初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす2019年04月01日

 5月1日からの新しい元号が発表された。出典は万葉集の梅の花の和歌に由来する「令和」になった。”りょうわ”かと思いきや”れいわ”と読む。

期日前投票に行く2019年04月01日

 3/29は政令市議選の告示日でいっせいに事務所がオープン。舌戦が開始された。今日は選挙戦4日目でさっそく期日前投票に行った。天白区役所のPは満車で若干待機する。3Fの投票所で国民の義務を果たす。
 その後は大学の同窓の選挙事務所へ激励に出向いた。寒いがたぶんPなどないだろうからと自転車で行く。やっぱり自転車で正解だった。ちょうど街宣に出かける寸前に候補者と会い、1票を投じたよ、と激励。
 事務所へ通されて選対委員長と談話。有権者の反応は良さ気だとの感触に手ごたえを感じているようだが、博打と同じで結果を見るまでは何があるか分からないので気を引き締めていただこう。
 その後は少し遠方の同窓の選挙事務所へ激励に行った。現在は1期目で定数減ということで引き締めを図っていた。こちらは推薦状がべたべたと貼ってあり楽勝の気がする。比べて前の候補者は前回次点で落選。推薦状も少なく今回が決死戦になる。
 全般の状況はどうなるか。
 自民は安定的に票を伸ばすとみる。減税がかつての勢いを落としている。いつまでも河村市長の人気に依存ばかりしておれないだろう。ただ選挙巧者の河村さんのことだから秘策を練っているだろう。分からないのが分裂した立憲民主と国民民主だ。共産党、公明党も組織票でがっちり固めているだろう。
 つまりこれという争点がない選挙戦である。減税は再び年収800万円を掲げる。これも今一効力が衰えた気がする。
 しかし経済情勢はデフレに変わりない。賃金のみ下がる傾向にある。今春は賃上げがあったというが今までがなさ過ぎたのでサプライズはない。生活保護は引き締め、高齢者福祉にもカネは回りそうにない。
 消費税2%増税のアナウンスのままで地方選における自民の勝率で参院選を占うことになるだろう。自民の候補者の負けが多ければ撤回もありうる。
 どうせ上げても輸出や海外投資に積極的な大企業の法人税の減税の原資になるのは分かっている。だから大きな日本経済を揺さぶるリスクがあれば撤回になるだろう。今は大企業でさえも危ない時代になった。GMに象徴するように判断を間違えば倒産もありうる。
 賃金は上がらず、物価は上がる。暮らしにくい世の中が顕著になると見る。そして出生者数は減少し、高齢者が増えて、死亡者が出生を上回る時代だ。人口減少社会では企業も役所も縮小均衡になる。
 大企業でもグローバル経済で成長しますとの期待を持たせて、その実は海外工場や子会社の赤字補填のための食い逃げ増資が増えるだろう。この不安を払拭する政治家はいない。

追悼文の原稿2019年04月02日

 やっとU先生の追悼文を書いた。大物だけに資料が多くて読み込むのも時間がかかった。82年の人生の何を取り上げて何を捨てるかに時間がかかった。結果、青春時代に重きを置いた。高校野球の選手だったが体格がないため退部させられて劣等感を抱き不良少年になった。
 後に大学教授にまで登り詰めるが、高校の偏差値のいい加減さに気がついた。自分の偏差値は2だったらしい。それが進学高校の生徒は5だとか。60点満点はあり得るが偏差値5はないというのだ。それはおかしいというのだ。担当の先生の恣意的な考えが反映するのだろう。
 コンプレックスを岩登りに掛けることで克服してゆく。そしてエベレストへ。また組織のオルガナイザーとしても真価を発揮した。最後は認知症と知らされた。
  老残のこと伝わらず業平忌   能村登四郎
という俳句がある。U先生も晩年は認知症の治療に悩まれたのだろう。ひっそりと退会の知らせがあったがその内実は知らされなかった。
 命日は4月13日。それまでには細部の訂正、推敲を重ねて完成原稿に仕上がるだろう。うわっ、地下鉄の終電が近いぞ。

