若狭・庄部谷山を歩く③2020年12月01日

 地元の人は軽トラで山仕事でここまで上がっていた。この方も山や自然が好きで岩魚釣りや山菜取りに入るという。ブナが素晴らしいと言ったらこの方も同意された。仕事と趣味が一致しているのだ。
 それにしても堰堤が多いですね、と黒谷山の東の谷にある砂防堰堤の話をした。
 そこを切り口にブナ林は山の生活史的には、昔は薪炭林だったことでしょう。若木の内に クヌギ、コナラ、ヤマザクラ、エノキなどの伐採を繰り返し、山の地味が痩せるから松を植えたことでしょう。
 炭焼きの山から松山になった。松茸は人間が繰り返し干渉し、地味が痩せた松の木から生える茸である。
 松を切り出した丸太を榑松という。人名にもあるし、鈴鹿山系の竜ヶ岳の南にも石榑峠、霊仙山の登山口の廃村・榑ヶ畑と結構見る地名である。
 その炭、薪、松も戦後の石油の輸入で炊飯、煮炊きの燃料に使わなくなり、炭焼きや薪の切り出しの用が無くなるとくぬぎ類は急成長した。松山は荒れた。慌てて杉や桧を植林したが育ちが悪い。猿投山周辺には多く見られる。山が荒れると大雨で土砂の流出が続き、山崩れで浸食された。土石流は谷川の川底の水位を上げる。もはや沖積平野にはなりえないから砂防堰堤で土砂を貯めることになった。
 それが徹底すると例えば天ノ橋立も砂洲への砂の供給が止まり切れるという事態になる。鳥取砂丘もかつて古代から続いた中国山地のかんな流しで砂鉄を採ったり、和鉄を生産するための大量の炭焼きの原料として伐採された結果、山が荒れたのである。いつしか砂の供給不足で砂丘が減ってゆくのではないか。
 山の人曰く、今のブナ林は山の保水力となって守っているんだな、と理解を示された。そのブナを切って、風力発電の基地にしたらどうなるか。山の人曰はく、北陸は冬春でも雷が鳴り、落ちることがある。と懸念を示された。その上に保水力は減衰する。
 横谷川の下流の新庄は間違いなく、土石流の犠牲になる。山は堰堤だらけになるだろう。今でも小さなダムがあるが大規模なダムも作らないと危ない。
 一基8000万円から2億円もする風車の耐用年数は9年である。耐久消費財なので短期間で利益を出すことになる。採算が合わなければ撤退するだろう。すると残るのは新庄の住民らは自然破壊で災害の恐怖にさらされる。発電企業からの法人税よりも治山治水に使う税金が多ければ社会的には採算割れだ。
 人間の生活史は利用のための自然破壊の歴史である。

 下山後は温泉に入湯したかったが、適当なお湯がないので諦めた。帰路、湧き水があったので汲んだ。またR27沿いにJAのスーパーがあったので魚を買った。若狭湾産には買い気をそそられる。敦賀市まで来るともう雨になった。木之本では小雨、関ヶ原では止んだ。日本海は冬時雨だったのだ。

建設業法改正の研修2020年12月02日

 午後から10月1日に改正された建設業法のポイントの研修だった。ズームの人多数、会場の人は小数に分かれてしまうが盛況だったのだろう。改正のポイントは益々複雑化した法の実務上の注意点だった。たしかに細目にわたる話である。その上にコロナ対応で、窓口で応酬しながら、書類不備や訂正、考え方の指摘などの細かい指導を受けることが出来なくなってしまった。
 県庁側からは行政書士の出す書類に不備が目立つこととなるのは必然だろう。更新の手続きでも痛感したが、手引きを読め、という指導だけではいかんともしがたい。細部にわたる法令、施行規則、解釈の違いなどがある。
 しかし今後はこれが常態化するかも知れませんね。申請→仮受付→審査→受理または不備なら返却→訂正→再申請→副本の送付(郵送または受領)となる。年数よりも数をこなしたいが中々数は得がたい。隔靴掻痒の思い。
 研修後は事務所で事務整理。ファックスが一本着ているが申込済みの研修も希望者多数で全面的にライブ配信となった。

