手が見えて父が落葉の山歩く 龍太2021年01月21日

「俳句の教科書」からの鑑賞文
https://haiku-textbook.com/iida-ryuta/
 竹林の中を歩く父親の姿、特にその手が西日に照らされて白く見えたことをきっかけに詠まれた句です。この時、飯田龍太の父、蛇笏は75歳。亡くなる2年前のことです。ここで詠まれているのは、力強くたくましい父親像ではなく、年相応の衰えを見せつつも、高い精神性を見せる人生の先達としての父の姿です。

・・・俳句雑誌に発表された当時もてはやされた句だったと記憶している。もう一度探すのも面倒だから印象だけで言うと、手が見えて、とう初句に力点が置かれたていた。おや誰なんだろう、ああ、その手はなんだ親父の手だったのか、という所見である。親父くらいしかいないのだがやっぱり親父だったという安心感。前述の鑑賞文はやや持ち上げすぎです。

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