ステーキ(赤身)の力2019年04月03日

 3日前は友人と夕食を共にした。どこへ?中部経済新聞で連載中の「ブロンコビリー」の創業者の話が連載されて、ステーキに興味があったので、じゃあ、ブロンコビリーへ、となった。
 出された赤身の肉はやや硬めでナイフで切り刻んで食した。サラダバーもあるので家族連れでにぎわっていた。夕食タイムより少し早めだったせいですぐに入れたが今は行列中だった。
 お味は和牛ほど濃厚ではない。紙の前掛けにも油が飛んでこないから脂分も少ない。で、サラダバー代も含めて約2300円程度の代金はごちそうなら安い方だ。ウナギが約3500円もする御時勢だから。ちなみに代金は友人がおごってくれた。
 そして前日には丸の内の事務所へ行く途中、ランチタイムになったので物色中に、「いきなりステーキ」なる店が目に入ったので入ってみた。200gでランチメニューなら1200円程度。ごちそうをこの程度ならまあ良いか。と。こっちは紙の前掛けにずいぶん脂分が飛んできた。テーブルが小さいこともあるか。
 お味の方はブロンコビリーと変わらず。牧草飼育のせいか、期待するほどのうま味はない。
 しかし、ステーキを短期間に2食すると体内に起こった変化は普通ではなかった。

 http://www.aussiebeef.jp/about/healthy.html  から
「赤身牛肉は
美容、健康、長寿の味方
牛肉には肌や髪、骨に血液、脳内ホルモンの材料にもなる
良質なたんぱく質が豊富に含まれています。

特に赤身牛肉にはアミノ酸スコア100(満点)という
バランスのいい良質なたんぱく質がたっぷり。
新陳代謝を活性化させ、細胞の再生を助ける亜鉛や鉄、
ビタミンB群も摂取できます。

オージーの赤身牛肉は、美容、健康、長寿の味方なのです。

記憶力・集中力のアップや
貧血予防にも
鉄は脳の発達のために必要不可欠な栄養素です。
「鉄が不足すると貧血を起こしやすくなる」と
よく言われますが、鉄が記憶力・集中力アップのために必要な
ミネラルだということは、あまり知られていません。

牛肉に含まれているのはヘム鉄。
ほうれん草や海藻類の何倍も吸収がよく、
貧血の予防に効果的です。

お子さまの記憶力や集中力を高め、
情緒の安定にもつながるといわれています。

記憶力・集中力のアップや
貧血予防にも
鉄は脳の発達のために必要不可欠な栄養素です。
「鉄が不足すると貧血を起こしやすくなる」と
よく言われますが、鉄が記憶力・集中力アップのために必要な
ミネラルだということは、あまり知られていません。

牛肉に含まれているのはヘム鉄。
ほうれん草や海藻類の何倍も吸収がよく、
貧血の予防に効果的です。

お子さまの記憶力や集中力を高め、
情緒の安定にもつながるといわれています。」

 とまあ、いいことづくめでした。

 4/2にはU先生の追悼文も深夜までかかって書き上げた。原稿用紙14枚分もの分量があった。資料を読み込みながら文をつないでゆくにはねばりと集中力が欠かせない。
 原稿を書き上げた原動力は赤身のステーキだったと思います。肉は普段から食べていますが、血のしたたるレアの肉に秘密がありそうです。和牛的なうま味には欠けるが栄養的にはこっちが上だと思います。