山眠る季節へ2020年12月03日

 マンションの窓からは快晴の空が広がった。近くには猿投山が見える。黒々とした山容を眺める。

  『広辞苑』の 「山笑う」「山粧う」「山眠る」を引いておきます。     

山笑う [画品、郭煕四時山「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠として滴(した)たるが如し、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として睡(ねむ)るが如し」]春の芽吹きはじめた華やかな山の形容。冬季の山の淋しさに対していう。笑う山。<季・春> 

山粧(よそお)う 晩秋の澄んだ空気のなかで、山が紅葉に彩られているさまをいう。<季・秋>。

山眠る 冬季の山が、枯れていて全く精彩を失い、深い眠りに入るように見えるのをいう。眠る山。<季・冬>。 (以上、『広辞苑』第6版による。)

・・・ここからは年中眠っている感じです。黒々とした山体は多分杉や桧の植林の為でしょう。雑木林ならば若干は色が明るくなる。但し元の植生は照葉樹林の山ですから深緑色になりやはり黒っぽいでしょう。

腹筋の効用2020年12月04日

 11/29の登山で久々に6時間以上歩いた。そのせいか、腹筋が締まったように思う。当日は普通のおにぎりの1.5倍ある大きさのものをかじったが食べきれなかった。お茶しか受け付けなかった。その日は食欲はあっても多くは食べられなかった。
 やっぱり腹筋で内臓が持ち上げられているからだろう。つまり運動しないと胃下垂みたいになり、どれだけでも食える。ところが筋肉が締まるとズボンのベルトを締めるのと同じ効果がある。食欲はあっても入らない。
 11/30から12/2までは腹が張る感じだった。食べたくても食えない。腹筋が緩んだのか、昨日辺りから便通が大量に出るようになった。1日3回くらいはあった。今朝も朝早くからあった。その分ベルトの締まりが細めになった気がする。
 思えば11月は3連ちゃんで里山に通った。その後は遠方の山で6時間前後は歩いている。2連ちゃんだから足して5週連ちゃんだ。その運動効果であろうか。運動で筋肉が締まり少食になる。減量になるといいが・・・。
 今はタンパク質中心に青野菜をとることにしている。世間は感染者が増加の一途をたどる。誰彼が発言をされるが、検査よりも、三密回避と感染防止と体調管理が一番である。タンパク質、ビタミン、ミネラルを適切に補給していけば体は素直に反応してくれる。労わるということ。

名古屋の書店事情2020年12月05日

 名古屋市内の主要書店に変化が出てきた。
 大手の丸善は久屋大通りの地上の再開発で地下街にあるセントラルパーク店が閉店された。寂しい気がしていたら、ギャラリーに近いところへ最近になってからくまざわ書店がオープンしていた。事務所に近いので助かった。これで雑誌などはここで買える。
 閉店した丸善はイオン千種に移転していた。ここは前から書店だったが居ぬきで出店した。山岳書はなし。結局丸善は名古屋店に行くか、ジュンク堂の栄地下店に行くか。山岳書は充実している。
 同じく千種区のちくさ正文館も千種駅前の学参専門書店が閉鎖して本店の半分のスペースに移転された。特異の人文系(文学全般、歴史、宗教、思想、映画)は旧来からのコーナーに確保されたままである。まだじっくり見ては居ないが、以前あった法律、資格、料理、ビジネス書籍を犠牲にした気がする。山岳書は大幅に整理されて寂しい限りである。
 地下鉄いりなか駅の三洋堂書店は1Fドラッグストアが出店し、書店は2Fに上がってしまった。ここも山岳書は整理された。
 名古屋駅前周辺でもジュンク堂の駅前店はまあまあの規模である。高島屋デパートの8Fにあった三省堂書店は別の棟に水平移動した。

