつもりは無かった。850m付近の奥の二股も右へ。どこまでも水流のある谷を本流として溯ったが水も絶えた。空谷になったので荒れた登山道のように登って行ける。谷の窪みも無くなり藪が絡んできた。稜線らしい高みに達した。Wリーダーが先行して三角点を発見。1050.1mの大岳に登頂した。今度は5時間で登れた。どんな藪山でもある山頂標がここはない。これが本来の山頂の風景であろう。
あいにく周囲はブナ林でしかも霧が深い。藪も絡んで山頂らしい開放感はない。写真だけを撮るとすぐに下山する。まだ長い尾根の下山が待っているからだ。
ここが滋賀県との県境という表示、赤テープは一切無い。しかし、事前の検索で、1060mとの鞍部までは滋賀県側の中津谷へたどれる踏み跡があった、との情報を記憶していたので、探ると微かな踏み跡が認められる。そこをたどるとスイスイ歩ける。小枝が多少は絡むがこのまま続いて欲しいとの錯覚に陥る。
三角点・大岳から約400mで1060mの広大な北峰に着いた。そして北東へのやぶこぎが始まる。1000mのコブまでは迷走しながらルートを探る。等高線がゆるいのでヌタバが多い。ここからほぼ真東に方向を定めると獣道ではなく、人間が拓いた道が現れた。枝を鋸で切断した跡があったからだ。踏み跡程度だが歩きやすい。しかし、倒木があるとそこだけ他の樹種が繁茂して踏み跡を乱す。突破するとまた現れる。こんなことを繰り返した。1012mを越え、923m辺りまで来ると高度が下がり始めて踏み跡も明瞭に成る。倒木地帯では相変わらず、迷走するが慣れた。
地形図で神又谷の印刷のある鞍部まで到達するともう尾根の末端だと安心させられる。ところが747mのコブを越えようとするとピーク付近のシャクナゲの藪に絡まれて前進を阻まれた。時はもう6時が迫る。日没までは1時間ほどだ。どうする、と鳩首会議。懸垂で神又谷に下降しようとなった。こんなところでビバークはできない。河原まで降りれば流木を集めて焚き火を起こし、ツエルトをかぶって一夜をしのぐこともできる。風の通りやすい鞍部では寒いだけだろう。
ハーネスを装着し、Wリーダーは30mザイルを2本準備した上で、690mの鞍部から580mの神又谷へ比高110mの急斜面を小枝、笹をつかみながら下った。ザイルを出す場面はなかったから案外スピーディーに下れた。約20分。
人生でも仕事でもそうだが、案ずるよりは有無が安しである。いわんや山においておや。無謀な冒険はいけないが、頭であれこれこねくり返しても進まない。やってみるきゃないと腹をくくることだ。
河原にくだると、メンバーも安堵した。すぐに既視感のある場所に出た。それからはピッチが早い。廃道だから歩くだけだ。堰堤を越えるとクルマが見えたと女性陣が騒いだ。もう暗くなった車道に着いたのは7時を大きく回っていた。こちらは東側なので日没すると残照はなく真っ暗になる。すぐに着替えて帰路に着いた。今回も「藤橋の湯」に入れなかった。全員が無事に下山できたことをお土産にして帰名した。
6/8に夏山フェスタ会場を辞して、16時に集合場所へ行く。仮泊は池の又林道の通行止めに近い坂内バイクランドの一角で仮泊。6/9、暗いうちに起き、軽く朝飯を取り出発。夜叉ヶ池への林道の通行止め地点が神又峰の入り口だった。既に1台止まっていて聞くと蝶々の採集のようだ。身支度を整えていると夜叉ヶ池に向かう若者等も来た。
出発したのは5時15分。地形図にもある左岸の林道の廃道を進むとすぐ堰堤で行き止るので少し戻って巻き道に入る。明瞭な道で釣り師か山菜取りだろう。堰堤を越えると河原に降り立つ。しばらくは平らな河原歩きが続き、流れの膨らんだ草深い踏み跡をたどった。そのうち明瞭な林道の廃道を歩く。奥にまだ堰堤があるからだ。
二股になった。地形図には土蔵岳から北へ流れる谷の水を塞き止めた池がある。その池に廃道は続く。歩いてきた廃道はセメントの基礎部分を残して草むらに消えた。ここからは本流の水に浸して溯る。辺りはうっそうとしたブナ林、栃の巨樹、沢ぐるみが見られる。以前にも書いたが、まるで緑のうわばみに吸い込まれて行くようだ。
地形図を食い入るように見ながら周囲の地形をチエックする。今、自分たちはどの辺か。やがて標高700mの二股に着いた。右へ。谷が立ち始めて750m付近で滝を8mと5mくらいのを2つ突破。また平流が続く。ぬるぬるとしたいやらしい滝をWリーダーのみ右岸を大きく高巻きして、ザイルで確保してもらって登攀する。そうしないと軟弱な地盤なので落石が頻繁にあるからだ。
