冷蔵庫とて饐えしもの捨てるべし 福永鳴風2019年05月28日

 朝から雨。ホッとする。片づけの最中に水出しのガラス容器をうっかり倒して割ってしまった。早速買いに行く。このところ、水分補給の機会が多くて2ℓのペットボトルの空ボトルのリサイクルが増えた。
 そろそろ水出しで供給しないと間に合わないと思った。ボトルはホームセンターで1000円弱。プラスチックはもっと安いが、飲み物はガラス容器が良い。ちなみに缶ビールでも缶から飲んでも良いが、ガラスコップに注いで飲むと一段と美味く感じる。というわけで、ペットボトルのお茶よ、さようなら、水出しボトルのお茶よ、こんにちはになった。

 冷蔵庫に保存する食品の傷みも早まってきた。表題の俳句は所属する俳句結社の主宰だった故福永鳴風氏の句である。なかなか良いところを突いている。山岳会の女性会員に主婦のあんたたちでも冷蔵庫の食品を腐らせることはあるかね、と問うと、あるある、と答えてくれた。
 賞味期限と消費期限の違いがやかましく言われ、まだ食べられる食品の廃棄処分が糾弾されてきた。
 たしかに冷蔵庫は年々大型化してきた。比例して食品の廃棄も増えただろう。購入して冷蔵庫にしまった食品はもう食べる気がしないのだ。多くの主婦は多分、買い物を楽しんでいる。料理は苦手、できればやりたくない、デリカの出来合いの総菜で済ませたいのだ。
 現実に家庭料理は愛情がないと続かない。働く夫、通学の子供がいるから主婦の役目とばかりに料理に勤しむモチベーションになる。あるいは金儲けの手段でもある。あんなカレーのような料理ですら外食が当たり前になった。夫が定年後は、主婦も辞めます宣言したそうだ、とは先の山岳会の女性会員だ。

 というわけでこれから猛暑に向かう季節到来。もう一句

 団塊の世代われらに飯饐る 遠藤若狭男

・・・これはこれは大胆な句であることよ。飯は饐えても食えないことはない。洗って雑炊にしたりおじやにして食える。
 肉は毒素を出すので捨てるしかない。欧州で香辛料が発達したのは冷蔵庫なき時代に日々腐敗の進む生肉をどうやって食うかの工夫だっただろう。ハムソーセージも食塩で保存する知恵の産物だった。
 便利さは無駄にもつながる。