記念講演「弥生時代とは、何だったのか?」を拝聴2020年12月06日

 朝から抜けるような青空が広がった。今日は瀬戸市の愛知県陶磁美術館に行く予定。しかもサイクリングでだ。約17kmあり、1時間半を見込んだ。講演は10時30分からだ。
 8時26分に出発。天白川の源流域に逆らうようにわずかながら登りがある。スマホに目的地を仕込んだが、日進市の源流域で私有地の通行止めの道に案内されてしまい引き返す羽目になった。結局は県道58号に行き、田籾の交差点で左折。長い上り坂に吹いてしまい自転車を降りてこぐ。峠からは長いダウンヒルを楽しんだ。猿投GRまで来たら悠々かと思ったが、陶磁資料館前駅まで行けばいいのだが、結構な上り坂のために左折して回り込んでみた。裏道も上り下りが激しいので随分疲労感がした。
 しかし頑張って何とか着いた。2時間もかかった。会場入りしたらすぐに始まった。
 講演はテーマの通りだが予備知識がないために消化不良で終わった。講師は優しくかみ砕いて話してはくれたのである。
 講演後はレストランで腹ごしらえして帰った。今度はトヨタ博物館の近くまでほぼ平坦な道を行き、日進に向けて県道57号を走るだけになった。愛知学院大学前までは緩い上り坂だが過ぎれば日進の白山までは下り坂になる。後は天白川と付かず離れずで走った。
 いい汗をかいた。強度的には1000m級の山を一つやったくらいの疲労感がある。終日良い天気に恵まれた。

聾唖の夫婦と遺言公正証書2020年12月07日

 昼12時ちょうど、相方の行政書士の先生と合流。愛知県のある地方都市の公証役場へ向かった。13時30分から公証人役場で聾唖の夫婦の遺言書作成があり、2人とも証人として立ち会うことになった。
 定刻通り関係者が集まり、まずは夫から遺言書の内容を確認してゆく。ところが聾唖者なので手話通訳士が間に入るので、まるで外国人の同時通訳よろしく中々進まない。法律用語である相続と遺贈の違いなども説明しながらのこととなった。しかし、事前の打ち合わせもあるので無事完了した。続いて妻の方も同じ手順で無事完了した。
 完了後に手話通訳士はあなたが探したのか、と問う。同じ名古屋市の人だったからだ。曰はく、愛知県からボランティアとして派遣されて来られたのだ、という。
 検索すると、あいち聴覚障害者センターがヒットした。「聴覚障害者(難聴者・盲ろう者含む)のコミュニケーション手段を確保し、日常生活の向上と社会参加の促進を図るため、手話通訳者や要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員の養成・派遣、日常生活の相談事業、字幕・手話入りビデオ・DVD貸出事業などを実施し、情報提供を総合的に推進する拠点施設として2015(平成27年)4月にオープンしました。」とあるので近年のことである。
 ここで、事業案内
手話通訳者、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員の養成事業
手話通訳者、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員の派遣事業
が行われている。因みに令和元年10月の試験結果は2020年1月発表によると
【結果概要】第31回手話通訳技能認定試験(手話通訳士試験)の合格者数等は以下のとおりです。

・受験者数 1,100人
・合格者数  121人
・合格率   11.0%
昨年は9.8%だったから狭き門と言える。
 そういえば、名古屋市長、愛知県知事が記者会見する際は必ず画面の左手に手話の人が手ぶり身振りで手話をやっている。何気なく見ていたが、意思疎通の不自由な人には欠かせないサービスと認識した次第。

中国王朝史と日本神話時代そして渡来人と弥生文化2020年12月08日

 中国王朝史を見ると目まぐるしく易姓革命を繰り返している。日本では神話時代と重なっている。さらに考古学の成果で最近は弥生時代の遺跡、遺物が姿を現し、縄文文化も語られることが多くなった。

 日本海側の若狭湾、敦賀湾などは朝鮮半島の文化の取り入れ口みたいに渡来人が流れ着いた。王朝毎に違う政治の仕組みの変化にほとほと疲れた職能人の群れは母国を捨てて別天地を求めて船に乗り日本海に出た。対馬海流に流されて着いた白砂清松の砂浜は歩きやすかった。