ザイルが滝つぼに落ちると岩魚がびっくりして浅瀬に踊り出てきた。右往左往しているのが分かる。すまん、脅かすつもりは無かった。850m付近の奥の二股も右へ。どこまでも水流のある谷を本流として溯ったが水も絶えた。空谷になったので荒れた登山道のように登って行ける。谷の窪みも無くなり藪が絡んできた。稜線らしい高みに達した。Wリーダーが先行して三角点を発見。1050.1mの大岳に登頂した。今度は5時間で登れた。どんな藪山でもある山頂標がここはない。これが本来の山頂の風景であろう。
あいにく周囲はブナ林でしかも霧が深い。藪も絡んで山頂らしい開放感はない。写真だけを撮るとすぐに下山する。まだ長い尾根の下山が待っているからだ。
ここが滋賀県との県境という表示、赤テープは一切無い。しかし、事前の検索で、1060mとの鞍部までは滋賀県側の中津谷へたどれる踏み跡があった、との情報を記憶していたので、探ると微かな踏み跡が認められる。そこをたどるとスイスイ歩ける。小枝が多少は絡むがこのまま続いて欲しいとの錯覚に陥る。
三角点・大岳から約400mで1060mの広大な北峰に着いた。そして北東へのやぶこぎが始まる。1000mのコブまでは迷走しながらルートを探る。等高線がゆるいのでヌタバが多い。ここからほぼ真東に方向を定めると獣道ではなく、人間が拓いた道が現れた。枝を鋸で切断した跡があったからだ。踏み跡程度だが歩きやすい。しかし、倒木があるとそこだけ他の樹種が繁茂して踏み跡を乱す。突破するとまた現れる。こんなことを繰り返した。1012mを越え、923m辺りまで来ると高度が下がり始めて踏み跡も明瞭に成る。倒木地帯では相変わらず、迷走するが慣れた。
地形図で神又谷の印刷のある鞍部まで到達するともう尾根の末端だと安心させられる。ところが747mのコブを越えようとするとピーク付近のシャクナゲの藪に絡まれて前進を阻まれた。時はもう6時が迫る。日没までは1時間ほどだ。どうする、と鳩首会議。懸垂で神又谷に下降しようとなった。こんなところでビバークはできない。河原まで降りれば流木を集めて焚き火を起こし、ツエルトをかぶって一夜をしのぐこともできる。風の通りやすい鞍部では寒いだけだろう。
ハーネスを装着し、Wリーダーは30mザイルを2本準備した上で、690mの鞍部から580mの神又谷へ比高110mの急斜面を小枝、笹をつかみながら下った。ザイルを出す場面はなかったから案外スピーディーに下れた。約20分。
人生でも仕事でもそうだが、案ずるよりは有無が安しである。いわんや山においておや。無謀な冒険はいけないが、頭であれこれこねくり返しても進まない。やってみるきゃないと腹をくくることだ。
河原にくだると、メンバーも安堵した。すぐに既視感のある場所に出た。それからはピッチが早い。廃道だから歩くだけだ。堰堤を越えるとクルマが見えたと女性陣が騒いだ。もう暗くなった車道に着いたのは7時を大きく回っていた。こちらは東側なので日没すると残照はなく真っ暗になる。すぐに着替えて帰路に着いた。今回も「藤橋の湯」に入れなかった。全員が無事に下山できたことをお土産にして帰名した。
神又谷異聞 ― 2019年06月10日
20万地勢図「岐阜」を見ていたら、池ノ又林道通行止め地点から尾根に上がり、747mを越えて中ツ谷に下り、1048mへの独立標高点に登り、1196m(左千方)まで行って、尾羽梨川へ下る破線路があります。『坂内村誌』によれば中尾嶺越というようだ。1050.2mは中尾嶺ともいう。(滋賀県地名大辞典)
私のは昭和48年12月現在の地図です。田戸の奥の尾羽梨は廃村です。昔は近江の村と結ぶ山道があったのです。
坂内村誌(民俗編)には
神又谷は昭和10年代は木材搬出の道があったそうです。古くは江州谷とよばれたほど滋賀県側から木炭や、薪材を切り出しに来ていたらしい。近江は金糞岳があり、土倉鉱山もあり金属精錬が盛んだった。魚を焼く、お茶を淹れる、暖房、炊事など需要は旺盛だった。
それで近江だけでは足りず、山越えで炭を生産したのでしょう。そしてリッカ谷から1050.2mの南の鞍部を越えて、神又谷と往来があったらしい。あの見事なブナ林は二次林なんですね。それにしては注意していたが炭焼き窯跡は見つからなかった。
皆さんと眺めたブナ原生林は他の樹種が混じらない純林と呼ばれる。
ウィキぺディアには「森林の樹木群集がほとんど陰樹で構成されるようになり、それ以降樹種の構成がさほど変化しない状態になったことを「極相に達した」といい、極相に達した森林を極相林という。 また、主に極相林で生育する樹木種を極相種という。」