元号とは何か(岡田英弘著作集・Ⅲ日本とは何か)2019年04月04日

 P386~P387の「日本とは何か」から

・元号は言うまでもなくシナ起源のものである。

・元号とは本来、シナの皇帝が宇宙の支配者であるとともに、時間の支配者でもあることを宣言するものであった。

・それに対してシナ以外の国が元号を持つのは、シナ皇帝の権威を否定し、シナと対等の国家であることを主張する意味があった。

・元号とはシナ以外の国では、反シナ、自主独立の象徴なのである。

以上

 いやあ、誠に明解です。

日本はどのように生まれたか(岡田英弘メモ)2019年04月04日



 日本では『万葉集』が編纂される八世紀より前から、舎人の柿本人麻呂のような天武天皇に仕えた歌人たちが出てきて、彼らのような漢字を使いこなせる人たちが、漢字を使って倭人の言葉を書き表わす工夫をする。
 漢文で書いたものを、土着の倭人の言葉に置き換える方法で、新たに「日本語」の開発を始めた。一連の日本文化、日本のアイデンティティを作り上げる作業は、日本の建国と同時に始まった。万葉歌人の中には、山上憶良のように明らかな華人もおり、日本建国初期のアイデンティティづくりに貢献する。倭王家を取り巻く華人の存在は、予想以上に大きかった。
 「日本人」とは何か。それは倭人、新羅人、百済人、高句麗人、仁那人、漢人など、日本列島に雑居していた諸種族の総称で、それを全部カバーする新しいアイデンティティとして「日本」という概念が生み出された。「日本」という国号は「倭」という古いアイデンティティを超越した、他種族統合の象徴だったのである。

「三内丸山遺跡センター」が6日オープン2019年04月05日

ソース:http://www.mutusinpou.co.jp/news/2019/04/54995.html

 青森市の国特別史跡・三内丸山遺跡と隣接する縄文時遊館が6日、教育機関「三内丸山遺跡センター」としてオープンする。これに先立って4日、記念式典と関係者向けの内覧会が開かれ、三村申吾知事は「縄文ここにありということを世界に発信できる拠点が完成した。縄文の持つ深み、広さ、素晴らしい価値観を感じてもらいたい」と語り、今後の活用に期待を寄せた。
 同遺跡と縄文時遊館は同遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を見据え遺跡の積極的な保存活用の取り組みを進めるために教育機関とすることとし、観覧料を徴収する。
 オープンを記念し、6日には記念講演会を開催するほか、企画展示室では6日から6月9日までオープン記念特別展「縄文の色―縄文人が見せられた魔法の石・黒曜石―」を開催。縄文時代の交易品の代表とされる黒曜石などの出土品約110点を展示し、魅力を知ってもらう狙いだ。

ソース:青森 NEWS WEB
三内丸山遺跡 展示施設を整備
https://www3.nhk.or.jp/lnews/aomori/20190404/6080004350.html

 青森市の三内丸山遺跡で、6日新たな展示施設が整備されてリニューアルオープンするのを前に、4日、記念の式典が開かれました。

 三内丸山遺跡は、国の重要文化財に指定されている貴重な土器や石器を展示する施設を整備し、この春「三内丸山遺跡センター」として新たにスタートします。
 4日は、青森県の三村知事や県教育委員会の関係者などおよそ40人が出席して記念の式典が開かれ、地元の小中学生と一緒にテープカットを行い6日のオープンを一足早く祝いました。
 このあと、出席者は黒曜石をテーマにした特別展を見学し、北海道の遺跡で出土した黒曜石の矢じりなどを眺めて縄文人の暮らしぶりに思いをはせていました。
 三内丸山遺跡は、これまで入場が無料でしたが、施設の維持管理や遺跡の保存費用を工面するため今月から有料となります。
三内丸山遺跡センターの佐藤英紀所長は「有料化したから入館者が減ったと言われないよう、魅力ある施設づくりやサービスの向上に努めていきたい」と話していました。

*********************************************
・・・・縄文文化がブームになる。
 愛知県清須市の朝日遺跡も来年は公園化されて再オープンする。こちらは弥生遺跡だが。設楽町のダム工事現場の流域でも縄文遺跡が発掘された。新設楽発見伝を見学に行ったばかりだった。現在は弥冨市の愛知県埋蔵文化財調査センターでイベント開催中である。

 皇紀2679年とも2800年ともいわれるが、朝日遺跡は2400年前なのですっぽりかぶることになる。この時代に日本人が生まれ、日本語が考案されて、日本という国家が誕生した。
 しかし、弥生人が縄文人を征服したということではない。縄文人が弥生人の先進的な知識や技術を受け入れながら、弥生人が同化していったのだろうと考えられている。
 愛知県から北の木曽山脈、飛騨山脈を境に、東日本は縄文文化が色濃く残った。西日本は谷、東日本は沢にほぼ分かれる。言葉も縄文語が基礎になっているとみられる。

