奥美濃・黒津山~激登13時間、戦い済んで日が暮れて2019年05月26日

 黒津山なんて聞いたこともない山名だった。調べてみると五蛇ヶ池山と天狗山の中間に座す1197mの独立標高点だった。
 五万図「横山」の地図には黒津山と書き込みがある。2.5万図「美濃広瀬」(昭和48年測量。現地調査は昭和48(1983)年6月)には4等三角点 黒津山と書き込みしてる。この山は以前は無名の独立標高点でしかなかった。それがこの時期から4等三角点(点名は黒津)に昇格し、標石が埋設された。標高も1193.4mと変わった。山名の記載はないが登山の対象としては比較的新しい山である。

 藤橋村の最高点(徳山村と合併前の)という以外は食指も動かない。よく同行する人と行く先を検討するとお互いに登っていないという条件にはまるには黒津山になった。
 記録としては日比野和美編『記録 奥美濃の山と谷 百山百渓』(1986.10.08 私家版)があるのみ。まずは2011年3月に親谷側からスキー登山を試みたが見事に敗退させられた。次は2018年2月にわかん山行を試みたがこれも6時間、12時までに登頂できなければ下山の掟にしたがって下山のやむなきに至った。
http://koyaban.asablo.jp/blog/2018/02/19/8790659

 久々に沢初めを奥美濃の沢でやろうということになった。それじゃ、2度時間切れで敗退した黒津をやろうとなった。
 5/25の夜、地道で揖斐川に沿う国道を走る。テントで仮泊の予定だった道の駅「ふじはし」は若い人たちがたむろして異様ににぎわっていた。スルーして横山ダムを過ぎるとPにも若者らが集まって今にも暴走族の走りそうな雰囲気だった。
 奥へ走ると、新川尻橋に替わって新しく川尻橋が架かり、川尻トンネルが貫通していた。ダム湖も無名だったが今は奥いび湖に命名された。夜の国道では鹿が2頭見た。彼女らも大変化についていけるだろうか。
 結局適地を得られず、親谷に入った。ところが奥までは行けず、地形図で建物の記号の山家のある少し先で杉の倒木が道を防いでいた。ああ、これでは明日の登山に黄色信号が灯った気がした。粛々とテントを張って缶酎ハイを飲んでシュラフにもぐりこんだ。
 5/26、4時起床。薄明るい中で小鳥たちが朝の寝覚めに鳴き始めた。自然のままの暮らしはこうであっただろう。コンビニで買った寿司を食べ、白湯を飲んでテントをたたんで出発したのは5時20分であった。ちょっと遅いかな、という気もした。
 林道から沢にもっとも近づく標高730mの入渓地まではおよそ10kmはある。ハイエースの残骸のある渡渉地まで1時間強、さらにジグザグを切りながら入渓地へ急ぐ。林道は今は草地で真っ青である。クマかサルの糞が多い。鈴を鳴らしながら行く。
 入渓地へは林道から明瞭な踏み跡があった。これは獣道か、登山者だろうか。多分登山者だろう。谷名は日比野さんの本ではケツロ谷の名前があった。入渓した途端に涼しくなった。段差の大きな滝はなく、みな直登が可能である。しかも高度がぐんぐん上がってゆく。沢登りのだいご味である。
 順調に詰めてゆくと二俣になり、左へ。ところがしばらくで伏流になる。荒れた登山道という感じでどんどん登るとまた水が出てきたが長くは続かなかった。この空洞(からほら)はさらに見上げるような高さにまで続いてゆく。さっきから風の音かと聞いてきたが、隣の谷の流れの音だった。一輪だけのシャクヤクの花に癒された。
 音のする隣の谷へ踏み跡があった。辿ると何とミズゴケの緑に満ちた谷が続いていた。ここを遡ることにした。但し水は冷たかった。源流に残雪でもあるかと思った。高度差は大してなく、順調に遡る。すると1000m付近で突然15mの美しい滝が現れた。右から確保支点はあり、先ずはWリーダーがフリーで登攀した。私はザイルを出してもらい手の切れるような冷水の滝を登攀仕切った。
 ところが登りあがった所は土の中からの湧き水だけであった。多分GWのころは残雪があっただろう。谷はそこで終わった。時刻は10時。比高200m、2時間あればなんとか登れる。左の空洞に戻るか、藪を突破するか。リーダーは藪ルートを選んだ。赤布は付けないから闇雲である。コンパスで方向は見る。すると突然、目の前に現れたのはまた空洞だった。そこに降りて、登り返すとやっと稜線に着いた。完全な藪の稜線だが笹はないので漕ぎやすい。ようやく黒津山の看板のある山頂に着いたのは12時前になった。しかし三角点がない、とRがいうので、4等三角点は必ずしも最高所にはなく、少し北の低いところに埋設されていた。時は12時になった。昼食タイムもなく、撮影するとすぐ下山である。
 下山ルートは林道の終点に下ることだった。先ず南東の1180mのコブに着いて、方向を見て尾根に乗った。ところが左(西)に地形図に表現されてない明確な溝(空洞)がある。これは何だ、と協議した結果、上りなおして、林道をパスして登ってきた谷に戻ることも考慮しながら左側に振りながら、笹薮と格闘しながら激下降した。
 やや笹が空いて来た辺りから林道がある尾根が視野に入り、今度は右寄りに振って下降。するとあの冷たい水の谷につながった。ああ、これで下れる。
 適当に下降しながら見覚えのあるところを空洞へ移動すると正しく登ってきた谷になった。これを下った。やっぱり谷は早い。そして入渓地に付けた赤い布が見えてほっとする。後はもう林道を延々下るだけだ。車に戻ったのは13時間後の18時40分になった。3度目のトライでようやく落ちた。執念が実った。

 反省点は、山頂直下の地形図にない空洞と登りにとった空洞はつながっていると思った。しかし、現地では逆に戸惑いになった。私には真東のテーブルランドが雷倉とすぐわかった。尾根の方向の先の目の前の山はミノマタだ。
 だから現在地の確信は持ったがW君は不安そうだった。よく読図技術というが、違うと思う。周囲の山を見て自己の位置を判断するのだから、地図を読むのではなく、地形を読むのである。
 ミノマタも鏡山も登っているからそう判断できる。但し、雷倉を同定したのだからその先は能郷白山ということは決まっている。しかし、イソクラが判然としないので一縷の疑問はあった。あの良い山は何だろうと。帰宅して20万地勢図でチエックすると、そのはずだ、完全に重なっていたのだ。少し靄っていたのも原因だ。地勢図も持つべきだったというのが反省点になる。