つまり下山の際に見た無尽蔵に林立していたあのブナ林は極相に達しているのです。
だから眺めて美しいし、青森県の白神山地も同じく極相林でしたから、あそこにいる限りは白神山地と変わりない環境だったのです。
滋賀県の廃村・奥川並(おくこうなみ)は川上の人等が峠を越えてつくった村でした。ですから中津谷との交流の道もあったのです。1060mは多分ですが、中津山かも知れません。するとあの尾根は中津尾かな。坂内村誌はそこまで記載はないが詳細な山名考証がある。昔は近江と美濃の山村民は縦横に山を歩いていたのでしょう。
点名の大岳は滋賀県側の名称です。前述したように中尾嶺も文献に出ている。
木炭の生産は江戸時代から盛んだった。秀吉は薪炭材の本数を把握するために1000本の紐を作り、山の木に巻いて残った本数を引いて実際の本数を把握したという。知恵者です。
古くはヤマトタケルの時代、伊吹山の魔物を征伐するために出かけますが、死に至るケガをさせられて退散します。伊吹神は金属の神様で南宮大社も金属の神様を祭っています。伊吹山の北には金糞岳があります。金属の精錬には木炭が必須です。長浜市は鉄砲の生産で有名です。鉄砲鍛冶にも大量の木炭が必要です。大量の木炭を消費する環境だったことは想像できます。今と違って往時は山に多くの人が入っていたでしょう。今は野生動物の天国です。
戦後に石油の輸入が再開されると木炭の生産は急激に淘汰されてしまいます。この山も需要の急減した木炭の原料として利用価値のない(文字どうり、ブナは木で無い、橅があてらる)山になった。伸びるままに伸びて、戦後は74年間に他の樹種を抑えて極相に達した。
私のは昭和48年12月現在の地図です。田戸の奥の尾羽梨は廃村です。昔は近江の村と結ぶ山道があったのです。
坂内村誌(民俗編)には
神又谷は昭和10年代は木材搬出の道があったそうです。古くは江州谷とよばれたほど滋賀県側から木炭や、薪材を切り出しに来ていたらしい。近江は金糞岳があり、土倉鉱山もあり金属精錬が盛んだった。魚を焼く、お茶を淹れる、暖房、炊事など需要は旺盛だった。
それで近江だけでは足りず、山越えで炭を生産したのでしょう。そしてリッカ谷から1050.2mの南の鞍部を越えて、神又谷と往来があったらしい。あの見事なブナ林は二次林なんですね。それにしては注意していたが炭焼き窯跡は見つからなかった。
皆さんと眺めたブナ原生林は他の樹種が混じらない純林と呼ばれる。
ウィキぺディアには「森林の樹木群集がほとんど陰樹で構成されるようになり、それ以降樹種の構成がさほど変化しない状態になったことを「極相に達した」といい、極相に達した森林を極相林という。 また、主に極相林で生育する樹木種を極相種という。」
つまり下山の際に見た無尽蔵に林立していたあのブナ林は極相に達しているのです。
だから眺めて美しいし、青森県の白神山地も同じく極相林でしたから、あそこにいる限りは白神山地と変わりない環境だったのです。
滋賀県の廃村・奥川並(おくこうなみ)は川上の人等が峠を越えてつくった村でした。ですから中津谷との交流の道もあったのです。1060mは多分ですが、中津山かも知れません。するとあの尾根は中津尾かな。坂内村誌はそこまで記載はないが詳細な山名考証がある。昔は近江と美濃の山村民は縦横に山を歩いていたのでしょう。
点名の大岳は滋賀県側の名称です。前述したように中尾嶺も文献に出ている。
木炭の生産は江戸時代から盛んだった。秀吉は薪炭材の本数を把握するために1000本の紐を作り、山の木に巻いて残った本数を引いて実際の本数を把握したという。知恵者です。
古くはヤマトタケルの時代、伊吹山の魔物を征伐するために出かけますが、死に至るケガをさせられて退散します。伊吹神は金属の神様で南宮大社も金属の神様を祭っています。伊吹山の北には金糞岳があります。金属の精錬には木炭が必須です。長浜市は鉄砲の生産で有名です。鉄砲鍛冶にも大量の木炭が必要です。大量の木炭を消費する環境だったことは想像できます。今と違って往時は山に多くの人が入っていたでしょう。今は野生動物の天国です。
戦後に石油の輸入が再開されると木炭の生産は急激に淘汰されてしまいます。この山も需要の急減した木炭の原料として利用価値のない(文字どうり、ブナは木で無い、橅があてらる)山になった。伸びるままに伸びて、戦後は74年間に他の樹種を抑えて極相に達した。
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