 さて青森県の三内丸山遺跡が世界に知られることになった。令和元年にふさわしい。
 東日本は詩歌が発達している。日本語の書き言葉が考案されるまでは人々は歌謡といって同じことばを繰り返して、リフレインで記憶に努めた。口承文芸である。それはアイヌ文学の骨格でもある。
 梅原猛は東北に詩人が多いことを挙げた。石川啄木、宮沢賢治、太宰治、奥の細道、遠野物語の舞台にもなった。奥の細道は俳句文学の古典になった。遠野物語は詩人だった柳田国男が文語体で書いたから名もなき山人の叙事詩に思う。東北には縄文文学の基層がある。
 演歌でも東北、北海道はヒット曲が多い。演歌歌手は全国規模で広がりがあるが、歌詞は東北から北が好まれている。東北の民謡は本場でありあまたある。民謡もまたリフレインの縄文文化が基盤であろう。
 例えば、「津軽海峡冬景色」の作詞家の阿久悠は兵庫県淡路島出身だし、歌手の石川さゆりは熊本県であるから西日本の文化なのになぜか東北の人かと思ってしまう。縄文人は日本列島全域に亘って広く分布していただろう。弥生人の渡来で西日本が変質したのだ。
 弥生文化の影響の少なかった東北はその分縄文文化が残ったのだろう。三内丸山遺跡はその証拠である。
 江戸時代末期、豊橋市出身の菅江真澄が28歳で故郷を後にして東北の旅に出たのは、縄文文化の調査だったのではないか。物見遊山ではなく、学問的な好奇心だったといわれる。秋田市に住まい、青森、岩手に旅している。故郷に還らず、角館に没した。

『イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子』を読む2019年04月06日

 何かの雑誌の書評で紹介されていた気がする。郷里の三重県で存在感のある企業なので興味があったので読んでみた。遠縁の人も勤めている。
 全体的には著者東海友和氏のバイアスが入った本になるのはやむを得ない。これは東海友和が弟子となり師の千鶴子の語録を整理した『論語』である。巨大スーパーに育て上げた経営者のエッセンスが詰まっている。だたしそれだけなら目新しさはない。
 この本の価値は
第1章 小嶋千鶴子を形成したもの―その生い立ちと試練
1.宿命―田舎町の呉服屋から
2.背負った使命―二三歳の当主
にある。
「読書家で特にプロレタリア文学にのめりこみ」の一センテンスで、イオンに抱いていた疑問が氷解した気がする。
 背景としての日本と世界情勢を岡田家の歴史と家族の動静に織り込んでみると
1758年 創業
1916年  千鶴子  次女として誕生
1917年  ロシア革命
1922年  ソ連成立。日本共産党成立
1925年  卓也   長男として誕生
1926年  葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』 (文芸戦線 1926.1)
1927年  父43歳で病死
1927年  宮本百合子 ソ連へ逃避
1929年  昭和の大恐慌
・・・宮本憲治 『敗北の文学』が入選
・・・小林多喜二『蟹工船』発表
・・・小津安二郎「大学は出たけれど」※
・・・13歳の千鶴子はプロレタリア文学に傾倒
1931年  宮本顕治 日本共産党へ入党
1937年  岡田嘉子と杉本良吉 ソ連へ逃避行
1939年  長女嘉津子病死
1939年  千鶴子が代表取締役に就任
1943年  卓也が早稲田大学に進学
1946年  卓也が代表取締役に就任
1948年  卓也は早稲田を卒業
※「大学は出たけれど」は戦後の就職難でも言われた。スーパーくらいしか就職先がなかった。当時はスーっと現れてパーっと消えると言われていた。そんな経営基盤の弱い時代に大学を出て仕方なくスーパーに入社した人らがいた。鈴木敏文は中大を出て昭和38年にイトーヨーカドーに入社。のちに経営者になった。

