まほろばの里から北蔵王・雁戸山へ行く2019年05月18日

 夜明けとともに目覚める。曇りがちだがまた晴れるだろう。名古屋で用意したうどんと豚肉、カット野菜を使って肉うどんを朝食にした。初夏になると食品が傷みやすいのでその日に消費したいもの。
 明るくなった高畠町内を走ると「まほろば」の語彙が目につく。青森を「北のまほろば」とネーミングした司馬遼太郎の「街道をゆく」のと同じだが旅の感動を表現したのに対し、地元の方は売り込みが強い気がした。しかし、これも歌人の短歌に基づいていると知って納得する。

 高畠町観光協会のHPには「まほろばの里たかはた
山形が生んだ歌人、結城哀草果は

「置賜は国のまほろば菜種咲き 若葉茂りて雪山も見ゆ」と詠みました。

山形県置賜地方の東部に位置する高畠の歴史は、縄文草創期の土器が発見された日向洞窟など、一万年前までさかのぼることができます。
そして、町内全域に広がる古墳群は、この地に人びとが定着し、次第に集落を形成してきた事の何よりの証となっています。

地味豊かな当地は、さくらんぼ、ぶどう、りんご、ラ・フランスなど、多くの果物が生産されています。

また、自然のおりなす山容も、蛭沢や観音岩に見られる当地方特有の凝灰岩の巨岩に恵まれ屹立する様態は、まさに「まほろばの里」にふさわしい景観となっています。

※“まほろば”とは、「周囲が山々に囲まれた平地で、実り豊かな住みよい所」の意」
以上
 ある観光サイトに「さて、「置賜」の地名が初めて記録に出てくるのは、持統天皇3年(689年)の『日本書紀』です。陸奥の国・優嗜曇郡の蝦夷が僧になりたいとの申し出を、天皇の詔により許可したと記述されています。優嗜曇は「ウキタム」、または「ウキタミ」と読ませており、承平4年(934年)頃に編纂された『和名類聚抄』では、「於伊太三(おいたみ)」の字があてられています。
 「置賜は国のまほろば」と詠まれたように、この地域は、豊かな土地であったと思われます。それは、この地に天皇領や摂関家、後白河法皇の領地(本所)であったことからも推測できるものです。置き賜う=興玉=オギタマ(伊勢の二見ケ浦には興玉神社がある。)という名前からも、当時の権力者は、条件の良い豊かな土地を自分のものにしていたと考えられるからです。
 さらにこの地方は、西東北における蝦夷と大和朝廷との境にあたり、国土防衛線の意味もあったと言われます。このことは、西東北地方における前方後円墳の分布においても、当地の南陽市に存在する稲荷森古墳の特異性からも伺うことができます。蝦夷集落を管理しなければならない最前線であったとすれば、置賜は「日置郡、置部(へきべ)」に関した名前とも考えられる。「へき部」とは、古代出雲族から出た氏族の名前であるが、その後役職名となり、「住民の戸数を調べる仕事で、税務と行政」を司る意味に使われるようになったと言われています。」紹介されている。
 思い付きで命名していることではなかったのである。司馬遼太郎の「街道をゆく」10の羽州街道にも置賜にふれている。 

 道の駅の接するR113からR13へ右折。置賜平野を北上する。山形市からR286へ右折。山形自動車道関沢ICまで良い道が続く。ICを過ぎると突然1車線の狭隘な山岳路に急変する。タイトなカーブは笹谷峠まで連続した。
 906mの峠に着いた。濃霧が景観を奪い、強い風が吹いている。駐車場は約30台から50台は入る広さがある。トイレもあって設備は良い。身支度後、登山口を探るが見当たらず、宮城県境まで歩くと道標があった。明確ではなく、何となく右へ下がってみたら、R286の県境ゲートの宮城側に出た。その先に小さく北蔵王と古い道標がありそれに従う。思い直して山形県境も探るが分からず。
 地形図では宮城県内から破線路が続くが山形県境も絡めながら歩くようだ。そのうち有耶無耶関跡なる道標のある場所に着いた。宮城県側からの沢道が上がってきている。さらに進むと登山道が錯綜している。笹谷峠側に少し戻ると三差路になり左折すると雁土山への道標になっていた。狐につままれたような迷走山路である。
 雁土山へ振ると見事なブナの森の中の山道になる。地形図にあるような緩斜面で高度は上がらず。4等三角点「八丁平」は見落とした。何分登山口から濃霧で見通しはきかない。登山道はやや傾斜を高めながらゆっくり登り始めた。足元の道は掘れこんでいるいるから利用者は多いのだろう。上に行くと残雪が道の溝を埋めている。
 中途で小休止。クマへの恐れから、ブナ林では休まず歩いたせいで大汗をかいた。登山口で厚着し、その上に雨がっぱも着込んだから当然だ。カッパを脱ぎ、厚めの上着も脱いで体温を下げた。そしてぐったりする疲労感に襲われた。
 濃霧も晴れて、前衛のカケスヶ峰へ登頂。360度の展望がある。雁戸山は名前の通り鋸刃のような山容である。疲労した体で蟻の戸渡のような危険個所は歩けない。往復1時間半はかかる。4時頃までに飯坂温泉へ行かねばらなず、少し急がないと間に合わない。カケスヶ峰で登頂を断念して関沢コース経由から笹谷峠へ下山した。
 こちらも同等のブナはないが、つるつるの滑りやすい登山道の状況であった。但し明るいのが幸いだ。峠が近くなると登山道がいくつかに分岐している。直感で電波塔?の方へ行くと舗装路になっていた。直進すると地元の高校の山小屋に通じていただろう。舗装路との連絡路もあった。登山口は駐車場からすぐの電波塔への舗装路の入り口であった。明確な道標ではない。名山ではあるがマイナーだとこんな扱いなのだ。
 小屋で一緒になった女性ハイカーに道々教えてもらった。今日は山形神室への手前のはまぐり山を往復したらしい。眺めが良く楽だとのこと。神室山は二つもあったのだ。
 駐車場で支度後、R286を下る。山形市内に戻り、物産展示場を見学。そこから仰ぐ雁戸山は立派な姿に見えた。R13で米沢市内まで戻り上杉鷹山関係の伝国の杜に入館(本日は無料)して鷹山の業績を学んだ。R13で福島の飯坂温泉に向かった。
 福島県境の手前で県道に右折。峠駅を見学に行く。奥羽本線は新幹線化されたが、かつてはスイッチバックで知られた。そこの名物の「峠の力餅」を買うためだった。ここも1車線の狭い山岳路であった。人気の秘境駅だったので今もドライバーが行きかう。
 峠駅は残っていた。今は山形新幹線の強力なモーターで牽引されて走り抜けてゆく。R13は西栗子と東栗子トンネルの2本を貫通させ、東北中央自動車道は長いトンネルを貫通させたというのに、ここは産業遺産めく駅を残した。
 R13を下るとあとは道草もなく飯坂温泉の旅館を目指した。摺上川に面した老舗旅館だった。玄関を入ると懐かしい会長らが待っていた。受付を済ませてようやく30名の会員仲間の一員になった。