 住みやすい平地はすでに先住者がいたから渡来人は奥地が当てられた。こうして明神谷に住んで焼き物を作った。手に職があれば外国でもすぐ受け入れられる。

 熊野市は聖地と言われる。大和朝廷の先祖は太平洋の黒潮に乗った。水稲耕作の技術を持っていた集団は熊野川沿いに遡り、奈良盆地に定住し始めた。大和は国のまほろばの始まりである。

 琵琶湖周航の歌の歌詞を吟味すると、わずか26歳の京大生が作詞したとは思えない。文語体で拡張高く歌いあげる。何か原作がありその漢詩なり和歌を換骨奪胎した気がする。
 琵琶湖を日本海を漂流する先祖に例えた。白砂清松は朝鮮半島の風景に重なる。作詞の小口太郎は諏訪の人だが手本の原作は朝鮮にルーツをもつ人なのではないかとさえ思える。

1 われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
2 松は緑に 砂白き
雄松(おまつ)が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
はかない恋に 泣くとかや
3 波のまにまに 漂えば
赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か
4 瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく
5 矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
6 西国十番 長命寺
汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
語れ我が友 熱き心

寂寞と白き城より落し文 有馬朗人2020年12月09日

 掲題の俳句は「愛知県犬山市 尾張富士大宮浅間神社境内」で” 寂寞と白き城より落し文”(朗人)」を拝見した記憶がある。学問の頂点に経って、且つ俳句でも句碑を残された実力者である。
 犬山城は白帝城ともいうから犬山城の謂いであろう。落し文は季語で「オトシブミ科の昆虫の総称。初夏、櫟、楢、楡、などの広葉樹の葉を筒状に巻いてその中に産卵し地上に落す。この筒状の葉を落し文に見立てた。 
・・・犬山城内での所見である。寂寞というところが真骨頂であろう。意識的に観察した結果ではなく、凡人なら見過ごしそうな句材を見逃さず、1句に仕立てた。

NHKニュースから

 東大元学長の有馬朗人さん死去 90歳
2020年12月7日 21時14分

物理学者で、東京大学の学長や文部大臣などを歴任した有馬朗人さんが亡くなりました。90歳でした。
有馬さんは昭和5年、大阪市生まれで、昭和28年に東京大学理学部を卒業し、その後東京大学の教授となり、平成元年から学長を務めたほか、平成5年からは理化学研究所の理事長も務めました。

原子核物理学の研究で優れた業績をあげ、平成5年に「日本学士院賞」を受賞したほか、平成10年にはフランスで最も名誉ある国家勲章「レジオン・ドヌール勲章」を受けています。

また、平成10年に参議院議員選挙で初当選し、文部大臣や科学技術庁長官を務めたほか、日本科学技術振興財団の会長などを歴任し、日本の科学技術の振興や教育改革などに取り組みました。

平成16年に文化功労者に選ばれたほか、平成22年には文化勲章を受章しています。

平成18年からは中高一貫校や大学を運営する武蔵学園の学園長を、平成22年からは静岡文化芸術大学の理事長を務め、平成27年からは安全管理上の問題が相次いだ高速増殖炉「もんじゅ」について議論するために設置された文部科学省の検討会で座長を務めました。

また、俳人としても知られ、句誌「天為」を主宰していたほか、平成29年の句集「黙示」などで毎日芸術賞を受賞しています。

平成29年には世界の伝統文化などを保護するユネスコの無形文化遺産として、新たに「俳句」の登録を目指そうと、協議会を設立しました。

一方、有馬さんは平成17年の新聞社への寄稿で、「物理学者としてノーベル賞を受賞してこそ認められるが、研究以外のいろいろなことをやり学問を究められなかった」と振り返っていて、政治や行政に携わったことは「人生の痛恨事」だったと語っています。

関係者によりますと7日午前、東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、その後、死亡が確認されたということです。
以下略

冬晴れ2020年12月10日

 今朝も快晴。猿投山も眠るがごとく見えている。北から東にかけてはやや曇っている。高空に冷気が差し込んでいるのだろう。しかし、まだ雪の声は聞こえてこない。少し良すぎる冬の一日。野菜も安値安定になっている。痛しかゆし。ところがコロナ禍は厳しい状況が続く。嬉しくない冬に入ってゆく。