以上時系列に関係事項を並べるとかなり荒っぽいが千鶴子の育った社会環境が分かる。要するに開明的な子は当時は先進的な思想と見られた共産主義思想にかぶれやすかった。千鶴子もその例外ではなかった。千鶴子は間もなく資本主義の真っただ中に放り込まれたので赤に染まらずに成長した。
 ただ、共産主義をかじったことで資本主義の過当競争、搾取、倒産、階級闘争を逆説的に学ぶことになる。資本主義の弱点が良く見えるのである。独特の経営哲学に育っていった。
 経営者として、いかに人を飼いならすか、三重県の田舎企業に過ぎなかった会社に有能な人を引き寄せねばならなかった。普通の人をどうやって育てるかに粉骨砕身しただろう。資本主義の非情な面を和らげることで社員の不安を解消したのではないか。
 岡田卓也の長男はイオンのトップの元也、次男は衆議院の克也、三男は東京新聞の政治部長の昌也である。卓也の妻は資産家の高田家からもらった。逆に三男の昌也は高田家に養子に行く。閨閥の形成である。
 卓也の子供たちがみな左翼思想に染まるのは伯母の千鶴子の影響か、と思う。長男は親中派、次男は立憲民主(旧民主党)、三男は左翼色の強い東京新聞記者とよくも揃ったものである。千鶴子の影響とみることで3人兄弟がみな仲良く左翼思想の持主という不思議さも氷解する。
 例えば克也は1953年生まれなので、1953-1916=37。千鶴子が37歳の時の誕生で、克也15歳を足しても、千鶴子は52歳になり、精神形成に大きな影響があったのではないか。

鈴鹿・霊仙山を歩く2019年04月07日

 朝6時30分に出発。名二環から一宮ICを経て関ケ原ICで出る。R21をのんびり走る。今日は久々の鈴鹿の霊仙山である。醒ヶ井で左折。
 計画では阿弥陀山経由で周回の予定でしたが谷山谷が工事中で入れず、榑ヶ畑から汗拭峠経由で往復するだけになりました。落合コースもダメらしいので、このコースに集中したせいで、Pが満杯でした。ずっと下に戻って止めました。
 8:25出発、廃村跡の榑ヶ畑を経て杉林を登りきると汗拭峠で一休み。雑木林の急な尾根道をあえぐと傾斜が緩くなって歩きやすくなる。米原市展望台でまた一休み。周囲にはカレンフェルトが群がる。近くからキツツキのドラミングが聞こえてくる。小鳥の鳴き声も盛んである。
 腰を上げていっそう急な山道をジグザグに登り高度を稼ぐ。お猿岩に着くとスキー場のような緩斜面が広がっている。ここから立木はなくなり、今は雪が解けたばかりで地面も枯草色に染まる。そしてカルスト地形独特のカレンフェルトの白っぽい石が無数に広がる。雪解けの後の泥んこの途を避けて、草地をたんたんと歩いていくとお虎池に着いた。美しい水を湛えている。鳥居が立ち信仰の対象になっている。
 いったん下って経塚山へと登り返す。泥でぬかるんだやや急な道を登る。頂上の北面には残雪が結構ありました。経塚山からまたいったん下って登り返す。雪が結構残るが雪の上を歩くまでもない。
 11:00登頂。2等三角点が新しく埋め替えられた。約2時間半かかった。伊吹山が霞んで見える。琵琶湖も霞の彼方にある。遠望はなし。
 昼前でおにぎりを食うほど空腹ではない。アンパン1個で済ます。多数のしかし1人か2人パーティーが登ってきて休んでいる。中には焼き肉をする人、ラーメンを作る人、トーストをする人らがいて早めの昼食を楽しんでいた。風は微風程度だがじっとしていると寒い感じがする。
 11:17下山開始、経塚山と山頂の鞍部の谷沿いの踏み跡をたどるとお虎ヶ池の手前の登山道に合流できた。帰りがけに福寿草などの山野草を探したが無かった。またお猿岩ではカラスの群れが騒がしいので見に行くと雌の鹿が死んでいた。
 下山時でも雑木林では小鳥が大変にぎわっていた。きつつきのドラミングも盛んでした。美しい鳥が枝から枝へと導くように先を飛んで行く。夢のような光景である。少し膝に痛みがあるのでそろそろと下った。
 林道最奥の車はほとんど無くなったので下山したのだろう。Pへは13:20着。
 山上では昼食をしてないので、最奥の料理屋でニジマス料理を食してみた。4000円以上の結構なお値段である。2700円のリーズナブルな定食を頼んだ。刺身、フライ、甘露煮、お汁、付け出し、塩焼きと一応は揃っている。川魚料理好きには満足のいく水準である。

 醒ヶ井に出ると、加茂神社に寄った。ヤマトタケルの像が立っている。

「居醒の清水(醒井宿)概要: 居醒の清水は案内板によると「景行天皇の時代に、伊吹山に大蛇が住みついて居醒の清水旅する人々を困らせておりました。そこで天皇は、日本武尊にこの大蛇を退治するよう命ぜられました。※尊は剣を抜いて、大蛇を切り伏せ多くの人々の心配をのぞかれましたが、この時大蛇の猛毒が尊を苦しめました。やっとのことで醒井の地にたどり着かれ体や足をこの清水で冷やされますと、不思議にも高熱の苦しみもとれ、体の調子もさわやかになられました。それでこの水を名づけて「居醒の清水」と呼ぶようになりました。」とあります。」※剣はミヤズヒメのもとに置いてきたので素手で戦います。

 ここは昔中山道の宿だった。狭いがよく整備された街道が続いているので車で走ると元の交差点に戻った。道沿いの小川の水がきれいで、ハリヨが生息している。

 この後で、ヤマトタケルは伊勢に向かう。四日市辺りで、痛みがひどくなり、「ヤマトタケルが東征の帰途、伊吹山の神との戦いで病に倒れ、弱った体で大和帰還を目指して剣を杖代わりにしてこの急坂を登り、
『吾足如三重勾而甚疲』 (わがあしは みえのまがりのごとくして はなはだつかれたり)
-- 私の足が三重に折れ曲がってしまったように、ひどく疲れた --『古事記』と言ったとされる。これが「杖衝坂」と「三重」の名前の由来といわれる。
 そして、鈴鹿市または亀山市で、有名な和歌を詠んで亡くなる。

 倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 倭しうるわし

花吹雪2019年04月08日

 春らしい陽気だった。部屋から見下ろす桜並木も満開である。いつもながら素晴らしい眺めである。高層マンションの間を強風が吹き抜けると花吹雪が舞った。
 朝一で資源ごみを出す。伸ばし伸ばししていた車内のETC装置の接着が外れかかっているのを補修した。
 マイカーの任意保険の価格比較のネットで調査すると5社以上が出てきた。大手はあまり変わらない。
 たまたま新聞の折り込み広告の全労済も電話で見積もるとダントツで安い。さらにJA共済は安い。そう思っていたら近くのJAからセールスの電話があったのには驚いた。他社ははがきで対応してくれただけである。それでJA共済で見積もると13000円も安かった。そこに決めた。ネットではなく人的なつながりもあるからだ。
 車検証、納税証明書、免許証裏表、自賠責保険証のコピーを用意して待機。JA共済の職員に渡す。
 午後は郵便局で送金1件、郵便物2件を投函後、地下鉄で丸の内の事務所へ。地下鉄栄駅構内のQBハウスで散髪を済ませる。100円アップ。もう寒くないだろう。
 桜通りの枝垂れ桜も満開、シモクレンも散りかかっている。春惜しむ季節になる。事務所でたまっていた雑用を片付ける。古いメモの内、未処理を手帳とカレンダーに書き込んでゆく。関係加盟団体の年会費、固定資産税、介護保険料、還付金のお知らせなど会計ソフトに入力。原稿書きで山積していた本や会報つづりを整理整頓しておく。
 夜は若干の花冷えである。古いが程度の良い登山用雨具の上着を替え着にはおり、コート代わりにしている。これでちょうど良い。今夜は月が出ていない。はてな。